映画

2017年10月 4日 (水)

歴史の抹殺

John Pilger
2017年9月21日
johnpilger.com

アメリカ・テレビ界で、最も大宣伝されている“イベント”の一つ『ベトナム戦争』が、PBSで始まった。監督はケン・バーンズとリン・ノヴィックだ。南北戦争、大恐慌や、ジャズの歴史のドキュメンタリーで称賛されているバーンズは自分のベトナム映画について、“ベトナム戦争について、わが国に、全く新しい形で、語り、考え始めさせるものだ”と語っている。

歴史的記憶を失い、アメリカ“例外主義”プロパガンダのとりこになっていることが多い国で、バーンズの“全く新たな”『ベトナム戦争』は“壮大な歴史的事業”として提示されている。気前の良い宣伝活動では、1971年、カリフォルニア州サンタ・バーバラで、憎悪されていたベトナム戦争の象徴として、学生に焼き討ちされた、この映画最大の支援者、バンク・オブ・アメリカを宣伝している。

バーンズは“わが国の退役軍人を長年支援している”“バンク・オブ・アメリカの全員”に深く感謝すると述べている。バンク・オブ・アメリカは、おそらく400万人ものベトナム人を殺害し、かつては豊かな土地を荒廃させ、汚染した侵略の支援企業だ。58,000人以上のアメリカ兵士が死亡し、ほぼ同数の人々が自ら命を絶ったと推測されている。

第一話をニューヨークで見た。冒頭から意図は明らかだ。ナレーターは、戦争は“重大な誤解、アメリカの自信過剰、冷戦の誤解から、まっとうな人々により、誠意で始められた”と語る。

この発言の不誠実さは、驚くべきものではない。ベトナム侵略へと招いた身勝手な“偽旗事件”のでっちあげ、記録に残る事実 - バーンズが真実だとする、1964年のトンキン湾“事件”は、その一つに過ぎない。ウソが大量の公式文書、特に、偉大な内部告発者ダニエル・エルズバーグが、1971年に暴露したペンタゴン・ペーパーを満たしている。

誠意などなかった。誠意は腐敗し、不治のものになっていた。私にとって - 多くのアメリカ人にとっても、そうに違いないが - 映画の“赤の危険”地図の寄せ集めや、インタビューされる正体不明の人々や、不適切に切り取られた公文書や感傷的なアメリカの戦闘場面を見続けるのは困難だ。

イギリスでの、このシリーズのプレスリリースは -- BBCがこれを放映する -- アメリカ人死者にだけふれ、ベトナム人死者への言及皆無だ。“この恐ろしい悲劇の中で、我々全員何らかの意味を探っています”とノヴィックが言ったとされている。何ともポスト・モダンなことだ。

アメリカ・マスコミや、巨大大衆文化企業が、20世紀後半をいかに修正し、提供しているかを見てきた人々にとって、これは皆お馴染みだ。『グリーンベレー』や『ディア・ハンター』から『ランボー』に至るまで、そして、そうすることで、続く侵略戦争を正当化した。歴史修正主義は決して止まることはなく、血は決して乾くことはない。侵略者は哀れまれ、罪を清められ、“この恐ろしい悲劇に何らかの意味を捜そうとする”。ボブ・ディランを思い出す。“どこに行っていたのか、青い目の息子よ?”

ベトナムでの若い記者としての自分自身の直接体験を思いだしながら“品位”と“誠意”について考えた。ナパーム弾攻撃を受けた農民の子供たちの皮膚が、古い羊皮紙のようにはがれ落ち、次々と投下される爆弾で、人肉を貼り付けたまま、木々を石化するのを催眠術にかかったように見つめていた。アメリカ司令官のウィリアム・ウェストモーランド大将は、ベトナムの人々を“シロアリ”と呼んだ。

1970年始め、ソンミ村で、347人から、500人の男性、女性や幼児がアメリカ軍に殺害された(バーンズは“殺人 killings”という表現を好んでいる)クアンガイ省に私は行った。当時、これを逸脱行為と装っていた。“アメリカの悲劇”(Newsweek )。この一省だけでも、アメリカの“自由発砲地帯”だった時代に、50,000人が虐殺されたと推計されている。大量殺人。これはニュースにならなかった。

北のクアンチ省には、第二次世界大戦中にドイツ全土に投下されたよりも多くの爆弾が投下された。大半アメリカが“守る”と主張した“南ベトナム”で1975年以来、不発弾で、40,000人以上の死者を出しているが、フランスが、唯一の帝国主義策謀と見なされている。
ベトナム戦争の“意味”は、アメリカ先住民に対する大量虐殺作戦、フィリピンにおける植民地主義虐殺、日本への原爆投下、北朝鮮のあらゆる都市を真っ平らにしたことの意味と何らかわらない。その狙いを、グレアム・グリーンが『おとなしいアメリカ人』の主人公で依拠した有名なCIA職員、エドワード・ランスデール中佐が語っている。

Robert TaberのThe War of the Fleaを引用して、ランスデールはこう言った。“降伏しようとしない武装反抗勢力連中を打ち負かす手段は一つだけで、皆殺しだ。レジスタンス勢力を匿っている領土を支配する手段は一つだけで、そこを砂漠に変えることだ。”
何一つ変わっていない。9月19日に、ドナルド・トランプが、 - 人類を“戦争の災い”から救うべく設立された機関 - 国連で演説した際、彼は北朝鮮と、その2500万人の国民を“完全に破壊する”“用意があり、進んで、実行が可能だ”と宣言した。聴衆は息をのんだが、トランプ発言は聞き慣れないものではない。
大統領選挙での彼のライバル、ヒラリー・クリントンは、人口が8000万人以上の国イランを“跡形もなく破壊する”用意があると自慢した。これがアメリカのやり方だ。今回足りないのは婉曲表現だけだ。

アメリカに戻って、街頭でも、ジャーナリズムでも、芸術でも、かつては“主要マスコミ”でも許されていた反対意見が、反体制派に退行したかのように、沈黙と反対派の不在に衝撃を受けた。地下運動も同然だ。

おぞましき人物、“ファシスト”トランプについては、がやがやわやわや、すさまじいが、トランプ現象や、征服と過激主義の体制永続という下手なマンガ状態に対しては、がやがやわやわやも、ほとんど皆無だ。

1970年、ワシントンを埋め尽くした偉大な大規模反戦抗議行動の亡霊はどこに行ったのだろう? 1980年、マンハッタンの街頭を埋め、レーガン大統領に、ヨーロッパから戦術核兵器を撤去するよう要求した核兵器凍結運動のようなものはどこに行ったのだろう?
これら偉大な運動のエネルギーと道徳的なこだわりは、かなり成功した。1987年、レーガンは、ミハイル・ゴルバチョフと、中距離核戦力全廃条約(INF)をとりまとめ、それで事実上、冷戦は終わった。
最近、ドイツ新聞ジュートドイッチェ・ツァイトゥング(南ドイツ新聞)が入手した秘密NATO文書によれば、この重要な協定は、“核標的計画が増強された暁には”廃棄される可能性が高い。ドイツ外務大臣シグマール・ガブリエルは、こう警告した。“冷戦の過ちを繰り返すこと … ゴルバチョフとレーガンによる素晴らしい軍縮協定は、ことごとく深刻な危機にある。ヨーロッパはまたしても核兵器用軍事教練場となる脅威にさらされている。我々はこれに反対の声をあげねばならない。”

アメリカでは、そうではない。昨年の大統領選挙戦で、バーニー・サンダース上院議員の“革命”に参加した何千人もの人々は、これらの危機に団体で沈黙している。世界中でのアメリカによる暴力の大半が、共和党やらトランプのような突然変異体やらによってではなく、リベラルな民主党によって行われている事実は、タブーのままだ。
バラク・オバマは、近代国家リビアの破壊を含め、七つの同時並行する戦争で、大統領記録の極致を示した。選挙で選ばれたウクライナ政府を、オバマが打倒し、望んでいた結果を得た。1941年、そこを経由し、ナチスが侵略したロシア西国境地域の国へのアメリカが率いるNATO軍の集中だ。
2011年のオバマによる“アジア基軸”は、中国と対決し、挑発する以外の何の目的もなしに、アメリカ海軍と空軍の大半をアジア太平洋に移行する合図だった。ノーベル平和賞受賞者による世界中での暗殺作戦は、まず間違いなく、9/11以来最大規模のテロ作戦だ。

アメリカで“左翼”として知られているものは、実質的に、組織権力最悪の深奥部、つまり、何の証拠もなく、2016年大統領選挙への介入とされるものを理由に、トランプとウラジーミル・プーチンとの間の平和協定を見送らせ、ロシアを敵として復活させたペンタゴンとCIAと組んでいる。
本当のスキャンダルは、アメリカ人の誰も投票していない、戦争を起こす邪悪な既得権益による陰険な権力掌握だ。オバマのもとで、ペンタゴンと監視機関が、急に支配力を掌握したのは、ワシントンにおける歴史的な権限移行だ。ダニエル・エルズバーグは、適切にも、これをクーデターと呼んだ。トランプを動かしている三人の将軍が証人だ。
ルシアナ・ボーネが印象的に述べたように、こうしたことの全て“アイデンティティ政治というホルムアルデヒドにすっかり漬かったリベラル連中の脳味噌”には貫通し損ねている。性や肌の色とは無関係に所属する階級ではなく、商品化され、マーケティング実験済みの“多様性”が、リベラル派の新ブランドだ。全ての戦争を終わらせるための残虐な戦争を止める全員の責任ではなく。
ブロードウエイでの、トランプをビッグ・ブラザーとして描いた背景幕前で演じる、不満を抱く人々向けのヴォードビル・ショー、Terms of My Surrender(私の降伏条件)で“一体どうして、こんなことになったのだろう?”とマイケル・ムーアは言った。

彼の故郷、ミシガン州フリントの経済的、社会的破綻に関する『ロジャー&ミー』や、アメリカ医療の堕落を探る『シッコ』などのムーアの映画には敬服している。

私が彼のショーを見た夜、喜んで乗る観客たちは、彼が“我々は多数派だ!”と請けあい“ウソツキで、ファシストのトランプ弾劾!”を呼びかけると大喝采した。彼が言いたいのは、もし鼻をつまんで、ヒラリー・クリントンに投票していたら、人生は先が読めていたはずだということのようだ。

彼は正しいのかも知れない。トランプがしているように世界に向かって暴言を吐く代わりに、偉大な絶滅屋だったら、イランを攻撃し、彼女がヒトラーになぞらえたプーチンにミサイルを撃ちこんでいた可能性がある。ヒトラー侵略で亡くなった2700万人のロシア人のことを考えれば、とんでもない不敬だ。

“聞いて欲しい”ムーアは言った。“わが政府がしていることは別として、アメリカ人は、実際世界に愛されている!”

客席は静まり返った。

記事原文のurl:http://johnpilger.com/articles/the-killing-of-history
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マイケル・ムーア監督で、今の時点で思い出すのは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』。

孫崎享氏の今朝のメルマガ・タイトル、今行われていることの的確な要約。

衆議院選挙で「希望の党」に担わされた課題。「リベラル」潰し。立憲民主党が立ち上げメンバーには対立候補。野田、岡田、安住、江田の選挙区には、候補者立てず。要するに改憲反対派を潰す役割を希望の党が実施

本文も一部コピーさせていただこう。

9:日刊スポーツは、「百合子氏のホントの腹は「自民と連立組む」/地獄耳」という記事を掲載した。たぶんそういうことであろう。

10:「希望の党」の動きを見れば米国の影が見える。

11:集団的自衛権、つまり米軍戦略のために自衛隊を海外に派遣するシステムに対して、共産党以外の議員は徹底的に排除しようとしていtる。反対勢力が共産党にだけなれば、「共産党がり」はそう難しい事でない。

決して大本営広報部が歪曲して呆導する、モリカケ対、緑のタヌキ 対、リベラルの三項対立ではない。大本営広報部、本当に罪深い組織。かつて、太平洋戦争をあおり、今、宗主国侵略戦争派兵を推進する。

IWJの岩上安身氏による福島瑞穂氏インタビュー、「希望の党」はリベラル派排除し「大政翼賛会」を作ろうとしている!? 改憲による「緊急事態条項」絶対阻止!「共闘」で3分の1議席数を!~岩上安身による社民党 福島みずほ参議院議員インタビュー! 2017.10.2もうおっしゃる通り。必見。
大本営広報部の歪曲呆導と全く違う。大本営広報部歪曲呆導にあらわれるファシストの有象無象のウソ発言、音を消しても字幕がでたりするので、テレビに向かって怒鳴っているが、このインタビュー、じっと同意するばかり。

「リベラル」潰しの狙いは、大本営広報部大政翼賛会が決して言及しない今回の選挙の本当のテーマ、「緊急事態条項」導入と直接つながる。

そこで、IWJ岩上安身氏による早稲田大学教授長谷部恭男氏インタビューがある。

自民党改憲草案の緊急事態条項は戦前の国家総動員法の起動スイッチ!? 衆院解散で「ナチスの手口」がいよいよ現実に!? 岩上安身による早稲田大学教授 長谷部恭男氏インタビュー 2017.9.25

こちらも必見。良く理解するためには、ご著書の事前拝読をお勧めする。
ナチスの「手口」と緊急事態条項 (集英社新書) 長谷部恭男、石田勇治著

この緊急事態条項、岩上氏は、以前から問題を指摘しておられる。
前夜[増補改訂版] 梓澤和幸, 岩上安身, 澤藤統一郎 (著)

今日は下記にあるインタビューを拝見予定。

日刊IWJガイド「本日15時から『「日米指揮権密約」の研究 自衛隊はなぜ、海外へ派兵されるのか』著者・末浪靖司氏インタビュー! 自衛隊の指揮権が米軍にあるという『指揮権密約』の実態に迫る!/日本に戦争をさせたい米国にとっては安倍も小池も同じ!? 『緊急事態条項』阻止のための勝敗ラインは156議席!!/川内博史氏、辻元清美氏、池田まき氏ら『立憲民主党』参加表明者が続々!! ツイッター公式アカウントは24時間でフォロワー6万人突破!!IWJの枝野代表街宣中継はサーバーダウン寸前!?」2017.10.4日号~No.1846号~

2017年8月28日 (月)

クリストファー・ノーランの『ダンケルク』: 歴史も政治も抜きの第二次世界大戦勃発

David Walsh
2017年7月26日

“どうしようもない程、目の見えない人々だけが、イギリスとフランスの将軍や提督連中が、ファシズムに対して戦争すると信じることができる!” - レオン・トロツキー、1940年5月

イギリス人監督クリストファー・ノーランの新作映画『ダンケルク』は、1940年5月-6月のイギリスとフランス軍の多数の兵士を北フランスから救出した有名な作戦の話だ。

5月10日に始まった英仏海峡西方へのドイツ軍による素早い進撃の後、イギリス海外派遣軍(BEF)と、その同盟軍が、フランスとベルギー海岸線の細長い地域で遮断され、包囲されることになった。5月26日から6月4日にわたる“ダイナモ作戦”で、約340,000人の兵士がイギリスに脱出した。イギリス南部から英仏海峡を横断し、ベルギー国境から10kmにあるダンケルクの海岸と防波堤から、兵士たちを大型船に運んだり、イギリスの港まで直接運んだりして、救出で、多くの小型船舶が重要な役割を演じた。


『ダンケルク』

ノーランの映画は長さは異なるが(それぞれ一週間、一日、一時間)重複している“陸”“海”と“空”の三部構成だ。

“陸”では、トミー(フィン・ホワイトヘッド)が、ダンケルクの街で見えないドイツ軍に銃撃されるイギリス軍部隊の若い兵士だ。彼だけ生き残り、海岸へと向かうと、何万人もの兵士が立ち往生している。彼は後でフランス人とわかる“ギブソン”(アナイリン・バーナード)とアレックス( ハリー・スタイルズ)と組むことになる。映画のこの部分は彼らを危機から救う船を捜そうとするトミーと仲間の様々な益々必死の努力を描いている。

“海”では、ドーソン(マーク・ライランス)が、脱出作戦の一環として、英国海軍に徴発された小型船を持っている。ところが、彼と息子のピーター(トム・グリン=カーニー)と17歳の甲板員ジョージ( バリー・コーガン)は、海軍船員にやってもらうのでなく、自分たちで英仏海峡横断すると決める。途中で、ドイツのUボートで船が沈没させられ、砲撃でストレス状態になったイギリス人兵士(キリアン・マーフィー)を救いあげる。ドーソンが船を沈没現場から遠くないダンケルクに向けて進めていると知ると兵士が暴れる。

“空”部分は、ダンケルク上空でドイツ戦闘機と交戦する二人の英国空軍パイロット、ファリアー(トム・ハーディ)とコリンズ(ジャック・ロウデン)を追う。ドイツ空軍は比較的自由に行動して、イギリス艦船やボートを攻撃し、海岸にいる兵士たちも爆撃する。ファリアーとコリンズの任務は地上軍を掩護することだ。コリンズは飛行機を不時着水せざるを得なくなり、最善の結果を期待する。ファリアーは戦い続けるが、燃料がわずかだ。


『ダンケルク』のマーク・ライアンス

ノーランの『ダンケルク』には、いくつか視覚的に目を奪われる場面がある。空中戦場面は確かに印象的だ。映画撮影は総じて壮麗で、カメラは自然や人々の詳細を深くとらえている。

ある種劇的な展開(ライランスの抑えた知的な演技も含め)があるので、ドーソン-ライランスの場面が、映画の中で最も印象に残る。ジョージの運命には実に悲劇的なものがある。兵士たちのダンケルク救出支援を志願する若者なのに、自身重傷を負った兵士の一人によって、致命傷を負ってしまうのだ。

それを別とすれば、他にはほとんど何もない。“陸”と“空”での対話は最小限で、ともあれ印象的なものは皆無だ。映画が進むにつれ、“陸”部分は、段々と(しかも、うんざりするほど)登場人物たちが、致命的な結果になりそうな状況を次々と切り抜けるのを強いられる型にはまったパニック映画に見えてくる。

映画の全体的雰囲気は一貫性がない。テレンス・マリックの映画に敬服しているとノーランは語っている。残念なことに、ノーランは、マリックの最高作品、特に『シン・レッド・ライン』(1998年)のいくつかの場面から触発されたのではなく、陰鬱なハイデッガー風宇宙の中を、登場人物があてもなくさまよい歩く、同じアメリカ人映画監督の最新作から触発されたようだ。ノーランの新作映画の一部は、その種の雰囲気を再現している。そこで突如音楽が高まり、イギリス人の“勇気”や勇敢な行動が土壇場で成功をもたらすのだ。どうしても納得が行かない。

『ダンケルク』はいかなる伝統的な意味でも戦争ドラマではないのは、対象となっている1940年の出来事が、戦闘あるいは一連の戦闘というものではなく、歴史的な敗北、壮大な撤退だったがゆえだけではない。


トム・ハーディ

第二次世界大戦に関する無数のアメリカやイギリス映画は、よかれ悪しかれ、概して国民の人種や階級の“代表例”である少規模部隊に焦点を当てている。そうした作品では、最初は身勝手というか個人主義で、恐怖で身をすくませるが、戦闘の過程で、言い換えれば実に運命的な条件の下で、“大義”のために、集団の必要性を優先し、必要とあらば、自己犠牲の必要性を学ぶ登場人物(あるいは複数の登場人物)が多い。戦争中あるいは直後に制作された映画は、“民主主義”や専制への反対を、究極的に、そのために戦って死ぬに値するを主な要因にして、ファシズムや独裁制に対する大衆の圧倒的な反感を考慮しており、多くの場合、共有もしていた。

ノーランは、戦争や、その原因や、正当性などに関する議論を避けて、そうした重荷から逃げている。主人公たちは若いかも知れないが、大恐慌や、他の衝撃的な出来事を生き抜いてきたのだ。彼らには何らかの政治的意見があったはずだ。わずか二十年程前の第一次世界大戦で勝ち誇ったはずのイギリス軍に与えられた大惨事の規模や原因について、登場人物の誰一人、疑問を投じない。実際、誰も意味ある発言をしない。

エルストン・トレヴァーの(1955年)「The Big Pick-Up」を部分的に基にしたレスリー・ノーマンの『激戦ダンケルク』(1958年)は、脱出についての、堅苦しい紋切り型の愛国的映画で、ジョン・ミルズ、リチャード・アッテンボロー、バーナード・リーやロバート・アーカートを含む多数の著名な、頼もしい当時のイギリス人俳優が出演している。とは言え、極度の制約にもかかわらず、ノーマンの映画は、少なくとも、冒頭場面から終始、(映画があからさまに馬鹿にしている当時の政府やマスコミの主張に反して)油断とダンケルク大惨事の規模を指摘する義務を感じている。

最初の『ダンケルク』は別として、1950年代と1960年代の戦争映画(『暁の出撃』、『The Man Who Never Was』、『戦場にかける橋』、『愛欲と戦場』、『攻撃』、『愛する時と死する時』、『若き獅子たち』、『ビスマルク号を撃沈せよ!』、『ナヴァロンの要塞』、『Hell to Eternity』、『史上最大の作戦』、『Merrill ’ s Marauders』、『大脱走』、『シン・レッド・ライン』、『大列車作戦』などの作品)は、成功の度合いこそ異なれ、第二次世界大戦を、政治的、軍事的、心理的に理解しようとつとめていた。

あいにく現代の映画監督たちは、もはや歴史的な出来事を、引用符中に置かれることが多い言葉の一つである“説明する”ような俗事にかかずらうことはしない。連中はほとんど、そうした俗事を超越しているのだ。

1940年5月-6月、イギリス海外派遣軍に対するドイツ軍の勝利と、それに続くフランス第三共和国崩壊と、敵に協力的な連中によるビシー政権樹立は些細なことではない。


フィン・ホワイトヘッド

1939年9月1日、ドイツによるポーランド侵略後、そして二日後のイギリスとフランスによる対ヒトラー政権への宣戦布告後、1940年5月に、ドイツ軍がフランス、ベルギーとオランダを攻撃するまで、ヨーロッパでは、いかなる主要作戦も行われなかった。イギリスとフランスの軍は、八カ月も受動的に待ち続けていた。フランス軍には“敗北主義”がはびこっており、イギリス既成支配体制は分裂でばらばらだった。ナチス“宥和”に最も責任があったはずの人物ネビル・チェンバレンが、1940年5月10日、ウィンストン・チャーチルにとって変わられるまで首相の座に居座り続けた。

一方、1940年春のヒトラー軍隊の勝利は、レオン・トロツキーの言葉によれば“自らの任務という側面でさえの帝国主義民主主義の堕落”を実証していた。イギリスとフランスの支配エリート層は(退位したイギリス国王エドワード8世を含め)ヒトラー主義を、ボルシェビキ思想と社会革命に対する最強の防衛と見なす親ナチス分子だらけだった。

トロツキーは説明していた。フランスの降伏は“単なる軍隊の出来事ではない。ヨーロッパの破滅的状況の一部なのだ。… ヒトラーは事故ではない。彼は我々の文明全てを粉砕する脅威を与えている帝国主義の最も徹底的で、最も凶暴な表現であるにすぎない。”

一方、ドイツの軍事的勝利は、ヨーロッパや世界の労働者階級に対するスターリン主義者による裏切りの悲惨な結果を実証していた。五年間“人民戦線”を宣伝し、様々な“民主主義”の幻想を生み出した後、1939年に、ソ連政権はヒトラー側に転じ、欧米列強の“軍事力を麻痺させた”と、トロツキーは書いていた。“破壊用のあらゆる機構にもかかわらず、精神的要素が、戦争における決定的重要性を保持している。ヨーロッパ大衆の士気を阻喪させ、ヨーロッパにおいてのみならず、ヒトラーに仕えて、スターリンは挑発の手先役を演じたのだ。フランス降伏はそうした政治の結果の一つに過ぎない。”

トロツキーの冷静で正確な論評だけでなく、多少真摯なあらゆる取り組みによって、二度目の、悲惨な帝国主義戦争勃発に関する、大半の今日の作家や監督たちにとっては、決着済みの問題であることは言うまでもない。

歴史的問題に関するノーランの沈黙、あるいは“自制主義”は、ノーランによる取り組みの前進ではなく、複雑な疑問を前にしての無能を現すに過ぎない。

映画監督は『ダンケルク』から歴史と政治を排除し、上述の通り、凡庸な“災害映画”のレベルにおとしめるのが意識的な決断であることを示す様々な発言をしている。

あるフランスの雑誌に、例えば、“これは戦争映画というより、生き残りがテーマのサスペンス。… 登場人物への共感は、彼らの物語とは無関係だ。対話で、登場人物の物語を語りたくはなかった。問題は、彼らが誰であるかではないし、彼らが誰のふりをしているかではないし、彼らがどこから来たかではない。私が興味があった唯一の疑問はこうだ。彼らは脱出できるのだろうか? 防波堤に行こうとする際に、次の爆弾で殺されるのだろうか? それとも海を渡っている間に潜水艦にやられるだろうか?”と語っている。

登場人物への共感は“彼らの話とは無関係だ”ろうか? 問題は“彼らが誰なのかではない”のだろうか? すると人は、パラディやヴォルムートの虐殺をやらかしたばかりで、移送を待っているナチス親衛隊兵士に対しても、大恐慌やイギリス帝国主義の世界的野望の犠牲者である、イギリス人やスコットランド人の青年たちに対して感じるのと同じ状況で、同じように感じるべきなのだろうか? ノーランは“唯一私に興味があった疑問は、 彼らは脱出できるか?”だと言ったのを恥ずかしく感じるべきなのだが、彼はたぶんそう感じるまい。

ジョシュア・レヴィンの『Dunkirk: The History Behind the Major Motion Picture』が、ノーランの映画封切りにあわせて刊行された。助監督のニロ・オテロが“クリス[ノーラン]が歴史の教訓を与えないことを選び、ダンケルク物語を、サバイバル映画として描いた事実が、インパクトを強めている。‘後に歴史になるものの真っ只中にいると、それが歴史だとはわからないものだ。’と考えている”とレヴィンは説明している。

レヴィンはこう書いている。“クリスは、歴史を観客にとっての個人的経験に煎じつめることで、映画がロールシャッハ・テストのようなものになることを期待していた。彼は政治的解釈を観客に押しつけたくはないのだ。彼はそういうことには興味がない … 彼は我々を主人公の視点にたたせる普遍的な映画を作りたいのだ。そうすることによって、‘観客は『ダンケルク』の中で、彼らが見出したいものを見出せるのだ’と彼は言う。 ”本当の『ダンケルク』発見とは一体何だろう?

もちろん、ダンケルクのドラマに参加した人々の多くは、自分たちが何をしているのかを知っていたか、多少は理解していた。 政府と既成支配体制が全体として、危険を軽視する中、普通のイギリス人の多くが、ヒトラーとファシズム脅威に反応していたのだ。結局、1930年代中、自国の支配階級の手によって、ひどく苦しめられ、 栄養失調にさせられたイギリス労働者階級は、反抗的で、敵意を持っていたのだ。

実際、ダンケルクのエピソードに関して決して十分回答されていない一つの疑問は、一体なぜヒトラーは、イギリス軍を絶滅できていた可能性が極めて高い戦車攻撃を、数日間中止するよう命じたのかだ。ロンドンと和解に至る希望を彼がまだ持っており、イギリスにおける社会革命の可能性を彼が恐れていたため、イギリス陸軍を殲滅するのは長期的にはナチスの利益にならないと、ファシスト指導者は感じていたためだと主張するむきもある。

「テレグラフ」で、ノーランはこう語っている。 “現在の観客に直接関係しない、古びたものと片づけられるような映画は作りたくないと思っていた。… まずは、状況の政治にはまりこんでしまうのを即座に排除することだった。室内で、地図上で色々動かしている将軍たちは登場しない。チャーチルは登場しない。敵はおぼろげにしか見えない。”

またしても、驚きで、目をこすらずにはいられない。フランスの戦いは、第二次世界大戦初期の極めて重大な出来事の一つで、二十世紀の重要な政治的出来事だ。戦争に関するもっとも良く知られている格言の一つで、広く公理として受け入れられている、プロイセン王国の将軍カール・フォン・クラウゼヴィッツによる“戦争は別の手段による外交の継続である”がある が、ノーランにとっては、戦争はいかなるものの継続でもなく、別の世界に存在するものなのだ。

歴史に関する真剣さの欠如と知識の欠如が結びつき、現実に対する個々の主観的認識が可能だという理由で、全てが正当化される。

著書の中で、レヴィンはこう書いている。“[ダンケルクで]海岸や防波堤に立っていた、あるいは牛にしがみついて撤退した各個人にとって、異なる現実が存在していた。並べて見ると、こうした現実は、お互いに矛盾することが多い。”ノーランはこう付け加えている。“映画は、客観的現実を規定する個々人の主観的な経験の紛らわしい性格に、大いに基づいていると私は思う。それが私が制作した全ての映画全てを貫く糸だ。全てが個人的経験に関するもので、客観的現実と矛盾する可能性があるので、映画には無限の数の経験とお互いに矛盾するだろう物語りや、様々な形のコメントと思われるものに対する余裕を是非残すようにしている。”

言い換えれば、歴史を語ることは、それぞれ他の全てと矛盾する可能性がある個々の経験、あるいは物語の要約なのだ。それぞれ同様に妥当であり、たぶん、妥当でないのだ。特定時点では、誰一人として、自分が歴史を作っているとは知ることができず、政治的、歴史的に、一体自分が、どういう場に位置しているのかさえも知ることができない。特定のイデオロギーを押しつけることによって、“歴史”は後で形成されるのだ。客観的な歴史を書こうという取り組みは、実際その生活も感情も無視される“普通の人々”に対して意地悪い物となることが多い。もっとも深遠な手法は、個々の経験をできるだけ正確かつ誠実に描いた逸話による歴史なのだ。

“時間を超越する”手法は、必然的に、抽象的であいまいな人々や出来事を生み出す結果になっている。これは、ドラマの概して微温的で、退屈な性格の説明としても役にたつ。あらゆることが失敗し、観客が興味を失うかも知れないと監督が感じる場合には、少なくとも下級兵士における人間不信と暴力に彼は頼っている。一方、ケネス・ブラナー演じる、脱出時に“桟橋長”を務めるボルトン海軍中佐は、終始冷静で落ち着いており、映画の最後の瞬間に、残ったフランス軍兵士の出発を監督する自分の場に居続けると誓約する。

徹底的な月並みだ。当今の主観主義という映画の“革新的”特徴は、実際、極めて体制順応的で国粋主義的な見方と、ぬくぬくと共存している。彼らがあたかもエイリアンで、これがホラー映画であるかのように、ドイツ軍兵士を出さないという決定にさえ及んでいる。

要するに『ダンケルク』は、第二次世界大戦勃発に関して、それからほとんど何も学ぶことができない映画だ。人類が直面している最も深刻な脅威、第三次世界大戦が勃発しかねない途方もない世界的緊張の時期に、これが撮影され、上映されているのだ。これは知的に無責任と思えないだろうか?

グーグルの検閲と戦おう!

グーグルは、World Socialist Web Siteを検索結果掲載を妨害している。

このブラックリスト工作と戦うため:
本記事を友人や職場の仲間と共有しよう。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2017/07/26/dunk-j26.html
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この映画、ネットでは絶賛記事だらけだが見てlいない。

米軍が最も恐れた男~その名はカメジロー』を見にゆく予定。

2017年8月22日 (火)

戦争の“狂気”が、ぼんやりとしかわからない『ハクソー・リッジ』

Joanne Laurier
2016年11月17日
wsws

『ハクソー・リッジ』

『ハクソー・リッジ』、監督:メル・ギブソン、脚本:アンドリュー・ナイト、ロバート・シェンカン;

メル・ギブソンの『ハクソー・リッジ』は、第二次世界大戦で、1945年の沖縄戦における勇気ある働きで名誉勲章を受章した最初で唯一の良心的兵役拒否者デズモンド・トーマス・ドスの物語だ。沖縄戦、82日間の戦争で、太平洋戦域最大の上陸作戦が行われた。結果的に、100,000人以上の日本軍兵士と、50,000人以上の連合軍兵士が亡くなった。

ドス (1919-2006)は、兵器を持たないという彼の権利を守って、軍幹部や同僚兵士たちと激烈な戦いをしたアメリカ陸軍伍長の衛生兵だ。彼は第77歩兵師団、第307歩兵隊、第1大隊ライフル部隊に配属された後、殴打され、投獄され、無数の報復を受ける。


『ハクソー・リッジ』のアンドリュー・ガーフィールド

『ハクソー・リッジ』は、ほぼ別の二つの映画で構成されている。ギブソンによる、’s initial presentation of デズモンド・ドス (アンドリュー・ガーフィールド) is measured、倫理的に、殺人には反対するが、戦争遂行は支援したい人物に対する共感さえ示している。ドスの物語と並ならぬ状況を説明する部分は、総じて良くできている。だが、映画の戦場場面は、度を超して暴力的で、グロテスクで、膨大な量の血や、内臓や、餌にありつくネズミに満ちており、サド-ポルノ風の趣で構成されている。この挑発的なほど残虐な場面で、観客は忍耐力を試される。

冒頭の短い戦闘場面の後、映画は1929年、ブルー・リッジ山脈のバージニア州、リンチバーグにあるドスの極貧家庭へと戻る。デズモンドの父親、トム・ドス(ヒューゴ・ウィービング)は、どうやら第一次世界時の戦闘のトラウマにさいなまれており、酒に逃避せずにはいられない。彼は良く三人の親友の墓参りをする。トムは今や、妻のバーサ(レイチェル・グリフィス)と息子二人を虐待する冷酷な失意の人だ。

デズモンドは子供時代、野山を駆け回っていた。彼の身体能力は、後に軍務において、重要な役割を果たすこととなる。彼はセブンスデー・アドベンティスト信者でもあり、『十戒』、特に“汝、殺すことなかれ”を深く信じている。デズモンドの非暴力主義は、ばか騒ぎをしていて、すんでのところで兄を殺しそうになり、父親が銃で母親を威嚇するのを見た後、更に深まる。

南カリフォルニア、フォート・ジャクソンでの基礎訓練に出発する前に、ドスは恋人のドロシー(テリーサ・パーマー)に、休暇で帰国した時に結婚して欲しいと頼む。ん

ブート・キャンプでは、訓練のあらゆる運動能力で秀でているデズモンドは、銃に触れることを断固として拒否する。彼がハウエル軍曹(ビンス・ボーン)とグローバー大尉(サム・ワーシントン)の指揮下に入ると、二人は彼を叱りつけ、同僚の兵士たちから、彼が酷く殴られるのを見て見ぬふりをし、屈辱的で、極めて不快な役務を彼に強い、彼を投獄し、彼が軍隊から追放されることになるはずの裁判にかける。ところが重大な局面で、デズモンドが武器を持つのを拒否するのは憲法で守られた権利であることを証明する彼の元部隊長からの手紙を持って、父親が法廷に押し入る。映画のこの部分は、ある程度の技量と感覚で作られている。

“『ハクソー・リッジ(弓鋸尾根)』と称される前田高地の急峻な断崖”を、敵日本軍と対決すべく、アメリカ軍兵士がよじのぼらなければならなかった1945年の沖縄戦を再現するにあたって、ギブソンは過熱状態となる。ほとんど見るに耐えない大虐殺の中、デズモンドは、i宗教的な動機の熱狂で(“神よ、もう一人助けさせたまえ”)、部隊撤収時、見込みがないと置き去りにされた、75人のぼろぼろになったアメリカ軍兵士を救出する。“臆病な”良心的兵役拒否者による英雄的行為がアメリカ軍小隊の元気を回復させる。


『ハクソー・リッジ』

『ハクソー・リッジ』の後記に、2006年に、87歳で亡くなったデズモンド・ドス本人と、彼が救出した数人の人々のビデオがある。

ギブソンは才能ある俳優で、時に監督として、ある種の才能を見せることがある。残念なことに、彼はかなり素朴な物の見方の持ち主のようだ。残忍で無茶苦茶な野蛮人に過ぎないような日本人描写で、彼の後進性と粗野さが大いに発揮される。こうして彼は、二度目の帝国主義戦争に関する、民主主義と野蛮との間の“良い戦争”という公式説明を無批判に受け入れ、そのまま伝えているのだ。

おそらく暴力の恐怖に襲われながらも魅了され、ギブソンは心を奪われたようで、人間の残虐さを、いかなる社会的、歴史的文脈の中にも、描けずにいる。彼は、監督としての仕事を、ほぼ終始、救い難いほど理解できずにいる。

暴力の信じがたい程の描写が、彼が出会う困難な社会的、心理的問題のお気に入りの解決策のようだ。結果的に、『ブレーブ・ハート』、『パッション』、『アポカリプト』などの映画は、致命的かつ、どうしようもないほど失敗している。

以下、中略

グーグルの検閲と戦おう!

グーグルは、World Socialist Web Siteを検索結果掲載を妨害している。

このブラックリスト工作と戦うため:
本記事を友人や職場の仲間と共有しよう。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2016/11/17/ridg-n17.html
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『ハクソー・リッジ』と『メッセージ』についての評論記事の、『ハクソー・リッジ』部分のみ翻訳したもの。『メッセージ』部分は勝手ながら割愛させていただく。

昼の大本営広報部洗脳番組、例のごとく、見るに耐えない。

昨日のIWJ岩上氏による村上誠一郎議員インタビューとは、月とスッポン。

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<昨日の岩上安身によるインタビュー報告>「安倍さんは武士(もののふ)として自ら進退を決めるべきだ」~「ミスター自民党」がアベ政治をぶった斬る!村上誠一郎議員に岩上安身が訊く!
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 おはようございます。テキスト班の原佑介です。

 昨日は岩上さんが「ミスター自民党」を自認する村上誠一郎議員にインタビューしました。

 村上議員は、秘密保護法や新安保法制、共謀罪法案など、安倍政権が暴走するたびに、ひとり大声で異論を唱え続けてきたことで知られ、安倍一強が続く自民党内にあって、まさに「異色の存在」です(逆に言えば、異論を唱えるだけで「異色の存在」になってしまうほど、今の自民党は「イエスマン」だらけで、それはそれでとても危機的状況だと言えますが…)。

 「安倍政権は、財政、金融、社会保障を立て直すことを真っ先にやらなければならないのに、憲法改正や安全保障関連法、『共謀罪』法などを優先させている。財政、金融、経済政策などが後手に回っている」と考えた村上議員は、今年5月、「脱アベノミクス」を考える勉強会を発足させました。

 会の正式名称は「財政・金融・社会保障制度に関する勉強会」で、会長には消費増税の延期をめぐり、安倍総理と対立した野田毅(たけし)・前自民党税制調査会長が就任。村上議員も野田議員も「一匹狼」タイプの議員ですが、初回の勉強会にはなんと、60人もの自民党議員が参加。安倍政権への不満が自民党内に充満しているということを如実に表わしていました。

 勉強会の講師に招かれた元日本銀行理事の早川英男氏は、日銀のマイナス金利政策を「限界に来ている」と批判。「13年4月の金融緩和は、米軍に対する奇襲に成功した真珠湾攻撃、14年10月の追加緩和は日本軍が敗北したミッドウェー海戦のように思えてならない」などと、語っています。

 自民党内で、これほどまともな勉強会が開かれ、多くの議員が参集していたなど、あまり想像がつきませんが、実際には、まともな議員も息を殺すようにして潜んでいるのかもしれません。

・かすむアベノミクス 企業業績好調 なぜ賃金はそれほどでも…(毎日新聞、2017年7月28日)

https://mainichi.jp/articles/20170728/dde/012/010/009000c

 昨日のインタビューで村上議員は、安倍内閣の支持率急落っぷりについて、「政策面含めて180度転換する時期ではないでしょうか。安倍さんの財政、金融、外交、ほとんどが行き詰まっている」と断言。「社会保障の医療・介護は次世代の『ツケ』でやっているので、次の世代が萎縮してしまっていて、消費に向かわない」と述べるなど、繰り返し「次世代」への懸念を示されました。

 さらに、「まだ借金がいくらでもできるという人がいる。明治時代は、日露戦争でお金がないときで、名目GDPの60%の借金を抱えた。第二次世界大戦はGDPの200%の借金がありました。今は、戦争もしていないのに230%の借金がある。財政がこんな状況だというのに、憲法改正の話をしている場合ではない」と訴え、「大局的な政治判断が必要なのに、ほとんどの国会議員が関心を持っていない。もはやアベノミクスは『ナニモナイミクス』だ」と喝破しました。

 愛媛県今治市を地元とする村上議員には、当然、加計学園問題についてもお話をうかがい、加計学園誘致に奔走した加戸守行(かともりゆき)元愛媛県知事に「(獣医学部新設は)無理です」と何度も伝えていたことなど、「当事者」のひとりとして具体的なお話をお聞きしました。

 インタビューでは、四国に配備されたPAC3がミサイル防衛に役立たないこと、そして稲田朋美・前防衛相が辞任するキッカケとなった、陸自PKO部隊の「日報隠蔽問題」に関連し、官邸による「隠蔽指示」があった可能性が高いことなどについてもお話いただいています。「安倍さんは武士(もののふ)として自ら進退を決めるべきだ」と突きつけた村上議員のインタビュー、本日中に下記URLでアップする予定ですので、お見逃しになった方はぜひアーカイブで御覧ください!

※「安倍さんは武士(もののふ)として自ら進退を決めるべきだ」~ミスター自民党がアベ政治をぶった斬る!「こんな財政状況で改憲の話している場合ではない」村上誠一郎議員に岩上安身が訊く!

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/395998

 では、本日もIWJをよろしくお願いいたします!

IWJ 株式会社インディペンデント・ウェブ・ジャーナル
岩上安身サポーターズクラブ事務局
公式サイト 【 http://iwj.co.jp/

2017年7月 8日 (土)

『ヒトラーへの285枚の葉書』ナチスに抵抗した労働者階級の夫婦

Bernd Reinhardt
2016年3月7日
wsws.org

手書き葉書という手段で第二次世界大戦とヒトラー反対を呼びかけたベルリン労働者階級の夫婦に関する(著者の死後、1947年に出版された)ハンス・ファラダの小説『ベルリンに一人死す』は(1960年代と1970年代、東西両ドイツで)何度か映画とテレビに翻案された。

ファラダの小説は、2009年に英語に翻訳されると再び脚光を浴びた。2010年、訳本は“予想外のイギリス・ベストセラー”として大成功し、何十万部も売れたことは、ファシズム時代と歴史の真実への強い関心を反映している。

著者の狙いは、1943年にナチスによって処刑されたベルリン・ヴェディング自治区住民オットーとエリーゼ・ハンペル夫妻の実像を再現することではなかった。二人の驚くべき話を、色々な境遇の様々な登場人物の姿を描きだす、ヒトラー支配下ドイツ首都の社会ポートレート用枠組みとして使ったのだ。ナチスに対する見方や姿勢はそれぞれ独特だ。


『ヒトラーへの285枚の葉書』のブレンダン・グリーソンとエマ・トンプソン

実際のハンペル夫妻は、本と映画では、虚構のオットー・(ブレンダン・グリーソン)と、アンナ(エマ・トンプソン)・クヴァンゲルになっている。他の登場人物には、社会的没落を味わい、意図的にナチスのためにはたらくようになった人々を含め、プチブル出身者が多い。

例えば、破産した酒場経営者で、ナチス党のおかげで立ち直ったペルシケ(Uwe Preuss)がいる。二人の息子は、SS(ナチス親衛隊) [残虐なナチス準軍事組織にいる。一番下の息子バルドゥール (サミー・シェウリッツェル)は、若いファシスト・リーダーのエリート学校、ナポラ[National Political Institute of Education]志願者だ。 エヴァ・クルーゲ(カトリン・ポリット)の息子の郵便局員もSS隊員だ。ところが、前線で彼がユダヤ人の子供たちの殺害に関与していることを知ると、彼女は彼を勘当する。もはや息子ではない。

クルーゲ夫人は、とうの昔に夫エンノ(ラルス・ルドルフ)を追い出していた。彼は、仕事に定着できずに、妻の金を競馬ですってしまう。彼は政治には全く関わろうとしない。しかし、彼は、恐怖から、誰でも欲しがる人に、病気診断書を書くユダヤ人医師を知っている。工場では大変なスピードアップが行われている。“究極的勝利”(“Endsieg”)のために全エネルギーをささげていないという印象を与える連中は、すぐさま強制収容所に送り込まれてしまう。

人々を冷酷にゆすり、ゲシュタポに売るのを恐れない、ちゃちな犯罪人失業者、エミール・バルクハウゼン(レイナー・エッガー)は、不安の原因に気がついている。“現在、大半の人々、基本的に全員が何らかの形で、禁じられていることに関係しているので、誰かが、それをかぎつけるのではないかと心配して、おそれている”。オットー・クヴァンゲルが息子の戦士を知って、バルクハウゼンに悲嘆を述べると、彼は即座に、強制収容所送りになると脅し、ゆすろうとする。

ファラダによる、第三帝国における日々の生活の微妙な描写は、ドイツ国民全員が一様にヒトラーと、ユダヤ人絶滅を支持していたとするダニエル・ゴールドハーゲンと彼の支持者による主張の誤りを示している。最新の再映画化『ヒトラーへの285枚の葉書』(スイス人俳優ヴァンサン・ペレーズ監督)も集団有罪説は否定している。“遍在するこの恐怖を提示したかったのです。実に分厚くて、ナイフで切れるほどです”と監督は述べた。

ゲシュタポ警部エッシェリヒ (ダニエル・ブリュール)は、反ヒトラー・スローガンのしろうと臭い葉書を書いている人物を見つけだすのに時間をかける。葉書は決して、人に手渡されてはいないと彼は確信している。総統に対する忠誠というよりも、恐怖心から、全員が葉書を警察に届けているのだ。映画の終わり近くで、ギロチンが象徴的に目につく(ハンペル夫妻は斬首された)。次の場面では、無数の人気の無い窓のアパートが現れる。


ダニエル・ブリュールとグリーソン

小説では、この恐怖には、いきさつがある。ワイマール共和国時代(1919年-33)のほとんど全ての大人が、後にナチス政権下で“国民の敵”と見なされた人々と接触があった。ドイツ共産党 (KPD) と社会民主党 (SPD)は、多くのユダヤ人を含む、労働者、職人、知識人、ジャーナリストや芸術家の何百万人もの党員や支持者がいる政党だった。ユダヤ人は社会のあらゆる分野にいた。事実上、あらゆる大人が、その人の過去を深く探れば、ナチス時代のどこかの時点で、政府による迫害の対象になり得たはずなのだ。

ファラダの本で、有名な映画俳優と弁護士の場面は多くを物語っている。俳優は、これまでの監督の多くがユダヤ人だった事実にもかかわらず、ヒトラーのもとで役者を続けられるのを有り難く思っている。彼は反戦映画にも出演していた。弁護士は学生時代からの旧友だ。 映画スターがクヴァンゲル夫妻の葉書を玄関で見つけ、それを弁護士に見せると、突然に疑惑が起きる。お互いに罠をしかけられたのではと恐れるのだ。二人は葉書をナチス役人に渡し、二人の怒りは、反ヒトラー文書を書く人々に向けられる。

小説中の恐怖とリアリズムと精巧さという具体的な社会構造が映画では失われている。映画はグリーソンとトンプソンが見事に演じるクヴァンゲル夫妻のカップルが中心だ。彼らの周囲環境は後景に退いていて、迫力に欠け、舞台装置のようだ。小説中の多くの重要なエピソードが消えている。様々な人物が削除されたり、うやむやになったりしている。ファラダが登場人物の何人かを配した環境である共産党地下レジスタンスは、映画から入念に取り除かれている。

ペルシケの示唆に富む話は、むしろ歪曲されている。小説中での彼の総統賛美には、彼より弱い人々全員に対する深い社会的侮辱が伴っている。バルドゥールの人物像もよろしくない。ペレーズは、狂信的なヒトラー青年団リーダーを、ユダヤ人老人のローゼンタール夫人(モニク・ ショーメット)が、子供時代には彼女のケーキが好きだったのを思い出させると当惑する、青年団の制服を着た無害な若者に描いている。

エッシェリヒの性格は興味深い。彼を、ワイマール共和国時代の犯罪学者だと考えることも可能だ。ファラダは、彼の社会的無関心、狩人という性格が、ナチスでの出世にとって極めて重要であることを明らかにしている。感情を表さず、忍耐強く、彼の“獲物”である、正体不明の葉書筆者を追いかける。

ペレーズの映画では、皆に恐れられている身勝手なゲシュタポ将校が、暴力の犠牲者に変えられている。残虐な上司を恐れるあまり、彼は乱暴に振る舞っているというのだ。必死の行動をする前に、彼は事務所の開いた窓からクヴァンゲル夫妻の葉書を外に投げる。この映像で映画が終わる、外でひらひらする葉書(この場面は小説にはない)は、エッシェリヒの良心の呵責を示しているのだろうか?

先行するファラダ小説の映画化作品は、必然的にある種のツァイトガイスト[時代精神]を反映している。1975年 西ドイツ映画(アルフレッド・フォーラー監督)、アンナはもっと強い人物で、当時の女性運動精神に基づく、葉書抗議行動の創始者だ。1970年に東ドイツで製作された ( ハンス・ヨアヒム・カスプルジク監督)5時間、三部作のテレビ・シリーズは、スターリン主義国家の検閲に譲歩している。オットー・クヴァンゲルは、スターリン主義の共産党という反対政党に入党せず、政治に無関心な一匹狼として行動したので、政治的に未熟だと描かれていた。


『ヒトラーへの285枚の葉書』

極右運動、フランスの「国民戦線」や、 ドイツの「ペギーダ」や「ドイツのための選択肢」が勃興し、益々国家の暴力が日々の生活を支配する時代に、新たなフランス-ドイツ作品が現れた。映画がそうしたものを懸念しているのは明らかだ。現代の青年は、クヴァンゲル夫妻の話を知っているべきだと、主演のダニエル・ブリュールは主張する。同時に、現在我々は、社会的不平等が大いに激化しているのを目にしている。

『ヒトラーへの285枚の葉書』の中で注目すべきものに、ナチス国家の経済的不平等の指摘がある。ナチス女性同盟の一員であるアンナ・クヴァンゲルは、裕福な“国民の同志”(カタリーナ・シュットラー)を彼女の豪華なアパートを訪れ、誰にも頼んでいるように、仕事をするという一般的義務に服するようにと頼む。彼女は横柄さに憤りを感じる。ナチス幹部である彼女の夫は、アンナは女性同盟から排除されると請け合う。

強固なナチスを売り物にしていないので、映画は画期的だと、ブリュールが言うのは、やや驚きだ。実際、ファラダの小説でも、不合理な“支配民族”を主張する良くある典型的ナチスは登場しないし、人々を拷問する加虐的欲望の人物もいない。

今ペギーダや国民戦線に参加している人々を連想させる、ナチス青年バルドゥール・ペルシケと、他のプチブル連中を識別するものは、1933年に、ナチスが権力を掌握してまもなく書かれたレオン・トロツキーの見事な論文“国家社会主義とは何か?”が、うまく皮肉に表現している。“事態を改善するために何がなされなければならないか?まず何より、自分たちより下にいる者を絞め殺すことである”という社会的態度だ。

映画で、新しい社会的疑問と強調が検討されていることが感じられる。クヴァンゲル夫妻のように考えた人々は、おそらく他にも多数いただろう。残念ながら、ファラダの現実的で、多面的な小説を、個人の道徳的勇気による反戦活動に再構築しようというペレーズの取り組みは、説得力に欠けている。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2016/03/07/ber3-m07.html
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チーズやワインが安くなると宣伝する大本営広報部大政翼賛会。共謀罪やTPPやモリ・カケなど国民のためにならないことしかしない連中が、良いことをするはずがないだろう。日本農業壊滅。食糧安保放棄。

翻訳のおかしな部分は原文をご確認願いたい。
『ヒトラーへの285枚の葉書』今日から上映。まだ見ていない。
この記事は余り肯定的ではないが、是非見たいと思う。小説も。

岩波書店の月刊誌『世界』8月号に「ナチスの恐怖支配に抵抗した名もなきベルリン市民の信念」という監督インタビューがある。

『世界』8月号、興味深い記事満載。例えば下記。

「国家戦略特区という欺瞞」郭洋春 奈須りえ 内田聖子 藤田英典
「フィリピンで戒厳令」加治康男
「加計学園問題の本質は何か」藤田英典
「トランプ王国の現場から」伊東光晴京都大学名誉教授 金成隆一 朝日新聞

2017年6月18日 (日)

例外主義に酔いしれるアメリカ支配層を怒らせたストーンのプーチン・インタビュー

John Wight

公開日時: 6月16日 2017年 13:59
編集日時: 6月16日 2017年 16:38
RT


©SHOWTIME / YouTube

オリバー・ストーンのウラジーミル・プーチンについてのドキュメンタリー・シリーズは、ロシア大統領に関するがさつな風刺を超えて、彼の世界観に対する洞察を得ようとする欧米の人々にとって必見だろう。

ヨーロッパ最大の国、主要核大国、地政学的な違いから生じる緊張が激化しており、近年、ワシントンとのライバル関係にあるロシアについて、そうした洞察は、確かになくてはならない。

ところが、欧米のリベラル評論家にとっては、理解ではなく、糾弾こそが当たり前で、ストーンのロシア大統領についてのドキュメンタリー・シリーズが、欧米の主流メディアから受けている雨あられの批判がその証拠だ。

ストーンが彼のインタビュー・プロジェクトについて、リベラルなアメリカのトークショー司会者スティーヴン・コルベアとしたインタビューが典型例だ。

コルベアの一連の質問は、彼の育ち、家族歴、経歴、指導者という地位についての考え、1990年代の暗い日々にロシアが直面した難題の山、様々なアメリカ大統領との関係、NATO、その他諸々実に様々な話題での、プーチンとの20時間を越えるインタビューで、ストーンが超えて先に進もうと試みたことを反すうする戯画にも等しいものだ。

ところが、コルベアのような連中にとって、インタビュー最初の質問にあるような公式言説に沿うのがずっと気楽なのだ。“あなたの[オリバー・ストーンの]は残虐な独裁者にへつらうインタビューだという人々に対して、どうお考えでしょう?”質問自体のみならず、のんきで無頓着な質問のし方が、アメリカ合州国で、何十年にもわたって進行中のニュース報道、分析や論評の知的レベルの低下を裏付けている。

その結果が、知的に余りに浅薄で、無知が軽蔑されるのではなく称賛され、わが国は例外だ論やら傲慢さが、否定されるのではなくあがめられる、見るのも恐ろしい文化だ。一方、アメリカの文化的価値観をひどく腐食した、この無知の霧や、アメリカ例外論にあえて切り込もうとするオリバー・ストーンのようなあらゆる人々には災難が降り懸かる。

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‘ロシアは、決してカリフ国にさせない’ - シリアでのISISに対する戦いについて、プーチン

プーチンは、アメリカ・マスコミによって、不当に扱われ、酷評されているというストーンの発言に対し、コルベアのスタジオにいる観客たちが笑うのを聞いて、私は古代ギリシャの哲学者ソクラテスに対する扱いを思い浮かべた。このような比較は、一見して、人が思うほど突飛なものではない。

お考え願いたい。通説、一般に真実と認められたもの、支配的なものの考え方に、あえて疑問を投じたことで、哲学者は当てこすられ、あざ笑われ、最終的には、現在ワシントンがそうである - あるいはより正確には、そうだと主張しているのと同様、当時、民主主義と自由の故郷と見なされていたアテネの権力者連中によって死刑宣告された。

興味深いのは、ソクラテスを有罪にしろという叫びが、ペロポネソス戦争(BC431-404)終結からわずか数年後、アテネと、そのライバルで敵のギリシャ都市国家スパルタとの間の緊張がまだ高かった時期に起きたことだ。

誰でも知っていることだが、まさにそういう時にこそ、反対意見が必要であるにもかかわらず、冷戦であれ熱戦であれ、戦時には、あえて文化的風潮に逆らう反対意見に対する国民の寛容は消えてなくなる。結局、最近ロシアとアメリカ間で目にしているような緊張が高まる中、万一そうした緊張が燃え上がり、直接の軍事紛争になった場合、戦闘に送られるのは、スティーヴン・コルベアのような連中ではないのだ。

これを念頭におけば、戦闘を経験し、まさに上述の例外的な国の大義で解き放たれた壊滅的な戦争を自身で直接体験している人物、オリバー・ストーンの話をじっくり聞いたほうが、おそらく、ずっと、トークショー司会者のためになっていたはずだ。

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戦略的均衡を維持すべく、NATO拡大にロシアは対応する - プーチン

1980年代にまでもさかのぼる映画監督オリバー・ストーンの一連の作品は、芸術家として、そして人間としての彼の品格の証しだ。エルサルバドルの右翼暗殺部隊に対する、アメリカによる秘密支援のひるむことのない暴露である1986年の『サルバドル』から、アメリカ諜報機関の内部告発者エドワード・スノーデンについて語る2016年の最新映画『スノーデン』に至るまで、この映画監督は真実の追求に強い情熱をもっている。だから、今後長い間にわたり、彼の作品が尊敬を集め、真面目に分析されるだろうことは、まず確実だろう。スティーヴン・コルベアの一連の作品にも、同じことが言えるだろうか?

質問をすることは、それに答えることだ。

‘Carthago delenda est’ - ともあれ、カルタゴ滅ぶべし。ローマ政治家で雄弁家の大カトが彼のあらゆる演説の最後に必ず繰り返して言っていたとされるこの言葉は、欧米文化生活の特徴たるウラジーミル・プーチンを悪者として描くキャンペーンの背後にある心情だ。

そうしたキャンペーンが大いにまん延し、強迫的なので、様々な国々、つまりアフガニスタン、ユーゴスラビア、イラクやリビアを丸ごと破壊したのはロシア大統領で、第二次世界大戦以来、どの時期よりも、より多くの人々を殺害し、より多くの混乱を招いたのは彼の外交政策だったと考えかねない。

何十年にもわたり、世界中で、アメリカがこれまでにもたらし、今ももたらしている損害に、アメリカ人を目覚めさせようとしたオリバー・ストーンは称賛に値する。彼がそうしているのを攻撃し、あざ笑う連中は、智恵ではなく、全くの無知を基盤に構築された文化の退廃を裏付けるに過ぎない。

John Wightは、Independent、Morning Star、Huffington Post、Counterpunch、London Progressive JournalやForeign Policy Journalなどの世界中の新聞やウェブに寄稿している。RTやBBCラジオの常連解説者でもある。彼は現在、アラブの春における欧米の役割を探る本を書いている。@JohnWight1で、彼のツイッターをフォローできる

本コラムの主張、見解や意見は、もっぱら筆者のものであり、必ずしもRTのそれを代表するものではない。

記事原文のurl:https://www.rt.com/op-edge/392566-oliver-stone-putin-colbert-us/
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IWJの築地問題インタビューに驚いて、インタビューに出演しておられる方々の著書『築地移転の闇をひらく』を早速拝読した。
まるで東京都版モリ・カケ共謀。国も都も劣化の極み。
大企業ファースト、間もなく、移転を発表するだろう。

『築地移転の闇をひらく』99ページの二行が目をひいた。

水谷:しかし、仮にですが、小池都知事が新しい「村」をつくったとしたら恐いことになりそうですね。
中澤:それは恐い村になりそうだ。都民の信任を得ているからよけい恐いことになりそうです。

100%そうなる。国からも都からも逃げられない奴隷。共謀罪強行で、不評になった自民党、公明党に対する、真正の新自由主義ネオコン、第二自民党の受け皿を用意しておいて、東京を第二の大阪にするという長年仕組んだ壮大な計画だろう。

今日の孫崎享氏メルマガ、お説の通りと思うが余りに悲しい現実。題名が全てを物語っている。

戦後トルーマン米国大統領「日本人は軍人をボスとする封建組織の中の奴隷国。一方のボスのもとから他方のボス(占領軍)の切り替えに平気」・タゴール「明治政府下の日本国民は精神的奴隷制度を快活と誇りをもってうけいれ」。今も続く精神的奴隷

2017年5月29日 (月)

良い気分になれる映画と、むなしい期待の新たな波を流布する欧米

Andre Vltchek
2017年5月27日
New Eastern Outlook

“南”の大ヒット映画を見ると、世界は実はそれほど絶望的な場所でないと信じ始める可能性が高い。現在の帝国主義者と超資本主義者による世界支配のもとで、事態は常に良くなると確信さえするかも知れない。インド亜大陸やアフリカのどこかの貧民街で暮らしているのであれば、一生懸命頑張れば、“自分を信じて、自分を愛すれば”、“自分の直感に耳を傾ければ”、あらゆることが最後はうまいところに落ち着く。あなたは認められ、報われ、成功という緑の丘を覆う素晴らしい新天地に持ち上げられるかも知れない。

熟考願いたい! というより… 全くお考えにならぬよう - 見て見ないふりをして頂きたい。

欧米の資金提供機関やプロパガンダ機構を喜ばせるためだけに、本や映画が常に生産されている。その過程を、私の最近の政治/革命小説“Aurora”で興味深く描いた。

アフガニスタン-アメリカ作家カーレド・ホッセイニの書いた『君のためなら千回でも』や、サルマン・ラシュディや、エリフ・シャファクのインドやトルコに関する、ほぼもっぱら欧米の読者が狙いで、作家たちの母国では軽蔑されていることが多いあらゆるベストセラーをお考え願いたい。

ラシュディやシャファクの作品は、少なくとも“文学”と見なせよう。だが今や欧米市場も主流マスコミも、、益々多くの貧しい国々の、単純で、美しい ‘前向きで’、多くの貧しい国々の現地の人々を実際には混乱させ、むなしい期待を抱かせる、より多くの‘良い気分にさせる’物語の駄本や映画を求めている。

『スラムドッグ$ミリオネア』をまだ覚えておられるだろうか? シナリオはどれだけ現実的だっただろう? そもそも、インド映画でさえなかった。『トレインスポッティング』も監督したダニー・ボイル監督の2008年のイギリス映画だった。ムンバイのジュフー・スラムが舞台だ。

2011年、映画が制作された同じムンバイのスラムで私も撮影した。多数の人々に、あの不潔で、絶望的な地域で、あのような‘成功談’がどれほどありうるのか聞いてみた。ジュフー・スラムの住民たちは、軽蔑的な身振りで映画まるごとを切って捨てた。貴重な言葉を無駄にする必要などないのだ。

益々、益々多くの絵画が制作されている! 良い気分になれる; 世界のことをとても気分良く感じられる! 映画館を出る際、涙を何滴か流そう。小声でこうつぶやこう。“あらゆることが可能だ。”体制に協力しよう。革命など忘れ、‘前向きに’考え (体制が国民にそう考えて欲しい方向で)、なにより、自分のことを考えよう!

(作品に『炎の二人』や『Water』などがある)インド人監督ミーラー・ナーイルが制作した 実際のウガンダ人チェスプレーヤーのフィオナ・ムテシに関する映画『Queen of Katwe カトウェの女王』は、本物の個人主義大作だ。実際、ウガンダかインドの映画をご覧になっていると思われたなら、完全に間違っている。アフリカ映画のように見えるが、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズが制作したアメリカ映画だ。しかも、実際“良い気分にさせる映画”として意図され、誇らしげに宣伝されている。

筋は単純で、予想通りのものだ。少女は、首都カンパラ郊外のアフリカでも最も過酷なスラムの一つ、カトウェで、徹底的な貧困の中で成長する。父親はAIDSで既に死んでおり、母親は家賃が払えず、姉は売春婦として、かつかつの生活をしている。わずか10歳のフィオナは退学を余儀なくされる。

彼女の人生は完全崩壊に近づきつつある。だがそこで突如奇跡が起きる! ハレルヤ!

フィオナは国が主催するチェス棋士養成計画に登録する。彼女は才能に恵まれていた。彼女はどんどん出世し、間もなくスーダンまで飛行機旅行し、数カ月後にはロシアにまで旅する。

これは‘実話’だとされている。確かに、ウガンダのスラムで育った貧しい少女がいた。彼女は決して頂点には至らず、決して金メダルを勝ち取ってはいないが、彼女は才能があった。映画では、彼女はトーナメントで勝利し、大量の賞金を獲得し、一家のために大邸宅を購入する(まるで宮殿のようだ)。

これが、この映画を見た貧しい幼い少女が狙うべきことなのだろうか? そのような夢は現実的だろうか、それともこれは全くの妄想なのだろうか?

悪事をあばくドキュメンタリー『ルワンダ・ギャンビット』のため、私もカトウェで撮影した。子供だった頃、私はいくつかトーナメントや競技に参加し、才能のあるチェス棋士として通っていた。映画『Queen of Katwe カトウェの女王』は、どこか変だ。チェス・チャンピォンになるには、単なる幸運と熱意以上のものが必要だ。コンサートピアニスト同様、チェス棋士が一定のレベルで戦えるようになるには、文字通り自分を殺す長年の厳しい訓練が必要だ。

私の子供時代、科学者だった父親は、私をチャンピォンにしようと夢中だった。率直に言って、長年一生懸命やったとは言え、私はさほど興味はなかった。いくつかメダルを取ったが、それ以上は伸びなかった。飢えて、ほとんど屋根もない家で暮らすフィオナが、わずか数カ月ののんびりしたコーチを受けただけでチェス名人になれただろうか?

そうなっていたら良かったと思う。だがウガンダを知り、スラムを知り、彼らの現実がいかに過酷か十分知り、もちろんチェスも知っている私は、そうはゆくまいと思う。

一体だれがこうした映画の恩恵をえるのだろう? 最も貧しい人々ではないのは確実だし、インド人やアフリカ人ではないのも確実だ!

恩恵を受けるのは、欧米や植民地で現状を維持しようとつとめている連中のように思える。連中は現地の人々に悟って欲しくないのだ。希望などほとんど残されておらず、根本的変革、唯一革命だけが、収奪されている彼らの国で、物事を逆転し良くすることができることを。

革命というのは‘共同参加の’出来事だ。決して個人が突然進歩したり‘救助されたり’‘救われたり’というものではない。ある個人や、ある家族が‘成功する’話ではない。それは国民全員が、その権利のため、進歩のために戦うことであり、全員のための社会的公正の問題なのだ。

ちょっとした‘成功談’は実際むなしい期待を抱かせて、共同社会を分裂させる。

親欧米で、超資本主義的ウガンダのフィオナの物語には、典型的な青年オーケストラや、ケーブルカー、保育所、公共図書館、コミュニティーの学習センターや、無料医療拠点などのベネズエラ・スラムの偉大な共同体プロジェクトとの共通点は皆無だ。

ミーラー・ナーイルの映画撮影技術がいかに‘素晴らしくとも’、クジに当たったり、あちこちで幸運な目にあったりしても、国が丸ごと変わるわけではない。欧米帝国主義の中心地で、これらのささやかな個人主義者の行動や勝利は慶賀され、賛美される理由はまさにこれだ。国内であれ、植民地であれ、本当の変化が起きても、決して歓迎されない。一方、あらゆる利己的な小さな勝利は、神聖なものとして扱われる。状況とは無関係に、人は自分自身のために生きるべきなのだ。

最近一体何本の、大いに‘前向きな考え方’/ 非現実的/‘良い気分になれる’/‘むなしい期待’映画を見ただろう? 沢山。たとえば、2016年オーストラリア/イギリス共同制作の、列車に乗って、故郷の町から離れ迷ってしまい、最後に愛情ある献身的なオーストラリア人家族の養子になる貧しいインドの少年に関する『LION ライオン 25年目のただいま』だ。

同じような映画や本やニュース報道の土砂降りか、なだれのようだ。ある種の‘前向きな考え方’の新たな波、あるいは‘実際、個人的幸運や個人主義によって改めることができないほど酷いものは世界にはないという教条のようだ。そうしたものの大半は、どういうわけか、欧米イデオロギー洗脳の震源地 - 英国(自国民や絶望的な植民地化された国々からやってくる移民、更には様々な遥か離れた場所で、絶望の中に暮らしている人々までの、あらゆる革命への熱望をまんまとそいだ国)とつながっている。

欧米は‘偽の現実’を産み出すのに多忙だ。そして、飢えているチェス棋士、露店商や、スラムの住民など何人かの貧しい個人が突然金持ちになり、成功し、満たされるこの奇怪な似非現実。彼らを取り巻く他の何百万人は苦しみ続ける。しかしなぜか、彼らはたいした問題にならない。

形成されつつある新たな名士集団がある - 彼らを‘魅力的貧乏人’と呼ぼう。この‘例外的な人々’、魅力的貧乏人は、欧米では、理解しやすく、祝いやすい。彼らは素早く、いそいそと、グローバルな‘やり手連中’やナルシスト大金持ちの‘主流’クラブに統合される。

アンドレ・ヴルチェクは、哲学者、作家、映画制作者、調査ジャーナリスト。彼は、Vltchek’s World in Word and Imagesを制作している。彼は、革命的な小説『Aurora』と他の何冊かの本を書いている。本記事は、オンライン誌“New Eastern Outlook”独占記事。

記事原文のurl:http://journal-neo.org/2017/05/27/the-west-spreading-new-wave-of-feel-good-movies-and-false-hopes/
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映画と言えば、『この世界の片隅に』いまだに見ていない。

昼の洗脳番組、最近、音声を消すだけでなく、テレビ自体つけなくなった。

一方、IWJのインタビューはしっかり拝聴させていただいている。以下に、今日の日刊IWJガイドの一部を引用させていただこう。共謀罪、たとえば、沖縄の米軍基地反対運動、ぴったりの標的であることがわかる。一般国民こそが対象なのだ。ちなみに、今日の日刊IWJガイド、加計問題についても、詳しい。

 昨日、岩上さんは40年以上にわたりメディア業界に携わり、現在TBSの「報道特集」でキャスターを務める金平茂紀氏にインタビューをしました。

 金平氏は、「共謀罪」について「これまでと全く違う、あまりにも危険な中身で、やり方も拙速」と批判。さらに、「共謀罪が招致するディスユートピアはすでに現実化している」として、沖縄の米軍基地反対運動の山城博治さんが逮捕された際、「警察が通話記録をおさえ、誰と誰が通話し、どういうメールをし、お金がどう動いたかを調べた。山城博治を中心にどういうネットワークができているかを調べた」という、共謀罪の「先取り」が行われている事実をお話くださいました。

 金平氏と岩上さんは、4月27日に行われた記者会見でも一緒に登壇し、「共謀罪」反対を表明しました。

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※【全文文字おこし掲載】「共謀罪は自由な情報発信を殺す」――ジャーナリストら14人が共謀罪に反対する共同声明を発表!岩上安身も呼びかけ人として参加「密告の横行で個人的な人間関係も破壊される」 2017.4.27
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/375780
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 昨日のインタビューは、以下のアーカイブからご視聴いただけます!

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※「『共謀罪』が招致するディスユートピアはすでに現実化している」!? 長年メディアで取材をしてきたTBSキャスターの金平茂紀氏が見た「監視社会の恐ろしさ」~岩上安身がインタビュー!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/380791
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 NHKや読売など、巨大な影響力をもつ大マスコミの、見るも無残な劣化と不潔な正体が明らかになった今、政権への「忖度」一切なしに報じるIWJのようなメディアは珍しいと言えます。しかし、残念ながらIWJがこれから先もきちんと「ジャーナリズム」をしていくためには、みなさまの会費やご寄付・カンパでのお支えが不可欠です。

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2017年3月28日 (火)

“わたしは、ダニエル・ブレイク”保守党緊縮政策下のイギリスの悲痛な描写

2016年10月27日、木曜日
アダム・ブース   

    “私はお客さまや顧客やサービス利用者ではない。怠け者でも、たかりやでも、乞食でも、泥棒でもない。私は国民健康保険番号ではない…わたしはダニエル・ブレイクだ。私は人間だ、犬ではない。そういうものとして、私は権利を要求する。敬意を払って、私に対応してもらいたい。わたしは、ダニエル・ブレイク、国民で - それ以上でも、それ以下でもない。”

左翼監督ケン・ローチの現在上映中の新作映画の主人公によるこうした力強い言葉が、ここ数週間、ソーシャル・メディアの書き込み、巨大広告掲示板や、イギリス国会議事堂の威圧的な壁にまで、出現している。言葉は現代の保守党下イギリスで、過酷な窮状や労苦に直面して、生存と尊厳を維持するための戦いにある映画題名の元になった主人公の絶望を描写している。しかし、映画の人気ハッシュタグ#WeAreAllDanielBlakeが示唆している通り、ダニエルの物語は、フィクションとは言え、決して非現実的でも、例外的でもない。実際、ダニエルの物語で最も悲劇的な部分は、今の緊縮政策時代、このような話がどれほどありふれたものかということにある。.

薄情な世界の暖かい心

映画冒頭の対話が、それ以降の映画の場面を設定する。孤独で無力な一人の男が、彼があきらめて視野から消えるまで、あらゆる自尊心の感覚をくじき破壊するように作られてそびえている体制とむなしく戦う。ユーモアのあるダニエルは、冷淡な官僚を前にして、就職斡旋・失業手当て“意思決定者”に、仕事をしたくないわけではないが、心臓病の結果、医者の指示のためできないと説明しようと無駄な努力を試みる。

しかし残酷ながら、素晴らしい映画の皮肉は、ダニエルが、この薄情な世界で、人情のあるわずかな人々の一人。壊れているのは彼の心ではなく、彼や、彼と同様な状態にある人々を取り巻き、包み込んでいる体制だ。

次々の場面で、タイン川流域出身者のダニエルが、何のためらいもなく、隣人、友人、さらには見知らぬ人に対してまで行う優しさと連帯の様々な行動の心を動かす天真らんまんさを見せられる。しかも“怠け者、たかりや、乞食、泥棒”とは決して見られたくない彼は、何も見返りを求めず、誇りと頑固さから、申し出されるお礼を断る。

資本主義に流される

働いて給料を得る機会を、健康状態が理由で拒否したダニエルは、請求書に支払いするため、いかなる慈善も受けずに、あらゆる世俗的財産を売ることを余儀なくされる。しかし、ローチが示す通り、ダニエルには技能や才能がないわけではない。彼は練達の大工で、便利屋で豊富な経験とingenuity。彼は働いて、彼の技術を活用したいのだ。しかし、資本主義の変化という踏み車についてゆけず、コンピューターとスマート・フォンの海の中で迷い、他の多くの人々同様、彼は現代社会の中を流されていることに気がつく。

職業紹介所と、その上の雇用年金局の迷路とカフカ風機構の中を通り抜けるため、次から次と障害に突き当たる中、カメラは、主人公の戦いの各段階で、明らかな失敗ごとに嘆息するのを - 虐げられた人のため息を追い続ける。彼が是が非でも必要とし、それに値している生活費支給に対する厳格な門番として働く、上から目線の支給窓口職員のおかげで、自分が力量不足で、無能であるような気にさせられる。しかしダニエルの周囲にいる身近な人々は、無能がとは思っていない。というより、ダニエルが言うとおり、まともな仕事を全員に提供することができない制度によって、社会のごみ捨て場にあてがわれた極めて有能な人物だと見なしているのだ。

同じように失意の“サービス利用者”に対する連帯感を示すことで、ダニエルは、シングル・マザーのケイティーと二人の子供と友情を築く。彼女と子供たちに、他の誰も与えないもの、注目と配慮と敬意を与えて、二人の進路に置かれた無数の困難を切り抜けようとしながら、ダニエルとケイティーはお互いに助け合う。二人とも逆境に会いながらも毅然とした態度を維持しようとするが、ある時点で、圧力が二人を圧倒し、特にケイティーは窃盗と売春という行為で、自らを傷つけることを強いられる。

そこでまた、ケイティーが、子供たちに食べさせるため、何日間も自分を飢餓状態にした後、初めて困窮者に食料を配給する食料銀行に行く際、ローチ監督は、何百万人ではないにせよ、何千人もの生活の現実を、悲痛な形で描きだす。飢えと疲れのために自分を抑えられなくなって、ケイティーは、ほんのわずかな間、ダニエルが必死に、そうなるのを避けていた動物に変身し、深刻な飢えを和らげるため、公民館の真ん中で、豆の缶詰をこじ開けて、それを生のまま食べてしまう。

支配階級の軽蔑

社会主義者ローチの新作映画は、“チャンネル4放送の番組「Benefits Street」で失業給付を請求する人々と大違いの二人の主人公という“福祉給付請求者の信じられないほど架空の姿”、“中流の上の都市エリートが想像する給付申請者”を描いているという右翼マスコミの上から目線評論家による厳しい批判を受けている。だが、そのような陳腐な言辞は、支配階級や連中の代理人たちが、労働者階級に対して持っている軽蔑の正確な反映だであり - まさにこの既存支配体制の軽蔑こそが、『わたしは、ダニエル・ブレイク』が官僚と国家の無用な煩雑な手続きとの映画題名の人物の戦いを通して、浮き彫りにしているものなのだ。

だが既に述べた通り、本当の悲劇は、ローチの映画が“不正確”で“誇張”どころか、イギリスで、何千何百万人もの最も貧しく、虐げられた、弱い人々が直面している本当の状況の実に生々しい痛烈な描写であることだ。実際、今週の学術的研究による数値が、ダニエル・ブレイクが脅かされているような支給制裁や、ケイティーや何十万人もの他の人々が頼ることを強いられている食料銀行の利用の間の明白なつながりを示している。

今年のカンヌ映画祭で、パームドールを受賞したローチの映画は、福祉支給申請者が耐えなければならない侮辱的対応に光をあてる仕事に対する称賛に値する。しかし、だからといって、映画と監督に非の打ちどころがないということにはならない。

指導部についての疑問点

ローチの映画の中心には、二つの根本的な欠陥がある。まず、映画が批判する対象は、この体制を作り出した政治家たちというより、大半がダニエルとケイティーが直面する官僚体制におかれているように見えるが、より重要なのは、政治家たちが守っている権益だ。映画では終始、主な悪役はダニエルや他の受給者を、単なる画面上の番号として冷淡に扱う労働厚生省職員だ。公務員たち自身も、現実には、保守党の緊縮政策と民営化の犠牲者だ。実際、保守党に触れるのは、就職斡旋所の外でのダニエルの反抗的行動に喝采し、一方、政府、特に元労働年金相で、福祉国家に対する最近の攻撃の主要計画者イアン・ダンカン・スミスをなじる、唯一の理性の声、一人の大酒のみだけだ。

映画を、あからさまに“政治的”にはしないのがローチの狙いだった可能性もある。おそらく彼は、まさに保守党による攻撃に直面している人々は政治活動に関わる時間も能力も一番不足している人々であることを浮き彫りにしているのだ。ばらばらにされ、尊厳を剥奪され、ダニエルとケイティーは、なんとか生活をやりくりするのに必死で、政治について考える時間がないのだ。

とはいえ、そうした視点を選んで、意図的であれ、うっかりであれ、ローチは、ほとんど全く虚無的な絶望と悲観の姿を描いている。賞賛されている監督のこれまでの映画には、常に前途に光明が見える感じがあった。主人公は、革命的情熱、正義感と楽観主義に満ちていた。ところが『わたしは、ダニエル・ブレイク』では、ときの声も動員の呼びかけもない。実際、ダニエル地域の職業紹介センターの壁に抗議の声明をスプレーで描いて抵抗しようとした際、彼を支援したのは、女性だけの集団、一人の酔っぱらいと、自取り写真をとりたがっている二人の若者だけだった。

人々に、組織化して、保守党や連中の緊縮政策プログラムに反撃する自信を与えるどころか、ケン・ローチは観客を絶望の穴に突き落とすだけだ。“我々全員、ダニエル・ブレイク”だというのは真実だが、削減と、保守党による攻撃の犠牲者に対する団結が十分ではない。ローチ自身、これまでの作品で正しく強調してきた通り、究極的には、指導部の問題だ。

終生の社会主義者で活動家のローチは、労働党のコービン指導部をはっきり支持してきた。今必要なのは、コービン運動のそうした指導者たちが、前進する道を示し、労働党内での革命を完成させることだ。労働党と、その周辺の運動を、保守党に反対し、緊縮政策に反対し、資本主義に反対し、大胆な社会主義的代案を進める、戦う大規模運動へと転換することだ。ダニエルや、彼と同様な立場にある何百万人もの人々にふさわしい権利と尊厳を我々が実現するには、それしかない。

記事原文のurl:https://www.socialist.net/i-daniel-blake-a-heart-wrenching-portrayal-of-tory-austerity-britain.htm
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国営放送、昨日夕方の解説者をみながら、電波幇間とはこういう人を言うのだろうと思った。
大本営広報部の話題は、甲子園、雪崩事故、小学生殺人事件、旅行会社の倒産。
アッキード事件から目を逸らせるための洗脳呆導に熱心だ。
解明するなとは言わない。しかし、国民全員の今後の運命への影響度では、土地問題、日本懐疑とは、比較にならない話題だろう。

この映画、まだ見ていない。見にゆく前の事前知識として読んだものゆえ、見た後、制度の固有名詞がわかり次第改めたい。

彼の映画については、下記記事を訳してある。

『天使の分け前』失業中のスコットランド人の若者に関する、余り厳しくないお話

ケン・ローチの『ルート・アイリッシュ』: イラク戦争帰還す

2017年3月 1日 (水)

テロを讃えるハリウッド

2017年2月27日 月曜日
スティーブン・レンドマン

ハリウッド・アカデミー賞は、金儲けのための映画販促が狙いで、業界最高作品とはほとんど無関係だ。

祭典は、この安ピカ町とワシントンとの長年のつながりも反映している。脚本は親欧米プロパガンダだ。

スタジオのボス連中は、アメリカ戦争賛美に加担し、“イスラム・テロリスト”やロシアを含む敵を悪者として描くことでたっぷり褒賞を貰う。

プロパガンダ映画の内容と登場人物の最終決定権を持つのはワシントンだ。ワシントンは連中の計画を売り込むのが狙いで、いくら見たとて賢くなるわげではない。

歴史が書き換えられる。国がスポンサーになった9/11事件が利用される。ならず者CIA工作員連中が英雄として描かれる。アメリカ帝国主義の計画を支持するほうが、真実よりも重要だ。

2013年、『アルゴ』がハリウッド最高の映画に選ばれた。1979年/1980年イラン人質危機の話題を作り変えているかどで、称賛されるのではなく、糾弾されるべきだった。

映画は悪意ある、片手落ちで、一方的な、焦点を当てるべきことを無視し、欧米の誤報に基づいてイランを紋切り型に描き出す最悪のハリウッド・プロパガンダだ。

日曜日のハリウッド第89回アカデミー賞で、テロリストを英雄として描くホワイト・ヘルメット・プロパガンダ映画が昨年のアカデミー賞短編ドキュメンタリーに選ばれた。

この集団は連中が主張する民間防衛とは無関係で、シリアの主権独立に反対するテロを全力で支持している。

連中の要員はヌスラ戦線(シリアのアルカイダ)が支配する地域で活動している。自らを何万人もの人々の命を救っているボランティア救援作業者と称しているのはたわごとだ。

アメリカとイギリスがこの集団を支持している。ソロスのオープン・ソサエティー財団や同類の欧米権益支持団体も支持している。

斬首や他の残虐行為のさなか、ホワイト・ヘルメット連中はヌスラ戦線テロリストと一緒に写真をとり、映像をとっていた。連中は、シリアが領空を自衛するのを阻止すべく、飛行禁止空域設置を支持している。

シリア連帯運動は、彼らのことを、人道主義を口実にして、テロと帝国主義的破壊を助長する“整形した”アルカイダと呼んでいる。

この団体につながる連中は本質的な自由の敵であり、調停者ではなく、戦士で、シリアの主権独立を圧政で置き換えようとしている外国が支援する闇の勢力だ。

彼らは2016年ノーベル平和賞にノミネートされた。だが賞は麻薬国家テロリスト、フアン・マヌエル・サントス、コロンビア大統領が受賞した。ジェームズ・ペトラスが説明している通り、アルヴァロ・ウリベの国防大臣として、“人口密集地丸ごと”虐殺することで悪名が高かった。

ノーベル賞委員会メンバーは国家テロに賞を与えた。昨晩、ホワイト・ヘルメットを昨年のアカデミー賞短編ドキュメンタリーに選んだことで、ハリウッドも同じことをしたのだ。

スティーブン・レンドマンはシカゴ在住。lendmanstephen@sbcglobal.netで彼に連絡できる。

彼が編集者、寄稿者となっている新刊の題名は"Flashpoint in Ukraine: How the US Drive for Hegemony Risks WW III"。

http://www.claritypress.com/LendmanIII.html

彼のブログはsjlendman.blogspot.com.

素晴らしいゲストとの最新の議論がProgressive Radio NetworkのProgressive Radio News Hourで聞ける。

記事原文のurl:http://sjlendman.blogspot.jp/2017/02/hollywood-honors-terrorism.html
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ハリウッドのセレモニー、作品賞を間違えたと、電気洗脳装置はいっていたが、ホワイト・ヘルメット・プロパガンダの異常さに触れた大本営広報部放送局、新聞記事、あったのだろうか?以前に下記記事を訳してある。

“ホワイト・ヘルメット”“アレッポを救え”抗議行動は、俳優を“戦争犠牲者”に変装させるのが、どれだけ容易か証明

『私の闇の奥』、『櫻井ジャーナル』では関連記事を拝読した。

白いヘルメット( White Helmets )『私の闇の奥』

手先の侵略軍が劣勢になり、米好戦派は「穏健派」や「白ヘル」のタグに付け替えて反撃を目論む『櫻井ジャーナル』

文中の映画『アルゴ』については、下記記事を訳してある。

ベン・アフレックの『アルゴ』: アメリカ外交政策の受容

異神の異常さ、幼稚園小学校問題で、ようやく目につくようになったのだろうか?ああいう教育を、自民党も、公明党も、維新も是認支持している。

皇国教育、売国政策推進策のメダルの片面。国を売り飛ばせば売り飛ばすほど、旗や歌で洗脳せざるを得なくなる。恥部を隠す、いちじくの葉。

Russian propaganda effort helped spread ‘fake news’ during election, experts sayという記事で、ロシアの声を代弁する200のニセ・ニュースサイト、というレッテルを貼り、連中に不都合な、まともなweb排除を推進している陰の政府の声が、小学校土地疑惑記事を掲載したのは一体何を意味しているのだろう?

In Japan, a scandal over a school threatens to entangle Abe

このメディアの大統領選挙時に掲載されたロシアの手先という記事について直接触れたPaul  Craig Roberts氏の『真実に対する欧米の戦争』を訳してある。

大本営広報部が扱わない深刻な問題に関するIWJの今日のこの番組、拝聴したいと思う。

【Ch4】16:00~「共謀罪を考える超党派の議員と市民の勉強会 第3回『共謀罪の問題点』」
視聴URL: http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=4
※内容は、「刑事法から見た共謀罪の問題点」刑事法学者から(予定)、「治安維持法と共謀罪」海渡雄一氏(弁護士)など。

2017年1月18日 (水)

オリバー・ストーンの『スノーデン』: NSAは“対世界捜査網を運営している”

Joanne LaurierとDavid Walsh
2016年9月20日
wsws.org

オリバー・ストーン監督; ストーンとキーラン・フィッツジェラルドの共同脚本

1980年代中期以来、映画を監督してきたベテランのアメリカ人映画監督オリバー・ストーンが、国家安全保障局 (NSA) の内部告発者エドワード・スノーデンに関する映画を制作した。『スノーデン』は“愛国者”でイラク戦争の断固たる支持者だった、2004年のアメリカ陸軍予備役への特殊部隊候補者志願から、2013年に、世界監視というNSAの違法な取り組みを暴露するという決断に至るまでの題名となった主人公の変化を追っている。


『スノーデン』のジョゼフ・ゴードン=レヴィット

ストーンの映画は真面目な取り組みで、done with品位。『スノーデン』は北アメリカでは、9月16日に公開され、今週末までに、約20カ国で公開される。アメリカ政府とマスコミによって“国賊”と糾弾されている人物スノーデンの、概して好意的な描写をしている作品を、何百万人もの人々が見るというのは、相当な意味がある。これは、公式世論と、広範な国民の感情と意見の間の巨大な(しかも大きくなりつつある)溝を物語っている。特に、若者の間では、スノーデンは大いに尊敬される人物だ。

映画は、2013年6月、現在、身を隠しているスノーデン(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)と、ドキュメンタリー映画制作者のローラ・ポイトラス (メリッサ・レオ)と本物のジャーナリスト グレン・グリーンウォルド(ザカリー・クイント)とが出会う香港から始まる。彼らに、間もなく、余り気が進まないながらも、スノーデンが隠し持った秘密NSA文書の一部を公表することを計画しているガーディアン紙のイーウェン・マカスキル(トム・ウィルキンソン)が加わる。ポイトラスは、後にドキュメンタリー映画『シチズンフォー』(2014年)となるもののために、ビデオを撮影している。

豪華なミラ・ホテル内の雰囲気は、非常に緊張している。スノーデンは、ドアに枕を押しつけ、NSAやCIAが会合場所を特定するのを防ぐため、携帯電話は電子レンジの中に保管されている。スノーデンは、ジャーナリストや映画制作者たちに、NSAスパイ活動普及の度合いについての教育を始める。ポイトラスのドキュメンタリーが物語っているように、スノーデンから彼女が受け取った最初の電子メールの中で、“あなたが越える全ての国境、あなたがする全ての買い物、あなたがかける全ての電話、あなたがそばを通り過ぎる携帯電話電波塔、あなたの友人たち、見るサイト、あなたが入力するメール題名は、システムが及ぶ範囲が無限で、それへの抵抗策はないシステムの手中にあるのです”と彼は彼女に伝えていた。

香港の場面の後、ストーンの映画は、スノーデンのジョージア州、フォートベニングでの陸軍予備役時代へと戻る。彼はまだ、ブッシュ政権の“対テロ戦争”プロパガンダの影響下にある。負傷した後、除隊になり、CIAに職を見つける。彼はこの機関の教師で、最終的には、恩師となったコービン・オブライアン(リス・エヴァンス)に教育を受ける。オブライアンは、最初の講義で、もし“次の9/11がおきれば、それは君たちの責任だ。”と新兵に語る。


リス・エヴァンス

『スノーデン』の中核は、様々な政府のスパイ機関と、その事業の本質的性格に関する、主人公と、我々の最終的な悟りだ。例えば、オブライアンは、中東の状況に関して、スノーデンの誤った考えを捨てさせる。このCIA職員は素っ気なく言う。20年間“イラクは誰も気にしない地獄のような場所のままだろう。”彼は言う。紛争の中心は中国、ロシアとイランだ。

ジュネーブや東京やハワイなど様々な場所に転任し、その間、スノーデンは、CIA、NSA、あるいは、個人の契約業者として働きながら、諜報機関が壮大な規模で、憲法上の権利を侵害しているひどさに益々気づくようになる。

ジュネーブでは、例えば、皮肉で物知りの同僚、ガブリエル・ソル(ベン・シュネッツァー)が、スノーデンに、NSAの秘密計画の一つ、XKeyscoreが一体何ができるかをデモする。XKeyscoreは、基本的に、あらゆるプライバシー対策を回避できる極めて強力な検索エンジンだ。理論的には、政府の外国のスパイに対する監視令状要請を監督しているはずのFISA裁判所[アメリカ合州国外国情報活動監視裁判所]について問われると、裁判所のことを“もったいぶって安易に承認する組織”だとガブリエルは切って捨てた

最も背筋が寒くなるような場面の一つは“トンネル”として知られている、中国に対するスパイが業務のハワイの巨大な地下のNSAコンプレックスで起きる。大勢の技術者や工作員が、極めて先進的な装置を使って、アメリカの経済上、軍事上のライバル諸国を監視するため、四六時中働いている。アメリカの軍-諜報機関世界戦争に向けて準備する中、これこそがreal face国際テロ。オブライアンがあるところで言っている通り、“現代の戦場”は“あらゆる場所だ”。この時点までに、スノーデンは、“全世界に対して捜査網を敷いているとは教えてくれませんでした。”と言えるようになっている。

ガールフレンドのリンゼイ・ミルズ(シャイリーン・ウッドリー)と暮らしていたハワイ州で、スノーデンは、NSAの秘密を全世界に暴露する計画をたて始める。

『スノーデン』制作に着手したオリバー・ストーンの功績は認めるべきだ。彼はこのために、あえて危険を冒したのだ。「バラエティー」誌に“良い脚本、良い配役と、妥当な予算なのに、我々はあらゆる主要スタジオで拒否されました。スタジオの所長は‘ああ、これは良い。話して見ましょう。問題はありません。’と言うのです。話が上にあがり、数日後、何も返事はないのです。”と監督は語っている。


スノーデン

デッドライン・ハリウッドのインタビューで、ストーンは言う。現在“アメリカに批判的な”映画を制作するのは困難です。そうではなく、ビン・ラディン映画[つまり、ゼロ・ダーク・サーティ]があるのです。世の中はそうなっていると思います。軍についてのあらゆること、CIAについてのあらゆること。テレビドラマ『Homeland』をご覧願いたい。『24』をご覧願いたい。トム・クランシーの様々な作品をご覧願いたい。 … この映画を制作するのがどれほど困難だったか申しあげたいのです。”

ストーンは、ロシアに出かけて、スノーデンに九回会ったと言われている。ゴードン=レヴィット(彼の祖父、映画監督のマイケル・ゴードンは、1950年代、ブラックリストに載せられた)も、モスクワを訪問し、スノーデンと数時話をした。『スノーデン』では、実際この俳優は、外面の模倣を越えている。ゴードン=レヴィットは主人公スノーデンと彼の深みと信念に関する重要な本質を把握している。更に、エヴァンズは特に邪悪で、ウッドリー、シュネッツァー、ティモシー・オリファント(CIA工作員役)やスコット・イーストウッド(NSAの中級将校役)も素晴らしい。

映画の強みは、まやかしの“不偏不党”を避け、物語をスノーデンの立場から語っていることだ。全く適切にも、彼の視点を前提としており、高まる戦慄は、何百万人ものアメリカ人や世界中の他の人々にも、共有されている。

スノーデンは、アメリカ国家と取り巻き連中による集団的な殺意ある敵意に直面し続けている。映画は彼のための発言になっている。その意味で、スノーデンが「ナショナル・レビュー」(“国産の煽動”)や「スレート」(“漏れがちなスノーデン神話 ”)など恥ずべき愚劣な攻撃を受けたと示唆しているのは絶賛に値する。先週、WSWSが述べた通り、彼は“国家安全保障に対し、大変な損害をもたらした”と主張し、スノーデンを恩赦しないよう強く要求する9月15日付けバラク・オバマ大統領宛て書簡に、下院情報問題常設特別調査委員会メンバー全員が署名した。ヒラリー・クリントンも同じ主張をしている。

オバマに関しては、映画は、2008年選挙が、NSAのスパイ怪物に対して、何の影響も無かったことを明らかにしている。スノーデンは、ある場面でこう発言する。“[オバマ]で物事は良くなるだろうと私は思っていた.” ルーク・ハーディングは、『スノーデン・ファイル: 地球上で最も追われている男の真実』(この映画が依拠している、二冊の本のうちの一冊)の中で、スノーデンの発言を引用している“権力の座について間もなく、彼[オバマ]は、体系的な法律違反捜査への扉を閉じ、いくつかの虐待的事業を深化、拡大し、人々が罪状も無しに監禁されている、グアンタナモに見られるような人権侵害の類を終わらせるために政治的資本を費やすことを拒んだ。”

「デッドライン・ハリウッド」に“連中が何を言おうと、オバマは多数の一般市民や多数の無辜の人々を殺害したのです。しかも連中は彼が妥当だと考えています。彼はブッシュより、多くの無人機を飛ばせました。彼は最高殺人者となったのです”とストーンが語っているのは立派だ。映画監督はこう続けた。“反戦政党が存在しないことを私は懸念しています。反戦の声は存在しません。民主党も共和党も、戦争を支持しています。”

ストーンは、極悪非道なNSA事業のタコのような特徴と活動範囲を、視覚的手段や、他の手法で、分かり易くしようとして、大いに苦心もしている。

とはいえ、『スノーデン』には重大な限界があるのも驚くべきことではない。映画は決して本気で答えようとしていない、そうした疑問の一つ、しかもそれは大きなものはこれだ。連中は一体なぜ、こういうことをしているのだろう? 一体なぜ、NSA、CIAやアメリカ政府全体が(そして世界中の他の諜報機関が)全面監視事業を行っているのだろう? 一体なぜ連中は、地球上のあらゆる男性、女性や子供の意見や習慣を知りたがるのか?


シァイリーン・ウッドリーとゴードン=レヴィット

このほぼ無限のスパイ行為は、2001年9月11日の出来事(オブライアンの上記発言を参照)に対する過剰反応に過ぎないという説得力の無い示唆は、真面目に検討するに値しない。そもそも大規模監視は何十年も前に始まっていたのだ。実際、9/11攻撃は事前にしっかり準備されていた計画を実施する好機となったに過ぎない(ある種の技術の発展にも依存していた)。スパイ行為の普遍性そのものが、深刻な経済的、社会的危機の時期に、あらゆるエリート支配者が自国民に対して感じる組織的なもの、強い恐怖感を物語っている。

関係する他の問題もある。スノーデン-ミルズのロマンスは、おおげさで、『スノーデン』で強調されすぎている。ストーンが、主人公を、大衆の目に対する人間味を与え、諜報世界と敵対すると決めた際、スノーデンがどれほどの犠牲を覚悟していたかを示したかっただろうことは確実だ。将来、内部告発者となると決めた決定的瞬間について、監督はこう語っている。“あの時点で、彼は彼女もあきらめたのです。彼はこの女性にほれ、彼女は10年間、生活の中にいたのです。… 二人は子供を持とうとしていたのです。彼はこの決断をし、それを彼女に言うことさえできなかったのです。” 監督の意図が何であれ、こういう関係は、より興味をそそる、重大な物事の邪魔になることが実に多い。

それはさておき、ストーンと共同脚本家キーラン・フィッツジェラルドと俳優たちが、配慮と献身によって、スノーデンの物語の重要な要素を映画にしてくれたのだ。このドラマには、現代における重大な問題のいくつかが含まれている。何よりも、独裁制と、戦争の危険だ。

スノーデン本人については、ストーンはインタビュアーに、こううまく語っている。“29歳の青年がこれだけのことをしたというのは、実に驚くべきことです。私にはあれは到底できなかった。あなただって、あの年で、ああいうことはできなかったでしょう。”

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2016/09/20/snow-s20.html

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「オリバー・ストーン監督の日本への警告 20170118 NEWS23」 は衝撃的。事実だろう。

これに先行するドキュメンタリーについては、下記記事を翻訳してある。

スノーデンのドキュメンタリー映画『CitizenFour』アカデミー賞を獲得 2015年2月23日

映画と言えば、ハヤカワ文庫で、ジョージ・オーウェルの『動物農場』とオルダス・ハクスリーの『素晴らしき新世界』が、劇場アニメ『虐殺器官』公開記念 ディストピア小説フェアの連動新刊として刊行されている。

『虐殺器官』は、購入したまま、積ん読状態。

IWJの配信予定、この映画に関連する部分をコピーさせていただこう。

◆中継番組表◆

**2017.1.18 Wed.**

あくまで予定ですので、変更、中止、追加などがある場合があります。また電波状況によっては、安定した中継ができない場合もございますので、ご了承ください。

【録画配信・Ch4】時間未定「オリバー・ストーン監督最新作 映画『スノーデン』記者会見 ―登壇者:オリバー・ストーン監督」
視聴URL: http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=4
※同日収録の「オリバー・ストーン監督最新作 映画『スノーデン』記者会見」を録画配信します。配信時間は確定次第、岩上安身とIWJスタッフアカウントのツイッターでご案内いたします。
◆『スノーデン』1月27日(金)TOHOシネマズ みゆき座ほか全国ロードショー◆
配給:ショウゲート (C)2016 SACHA, INC. ALL RIGHTS


【Ch4】18:30~「オリバー・ストーン監督最新作 映画『スノーデン』ジャパンプレミア ―登壇者:オリバー・ストーン監督、登坂絵莉(女子レスリング・リオ五輪メダリスト)」
視聴URL: http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=4
※オリバー・ストーン監督最新作 映画『スノーデン』のジャパンプレミアを中継します。
◆『スノーデン』1月27日(金)TOHOシネマズ みゆき座ほか全国ロードショー◆
配給:ショウゲート (C)2016 SACHA, INC. ALL RIGHTS


【再配信・IWJ_YouTube Live】19:00~「スノーデン氏が暴く!米国による巨大監視システムの実態とは――岩上安身による小笠原みどり氏(元朝日新聞記者、カナダ・クイーンズ大学大学院博士課程在籍)インタビュー (前編)」
YouTube視聴URL: https://www.youtube.com/user/IWJMovie/videos?shelf_id=4&view=2&sort=dd&live_view=501
ツイキャス視聴URL: http://twitcasting.tv/iwakamiyasumi
※2016年12月26日収録。米国の違法な諜報活動を世界中に暴露して追われる身となった元NSA職員・エドワード・スノーデン氏に単独インタビューをおこなったジャーナリスト・小笠原みどり氏への岩上安身によるインタビューを再配信します。なお、岩上安身によるインタビュー中継及び、再・録画配信は、YouTubeのライブストリーミングを使用して配信いたします(詳しくはこちらをご参照ください→ http://iwj.co.jp/wj/open/archives/355478 )。
記事URL: http://iwj.co.jp/wj/open/archives/354108

IWJ、先日のTPP交渉差止・違憲訴訟 第7回口頭弁論期日 ―口頭弁論後の報告集会も報道しておられる。

日本はまだTPPを批准できていなかった!?裁判は終結したが、おどろくべき事実が明るみに!!~TPP交渉差止・違憲訴訟 第7回口頭弁論期日 ―口頭弁論後の報告集会
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/356835

2017年1月11日 (水)

『アイ・イン・ザ・スカイ』: リベラル対テロ戦争

Joanne Laurier
2016年3月31日

ギャヴィン・フッド監督; ガイ・ヒバート脚本

『アイ・イン・ザ・スカイ』は、イギリスとアメリカの高官連中がケニヤ、ナイロビでの無人機攻撃の結果を比較考量する政治・軍事スリラーだ。南アフリカ生まれの映画制作者ギャヴィン・フッド(『ツォツィ』、2005年、『レンディション』、2007年)が監督した、残念ながら、甚だしく、でっちあげられた、ありそうもない一連の環境に基づくテンポの速い映画だ。

映画の主人公は、いずれもソマリアの聖戦士集団アル・シャバーブの主要メンバーである過激派イギリス人女性と、その夫を追跡するイギリス軍の厳格な諜報将校キャサリン・パウエル大佐(ヘレン・ミレン)だ。南イングランドの軍事基地で、パウエルは、アメリカ無人機のカメラ映像を通して、この二人のイスラム主義の人物がナイロビに到着し、武装反政府派がパトロールしている貧しい人口の多い地域にある家に移送される途中であるのを把握する。


『アイ・イン・ザ・スカイ』のヘレン・ミレン

ケニア諜報機関が操縦するサイボーグ昆虫-小型監視装置が、自爆攻撃任務に備えるテロリストの画像を送ってくると、パウエルは、命令を“捕獲”から“殺害”に格上げしたいと思うようになる。

ミサイル攻撃を是非とも要求したいとは思うものの、ロンドンで、様々な政府閣僚や法律顧問と一緒の部屋で観察している上司のフランク・ベンソン中将(アラン・リックマン最後の映画出演)の承認を得なければならない。イギリス外務大臣(イアン・グレン)は、シンガポールで開催されている武器見本市に参加している。

一方、ネヴァダ州のアメリカ空軍基地では、攻撃による巻き添え被害を懸念する二人の若いアメリカ人の無人機パイロットが、パウエルの決断を恐る恐る待っている。北京で中国高官と卓球をしているアメリカ国務長官も、アメリカ政府法律顧問も、アメリカ国民一人とイギリス国民二人がいるにもかかわらず、(少なくとも)“標的”破壊を受け入れるのに協力的だ。

主な障害は、標的の家の近くで、パンを売っている可愛いケニアの少女アリア(アイシャ・タコウ)だ。シンガポールで、外務大臣は、自爆犯が多数の人々を殺害するのを放置されれば、イギリスにとって、広報活動上有利になるが、もし軍が、住宅を殲滅して、子供を負傷させたり、殺害したりし、特に、もし作戦映像が、ウイキリークスの類のメディアで公表されるようなことになれば-広報活動上の大惨事になると考える。

それにもかかわらず、より冷酷な発想がまさる …

『アイ・イン・ザ・スカイ』では、才能ある俳優たち(やコリン・ファースなどのプロデューサーたち)が説得力を与えており、その条件を基盤にしたそれなりに良く構成された映画だ。とはいえ、問題は、まさにこの“条件”つまり、何よりも“対テロ戦争”の正当性だ。そこで、そのような演技力も、ほとんどデマ宣伝の見かけを良くするの役立っているだけだ。


アラン・リックマン

現実の偽りの表現には、重要な筋書きの仕掛けが必要になる。映画制作者たちは、自爆犯を逮捕する可能性を早々に排除している。一体なぜだろう? 連中の人数はごくわずかで、彼らはビデオ制作や、ベストに爆発物を付けるのに時間をかけている。これがケニア警察の問題以上のものになるべき理由はないのだ。

ところが、過去15年間ほど“対テロ戦争”の提唱者が活用してきた脅し作戦シナリオに沿って、ヒステリーの雰囲気がでっちあげられる。2005年に、例えば、極右コラムニストのチャールズ・クラウトハマーが、ウイークリー・スタンダードに、拷問を正当化するため、以下の状況を設定して書いている。“あるテロリストが、ニューヨーク市に核爆弾を仕掛けた。それは一時間で、爆発する。百万人が死ぬことになる。あなたは、テロリストを逮捕する。彼は核爆弾をしかけた場所を知っている。彼は口を割ろうとしない。 … この男の親指を縛って、つり下げれば、百万人を救う情報が得られるという考えが少しでもあった場合、そうすることは許されるだろうか? … この悪漢の親指を縛ってつり下げるのは許されるだけではない。それは道徳上の義務なのだ。”

これは全て空想だ。そのような状況には決してなったことはないし、そうなることもない。これは、政敵連中を最も残虐な手段で処分するための独裁的支配と権限が欲しくてうずうずしている連中の主張だ。

『アイ・イン・ザ・スカイ』は、もちろん、そのように見なしているわけではない。とは言え、主題はほとんどイカサマに近い。このように強調された劇的状況は、思考を停止させ、パブロフの条件反射にそって、神経系を活動させる。しかも、可愛い無辜のケニア少女が時折登場して、緊張を高める。あらゆる点について、情報操作の匂いがする。(アンドリュー・ニコルの『ドローン・オブ・ウォー』のほうが、欠点はあるにせよ、無人機戦争に関しては、遙かに批判的な映画だ。)

映画制作者たちが決して切り出したり、たぶん考えたりしたこともない重要な問題がある。こうしたテロリスト連中は一体何者で、一体どこから来たのか? ケニヤや、東アフリカ全体の社会状態は一体どうなっているのか? 地域の歴史は一体どうなのだ? イギリスとアメリカの軍や諜報機関はそこで一体何をしているのか? 『アイ・イン・ザ・スカイ』には、歴史もなければ説明もない。

そもそも、これまでのあらゆる大規模テロ攻撃において、聖戦主義分子連中は、何らかの時点で、欧米列強や、その治安部隊とつながっていたり、あるいは、そうした治安部隊によって、あやつられていたり、極めて厳重に監視されていたりすることが明らかになっていることに留意すべきなのだ。

アル・シャバーブは、2006年に、ソマリアで出現し、2012年以来、アルカイダと正式に提携している。この組織の兵卒は、困窮した若者で満ちており、アメリカが支援するアラブ諸国政権とつながった工作員連中に率いられている。

しかも、ケニヤ政府は、アフリカの角支配を維持するというアメリカ政府の動因にとって、忠実なパートナーなあることは証明済みだ。この地域は、アフリカの新たな植民地化争奪戦の中心で、犯罪人連中が犯行現場に戻りつつあるのだ。しかも、東アフリカにおける19世紀末からの、かつての植民地宗主国の中で、最も残虐だったのはイギリス支配階級で、彼らによる、1950年代のマウマウ団の乱弾圧は、ベトナムやアルジェリアにおける残酷な戦争と同等の、帝国主義者による暴動鎮圧活動の最も悪名高いモデルの一つだ。

キャロライン・エルキンズの『イギリス強制収容所: ケニヤにおける帝国の残虐な終焉』によれば、イギリス植民地政府は、膨大な人数の人々を、収容所に拘留したり、鉄条網で包囲した村々に閉じ込めたりした。“1952年から、1960年の終戦までに、十万人あるいは、それ以上の拘留者が、疲労、病気、飢餓や、組織的な、肉体への残虐行為などの組み合わさった効果で亡くなった。”

南アフリカ出身の監督が一体どうして、まさに元植民地だった国における重大な政治的危機を、この最近の歴史にふれずに、本気で扱うことが可能なのだろう? 一体なぜ、フッドは、多数のイギリス高官が、ケニア国民に対して、実に繊細な、公平な態度で振る舞っているように、さりげない顔で描き出すことが可能なのだろう?


『アイ・イン・ザ・スカイ』

ほぼ必然的に、この知的屈伏度合いからして、映画制作者たちは、権力者、アメリカとイギリスの政治支配層、グローバル・テロの主要源の視点を採用する結果になっている。

映画制作者たちは、一定の反対の姿勢を示してはいる。それは偽善的な意思表示ではないかも知れないが、弱々しい。『アイ・イン・ザ・スカイ』には、アリアを殺害したり、四肢を損なったりする善悪についての長い議論場面がある。(これは、中東、中央アジアやアフリカにおいて、欧米列強が行っている破壊の程度からして、空想的なものに見える。) 更に、アメリカやイギリスの様々な政府高官も、魅力的には描かれていないが、新米無人機パイロットたちは良心があるように描かれている。(本当らかく思えるのは、意志決定者が、連中の戦争犯罪が暴露される可能性について感じることへの理解だが、フッドは、どちらかと言えば、人道主義へと転換している。) 最後の映像は、、パウエル大佐の冷酷さ同様、たぶん心をかき乱すことを狙っているのだろう。だが、これは、さほどのものではない。

あるインタビューで、監督はこう主張している。“ガイ[ガイ・ヒバート]の脚本が巧みに取り上げた疑問は事実に裏付けられており、彼は政策立案者、弁護士、軍、人権団体の中で行われている議論は追っていません。 … この映画が、謎めいた主題に見えるものを一般人に伝え、それを解明するよう願っています。”

これは全く真実ではない。問題は、映画制作者たちが、グローバル・ブルジョア連中のリベラル世論に余りに一体化しており、『アイ・イン・ザ・スカイ』を最初から最後まで、形成し、暖かく包み込む一連の悪質な想定を、彼らの出発点として受け入れていることなのだ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2016/03/31/eyei-m31.html
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小生、この映画見ていない。見る予定もない。見たいと思っているのは『この世界の片隅に』。

無人機に関連する記事をいくつか訳したことがある。下記はその一例。

こうした映画、決まって大きな構図、背景を無視する。他の映画の例はたとえば下記。

人ごとではない。千里の道も一歩から。

沖縄の基地問題をとりあげたがゆえに、官僚に騙され、ひきずりおろされた元首相の最新インタビュー。

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