映画

2021年9月17日 (金)

Minamata:いかに日本企業が共同体を汚染し、アメリカ人カメラマンがそれを暴露しようとつとめたか

ジェイソン・クイル、リチャード・フィリップス
2021年8月4日
wsws

 Minamataは、画家・映画プロデューサーのアンドリュー・レビタス(ジョージタウン)が監督した化学製品企業チッソによる日本漁村の産業汚染と、1971年から始まった有名な写真家・エッセイストW・ユージーン・スミスによる、この企業犯罪による人間に対する悲惨な影響を暴露する戦いを描いている。

 1951年から1968年まで、チッソは南西日本の水俣湾に極めて有毒なメチル水銀を含む化学処理されていない何千トンもの廃水を捨て、地域の魚や他の海洋生物を汚染した。

 常に水俣湾の魚を食べている地元住民は、1950年代、猫の奇妙な行動と病気に気付いたが、1956年、最初の人間の症例が現れた。

 以降の年月、この企業が健康被害に対するいかなる責任も否定する中、子供を含め何千人もの住民が、酷い水銀中毒による筋力低下や、身体障害、精神障害、昏睡や死で苦しんだ。

 現在、2,283人の人々が公式に患者として認知され、75,000人以上の人々が水俣水銀中毒を起こしたことが広く認められている。1,700件以上の訴訟が、まだ進行中だ。


 Minamata[出典:メタルワーク・ピクチャーズ]のアイリーン美緒子(バージュ美波)とW・ユージーン・スミス(ジョニー・デップ)

 Minamataは、その操業や被害者の苦難のいかなる暴露も防ごうとするチッソの冷酷な試みの強力な吟味だ。W・ユージーン・スミスとアイリーン美緒子による本『Minamata』(写真集 水俣)に基づく115分の映画は、この監督を、この映画の北アメリカ配給業者MGMと対立状態に追い込んだ。

 レビタスの映画は2019年末に完成し、2020年早々ベルリン映画祭で初上映され、2021年2月に、アメリカとイギリスで公開されるはずだった。そうはならなかった。

 MGM、今年、ごくわずかな国際上映を行ったが、映画の主演男優ジョニー・デップの「個人的問題」とされるもののため、北アメリカでの公開日発表を拒否し、映画を「隠蔽した」。我々は後で、MGMの法外な検閲の話題に戻る。

 Minamataは、後に彼の称賛される写真となった、伝統的な日本の風呂で、水俣病で苦しめられ、ひどく変形した裸の娘を抱く母親の写真「入浴する智子と母」をスミス(デップ)が撮影する場面で始まる。

 並外れて感動的な白黒写真は、「ライフ」誌に発表された他のMinamataシリーズの作品とともに、後に多くの人々にスミスの最大業績の一つと見なされ、アメリカや世界中の読者にチッソ水銀中毒の恐怖を伝えた。

 
W・ユージーン・スミス「入浴する智子と母」1972年[出典:ウィキペディア]

 映画は、それから一年前にさかのぼる。マンハッタン屋根裏で半ば隠とん生活をするスミスは創造上の行き詰まりにあった。前妻と子供たちから疎外され、高く評価されているカメラマンは、まだ第二次世界大戦での重い傷と悲惨な経験による心的外傷後ストレスで苦しみ、大酒を飲み、出版社にいらだっていた。(Sara Fishkoの2015年のドキュメンタリー、The Jazz Loft According to W. Eugene Smithは、レビタスの映画にとって貴重な関連作品だ[この映画のWSWSレビューと監督インタビューを参照。])

 彼の社会的意識の高い写真作品に気付いて、アイリーン美緒子(バージュ美波)は、スミスにMinamataの状況を暴露するのを支援するよう話をもちかける。「現地では反対運動があるが、我々には世界的注目が必要だ」と彼女が言う。

 最初は気乗りしなかったが、スミスは最終的に、長年の協力者で、ライフ誌編集者ロバート・ヘイズ(ビル・ナイ)に話をし、内幕をばらすため、自分を日本に送るよう強く主張する。

 到着して、スミスは、チッソと何年もの戦いで、村人が疲れ切って、脅かされていることに気がつく。村人が見つけられる限りの多くのカメラと間に合わせの暗室を用意して、スミスは村人の信頼を勝ちとり、企業に不利な証拠を集め始める。

 スミス、アイリーンと活動家のキヨシ(加瀬亮)は変装して、チッソ社付属病院を訪問し、最悪の病気を経験している人々を写真に撮る。彼らは河川の水が15年以上の間本当に有毒だったことも証明し、この企業が個人研究の調査結果を隠蔽したことを示す書類を暴露する。

 チッソ幹部のノジマ・ジュンイチ(國村隼)は共同体へのスミスの到着に気付き、賄賂や肉体的暴力を含め、このカメラマンの仕事を思いとどまらせたり阻止したりするさまざま策略を試みる。

 スミスの取り組みと平行して活動するのは、依然企業と戦う決意が固い少数の被害者の代理を務めるもう一つの集団だ。一部は企業に異議を申し立てるのを恐れているが、この集団の指導者ヤマザキ・ミツオ(真田広之)は、感動的な場面で「これはこの町だけのものではない」と宣言して、彼らに呼び掛ける。「大企業は世界中で小さな町を侵略して、彼らの暮らしを汚染する。そういことは起きてきたし、また起きるだろう!」

 スミスは最終的に上村智子の母親の信用を勝ち取り、最終的に、やがて有名になる写真撮影を許される。この写真や、Lifeが出版した他の傑出したMinamata写真は、1978年、スミス生前の最後の写真エッセイとなった。

 Minamataは南西日本の漁業社会で起きた大惨事が一回限りの出来事ではなかったことを明らかにする。この映画は、Minamata大惨事から数十年後の似たような悲劇の長いリストを結論にしている。インドネシアでの水銀汚染、チェルノブイリや福島の放射能、アフリカや中南米での有毒鉱山廃棄物による中毒、ミシガン州のフリント飲料水鉛汚染や多数の他の事件。

 Minamataの批評は、大半が好意的だが、Indiewireや、イギリスを本拠とするIndependentとTelegraphの批評家による評価は厳しかった。彼らの批評の底流にあるのは、誰も、この惨事について余りに感情的になるべきではなく、まして、熱烈にMinamata被害者の苦境を見せようとするなど、とんでもないという主張だ。この骨組みを超える冒険をする映画製作者は、常軌を逸している。


[出典:メタルワーク・ピクチャーズ]水俣病患者と一緒のアイリーン美緒子(バージュ美波)とW・ユージーン・スミス(ジョニー・デップ)

 例えば、Indiewireの評論家エリック・コーンは「ジョニー・デップのとっぴな演技は、やりすぎ伝記映画を救えない。」という題の記事で、映画を「ふさぎ込むドラマ」と非難している。

 「時折の感動的な見方も、全ての心の琴線を自由に引きこもうとする映画を救うことはできない」とコーンは宣言し「芝居がかった身振りが基本だ」と映画を非難している。

 Independentのジェフリー・マクナブは、この映画は「方向が矛盾している」ので二つ星にすると言う。「社会改革ドラマなのか、問題を抱えた芸術家の贖罪物語なのかわからない。結果は、期待されていた形で観客を引き込むことも感動もさせない映画だ。」

 Telegraphは、Minamataは「自慢する」伝記映画で「顔をしかめたくなるような贖罪話で、スミスを喜ばせるような物語にした」とレビタスを非難している。

 これらの傲慢で、自己満足的な主張とは対照的に、Minamataは、熱のこもった徹底的に客観的な作品で、チッソの犯罪と、この企業の被害者を暴露しようというスミスの決意が、どのように彼の創造精神を回復させたかを示している。

 全てのスミス作品の深さや重要性を、ここで批判的に検討することはできないが(International Center for Photographyの写真オンライン・コレクションを参照)強力なジャーナリズム・ツールと芸術的手段としての写真に対する彼の貢献は深い人間性に支えられている。

 戦後のスミスの写真エッセイ、スペインの村(1951)、助産婦 Nurse Midwife(1951年)、Country Doctor(1954)や他の作品は、現代写真ジャーナリズムに新たなパラダイムを確立した。

 何より、スミスは、真実を暴露する努力は、他の人々を勇気づけ、社会を良い方向に変えられるという熱烈な信念につきうごかされていた。彼は、かつてこう語っている。「写真は、せいぜい小さい声だが、まれに、ごくまれに、一枚の写真、あるいは何枚かの写真が我々の感覚を覚醒させることができる。思考の触媒だ。」

 これらの感情がMinamataを支えてはいるが、現在レビタスは、こうした関心事と対立して、この映画を「葬り」、作品に関係する全ての人々を罰するため、デップに対し、#MeToo-スタイルのキャンペーンを進めているメディア企業と対決している。

 2018年、デップの前妻アンバー・ハードは、ワシントン・ポストに家庭内暴力の被害者だったと主張する論説を書いた。これはポスト記事では名指されていなかったデップに対し、いつものメディアの職業生活破壊ヒステリーを引き起こした。ハードが主張する事件のいずれも、告訴は言うまでもなく、今までどんな犯罪捜査の主題にもなったことがない。

 デップは予定されていた次の「パイレーツ・オブ・カリビアン」制作から外され、去年『ファンタスティック・ビースト』の三作目で、ゲラート・グリンデルワルト役を「降りる」ように依頼された。デップの排除は、マードックが所有するイギリスを本拠とする、彼を「妻虐待者」と非難する扇情的な内容を出版したタブロイド紙Sunに対する名誉毀損訴訟で敗訴した後におきた。

 先週、レビタスは、この巨大映画会社を非難するMGMに送った手紙を公開した。「[2020年早々]MGMは、世界がこれまで経験した中でも最悪な産業公害事件の一つによる何千人もの被害者の苦しみを明らかにする熱意を持っていた。

 「長年無視されてきたこの共同体は、彼らの物語を共有し、彼らの痛みを再度曝すことで、歴史を闇から引き上げ、他の無辜の人々が、決して彼らのように苦しまないようにすることだけを願っているが、MGMとの提携で、数十年にわたる願望が、とうとう実現する時が来たように思われました」と手紙は述べている。

 「今MGMは、この映画に出演している一人の俳優の個人的問題が同社に否定的影響を及ぼしかねず、MGMの視点からは、これに比較し、被害者や家族は、さほど重要でなく、世界公開が既に成功したもかかわらず、MGMは「映画を葬る」ことに(買い付け部門トップ、サム・ウォルマン氏の言葉)今週決めたのを知った時の彼らの衝撃を想像下さい。」


アンドリュー・レビタス[出典:メタルワーク・ピクチャーズ]

 「巨大な顔がない企業が、人類や品位や正義に対する彼らの道義的責任に応えなかったため」、レビタスは、彼の娘が「人生全ての日々、苦しんだ」上村氏と話をしたのを思い出した。彼の手紙は、MGM経営者に、上村氏や他の水俣被害者と話し「なぜ一人の俳優の私生活が、彼らの亡くなった子供や兄弟や親や、産業公害と企業の不正行為のあらゆる被害者より一層重要と思うのか説明する」よう要求していた。

 手紙は「全世界の人々は、彼らを尊重せず、彼らを本物と考えない企業によって被害を与えられている」ことを指摘し、MGMに「Minamataの配給とプロモーションを積極的に阻止する」決定を覆すよう促した。それは、自分の経験について語る被害者の一人、シノブ・サカモトのYouTubeビデオで終わる。

 MGMは、軽蔑的な味気ない声明で答えた。「この映画は、MGMの一部門で、映画の同時発売を担当するアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ経由で購入した。Minamataは、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズの将来公開作品の一つで、現在、この映画のアメリカ公開日はTBA[未定]だ。」現在アマゾンによる吸収合併過程にあるMGMによる、いかなる決定も、確実に経済計算の影響を受ける。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2021/08/04/mina-a04.html

----------

 日頃、テレビや新聞を大本営広報部洗脳機関と呼んでいる。これが事実であることが日々示されるのは、ケイトリン・ジョンストンさんの主張同様、正しい主張の証明とはいえ、悲しい現実。本営広報部洗脳機関という主張、妄想であって欲しいと夢想している。

 有象無象の茶番劇で、子供の頃、漫画で?見たのを思い出している。やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。肥だめの中の嵐。日本の現実そのものを描写する『水戸黄門』を見ながら思う。総裁選を話題にするのではなく、この現状で、コロナ対策を論じる国会開催を否定している与党を批判する大本営広報部洗脳機関は皆無。もちろん、それが連中のお仕事。

 植草一秀の『知られざる真実』

米国支配勢力が演出する政治劇

 ブロードウェイ再開の記事を読んで、昔現地でみたミュージカル『コーラスライン』を思い出した。出張時、後輩と見た記憶があるのだが、さだかではない。当時、たまたまよった書店で、フレデリック・ポールの『チェルノブイリ』ペーパーバックを買った記憶のほうは、はっきりしている。購入後、まもなく読み終えた。フレデリック・ポールの『チェルノブイリ』については2011年4月の下記記事で触れている。同じ時に、ニューヨークの安売り店で、あのパソコンを買ったのだった。

全ての原子力発電所が脆弱なのだろうか?-大惨事は、いつも想定外

 週刊金曜日最新号 9/17 1345号に、つなぶち ようじ氏の石川武志氏インタビュー 映画『MINAMATA-ミナマタ』から消された人物が語るユージン・スミス が掲載されている。引き込まれる記事。映画は、23日公開。

 東京新聞、9/16朝刊にも、スミス夫人役女性の話題が載っている。

  ところで、ここに表示されている有名な「入浴する智子と母」の写真、スミスのオンライン展覧会にも掲載されていない。小生の世代にとって、ユージン・スミスと水俣というと、瞬間的に連想するのはこの写真なのだが。

 写真を公開しないことにした経緯を説明する元スミス夫人による文章がある。

「入浴する智子と母」について

 LITERA

八代弁護士らの共産党攻撃の根拠「公安調査庁」が“失笑”の報告書! 暴力活動の記載なく「コロナ政策提言で存在感」とまるで共産党PR

 犯罪人が犯罪取り締まりの頂点にたつというのは、北朝鮮もびっくりの属国。

 

 日刊IWJガイド

「本日午後6時半から岩上安身による青木正美医師、前田佳子医師インタビューを生配信します!」2021.9.17号~No.3291号

 前回も拝聴した。脱線につぐ脱線の実に興味深いマラソン鼎談だった。今回はどうなるだろう?

 

2021年5月 1日 (土)

ノマドランド:(ほとんど)経済的理由から路上に追いやられた人々

デイビッド・ウォルシュ
2021年2月19日
wsws

 クロエ・ジャオ監督;ジャオ脚本、原作 ジェシカ・ブルーダー


ノマドランドのフランシス・マクドーマンド

 中国系アメリカ人クロエ・ジャオ監督(ザ・ライダー、2017年)、フランシス・マクドーマンド主役の「ノマドランド」は、同題名のジェシカ・ブルーダーによるノンフィクション作品の半フィクション化された再構成だ。(より正確には、ブルーダーの書名は『Nomadland: Surviving America in the Twenty-First Century』邦訳署名「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」)

 この作品はベニス映画祭で初上映され、更にトロント映画祭で上映された。12月に一週間ストリーミングリ上映され、既に多くの賞を勝ち取り、更に多くを獲得すると期待される。マクドーマンドの典型的な渾身の演技で感動的な映画だが、我々の考えでは、全般的な称賛評は、やりすぎだ。もう少し慎重で綿密な検討がを必要な要素があるのだ。

 ジェシカ・ブルーダーはHarper誌や、ワシントン・ポストや他でも書いており、コロンビア大学ジャーナリズムジャーナリズム大学院で教えるジャーナリストだ。2013年、彼女は図らずもエドワード・スノーデンのNSAの宝の山の受取人の一人だった。

 ノマドランドで、ブルーダーは特に、2008年不況によって、生活が劇的に変わった高齢アメリカ人と、彼らの様々な対処法の状態を調べ始めた。

 「多くの人々は街頭に出た」と彼女は書いている。「彼らの貯金が世界同時不況で壊滅した後。ガソリン・タンクとお腹を満タンにしておくため、彼らは長時間厳しい肉体作業で働いている。賃金が上がらず、住居費が上昇する中、彼らは切り抜ける対策として、家賃と住宅ローンから自身を断ち切った。彼らはアメリカで生き延びている。」

 マクドーマンドは、経済的、個人的な未解決の問題がある60歳の女性(元代用高校教師)ファーンを演じる。彼女は何十年も、亡くなった夫が働いていた、US石膏社が丸ごと所有するネバダ州、エンパイアという企業都市で暮らしていた。2011年、同社は88年間操業していた石膏鉱山を閉鎖し、コミュニティー丸ごと閉鎖した。エンパイアはゴーストタウンになり、郵便番号さえ消えた。

 映画は、主に2012年を舞台にし、彼女が、自分のバンやキャンピングカー(RV)で暮らし、ある程度の経済的、個人的安定を求めて、アメリカ西部中を旅する人々、他の不本意な「ノマド(遊牧民)」と一緒になったファーンを追う。最初は、アマゾンでの彼女を見るが、そこで彼女や多くの他の人々は休暇シーズン中、臨時労働者として働く。彼女は昔の生徒に、自分は「ホームレス」ではなく、むしろ「ハウスレス」なのだと語る。


 ノマドランドのフランシス・マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーン

 リンダ・メイ、ボブ・ウェルズ、シャーリーン・スワンキーや他の人々を含め登場人物の多くが実際ノマドだ。リンダは2008年に自殺を考えたことを認めている。社会保障給付が一カ月たった550ドルだと悟った時、彼女は「それを信じることができなかった」。

 ファーンは、下がる凍りつく温度で、南へ運転するよう強いられる。「私は仕事が必要だ。私は働くのが好きだ」と彼女は誰かに言う。彼女は、何千人もの他のノマドと一緒に、アリゾナ州クォーツサイト近くの公有地砂漠で行なわれる年中行事ラバー・トランプ・ランデブー(RTR)に参加する。組織者のウェルズは「ドルの暴政」を激しく非難する。更に、彼は「タイタニックは沈没しつつある。」と言う。彼や他の人々は、「どのように道路で暮らすかについて」助言する。

 ファーンは、彼が彼女にタバコを求めて知人になったデレクのように、ずっと若い人々にも出会う。後の二度目の出会いは、映画でも最も感動的な場面の一つだ。静かな控えめな若者デレクは、「北の国」にガールフレンドがいると説明するが、彼女への彼の手紙はそれほど、もったいぶっていない。ファーンは、彼女に詩を送るよう提案し、彼のために(我々のためにも)英語で最も絶妙な詩の一つ、シェイクスピアのソネット集第18番を暗唱する(「君を夏の日に喩えようか」)。

 一連の先のない、時に骨が折れる仕事が(サウスダコタ州バッドランドの観光名所)ウォール・ドラッグの採石業者で、再びアマゾンで続く。誰かがネブラスカでのビート収穫を示唆する。これは、生き延びるためなら何でもして、全国あてもなく、しばしばぼうぜんと男女が彷徨った大恐慌時代を想起させる場面だ。

 シャーリーン・スワンキーは、自分はガンで、余命はおそらく7、8カ月だと発表する。彼女は荒れ地で一人で死ぬため、運転して去る。ファーンの車はエンジンが故障し、2,300ドルの仕事が必要になる。彼女は遥かに一般的な生活をしている妹から借りる。ファーンはデイブ(デヴィッド・ストラザーン)と会い、多少交流する。彼は彼女に「私はあなたのそばにいるのが好きだ」と言って、彼女に息子の家に滞在するよう求める。彼女は決断しなければならない。

 書いた通り、ノマドランドには魅力的な局面がある。マクドーマンドは、いつも通り、本物で、正直で、地味だ(彼女は役を研究した結果、ネブラスカ州の「ターゲット」店舗で「働かないか」と言われて喜んだようだ)。本物のノマドは正当で威厳があるのだ。

 ジャオは西洋風景を見る目があり、ザ・ライダーでしたように、人々を敏感に監督している。

 だが全体的には、ノマドランドは、それが触れるひどい状態への暗黙の批判と、ノマドの反発力や「辛抱強さ」や「開拓者」風ライフスタイルへの不適切な慶賀を交互に繰り返すが、不幸なことに、後者の手法が勝利を収めている。

 映画の全体的な感じと感受性は、「やむをえずしたことを自発的にした振りをする」という表現の辞書定義の一つ、つまり「意図的に、その価値ゆえ選択した、他に選択肢のなかった行動や状況を作り直したり、描いたりする」こと、しっかり対応する。

 ある評者のコメントは典型的なものだが、意図せずに、映画の最も重大な弱点を捕えている。「ノマドランドと同じぐらい多くが、本当に、死(ある人物は自殺に近いものについて心-悲痛な記事を話す)までに取りつかれる、生きることについて、それは、前に進むことについて生活についてだ。経済の絶望の圧倒的な現実にさえ直面して、2008年に経験豊かなそれほど多くの人たちとして、常にあなたがと選べるもう1つの道がある。」

 もう一つの審査がジャオの仕事が真髄でアメリカ製の何かについて「年代記であることを示唆する:道路での生活。土地、道路、それに沿って旅行する人々の美しさについての映画、共同体がそこ、砂漠と丘と山でアメリカの西が無くなったくことを見いだす遊牧民。必要によって、しかし同じく自由意志によって。」タイプが、見出しで、映画を「アメリカの独立への優しい頌賦」だと記述した。

 これは、描写された貧困と苦難に直面して、かなり惨めだ。なぜ今まで標準的なアプローチを修正して、ジョン・スタインベックの、不景気の間、新しいライトのかわいそうな借家人農民-の苦痛Joads-a家族に熱心な憤(1939)怒のブドウ、を、「一般道路での生活」についての「年代記」、「土地の、道路の、それに沿って旅行している人々の美しさについての」小説として提示するなどしないか?

 それは社会的に決然とした(変更できる)(人たち・もの)を「自然の」、避けられない(人たち・もの)に変えるために重過失、ひどい無責任、だ。意図的にあるいは、1人は既存の情勢のために弁証者になる。いくらどんなにジャオの映画の種々の遊牧民が-抱きしめるか、あるいはembrace-theirに新しいライフスタイルを試みて、それに楽しい、さらに「心を解き放つ」特質を授けたとしても、彼らは、何よりもまず第一に、アメリカの社交的なカタストロフィーの犠牲者のままなのだ。

 ブルーダーは彼女の本を、こういう風に始めている。「ノースダコタ州、ドレートンで、67歳の元サンフランシスコのタクシー運転手がサトウダイコン収穫で苦闘する。彼は畑からのトラックが、何トンものビートを吐き出すのを手伝って、氷点以下の温度の中、日の出から日没後まで働く。夜には、彼はウーバーがタクシー産業から彼を押し出し、家賃を稼ぐのが不可能になった時以来ずっと彼の家であるバンで眠る。

 「ケンタッキー州、キャンベルズビルで、アマゾン倉庫の夜勤シフトで、66歳の元ゼネコン社員が、コンクリートの床に沿って、車輪付きカートを何マイルも押しながら商品を積み込む。それは実に退屈でつまらない仕事で、首にされるのは避けたいと、彼女は正確にそれぞれの品物スキャンしようと苦闘する。朝、彼女は、彼女のような放浪労働者を泊めるためアマゾンと契約している、いくつかの移動住宅公園の一つに停めてある彼女のごく小さなトレーラーに戻る。」

 極めて弱者である高齢者の残忍な扱いを詳述するブルーダーの仕事は貴重だが、そうした状態からも励みになる「希望の兆し」を見いだす努力からは免れない。彼女は、このように続けている。「だが道路には希望がある。それは前進する勢いの副産物だ。国と同じぐらい広いな可能性の感覚。より良いものが起こるという徹底的な信念。それは、すぐ先、次の町、次の仕事、知らない人との次の偶然の遭遇だ。

 「誰かのバンが故障すると、彼らは寄付を募る。人から人へ広がる感じがする。大きな何かが起きている。国は急速に変化しており、旧構造は崩壊しつつあり、彼らは何か新しいものの震央にいるのだ。真夜中、キャンプファイアーの周囲は、ユートピアの一瞥のように思われる。」

 ノマドの状況の粛然たる様相を見るには、(ブルーダーも参加した)Brett StoryとField of Visionによる16分の映画CamperForceも見る価値があるが、それは同社の季節労働部隊のために何千人ものキャンピングカー・キャンピングトレーラー暮らしの人々を採用し、搾取するアマゾンの10年にわたる計画を詳述している。この映画は美しかったり、「鼓舞したりする」ものではない。それは容赦なく、啓発的だ。題名自身が説明する通り、「現在、65歳以上の高齢アメリカ人のうち5人に1人が、1986年の比率のほぼほ二倍働いている」「55歳かそれ以上の人が当主の家庭のほぼ3分の1が、年金も退職後のための貯金がない」。この短編映画は、アマゾンのジェフ・ベゾスが「2017年に世界で最も金持ちの男になった」ことも指摘している。


(Field of Vision)

 数十億ドルのウォルト・ディズニー社の一部門、サーチライト・ピクチャーズの代表、ナンシー・アトリーとスティーブン・ギラは、ノマドランドを「本当の映画的発見」として推奨した。ジャオは「我々を思い出させる」と、この映画会社経営者が続けた。「我々が、どれほど遠く離れているように思われるにせよ、この映画には我々をつなぐ力がある。我々はこの特別な映画が世界中の聴衆を感動させ、更に世界の映画を支援できるよう希望する。」

 ディズニーが映画や芸能界の実に多くを支配していたり、その幹部が予想通り陳腐なことを言ったりするのは、確かに監督の過失ではない。だが、北京生まれで、マウント・ホリヨーク大学で教育を受けた「独立」映画製作者(2020年のトロント映画祭によれば「アメリカ映画で最も重要な新しい声の一人」)が今2021年11月公開予定の惨めなマーベル・シネマティック・ユニバース(同じくディズニーの所有)で26番目の作品スーパーヒーロー映画、Eternalsを監督したのはジャオ自身の「自由意志」の問題だ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2021/02/20/noma-f20.html

----------

 この映画、見ようと思いながら、まだみていない。

 政府も厚生労働省も文部省も、本物の反社会集団。

 LITERA

正気か? 東京都が東京五輪の観戦に小中学生ら81万人を動員計画! 感染拡大最中に各学校に通達、観戦拒否すると「欠席扱い」

 日刊IWJガイド  小生、緑のタヌキが準備した「パンダ映像」ではなく、こちらのインタビューを見る。

<次回の岩上安身のインタビュー> ゴールデンウィーク国民投票法「改悪」阻止キャンペーンの一環として、岩上安身による日本共産党・山添拓参議院議員インタビューを5月3日にお送りします!

<昨日の岩上安身によるインタビュー報告>国民投票法「改悪」案、5月6日にも衆院採決か!?  国民投票法の次はナチスばりの緊急事態条項を含む自民党改憲へなだれ込むリスクが! 岩上安身による小西洋之参議院議員インタビュー第3弾をフルオープンでお送りしました!第1弾、第2弾とともにGW中公開し続けます!! ぜひ、SNSで拡散して、多くの人に5月6日の危機をお知らせください!

【緊急シリーズ特集!コロナ禍の陰で着々と進む戦時独裁体制樹立の改憲!5月6日改憲国民投票法強行採決を許すな!! 2】本日午後7時半から2017年収録「広告宣伝の制限なし!『異常に自由』な国民投票制度―― 憲法改正国民投票は改憲派に有利!! ~岩上安身によるインタビュー 第807回 ゲスト ノンフィクション作家・元博報堂社員 本間龍氏」を再配信します!

2020年12月13日 (日)

『76 Days』:武漢でのコロナウイルスとの戦いの前線

デイビッド・ウォルシュ
2020年12月7日
wsws.org

 世界的流行が始まった中国の都市武漢での11週間の封鎖(1月23日-4月8日)についてのドキュメンタリー『76 Days』は、今年のトロント映画祭における最良の映画の一つだった。この映画には、実に本物の忘れ難いドラマがある。ドキュメンタリーは今「virtual cinema」プラットホームで、アメリカで見られる。

 映画はハオ・ウー、ジーン・チエンと匿名の人物(身元を明かさないために匿名を望んでいる武漢現地の記者)によるものだ。

 中国系アメリカ人映画監督のウー(Beijing or Bust, The Road to Fame, People’s Republic of Desire)が、二人の協力者に武漢で撮影されたビデオ映像を編集した。


『76 Days』

 ドキュメンタリーは、いかなる全体的評価も分析もしていない。ほとんどがクローズアップだ。ほとんど全員ウイルス感染者か医療従事者だ。極端な臨場感は制約だが、アメリカ政府による執拗な新たな「黄禍論」プロパガンダ宣伝の時に、『76 Days』は、親密で、完全に合法的な方法で、聴衆に中国人の人間性や苦しみを紹介する。

 更に全般的に、主にコロナウイルスで亡くなる人々が、無価値で、重荷で、完全な人間以下のもののように主張したり、暗示したりする、至る所のメディアや政治支配体制の冷淡さや無関心に対する打撃だ。

 ドキュメンタリーで、女性が半狂乱ながら、空しく(健康上の理由から)、死に瀕した父親にもう一度会いたいと懇願する場面がある。「父さん!私は父さんを決して忘れません」と彼女が叫ぶ。最も心が痛む、実情を現す別の場面の一つで、病人の自暴自棄な群衆が病院入り口で入ろうとする。「どうか協力してください!」と職員たちが訴える。職員たちは、彼ら全員が、最終的に入れますと約束する。


『76 Days』(2020)

 ある看護師が、故人のIDカードと携帯電話を集める。携帯電話は、故人や家族の画像が多いが、小さな光を放つ幽霊のようだ。ウイルスに感染した女性が出産する。「女の子ですよ。」だが赤ん坊は、母親が感染しているため、すぐ連れ去られる。その後で、母親と夫の両方が、心配して、赤ん坊を待っている。看護師が、二人に、赤ちゃんは「良く寝て、良く食べましたよ」と陽気に言って、幸せな再会になる。

 一人の「言うことを聞かないおじいさん」が立ち上がり、家に帰るため外に出る方法を探して廊下を歩き回り続ける。誰かが言う。「彼は漁師でした。彼は落ち着きがありません。」病気で、おびえて、彼は泣く。「私はもう、お墓に片足を突っこんでいる。」だが彼は幸運な一人であることが分かり、生き残る。彼が最終的に退院する際、職員たちが彼にさようならを言うため、エレベーター近くに集まる。「私は決して皆さんを忘れません」と彼は職員たちに言う。


 『76 Days』病院に入ろうとする必死の人々

 最終場面の一つで、誠実な看護師が死んだ親の持ち物を家族に返す。「ごめんなさいね」と彼女が言う。「私達は出来る限りのことをしました。」泣いている女性が帰るため向きを変えながら簡単な返事を言う。「わかっています」

 監督としての発言で、ハオ・ウーは、地方自治体が、ウソをついて、発生を隠すため、内部告発者を抑圧していたことが益々明確になる中での、流行初期の彼の反応を説明している。武漢での状況は悲惨だった。人々は死につつあり、医療は崩壊し、医療関係者には適切な保護器具がなく、彼らも病気にかかり、死に瀕していることが明白になった。

 後に、ニューヨークで、彼は「準備不足の政府、ウソをついているか科学的に無知な政治家、怯える住民、保護具がない疲れ切った医者や看護師のアメリカで、武漢物語を再体験しているように感じた。アメリカには一流医療インフラと遥かに優れた政治制度があると思われているので、この二度目は、私にとって、より大きな衝撃だった。」

 率直に言って、中国当局者の役割を称賛せずに、アメリカが武漢経験を「再体験した」ことを示唆するのは非常識だ。武漢での措置に伴う封鎖は、ウイルスを封じ込め、抑制した。今中国は、4,600人の死者で、死者数ランク・リストで、77位に落ちている。人口が四分の一のアメリカでは、政府の殺人政策のおかげで、290,000人の死者が出ている。

 とにかく『76 Days』は貴重で感動的な作品だ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2020/12/08/days-d08.html

----------

 植草一秀の『知られざる真実』

分科会提言無視なら辞表叩きつけよ

 岩波書店の月刊誌『世界』1月号
 特集1 自治のある社会へ
 特集2 ポスト・トランプの課題
 小特集 ツーリズム激変

 コロナに関する連載が二編ある。「分水嶺」と「コロナ戦記」
 「コロナ戦記」には納得するところが多いが、「分水嶺」適切なPCR検査強化を阻止している御用学者諸氏を称賛しているように読めてしまう。僻目でろうか?
 ツーリズム激変は時宜を得た特集。大昔知人たちとでかけた小樽、素敵な街に、いつかまた行きたいと思っていたが、この力作によると、どうやら幻想。「観光の根源とはなにか」は、カジノの虚妄を指摘している。

2020年9月25日 (金)

反中国活動を推進すべく映画『ムーラン』を巡る論争を利用するワシントン

ベン・マクグラス
2020年9月23日
wsws

 9月4日、ディズニーは、同社のオンライン・ストリーミング・プラットホーム、ディズニープラスで、最新のリメイク実写映画『ムーラン』を一般公開した。公開前後に、アメリカとその同盟国は、この映画を、人権擁護といういんちきな旗の下で駆り立てられている反中国活動の一環として標的にしている。

 映画が公開されて数日で、映画を阻止すべく、最新のハッシュタグ#BoycottMulanキャンペーンがツイッター上で開始された。関係者は、エンド・クレジットに、新彊ウイグル自治区中国共産党委員会や吐魯番市公安委員会を含め、種々の中国政府機関に対する「深い感謝」があるのに気付いた後、映画を非難した。吐魯番は新彊ウイグル自治区にあり、アメリカは、新彊に暮らすウイグル族住民の取り扱い方のかどで、去年、該当部局に制裁を課している。

 論争に応えて、『ムーラン』の大半はニュージーランドで撮影されたが、「この歴史的時代劇のための独特な風景や地理を正確に描写する」ため一部は新彊でも撮影されたと、ディズニーのクリスティーン・マッカーシー最高財務担当役員が述べた。

 北京を批判する人々は、当時起きていた集団抗議活動の際、2019年8月、ツイッターで、香港警察支持を投稿した映画題名の人物を演じた主演女優リウ・イーフェイ劉亦菲を非難した。劉は「私も香港警察を支持する。」と書いて、他の警察支持Tweetを共有した。

 中国との緊張を更に増すため、ワシントンは映画撮影場所の公然の非難に飛びついた。これら公然の非難は完全に偽善だ。北京の資本主義政権は確かに、抑圧的な警察国家措置を、その支配に対する、あらゆる野党勢力を沈黙させるために利用している。だが新彊における人権侵害に関するアメリカの非難は極めて恣意的で、ワシントンの帝国主義者の権益を推進することと、軍事侵略の口実にすることを意図している。

 アメリカ政府が、長い間植民地支配と独裁制を支持してきた香港や台湾のような地域で、民主的権利を支持するワシントンの主張にも、同じことが言える。

 石油を含め、重要な天然資源があり、北京が親密な経済的結びつきを発展させようとしているエネルギー豊富な中央アジア共和国に隣接しているので、アメリカは、特に新彊に焦点を当てているのだ。北京の一帯一路構想も、新彊地域を通過する。

 新彊を巡る反中国法案の先頭に立っている共和党のマルコ・ルビオ上院議員は、同社がなぜその場所で映画撮影することに決めたかについて答えを要求して、ディズニーに超党派的な手紙を送った。彼は「残虐行為に、あるいは隠蔽に責任がある」と映画クレジットに載った機関を非難した。

 ところが、同時に、ワシントンはアメリカの穏やかな抗議行動参加者に対する警察と自警団員の暴力を監督し、奨励しているのだ。アメリカ戦争犯罪を暴露する内部告発者やジャーナリスト、特に注目すべきなのはジュリアン・アサンジを迫害し、移民のための強制収容所を運営している。これは、アジア中で軍事クーデターを支持することを含め、20世紀中に、ワシントンがおかした多数の帝国主義犯罪に加えてなのだ。

 ワシントンは主要な経済競争相手を排除したいというワシントンの願望から、北京に対する追加圧力をかけるために、米国経済を中国から「切り離す」べく動いてもいる。ワシントンの『ムーラン』とディズニーに対する批判は、中国とのつながりを切るか、ワシントンの反中国工作に参加するよう、アメリカ企業に対する圧力を増すことを狙っている。これは特に中国市場での足場を利益の主要源と見ているアメリカ企業にとって困難だ。

 七月、ウィリアム・バー司法長官は、ミシガンで、アメリカ企業と大学を罵倒した。彼は、本質的に、彼ら自身を国務省や国防総省が自由に使えるようにして、国内、国外でアメリカ帝国主義のプロパガンダを推進し、ディズニーのような企業は、今後の戦争準備に専念すべきだと要求した。

 彼はこう述べた。「第二次世界大戦では、例えば、象徴的なアメリカ企業ディズニーは、アメリカ海軍軍人に航法戦術を教育する訓練ビデオを含め、政府のために多数の広報映画を制作した。戦中、ディズニー従業員の90パーセント以上が、訓練と広報映画制作に従事した。アメリカ軍兵士の士気を高めるため、ディズニーは、飛行機やトラックやフライトジャケットやアメリカや同盟国軍に使われる他の軍装備品の記章をデザインした。」

 バーは、ワシントンの方針に従い損ねている人々に対し遠回しな脅迫をした。「もしディズニーや他のアメリカ企業が北京に屈服し続ければ、彼らは、その繁栄を可能にした典型的な自由主義の秩序と同様、彼ら自身の将来の競争力と繁栄両方を損なうことになる。」

 このキャンペーンは、この映画や、ディズニーで始まったわけではない。それは、アメリカと中国間の分裂を推進する進行中の取り組みの一環だ。これは映画産業だけでなく、トランプ政権が、アメリカで活動を禁止しようとしている他のハイテク・プラットホームや、ファーウェイやWeChatやTikTokのようなアプリケーション企業も対象だ。

 ワシントンは、北京が、これら全てのプラットホームを、アメリカ国民やアメリカ同盟諸国国民のデータに影響を与え、操作したり、収集したりするのに使うと主張している。これらの発言は、資本主義北京を、本物のマルクス主義と一緒にして、アメリカ批判の信頼性を傷つけるため、反共産主義の言葉で表現されているのだ。だがワシントンの狙いは、言論の自由を弁護することからはほど遠く、ハイテクと通信プラットホーム同様、映画産業についても支配を主張し、ワシントンが脅威と見なす、あらゆる内容を検閲し、隠蔽することだ。

 昨年10月、マイク・ペンス副大統領は、ナイキや、プロバスケットボール協会のようなアメリカ企業が中国で事業をし、香港を巡って北京を支持したと思われるのを批判した。「北京は、企業の貪欲につけこんで、アメリカ企業を強要し、アメリカ世論に影響を与えようとしている」とペンスは述べた。「余りに多くのアメリカ多国籍企業が、中国の金と市場の魅力にへつらい、中国共産党批判だけでなく、アメリカ的価値観の肯定的表現についてさえ沈黙している。」

 ペンスの挑発的言説は、トランプ政権と全ての既成政治勢力が国内で増大する階級的緊張の流れを変えるため有害な反中国気分を煽動しようと努める度合いを強調している。

 国家が公認する警察による殺害と制圧に対する抗議が高まり、ワシントンは国内で増大する社会的怒りに直面している。何百万人もの労働者も、アメリカだけで200,000人以上が亡くなったCovid-19流行の経済的結果で苦しんでいる。共和党、民主党いずれも、更なる軍国主義と戦争への衝動以外、これらの危機への解決策を持っていない。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2020/09/23/mula-s23.html

----------

 「群像」で笙野頼子氏の「引きこもりてコロナ書く――#StayHomeButNotSilent」を読んだ。笙野頼子資料室によれば、阿鼻政権の打倒祈願だと、ご本人はおっしゃる。その校了の翌日、首相が退任しました、と。阿鼻の魔巣苦!秋には色々刊行されるようだ。

 一方、LITERA記事、彼女、自分のことを言っているのかと思った。

杉田水脈が自民党の“性暴力”議論で「女性はいくらでも嘘をつける」と暴言! 伊藤詩織さん攻撃でも被害女性を貶める差別思想が

2020年7月16日 (木)

スノーピアサー:新氷河期とその結末

ムハンマド・カーン
2014年10月8日
wsws

 監督:ポン・ジュノ;原作小説:ジャック・ロブ、ベンジャミン・ルグランド、ジャン=マルク・ロシェット、脚本:ポンとケリー・マスターソン

 この夏、公開された、フランスのコミック、Le Transperceneige(1982)の映画版、スノーピアサーは、未来の破局を生き残った、ごく少数の人類についてのSF映画だ。この映画は(『ほえる犬は噛まない』[2000]、『殺人の追憶』[2003]や『グエムル-漢江の怪物』[2006])などの韓国映画製作者ポン・ジュノによる監督、共同脚本だ。

 スノーピアサーでは、科学者たちが、CW-7と呼ばれる化学物質を大気に入れて、地球温暖化現象に対抗しようと試みて産み出された大惨事のため、人類がほとんど絶滅している。化学物質の目的は地球全体の温度を下げることだったが、思いがけない結果として、新氷河期がもたらされ、人類が、ほとんど絶滅したのだ。

 わずかに残った人類は、大洋を含め地球の広大な地域を際限なく走る列車の中で生き残っている。先頭車両の人々は贅沢な暮らしをしているが、列車後部の住民は惨めに暮らし、黒い棒状のひどい食べ物を与えられ、先頭車両の人々に利用され、虐待されている。

 カーティス・エバレット(クリス・エヴァンズ)は、そこの他の住民とともに、列車最後尾で彼の人生の半分を過ごした大人だ。カーティスと、彼の良き師で、最後尾住民の指導者ギリアム(ジョン・ハート)は他の最後尾住民に尊敬されており、彼らのリーダーを勤めている。カーティスとギリアムは列車を乗っ取るための反乱を準備する。

 列車後部に対する襲撃中に、列車のエンジニアの工作員によって、連れ去るために子供二人が選ばれる。一人の男が息子を連れて行くのに抗議した後、他の人々の前で酷く残虐に罰せられる。先頭車両住民の報道官メイソン(ティルダ・スウィントン)は最後尾住民をきつく叱る。彼女は彼らに、列車住民全員「割り当てられた持ち場」「あらかじめ定められた、それぞれの立場」に留まらなければならないと言う。

 彼らが警備員の銃には銃弾が入っていないのを悟った途端、カーティスと他の最後尾住民は「エンジンを乗っ取る」計画を実行に移した。途中で彼らは、列車の警備システムを設計したナムグン・ミンス(ソン・ガンホ)という名の列車前部住民の薬物中毒者の協力を求める。何らかのテレパシー能力を持っているらしい彼の娘も彼らに同行する。

 WSWSは2004年にポン・ジュノの『殺人の追憶』を批評した。スノーピアサーは興味深く挑発的な映画だ。コミックノベルに基づいているが映画の大半は監督自身の創造的発明だ。

 ほとんど全て列車で行なわれているにもかかわらず、映画は閉所恐怖症の感じがしない。それどころかジュノは効果的に世界を描いている。列車最後尾でさえ、共同体で、列車のこの区画に押し込められた人々の単なる集団ではないという感じを受ける。

 ジュノの監督は風変わりで、ジャンルを混ぜている。アクションや冒険や、大部分暗いものながら、かなりのユーモアの要素まである。この混合は時に、大成功で、それほど成功していない部分もある。

 スノーピアサーの、より強力な場面の一つで、悪魔のような服装をし、斧を持った、多数のファシスト的凶悪犯に対して、最後尾住民が生きるか死ぬかの戦いをする。最後尾住民は、疲れ果てて、みすぼらしい状態にもかかわらず勇敢に戦う。戦いは不利になり始めるが、勇気と機転で、彼らは流れを変えることができる。明らかに多少の暗いユーモアを意図した、双方が新年の休日祝えるよう戦闘の短い休憩場面を入れたことが、重大な、貴重な場面になったものを損ねている。

 映画には、ナムグン役のソンや、エンジニアで、冷酷で打算的な列車の支配階級指導者、ウィルフォード役のエド・ハリスを含め数々の素晴らしい演技がある。スウィントンはウィルフォードの臆病で尊大な従僕メイソンを素晴らしく演じている。先に触れた彼女の演説は、確実に、前部住民と現代世界エリートの大半の意見を代弁している。エヴァンスは非常に効果的で、時に感動的だ。彼の演技は、あらゆる損失にもかかわらず、列車前部に到達して、エンジンを支配する容赦ない決意で、前進せずにはいられないのだ。

 だが、スノーピアサーの強さには、多数の問題もある。

 虐げられた人々の蜂起のジュノによる描写は同情的だが、どちらかと言うと皮相的だ。映画が進むにつれ、それはいっそう明白になる。特に前述の戦いの後。革命の見せかけはそこで、ほとんど消える。数がひどく減って、傷ついた最後尾住民は、カーティス率いる最も有能な戦士の小集団になっている。

 このグループに焦点を合わせる貴重な瞬間が、まだ場面にある。彼らが列車前部に向かって進むにつれ、カーティスと他の人々は、先頭車両住民の益々退廃的な豊かさの誇示に直面する。先頭車両の人々はきれいで、健康で、身なりが良く、最後尾住民が長年経験していないぜいたくを思いのままにできる。

 ごくわずかの車両距離で、巨大な貧困と、下劣な放蕩との極端な分裂がある。現代生活の膨大な社会的不平等が、監督に、強い印象を与えているのは確実だ。

 不幸にも、映画は勢いよく始まり、上映時間の多くは比較的興味深い形で続くが、終盤は、本質的にほころび始める。一連の意外な事実と、生き残っている主人公たちの行動を通して、スノーピアサーは急速に悲観論と懐疑論へと落ち込む。

 結局、さほど多くを開示せずに、列車のエリートは、主に自身の目的のために、出来事を操っているのだ。「革命」そのものは、映画の前の方でメイソンが言った単に「秩序」と「バランス」を維持する計画の一部に過ぎないのだろうか?

 どう考えても、ポン・ジュノは、『殺人の追憶』に関して述べたように、映画で「現実を示すこと」を願っている真剣な芸術家に思える。スノーピアサーには、多くの強力な場面がある。革命-虐げられた人々による革命というアイデアで対処するという決定は、興味をそそる。だが、ポンが到達する結論は、生活の現実についてより、彼自身の方向感覚喪失について、遥かに多くを物語っている。

 io9のインタビューで、映画監督は彼の視点を詳しく語った。「あなたを抑圧している社会の支配権を握ろうと望むのが、より革命的なでしょうか?」と彼は問う。「それとも、その体制から完全に逃れようとすることでしょうか? カーティスが救助する韓国人ナムは、階級闘争というカーティスの考えに関心はなく、カーティスの考えを「越えて」いることが分かるのです。」

 このような展望を、一体どう考えたら良いのだろう? 絶え間ない社会的緊張と世界的階級闘争という時代に、本質的に、人間の生活や、あらゆる問題から後ずさりするのを擁護する視点の価値とは一体何だろう?

 スノーピアサーは色々な意味で素晴らしい映画だが、大きな欠陥もある。監督が戦っている、いくつかの問題に、より組織的に取り組めば、全体として、より一貫した、より良い映画が作れたはずだ。彼が未来の仕事で、これを取りあげることを期待しよう。

 著者は下記も推奨する。(英語原文)

For greater complexity, more uncovering
[2004年5月27日]

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2014/10/08/snow-o08.html

---------

 「ああ、上級国民の話しだ」と見ながら思った。

 たまたま週刊金曜日記事で、知って見た映画について、wsws批評が、あったので訳して見た。同意したから訳したわけではない。例により、wsws、左派には辛口。日本でも、色々批評がある。

【ネタバレ解説】映画『スノーピアサー』が描いた階級社会への抗い方 『パラサイト 半地下の家族』にも通じる巧みな演出【ポン・ジュノ監督、クリス・エヴァンス主演】

スノーピアサーは意味不明でつまらない!感想とネタバレ

スノーピアサー【映画】は意味不明?キャスト・評価・解説・考察!

 コロナは上級国民だからといって、容赦はしないのに。

 国も都もボルソナーロ。

 日刊ゲンダイDIGITAL

小池知事の肝いり感染防止策は“ザル”…夜の街からは憤りが

日本政府が恐怖の見切り発車「GoTo」感染拡大へまっしぐら

2020年2月24日 (月)

アメリカ人映画俳優カーク・ダグラス(1916 - 2020)

デイビッド・ウォルシュ
2020年2月10日
wsws.org

 2月5日、1940年代後期から1970年代初期までのアメリカ映画の主要俳優カーク・ダグラスはビバリーヒルズ、カリフォルニアの自宅で老衰で103歳で亡くなった。第二次世界大戦後時代の映画主役俳優の一人で、同じく、雇って、『スパルタカス』(1960)で、ブラックリストに載せられた映画脚本家ドルトン・トランボが果たした彼の努力への貢献を評価することによって、反共産主義ブラックリストを終わらせるのを助けることにおいて役割を果たした。

 ダグラスは、『過去を逃れて』(ジャック・トゥールヌール、1947年)『チャンピオン』(マーク・ロブソン、1949)『地獄の英雄』(ビリー・ワイルダー、1951)『悪人と美女』(ヴィンセント・ミネリ、1952)『突撃』(スタンレー・キューブリック、1957年)、『スパルタカス』(キューブリック、1960)『明日になれば他人』(ミネリ、1962)の『5月の7日間』(ジョン・フランケンハイマー、1964)における彼の有名な活発さを多数の、その中に、からの多くの貴重なものを含め、映画の道にもたらした。


『悪人と美女』のカーク・ダグラスとラナ・ターナー

 この俳優の人生は、反共産主義マッカーシズム粛清を苦しみでがら、そこから出現したアメリカ映画製作の継続的な強さと、1950年代初期、左翼思想の事実上の犯罪化の結果として、ハリウッドに課され、受け入れられた限界の一部を表現していた。

 アメリカが第一次世界大戦に参戦する4カ月前、ボルシェビキに率いられたロシア革命11カ月前の1916年12月、絨毯製造で知られるモホーク・バレーの小さな都市ニューヨーク州アムステルダムで、ダグラスはイッスル・ダニエロヴィッチとして生まれた。

 彼の自叙伝『くず屋の息子』(1988年)で、ダグラスはアムステルダムの「金持ちの人々の町マーケットヒルの反対側、イーストエンド」での子供時代を語っている。彼、両親と6人の姉妹は「坂道の一番下、最後の家、工場と鉄道線路とモホーク川脇のおんぼろなグレーの下見板張りの家」で暮らしていた。

 同じ伝記で、ダグラスは惨めな貧困で「生まれたと。私の親はロシアからアメリカに来た文盲の移民だった」と書いていたダグラスの親は、最初、父親が、1908年から1910年、ロシア皇帝の社会の窮乏と圧迫とからアメリカに逃れた移住したユダヤ人だった。

 ダグラスは、1884年頃に生まれた父親ハーシェルを、軍に徴兵される際、自分の右手と左手を区別できるよう「片袖に干し草、もう一方の袖に藁を結びつけていたほど」「無知な小作農」の一人として描いていた。父親は馬車で仕事するアムステルダムのくず屋だった。

 ブリナ・サングレルとして生まれた母親が、ダグラスは「この母親が、文字通り道路が金で舗装されていると思っていたこの素晴らしい新しい土地で全ての子供が生まれるよう望んでいたウクライナ農民家族出身。」だと書いていた。ダグラスの母親はロシアで、兄弟が「ゲットーを疾走して、何人かのユダヤ人の頭を割るのがスポーツだと思っている」「ウオッカで陽気になった」コサックの一人に道路で殺されるのを見ていた。

 ダグラスは北ニューヨークでセント・ローレンス大学入学に成功したが、早い年齢からいろいろな仕事に取り組んだ。

 彼は最初にアムステルダムの高校教師に、芝居の道を進むよう勧められていた。大学卒業後、ダグラスは、同時代の他の多くの人々同様、ニューヨーク市グリニッジビレッジに引っ越した。彼は奨学金をくれるアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学した。後に彼が映画キャリアを始めるのを手伝った同級生の一人は女優ローレン・バコールだった。第二次世界大戦中に海軍に勤めた後、ダグラスはニューヨークに戻り、ラジオと劇場の仕事を見つけ始めた。

 ダグラスは1946年の映画、『呪いの血』(左翼作家のロバート・ロッセン脚本による、ルイス・マイルストーン監督)に始めて出演した。彼はアメリカ映画製作が最も写実的で、重要な瞬間の一つだったフィルム・ノワール時代絶頂という面白い時にハリウッド人生を始めたのだ。(バート・ランカスター、ウィリアム・ホールデンやロバート・ミッチャムを含め)彼の世代の他の人々同様、30歳代で、ダグラスは既に、人生とその困難さを感じさせる最初の演技をしていたのだ。


『過去を逃れて』(1947)のカーク・ダグラスとロバート・ミッチャム

 過去、ランカスターと共演した七本の作品の一作目、もう一つの貴重な「暗い」厄介な仕事『暗黒街の復讐』(バイロン・ハスキン、1948年)の後、左翼アメリカ人著者ダニエル・メインウェアリングの小説に基づく、フランス生まれのターナー監督の『過去を逃れて』に、ダグラスが登場する。ダグラスは、以前彼を銃撃し、傷つけ、彼の金40,000ドルを盗んだ元恋人(ジェーン・グリーア)をつきとめる決意が固いギャングのウィット・スターリングを演じている。彼は終始威嚇的ながらだ、ダグラスの役は殺人癖の傾向をできる限り隠して、もの柔らかで、理論整然としている。

 2015年、WSWSは『過去を逃れて』は「道徳的、心理的に強力な」作品だと書いた。「主題を考えれば、映画には極僅かしか公然の暴力はなく、彼、ウィットは微笑し、冗談を言い、ほとんど決して声をあらげない。彼はそうしなくて良く、彼の金と権力が自動に敬意をもたらすのだ。」

 ロブソンの『チャンピオン』で、ダグラスは、チャンピォンに向かって情け容赦なく戦うボクサーの主役を演じて有名になった。映画の冒頭で主張するように「最も惨めな貧困から始めて、世界チャンピオンになった」「男の物語」で、ダグラスのミッジ・ケリーは恥知らずに、友人やパートナーや女性を裏切る。


『チャンピオン』(1949)のアーサー・ケネディ、カーク・ダグラスとポール・スチュワート

 『地獄の英雄』はワイルダーの最も苦い経験となった映画の一つ(で彼の数少ない商業的失敗作)だが、この作品は、欺いて世論を操作する問題に、寓意で取り組んではいるが、1940年代末と1950年代初期のマッカーシズム・ヒステリーを生み出す上での、マスコミの卑劣な役割に影響されたと考えられる。

 今や本格「映画俳優」のダグラスは、ニューメキシコ洞穴崩壊で閉じ込められた男の事件を偶然見つける、冷笑的な、運に見放されたジャーナリスト、チャック・テータムを演ずる。テータム(「私はかなりうまいウソつきだ。私は長年多くのウソをついてきた。」)良いように操られるのを熱心に望む騙されやすい大衆を操作するため、できる限りのことをする。彼は不正な野心的な地元保安官と一緒に、(「もし私が一週間のこの話題を使えれば」)この話題が全国的に新聞の一面に残れるよう、不運な被害者が、決してすぐに救助されないようにしようと企むのだ。


『地獄の英雄』(1951)でのカーク・ダグラス

 ミネリが監督した何本かのダグラス映画の一つ『悪人と美女』で、この俳優は、またもや何人かの有名なハリウッド人物に基づいた、ある解説者の言葉によれば「冷笑的で、狡猾で、悪魔的で」比較的無情な人物、異端者のハリウッド・プロデューサー、ジョナサン・シールズを演じた。メロドラマは回想で進む。ハリウッドの事務所に集まった3人の人物、監督、脚本家と女優が、本質的に苦い過去の経験に基づいて、彼らがなぜシールズと関わるのを拒否するかを説明する。

 これら多数の映画には「アメリカン・ドリーム」と「あらゆる犠牲を払って」実現を目指すことに関する一般的な戦後批判の共通主題が、はっきり現れている。(『悪人と美女』では、映画評論家で歴史家のトーマス・エルセッサーが言っているように、ダグラスの役が、少なくとも一部、「監督や脚本家や主演女優の創造的な可能性」を解き放つ努力で、実際に他の人々と、彼自身を犠牲にしている。)

『悪人と美女』(1952)
のカーク・ダグラス

 彼自身の言葉で、それほど「信じ難いほど」陳腐だった、ダグラス自身の貧乏から大金持ちになったホレーショ・アルジャー物語の人生が、アメリカの無制限の機会の証拠としてしばしば描かれる問題的枠組みを気づかせることは指摘する価値がある。

 映画史家の学者ジョセフ・マクブライドは(同時掲載の記事参照)、1976年の短いダグラス伝で、「彼の映画のほとんど全作品に脈々と流れている特徴は、アメリカの成功倫理に対する、熱い苦悩に満ちた批判だ」と雄弁に論じている。

 二つのプロセスが、同時に、時々食い違って、多くのダグラスの映画における仕事であるようにわれる: 移民や貧困に陥った背景からを含めて、彼ら自身、経済的、文化的に、引き上げるべきアメリカのある特定の人々の否定し難い能力(そして決定) - アメリカ資本主義の強力な地位と資源で根づいた - 他方、成功の疑わしい、不安定な特徴は、しばしば主人公の苦しみ、有罪あるいは激しい自己不信に導いて、目的を達した。

 映画監督ライナー・ファスビンダーによる、ドイツ人小説家テオドール・フォンターネの見解(1819 - 1898)に関する発言を思い出す。「彼は、本当に属したいとを望み、必要としていながら、その欠陥を認識して、非常に正確に記述することができる社会に暮らしていた。彼は全員を拒絶し、全てが相容れないと知りながら、それでもなお、この社会の中で、一生この認識のために戦った。」

 マクブライドが引用した1960年のインタビューで、ダグラスはこう言っていた。「一生俳優として、役割を演じたいとを夢見ていた。それで起きたのは、それで成功すると、人は大事業になるのだ。まるで想像もしていなかった様々なことが動き始める。人は突然あらゆる側面から翻弄される。正しい助言を得られれば幸運だ。」

 もちろん、この俳優が広く受け入れられており、ダグラスが、政治的奉仕で、国務省ツアーや、他の公式行事を含めて、しばしば公式に活動した「アメリカ民主主義」のハリウッド・リベラリズムの中でこの全てが行われたと論ずるのは実に容易だ。(1960年代と1970年代、ルキノ・ビスコンティ[『山猫』、『家族の肖像』]やベルナルド・ベルトルッチ[1900]のようなヨーロッパ人監督と仕事をし、デイビッド・ミラー-ドルトン・トランボの『ダラスの熱い日』や、ロバート・オールドリチの『合衆国最後の日』や、テッド・ポストの『戦場』のような、かなり反体制の作品にも出演したランカスターは、いくぶん、より公然の反体制路線をとっていた。)

 だが、ここでも、芸術家と、俳優としての公的人格や、出世、財政的成功、果てしない色事などなどを区別することが必要だ。彼が冷戦中に、忠実な報道官の一人ととして演じたかもしれない、あらゆる機能を通して、アメリカ社会のお世辞抜きの写真を芸術家として描き出し残す上で、ダグラスは性格描写で、真実、特に感情と「苦しみ」で、十分正直だった。

 社会生活の活動領域全体が、反共産主義と映画産業の自己検閲で封鎖された条件の下で、真剣な芸術的な仕事をする上での客観的な矛盾が、(『炎の人ゴッホ』ミネリ[1956]での)余りに僅かなものから、余りに多くを読み取り、絞り出さねばならないかのようなダグラスの演技の時々高ぶり過ぎた独特の演技表現になっている。『探偵物語』の評論で、批評家マニー・ファーバーは「スポーツマン志向の」ダグラスの「喧嘩を売るような演技」を指摘した。


『脱獄』のカーク・ダグラス(1962)

 1976年の著書で、マクブライドは、映画を見に行く大衆の一部にとって、ダグラスは「しゃくれた顎で、スクリーン上で彼がいつも演じる、耳ざわりな声の精力的に好戦的な人物と同義語」で、彼の「身ぶり手ぶり」と(ファーバーの言葉で)「がなり立て」は、いらいらさせ気を散らせかねない。だが最高の状態では、彼の「目を見張るようなエネルギーと強烈さ」(マクブライド)が矛盾する不安な状態やジレンマをを生き生きさせた。

 ダグラスは、既に挙げた人々を含め、1940年代、1950年代、1960年代、最も本格的な映画監督の多くと仕事をする幸運を得ていた。その中には以下のものがある。ジョン・M・スタール(エリコのウォールズ、1948)、ジョセフ・L・マンキウィッツ(『三人の妻への手紙』、1949)、マイケル・カーティス(『情熱の狂想曲』、1950)、ラオール・ウォルシュ(『死の砂塵』、1951)を含めて、言及されたそれら、ウィリアム・ワイラー(『探偵物語』、1951)、ハワードホークス(『果てしなき蒼空』、1952年)、リチャード・フライシャー(『海底二万哩』、1954と、『バイキング』、1958)、ヘンリー・ハザウエイ(『スピードに命を賭ける男』、1955年)、キング・ビダーの(『星のない男』、 1955)アンドレ・ドゥ・トス(『赤い砦』、1955年)、ロバート・オールドリチ(『ガン・ファイター』、1961)、オットー・プレミンジャー(『危険な道』)とアンソニー・マン(『テレマークの要塞』、1965)

 ダグラスの最も輝かしい時代は、1957年から1963年まで続き、彼は毎年トップ25人の最も成功した映画俳優の一人だった。

 第一次世界大戦の大虐殺を舞台にした『突撃』は、ダグラスの最も重要な仕事の一つだ。彼は、フランス参謀本部が計画した、ドイツ戦線に対する、成功できないのが分かっている自爆作戦を率いなければならないフランス士官ダックス大佐を演じる。軍支配層は自身の兵士を大量殺人する用意をしっかり調えている。一つの部隊が、殺人的なドイツ砲撃の中に進むのを拒否した後、ミロー大将(ジョージ・マクリーディ)は、大失敗での自分の役割から注意をそらすため、臆病さのかどで、100人の兵士、最終的に三人を軍法会議にかけることに決める。


『突撃』(1957)

 民間生活では弁護士のダックス大佐が、法律上の見地からは、茶番的行為である訴訟手続きで、3人の兵士を弁護する。判決は、前もってきまっている。ダックス大佐は裁判で要約して言う。「検察側は証人を招かなかった。被告に対してされた告訴には、書面告訴が全くなかった。最後に、私はこの裁判の速記録がつけられなかった事実に抗議する。昨日朝の攻撃は、フランスの名誉の穢れではなく...確実に、この国の戦士の不名誉でははない。だが、この軍法会議は、穢れで、不名誉だ。これら兵士に対して行われた告訴は、全ての人間の正義に対する侮辱だ。この兵士たちを有罪だと裁決する法廷の人々は犯罪で、死ぬ日まで、あなた方全員につきまとうだろう。」法廷は、しかしながら、まさにね、そうして、3人の兵士は処刑される。

 最終場面の一つで、参謀本部メンバーのブルラール大将(アドルフ・マンジュー)が、ミロー大将に、事件全体のため、彼がスケープゴートにされると知らせ、ダックス大佐にミロー大将の命令を言う。ダックス大佐 -ダグラスは「閣下、あなたは、その昇進で、どうすることができるか私に提案されたいととお思いですか?」と答える。

 ブルラールが謝罪を求めると、ダックス大佐は激怒し、ダグラスの最も素晴らしい瞬間の一つで応える。「私はあなたに完全に正直に話さなかったことをお詫びする。私は本当の感情を明らかにしなかったのをお詫びする。私は早くに、あなたが堕落した、サディスティックな年寄りだと言わなかったのをお詫びする。私が今、あるいはいつか、あなたに謝る前に、あなたは地獄に落ちることができる!」


『スパルタカス』(1960)のカーク・ダグラスとウッディー・ストロード

 (撮影開始から10日でアンソニー・マンが解雇された後)スタンレー・キューブリックが西暦紀元前1世紀のスパルタカス、古代ローマの奴隷反乱の叙事詩物語を監督した。映画は、母親の名にちなんで名付けられたダグラスの会社ブリナ・プロダクションが制作した。脚本は、左翼作家ハワード・ファストが、下院・非米活動調査委員会で、名前を言うのを拒否したかどで、3カ月の刑期を勤めていた刑務所で始めた1951年の小説を脚色して、上記通り、ブラックリストに載せられているドルトン・トランボが書いた。

 『スパルタカス』には興味をそそる、強力な場面がある。制作者とにとって、古代世界での奴隷反乱は、進行中の公民権運動を含め、明らかに虐げられた現代の人々の反乱に類似点があったのだ。マクブライドによれば、主人公は「野蛮で、残忍に取り扱われた下等人間として始まり、最終的に良心を見いだして、英雄伝説の人物になった、動物と霊的なものの複雑な混合だった」ことをダグラスは指摘した。


『スパルタカス』(1960)のカーク・ダグラス

 有名な場面で、奴隷反乱敗北後、ローマ当局者が、生存者に「スパルタカスと呼ばれる奴隷の死体か、生きている本人を特定するだけで、はりつけのひどい罰が避けられるというたった一つの条件」を約束して、反乱指導者を見つけようとする。周知の通り、生存者全員が「私がスパルタカスだ!」と叫ぶ。

 アーウィン・ショーの小説に基づき、ヴィンセント・ミネリが監督した『明日になれば他人』は映画産業のさらなる検証だ。ダグラスは、アルコール中毒に悩まされる元俳優ジャック・アンドラスで、彼のかつての恩師クルーガー(エドワード・G・ロビンソン)が監督する(ジョージ・ハミルトンが演じる)前途有望な映画俳優を呼び物にする映画で、ちょい役を演じるためにローマに旅する。結局、クルーガーが衰弱する心臓発作を起こした後、アンドラスは映画の監督を引き継ぎ、成功裏にそれを完成する。感謝の代わりに、彼は嫉妬と、クルーガーを傷つけようとしたという嫌疑に出くわすのだ。豪華な退廃的な振る舞いには恨みと幻滅の雰囲気が満ちている。

 1974年という未来を舞台にした『5月の7日間』では、悪党の空軍将官が、ソ連と米国大統領の軍縮条約の署名に反対して、クーデターを画策しようと決心する。ランカスターは準ファシストの将軍ジェームズ・マットーン・スコットを演じ、ダグラスは海兵隊大佐「ジグズ」ケイシーを演じ、他方フレドリック・マーチは、いささか無力な大統領ジョーダン・ライマンを演じる。

『五月の七日間』(1964)のカーク・
ダグラスとバート・ランカスター

 チャールズ・W・ベイリー2世とフレッチャー・クネーベルによるベストセラー小説は、自分の極右政治思想を指揮下の兵士に吹き込み、ハリー・トルーマン元大統領やディーン・アチソン元国務長官やエレノア・ルーズベルト元大統領夫人は共産党支持者だと言っていたのが明るみに出て、1961年に辞職したファシストのエドウィン・ウォーカー大将の行動に着想を得ている。ベイリーとクネーベルは、キューブリックの『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964年)の主役発想の元になった人物の一人、極端な反動主義のアメリカ軍最高司令官カーティス・ルメイ大将にもインタビューした。

 フランケンハイマーの映画で、ケイシーは、スコットや他の統合参謀本部メンバーが、ライマンと閣僚を排除して、アメリカ政府を乗っ取る計画をしているのを知るようになる。計画では、秘密部隊がアメリカのラジオや電話やテレビ・ネットワークを掌握する。だがライマンとケイシーは、アメリカ国民には、そうした陰謀の存在を発表せずに、スコットの計画を阻止しようと努力する。映画には、1960年代初期の「軍産複合体」の癌のような不気味な肥大と、戦後繁栄の絶頂におけるアメリカ民主主義のもろさを示す、多くのぞっとするような予知的側面がある。60年後に、それが空洞化した条件は一体何だろう?

 スコット役のランカスターとケイシー役のダグラス最後の対決では、スコットがこういう調子で口火を切る。

- 大佐、君は夜中に地上にはい出て動くウジ虫だ。君は情報の売人だ。聖書のユダを知っているか。これは私の質問だ。

- 答えろという命令ですか?

- そうだ。

- はい、私はユダが誰か知っています。ユダは、軍服の四つ星の名誉を傷つけるまで、私が彼のために働き、称賛していた人物です。

 かなり多くのダグラス作品が長く残るだろう。彼には批判と自立思考を促進する形で、アメリカ生活に光をあてるエネルギーと知性と才能があったのだ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2020/02/10/doug-f10.html

----------

 自民党、異神は、コロナウイルスを意図的に蔓延させておいて、緊急事態条項を導入するのが、狙いなのでは?大本営広報部、コロナウイルスを意図的に放置しているアホ政権を非難するが、緊急事態条項の大問題には決して触れない。

 属国政府は、軍事クーデターではなく、敗戦で、宗主国戦争政権の精神を注入された。

 属国は、宗主国を見習う。

 櫻井ジャーナルも、カーク・ダグラスと映画界について、書いておられる。

カーク・ダグラスが死ぬ前に息絶えていたハリウッド

 カーク・ダクラスが勇敢に戦った赤狩り、日本では、いまだに続いている。

 安倍首相、共産は「現在も暴力革命」
 日本維新の会の足立康史議員への答弁。

 とんでもない政治で日本を破壊しているご両人には言われたくないだろう。下記はNHKニュース

共産 志位委員長「暴力革命とは無縁」首相答弁に反論

 日刊ゲンダイDIGITAL

小田嶋隆氏「最大の罪は国の文化と社会を破壊したこと」

2020年2月11日 (火)

カーク・ダグラスの死を偽善的に悼む左翼風新マッカーシー魔女狩り運動

マシュー・エレット
2020年2月9日
Strategic Culture Foundation

 2月5日に、ハリウッド映画の伝説的人物カーク・ダグラスが103歳で亡くなると、左翼風主流放送局が胸が悪くなるような偽善を見せた。CNNが2月6日に報道したように、これらマスコミは「1950年代後期に、ハリウッドのブラックリストを無くすのを支援するため、人を引きつける彼のスターとしての力と影響力を駆使した」と彼の人生に対する無数の賛辞や追悼を書いた。多くのハリウッド有名人や、MSNBC、NYタイムズ、ワシントンポストが類似の称賛で、この言説に続いた。

 これで胸がひどく悪くなるのは、この追悼がウソだからではなく、まさにこのMSM /ハリウッド連中が、カーク・ダグラスと、彼の親密な協力者たちが、人生で勇敢に戦った、ファシスト・マッカーシー運動機構の継承者だからだ。

 ハリウッドと現在のCIA

 ここ数十年、少数の例外を除き、ハリウッドは(主流メディアの多くと全く同様)CIAや、より広範に、軍産複合体の支店になっている。CNNのようなエセ通信社が、ボーッとしたアメリカ知識人に、エセ事実を紡ぎだす一方、ハリウッドは、話を語る重要な催眠術の威力を通して、被害者の心や想像力に影響を与え、そうしたニセの種が育つ肥沃土を用意するのだ。トム・クランシーの『エージェント:ライアン』、スピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』や、『レッド・スパロー』や『Bitter Harvest』は、ロシアを極悪非道な悪党として描き、CIAを勇ましく愛国的な高みに引き上げる最も人気が高いプロパガンダ映画の一部に過ぎない。

 アメリカ内の中国人学者に対する攻撃に至った、蘇った冷戦の脅威や、現役米国大統領対するクーデター未遂のさ中、オバマ政権がハリウッド幹部に「ロシア言説に反撃する」映画を推進するよう要求していたことが、不法侵入で得られ、ウィキリークスが公表したソニー・ピクチャー電子メールが動かぬ証拠を提供となり、全てが明らかにされた。

 ハリウッドが、大きな悪の勢力を演じることができるのと全く同様、カーク・ダグラスと協力者たちの小さなネットワークが、大きな善の勢力を、簡単に演じることができるのを示したのだ。これは正直と勇気の精神を示す映画は、知性の門番を回避して、特定状況下では、より良い愛国者、世界市民たり得る聴衆の内面的本質を撃つことができるのだ。

 そこで「このような冷戦ピークの世界史の暗い時期、カーク・ダグラスと彼の協力者の小さいながらも影響力を持った人々のネットワークが、一体なぜそれほど重要だったのか?」という重要な疑問がおきる。

 ブラックリストを終わらせる:ダグラスとトラン

 CNN追悼からの上記引用は、ハリウッドのブラックリストを終わらせるダグラスの取り組みをあげている。知らない方々のために言っておくと、ブラックリストというのは、ハリウッドの「不可触民」に与えられた名前だった。ジョセフ・マッカーシー上院議員とJ・エドガー・フーバーFBI長官の独裁的な指導の下で行われる、下院のファシスト非米活動聴聞会に協力するのを勇敢に拒否した作家や監督やプロデューサーたちだ。聴聞が終わるまでに、何百人もの人生が破壊され、アメリカ合衆国憲法を擁護したかどで実刑判決を受けただけでなく、釈放後も、何年にもわたり、雇用不能にされた、偉大なドルトン・トランボを先頭に、10人の主要メンバー、ハリウッド・テンが見せしめにされた。それだけでなく、彼らを雇用しているのが見つかった人々は誰であれ、類似の罰で脅された。

 厳しい現実にもかかわらず、1950年代、トランボはクレジットを入れず、二本、アカデミー賞を獲得し(『ローマの休日』と『黒い牡牛』)彼らの多くが偽名で働き続けた。

 この暗い期間中、勇敢な映画製作者たちは、トランボを中心に構成された、カーク・ダグラス、デイビッド・ミラー、ジョン・フランケンハイマー、スタンレー・クレイマー、バート・ランカスターや、プロデューサーのエドワード・ルイスのネットワークは、20年間、非常に親密に働いた。彼らが制作した作品は、新たに形成された「闇の国家」の土台を揺さ振る話題であるだけでなく、その自己満足が、国外での新しいパックス・アメリカーナ支配と、国内での、人種差別警察国家の形成を可能にしたアメリカ人の道義的感受性を目覚めさせようと努力していた。

 カーク・ダグラスは反戦名画『突撃』(1957)と『スパルタカス』(1960)を制作したブリナ・プロダクションズという彼自身の映画会社を設立し、これに素早く対応した。

 『突撃』は、第一次世界大戦中に、自爆作戦に従うのを拒否した数人のフランス兵士の不当な処刑の実話で、非合理的な戦争と、恣意的な政治的権力が手に負えなくなることに反対する強い声明になっていた。

 紀元前72年を舞台にした『スパルタカス』は、ローマに対し、2年間、自由の闘いを率いたトラキア奴隷の実話で、直接、アメリカの公民権運動、より広範には、反帝国主義の戦い語っていた。

 『スパルタカス』に、ブラックリストを終わらせる戦略上の潜在力があったのは、それがアメリカ最高の不可触民「共産主義支持者」ドルトン・トランボに書かれた事実にあった。トランボの実名を使うカーク・ダグラスのぎりぎり最後の決断は、大半の人々が理解しているより遥かに危険なもので、後年、ダグラスはこの時期について語っている。

「選択は難しかった。結果は苦痛を伴い、まさに本物だった。ブラックリスト時代、誰も雇ってくれないので、亡命した友人や、絶望で自殺した俳優がいた。『スパルタカス』に、ブラックリストに載せられた脚本家、友人ドルトン・トランボを起用すれば、私は「共産党支持者」というレッテルを貼られ、俳優としての私の人生は終わると脅された。人は信条を守るため立ち上がらなければならない時がある。不正に対して反対意見を述べるため、公的な影響力を使う同僚の俳優たちを私は誇りに思う。98歳で、私は歴史から一つの教訓を学んだ。歴史は、しばしば繰り返すのだ。私はトランボ、素晴らしい映画が、我々全員に、ブラックリスト時代は、アメリカの酷い時期だったのを想起させるよう願うが、我々がそれから学んで、決して再び起きないようにしなくてはならない。」

 新たに選出されたジョン・ケネディ大統領と弟のロバートが、映画を見るために反共産主義のピケラインを最初に越えて、更に、はっきりと映画を支持した時、ブラックリストの基盤は破壊され、15年間の恐怖の体系は轟音とともに崩壊した。

 ケネディ暗殺とトランボの復讐

 1963年のケネディの死は、アメリカを絶望、薬と狂気のらせんに陥れた。フランケンハイマーの『影なき狙撃者』(1962)や『5月の7日間』のような映画(1964)が、闇の国家によるアメリカ乗っ取りに光をあてようと試みたが遅すぎた。1960年代、ダグラス、エド・ルイス、トランボやフランケンハイマーは、『脱獄』『非情の町』『フィクサー』『ガン・ファイター』『セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身』『大列車作戦』『悪魔の弟子』『ジョニーは戦場へ行った』『ホースメン』などの映画で、しっかり協力し続けた。悲しいことに、文化的退廃はあまりにも深く根付いていて、1957-1964年という時期の密度が濃い創造的抵抗の芸術性に比肩するものは皆無だった。

 だが、一本のほとんど無名の映画は大いに傑出しているのに、ほとんど何も知られていないので、今、これに言及しなければならない。

 ケネディ暗殺10年後、トランボ、エドワード・ルイス、デイビッド・ミラー、マーク・レインとゲイリー・ホロウィッツは「トランボ最後の戦い」とも呼べる映画を制作した。この映画は『ダラスの熱い日』(1973)と呼ばれ、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺陰謀の主要なまとめ役として、カーク・ダグラス長年の協力者バート・ランカスターが主演した。以前ダグラスと『スパルタカス』を制作したエドワード・ルイスは、(ピッグズ湾攻撃の大失敗後に解雇された元CIA職員)プロ傭兵チームを三つ使い、ジョン・ケネディ暗殺を手配する寡頭体制支配者の陰謀団の話を語るこの映画の先頭に立った。信じられないほど良く調査された筋書きは、虚構を説得力ある事実で満たしており、ケネディ家と親しく、ニューヨーク州法律顧問で、公民権運動家(人種差別に対して戦うフリーダム・ライダーとして逮捕された唯一の議員)マーク・レインの著書に基づいていた。

 ジェームズ・ファリントン(ランカスター)と(ロバート・ライアンが演じる)徒党の指導者ロバート・フォスターの説得力ある対話の中で、ケネディ暗殺が必要な本当の理由、世界的人口減少が身も凍るような詳細で語られて、戦いが始まる。

 ここでフォスターは、ファリントンに、こう言う。

「ジェームズ、本物の問題はこれだ。20年で、この惑星の人口は70億人になるだろう。連中の大半は、茶色か、黄色か、黒人だ。彼ら全員飢えている。彼ら全員が愛すると決めている。彼らは、その温床から、ヨーロッパと北米に押し寄せるだろう。だから、ベトナムだ。そこで我々が徹底的に取り組むことで、我々が今後何十年も南アジアを支配できるようになる。適切な計画で、世紀の終わりまでに人口を5億5000万人に減らすことができる。私はデータを見て、知っているんだ。」

 ジェームズ:「我々は、まるで「最後の審判」台帳を読み上げる神々のようだな?」

 フォスター:「ああ、誰かがそれをしなければならない。この影響を受けた国々が良くなるだけではない。そこで開発されたテクニックは超過人口を減らすのに使える。黒人、プエルトリコ人、メキシコ系アメリカ人、困窮しがちな白人」。

 この映画は、大半のアメリカ映画館から排除されているが、いまだに、単独武装犯という言説に対する、最も直接的な、実に身も凍るような反論の一つで、私が古い記事「実現すべきだったJFKの未来構想を忘れない」で述べたように、ケネディ暗殺の根底にある楽天的な理念への恐れ、根深い新マルサス学派の狙いを、この制作者が知っていることを示す唯一の映画なのだ。

 現代世界で、巨大な政治力を持ったひと握りの集団が神の役を演じようとしている中、JFK暗殺を監督した連中の前任者が渇望していたのと全く同様、戦争と病気は、人類の自然状態ではなく、人口増加を抑制する手段なのだ。

 ダグラスの逝去を悼んでいる、そのマスコミとハリウッドこそ、人類に、寡頭政治の戦争、病気と飢えの世界的大流行を永久に終わらせる最後で最良の機会を提供するロシアと中国間の協調関係の確立や、月や火星に人間の永住植民地を建設する宇宙計画復活で、JFKの遺産が再生するのを、ひどく恐れているマルサス学派遺産の犯罪者だということを肝に銘じる価値がある。

 マシュー・J.L・エレットはジャーナリスト、講師、Canadian Patriot Review創設者。

 個々の寄稿者の意見は必ずしもStrategic Culture Foundationのものを意味しない。

記事原文のurl:https://www.strategic-culture.org/news/2020/02/09/leftist-neo-mccarthyite-witchhunters-hypocritically-mourn-the-death-of-kirk-douglas/

----------

 宗主国との安保体制が、属国化の根源だが、雑誌『世界』3月号にある吉田敏浩氏の記事、「砂川裁判最高裁判決」の呪縛は解けるか─日米安保体制を根本から問う国賠訴訟 によれば、第三回口頭弁論は、二月一二日。

2019年9月30日 (月)

1986年の核災害にまつわる連続ドラマ HBOの「チェルノブイリ」:スターリン主義の犯罪に代償を払うソ連の労働者階級

2019年6月15日
アンドレア・ピーターズ
wsws.org

 最近公開されたHBO-Sky UKの連続ドラマ「チェルノブイリ」は、1986年4月、ウクライナ-ベラルーシ国境近くのソ連原子力発電所で起きた核災害に関する価値ある物語だ。


チェルノブイリ大惨事

 スウェーデン生まれのヨハン・レンク監督と、作家・脚本家のクレイグ・メイジンは、原発施設の原子炉炉心を破壊して開け、西ソビエト社会主義共和国連邦とヨーロッパの広大な地域に放射性物質を噴出した爆発の恐るべき現実を効果的にとらえている。より大きな歴史の質問に関しては、レンクとメイジンの手には余るが、特に反ロシア・ヒステリーという現在の傾向の中で、概して、ソ連の人々に同情的な映画描写は注目に値する。

 チェルノブイリは、ソ連人科学者バレリー・レガソフ(ジャレッド・ハリス)が自殺の準備をするところから始まる。レガソフが原子炉メルトダウンに近いものへの対応を管理する上で、主導的役割を果たしたことを我々は知らされる。彼は出来事に関する記憶の音声記録を残して、保管預かりにし、核災害二年目の日に首をつる。ソ連秘密警察が彼を見つめている。


チェルノブイリのジャレッド・ハリス

 それから、チェルノブイリは、時間を遡り、1986年4月26日の恐ろしいものから始まって、レガソフの悲劇的終焉に導いた出来事を視聴者に辿らせる。その夜、発電所で、長らく延期されていた不完全に設計された安全性試験が、炉心を爆発させる一連の機能停止を引き起こす。

 要員は発電所で何が起きたのか理解できない。彼らの上司アナトリー・ディアトロフ(ポール・リッター)は傲慢にも愚かにも労働者の死をもたらす命令を出す。消防士は核爆発に対処するという、いかなる警告も、言うまでもなく、いかなる安全装備もなしで招集される。急性放射能障害が、50,000人の人々が暮らす近くのプリピャチ市の住民に打撃を与え始める。病院は圧倒される。当局は起きたことを認めようとしない。状況は制御が効かなくなる瀬戸際だ。


チェルノブイリで展開する大惨事

 出来事の本当の規模を隠そうと努めながらも、最終的に、ソ連幹部は資源を用意する。核放射性降下物が西ヨーロッパに漂流し、何が起こったかという疑念が欧米で生ずる。著名な無機化学者でソビエト社会主義共和国連邦科学アカデミー・メンバーのレガソフや他の人々が露出した炉心から吹き出す、封じ込められていない放射能に対処するため招かれる。広島規模の放射能放出が毎時続いている。何百万という人々を救うため、途方もない英雄的対策が、主に普通の男性と女性によって行われる。当局は事故原因と結果を隠蔽する彼らの取り組みを続ける。嘘といつわりが山盛りだ。チェルノブイリは、単なる大惨事ではなく、犯罪だ。

 連続ドラマを見る人は、現在、アメリカの政治家連中がアメリカ対外政策の必要な結果だと、警告し、約束している核ハルマゲドンに対して、誰も軽率な態度をとるまい。この点に関してだけでも、映画製作者は貢献している。この連続ドラマは、核戦争に付随して起こるはずの、ぞっとする現実のいくらかに対して、視聴者を敏感にさせる。

 ノーベル賞受賞者スベトラーナ・アレクシェーヴィッチが出版したドキュメンタリーの記述に大きく依存するチェルノブイリは、核災難と並んで、ソ連生活の様々な局面を効果的に描きだす。集合住宅群と庭と、春を楽しむことだけを願い、未来に期待している住民が暮らすプリピャチ市を見る。彼らの暮らしは破壊される。普通の人間には全く何の関心もない独りよがりの官僚連中が、弱い者いじめや、無関心や、うぬぼれや、視聴者は彼ら自身が招いたことだと感じる大惨事への対処の奮闘を交互に繰り返す。ソ連経済には酷く良くない何かがある。原発爆発は、一部は経費削減策の結果でもあるのだ。大惨事の要因となった設計上の欠陥は何年も前から知られていたが、秘密にされていた。何も世界の舞台で完全に承認されることができない、それで国は外国からの適切な支援を受けとることができない。

 それにも拘わらず、危機に陥ったこの社会は、大規模除染作業遂行になんとか成功する。一晩で何十万トンもの封じ込め材料が急送される。60万人のいわゆる人間「リクビダートル(清算人)」が全員退避した放射性物質降下地域に送られる。完全な核炉心溶融を防ぐため、鉱夫たちがシャベルだけでトンネルを掘り、放射能を受けながら、裸で24時間ぶっ通しで働く。(服を着るにはトンネルは余りに暑い。)新兵が放射線を浴びたペットを殺害する。働く兵士たちが、破壊された発電所の屋根から放射性瓦礫を手で取り去るのは最も恐ろしい光景の一つだ。

 一般に非民主的な政治組織の献身的な犠牲者として彼らが描写しているソ連の人々を、映画製作者は明らかに称賛している。だが連続ドラマには、反共産主義のステレオタイプをもてあそび、発揮する瞬間がある。プリピャチのよろめく老官僚が「レーニン主義」への献身を宣言し、誰も外に出られず、「誤報」を封じ込められるよう、都市封鎖を要求する。兵士たちはロボットのように話し、放射能の大混乱に対処するため、適切な保護なしで急派されながら、ソ連の大義への永遠の献身を宣言する。荒っぽい口調の鉱夫が、彼らの状況が、皇帝下の状況と等しいことを意味する皮肉を言う。避難を強いられた年配の小作農女性が国民迫害の点で等しいとされる過激主義とスターリン主義の類似を言う。


チェルノブイリ住民

 ここでの問題は、歴史的記述によれば、これらエピソードの一部は本当だが、その描き方の信ぴょう性ではない。こうしたものは視聴者に、1917年と1986年が直接つながっているかのような感覚を与える。これは誤っている。チェルノブイリ大惨事は、人による人の搾取から全人類を解放する最初の取り組みで、労働者階級が資本主義と封建制の両方を転覆させた1917年のロシア革命に起源を持っているわけではない。その起源はシステマティックに左翼反対派と、国際社会主義の平等主義の原則に献身した全ての人々を組織的に粛清したヨシフ・スターリンが率いた革命の裏切りにある。

 そのおかげで崩壊するまで、ソ連官僚は、労働者階級を征服し、その寄生虫として暮らし、労働者を食い物にしていた。彼らの寄生生活、特権と自己宣伝は、ソ連経済やインフラや社会的資源に対する巨大な税だった。不可能で反動的な「一国社会主義」構築という国家主義的政策に方向付けられて、スターリン主義者は国家的自給自足を基盤に、資本主義による包囲の圧力下で産業開発を追求した。彼らは国のエネルギー需要を満たす取り組みで、原子力をもてあそんだのだ。

 もちろん、連続ドラマが扱わず、おそらく扱うことができなかったチェルノブイリ大惨事の重要な局面は、その後で、起きたことなのだ。1991年12月末までには、ソ連邦は無くなっていたのだ。連続ドラマが実に根気強く、政治体制を支えようとしているのを見せるスターリン主義官僚とKGB工作員は、嘘と犯罪の重荷の下で崩壊し、ソビエト社会主義共和国連邦を消滅させたのだ。その過程で、多くのものがそうだったのだが、彼らは、確定化されていなかったあらゆるものを盗んだのだ。


チェルノブイリのラルフ・イネソン

 要するに、チェルノブイリの犯罪後、ソ連労働者階級が70年以上にわたって戦いとった全てのものを清算するという大罪が続いたのだ。結果は、大量失業、産業閉鎖、地方の過疎化、アルコール中毒の急増、平均寿命の下落、社会的不均等の大規模増大と広範囲にわたる人間の苦悩だった。労働者階級がその政治的独立を主張し、自身の権益を守ることが可能になる前に、ソ連官僚は、市場を復活させ、彼ら自身、ソ連後の資本主義で、経営者に変身したのだ。

 連続ドラマは、レガソフと同僚科学者のウリヤナ・ホミュク(エミリー・ワトソン)が原子力発電所技師たち(ディアトロフと他の何人かが最終的に刑務所に行った)だけでなく、ソ連体制をも告発する法廷場面で終わる。確かに裁判は行われたが、その内容は監督自身認めているが、連続ドラマでは正確には描かれていない。チェルノブイリ事故に対し、ソ連指導部は最終的に罰を受けておらず、ソ連労働者階級と官僚の間にも政治的対決がなかったはずがない。チェルノブイリに登場する共産党政治局員や諜報部員連中は、多くの場合、資本主義政権の使用人として、現在クレムリンを占拠し続けている。彼らは、1986年4月に起きたことで、脅迫されたように感じ続けている。HBO連続ドラマが大いに注目を集めたので、大惨事の責任を原子力発電所で働いてたアメリカ工作員になすりつけようとするチェルノブイリについてのロシア製連続ドラマ公開計画まであらわれている。


チェルノブイリのステラン・スカルスガルドとエミリー・ワトソン

 映画製作者は、手法として、スターリン主義を暴露する仕事を、二人の個人に委ねようとしたが成功していない。ウリヤナ・ホミュクという人物はこの目的で作られた。原子力研究者のホミュクはソ連当局に反抗し、官僚と対決し、科学の優越を断言し、秘密を暴露する。チェルノブイリ大惨事に対して実際に結集して対応した何百人もの科学者の代役として映画製作者によって作り出されたこの人物による説得力のないプレゼンテーションは、連続ドラマの一つの傷であり、最も弱い要素の一つだ。

 映画は、ワトソンという人物を通して、真実を語り政権に抵抗する個人活動家の物語に後退しているが、チェルノブイリの結果から人類を救うために働いた全ての人々に対して、いささかひどい仕打ちだ。映画で、チェルノブイリへの対処におけるソ連と、国際的な科学界の関与を、映画で描こうとしていたら、極めて困難だろうが、価値あるものになったはずだ。ソビエト社会主義共和国連邦における資本主義復活の結果としてのソ連科学の大規模な破壊を考えれば、失われたものの、ずっと深い感覚を観客に吹き込めたはずだ。

 概して「チェルノブイリ」は、それが獲得している関心と熱狂的支持に値する。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2019/06/15/cher-j15.html
----------

 日本でも、今、この連続ドラマが、放送されているようだ。アメリカ出張中に書店で見かけて読んだSF作家フレデリック・ポールの『チェルノブイリ』を思い出す。日本語にも翻訳され、文庫にもなったが絶版。パソコンのそばには、今も高木仁三郎氏の『チェルノブイリ最後の警告』がおいてある。

 重要な登場人物の架空の女性、番組日本語版ではウラナ・ホミュークとなっている。聞いたことが無い名前なので、英語版を見ると、ウリャナ・ホミューク。納得。

 スターリンが指導していた第三インターナショナルに対抗して、トロツキーの呼びかけで結成された第四インターナショナル系団体のサイトwsws記事ゆえ、ソ連、ロシアには極めて辛口。ロシアの視点からのこの映画評価は、たとえば下記RT記事をお読み願いたい。

Gorbachev says he will watch new hit HBO ‘Chernobyl’ show

As Chernobyl nuclear disaster feeds TV drama, is Ukraine looking at a real-life re-run?

Should HBO’s ‘Chernobyl’ have had more actors of color? Twitter suggestion met with ridicule

'Chernobyl' is a blast of a TV series – but don’t call it ‘authentic’

 映画が依拠したアレクシェーヴィッチ女史の本は『チェルノブイリの祈り』を含め、いくつか読んでいる。強烈な反ロシア。今に日本でも放映されている、このシリーズ、有料テレビには加入していないので、見ずに終わりそう。『チェルノブイリの祈り』は講談でも有名。拝聴したような気がする。

 我が身に置き換えれば、「新自由主義売国奴の犯罪に代償を払う日本の労働者階級」 

 2011年4月19日に書いた記事(翻訳にあらず)「O・J・シンプソン-プルトニウムファイル、そしてチェルノブイリ極秘」で触れた『チェルノブイリ極秘』にあるロシア権力者の行動を子細に読めば、日本の与党政治家、官僚、学者専門家と称する連中と、マスコミで構成される「原子力マフィア」の事故以来の行動、ほとんど予測可能。

 ソ連の支配政党、ソ連共産党は事故隠蔽の当事者だが、日本では違う。電源喪失で原発事故が起きると質問主意書で的確に警告したのは元日本共産党衆議院議員吉井英勝氏、それに対し、「外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である。」と答えたのが日本の与党の現総理大臣。答弁本文はこちら。下記記事でも彼のとんでも答弁の一部をコピーした。どちらが正しかったか、明白。

 原子力エンジニア: 福島は“世界史上最悪の産業上の大惨事… 想像出来る限りの地獄のようなもの” - 溶融核燃料は‘行方不明’ - 汚染は何十万年も続く… “いつ終わるのか誰にもわからない” - 政府は隠蔽を継続している(ビデオ)

 洗脳電気パネルで、今日から新番組が始まるという。見る予定なし。司会者と番組名の組み合わせが余りにも皮肉。アメリカ赤狩り旋風の中、果敢に戦った立派なキャスター、エドワード・R・マローを主人公に制作されたアメリカ映画は題名が『グッドナイト&グッドラック』。赤狩りと戦うどころか、傀儡連中の提灯持ちが看板、しゃれにならない。

 2010年4月21日に公開した記事「9/11後のマスコミにおける、現代版赤狩り」もマローに触れられているた。マローについては『やむをえぬ事情により… エドワード・マローと理想を追ったジャーナリストたち』という本もある。

 あきれた連中による、あきれた行為が日刊IWJの見出し。

日刊IWJガイド「ツイッターで『自民党員』を名乗る人物があいちトリエンナーレ事務局に恫喝電話をしていた! 『脅迫を受ける可能性があったのに報告しなかったから』補助金を交付しないとした萩生田光一文科相!自民党員の脅迫で言いがかりをつけ、自民党の大臣が補助金を交付しないと決める犯罪的手口! #自民党のマッチポンプ !?」2019.9.30日号~No.2573号~(2019.9.30 8時00分)

2019年9月19日 (木)

エンターテイメントは国防だ。ロシアが銃ではなく弾薬しか持っていない理由

ティム・カービー
2019年8月31日

 ある種の遺伝的な運のおかげで、私は講演するのに何の恐怖もなく、実際、私にとっての第二言語ロシア語で、私の考えをどう聴衆に伝えられるかという面白い挑戦だと考えている。かなり長い間ロシア・メディアで働いた者として、私は結構頻繁にメディアの影響力と情報戦争についての講演を依頼される。愛国的なロシア知識人は彼らの国が、再び、強力になり、尊敬されるには、強い軍隊が必要だと考えているようだ。彼らは、支配的な(欧米)主流メディアと競合するために、言説をつむぎだす自国のニュース・メディアがソフト・パワーの重要な側面だということも分かっている。だが私が、ソフト・パワーの側面としてのエンターテイメントの重要性に言及すると、必ず微笑と笑いが始まる。ロシアの自称知識人は誰も、娯楽が潜在意識に深い影響を与える事実を信じることができない、ロシアが超大国に上昇するのを押しとどめているのは、ロシアが全国的にこの事実を否認していることだ。

 軍事的ハード・パワーであれ、ハイテク産業のソフト・パワーや他の指標であれ、いろいろな意味で、我々が現在暮らしている世界では、地図上のグローバル戦力投射という点では、アメリカ/NATOが首位で、自国内を完全支配しながらも、国境外では微力な中国が二位で、旧ソ連地域の拠点を含め多少の外国への影響力を持つロシアが大きく水をあけられて三位だ。これら地政学プレーヤーのビッグスリーを見れば(ロシアは、かなり遅れた銅メダル保持者だ)、我々が暮らしている現実を反映する世界の全体像が見える。だがエンターテイメントの話となると、ロシアは本質的に等外臣下だ。

 通貨価値の相違を考慮に入れずに、大雑把に言えば、世界で最も収益を上げる映画生産国上位10位のうち、6カ国が欧米で、世界映画興行収入は合計約7400億ドルになる。驚くまでのこともなく、このうち一番大きい部分はアメリカだ。そして誰もが想像する通り、アングロサクソンのすぐ後には、中国がいつもの銀メダルの地位にいる。

 ところがロシアは、全世界映画興行収入ランキング15位で、この事実はロシア国防の巨大な穴と、将来発展の可能性のなさを示している。

 強力な自国エンターテイメント産業を持たないことの危険について、かつて友人のエジプト人が私に図星のことを言った。

「揺りかごから墓場までハリウッドの影響下にいてさえ、若者の95%は自国文化の中にいて、欧米の服は着るかもしれないが、彼らの心はエジプト人のままだ。ところが全国の若者の5%が、外国のご主人に仕える「アメリカ人」になり、この5%というのは、どんなカラー革命であれ、始めるための最小必要人数だ」。

 そして文明的構想を投射する手段を持っていないのはロシアにとって危険で、他の国が自分の構想を、絶えずロシアに対して投射し続けており、何らかの考え方と何も考えないものとの選択という条件では、若者は、たとえそれが外国のもので異質であっても、ある種の考えに飛びつくだろう。何か信じるべきものがあるのは何もないより良いのだ。

 国じゅうにおける小規模抗議行動の多くの原因になっているのは、短期的には、ある種の「ロシアの夢」や「ロシア新世紀プロジェクト」の欠如だ。政府は外国人は言うまでもなく、自国民に提供すべき精神的、イデオロギーなものを何も持ち合わせておらず、これは大きな弱点だ。若者が彼らは自由ではない耳にし、自由が素敵に聞こえるが、自由の対抗構想はなく、彼らの自由の理念は、欧米が彼らにそうだと言っているものなのだ。

 地球上の全ての子供がスターウォーズ/ディズニーの自由主義価値観に洗脳され、全員(少なくとも子供は)アニメを何本か見ており、Facebookは愚かなボリウッド映画クリップで満ちている、ところが世界的規模で見ると、事実上誰も、いかなるロシア映画も見ていない。エンタテインメントに関しては、属国日本や貧困に苦しむインドは、ロシアより何光年も先を行っている。

 「自由を認めない民主主義」や「多極主義」や「第四の政治理論」という考えは、現代ロシアの知的会話の核心にあり、驚くべきイデオロギー的可能性があるが、これらの考え方は、PRや、構想として、それを大衆と共有する手段を持っていない。外国人は大抵決して「アメリカン・ドリーム」を言葉で表現できないが、彼らが見た全ての映画のおかげで彼らの心の中でその概念を持っているのがわかる。自由主義の世界構想は、ハリウッドのおかげで世界で大々的に宣伝されているが、一方、ロシアは、その考えを共有すべきたくさんの白書を書くことで変化を起こしていると信じるシンクタンクが円卓会議で議論している。落とし穴は彼らがこの方法は全く何も悪くはないと考えていて、彼ら自身ネットフリックスが毎日提供するあらゆるゴミを消費しながら、私をあざ笑っていることだ。

 ロシアは自身を守り、超大国の座にロシアを引き上げる構想を推進するイデオロギーの文化的 / 知的攻撃手段は持っているのだが、問題はそうした弾薬を使用するために装填すべきいかなる種類の「銃」(娯楽媒体)も欠如しているのだ。だがなぜそうなのか、ロシアは、なぜ国際的に成功するための映画を制作する能力がないのだろう。

  • 政府や私をあざけり笑うタイプの人々は、エンターテイメントが国防の重要な部分だと言うことに対し、技術系官僚の見地から世界を見ている。核弾頭ミサイルと、その「影響」は専門技術者が理解するのが容易で、各国の「青年の5%」を説得するため、世界にロシアの魂を投射する映画を制作する価値は、彼らが理解するには余りにも抽象的なのだ。彼らは創造的な人々ではなく、彼らは構想を持った人々でもなく、彼らは事態を破綻させずにおくために存在している会計担当者連中だ。連中は、人々がアルコールを飲む量を最適化するための一連の法律なら考え出せるが、なぜ飲んではいけないかというイデオロギー的理由は考え出せないのだ。
  • ロシア人は潜在意識に対処する必要があると思わないのだ。外国人への全てのメッセージは公式に専門のニュース・メディアに行われるべきなのだ。この観点は、感情に訴える広告やマーケティングの方法とは正反対だ。ロシア人は感情的な娯楽メディアを通して潜在意識に訴えるのを拒否しているのだ。
  • ロシア映画産業は、ロシアとロシアのもの全てが嫌いで、世界中の何百万人もの普通の人々の生活に触れるのではなく、カンヌでトロフィーを渡す部屋いっぱいの薬物中毒の変質者連中の拍手喝采に会うため、アートシアター映画制作を好むリベラル派だらけの閉ざされたネットワークだ。
  • 正典と認めた、あるいは部分的に正典と認めた投射すべきイデオロギー/世界観をロシアは持っていない。定式化された「ロシアの夢」や「ロシアの構想」は存在しない。この種のイデオロギー・プロジェクト制作は、政府の見地からして、非常に限られた資金で、数カ月以内に完成できるはずなのにもかかわらず。

 強力な国家は強力な文化的構想を投射する。以上終わりだ。オバマが言った通り、ロシアの構想やロシアの夢を示せるエンターテイメント・メディアを制作できない限り、ロシアは常に「地域大国」のままであり続けるだろう。21世紀大国の本当の兆候は、その国の文化的構想の真髄を含んだエンタテインメントを制作する能力だ。もし自国文化についての映画やビデオゲームを制作できなければ、その文化はおそらくグローバル化世界での生き残りには適していないのだ。

 私は背広を着た有力な男性たちに、国防のためのエンターテイメントの価値について、10年間笑われた後、彼らの一人が目を覚まし、私が正しいと悟り、私に機会を与え、これを改める資金調達するように希望することができるだけなのだが、悲しいことに、ロシアが、ハリウッド/ワシントン・エンターテイメントの家臣のままでいることに満足している以上、更に何十年か嘲笑され続けるかもしれないと私は思う。

 ティム・カービーは独立ジャーナリスト、TV・ラジオ司会者。

記事原文のurl:https://www.strategic-culture.org/news/2019/08/31/entertainment-is-national-defense-why-russia-has-ammo-but-no-gun/

---------

 エンタテインメントは与党防衛だ、という所もある。自国民の生活のためではなく、宗主国支配層のために奉仕するのがお仕事の人々、まともな視察さえせずに平然としている人々の防衛。呆導は猟奇事件と、隣国批判専門。コールド・ジャパン。宗主国のための自国破壊の点では秀逸。

 孫崎享氏の今日のメルマガ題名

財務省8月の貿易統計発表。対中国輸出6か月連続で前年割れ。韓国向けの輸出額は9・4%減。中国経済が減速したとは言え、8月の工業生産が前年同月比4.4%増。日本の対中、対韓国政策が響いている。対中国は中国企業の%G導入取りやめ。その点の言及は沈黙。

 そして、いまだに停電中の方々が多数おられる状態。

日刊IWJガイド「本日、午後8時より『熊本・大分大地震 総集編 2016.9.6 前編』を、明日午後8時より『熊本・大分大地震 総集編 2016.9.6後編』を再配信します! 現在進行中の千葉大災害と合わせ鏡のように観ることで、報道はなぜ支援と兼ねて行うことができないとされていたのか、『客観報道』という欺瞞をつきます!」2019.9.19日号~No.2562号~(2019.9.19 8時00分)

 

2018年7月30日 (月)

北朝鮮ドキュメンタリー映画を読者に公開

2018年7月27日
Andre Vltchek

 これは北朝鮮に関する私の短編映画だ。映画は長引かせる必要はなく、引き延ばす必要もない。ただ皆様にご覧頂きたい。

 北朝鮮の顔

 これは私が比較的最近訪れた国、朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮)についての25分の作品だ。訪問し、愛し、感銘を受け、率直に言って、敬服した。

 これを‘ドキュメンタリー’と呼べるかどうか私は本当にわからない。たぶん違う。単純な話だ。平壌のローラースケート場で、私は小さな繊細な少女に会った。あの子はいくつだろう? わからない。おそらく四歳か五歳だ。あの子は最初、母親にすがりついていたが、更に韓国人の鄭己烈(Chung Kiyul)教授、ラムゼイ・クラーク元司法長官にまで。それから、無邪気に手を振り、時折私や私たちを、あるいはただ振り返りながら、あの子はスケートしながら去っていった。

 突然私はあの子のことが心配になった。ほとんど、ある種の身の危険のようなものだった。たぶんパニックのような不合理なものだが、良くわからない。

 彼女には何か悪いことが起きて欲しくはなかった。アメリカの核兵器が彼女の周囲に落下し始めて欲しくはなかった。彼女には、哀れなベトナムや、イラクやアフガニスタンの子供たち、欧米による暴虐の犠牲者のような最期になって欲しくはなかった。化学兵器、劣化ウランやクラスター爆弾。“他者”をただ憎悪する執念深い狂人連中が国連経由で押し通す狂気の経済制裁のおかげで、彼女が飢えて欲しくはなかった。

 そこで北朝鮮で見たものについての短い映画を制作した。平壌のローラースケート場のあの幼い少女のために制作し、捧げる映画だ。

 朝鮮民主主義人民共和国で映像を撮っていた撮影時、欧米や日本や韓国による戦争や攻撃、あり得るし、可能性が高そうだった。

 しばらくしてベイルートで、レバノン人編集者と編集していた時、アメリカのドナルド・トランプ大統領が“北朝鮮を始末する”と威嚇した。彼が意味していることは明らかだ。トランプは‘正直な人物だ’。映画の中で私は彼を‘マネージャー’と呼んでいる。彼はアインシュタインではないかも知れないが、いつも、それぞれの時点で、彼は思っていることを言っている。ヤクザ・スタイルで。

 500年以上の残虐な植民地主義戦争や十字軍の後、欧米を本気で信じてはいないが、今この拙作を公開する時期、シンガポール・サミット後、事態はより明るく見える。‘マネージャー’が金委員長が好きだというのは、おそらく正直なのだろうが、またしても明日にはまた‘正直’になって気が変わり、彼の手をへし折りたいと宣言するかも知れない。

 急ぐべき時だと思う。急いで、北朝鮮がいかに美しく、その国民がどれほどりりしいかをできるだけ多くの人々に見せるべき時だ。

*

 映像を“売ったり”“権利を売ったり”して、私の他の国際プロジェクトのために多少お金を稼げるかも知れないが、そうなると、ずっと時間がかかり、ごく限られた数の人々しか見られなくなるだろう。

 世界の中でも私の好きなメディアの一つ - New Eastern Outlookでこのように公開することで、映画では何も稼げずゼロだが、こういう形で公開するのは私の義務だと思う。作品が多くの人々に見られて、欧米や日本に対する圧力、既に途方もないほど苦しんできた人々を威嚇するのを止めさせる圧力が高まるといいのだが!

 進行中の作品(現在、二本の長編ドキュメンタリーを制作中で、一本は、ほぼ二十年のNATO占領後のアフガニスタン、もう一本は、カリマンタン/ボルネオでの、ほとんど徹底的な環境破壊に関するものだ)を含め、私の映画をどなたかがご支援されるのであれば、ここでできるだろう。だが無理にはお願いしない。この映画や、私が間もなく徐々に公開する他の映画をお楽しみ頂きたい。

*

 その間も、北朝鮮は存続している。

 欧米は次に何をするか計算している。こうしたことに私は良い感じがしていない。私が間違っているよう願う。これが真剣な和平プロセスの始まりであるよう願う。

 だが私は、都市や国々や大陸丸ごとの、余りに多くの廃墟を見てきたような気がする。その大半は、様々な‘和平プロセス’の後、爆撃され、がれきと化した。大半は何らかの妥当な合意に達し、調印した後、爆弾やミサイルが飛び始めたのだ。

 北朝鮮に同じことが起きて欲しくはない。ローラースケート場で出会ったこの少女が消滅して欲しくはない。

 私が今回していることはたいしたことではないが何事かではある。この危険な状態では、ほとんどあらゆることが重要だ。たとえごく些細なことでも全員“何か”をしよう。雨は水滴でできているが大きな火事を止められる。今回は狂気を止めるべくやってみよう。

 アンドレ・ヴルチェクは哲学者、作家、映画制作者、調査ジャーナリスト。彼は、Vltchek’s World in Word and Imagesを制作しており、『大10月社会主義革命』を含む多数の本の著者でもある。オンライン誌“New Eastern Outlook”への独占寄稿。

記事原文のurl:https://journal-neo.org/2018/07/27/releasing-my-north-korean-documentary-film-to-my-readers/

-----------

 夜のある呆導番組、最近の劣化のひどさにおどろいていたが、リテラの記事で納得。
見ていた番組の司会者たちが、ことごとく下ろされ、提灯持ち連中に交代したのはしばらく前の話。完全な大本営広報部と化したあの呆導番組、もう見ることはない。

 "LGBTは生産性がない"発言を擁護するような御用タレントしか大本営広報部は使わない。

日刊IWJガイド「【ワイルドサイドを行こう!~IWJファンドレイジング in Hot Summer 2018】昨日29日は台風が心配されましたが、無事にIWJファンドレイジングイベントを開催することができました!/<本日の再配信>本日午後8時より、『問題だらけの治水事業! 西日本豪雨被害は天災ではなく人災!? 大都市圏を豪雨が襲うリスクに迫る!岩上安身による拓殖大関良基教授+ジャーナリストまさのあつこ氏インタビュー(その1)』を冒頭のみフルオープンで再配信します!/他」2018.7.30日号~No.2146号~

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

911事件関連 Andre Vltchek Caitlin Johnstone Eric Zuesse Finian Cunningham GMO・遺伝子組み換え生物 ISISなるもの James Petras John Pilger Mahdi Darius Nazemroaya Mike Whitney Moon of Alabama NATO NGO Pepe Escobar Peter Koenig Prof Michel Chossudovsky Saker Stephen Lendman Thierry Meyssan Tony Cartalucci TPP・TTIP・TiSA・FTA・ACTA Wayne Madsen WikiLeaks William Engdahl wsws アフガニスタン・パキスタン アメリカ アメリカ軍・基地 イスラエル イラク イラン インターネット インド ウォール街占拠運動 ウクライナ オセアニア・クアッド オバマ大統領 オーウェル カジノ カナダ カラー革命・アラブの春 ギリシャ クリス・ヘッジズ サウジアラビア・湾岸諸国 シェール・ガス・石油 シリア ジーン・シャープ ソマリア ソロス チベット チュニジア・エジプト・リビア・アルジェリア テロと報道されているものごと トヨタ問題 トランプ大統領 トルコ ナゴルノ・カラバフ ノーベル平和賞 バイデン政権 パソコン関係 ヒラリー・クリントン ビル・ゲイツ ベネズエラ ベラルーシ ホンジュラス・クーデター ボリビア ポール・クレイグ・ロバーツ マスコミ ミャンマー ユダヤ・イスラム・キリスト教 レバノン ロシア 中南米 中国 中央アジア 二大政党という虚構・選挙制度 伝染病という便利な話題 北朝鮮・韓国 地球温暖化詐欺 地震・津波・原発・核 宗教 憲法・安保・地位協定 授権法・国防権限法・緊急事態条項 文化・芸術 新冷戦 新自由主義 日本版NSC・秘密保護法・集団的自衛権・戦争法案・共謀罪 旧ユーゴスラビア 映画 東ヨーロッパ・バルト諸国 東南アジア 民営化 無人殺戮機 田中正造 英語教育 読書 通貨 選挙投票用装置 難民問題 麻薬 麻薬とされるマリファナについて

お勧め

  • IWJ
    岩上安身責任編集 – IWJ Independent Web Journal

カテゴリー

ブックマーク

最近のトラックバック

無料ブログはココログ