映画

2017年7月 8日 (土)

『ヒトラーへの285枚の葉書』ナチスに抵抗した労働者階級の夫婦

Bernd Reinhardt
2016年3月7日
wsws.org

手書き葉書という手段で第二次世界大戦とヒトラー反対を呼びかけたベルリン労働者階級の夫婦に関する(著者の死後、1947年に出版された)ハンス・ファラダの小説『ベルリンに一人死す』は(1960年代と1970年代、東西両ドイツで)何度か映画とテレビに翻案された。

ファラダの小説は、2009年に英語に翻訳されると再び脚光を浴びた。2010年、訳本は“予想外のイギリス・ベストセラー”として大成功し、何十万部も売れたことは、ファシズム時代と歴史の真実への強い関心を反映している。

著者の狙いは、1943年にナチスによって処刑されたベルリン・ヴェディング自治区住民オットーとエリーゼ・ハンペル夫妻の実像を再現することではなかった。二人の驚くべき話を、色々な境遇の様々な登場人物の姿を描きだす、ヒトラー支配下ドイツ首都の社会ポートレート用枠組みとして使ったのだ。ナチスに対する見方や姿勢はそれぞれ独特だ。


『ヒトラーへの285枚の葉書』のブレンダン・グリーソンとエマ・トンプソン

実際のハンペル夫妻は、本と映画では、虚構のオットー・(ブレンダン・グリーソン)と、アンナ(エマ・トンプソン)・クヴァンゲルになっている。他の登場人物には、社会的没落を味わい、意図的にナチスのためにはたらくようになった人々を含め、プチブル出身者が多い。

例えば、破産した酒場経営者で、ナチス党のおかげで立ち直ったペルシケ(Uwe Preuss)がいる。二人の息子は、SS(ナチス親衛隊) [残虐なナチス準軍事組織にいる。一番下の息子バルドゥール (サミー・シェウリッツェル)は、若いファシスト・リーダーのエリート学校、ナポラ[National Political Institute of Education]志願者だ。 エヴァ・クルーゲ(カトリン・ポリット)の息子の郵便局員もSS隊員だ。ところが、前線で彼がユダヤ人の子供たちの殺害に関与していることを知ると、彼女は彼を勘当する。もはや息子ではない。

クルーゲ夫人は、とうの昔に夫エンノ(ラルス・ルドルフ)を追い出していた。彼は、仕事に定着できずに、妻の金を競馬ですってしまう。彼は政治には全く関わろうとしない。しかし、彼は、恐怖から、誰でも欲しがる人に、病気診断書を書くユダヤ人医師を知っている。工場では大変なスピードアップが行われている。“究極的勝利”(“Endsieg”)のために全エネルギーをささげていないという印象を与える連中は、すぐさま強制収容所に送り込まれてしまう。

人々を冷酷にゆすり、ゲシュタポに売るのを恐れない、ちゃちな犯罪人失業者、エミール・バルクハウゼン(レイナー・エッガー)は、不安の原因に気がついている。“現在、大半の人々、基本的に全員が何らかの形で、禁じられていることに関係しているので、誰かが、それをかぎつけるのではないかと心配して、おそれている”。オットー・クヴァンゲルが息子の戦士を知って、バルクハウゼンに悲嘆を述べると、彼は即座に、強制収容所送りになると脅し、ゆすろうとする。

ファラダによる、第三帝国における日々の生活の微妙な描写は、ドイツ国民全員が一様にヒトラーと、ユダヤ人絶滅を支持していたとするダニエル・ゴールドハーゲンと彼の支持者による主張の誤りを示している。最新の再映画化『ヒトラーへの285枚の葉書』(スイス人俳優ヴァンサン・ペレーズ監督)も集団有罪説は否定している。“遍在するこの恐怖を提示したかったのです。実に分厚くて、ナイフで切れるほどです”と監督は述べた。

ゲシュタポ警部エッシェリヒ (ダニエル・ブリュール)は、反ヒトラー・スローガンのしろうと臭い葉書を書いている人物を見つけだすのに時間をかける。葉書は決して、人に手渡されてはいないと彼は確信している。総統に対する忠誠というよりも、恐怖心から、全員が葉書を警察に届けているのだ。映画の終わり近くで、ギロチンが象徴的に目につく(ハンペル夫妻は斬首された)。次の場面では、無数の人気の無い窓のアパートが現れる。


ダニエル・ブリュールとグリーソン

小説では、この恐怖には、いきさつがある。ワイマール共和国時代(1919年-33)のほとんど全ての大人が、後にナチス政権下で“国民の敵”と見なされた人々と接触があった。ドイツ共産党 (KPD) と社会民主党 (SPD)は、多くのユダヤ人を含む、労働者、職人、知識人、ジャーナリストや芸術家の何百万人もの党員や支持者がいる政党だった。ユダヤ人は社会のあらゆる分野にいた。事実上、あらゆる大人が、その人の過去を深く探れば、ナチス時代のどこかの時点で、政府による迫害の対象になり得たはずなのだ。

ファラダの本で、有名な映画俳優と弁護士の場面は多くを物語っている。俳優は、これまでの監督の多くがユダヤ人だった事実にもかかわらず、ヒトラーのもとで役者を続けられるのを有り難く思っている。彼は反戦映画にも出演していた。弁護士は学生時代からの旧友だ。 映画スターがクヴァンゲル夫妻の葉書を玄関で見つけ、それを弁護士に見せると、突然に疑惑が起きる。お互いに罠をしかけられたのではと恐れるのだ。二人は葉書をナチス役人に渡し、二人の怒りは、反ヒトラー文書を書く人々に向けられる。

小説中の恐怖とリアリズムと精巧さという具体的な社会構造が映画では失われている。映画はグリーソンとトンプソンが見事に演じるクヴァンゲル夫妻のカップルが中心だ。彼らの周囲環境は後景に退いていて、迫力に欠け、舞台装置のようだ。小説中の多くの重要なエピソードが消えている。様々な人物が削除されたり、うやむやになったりしている。ファラダが登場人物の何人かを配した環境である共産党地下レジスタンスは、映画から入念に取り除かれている。

ペルシケの示唆に富む話は、むしろ歪曲されている。小説中での彼の総統賛美には、彼より弱い人々全員に対する深い社会的侮辱が伴っている。バルドゥールの人物像もよろしくない。ペレーズは、狂信的なヒトラー青年団リーダーを、ユダヤ人老人のローゼンタール夫人(モニク・ ショーメット)が、子供時代には彼女のケーキが好きだったのを思い出させると当惑する、青年団の制服を着た無害な若者に描いている。

エッシェリヒの性格は興味深い。彼を、ワイマール共和国時代の犯罪学者だと考えることも可能だ。ファラダは、彼の社会的無関心、狩人という性格が、ナチスでの出世にとって極めて重要であることを明らかにしている。感情を表さず、忍耐強く、彼の“獲物”である、正体不明の葉書筆者を追いかける。

ペレーズの映画では、皆に恐れられている身勝手なゲシュタポ将校が、暴力の犠牲者に変えられている。残虐な上司を恐れるあまり、彼は乱暴に振る舞っているというのだ。必死の行動をする前に、彼は事務所の開いた窓からクヴァンゲル夫妻の葉書を外に投げる。この映像で映画が終わる、外でひらひらする葉書(この場面は小説にはない)は、エッシェリヒの良心の呵責を示しているのだろうか?

先行するファラダ小説の映画化作品は、必然的にある種のツァイトガイスト[時代精神]を反映している。1975年 西ドイツ映画(アルフレッド・フォーラー監督)、アンナはもっと強い人物で、当時の女性運動精神に基づく、葉書抗議行動の創始者だ。1970年に東ドイツで製作された ( ハンス・ヨアヒム・カスプルジク監督)5時間、三部作のテレビ・シリーズは、スターリン主義国家の検閲に譲歩している。オットー・クヴァンゲルは、スターリン主義の共産党という反対政党に入党せず、政治に無関心な一匹狼として行動したので、政治的に未熟だと描かれていた。


『ヒトラーへの285枚の葉書』

極右運動、フランスの「国民戦線」や、 ドイツの「ペギーダ」や「ドイツのための選択肢」が勃興し、益々国家の暴力が日々の生活を支配する時代に、新たなフランス-ドイツ作品が現れた。映画がそうしたものを懸念しているのは明らかだ。現代の青年は、クヴァンゲル夫妻の話を知っているべきだと、主演のダニエル・ブリュールは主張する。同時に、現在我々は、社会的不平等が大いに激化しているのを目にしている。

『ヒトラーへの285枚の葉書』の中で注目すべきものに、ナチス国家の経済的不平等の指摘がある。ナチス女性同盟の一員であるアンナ・クヴァンゲルは、裕福な“国民の同志”(カタリーナ・シュットラー)を彼女の豪華なアパートを訪れ、誰にも頼んでいるように、仕事をするという一般的義務に服するようにと頼む。彼女は横柄さに憤りを感じる。ナチス幹部である彼女の夫は、アンナは女性同盟から排除されると請け合う。

強固なナチスを売り物にしていないので、映画は画期的だと、ブリュールが言うのは、やや驚きだ。実際、ファラダの小説でも、不合理な“支配民族”を主張する良くある典型的ナチスは登場しないし、人々を拷問する加虐的欲望の人物もいない。

今ペギーダや国民戦線に参加している人々を連想させる、ナチス青年バルドゥール・ペルシケと、他のプチブル連中を識別するものは、1933年に、ナチスが権力を掌握してまもなく書かれたレオン・トロツキーの見事な論文“国家社会主義とは何か?”が、うまく皮肉に表現している。“事態を改善するために何がなされなければならないか?まず何より、自分たちより下にいる者を絞め殺すことである”という社会的態度だ。

映画で、新しい社会的疑問と強調が検討されていることが感じられる。クヴァンゲル夫妻のように考えた人々は、おそらく他にも多数いただろう。残念ながら、ファラダの現実的で、多面的な小説を、個人の道徳的勇気による反戦活動に再構築しようというペレーズの取り組みは、説得力に欠けている。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2016/03/07/ber3-m07.html
----------
チーズやワインが安くなると宣伝する大本営広報部大政翼賛会。共謀罪やTPPやモリ・カケなど国民のためにならないことしかしない連中が、良いことをするはずがないだろう。日本農業壊滅。食糧安保放棄。

翻訳のおかしな部分は原文をご確認願いたい。
『ヒトラーへの285枚の葉書』今日から上映。まだ見ていない。
この記事は余り肯定的ではないが、是非見たいと思う。小説も。

岩波書店の月刊誌『世界』8月号に「ナチスの恐怖支配に抵抗した名もなきベルリン市民の信念」という監督インタビューがある。

『世界』8月号、興味深い記事満載。例えば下記。

「国家戦略特区という欺瞞」郭洋春 奈須りえ 内田聖子 藤田英典
「フィリピンで戒厳令」加治康男
「加計学園問題の本質は何か」藤田英典
「トランプ王国の現場から」伊東光晴京都大学名誉教授 金成隆一 朝日新聞

2017年6月18日 (日)

例外主義に酔いしれるアメリカ支配層を怒らせたストーンのプーチン・インタビュー

John Wight

公開日時: 6月16日 2017年 13:59
編集日時: 6月16日 2017年 16:38
RT


©SHOWTIME / YouTube

オリバー・ストーンのウラジーミル・プーチンについてのドキュメンタリー・シリーズは、ロシア大統領に関するがさつな風刺を超えて、彼の世界観に対する洞察を得ようとする欧米の人々にとって必見だろう。

ヨーロッパ最大の国、主要核大国、地政学的な違いから生じる緊張が激化しており、近年、ワシントンとのライバル関係にあるロシアについて、そうした洞察は、確かになくてはならない。

ところが、欧米のリベラル評論家にとっては、理解ではなく、糾弾こそが当たり前で、ストーンのロシア大統領についてのドキュメンタリー・シリーズが、欧米の主流メディアから受けている雨あられの批判がその証拠だ。

ストーンが彼のインタビュー・プロジェクトについて、リベラルなアメリカのトークショー司会者スティーヴン・コルベアとしたインタビューが典型例だ。

コルベアの一連の質問は、彼の育ち、家族歴、経歴、指導者という地位についての考え、1990年代の暗い日々にロシアが直面した難題の山、様々なアメリカ大統領との関係、NATO、その他諸々実に様々な話題での、プーチンとの20時間を越えるインタビューで、ストーンが超えて先に進もうと試みたことを反すうする戯画にも等しいものだ。

ところが、コルベアのような連中にとって、インタビュー最初の質問にあるような公式言説に沿うのがずっと気楽なのだ。“あなたの[オリバー・ストーンの]は残虐な独裁者にへつらうインタビューだという人々に対して、どうお考えでしょう?”質問自体のみならず、のんきで無頓着な質問のし方が、アメリカ合州国で、何十年にもわたって進行中のニュース報道、分析や論評の知的レベルの低下を裏付けている。

その結果が、知的に余りに浅薄で、無知が軽蔑されるのではなく称賛され、わが国は例外だ論やら傲慢さが、否定されるのではなくあがめられる、見るのも恐ろしい文化だ。一方、アメリカの文化的価値観をひどく腐食した、この無知の霧や、アメリカ例外論にあえて切り込もうとするオリバー・ストーンのようなあらゆる人々には災難が降り懸かる。

更に読む
‘ロシアは、決してカリフ国にさせない’ - シリアでのISISに対する戦いについて、プーチン

プーチンは、アメリカ・マスコミによって、不当に扱われ、酷評されているというストーンの発言に対し、コルベアのスタジオにいる観客たちが笑うのを聞いて、私は古代ギリシャの哲学者ソクラテスに対する扱いを思い浮かべた。このような比較は、一見して、人が思うほど突飛なものではない。

お考え願いたい。通説、一般に真実と認められたもの、支配的なものの考え方に、あえて疑問を投じたことで、哲学者は当てこすられ、あざ笑われ、最終的には、現在ワシントンがそうである - あるいはより正確には、そうだと主張しているのと同様、当時、民主主義と自由の故郷と見なされていたアテネの権力者連中によって死刑宣告された。

興味深いのは、ソクラテスを有罪にしろという叫びが、ペロポネソス戦争(BC431-404)終結からわずか数年後、アテネと、そのライバルで敵のギリシャ都市国家スパルタとの間の緊張がまだ高かった時期に起きたことだ。

誰でも知っていることだが、まさにそういう時にこそ、反対意見が必要であるにもかかわらず、冷戦であれ熱戦であれ、戦時には、あえて文化的風潮に逆らう反対意見に対する国民の寛容は消えてなくなる。結局、最近ロシアとアメリカ間で目にしているような緊張が高まる中、万一そうした緊張が燃え上がり、直接の軍事紛争になった場合、戦闘に送られるのは、スティーヴン・コルベアのような連中ではないのだ。

これを念頭におけば、戦闘を経験し、まさに上述の例外的な国の大義で解き放たれた壊滅的な戦争を自身で直接体験している人物、オリバー・ストーンの話をじっくり聞いたほうが、おそらく、ずっと、トークショー司会者のためになっていたはずだ。

更に読む
戦略的均衡を維持すべく、NATO拡大にロシアは対応する - プーチン

1980年代にまでもさかのぼる映画監督オリバー・ストーンの一連の作品は、芸術家として、そして人間としての彼の品格の証しだ。エルサルバドルの右翼暗殺部隊に対する、アメリカによる秘密支援のひるむことのない暴露である1986年の『サルバドル』から、アメリカ諜報機関の内部告発者エドワード・スノーデンについて語る2016年の最新映画『スノーデン』に至るまで、この映画監督は真実の追求に強い情熱をもっている。だから、今後長い間にわたり、彼の作品が尊敬を集め、真面目に分析されるだろうことは、まず確実だろう。スティーヴン・コルベアの一連の作品にも、同じことが言えるだろうか?

質問をすることは、それに答えることだ。

‘Carthago delenda est’ - ともあれ、カルタゴ滅ぶべし。ローマ政治家で雄弁家の大カトが彼のあらゆる演説の最後に必ず繰り返して言っていたとされるこの言葉は、欧米文化生活の特徴たるウラジーミル・プーチンを悪者として描くキャンペーンの背後にある心情だ。

そうしたキャンペーンが大いにまん延し、強迫的なので、様々な国々、つまりアフガニスタン、ユーゴスラビア、イラクやリビアを丸ごと破壊したのはロシア大統領で、第二次世界大戦以来、どの時期よりも、より多くの人々を殺害し、より多くの混乱を招いたのは彼の外交政策だったと考えかねない。

何十年にもわたり、世界中で、アメリカがこれまでにもたらし、今ももたらしている損害に、アメリカ人を目覚めさせようとしたオリバー・ストーンは称賛に値する。彼がそうしているのを攻撃し、あざ笑う連中は、智恵ではなく、全くの無知を基盤に構築された文化の退廃を裏付けるに過ぎない。

John Wightは、Independent、Morning Star、Huffington Post、Counterpunch、London Progressive JournalやForeign Policy Journalなどの世界中の新聞やウェブに寄稿している。RTやBBCラジオの常連解説者でもある。彼は現在、アラブの春における欧米の役割を探る本を書いている。@JohnWight1で、彼のツイッターをフォローできる

本コラムの主張、見解や意見は、もっぱら筆者のものであり、必ずしもRTのそれを代表するものではない。

記事原文のurl:https://www.rt.com/op-edge/392566-oliver-stone-putin-colbert-us/
----------
IWJの築地問題インタビューに驚いて、インタビューに出演しておられる方々の著書『築地移転の闇をひらく』を早速拝読した。
まるで東京都版モリ・カケ共謀。国も都も劣化の極み。
大企業ファースト、間もなく、移転を発表するだろう。

『築地移転の闇をひらく』99ページの二行が目をひいた。

水谷:しかし、仮にですが、小池都知事が新しい「村」をつくったとしたら恐いことになりそうですね。
中澤:それは恐い村になりそうだ。都民の信任を得ているからよけい恐いことになりそうです。

100%そうなる。国からも都からも逃げられない奴隷。共謀罪強行で、不評になった自民党、公明党に対する、真正の新自由主義ネオコン、第二自民党の受け皿を用意しておいて、東京を第二の大阪にするという長年仕組んだ壮大な計画だろう。

今日の孫崎享氏メルマガ、お説の通りと思うが余りに悲しい現実。題名が全てを物語っている。

戦後トルーマン米国大統領「日本人は軍人をボスとする封建組織の中の奴隷国。一方のボスのもとから他方のボス(占領軍)の切り替えに平気」・タゴール「明治政府下の日本国民は精神的奴隷制度を快活と誇りをもってうけいれ」。今も続く精神的奴隷

2017年5月29日 (月)

良い気分になれる映画と、むなしい期待の新たな波を流布する欧米

Andre Vltchek
2017年5月27日
New Eastern Outlook

“南”の大ヒット映画を見ると、世界は実はそれほど絶望的な場所でないと信じ始める可能性が高い。現在の帝国主義者と超資本主義者による世界支配のもとで、事態は常に良くなると確信さえするかも知れない。インド亜大陸やアフリカのどこかの貧民街で暮らしているのであれば、一生懸命頑張れば、“自分を信じて、自分を愛すれば”、“自分の直感に耳を傾ければ”、あらゆることが最後はうまいところに落ち着く。あなたは認められ、報われ、成功という緑の丘を覆う素晴らしい新天地に持ち上げられるかも知れない。

熟考願いたい! というより… 全くお考えにならぬよう - 見て見ないふりをして頂きたい。

欧米の資金提供機関やプロパガンダ機構を喜ばせるためだけに、本や映画が常に生産されている。その過程を、私の最近の政治/革命小説“Aurora”で興味深く描いた。

アフガニスタン-アメリカ作家カーレド・ホッセイニの書いた『君のためなら千回でも』や、サルマン・ラシュディや、エリフ・シャファクのインドやトルコに関する、ほぼもっぱら欧米の読者が狙いで、作家たちの母国では軽蔑されていることが多いあらゆるベストセラーをお考え願いたい。

ラシュディやシャファクの作品は、少なくとも“文学”と見なせよう。だが今や欧米市場も主流マスコミも、、益々多くの貧しい国々の、単純で、美しい ‘前向きで’、多くの貧しい国々の現地の人々を実際には混乱させ、むなしい期待を抱かせる、より多くの‘良い気分にさせる’物語の駄本や映画を求めている。

『スラムドッグ$ミリオネア』をまだ覚えておられるだろうか? シナリオはどれだけ現実的だっただろう? そもそも、インド映画でさえなかった。『トレインスポッティング』も監督したダニー・ボイル監督の2008年のイギリス映画だった。ムンバイのジュフー・スラムが舞台だ。

2011年、映画が制作された同じムンバイのスラムで私も撮影した。多数の人々に、あの不潔で、絶望的な地域で、あのような‘成功談’がどれほどありうるのか聞いてみた。ジュフー・スラムの住民たちは、軽蔑的な身振りで映画まるごとを切って捨てた。貴重な言葉を無駄にする必要などないのだ。

益々、益々多くの絵画が制作されている! 良い気分になれる; 世界のことをとても気分良く感じられる! 映画館を出る際、涙を何滴か流そう。小声でこうつぶやこう。“あらゆることが可能だ。”体制に協力しよう。革命など忘れ、‘前向きに’考え (体制が国民にそう考えて欲しい方向で)、なにより、自分のことを考えよう!

(作品に『炎の二人』や『Water』などがある)インド人監督ミーラー・ナーイルが制作した 実際のウガンダ人チェスプレーヤーのフィオナ・ムテシに関する映画『Queen of Katwe カトウェの女王』は、本物の個人主義大作だ。実際、ウガンダかインドの映画をご覧になっていると思われたなら、完全に間違っている。アフリカ映画のように見えるが、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズが制作したアメリカ映画だ。しかも、実際“良い気分にさせる映画”として意図され、誇らしげに宣伝されている。

筋は単純で、予想通りのものだ。少女は、首都カンパラ郊外のアフリカでも最も過酷なスラムの一つ、カトウェで、徹底的な貧困の中で成長する。父親はAIDSで既に死んでおり、母親は家賃が払えず、姉は売春婦として、かつかつの生活をしている。わずか10歳のフィオナは退学を余儀なくされる。

彼女の人生は完全崩壊に近づきつつある。だがそこで突如奇跡が起きる! ハレルヤ!

フィオナは国が主催するチェス棋士養成計画に登録する。彼女は才能に恵まれていた。彼女はどんどん出世し、間もなくスーダンまで飛行機旅行し、数カ月後にはロシアにまで旅する。

これは‘実話’だとされている。確かに、ウガンダのスラムで育った貧しい少女がいた。彼女は決して頂点には至らず、決して金メダルを勝ち取ってはいないが、彼女は才能があった。映画では、彼女はトーナメントで勝利し、大量の賞金を獲得し、一家のために大邸宅を購入する(まるで宮殿のようだ)。

これが、この映画を見た貧しい幼い少女が狙うべきことなのだろうか? そのような夢は現実的だろうか、それともこれは全くの妄想なのだろうか?

悪事をあばくドキュメンタリー『ルワンダ・ギャンビット』のため、私もカトウェで撮影した。子供だった頃、私はいくつかトーナメントや競技に参加し、才能のあるチェス棋士として通っていた。映画『Queen of Katwe カトウェの女王』は、どこか変だ。チェス・チャンピォンになるには、単なる幸運と熱意以上のものが必要だ。コンサートピアニスト同様、チェス棋士が一定のレベルで戦えるようになるには、文字通り自分を殺す長年の厳しい訓練が必要だ。

私の子供時代、科学者だった父親は、私をチャンピォンにしようと夢中だった。率直に言って、長年一生懸命やったとは言え、私はさほど興味はなかった。いくつかメダルを取ったが、それ以上は伸びなかった。飢えて、ほとんど屋根もない家で暮らすフィオナが、わずか数カ月ののんびりしたコーチを受けただけでチェス名人になれただろうか?

そうなっていたら良かったと思う。だがウガンダを知り、スラムを知り、彼らの現実がいかに過酷か十分知り、もちろんチェスも知っている私は、そうはゆくまいと思う。

一体だれがこうした映画の恩恵をえるのだろう? 最も貧しい人々ではないのは確実だし、インド人やアフリカ人ではないのも確実だ!

恩恵を受けるのは、欧米や植民地で現状を維持しようとつとめている連中のように思える。連中は現地の人々に悟って欲しくないのだ。希望などほとんど残されておらず、根本的変革、唯一革命だけが、収奪されている彼らの国で、物事を逆転し良くすることができることを。

革命というのは‘共同参加の’出来事だ。決して個人が突然進歩したり‘救助されたり’‘救われたり’というものではない。ある個人や、ある家族が‘成功する’話ではない。それは国民全員が、その権利のため、進歩のために戦うことであり、全員のための社会的公正の問題なのだ。

ちょっとした‘成功談’は実際むなしい期待を抱かせて、共同社会を分裂させる。

親欧米で、超資本主義的ウガンダのフィオナの物語には、典型的な青年オーケストラや、ケーブルカー、保育所、公共図書館、コミュニティーの学習センターや、無料医療拠点などのベネズエラ・スラムの偉大な共同体プロジェクトとの共通点は皆無だ。

ミーラー・ナーイルの映画撮影技術がいかに‘素晴らしくとも’、クジに当たったり、あちこちで幸運な目にあったりしても、国が丸ごと変わるわけではない。欧米帝国主義の中心地で、これらのささやかな個人主義者の行動や勝利は慶賀され、賛美される理由はまさにこれだ。国内であれ、植民地であれ、本当の変化が起きても、決して歓迎されない。一方、あらゆる利己的な小さな勝利は、神聖なものとして扱われる。状況とは無関係に、人は自分自身のために生きるべきなのだ。

最近一体何本の、大いに‘前向きな考え方’/ 非現実的/‘良い気分になれる’/‘むなしい期待’映画を見ただろう? 沢山。たとえば、2016年オーストラリア/イギリス共同制作の、列車に乗って、故郷の町から離れ迷ってしまい、最後に愛情ある献身的なオーストラリア人家族の養子になる貧しいインドの少年に関する『LION ライオン 25年目のただいま』だ。

同じような映画や本やニュース報道の土砂降りか、なだれのようだ。ある種の‘前向きな考え方’の新たな波、あるいは‘実際、個人的幸運や個人主義によって改めることができないほど酷いものは世界にはないという教条のようだ。そうしたものの大半は、どういうわけか、欧米イデオロギー洗脳の震源地 - 英国(自国民や絶望的な植民地化された国々からやってくる移民、更には様々な遥か離れた場所で、絶望の中に暮らしている人々までの、あらゆる革命への熱望をまんまとそいだ国)とつながっている。

欧米は‘偽の現実’を産み出すのに多忙だ。そして、飢えているチェス棋士、露店商や、スラムの住民など何人かの貧しい個人が突然金持ちになり、成功し、満たされるこの奇怪な似非現実。彼らを取り巻く他の何百万人は苦しみ続ける。しかしなぜか、彼らはたいした問題にならない。

形成されつつある新たな名士集団がある - 彼らを‘魅力的貧乏人’と呼ぼう。この‘例外的な人々’、魅力的貧乏人は、欧米では、理解しやすく、祝いやすい。彼らは素早く、いそいそと、グローバルな‘やり手連中’やナルシスト大金持ちの‘主流’クラブに統合される。

アンドレ・ヴルチェクは、哲学者、作家、映画制作者、調査ジャーナリスト。彼は、Vltchek’s World in Word and Imagesを制作している。彼は、革命的な小説『Aurora』と他の何冊かの本を書いている。本記事は、オンライン誌“New Eastern Outlook”独占記事。

記事原文のurl:http://journal-neo.org/2017/05/27/the-west-spreading-new-wave-of-feel-good-movies-and-false-hopes/
----------
映画と言えば、『この世界の片隅に』いまだに見ていない。

昼の洗脳番組、最近、音声を消すだけでなく、テレビ自体つけなくなった。

一方、IWJのインタビューはしっかり拝聴させていただいている。以下に、今日の日刊IWJガイドの一部を引用させていただこう。共謀罪、たとえば、沖縄の米軍基地反対運動、ぴったりの標的であることがわかる。一般国民こそが対象なのだ。ちなみに、今日の日刊IWJガイド、加計問題についても、詳しい。

 昨日、岩上さんは40年以上にわたりメディア業界に携わり、現在TBSの「報道特集」でキャスターを務める金平茂紀氏にインタビューをしました。

 金平氏は、「共謀罪」について「これまでと全く違う、あまりにも危険な中身で、やり方も拙速」と批判。さらに、「共謀罪が招致するディスユートピアはすでに現実化している」として、沖縄の米軍基地反対運動の山城博治さんが逮捕された際、「警察が通話記録をおさえ、誰と誰が通話し、どういうメールをし、お金がどう動いたかを調べた。山城博治を中心にどういうネットワークができているかを調べた」という、共謀罪の「先取り」が行われている事実をお話くださいました。

 金平氏と岩上さんは、4月27日に行われた記者会見でも一緒に登壇し、「共謀罪」反対を表明しました。

---------------
※【全文文字おこし掲載】「共謀罪は自由な情報発信を殺す」――ジャーナリストら14人が共謀罪に反対する共同声明を発表!岩上安身も呼びかけ人として参加「密告の横行で個人的な人間関係も破壊される」 2017.4.27
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/375780
---------------

 昨日のインタビューは、以下のアーカイブからご視聴いただけます!

---------------
※「『共謀罪』が招致するディスユートピアはすでに現実化している」!? 長年メディアで取材をしてきたTBSキャスターの金平茂紀氏が見た「監視社会の恐ろしさ」~岩上安身がインタビュー!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/380791
---------------

 NHKや読売など、巨大な影響力をもつ大マスコミの、見るも無残な劣化と不潔な正体が明らかになった今、政権への「忖度」一切なしに報じるIWJのようなメディアは珍しいと言えます。しかし、残念ながらIWJがこれから先もきちんと「ジャーナリズム」をしていくためには、みなさまの会費やご寄付・カンパでのお支えが不可欠です。

 IWJの会員にご登録いただくと、過去の岩上さんのインタビューやIWJのコンテンツが全て見放題です。ぜひ、この機会に、会員登録をご検討ください!

※会員登録はこちらから。
https://iwj.co.jp/ec/entry/kiyaku.php

 このままでは、7月末の会計期末までに、IWJは1200万円の大赤字に陥りかねません。どうか、みなさまのご寄付・カンパでのお支えもよろしくお願いいたします!

 期末まであとわずか2ヶ月です!もうお尻に火がついてきました!どうぞ皆さん、ご支援のほど、伏してお願い申し上げます!

※ご寄付・カンパのご支援はこちらから。
http://iwj.co.jp/join/pleasehelpus.html

2017年3月28日 (火)

“わたしは、ダニエル・ブレイク”保守党緊縮政策下のイギリスの悲痛な描写

2016年10月27日、木曜日
アダム・ブース   

    “私はお客さまや顧客やサービス利用者ではない。怠け者でも、たかりやでも、乞食でも、泥棒でもない。私は国民健康保険番号ではない…わたしはダニエル・ブレイクだ。私は人間だ、犬ではない。そういうものとして、私は権利を要求する。敬意を払って、私に対応してもらいたい。わたしは、ダニエル・ブレイク、国民で - それ以上でも、それ以下でもない。”

左翼監督ケン・ローチの現在上映中の新作映画の主人公によるこうした力強い言葉が、ここ数週間、ソーシャル・メディアの書き込み、巨大広告掲示板や、イギリス国会議事堂の威圧的な壁にまで、出現している。言葉は現代の保守党下イギリスで、過酷な窮状や労苦に直面して、生存と尊厳を維持するための戦いにある映画題名の元になった主人公の絶望を描写している。しかし、映画の人気ハッシュタグ#WeAreAllDanielBlakeが示唆している通り、ダニエルの物語は、フィクションとは言え、決して非現実的でも、例外的でもない。実際、ダニエルの物語で最も悲劇的な部分は、今の緊縮政策時代、このような話がどれほどありふれたものかということにある。.

薄情な世界の暖かい心

映画冒頭の対話が、それ以降の映画の場面を設定する。孤独で無力な一人の男が、彼があきらめて視野から消えるまで、あらゆる自尊心の感覚をくじき破壊するように作られてそびえている体制とむなしく戦う。ユーモアのあるダニエルは、冷淡な官僚を前にして、就職斡旋・失業手当て“意思決定者”に、仕事をしたくないわけではないが、心臓病の結果、医者の指示のためできないと説明しようと無駄な努力を試みる。

しかし残酷ながら、素晴らしい映画の皮肉は、ダニエルが、この薄情な世界で、人情のあるわずかな人々の一人。壊れているのは彼の心ではなく、彼や、彼と同様な状態にある人々を取り巻き、包み込んでいる体制だ。

次々の場面で、タイン川流域出身者のダニエルが、何のためらいもなく、隣人、友人、さらには見知らぬ人に対してまで行う優しさと連帯の様々な行動の心を動かす天真らんまんさを見せられる。しかも“怠け者、たかりや、乞食、泥棒”とは決して見られたくない彼は、何も見返りを求めず、誇りと頑固さから、申し出されるお礼を断る。

資本主義に流される

働いて給料を得る機会を、健康状態が理由で拒否したダニエルは、請求書に支払いするため、いかなる慈善も受けずに、あらゆる世俗的財産を売ることを余儀なくされる。しかし、ローチが示す通り、ダニエルには技能や才能がないわけではない。彼は練達の大工で、便利屋で豊富な経験とingenuity。彼は働いて、彼の技術を活用したいのだ。しかし、資本主義の変化という踏み車についてゆけず、コンピューターとスマート・フォンの海の中で迷い、他の多くの人々同様、彼は現代社会の中を流されていることに気がつく。

職業紹介所と、その上の雇用年金局の迷路とカフカ風機構の中を通り抜けるため、次から次と障害に突き当たる中、カメラは、主人公の戦いの各段階で、明らかな失敗ごとに嘆息するのを - 虐げられた人のため息を追い続ける。彼が是が非でも必要とし、それに値している生活費支給に対する厳格な門番として働く、上から目線の支給窓口職員のおかげで、自分が力量不足で、無能であるような気にさせられる。しかしダニエルの周囲にいる身近な人々は、無能がとは思っていない。というより、ダニエルが言うとおり、まともな仕事を全員に提供することができない制度によって、社会のごみ捨て場にあてがわれた極めて有能な人物だと見なしているのだ。

同じように失意の“サービス利用者”に対する連帯感を示すことで、ダニエルは、シングル・マザーのケイティーと二人の子供と友情を築く。彼女と子供たちに、他の誰も与えないもの、注目と配慮と敬意を与えて、二人の進路に置かれた無数の困難を切り抜けようとしながら、ダニエルとケイティーはお互いに助け合う。二人とも逆境に会いながらも毅然とした態度を維持しようとするが、ある時点で、圧力が二人を圧倒し、特にケイティーは窃盗と売春という行為で、自らを傷つけることを強いられる。

そこでまた、ケイティーが、子供たちに食べさせるため、何日間も自分を飢餓状態にした後、初めて困窮者に食料を配給する食料銀行に行く際、ローチ監督は、何百万人ではないにせよ、何千人もの生活の現実を、悲痛な形で描きだす。飢えと疲れのために自分を抑えられなくなって、ケイティーは、ほんのわずかな間、ダニエルが必死に、そうなるのを避けていた動物に変身し、深刻な飢えを和らげるため、公民館の真ん中で、豆の缶詰をこじ開けて、それを生のまま食べてしまう。

支配階級の軽蔑

社会主義者ローチの新作映画は、“チャンネル4放送の番組「Benefits Street」で失業給付を請求する人々と大違いの二人の主人公という“福祉給付請求者の信じられないほど架空の姿”、“中流の上の都市エリートが想像する給付申請者”を描いているという右翼マスコミの上から目線評論家による厳しい批判を受けている。だが、そのような陳腐な言辞は、支配階級や連中の代理人たちが、労働者階級に対して持っている軽蔑の正確な反映だであり - まさにこの既存支配体制の軽蔑こそが、『わたしは、ダニエル・ブレイク』が官僚と国家の無用な煩雑な手続きとの映画題名の人物の戦いを通して、浮き彫りにしているものなのだ。

だが既に述べた通り、本当の悲劇は、ローチの映画が“不正確”で“誇張”どころか、イギリスで、何千何百万人もの最も貧しく、虐げられた、弱い人々が直面している本当の状況の実に生々しい痛烈な描写であることだ。実際、今週の学術的研究による数値が、ダニエル・ブレイクが脅かされているような支給制裁や、ケイティーや何十万人もの他の人々が頼ることを強いられている食料銀行の利用の間の明白なつながりを示している。

今年のカンヌ映画祭で、パームドールを受賞したローチの映画は、福祉支給申請者が耐えなければならない侮辱的対応に光をあてる仕事に対する称賛に値する。しかし、だからといって、映画と監督に非の打ちどころがないということにはならない。

指導部についての疑問点

ローチの映画の中心には、二つの根本的な欠陥がある。まず、映画が批判する対象は、この体制を作り出した政治家たちというより、大半がダニエルとケイティーが直面する官僚体制におかれているように見えるが、より重要なのは、政治家たちが守っている権益だ。映画では終始、主な悪役はダニエルや他の受給者を、単なる画面上の番号として冷淡に扱う労働厚生省職員だ。公務員たち自身も、現実には、保守党の緊縮政策と民営化の犠牲者だ。実際、保守党に触れるのは、就職斡旋所の外でのダニエルの反抗的行動に喝采し、一方、政府、特に元労働年金相で、福祉国家に対する最近の攻撃の主要計画者イアン・ダンカン・スミスをなじる、唯一の理性の声、一人の大酒のみだけだ。

映画を、あからさまに“政治的”にはしないのがローチの狙いだった可能性もある。おそらく彼は、まさに保守党による攻撃に直面している人々は政治活動に関わる時間も能力も一番不足している人々であることを浮き彫りにしているのだ。ばらばらにされ、尊厳を剥奪され、ダニエルとケイティーは、なんとか生活をやりくりするのに必死で、政治について考える時間がないのだ。

とはいえ、そうした視点を選んで、意図的であれ、うっかりであれ、ローチは、ほとんど全く虚無的な絶望と悲観の姿を描いている。賞賛されている監督のこれまでの映画には、常に前途に光明が見える感じがあった。主人公は、革命的情熱、正義感と楽観主義に満ちていた。ところが『わたしは、ダニエル・ブレイク』では、ときの声も動員の呼びかけもない。実際、ダニエル地域の職業紹介センターの壁に抗議の声明をスプレーで描いて抵抗しようとした際、彼を支援したのは、女性だけの集団、一人の酔っぱらいと、自取り写真をとりたがっている二人の若者だけだった。

人々に、組織化して、保守党や連中の緊縮政策プログラムに反撃する自信を与えるどころか、ケン・ローチは観客を絶望の穴に突き落とすだけだ。“我々全員、ダニエル・ブレイク”だというのは真実だが、削減と、保守党による攻撃の犠牲者に対する団結が十分ではない。ローチ自身、これまでの作品で正しく強調してきた通り、究極的には、指導部の問題だ。

終生の社会主義者で活動家のローチは、労働党のコービン指導部をはっきり支持してきた。今必要なのは、コービン運動のそうした指導者たちが、前進する道を示し、労働党内での革命を完成させることだ。労働党と、その周辺の運動を、保守党に反対し、緊縮政策に反対し、資本主義に反対し、大胆な社会主義的代案を進める、戦う大規模運動へと転換することだ。ダニエルや、彼と同様な立場にある何百万人もの人々にふさわしい権利と尊厳を我々が実現するには、それしかない。

記事原文のurl:https://www.socialist.net/i-daniel-blake-a-heart-wrenching-portrayal-of-tory-austerity-britain.htm
----------
国営放送、昨日夕方の解説者をみながら、電波幇間とはこういう人を言うのだろうと思った。
大本営広報部の話題は、甲子園、雪崩事故、小学生殺人事件、旅行会社の倒産。
アッキード事件から目を逸らせるための洗脳呆導に熱心だ。
解明するなとは言わない。しかし、国民全員の今後の運命への影響度では、土地問題、日本懐疑とは、比較にならない話題だろう。

この映画、まだ見ていない。見にゆく前の事前知識として読んだものゆえ、見た後、制度の固有名詞がわかり次第改めたい。

彼の映画については、下記記事を訳してある。

『天使の分け前』失業中のスコットランド人の若者に関する、余り厳しくないお話

ケン・ローチの『ルート・アイリッシュ』: イラク戦争帰還す

2017年3月 1日 (水)

テロを讃えるハリウッド

2017年2月27日 月曜日
スティーブン・レンドマン

ハリウッド・アカデミー賞は、金儲けのための映画販促が狙いで、業界最高作品とはほとんど無関係だ。

祭典は、この安ピカ町とワシントンとの長年のつながりも反映している。脚本は親欧米プロパガンダだ。

スタジオのボス連中は、アメリカ戦争賛美に加担し、“イスラム・テロリスト”やロシアを含む敵を悪者として描くことでたっぷり褒賞を貰う。

プロパガンダ映画の内容と登場人物の最終決定権を持つのはワシントンだ。ワシントンは連中の計画を売り込むのが狙いで、いくら見たとて賢くなるわげではない。

歴史が書き換えられる。国がスポンサーになった9/11事件が利用される。ならず者CIA工作員連中が英雄として描かれる。アメリカ帝国主義の計画を支持するほうが、真実よりも重要だ。

2013年、『アルゴ』がハリウッド最高の映画に選ばれた。1979年/1980年イラン人質危機の話題を作り変えているかどで、称賛されるのではなく、糾弾されるべきだった。

映画は悪意ある、片手落ちで、一方的な、焦点を当てるべきことを無視し、欧米の誤報に基づいてイランを紋切り型に描き出す最悪のハリウッド・プロパガンダだ。

日曜日のハリウッド第89回アカデミー賞で、テロリストを英雄として描くホワイト・ヘルメット・プロパガンダ映画が昨年のアカデミー賞短編ドキュメンタリーに選ばれた。

この集団は連中が主張する民間防衛とは無関係で、シリアの主権独立に反対するテロを全力で支持している。

連中の要員はヌスラ戦線(シリアのアルカイダ)が支配する地域で活動している。自らを何万人もの人々の命を救っているボランティア救援作業者と称しているのはたわごとだ。

アメリカとイギリスがこの集団を支持している。ソロスのオープン・ソサエティー財団や同類の欧米権益支持団体も支持している。

斬首や他の残虐行為のさなか、ホワイト・ヘルメット連中はヌスラ戦線テロリストと一緒に写真をとり、映像をとっていた。連中は、シリアが領空を自衛するのを阻止すべく、飛行禁止空域設置を支持している。

シリア連帯運動は、彼らのことを、人道主義を口実にして、テロと帝国主義的破壊を助長する“整形した”アルカイダと呼んでいる。

この団体につながる連中は本質的な自由の敵であり、調停者ではなく、戦士で、シリアの主権独立を圧政で置き換えようとしている外国が支援する闇の勢力だ。

彼らは2016年ノーベル平和賞にノミネートされた。だが賞は麻薬国家テロリスト、フアン・マヌエル・サントス、コロンビア大統領が受賞した。ジェームズ・ペトラスが説明している通り、アルヴァロ・ウリベの国防大臣として、“人口密集地丸ごと”虐殺することで悪名が高かった。

ノーベル賞委員会メンバーは国家テロに賞を与えた。昨晩、ホワイト・ヘルメットを昨年のアカデミー賞短編ドキュメンタリーに選んだことで、ハリウッドも同じことをしたのだ。

スティーブン・レンドマンはシカゴ在住。lendmanstephen@sbcglobal.netで彼に連絡できる。

彼が編集者、寄稿者となっている新刊の題名は"Flashpoint in Ukraine: How the US Drive for Hegemony Risks WW III"。

http://www.claritypress.com/LendmanIII.html

彼のブログはsjlendman.blogspot.com.

素晴らしいゲストとの最新の議論がProgressive Radio NetworkのProgressive Radio News Hourで聞ける。

記事原文のurl:http://sjlendman.blogspot.jp/2017/02/hollywood-honors-terrorism.html
----------
ハリウッドのセレモニー、作品賞を間違えたと、電気洗脳装置はいっていたが、ホワイト・ヘルメット・プロパガンダの異常さに触れた大本営広報部放送局、新聞記事、あったのだろうか?以前に下記記事を訳してある。

“ホワイト・ヘルメット”“アレッポを救え”抗議行動は、俳優を“戦争犠牲者”に変装させるのが、どれだけ容易か証明

『私の闇の奥』、『櫻井ジャーナル』では関連記事を拝読した。

白いヘルメット( White Helmets )『私の闇の奥』

手先の侵略軍が劣勢になり、米好戦派は「穏健派」や「白ヘル」のタグに付け替えて反撃を目論む『櫻井ジャーナル』

文中の映画『アルゴ』については、下記記事を訳してある。

ベン・アフレックの『アルゴ』: アメリカ外交政策の受容

異神の異常さ、幼稚園小学校問題で、ようやく目につくようになったのだろうか?ああいう教育を、自民党も、公明党も、維新も是認支持している。

皇国教育、売国政策推進策のメダルの片面。国を売り飛ばせば売り飛ばすほど、旗や歌で洗脳せざるを得なくなる。恥部を隠す、いちじくの葉。

Russian propaganda effort helped spread ‘fake news’ during election, experts sayという記事で、ロシアの声を代弁する200のニセ・ニュースサイト、というレッテルを貼り、連中に不都合な、まともなweb排除を推進している陰の政府の声が、小学校土地疑惑記事を掲載したのは一体何を意味しているのだろう?

In Japan, a scandal over a school threatens to entangle Abe

このメディアの大統領選挙時に掲載されたロシアの手先という記事について直接触れたPaul  Craig Roberts氏の『真実に対する欧米の戦争』を訳してある。

大本営広報部が扱わない深刻な問題に関するIWJの今日のこの番組、拝聴したいと思う。

【Ch4】16:00~「共謀罪を考える超党派の議員と市民の勉強会 第3回『共謀罪の問題点』」
視聴URL: http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=4
※内容は、「刑事法から見た共謀罪の問題点」刑事法学者から(予定)、「治安維持法と共謀罪」海渡雄一氏(弁護士)など。

2017年1月18日 (水)

オリバー・ストーンの『スノーデン』: NSAは“対世界捜査網を運営している”

Joanne LaurierとDavid Walsh
2016年9月20日
wsws.org

オリバー・ストーン監督; ストーンとキーラン・フィッツジェラルドの共同脚本

1980年代中期以来、映画を監督してきたベテランのアメリカ人映画監督オリバー・ストーンが、国家安全保障局 (NSA) の内部告発者エドワード・スノーデンに関する映画を制作した。『スノーデン』は“愛国者”でイラク戦争の断固たる支持者だった、2004年のアメリカ陸軍予備役への特殊部隊候補者志願から、2013年に、世界監視というNSAの違法な取り組みを暴露するという決断に至るまでの題名となった主人公の変化を追っている。


『スノーデン』のジョゼフ・ゴードン=レヴィット

ストーンの映画は真面目な取り組みで、done with品位。『スノーデン』は北アメリカでは、9月16日に公開され、今週末までに、約20カ国で公開される。アメリカ政府とマスコミによって“国賊”と糾弾されている人物スノーデンの、概して好意的な描写をしている作品を、何百万人もの人々が見るというのは、相当な意味がある。これは、公式世論と、広範な国民の感情と意見の間の巨大な(しかも大きくなりつつある)溝を物語っている。特に、若者の間では、スノーデンは大いに尊敬される人物だ。

映画は、2013年6月、現在、身を隠しているスノーデン(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)と、ドキュメンタリー映画制作者のローラ・ポイトラス (メリッサ・レオ)と本物のジャーナリスト グレン・グリーンウォルド(ザカリー・クイント)とが出会う香港から始まる。彼らに、間もなく、余り気が進まないながらも、スノーデンが隠し持った秘密NSA文書の一部を公表することを計画しているガーディアン紙のイーウェン・マカスキル(トム・ウィルキンソン)が加わる。ポイトラスは、後にドキュメンタリー映画『シチズンフォー』(2014年)となるもののために、ビデオを撮影している。

豪華なミラ・ホテル内の雰囲気は、非常に緊張している。スノーデンは、ドアに枕を押しつけ、NSAやCIAが会合場所を特定するのを防ぐため、携帯電話は電子レンジの中に保管されている。スノーデンは、ジャーナリストや映画制作者たちに、NSAスパイ活動普及の度合いについての教育を始める。ポイトラスのドキュメンタリーが物語っているように、スノーデンから彼女が受け取った最初の電子メールの中で、“あなたが越える全ての国境、あなたがする全ての買い物、あなたがかける全ての電話、あなたがそばを通り過ぎる携帯電話電波塔、あなたの友人たち、見るサイト、あなたが入力するメール題名は、システムが及ぶ範囲が無限で、それへの抵抗策はないシステムの手中にあるのです”と彼は彼女に伝えていた。

香港の場面の後、ストーンの映画は、スノーデンのジョージア州、フォートベニングでの陸軍予備役時代へと戻る。彼はまだ、ブッシュ政権の“対テロ戦争”プロパガンダの影響下にある。負傷した後、除隊になり、CIAに職を見つける。彼はこの機関の教師で、最終的には、恩師となったコービン・オブライアン(リス・エヴァンス)に教育を受ける。オブライアンは、最初の講義で、もし“次の9/11がおきれば、それは君たちの責任だ。”と新兵に語る。


リス・エヴァンス

『スノーデン』の中核は、様々な政府のスパイ機関と、その事業の本質的性格に関する、主人公と、我々の最終的な悟りだ。例えば、オブライアンは、中東の状況に関して、スノーデンの誤った考えを捨てさせる。このCIA職員は素っ気なく言う。20年間“イラクは誰も気にしない地獄のような場所のままだろう。”彼は言う。紛争の中心は中国、ロシアとイランだ。

ジュネーブや東京やハワイなど様々な場所に転任し、その間、スノーデンは、CIA、NSA、あるいは、個人の契約業者として働きながら、諜報機関が壮大な規模で、憲法上の権利を侵害しているひどさに益々気づくようになる。

ジュネーブでは、例えば、皮肉で物知りの同僚、ガブリエル・ソル(ベン・シュネッツァー)が、スノーデンに、NSAの秘密計画の一つ、XKeyscoreが一体何ができるかをデモする。XKeyscoreは、基本的に、あらゆるプライバシー対策を回避できる極めて強力な検索エンジンだ。理論的には、政府の外国のスパイに対する監視令状要請を監督しているはずのFISA裁判所[アメリカ合州国外国情報活動監視裁判所]について問われると、裁判所のことを“もったいぶって安易に承認する組織”だとガブリエルは切って捨てた

最も背筋が寒くなるような場面の一つは“トンネル”として知られている、中国に対するスパイが業務のハワイの巨大な地下のNSAコンプレックスで起きる。大勢の技術者や工作員が、極めて先進的な装置を使って、アメリカの経済上、軍事上のライバル諸国を監視するため、四六時中働いている。アメリカの軍-諜報機関世界戦争に向けて準備する中、これこそがreal face国際テロ。オブライアンがあるところで言っている通り、“現代の戦場”は“あらゆる場所だ”。この時点までに、スノーデンは、“全世界に対して捜査網を敷いているとは教えてくれませんでした。”と言えるようになっている。

ガールフレンドのリンゼイ・ミルズ(シャイリーン・ウッドリー)と暮らしていたハワイ州で、スノーデンは、NSAの秘密を全世界に暴露する計画をたて始める。

『スノーデン』制作に着手したオリバー・ストーンの功績は認めるべきだ。彼はこのために、あえて危険を冒したのだ。「バラエティー」誌に“良い脚本、良い配役と、妥当な予算なのに、我々はあらゆる主要スタジオで拒否されました。スタジオの所長は‘ああ、これは良い。話して見ましょう。問題はありません。’と言うのです。話が上にあがり、数日後、何も返事はないのです。”と監督は語っている。


スノーデン

デッドライン・ハリウッドのインタビューで、ストーンは言う。現在“アメリカに批判的な”映画を制作するのは困難です。そうではなく、ビン・ラディン映画[つまり、ゼロ・ダーク・サーティ]があるのです。世の中はそうなっていると思います。軍についてのあらゆること、CIAについてのあらゆること。テレビドラマ『Homeland』をご覧願いたい。『24』をご覧願いたい。トム・クランシーの様々な作品をご覧願いたい。 … この映画を制作するのがどれほど困難だったか申しあげたいのです。”

ストーンは、ロシアに出かけて、スノーデンに九回会ったと言われている。ゴードン=レヴィット(彼の祖父、映画監督のマイケル・ゴードンは、1950年代、ブラックリストに載せられた)も、モスクワを訪問し、スノーデンと数時話をした。『スノーデン』では、実際この俳優は、外面の模倣を越えている。ゴードン=レヴィットは主人公スノーデンと彼の深みと信念に関する重要な本質を把握している。更に、エヴァンズは特に邪悪で、ウッドリー、シュネッツァー、ティモシー・オリファント(CIA工作員役)やスコット・イーストウッド(NSAの中級将校役)も素晴らしい。

映画の強みは、まやかしの“不偏不党”を避け、物語をスノーデンの立場から語っていることだ。全く適切にも、彼の視点を前提としており、高まる戦慄は、何百万人ものアメリカ人や世界中の他の人々にも、共有されている。

スノーデンは、アメリカ国家と取り巻き連中による集団的な殺意ある敵意に直面し続けている。映画は彼のための発言になっている。その意味で、スノーデンが「ナショナル・レビュー」(“国産の煽動”)や「スレート」(“漏れがちなスノーデン神話 ”)など恥ずべき愚劣な攻撃を受けたと示唆しているのは絶賛に値する。先週、WSWSが述べた通り、彼は“国家安全保障に対し、大変な損害をもたらした”と主張し、スノーデンを恩赦しないよう強く要求する9月15日付けバラク・オバマ大統領宛て書簡に、下院情報問題常設特別調査委員会メンバー全員が署名した。ヒラリー・クリントンも同じ主張をしている。

オバマに関しては、映画は、2008年選挙が、NSAのスパイ怪物に対して、何の影響も無かったことを明らかにしている。スノーデンは、ある場面でこう発言する。“[オバマ]で物事は良くなるだろうと私は思っていた.” ルーク・ハーディングは、『スノーデン・ファイル: 地球上で最も追われている男の真実』(この映画が依拠している、二冊の本のうちの一冊)の中で、スノーデンの発言を引用している“権力の座について間もなく、彼[オバマ]は、体系的な法律違反捜査への扉を閉じ、いくつかの虐待的事業を深化、拡大し、人々が罪状も無しに監禁されている、グアンタナモに見られるような人権侵害の類を終わらせるために政治的資本を費やすことを拒んだ。”

「デッドライン・ハリウッド」に“連中が何を言おうと、オバマは多数の一般市民や多数の無辜の人々を殺害したのです。しかも連中は彼が妥当だと考えています。彼はブッシュより、多くの無人機を飛ばせました。彼は最高殺人者となったのです”とストーンが語っているのは立派だ。映画監督はこう続けた。“反戦政党が存在しないことを私は懸念しています。反戦の声は存在しません。民主党も共和党も、戦争を支持しています。”

ストーンは、極悪非道なNSA事業のタコのような特徴と活動範囲を、視覚的手段や、他の手法で、分かり易くしようとして、大いに苦心もしている。

とはいえ、『スノーデン』には重大な限界があるのも驚くべきことではない。映画は決して本気で答えようとしていない、そうした疑問の一つ、しかもそれは大きなものはこれだ。連中は一体なぜ、こういうことをしているのだろう? 一体なぜ、NSA、CIAやアメリカ政府全体が(そして世界中の他の諜報機関が)全面監視事業を行っているのだろう? 一体なぜ連中は、地球上のあらゆる男性、女性や子供の意見や習慣を知りたがるのか?


シァイリーン・ウッドリーとゴードン=レヴィット

このほぼ無限のスパイ行為は、2001年9月11日の出来事(オブライアンの上記発言を参照)に対する過剰反応に過ぎないという説得力の無い示唆は、真面目に検討するに値しない。そもそも大規模監視は何十年も前に始まっていたのだ。実際、9/11攻撃は事前にしっかり準備されていた計画を実施する好機となったに過ぎない(ある種の技術の発展にも依存していた)。スパイ行為の普遍性そのものが、深刻な経済的、社会的危機の時期に、あらゆるエリート支配者が自国民に対して感じる組織的なもの、強い恐怖感を物語っている。

関係する他の問題もある。スノーデン-ミルズのロマンスは、おおげさで、『スノーデン』で強調されすぎている。ストーンが、主人公を、大衆の目に対する人間味を与え、諜報世界と敵対すると決めた際、スノーデンがどれほどの犠牲を覚悟していたかを示したかっただろうことは確実だ。将来、内部告発者となると決めた決定的瞬間について、監督はこう語っている。“あの時点で、彼は彼女もあきらめたのです。彼はこの女性にほれ、彼女は10年間、生活の中にいたのです。… 二人は子供を持とうとしていたのです。彼はこの決断をし、それを彼女に言うことさえできなかったのです。” 監督の意図が何であれ、こういう関係は、より興味をそそる、重大な物事の邪魔になることが実に多い。

それはさておき、ストーンと共同脚本家キーラン・フィッツジェラルドと俳優たちが、配慮と献身によって、スノーデンの物語の重要な要素を映画にしてくれたのだ。このドラマには、現代における重大な問題のいくつかが含まれている。何よりも、独裁制と、戦争の危険だ。

スノーデン本人については、ストーンはインタビュアーに、こううまく語っている。“29歳の青年がこれだけのことをしたというのは、実に驚くべきことです。私にはあれは到底できなかった。あなただって、あの年で、ああいうことはできなかったでしょう。”

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2016/09/20/snow-s20.html

----------

「オリバー・ストーン監督の日本への警告 20170118 NEWS23」 は衝撃的。事実だろう。

これに先行するドキュメンタリーについては、下記記事を翻訳してある。

スノーデンのドキュメンタリー映画『CitizenFour』アカデミー賞を獲得 2015年2月23日

映画と言えば、ハヤカワ文庫で、ジョージ・オーウェルの『動物農場』とオルダス・ハクスリーの『素晴らしき新世界』が、劇場アニメ『虐殺器官』公開記念 ディストピア小説フェアの連動新刊として刊行されている。

『虐殺器官』は、購入したまま、積ん読状態。

IWJの配信予定、この映画に関連する部分をコピーさせていただこう。

◆中継番組表◆

**2017.1.18 Wed.**

あくまで予定ですので、変更、中止、追加などがある場合があります。また電波状況によっては、安定した中継ができない場合もございますので、ご了承ください。

【録画配信・Ch4】時間未定「オリバー・ストーン監督最新作 映画『スノーデン』記者会見 ―登壇者:オリバー・ストーン監督」
視聴URL: http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=4
※同日収録の「オリバー・ストーン監督最新作 映画『スノーデン』記者会見」を録画配信します。配信時間は確定次第、岩上安身とIWJスタッフアカウントのツイッターでご案内いたします。
◆『スノーデン』1月27日(金)TOHOシネマズ みゆき座ほか全国ロードショー◆
配給:ショウゲート (C)2016 SACHA, INC. ALL RIGHTS


【Ch4】18:30~「オリバー・ストーン監督最新作 映画『スノーデン』ジャパンプレミア ―登壇者:オリバー・ストーン監督、登坂絵莉(女子レスリング・リオ五輪メダリスト)」
視聴URL: http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=4
※オリバー・ストーン監督最新作 映画『スノーデン』のジャパンプレミアを中継します。
◆『スノーデン』1月27日(金)TOHOシネマズ みゆき座ほか全国ロードショー◆
配給:ショウゲート (C)2016 SACHA, INC. ALL RIGHTS


【再配信・IWJ_YouTube Live】19:00~「スノーデン氏が暴く!米国による巨大監視システムの実態とは――岩上安身による小笠原みどり氏(元朝日新聞記者、カナダ・クイーンズ大学大学院博士課程在籍)インタビュー (前編)」
YouTube視聴URL: https://www.youtube.com/user/IWJMovie/videos?shelf_id=4&view=2&sort=dd&live_view=501
ツイキャス視聴URL: http://twitcasting.tv/iwakamiyasumi
※2016年12月26日収録。米国の違法な諜報活動を世界中に暴露して追われる身となった元NSA職員・エドワード・スノーデン氏に単独インタビューをおこなったジャーナリスト・小笠原みどり氏への岩上安身によるインタビューを再配信します。なお、岩上安身によるインタビュー中継及び、再・録画配信は、YouTubeのライブストリーミングを使用して配信いたします(詳しくはこちらをご参照ください→ http://iwj.co.jp/wj/open/archives/355478 )。
記事URL: http://iwj.co.jp/wj/open/archives/354108

IWJ、先日のTPP交渉差止・違憲訴訟 第7回口頭弁論期日 ―口頭弁論後の報告集会も報道しておられる。

日本はまだTPPを批准できていなかった!?裁判は終結したが、おどろくべき事実が明るみに!!~TPP交渉差止・違憲訴訟 第7回口頭弁論期日 ―口頭弁論後の報告集会
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/356835

2017年1月11日 (水)

『アイ・イン・ザ・スカイ』: リベラル対テロ戦争

Joanne Laurier
2016年3月31日

ギャヴィン・フッド監督; ガイ・ヒバート脚本

『アイ・イン・ザ・スカイ』は、イギリスとアメリカの高官連中がケニヤ、ナイロビでの無人機攻撃の結果を比較考量する政治・軍事スリラーだ。南アフリカ生まれの映画制作者ギャヴィン・フッド(『ツォツィ』、2005年、『レンディション』、2007年)が監督した、残念ながら、甚だしく、でっちあげられた、ありそうもない一連の環境に基づくテンポの速い映画だ。

映画の主人公は、いずれもソマリアの聖戦士集団アル・シャバーブの主要メンバーである過激派イギリス人女性と、その夫を追跡するイギリス軍の厳格な諜報将校キャサリン・パウエル大佐(ヘレン・ミレン)だ。南イングランドの軍事基地で、パウエルは、アメリカ無人機のカメラ映像を通して、この二人のイスラム主義の人物がナイロビに到着し、武装反政府派がパトロールしている貧しい人口の多い地域にある家に移送される途中であるのを把握する。


『アイ・イン・ザ・スカイ』のヘレン・ミレン

ケニア諜報機関が操縦するサイボーグ昆虫-小型監視装置が、自爆攻撃任務に備えるテロリストの画像を送ってくると、パウエルは、命令を“捕獲”から“殺害”に格上げしたいと思うようになる。

ミサイル攻撃を是非とも要求したいとは思うものの、ロンドンで、様々な政府閣僚や法律顧問と一緒の部屋で観察している上司のフランク・ベンソン中将(アラン・リックマン最後の映画出演)の承認を得なければならない。イギリス外務大臣(イアン・グレン)は、シンガポールで開催されている武器見本市に参加している。

一方、ネヴァダ州のアメリカ空軍基地では、攻撃による巻き添え被害を懸念する二人の若いアメリカ人の無人機パイロットが、パウエルの決断を恐る恐る待っている。北京で中国高官と卓球をしているアメリカ国務長官も、アメリカ政府法律顧問も、アメリカ国民一人とイギリス国民二人がいるにもかかわらず、(少なくとも)“標的”破壊を受け入れるのに協力的だ。

主な障害は、標的の家の近くで、パンを売っている可愛いケニアの少女アリア(アイシャ・タコウ)だ。シンガポールで、外務大臣は、自爆犯が多数の人々を殺害するのを放置されれば、イギリスにとって、広報活動上有利になるが、もし軍が、住宅を殲滅して、子供を負傷させたり、殺害したりし、特に、もし作戦映像が、ウイキリークスの類のメディアで公表されるようなことになれば-広報活動上の大惨事になると考える。

それにもかかわらず、より冷酷な発想がまさる …

『アイ・イン・ザ・スカイ』では、才能ある俳優たち(やコリン・ファースなどのプロデューサーたち)が説得力を与えており、その条件を基盤にしたそれなりに良く構成された映画だ。とはいえ、問題は、まさにこの“条件”つまり、何よりも“対テロ戦争”の正当性だ。そこで、そのような演技力も、ほとんどデマ宣伝の見かけを良くするの役立っているだけだ。


アラン・リックマン

現実の偽りの表現には、重要な筋書きの仕掛けが必要になる。映画制作者たちは、自爆犯を逮捕する可能性を早々に排除している。一体なぜだろう? 連中の人数はごくわずかで、彼らはビデオ制作や、ベストに爆発物を付けるのに時間をかけている。これがケニア警察の問題以上のものになるべき理由はないのだ。

ところが、過去15年間ほど“対テロ戦争”の提唱者が活用してきた脅し作戦シナリオに沿って、ヒステリーの雰囲気がでっちあげられる。2005年に、例えば、極右コラムニストのチャールズ・クラウトハマーが、ウイークリー・スタンダードに、拷問を正当化するため、以下の状況を設定して書いている。“あるテロリストが、ニューヨーク市に核爆弾を仕掛けた。それは一時間で、爆発する。百万人が死ぬことになる。あなたは、テロリストを逮捕する。彼は核爆弾をしかけた場所を知っている。彼は口を割ろうとしない。 … この男の親指を縛って、つり下げれば、百万人を救う情報が得られるという考えが少しでもあった場合、そうすることは許されるだろうか? … この悪漢の親指を縛ってつり下げるのは許されるだけではない。それは道徳上の義務なのだ。”

これは全て空想だ。そのような状況には決してなったことはないし、そうなることもない。これは、政敵連中を最も残虐な手段で処分するための独裁的支配と権限が欲しくてうずうずしている連中の主張だ。

『アイ・イン・ザ・スカイ』は、もちろん、そのように見なしているわけではない。とは言え、主題はほとんどイカサマに近い。このように強調された劇的状況は、思考を停止させ、パブロフの条件反射にそって、神経系を活動させる。しかも、可愛い無辜のケニア少女が時折登場して、緊張を高める。あらゆる点について、情報操作の匂いがする。(アンドリュー・ニコルの『ドローン・オブ・ウォー』のほうが、欠点はあるにせよ、無人機戦争に関しては、遙かに批判的な映画だ。)

映画制作者たちが決して切り出したり、たぶん考えたりしたこともない重要な問題がある。こうしたテロリスト連中は一体何者で、一体どこから来たのか? ケニヤや、東アフリカ全体の社会状態は一体どうなっているのか? 地域の歴史は一体どうなのだ? イギリスとアメリカの軍や諜報機関はそこで一体何をしているのか? 『アイ・イン・ザ・スカイ』には、歴史もなければ説明もない。

そもそも、これまでのあらゆる大規模テロ攻撃において、聖戦主義分子連中は、何らかの時点で、欧米列強や、その治安部隊とつながっていたり、あるいは、そうした治安部隊によって、あやつられていたり、極めて厳重に監視されていたりすることが明らかになっていることに留意すべきなのだ。

アル・シャバーブは、2006年に、ソマリアで出現し、2012年以来、アルカイダと正式に提携している。この組織の兵卒は、困窮した若者で満ちており、アメリカが支援するアラブ諸国政権とつながった工作員連中に率いられている。

しかも、ケニヤ政府は、アフリカの角支配を維持するというアメリカ政府の動因にとって、忠実なパートナーなあることは証明済みだ。この地域は、アフリカの新たな植民地化争奪戦の中心で、犯罪人連中が犯行現場に戻りつつあるのだ。しかも、東アフリカにおける19世紀末からの、かつての植民地宗主国の中で、最も残虐だったのはイギリス支配階級で、彼らによる、1950年代のマウマウ団の乱弾圧は、ベトナムやアルジェリアにおける残酷な戦争と同等の、帝国主義者による暴動鎮圧活動の最も悪名高いモデルの一つだ。

キャロライン・エルキンズの『イギリス強制収容所: ケニヤにおける帝国の残虐な終焉』によれば、イギリス植民地政府は、膨大な人数の人々を、収容所に拘留したり、鉄条網で包囲した村々に閉じ込めたりした。“1952年から、1960年の終戦までに、十万人あるいは、それ以上の拘留者が、疲労、病気、飢餓や、組織的な、肉体への残虐行為などの組み合わさった効果で亡くなった。”

南アフリカ出身の監督が一体どうして、まさに元植民地だった国における重大な政治的危機を、この最近の歴史にふれずに、本気で扱うことが可能なのだろう? 一体なぜ、フッドは、多数のイギリス高官が、ケニア国民に対して、実に繊細な、公平な態度で振る舞っているように、さりげない顔で描き出すことが可能なのだろう?


『アイ・イン・ザ・スカイ』

ほぼ必然的に、この知的屈伏度合いからして、映画制作者たちは、権力者、アメリカとイギリスの政治支配層、グローバル・テロの主要源の視点を採用する結果になっている。

映画制作者たちは、一定の反対の姿勢を示してはいる。それは偽善的な意思表示ではないかも知れないが、弱々しい。『アイ・イン・ザ・スカイ』には、アリアを殺害したり、四肢を損なったりする善悪についての長い議論場面がある。(これは、中東、中央アジアやアフリカにおいて、欧米列強が行っている破壊の程度からして、空想的なものに見える。) 更に、アメリカやイギリスの様々な政府高官も、魅力的には描かれていないが、新米無人機パイロットたちは良心があるように描かれている。(本当らかく思えるのは、意志決定者が、連中の戦争犯罪が暴露される可能性について感じることへの理解だが、フッドは、どちらかと言えば、人道主義へと転換している。) 最後の映像は、、パウエル大佐の冷酷さ同様、たぶん心をかき乱すことを狙っているのだろう。だが、これは、さほどのものではない。

あるインタビューで、監督はこう主張している。“ガイ[ガイ・ヒバート]の脚本が巧みに取り上げた疑問は事実に裏付けられており、彼は政策立案者、弁護士、軍、人権団体の中で行われている議論は追っていません。 … この映画が、謎めいた主題に見えるものを一般人に伝え、それを解明するよう願っています。”

これは全く真実ではない。問題は、映画制作者たちが、グローバル・ブルジョア連中のリベラル世論に余りに一体化しており、『アイ・イン・ザ・スカイ』を最初から最後まで、形成し、暖かく包み込む一連の悪質な想定を、彼らの出発点として受け入れていることなのだ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2016/03/31/eyei-m31.html
----------

小生、この映画見ていない。見る予定もない。見たいと思っているのは『この世界の片隅に』。

無人機に関連する記事をいくつか訳したことがある。下記はその一例。

こうした映画、決まって大きな構図、背景を無視する。他の映画の例はたとえば下記。

人ごとではない。千里の道も一歩から。

沖縄の基地問題をとりあげたがゆえに、官僚に騙され、ひきずりおろされた元首相の最新インタビュー。

2016年7月18日 (月)

現在一体誰がヒトラーを称賛するだろう?ドイツ風刺映画『帰ってきたヒトラー』

Bernd Reinhardt
2015年12月16日
wsws

デヴィット・ヴェント監督; ヴェント、ヨハネス・ボス、ミンナ・フィッシガルトルと、ティムール・ヴェルメシュ脚本

ティムール・ヴェルメシュの同名小説に基づく風刺映画『帰ってきたヒトラー』[Er ist wieder da]は200万人以上が見て、今年ドイツで一番見られた映画の一本になった。

70年後、ヒトラー(オリヴァー・マスッチ)が、ベルリンの彼の元掩蔽壕の場所で、住宅開発されている場所の真ん中で、突然目覚める。最近首にされたばかりのテレビ放送記者、ファビアン・ザヴァツキ(ファビアン・ブッシュ)に、彼は発見されるが、ザヴァツキは彼をヒトラーの物まね芸人だと思いこむ。ザヴァツキは、この“ヒトラー”が、大勢の観客を引きつける人物で、自分が元の仕事に戻る最後の機会だと感じる。ヒトラーは自分の立場を素早く理解し、ドイツの国家的危機に介入すべき頃合いで、自分しか国を救える人間がいないので、運命が自分を2014年に送り出したのだと結論するに到る。


『帰ってきたヒトラー』

ヒトラーは、あらゆる既成政党からの不人気を満足そうに納得する。ワイマール共和国最後の頃を、彼は思い出すのだ。ザヴァツキは、“総統”が現代ドイツを巡るツアーを企画し、ヒトラーが生み出す大いに肯定的反響で 彼は大胆になる。YouTubeビデオが、100万回も見られて、テレビ番組出演への道が開かれる。

歴史上のヒトラーとは違い、映画のヒトラーは、自分の主張を通すために、テロを用いる必要はない。彼は、マスコミを迎合させるため、批判的なジャーナリストをマスコミから粛清する必要がないのだ。そうではなく、そうした業界の連中は、進んで彼に迎合することに気づく。『帰ってきたヒトラー』の効果的場面の一つは、あるテレビ脚本家が、政治番組向けに人種差別的ギャグを作るよう命じられ、斜に構えたプロ精神で、それをこなすというものだ。

しかも不安定なザヴァツキは、彼が他の人々のように“行動”しないだけでなく、“彼が単純に彼で”ビジョンを持って、それを執拗に進めようとする人物であるがゆえに、“ヒトラーの”独裁的カリスマに魅了されてしまう。

テレビ局のトップ、カッチャ・ベリーニ(カッチャ・リーマン)が、扇動のかどで告訴されると、連邦検事当局の代理人が、彼女が告訴されたのは左翼の変わり者の仕業に違いないと請け合う。右翼によるどういう犯罪や非行が不問に付されたり、最小化されたりするかを決めた“規則集に従って”あらゆることが行われる。ヒトラーの更なるテレビ出演は、何ものも妨げることができませんと、この番組が好きな連邦検事当局の男は宣言する。

うまく描かれた遍在する偽善と欺瞞は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの有名な童話『裸の王様』を思い起こさせる。外国人を公然と害虫になぞらえるヒトラーに、誰も右翼というレッテルを貼ろうとしない。彼は、独特な皮肉と、あいまいさを持った、カリスマ的で、反体制的な人物と見なされる。

ヒトラーが過激な右翼連中に殴打され、入院する羽目になった際には、社会民主党党首シグマール・ガブリエルが自らお見舞いカードを送る。無節操なテレビ局長は、彼を民主主義の戦士とまで呼ぶ。(ヴェルメシュの小説では、ヒトラーは、ドイツのテレビ番組にとって、最も威信のある賞の一つグリム賞も受賞する。)


『帰ってきたヒトラー』

これは余りに牽強付会だ。ドイツ・マスコミは、ウクライナでの右翼クーデターを、民主主義のための戦いだとして慶賀した。政治家たちは、右翼ペギーダ運動との協力を模索した。人種差別的な、反イスラム漫画が、芸術の自由の名のもとに称賛される。オバマがノーベル平和賞を受賞した際に、一部のドイツ人インテリが有頂天になったのも、さほど昔のことではない。

アンデルセンの童話同様“純真な”個人が真実を語る。憤慨して人々が本物のヒトラーを称賛しているとザヴァツキが言う。それだけで彼を精神科病院に入院させるに十分だ。

同時に『帰ってきたヒトラー』は、多くの表面的かつ徹底的な一般化をしてもいる。映画は、ヒトラーは現代ドイツに足場を見出す、おおむね、まずまずの可能性があるような印象を与えている。理不尽な理由で、世界支配に向かって奮闘する右翼扇動政治家が、ポップ・スターのように、マスコミを制覇することができ、映画が示すように、まるでキーボードを演奏するように、易々と大衆をあやつれることを示唆している。彼は大衆に人気のあるごくわずかな社会問題をしつこく繰り返すだけで良いのだ。監督が映画に加えた“ヒトラー”が“民衆”と出会うドキュメンタリー場面が部分的にこれを確認しているようだ。ドイツのタブロイド新聞ビルト紙のインタビューで、ヒトラーと会った際、外国人に向かって喚く、多くの人々について、ヴェントは怒って文句を言った。

『帰ってきたヒトラー』のある重要な場面は、多少の歴史的説明をしようとしている。ヒトラーは、彼らも心の底では 彼と同じだったので、普通の人々全員、1933年に彼を選んだのだと主張する。そこで彼は、現代のドイツ人に向かって言う。“私は皆様方全員の … 一部なのです。”

ヒトラーが小犬を撃つ様子を映したビデオが出現すると世論は一変する。国民全員が、恐怖を表明する。この場面は、自称、知識人サークルにおける、ドイツ人は簡単にあやつられてしまう進歩の遅い大衆だという広く行き渡った見方を反映している。

こうした見方は、西ドイツ国家において、ナチス・エリートが依然地位を占めていたことへの批判にもかかわらず、1968年、反抗の世代が疑問を投げ掛けるまで、ほとんど触れられなかった戦後イデオロギーの不可欠な要素だ。初期には、社会主義者のファシズム理解の一部だった、ファシズムと資本主義との間の不可分の関係は、“大衆社会”や“マスコミ”や、似たようなアイデアに対する上辺だけの批判に置き換えられている。

『帰ってきたヒトラー』は現在の状況に対する率直な懸念を語ってはいるものの、ヒトラーが権力の座についた、実際の歴史的な原因に関しては何も説明しない、在り来りの偏見や概念に満ちている。

いくつかの場面で、痛烈な批判こそ、よりふさわしいである場面で、映画は、ヒトラーを愚かなように描いている。長年、社会的、民主的権利を攻撃してきて、今やドイツ軍国主義再建を企んでいる与党の『帰ってきたヒトラー』における“批判”は、事実上、本物の内容に欠けている。例えば、SPDのガブリエルは、単なる冗談のように描かれている。他の政党や政治家も同じような形でかたずけられる。狭量な国家を支持する右翼政党としてのグリーン描写だけは(“環境安全保障は、国土安全保障だ”)当たっている。

もちろん、大衆の中には、ヴェントがドキュメンタリーで捉えているような見当違いの、右翼の反応もある。だが彼らは実際、一体何を代表しているのだろう? 様々な恐怖を、民族主義的、人種差別的方向に向けようと、意図的に取り組んでいる事実を無視して、一体なぜ、ヴェントは、政治体制を無罪放免してしまうのだろう? しかも、人々は、ヒトラーの服を来た人物などの挑発に対し、最も深刻な結論も考えずに、反射的に反応してしまいかねないのは明らかだ。

とはいえ、『帰ってきたヒトラー』に対する大きな関心が、映画が痛いところを突いたことを表している。重大な限界はどうであれ、ドイツ人大衆が一般的に体験している、偽善的で、恥ずべき政治状況を、映画が描写しているためであることは疑いようがない。

しかも、より裕福な階層は、無謀に民主的権利を無視する用意があるこの強力な指導者の描写、ヒトラーをむしろ比較的無害な人物におとしめる描写に、ある種魅了されている。

広範な層の労働者が根本的改革を希求するのは、独裁者を求める願望とは全く無関係だ。ヴェントの『帰ってきたヒトラー』の中で終始表現されている、大衆運動が制御しきれなくなることへの恐怖と疑念は、不快かつ、多くを物語っている。それにもかかわらず、映画は“大衆”に関する偏見からは決して抜け出せていない。この相反する心的葛藤と、ためらいが、結局、芸術的、社会的効果を弱めている。

現在の難民危機におけるドイツ人の様々な層の実際の行動は明らかだ。多くの人々が自発的に、苦しんでいる難民を支援した。女性や幼い子どもを含む難民支援を拒み、彼らを収容所に閉じ込めるという不気味な歴史的関連性を目覚めさせる作戦を行ったのは政界エリートだった。

世論調査では、マスコミ報道に関して、大衆が憤りと言えるほどの深い不信感を抱いていることも明らかになっている。この最もひどい例が、最近のパリでのテロ攻撃に対する当局の対応だ。ドイツ・マスコミは、民主的権利を制限する必要性や、対テロ“世界戦争”の必要性までも執拗に広めている。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2015/12/16/back-d16.html
----------
『街の弁護士日記』「帰ってきたヒトラー」観てきた  全国で観られますを拝読するまで、この映画のことは知らなかった。
まさにナチスの手口を見習い、『緊急事態条項』を導入し、一気に永久ファシズム体制に変えられようとしている属国民にとって必見映画に思えてきた。原作翻訳文庫本も出ている。

そして、今日の日刊IWJガイド、必見の番組が紹介されている部分のみご紹介しよう。これから番組を拝見しようと思っている。

==========================
■<★新着記事★>戦慄するほどうり二つ!安倍政権下の日本とナチスの独裁権力樹立前夜のドイツの恐るべき共通点…ナチス研究の第一人者・石田勇治・東京大学教授が岩上安身のインタビューでその「手口」を徹底解明!

 おはようございます。IWJの佐々木です。

 本日は、いま日本人が最も観るべきインタビューのテキストアップのお知らせです。

 「ナチスの手口に学んだらどうか」――2013年7月29日、麻生太郎財務相が吐露した安倍政権の「やり口」。僕らはこの数年間で、そのプロセスの一つ一つを、追体験させられる羽目になってしまいました。まさかここまでナチスの手口を忠実になぞっていくとは…。

 しかし驚くなかれ、ナチス研究の第一人者である石田勇治・東京大学教授が岩上さんのインタビューで解き明かしたナチス台頭への過程は、僕らが思っているよりも、さらに今の日本と「瓜二つ」だったのです。

 当時もっとも民主的だった「ヴァイマル憲法」ですが、そこに書かれた権利により、力をつけた労働者と共産党の台頭が、資本家たちの反発を買い、共産党を敵視するヒトラーに有利に働きました。

 この時代背景からすでに、今の日本とそっくりなのですが、なんとヒトラーは当時、ヴァイマル憲法を「(第一次世界大戦に勝った)連合国の押しつけだ」とも主張していたのだそうです。日本国憲法を「米国(GHQ)の押しつけ憲法だ」と騒ぎ立てる安倍総理の姿とダブりますね…。

 その他、石田教授は一つ一つ丁寧に、聞いてるこちらが戦慄するほど、当時のドイツと今の日本の類似点を解説してくれました。

 個人的に特に震えたのが、 1932年7月、ナチ党が第一党になる選挙の前に、危機感を募らせたアルバート・アインシュタインら、著名な学者、芸術家、文学者ら33名が連名で出した野党共闘を求める緊急アピールです。

  「(ナチ党の台頭をくい止めるための)最善策は2党(社会民主党と共産党)の統一候補者リストだが、せめてリスト協力が実現するように望む。どうか天性の怠慢と臆病な心のせいで、我らが野蛮の中に沈み込むことのないように」

 先の参院選での市民や有識者の必死の呼びかけを思い出します。日本では野党共闘はある程度成功したものの、複数区や比例での共闘は叶わず、結果的に改憲勢力に3分の2を取らせてしまいました。

 この先に待ち受けているものは何か。石田教授は、「安倍政権が改憲で進める緊急事態条項は、ヴァイマル憲法第48条の国家緊急権に、授権法を合体させた恐ろしい条項だ」と、語気を強めて警鐘を鳴らしました。

 未来にどんな恐ろしい事態が待っているのか、僕らは過去に知ることができます。ぜひこのインタビューを観て、そしてアップした全文文字起こしを読んで、まわりの人たちに警鐘を鳴らしていただければ幸いです。

※参院3分の2議席で日本でも現実に!安倍政権が「学ぶ」「ナチスの手口」とは何か?絶対悪ヒトラー独裁政権の誕生過程を徹底検証! ~岩上安身による石田勇治・東京大学教授インタビュー(前編)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/313466

 文量が多いため、今回は【前半部分】のみの掲載となります。【後半部分】も急ぎアップいたしますので、まずは前半を読み進めておいていただければと思います!
==========================

世論調査では、マスコミ報道に関して、大衆が憤りと言えるほどの深い不信感を抱いていることも明らかになっている。この最もひどい例が、最近の参議院選挙での争点隠しだ。日本のマスコミは、緊急事態条項で民主的権利を廃止する必要性や、TPP“ 大企業植民地化”の必要性までも執拗に広めている。

2016年6月30日 (木)

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』と、ハリウッド・ブラック・リストの歴史

Fred Mazelis
2015年11月30日
wsws

ジェイ・ローチ監督、ブルース・クックの著書に基づき、ジョン・マクナマラ脚本

職業生活を破壊し、結婚を壊し、一部の人々を早死にさせ、映画産業における左翼思想を事実上犯罪化させた、1940年代末から1950年代始めの反共産主義ハリウッド魔女狩りの物語は、これまでも書籍でも、概してさほど成功しなかったものの映画でも語られてきた。

ジョン・マクナマラと、ジェイ・ローチ監督(映画『オースティン・パワーズ』で良く知られている)による新作映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』は、この主題を、1940年代で最も才能のあった脚本家の一人、ダルトン・トランボの職業生活を通して見ている。彼は、下院非米活動委員会(HUAC)に引きずりだされ、最終的に議会侮辱罪のかどで投獄された、脚本家と監督の集団ハリウッド・テンの一人だった。


『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』のブライアン・クランストン

トランボ (ブライアン・クランストン)は、ハリウッド魔女狩り最初の犠牲者で、この集団の最も主要なメンバーだった。反共産主義キャンペーンが本格的に始まった時には、彼は既に、A Bill of Divorcement (1940)、『恋愛手帖』(1940)、『ジョーという名の男』 (1943)、Tender Comrade (1943)、『東京上空三十秒』 (1944) や、『緑のそよ風』(1945)などの映画で知られていた。

映画は、主に、1947年の魔女狩りの始まりから、1960年に、ハリウッド・ブラックリストが終わるまでのトランボの人生と、職業生活に焦点をあて、更に、1976年に脚本家が亡くなるまでの短い期間へと話を進める。いくつか、明らかな、かつ重大な限界がある。

これは、1930年代と、1940年代のアメリカ合州国における、左翼や社会主義者の政治の複雑さを認めたり、まして検討したりする映画ではない。革命勢力としての共産党を破壊し、きわめて犯罪的な意味で、ソ連官僚主義の共犯者に変えてしまったスターリン主義に対する映画の姿勢は、benignとは言わないまでも、中立的だ。『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』は、大胆に言えば、アメリカ左翼の運命の本格的な検討としては決して受け止めることはできない。この映画を制作した人々は、歴史を徹底的に掘り下げてはいるまいという印象を受ける。

それでも、この映画には、埋め合わせる重要な長所がいくつかある。その理由から『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』の出現は重要で、時宜を得てもいる。

冒頭に表示される字幕は、ハリウッド映画としては、きわめて例外的だ。一部は、1930年代の大恐慌のさなかに、他の人々は、ソ連がアメリカの同盟国だった第二次世界大戦中に、多くの映画俳優が共産党に入党したというのだ。

左翼的な政治組織への加盟が、普通のアメリカ映画の歴史では、これほど明らかに認められることはまれで、まして画面そのものに現れることはまずない。その影響が、現在も依然として感じられる、アメリカの文化的、政治的生活の重要な時期に関する重要な問題を提起している。

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』には、多くの注目に値する場面や、素晴らしい演技や、陰鬱な状況にあっても場違いでないユーモアがある。悪名高いニュージャージー州出身J・パーネル ・トーマス下院議員が議長をつとめた下院非米活動委員会聴聞会での脚本家の尋問を含め重要な瞬間を表現するのに、ニュース映画映像と再現が併用されている。

リチャード・ ニクソン、俳優のロバート・テイラーや、ジョセフ・マッカーシー上院議員の短い記録画像もある。背景に、反ユダヤ・ゴシップ記事コラムニスト、ヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)や、ハリウッドの右翼連中がおり、そこで、ジョン・ウエインと、ロナルド・レーガンが目立っていた。トランボが、ウエインと対決し、画面上でまやかしの英雄を演じている俳優をへこませる場面は、映画の山場の一つだ。

1945-46年の映画セット担当者による激しいストライキで示された、労働者の闘志に憤慨したMGMプロデューサー、ルイス・B・メイヤーが、何百万人もの読者に、プロデューサーがユダヤ人だという背景を思い起こさせるぞと、ヘッダ・ホッパーに脅される効果的場面もある。こうしたこと全てが、エスカレートする対ソ連冷戦という政治的背景にして起きたのだ。

トランボは、米国憲法修正第1項「言論の自由」条項が、彼や共産党の仲間を守ってくれるという幻想を強くもっていた。しかし、彼が下院非米活動委員会に出席したのは、大失敗だった。彼は議会侮辱罪で、告訴され、有罪となり、禁固刑を宣告されるa。トランボは、1950年6月から、11カ月間、投獄された。映画は彼の屈辱的な刑務所生活開始を記録している。一見永遠に続きそうに見えるブラック・リスト支配のさなか、彼は刑務所を出所する。マッカーシー上院議員は絶好調で、ジュリアスと、エセル・ローゼンバーグの夫妻はスパイ策謀の罪で裁判を受け、処刑される。

釈放された後、脚本家は、彼によれば、一日18時間、週7日間、一日30ページのB級映画脚本を量産する仕事にありつく。驚くべきことに、そうした映画の一本『The Heist』は、映画の歴史に残っている。これにともなうストレスが、結婚と、家庭生活を脅かす。そうした中でも、彼はアカデミー賞を獲得した脚本をいくつか書くことができた。1953年の『ローマの休日』と1957年の『黒い牡牛』だ。こうした作品は、もちろんトランボの名前で出品するわけにはゆかなかった。1953年の映画では、彼は友人の脚本家イアン・マクレラン・ハンターを“代役”にたて、 『黒い牡牛』の賞はペンネーム、ロバート・リッチが受賞と発表された。

この二つのオスカー授賞の瞬間が、画面上では記録映像で示され、それを再現したトランボ一家が、喜びと、フラストレーションがあい混じる感情で見つめている。これは、ブラックリストと、それを克服しようという長年にわたる戦いの痛ましい現実の効果的な描写だ。

名高いオットー・プレミンジャー監督と、俳優のカーク・ダグラスが、1960年に公開された彼らの映画、まずプレミンジャーが監督した『栄光への脱出』、さらにダグラスが主演し、スタンリー・キューブリックが監督した『スパルタカス』における、トランボの役割を公表して、ハリウッド追放は終わった。

先に述べた通り『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』は、特にブライアン・クランストンなどの素晴らしい演技の恩恵を受けている。クランストンは、特にケーブル・テレビ・シリーズのBreaking Badで知られている。彼の演技は映画題名になっている主人公として、映画では明らかにきわめて重要で、この脚本家の痛烈なウィット、敵と戦う際のある種の戦術的才能や、楽観主義と、確固たる現実主義の両方を表現する言葉の使い方を、彼は実に巧みに演じている。

ひたすら事業上の理由で、トランボを雇っているのだが、魔女狩り連中に進んで立ち向かう根性を見せるB級映画プロデューサー、フランク・キングの誇張した役を演じるジョン・グッドマンは愉快だ。これは緊張を和らげるためのコミカルな場面ではあるが、グッドマンの性格描写には、少なくとも多少の真実があるだろう。


ヘレン・ミレンと、ブライアン・クランストン

ヘレン・ミレンは、いかにも不道徳で不誠実なフーパーらしく、俳優としての生活を守るため最終的には魔女狩りに屈したが、以後罪悪感を抱きながら生きた有名な俳優エドワード・G・ロビンソン役のマイケル・スタールバーグによる感動的演技を是非とも指摘しておこう。彼は魔女狩りの初期の犠牲者たちに対し、かなり財政的支援をしていたのだから、ロビンソンの運命はとりわけ悲劇的だ。

彼の政治的な甘さと見なすものを巡り、トランボと衝突する、何人かのハリウッド・テンをまとめた、架空の合成された役柄、アーレン・ハードをルイス・C・Kが演じる。ダイアン・レインは、クレオ・トランボ、脚本家の妻を演じている。端役のニュージーランド人俳優ディーン・オゴーマンは、若い頃のカーク・ダグラスと驚くほど良く似ている。ダグラスは、嬉しいことに今も存命で、あとわずか数週間で99歳の誕生日を迎えるとご報告しておこう。


『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』

映画の中で描かれるハードとトランボとの間の短期間の不和は、更に深く描かれることはない。これは確かに困難な仕事になっていたろう。人民戦線時代と戦時同盟時のスターリン主義は、労働者階級の政治的自立のための戦いを、あからさまに、すっかり放棄していた。共産党が、超愛国的方針を採用し、リベラリズムと区別不能になっていたのだから、ハリウッドで、スターリン主義を支持していた人々は、この精神について、間違って教えられていたのだ。こうした様子の一部は、トランボが娘に、共産主義は、何も食べるものがない同級生と、サンドイッチを分けて食べることと同じだと説明しようとする際の対話に反映されている。

だがトランボが対処した戦後の魔女狩りは、権利章典とアメリカ憲法に対する悪意に満ちた攻撃だった。右翼による共産党攻撃は、労働者階級に向けられていたが、それは、社会的、政治的テーマを探求した戦後映画の弱点が何であれ、そうした映画に対する怒りによって、かきたてられていた部分もある。

クランストンや、ミレン、グッドマンらを含む、何人かの著名俳優が『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』に出演していることが、ブラック・リストの遺産に対する彼らの懸念や、この物語が現代にとって、時宜にかなっていることを反映しているのは確実だ。ジェイ・ローチ監督は映画を“教訓的な物語”と呼んで、言論の自由に対する現在の攻撃を指摘している。

ダルトン・トランボは、この反民主的キャンペーンに対し、長く信念に基づいた戦いをしたのだが、この歴史をほとんど、あるいは全く知らない何世代もの映画ファンは、特にこの文化的、政治的歴史を更に詳しく調べれば、この映画を見ることで得るものは大きいだろう。

筆者は下記もおすすめする。

トランボと、ハリウッド・ブラック・リスト(英語原文)
[2008年6月26日]

裁判にかけられたハリウッド: 重要なことを思い出させる時宜を得たこと(英語原文)
[2009年12月10日]

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2015/11/30/trum-n30.html

----------

「ハリウッド」、いわゆる「テレビ・新聞を含むマスコミ」に置き換えて解釈すべきだろう。

7月22日公開は残念。一カ月早ければ、自民・公明や、野党モドキ与党分派による共産党攻撃の卑劣さ・陳腐さを多くの方が実感を持って受け止められたろう。

同じ話題を扱った記事を、いくつか訳してある。

NHKや、TBSや、テレビ朝日で、普通の庶民感覚に近い発言をするキャスターが排除され、ことごとく寿司友に置き換えられるのは、宗主国では日常茶飯事。それが通常だ。

2016年4月18日 (月)

『スポットライト 世紀のスクープ』:多くを物語る、カトリック教会の性的虐待の暴露

Joanne Laurier
2015年12月3日

トム・マッカーシー、監督; マッカーシー、ジョシュ・シンガー、脚本

トム・マッカーシーの『スポットライト 世紀のスクープ』は、ボストン地域のカトリック教会神父による児童の性的虐待蔓延をボストン グローブが2002年、画期的暴露したものを記録する、張りつめた、準政治スリラーだ。

‘『スポットライト 世紀のスクープ』’という題名は、70人以上の地元神父が行った虐待を、教会幹部連中が長期間の組織的隠蔽を明らかにした新聞社の四人の調査グループを意味している。最近ニューヨーク・タイムズに買収されたグローブは、この報道で2003年のピューリッツァー賞を獲得した。


『スポットライト 世紀のスクープ』のレイチェル・マクアダムス、マイケル・キートンとマーク・ラファロ

マッカーシーの映画『スポットライト 世紀のスクープ』チームは、無遠慮な編集者ウォルター“ロビー”ロビンソン(マイケル・キートン)、記者サーシャ・ファイファー (レイチェル・マクアダムス)と、マイケル・レゼンデス(マーク・ラファロ)と、データ分析担当マット・キャロル(ブライアン・ダーシー・ ジェームズ)で構成されている。

『スポットライト 世紀のスクープ』は、その虐待実績が、調査を開始させる要素となった連続小児性愛者、ジョン・ゲーガン神父が、ボストン警察署から自由人として出てくる短い場面で始まる。(30年間の経歴で、ゲーガンは、少なくとも130人の子どもに淫行をはたらいた。) ボストン人ではなく、カトリック教徒でもないグローブの新編集長マーティ・バロン (リーヴ・シュレイバー)が『スポットライト 世紀のスクープ』チームに、神父による性的虐待の調査を開始するよう推進する。

抵抗するベン・ブラッドリー・Jr.編集長(ジョン・スラタリー)が、53パーセントの新聞購読者はカトリック教徒であると指摘する。しかも大司教区は、恐るべきバーナード・ロー枢機卿(レン・キャリオー)が率いる、強力なボストンの組織だ。


スタンリー・トゥッチ

だがバロン以外にも、他の“部外者”はいる。その一人が、神父虐待者に裁きを受けさせようとして、うまく行かずに苦闘しているアルメニア系の集団訴訟弁護士、ミッチェル・ガラベディアン(スタンリー・トゥッチ)だ。(“この街 … ヤンキーと、アイルランド人は、それ以外の我々を、町に所属していな気分にさせている。連中とて、我々と変わらない。子どもの扱い方を見なさい。いいかい、レゼンデス、子どもを育てるのに、村中が総掛かりになる必要があるなら、子どもの虐待にも村中が必要なんだ。”)

ボストン支配体制内部で、教会のために謝り、擁護しようとする人々を捜すのはたやすいことだ。ロビーのゴルフ仲間の一人、ジム・サリバン(ジェイミー・シェリダン)は、教会の相談役で、もう一人の親しい仲間、ピーター・コンリー(ポール・ガイルフォイルが演じる)は 教会の親善大使だ。後者は『スポットライト 世紀のスクープ』のチーフにこう言う。 “マーティ・バロンは、彼自身の狙いを持ったユダヤ人だ。奴はここの人間ではなく、いつでも立ち去れる。君は、ところが ...” 微妙な公文書は、決まったように政府書類から紛失する。


ポール・ガイルフォイルとマイケル・キートン

グローブの元々の2002年1月の暴露記事は、教会による必死の隠蔽工作に注目していた。“過去数カ月間のインタビューで、示談に関わった弁護士が、教会の主要目標は明白だ-どんな代償を払っても不祥事が公になるのを防ぐことだと述べた。

“教会の戦略に通じているある検察官は、大司教区は、犠牲者に公表したり、裁判沙汰にしたりさせないようするのに実に熱心で、奇怪な主張までしたと語った。”

調査妨害と、教会幹部や、教会支持者による言い抜けによる障害に加え、9/11の出来事で、チームの調査は一時棚上げにされた。

最終的に、「聖職者による虐待被害者ネットワーク」(SNAP)の支援を得て、ジャーナリストが勝利する(“神父があなたに注目していれば、それは重大事だ”とメンバーの一人が言う。“。神に対して、一体どうやって、いいえと言うのだろう?”).

調査担当者にとって貴重な支援となるのは、元神父で、現在は心理療法士のリチャード・サイプ(リチャード・ジェンキンスの電話の声)だ。彼は性犯罪者神父に関する専門家で、連中は貧しく弱い人々の中から犠牲者を捜そうとすると説明する。サイプは、彼の調査が、教会神父の少なくとも6パーセントが、犯罪者であることを示していると言って、ジャーナリストに衝撃を与える(“認識可能な精神医学的現象”).

教会の腐敗と悪行の深さと規模が、グローブや、『スポットライト 世紀のスクープ』著者たちのあらゆる当初のためらいに打ち勝ち、事実をあばくため、彼らの多くはカトリック信仰を放棄した。

マッカーシーの『スポットライト 世紀のスクープ』はウォーターゲート・スキャンダルに関する『大統領の陰謀』(1976年)や、タバコ産業を暴露する『インサイダー』(1999年)の伝統につながる、止められない勢いのある思わず引き込まれる作品だ。アメリカ映画産業として素晴らしい作品だ。『スポットライト 世紀のスクープ』の出現はハリウッドのスキャンダル暴露能力が完全に放棄されたり忘れ去られたりしていないことを示唆している。

これまでの貴重な仕事に、『ステーション・エージェント』(2003)や『扉をたたく人』(2007)や『WIN WIN ダメ男とダメ少年の最高の日々』(2011)がある監督は、プロジェクトに心から献身的な強く結びついたアンサンブル・キャストをまとめあげた鋭敏な職人だ。キートンとラファロは魅力的で、トゥッチは、高貴で、献身的で、教会の人的巻き添え被害を容赦なく暴く担当者として特に傑出している。

俳優から監督に転じた、マッカーシーは、偉大な視覚的スタイリストとはいえず、『スポットライト 世紀のスクープ』は多少ありきたりで、単調な感がある。何よりも、映画を効果的にしているのは、演技と俳優同士の相性だ。更に、理性的な映画『スポットライト 世紀のスクープ』は、アニメや特殊効果が支配的な業界で際立っている。

映画の強みの一つは、カトリック教会の階層制が、ボストンの政治的、社会的構造の不可欠な要素であることを示している点だ。教会は、労働者階級国民を服従させ、抑圧するイデオロギー的かなめの一つとして機能している。

性的虐待スキャンダルは、決してボストン地区独自のものではない。映画の後書きで、神父による性的虐待が発覚したアメリカや世界中の何百もの都市のリストが示される。

虐待の組織的な性格に関し、WSWSは2002年にこう書いた。“聖職者メンバーによる性的虐待を巡る危機は、制度としてのカトリック教会の、心底から反動的で時代錯誤的な性格を明確に示している。腐敗して偽善的なぜいたくな暮らしをする幹部連中が罪と悪について説教し、産児制限と堕胎に反対し、同性愛を痛烈に非難し、検閲や知的抑圧を熱烈に擁護し、世界中で権力者と組んで、大抵は何千万人もの人々の人生を惨めなものにしている。

“性的虐待の痛み、危機、犠牲者の苦悩、神父の悲惨や性機能障害、教会幹部の無神経さといったあらゆる点が、慣習と信仰が、人間の基本的欲求に矛盾していて、必然的に、最も不健康な心理的-性的雰囲気を生み出す病んでいる組織であることを示している。カトリック教会の本質的存在が、現代社会と相いれないのだ。”

カトリック教会報道当時、ボストン・グローブは、は素晴らしかった。いくつかのインタビューで、マッカーシー監督は、進みつつある新聞の終焉と、それに伴うインターネットの隆盛を嘆いている。

彼の昔かたぎのリベラリズムから、監督はいくつかのことを無視している。もしマッカーシーが、なぜ人々、特に若者が、ボストン・グローブやニューヨーク・タイムズのようなマスコミに背を向けつつあるのかを知りたければ、『スポットライト 世紀のスクープ』で触れられた“他の”重要な出来事のマスコミ報道、2001年9月11日、テロ攻撃と、それに関連した出来事を考えるだけで良い。アメリカ・マスコミは、9/11自爆攻撃を真面目に調査することを拒否し、中東や他の場所での戦争、膨大なNSAスパイ、警官による殺人や、国民に対するあらゆる陰謀や攻撃を、とめどなく正当化している。主要新聞社やテレビ局は事実上、ペンタゴンとCIAの延長になっている。

清廉潔白な記者は、主要マスコミでは実にまれで、通常、政治的に最も微妙な話題で仕事をするよう派遣されることはない。ともあれ『スポットライト 世紀のスクープ』は単刀直入で面白く、魅惑的な演技で駆り立てられる映画だ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2015/12/03/spot-n03.html

----------

通った幼稚園、確かプロテスタントだった。周囲の子どもも大半同じ幼稚園だった。賛美歌を歌ったり、クリスマスを祝ったりしたことをかすかに覚えている。歌の断片ならまだ覚えている。とはいえ、素朴な祖先崇拝以外、全く宗教心皆無。仏壇に水、お茶、線香、ろうそくを備えておわり。墓参りには行く。ということで、宗教組織に関する個人的な興味は皆無。

宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』島田裕巳著を再読。全く宗教界を知らないので驚くことばかり。あの映画「禁じられた遊び」宗教(カトリック)が主題だったというのにびっくり。本では触れられていないが、試写会で見た「汚れなき悪戯」もそうだったろう。

良い映画のようなので、公開にあわせ?記事を思い出し翻訳。まだ見ていない。

九州地震、20万人もの方々が避難しておられるという。自動車で夜を過ごした方々は本震からは救われたのだろうが、エコノミー症候群が心配。

テレビ報道を見ていると、南海トラフ地震と関係がありますか、とアナウンサーが専門家に質問していた。「現場から離れる」という考え方もあると、専門家がおっしゃっている。『南海トラフ地震』200ページに「地震が怖ければ海外にゆく」という見出しがあった。今の不気味なひろがりように、ますます霧島噴火を扱った『死都日本』を思い出している。

「日奈久断層帯では、活動が南西側に動いている」とニュースでいった気がする。日奈久断層帯とは違う市来断層帯というものの近くにあるのが九州電力川内原発だというが、本当に大丈夫だろうか。何が先手だろう?先手をうつなら、原発停止だろうに。わざわざ事故を待っている自爆テロ国家に思えてくる。

孫崎享氏のtwitterにびっくり。戦争法案懐柔宣伝が本当の狙いだろう。宗主国軍の任務は侵略戦争・占領。自然災害支援ではない。もし、力が足りないために助けを頼んだのなら、オリンピックは返上だろう。

米軍支援、米軍星条旗新聞、「匿名条件の米国官僚によれば、日本政府が国務省に支援要請した」匿名そりゃそう。恥ずかしい事なんだから。世界で震災に見舞わる国は多いけど、米軍に助けて頂戴と災害国側から言う国ってそうないんじゃない。先ずは自力で頑張る。それでも支援をすると言ったら考える。

まともな国でも、まともな支配者でもなく恥ずかしい傀儡。ニュースを見ると、惨事をオスプレイ宣伝に使うのだ。選挙で勝つためなら、何でもする。

中谷元防衛相は17日夜、熊本地震の被災地支援に関し、在日米軍が海兵隊所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイで18日から救援物資を輸送すると発表した。防衛省で記者団に語った。

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

911事件関連 | Andre Vltchek | Eric Zuesse | Finian Cunningham | GMO・遺伝子組み換え生物 | ISISなるもの | James Petras | John Pilger | Mahdi Darius Nazemroaya | Mike Whitney | Moon of Alabama | NATO | NGO | Pepe Escobar | Peter Koenig | Prof Michel Chossudovsky | Saker | Stephen Lendman | Thierry Meyssan | Tony Cartalucci | TPP・TTIP・TiSA・FTA・ACTA | Wayne Madsen | WikiLeaks | William Engdahl | wsws | アフガニスタン・パキスタン | アメリカ | アメリカ軍・基地 | イスラエル | イラク | イラン | インターネット | インド | ウォール街占拠運動 | オバマ大統領 | オーウェル | カナダ | カラー革命・アラブの春 | ギリシャ | クリス・ヘッジズ | サウジアラビア・湾岸諸国 | シェール・ガス・石油 | ソマリア | ソロス | チベット | チュニジア・エジプト・リビア・シリア・アルジェリア | テロと報道されているものごと | トヨタ問題 | トルコ | ドナルド・トランプ | ノーベル平和賞 | パソコン関係 | ヒラリー・クリントン | ホンジュラス・クーデター | ポール・クレイグ・ロバーツ | マスコミ | ユダヤ・イスラム・キリスト教 | ロシア | 中南米 | 中国 | 中央アジア | 二大政党という虚構・選挙制度 | 伝染病という便利な話題 | 北朝鮮 | 地球温暖化詐欺 | 地震・津波・原発・核 | 宗教 | 憲法・安保・地位協定 | 授権法・国防権限法・緊急事態条項 | 新冷戦 | 新自由主義 | 日本版NSC・秘密保護法・集団的自衛権・戦争法案・共謀罪 | 旧ユーゴスラビア | 映画 | 書籍・雑誌 | 東ヨーロッパ・バルト諸国 | 東南アジア | 無人殺戮機 | 田中正造 | 英語教育 | 読書 | 通貨 | 選挙投票用装置 | 麻薬とされるマリファナについて

お勧め

  • IWJ
    岩上安身責任編集 – IWJ Independent Web Journal

カテゴリー

ブックマーク

無料ブログはココログ