民営化

2013年7月27日 (土)

コチャバンバ水戦争:「水戦争」から10年 マルセラ・オリベラ、市営水道民営化阻止の対ベクテル民衆闘争をふり返る

2010年4月19日、月曜

Democracy Now

十年前の今月、ボリビアの都市コチャバンバは、市の最も不可欠な天然資源の一つ、水を巡る歴史的な戦いの中心だった。水戦争は、シアトルの戦いからわずか数カ月後に起きた。コチャバンバ街頭での反ベクテル蜂起は、大企業グローバリゼーションに反対する国際闘争の体現と見なされている。水戦争の十周年を記念して、先週コチャバンバに、世界中から水問題の活動家達が集まった。[下記は番組の書き起こし]

番組の文字起こし

これは急ぎの文字起こしであり、必ずしも最終的文章ではない。

10年前、この路上で、この町コチャバンバの17歳の住民、ビクター・ウゴ・ダザが、ボリビア兵の銃弾に倒れました。水戦争のさなかでした。軍はこの日、コチャバンバに戒厳令を発令しました。でも結局降参したのは軍隊と国でした。米国サンフランシスコに本拠を置くベクテル社と交わした契約を取り消すことになりました。コチャバンバの人々の水を民営化した会社です。

エイミー・グッドマン: ボリビア、コチャバンバからやや外れた所にある、ボリビアの町ティキパヤから放送しています。今日、「気候変動と母なる大地の権利のための世界民衆会議」が開催されます。サミットを一週間報道する予定です。

コチャバンバの水戦争十周年報道に戻りましょう。この十周年にあたり、何百人もの人々が、集まって、一週間祝祭を行っています。日曜にマルセラ・オリベラさんと会いました。彼女は「水と生活の防衛連合」国際連絡担当主任として働いていました。兄オスカル・オリベラさんがこの組織を率いていました。   

オスカル・オリベラ: [翻訳] もし政府が水道会社を国から追い出さないなら、国民が追い出そう。

エイミー・グッドマン: ボリビアの、コチャバンバで、十年前に全てが始まった広場に私達は立っています。マルセラ・オリベラさんと一緒です。水の民営化に対する戦いが始まった時、彼女はここにいたのです。マルセラさん、全てがあの垂れ幕で始まったのですね?

マルセラ・オリベラ: はい、紛争が始まった時、あの横断幕があそこに掛けられていました。

エイミー・グッドマン: 何と書いてあるのですか?

マルセラ・オリベラ: “水は皆のものだ、クソッたれ!”

エイミー・グッドマン: “水は皆のものだ、クソッたれ”?

マルセラ・オリベラ: はい。私達が“カラホ=クソッたれ”という言葉を使ったのは、連中が理解しようとしなかったので、強烈な言葉を選んだのです。我々は常に連中に、水が我々にどれほど重要かを訴えてきましたが、連中は理解しませんでした。我々は要求から決して引き下がらないという決意を彼等に伝える強力な方法でした。

    カンペシーノス、農民組合が最初に始めたのです。政府が、水に対する彼等の権利に影響する法律を成立させようとしていることに一番最初に気付いたのは農民組合でした。それで、彼等が最初に町にやって来て、もしこの法律が成立してしまえば、こういうことが起きると我々に教えてくれたのです。政府は私達の水源を民営化しようとしていたのです。政府は地域社会が所有している私達の井戸を民営化しようとしていました。政府は市の水道を民営化しようとしていました。この法律は農民、我々全員に影響することになると。

    数年間、工場の労働問題と戦う仕事をしてきた、この市で政治活動の中心団体だった工場労働者連合を農民組合は訪ねたのです。農民組合がこちらにやって来て、助けようとしている労働者を見いだしたというわけです。しかし農民組合は、法律を実際に読み解き、法律が将来いかに民衆に影響を及ぼすかを理解できる学者や知識人という非常に重要なグループも見つけ出しました。こうした人々の集団がここに集合したのです。

エイミー・グッドマン: お兄さんのオスカル・オリベラさんも、この運動に顔があったとすれば、確実の彼の顔でしたね。彼は工場にいたのですか? 工場労働者だったのですか?

マルセラ・オリベラ: はい、彼は、当時、工場労働者連合の指導者でした。この運動自体は彼等を運動の指導者とは呼びません。彼等を“広報担当”と呼んでいました。組織の中に幾つか階層を作りました。そこで我々は、例えば、もし連中が、一層目の広報担当達が刑務所に入れられたら、第二層の人々が運動の指導部を引き継ぐ仕組みでした。取りまとめ役は、複数の階層で組織されていました。

エイミー・グッドマン: ベクテルは一体どのようにボリビアに入り込んだのですか?

マルセラ・オリベラ: はい、政府が営業許可を売却する為、企業に、この国に来るよう公に声をかけ、誘致したのです。私が知る限りでは、三社が文書を提出しましたが、二社は後に自辞退しました。ベクテル一社が残ったのです。実際にはコンソーシアムでした。何人か地元の実業家達がコンソーシアムに参加していました。彼等は水道を乗っ取ることにしたのです。契約書の署名は実際、私たちの目の前のビルの中で行われました。彼等が契約書に署名した時、このドアの中には抗議行動参加者達の小集団がいました。当時のバンゼル大統領は

エイミー・グッドマン: 彼は長い間独裁者として有名でしたね

マルセラ・オリベラ: はい。

エイミー・グッドマン: 彼が大統領に選ばれる前

マルセラ・オリベラ: そうです。民衆が外で花火を使って抗議行動をする音声を聞こえると、彼は言ったのです。“ああ、この類のバックグラウンド音楽には慣れっこだ”と。彼はその音楽が数ヶ月後に、実際大音響になるとは思っていなかったのです。

    水道民営化と、この法律に反対する最初の動員は、1999年11月、12月頃に始まりました。運動は極めて小規模で散発的でしたが、拡大してゆきました。

エイミー・グッドマン: シアトルの戦いが起きたのと同じ時でしたね。

マルセラ・オリベラ: 私たちは当時、世界の他の場所でそういうことが起きているとは知りませんでした。後になって、こうした戦いがつながっていて、いずれも成功したというのを知れたのはうれしいことです。でも、それは1999年のことです。

    1月にも、依然、抗議行動が続いていました。数日間、我々は市を封鎖しました。政府高官達がここに交渉に来ましたが、2月まで、交渉では何の結果も、一切進展しませんでした。2月4日、ここにあつまるよう人々を動員したのです。私達は“ラ・トマ・デ・ラ・プラザ”と呼びました。「広場の奪取」作戦です。私達にとってパーティーのようなものでした。それは地方の民衆の要求であり、都会の我々の要求でしたから、畑、田舎からここにやって来た人々と、都会の人々との会合になるのですから、パーティのようなものになるはずでした。それで我々は音楽を使ってパーティーをする計画をたてました。いくつかバンドを雇いました。そして、まさに本当にパーティーになっていったのです。

    町の四つの地点からここに集まるように私達は決めました。一つはこの方向から。もう一つは、コカレロスが橋の方からやって来ました。

エイミー・グッドマン: コカ栽培者達ですね。

マルセラ・オリベラ: 南部の住民達は南からやってきました。工場労働者連合があり、労働者は全員、近くの広場から来ました。そういうわけで一斉に全員が集まったのです。

    政府はそのような集会は許さないと言っていました。この数日前、政府は、自動車やオートバイで警官隊を派遣し、町を包囲して、民衆を威嚇したのです。動員当日、彼等は人々に10メートルたりとも歩かせませんでした。そして彼等は人々に催涙弾を撃ちはじめました。

    私たちの多くは、自宅に戻り、朝起きたこと、そして依然として起きていることを、TVで見たのです。こんなことは有り得ないと皆言ったのです。警官達は女性を殴っていました。子供達を殴っていました。催涙弾を民衆に向け撃ち込んでいました。それで我々は立ち上がり、その日の午後でかけたのです。すると動員対象でなかった多数の人々が、都市の人々が突然加わりました。“広場は我々のものだ。占拠して当然だ”と言って、我々数万人の人が広場を占拠しようとしました。それは何かを巡る戦い以上のものでした。それは、我々が自分のものと考えている空間を物理的に占拠する戦いでした。我々にはこの空間を占拠する権利があるのです。

    しかし、そうは行きませんでした。ある日連中は、ひどいことですが、人々にゴム弾を撃ったのです。多数の人々が怪我をしました。我々が全く予想しなかったのは、翌日、人々が同じ目的の為、再度集合したのです。私達はこう思っていました。“あー、これで終わりだ。もう夜だ。全員帰宅した。何もおこらないだろう。”ところがさにあらず、翌日、チャパレからやって来て、畑から来て、コカ栽培者達が町に留まり、彼等は、

エイミー・グッドマン: エボ・モラレスに率いられて。

マルセラ・オリベラ: はい、その通りです。彼等は街路を占拠し、広場を再度占拠しようとしました。そして、それが他の人々を励まし、学生や近隣の人々や、私たち全員がここに、あの土曜日にやって来て、とうとう広場を占拠したのです。これは大勝利でした。我々は政府と合意し、政府との協定に署名し、政府は水法案を凍結し、ベクテルとの契約の条件について取りまとめ役と交渉する委員会を立ち上げたのですから。

    3月のある時点で、政府には何もする気がないことがわかりました。政府は時間稼ぎをしようとしているだけだと。それで、3月に、我々は住民投票と呼ぶ行動をとりました。これは憲法に基づくものではありません。法的なものではありません。しかし我々は正当もなのだったと信じています。そこで多数のボランティア達が、町のあちこちにテーブルを置いて、また地方でも、我々は二、三の明快な質問をしたのです。一つ目の質問は、民衆の要求を反映させて、水に関する法律を変更したいか? 二問目は、ベクテルに国から出て行って欲しいか? そして三つ目は、水道事業を公営に戻したいか? 回答した住民の98パーセントが、ベクテルには出て行って欲しい、法律を変えたい、水道事業を公営に戻したいというものでした。政府は全くそれを考慮しようとしませんでした。我々が出した結果を政府は無視したのです。

    そこで我々は、何か他の手を打たねばならないと気がつきました。それで、4月に最終決戦を呼びかけたのです。我々はこう表現しました。勝つか負けるかの正念場でした。他に代案は全くありませんでした。それで私達は再度動員を呼びかけました。そして2月の占拠から一ヶ月後、四日か、五日間、ここに動員したのです。

    最初は、この広場にとても大勢の人がいました。多分25,000人はいたでしょう。しかし日が経つにつれ、動員で集まる人数は減りました。警察も弾圧しに来なくなりました。当局は戦略をすっかり変更したことを我々は知っていました。当局は、もし警官を正面に出せば、人々を怒らせることになるのが分かっていました。だから当局はそういうことはしないようにしたのです。連中は、我々を疲労させようとしたのです。

    交渉はともかく続いていました。政府は、取りまとめ役を、決して法的実体として見なそうとせず、政府は、取りまとめ役、広報担当との交渉を嫌がっていました。ところが、人々は彼等を交渉に参加させにうとしていました。オスカルはいつも私達に言っていました。ここで交渉が行われる時には、人々で広場を囲もうと。しかし政府はこう言いました。“あなた方は法的なものではないのだから、あなた方とは交渉するつもりはない。出て行きなさい。”それで、代表団は立ち去ろうとしたのです。ところが、ここにいた人々は、代表団が建物から出るのを認めませんでした。彼等は言いました。“だめだ。あなた達は我々の為に交渉しなければならないのだから、あなた方は中にいなければならない”それで広報担当、取りまとめ役達は、外にも出られず、交渉にも参加できず、身動きできなくなり、ホールに留まらされたのです。

    あの時には、ここには全く鳥はいませんでした。

エイミー・グッドマン: マルセラさん、公園を四分の三ほど回りましたね。工場労働者の事務所、政府庁舎、公園の反対側には教会があります。

マルセラ・オリベラ: えー。

エイミー・グッドマン: 大司教の役割についてお話ください。

マルセラ・オリベラ: 彼はいわば政府と民衆の仲介をした人物でしたから、水戦争で大司教は非常に重要でした。単に公平だっただけではありません。彼は立場を明らかにしたのです。彼は民衆の側にたちました。我々が正しいということは明白でしたから、彼は人々の要求に完全に同意していました。彼は非常に重要でした。彼は常に民衆の側にたっていました。

エイミー・グッドマン: 彼が十年前にそうしていなかったら、彼は今頃、枢機卿になれていただろうと思いますか?

マルセラ・オリベラ: なれていたと思います。でも彼は、民衆の側に立ちました。教会は紛争に際して、常に中立であろうとしますから、おそらく、教会の普通の役割に反していたでしょうが、彼は機織鮮明にして、民衆の側にたちました。彼は正しい側についたのです。

    あらゆる町角に若者、我々が水戦士と呼ぶ連中を配置していました。彼等は自分達を、ゲレロス・デル・アグアと呼んでいました。そこで彼等はあらゆる街角に立ち、この教会にもいました。警官や兵隊が来るのを見たら鐘を鳴らす役の、街中で暮している子が一人いました。彼は塔の最上階にいました。

エイミー・グッドマン: 彼等は鐘の周囲に綱を縛りつけて?

マルセラ・オリベラ: はい。警官や兵隊がやってくるのを見るたび、彼等は鐘を鳴らし、連中が来ると我々は知り、相手と戦う準備をするのです。彼等は、若者は、誰一人、彼等にああしろと支持しないやり方で組織したのです。彼等は自発的にそうしたのです。誰一人、彼等にああしろこうしろとは言っていません。

    こういうことになるとは誰も予想していなかったと思います。2月に、私達は思いました。ウワーこれは素晴らしいことだ。一種頂点のようなものだ。それに似たようなことは、もう二度と起きないだろうと。ところが、4月にまた起きたのです。私もこのようなことを体験しようとは思ってもいませんでした。52年の革命以来、このようなものは見たことがないと両親達は言います。ですから、あの当時暮していた人々全員、私は確信していますが、実に歴史的だと感じていました。

    ここに軍の基地があります。ある時点で、4月の紛争中に、警官隊がやってくる、軍がやってくる、政府は国民を殺す為、軍隊を派兵する、という噂が立ちました。市民の中には、政府や軍隊に反撃するために、自分達も武装する必要があると考えた人々もいました。その時点では、人々の要求は会社に出て行って欲しいというだけではありませんでした。人々の要求は、この政府を退陣させたかったのです。そしてこの国に自分達の政府を作ろうとしていたのです。それで、これが一体どのような結末になるかわかりませんでしたから、恐ろしいところがありました。運動がどのように発展するか私にもわかりませんでした。運動は自然発生的なものでした。誰かが指揮しているわけではありませんでした。

エイミー・グッドマン: この写真では、女性たちが、道路の向かい側の兵士や警官を、投石器で狙っていますね。これについてお話ください。

マルセラ・オリベラ: はい。人々がしようとしていたのは、これには写っていませんが、ここにも人々がいました。我々は警察非常線の背後にあった広場を占拠しようとしていました。私達は広場からわずか2ブロック先にいたのです。この女性は石を投げているところです。この伝統的な、英語で銃?で。

エイミー・グッドマン: 投石器で。

マルセラ・オリベラ: はい、ケチュア語でウアラカと呼びますが、私たちはそれを野原で、リャマを集団にしておくのに使うのです。

    十年前起きたことが、我々が今手にしているもの、そして、今後我々が得るものの為の扉を開いたのです。エボ・モラレスの様な大統領を実現できたのは、2000年4月の社会運動があってこそで、そういう事が起こるのを可能にする扉を開いたおかげです。教訓は、水戦争は終わっていない、ということだと思います。十年前の紛争は、単に水だけを巡るものではありませんでした。何か他のもの、特に我々が民主主義と呼ぶものを巡るものでした。自分達にとって重要なことを誰が決めるかの問題でした。それが我々にとって重要でした。十年後になっても、まだ終わっていないと言うべき位置にいるのだと思います。この場合は、民営化反対ですが、我々は依然として、何かに反対しようとしているというよりで、何かを作り上げる為に戦っているのだと思います。そして、まだ先は長いと思います。

    物事の進行方向を、私達がわずかながら変えたのですから、私達は、私は個人的に、歴史の極めて重要な一コマだったと感じています。水戦争の教訓は、何事も、不変のものはなく、我々は物事を変えることができるということです。制度は民営化されてしまいましたが、我々はそれを元に戻せました。我々は決定をひっくり返すことができ、水道事業を我々の手に取り戻せました。まさかそうなるとは全く想像もできないことです。これはオスカルがいつも言っている、街路で常に繰り返しているスローガンは「民衆は団結すれば、決して敗北しない」です。我々が、ここコチャバンバに、十年前に暮していたのはとても重要なことです。そして、こういうことが、また何度でも繰り返して起きると我々が信じているのはとても重要ことです。

    私達が勝てるとは全く考えていませんでした。決して。決して勝てるとは思っていませんでした。私達がしていたのは、一瞬一瞬を戦い続けたことです。我々が、この戦いに勝てるとは誰も考えていなかったと思います。

エイミー・グッドマン: 勝利した時はいかがでした?

マルセラ・オリベラ: 信じられない喜びでしたが、我々が望んでいたものを手に入れる途上で、人々、若者を失ったのですから、とても悲しいことであもありました。

エイミー・グッドマン: マルセラ・オリベラさんは、「水と生活の防衛連合」国際連絡担当主任をしておられました。現在この番組をお送りしているここコチャバンバの街路で十年前に起きた出来事のな画像はdemocracynow.orgのウェブででご覧ください。

記事原文のurl:www.democracynow.org/2010/4/19/the_cochabamba_water_wars_marcella_olivera
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日本語字幕つきの画像は、デモクラシー・ナウ・ジャパン!の『コチャバンバ「水戦争」から10年 民営化阻止の民衆闘争をふり返る』でご覧いただける。

コロンブス以来?の西欧・アメリカによる植民地支配から、何百年ぶりに脱出しようと戦う南米の国々と対照的に、強大な帝国主義国家に開国を迫られて160年、とうとう完全植民地化を自ら推進したという、前代未聞、世界に稀な不思議な属国。

副総理は、はっきり、水道民営化を明言しておられる。

医療も宗主国並になるだろう。民族自決でなく、民族自滅を決意する不思議で偉大な皆様。アヒルによる保険乗っ取り、TPPに関わる米国議会図書館議会調査局文書を読んでいれば、容易に想像がつく。

具体的には、例えば、下記文章の「保険、宅急便と、日本郵便」
(TPPでの)アメリカの狙いは、関税よりずっと重大な邪魔者であり続けている非関税施策を日本に解除させることにある 米国議会図書館議会調査局文書

自動車輸出の大幅譲歩しかり。農産物の聖域など全くありえない。「守秘義務が要求されている」という言い訳、植民地化推進の便利な口実だ。今回コタキナバルのTPP交渉にパブリック・シチズンの一員として、ステークホルダー参加されたPARC事務局の内田聖子氏、百人近い交渉団?、まるでお通夜の焼香にならぶ列のようだったとおっしゃる。

集団の交渉の場で、発言できない代表団、まして宗主国との二国間並行交渉では、宗主国の言い分を100%丸飲みし、おまけさえつけるだろう。我々は、税金を払うことで、自分の首を絞めているのだ。税金の一部は、宗主国基地経費やプリズムにも回るだろう。

多数のマスコミが当然居合わせているが、そのお通夜の行列に並ぶ皆様に全く質問しないそうだ。写真撮影の為だけに出張しているのだろうか。

農業・畜産関係者が参加しているのはわかるが、保険や医療関係の参加は不思議なことに皆無なようだ。「連合」もステークホルダーとして?参加しておられるそうだ。「労働者の生活を未来永劫危うくするものだ」として、連合がTPPに反対した、というのは、聞いたことがない。常識的に、高い費用をかけて、はるばる出張する場合、明確な目的をもって、でかける。子供の夏休みの家族旅行ではないのだ。明確な目的なしに参加して得られるものはきわめてわずかだろう。参加していますという、国内向けのアリバイにはなるだろう。どういう立場で、参加しているのか、PARC事務局の内田聖子氏が質問しても、「連合」の方は答えないそうだ。

世界に冠たる属国では、ボリビアと全く違い、宗教団体も、労働組合も、宗主国の傀儡部隊として機能することしか許されないもののようだ。

日本を建てなおすには、宗主国でなく、ボリビア留学こそ必要かも知れない。

法律を実際に読み解き、法律が将来いかに民衆に影響を及ぼすかを理解できる学者や知識人という非常に重要なグループ

日本では、決して「弁護士会」ではなく、

マスコミは実質大本営広報部で、読めば読むほど洗脳されるが、ミニコミ?であれば、まっとうな記事が読める。

アジェンダ・プロジェクト刊行の季刊誌『アジェンダ』第36号 2012年春号 特集 TPP vs. 循環型社会に、本山英彦教授の文章がある。

TPP名称の日本語翻訳はインチキと思っているものにとって有り難い記事。 「戦略的」という部分が意図的に省略されていることを鋭く指摘しておられる。

冒頭だけ引用させていただこう。インチキ・タレント提灯持ちの形容がうれしい。先程も「学識経験」有名提灯持ち氏の「大社会党論」なる駄法螺を、時間の無駄と知りながら読んでしまった。われながら恥ずかしい。以下本題。

集団安保条約としてのTPP 大阪産業大学学長 本山英彦

●はじめに

唐突に日本の首相(菅直人)が話し出し、実体のデータもないままに、すべての大手メディアが推進の合唱の足並みを揃え、主流の財界筋が見事な連携プレーでTPP賛成論を披瀝した。例によって例のごとく、権力に擦り寄る「学識経験者」なる「非学問的タレント教授」が跳梁跋扈する。発信源である米国の権力者たちは、何も言わないように腐心している。重大な日米関係の実現に成功したかつての時の経緯をTPP論議は忠実に繰り返している。唐突に現れたTPP論議は、中国脅威論の台頭と沖縄普天間基地問題に対する民主党政権の腰砕けと軌を一にしている。私は、TPPと呼ぶのに抵抗を感じる一人であるが、いまは通弊に従っておく。

詳細は、恐縮ながらご購入の上、お読み願いたい。『経済的、文化的に全く利益皆無で、損害しかない協定TPPになぜ参加する?と問うと、「安全保障の為だ」と答える向きがあるが、それを言ってはおしまいだろう』と、「TPPすぐそこに迫る亡国の罠」を書かれた立教大学・郭洋春教授も仰っている。

しつこく繰り返させていただくが、「無料の良い情報」というのは論理的矛盾だろう。民放TVが良い例。無料かつ劣悪。新聞は有料かつ情報は劣悪。有料国営放送も、ニュース、政治・経済になった瞬間、最高のプロパガンダ機関となる。ともあれ無料では「学識経験者」なる「非学問的タレント教授」のお話しか聞けない。

ところで、このブログ自体無料。本人がブログ料金を払って書かせて頂いている。本人にとって有料ブログだ。英語原文はいずれも素晴らしいが、いかんせん翻訳が酷い。永久に有料になり得ない水準。

皆様におかれては、こうした無料記事にはくれぐれもご用心を。

2013年6月20日 (木)

ザ・ウォーター・ウォー(水戦争)と複雑なことに取り組む必要性

2010年トロント国際映画祭 -第三部

David Walsh

2010年10月1日

ザ・ウォーター・ウォー

イシアル・ボジャイン監督(スペイン)と脚本家ポール・ラヴァーティ(イギリス)による、『ザ・ウォーター・ウォー』(英語題名イーブン・ザ・レイン=雨さえも(スペイン語はタンビェン・ラ・ジュヴィア)は、ロント映画祭で上映された最もまじめで複雑な映画の一本だ。映画は、芸術的、人間的な責任とともに、歴史や現代社会生活についての重要な疑問に取り組んでいる。

映画の場面は、2000年の水道民営化反対闘争、いわゆる“水戦争”時のボリビア、コチャバンバだ。スペインの映画クルーが、クリストファー・コロンブスと彼の“新世界”の先住民との出会いについての映画を制作すべく現地に到着する。

ザ・ウォーター・ウォー

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効果的な冒頭のシーンから話は展開する。若き監督セバスティアン (ガエル・ガルシア・ベルナル)の命を受けて、プロダクションは気軽に“エキストラ募集”広告をし、何百人もの現地住民が行列し、場合によっては何時間も待ち続ける。映画制作者達が必要な人々を選び出し、残りの群衆を解散させようとすると問題が勃発する。一人の“首謀者”はとりわけ強く主張する。“我々と会うべきだ!”監督は折れて、百戦錬磨のプロデューサー、コスタ(ルイス・トサール)の懸念にもかかわらず、最終的にそのトラブルメーカーのダニエル(ファン・カルロス・アドゥヴィリ)を先住民による対コロンブス抵抗の指導者として起用する。

歴史的な視点からすれば、当地の先住民は“正確な人々”ではないにもかかわらず、経済的理由で、南米の最貧国ボリビアを撮影の場として選んだのだ。この国ではエキストラの給料はわずか一日2ドルで、アメリカにいる映画スポンサーの一人にコスタは電話でそれを自慢する。

セバスティアンの計画は野心的だ。彼は映画の中で、スペイン人による原住民の扱い方に震え上がったドミニコ会修道士バルトロメ・デ・ラス・カサス(カルロス・サントス)と、1511年に、そうした行為を初めてあからさまに非難したドミニコ会修道士のアントニオ・デ・モンテシーノス(ラウル・アレヴァロ)に焦点を当てる。モンテシーノスは、ヒスパニオラ島(現在のドミニカ共和国とハイチ)で行なった説教の中で、この島のスペイン人は“現地の無辜の人々に対する、連中の残虐さと専制ゆえに、全員が道徳的な罪をおかしており、その罪の中で生き、死ぬ”と宣言したのだ。

入れ子になっている制作の中の制作には、ジャングルの奥深くでの先住民反乱者のはりつけを含む、対決や残虐さという面倒な場面の撮影がある。

コロンブス映画の撮影には困難な問題が生じ、いくつかの場面は撮影が不可能なことがわかる。とは言え、クルーにとって、より気がかりなのは、現地の人々が水道民営化と、300パーセントの値上げに反対して、地域で社会的抗議運動が勃発したことだ。“連中はあらゆるものを盗んで、売る…雨さえも(英語で、イーブン・ザ・レイン)。” ダニエルは抗議行動の指導者になる。映画制作者達は、警官隊との戦いもある抗議行動には、撮影が完了するまでは関わらないようにと、彼に懇願し、言うことを聞かせようとする。彼はどうやり同意したように見えたが、関与していた為、逮捕されるに至る。彼を釈放させようとして、セバスティアンとコスタは警察と交渉する。

地域の状況、大衆による市街封鎖や警察-軍隊の暴力は、コチャバンバでの激しい市街戦に至り、映画撮影続行はほとんど不可能になる。支援者達は逃げ出し始める。大半の俳優も辞めたがる。セバスティアンは、抗議運動は現れては消えるが、彼の映画は、歴史を暴露することによって永遠に残るのだと主張して、続けようと懇願する。コロンブス役(カラ・エレハルデ)の中年俳優は飲んだくれで、監督と彼の傲慢さを常に批判しているが、頑張り抜こうとする僅かな人々の一人だ。皮肉なコスタは、ダニエルの妻に、警官隊の攻撃で負傷した娘を助けて欲しいと乞われ、困難な決断を強いられる。

イシアル・ボジャイン

映画は非常に良くできている。困難な条件の下で働きながら、監督、俳優とクルーは、わずか5週間の撮影で、素晴らしいものを作り上げた。特に、トサール、ベルナール、エレハルデとアドゥヴィリは素晴らしい。ドラマや社会状況のいかなる要素も無視されている感じがしないよう仕上げたイシアル・ボジャインは立派だ。

先住民の人々が、自分達の歴史的苦難を明るみに出そうとする取り組みとして、大企業の攻撃に対する大衆闘争の場面は感動的だ。

ラヴァーティとボジャインは、説法したり、安易な結論を出したりせずに、貧しい国で撮影する矛盾や、住民を搾取する危うさを指摘する。重要な事実、不朽の真実を語ろうとして、無視できるし、恐らくは無視すべき、短期的な細かい点や、義務があるのではなかろうかと、セバスティアンは主張する。人は一体どこで一線を越えるのだろう? 架空の映画制作者達が、市庁舎で、抗議行動参加者を支持し、コチャバンバの貧民達の状態に反対して、穏やかに主張をすると、市長は、エキストラ達に、一日2ドルしか支払っていないではないか、いずれもが、同様の“厳しい予算”で仕事をしているのだ、と指摘する。

セバスティアンやコスタが、植民地状態や、経済先進国と後進国の間の現在の関係を発明したわけではないのに、こうした条件は、彼等が映画を制作する妨げになるのだろうか? コチャバンバで彼等が直面したような状況の中を進む為には、実際、極めて高いレベルの歴史的知識や政治的感性が必要なのではあるまいか?

ポール・ラヴァーティ

“複雑さ”という言葉が、9月13日のトロントでの脚本家ポール・ラヴァーティとの対談で頻繁に使われたが、それも当然かもしれない。『ザ・ウォーター・ウォー』には、歴史的なもののいくつかを含め、比較的月並みな問題もあるが、クルーと、社会的危機に対する彼等の複雑な反応の扱い方は、特に具体的で、人を引き付けて離さない。一例をあげれば、決定的な社会的、心理的条件の下で起きる、登場人物(プロデューサーのコスタ)のより豊かな人間性を示す方向への変容は、納得できる形で実現されている。

ラヴァーティは、著名な左派のアメリカ人学者ノーム・チョムスキーやハワード・ジン(映画は彼に捧げられている)との接触を通して、この映画が生まれたと説明している。“彼等は[ジンの]民衆のアメリカ史”から発想を得た物語を書いてくれる作家を捜していました。ラヴァーティはこう説明する。“ハワードは、コロンブス到来に実に夢中で、それがまた私にも大いに興味があって、事が始まったというわけです。”

ラヴァーティの最初の脚本の舞台は、ひたすら15世紀と16世紀で“バルトロメオ・デ・ラス・カサスを主人公とする。しかし、遥か昔の歴史を映画にすると、余りにかけ離れていて、活気がないものに思えることが良くあります。言葉も間違って理解してしまいます。説得力の無い詳細が余りに多かったのです”最終的に、ラヴァーティは全編を書き直し、“コロンブスについての映画を撮影しようとしている人々の映画を作ることが、それを実現できる一つの方法だと思ったのです。”

彼はこう続ける。“しかし、単に映画についての映画を作るというアイデアでけではワクワクしません。[2000年の]コチャバンバでの‘水戦争’にも興味をそそられていました。500年前に起きたあの大規模な搾取、あの凶暴さを取り込んで、現代の意識を通して語り、全て、会社法や、国際条約や、強力な国家や貿易圏の名の下で行なわれている、現代の遥かに洗練された搾取、資源窃盗と私が考えているものと混ぜあわせることが出来るのではないかと思ったのです。”

ラヴァーティは、映画チームの仕事ぶりを存分に讃えている。“実に実に厳しい仕事でした。監督とプロデューサーを大いに尊敬しています。… 時代物を撮影しに、ボリビアにでかけるのはとてつもなくお金がかかります。そこを彼等は現地に赴き、やっとのことで、なし遂げたのです。

“悪魔は常に細部に宿ります。裸になっても、とんでもないと感じない覚悟がある先住民グループを探し出す必要がありました。人々の信頼を得なければなりませんから、延々と交渉し、かなりの時間が必要でした。彼等は最終的には、彼女[ボジャイン]を信用、信頼するようになりました。それに、コチャバンバで2000年の経験を進んで思い出そうとしてくれる人々を見つけ出すのも大変でした。彼等は異国情緒のエキストラ風に演じたのではなく、実際に自らの運命を自ら掌握した本物の人々になったのです。

“色々困難なことがありました。ジャングルの中で撮影しとげたのです。そこは麻薬や他の様々な問題がある地域でした。ある時など、出演者達が銃を突きつけられました。ひたすらコツコツとやり続け、33日で済ませました。ハリウッドなら、映画を作るのに六カ月かかったでしょう。… ボリビア人クルーは立派でした! 彼等にはほとんど経験がありませんでした。先住民による映画もテレビもほとんど皆無です。クルーは一生懸命働いてくれました。これについて触れて頂けたら幸いです。皆非常に謙虚でした。彼等はこの話題は重要だと言ってくれました。彼等は死に物狂いで働いてくれました。あらゆるものがまとまって、10年間の努力の後で制作されるのは素晴らしいことです。たとえ観客からトマトを投げつけられようとも、私は大いな満足感を味わっています。”

そういうことが起こるとは私には思えない。ラヴァーティに、映画の中では興味をかきたてる多くの問題が扱われているが、最も興味深い要素の一つは、プロデューサー、コスタの成長だろうと言ってみた。私はこう言った。“彼の内的変革は説得力があるように思えました。映画は、人々は社会生活に影響されること、変化した状況が、現在、皮肉で、思いやりのない人だと見なしている人々に、めざましい芸術的、道徳的特質をもたらすなど、一体誰が分かるだろう?ということを思い起こさせます。”

しばらく考えた後、ラヴァーティはこう答えた。“私は元々楽天的なのだと思いますが、その楽観主義は、我々が目にしている酷い残虐行為によって鍛えられたのです。現時点でも、批評は重大な危機にあると私は思います。実際に社会や政治上の難しい物事を扱う映画は、すべからく非難されます。冷笑的で、距離をおく事だけが格好良いのです。人間には、何が起きているのか理解しさえすれば、感動し、共感する大きな能力があるのだと思います。確実にそれが私の経験です。

“映画中の映画プロデューサー、コスタは、最初「昨日何が起きたかなどには全く興味はない、まして500年前のことなど」と語っていました。次第に、いつの間にか、他の人々の暮らしの中味を見て、感じ、相手をじっと見つめ、個人名を知り、家族と会うようになれば、関心を持ち始めるのが、人間らしいことだろうと私は思います。他人の生活を想像する能力が人間にはあるので、それが私達が色々な話に興味を持つ理由だと思います。

“コスタは、このように物事に関与するつもりはありませんでしたが、極めて個人的な形で心を打たれたのです。彼は革命家になるわけではなく、それとは程遠いわけですが、彼はそうした人々が何をしようとしているのかを理解し、それを尊敬し、立ち去るわけにゆかなくなるのです。他の人々なら立ち去ったかも知れませんが、この人物にはできなかったのです。”

彼がしているような、社会問題や政治的な疑問について書くのは複雑な仕事だと、ラヴァーティに私は指摘した。芸術には、自発性や、驚きや、自分が知らないことも必要だ。たとえ社会問題の場合でも、“明白なことをただ書いて済ませるわけには行きません。より解決が難しい、面倒な、十分に理解できないようなものごとを検討するのです。”

“人々と暮らしは矛盾に満ちています”と彼は答えた。“それで、人はそうしたものに手をつけるのだと思います。質疑応答の時に、私はいつも聞かれます、何故キューバついて書かないのですか? 何故アフガニスタンについて書かないのですか? 脚本は注文に応じて書くわけには行かないのです。政治論文ではありませんから。話の中に、ある種の人間的な状況を見いだせなければなりません。最善の物語というのは、まず興味深い前提があって、状況の複雑さから、あらゆる複雑さや矛盾が展開するというものです。映画は決して簡単な答えを与えるためのものではありません。

“我々は[ケン・ローチとラヴァーティ]『この自由な世界で』原題It’s A Free World [2007]という映画を制作しました。‘アングロ-サクソンの経済的奇跡’を覗いてみたかったのです。今ではお笑い種ですが、当時は全員がこれこそ見習うべき手本だと言っていたのです。私は石を選んで、その下に入り込みたかったのです。そこで私は、鉄道や、交差点や、短期契約の労働者達と話してみました。アンジー[移民労働者向け短期契約人材派遣会社経営者]と出会うまで、物語の書き方を思いつけなませんでした。彼女のあらゆる矛盾が、私の頭の中で突然広がりました。そこで、物語を移民の視点からではなく、彼等を搾取する側からの視点で描きました。映画はずっと複雑で、ずっと面白いものになりました。

“モノクロは面白くありません。陰や複雑さに気がついて、そうしたあらゆるレベルで物語を見つけ出せれば、非常に面白くなります。そうでなければ、脚本の上で、死んでしまいます。もし作家としての私にとって、脚本上、生き生きしていなければ、観客にとっても、つまらないものになるでしょう。ですから、多少のひらめきが必要なのです。”

彼とともに15年間映画をつくり続けてきたケン・ローチ監督について話し合った。“ケン・ローチは大いに尊敬されている人物です”私は言った。“私は彼の作品に対して無批判なわけではなく、称賛すべき映画もあり、大いに批判すべき作品もありますが、真面目な映画監督としては彼の名前を思います。実に困難な時代に、労働者階級の社会生活や真実について、彼は社会的にかかわり続けています。これは簡単なことではありません。”

ラヴァーティはこう語った。“ケンは労働者を美化せず、ケンの映画の中では、時に彼等は粗野で、がさつな人物としか描かれますが、賢く、明敏で、現実を良く理解している人々もいるのです。それが私の人生経験です。人は自分の生活の中でこそ、矛盾を良く理解できるのです。そうする覚悟がある映画監督はごく僅かです。ステレオタイプは退屈で、真実性に欠けます。

“ケンは非常に敬われています。2010年に、ベルリンでヨーロッパ映画アカデミーが彼に賞を与えました。素晴らしいことです。こうしたものはえてしてショービジネス風イベントになりがちですが、これは長きにわたって続く本物の敬意、喝采です。彼は正真正銘奥ゆかしい人です。多くの監督の場合、自分のプロジェクトの為に断固戦わざるを得ない人々にとって、奥ゆかしさは、最重要項目というわけには行きません。”

商業映画の概して悲惨なレベルを含め、現代の映画制作のいくつかの問題についても話し合った。彼はこう述べた。“現在、余りに多くの映画が馬鹿げていて、耐えられません。映画空間を民主化する必要があります。我々の前作『エリックを探して』Looking for Ericを、スペインで公開した際には、二本のハリウッド映画が上映されていましたが、それぞれ、600本のコピー。つまり合計1,200コピーで、スペイン映画館の50パーセント分です。我々にはもっと選択肢が必要です。もっと場所が必要です。あらゆるものが、この超巨大勢力によって破壊されているのです。”

この文章は、最近のトロント映画祭(9月9-19日)向け記事の第三部である。第一部は、9月23日、第二部は、9月28日に公開。

記事原文のurl:www.wsws.org/en/articles/2010/10/tff3-o01.html

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「2010年10月1日」という三年前の記事、日本公開、2013年2月17日の映画の話題を翻訳したのは他でもない、麻生副首相の水民営化発言。

TPP加盟に向け、徹底的永久属国化のためのあらゆる手練手管が実施されつつあるが、水道民営化もその一環。コチャバンバから周回遅れで、日本全国まんまと宗主国なり、属国なりの大企業支配下に落ちる。独立への道を歩みつつある中南米の一部の国々とは違って永久的に。

忍耐強い皆様は、300%あがろうと1000%あがろうと、自民党、公明党、みんなの党や、維新を支持してじっと耐えるだろう。

TPPは、韓米FTAを見れば、先行きの想像はつく。それより、もっとひどくなるはずだ。日本の高級和牛、TPPによる影響はほとんど受けない、などと、売国官庁は宣伝しているが、韓国の例から考えて、到底信じられない。アメリカでのBSE発生により、輸入量自体は、激増していないにせよ、牛の価格は劇的に低下したという。乳牛の屠殺を頼んだら、運賃と屠殺料まで要求されたという話もある。

BSEが発生し、韓国からアメリカに調査にでかけても、農家は個人財産ゆえ、検査の為の立ち入りは認められず、すごすごと帰って来たのが実態。韓米FTAがある以上、黙って頂くしかない。維新は農協解体を叫んでいる。TPP推進を言うのだから、大変に整合していて、正直でよろしい方針だ。

『八重の桜』やら『坂の上の雲』やら『龍馬伝』等の一見明るい話ではなく、不平等条約の改訂に苦労した人々の話やら、明治政府・古河による大規模公害と戦った先駆者田中正造や、属国日本の独立を目指した人々の苦闘を描く番組こそ必要だろうに。

「東大の秋入学見送りで、グローバリゼーションにはずみがつかない」ようなコメントを大本営テレビ局で見た。新聞でも大きな見出し。グローバリゼーション、国際化というのは、アメリカ化の婉曲表現。宗主国がそれほど素晴らしいだろうか?という疑問をはさむ余地を認めない不思議。宗主国の主流経済学・政治学、植民地政策推進の道具でしかないだろう。属国民が植民地政策推進の道具を学ぶのは、悪代官になるためだろう。市場と権力。

「安愚楽」詐欺事件、いまさら大きく報道されるのは、選挙を前にした時期を狙った民主党たたき宣伝。マスコミは体制護持の大本営広報部であることが、良くわかる。

「自民党や公明党や、みんなのスキャンダルを大々的に報じてくれたら」などという、ありえない夢は抱かない。1%ではないので、毎回ながら都民、国民であることが悲しい。

「国民であることが悲しい」と酒をのみながら某高級官僚に言ったところ、「日本から出て行け」と言われたことは再三書いた。某高級官僚氏は優雅に暮らしておられる。

2011年3月13日 (日)

ルーマニア労働者階級にとっての民営化の帰結-近うて遠きもの・遠くて近きもの

Diana Toma

2011年3月11日

昨年末、共産党犯罪調査・亡命ルーマニア人記録研究所によって行われた“ルーマニアにおける共産党政権に関する態度と意見”と題する全国的調査で、ニコラエ・チャウシェスク独裁政権の崩壊から20年後、回答者の45パーセントが、暮らしは、現在より、1989年以前の方が良かったと感じていることが判明した。調査は資本主義の復興にともなって、ルーマニアにもたらされた社会的・経済的条件に対する批判だ。国民はより大きな表現の自由を享受することとなったが、ルーマニアの生産基盤は崩壊し、生活水準は急激に低下した。

1989年以来、国営企業の民営化が、ルーマニアの市場改革の主要な特徴だ。過去20年間、ほとんど全ての主要産業、工場、研究所、炭鉱が閉鎖された。1990年代中期に始まった工場の売り出しは儲かる取引で、僅かな金額で民営化が遂行された。工場を買収して、生産能力を継続すると約束した連中は、間もなく、工場を倒産に追いやり、バラバラにして売り払った。一例だけあげれば、1989年に存在していた14の製鋼所のうち、今日も稼働しているのは、わずか1箇所だ。

石炭産業も同様な運命を甘受している。1997年の130,000人という炭鉱労働者と比較すると、今日炭鉱でいまも働いている人々は、わずか21,000人だ。1990年には、鉱業で、350,000人が直接、更に700,000人が間接的に雇用されていた。生産崩壊は事故の急増がともなっていた。1989年12月以来  50件以上の激甚な鉱山事故がおきており、最悪の事故は、2001年8月に、ヴルカン炭鉱で発生したもので、14人が死亡し、4人が負傷した。また、2008年11月にはペトリラ炭鉱で、13人の炭鉱労働者と救助隊員が死亡し、17人が負傷した。

ジウ渓谷では、鉱業のリストラで、何千人もの人々の唯一の収入源が消滅した。このプロセスは、今や全国規模に拡大される予定だ。2011年1月から始まり、ルーマニアの既存鉱山の半数は、ルーマニアを、最近承認された、EUにおける採算の取れない鉱山を、2014年10月までに閉鎖するという欧州委員会の目標に沿わせるべく、閉鎖計画の対象になる予定だ。もしも、この法規が、現状の姿のまま、国会で承認されれば、現在も国営石炭会社(CNH)で働いている約8,800人の従業員の多くが、増大する失業者の大群に加わることになろう。

農業の話題となると、ルーマニアは矛盾した国だ。ルーマニアの耕作に適する土地は、全土の39.5パーセントにおよぶ。ルーマニアは、世界でも主要な穀類輸出国だった。1990年、穀物輸出はほぼ完全に崩壊した。以来、多少は回復したものの、地方の生活水準は極端に立ち遅れている。地方に暮らす人々のわずか33パーセントしか、水道が使えない。10パーセントのみ下水が使える。満足な品質の道路はわずか10パーセントに過ぎない。

ルーマニア農業破綻の主要指標は、農産物輸入のレベルだ。その価格が280万にも上った、2010年農産物輸出の35パーセント増加にもかかわらず、輸入は依然として、かなり大きく、350万にものぼる。

公共サービス部門では、国際通貨基金が、電気、ガス、水道や、固定電話等、一連の元国家による独占事業の徹底的な民営化を強いた結果、消費者にとっては価格が上昇した。近い将来の民営化候補は、CEC銀行、タロム(国営航空)と、ルーマニア郵政事業だ。公的医療制度もリストラ過程にある。

厚生省は現在何十もの病院の再編・合併を準備している。現在合計435の国立病院のうち、111が合併し、71は介護施設に変わる。首相は、聾唖児童向けのリハビリテーション・サービスを提供するためには施設を閉鎖する必要があると主張して、ブカレストの唯一の耳鼻咽喉病院も解体しようとしている。

長年の不完全な経営、腐敗と大幅な財源不足の結果として、国民の一部は、病院民営化が消滅から救う唯一の方法だと確信している。同時に、リストラの取り組みに反対する一連の抗議も行われている。

市立病院が介護施設に変更される予定の住民45,000人の小さな市ババダグで、デモが行われた。タンデレイ(東部ルーマニア)では、厚生省にリストラ決定を破棄するよう要求して、市庁舎の前で300人が抗議した。イアシでは、救急病院の前で、その医療部門が他の施設と合併されることを怒って、何十人もの人々がデモをした。病院閉鎖によって、30,000人の住民が医療を受けられなくなるアグニタ(シビウ県)でも、数百人が街頭に繰り出した。住民の中には最寄りの施設が70-90キロ先になってしまう人々もいる。

決定発表の報道発表で、厚生省は、ルーマニアの病院のリストラは“保健所や地方自治体と、数ヶ月間協力した上で実行された”と主張している。現実には、査定は、何と一日に10病院という勢いで、三チーム、二週間の性急な評価でおこなわれた。いかなる形でも、地方自治体は相談を受けていない。

公共サービスが破壊されるなか、労働生産性を増加させ、労働者の権利を奪うために、労働法規は書き換えられつつある。IMFと多国籍企業の命を受けて、3月8日に、ルーマニア完成する必要がある注文や、プロジェクトがある場合には、雇用者が、一日の労働時間を、8から12時間に延長することを許可する新たな労働法が成立した。休暇日数も、連続15日から10日へと減らされ、特定の従業員の病欠が多すぎると思える場合、雇用者が休暇をなくすことが認められる。健康問題のある労働者も法的保護をはぎ取られる。現在、企業側は、労働者がストライキをした場合、労働者を解雇する権利を得ようと狙っている。

今年早々、ガラツィ、アルジェシュ、ゴルジュ、コヴァスナ、シビウ、ビストリツァ各県で、この“奴隷への回帰”に反対して、数千人が街路に繰り出した。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2011/mar2011/roma-m11.shtml

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査定は、何と一日に10病院という勢いで、三チーム、二週間の性急な評価でおこなわれた。

B層向けパフォーマンスとしての事業仕分け・規制仕分けの「モデル」そのもの、ここにあり!

報道で吉里吉里という地名を聞いて、井上ひさしの傑作『吉里吉里人』を思い出した。

この地方が独立してしまうという奇想天外な話だが、医療や農業についても頭の体操になる話だったと記憶している。

日米属国保障条約のもと、思いやり予算(重い槍予算)をユスりとり、侵略用の海兵隊基地を強化し、郵政預金横取りをはかる、最強で最も密接な同盟国宗主国、本当に無心で援助をしてくれるだろうか?戦争が目的の世界最大の組織、どれだけ復興活動に役立てるのだろう?素人にはなんとも不思議な論理。ハイチをみればおのずと答えはでそうだ。(下記をどうぞ)

藤永茂先生の『私の闇の奥』の例えば、2011/01/12ハイチの今とこれから

拙訳記事:ハイチから一年

既に、やなぎ様がコメントされている通り、「公正」「人道」「正義」とは対極にある宗主国からの不気味な申し出。属国政権は喜んで受けるだろう。

3/10、『知の巨匠加藤周一』刊行。世田谷文学館で開催された講演シリーズ、知の巨匠-加藤周一ウィークをまとめた本だ。時節柄、大江健三郎講演「いま『日本文学序説』を再読する」の41ページを引用させていただこう。加藤周一は血液学の専門家であり、原爆投下のすぐ後、広島で調査をしている。加藤の「近うて遠きもの・遠くて近きもの」自体は、自選集第10巻に収録されている。

 「もし清少納言が今日の日本に生きていたら「遠くて近きもの」として原子爆弾と原子力発電所を挙げるだろう」と加藤さんはいう。「核戦争のおこる確率は小さいが、おこれば巨大な災害をもたらす。原子力発電所に大きな事故のおこる確率は小さいがゼロではなく、もしおこればその災害の規模は予測し難い。一方で核兵器の体系に反対すれば、他方で原子力発電政策の見なおしを検討するのが当然ではなかろうか。東海村に事故がおこれば、「ヒロシマ」を思い出すのが当然であろう、と私は考える」、というのがその正確無比な結論です。
 広島と同じようなことが、今の日本の各原子力発電所で起こり得る。しかもその規模は、広島核爆発を大規模に超えるものである。そうなる前に私たちは、核兵器と原子力発電所は「近うて遠きもの」ではない、「遠くて近きもの」だと考えなくてはならない。

「地震予知」なるものが、ニセ学問であることが、今回の大地震でもよく分かる。浜岡原発の近くでおきる東海地震は「予知できる」ことになっているが、真っ赤な嘘だろう。東海地震は浜岡原発倒壊地震。

島村英紀著 『地震予知はウソだらけ』講談社文庫を、お読みいただきたい。良心的な学者が、良心に基づいて行動すると、冤罪の罠にはめられ、投獄される。『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか』はその記録だ。そもそも世界的に通用する「ツナミ」なる科学用語の本家日本の沿岸に「トイレのないマンション」原発を無数に建設することに無理がある。「地震予知」研究とは、それを安全だと言うための行為だろう。安全なら是非『東京に原発を』。

本を読む暇がない方も島村英紀先生のホーム・ページをお読みいただきたい。

また、名著『大地動乱の時代 地震学者は警告する』(岩波新書)の著者、石橋克彦先生の迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である」衆議院予算委員会公聴会で石橋克彦教授が原発震災を強く警告(全文)も、是非ご一読を。

商業マスコミに、下記のような記事が掲載されるだろうか?弱小政党の機関紙でないと重要な真実は知ることができない見事な例のようだ。

チリ地震が警鐘 原発冷却水確保できぬ恐れ 対策求める地元住民
2010年3月1日(月)「しんぶん赤旗」

メルトダウン炉心溶融については、現在、世界最先端を進んでいる日本。TPP加盟により、例えば、医療制度も、アメリカ人もうらやむ医療制度を捨て、ルーマニアに続くだろう。いや、金持のみ生き残れるアメリカ医療制度に続くか?

我々は、果たして数十年後、小泉政権時代を懐かしむようになるのだろうか?なんとも恐ろしい未来。

ルーマニアの労働者の運命、日本人にとって、原発同様、遠くて近きものだろう。

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