映画

2022年9月 5日 (月)

非ナチ化-第1幕、ソ連映画を通して見る大祖国戦争

2022年8月22日

ノラ・ホッペによる覚え書きと考察とタリク・マルズバーンの協力によるSakerブログへの寄稿

非ナチ化-第1幕、ソ連映画を通して見る大祖国戦争

 意図的な記憶喪失や歴史やロシア文化排斥で加速され、無知、愚かさ、忘れやすさや狂気へと欧米世界が益々深く落ち込む中、ロシアの偉大で気高い作品の一部を、よみがえらせ、記念し、祝うことは不可欠だと我々は思う。人類文明の将来のためにも。

 彼らを相対的な平和と快適さで暮らすこと可能にした大祖国戦争という決定的偉業について、欧米の若い世代は決して聞いてもいない可能性がある。彼らにとっては、あの戦争で犠牲になった2700万人もの命は想像することさえ困難かもしれない。

 まして、1941年9月8日に始まり、1944年1月27日に、赤軍が封鎖打破に成功するまで、ほぼ900日間続いたレニングラード包囲戦を知っている人々は更に少数かもしれない。

 1941年-1942年の冬は酷く寒く、一ヶ月に約100,000人が飢餓で死んだ。絶望から、市民はワセリンや壁紙糊から、ネズミやハトや家庭のペットまで、あらゆるものを食べた。暖房のため、個人蔵書の本や家具や衣類さえ燃やした。後に見いだされた遺品の中に、彼女の家族全員が死んで行く日付を記録したレーニングラードっ子ターニャ・サヴィチェワという名の12歳の子供が書き留めた日記があった。母親の死後、彼女は書いた。「サヴィチェフ家は死んだ。みんな死んだ。残ったのはターニャだけ。」

 封鎖のため、都市に食糧を送る唯一の方法は凍りついたラドガ湖に橇と鋤で氷上に造られた、この都市への唯一の開いた経路で新鮮な補給をもたらすことだった。食品と燃料を輸送するトラックと橇が、ナチ空爆の頻繁な目標になった事実にもかかわらず、これは「命の道」として知られていた。

 包囲戦期間中、合計で推定75,000発の爆弾がレニングラードに投下され、多くの人々が亡くなり、更に多くの人が、飢えと飢えからくる病気で亡くなった。レニングラード包囲戦は、推定総計800,000人の一般人を殺した。歴史家マイケル・ウォーザーは「レニングラード包囲攻撃は、ハンブルグ、ドレスデン、広島と長崎への爆弾投下を合計したより多くの一般人を殺した」と要約した。明白な組織的飢餓を狙って(Hungerpolitik-レニングラードの隔離。ドイツ砲兵隊はパン工場や中央の食糧供給組織を砲撃した)この都市の民間人を意図的に壊滅し、(イェルク・ガンツェンミュラー、ティモ・ヴィハヴァイネン、リチャード・ビドラックやニキータ・ロマギンなどの)一部の歴史家たちと同様、包囲戦は大量虐殺行為だと考えることができる。人種差別によって引き起こされた迫害も忘れてはならない。ナチはスラブ人をUntermenschen(下等人間)と見なしていた。

 本や記事やフィルム映像で提供される情報を越えて、大祖国戦争中の人々の戦いの規模を理解したい人々は、サンペテルブルで、レニングラード防衛と包囲国立博物館勝利広場のレニングラードの英雄的防衛に尽くした人々に捧げる記念碑や、約420,000人の一般人とレニングラード戦線の50,000人の兵士が186の合同墓所に埋葬されているピスカリョフスコエ記念墓地を訪問すると、より良く把握できるだろう。これら記念碑は、全て強力な大いに感動的な形で、レーニングラードっ子の不動さや勇気や威厳をしのんでいる。私として個人的には、これらの人々の高尚な、苦渋に満ちた人類に対する犠牲を胸を締め付けるほど鋭く伝えるのは(1991年3月の凍り付くように寒く、暗く、風が強い日の午後遅く訪問した)ピスカリョフスコエ記念墓地だった。

 1952年に生まれたレニングラード市民のプーチン大統領は、レニングラード包囲戦に捧げられた記念行事に頻繁に参加している。それは彼にとって非常に個人的な物語だ。父親のウラジーミル・スピリドノヴィッチ・プーチンは、包囲戦中レニングラードの南東封鎖をドイツ軍が完了するのを阻止する重要な防衛陣地ネフスキー・ピャタチョークで戦った。母親は包囲戦期間中、市に留まり、1942年冬、兄のビクトルは包囲された都市でジフテリアで亡くなった。書類によれば兄の遺骨も埋葬されているピスカリョフスコエ記念墓地で共同墓地に献花した後、大統領は祖国記念碑にも花輪を捧げた。

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映画は、地理や言語の壁を越えるのみならず、展開する出来事を明きらかにする、より詳細な経験を観客にしばしば提供する一つの強力なメディアなので、我々は異なる角度からこの期間を描いたソ連映画をいくつか提示して、大祖国戦争をしのびたいと思う。

 だがソ連映画に進む前に、まず驚異的なことに、アメリカで制作され、驚異的にも、依然YouTubeにある映画を紹介したい。明らかに、欧米で政権を掌握している人々によって忘却に追いやられているように思われる

 「ロシアの戦い  The Battle of Russia」はイタリア生まれのアメリカ人フランク・キャプラとキエフ生まれのアメリカ人アナトール・リトヴァクが監督した。ウィキペディアの大雑把な情報を要約すると、この映画は、歴史上失敗したロシアを征服しようとする試みの概観で始まる。1242年のドイツ騎士団(セルゲイ・アイゼンシュタインの映画「アレクサンドル・ネフスキー」の映像を使って)、1704年のスウェーデン、カール12世(ウラジーミル・ペトロフの映画「ピョートル大帝」の映像を使って)、1812年のナポレオン1世、第一次世界大戦でのドイツ帝国によるもの。当時、征服を狙う者にとって、この土地が、どれほど欲しかったかを示すために、ソ連邦の膨大な天然資源が説明される。ロシアの文化的要素としては、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの楽曲やレオ・トルストイの小説『戦争と平和』が言及されている。

 映画のオープニング・クレジットは下記のように書かれている。

  • ソ連の人々が示した勇気より素晴らしい表現は史上ない。」アメリカ陸軍長官 ヘンリー・L・スティムソン
  • 我々と同盟諸国は、ソ連の軍と国民に永遠の感謝の恩義を負い、認めている。」アメリカ海軍長官 フランク・ノックス
  • ロシア兵士たちの勇敢な行為と戦闘精神はアメリカ陸軍の称賛を博している。」アメリカ陸軍参謀総長 ジョージ・C・マーシャル
  • ソ連の英雄的、歴史的防衛の称賛に私も加わる。」アメリカ艦隊司令長官 アーネスト・J・キング
  • ロシアの取り組みの規模と壮大さは史上最大の軍事的功績だ。」アメリカ南西太平洋地域最高司令官 ダグラス・マッカーサー大将

The Battle of Russia ロシアの戦い(1943年)

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『祖国の名において』(1943年)-フセヴォロド・イラリオーノヴィチ・プドフキンとドミトリー・イヴァノビッチ・ワシリエフ

祖国の名において』は、コンスタンチン・シーモノフの戯曲「ロシアの人々」に基づき、フセボロド・イラリオーノヴィチ・プドフキンとドミトリー・イバノビッチ・ワシリエフが監督した映画だ。

あらすじ。晩秋。ドイツはまだ前進しており、小さい海辺の町を占領した。だが、その郊外で、町を分割する塩けがある河口の西側で、全面包囲された小さいロシア駐屯地は依然頑固に持ちこたえている。清浄な水がないので、ロシア分遣隊を疲弊させ、消耗させる使のを好んで、ドイツ将官は攻撃を急がない。サフォーノフ大尉は、他の偵察者に戦略上の橋を爆破する命令を伝える町への任務で、愛するワーレチカを偵察に派遣する。彼女は途中で捕えられ、敵の刑務所に入れられる。司令部からの新情報と、主力部隊と再会する希望から、サフォノフは、ワーレチカ救済と、命令取り消しと、橋からドイツ軍をそらせるため経験豊富な兵士グローバを送り込む。

Во имя Родины / In the Name of the Motherland 『祖国の名において』(1943年)映画をオンラインで見る

 『鶴は翔んでゆく』(1957年)-ミハイル・カラトーゾフ

 ヴィクトル・ローゾフによる戯曲『永遠に生きるもの』に基づく。

 ソ連、1941年。ボリス・ボロージンが出征する。彼の婚約者ベロニカの親は爆撃で死ぬ、女性はボリスの父親の家に連れて行かれる。同時に、ボリスが戦闘中行方不明と知らされる。だが友人ステパンを救助している間に自身を敵の砲火をさらけだしてボリスが実際死んだ事実を知らずに、彼女の最初の恋人の知らせを待つのをやめずに、ボリスのいとこで、もう一人の求婚者マークと結婚する。

 何らかの形でボリスを裏切ったという考えが彼女につきまとう。結婚で最初のひびに会って、ベロニカは橋から飛び降りて自殺しようとするが、たまたま自動車にひかれそうだったボリスという名の子供の命を救う。マークが徴兵から逃れるために仕組んだ策略を知って、ベロニカは夫を捨て、彼女には親をつきとめることができなかったボリスと新しい人生を始める。

 同僚の兵士が彼女にボリス・ボロージンは行方不明だと言うと、ベロニカは彼の死を信じるのを拒否する。戦争が終わり、凱旋パレード中に(ボリスに救われた)シュチェパーンが突然現われて、ベロニカに花束を贈る。それから彼はボリスの死について彼女に話す。ベロニカは、今戦争の犠牲を理解し、通行人に花を配り始める。

『鶴は翔んでゆく』|ドラマ|映画全編

 『人間の運命』-セルゲイ・ボンダルチュク(1959年)

 M・ショーロホフの小説に基づく。大祖国戦争が始まり、トラック運転手アンドレイ・ソコーロフは家族と分かれなければならなかった。1942年5月、彼はドイツの捕虜になった。ソコーロフはナチ強制収容所の地獄に耐えるが、彼の勇気のおかげで処刑を回避し、最終的に前線背後の束縛から逃げる。短い前線休暇で故郷ボロネジに帰り、ドイツ航空機がボロネジに爆弾投下した際、妻と娘たちが死んだと知る。身内では息子だけが残り、彼は士官になった。戦争最終日の5月9日、アンドレイは息子が死んだ知らせを受ける。

 戦後、孤独なソコーロフは故郷のボロネジから離れた(スターリングラード州)ウリュピンスクで、トラック運転手として働く。そこで彼は戦争孤児になった少年ヴァーニャに出会う。母親は爆撃で亡くなり、父親は戦争中に行方不明になったのだ。ソコーロフは少年に、自分が父親だと言い、そうすることで自身と少年に新しい幸せな家庭生活への希望を与えると決める。

『人間の運命』|戦争映画|映画全編

 『誓いの休暇』グリゴリー・チュフライ 原題 兵士のバラード(1959年)

 第二次世界大戦中、前線で有名になった若いロシア兵士アリョーシャは勲章授与を言われる。だが彼はこの大きな名誉を断り、その代わり母親を訪れる許可を求める。彼の旅行は長く困難だ。彼は汽車から汽車へと飛び移らなければならず、多くの障害が彼の時間を奪う。途中で彼に手を貸したり、彼が援助する様々な人々に会う。それから彼は同方向に旅する少女シューラに出会う。旅行中、二人は恋に落ちる。

 旅は終わり、アリョーシャはシューラと別れなければならない。彼女がさようならを言う時、彼女は彼に婚約者についての考えを決めた、今彼を愛していると言う。さようならを言わずに、アリョーシャは列車に追いつく。途中、彼はシューラに愛を告白しなかったのを残念に思う。突然列車は爆撃され、アリョーシャは数人の乗客の死を目撃する。

 道路で、アリョーシャは、少なくとも数分、母親と会うため故郷の村に連れて行くようトラック運転手を説得する。隣人に会い、母親を抱擁し、戦争の後すぐに戻ると約束する。母親は彼に「待っているよ」と言う。

 ナレーションが言う。「彼は素晴らしい市民になれたはずで、土地を庭園で飾ることができたはずだが、彼は我々の思い出で、永久に軍人のままだ。一人のロシア兵!」

 『誓いの休暇』原題 兵士のバラード(1959年)グリゴリー・チュフライ-英語字幕(720p)下記リンク残念ながら、削除されていて見ることができない。

 『僕の村は戦場だった』原題「イワンの子供時代」(1962年)アンドレイ・タルコフスキー

 V・ボゴモーロフの物語「イワン」に基づく映画は主に第二次世界大戦中、ソ連軍が侵入するドイツ軍と戦っている戦線に設定されている。映画は頻繁な回想と直線的でない筋が特徴だ。

 第二次世界大戦、東部戦線、スターリン線、スターリン線、ドニェプル川地域。12歳のイワンは、(父親は前線で死亡した可能性が高く、母親も、おそらく亡くなり)家族がない状態で、ドイツ侵略者と戦うため、最初はパルチザン、次に正規ソ連陸軍に加わる。彼を大いに面倒を見る、グリャズノフ大佐もホリン大尉も、特にグリャズノフは終戦後、彼を養子にしたいと思っているが、沼が多い場所で気付かれずに動く彼の能力を利用して彼を敵軍前線を越えて、偵察任務に送る。特に困難な任務の後、イワンは予定の場所に戻り損ね、その代わり、若い中尉ガルチェフが支配する前線の戦線地域にたどり着くが、彼には汚れて、疲労した少年の説明を信じることが困難だが、軍司令部と連絡を取ることに同意し、安心したホリンが駆けつける。

 グリャズノフはイワンを前線から離し、軍学校に行かせて彼を守ると決断するが、戦争では臆病者と病弱な人だけが兵役を回避できるのだと確信している少年は前線に残る決意が堅い。後部に送られると戦争で荒廃した土地に逃げるが、まもなく連れ戻される。イワンは最後の任務に参加する。ホリンとガルチェフは、行ける限り川の対岸まで同伴するが、初雪が降る中、むなしく彼の偵察からの帰還を待つ。戦争が終わった時、ソ連が占領したベルリンで、顔にも魂にも傷を負った生存者ガルチェフは、偶然国会の放棄された事務所で処刑された捕虜書類中でイワンの書類発見し、少年が絞首刑にされたのを知る。

 映画は著しい対照で始まる。チョウが飛び、カッコーが鳴く中、静穏で明るい田舎の光の中で水浴びし、母親が、そばにいるのを知っている幸せな少年は、突然恐怖の「ママ!」という叫びで中断され、傷ついた女性が横たわり、少年は隠れ、自分を守らなければならない暗い破壊された世界の中に目覚める。感動的なジェット・コースターの後、(終わりまでモノクロの)映画は、更に明暗の対比を強め、視聴者の細心の注意を要求する。現実レベルの物語の連続性は、後の夢のような連続シーンで破られる。一つは明らかに映像で、もう一つは、思い出あるいは続く夢の論理、両方の混合であり得る。映画の最後、時間と場所の突然の飛躍のみならず、小説からドキュメンタリーへの素早い移行は驚くべきだ。これら映像の焦点はドイツ指導部徒党に殺された彼ら家族の子供だ。『僕の村は戦場だった』の中心主題との関係はそれで維持される。

『僕の村は戦場だった』原題「イワンの子供時代」|戦争映画|アンドレイ・タルコフスキー監督

 

 『ヨーロッパの解放』(1967年-1972年)ユーリ・オーゼロフ

 ユーリ・オーゼロフの叙事詩的歴史映画は、大祖国戦争の五つの主要東部戦線の作戦に焦点を合わせ、ソ連領の解放と、続くナチス・ドイツ敗北の劇的表現の五編で構成されている。「クルスク大戦車戦」「ドニエプル渡河大作戦」「大包囲撃滅作戦」「ベルリンの戦い」「最後の突撃」だ。

 合計51人の歴史上の人物が映画に登場する。これら人物を演ずる俳優を選ぶのは容易ではなかった。主な問題は映画の中の英雄やモデルの大半が、まだ生きていることだった。彼らの多くは高い地位にあり、自分たちが画面でどう見えるかに強い関心を持っていた。顔を似せるだけでなく、モデル(あるいは映画の監修者たちに)に、特定の俳優あるいは、別の俳優による、画面上のモデル描写に同意させる問題ではなかった。

『ヨーロッパの解放』映画1:「クルスク大戦車戦」|戦争映画|映画全編

「クルスク大戦車戦」は1943年夏にクルスク膨隆において英雄にふさわしい戦いを示す。

『ヨーロッパの解放』映画2:「ドニエプル渡河大作戦」|戦争映画|映画全編

「ドニエプル渡河大作戦」は1944年のドニエプル川の戦いとソ連攻撃作戦に関するものだ。

『ヨーロッパの解放』、映画3:「大包囲撃滅作戦」|戦争映画|映画全編

 「大包囲撃滅作戦」は、ナチス部隊からベラルーシの完全解放をもたらしたバグラティオン作戦に関するものだ。

 『ヨーロッパの解放』、映画4:「ベルリンの戦い」|戦争映画|映画全編

「ベルリンの戦い」。1945年、戦争最後の月。これは奴隷にされたヨーロッパの運命が決定される日々の話だ。

 『ヨーロッパの解放』、映画5:「最後の突撃」|戦争映画|映画全編

「最後の突撃」はドイツ国会議事堂攻撃について、全ての部屋、全ての階のための戦いに関する話だ。

 『朝やけは静かなれど!』(1972年)スタニスラフ・ロストフスキー

 『朝やけは静かなれど!』はボリス・ワシリエフの同名小説に基づきスタニスラフ・ロストフスキーが監督した4つのエピソードのテレビ・シリーズで、1972年のソ連戦争演劇だ。映画は反戦の主題で、第二次世界大戦でロシア女性兵士駐屯地に焦点を合わせる。

 1942年の晩春、大祖国戦争は最高潮にある。1つの長期の方法で引き前線から、いずれかの神によって忘れられた合流点で、ドイツ人はキーロフ鉄道と白海に連絡を取ろうとする試みで航空の着陸作戦を作る-バルト海運河。彼らはただの落下傘部隊員ではない。これは経験豊かな、大いに訓練された潜入者、武装親衛隊超エリート・チームだ。彼らの邪魔になる唯一のものは訓練中のヴァスコフ曹長と若い女性五人の高射砲部隊だ。それは地元の重要性の争いのように思われるかもしれないが、国の戦略上の主要輸送幹線は危機にある。伍長と彼の「初心者」はナチの破壊工作と何らか代償で防ぐことができだろうるか?

『朝やけは静かなれど!』-プレイリスト-エピソード1-4のロシアのテレビシリーズ。英語字幕。StarMediaEN

 『春の十七の瞬間』(1973年)一連の12のエピソード タチアナ・リオズノワ監督

 『春の十七の瞬間』は、ユリアン・セミョーノフによる同名小説に基づき、タチアナ・リオズノワが監督し、今までに作られた最も成功したソ連のスパイスリラーとみなされ、ソ連史上最も人気が高いテレビ・シリーズの1つだ。

 このシリーズは、マックス・オットー・フォン・スティエリッツという名でナチス・ドイツで活動するソ連スパイ、マクシム・イサエフの偉業を描いている。スティエリッツは、戦前のナチスによるドイツの乗っ取りのずっと前、1927年に派遣された。彼は国民社会主義ドイツ労働者党に参加し、下っ端から昇進し、ナチス防諜活動の幹部になった。彼はドイツ反体制派知識人から数人の工作員を採用し、牧師を迫害した。スティエリッツはドイツと西洋同盟諸国の間で、別個の和平協定を作ることを狙ったカール・ウォルフとアレンダレス間の秘密交渉がスイスで行なわれることを発見し、それを阻止する計画をたてる。作戦上の組み合わせの助けを借り、特に直接の上司ウォルター・シェレンバーグのおかげで、スティエリッツは、マーティン・ボルマンを通して、英米の計画を阻止すのに成功した。

 スティエリッツの性格は、アンドローポフの理想的ソ連スパイの概念を反映している。彼は計算高く、謙虚で、国を深く愛し、何よりも、知的で、敵の裏をかいて、任務を実行した。彼は、主に、しかし全面的にではなく、大まかに、ソ連工作員に転じたゲシュタポ士官ウィリー・リーマンに基づいていた。スティエリッツに失敗させられたアメリカ・ドイツ交渉は、1945年5月2日、北イタリアでのドイツ国軍降伏に導いた、1945年にアレン・ダレスとカール・ウォルフによってまとめられた本当の協定をモデルしていた。映画の歴史的な基礎はオペレーション・サンライズだ。ソ連の背後で、1945年3月に、スイス、ベルンで、一連の秘密交渉がナチス・ドイツ親衛隊と、アレン・ダレス下のアメリカ戦略情報局OSS間て2週間行なわれた。(彼らが降伏の細部を練っていた際、どうやらダレスはニュルンベルク裁判で、親衛隊のウォルフ大将を起訴から守ると口約束した。ウォルフと彼の部隊は、ウィンストン・チャーチルがこの時期に提唱した、ソ連を侵略する秘密計画「想像を絶する作戦」実行を支援するものと考えられていた。それはソ連との戦争のための冷戦時代、最初の緊急対策になった。ウォルフは後に300,000人のユダヤ人殺害に共謀したことが判明した。[‘Conspiracy of Silence: How the “Old Boys” of American Intelligence Shielded SS General Karl Wolff from Prosecution’ ?「沈黙の陰謀:アメリカ諜報機関の「オールド・ボーイズ」が、親衛隊のカール・ウォルフ大将を、いかにして起訴から保護したか」を参照-https://www.academia.edu/31673216])

 ある評論家が、ソ連での、このシリーズの大衆の歓迎をこう表現した。最初の放映中、道路は空になった。ホッケーより多くの観客を引き付け、伝説的成功だった。」放送中、犯罪率は際立って下がった。多数のTVがつけられて、消費電力急増をもたらし、発電所は発電を増やさなければならなかった。それは間もなく人気シリーズになった。

 どうやら、多くの解説者がプーチン大統領と、神秘的人物スティエリッツとの類似を見ている。プーチン自身、KGBに加入する決断は『春の十七の瞬間』シリーズを含め子供時代のスパイ・スリラーが動機になったと主張したと言われた。

  『春の十七の瞬間』(1973年)12本の第1部 英語字幕 HQ

 視聴者カルロス・コバスによるYouTubeでの発言

 「この映画はソ連映画の傑作だ。今それが北アメリカでDVDで利用可能となり、私は再びそれを見たが、本当に、これほど衝撃的な、他の、どんな古いロシア/ソ連映画も考えられない。表面上、物語は第二次世界大戦最後の月日に、ヨーロッパで欧米同盟国と別個の協定を結ぼうとするナチス幹部の試みの証拠を得ようとするソ連諜報機関工作員の話だ。だが、この映画はスパイ・スリラーよりずっと深い。あぶり出しインクも、ハイテク銃も美女もない。そうではなく、一つだけ。主人公の妻。彼は何年も彼女に会っておらず、彼は彼女に会うことを許される。彼はベルリンのカフェにいる。彼女は店に入り、遠い隅の席に座り、一杯のコーヒーを注文して…」

 『処刑の丘』(1977年)-ラリーサ・シェピチコ

 ウクライナ人ソ連監督、脚本家、女優ラリーサ・シェピチコは彼と共有するウクライナの伝統と、視覚の詩的な象徴的表現に満ちた社会的現実主義の映像に親近感を感じていたオレクサンドル・ドブジェンコの弟子だ。

 『処刑の丘』は、バシル・ブィコフの小説「ソトニコフ」に基づき、1942年の冬という設定で、脚本の要求通り、恐ろしい冬の状態で、モスクワの東部地域で1974年1月に撮影された。(1979年自動車事故での悲劇的な死の前のシェピチコ最後の映画だった)。

 あらすじ:ナチに占領されたベラルーシ。ソトニコフ少尉と兵卒のルィバークは、凍りついた森で立ち往生して、空腹の女性や子供を含む仲間とパルチザンのために食物を獲得すべく、雪の中、村に行かされる。雪の中の長い銃撃戦後、ドイツ兵の一人が死に、二人は逃げるのに成功するが、ソトニコフは脚を撃たれている。彼らは3人の幼い子供の母親デムチハの家に避難する。だが彼らは追跡され捕らえられる。身体的に虚弱なソトニコフは拷問に耐え、死刑執行による死を選ぶ。だがルィバークは、跪き、慈悲を嘆願し、警官としてドイツ人のために働くことに同意する。後になって彼は自分がしたことを知る。

 『処刑の丘』

 『行け、そして見よ(炎628)』(1985年)エレム・クリモフ

 『行け、そして見よ(炎628)』はエレム・クエレムリモフが監督した1985年のソ連の反戦映画だ。脚本は、クリモフとアレシ・アダモヴィチが書き、アダヴィチが共著者だった1978年の本「ハティニ物語 私は炎に包まれた村からきた」(1977年)に基づいている。もっぱらベラルーシで、ベラルーシ語で、素人俳優で撮影された。映画で描かれた全てがベラルーシで実際に起きた出来事に基づいている。映画はシュールレアリスムを基調とする超現実主義で、哲学的な実存主義を、詩的、心理的、政治的、黙示録さながらの主題と混ぜ合わせている。公開時に肯定的な批判的評価を得て以来、最も素晴らしい映画の一つと見なされるようになった。

 映画の題名は『ヨハネの黙示録』第6章に由来する。「来たりて見よ」という叫びは、「黙示録」で四人の騎士に引き起こされる破壊に対する熟考への招待だ。「彼が4番目の封印を開いた時、私は四つの獣が「来たりて見よ!」と言うのを聞いた。そして見ていると、青白い馬が出てきた。そして彼に乗っている者の名は死で、それに黄泉が従っていた。そして彼らには、地の四分の一を支配する力と、剣と飢饉と死と、地の彼らの獣によって人を殺す権利が与えられた。」

 映画の筋はベラルーシのナチス・ドイツ占領と、母親の希望に反して、ベラルーシ・レジスタンスに加わったフリョーラという名の十代のベラルーシ人パルチザンの少年が目にする出来事に焦点を合て、ベラルーシの村の民衆に加えられるナチの残虐行為と人の苦しみを描写する。この映画は、他のものと違い、戦場での子供の悲劇は見せる。映画の始め、16歳のフリョーラは十代の少年に過ぎない。だが結局、恐怖と恐れを体験して、この子供は恐ろしいほど大人になる。

 映画について、エレム・クリモフは、こう言っている。

 「大祖国戦争勝利の40周年記念日が近づいていた。経営幹部に何か話題になるものを示さなければならなかった。私は白ロシアでの恐ろしいファシスト大量虐殺から奇跡的に生き残った人々の実体験報告で構成された『私は炎に包まれた村から来た』を何度も読んでいた。彼らの多くが、まだ生きていて、ベラルーシ人は彼らの記憶の一部を映画に記録するのに成功していた。彼の村全員がどのように教会に集められたか、彼らが焼かれる直前に、士官簾中が、彼らにどのように言ったかと言った、ある小作農の顔と目と、静かな回想を私は決して忘れるまい。「誰であれ子供がいない人は去って良い。」彼は我慢できず、妻と幼い子供たちを置き去りにした。あるいは他の村が燃やされるのを。成人は全員家畜小屋に集められたが、子供は後に残された。そして後で、酔った男たちが、牧羊犬と一緒に彼らを包囲し、子供たちを犬にバラバラに引き裂かせた。

 それで私は思った。世界はカチンを知らない! 彼らはカチンについて、ポーランド士官の大虐殺について知っている。だが彼らは白ロシアのことを知らない。600以上の村が燃やされたのに!

 そこで私はこの悲劇に関する映画を制作すると決めた。映画がどぎついものになるのは十分承知していた。私は中心的俳優である村の若者フリョーラ役は、困難な役になりきる上で、蓄積された演技経験や、テクニックや技能で、心理的に自分を守れる職業俳優には演じられないと判断した。私は14歳の普通の少年を見つけたいと望んだ。我々は彼を最も困難な経験に準備させてから、撮影しなければならなかった。同時に、映画撮影が終わった後、彼が精神病院に入れられずに、生きて健康で母親に返せるよう、我々は彼をストレスから守らなければならなかった。幸い、フリョーラを演じ、後に良い俳優になったアレクセイ・クラウチェンコとは全て順調に行った。

 これは非常に残忍な映画で、人々が見続けられる可能性はありそうにないと思った。私は脚本共作者アレシ・アダモービチにも話した。だが彼は答えた。「人々に見せよう。これは我々が残さなければならないものだ。戦争の証拠として、平和への嘆願として」

 『行け、そして見よ(炎628)』|戦争映画|映画全編

 大祖国戦争に関しては、もちろん実に多数の強力なソ連映画がある。これらはそうだ、しかし少数が…する

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 今日欧米では、どんな形であれロシア文化を取り上げることに対し包括的禁止がある。芸術、教育あるいは、スポーツ分野でさえ。かつてソ連に所属したり、東欧圏の一部だった東欧諸国の多くで、政権や組織が、記念碑やナチズムやファシズムに関する彼ら民族の苦難や勝利に捧げる記念館を破壊しているのを見ることができる。歴史的な偉大なロシア文化人が忘却され、他方ファシストやナチの象徴が益々受容されるように思われる。(ベルリンのチャイコフスキー・シュトラーセは、いつかシュチェパーン・バンデラ・シュトラーセと命名し直されることがあり得るだろうか?)ロシア人は? いくつかのヨーロッパ諸国は、彼らのヨーロッパ旅行が禁止されることを望んでいる。「ノーベル賞」受賞者レフ・ワレサは、こんなことを提案するに至っている。「今日我々はロシア政治体制転覆を実施するか、人口を5000万人以下に減らすかしなければならない。」レニングラード包囲攻撃は彼には明らかに十分ではなかった。彼は新たな大量虐殺を望むのだろうか?

 だが病的に自暴自棄なロシア嫌い連中が、何であれロシア製のものを抑圧し、追放し、消去し、削除し、壊滅させようとどんなに努めても、自身の文化とアイデンティティーを抑圧し、追放し、消去し、削除し、壊滅させることにしかなるまい。ロシア文化や歴史を破壊する連中の意図は永久に徒労のままだろう。過去の証言は生き続ける。これら映画や多くの他の作品を通して、高潔な証人たちの記憶を通して、真実を求めることを通して。

民族が記憶を失う時、民族はその魂も失うのだ。

* * * * *

 いくつかの参考リンク:

https://en.wikipedia.org/wiki/Siege_of_Leningrad#Lifting_the_siege

https://journals.ub.uni-heidelberg.de/index.php/fr/article/view/50755/44648

https://tass.com/society/1393925

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%92%D0%BE_%D0%B8%D0%BC%D1%8F_%D0%A0%D0%BE%D0%B4%D0%B8%D0%BD%D1%8B

https://en.wikipedia.org/wiki/Seventeen_Moments_of_Spring#cite_note-IZ-2

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Ascent_(1977_film)

https://en.wikipedia.org/wiki/Come_and_See

記事原文のurl:https://thesaker.is/the-great-patriotic-war-as-seen-through-soviet-cinema-for-todays-battle-against-amnesia/

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 次期イギリス首相、タカ派有利と報じられている。かくして、英米主導の戦争は続く。

 手元の『僕の村は戦場だった』と『誓いの休暇』DVDを見たくなった。劇場で鑑賞する勇気は無い。

2022年7月29日 (金)

あらゆる重要なことに関して、我々は一生だまされ続けている

2022年7月25日
ケイトリン・ジョンストン

この記事を英語音声で聞く

 非常に重要な問題に関して、人生丸ごと間違った方向に導かれる主人公にまつわる物語が何世代も出現して、今日に至るまで映画館で観客を喜ばせている。

 乞食は本当は王子だった。ルークはダース・ベイダーの息子だった。キアヌ・リーブズはコンピュータ・シミュレーションの中で暮らしていた。ブルース・ウィリスは本当は幽霊だった。ジム・キャリーの世界は、全てテレビ番組のセットで、彼の人生の幼少期から、全員が彼にウソをついていた。

 人々の共感を呼ぶので、この主題は非常に頻繁に繰り返される。しかも、それは、まさに実際起きていることなので、大いに人々の共感を呼ぶのだ。

 権力者連中が、権力者連中にとことん奉仕するよう作った社会に適応するよう、我々は幼い時から訓練されている。政治体制制度は意図的なソーシャル・エンジニアリングの産物ではなく、社会で自然発生する現象事象者連中のためになるよう、権力者連中によって設計された社会に適合するよう我々は徹底的に訓練される。

 我々が世界や世界がどう機能するか知りたくなるほど十分成長するとすぐ、教育制度により、見聞きするメディアにより、同じように洗脳された親により、生まれて以来、我々が浸っている文化により、こうした問題に関するウソで我々の頭は満たされる。

 人生に関して、だまされている主人公を巡る、これらの物語は、我々全員、自分の生活でも、何らかのレベルで同様にあてはまるかもしれないと思うから共感を呼ぶのだ。そうした映画は、物事を認識する我々の方法には、どこかおかしな点があると常に感じていた我々の中の隠れた神聖なものに、常にささやくのだ。

 権力者連中に奉仕するウソにどっぷり浸かって、我々は一生を過ごす。政府が有権者の意志に従って行動する民主主義の中で暮らしていると思い込むようだまされている。我々の政治体制は、戦う二つのイデオロギー党派によって動かされていると思い込むようだまされている。政府は基本的に正しく、純粋な悪である外国政府に対して立ち上がっているのだと、思い込むようだまされている。物事の現状は存在可能な唯一の形なのだと思い込むよう我々はだまされている。

 情報を集め、世界に対する理解を形成する方法について、ウソを信じるよう思い込むよう我々はだまされている。起きている出来事について、報道機関が我々に真実を話すと思い込むよう我々はだまされている。政治的に異なる党派の支持する側から聞く全てが本当で信頼できると思い込むよう我々はだまされている。国内や、世界の出来事を認識する上で、適用されている党派的偏向が、情報を解釈し、結論を出す上で、洗脳が完全に信頼できる手段性だと思い込むよう我々はだまされている。

 我々自身に関するウソを、本当と思い込むよう我々はだまされている。支配的な資本主義者、裕福な出世主義者になれれば成功でき、産業のギアを回して、出世のために他人を登り越えて進まなければ、失敗だと信じるよう我々は思い込まされている。でっち上げられた、権力に奉仕する法や、文化や、宗教の支配を支持すれば正しく、それらを逸脱すれば、我々は正しくないと思い込むようだまされている。我々は、物事をなしとげ、実績を上げ、達成し続ける必要がある、金と人々の承認を獲得し続ける必要があると信じるように思い込まされていて、ある日、決して来ることのない未来における何らかの想像上の時点で、まずまずと感じられるかもしれない。

 我々に植え付けられたウソを根こそぎにする力を我々が本当に得られたら、我々は現実を経験する方法について自分をだましていたことさえ発見できる。世界から切り離された有限な個人という自己認識は、経験に関する誤った前提から生まれた役に立たない精神的習慣の誤った仮定に基づいていて、我々自身の意識という局面を見過ごしているのだ。自分が誰で、何者なのかに関する間違った思い込みで、自身を惨めにしているのだ。

 この文明社会はトルーマン・ショーの舞台装置で、我々全員トルーマンなのだ。

 だが我々全員がトルーマンなので、我々全員一緒に歩き去る時にだけ、我々は舞台装置から歩き去ることができるのだ。たとえ皆様が、それがすべてウソだとを知っているにせよ、依然、ウソによって行動が動かされている人々で一杯の世界の中で立ち往生しているので、個人として立ち去る選択肢はない。

 個人として、現実に目覚めるのは、全てインチキだと悟った後、脱出する前のトルーマンのように、この理由から、夢で眠っているままでいるより皆様は一層居心地が悪くなりかねない。時に、皆様は、母親役を演じて、何とかしてコマーシャル時間に切り変えようとする俳優にびびって、立ち往生する。それは皆様にとって、惨めであり得るし、まだ同じ立場にいない皆様の周囲の人々にとっても、惨めであり得る。

 トルーマン・ショーの舞台装置から我々が脱出する唯一の方法は、我々全員が作り上げたウソからお互いを目覚めさせるのに成功することだ。その時まで、我々は貧困、戦争、搾取、退廃、環境破壊や苦しみの世界から逃れられないだろう。十分な人数の人々が、ウソのマトリックスから我々の心を切り離すまで、我々は本当の変化を強いるために、自分たちの人数の力を使うことができない。

 その時初めて、我々は脱出が可能になるだろう。

 その時初めて、我々は舞台装置から歩き去ることが可能になるだろう。

 その時初めて、我々は観客に向かって「おはよう!会えない時のために、こんにちは、こんばんは、そしておやすみなさい!」と言うことが可能になるだろう。

 そして、そこで向きを変えて、ドアから外に歩き出て、現実に我々の冒険を始めよう。

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記事原文のurl:https://caitlinjohnstone.com/2022/07/25/weve-been-lied-to-our-whole-lives-about-everything-that-matters/

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 日本人にも、ぴったりの題名。

 『トルーマン・ショー』確かに共感する映画。何かの機会に知りDVD購入、見て感動した。我々の人生そのもの。テレビ・新聞全て洗脳機関。

 さすが、バーナード・ショー。

 信仰を持つものが無神論者より幸せだという事実は、酔っ払いがしらふの人間より幸せだという事実と何も変わらない。信じやすさの幸せというものは、安直で危険な幸せの特質で、決して人生に不可欠なものではない。

アンドロクレスとライオン ジョージ・バーナード・ショー

“The fact that a believer is happier than a skeptic is no more to the point than the fact that a drunken man is happier than a sober one. The happiness of credulity is a cheap and dangerous quality of happiness, and by no means a necessity of life.”

― George Bernard Shaw, Androcles and the Lion

 今朝の孫崎享氏メルマガ題名

一教会問題の理解のために。 川邊 克朗記事「自民党・統一教会・公安警察、「三つ巴の暗闘」の恐るべき歴史 パンドラの箱を開けた「安倍銃撃事件」

 日刊IWJガイド

「本日18時半から『岩上安身による北海道大学 櫻井義秀教授インタビュー』を生配信!/期末まで残り3日! IWJに緊急のご支援を!!」2022.7.29号

【IWJ_YouTube Live】18:30~
安倍元総理殺害をきっかけに統一教会問題が再燃! 韓国最大の反日カルトと自民党とがズブズブの関係の不可解!!「多国籍企業」のような宗教組織の正体とは!?岩上安身による北海道大学大学院文学研究科・文学部 櫻井義秀教授インタビュー
視聴URL: https://www.youtube.com/user/IWJMovie/featured

2022年5月20日 (金)

現状に投資している名士連中は人間のくず

2022年5月15日
ケイトリン・ジョンストン

この記事を英語音声で聞く。

 皆様は、彼らの仕事を楽しんでいる有名人は、世界の出来事に、なぜこれほど近視眼なのか不思議に思われたことがあるだろうか?連中の言葉や連中の音楽で皆様の心の奥深く、皆様をかき立てながら、シンクタンクや、権力に有利に話を歪曲する連中がでっち上げる偏狭な主流政治世界観を持つことができるのだろう?

 ここ数日、名士連中は特に不愉快な帝国ごますりで、そういうことになる際、一体何が起きているかの熟考には、おそらく時間を割く価値がある。

 最近、ベット・ミドラーは粉ミルク不足に関して「ケーキを食べればいいじゃない」風に、アメリカ人に「母乳を試しなさい。無料だし、要求にあわせてあげられる」とTwitterで言って大見出し記事になった

 アメリカの現状がしばしば作り出す健康上の問題や長時間労働もあるが、それに限らず、なぜ親が赤ん坊に始終母乳をあげることができないかには、もちろん多くの理由がある。裕福で権力をもった連中に引き起こされた組織上の問題に対して、個人に何をすべきか言うのは、そうした人々や体制批判から注意を逸らすのに大いに役立つ。

 

 3月、ミドラーは、ウクライナ国旗を持った子供の写真を載せたアカウントで「私は彼女のため、ガソリンに喜んで更に多く払う」とツイートしたように、それほど恵まれない人々の苦闘への無関心を広めるのにTwitterアカウントを使っている。ミドラーには推定2.5億ドルの資産がある。

 ウクライナの話題で言えば、最近U2のボノとEndは、もちろん彼らが大いに支持しているので、世界を脅かすアメリカによるロシアに対すに代理戦争を支持してキーウでコンサートをした。彼は戦争犯罪人ジョージ・W・ブッシュを「大好きになり」、世界経済フォーラムで資本主義を称賛し、2016年には、シリアに関するアメリカ帝国言説推進で戦争屋リンジー・グラハムと協力したボノは、もちろん2022年にキーウ地下鉄でアメリカ帝国言説を支持して「ウクライナに味方する」と歌って当然だ。

 最近サドグル・ジャッギー・ヴァースデーブという非常に人気の高いインド人精神指導者が専制政治流血が国際記事見出しになっているのに、アパルトヘイト民族国家の農業慣行を称賛し「イスラエルが世界を奮い立たせるよう!」とツイートした。魂の市場では「悟り」商人のごくわずかしか個人の目覚めに関し言うべき価値があるものを持っておらず、外界に関する意識の話になると、彼らほぼ全員ぐっすり眠っている。

 先日恐怖物作家のスティーヴン・キングは国土安全保障省真実省を率いる酔狂な阿呆リベラルを支持して「私はニーナ・ヤンコヴィッツを支持する」とツイートする奇異な決断をした。言うべき言葉もない。

 

 プロパガンダと、資本主義と、大規模軍事暴力によって、ばらばらにならないよう維持されている帝国内では、この種のことは非常にしばしば起きるが、この帝国内で著名な地位に出世した人々は、そうした物事と共生関係がある。

 2.5億ドルの資産を持った人物が、資本主義の終焉や、膨大な富の不平等の除去を支援することなどありりえない。富と地位をハリウッドから得ている人物が、ハリウッドがその重要部分である帝国プロパガンダ機関に反対することなどありえない。現状政治から利益を得る人物が、それらに対して意味ある反対を推進することなどありえない。

 そして、それは、お互いさまだ。帝国機構は、その死を求める人々を出世させない。反帝国主義ジャーナリスト、アーロン・マテはピューリッツァー賞を決して受賞するまい。反戦喜劇役者デイブ・スミスは、主流ハリウッド映画で決して主役を演じるまい。ヒットチャートのトップになる歌は、金と富裕を称賛する傾向があり、それを可能にする仕組みに対する反対を決して増幅しない。

 一般に、人は、そうなるよう推進する力がある人々の協力なしでは、金持ちや有名になれない。連中は、現状体制に、親密に絡み合わさっているので、そうした人々は、常に現状体制の継続に投資する。資本主義や、帝国や、イスラエルのアパルトヘイトや、アメリカ制裁や、冷戦瀬戸際外交の終焉を人が求めれば、そうした人々の誰からも、頂上への出世のために、手を貸してもらえる可能性はありそうにない。

 だから、人は名声と富への特別切符をもらった途端、すぐに自身が、自分を高めた現状システムに大きく投資している人々に囲まれていることに気がつく。人は彼らのパーティーに行く。人は非常に有名な場合、普通の人と普通の友情を維持するのが難しいので、彼らと友達になる。人は、そうと気がつく前に、世間としっかり隔絶された現状維持世界観の反響室の中にいるのだ。

 

 だから名声は、様々な方法で支配体制権力に対する支持を自己強化型のフィードバックループで、それは大問題だ。それは、我々の社会で最も多く発言力を持った人々は、常に必ず現状体制から大いに利益を得る人々であることを意味するから、大問題だ。彼らの声は、彼らが、より正当だとか、より正直だからではなく、単により拡声されるがゆえ、同じ体制下で苦しむ無数の何百万人もの人々を覆い隠してしまうのだ。

 体制がうまく機能していることを示唆する形で、世界と彼らの国について語る最もうるさい声を聞かされ、反対のことを言う遙かに多数の声は、事実上聞いてもらえない時、一体何が起きるだろう? 体制がうまく機能しているという錯覚を引き起こすのだ。現状維持政治はやるべきことをするだけで、大規模な全面的変更は不要なのだ。

 こうして、十分な人数の住民に、現状は機能しているに違いないと考えさせるので、現行支配体制秩序に対する名士の満足は、一種自明の予言になる。家計をやりくりし、破産せずに持ちこたえるどんな困難も、体制ではなく、自分が悪いのだ。答えは革命や変化ではなく、自滅的な自己責任と、経験から得られた無力さだ。

 寡頭政治帝国の中で名士だということは、極めて僅かが顕著な例外で、帝国工作員だということだ。我々の画面を埋め、我々の世界観を形成する奇妙なプラスチックの顔をした奇人連中は、国防総省や警察などの圧政機構機の一部だ。

 この乱雑の中を進む中、知っておいて有用なことだ。

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 寺島メソッド翻訳NEWS

「最も信頼できる」英国放送協会(BBC)、ウクライナのナチスを美化

British Bullshit Corporation Whitewashes Ukrainian Nazis

 当ブログ下記翻訳と同じ原文。

ウクライナのナチをごまかすBritishイギリスBullshitでたらめ企業Corporation

 耕助のブログ

No. 1456 ウクライナに米英軍が派遣されるのは時間の問題

 日刊IWJガイド

「日本経済大ピンチ!? GDPは年率換算でマイナス1%!? 本日午後6時半から『岩上安身によるエコノミスト 田代秀敏氏インタビュー』!」

2021年10月20日 (水)

MGMが北米でMinamataを「葬ろうとしている」と非難する著名カメラマンのステファン・デュポン

リチャード・フィリップス
2021年9月24日
wsws.org

 監督、プロデューサー、アーティストのアンドリュー・レヴィタスによる最新映画Minamataはオーストラリア、ニュージーランド、イギリス、アイルランド、ロシアや、最近数ヶ月いくつかのヨーロッパ映画祭で成功裏に上映した後、今週日本で公開された。

 レヴィタスの115分の映画は、数十年にわたるチッソ株式会社による日本の水俣地域の産業公害と、写真エッセイスト、W・ユージーン・スミスと妻のアイリーン・美緒子・スミスによる、1971年から1973年までの、この犯罪をあばく戦いの正式な機微なドラマ化だ。撮影はブノワ・ドゥローム、音楽は坂本龍一で、映画プロデューサーの一人、ジョニー・デップは、主にイギリス人と日本人キャストの素晴らしい演技に支援されて、スミスとして真に迫っている。

 
Minamataの美波とジョニー・デップ[写真:ラリー・D・ホリックス]

 これまでのところ何万という人々がMinamataを見て、評価は圧倒的に肯定的だったが、MGMは北米では、この映画を、まだ公開していない。

 7月、MGMが「映画関係者[デップ]の個人的問題が否定的影響を及ぼしかねない可能性を懸念し」「映画を葬る」と決めていたことを明らかにする公開書簡をアンドリュー・レヴィタスが公表した。マードック・メディアや、他の場所で悪意ある#MeTooの主張の対象となった人気俳優は、最近彼を「ボイコットした」とハリウッド・スタジオを非難した。

 AP通信によれば、9月22日、スペイン、サンセバスチャン国際映画祭での記者会見で、デップは「キャンセル・カルチャー」を非難し「本質的に大気汚染にも等しいものに基づく即断」と表現した。フェスティバルで高名なドノスティア賞を受賞したこの俳優は、状況が「誰も安全ではないと私が保障できるほど制御不能になっています。誰かが何か言うのをいとわないかぎり、皆さんの誰でも。」と警告した

 MGMは、人口ほぼ6億人のアメリカ、カナダ、メキシコを含む北米、中米とカリブ海の大半でのMinamata配給権を所有している。映画会社による、この検閲的行動に、ソーシャル・メディア・キャンペーンや請願やMGM所属事務所への何百という反対の手紙がきている。ユージーン・スミス(1918-1978)に鼓舞されたフォトジャーナリストやドキュメンタリーカメラマンたちも、MGMの行動に関して率直な意見を述べている。

 下記は、MGMが北米でMinamataを公開しそこねているのを、あからさまに非難するオーストラリア人カメラマンで映画製作者ステファン・デュポンのインタビューだ。

 デュポンの作品は、ニューヨーカー、アパチャー、ニューズウィーク、タイム、GQ、エスクワイア、ジオ、フィガロ、リベラシオン、サンデー・タイムス、インデペンデント、ガーディアン、ニューヨーク・タイムズ・マガジン、スターン、オーストラリアのファイナンシャル・タイムズ紙、バニティー・フェアに掲載され、パリ、ロンドン、ニューヨークや他の大都市で展示会が開催されている。現在彼はオーストラリアの最近の森林火災や気候変動の長期的衝撃で「Are We Dead Yet」展示会をキャンベラで開催している。


ステファン・デュポン

 デュポンは30年間、戦争カメラマンで、2001年のアメリカ率いる侵略、侵略中以前に、1990年代、アフガニスタンから報じていた。2005年、カンダハル外でアメリカ海兵隊員に同行し、タリバン兵士の遺体を燃やす部隊の写真を撮影し発表した。この戦争犯罪のおぞましい写真は、アフガニスタン内でも、国際的にも、アメリカ率いる進行中の占領に対する大衆の怒りに拍車をかけた。

 デュポンの印象的な写真は、ここで列記するには余りに多い多数の国際賞を受けている。だが彼にとって最も大切な賞は、2007年のユージン・スミス賞だ。

 
ゴンバド村の負傷したアフガンの子供、2005年[著作権ステファン・デュポン]

 我々はMinamataの印象と、彼の仕事に対するスミスの影響力を論じて会話を始めた。

 ステファン・デュポン:映画館で見たMinamataが本当に好きで、非常に強力で、悲しいと思いました。2007年、信じ難い名誉のW・ユージーン・スミス賞を受賞していたので、それは私にとって非常に個人的なものでした。これは私が常に受賞を夢見ていた賞で、アフガニスタンでの私の仕事に対するものでした。

 それは私の娘が生まれた時に発表され、審査員の一人デイビッド・フレンドからの電話を今でも覚えています。彼はバニティー・フェアのクリエイティブ・ディレクターで、写真撮影界の重鎮でした。それは信じ難い感じと大きな名誉でした。

 ジーン・スミスは、私が彼の作品を見て成長した人で、10代後期、20代初期での他の誰よりも、私をカメラマンになるよう奮い立たせてくれました。私がMinamataを見た際には、私とスミスとのその関係が続いていました。

 私は映画化ついて余り批判的になりたくありません」ドキュメンタリーではありませんが、ジョニー・デップは実に良くスミスの性格を捉えていると感じました。動き方、写真への取り組み、暗室作業。私はスミスの性格のそうした暗い、沈鬱な、時々横柄なことを想像できますが、デップは真に迫って、説得力がありました。

 私はMinamataと、何が起きたかについて、実に多く学びましたが、結局それがスミスを殺したことは知りませんでした。私はこれら意外な事実の一部に非常に衝撃を受けました。映画は率直な描写でした。

 リチャード・フィリップス:あなたはスミスが精神的トラウマのストレスに立ち向かう場面についてお話し頂けますか?

SD:これは実に説得力があり、個人的に請け合えます。彼がそうしたのとほとんど同様に、私は写真を撮影し、経験したことでのPSTD、トラウマに自身対処し、苦闘しました。映画のこの部分では対峙を余儀なくされ、説得力があります。ニューヨークでのスミスの本質をとらえた『ジャズ・ロフト』ドキュメンタリーについても考えました。あれは、彼の混乱した無秩序な暮らし方を大変うまく表現しています。

 スミスは彼が見た、誰もが知っているか、知るべき、「入浴する智子と母」の水銀汚染された水俣の少女智子と母親の象徴的場面と、その心理的ブローバックのトラウマに対処していました。ジーン・スミスは、大いにこの仕事と生涯の仕事と、大いに苦闘していました。彼は第二次世界大戦と、更に「ライフ」誌による扱われ方で、大いにPSTDを受けました。これが映画で描かれていて、必ずしも多くの視聴者には理解されないかも知れませんが、カメラマンには分かります。彼は本当に「ライフ誌」が一種の扇情的なタブロイド判新聞風の雑誌になって、彼の姿勢や、彼がしていた種類の仕事を十分真面目に受け取らないことを怒っていたのです。


ニューヨークのロフトでのW.ユージーン・スミス[出典:International Centre for Photography]

 とは言え、彼自身の飲酒と薬による自己破壊の問題がありました。彼は明らかに複雑な人物でしたが、自分の状況を他の全員のせいにし始めるほどトラウマが酷いにせよ、彼は自分で治療していたのです。彼は生涯衝撃を抱え込み、そこから脱出する方法は見えませんでした。これまで地球に足を踏み入れた最も重要なドキュメンタリーカメラマンにとって非常に悲しい終わりでした。[“W. Eugene Smith’s Warning to the World”「世界へのW・ユージーン・スミスの警告」を参照]

 何世代ものカメラマンにとって、彼の衝撃と影響力は疑いようがないと思いますし、それは今も続いています。若者も年寄りも、実に多くのカメラマンが彼の理念と哲学に触発されています。彼は写真エッセイ、ドキュメンタリーの白黒写真の巨匠でした。非常に多くの偉大な素晴らしいことで、スミスは写真界に貢献しています。

 RP:Minamataのある時点で、スミス(デップ)が言います。「[チッソ株式会社による]隠蔽は、それ自体、話題として、同じぐらい重要だ。」ここに、いささか類似点があります。いわゆるジョニー・デップの世評問題ゆえに、MGMが北米で「映画を葬る」と決めた状態にあります。これに対するあなたの答えは何でしょう?

 SD:それは全くつまらないことで、アメリカでの映画公開を止めるために使われるべきではありません。私生活でデップが何をしたとされているかにかかわらず、結婚の崩壊で起きたことに関する申し立てがあるだけで、彼は一人の俳優に過ぎません。ここでの全体像は、映画、その話題と水銀中毒の犠牲者です。MGMはこの境界を越えるべきではありません。お門違いな非難をするなと私は言いたいのです。

 MGMの対応は、我々が今暮らしている世界を反映していて、私の考えでは、#MeTooのようものを使って、あらゆる種類の主張を大げさに騒ぎ立てるのです。人々の生活のどんな否定的なことも最大限利用されるのです。

 MGMはデップだけでなく、他の俳優、監督、撮影スタッフ、脚本家を含む他の全員を罰しているのです。

 たとえ主張が本当だったにせよ、私は意見を変えません。我々がデップについて話をしているのは結婚生活の崩壊で、世界中で多くの人々が経験していますが、唯一の相違は人々は名士でないことです。余りにも批判的な世界での悲しい検閲状態で、そんなことがあってはいけませんが、もし人が何かまずい形で言ったり、したり、失敗したりすると、あらゆる方法でとがめ立てられるのです。 広い視野で物事を見ましょう。

 RP:映画は、水俣が決して一回限りのことでなかったことを明らかにし、観客への語られない挑戦で終わります。ハッピー・エンドではありません。

 SD:大企業は常にこの類のことを逃げ切り、止められない限り、やり続けるでしょう。この映画が、再び、これを際立って明らかにしたのは重要です。それは観客と共鳴し、彼らにこう言うように強いるのです。「我々は再びこれを起こさせてはならない、我々は立ち上がり、抗議し、我々の意見を聞いてもらえるようにしなければならない」良いことです。


水俣の漁村の写真を撮影するW.ユージーン・スミス1973[出典:石川武志 Copyright 2019]

 大企業は、産業破壊や共同体の抹殺を罰せられずに逃げ切っており、アマゾン、パプアニューギニアや、世界中いたる所で、金採掘現場や川の汚染を起こしているのを、我々は阻止する必要がある。それは恥ずべき犯罪だ。またしても、世界を支配しているように思われる、通常連中が犯す残虐行為に責任を負わない1パーセントの権力者連中だ。

 写真撮影以上に遙かに大きな大問題を扱っているので、カメラマンだけでなく、全員がMinamataを見るべきだ。それは実に長年続き、その影響が今日も続いている地域全体の水銀中毒を強調する映画だ。全員がこれを認識し、決してこれを忘れず、類似の悲劇が再び起きるのを阻止すべく努力する必要がある。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2021/09/25/dupo-s25.html

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 何としても与党による憲法破壊阻止。改正とは名ばかり。宗主国のため中国からミサイルを全列島に受けて「弁慶の立ち往生」をするため。

 今日の孫崎氏メルマガ題名

焦点は、(1)自公三分の二獲得(310)し、憲法改正へ、(2)自民党が単独過半数(233)、(3)自公が単独過半数を取れるか。自民党自身の支持率低下、野党協力で(1)なし。現状況は(2)。岸田政権支持、発足より緩やかに下降→選挙にどう影響。

 デモクラシータイムスを拝聴した。平野氏、怒っておられる。

平野貞夫×佐高信×早野透【3ジジ放談】2021年10月19日生配信

 ブログ『私の闇の奥』最新記事 ユージン・スミスの『入浴する智子と母』で、過分なお言葉とともに、この記事の元記事翻訳 Minamata:いかに日本企業が共同体を汚染し、アメリカ人カメラマンがそれを暴露しようとつとめたかをご紹介いただいた。当ブログ、出来の悪い学生が、先生に日々レポートを提出しているようなものかも知れない。

 このチッソによる産業公害、今も解決とはほど遠い。

 西日本新聞 2020/4/30 社説

公式確認64年 水俣病は終わっていない

 認定基準の厳しさや地域的ひろがりの未解明は大きな問題だ。もちろん差別も。社説の一部引用させていただこう。

最終解決を阻む壁がいくつか挙げられる。過度と言える認定基準の厳しさ、差別を恐れて進む被害の潜在化などに加え、被害者の地域的広がりが解明されていない点も大きい。

 こうした国の対応は、東京電力福島第一原発事故被害者対策と直結している。コロナ無策も根底でつながっている。企業側にたって、被害者を踏みにじる姿勢の原点は、もちろん田中正造が戦った古河鉱業足尾鉱毒事件。原発事故のひどい対策の原点が「足尾鉱毒事件」だったことは遅ればせながら、2012年の下記講演で学んだ。

【アースデイ田中正造】9月30日 『国を豊かにするという思想のもと、企業を保護し住民は切り捨てる構図が一貫している』小出裕章講演(東京新聞/毎日新聞/下野新聞)

 今年、久しぶりに田中正造の直訴状原本が展示されている。

 朝日新聞DIGITAL

35カ所に訂正印、田中正造の直訴状7年ぶり公開 足尾銅山鉱毒問題

 そして、つける薬のない、とんでもない新政権。

 毎日新聞

岸田政権、中枢に原発推進派 歓迎する電力業界

2021年5月 1日 (土)

ノマドランド:(ほとんど)経済的理由から路上に追いやられた人々

デイビッド・ウォルシュ
2021年2月19日
wsws

 クロエ・ジャオ監督;ジャオ脚本、原作 ジェシカ・ブルーダー


ノマドランドのフランシス・マクドーマンド

 中国系アメリカ人クロエ・ジャオ監督(ザ・ライダー、2017年)、フランシス・マクドーマンド主役の「ノマドランド」は、同題名のジェシカ・ブルーダーによるノンフィクション作品の半フィクション化された再構成だ。(より正確には、ブルーダーの書名は『Nomadland: Surviving America in the Twenty-First Century』邦訳署名「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」)

 この作品はベニス映画祭で初上映され、更にトロント映画祭で上映された。12月に一週間ストリーミングリ上映され、既に多くの賞を勝ち取り、更に多くを獲得すると期待される。マクドーマンドの典型的な渾身の演技で感動的な映画だが、我々の考えでは、全般的な称賛評は、やりすぎだ。もう少し慎重で綿密な検討がを必要な要素があるのだ。

 ジェシカ・ブルーダーはHarper誌や、ワシントン・ポストや他でも書いており、コロンビア大学ジャーナリズムジャーナリズム大学院で教えるジャーナリストだ。2013年、彼女は図らずもエドワード・スノーデンのNSAの宝の山の受取人の一人だった。

 ノマドランドで、ブルーダーは特に、2008年不況によって、生活が劇的に変わった高齢アメリカ人と、彼らの様々な対処法の状態を調べ始めた。

 「多くの人々は街頭に出た」と彼女は書いている。「彼らの貯金が世界同時不況で壊滅した後。ガソリン・タンクとお腹を満タンにしておくため、彼らは長時間厳しい肉体作業で働いている。賃金が上がらず、住居費が上昇する中、彼らは切り抜ける対策として、家賃と住宅ローンから自身を断ち切った。彼らはアメリカで生き延びている。」

 マクドーマンドは、経済的、個人的な未解決の問題がある60歳の女性(元代用高校教師)ファーンを演じる。彼女は何十年も、亡くなった夫が働いていた、US石膏社が丸ごと所有するネバダ州、エンパイアという企業都市で暮らしていた。2011年、同社は88年間操業していた石膏鉱山を閉鎖し、コミュニティー丸ごと閉鎖した。エンパイアはゴーストタウンになり、郵便番号さえ消えた。

 映画は、主に2012年を舞台にし、彼女が、自分のバンやキャンピングカー(RV)で暮らし、ある程度の経済的、個人的安定を求めて、アメリカ西部中を旅する人々、他の不本意な「ノマド(遊牧民)」と一緒になったファーンを追う。最初は、アマゾンでの彼女を見るが、そこで彼女や多くの他の人々は休暇シーズン中、臨時労働者として働く。彼女は昔の生徒に、自分は「ホームレス」ではなく、むしろ「ハウスレス」なのだと語る。


 ノマドランドのフランシス・マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーン

 リンダ・メイ、ボブ・ウェルズ、シャーリーン・スワンキーや他の人々を含め登場人物の多くが実際ノマドだ。リンダは2008年に自殺を考えたことを認めている。社会保障給付が一カ月たった550ドルだと悟った時、彼女は「それを信じることができなかった」。

 ファーンは、下がる凍りつく温度で、南へ運転するよう強いられる。「私は仕事が必要だ。私は働くのが好きだ」と彼女は誰かに言う。彼女は、何千人もの他のノマドと一緒に、アリゾナ州クォーツサイト近くの公有地砂漠で行なわれる年中行事ラバー・トランプ・ランデブー(RTR)に参加する。組織者のウェルズは「ドルの暴政」を激しく非難する。更に、彼は「タイタニックは沈没しつつある。」と言う。彼や他の人々は、「どのように道路で暮らすかについて」助言する。

 ファーンは、彼が彼女にタバコを求めて知人になったデレクのように、ずっと若い人々にも出会う。後の二度目の出会いは、映画でも最も感動的な場面の一つだ。静かな控えめな若者デレクは、「北の国」にガールフレンドがいると説明するが、彼女への彼の手紙はそれほど、もったいぶっていない。ファーンは、彼女に詩を送るよう提案し、彼のために(我々のためにも)英語で最も絶妙な詩の一つ、シェイクスピアのソネット集第18番を暗唱する(「君を夏の日に喩えようか」)。

 一連の先のない、時に骨が折れる仕事が(サウスダコタ州バッドランドの観光名所)ウォール・ドラッグの採石業者で、再びアマゾンで続く。誰かがネブラスカでのビート収穫を示唆する。これは、生き延びるためなら何でもして、全国あてもなく、しばしばぼうぜんと男女が彷徨った大恐慌時代を想起させる場面だ。

 シャーリーン・スワンキーは、自分はガンで、余命はおそらく7、8カ月だと発表する。彼女は荒れ地で一人で死ぬため、運転して去る。ファーンの車はエンジンが故障し、2,300ドルの仕事が必要になる。彼女は遥かに一般的な生活をしている妹から借りる。ファーンはデイブ(デヴィッド・ストラザーン)と会い、多少交流する。彼は彼女に「私はあなたのそばにいるのが好きだ」と言って、彼女に息子の家に滞在するよう求める。彼女は決断しなければならない。

 書いた通り、ノマドランドには魅力的な局面がある。マクドーマンドは、いつも通り、本物で、正直で、地味だ(彼女は役を研究した結果、ネブラスカ州の「ターゲット」店舗で「働かないか」と言われて喜んだようだ)。本物のノマドは正当で威厳があるのだ。

 ジャオは西洋風景を見る目があり、ザ・ライダーでしたように、人々を敏感に監督している。

 だが全体的には、ノマドランドは、それが触れるひどい状態への暗黙の批判と、ノマドの反発力や「辛抱強さ」や「開拓者」風ライフスタイルへの不適切な慶賀を交互に繰り返すが、不幸なことに、後者の手法が勝利を収めている。

 映画の全体的な感じと感受性は、「やむをえずしたことを自発的にした振りをする」という表現の辞書定義の一つ、つまり「意図的に、その価値ゆえ選択した、他に選択肢のなかった行動や状況を作り直したり、描いたりする」こと、しっかり対応する。

 ある評者のコメントは典型的なものだが、意図せずに、映画の最も重大な弱点を捕えている。「ノマドランドと同じぐらい多くが、本当に、死(ある人物は自殺に近いものについて心-悲痛な記事を話す)までに取りつかれる、生きることについて、それは、前に進むことについて生活についてだ。経済の絶望の圧倒的な現実にさえ直面して、2008年に経験豊かなそれほど多くの人たちとして、常にあなたがと選べるもう1つの道がある。」

 もう一つの審査がジャオの仕事が真髄でアメリカ製の何かについて「年代記であることを示唆する:道路での生活。土地、道路、それに沿って旅行する人々の美しさについての映画、共同体がそこ、砂漠と丘と山でアメリカの西が無くなったくことを見いだす遊牧民。必要によって、しかし同じく自由意志によって。」タイプが、見出しで、映画を「アメリカの独立への優しい頌賦」だと記述した。

 これは、描写された貧困と苦難に直面して、かなり惨めだ。なぜ今まで標準的なアプローチを修正して、ジョン・スタインベックの、不景気の間、新しいライトのかわいそうな借家人農民-の苦痛Joads-a家族に熱心な憤(1939)怒のブドウ、を、「一般道路での生活」についての「年代記」、「土地の、道路の、それに沿って旅行している人々の美しさについての」小説として提示するなどしないか?

 それは社会的に決然とした(変更できる)(人たち・もの)を「自然の」、避けられない(人たち・もの)に変えるために重過失、ひどい無責任、だ。意図的にあるいは、1人は既存の情勢のために弁証者になる。いくらどんなにジャオの映画の種々の遊牧民が-抱きしめるか、あるいはembrace-theirに新しいライフスタイルを試みて、それに楽しい、さらに「心を解き放つ」特質を授けたとしても、彼らは、何よりもまず第一に、アメリカの社交的なカタストロフィーの犠牲者のままなのだ。

 ブルーダーは彼女の本を、こういう風に始めている。「ノースダコタ州、ドレートンで、67歳の元サンフランシスコのタクシー運転手がサトウダイコン収穫で苦闘する。彼は畑からのトラックが、何トンものビートを吐き出すのを手伝って、氷点以下の温度の中、日の出から日没後まで働く。夜には、彼はウーバーがタクシー産業から彼を押し出し、家賃を稼ぐのが不可能になった時以来ずっと彼の家であるバンで眠る。

 「ケンタッキー州、キャンベルズビルで、アマゾン倉庫の夜勤シフトで、66歳の元ゼネコン社員が、コンクリートの床に沿って、車輪付きカートを何マイルも押しながら商品を積み込む。それは実に退屈でつまらない仕事で、首にされるのは避けたいと、彼女は正確にそれぞれの品物スキャンしようと苦闘する。朝、彼女は、彼女のような放浪労働者を泊めるためアマゾンと契約している、いくつかの移動住宅公園の一つに停めてある彼女のごく小さなトレーラーに戻る。」

 極めて弱者である高齢者の残忍な扱いを詳述するブルーダーの仕事は貴重だが、そうした状態からも励みになる「希望の兆し」を見いだす努力からは免れない。彼女は、このように続けている。「だが道路には希望がある。それは前進する勢いの副産物だ。国と同じぐらい広いな可能性の感覚。より良いものが起こるという徹底的な信念。それは、すぐ先、次の町、次の仕事、知らない人との次の偶然の遭遇だ。

 「誰かのバンが故障すると、彼らは寄付を募る。人から人へ広がる感じがする。大きな何かが起きている。国は急速に変化しており、旧構造は崩壊しつつあり、彼らは何か新しいものの震央にいるのだ。真夜中、キャンプファイアーの周囲は、ユートピアの一瞥のように思われる。」

 ノマドの状況の粛然たる様相を見るには、(ブルーダーも参加した)Brett StoryとField of Visionによる16分の映画CamperForceも見る価値があるが、それは同社の季節労働部隊のために何千人ものキャンピングカー・キャンピングトレーラー暮らしの人々を採用し、搾取するアマゾンの10年にわたる計画を詳述している。この映画は美しかったり、「鼓舞したりする」ものではない。それは容赦なく、啓発的だ。題名自身が説明する通り、「現在、65歳以上の高齢アメリカ人のうち5人に1人が、1986年の比率のほぼほ二倍働いている」「55歳かそれ以上の人が当主の家庭のほぼ3分の1が、年金も退職後のための貯金がない」。この短編映画は、アマゾンのジェフ・ベゾスが「2017年に世界で最も金持ちの男になった」ことも指摘している。


(Field of Vision)

 数十億ドルのウォルト・ディズニー社の一部門、サーチライト・ピクチャーズの代表、ナンシー・アトリーとスティーブン・ギラは、ノマドランドを「本当の映画的発見」として推奨した。ジャオは「我々を思い出させる」と、この映画会社経営者が続けた。「我々が、どれほど遠く離れているように思われるにせよ、この映画には我々をつなぐ力がある。我々はこの特別な映画が世界中の聴衆を感動させ、更に世界の映画を支援できるよう希望する。」

 ディズニーが映画や芸能界の実に多くを支配していたり、その幹部が予想通り陳腐なことを言ったりするのは、確かに監督の過失ではない。だが、北京生まれで、マウント・ホリヨーク大学で教育を受けた「独立」映画製作者(2020年のトロント映画祭によれば「アメリカ映画で最も重要な新しい声の一人」)が今2021年11月公開予定の惨めなマーベル・シネマティック・ユニバース(同じくディズニーの所有)で26番目の作品スーパーヒーロー映画、Eternalsを監督したのはジャオ自身の「自由意志」の問題だ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2021/02/20/noma-f20.html

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 この映画、見ようと思いながら、まだみていない。

 政府も厚生労働省も文部省も、本物の反社会集団。

 LITERA

正気か? 東京都が東京五輪の観戦に小中学生ら81万人を動員計画! 感染拡大最中に各学校に通達、観戦拒否すると「欠席扱い」

 日刊IWJガイド  小生、緑のタヌキが準備した「パンダ映像」ではなく、こちらのインタビューを見る。

<次回の岩上安身のインタビュー> ゴールデンウィーク国民投票法「改悪」阻止キャンペーンの一環として、岩上安身による日本共産党・山添拓参議院議員インタビューを5月3日にお送りします!

<昨日の岩上安身によるインタビュー報告>国民投票法「改悪」案、5月6日にも衆院採決か!?  国民投票法の次はナチスばりの緊急事態条項を含む自民党改憲へなだれ込むリスクが! 岩上安身による小西洋之参議院議員インタビュー第3弾をフルオープンでお送りしました!第1弾、第2弾とともにGW中公開し続けます!! ぜひ、SNSで拡散して、多くの人に5月6日の危機をお知らせください!

【緊急シリーズ特集!コロナ禍の陰で着々と進む戦時独裁体制樹立の改憲!5月6日改憲国民投票法強行採決を許すな!! 2】本日午後7時半から2017年収録「広告宣伝の制限なし!『異常に自由』な国民投票制度―― 憲法改正国民投票は改憲派に有利!! ~岩上安身によるインタビュー 第807回 ゲスト ノンフィクション作家・元博報堂社員 本間龍氏」を再配信します!

2020年12月13日 (日)

『76 Days』:武漢でのコロナウイルスとの戦いの前線

デイビッド・ウォルシュ
2020年12月7日
wsws.org

 世界的流行が始まった中国の都市武漢での11週間の封鎖(1月23日-4月8日)についてのドキュメンタリー『76 Days』は、今年のトロント映画祭における最良の映画の一つだった。この映画には、実に本物の忘れ難いドラマがある。ドキュメンタリーは今「virtual cinema」プラットホームで、アメリカで見られる。

 映画はハオ・ウー、ジーン・チエンと匿名の人物(身元を明かさないために匿名を望んでいる武漢現地の記者)によるものだ。

 中国系アメリカ人映画監督のウー(Beijing or Bust, The Road to Fame, People’s Republic of Desire)が、二人の協力者に武漢で撮影されたビデオ映像を編集した。


『76 Days』

 ドキュメンタリーは、いかなる全体的評価も分析もしていない。ほとんどがクローズアップだ。ほとんど全員ウイルス感染者か医療従事者だ。極端な臨場感は制約だが、アメリカ政府による執拗な新たな「黄禍論」プロパガンダ宣伝の時に、『76 Days』は、親密で、完全に合法的な方法で、聴衆に中国人の人間性や苦しみを紹介する。

 更に全般的に、主にコロナウイルスで亡くなる人々が、無価値で、重荷で、完全な人間以下のもののように主張したり、暗示したりする、至る所のメディアや政治支配体制の冷淡さや無関心に対する打撃だ。

 ドキュメンタリーで、女性が半狂乱ながら、空しく(健康上の理由から)、死に瀕した父親にもう一度会いたいと懇願する場面がある。「父さん!私は父さんを決して忘れません」と彼女が叫ぶ。最も心が痛む、実情を現す別の場面の一つで、病人の自暴自棄な群衆が病院入り口で入ろうとする。「どうか協力してください!」と職員たちが訴える。職員たちは、彼ら全員が、最終的に入れますと約束する。


『76 Days』(2020)

 ある看護師が、故人のIDカードと携帯電話を集める。携帯電話は、故人や家族の画像が多いが、小さな光を放つ幽霊のようだ。ウイルスに感染した女性が出産する。「女の子ですよ。」だが赤ん坊は、母親が感染しているため、すぐ連れ去られる。その後で、母親と夫の両方が、心配して、赤ん坊を待っている。看護師が、二人に、赤ちゃんは「良く寝て、良く食べましたよ」と陽気に言って、幸せな再会になる。

 一人の「言うことを聞かないおじいさん」が立ち上がり、家に帰るため外に出る方法を探して廊下を歩き回り続ける。誰かが言う。「彼は漁師でした。彼は落ち着きがありません。」病気で、おびえて、彼は泣く。「私はもう、お墓に片足を突っこんでいる。」だが彼は幸運な一人であることが分かり、生き残る。彼が最終的に退院する際、職員たちが彼にさようならを言うため、エレベーター近くに集まる。「私は決して皆さんを忘れません」と彼は職員たちに言う。


 『76 Days』病院に入ろうとする必死の人々

 最終場面の一つで、誠実な看護師が死んだ親の持ち物を家族に返す。「ごめんなさいね」と彼女が言う。「私達は出来る限りのことをしました。」泣いている女性が帰るため向きを変えながら簡単な返事を言う。「わかっています」

 監督としての発言で、ハオ・ウーは、地方自治体が、ウソをついて、発生を隠すため、内部告発者を抑圧していたことが益々明確になる中での、流行初期の彼の反応を説明している。武漢での状況は悲惨だった。人々は死につつあり、医療は崩壊し、医療関係者には適切な保護器具がなく、彼らも病気にかかり、死に瀕していることが明白になった。

 後に、ニューヨークで、彼は「準備不足の政府、ウソをついているか科学的に無知な政治家、怯える住民、保護具がない疲れ切った医者や看護師のアメリカで、武漢物語を再体験しているように感じた。アメリカには一流医療インフラと遥かに優れた政治制度があると思われているので、この二度目は、私にとって、より大きな衝撃だった。」

 率直に言って、中国当局者の役割を称賛せずに、アメリカが武漢経験を「再体験した」ことを示唆するのは非常識だ。武漢での措置に伴う封鎖は、ウイルスを封じ込め、抑制した。今中国は、4,600人の死者で、死者数ランク・リストで、77位に落ちている。人口が四分の一のアメリカでは、政府の殺人政策のおかげで、290,000人の死者が出ている。

 とにかく『76 Days』は貴重で感動的な作品だ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2020/12/08/days-d08.html

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 植草一秀の『知られざる真実』

分科会提言無視なら辞表叩きつけよ

 岩波書店の月刊誌『世界』1月号
 特集1 自治のある社会へ
 特集2 ポスト・トランプの課題
 小特集 ツーリズム激変

 コロナに関する連載が二編ある。「分水嶺」と「コロナ戦記」
 「コロナ戦記」には納得するところが多いが、「分水嶺」適切なPCR検査強化を阻止している御用学者諸氏を称賛しているように読めてしまう。僻目でろうか?
 ツーリズム激変は時宜を得た特集。大昔知人たちとでかけた小樽、素敵な街に、いつかまた行きたいと思っていたが、この力作によると、どうやら幻想。「観光の根源とはなにか」は、カジノの虚妄を指摘している。

2020年9月25日 (金)

反中国活動を推進すべく映画『ムーラン』を巡る論争を利用するワシントン

ベン・マクグラス
2020年9月23日
wsws

 9月4日、ディズニーは、同社のオンライン・ストリーミング・プラットホーム、ディズニープラスで、最新のリメイク実写映画『ムーラン』を一般公開した。公開前後に、アメリカとその同盟国は、この映画を、人権擁護といういんちきな旗の下で駆り立てられている反中国活動の一環として標的にしている。

 映画が公開されて数日で、映画を阻止すべく、最新のハッシュタグ#BoycottMulanキャンペーンがツイッター上で開始された。関係者は、エンド・クレジットに、新彊ウイグル自治区中国共産党委員会や吐魯番市公安委員会を含め、種々の中国政府機関に対する「深い感謝」があるのに気付いた後、映画を非難した。吐魯番は新彊ウイグル自治区にあり、アメリカは、新彊に暮らすウイグル族住民の取り扱い方のかどで、去年、該当部局に制裁を課している。

 論争に応えて、『ムーラン』の大半はニュージーランドで撮影されたが、「この歴史的時代劇のための独特な風景や地理を正確に描写する」ため一部は新彊でも撮影されたと、ディズニーのクリスティーン・マッカーシー最高財務担当役員が述べた。

 北京を批判する人々は、当時起きていた集団抗議活動の際、2019年8月、ツイッターで、香港警察支持を投稿した映画題名の人物を演じた主演女優リウ・イーフェイ劉亦菲を非難した。劉は「私も香港警察を支持する。」と書いて、他の警察支持Tweetを共有した。

 中国との緊張を更に増すため、ワシントンは映画撮影場所の公然の非難に飛びついた。これら公然の非難は完全に偽善だ。北京の資本主義政権は確かに、抑圧的な警察国家措置を、その支配に対する、あらゆる野党勢力を沈黙させるために利用している。だが新彊における人権侵害に関するアメリカの非難は極めて恣意的で、ワシントンの帝国主義者の権益を推進することと、軍事侵略の口実にすることを意図している。

 アメリカ政府が、長い間植民地支配と独裁制を支持してきた香港や台湾のような地域で、民主的権利を支持するワシントンの主張にも、同じことが言える。

 石油を含め、重要な天然資源があり、北京が親密な経済的結びつきを発展させようとしているエネルギー豊富な中央アジア共和国に隣接しているので、アメリカは、特に新彊に焦点を当てているのだ。北京の一帯一路構想も、新彊地域を通過する。

 新彊を巡る反中国法案の先頭に立っている共和党のマルコ・ルビオ上院議員は、同社がなぜその場所で映画撮影することに決めたかについて答えを要求して、ディズニーに超党派的な手紙を送った。彼は「残虐行為に、あるいは隠蔽に責任がある」と映画クレジットに載った機関を非難した。

 ところが、同時に、ワシントンはアメリカの穏やかな抗議行動参加者に対する警察と自警団員の暴力を監督し、奨励しているのだ。アメリカ戦争犯罪を暴露する内部告発者やジャーナリスト、特に注目すべきなのはジュリアン・アサンジを迫害し、移民のための強制収容所を運営している。これは、アジア中で軍事クーデターを支持することを含め、20世紀中に、ワシントンがおかした多数の帝国主義犯罪に加えてなのだ。

 ワシントンは主要な経済競争相手を排除したいというワシントンの願望から、北京に対する追加圧力をかけるために、米国経済を中国から「切り離す」べく動いてもいる。ワシントンの『ムーラン』とディズニーに対する批判は、中国とのつながりを切るか、ワシントンの反中国工作に参加するよう、アメリカ企業に対する圧力を増すことを狙っている。これは特に中国市場での足場を利益の主要源と見ているアメリカ企業にとって困難だ。

 七月、ウィリアム・バー司法長官は、ミシガンで、アメリカ企業と大学を罵倒した。彼は、本質的に、彼ら自身を国務省や国防総省が自由に使えるようにして、国内、国外でアメリカ帝国主義のプロパガンダを推進し、ディズニーのような企業は、今後の戦争準備に専念すべきだと要求した。

 彼はこう述べた。「第二次世界大戦では、例えば、象徴的なアメリカ企業ディズニーは、アメリカ海軍軍人に航法戦術を教育する訓練ビデオを含め、政府のために多数の広報映画を制作した。戦中、ディズニー従業員の90パーセント以上が、訓練と広報映画制作に従事した。アメリカ軍兵士の士気を高めるため、ディズニーは、飛行機やトラックやフライトジャケットやアメリカや同盟国軍に使われる他の軍装備品の記章をデザインした。」

 バーは、ワシントンの方針に従い損ねている人々に対し遠回しな脅迫をした。「もしディズニーや他のアメリカ企業が北京に屈服し続ければ、彼らは、その繁栄を可能にした典型的な自由主義の秩序と同様、彼ら自身の将来の競争力と繁栄両方を損なうことになる。」

 このキャンペーンは、この映画や、ディズニーで始まったわけではない。それは、アメリカと中国間の分裂を推進する進行中の取り組みの一環だ。これは映画産業だけでなく、トランプ政権が、アメリカで活動を禁止しようとしている他のハイテク・プラットホームや、ファーウェイやWeChatやTikTokのようなアプリケーション企業も対象だ。

 ワシントンは、北京が、これら全てのプラットホームを、アメリカ国民やアメリカ同盟諸国国民のデータに影響を与え、操作したり、収集したりするのに使うと主張している。これらの発言は、資本主義北京を、本物のマルクス主義と一緒にして、アメリカ批判の信頼性を傷つけるため、反共産主義の言葉で表現されているのだ。だがワシントンの狙いは、言論の自由を弁護することからはほど遠く、ハイテクと通信プラットホーム同様、映画産業についても支配を主張し、ワシントンが脅威と見なす、あらゆる内容を検閲し、隠蔽することだ。

 昨年10月、マイク・ペンス副大統領は、ナイキや、プロバスケットボール協会のようなアメリカ企業が中国で事業をし、香港を巡って北京を支持したと思われるのを批判した。「北京は、企業の貪欲につけこんで、アメリカ企業を強要し、アメリカ世論に影響を与えようとしている」とペンスは述べた。「余りに多くのアメリカ多国籍企業が、中国の金と市場の魅力にへつらい、中国共産党批判だけでなく、アメリカ的価値観の肯定的表現についてさえ沈黙している。」

 ペンスの挑発的言説は、トランプ政権と全ての既成政治勢力が国内で増大する階級的緊張の流れを変えるため有害な反中国気分を煽動しようと努める度合いを強調している。

 国家が公認する警察による殺害と制圧に対する抗議が高まり、ワシントンは国内で増大する社会的怒りに直面している。何百万人もの労働者も、アメリカだけで200,000人以上が亡くなったCovid-19流行の経済的結果で苦しんでいる。共和党、民主党いずれも、更なる軍国主義と戦争への衝動以外、これらの危機への解決策を持っていない。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2020/09/23/mula-s23.html

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 「群像」で笙野頼子氏の「引きこもりてコロナ書く――#StayHomeButNotSilent」を読んだ。笙野頼子資料室によれば、阿鼻政権の打倒祈願だと、ご本人はおっしゃる。その校了の翌日、首相が退任しました、と。阿鼻の魔巣苦!秋には色々刊行されるようだ。

 一方、LITERA記事、彼女、自分のことを言っているのかと思った。

杉田水脈が自民党の“性暴力”議論で「女性はいくらでも嘘をつける」と暴言! 伊藤詩織さん攻撃でも被害女性を貶める差別思想が

2020年7月16日 (木)

スノーピアサー:新氷河期とその結末

ムハンマド・カーン
2014年10月8日
wsws

 監督:ポン・ジュノ;原作小説:ジャック・ロブ、ベンジャミン・ルグランド、ジャン=マルク・ロシェット、脚本:ポンとケリー・マスターソン

 この夏、公開された、フランスのコミック、Le Transperceneige(1982)の映画版、スノーピアサーは、未来の破局を生き残った、ごく少数の人類についてのSF映画だ。この映画は(『ほえる犬は噛まない』[2000]、『殺人の追憶』[2003]や『グエムル-漢江の怪物』[2006])などの韓国映画製作者ポン・ジュノによる監督、共同脚本だ。

 スノーピアサーでは、科学者たちが、CW-7と呼ばれる化学物質を大気に入れて、地球温暖化現象に対抗しようと試みて産み出された大惨事のため、人類がほとんど絶滅している。化学物質の目的は地球全体の温度を下げることだったが、思いがけない結果として、新氷河期がもたらされ、人類が、ほとんど絶滅したのだ。

 わずかに残った人類は、大洋を含め地球の広大な地域を際限なく走る列車の中で生き残っている。先頭車両の人々は贅沢な暮らしをしているが、列車後部の住民は惨めに暮らし、黒い棒状のひどい食べ物を与えられ、先頭車両の人々に利用され、虐待されている。

 カーティス・エバレット(クリス・エヴァンズ)は、そこの他の住民とともに、列車最後尾で彼の人生の半分を過ごした大人だ。カーティスと、彼の良き師で、最後尾住民の指導者ギリアム(ジョン・ハート)は他の最後尾住民に尊敬されており、彼らのリーダーを勤めている。カーティスとギリアムは列車を乗っ取るための反乱を準備する。

 列車後部に対する襲撃中に、列車のエンジニアの工作員によって、連れ去るために子供二人が選ばれる。一人の男が息子を連れて行くのに抗議した後、他の人々の前で酷く残虐に罰せられる。先頭車両住民の報道官メイソン(ティルダ・スウィントン)は最後尾住民をきつく叱る。彼女は彼らに、列車住民全員「割り当てられた持ち場」「あらかじめ定められた、それぞれの立場」に留まらなければならないと言う。

 彼らが警備員の銃には銃弾が入っていないのを悟った途端、カーティスと他の最後尾住民は「エンジンを乗っ取る」計画を実行に移した。途中で彼らは、列車の警備システムを設計したナムグン・ミンス(ソン・ガンホ)という名の列車前部住民の薬物中毒者の協力を求める。何らかのテレパシー能力を持っているらしい彼の娘も彼らに同行する。

 WSWSは2004年にポン・ジュノの『殺人の追憶』を批評した。スノーピアサーは興味深く挑発的な映画だ。コミックノベルに基づいているが映画の大半は監督自身の創造的発明だ。

 ほとんど全て列車で行なわれているにもかかわらず、映画は閉所恐怖症の感じがしない。それどころかジュノは効果的に世界を描いている。列車最後尾でさえ、共同体で、列車のこの区画に押し込められた人々の単なる集団ではないという感じを受ける。

 ジュノの監督は風変わりで、ジャンルを混ぜている。アクションや冒険や、大部分暗いものながら、かなりのユーモアの要素まである。この混合は時に、大成功で、それほど成功していない部分もある。

 スノーピアサーの、より強力な場面の一つで、悪魔のような服装をし、斧を持った、多数のファシスト的凶悪犯に対して、最後尾住民が生きるか死ぬかの戦いをする。最後尾住民は、疲れ果てて、みすぼらしい状態にもかかわらず勇敢に戦う。戦いは不利になり始めるが、勇気と機転で、彼らは流れを変えることができる。明らかに多少の暗いユーモアを意図した、双方が新年の休日祝えるよう戦闘の短い休憩場面を入れたことが、重大な、貴重な場面になったものを損ねている。

 映画には、ナムグン役のソンや、エンジニアで、冷酷で打算的な列車の支配階級指導者、ウィルフォード役のエド・ハリスを含め数々の素晴らしい演技がある。スウィントンはウィルフォードの臆病で尊大な従僕メイソンを素晴らしく演じている。先に触れた彼女の演説は、確実に、前部住民と現代世界エリートの大半の意見を代弁している。エヴァンスは非常に効果的で、時に感動的だ。彼の演技は、あらゆる損失にもかかわらず、列車前部に到達して、エンジンを支配する容赦ない決意で、前進せずにはいられないのだ。

 だが、スノーピアサーの強さには、多数の問題もある。

 虐げられた人々の蜂起のジュノによる描写は同情的だが、どちらかと言うと皮相的だ。映画が進むにつれ、それはいっそう明白になる。特に前述の戦いの後。革命の見せかけはそこで、ほとんど消える。数がひどく減って、傷ついた最後尾住民は、カーティス率いる最も有能な戦士の小集団になっている。

 このグループに焦点を合わせる貴重な瞬間が、まだ場面にある。彼らが列車前部に向かって進むにつれ、カーティスと他の人々は、先頭車両住民の益々退廃的な豊かさの誇示に直面する。先頭車両の人々はきれいで、健康で、身なりが良く、最後尾住民が長年経験していないぜいたくを思いのままにできる。

 ごくわずかの車両距離で、巨大な貧困と、下劣な放蕩との極端な分裂がある。現代生活の膨大な社会的不平等が、監督に、強い印象を与えているのは確実だ。

 不幸にも、映画は勢いよく始まり、上映時間の多くは比較的興味深い形で続くが、終盤は、本質的にほころび始める。一連の意外な事実と、生き残っている主人公たちの行動を通して、スノーピアサーは急速に悲観論と懐疑論へと落ち込む。

 結局、さほど多くを開示せずに、列車のエリートは、主に自身の目的のために、出来事を操っているのだ。「革命」そのものは、映画の前の方でメイソンが言った単に「秩序」と「バランス」を維持する計画の一部に過ぎないのだろうか?

 どう考えても、ポン・ジュノは、『殺人の追憶』に関して述べたように、映画で「現実を示すこと」を願っている真剣な芸術家に思える。スノーピアサーには、多くの強力な場面がある。革命-虐げられた人々による革命というアイデアで対処するという決定は、興味をそそる。だが、ポンが到達する結論は、生活の現実についてより、彼自身の方向感覚喪失について、遥かに多くを物語っている。

 io9のインタビューで、映画監督は彼の視点を詳しく語った。「あなたを抑圧している社会の支配権を握ろうと望むのが、より革命的なでしょうか?」と彼は問う。「それとも、その体制から完全に逃れようとすることでしょうか? カーティスが救助する韓国人ナムは、階級闘争というカーティスの考えに関心はなく、カーティスの考えを「越えて」いることが分かるのです。」

 このような展望を、一体どう考えたら良いのだろう? 絶え間ない社会的緊張と世界的階級闘争という時代に、本質的に、人間の生活や、あらゆる問題から後ずさりするのを擁護する視点の価値とは一体何だろう?

 スノーピアサーは色々な意味で素晴らしい映画だが、大きな欠陥もある。監督が戦っている、いくつかの問題に、より組織的に取り組めば、全体として、より一貫した、より良い映画が作れたはずだ。彼が未来の仕事で、これを取りあげることを期待しよう。

 著者は下記も推奨する。(英語原文)

For greater complexity, more uncovering
[2004年5月27日]

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2014/10/08/snow-o08.html

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 「ああ、上級国民の話しだ」と見ながら思った。

 たまたま週刊金曜日記事で、知って見た映画について、wsws批評が、あったので訳して見た。同意したから訳したわけではない。例により、wsws、左派には辛口。日本でも、色々批評がある。

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2020年2月24日 (月)

アメリカ人映画俳優カーク・ダグラス(1916 - 2020)

デイビッド・ウォルシュ
2020年2月10日
wsws.org

 2月5日、1940年代後期から1970年代初期までのアメリカ映画の主要俳優カーク・ダグラスはビバリーヒルズ、カリフォルニアの自宅で老衰で103歳で亡くなった。第二次世界大戦後時代の映画主役俳優の一人で、同じく、雇って、『スパルタカス』(1960)で、ブラックリストに載せられた映画脚本家ドルトン・トランボが果たした彼の努力への貢献を評価することによって、反共産主義ブラックリストを終わらせるのを助けることにおいて役割を果たした。

 ダグラスは、『過去を逃れて』(ジャック・トゥールヌール、1947年)『チャンピオン』(マーク・ロブソン、1949)『地獄の英雄』(ビリー・ワイルダー、1951)『悪人と美女』(ヴィンセント・ミネリ、1952)『突撃』(スタンレー・キューブリック、1957年)、『スパルタカス』(キューブリック、1960)『明日になれば他人』(ミネリ、1962)の『5月の7日間』(ジョン・フランケンハイマー、1964)における彼の有名な活発さを多数の、その中に、からの多くの貴重なものを含め、映画の道にもたらした。


『悪人と美女』のカーク・ダグラスとラナ・ターナー

 この俳優の人生は、反共産主義マッカーシズム粛清を苦しみでがら、そこから出現したアメリカ映画製作の継続的な強さと、1950年代初期、左翼思想の事実上の犯罪化の結果として、ハリウッドに課され、受け入れられた限界の一部を表現していた。

 アメリカが第一次世界大戦に参戦する4カ月前、ボルシェビキに率いられたロシア革命11カ月前の1916年12月、絨毯製造で知られるモホーク・バレーの小さな都市ニューヨーク州アムステルダムで、ダグラスはイッスル・ダニエロヴィッチとして生まれた。

 彼の自叙伝『くず屋の息子』(1988年)で、ダグラスはアムステルダムの「金持ちの人々の町マーケットヒルの反対側、イーストエンド」での子供時代を語っている。彼、両親と6人の姉妹は「坂道の一番下、最後の家、工場と鉄道線路とモホーク川脇のおんぼろなグレーの下見板張りの家」で暮らしていた。

 同じ伝記で、ダグラスは惨めな貧困で「生まれたと。私の親はロシアからアメリカに来た文盲の移民だった」と書いていたダグラスの親は、最初、父親が、1908年から1910年、ロシア皇帝の社会の窮乏と圧迫とからアメリカに逃れた移住したユダヤ人だった。

 ダグラスは、1884年頃に生まれた父親ハーシェルを、軍に徴兵される際、自分の右手と左手を区別できるよう「片袖に干し草、もう一方の袖に藁を結びつけていたほど」「無知な小作農」の一人として描いていた。父親は馬車で仕事するアムステルダムのくず屋だった。

 ブリナ・サングレルとして生まれた母親が、ダグラスは「この母親が、文字通り道路が金で舗装されていると思っていたこの素晴らしい新しい土地で全ての子供が生まれるよう望んでいたウクライナ農民家族出身。」だと書いていた。ダグラスの母親はロシアで、兄弟が「ゲットーを疾走して、何人かのユダヤ人の頭を割るのがスポーツだと思っている」「ウオッカで陽気になった」コサックの一人に道路で殺されるのを見ていた。

 ダグラスは北ニューヨークでセント・ローレンス大学入学に成功したが、早い年齢からいろいろな仕事に取り組んだ。

 彼は最初にアムステルダムの高校教師に、芝居の道を進むよう勧められていた。大学卒業後、ダグラスは、同時代の他の多くの人々同様、ニューヨーク市グリニッジビレッジに引っ越した。彼は奨学金をくれるアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学した。後に彼が映画キャリアを始めるのを手伝った同級生の一人は女優ローレン・バコールだった。第二次世界大戦中に海軍に勤めた後、ダグラスはニューヨークに戻り、ラジオと劇場の仕事を見つけ始めた。

 ダグラスは1946年の映画、『呪いの血』(左翼作家のロバート・ロッセン脚本による、ルイス・マイルストーン監督)に始めて出演した。彼はアメリカ映画製作が最も写実的で、重要な瞬間の一つだったフィルム・ノワール時代絶頂という面白い時にハリウッド人生を始めたのだ。(バート・ランカスター、ウィリアム・ホールデンやロバート・ミッチャムを含め)彼の世代の他の人々同様、30歳代で、ダグラスは既に、人生とその困難さを感じさせる最初の演技をしていたのだ。


『過去を逃れて』(1947)のカーク・ダグラスとロバート・ミッチャム

 過去、ランカスターと共演した七本の作品の一作目、もう一つの貴重な「暗い」厄介な仕事『暗黒街の復讐』(バイロン・ハスキン、1948年)の後、左翼アメリカ人著者ダニエル・メインウェアリングの小説に基づく、フランス生まれのターナー監督の『過去を逃れて』に、ダグラスが登場する。ダグラスは、以前彼を銃撃し、傷つけ、彼の金40,000ドルを盗んだ元恋人(ジェーン・グリーア)をつきとめる決意が固いギャングのウィット・スターリングを演じている。彼は終始威嚇的ながらだ、ダグラスの役は殺人癖の傾向をできる限り隠して、もの柔らかで、理論整然としている。

 2015年、WSWSは『過去を逃れて』は「道徳的、心理的に強力な」作品だと書いた。「主題を考えれば、映画には極僅かしか公然の暴力はなく、彼、ウィットは微笑し、冗談を言い、ほとんど決して声をあらげない。彼はそうしなくて良く、彼の金と権力が自動に敬意をもたらすのだ。」

 ロブソンの『チャンピオン』で、ダグラスは、チャンピォンに向かって情け容赦なく戦うボクサーの主役を演じて有名になった。映画の冒頭で主張するように「最も惨めな貧困から始めて、世界チャンピオンになった」「男の物語」で、ダグラスのミッジ・ケリーは恥知らずに、友人やパートナーや女性を裏切る。


『チャンピオン』(1949)のアーサー・ケネディ、カーク・ダグラスとポール・スチュワート

 『地獄の英雄』はワイルダーの最も苦い経験となった映画の一つ(で彼の数少ない商業的失敗作)だが、この作品は、欺いて世論を操作する問題に、寓意で取り組んではいるが、1940年代末と1950年代初期のマッカーシズム・ヒステリーを生み出す上での、マスコミの卑劣な役割に影響されたと考えられる。

 今や本格「映画俳優」のダグラスは、ニューメキシコ洞穴崩壊で閉じ込められた男の事件を偶然見つける、冷笑的な、運に見放されたジャーナリスト、チャック・テータムを演ずる。テータム(「私はかなりうまいウソつきだ。私は長年多くのウソをついてきた。」)良いように操られるのを熱心に望む騙されやすい大衆を操作するため、できる限りのことをする。彼は不正な野心的な地元保安官と一緒に、(「もし私が一週間のこの話題を使えれば」)この話題が全国的に新聞の一面に残れるよう、不運な被害者が、決してすぐに救助されないようにしようと企むのだ。


『地獄の英雄』(1951)でのカーク・ダグラス

 ミネリが監督した何本かのダグラス映画の一つ『悪人と美女』で、この俳優は、またもや何人かの有名なハリウッド人物に基づいた、ある解説者の言葉によれば「冷笑的で、狡猾で、悪魔的で」比較的無情な人物、異端者のハリウッド・プロデューサー、ジョナサン・シールズを演じた。メロドラマは回想で進む。ハリウッドの事務所に集まった3人の人物、監督、脚本家と女優が、本質的に苦い過去の経験に基づいて、彼らがなぜシールズと関わるのを拒否するかを説明する。

 これら多数の映画には「アメリカン・ドリーム」と「あらゆる犠牲を払って」実現を目指すことに関する一般的な戦後批判の共通主題が、はっきり現れている。(『悪人と美女』では、映画評論家で歴史家のトーマス・エルセッサーが言っているように、ダグラスの役が、少なくとも一部、「監督や脚本家や主演女優の創造的な可能性」を解き放つ努力で、実際に他の人々と、彼自身を犠牲にしている。)

『悪人と美女』(1952)
のカーク・ダグラス

 彼自身の言葉で、それほど「信じ難いほど」陳腐だった、ダグラス自身の貧乏から大金持ちになったホレーショ・アルジャー物語の人生が、アメリカの無制限の機会の証拠としてしばしば描かれる問題的枠組みを気づかせることは指摘する価値がある。

 映画史家の学者ジョセフ・マクブライドは(同時掲載の記事参照)、1976年の短いダグラス伝で、「彼の映画のほとんど全作品に脈々と流れている特徴は、アメリカの成功倫理に対する、熱い苦悩に満ちた批判だ」と雄弁に論じている。

 二つのプロセスが、同時に、時々食い違って、多くのダグラスの映画における仕事であるようにわれる: 移民や貧困に陥った背景からを含めて、彼ら自身、経済的、文化的に、引き上げるべきアメリカのある特定の人々の否定し難い能力(そして決定) - アメリカ資本主義の強力な地位と資源で根づいた - 他方、成功の疑わしい、不安定な特徴は、しばしば主人公の苦しみ、有罪あるいは激しい自己不信に導いて、目的を達した。

 映画監督ライナー・ファスビンダーによる、ドイツ人小説家テオドール・フォンターネの見解(1819 - 1898)に関する発言を思い出す。「彼は、本当に属したいとを望み、必要としていながら、その欠陥を認識して、非常に正確に記述することができる社会に暮らしていた。彼は全員を拒絶し、全てが相容れないと知りながら、それでもなお、この社会の中で、一生この認識のために戦った。」

 マクブライドが引用した1960年のインタビューで、ダグラスはこう言っていた。「一生俳優として、役割を演じたいとを夢見ていた。それで起きたのは、それで成功すると、人は大事業になるのだ。まるで想像もしていなかった様々なことが動き始める。人は突然あらゆる側面から翻弄される。正しい助言を得られれば幸運だ。」

 もちろん、この俳優が広く受け入れられており、ダグラスが、政治的奉仕で、国務省ツアーや、他の公式行事を含めて、しばしば公式に活動した「アメリカ民主主義」のハリウッド・リベラリズムの中でこの全てが行われたと論ずるのは実に容易だ。(1960年代と1970年代、ルキノ・ビスコンティ[『山猫』、『家族の肖像』]やベルナルド・ベルトルッチ[1900]のようなヨーロッパ人監督と仕事をし、デイビッド・ミラー-ドルトン・トランボの『ダラスの熱い日』や、ロバート・オールドリチの『合衆国最後の日』や、テッド・ポストの『戦場』のような、かなり反体制の作品にも出演したランカスターは、いくぶん、より公然の反体制路線をとっていた。)

 だが、ここでも、芸術家と、俳優としての公的人格や、出世、財政的成功、果てしない色事などなどを区別することが必要だ。彼が冷戦中に、忠実な報道官の一人ととして演じたかもしれない、あらゆる機能を通して、アメリカ社会のお世辞抜きの写真を芸術家として描き出し残す上で、ダグラスは性格描写で、真実、特に感情と「苦しみ」で、十分正直だった。

 社会生活の活動領域全体が、反共産主義と映画産業の自己検閲で封鎖された条件の下で、真剣な芸術的な仕事をする上での客観的な矛盾が、(『炎の人ゴッホ』ミネリ[1956]での)余りに僅かなものから、余りに多くを読み取り、絞り出さねばならないかのようなダグラスの演技の時々高ぶり過ぎた独特の演技表現になっている。『探偵物語』の評論で、批評家マニー・ファーバーは「スポーツマン志向の」ダグラスの「喧嘩を売るような演技」を指摘した。


『脱獄』のカーク・ダグラス(1962)

 1976年の著書で、マクブライドは、映画を見に行く大衆の一部にとって、ダグラスは「しゃくれた顎で、スクリーン上で彼がいつも演じる、耳ざわりな声の精力的に好戦的な人物と同義語」で、彼の「身ぶり手ぶり」と(ファーバーの言葉で)「がなり立て」は、いらいらさせ気を散らせかねない。だが最高の状態では、彼の「目を見張るようなエネルギーと強烈さ」(マクブライド)が矛盾する不安な状態やジレンマをを生き生きさせた。

 ダグラスは、既に挙げた人々を含め、1940年代、1950年代、1960年代、最も本格的な映画監督の多くと仕事をする幸運を得ていた。その中には以下のものがある。ジョン・M・スタール(エリコのウォールズ、1948)、ジョセフ・L・マンキウィッツ(『三人の妻への手紙』、1949)、マイケル・カーティス(『情熱の狂想曲』、1950)、ラオール・ウォルシュ(『死の砂塵』、1951)を含めて、言及されたそれら、ウィリアム・ワイラー(『探偵物語』、1951)、ハワードホークス(『果てしなき蒼空』、1952年)、リチャード・フライシャー(『海底二万哩』、1954と、『バイキング』、1958)、ヘンリー・ハザウエイ(『スピードに命を賭ける男』、1955年)、キング・ビダーの(『星のない男』、 1955)アンドレ・ドゥ・トス(『赤い砦』、1955年)、ロバート・オールドリチ(『ガン・ファイター』、1961)、オットー・プレミンジャー(『危険な道』)とアンソニー・マン(『テレマークの要塞』、1965)

 ダグラスの最も輝かしい時代は、1957年から1963年まで続き、彼は毎年トップ25人の最も成功した映画俳優の一人だった。

 第一次世界大戦の大虐殺を舞台にした『突撃』は、ダグラスの最も重要な仕事の一つだ。彼は、フランス参謀本部が計画した、ドイツ戦線に対する、成功できないのが分かっている自爆作戦を率いなければならないフランス士官ダックス大佐を演じる。軍支配層は自身の兵士を大量殺人する用意をしっかり調えている。一つの部隊が、殺人的なドイツ砲撃の中に進むのを拒否した後、ミロー大将(ジョージ・マクリーディ)は、大失敗での自分の役割から注意をそらすため、臆病さのかどで、100人の兵士、最終的に三人を軍法会議にかけることに決める。


『突撃』(1957)

 民間生活では弁護士のダックス大佐が、法律上の見地からは、茶番的行為である訴訟手続きで、3人の兵士を弁護する。判決は、前もってきまっている。ダックス大佐は裁判で要約して言う。「検察側は証人を招かなかった。被告に対してされた告訴には、書面告訴が全くなかった。最後に、私はこの裁判の速記録がつけられなかった事実に抗議する。昨日朝の攻撃は、フランスの名誉の穢れではなく...確実に、この国の戦士の不名誉でははない。だが、この軍法会議は、穢れで、不名誉だ。これら兵士に対して行われた告訴は、全ての人間の正義に対する侮辱だ。この兵士たちを有罪だと裁決する法廷の人々は犯罪で、死ぬ日まで、あなた方全員につきまとうだろう。」法廷は、しかしながら、まさにね、そうして、3人の兵士は処刑される。

 最終場面の一つで、参謀本部メンバーのブルラール大将(アドルフ・マンジュー)が、ミロー大将に、事件全体のため、彼がスケープゴートにされると知らせ、ダックス大佐にミロー大将の命令を言う。ダックス大佐 -ダグラスは「閣下、あなたは、その昇進で、どうすることができるか私に提案されたいととお思いですか?」と答える。

 ブルラールが謝罪を求めると、ダックス大佐は激怒し、ダグラスの最も素晴らしい瞬間の一つで応える。「私はあなたに完全に正直に話さなかったことをお詫びする。私は本当の感情を明らかにしなかったのをお詫びする。私は早くに、あなたが堕落した、サディスティックな年寄りだと言わなかったのをお詫びする。私が今、あるいはいつか、あなたに謝る前に、あなたは地獄に落ちることができる!」


『スパルタカス』(1960)のカーク・ダグラスとウッディー・ストロード

 (撮影開始から10日でアンソニー・マンが解雇された後)スタンレー・キューブリックが西暦紀元前1世紀のスパルタカス、古代ローマの奴隷反乱の叙事詩物語を監督した。映画は、母親の名にちなんで名付けられたダグラスの会社ブリナ・プロダクションが制作した。脚本は、左翼作家ハワード・ファストが、下院・非米活動調査委員会で、名前を言うのを拒否したかどで、3カ月の刑期を勤めていた刑務所で始めた1951年の小説を脚色して、上記通り、ブラックリストに載せられているドルトン・トランボが書いた。

 『スパルタカス』には興味をそそる、強力な場面がある。制作者とにとって、古代世界での奴隷反乱は、進行中の公民権運動を含め、明らかに虐げられた現代の人々の反乱に類似点があったのだ。マクブライドによれば、主人公は「野蛮で、残忍に取り扱われた下等人間として始まり、最終的に良心を見いだして、英雄伝説の人物になった、動物と霊的なものの複雑な混合だった」ことをダグラスは指摘した。


『スパルタカス』(1960)のカーク・ダグラス

 有名な場面で、奴隷反乱敗北後、ローマ当局者が、生存者に「スパルタカスと呼ばれる奴隷の死体か、生きている本人を特定するだけで、はりつけのひどい罰が避けられるというたった一つの条件」を約束して、反乱指導者を見つけようとする。周知の通り、生存者全員が「私がスパルタカスだ!」と叫ぶ。

 アーウィン・ショーの小説に基づき、ヴィンセント・ミネリが監督した『明日になれば他人』は映画産業のさらなる検証だ。ダグラスは、アルコール中毒に悩まされる元俳優ジャック・アンドラスで、彼のかつての恩師クルーガー(エドワード・G・ロビンソン)が監督する(ジョージ・ハミルトンが演じる)前途有望な映画俳優を呼び物にする映画で、ちょい役を演じるためにローマに旅する。結局、クルーガーが衰弱する心臓発作を起こした後、アンドラスは映画の監督を引き継ぎ、成功裏にそれを完成する。感謝の代わりに、彼は嫉妬と、クルーガーを傷つけようとしたという嫌疑に出くわすのだ。豪華な退廃的な振る舞いには恨みと幻滅の雰囲気が満ちている。

 1974年という未来を舞台にした『5月の7日間』では、悪党の空軍将官が、ソ連と米国大統領の軍縮条約の署名に反対して、クーデターを画策しようと決心する。ランカスターは準ファシストの将軍ジェームズ・マットーン・スコットを演じ、ダグラスは海兵隊大佐「ジグズ」ケイシーを演じ、他方フレドリック・マーチは、いささか無力な大統領ジョーダン・ライマンを演じる。

『五月の七日間』(1964)のカーク・
ダグラスとバート・ランカスター

 チャールズ・W・ベイリー2世とフレッチャー・クネーベルによるベストセラー小説は、自分の極右政治思想を指揮下の兵士に吹き込み、ハリー・トルーマン元大統領やディーン・アチソン元国務長官やエレノア・ルーズベルト元大統領夫人は共産党支持者だと言っていたのが明るみに出て、1961年に辞職したファシストのエドウィン・ウォーカー大将の行動に着想を得ている。ベイリーとクネーベルは、キューブリックの『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964年)の主役発想の元になった人物の一人、極端な反動主義のアメリカ軍最高司令官カーティス・ルメイ大将にもインタビューした。

 フランケンハイマーの映画で、ケイシーは、スコットや他の統合参謀本部メンバーが、ライマンと閣僚を排除して、アメリカ政府を乗っ取る計画をしているのを知るようになる。計画では、秘密部隊がアメリカのラジオや電話やテレビ・ネットワークを掌握する。だがライマンとケイシーは、アメリカ国民には、そうした陰謀の存在を発表せずに、スコットの計画を阻止しようと努力する。映画には、1960年代初期の「軍産複合体」の癌のような不気味な肥大と、戦後繁栄の絶頂におけるアメリカ民主主義のもろさを示す、多くのぞっとするような予知的側面がある。60年後に、それが空洞化した条件は一体何だろう?

 スコット役のランカスターとケイシー役のダグラス最後の対決では、スコットがこういう調子で口火を切る。

- 大佐、君は夜中に地上にはい出て動くウジ虫だ。君は情報の売人だ。聖書のユダを知っているか。これは私の質問だ。

- 答えろという命令ですか?

- そうだ。

- はい、私はユダが誰か知っています。ユダは、軍服の四つ星の名誉を傷つけるまで、私が彼のために働き、称賛していた人物です。

 かなり多くのダグラス作品が長く残るだろう。彼には批判と自立思考を促進する形で、アメリカ生活に光をあてるエネルギーと知性と才能があったのだ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2020/02/10/doug-f10.html

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 自民党、異神は、コロナウイルスを意図的に蔓延させておいて、緊急事態条項を導入するのが、狙いなのでは?大本営広報部、コロナウイルスを意図的に放置しているアホ政権を非難するが、緊急事態条項の大問題には決して触れない。

 属国政府は、軍事クーデターではなく、敗戦で、宗主国戦争政権の精神を注入された。

 属国は、宗主国を見習う。

 櫻井ジャーナルも、カーク・ダグラスと映画界について、書いておられる。

カーク・ダグラスが死ぬ前に息絶えていたハリウッド

 カーク・ダクラスが勇敢に戦った赤狩り、日本では、いまだに続いている。

 安倍首相、共産は「現在も暴力革命」
 日本維新の会の足立康史議員への答弁。

 とんでもない政治で日本を破壊しているご両人には言われたくないだろう。下記はNHKニュース

共産 志位委員長「暴力革命とは無縁」首相答弁に反論

 日刊ゲンダイDIGITAL

小田嶋隆氏「最大の罪は国の文化と社会を破壊したこと」

2020年2月11日 (火)

カーク・ダグラスの死を偽善的に悼む左翼風新マッカーシー魔女狩り運動

マシュー・エレット
2020年2月9日
Strategic Culture Foundation

 2月5日に、ハリウッド映画の伝説的人物カーク・ダグラスが103歳で亡くなると、左翼風主流放送局が胸が悪くなるような偽善を見せた。CNNが2月6日に報道したように、これらマスコミは「1950年代後期に、ハリウッドのブラックリストを無くすのを支援するため、人を引きつける彼のスターとしての力と影響力を駆使した」と彼の人生に対する無数の賛辞や追悼を書いた。多くのハリウッド有名人や、MSNBC、NYタイムズ、ワシントンポストが類似の称賛で、この言説に続いた。

 これで胸がひどく悪くなるのは、この追悼がウソだからではなく、まさにこのMSM /ハリウッド連中が、カーク・ダグラスと、彼の親密な協力者たちが、人生で勇敢に戦った、ファシスト・マッカーシー運動機構の継承者だからだ。

 ハリウッドと現在のCIA

 ここ数十年、少数の例外を除き、ハリウッドは(主流メディアの多くと全く同様)CIAや、より広範に、軍産複合体の支店になっている。CNNのようなエセ通信社が、ボーッとしたアメリカ知識人に、エセ事実を紡ぎだす一方、ハリウッドは、話を語る重要な催眠術の威力を通して、被害者の心や想像力に影響を与え、そうしたニセの種が育つ肥沃土を用意するのだ。トム・クランシーの『エージェント:ライアン』、スピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』や、『レッド・スパロー』や『Bitter Harvest』は、ロシアを極悪非道な悪党として描き、CIAを勇ましく愛国的な高みに引き上げる最も人気が高いプロパガンダ映画の一部に過ぎない。

 アメリカ内の中国人学者に対する攻撃に至った、蘇った冷戦の脅威や、現役米国大統領対するクーデター未遂のさ中、オバマ政権がハリウッド幹部に「ロシア言説に反撃する」映画を推進するよう要求していたことが、不法侵入で得られ、ウィキリークスが公表したソニー・ピクチャー電子メールが動かぬ証拠を提供となり、全てが明らかにされた。

 ハリウッドが、大きな悪の勢力を演じることができるのと全く同様、カーク・ダグラスと協力者たちの小さなネットワークが、大きな善の勢力を、簡単に演じることができるのを示したのだ。これは正直と勇気の精神を示す映画は、知性の門番を回避して、特定状況下では、より良い愛国者、世界市民たり得る聴衆の内面的本質を撃つことができるのだ。

 そこで「このような冷戦ピークの世界史の暗い時期、カーク・ダグラスと彼の協力者の小さいながらも影響力を持った人々のネットワークが、一体なぜそれほど重要だったのか?」という重要な疑問がおきる。

 ブラックリストを終わらせる:ダグラスとトラン

 CNN追悼からの上記引用は、ハリウッドのブラックリストを終わらせるダグラスの取り組みをあげている。知らない方々のために言っておくと、ブラックリストというのは、ハリウッドの「不可触民」に与えられた名前だった。ジョセフ・マッカーシー上院議員とJ・エドガー・フーバーFBI長官の独裁的な指導の下で行われる、下院のファシスト非米活動聴聞会に協力するのを勇敢に拒否した作家や監督やプロデューサーたちだ。聴聞が終わるまでに、何百人もの人生が破壊され、アメリカ合衆国憲法を擁護したかどで実刑判決を受けただけでなく、釈放後も、何年にもわたり、雇用不能にされた、偉大なドルトン・トランボを先頭に、10人の主要メンバー、ハリウッド・テンが見せしめにされた。それだけでなく、彼らを雇用しているのが見つかった人々は誰であれ、類似の罰で脅された。

 厳しい現実にもかかわらず、1950年代、トランボはクレジットを入れず、二本、アカデミー賞を獲得し(『ローマの休日』と『黒い牡牛』)彼らの多くが偽名で働き続けた。

 この暗い期間中、勇敢な映画製作者たちは、トランボを中心に構成された、カーク・ダグラス、デイビッド・ミラー、ジョン・フランケンハイマー、スタンレー・クレイマー、バート・ランカスターや、プロデューサーのエドワード・ルイスのネットワークは、20年間、非常に親密に働いた。彼らが制作した作品は、新たに形成された「闇の国家」の土台を揺さ振る話題であるだけでなく、その自己満足が、国外での新しいパックス・アメリカーナ支配と、国内での、人種差別警察国家の形成を可能にしたアメリカ人の道義的感受性を目覚めさせようと努力していた。

 カーク・ダグラスは反戦名画『突撃』(1957)と『スパルタカス』(1960)を制作したブリナ・プロダクションズという彼自身の映画会社を設立し、これに素早く対応した。

 『突撃』は、第一次世界大戦中に、自爆作戦に従うのを拒否した数人のフランス兵士の不当な処刑の実話で、非合理的な戦争と、恣意的な政治的権力が手に負えなくなることに反対する強い声明になっていた。

 紀元前72年を舞台にした『スパルタカス』は、ローマに対し、2年間、自由の闘いを率いたトラキア奴隷の実話で、直接、アメリカの公民権運動、より広範には、反帝国主義の戦い語っていた。

 『スパルタカス』に、ブラックリストを終わらせる戦略上の潜在力があったのは、それがアメリカ最高の不可触民「共産主義支持者」ドルトン・トランボに書かれた事実にあった。トランボの実名を使うカーク・ダグラスのぎりぎり最後の決断は、大半の人々が理解しているより遥かに危険なもので、後年、ダグラスはこの時期について語っている。

「選択は難しかった。結果は苦痛を伴い、まさに本物だった。ブラックリスト時代、誰も雇ってくれないので、亡命した友人や、絶望で自殺した俳優がいた。『スパルタカス』に、ブラックリストに載せられた脚本家、友人ドルトン・トランボを起用すれば、私は「共産党支持者」というレッテルを貼られ、俳優としての私の人生は終わると脅された。人は信条を守るため立ち上がらなければならない時がある。不正に対して反対意見を述べるため、公的な影響力を使う同僚の俳優たちを私は誇りに思う。98歳で、私は歴史から一つの教訓を学んだ。歴史は、しばしば繰り返すのだ。私はトランボ、素晴らしい映画が、我々全員に、ブラックリスト時代は、アメリカの酷い時期だったのを想起させるよう願うが、我々がそれから学んで、決して再び起きないようにしなくてはならない。」

 新たに選出されたジョン・ケネディ大統領と弟のロバートが、映画を見るために反共産主義のピケラインを最初に越えて、更に、はっきりと映画を支持した時、ブラックリストの基盤は破壊され、15年間の恐怖の体系は轟音とともに崩壊した。

 ケネディ暗殺とトランボの復讐

 1963年のケネディの死は、アメリカを絶望、薬と狂気のらせんに陥れた。フランケンハイマーの『影なき狙撃者』(1962)や『5月の7日間』のような映画(1964)が、闇の国家によるアメリカ乗っ取りに光をあてようと試みたが遅すぎた。1960年代、ダグラス、エド・ルイス、トランボやフランケンハイマーは、『脱獄』『非情の町』『フィクサー』『ガン・ファイター』『セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身』『大列車作戦』『悪魔の弟子』『ジョニーは戦場へ行った』『ホースメン』などの映画で、しっかり協力し続けた。悲しいことに、文化的退廃はあまりにも深く根付いていて、1957-1964年という時期の密度が濃い創造的抵抗の芸術性に比肩するものは皆無だった。

 だが、一本のほとんど無名の映画は大いに傑出しているのに、ほとんど何も知られていないので、今、これに言及しなければならない。

 ケネディ暗殺10年後、トランボ、エドワード・ルイス、デイビッド・ミラー、マーク・レインとゲイリー・ホロウィッツは「トランボ最後の戦い」とも呼べる映画を制作した。この映画は『ダラスの熱い日』(1973)と呼ばれ、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺陰謀の主要なまとめ役として、カーク・ダグラス長年の協力者バート・ランカスターが主演した。以前ダグラスと『スパルタカス』を制作したエドワード・ルイスは、(ピッグズ湾攻撃の大失敗後に解雇された元CIA職員)プロ傭兵チームを三つ使い、ジョン・ケネディ暗殺を手配する寡頭体制支配者の陰謀団の話を語るこの映画の先頭に立った。信じられないほど良く調査された筋書きは、虚構を説得力ある事実で満たしており、ケネディ家と親しく、ニューヨーク州法律顧問で、公民権運動家(人種差別に対して戦うフリーダム・ライダーとして逮捕された唯一の議員)マーク・レインの著書に基づいていた。

 ジェームズ・ファリントン(ランカスター)と(ロバート・ライアンが演じる)徒党の指導者ロバート・フォスターの説得力ある対話の中で、ケネディ暗殺が必要な本当の理由、世界的人口減少が身も凍るような詳細で語られて、戦いが始まる。

 ここでフォスターは、ファリントンに、こう言う。

「ジェームズ、本物の問題はこれだ。20年で、この惑星の人口は70億人になるだろう。連中の大半は、茶色か、黄色か、黒人だ。彼ら全員飢えている。彼ら全員が愛すると決めている。彼らは、その温床から、ヨーロッパと北米に押し寄せるだろう。だから、ベトナムだ。そこで我々が徹底的に取り組むことで、我々が今後何十年も南アジアを支配できるようになる。適切な計画で、世紀の終わりまでに人口を5億5000万人に減らすことができる。私はデータを見て、知っているんだ。」

 ジェームズ:「我々は、まるで「最後の審判」台帳を読み上げる神々のようだな?」

 フォスター:「ああ、誰かがそれをしなければならない。この影響を受けた国々が良くなるだけではない。そこで開発されたテクニックは超過人口を減らすのに使える。黒人、プエルトリコ人、メキシコ系アメリカ人、困窮しがちな白人」。

 この映画は、大半のアメリカ映画館から排除されているが、いまだに、単独武装犯という言説に対する、最も直接的な、実に身も凍るような反論の一つで、私が古い記事「実現すべきだったJFKの未来構想を忘れない」で述べたように、ケネディ暗殺の根底にある楽天的な理念への恐れ、根深い新マルサス学派の狙いを、この制作者が知っていることを示す唯一の映画なのだ。

 現代世界で、巨大な政治力を持ったひと握りの集団が神の役を演じようとしている中、JFK暗殺を監督した連中の前任者が渇望していたのと全く同様、戦争と病気は、人類の自然状態ではなく、人口増加を抑制する手段なのだ。

 ダグラスの逝去を悼んでいる、そのマスコミとハリウッドこそ、人類に、寡頭政治の戦争、病気と飢えの世界的大流行を永久に終わらせる最後で最良の機会を提供するロシアと中国間の協調関係の確立や、月や火星に人間の永住植民地を建設する宇宙計画復活で、JFKの遺産が再生するのを、ひどく恐れているマルサス学派遺産の犯罪者だということを肝に銘じる価値がある。

 マシュー・J.L・エレットはジャーナリスト、講師、Canadian Patriot Review創設者。

 個々の寄稿者の意見は必ずしもStrategic Culture Foundationのものを意味しない。

記事原文のurl:https://www.strategic-culture.org/news/2020/02/09/leftist-neo-mccarthyite-witchhunters-hypocritically-mourn-the-death-of-kirk-douglas/

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 宗主国との安保体制が、属国化の根源だが、雑誌『世界』3月号にある吉田敏浩氏の記事、「砂川裁判最高裁判決」の呪縛は解けるか─日米安保体制を根本から問う国賠訴訟 によれば、第三回口頭弁論は、二月一二日。

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