読書

2014年6月25日 (水)

オーウェル『1984年』のページから: 対ユーラシア非正規戦争

Wayne MADSEN
公開日時 2014年6月23日 | 00:00
Strategic Culture Foundation

‘オセアニアはユーラシアと戦争状態にある。それゆえオセアニアはいつもユーラシアと戦争をしてきた。当面の敵は、常に絶対悪であり、従って、その相手とは、いかなる過去、あるいは将来の、協定は不可能だというものだった’。これは、ジョージ・オーウェルの空想的小説で、地政学から、プライバシーの喪失、監視国家の勃興に至るまで、未来の出来事の薄気味悪いほど正確な予言である『1984年』からの一節だ。オセアニアは虚構的に、イギリス諸島、北アメリカと南アメリカ、南アフリカとオーストラレーシアで構成されていた。オーウェルの世界では、ユーラシアは、ロシアとヨーロッパで構成され、他の大国イースタシアは、中国、韓国と日本を含んでいた。

現代、ワシントン、ロンドン、ベルリンやパリを中心とするオセアニア軍が、ユーラシアを決して侵略しないようにする為、ロシアと中国が益々経済的、政治的、軍事的に協力につれて、オーウェルの反ユートピア的な未来の世界地図を改変した形のものが現実と化しつつある。

先月のロシア国防省が後援したモスクワでの実力者会議、第三回Military and Political Aspects of European Securityで、第一国防次官兼参謀総長のワレリー・ゲラシモフ将軍は、ウクライナで二度、グルジアで一度実施された類の、欧米が資金援助し、組織した‘カラー革命’は、ユーラシアに対する一種の非正規戦争だと述べた。オーウェルのオセアニアによく似た北大西洋条約機構(NATO)諸国が、ユーラシアに対する非正規戦争の開始したという、ゲラシモフの発言は『1984年』のページからはぎ取ったものであってもおかしくないものだ。情報戦、経済制裁や‘欧米の非正規戦争の一環としての代理犯罪組織’や、過激派集団の支援を、ゲラシモフは、ユーラシアに対して向けられて構築されたものとして言及した。

ゲラシモフは、カラー革命は、非軍事的作戦が実施された後、政権転覆をなし遂げる為に、続いて軍事力が利用されることが多いので、欧米の対ユーラシア軍事戦略のかなめだとも述べている。これは現在、東ウクライナの連邦主義者に対する、NATOが支援するウクライナ政府の軍事攻勢や、シリアのバシャール・アル-アサド大統領政権に反対して戦っているイスラム教原理主義叛徒へのNATOの支援にもあてはまる。東リビアで、イスラム教原理主義者の蜂起の後、最終的に、リビアの指導者ムアマル・カダフィを権力から追い落としたNATOによって、空爆を含む軍事介入も行われた。

ゲラシモフのカラー革命に関する発言を、他ならぬ中央情報局(CIA)やアメリカ国務省の見解を反映することが多い非営利的シンク・タンク、戦略・国際問題研究センター(CSIS)の、アンソニー・コーズマンが支持している。コーズマンは、欧米が資金援助するカラー革命は、ロシアと中国に対する新種の戦争だと述べている。

ベラルーシ国防相ユーリー・ジャドビンは‘ゴッドファザー’ジョージ・ソロスと、ボストンのアルバート・アインシュタイン研究所所長、ジーン・シャープを、ヨーロッパや中東で見られた、CIAが資金援助した色や花の名を付けられた蜂起・革命の主要な要因だとして挙げた。ロシア、中国とベラルーシの国軍は、現在、カラー革命を利用した、欧米による政権転覆支援を、アメリカ合州国とNATOの軍事教義の一環と見なしている。モスクワ、北京とミンスクの軍事立案者達は、旧ブラックウオーター、現アカデミ等の、欧米民間軍事契約業者、傭兵を、カラー革命が起きた後の、欧米の政権転覆シナリオの一環と見なしている。

ユーラシアに対する欧米のカラー革命と政権転覆プロジェクトの理由は明確だ。ロシアと中国が、天然ガスや、いにしえのシルク・ロードの記憶を呼び起こす新たな輸送経路を含む、新たなユーラシア・エネルギー・スキームを開発する最前線にいるので、欧米は、ダイナミックな新市場を持ったユーラシアの登場は、単なるライバルであるのみならず、欧州連合や、ワシントンが提案している環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)が失墜させられる脅威を感じているのだ。

新たなユーラシアというものの独自性登場が、事実上のオセアニアの政治指導者達を警戒させた。ユーラシアは、ポップ・カルチャー、同性愛、社会的セーフティー・ネットの破壊、宗教軽視、伝統的な家族の破壊、過酷な緊縮財政を推進する放逸なハゲタカ資本主義を強調するロシア、中国、カザフスタン、ベラルーシや、地域内の他の国々で多くの人々が欧米‘文化’と見なしているものよりも、経済発展と伝統の尊重を重視する。

モスクワでの安全保障会議とほぼ同時期に、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と中国の習近平国家主席は、上海で開催された第四回アジア信頼醸成措置会議(CICA)で会合した。そこで、習主席は、アジアが21世紀に入った今、冷戦感情は廃棄されるべきだと強調した。アジアの各代表団が、バラク・オバマ大統領による軍事的冷戦‘アジア回帰’や、安倍晋三首相の、東アジアにおける、失地回復論者的軍事力増強を容赦なく否定するのを日本やアメリカ合州国からのオブザーバー達は傍観していた。多くの点で、アメリカ合州国の太平洋軍と、日本、フィリピンと、韓国は、オセアニアと一時的に連合を組む組織である『1984年』の軍事的‘イースタシア’と良く似ている。

上海で合意された通り、2018年に、天然ガスをシベリアから中国へ送り出す‘シベリアの威力’天然ガス・パイプラインのみならず、かつてのシルク・ロードを復活させ、中国とヨーロッパを、主要なトランス・ユーラシア・ハイウェイ、トランス・シベリア・ハイウエイとヨーロッパのE-30ハイウエイで結びつけるという計画がある。最終的に、アムステルダムと北京を、アジア・ハイウエイ・ネットワークで、A級自動車専用道路が結びつけるのだ。この現代ハイウェー・ネットワークは、アジア古代のシルク・ロードを復活し、商品や乗客をユーラシア中移動させ、その過程で、ユーラシア・ハートランドのはるか僻地に、新たなインフラストラクチャーを建設する。こうした展望を、金融宝くじから締め出されてしまうことになる為、ヨーロッパとアメリカの銀行は懸念している。

プーチン大統領や習主席から、イランのハッサン・ロハニ大統領やアフガニスタンのハミド・カルザイ大統領に至るまでのユーラシアの指導者達は、ウクライナ、グルジアやキルギスタンを破壊したカラー革命は、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティー研究所と財団によって資金援助されており、しかもソロスのヘッジ・ファンド帝国など、ロスチャイルド金融カルテル国際組織の隠れ蓑にすぎないことを十分承知している。ソロスとロスチャイルド家の権益を代表するNATOとオバマ政権は、ユーラシア構想を破壊する為なら、どんなことでもやりかねない。欧州連合との連帯を拒否し、ユーラシアとの絆を築く用意があるように見えたウクライナのヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領の‘ユーロマイダン’による、打倒は、欧米の(あるいは‘オセアニア’の)最初の対ユーラシアの軍事力による間接的侵略の一環だ。

ユーラシアの指導者達の一部は、欧米が発展しつつあるユーラシア連合を挫折させようとしていることに気がついている。カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は、アジア信頼醸成措置会議CICAを、ユーラシアにおけるNATOの等価物に極めて近い、新たなアジア安全保障開発機構(OSDA)へと転換することを提案した。ユーラシアが欧米の‘価値観’を拒否することを強調して、ナザルバエフは、OSDAはアジアの‘伝統と価値観’の上に構築されることになろうと述べた。ナザルバエフは、ロシア、ウクライナや、他の国々における宗教崇拝の代わりの、‘プッシー・ライオットやFEMENによる、下品さや、いわれのない裸体の表出で見られるような、欧米文化の下卑た寛大さを否定するユーラシア指導者達の多くを代表して演説しているように見えた。

アメリカ版オセアニアに対する新たな競争相手が、オーウェルのユーラシア中に今や登場しつつある。ハルフォード・ジョン・マッキンダーの論文‘Geographical Pivot of History’で信奉されている‘ハートランド理論’は、ヴォルガ河と揚子江と、北極海とヒマラヤに囲まれたユーラシアのハートランドを支配する大国が、世界の運命を支配すると主張していた。もしユーラシア連合が政治的・経済的連合として成功すれば、アメリカ合州国、イギリス、西ヨーロッパと日本は、僅かに残された資産が、ウオール街、ロンドンのシティーや、フランクフルトの銀行という飢えたジャッカルによって争われる、経済的に活力がなく、社会的衰退に向かいつつある、沿岸‘リムランド’に閉じ込められることになる。シリア、ウクライナやイラクにおける戦争の勃発は、‘オセアニア’と‘ユーラシア’間で差し迫っている戦争の最初の一発にすぎない。

記事原文のurl:http://www.strategic-culture.org/news/2014/06/23/from-pages-of-orwell-and-1984-irregular-warfare-against-eurasia.html

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芝居を見終わって外に出るとにわか雨。傘もなく濡れて帰ったが、雹でないだけまし?

ナチス発言氏のいじめ発言。こういう痴性連中が日本を支配している。金目男。セクハラ男。三代目。ナチス・イジメ男。

アジアの別の属国から、ボンボン政治家が侵略戦争参戦を慶賀にやってきた。

宗主国支配層や、アジアの別の属国傀儡から評価される解釈変更、属国庶民にとって為になることは永遠にないだろう。属国庶民に、子々孫々まで、大いに害をなすだろう。

夢の国から悪夢の国へ』/増田悦佐著/東洋経済新報社/2300円+税
を、森永卓郎氏が、日本の正確な未来予想図と評しておられる。

小生も一読、「これはたまらない」と思った。増田悦佐氏の力作を「たまらない」と思ったのではなlい。描かれている宗主国の実態だ。

外部に対しては侵略戦争、不平等条約の押しつけ、自国民に対しては略奪・貧困化推進という、宗主国支配者の新自由主義政策の何に、属国傀儡政治家・経営者は魅力を感じるのだろうと思うのだが。

米国の金融資本が一番望んでいるシナリオは、戦争を起こすことによる戦時インフレと、その後のバブル発生だという著者の予言で、納得。

属国支配層も全く同じことを計画しているがゆえの、参戦、砲弾の餌食提供推進だ。

両与党、そして一見、野党を装い、憲法解釈変更を容認する別動隊連中、人の顔をした悪魔だと本気で思う。

そして、彼等に投票をする皆様も。

マドリッド、プラド美術館で見た『我が子を食らうサトルヌス』を思いだした。そして、ヒェロニムス・ボッシュの地獄絵図。

日本なら、人ごみのなかで観覧することになるだろうが、ボッシュの部屋、誰もいなかった。ということで、現実世界のひどさ加減に目を向けよう。

2014/06/22 【京都】Xバンドレーダー基地建設工事をただちに中止せよ!10月レーダー搬入反対!6.22京都集会(動画)

2014/06/20 「集団的自衛権と新自由主義はリンクする」 99%の民衆がテロリスト扱いに!?~岩上安身による孫崎享氏インタビュー (動画)

2014/06/20 集団的自衛権行使容認をめぐる安倍総理の「嘘」 米艦による邦人輸送を米国は想定せず ~岩上安身による辻元清美・衆院議員インタビュー ※ 公共性に鑑み、非会員の方にも、6月26日まで特別公開!

岩上安身責任編集 – IWJ Independent Web Journal

2013年8月 5日 (月)

簡単な10のステップで実現できるファシスト・アメリカ(日本?)(末尾以外再掲)

2007年4月 24日火曜日、9:50 am

ナオミ・ウルフ著、ガーディアン掲載、 2007年4月 24日火曜日

昨年秋、タイで軍事クーデターがあった。クーデター指導者は、まるで買い物リストでももっているかのように、むしろ計画的に、複数の対策を講じた。 ある意味で、彼らは「買い物リスト」をもっていたのだ。数日の内に、デモクラシーが閉ざされた。クーデター指導者は戒厳令を宣言し、武装兵を住宅地に送り込み、ラジオ放送局とテレビ局を占拠し、報道制限を発表し、旅行に対する制限を強化し、活動家たちを収監した。

連中は、やりながらこうしたことを思いついたわけではない。歴史をみれば、開かれた社会を独裁制度に変えるための、事実上の青写真が存在しているこ とがわかる。その青写真はこれまで何度も使われてきた。時にひどく残酷に、あるいはさほど残酷でなく、時にひどく恐ろしく、あるいはさほど恐ろしくはな く。だがそれは有効だった。デモクラシーを作り出し、維持することは極めて困難で、骨が折れる。だがデモクラシーを廃止するのはずっと簡単であることを歴 史は示している。単純に10の対策さえ講じればよいのだ。

直視することはむずかしいが、あえて目を向ける意志さえあれば、こうした10の対策のいずれもが、現代のアメリカ合州国で、ブッシュ政権によって既に開始されているのは明らかだ。

私のようなアメリカ人は自由の中に生まれているので、アメリカの国内が他の国々のように、不自由になるということを想像することすら、困難だ。なぜならアメリカ人はもはや自分たちの権利や政府制度についてさほど勉強しなくなっているためだ。憲法を意識し続けるという課題は、もともと国民の所有物だっ たのが、弁護士や大学教授のような専門家に委託されてしまった- 建国者たちが、整備してくれた抑制と均衡が、今や意図的に解体されつつあることにアメリカ人はほとんど気づかずにいる。アメリカ人は、ヨーロッパの歴史を ほとんど勉強していないので、「国土」安全保障省が作られても、そもそも誰が「国土=祖国」という言葉に熱心だったか考えてみるべきだが、当然起こるはずだったこれを警戒する世論は沸き上がらなかった。

我々の目の前で、ジョージ・ブッシュと彼の政権が、開かれた社会を閉ざすために、長年かけて有効性が実証されている戦術を活用している、というのが 私のいいたいことだ。想像を超えることを、我々も進んで考えるべき時期なのだ。作家で政治ジャーナリストのジョー・コナソンが言っているように、アメリカでも、そういうことがおき得る。しかも、考えている以上に事態は進んでしまっている。

コナソンは、雄弁にアメリカの独裁主義の危険を警告している。アメリカ国内で今おきつつある出来事の潜在的な深刻さを把握するには、ヨーロッパや他のファシズムの教訓を学ぶべきだと私は主張しているのだ。

1 国内と国外に、恐ろしい敵を作り上げる

2001年9月11日に攻撃されて以来、アメリカは国家的ショック状態だった。6週間もしないうちに、2001年10月26日、アメリカ愛国者法が 議会でほとんど論議もなしに通ってしまった。読む時間すらなかったと言っている連中も多い。アメリカ人は、アメリカは「戦時体制」にある、と言われたの だ。アメリカは「文明を一掃しよう」としている「グローバルなカリフ支配」に対する「世界規模の戦争」中なのだ。アメリカが市民的自由を制限した危機の時 代はこれまでにもあった。南北戦争の間、リンカーンが戒厳令を宣言した時、そして第二次世界大戦で、何千人という日系アメリカ国民が抑留された時。だが今 回のものは、アメリカカン・フリーダム・アジェンダのブルース・フェインが言うように、前例がない。アメリカのこれまでの全ての戦争には終点があったので、振り子が自由に向かって振れ戻ることができた。今の戦争は、時間的には無限であり、空間的には国境がないもので、世界全体がそのまま戦場なのだと定義 されている。フェインは言う、「今回は終わりが決まっていないのです。」

恐ろしい脅威、たとえばギリシャ神話のヒドラのような秘密主義的な悪を作り出すのは、常套手段だ。これは、国家の安全に対する共産主義の脅、というヒトラーの呪文のように、実際の出来事に基づく場合もある(あるウイスコンシンの学者は、何より、ナチス・ドイツでは、共産主義者の放火だとされた1933年2月の国会議事堂火災の後に、憲法を無制限の非常事態と置き換える、全権委任法の通過が素早く起きたことに言及したために、解雇要求されることになった)。恐ろしい脅威は、ナチスが「世界のユダヤ人世界による世界的な陰謀」を喚起したように、神話に基づく場合もある。

世界的なイスラム教徒のテロリズムが深刻な脅威でないというのではない。もちろん脅威だ。脅威の性格を伝えるのに用いられる言語は、アメリカと同様に凶暴なテロ攻撃を受けた、例えばスペインのような国では、違うのではないか、と主張しているのだ。スペイン国民は、重大な治安上の脅威に直面しているこ とを知っている。アメリカ国民が信じているのは、我々が知っている形の文明が、終焉という脅威にさらされているということだ。もちろん、おかげで、アメリ カ人は、益々進んで自由に対する制限を受け入れるようになっている。

2 政治犯収容所を作る

皆を怯えさせるのに成功したら、次のステップは、法律の埒外の監獄制度を作り出すことだ(ブッシュの言い分では、グアンタナモ湾にあるアメリカの監禁センターは、合法的「外部空間」にあるのだという) そこで拷問が行われるわけだ。

最初、そこに送り込まれる人々は、国民から部外者と見なされる人々だ。トラブル・メーカー、スパイ、「人民の敵」あるいは「犯罪人」。当初、国民は、秘密監獄制度を支持しがちだ。その方が安全なように思えたり、囚人と国民が別物のように考えたりするためだ。だがじきに、市民社会の指導者たち、反体制派、労働運動家、聖職者やジャーナリストが逮捕されて、同じようにそこに送られる

1920年代、1930年代のイタリアやドイツのファシスト策略あるいは反デモクラシー弾圧から、中南米における1970年代のクーデター、そしてそれ以降の出来事で、この過程があった。これは、開かれた社会を閉じてしまうための、あるいは、民主化運動弾圧のための標準的な手法だ。

イラクやアフガニスタンにおけるアメリカの監獄、そして、もちろん、キューバのグアンタナモでは、抑留者は、虐待され、裁判無しで、正当な法の手続 きによることもできず、いつまでも拘留されたままで、アメリカは今や確実に政治犯収容所を所有している。ブッシュと議会における彼の仲間は、最近、市街から連れ去られた人々を監禁するのに使われている、世界中にある秘密のCIA「暗黒サイト」刑務所に関する情報は、何も公開しないと宣言した。

政治犯収容所は、歴史的に転移しがちで、ますます巨大化し、ますます秘密化し、ますますひどい、正式なものとなっている。目撃者の話、写真、ビデオや政府書類から、アメリカが運営しているが、我々が十分には調査することができない監獄で、無辜の人も、有罪の人も、拷問されていることを、我々は知って いる。

だがアメリカ人は依然として、この体制や抑留者虐待は、自分たちと同じ人間だとは普通考えていない、恐ろしい肌の色が濃い人々だけにしか関係ないのだと思い込んでいる。保守派の評論家ウイリアム・サフィアが、政治囚として捕らえられた反ナチス牧師マルチン・ニーメラーの言葉を引用したのは勇気のあるこ とだった。「最初はユダヤ人を捕らえにやってきた」大半のアメリカ人は、グアンタナモにおける法支配の破壊が、彼らにとっての危険な先例になりうることを未だに理解していない。

ちなみに、囚人に対する正当な法の手続きを否定する軍事法廷の設置というものは、ファシスト化策略の初期になされる傾向がある。ムッソリーニやス ターリンは、そうした軍事法廷を設置した。1934年4月24日、ナチスも人民裁判所を設置したが、これも司法制度を無視していた。囚人の多くは、罪状の告発なしに、独房で、無期限に拘留され、拷問され、公開裁判にかけられた最終的に、特別裁判は、判決をする際に、ナチス・イデオロギーに味方し、法の支配を放棄するよう通常の裁判に圧力をかける為の、並列制度となった。

3 暴漢カーストを育成する

私が「ファシスト移行策」と名付けたものを狙う指導者が、開かれた社会を閉じようと望む場合、連中は恐ろしい若者で構成された民兵組織を送り出し、国民を威嚇する。黒シャツ隊員は、イタリアの田舎を歩き回って共産主義者をぶちのめしていた。ナチ突撃隊員は、ドイツ中で、暴力的な集会を開いた。こうした準軍事的組織は、デモクラシーにおいて、特に重要だ。為政者は、国民が暴漢の暴力を恐れることを必要としているので、為政者には、告発の恐れがない暴漢が必要なのだ。

9/11以後の年月、アメリカの警備業者にとって大当たりで、それまではアメリカ軍が担当してきたような仕事を、ブッシュ政権が彼らに外注している。その過程で、国内でも、海外でも、傭兵による治安維持に対する何億ドルもの契約が発注された。イラクでは、こうした外注企業の工作員の中には囚人の拷問や、ジャーナリストへの嫌がらせ、イラクの民間人に対する砲撃への関与のかどで訴えられている人々がいる。イラクの外注業者を規制するため、アメリカの元バグダッド総督、ポール・ブレマーによって発布された命令第17号のもと、こうした業者は、刑事訴追を受ける恐れがない。

そうだ、だが、それはイラクでのことだ、と読者はおっしゃるだろう。だがしかし、ハリケーン・カトリーナの後で、米国国土安全保障省は、何百人もの 武装民間保安要員をニュー・オリンズで採用し、配置したのだ。調査ジャーナリストのジェレミー・スカヒルは、市内で武器を持たない民間人をめがけて発砲したと言う、一人の匿名の警備員にインタビューした。このエピソードは、自然災害時のものだ。だが政権の果てしないテロに対する戦争というのは、実際は非公式に契約した部隊が、アメリカ国内の都市で、危機管理を引き受けるという方式が継続することを意味している。

アメリカにおける暴力団、怒れる若い共和党員男性の集団が、同じようなシャツとズボンを身につけて、2000年フロリダで、投票を集計する作業員を 脅迫した。読者が歴史を学んでいれば、次の投票日には「公の秩序」維持の必要性が生じる可能性を想像できるだろう。投票日に、例えば、抗議、あるいは、脅威があれば、どうなるかだ。歴史から見て、投票所の「治安回復のため」に民間警備会社が立ち会う可能性がないとは言えまい。

4 国内監視制度を作り上げる

ムッソリーニのイタリアで、ナチス・ドイツで、共産党東ドイツで、共産党中国で、つまりあらゆる閉鎖社会で、秘密警察は普通の人々をスパイし、隣人 同士がお互いをスパイするよう奨励した。東ドイツの秘密警察、シュタージは、大多数の人々に自分たちが監視されていると思い込ませるため、ごく少数の東ドイツ国民を監視するだけでよかったのだ。

2005年と2006年、ジェームズ・ライズンとエリック・リヒトブラウが、ニューヨーク・タイムズに、国民の電話を盗聴し、電子メールを読み、国際的な金融取引を追跡するという秘密の国家計画について書いてから、一般のアメリカ人も、自分たちも、国家による監視下におかれ得ることが分かるようになった。

閉鎖社会では、この監視は「国家の安全」のためだという建前でなされるが、本当の機能は、国民を従順にしておいて、実力行使や反体制行動を禁じることだ

5 市民団体に嫌がらせをする

五番目にすべきことは第四ステップと関連している。市民団体に潜入して、嫌がらせをするのだ。瑣末な場合もある。あるパサデナの教会で、牧師がイエスは平和に賛成していたと説教したところ、国税庁によって査察されてしまった。一方、共和党への投票を呼びかけた教会は、アメリカの税法の元では同様に非合法だが、放置されている。

もっと深刻な嫌がらせもある。何千もの普通のアメリカの反戦、環境や他の団体に、スパイが潜入していると、 米国自由人権協会は報告している。秘密のペンタゴン・データーベースには、その1,500の「疑わしい出来事」という範疇の中に、アメリカ国民による、 40以上の平和な反戦集会、会合、あるいは行進を含めている。同様に国防省機関で、秘密組織、対諜報現地活動局(CIFA)は、平和的な政治活動に関与し ている国内団体に関する情報を収集している。CIFAは、「潜在的なテロリストの脅威」を追跡し、普通のアメリカ国民の活動家も監視しているものと考えられている。ほとんど目立たない新たな法律が、「動物の権利」抗議のような行動を、「テロリズム」として再定義した。こうして「テロリスト」の定義はじわじ わと拡大して、反対勢力をも含むようになってゆく。

6 専断的な拘留と釈放を行う

これは人々を怯えさせる。これはいわば、追いつ追われつゲームのようなものだ。「新中国人」の著者、調査記者ニコラス・D・クリストフとシェリル・ ウーダンは、魏京生のような中国の民主化要求活動家は、何度も逮捕され、保釈されている、と書いている。閉ざされつつある、あるいは、閉ざされた社会には、反体制派と反対派指導者の「リスト」が存在する。こうして一度リストに載せられてしまえば、誰もが標的とされ、リストからはずしてもらうのは困難なの だ。

2004年、アメリカ運輸保安局は、飛行機に乗ろうとした場合、警備の検査、あるいは、それ以上厳しい扱いをする対象となる乗客のリストがあること を認めた。自分がそのリストに載っていることを発見した人々の中には、サンフランシスコの二人の中年平和活動家女性、リベラルなエドワード・ケネディー上院議員、ベネズエラ大統領が、ブッシュ大統領を批判して以降のベネズエラ政府職員、そして、何千人もの普通のアメリカ国民がいる。

ウォルター・F・マーフィー教授は、プリンストン大学名誉教授だ。わが国の主要な憲法学者の一人で、名著「Constitutional Democracy(憲法によるデモクラシー)」の著者である。マーフィー教授は勲章を受けた元海兵隊員でもあり、とりたてて政治的にリベラルというわけ ですらない。しかし今年の3月1日、彼はニューアークで搭乗券を拒否された。「テロリスト監視リストに載っていたからです」。

「いかなる平和行進にも参加しなかったのですか? それを理由として、我々が搭乗を禁じている人はたくさんいますよ」と航空会社の社員が尋ねた。

「私は説明しました」マーフィー教授は言う。「行進はしなかったが、2006年九月に、プリンストンで講義をした、それはテレビ放送され、ウエブに載せたが、大統領の数々の憲法違反に対して、ジョージ・ブッシュにはきわめて批判的なものだ。」

「それで十分ですよ」と担当の男は言った。

反戦行進参加者は、潜在的テロリストだ。憲法を守る連中は、潜在的テロリストだ。歴史をみれば、「人民の敵」の範疇は国民生活の中を益々深く広がるものだ。

アメリカ国民ジェームズ・イーは、グアンタナモにおけるイスラム教の従軍宗教者で、秘密書類の扱いを誤ったかどで、告訴されていた。彼に対する告訴 が取り下げられる前、アメリカ軍によって、嫌がらせをされた。イーは何度も拘留され、釈放されてきた。彼は依然として、国家から関心をもたれているのだ。

アメリカ国民でオレゴンの弁護士ブランドン・メイフィールドは、間違ってテロリスト容疑者として特定された。彼の家は密かに侵入され、彼のコンピューターは没収された。告訴されていることについては無罪なのに、彼は依然としてリストに載っている。

これはファシスト社会の標準的な習慣だ。一度リストに載ってしまえば、外して貰えない。

7 主要人物を攻撃する

言うことをきかなければ、公務員、芸術家や学者を失業で脅すのだ。ムッソリーニは、ファシストの方針に従わない国立大学の学長を追い回した。親ナチではない学者を追放した、ヨセフ・ゲッベルスもそうだ。チリのアウグスト・ピノチェトもそうだった。中国共産党政治局も民主化運動家の学生や教授を懲罰している。

大学は積極行動主義の火口箱なので、ファシスト化策を進めようとした連中は、ゲッベルスの用語だが、万一イデオロギー的に「協力」しない場合、失業させることで、学者や学生を罰した。公務員というのは、社会の中でも、その政権によって最も首にされやすい部分なので、ファシストどもが、「早いうちから」「協力」を狙う格好の標的集団だ。ドイツの職業官吏再建法は、1933年4月7日に公布された。

ブッシュ支持派州議会員は、いくつかの州で政権に批判的な学者を罰したり、解雇したりするよう、州立大学の評議員に圧力をかけた。公務員について言えば、ブッシュ政権は、抑留者に対する公正な裁判をはっきり主張した、ある軍弁護士の出世の道をふさぎ、政権幹部は、無償で抑留者の代理人になっている弁護士事務所を、事務所の主要な企業顧客に、事務所をボイコットするよう呼びかけるぞと、公然と脅した。

この他、非公開のブログで「水攻めは拷問だ」と発言したCIAの契約従業員は、仕事をするのに必要な、機密取扱者資格を奪われた。

ごく最近では、現政権は、政治的忠誠度が不十分と見えるような8人の検事を追放した。ゲッベルスが公務員を1933年四月に追放した時には、検事も「協力」させられたが、それは、ますます厳しい法律を作る為の「道慣らし」段階だった。

8 マスコミを支配する

1920年代のイタリア、30年代のドイツ、50年代の東ドイツ、60年代のチェコスロバキア、70年代のラテンアメリカの独裁政権、80年代と90年代の中国、あらゆる独裁政権と、独裁者になろうとしている連中が、新聞とジャーナリストを標的にする。彼らは、自分たちが閉じようとしている、開か れた社会のジャーナリストを脅し、嫌がらせをし、逮捕するが、すでに閉ざされた社会の中では、これは更にひどいものだ。

ジャーナリスト保護委員会は、アメリカ人ジャーナリストの逮捕の数は、これまでで最高だと言う。サンフランシスコのブロガー、ジョン・ウォルフは、 反戦デモのビデオを提出することを拒否したため、一年間監獄に入れられた。米国国土安全保障省は、「極めて重要なインフラストラクチャー」を危険にさらし たかどで、グレッグ・パラスト記者を刑事告発した。彼とTVプロデューサーはルイジアナのハリケーン・カトリーナの犠牲者を撮影していた。パラストはブッ シュ政権に批判的なベストセラーを書いている。

他の記者や作家たちは違うやり方で懲罰されている。ジョセフ・C・ウイルソンは、サダム・フセインがイエローケーキ,・ウランをニジェールで購入し たという濡れ衣に基づいて、アメリカを戦争状態に引きずり込んだとして、ニューヨーク・タイムズの論説で、ブッシュを非難した。すると、彼の妻バレリー・ プレームがCIAスパイであることが暴露された。こうした形の報復で彼女のキャリアは終わらされた。

とはいえ、訴追や失業など、イラクにおける戦争を公平に報道しようとしているジャーナリストに対するアメリカの扱いと比べれば、たいしたことではな い。ジャーナリスト保護委員会は、アメリカ軍がイラクで、アル-ジャジーラからBBCにいたる組織の、エンベッドされていない(つまり独立の)記者やカメ ラマンに対して射撃したり、射撃するぞと威嚇したりという複数の事例について記録をまとめている。西欧の人々はアル-ジャジーラの報道には疑念をもって も、BBCのケート・アディのような記者の説明耳をかたむける。2003年のITNのテリー・ロイドを含め、時に、記者は負傷させられたり、殺害されたり もする。イラク内のCBSもアソシエーテッド・プレスも、社員をアメリカ軍に逮捕され、暴力的な監獄に入れられた。報道機関は、社員に対する証拠を見られずにいる。

時と共に、閉ざされつつある社会では、本当のニュースは、偽のニュースや偽の文書に取って代わられる。ピノチェトは、テロリストが国家を攻撃しようとしているという自分の主張を裏付けるのに、偽造した文書をチリ国民に示した。イエローケーキ嫌疑も偽造文書に基づいていた。

現代アメリカで、ニュースが止まるということはあるまい-それはありえない。しかし、フランク・リッチとシドニー・ブルーメンソールが指摘したよう に、嘘の絶え間ない流れが、ニュース源を汚染している。今アメリカにあるのは、ホワイト・ハウスが指揮をしている偽情報の流れで、余りに絶え間ないもので あるため、嘘から真実を選び出すことがますます困難になっている。ファシスト体制で大切なのは、嘘ではなく、曖昧にしてしまうことだ。国民は、偽物と真のニュースとを見分けられなくなると、説明責任に対する要求を、少しずつあきらめてゆく。

9 反対は反逆に等しい

反対者を「反逆者」に、批判を「スパイ」に仕立て上げる。閉鎖しつつある社会は、ますます、ある種の発言を処罰の対象とし、「スパイ」や「反逆者」 の定義を拡張する法律を巧妙に仕立て上げながら、必ずこれをやる。ニューヨーク・タイムズの発行人ビル・ケラーが、リヒトブラウ/リーゼンの記事を掲載し た時、ブッシュは、タイムズが「不名誉な」機密情報を漏らしていると言い、また議会では共和党がケラーを反逆罪で告訴すべきだと要求し、右翼の解説者や報道機関は「反逆罪」という非難攻撃を続けていた。解説者の中には、コナソンのように、諜報活動取締法違反に対する罪の一つは死刑だと、読者にすました顔を して指摘したものまでいる。

この攻撃が意味する脅威がどれだけ深刻かを指摘したコナソンは正しい。1938年のモスクワの公開裁判で、イズベスチア紙編集長ニコライ・ブハーリ ンが、反逆罪に問われたことを思い出すことも重要だ。ブハーリンは実際に処刑された。1917年にスパイ法が最後に広範に発動され、悪名高い1919年の パーマー・ レイドの間に、左翼活動家が、逮捕令状なしに、一斉検挙され、五カ月間も監獄に留め置かれ、「打擲され、飢えさせられ、窒息させられ、拷問され、殺すと脅 された」事を、アメリカ人は思い出すことが重要だ。歴史学者マイラ・マクファーソンによると。それ以来、反体意見の人々は、アメリカ国内で10年間、沈黙 させられた。

スターリンのソ連では、反体制派は「人民の敵」だった。ナチスはワイマール・デモクラシーを支持した人々を「十一月の裏切り者」と呼んだ。

ここで「輪は閉じる」のだ。昨年九月以来、議会が誤って、愚かにも、2006年軍事委員会法を通した時に、大統領が、いかなるアメリカ国民をも「敵 性戦闘員」と呼べる権力を持ってしまったということを、ほとんどのアメリカ人は分かっていない。大統領は「敵性戦闘員」が何を意味するかを規定する権力を 持っている。大統領はまた、自分が選んだ行政機関の誰にでも、その連中の好きなやり方で「敵性戦闘員」を定義し、それによってアメリカ人をする拘束する権力を委譲できるのだ。

たとえ読者や私がアメリカ国民であっても、たとえ我々が行っていると彼が称し、訴えている事に対して、全く無罪であることが判明しても、あなたが明日ニューアークで飛行機を乗り換えている所を捕まえ、あるいは、ドアをノックして我々を捕まえ、あなたや私を軍の営倉に送り出し、そして、あなたや私を、 裁判を待つ間、おそらく何カ月も隔離拘禁する権力を大統領は持っている。(長期的な隔離は、精神科医は知っていることだが、本来精神的に健康な囚人に精神 病を引き起こす。これこそが、スターリンの収容所列島に独房があり、グアンタナモのような、あらゆるサテライト監獄施設がある理由だ。キャンプ6、つまり グアンタナモの最新かつ最も残酷な施設は、全て独房だ。)

アメリカ国民は、最終的には裁判を受けられることになっている。少なくとも今のところは。「憲法に保証された人権擁護センター」の活動家は、ブッシュ政権は、アメリカ国民にさえ公正な裁判の機会を与えずに済むような方法を益々積極的に探し求めようとしている、と言う。「敵性戦闘員」というのは、虞 犯、つまり、罪を犯すおそれのあることを言うのであって、「何か既に行ってしまったこと」とは無関係だ。「アメリカは、すっかり予防拘禁モデルに移行しし てしまった - お前は何か悪いことをしそうに見える、お前は何か悪いことをしそうだ、だから我々はお前を捕まえるのだ」と、「憲法に保証された人権擁護センター」のス ポークスマンは言う。

ほとんどのアメリカ人は、まだこれをしっかりと理解していない。それも当然だ。たとえ真実であっても、信じがたいから。いかなる閉鎖社会でも、ある 時点で、何人か目立つ人物が逮捕される。通常、反対派の指導者、聖職者やジャーナリストだ。すると万事が静まりかえる。そうした逮捕の後でも、依然として 新聞、裁判所、TVやラジオや、他の市民社会のみかけは残る。その時、本当の反対意見はもはや存在しない。そこには自由は存在していない。歴史を見れば、 そうした逮捕のすぐ前までに、まさにアメリカが今ある状況になっている。

10 法の支配を停止する

2007年のジョン・ワーナー国防認可法令は、大統領に、州兵に対する新たな権力を与えた。これはつまり、国家の有事において、大統領は今や、オレ ゴンで宣言した非常事態を執行するために、州知事や州民の反対があっても、ミシガン州兵の派遣を宣言することができる、より強い権力を持つようになった。

アメリカ人が、ブリトニー・スピアーズの破滅的な状態やら、誰がアンナ・ニコルの赤ん坊の父親だったかに目を向けている中で、ニューヨーク・タイム ズはこうした傾向について社説を書いている。「ワシントンにおける気がかりな近年の現象は、アメリカ・デモクラシーの心臓を射抜くような法律が、真夜中 に、通過したことだ。実際の暴動以外に、大統領は、自然災害、疫病の大発生、テロリスト攻撃、あるいは、いかなる「他の条件」に対応して、軍隊を国内警察 力として使うことができるのだ。

評論家は、これを、連邦政府が、軍隊を国内での法執行に使うことを抑止することを意図した、民兵隊壮年団制定法(Posse Comitatus Act)に対する、明らかな侵犯と見なしている。民主党の上院議員パトリック・リーヒーは、法案は、大統領が連邦戒厳令を宣言することを奨励している、と 言う。それはまた、建国の父たちが、そもそものアメリカの政府制度を作り上げた理由そのものの侵害でもある。絶対君主制度の兵士によって、国民がいじめら れるのを見ていた建国の父たちは、まさにこの種の、抑圧的な為政者や党派の手中への、アメリカ国民に対する在郷軍兵力の集中を恐れていたのだ。

もちろん、アメリカ合州国は、ムッソリーニのローマへの行進や、ヒトラーによるの政治犯の一斉逮捕に続いておきた、暴力的な、全面的な制度の閉鎖を 被りやすいわけではない。アメリカの民主主義的な慣習は、反発力がしっかりしており、いかなるそうした筋書きに対しても、アメリカの軍事と司法は非常に独 立している。

それよりも、他の評論家たちが書いているように、アメリカにおけるデモクラシーの実験は、浸食という過程によって、終わりかねない。

ファシスト体制へ移行する当初、空に張られた鉄条網の姿が見えるなどと考えるのは間違えだ。当初、物事は一見、何事もないのだ。1922年カンブリ アで、農民は収穫祭を祝っていた。1931年のベルリンで、人々は買い物に、映画にでかけていた。昔、W・H・オーデンが「Musee des Beaux Arts(ボザール美術館)」という詩で書いたように、恐怖はいたるところにある。誰かが災難にあっている間も、子供たちはスケートをし、船は出帆する。 「犬は惨めな暮らしを続け … 何もかもまったくのんびりして イカロスの災難を顧みようともせぬ。」

アメリカ人が実にのんびりとくらし、インターネットでの買い物やら、著名アイドルに夢中になっているうちに、デモクラシーの基盤は致命的なまでに蝕 まれつつある。何かが大きく変わってしまい、アメリカ国民は、これまでになく弱体化した。今や、終わりのない戦争、世界という名の戦場で「長い戦争」とい う「戦争状態」にあるという文脈の中で、いまだアメリカ国民はそうと自覚していないが、一言で発言するだけで、アメリカ国民の自由や、長期の独房監禁に対 して、影響を与える力を、大統領に対して与えているという文脈の中で、アメリカのデモクラシーの伝統、独立した司法、出版報道の自由は、動いているのだ。

つまり、こうした全ての基盤の下に、いまだ自由に見えている制度の下では、空洞が広がっていることを意味している。そしてこの基盤は、ある種の圧力の元では崩壊しかねない。そのような結末を防ぐには、「もし、...たらどうだろう」と考える必要があるのだ。

もし一年半後に、別のテロ攻撃があったら、たとえば、そんなことがあってはならないが、放射性物質をまき散らす爆弾攻撃があったらどうだろう? 為政者は非常事態を宣言できる。歴史的に、どの指導者でも、どの党の人間でも、危機が去った後も、非常権限を維持したいという思いにかられることが分かっ ている。伝統的な抑制と均衡は骨抜きにされており、私たちは、ヒラリー大統領であれ、ジュリアーニ大統領であれ、為政者による危機にさらされている。あら ゆる為政者は、民主主義的な交渉と妥協という、骨の折れる、不確実な手順よりも、政令によって、彼なり彼女の意志を実行したいという誘惑にかられるのだか ら。

昨年ケラーを脅した様な右翼の努力で、もしも主要なアメリカ新聞の発行人が、反逆罪やスパイで訴えられたとしたら、どうだろう? 彼なり彼女が10年間の投獄となったらどうだろう? 翌日の新聞はどうなるだろう? 歴史から判断すると、発行を停止することはあるまい。しかし、新聞は、突然従順になるだろう。

今のところは、ごく少数の愛国者が、私たちのために暴政の流れを食い止めるようとしている。「憲法に保証された人権擁護センター」のスタッフ、抑留 者の代理をして、殺しの脅迫に会っていながらも、最高裁に至るまで戦い続けている、米国自由人権協会の活動家たち。また、American Freedom Agendaという名の新集団の旗じるしのもと、高名な保守派の人々が、蝕むような新たな法律を押し返そうとしている。この小さな、異なる人々の集団は、 国際的に  アメリカ国内における本当のデモクラシーによって抑制されていないアメリカが、アメリカ以外の世界にとって、一体何を意味するのかということを理解して、 進んで政権に圧力をかけようとする、ヨーロッパ人や、他の国際的な人々を含め、あらゆる人々の援助を必要としている。

我々は歴史を学び、「もし、こうだったら」という考え方に直面する必要がある。今の方向で進み続ければ、様々な形で、異なる時期に「アメリカの終 焉」が私たちの身に降りかかるだろう。私たちは、皆それぞれが、異なる時点で、昔を思い返して、考えざるを得なくなるようになるだろう。「昔はああだった のに、今はこうなってしまった」と。

「立法、行政、司法の、あらゆる権力を同じ人物に集中すること …が、独裁の定義だ」とジェームズ・マジソンは書いた。我々は、まだ今なら、この破滅の道を進むのを止めるという選択が可能だ。我々の立場を守り、国民の ために闘い、建国者たちが我々に掲げ続けるよう願った旗を掲げるのだ。

簡単な10のステップで実現できるファシスト・アメリカ

記事原文url:www.guardian.co.uk/world/2007/apr/24/usa.comment

http://kurtnimmo.com/?p=843

この記事、当然、ナオミ・ウルフの新著"The END of AMERICA: Letter of Warning to a Yound Patriot"にゆきつきます。176ページ。Chelsea Green刊。New York Timesのベストセラー。$13.95 USD
Theendofamericanw とても小さな本で、大学二年までの教養過程の英語(=訳者)で読めるのでは?

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一年前の翻訳記事であるが、喜八ログ:改革新党「CHANGE」を予測する!、あるいは、植草一秀の『知られざる真実』を、拝読して、「簡単な10のステップで実現できるファシスト・日本」と読み替えておけば良かったと反省。

この『簡単な10のステップで実現できるファシスト・アメリカ』には、まず

1 国内と国外に、恐ろしい敵を作り上げる、で、「国家の安全に対する共産主義の脅威、というヒトラーの呪文のように」という言葉が でてくる。アルカイダ、北朝鮮。どちらも、アメリカが延命させている。北朝鮮の拉致が解決してしまえば、日本にミサイル防衛を押しつけたり、基地のみかじ め料を払わせられなくなる。どんなことをしてでも、解決したくないというのが、宗主国だろう。ええじゃないか白紙委任「政権交代」は、まさに「ファシズ ム」への「政権後退」となる可能性が高かろう。

3 暴漢カーストを育成する:これはもう一目瞭然。国家の庇護をえて跳梁跋扈する集団、街路に、聖地?に、満ちている。

また「7.主要人物を攻撃する」に公務員いじめも対策だと、書いてある。官僚主導という批判も同根だ。イラクではないが、国民の中で、内紛・内部ゲバを無理やりひきおこすのだろう。しかし、なにより、少数野党を攻撃する、ことこそが、二大政党を演出する勢力内での暗黙の了解だろう。マスコミでは少数野党の話題を扱わず、排除する。ラルフ・ネーダーが大統領選挙に出馬しても、泡沫候補にされてしまうのと原理は同じ。

そもそも、植草氏逮捕自体、この「7.主要人物を攻撃する」そのものだ。「8 マスコミを支配する」段階が完成してい るために、氏の側に立って発言するのは、もはや社会派ブログしかない状態になっている。(ただし、氏が、民主党絶対支持というのも実に不思議。彼の逮捕 も、反自民の雰囲気を作り出すための茶番に思えたりもする。全く不人気で、崩壊途上の自民党、というのも、エセ二大政党政権交代のための巧妙なシナリオに 思えてきた。)

植草氏のブログには、さらに色々と書かれている。

植草一秀の『知られざる真実』
諸悪の根源は本当に府職員か-政治の対立軸(3)-

一般公務員を標的に定めた「偽装CHANGE」勢力

中山元国交相の日教組攻撃発言、政党関係者のビラまき逮捕国家公務員ビラまき逮捕、プレカリアートや反G8デモ参加者逮捕など、この文章、簡単な10のステップで実現できるファシスト国家共通の「万能」シナリオのようだ。麻生首相の邸宅見学にいった人のうち、三人を逮捕したのは、5 市民団体に嫌がらせをする6.専断的な拘留を行うだろう。これも、植草氏の場合と同様「8 マスコミを支配する」段階がすっかり完成しているため、商業マスコミは一切報道せず、逮捕された方々の側に立って発言・援助するのは、もはや社会派ブログしかない状態になっている。

植草氏のブログが、丁度、麻生邸見 学者逮捕のタイミングで一時閉鎖された。その原因が、「毎日新聞記事を、植草氏が、不適切な引用をした」として、ブログ運営者に苦情を訴えたことにあった という。政治謀略の犠牲者を救済すべき新聞が、警察や、政権と一緒になって、弾圧する。ソフトなファシズムは、もう完成状態。

朝日の派遣村記事も、その一環。

最近(09年1月)の、渡辺喜美議員の自民党離脱についても、まさに、偽装チェンジだと、植草氏は指摘している。「自民離党の渡辺喜美氏をめぐる権謀術数

まことにごもっとも。ただし、小選挙区制では二大政党に収斂する、そこで、よりまし民主党にという論調はいただけない。

「悪い平和と、良い戦争などあったためしはない」が、小沢代表は、政権を握ったら、アフガニスタンのISAFに派兵すると明言している。阿呆でも、 漢字など読めなくても、(アフガニスタン等)よその国にでかけて人殺しをしない政権のほうがまだましだろう。(いや、すでにして、ソマリアに、似非二大政 党・超党派合意で、「海賊」攻撃にでかけるようだが。)

人を殺さない極貧暮らしのほうが、人を殺して、多少うまい飯を食べる暮らし、よりは、良いのではないかと思える。自民・公明連合、民主(と自民連立)どちらにころんでも、お先は真っ暗。これを、選択肢といえるのだろうか?

小泉911郵政選挙で、自民党圧勝を実現し、大政党以外選択の余地を(分かっていて)排除する、小選挙区制を推し進めた小沢元代表の罪は限りなく重い

それを知ってか、知らずか、飛んで火にいる夏の虫、犯罪的なマスコミ洗脳により、民主党に、圧倒的多数の「白紙委任状」議席を与えることで、日本再生の可能性はまもなく完全に消える。

民主党はマニフェスト通り、比例分議席を大幅削減し、少数野党を消滅させる。

そして、いよいよ、憲法破壊が実現する。少数野党が消滅したあとは、民主党と、自民党の合同など、いつだってできるだろう。

政権交代後、まもなく実現するのは、実質的野党なき政治、ただのファシズムだろう。それを、わくわくして待望しておられる多数のブロガーの皆様の論理・真理、全くわからない。自分の首をしめようとしている連中に大喝采してどうするのだろう?

関連記事翻訳:

大衆を国家に頼らせるべく、無辜の民間人、女性、子供を攻撃せよ<グラディオ作戦>2005年2月18日

アメリカ:一党独裁国家

2010/3/13追記:

植草氏、終始、「民主党」絶対支持的な発言をされているように見える。そこで植草氏のblogのリンクや、フォローはしていない。

「自民党より民主党がずっと良い」とはどうしても思えないので。

もちろん、「民主党より、自民党がずっと良い」などと思ったことは一度もない。最近の国会論議をみれば、「二大政党というのは、二大派閥で茶番を演 じて、貧乏人から税金と血をむしろうとしている制度」という偏見、強まるばかり。舛添氏と鳩山首相の、消費税(貧乏人課税)強化をすべき、という漫才に、 怒り心頭。金持ちから、しかるべく税金をとって、「なおかつ、たらない」となったら、甘んじて受けよう。

「企業減税を進めないと、企業が出て行ってしまうから、消費税をあげましょう」と、民主党・自民党のボケ、突っ込みで、テレビ放送する悪辣さ。

もっとも、その後の自民党、世耕議員のとんでもない「郵政民営化の逆行非難」プロパガンダに、亀井大臣の素晴らしい逆襲は感動もの。古くは「鞍馬天 狗」、現代なら(大嫌いだが)「水戸黄門」のような、快刀乱麻だった。無様な世耕議員の表情、youtubeで見られないのだろうか。

2011/6/15追記:

コンピューター監視法案、「4 国内監視制度を作り上げる」そのもの。この属国、「まともな国」としては、もうとっくに終わっているのだろう。国歌はゾンビー歌、国旗はゾンビー旗。

2013/8/5追記:

2007/8/26に掲載した記事。今のご時世、益々この内容そのままになってきている。

2010/3/13追記に書いた「植草氏の民主党支持」に関する部分は、現時点では大幅書き換えが必要だ。植草氏、もはや民主党を支持しておられない。植草氏には大変申し訳ないが、とりえあず、小生の過去の記事そのまま残しておく。

麻 生副総理、とうとう正体を表した。彼等自民党・公明党・みんな・維新・民主等の実態はナチスとかわらない。ナチスはドイツ支配層の意向で動いたのに対し、 彼等は主として宗主国支配層の意向を汲んで政治を行なうところは多少違っている。いくら茹でガエルとはいえ、自分の国の兵士を、宗主国の侵略戦争の先兵と して提供する為の9条破壊が、日本国民の大多数の願いのはずはあるまい。一方、宗主国ジャパン・ハンドラーの皆様、何度となく、9条廃止を指示してきた。 大本営広報部が報じなくとも、彼らは、何恥じることなく、そうした発言・文書を公式に繰り返している。

東京新聞2013年7月31日 朝刊記事をそのままコピーさせていただこう。

あの手口を学んだらどうか 麻生氏の発言要旨

 麻生太郎副総理兼財務相の二十九日の講演における発言要旨は次の通り。

 日本が今置かれている国際情勢は、憲法ができたころとはまったく違う。護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ。改憲の目的は国家の安定と安 寧だ。改憲は単なる手段だ。騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、われわれを取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げ られるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。

 ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法(の下)で出てきた。憲法が良くてもそういったことはありうる。

 憲法の話を狂騒の中でやってほしくない。靖国神社の話にしても静かに参拝すべきだ。国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かにお参りすればいい。何も戦争に負けた日だけに行くことはない。

 「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。僕は民主主義を否定するつもりもまったくない。しかし、けん騒の中で決めないでほしい。

正面から議論をせずに、こっそり、同じ効果を得る作戦、まさに着々進行中。

郵政を守ろうとした大蔵省出身の坂篤郎社長を退任させ、超従米派西室泰三氏を社長につけた瞬間、アヒルががん保険を丸ごとさらっていった。郵政はアヒルの手先におとしめられた。

もし、宗主国支配層に、わずかでも良心があれば、欠陥商品の原発を夢の商品の様に売りつけ、ライセンスと核燃料で大儲けしておいて、大事故になればなったで、今後激増する癌にたいする保険で儲けることなどできまい。

原発建設で儲けた業者が、有効なわけもない「除染」で儲けるのと、うり二つの構造。「穴を掘って、穴を埋める」ことで経済は回るだろう。

もちろん、支配者に良心は皆無。利益増大こそ支配哲学。この手法の延長で、日本の医療は壊滅するだろう。

法制局長官を更迭し、「集団的自衛権」に前向きなフランス大使を内閣法制局長官にしたことが、まさに彼のいう「あの手口」。もちろん、大本営広報部は、そのあやしさについては絶対に触れない。

大騒ぎで改憲議論をせずとも、静かに、宗主国が要求する「日本軍の鉄砲玉化」は実現する。

2013年までの靖国と、それ以降の靖国、祀られる戦没者が従軍する戦争が全く逆のものになることは確実だ。

アメリカ、イギリスに対して戦って亡くなった戦没者に加え、まさにその相手国、アメリカの侵略戦争に、「集団的自衛権」という名前で鉄砲玉に駆り出される戦没者が祀られることになる。双方の魂、平和共存されるのだろうか?国体護持という同じ精神で、ここに祀られると、握手するのだろうか?

国民を宗主国の鉄砲玉化に勤しんでいる売国奴集団の敗戦記念日参拝を、戦没者の魂、一体どう受け止められるだろう?

2013年7月 7日 (日)

2011年: すばらしい新暗黒郷

2010年12月27日

Chris Hedges

未来の暗黒郷の二大構想と言えば、ジョージ・オーウェルの『1984年』とオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』だ。大企業による全体主義への我々の転落を見つめていた人々の間の論争は、どちらが正しいかということだった。我々は、オーウェルが書いているように、粗野で暴力的な支配方式を用いる圧政的な監視・治安国家によって支配されているのだろうか? それとも我々は、ハクスリーが想像したように、娯楽と見世物に酔い、技術のとりこになり、浪費に魅せられて、我々自身が抑圧されるのを受け入れるのだろうか? 結局、オーウェルも、ハクスリーも正しかったのだ。ハクスリーは我々の隷属化の第一段階を見ていた。オーウェルは第二段階を見ていたのだ。

ハクスリーが予見したように、肉体的な喜び、安物の大量生産商品、無限の掛売り、政治芝居や娯楽に、魅せられ、操作されて、大企業支配の国家によって、我々はじわじわと無力化されつつある。我々が楽しまされている間に、略奪的な大企業権力を抑制していた規制は撤廃され、かつて我々を守ってくれた法律は書き換えられ、我々は貧窮化した。貸付限度額は枯渇しつつあり、労働者階級にとって良い仕事は永遠に消え去り、大量生産される商品には手が届かず、我々は『すばらしい新世界』から『1984年』へと移動させられていることに気づいている。巨額の赤字や果てしない戦争や、大企業の背任行為によって機能を損なわれた国家は、破産に向かって滑り落ちつつある。ハクスリーの触覚映画や、オージー・ポージー(乱交最高)や遠心バンブル・パピー・ゲームから、ビッグ・ブラザーが引き継ぐ時が来たのだ。我々は、嘘と幻想で巧妙に操作される社会から、あからさまに支配される社会へと移動しつつあるのだ。

オーウェルは、ニール・ポストマンが書いている通り、本が禁止された世界について警告した。ハクスリーはポストマンが書いている通り、誰も本を読もうとしない世界について警告した。オーウェルは永久戦争と恐怖の国家について警告した。ハクスリーは、頭を使う必要のない娯楽で気をそらさせられる文化について警告した。オーウェルは、あらゆる会話や思考が監視され、反対意見は過酷に懲罰される状態を警告した。ハクスリーは、国民が些事とゴシップに気を取られ、真実や情報など全く気にしないような状態を警告した。オーウェルは、人は脅されて、服従するのだと見ていた。ハクスリーは、人は誘惑されて、服従するのだと見ていた。だがハクスリーは単にオーウェルへの序曲に過ぎないということに我々は気づきつつある。ハクスリーは、我々が自らの隷属化に加担する過程を理解していた。オーウェルは隷属状態を理解していた。大企業によるクーデターが完遂されてしまった今、我々は裸で無防備のままだ。カール・マルクスが理解していたように、束縛もなく、規制もされない資本主義は、人類や自然界を枯渇、あるいは崩壊するまで搾取する、残虐で革命的な勢力であることを、我々は今理解し始めている。

“党は、ただそれ自体の為に、権力を求めるのだ”オーウェルは『1984年』の中で書いている。“我々は他の良いものには興味がない。我々は権力にのみ関心がある。富や贅沢や長寿や幸福ではない。権力のみ、純粋な権力だ。純粋な権力を、皆まもなく理解するだろう。我々は自分が何をしているのか分かっているという点で、我々は過去のあらゆる小数独裁政治家集団とは異なっている。他の連中は全て、我々に似ていた連中でさえも、臆病者で偽善者だった。ドイツのナチスとロシアの共産主義者は、手法上、我々に非常に近いところまで来たが、連中には自分自身の動機を認める勇気が欠如していた。彼等は自分たちは嫌々ながら、しかも限定された期間だけ、権力を握ったのであり、しかも、すぐ間近に、人類が自由で平等になる天国があるというふりをし、恐らくは信じてすらいた。我々は違う。手放すつもりで、権力を握ったものなどいなかったことを我々は知っている。権力は手段ではない。それが目的なのだ。革命を守るために、独裁制を確立する者などいない。革命をするのは、独裁制を確立する為だ。迫害の目的は迫害だ。拷問の目的は拷問だ。権力の目的は権力だ。”

政治哲学者のシェルドン・ウォーリンは、その著書『Democracy Incorporated』の中で、アメリカの政治制度を表現するのに“逆さまの全体主義”という用語を使っている。これはハクスリーになら通じただろう用語だ。逆さまの全体主義においては、大企業による支配という高度な技術、かつての全体主義国家が利用したものを遥かに凌駕する脅しと大衆操作は、消費者社会のきらめきや雑音や潤沢さによって、効果的に隠蔽されている。政治参加や市民的自由は次第に屈従させられる。広告代理店や、娯楽産業や、消費社会の安っぽい物欲中心主義の煙幕の背後に隠れた法人国家は、我々を徹底的に貪り食う。連中は国民にも国家にも忠誠を誓うわけではない。我々の死骸が連中の御馳走だ。

法人国家は、扇動政治家やカリスマ的な指導者という形で現われるわけではない。企業の匿名性と正体の不明さが特徴だ。バラク・オバマの様に魅力的な代弁者を雇う大企業が、科学、技術、教育やマスコミの利用を支配する。彼等が、映画やテレビが伝えるものごとを支配している。そして『すばらしい新世界』でのように、彼らは専制を強化するために、こうした通信手段を利用する。アメリカのマスコミ制度は、ウォーリンが書いているように、“資格や、あいまいさや、対話を持ち出すあらゆるもの、彼等が作り出すものや、その全体的印象の総体的な力を弱体化させたり、複雑化させたりしかねないあらゆるものを遮断し、抹殺する。”

その結果が、味気ないモノクロの情報体制だ。ジャーナリストや専門家になりすました有名太鼓持ち連中が、我々の問題を特定してくれ、様々な要因を根気よく説明してくれる。押しつけられた要因以外のことを論じる人々は、悉く見当違いの変わり者、過激派、あるいは左翼過激派の一員として片づけられてしまう。ラルフ・ネーダーからノーム・チョムスキーにいたる、先見の明ある社会評論家は追放されている。容認できる意見は、AからBまでの範囲内のもののみだ。こうした大企業の太鼓持ち連中が指導する文化は、ハクスリーが書いたように、陽気な画一世界の、果てしの無い、最終的には致命的な、楽観主義となる。私たちの暮らしを変えてくれたり、より美しくしてくれたり、より自信を持てるようにしてくれたり、より成功できるようにしたりすると約束してくれる商品を買うのに忙殺される一方、我々は権利も金も影響力も着実に剥奪される。毎夜のニュース番組であれ、“オプラ”のような対談番組であれ、こうしたマスコミ体制から我々が受けるご託宣は、より明るく、より幸せな明日への期待だ。そしてこれは、ウォーリンが指摘している通り、“大企業幹部連中に、常に陽気な顔で、利益を誇張し、損失を隠させるのと全く同じイデオロギーだ。”ウォーリンが書いているように、“個人の勇気、永遠の若さ、整形手術による美、ナノ秒で計られる行動といった、精巧な夢想を推奨する“絶え間ない技術的進歩”によって、我々は有頂天にされている。絶え間なく拡張する支配と可能性という夢で一杯の文化では、住民の圧倒的多数の人々には、想像力はあっても、ほとんど科学的な知識がない為、夢想を抱きがちになる。”

アメリカの製造基盤は解体されてしまった。山師と詐欺師連中がアメリカ財務省を略奪し、退職時や大学の為にお金をとっておいた小口株主から何十億ドルも盗み取った。人身保護令状や令状無しの盗聴からの保護を含む市民的自由は奪い去られてしまった。公教育や医療を含め基本的な社会サービスは、利益の為に搾取すべく、大企業に引き渡されてしまった。反対意見の声をあげるごく少数の人々、大企業が振りまく明るい話題に参加するのを拒否する人々は、大企業支配層によって、変人として愚弄される。

ハクスリーによる『すばらしい新世界』の従順な登場人物達と同様、人々の意識や気性は法人国家によって巧みに調整されている。小説の主人公バーナード・マルクスは、いらいらして、ガールフレンドのレーニナに言う。

“君は自由になれたらと思わないか、レーニナ?”と彼は尋ねる。

“言っていることがわからない。私は自由で、最高に素晴らしい時間を自由に過ごせる。今は皆が幸福なの。”

彼は笑った。“そう、‘今は皆が幸福だ。’子供達は五歳の時からそう教えられる。だけど、何か違う形で自由になりたいとは思わないかい、レーニナ? 例えば、皆と同じ風にではなく、自分だけのやり方で。”

“言っていることがわからない”彼女は繰り返した。

うわべは崩れ落ちつつある。益々多くの人々が、自分たちが利用され強奪されていることに気がつくにつれ、ハクスリーの『すばらしい新世界』から、オーウェルの『1984年』へと、素早く移行しつつあるのだ。人々はいつか、極めて不愉快な真実に直面することを強いられるだろう。給料の良い仕事は二度と戻らない。人類史上、最大の赤字で、社会保障を含め、国民の社会的保護という最後の痕跡を根絶させるため、法人国家によって使われる「借金返済ただ働き制度」に我々は追い込まれる。国家は、資本主義デモクラシーから、新封建主義へと移行した。そして、これらの真実がはっきりと見えるようになった際には、怒りは、大企業に押しつけられた陽気な服従で置き換えられる。脱工業化後のアメリカ人の懐具合は荒涼たるもので、およそ4000万人のアメリカ人が貧困状態で生活しており、何千万人もが、“貧困線付近”と呼ばれる範疇にあり、差し押さえや、銀行による担保差し押さえや、医療費による破産から家族を救う為の貸付限度額の欠如と相まって、逆さまの全体主義は、もはや機能しないことを意味している。

我々は、次第にハクスリーの世界国家ではなく、オーウェルのオセアニアで暮らすようになっている。オサマ・ビン・ラディンは、エマニュエル・ゴールドスタインが『1984年』の中で担った役割を演じている。小説中で、ゴールドスタインはテロの代表役だ。彼の邪悪な策謀や秘密の暴挙が、晩のニュースを独占する。ゴールドスタインの姿は“二分間憎悪”という毎日、国家によって行われる儀式の一部として、毎日オセアニアのテレビ画面に登場する。国家の介入がなければ、ゴールドスタインはビン・ラデン同様、あなた方を殺すのだ。悪の権化との巨大な戦いにおいては、あらゆる過剰が正当化される。

いかなる犯罪で有罪となることもなしに、7ヶ月も拘置されているブラッドリー・マニング一等兵の心理的拷問は、『1984年』の最後で、反体制派のウインストン・スミスをくずおれさせる様子を反映している。マニングは、バージニア州クアンティコにある海兵隊基地の営倉で、“最大監視下の抑留者”として拘留されている。彼は24時間中23時間を孤独で過ごしている。彼は運動も許されていない。彼はベッドで、枕もシーツも使えない。軍医は彼に抗鬱剤を無理やり飲ませている。ゲシュタポの、より粗雑な拷問の手口は、マニングのような反体制派を植物人間に変えるべく、主に政府の心理学者達が開発した洗練されたオーウェル風テクニックによって置き換えられている。我々は、体のみならず、魂も破壊されるのだ。テクニックは一層効果的になっている。今や我々全員が、従順かつ無害にすべく、オーウェルの小説中にある、恐ろしい101号室に送り込まれかねない。こうした“特別行政措置”は、裁判を受けるまで三年も同様な状態の下で拘置されていたサイード・ファハド・ハシミを含め、アメリカの反体制活動家達に対して、決まった様に適用されている。このテクニックが、世界中にあるアメリカの秘密軍事施設で、何千人もの抑留者を心理的に破壊してしまった。このテクニックは、法人国家がアメリカで最も政治的に明敏な底辺層、アフリカ系アメリカ人を攻撃する、アメリカ秘密監獄における支配の定番だ。こうしたもの全てが、ハクスリーからオーウェルへの移行の前兆だ。

“お前は二度と普通の人間の感情を持てなくなる”『1984年』の中でウインストン・スミスを拷問をする連中は彼に言う。“お前の中では全てが死ぬ。お前には二度と、愛することも、友情も、生きる喜びも、笑いも、好奇心も、勇気も人格も味わえない。お前は空っぽになる。我々がお前を空っぽに絞りきってやる。それから、お前を我々で満たしてやる。”

首つり縄は締まりつつある。娯楽の時代は、弾圧の時代によって置き換えられつつある。何千万人もの国民が電子メールや電話の記録を政府に引き渡されている。人類史上、我々は最も監視され、スパイされている国民だ。アメリカ国民の多くは、その日常茶飯事を多数の監視カメラによって撮影されている。我々の嗜好や習慣はインターネット上で記録されている。我々のプロフィールは電子的に生成されている。空港で体はボディーチェックされ、スキャナーによって撮影される。公共広告、車検スティッカーや公共交通機関のポスターは不審な行動を報告するよう絶えず要求している。敵はいたるところにいる。

オーウェルが書いているように、終わりのない戦争である対テロ戦争の命令に従わない連中は、容赦なく沈黙させられる。ピッツバーグやトロントで、反G-20抗議集会の勢いをそぐために用いられた過酷な治安対策は、街頭活動のレベルに全く釣り合わないものだった。だが支配者側は明確なメッセージを送ったのだ。こういうことをするな。FBIが、反戦、パレスチナ人活動家達を標的として、9月末にミネアポリスやシカゴで、調査官達が活動家の自宅を急襲したのは、国家の公式ニュースピークに、あえて盾突く全ての連中に今後起きることの前触れだ。調査官、つまりアメリカ版思想警察は、電話、コンピューター、文書や他の私物を没収した。大陪審に出頭せよという呼出状は、以来26人に発行された。呼出状は、物質的な支援あるいは資源を、指定された外国のテロ組織に提供することを”禁じる連邦法に言及している。テロは、テロとは何の関係もない人々にとってさえ、我々を我々自身から守るためにビッグ・ブラザーが利用するあからさまな道具となる。

“これで、どのような世界を我々が作りつつあるのか、お前もわかり始めたか?”オーウェルは書いている。“かつての改革論者達が想像した愚劣で快楽的なユートピアとは正反対だ。恐怖と裏切りと拷問の世界だ、踏みつぶし、踏みつぶされる世界だ。洗練されるに従って、残酷さが減るのではなく、残酷さが増す世界だ。”

Chris Hedgesはネーション・インスティテュート上級研究員。彼の新著に“Death of the Liberal Class”がある。

記事原文のurl:

www.truthdig.com/report/item/2011_a_brave_new_dystopia_20101227//
www.truthdig.com/report/page2/2011_a_brave_new_dystopia_20101227/

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なぜか翻訳せずにいた古い記事に気がついた。今のご時世に相応しそうだ。
オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』、新訳文庫本が、おりしも6月20日に発売された。小生が読んだのは別翻訳の『すばらしい新世界』。

何度も繰り返すが、是非(『1Q84』ではなく)『1984年』と『すばらしい新世界』をお読みねがいたい。

題名がよく似た『1Q84』については、読んでいないので内容は知らないが、記事で触れられている事をテーマとする作品とは考えられず、この記事の意味、ご理解頂けまいと懸念する。

法人国家は、扇動政治家やカリスマ的な指導者という形で現われるわけではない。企業の匿名性と正体の不明さが特徴だ。某ジュニア等の様に魅力的な代弁者を雇う宗主国支配層・大企業が、科学、技術、教育やマスコミの利用を支配する。彼等が、映画やテレビが伝えるものごとを支配している。そして『すばらしい新世界』でのように、彼らは専制を強化するために、こうした通信手段を利用する。日本のマスコミ制度は、ウォーリンが書いているように、“資格や、あいまいさや、対話を持ち出すあらゆるもの、彼等が作り出すものや、その全体的印象の総合力を弱体化させたり、複雑化させたりしかねない、あらゆるものを遮断し、抹殺する。”

そういう具合で、原発廃止、TPP脱退、壊憲は、体制護持機構「マスコミ」が扱う争点からは完全に排除され、アホノミックスの是非に矮小化される。

「ねじれ解消」など、決してあってはならないが、売国大本営広報部は、その解消つまり売国政権の暴走を推進する。

『真実を探すブログ』にもその前兆が記されている。メタボ・オヤジの妄想ではない。

【これは酷い】自民党の言論弾圧は色々な場所で行われていた!安倍首相の演説中に『自民党TPP阻止』のポスターを掲げると自民党SPに囲まれ、追い出される! new!!

記事の一部を引用させていただこう。

自民党は本気で言論を管理しようとしています。例えば、自民党が提出した「児童ポルノ禁止法改正案」なんかはそのための典型的な法律です。児童ポルノ改正案では孫の写真だろうが本人の写真だろうが関係なく、18歳未満に見える画像はすべて麻薬や鉄砲と同じように規制出来るというような内容になっています。
漫画やアニメも3年後を目処に児童ポルノ改正案の対象にする予定ですし、これが自民党が目指している「美しい国」の正体なのです。

他にもTPP参加、ネット履歴保存義務化、マイナンバー制度などなど、自民党は個人の思想と行動を完全にコントロールすることを目的としている法案を準備しています。

言論弾圧集団に進んで投票するわが同級生諸氏も言論弾圧の支持者。今後は飲み会のお誘いがきても参加しない。同席するだけでもつらい。新聞の『元気のひけつ』に、お酒の量を減らす主な対処 法という14項目があった。

  • お酒を飲み過ぎてしまう相手と場所と状況をさける
  • 飲み会の誘いへの断り方を上達させる

最初の二項目をそのまま適用したいが、「売国奴とは飲みたくない」と本音をいって断るのも配慮にかけそうだ。「上達」はなかなか難しい。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。と上野展示が終わったばかりの「漱石の美術世界展」にちなんで引用しておこう。(静岡県立美術館ではこれから)

2011年4月12日 (火)

全ての原子力発電所が脆弱なのだろうか?-大惨事は、いつも想定外

Washinton's Blog

2011年4月8日

大惨事が起きる度に、責任を追うべき連中は、責任逃れをするため、それは"想定外"だったと主張する。

例えば:

経費を削減して、とてつもない危険を冒せば、大儲けができるので、大企業は私たちの命や暮らしを賭けにしているのだ。必然的に事態が失敗した際には、連中(軽くお叱りを受ける以外は)責任を問われず、政府に救済さえしてもらえる。

全ての原子力発電所が脆弱なのだろうか?

地震で主電源が破壊され、更に津波で非常用ディーゼル発電機を破壊された為に、福島第一原子力発電所の多くの原子炉は大変なことになっている。

もちろん他の多くの原子炉も地震活動地域に建てられている。だが、それは小生が言いたいことではない。

NASAの科学者達は、太陽フレアが、世界中の多くの国で、恐らく何ヶ月も、大半の配電網を機能停止させるだろうと予想している。これこれこれこれこれこれ、そして、これをご覧いただきたい。

事実、地球の磁場が、太陽の最も猛烈な放射能から、我々を保護してくれているのだが、磁場は時とともに変動するのだ。テレグラフ紙は、2008年、こう報じている

太陽の放射線から地球を守っている磁場に大穴 ... 最近の衛星からの観測で、太陽の凶暴な爆発のほとんどから地球を守っている磁場に、これまで見られたものの中で最大の穴が見つかっている。

小生、マヤ神話の2012年人類滅亡説のような予言をしているわけではない。小生は単に、NASAが予想しているような巨大な太陽フレアが、特に万が一地球の磁場が、その時点でたまたま弱くなっていた場合、世界の大半の地域で電気を喪失させかねないと警告しているのに過ぎない。

万一、原発の電力と、それをとりまく現代インフラの大半が喪失したら、世界中の原子力発電所は一体どうなるのだろう?

原子力発電をしている電力会社は、経費を削減については、偉くしみったれていることで悪名が高い。もしも連中が、想定されている太陽フレアから守れるようにする為に、電機部品を強化しそこねれば、自業自得となる... 恐らく、福島原発災害がちっぽけに見える規模で。なぜなら、福島原発災害は、同じ発電所内の複数原子炉で事故が起きている初の原発事故だが、巨大な太陽風は、無数の国々、複数の発電所で、事故をひき起こしかねないからだ。

もしも、原子力発電企業と政府がコスト削減を続け、大きな賭けに出た場合、次の原発事故と比べれば、福島原発災害も、おだやかに見えるだろう。

これが2012年や2013年に起きる、と小生言っているわけではない(どうやらNASAは、それを示唆しているもののようだが)。だが地球上の広い範囲で配電網を停止してしまう、巨大な太陽フレアは、将来のある時点で起きるのだ。

それは想定外だなどと、とぼけてはいけない。太陽フレアが原因の電源喪失による広範なメルトダウンを防止するのに必要な、比較的わずかな額の費用を必ず使うように、原子力発電業界は警告を受けているのだから。

注: 次世代の原子炉は、恐らくは、より低い温度で稼働するだろうし、使用済み燃料棒を、もっと安全な方法で保管するだろう。

しかし、現行の原子炉の大半は、福島の原子炉同様、時代遅れの設計なので、冷却装置を運用するには電気が不可欠で、莫大な量の使用済み放射性燃料が現場で保管されており、放射性物質の放出を防ぐために、継続的冷却が必要なのだ。

Washington's Blog

記事原文のurl:georgewashington2.blogspot.com/2011/04/when-this-happens-every-nuclear-power.html

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異常な勇敢な都民の皆様が、おかしな豪胆な知事を選んで下さったので、広瀬隆氏の本の題名『東京へ原発を!』や、映画『東京原発』のように、原発の東京誘致、やっと実現するのかも知れない。オリンピックは(観光客も留学生も)永遠に招致できなくなったが。ダイジョブダー!招致できれば何でもエエジャナイカ :-)

「日本観光に来るお客様も激減するのだから、お台場でも都庁でも、都内であれば、場所はどこでもいいだろう。なにしろ、今回の東日本震災で、原発は絶対に安全なことが完全に証明されたのだから迷うことはない。」と考える、特攻精神をお持ち都民の皆様が多数おられるのだ。放射性物質を含んだ神風も吹いてくれるので、今度ばかりは、アメリカ様も上陸・支配ができないかも知れない。

寓話「王様を欲しがった蛙」、現在を予言していたのかも知れない。

池に住む蛙が、「王様が欲しい」、と神様に要求した。
神様、最初に、丸太ん棒を投げ込んでくれた。
デクの坊に、蛙はあきたらない。
「もっと強い王様が欲しい。」と蛙は要求する。
神様は、次に、コウノトリを送り込んでくれた。
蛙は全員食べられてしまったとさ。

より正確には、「王様を欲しがった、外部・体内被曝を受けつつある茹で蛙」と表記すべきだろうか。こういう蛙につける薬はない。哲学者佐々木中氏もおっしゃっている。

私たちはゲーム盤をひっくり返すこともできる。それを初めから排除しているのは人間ではない。家畜です。(蛙かも知れない?)

もちろん、有権者皆様の民度が充分に高くとも、制度的に、選挙が歪曲されていて、とんでもない結果がでる側面も、無視してはなるまい。きちんとした分析もある。過半数獲得の「大阪維新の会」は民主的な選挙制度なら半数に届かなかった!

一方、脱原発デモは、これまでにない規模で、あちこちで行われている。日本には、そうした多数の方々がおられるのは嬉しいことだ。やがて、60年安保を越える国民運動となることを夢想している。

福島原発災害、「想定通り」、選挙が終えたら、レベル7になった。やがて福島が追い越すだろうが、当面は本家のチェルノブイリ、一体どういう具合だったのか知りたくて関連する本を読んでいる。

  • 小説『チェルノブイリ』フレデリック・ポール 87刊 翻訳は1989年
  • チェルノブイリ -アメリカ人医師の体験 上・下 岩波新書 1988年
  • チェルノブイリ 最後の警告 高木仁三郎 七つ森書館 1986年
  • チェルノブイリ極秘 アラ・ヤロシンスカヤ 92刊 翻訳は1994
  • チェルノブイリの遺産 ジョレス・メドベージェフ 90刊 翻訳は1992
  • われらチェルノブイリの虜囚 高木仁三郎他 三一新書 1987年
  • 原発事故の起きる日 緊急避難はできるのだろうか 技術と人間 92年

読書は、御用学者怪説を垂れ流すテレビより頭に良かろう。しかもACが諭して下さる通り、電気を使わずにすむ。一石二鳥。

Fpchernobylcov

小説『チェルノブイリ』、英語原本が発売された年、ニューヨークの書店でみかけて購入、大いに感動した。それまでSF本はほとんど読まなかったが、彼の本、続けて何冊か読んだ。例えば『ゲートウエイ』

原発事故発生の様子、責任感をもって事故処理作業に従事する人々(リクビダートル)、急性障害に苦しみ亡くなる人々、関係者家族の愛、集団避難の苦労、ユダヤ人問題、関係者への責任の押しつけ、ペレストロイカの状況、地検特捜部を連想させる、KGBの熾烈な尋問・家宅捜索、アフガニスタン侵略と麻薬等々、当時のロシアの状況を巧みに盛り込んだ傑作だ。英語原書も絶版のようだが、講談社文庫は復刊を期待したいもの。

再読して、今の日本社会、ロシアのペレストロイカ時代以下の状況だと痛感する。それでも、宗主国と属国政府には、ネットが何とも目障り。それで、いよいよコンピュータ監視法が導入される。深刻な原発災害の最中、喜んで、元々原発を推進してきた自民党や、推進中の民主党や、自民党からの核分裂政党に投票する皆様が大多数の国、コンピュータ監視法など簡単に成立する。夢のファシスト国家、完成だ。これで日本のネットも終わり。当ブログのようなたわごとサイト、直ちに閉鎖・削除されるだろう。日本に本当に必要なのは、「コンピュータ監視法」ではなく、グラスノスチ、ペレストロイカなのだが。(もちろん、本格的野党なる官僚的政党の幹部、機構、党員も含めて。)

ロシア語を解する知人にも目を通してもらったところ、翻訳者の方、英語がご専門のようで「固有名詞等ロシア語部分は、原発音と離れていて、本書のカタカナの多くは、ロシア人に言っても通じない可能性が高い」そうで残念。

例えば、主人公のひとりの息子、「パイオニア」だというのだが、ロシアの子供の活動で有名なのは「ピオネール」(同じ単語だが、発音が違うそうだ。)

しかし、それは些細なことだ。ロシア語学習でなく、チェルノブイリ災害の概要を理解するには、最適の本かも知れないと素人は思う。

原発事故のおかげで、農業(漁業も)が大変な被害を受けている状況、小説『チェルノブイリ』でも、描かれている。電気は、現場での使用の為に発電されるわけではなく、宗主国の都会に送られる。災害で、肥沃な穀倉地帯が壊滅し、集団避難を強いられる。

『チェルノブイリ -アメリカ人医師の体験』 下(岩波新書)から、直接チェルノブイリには関係ないが、事故・サボタージュがいかに起きやすいかという例を引用しておこう。164-165ページ。

要するに、事故は発生するものだ。だからこそ、原子力産業界は、原子力事故から生ずる賠償金支払い義務を軽減することを目的とした法律の制定を、強く求めつづけている。さらに、偶然の事故以外にも、原子炉にねらいをつけたテロやサボタージュが発生する可能性がある。

米国における原子力をめぐるサボタージュの典型的な例は、一九六一年アイダホ州アーコにあった米原子力委員会の原子炉実験所であったものであった。三人の技師が午後四時から一二時までの勤務についていた。原子炉は停止されており、技師たちは、制御棒を四インチ二○センチ)引き上げようとしていた。この程度だと、整備のうちある種のものは実施するのに充分だが、それによって原子炉が始動するようなことはない。ところが、技師の一人がなんと制御棒を完全に引き抜いてしまった。
連鎖反応が起き、出力が異常に急増し、原子炉は爆発した。三人の技師は爆発によって死亡したが、そのうちの一人は制御棒で鼠践(そけい)部を突き刺され、そのあと吹き飛ばされて天井に張りつけになってしまった。それから一〇年後、原子力委員会は、「この事故は……殺人と自殺を決意していた技師が故意に引き起こしたものであったことが、今日では知られている」と、覚書に述べている。この事故を引き起こした技師は、当時明らかに気も狂わんばかりの状態にあったが、その理由は妻が事故当時、一緒に勤務していた技師の一人と不倫の関係にあると思いこんでいたからであったという。

『チェルノブイリ極秘』(平凡社)の解説を書いておられるのは、御用学者でなく、東京電力から金をもらわず、茶坊主教授連中から冷や飯を喰わされる学究生活を送り、今や諸氏の誠実な発言で有名となった京都大学原子炉実験所の反骨学者のお一人、今中哲二氏

訳者の和田あき子氏(歌手ではない。念の為)、訳者あとがきで書いておられる。太字加工は、当方によるもの。

本書を訳しながら、私が絶えず思ったことは、ヤロシンスカヤはそれをソ連社会主義システムの犯罪として弾劾してやまないけれども、もしチェルノブイリ規模の原発事故が、ソ連以外の国で起こったとき、はたしてすべての情報が国民に公開されることがあるだろうか、ということであった。四六基の原発が稼働している国に生きる者として、原発を認める者も、認めない者も、本書からいろいろ考えてほしいと願っている。私はチェルノブイリ事故の被災地を訪れたことがあり、昨年夏には地域の女性たちと、六人のチェルノブイリの子どもを保養に招いて、ともに暮らした。そうした経験から痛感したことは、これ以上こうした悲しみの土地を増やしてはならない、こうした子どもたちをこれ以上増やしてはならないということであった。廃村の昼下がりの静寂は、消しがたい印象を私の中に残した。その村にも、無断で戻って暮らしていた老女がおり、人の気配を感じて通りに出てきて、つらい心の内をしきりに訴えていた。私には今も、あの光景や老婆の涙が、とても八〇〇〇キロも離れた異国のことだったとは感じられないのである。

私には今、あの光景や老婆の涙が、八〇〇〇キロも離れたこの国のことになったと感じられる。

そして、これから必読書となりそうな本『原発事故の起きる日』は、アメリカ(スリーマイル原発)、カナダ(ピカリング原発)、そして日本(具体的には、北海道泊原発の原子力防災対策のしおり)の緊急避難計画を比較している。日本のもの実にお粗末。本書刊行から18年経った現在も、おそらく、これ以上の計画、当局にないのだろう。それが、御用学者・大本営広報部総動員の、「漸進的エスカレーション」発表の理由なのではなかろうか。何かでっちあげるまでの時間稼ぎ。トイレのないマンション、避難ハシゴもなかったのだ!

Genpatsujikonookiruhi

詳細は、本書(2000円+税)をお読み頂きたいが、第1章、「アメリカでの緊急避難計画と日本」には、日本は、無策に等しい現状とある。20ページから、一部引用させていただこう。こうした貧弱な準備が、室内退避やら自主避難という、お粗末な方策をもたらしているのだろう。そして、この彌縫策、今後も永久に変わるまい。権力は、要求されない限り、何一つ譲歩しない

避難ルートに関する住民への指示もなく、日本では一〇キロメートル圏の外について、一体何が検討され、準備されるのか、いっさいわからない。この避難先の準備の検討を欠いている点が第四の問題点である。原子力災害に遭ってしまった人たちが本人自身の苦しみのうえに、周囲から疎外され、時には迫害されるということについては、われわれの社会は経験を持っているはずである。
旧ソ連においても、同様なことが発生していることも報道されている。たんなる被災者に対する物質的救援だけでは、問題の解決にはならない。まして、現行の原子力防災計画では、物質的な救援さえも具体化されていない。現実は無策に等しいのではないだろうか。
このような原子力防災の日本での現実をもたらした原因が、国による拙速としか言いようがない原子力開発にあり、そのための強引な原子力関係の法体系にあるということは明らかであり、この点への議論の集中が緊急課題である。

9/11、アメリカの終わりの始まりだったろう。内部の工作であろうとなかろうと。

「3/11、日本の終わりの始まりだった」と、後世、世界の歴史教科書に書かれることになりそうだ。

戦時には、学童・傷病兵の疎開があった。敗戦後、彼らは故郷に帰れたろう。今回の疎開、チェルノブイリに継ぐ、世界史的デイアスポラになってしまうのだろうか?

イギリスの友人から、必要ならば、家族ぐるみの疎開を受け入れるというメールを、たった今頂いた。

2010年11月25日 (木)

チャルマーズ・ジョンソン氏の冥福をお祈りする

"チャルマーズ・ジョンソン氏が亡くなった。スティーヴ・クレマンズは、ワシントン・ノートに、彼への長い賛辞を書いている。アメリカ帝国に対する優れた評論家になる前に、彼には長い経歴があるが、彼が私の世代の人々に良く知られているのは、この批判ゆえにだ。彼と彼の主張は惜しまれよう。" ダニエル・ラリソン

"現在のアメリカ合州国は、北米で最も見事な滝の上流、ナイアガラ河を行く観光船のようなものだ" とジョンソンは警告した。"乗客のごくわずかの人々には背景のわずかなシューという音が聞こえ始め、メガネが、空中のかすかなもやで曇るのが見え、河の流れが多少速くなったのに気がついている。だが岸に向かうには、もう余りに遅すぎることには、誰も気がついていないようだ。中国、オスマン帝国、ハプスブルグ帝国、ドイツ帝国、ナチス、大日本帝国、イギリス、フランス、オランダ、ポルトガルや、前世紀のソ連帝国同様、我々は巨大な滝の淵に近づきつつあり、まさに滝に落ちようとしているのだ。"

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『アメリカ帝国への報復』(邦訳題名)、『アメリカ帝国の悲劇』(邦訳題名)と、『ネメシス: アメリカ帝国最後の日々』(邦訳無し)の著者のチャルマーズ・ジョンソンは、文字通り、アメリカの覇権という概念について本を書いた。元海軍将校で、元C.I.A顧問だった。

この独占インタビューを見れば、なぜ帝国建設という慣行が、決して過去のものでないのかが分かるだろう。アメリカ合州国が地球中に軍事力を拡げ続ける中、我々一人一人がその結果に苦悩しているのだ。

チャルマーズ・ジョンソン、アメリカの覇権を語る

Chalmers Johnson on American Hegemony

Speaking Freely - Chalmers Johnson on American Hegemony on Vimeo.

記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article26897.htm

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チャルマーズ・ジョンソン氏が11/20に亡くなった。

おりしも、彼が非常に気にかけていた沖縄の、知事選挙直前。

彼の「アメリカ軍はなぜいまだに沖縄にいるのか?」、1997年4月の記事だ。

上記インタビュービデオ、リンクが切れているようだ。例えばhttp://videosift.com/video/Chalmers-Johnson-on-American-Hegemonyをご覧頂きたい。

今年春には、下記文章を書いておられた。

元CIA顧問の大物政治学者が緊急提言
「米軍に普天間基地の代替施設は必要ない!日本は結束して無条件の閉鎖を求めよ」
独占インタビュー チャルマーズ・ジョンソン 日本政策研究所(JPRI)所長

「米軍基地など不要」という当たり前の世論が高まる中の沖縄知事選直前に、またしても、なんとも好都合な朝鮮半島紛争。これで、流れを変えるのが、黒幕の狙いだろうと、と勘繰りたくなる絶好のタイミング。

韓国は実弾を使って(地図を見れば、北朝鮮の近くで)「演習」していた、と英語版Yahoo記事にはあった。日本の報道では、当然ながら、この話ほとんどみかけない。

余りに絶妙なタイミング!同じく、今年亡くなったハワード・ジン氏の下記講演もお読みいただきたい。

ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

2010年9月 2日 (木)

Dismantling the Empire『帝国解体』チャルマーズ・ジョンソン著 

Blowback『アメリカ帝国への報復』、The Sorrows of Empire『アメリカ帝国の悲劇』、Nemesis(翻訳なし)の三部作を書かれた、チャルマーズ・ジョンソン氏の最新著書。

最初の文章以外は、全て、Web、TomDispatchに掲載されたもの。どこかの国の政党や政治家と違って、実に「ぶれない」見本のような本だ。

Introduction Suicide Optionの7ページで、

「一例をあげれば、普天間基地など閉鎖すれば良いのだ。」とおっしゃる。

2010年5月6日のロサンゼルス・タイムズの投稿「新たな沖縄での闘い」で、普天間基地代替施設移設問題に関し“米国は傲慢ぶりをやめ、普天間のアメリカ海兵隊部隊を米本土に戻すべき”と主張されている。

PEACE PHILOSOPHY CENTERというところで、この投稿の原文英語文と、日本語が読める。

1. Blowback World  November 5, 2004

アフガニスタンの泥沼現象、アメリカが、長い時間と莫大な投資をおこなって、自ら招いた結果。大統領の秘密私兵としてのCIAの悪行が説明されている。

2. Empire v. Democracy  January 30, 2007

歴史は、国内においては民主主義を、国外においては、帝国主義をめざそうとするような国家は不安定であることを示している。基地による世界支配。もちろん、沖縄のことも語られている。沖縄県民による持続的な基地反対運動についての文章の最後を引用させていただこう。「米軍は、日本政府と共謀して、彼らを無視してきた。」

but so far the U.S. military - in collusion with the Japanese government- has ignored them.

今、ブロガーの皆様が絶賛しておられる大政治家、例外なのだろうか?基地問題について、過大な期待を抱かせそうなあいまいな発言こそしているが。

第一次湾岸戦争で、宗主国に膨大なつかみ金を献上したのは彼だ。イギリスばりのえせ二大政党導入を狙って、小選挙区制を導入したのも彼だ。二大政党導入は、すなわち、憲法破壊が目的だ。宗主国の傭兵として、先制攻撃を手伝えるように。小泉フィーバーと、どこが違うのか、さっぱりわからない。傍観者には、少なくとも、小泉フィーバー以上に恐ろしい結果が待っているだろうことだけは、手にとるようにわかる、気がする。

3. The Smash of Civilizations July 7, 2005

文明の揺籃の地イラクを、いかに組織的に破壊したかを克明に描いている。余りにひどい。アメリカの歴史学者たちが、警備を主張したにもかかわらず、石油省は完全に警備したが、博物館は全く警備せず、その結果、徹底的に略奪された。お宝の行方、杳としてしれない。

某新聞夕刊に、イラク戦争についての連載記事が載っている。これにふれた、「五十嵐仁の転成仁語」、2010/8/31 イラク戦争支持の「言論責任」はマスコミを含む全ての「言論人」に対して問われるべきだ、に同感。

新聞、中立を装って賛否両論を載せる前に、まずこの節の翻訳をこそ掲載して欲しいものだ。

4. Peddling Democracy May 2, 2006

59ページの、日本の民主主義の現状に関する表現を引用させていただこう。

Rather than developing as an independent democracy, Japan became a docile Cold War satellite of the United States-and one with an extremely inflexible political system at that.

独立した民主主義を発展させるのではなく、日本はアメリカ冷戦の従順な衛星国、それも極端に硬直的な政治システムの国になった。

日本への評価とは対照的に、韓国民主主義への評価は高い。残念ながら、真実だろう。62ページ

Unlike Amecican-installed or -supported "democracies" elsewhere, South Korea has developed into a genuine democracy.

アメリカが、あちこちで、しつらえた、あるいは、支援した「民主主義」とは異なり、韓国は、本当の民主主義が発展した。

5. Agency of Rogues July 24, 2007

CIA解体・再編論。

6 An Imperialist Comedy  January 6, 2008

愚劣な映画「チャーリー・ウイルソンの戦争」の見事な批判。 まともな評価、むしろブログ記事にある、とおっしゃっている。

「共産主義者が統治していた頃の方が、女性の自由を含め、様々な点で、現在のカルザイ政権よりも良かった」という記述もある。90ページ これは、下記翻訳記事とも符合する。

アフガニスタンにおける女性の権利 2010年8月13日

関連するRick Rozov氏記事の小生翻訳あり。

アフガニスタン: チャーリー・ウィルソンとアメリカの30年戦争

7. Warning: Mercenaries at work  July 27, 2008

戦争(軍と諜報活動)を私企業化すれば、歯止めは効かなくなる。人の不幸が、自分の儲けになるのが堂々と認められれば、傭兵企業はやりたい放題になる。なによりも、官庁の中から、仕事の本質に対する「組織的な記憶」が消滅してしまう。官庁のトップ・実力者が外注先にぞろり移ってしまえば、役所は、そうした民間を管理できなくなり、振り回される。

8. America's Empire of Bases January 15, 2004

壮大な基地。バクダッドの第82空挺師団の幹部食堂では、白いシャツ、黒いズボンのウェイターが給仕する。

あまりに大きいので、中に兵士用バス路線が9本ある基地さえある。

昔なにかの機会に横田基地を訪れた知人、その豪華さに驚いて、色々語ってくれた記憶がある。思いやり予算を注ぎ続ければ、帰っていただけるはずのものも、居すわられてしまうだろう。

9. America's Unwelcome Advances August 22, 2008

イラクに対し、約58の基地を、無期限に置かせろと、秘かに圧力をかけていることが、2008年6月暴露された。

10. Baseless Expenditures July 2, 2009

この記事、感心して下記題名で翻訳していた。「基地をおかれている国々は、土地を安く貸与することはない。せいぜい、とれるうちに、ボッタクリなさい。」というアドバイス。題名は語呂あわせだろう。「根拠のない支出」「基地のない支出」。

アメリカ基地帝国に、どう対処すべきか 駐留軍受け入れ国に対する控えめな私案

11. Going Bankrupt January 22, 2008

実は、この文章、感激して、すぐに下記のインチキ翻訳をしていた。

アメリカを衰亡させる方法:なぜ累積債務危機が、今アメリカ共和国とって最大の脅威なのか

二ヶ月後、プロの方による、きちんとした翻訳が書物として現れてびっくり。

「軍事ケインズ主義の終焉」(岩波書店『世界』2008年4月号掲載)

TUP速報751号記事(大手商業マスコミと違い、こうした真摯なプロジェクトは有り難い。)

12. The Military-Industrial Man September 14, 2004

13. We have the Money September 28, 2008

もちろん副題は、「もしも、国防予算につぎ込まなければ」だ

アメリカは、アフガニスタンでも、パキスタンでも、ヘルファイア・ミサイル、無人飛行機、特殊部隊奇襲、再三の無辜の傍観者殺害と、同一視されている。161ページ

アフガニスタンから即座に撤退すべきだ。161ページ

14. Economic Death Spiral at the Pentagon February 2, 2009

15 Dismantling the Empire  July 30, 2009

人工的国境のおかげもあって続いているパシュトゥーン族の遺伝的ともいうべきゲリラ精神。

イギリスも、ロシアも、空からの爆撃で、鎮圧をこころみて失敗している。同じ作戦をつづけるアメリカの敗北も必死だ。という、Paul Fitzgerald, Elizabeth Gouldの著書Invisible Historyからの引用が紹介されている。188ページ

悪名高い無人機で、葬儀の行列を攻撃しても、アフガニスタンの人々(日本のように)易々と属国化してはくれまい。反感こそたかまろう。189ページ

そして、日米地位協定なる悲しき不平等条約、何と世界中の国で、アメリカが導入を目指す「お手本」だそうだ。193ページ

アメリカにすれば、「日本」は言う事を聞くのに、なぜXX国は駄目なのか?ということなのだろう。

「普通の国」にしてみれば、「属国」日本を真似する義理などないのだ。

「普通の国」とは、どこぞの代表候補による定義と違って、宗主国や国連に言われて、侵略戦争のために傭兵を派兵したりしない国を言うだろう。

2001年から2008年までの間に犯罪を行った3,184人中、83%が訴追されていない。

そして、イラクの地位協定、戦後すぐの日米地位協定にそっくりだという。193ページ

クーラーもなく、連続稼働のため、一年でモーターがへたった扇風機をたよりに読み終えた。(カバーを外して、回さないとうごかなくなった。やむなく買い換えた。)本文196ページ。

クリックいただければ、TomDispatch.comでオンライン記事が読める。

しかし、やなぎ様が紹介くださったニコラス・カーの『ネット・バカ』にもある通り、オンラインで読んでは、理解の度合いが浅いのではと余計な心配をしてしまう。

さして高くない(25ドル)ので、ここは紙の本をお勧めしたい。

残念ながら、この本、Nemesis同様、日本では決して翻訳は出るまい。

『復讐の女神ネメシス: アメリカ共和国最後の日々』2007年4月 3日

「属国日本の庶民にとって有意義な書物・言論ほど埋もれる」不思議な仕組みがあるようだ。陰謀論などとは言わない。単に属国茹でガエル、茹でガエル状態を指摘する本は、いやがって読まず、全く売れないだけかもしれない。宗主国では、これだけハッキリ物言う本が、ベストセラーになる。

プロパガンダ小説は山のように翻訳され、プロパガンダ映画は吹き替えになるのに。

属国民、一日も早く英語が標準語になるのを待望するしかないのだろうか?

それ以外に「ゆで蛙集団」が自らゆで蛙である現実を知る方法はなさそうだ。

無茶な戦争をしかけ、敗戦し、属国化したのは事実で、恥じるべきことではなかろう。

属国である事実に蓋をして、「普通の国になろう」「安保理に入りたい」などという言動がまかりとおる状況を恥じるべきだろう。

アメリカ票が二票になるだけのことに賛成するまともな国などあるわけがない。

治る病気は正確に診断・治療すれば治る。

しかし、この国、病気ではないと言い張る重病人らしい。

とうてい本質的な選択肢とはいえない代表選に夢中になって、深刻な病気を忘れようとしているのだろうか?属国の末期的症状。政界も、財界も、学界も、マスコミも、そして大多数のブロガーの皆様も?

2011/12/18追記:

残念ながら、この本、Nemesis同様、日本では決して翻訳は出るまい。

という想像、嬉しいことに、誤解だったようだ。

岩波書店から『帝国解体 アメリカ最後の選択』という題名で刊行された本、この本の翻訳だ。当初、12/14発売ということだったが、2012/1/28に変わった。雨宮和子訳、2100円。

2010年7月12日 (月)

ジョージ・オーウェルの『1984年』を2010年に再訪

Richard Mynick

2010年6月12日

大衆的語彙の中に初めて登場して以来、“オーウェル的”という言葉は、典型的な“全体主義国家”の姿を呼び起こす。秘密警察だらけの一党独裁、自国民をスパイし、異議を唱える連中を弾圧し、恣意的逮捕や、囚人の拷問を行い、永久戦争を遂行し、ご都合主義のために歴史を書き換え、自国の労働人口を貧困化させ、ダブルシンク(二重思考、つまり“二つの相反する信念を、同時に心の中に保持し、両方の信念を受け入れる力と、定義される思考体系)に根ざす政治論議。

多くのアメリカ人は、この“オセアニア”描写が、20世紀中期の最も影響力がある不滅の英語小説の一冊、ジョージ・オーウェルが書いた『1984年』にある未来の暗黒郷であることは容易にわかるだろう。

多数のアメリカ人が、この描写が自らの社会そのものにもあてはまると思うかどうかは、また別の話だ。しかし2000年の大統領選挙の不正以来、出来事 9/11攻撃、架空の“WMD”(大量破壊兵器)に基づくイラク侵略、拷問スキャンダルや、2008年の金融危機等が起きた時期として、この事は益々多くのアメリカ人が理解しつつあるものと思える。

1984年』は冷戦の緊張が高まる最中、1949年6月に刊行された。大半の西欧の読者にとって、当時の反共というプリズムを通して、本書はたやすく理解ができた。

小説の警察国家は、スターリンのソビエト社会主義共和国連邦と、疑うべくもないほど類似している。スターリン主義に激しい敵意を持っていた、自ら認める民主社会主義者、オーウェルが書いたものゆえ、それも驚くべきことではない。しかし、オーウェルはスターリン主義と社会主義を一緒くたにするには、余りに明敏で(例えば、“私の最新の小説 [‘1984年’]は社会主義に対する攻撃を意図したものではなく…共産主義やファシズムにおいて既に一部実現されている…逸脱を表現するものです...。”と書いている[1])、冷戦時代に彼の小説を読んだ人々は、得てしてこの違いを理解しなかった。彼の注意書き(“英語国民が、他のどの国民より、生まれつき優れているわけではなく、そして全体主義が…どこにおいても勝利しうる”ことを強調するために、本書の舞台がイギリスに置かれた…)はほとんど見過ごされ、世上、小説のゾッとする予言(“もしも将来の姿を見たければ、永遠に人間の顔を踏みつけるブーツを想像すればよい”)は、主に西欧風資本主義“デモクラシー”の敵と見なされている政治制度の特性だとされている。(2)

しかし『1984年』は、決して西欧を裏書きするものではない。国営マインド・コントロールを論理的極限まで利用して、自分たちの権益のために、支配し、権力を維持する、責任を負うことの無いエリート層を仮定しているのにすぎない。経済組織という名目的構造にはこだわらずに、国民を搾取的支配に強制的に服従させる上で、運営上、一体何が関与しているのかを、本書は検証しているのだ。いささか違う言い方をすれば、この小説は、支配的官僚制度なり、金融資本なりのいずれから発生するものであれ、責任を負うことのない国家権力一般についての、心理-社会的機構を検討しているのだ。小説は、極めて不平等な社会において、社会的安定性を維持するための、抑圧と国民意識の支配という、ある種の組み合わせによってのみ実現可能となる、基本的な問題を探っている。

粗野な専制政治は主として弾圧を用いる。洗練された専制政治は、意識を支配する、より巧妙な手段を見いだすのだ。逆に意識は、社会における言語の公的な使用方法と深くからんでいる。オセアニアもアメリカも、国民の意識を巧妙に形成する国家なのだ。それこそが、なぜ二つの社会が、益々核となる特徴を共有しており、既に言語、意識、順応や、権力との間のつながりに対する鋭い洞察を認められている『1984年』が、冷戦当時より、2010年、一層読者にあてはまるのは確実だという理由だ。

1984年のオセアニアにおけるマインド・コントロール

オーウェルの架空のオセアニアでは、心理社会的な機構は、大まかに言ってこんな風に機能している。全ての権力はに掌握されている。永久戦争は国家政策の原動力だ。マスコミは、国家プロパガンダの単なる道具に過ぎない。国民は、思考警察が実施する絶えざる監視と、思考の幅を狭め(言語そのものが、異端思想を形成するのに必要な構成概念に欠けている為)思考犯罪(異端の思想)を原理的に不可能にするのが狙いである新言語、ニュースピーク(新語法)の発展のおかげで牽制されている。

囚人の公開処刑や二分間憎悪等の国家が提供する儀式は、残虐な国粋主義や好戦的愛国主義への熱中を生み出す為のものだ。国民の85パーセントを占める“プロール”は、彼等が政治意識を発達させるのを防ぐために(主として、スポーツ、犯罪、宝くじや、セックスに注力した映画という)頭を麻痺させるようなマスコミの気晴らしで一杯にされてしまっている。プロールは“今ある姿とは違う世界がありうるはずだということを理解する想像力を持てない”ままにされている。

一方で、党員達国民の2パーセント以下である党中枢“インナー・パーティー”と、より権限の少ない党外郭“アウター・パーティー”のいずれも)は、思想犯罪を行うことを避けるために、ダブルシンク(二重思考)の技術を習得しなければならない。党員は“外国の敵や、自国内の裏切り者に対する憎悪、勝利に対する歓喜、党の権力と叡知を前にした自己卑下といった具合に、常に熱狂して暮らすことを期待されている”自分の思考を自主規制するのが下手で、正統思想に対する潜在的脅威となりかねないような人々は、国民の中から体系的に間引かれてしまう。反抗分子は、人間性を破壊するよう科学的に設計されたやり方によって拷問されるのだ。

2010年のアメリカ合州国で、それがいかに機能しているか

上記特徴の全ては、2010年のアメリカ社会に、すぐそれとわかる形で存在している。あるものは本格的な形で。またあるものは、より原初的な形で(また現在も進化中だ) 。今日の類似しているものの多くを網羅的に列記すれば、丸ごと一冊の本ができてしまうだろう。そうした本には、オセアニアの皮肉に名付けられた“平和省”アメリカ“国防省”よりも、オーウェル風婉曲表現はないという些細な事実の一致までも含まれるだろう。

そうした本は、より重要な類似、つまり“異端の思想”を発展させるのに必要な概念や物の見方(つまり既成政治経済制度に対する合理的な批判)を体系的に国民から奪い取るために、アメリカのマスコミ等が、一種のニュースピーク(新語法)として機能している、様々なやり方を載せることになるだろう。その本には、本質的に世界金融危機の負担は、この危機の犠牲者によって支払われるべきであり、危機の犯人達は損失に対し免責されるべきだという、ウオール街救済措置の根本にある論理も載るだろう。しかもこの政策は、彼等が“民主的に選び出した”政府によって犠牲者に押しつけるべきなのだ(つまり、ほとんど全国民に) ということも。(マルクス: “抑圧されている人々は、数年に一度、彼等を抑圧している階級の、どの代理が自分たちの代表となり、自分たちを抑圧するかを選ぶことが許されている。”)

以下は、オーウェルの洞察が未来の空想と見なされて以来、数十年のうちに、そして西欧の限定された資本主義“民主主義”の姿がオセアニア風専制政治に対する防波堤と見なされて以来、一体我々はどこまで来てしまったのかを示してくれる、いくつかの類似点の概要だ。

労働者階級が、ファシスト・ドイツやイタリアの場合のように、歴史的敗北を被ったか、あるいはソ連のように、反革命的な官僚制度によって、権力を奪われてしまった状態を、オーウェルが想定していたことは留意しておく必要がある。現代アメリカにおいて、物事に対する公式見解は、その多くは混乱した異議だとは言え、益々異議を唱えられ、認められにくくなりつつある。確かに、アメリカ支配者の、権威主義的な狙いと、野望に関する限り、オーウェルの概念を書き換える必要は皆無だ。

  • 永久戦争: オセアニア同様、今日のアメリカ合州国は、永久戦争状態にある。この状態は、いずれの社会においても“正常”として受け入れられている。元アメリカ副大統領のチェイニーは、2001年にアメリカの対テロ戦争は“決して終わらないかも知れない。少なくとも、我々が生きている間には”と述べた。この発言は、大企業政党のいずれからも、商業マスコミからも、激しい抗議を引きだすことはなかった。今日に到るまで、この発言は問題にされないままになっている。チェイニーがこの主張をして以来、四度の国政選挙のいずれにおいても、永久戦争という問題はあえて言及する程(まして討論する程)重要だとは見なされなかったのだ。
  • 社会の階級構造を維持するための戦争: (歴史上のトロツキーをほぼなぞった)“ゴールドスタイン”という人物に語らせながら、オーウェルはこう書いている。“戦争とは、各国の支配者集団が、自国民に対してしかけるものであり、戦争の目的は領土を征服したり、守ったりすることではなく、社会構造をそっくりそのまま保つことにある。”オーウェルは更に続ける。“しかし、物理的な意味では、戦争は、その大半が高度に訓練された専門家であり、ほんの少数の人々しか必要とせず、比較的少ない死傷者しかもたらさない.... また同時に、戦時下にある、したがって危険な状態にあるという意識によって、少数の特権階級に、あらゆる権力を引き渡すことが、生きるためには、自然で不可避な条件に思えてしまうのだ。”

こうした見解は、それぞれ、アメリカの“対テロ戦争”に実にぴったりあてはまる。いわゆる“特殊部隊”や“プレデター無人飛行機”の使用。そして執拗なテロ脅威恐怖の利用と悪魔化キャンペーン。アメリカの戦争は、実際には領土獲得、つまり、石油が豊富な、あるいは、パイプライン経路、および/あるいは軍事基地として戦略的価値がある地域の支配を狙ったものである点を除いては、一単語たりとも変える必要がない。この例外は、“戦争の目的は[少なくとも一部は]社会構造を保全することにある”そして“支配者集団同士により、それぞれの主題をめがけて、戦争は遂行される。”という、オーウェルの主張を決して無効にするものではない。

  • 一党国家: オセアニア同様、アメリカは事実上、一党国家だ。二つの巨大企業政党が、偽って二つの“対抗している”党であるかのごとき振りをしているのだ。実際には、両党は、実際は一つの党の軟派・硬派二派閥に過ぎない。金融支配層が経済的に重要なあらゆる物事と、資源開発を、しっかり支配している。アメリカ版の一党国家は、表面上、明らかにそうでないもののように見えてしまうがゆえに、実際オセアニア版よりも一層危険な程、オーウェル風だ。オセアニアは、民主主義のふりをしようと気を使わないだけ、少なくとも十分に“正直”だ。

アメリカ人は、共和党と民主党との間の、限られた、ほとんど言葉のあやの違いでしかない違いを“民主主義”である“証拠”だと思い込むよう飼い馴らされている。物事の進展は、この理論の嘆かわしい欠陥を、容赦なく暴露してはいるのだが、長年にわたりこの理論が広く受け入れられてきたことが(アメリカ帝国主義の残留強度やAFL-CIOや様々な“左翼”勢力が演じる役割も考慮すれば)、大衆の意識を支配し、形作る、公式政治文化の威力を実証している。(マルクス:“支配階級の考え方がいつの時代も支配的な考え方である。”)

  • 国家プロパガンダの手段としてのマスコミ: オセアニアと同様に、今日のアメリカのマスコミは、本質的に国家プロパガンダの道具だ。過去十年間の主要な出来事に関するニュース報道をざっと見てみるだけで、この評価は十分に実証されようし、過ぎ行く日々が、こうした行動の無数の例を提供してくれる。オセアニアのテレスクリーンは、“マラバル戦線の英雄”が勝ち取った栄光の勝利の報道を交えながら、銑鉄生産とチョコレート配給の増加を絶え間なく、しつこく売り込み続ける。
    これとアメリカのニュース番組内容との間には(おそらくは、その無理強いの陽気さが、オセアニアの殺風景で好戦的な“ニュース放送”から聞こえてくるものより陽気な調子をもたらすのに貢献している広告がある、という点を除いて)本質的な差異はほとんどない。2009年、アメリカのマスコミは、イランにおける不正選挙とされるものに対し、どれもよく似た“激怒”を表明した。選挙不正という主張を支持する本格的証拠は何も提示されなかった。こうしたマスコミのどれ一つとして、露骨に不正だった2000年の米大統領選挙には触れもしなかった(まして激怒などするわけもない)。(実際マスコミは、暴力なしに権力が移行したという理由から、2000年選挙の結果を、“制度が機能した”証拠だとして異口同音に称賛した。言い換えれば、エリート階級は、国民の抵抗を受けることなく、不正選挙をすることができたのだ。)
  • 監視:小説の2ページで『思考警察』というものが紹介される。“『思考警察』が、どれだけ頻繁に、あるいはどのようなシステムで、どの個人の回線に接続しているかは当て推量するしかない。全員を常時監視できるということさえあり得る。”2004年頃から、こうした監視機能が国家安全保障局のような機関によってアメリカ内に導入され、アメリカ国民の私的通信の膨大な盗聴が行われてきた。この問題は、2004年以来、三回の国政選挙のいずれにおいても触れられることはなく、ニューヨーク・タイムズ(ブッシュ政権の要求に応じて)は2004年の選挙前、NSA盗聴計画に関する記事を意図的に没にしていた。(一年以上後、これを主題にしたタイムズ紙記者ジェームズ・ライゼンによる本の刊行直前、新聞は最終的に“報道した”。彼の記事を同紙は差し止めていた。)(訳注:ジェームズ・ライゼンの本というのは邦題『戦争大統領』のことだろう。)
  • エリートが主導する、大衆の政治意識の文化的骨抜き: 国民の政治意識を骨抜きするのに、大衆文化を道具としし利用するというオーウェルの洞察は、アメリカの支配エリートの尽力によって実現している。オーウェルは、宝くじや、“スポーツ、犯罪と、星占い、扇情的な5セントの中編小説…セックスまみれの映画…(そして)最低品質のポルノ以外はほとんど何も載っていないくだらない新聞”等、頭を麻痺させるような、主要な娯楽の数々をあげている。有名人のゴシップや、株式市場についての雑談といった重要なカテゴリーを見過ごしてはいたものの、原理的に彼は的を射ている。著名人の話を載せた雑誌を読み、娯楽TV番組を見るだけの国民は、自分たちの劣化しゆく生活水準の原因となる社会勢力を理解する用意などまったく出来ておらず、したがって自らの防衛もしがたかろう。
  • 指導者のカルト: 小説は殺風景な“未来”、1984年4月のロンドンが舞台だ。オーウェルの主人公ウインストン・スミスは、“勝利(ビクトリー)マンション”という名の、茹でたキャベツの匂いがする崩壊途中のアパートに住んでいる。アパートの踊り場に目立つように掲示されているのは“太い黒い口髭を生やした、いかつい45歳位のハンサムな男の大きな顔”を描いた巨大カラー・ポスターだ。2010年に、ゾッとするような荒廃したロンドン至る所にあるビッグ・ブラザーのポスターという文章を読みながら、人は今日の斜陽化しつつあるアメリカ都市の至る所にある“バラク・オバマの希望”ポスターを必ず思い出さずにはいられまい。

ビッグ・ブラザーは、“党が、自らを世界に対して表現するのに選んだ姿だ。彼の機能は、組織よりも個人に対して、より自然に感じやすい、愛、恐怖、崇敬、感情などの焦点として役立つことにある”として描かれている。この文章は、2008年、ウオール街の候補者であるオバマを、アメリカ有権者に売り込むにあたって使われたPR戦略の本質を捕らえている。実際、オバマ選挙キャンペーン全体が、愛と希望のような感情は、何よりもその権益を彼が代表している銀行等の組織に対するより、“個人に対してこそ一層身近に感じることができる”という発想を生かすよう仕組まれていた。

  • 現在を支配する者は、過去を支配する.”: ウインストンは真理省で働いており、その業務は“毎日、過去を改ざんすること…[この仕事]は、政権の安定に、抑圧作業として必要だ。”オセアニア真理省の諸機能は、アルカイダやタリバンのような集団のことを、24時間態勢で悪魔化しながら、こうした集団のいずれもが、ここ数十年間、CIAによる何百万ドルもの資金援助によって育て上げられてきたことを入念に“忘れ去る”アメリカの大手マスコミによって実施されてきた。そうした不都合な真実は、もはや国家政策と調和しないので、定期的にメモリー・ホール(訳注:『1984年』中で、この名で呼ばれる穴の中に、過去の正しい記録は廃棄される)へと投げ捨てられる。従って、現在という文脈で“正しく”なるよう、事実は改ざんされる必要があるのだ。(2002年“WMD”(大量破壊兵器)と、計画中のイラク侵略に関して、イギリスMI6のトップが、ブッシュに分かりやすいようこう説明した。“諜報情報と事実は政策を巡って、調整されています”)。ちょうど、オセアニアが、ある日はイーストアジアと同盟を組み、翌日にはイーストアジアと戦争状態となるように、アメリカは、ある時期に、サダム・フセインやイスラム教原理主義と戦争状態となるが、レーガン時代には、積極的にこの両者を支援していたのだ。(レーガンは、アフガニスタンのムジャヒディーンを“自由の戦士”、“道徳的に、アメリカ建国の始祖に相当する人々”と呼んでいた。)
  • 国家の敵を悪魔化するための公式行事:“二分間憎悪”は本質的に、サダム・フセイン、ハマース、アフマディネジャド、カストロや、ウゴ・チャベスといった公式の敵の名前が出るたび毎に、アメリカのテレビで起きていることだ。これは、フオックス・ニューズやウオール・ストリート・ジャーナルの論説ページの様にあからさまに右翼のマスコミで、最も露骨な形で起きるが、“リベラル”だと言われているマスコミでも、同様に存在しており、あからさまさこそ控えめにはなるものの、視点は本質的に全く同じだ。フセインの絞首刑は、アメリカのマスコミによって、オセアニアの公開絞首刑と同様、息もつかないほどの、あえぐような流血への渇望で迎えられた。“昨日、囚人たちが絞首刑にされるのを見にいったかい?”省の食堂で昼食をとるため座っていたウインストンは、同僚サイムにそう質問される。2006年12月にフセインが処刑された時、これと同じ光景が、アメリカ中で、確実に存在していたのだ。
  • 娯楽としての敵”民間人“への爆撃: ウインストンは、7ページで、映画を見にでかけ、戦争のニュース映画を見る。オセアニアの攻撃型ヘリコプターによって無力な民間人が粉々にされる映像を、観客は“大いに喜んだ”と彼は日記に書いている。広範なアメリカのTV番組、映画、ビデオ・ゲームは、全く同じ基本的本能を、育て、奨励しようという企みだ。
  • 相手側の主張によって、自らを覆い隠してしまう政治文化:“ゴールドスタイン”はこう述べている。“党は、社会主義運動が本来立脚している、あらゆる原理を否定し、非難する。しかも…社会主義の名において[そうしているのだ]。”これは、1949年における、スターリン主義に対する、実にもっともなオーウェルの評価だ。この文章は現代の類似物を示唆している。“アメリカ政府は、民主主義の実質的核心を、弱体化させるか、骨抜きにしている。民主主義の名において、そうしているのだ。”
  • 警察による国民の威嚇:オセアニアで最も恐ろしく、物理的に堂々とした政府省庁である愛情省は、“伸縮式警棒を持って、黒い制服を着たゴリラのような顔つきの守衛”が警備している。こうした守衛に、現実に対応するものが、アメリカの政党大会やWTO会議の外に出現し、防弾チョッキをまとい、威嚇し、小突き回し、非武装の抗議デモ参加者を警棒で殴ったりさえしている。マスコミは、イランのアフマディネジャド反対デモや、ベネズエラのチャベス反対デモを、“合法的反対者”のお手本として満足げに引用しながら、自国の抗議デモ参加者は決まって“チンピラ”や“アナーキスト”と表現する。(“オーウェル的”という点で言えば、最近アメリカの政党大会で反対デモをしようとした反戦抗議デモ参加者は、蛇腹式鉄条網を張り巡らせた、会議場から離れた、マスコミの目に入らない、塀で包囲された仕切りの中に押し込められた。こうした仕切りは、何の皮肉の意図もなしに、“自由発言ゾーン”と呼ばれていた。)
  • 国家政策としての、悪行と非人間化:小説は、拷問の描写という点で、ゾッとするほど想像力豊かだ。ある時点で、尋問者のオブライエンは、ウインストンに彼の抵抗が、どれほど無益で哀れなものかを示すべく、ウインストンの虫歯の一本を素手で抜き取る。そして、有名なクライマックスの101号室での拷問場面が続く。ネズミ・カゴのマスクが、ウインストンの顔にはめられる。現代の読者なら、最近のアメリカ拷問メモで暴露された“昆虫”版を即座に連想するだろう。そこでは、無力で怯えた囚人が入れられている閉ざされた箱の中に、“刺す虫”が放たれた。しかしこれでさえ、強姦、性的な辱めや、イスラム教徒の囚人の頭に、経血にまみれた女性のパンティーをかぶせるといったような、宗教的信念に対する意図的な侮辱を含む、アメリカの拷問手法の全貌を示すには十分でない。腐敗と拷問に関する限り、“オーウェル的”という形容詞でさえも、アメリカ軍-諜報機関の巧妙さを十分公平に評価してはいない。

階級意識と社会的不平等

オーウェルの本はアメリカで熱狂的に受け入れられた。刊行から二週間後、タイム誌はこの本を、彼の“最高の小説作品”と呼んだが、この本は、主として(『動物農場』と共に)“共産主義”に対する攻撃だと解釈していた(3) ところがオーウェルは、(先に触れた通り)、二冊の本を西欧デモクラシーのすう勢に対する警告として考えてもいたのだ。本がアメリカで温かく受け入れられたのは、本書が、社会における原動力の、明晰かつ、説得力のある、階級的視点に基づく分析であることからすれば、いささか逆説的である。この視点は、許容可能なアメリカ思想から、階級意識が体系的に抹殺される過程にあった時期、1949年に浮上しつつあった政治的規範に逆らっていた。この小説の明白な“反共主義”が、階級意識に対する反発から、この小説を保護してくれた可能性は高い。階級意識は、1949年のアメリカ合州国では確かに思考犯罪であり、今日も犯罪のままだ。

ウインストンは、“プロール(労働者階級)”に対しては、断固として同情的で、期待を持った態度をとっている。少なくとも四度、彼はプロールは将来の唯一の希望だと語っている。彼等を以下のような言葉で表現している。“もしも希望があるとすれば、それはプロールにあるに違いない。オセアニア国民の85パーセントに、無視された群れなす大衆の中にのみ党を破壊する勢力が生まれる可能性があるからだ。”ウインストンは信じていた。“プロールが、何らかの方法で自分たちの力を自覚するようになりさえすれば…立ち上がって、体からハエを振り払う馬のように身をふるわさえすればよい。もしも彼等がその気になりさえすれば、明日朝にも、党を粉砕することができる。”オセアニアの支配層は、党員の対人的連帯感を粉砕するのには成功したが、一方“プロールは人間として残っている。彼等はその点、無感覚になってはいないのだ。”彼等には“党が共有できず、抹殺することもできなかった生命力がある…将来はプロールにある。”

ウインストンは考える。“平等があれば、健全さはありうる”。これは急激に拡大する社会的不平等で特徴付けられるアメリカに、目ざましいほど当てはまる点だ。社会的序列と富の分配との関係は、こうした表現の中で限定されている。“富の全面的増加は、…階級社会を破壊しかねない。…‘富’が…平等に配分されながらも、‘権力’は少数の特権階層の手中に残る社会を想像することは、疑うべくもなく可能だ。だが実際には、そのような社会が長期間安定して存続することはできない。もしも余暇と安全を全員が等しく享受すれば、通常貧困によって麻痺状態におかれている大部分の人々は、読み書きができるようになり、自分で考え始めるようになるだろう。そして、一度そうなってしまえば、彼等は…特権階級の少数派などに何の機能も無いことを悟り、…廃止してしまうだろう。”極めて不平等な社会における支配者の視点からすれば、これは実に危険な破壊的思想だ。

こうした考え方は真に急進的な考え方だ。スペインで、POUMとともに反ファシズムのために戦う志願兵となった作家の考えとしては驚くべきことではない。特に労働者階級を唯一本当に革命的な社会勢力として特定していることは、マルクスとエンゲルスの考え方をそのまま思いおこさせる。自覚し、蜂起し、“体からハエを振り払う馬のように”党を粉砕するプロールにまつわる一節は、労働者階級が、自らを階級として自覚することによって、自らの利益という自立した意識で、思いついた要求をはっきり主張することから生じる、下からの大衆蜂起という発想を写実的に描き出している。

国民を“ダブルシンク(二重思考)”するよう訓練する

ウインストンは考える。“党の世界観の押しつけは、それを理解することができない人々に対して、最も成功している。人々は…一体何が起きているのかわかるほど、社会の出来事に対し、十分な関心を持っていない。どれほど現実をないがしろにしても、人々に、受け入れさせることができる。”そして、やや後にこう書いている。“最も地位の低い党員でさえ有能で勤勉で、狭い範囲内で知的であることが期待されるが、また同時に物事を信じ易く、無知な狂信者でなければならず、恐怖と憎悪、追従と勝利の興奮が支配的な感情でなければならない。言い換えれば、人は戦争状態にふさわしい精神構造を持っていることが好ましいのだ。”現代アメリカの公式政治文化が推奨している態度に関して、これより正確な記述を見いだすのは困難だろう。

ダブルシンク(二重思考)の完全な定義は、“矛盾する二つの信念を、自分の心の中で、同時に保持し、双方を受け入れる能力だ。… 心からそうと信じながら、意図的に嘘をつくこと、不都合となってしまったあらゆる真実を忘れさること、更に、再びそれが必要となれば、必要な間だけ忘却の彼方から呼び戻せること、客観的事実の存在を否定する事、それでいながら自分の否定した事実を考慮に入れる事、こうした全てが、絶対に必要なのだ。ダブルシンク(二重思考)という言葉を使用するためですら、ダブルシンク(二重思考)を実行することが必要だ。この言葉を使うことによって、人は自分が現実を改ざんしていることを認めるのだから。ダブルシンク(二重思考)の新たな行為によって、人はこの知識を抹消する。という具合で無限に続き、嘘は常に真実の一歩先を行く。”

この一節は、2000年大統領選挙で、最高裁がジョージ・W・ブッシュを大統領に任命して以来、アメリカ政治における象徴的な出来事に関する公式説明の特性を明らかにしてくれる。事実上、あの時以降の全ての重要な出来事は、ダブルシンク(二重思考)を前提として大衆に提示されている。

例えば、イラク侵略から数カ月して、アメリカのマスコミは、結局WMDなど存在していなかったことを認めるよう余儀なくされた。しかしこの事実は、あたかも意味も影響も無いかのごとく提示された。マスコミ説明は、単なる“諜報情報の欠陥”だと気楽に片づけている。一方では過ちを認めているのだから(ニュルンベルク軍事法廷で定義されたような)巨大戦争犯罪に対して、そのような言葉を適用するのはダブルシンク(二重思考)だ。しかし過ちを認めるやいなや、新たな二行を追加している。諜報の過ちは極めて軽微だった。そしてアメリカ諜報機関の几帳面さだけが問題だった(“嘘は常に真実の一歩先を行く”)。

WMD(大量破壊兵器)が存在しないことを認めながら、戦争の一般的特質を擁護する(アメリカ当局者とマスコミの広報担当者たちの仕事だ)というのはダブルシンク(二重思考)のもう一つの例だ。戦争をしかけた建前がいつわりである場合、戦争の正当化はまずできない。人は、両方の信念を、各々を巧みに操作することによってのみ、同時に維持することができる。瞬間的に一方を忘却の彼方に追いやり、もう一方について論じることで。

小説中に、尋問者オブライエンが、四本の指を立て、ウインストンには、5本に見えるよう要求する有名な場面がある。この要求は、2009年5月21日の国立公文書館で行った演説の中で示された、拷問に対するオバマの論理的姿勢と変わらない。法支配の闘士を気取り、アメリカ憲法の羊皮紙原本の横に立ち、オバマは拷問は誤っていると宣言した。我々はアメリカ憲法の価値観を支持しなければならない。“我々は拷問はしていない”と語り、拷問を命じたアメリカの当局者は、それを理由に告訴されることはなく、アメリカの拷問を記録している写真は、公開を差し控えると付け加えた。同じ演説の中で、彼は更に“特例拘置引き渡し”を擁護し、無期限の“予防的拘留”という中世的政策さえ提案した。

“戦争は平和だ”

2009年12月10日にノーベル平和賞を受賞したオバマは、WSWSが痛烈に批評し、適切にも、何事も超えることができないオーウェル的光景だと述べた出来事において、この調子で続けた。現在二つの侵略戦争のさなかにある(そのうち一つについては、彼自身が大幅にエスカレートした)史上最もグロテスクに膨れ上がった軍事機構の全軍最高司令官が、主要な外交官が、イランを“せん滅”すると威嚇した政権の首長が、世界でも傑出した調停者として栄誉を受けたのだ。ガンジーやマーチン・ルーサー・キング Jr.の“信条と人生”に対する、できる限りおざなりの承諾として感想を述べることから始めたオバマは、次の一節で旋回し、彼自身の外交政策が、彼等の哲学によって特徴づけられるであろうという、いかなる幻想も打ち砕いた。(“わが国を保護し、防衛すると誓った国家の長として、私は彼等の手本のみによって導かれるというわけには行かない。”)

そして、アメリカ大統領は、国家的暴力の明白な擁護(もちろん、アメリカ合州国によって率いられる限りだが)へとまっしぐらに突入する。彼はさながら歌うように語る。“バルカン半島諸国においてそうであったように、武力は人道的な理由で正当化することが可能だと私は信じている” (つまり「戦争は平和である」)。世界中の意見と国連安全保障理事会に逆らって、イラクを侵略した国家の大統領が、彼の国も、ほかのどの国も“もし我々自身は守ることを拒否しても、他の連中には、交通規則を守るよう主張できる”と主張したのだ。サウジアラビア、エジプトやパキスタン政府と親密な盟友である国家の大統領が“我々と最も親しい友人は、その国民の権利を保護する政府だ”と主張したのだ。軍隊とCIAが、第二次世界大戦以来、多数の民主的政権を打倒し、そうした政権を残酷な独裁制に置き換えてきた国家の大統領が“アメリカは決して民主主義に対する戦争をおこなったことはない”と主張したのだ。

驚くほど聖人ぶって彼は語る。“あるべき世界へ向かおうではないか。我々皆の魂の中で、いまだわき上がる天与のひらめき。…今日どこかで、今この場で、この世界で、相手のほうがより多く武器を持っていることが分かっていても、兵士は、平和維持のため、その場に止まっている。今日も、この世界のどこかで、若い抗議デモ参加者は、自国政府の残虐さを予期しながらや、行進を続ける勇気を抱いている。今日もどこかで、大変な貧困に直面する母親が、残酷な世界にも、その子が夢を実現する場所はあるだろうと信じて、自分の子供を教えるために時間を割き、子供を学校にやるために、手持ちの僅かな貨幣をかき集めている。”

こうした類の詭弁が、2008年大統領選挙キャンペーン中、アメリカのマスコミによって“雄弁”と見なされたことは、“嘘をもっともらしくし、殺人を尊敬すべきことのようにすべく、単なる風に、しっかりした固さという見掛けをあたえるべく、政治言語は作り上げられている”というオーウェルの洞察を想起させる。(4) オバマの“平和維持”兵士というのは、恐らく、おなじみの略奪的目的で、ある国を占領しているアメリカ(あるいは同盟諸国の) 兵士のことだ。“若い抗議デモ参加者”というのは、当然ワシントンによって公式な敵として見なされているイランやベネズエラ等の政府に抗議する連中だ。

オバマが非難する“政府の残虐行為”というのは、疑うべくもなく、アメリカ軍や傭兵部隊によって直接に、あるいはアメリカが支援する傀儡政権や他の代理人によって、民間人に対して実行されている暴力や拷問のことを言ってはいない。“大変な貧困に直面する母親”というのは抽象的で理論的な母親であり、海外生産のためにひき起こされた失業や、ウオール街が引き起こした金融危機のような具体的な条件によって、あるいは、そうした危機の結果、社会福祉が骨抜きされて、つまり既存支配勢力全員の支持を得て、企業国家アメリカによって、アメリカの労働者層に押しつけられる条件によって今の貧困がもたらされている“ここで今暮らしている”本物の母親ではない。

“欺瞞に満ちた時代においては…”

“ゴールドスタイン”が説明するとおり、“(新語法で言う)クライムストップ(犯罪中止)とは、…あらゆる危険な思想を抱きそうな瞬間に、その一歩手前で踏みとどまる能力だ。それは、類推ができない能力、論理的な誤りに気づかない能力、最も簡単な主張でも、万一イングソック [“イギリス社会主義”オセアニアの全体主義的政権の公式イデオロギー]にとって有害であれば誤解してしまう能力、そして、異端的な方向へ導きかねない一連の思考に退屈したり、それに嫌悪感を抱いたりする能力も含む。クライムストップ(犯罪中止)とは、要するに、自己防衛的愚鈍のことだ。”

“イングソック”を“公式なアメリカ政策”に置き換えれば、この文章は、アメリカ・マスコミが、日々の問題を“論じる”ふりをしているプロセスにぴったりあてはまる。例えば、“武力侵略”は、アメリカや同盟諸国が侵略者でない限り、アメリカ・マスコミのひんしゅくを買う。アメリカが武力侵略する場合、その行為は、安定化、平和維持、あるいは解放にすらなる。アメリカ軍の侵略は“侵略”であるという類推が理解できなくなるような能力を人は身につけなけねばならないのだ。アメリカがあるクーデターを支持しない限りは、当然クーデターも同様にひんしゅくを買う。アメリカが支持している場合、それは(“カラー”革命等々の)デモクラシー運動となる。同様に、拷問は、強化尋問テクニックとなり、アメリカの政策なり、要員によってひき起こされた場合、民間人の死亡は、遺憾ではあるが、不可避な巻き添え被害となる。罪のない“婉曲語法”どころではなく、こうした言葉の歪曲は、アメリカ政治文化における主流思考体系の本質的特徴を明らかにしている。

愛情省で“再教育”されながら、ウインストンは“自らクライムストップ(犯罪中止)の学習を始めた。彼は自らに命題を課した。‘党が地球は平らだと言う’、‘党が氷は水よりも重いという’それと矛盾するような主張は無視するよう、あるいは理解できなくなるように自分自身を訓練したのだ。それは容易なことではかった。… それには…一種のたゆまざる頭の体操、ある瞬間に、論理を最も巧みに使ったかと思うと、次の瞬間には、最も明白な論理的誤りにも気づかない、という能力が必要なのだ。”

就任直前にテレビ放送されたインタビューでオバマが語った論理を解釈するには同様な“頭の体操”が必要だ。“拷問や令状無しの盗聴を含むブッシュ政権の最大の犯罪を、独立に調査するための”特別検察官を任命するのかどうか質問されて、ハーバードで教育を受けた元憲法学教授は答えた。“我々は過去を振り返るのではなく、将来に目を向ける必要があると信じている”。これは、どんな事にたいしても、どんな人物をも、告訴することを除外するという原則だ(しかしこれも、アメリカという国家、あるいは国家がその権益を代表している寡頭金融支配層によって犯された犯罪に対してのみ行使されるのに違いない)。

小説の始めに、ウインストンは破壊的行動に取りかかる。個人的な日記を書き始めるのだ。彼は切ない気持ちでこう記す。“未来へ、あるいは過去へ、思想が自由な時代に向けて。”オーウェルは“欺瞞に満ちた時代において、真実を語ることは革命的行為である。”という表現をした功績を讃えられている。アメリカの政治支配層によるニュースピークに攻撃されている私たちは、明らかに欺瞞に満ちた時代に生きている。我々は全員がウインストン・スミスであり、思想が自由な時代への道を照らすために、真実を語る革命的行為を目指すべきなのだ。

注:

(1) ジョージ・オーウェル著作集第4巻(“In Front of Your Nose”)、1945年-1950年 546ページ第158項 フランシス・A・ヘンソンへの手紙(抜粋)(ペンギン)(ジョージ・オーウェル著作集第4巻、邦訳は平凡社、ただし絶版。)

(2) オーウェルの政治的軌跡の分析については、ビッキー・ショート、 および、フレッド・マゼリス、を参照のこと。(いずれも英語)

(3) タイム誌、1949年6月20日、で読める

(4) エッセイ“政治と英語”(英語原文は、例えば: http://www.george-orwell.org/Politics_and_the_English_Language/0.html)邦訳は、小野寺健訳『オーウェル評論集』岩波文庫中の『政治と英語』、あるいは、川端康雄編『 水晶の精神-オーウェル評論集2 』、平凡社ライブラリーの『 政治と英語 』(工藤昭雄訳)

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/jun2010/1984-j12.shtml

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階級構造が?「固定化しているのだから、流動化させるには戦争しかない」という、わけの分からない青年の言説が、大手新聞社月刊誌に載って、びっくりしたことがある。著者の意見に驚いたのではない。とんでもない、真っ赤な嘘をもてはやす、大手マスコミの下劣さに。本物の大本営ではないか?それ以上に、既に庶民は、戦争しか選択肢がない状況に、追い込まれていて、その論説に激怒しないことに。幸にくだんの月刊誌は廃刊になった。

戦争で階級構造が流動化するのであれば、建国以来、戦争を続けているアメリカ、上下構造が、何度もひっくり返っているだろう。ドラム式洗濯機のように。ところが現実は、Rich get richer, poor get poorer. 富者は益々富み、貧者は益々貧窮化してきただけだ。歴史が物語る、見るだけでわかるのに、庶民、歴史を勉強して生きているわけではない、のだろう。

戦争の目的は領土を征服したり、守ったりすることではなく、社会構造をそっくりそのまま保つことにある。

かくて『それで、日本人はまたもや「戦争」を選んだ』というベストセラーが書かれることになるだろう。

上記の文章中で、『1984年』翻訳は、新庄哲夫訳と高橋和久訳を適宜参照・利用させていただいた。

『1Q84』という本、どういう話か全く知らないが、町の書店に山積み。解説書や研究書?さえ並んでいる。宗主国のアメリカやイギリスでは『1984年』の研究書なら並んでいるが。

同じ費用と時間、本家?『1984年』にも、かけられては如何だろう。新訳版、わずか860円で読める。

現代日本にとってリトルピープルの『1Q84』よりもビックブラザーの『1984年』の方が切実な話題ではなかろうか?(リトルピープルというのが何か知らないので、説得力ゼロだ)

ただし『1984年』、面白さを期待されると、大いに裏切られるだろう。全編、暗い現実描写ばかり。楽しいわけもない。

父親、ビルマでの阿片生産を管理する役人だったが、オーウェル、自らビルマ人を支配するビルマ警察官となり、離職。二代にわたり、イギリス植民地支配実務を体験したわけだ。スペイン内戦で志願兵として戦い、強烈な反スターリン主義者になった後、イギリス帝国のメディアBBCで、戦争推進プロパガンダ放送に尽力した経験から導きだせる帰結がこの本だろう。マスコミを駆使した、新たな帝国の姿を素直に想像したのだろう。

期待できるものとして、プロールがあるというが、とってつけたような話。例えば、今回選挙の結果をみれば、プロール、喜んで自分の首を絞めることしか思いつかないものであることは明らか。この点、日本や宗主国に関する限り、まったく的を得ていない。そうでも書かねば、暗すぎて本は売れないだろう。しかし、真実は、暗く、絶望的なのだ。

選挙結果、普天間問題を誤魔化したことへの正当な怒りもあったはず、と考えたいものだ。しかし、それが本質的理由なら、自民やらみんなの党の議席増加などありえまい。小選挙区制という歪んだシステムも貢献したろう。自民、民主、みんなの党、公明といった、属国化推進政党が圧倒的大多数。株価はいざ知らず、庶民の生活、ますます悪化するだろう。自業自得。「基地問題での敗北」「属国容認で敗北」という形になるのをさけるため、マスコミ、民主、自民、みんなの党、公明という構造体が協力して、基地も、大幹事長も隠蔽し、「消費税増税で敗北」ということにしたのではないだろうか。実質的に、属国傀儡議員の人数=与党連合、全体は、増強こそすれ、まったく、びくともしていないのだから。具体的には下記記事にある現実状況なのだ。

2010.07.18 参院で9条改正(破壊派だと思うが)派が多数に

大幹事長が再度登場したとて、属国化の促進以外に一体何ができるだろう。

長いものにはまかれろ文化にいきる「ゆで蛙の王様」現象。といえば言い過ぎか。いんちき政党への投票示唆のみならず、「選挙に行く気をそぐ」こと自体が、マスコミの大切な仕事なのではあるだろうが。

一党国家: オセアニア同様、日本も既に、宗主国アメリカ同様、事実上、一党国家だ。二つの巨大企業政党が、偽って二つの“対抗している”党であるかのごとき振りをしているのだ。実際には、 両党は、実際は一つの党の軟派・硬派二派閥に過ぎない。金融支配層が経済的に重要なあらゆる物事と、資源開発を、しっかり支配している。日本版の一党国家は、表面上、明らかにそうでないもののように見えてしまうがゆえに、実際オセアニア版よりも一層危険な程、オーウェル風だ。オセアニアは、民主主義のふりをしようと気を使わないだけ、少なくとも十分に“正直”だ。

基地は平和だ。やつらの党は貧乏人の党だ。消費税は貧乏人の為だ。(『動物農場』のへたな真似。)

オウーェルのすごさ、『1984年』だけではない。『動物農場』に描かれる、変革で農場主が交代しても、生活レベルが全く向上しない農場に暮らす豚の様相、民主党政権下の日本そのまま。もちろん、自民党政権にもどっても、なにも良くなりはしない。

原作も素晴らしいが、『動物農場』をネタに、政治のカラクリを書かれた「オーウェル『動物農場』の政治学」西山伸一著 ロゴス 2010年1月刊 1800円を合わせてお読みになれば、オーウェル、二冊の本で、日本の現在を予言してくれたのではないか?と思われるかも知れない。「オーウェル『動物農場』の政治学」178ページから180ページまで転記させていただこう。

 「自主的示威行進」がもたらす「自由」

  動物たちの食糧配給量は、12月に続いて2月にもさらに減配されました。食糧は「輸出」され、動物農場の運営に必要な資金確保に充てられたのです。一方、豚たちは砂糖が禁止されているにもかかわらず、太ってさえいました。おまけに、ビールの配給まであったのです。

  いろいろなつらいことを我慢しなければならなかったけれども、彼らは、今の生活は、過去の生活よりもっと品位のある生活なのだ、と思い直して、やるせない思いを多少まぎらしていたのだった。歌や、演説や、行列はふえた。ナポレオンは、毎週一回、動物農場の戦いと勝利を記念するための、「自主的示威行進」とかいうものを実施せよ、と命令した。〔中略〕概していえば、動物たちはこのようなお祭り騒ぎが好きだった。なんといっても、自分たちが、ほんとうの意味自分たちの主人であり、自分たちのする仕事は、すべて自分たちの利益のためなのだ、としみじみ感ずるのは、彼らにとって愉快なことだったのだ。〔中略〕四月になって、動物農場は共和国の宣言をしたので、大統領を選挙しなければならなくなった。候補者はナポレオンただひとりで、彼は全員一致で当選した
[121-122][137-139]

 減配に次ぐ減配ですので、いかに動物たちの記憶力に問題があろうとも、生活が以前より苦しくなったことは容易に実感されました。それでも、不満がナポレオン体制に向かうまでにはまだ至りません。動物たちは、ひもじい思いを「品位」にすがることで、どうにか心の折り合いをつけようとします。
 ナポレオンは、動物たちのこの心理状況を敏感に察知しました。そこで、すかさず「自主的示 威行進」を発案します。やらせておきながら、「自主的」というのがミソです。これを通じて、 実際には豚たち支配階級に搾取されている動物たちにその実態を意識させない。むしろ、自分たちは決してだれかの奴隷ではなく、自分たちが主人であり、自分たちの仕事はだれかのためではなく、自分たちのためなのだと、彼らを集団催眠にかけることに成功します。
 選挙も一種の集団催眠かもしれません。フランスの社会啓蒙思想家であるルソーは、「イギリス人民は、自分たちは自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれてしまうと、彼らは奴隷となり、何ものでもなくなる」と述べました。
この言い方にならえば、動物農場で動物たちが自由なのは、「自主的示威行進」のあいだだけで、それが終われば、彼らは奴隷となるのでした。
 これまで、ナポレオンを動物農場の「指導者」としてきた正当性の根拠は、動物革命を勝利に導いた彼のカリスマ性でした。その活躍ぶりは、カリスマ的指導者としてつじつまが合うように、都合よく潤色され、神話化されました。
 さりとて、政権が長期化するに及んで、いつまでも「過去の栄光」に頼ってばかりもいられなくなります。正当性の新陳代謝が求められるのです。そこで、ナポレオンは選挙に訴え、合法的に選ばれることで、新たな正当性を獲得しました。
 同様に、周期的な総選挙の実施にも、正当性の新陳代謝を行う意味があります。権力の陳腐化を防止するのです。政党であれば、きちんと定期党大会が開催されているかが、その組織の健全さをはかる指標になります。

2010年1月 4日 (月)

オーウェルの『2010年』の世界にようこそ

John Pilger

2009年12月30日 "Information Clearing House"

小説『1984年』の中で、ジョージ・オーウェルは、その戦争言語では、嘘が反転して、「過去の歴史、真実とされてしまい、‘過去を支配するものは、未来を支配する。現在を支配するものは、過去を支配する’が党のスローガン」だという、オセアニアと呼ばれる全体主義国家を描いた。

バラク・オバマは現代オセアニアの指導者だ。二十一世紀の十年最後の二つの演説で、ノーベル平和賞受賞者は、平和は、もはや平和ではなく、“アフガニスタンとパキスタンを越え、不安定な地域や、拡散した敵へと遥かに広がる”永久戦争だ、と述べた。彼は、これを“世界の安全”と呼び、我々がアメリカに感謝をするように求めた。アメリカが侵略、占領した、アフガニスタン国民に対しては、機知豊かにも、「我々はあなた方の国を占領することに関心はない。」と言ってのけた。

オセアニアでは、真実と嘘は不可分だ。オバマによると、2001年のアメリカによるアフガニスタン攻撃は、国連安全保障理事会によって承認されている。国連の権限など皆無だったのに。彼は、9/11後“世界”は侵略を支持したのだと述べた、しかし実際には、ギャラップが調査した37ヶ国のうち、わずか三カ国を除く、他の国々は大反対を表明していた。アメリカは、“タリバンが[オサマ]ビン・ラデンの引き渡しを拒否した後、ようやく”アフガニスタンを侵略したのだと彼は語っている。2001年、タリバンは三度にわたり、ビン・ラディンを裁判のために引き渡そうとしたが、それは無視されたのだと、パキスタン軍事政権は報じている。戦争を正当化するための、9/11のオバマによる神秘化すら偽りだ。ツイン・タワーが攻撃される二ヶ月以上も前に、パキスタン外務大臣ニアズ・ナイクは、ブッシュ政権から、アメリカの軍事攻撃が十月中頃までには行われると聞かされていた。クリントン政権が秘かに支援していたカーブルのタリバン政権は、カスピ海への石油とガス・パイプラインを巡るアメリカの支配を保証するのに、もはや十分“安定”しているとは見なされなくなっていた。タリバン政権は打倒されなければならなかったのだ。

オバマの最もずうずうしい嘘は、今日のアフガニスタンが、アルカイダによる対西欧攻撃のための“安全な避難場所”だというものだ。彼の国家安全保障顧問ジェームズ・ジョーンズ将軍自身が、10月、アフガニスタンに、アルカイダは“100人以下”しかいないと語っている。アメリカの諜報機関によると、タリバンの90パーセントは、到底タリバンとは呼べないしろもので、“アメリカが占領軍であるがゆえに、自らを反米と考えている現地部族の武装反抗勢力”なのだ。戦争は、詐欺行為だ。末期的に愚かな連中だけが、オバマ・ブランドの“世界平和”に忠実であり続けている。

ところが表面下に、本格的狙いがある。イラクで、暗殺部隊で功を成した物騒な人物、スタンリー・マクリスタル大将の指揮下、最も貧しい国の一つの占領は、オセアニアの権力が及ぶ範囲を超えた、世界中のこうした“不安定な地域”に対するお手本だ。これは、軍隊、援助団体、心理学者、人類学者、マスコミや広報関係の、金のために働く連中を集めた対ゲリラ・ネットワークで、略語COINとして知られているものだ。人々の心を惹きつけることにまつわる専門用語で覆われてはいるが、狙いは、ある民族集団を他の民族集団と戦わせ、内戦を煽り立てることにある。タジク族とウズベク族、対パシュトゥーン族だ。

アメリカは、これをイラクで実行し、多民族社会を破壊した。アメリカは、かつては交婚していた様々な共同体に賄賂を渡し、共同体間に壁を築き、スンナ派を民族浄化し、イラクから何百万人も追い出した。軍隊に埋め込まれたマスコミは、これを“平和”だと報道し、アメリカ人学者達はワシントンに買収され、ペンタゴンにブリーフィングされた“治安対策専門家連中”がBBCに登場し、良いニュースを広めている。小説『1984年』の中と同様、逆こそ真実なのだ。

これとよく似たものが、アフガニスタンでも計画されている。人々は、アメリカとアヘン取引から資金を得ている部族軍長が支配している“目標地域”の中へ追い込まれている。こうした部族軍長達が蛮行で悪名高いことなどどうでもよい。クリントン時代のある外交官は、“安定した” タリバンが支配するアフガニスタンでの女性虐待について、“我々は彼らと共生できる”と言った。お気に入りの西欧救援組織、技術者や、農業専門家達が、“人道的危機”の世話をし、従属させられた部族の土地を“確保する”のだ。

これは理論だ。この理論は、かつては平和だった社会を、民族的-教派的分断が、一掃したユーゴスラビアでは、一応機能したが、南部の住民を囲い込み、分断し、『タリバン』と同様に、レジスタンスを指すアメリカの包括的な用語である『ベトコン』を打ち破るよう計画された、CIAの“戦略村落計画”は、ベトナムで失敗した。

こうしたことの多くの背後には、イスラエルがいて、イラク・アフガニスタン両方の投機的事業で、アメリカに対し助言をしている。民族浄化、壁の建設、検問所、集団的懲罰や絶えざる監視等々が、パレスチナの大半を先住民から奪うのに成功した、イスラエルによる革新だとして喧伝されている。しかし、こうしたあらゆる苦難にもかかわらず、パレスチナ人は決定的に分断されてはおらず、大きな困難をものともせず、一つの国民として持ちこたえている。

このノーベル平和賞受賞者や、彼の奇妙な将軍達や広報担当者達が、我々に忘れて欲しいと願っているオバマ計画の最も顕著な前触れは、アフガニスタンにおける過去の失敗事例だ。19世紀にはイギリスが、二十世紀にはソ連が、あの不毛な国を、民族浄化によって征服しようと試みたが、ひどい流血の後に撃退された。帝国の墓場が彼らの記念碑だ。民衆の力は、時に不可解ながら、英雄的なことが多いが、雪の下に種を残すのだ。侵略者達はそれを恐れている。

オーウェルは『1984年』で書いている。「この空は、ここで眺めているのと同じように、ユーラシアからでもイースタシアからでも、誰にとっても同じものなのだと思うとひどくおかしかった。しかも空の下に生きる人々は、お互いどれだけ似ていることか、世界じゅう何処でも、自分たちと同じような人間が、…お互いの存在さえ知らず、憎悪と嘘の壁に隔てられていながら、お互いとても似ていて…その心と胃と筋肉は、いつの日か、世界を転覆させる力を蓄えつつある。」

www.johnpilger.com

本記事のリンクはInformation Clearing Houseによるもの。

記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article24286.htm

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間もなく「BOOK3」が刊行される『1Q84』という本、「BOOK1」「BOOK2」2冊あわせて200万部以上売れているという。読んだことが(読む予定も)ないので、本そのものについて論評する資格は皆無。それでも『1984年』がさほど売れていない状況で『1Q84』が売れているというのは、この国の文化、歪んでいるのではと思わざるを得ない。オーウェル原作の『1984年』が、『1Q84』10分の1ぐらい売れた上で『1Q84』も売れているなら問題は小さかろう。

『1Q84』売り上げ200万部以上という記事を読むと「日本はガラパゴスのような国」と思えてくる。ガラパゴスを非難しているのではない。観光立国は素晴らしいことだ。世界の他の国々と生態系が大きく違っていることが、商売になって、主要産業として、生きてゆけるのであれば、それで全く問題はないだろう。読んでいない本の著者を非難するのではない。買うのは読者の皆様の自己責任。本を論評する雑誌まで出ている。単純に、日本はガラパゴスのような、外界とは隔絶した特殊文化のようだ、と述べているに過ぎない。ただ、日本は、生態系が大きく違っていること、だけを商売にしては、生きてはいけないだろうと思う。

英語を母語とする国々、あるいは英米旧植民地の国々では『1984年』が広く読まれている。いやオーウェル自身が、それほど読者を獲得できると想像していなかったであろうロシア・東欧ですら、現地語に翻訳され、膨大な読者を得ている。おそらく、日本は、数少ない例外だろう。属国国民が、属国であると自覚していない不思議な国。戦争に負けたのだから属国になっても、やむをえまい。悲しいことであっても、恥ずかしいことではないだろう。独立国のふりをするのが恥ずかしいだけのこと。ともあれ英語圏では、オーウェルの『1984年』のような状況、と言っただけで、わかる人はわかる。「だからどうだ」とおっしゃるむきもあるだろう。

英語を母国とする国、具体的には、宗主国では、授業で『1984年』を教えるというのを、どこかで読んだ記憶がある。英語アンチョコ本が売れている様子を見ても本当のようだ。

『1Q84』という本、単なる想像でしかないが、『1984年』ほどの「毒」は、つまり気味が悪いほど未来を予言している部分は、さほどないのではあるまいか?題名をちゃっかり流用しただけで、全く無関係なのかも知れない。

もしも、いわゆる「本歌取り」であれば、読者は、元の歌を知っていてこそ、面白さ・理解は増すだろう。そうでなくとも、『1984年』、外国人との英会話とは言わないが、中身ある会話をするのに『1Q84』より役にたつだろう。『1Q84』をくさしているのではない。『1Q84』には、まだ英訳がないので日本語が堪能な外国人としか話題にはできまい、というだけのこと。「本歌取り」でないのであれば、まぎらわしい迷惑な題名。オーウェルが生きていたら、訴訟ものだろう。

要するに、こうした、無料、無責任、無内容な後記を読まれるより、翻訳版『1984年』をお読みいただくことを切に願っている。『1984年』、決して「楽しい」、「面白い」本というのでない。現在の状況を、60年ほど前に書いてしまっている「気味悪さ」についてお読みいただきたいと申しあげているだけ。誤解の無いようお願いしたい。

日本、特に選挙では「ガラパゴスのような」属国だと、投票権を得る頃から思いつづけている。少数派原住民にはたまらないが、宗主国から見れば、さぞや面白い温室だろう。次回選挙で、民主党が圧勝すれば、政治的ガラパゴスが永久化する。宗主国から見れば面白い実験かも知れないが、属国国民にすれば、過去はナチス・ドイツ、現在はナチス・アメリカで、実験済みのこと。喜んで民主党に投票される皆様、こちらからは閻魔様にしか見えない。何が楽しくて、自らファシズムにのめり込まれるのか、さっぱりわからない。

上記文章の末尾の引用部分、新庄哲夫訳を参考にさせていただいたが、訳書では下記。

旧版(新庄哲夫訳)では、283ページ中央。

新版(高橋和久訳)では、338ページの終わり近く。

そして、「自民党は我々の力で倒した。民主党で世の中、巧く行く」と我が世の春を謳う皆様には、同じジョージ・オーウェルの名作『動物農場』も大いにお勧めしたい。幸い川端康雄氏による新訳も岩波文庫から刊行されている。もちろん、『動物農場』をお読みになって、行動を変えるような読者がおられるはずもないのは承知の上。

2008年12月25日 (木)

クリスマスの手紙 「百万長者対貧乏作家」

二十二章: 百万長者対貧乏作家 アプトン・シンクレア 真鍮の貞操切符』

本書の主張は、アメリカの新聞は、公共の利益ではなく、私益を代表し、人間性ではなく、財産を代表するものであるということにある。アメリカの新聞は、人をその人物の偉大さ、善良さ、賢さ、または有用さではなく、豊かであるとか、既得の富に対し貢献をしているということで評価するのだ。そして、この主張を試験してみたいと考えたと仮定しよう。極めて科学的な性格の試験をするとしたら、一体どうすれば良いだろう? 財産を代表する一人の人物と、人間性を代表するもう一人という、二人の人物を設定しよう。他の全ての要素を厳密に排除するよう、努力する必要がある。財産を代表する人物は、人間性を除外されており、もう一人の人間性を代表する人物は、財産が除外されているわけだ。この二人の人物を公衆の前に並べ、二人にできるだけ同じ様なことをさせ、新聞に現れる結果を記録するのだ。この結果、財産を代表する人物と人間性を代表する人物の、各新聞に対する相対的重要度が、数学的にインチで示される。そのような正確で科学的な試験を、ここに記録する。

二人の人物をご紹介しよう。一人目は、人間性を代表する人物だ。この試験が行われた時点、1913年12月で、彼は35歳だった。彼はアメリカ合州国全土で有名だったし、また、おそらくジャック・ロンドンを除いて、世界で最も有名な現役アメリカ作家だった。試験の時点で、彼は200ドルしか持っていなかった。

二人目は、財産を代表する人物だ。彼は当時22歳で、四つのことをなし遂げて、広く喧伝されていた。第一に、誕生したこと。第二に、農業上いくつかの実験をすると決心したこと。第三に、知り合いの若い女性と結婚すると決めたこと。第四に、彼が6500万ドルを相続したこと。これらのうち三つは、決して稀なことではない。多くの百姓の息子でさえそんなことはやっているが、新聞は彼らに対して紙面をさくような特別待遇はしない。しかし、最後の一つは実に類まれなことだ。アメリカの歴史始まって以来、6500万ドルを相続した人物など、これまでいなかった。従って、この若者の名声は財産によるものであり、財産以外の何ものでもないことは明白で、議論の余地はないだろう。彼は、社会科学者が実験に必要とするであろうような完璧な見本、生粋の財産人だ。

そこで、この二人の人物の行動を検討しよう。世界資本主義の偉大な機関の一つである「ニューヨーク・タイムズ」は、同社の実際の機能を隠蔽するのに、コンスタンティヌス皇帝に売り渡されて以来、キリスト教会が用いている慈善という古くからの手段に依存しているようだ。毎年十二月始めに「タイムズ」は「最も困窮した百家族」と呼ぶリストを公開し、窮地にある百家族のために募金をつのる。"タイムズ"は、こうした痛ましい家族を生み出す社会制度という問題には、決して立ち入らず、また誰にもこの疑問には立ち入らせない。タイムズは、この制度の犠牲者である百家族に、翌年の12月まで生き長らえるのに十分な金を寄贈し、彼らが再びリストに選ばれる競争に参加できるようして、彼らの窮状を食い物にしているのだ。

これに加え、「タイムズ」は、多様な読者を楽しませるため、毎日曜に写真画報の付録を発行している。日曜日に「最も困窮した百家族」を掲載した際、たまたま同紙は、若きヴィンセント・アスター氏が郷里の私有地に百万ドルの経費で建設中の「レクリエーション館」の写真も載せた。この建物はアスター氏と友人たちが使うためのものだった。公衆にあてる部分は皆無だ。テニスと水泳と体操専用の建物だった。文学、音楽、美術、科学、あるいは宗教のための場所は皆無なのだ。典型的な私有財産制度の産物だった。そこで、人間性を代表する男性は机に向かい「クリスマスの手紙」を百万長者あてに書いた。それは実質的に、何百万人もの同胞が飢えているというあからさまな事実を目にしながら、一体どうしてクリスマスを楽しみ、百万ドルの「レクリエーション館」でスポーツを楽しむことができるのかと彼に問うものだった。この手紙は表現にとみ、面白く、良く書かれていた。ニュースとして、この手紙はあらゆる点で「生き生きした」ものだった。

そこで、第一の試験となった。このヴィンセント・アスター宛の「クリスマスの手紙」は同日中にニューヨーク市のあらゆる新聞の「都市版編集者」宛に速達郵便で送られた。手紙は、朝刊紙と夕刊紙の両方に送られた。一体何紙が掲載しただろう? わずか一紙、ニューヨークの「コール」、社会主義者の新聞だけだ。ニューヨークの朝刊紙も夕刊紙も、他の新聞はいずれも一行たりとも掲載せず、またいかなる形で言及することもなかった。手紙はアメリカのあらゆる大手通信社に提供されていた。で一体何社が扱っただろう? 一社とてない。ニューヨーク以外では、たまたま著者の個人的な友人が編集しているシカゴの新聞「アピール・トゥ・リーズン」が掲載した。かくして、ニューヨークの資本主義ジャーナリズムによる最初の判決が出たわけだ。人間性を代表する人物が書いた手紙は報道価値が、まさに0でしかなかったのだ。

百万長者が新聞編集者たちの判断に同意しなかったという事実がなければ、そこまでで事が終わった可能性も、試験が完了しなかった可能性もあった。百万長者は著者の手紙を重要と考え、それに答えたのだ。

一体どうしてこうなったか私には全くわからない。百万長者の良心に触れたのかもしれない。正真正銘の財産の人以上のひとかどの人物になりたいという大志を抱いたのかも知れない。彼自身が答えを書いたのかも知れない。誰か顧問弁護士が書いたのかも知れない。彼の秘書あるいは他の従業員が書いたのかもしれない--私が知っているのは、二三週間後に百万長者が著者に返事を書き、同時にその手紙を新聞社に送ったのだ。

著者の手紙は、もちろん資本主義に対する攻撃だった。百万長者はそれを擁護する側だ。そこで第二の試験となった。あらゆるニューヨークの新聞が、百万長者から著者への手紙を掲載する機会を与えられたのだ。そして一体何紙がその機会を活用しただろう? 全紙、全ての新聞だ! 全紙がその手紙を掲載した。しかも全文を掲載したのだ! 大半の新聞は百万長者の写真入りで一面に載せた。何紙かは、それに関するインタビューのコラムや、それについて論じる社説を加えた。財産を代表する人物の報道価値に対するニューヨークの各新聞による評価は、まさに100パーセントだった!

いかなる社会科学者にとっても、上記だけで十分だろう。しかし試験は、たまたま更にもう一歩進められることになった。百万長者と比較して、著者は取るに足らないものだという事実によって、著者が完璧にめげてしまったわけではない。私は社会主義者で、社会主義者は、容易には黙らせることができないことが良く知られている。著者は百万長者の主張に答え、百万長者宛に二通目の手紙を送った。そして著者は、またもや、ニューヨークのあらゆる新聞社とあらゆる通信社に送った。百万長者の主張を丸ごと掲載した同じ各社に。そこで、何紙が掲載しただろう? 一体何紙が手紙の全文を掲載しただろう? 一紙のみ、社会主義者の新聞「コール」紙だけだ。一体何紙がその一部を掲載しただろう? そして、掲載した一部分の長さはどれほどだったのだろう? 調べてみよう。

著者の最初の手紙は、新聞の行数で63インチの長さだった。百万長者の回答は19インチで、著者のそれに対する回答は61インチ分だった。もしも、著者は正当な分量以上のものを要求をしていると非難されるのであれば、著者は既存体制を批判しているのであり、それは僅か数行ではなしえないと指摘せざるをえない。その一方、はなはだ愚鈍な人物すら、「あなたには同意しない」と答えることは可能で、しかも簡潔さという美徳を主張できる。また、ここでの問題は、著者が主張したことではなく、それがどれだけ掲載されたのかであることに留意いただきたい。下記は、ニューヨークの主要朝刊紙に、記事がどれ程の長さで掲載されたかを示す表だ。

      著者 百万長者 著者

タイムズ   0   19   0

ヘラルド   0   19   0

プレス    0   19   0

トリビューン 0   19   0

アメリカン  0   19    2

ワールド   0   19      2-1/4

サン            0     19      4-1/2

コール         63    19      61

上記は、見出しについて考慮していない点、留意が必要だ。百万長者用見出しは大きかったが、著者の見出しは小さかった。表は、論説、インタビューや写真、第一面という有利な条件も配慮していない。

数値の重みをより明らかにすべく、パーセンテージで表示しよう。各紙が著者から受け取った原稿は124インチで、百万長者の原稿は19インチであった。まず「タイムズ」から始めよう。この新聞は百万長者の原稿をすべて掲載し、更に自社で調べたいくつかの追加まで載せていた。著者の記事は一切掲載しなかった。そこで、数学的に言えば、「タイムズ」紙は、百万長者と比較して、著者のことを全く無価値と考えていることがわかる。全く同じことが「ヘラルド」、「プレス」および「トリビューン」紙にもあてはまる。「ワールド」は、百万長者のものは100パーセント掲載したが、著者のものは2パーセント以下しか載せず、従って百万長者に50倍以上の便宜をはかっていた。同様に、「アメリカン」紙は60対1の比で彼を優遇した。「コール」紙だけは二人を平等に扱った。つまり「コール」紙は記事を掲載したのだ。

このささやかなエピソードに関する報告を、たまたま人間性の人にして、また財産の人でもあった中国の賢明な老紳士、李鴻章の回想録の一節を引用して終わることとする。

貧乏人は、公の問題に関しては、常に不利な立場にある。そういう人物が、立ち上がって、上司に対して、話したり、意見の手紙を書いたりすると、人々は尋ねる。「助言をしようとしているのは一体どのような人物なのか?」そして彼が一銭も持っていないことが知れると、自分たちの手に唾をはいて、おし返し、手紙など釜の焚きつけにしてしまう。だが、もしも金持ちが、話したり、書いたり、あるいは罵倒したりすると、ラクダの当歳子並の頭脳しかなくとも、背骨の曲がった見苦しい人物であっても、全市をあげてその言葉に耳を傾け、賢いと賛美するのだ。

ザ・ブラス・チェック、アプトン・シンクレア著1920年刊(邦題:真鍮の貞操切符、1929年刊)から

"The Brass Check" Upton Siclair 原書は1920年初版

日本語版は、早坂二郎訳、昭和四年(1929年)十二月六日 新潮社発行 (上記は拙訳)

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アメリカ版「蟹工船」ともいうべき?傑作『ジャングル』を1906年に発表した後の、ジャーナリズムの対応にうんざりして、彼は本書「The Brass check」を書いた。もちろん出版してくれる会社はなく、自費出版。著作権も放棄している。本文章の英語原文全文テキストはこちら

また、食肉工場で働く、移民たちの凄惨な姿を描いた、アメリカ版「蟹工船」『ジャングル』舞台を、アメリカから、日本に、食肉工場を、自動車工場に、リトアニアからの移民を、ブラジルからの出稼ぎの方々に変えれば、基本構造はそのままのように思えるのだが。詳細については、たとえば以下をどうぞ。『石油』についても、あげておこう。

なお、同じシンクレアによる、『石油』、最近アメリカで映画化されたが、換骨奪胎、到底見るきになれない代物。マスコミ記事で読む限り『蟹工船』の再映画化も、おそらくそんなものだろう。『蟹工船』への注目を逸らすような内容だろうと勝手に想像している。『蟹工船』はやはり、山村聡監督の旧作で見ろということだろうか。

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最後の部分に、やや不穏当な表現があるが、90年ほど前のアメリカの文章ということで、あえて、そのまま訳した。あしからず。しかし、マスコミ本来の仕事が、商品宣伝と、洗脳であることは、昔も今も、そして、未来も、変わるまい。テレビは、新聞よりも、洗脳効果、何桁も大きいだろう。「マスコミは社会の木鐸」であった歴史など本当にあるのだろうか?彼らが勝手に考え出した、単に販促目的の耳障りのよい念仏ではあるまいか。商業マスコミに期待などしてはいけない。問題点ずらしが仕事。考えるべき主題、例えば安保・基地問題は、あつかわず、あるいは歪めて報じ、必要のない猟奇的事件ばかり報じる。英語でいうRed Herring報道が彼等の使命。

金と手間をかけなければ、本当に必要な情報が、自然に流れ込んでくるわけなどない、のは自明だろう。

麻生首相が、一億円を稼いだ青年ゴルファーと面談し、クラブをもらった光景は、繰り返し報道される。その一方で、首相豪邸を見学にでかけた富裕ならざる人々のツアーが、警察の壁でガードされ、中途解散を余儀なくされ、逮捕者まででた事件の報道は見ない。気のせいだろうか?90年近くたっても、ジャーナリズムと権力の関係は同じ? 麻生豪邸渋谷ツアーがあえなく中断したあと、参加者の皆様、きっと同じ渋谷で上映中の古典アニメ「動物農場」を見に行かれたと思いたい。チェンジなどと叫ぶ連中がグルであること、くわせものであることを、はっきり描いた古典だから。原作者オーウェルは、ソ連共産主義など、くわせものであると言いたかったのだろう。ソ連なき今、アニメ(CIAが制作資金援助をしている)を見ると、まるで、「二大政党など、くわせものである」ことを表現しているよう。いわゆる「ブローバック」現象?なお、原作とアニメ、結末が大きく違う。是非、原作『動物農場』もどうぞ。そして、ついでに『1984年』も。

なんとも不思議なことに、大手新聞・テレビといった、マスコミを信じ、期待する方々が、本書刊行からおよそ90年たった今も世の中の大多数。

「二大政党」政権交代信者が増えるばかりで、属国の度合いが年々ひどくなる。国民全員が、名作映画「トゥルーマン・ショー」の主人公になってしまったようだ。東京都、大阪府、千葉県の知事選挙を見ていると、日本は、マスコミのおかげで、すっかり、ナチス・ドイツ化しているとしか思われない。北朝鮮のことを笑えまい。喜んで、どちらかのファシストを選ぶ自由があるにすぎない。

小泉政権の経済政策のとんでもない本質をえぐりだすという素晴らしい活動をされた植草氏「痴漢」として袋叩きになった。(とはいえ、最近の民主党マンセー姿勢、全く評価できないが。)一方、小泉政権の経済政策を支えた高橋洋一氏、決して「窃盗犯」として袋叩きにならない。こちらは、植草氏と違って、防犯カメラに、しっかり写っていたという。なんとも不思議。ちなみに、高橋洋一氏、「脱藩官僚の会」(2010/3/8追記:今人気の右翼政党「みんなの党」の元だろう)発起人。(他の発起人メンバーは、江田けんじ氏、岸博幸氏ら。見るからに、なんとも...。岸博幸氏のブログ批判、噴飯ものではないか?こういう先生には習いたくないものだ。(2010/5/21追記:新著『ネット帝国主義と日本の敗北』では、かつてのアメリカ信仰を反省しているようではある。)

アプトン・シンクレアは、名作「ジャングル」を書いた時期、当時主要な「大本営広報部」装置であった新聞との様々な摩擦を通して、その実態を知るに至った。是非、英語原文なり、原文にそえられた、アメリカの教授による解説をお読みいただきたいもの。現代は、新聞以上に、テレビが、圧倒的・驚異的「体制維持」機能を発揮している。

名作映画「トゥルーマン・ショー」で、主人公の人生は、「テレビ」で国中に放送されていた。

テレビは、体制に批判的な学者、評論家はほとんど出演させない。タレントは、ほぼ全員が、むかしでいう「太鼓持ち」。太鼓持ち、滅びたのではない。タレント全員が太鼓持ちと化しただけなのだ。かねづるの言うがままにうごく。長寿番組、すなわち太鼓持ちタレント総出演番組。

そうした「太鼓持ち」代表を、喜んで選ばせる行事が、首長選挙。選挙のたびに、イソップの蛙の王様の逸話を思い出す。ごくまれに、時には、嬉しい地方選挙結果があったりもするけれど。

日本における、テレビ・システム導入と、アメリカによる属国化政策との密接な関係は『日本テレビとCIA』有馬哲夫著で、克明に描かれている。

重箱の隅的な知識をつつく(失礼?)漢検ではなく、マスコミ・リテラシー検定、選挙検定こそが必要なのかもしれない。(英検の方が、個人的には、まだ意義深いのではと思う。)お上が、そうした啓蒙組織を作るはずは永遠にない。欺瞞するための組織なら、いくらでも作るだろう。

ハワード・ジンがいうように、「ひとつだけ覚えておくように。政府は嘘をつくものです。」

ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

世論操作については、天才?バーネイズの暗躍のあとをたどる下記の本がお勧め。マスコミを駆使した世論操作の手法に間する基本図書。たまたま訳者と著者の会見と、あの911が重なるというのも、またすごい偶然。素晴らしい内容には驚かされるが、価格にも十分驚かされるのだけが残念。値段がせめて半額なら、もっと読まれる名著だろう。

スチュウアート・ユーエン 『PR! --世論操作の社会史』

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「天木直人のブログ」の2009年04月25日、
二枚舌を使った大前研一氏 他の中に、「テレビ業界にジャーナリズム精神は存在しない」という記事がある。政界、官界、テレビ界の、世襲癒着構造が書かれている。
テレビ、やはり「エリートの、エリートによる、エリートのための国民白痴化装置」のようだ。もちろん、エリートというのは、買弁のカタカナ表記である。

2008年7月 5日 (土)

帝国か博愛か? 学校では教えてくれなかったアメリカ帝国のこと

ハワード・ジン

占領軍がイラクとアフガニスタンで戦争を遂行し、世界のあらゆる部分で、軍事基地や企業が威圧している現在、アメリカ帝国主義の存在についての疑問など、ほとんど存在していません。確かに、かつては懸命に否定していた考え方は、高慢にも、外聞をはばからずに受け入れられるものとなったのです。

けれども、アメリカ合州国が帝国なのだという発想は、第二次世界大戦で、第8空軍の爆撃手としての兵役を終えて、帰国するまで、全く思いつきませんでした。広島や長崎でぞっとさせられて、自分自身のヨーロッパ都市爆撃という「良い戦争」のけがれのなさについ見なおし始めた後でさえ、そうしたものを、まとめてアメリカ「帝国」という文脈でとらえることが依然としてできませんでした。

皆と同様、イギリス帝国やヨーロッパの他の帝国主義大国のことは知っていましたが、アメリカ合州国も同じものだとは見てはいませんでした。戦後、復員軍人援護法のおかげで大学に行き、アメリカ史の授業を受けましたが、歴史の教科書には、「帝国主義の時代」という章がありました。その章は、きまって1898年の米西戦争と、その後のフィリピン征服について触れていました。アメリカ帝国主義は、わずか数年しか続かなかったように思えました。より広範囲な帝国、あるいは「帝国主義」時代、という考え方にまで到達するような、アメリカの拡張に対する包括的な見方というものはありませんでした。

大陸を横切って進む行進を、自然で、ほとんど生物学的現象であるかのように表現している、教室にあった(「西部開拓」という題の)地図を思い出します。「ルイジアナ購入」と呼ばれる、広大な土地の買収の表現には、空閑地を購入したようなニュアンスしかありません。この領土には、何百ものインディアン部族が居住しており、今で言う「民族浄化」によって、彼らは殲滅させられるか、家から追い出されるかし、白人がそこに定住し、やがて「文明化」や、残忍な不愉快さを予感させる鉄道が行き来する、というような観念は皆無なのです。

歴史の授業での「ジャクソン・デモクラシー」に関する討論も、アーサー・シュレジンガー Jr.が書いた『ジャクソン時代』という人気のあった本も、「5つの礼儀正しい部族」に、ジョージアやアラバマからミシシッピを越え、西方への死の行進を強いて、その途中で4,000人が亡くなった「涙の道」については教えてくれませんでした。南北戦争についての論述で、リンカーン政権が黒人に対して宣言した「奴隷解放」を描いているのと同じ様に、コロラド、サンド・クリークにおける何百人ものインディアン住民の虐殺を記述しているものは皆無です。

あの教室の地図には、南と西方向には「メキシコ領割譲」と題する部分もありました。アメリカ合州国が、メキシコの土地の半分を奪い、カリフォルニアと偉大なる南西部を入手した、1846年のメキシコに対する侵略戦争にとって、これは重宝な婉曲表現です。当時使われていた言葉「明白な運命(Manifest Destiny)」は、もまなく、もちろん、はるかに普遍的なものとなりました。1898年の米西戦争の直前、ワシントン・ポストは、キューバの先を見通していました。「我々は奇妙な運命と向き合っている。ジャングルの中では、口の中で血の味がするように、国民の口の中では、帝国の味がしている。」

大陸を横切る暴力的な行進、更にはキューバ侵略さえもが、アメリカの利害として、本来の領土のことであるように見えました。結局、1823年のモンロー主義は、西半球はアメリカの保護のもとにあるのだと宣言したのではなかったでしょうか? しかし、キューバ侵略の後、ほとんど休む間もなく、地球の裏側でフィリピン侵略がおきたのです。「帝国主義」という言葉が、今やアメリカの行動にぴったりのように思えました。事実、この長い、残酷な戦争は、歴史の本では、手短に上っ面しか扱われていませんが、これによって反帝国主義者同盟が生まれ、そこでウイリアム・ジェームズやマーク・トゥエインは、中心人物となりました。けれど、これも大学では学べなかったことの一つです。

『唯一の超大国』出現

それでも、教室外で読書をすることで、歴史の断片から、大きな寄せ木細工を組み立て始めたのです。最初、全く受け身の海外政策のように思えていた第一次世界大戦に至るまでの十年間が、今度は暴力的な介入の連続に見えてきました。コロンビアからの、パナマ運河地帯の奪取、海軍によるメキシコ沿岸砲撃、ほとんどの中米諸国への海兵隊派兵、ハイチやドミニカ共和国に派遣された占領軍。こうした介入の多くに参加した、数々の勲章を持つスメドレー・バトラー将軍が、後に書いています。「私は、ウォール街の使い走りだった。」

第二次世界大戦以後の日々、私が歴史を学んでいた、まさにこの時期、アメリカ合州国は、単なるもう一つの帝国主義大国ではなく、世界有数の超大国でした。核兵器の独占を維持、拡大すると決心し、アメリカは太平洋の孤島を占拠し、住民に退去を強い、島々を更なる原爆実験用の地獄のような施設に変えて行きました。

回顧録『避難場所無し(No Place to Hide)』の中で、そうした実験で放射線を監視したDavid・ブラッドリー医師は、実験チームが帰国した後に残されたものについて書いています。「放射能、汚染、破壊されたビキニの島々と、島を追われた、悲しげな目をした我慢強い人々。」太平洋での実験の後、長年にわたり、ユタやネバダの砂漠での更なる実験が続き、合計千回以上の実験が行われました。

朝鮮戦争が1950年に始まった時、私はコロンビア大学の大学院生として歴史を研究していました。大学の授業は、どれ一つとしてアメリカのアジア政策理解に役立ちませんでした。けれども私は、I. F. ストーンの「ウィークリー」を読んでいました。ストーンは、朝鮮への派兵に関する、政府による正当化に疑問を呈した数少ないジャーナリストの一人でした。当時、アメリカの介入を促した原因は、北朝鮮による韓国への侵略ということよりも、特に共産主義者が中国で権力を握っている以上は、アジア大陸に確固とした足場が欲しいというアメリカ合州国の願望であることが明白であるように思えたのです。

何年も後に、ベトナムへの秘密介入は、大規模で暴虐な軍事作戦へと化し、アメリカ合州国の帝国主義的設計は、私には一層明らかになりました。1967年に、私は「ベトナム:撤退の論理」という小さな本をかきました。その頃には、私は反戦運動に深く関与していました。

ダニエル・エルズバーグが私に預けたペンタゴン・ペーパーを何百ページも読んだ時に、私の目に飛び込んできたのは、国家安全保障会議の秘密メモでした。東南アジアにおける、アメリカの利害関係を説明しながら、アメリカの動機は、「すず、ゴム、石油」の探索だったとあからさまに語っていたのです。

米墨戦争での兵士の脱走、南北戦争時の徴兵暴動、世紀の変わり目の反帝国主義運動、第一次世界大戦に対する強い反対等々を含め、実際、アメリカ史上、ベトナム戦争反対運動の規模に達した反戦運動は皆無です。少なくとも、あの反対運動の一部は、ベトナム以上のものが危機にさらされているのだ、あの小さな国における暴虐な戦争は、より大規模な帝国設計の一部なのだ、という理解に基づいていました。

アメリカのベトナム戦争敗北に続く様々な介入は、依然君臨している超大国が、強力なライバルのソ連が崩壊した後でさえ、至る所で支配的な立場を確保しようとする死に物狂いの欲求の反映であるように思えました。そこで、1982年のグレナダ侵略、1989年のパナマ爆撃攻撃、1991年の第一次湾岸戦争というわけです。サダム・フセインがクウェートを占領したことに、父親ジョージ・ブッシュは心を痛めたのでしょうか、それとも、彼はあの出来事を、喉から手がでるほど欲しい中東の油田地帯に、アメリカの権力をしっかりと打ち込む好機として利用したのでしょうか? フランクリン・ルーズベルトの、1945年のサウジアラビアのアブドゥル・アジズ王との取引や、CIAによる1953年のイランでの民主的なモサデク政府の転覆にまでさかのぼる、アメリカ合州国の歴史、中東の石油に対する執念を考えれば、この疑問を判断するのは難しいことではありません。

帝国の正当化

9月11日の冷酷な攻撃は(公式の9/11委員会が認めている通り)中東や他の地域におけるアメリカの拡張に対する、強烈な憎悪から生まれました。あの出来事の前ですら、チャルマーズ・ジョンソンの著書『アメリカ帝国の悲劇』によれば、国防省はアメリカ合州国国外に、700以上のアメリカ軍事基地があることを認めていました。

あの日以来、「対テロ戦争」が始まり、更に多くの基地が建設されたり、拡張されたりしてきました。キルギスタン、アフガニスタン、カタールの砂漠、オマーン湾、アフリカの角、そしてどこであれ賄賂を使ったり、強要したりすれば言いなりになる国々に。

第二次世界大戦で、ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアや,フランスの都市を爆撃していた時、道徳的に正当化するのは、議論の余地がない程単純明快でした。我々はファシズムの悪から世界を救っているのです。ですから、別のクルーの射撃手が、彼と私の共通点はお互い本を良く読むことでしたが、彼が、これは「帝国主義者の戦争」だと言うのを聞いて大変に驚きました。いずれの側も、支配し征服するという野望に動機づけられているのだと彼は言ったのです。議論をしましたが解決はしませんでした。皮肉にも、悲劇的なことに、我々が議論をしてから間もなく、この戦友は撃墜され戦死しました。

戦争では、兵士たちの動機と、彼らを戦場に派兵する政治指導者の動機との間には、かならず違いがあるものです。私の動機は、他の多くの兵士たちと同様、帝国主義的野望とは無縁でした。ファシズム打倒を押し進め、侵略や、軍国主義や、人種差別のない、よりまともな世界を生み出したいというものでした。

アメリカ支配層の動機は、私の知り合いの航空射撃手が理解していたように、性格が異なっています。1941年という早い時期に、タイム、ライフ、およびフォーチュン誌のオーナーで大富豪のヘンリー・ルースが、「アメリカの世紀」の到来として、それを描き出していました。彼は言ったのです。「アメリカ合州国が、アメリカが適切と考える目的のために、アメリカが適切と考える手段によって、世界に対し、我々のあらゆる影響力を行使するべき時が到来した。」

これ以上率直で無遠慮な、帝国主義政策の宣言を期待することはまず不可能です。近年、ブッシュ政権の知的侍女たちが、これを繰り返していますが、この「影響」の動機に悪意はなく、「目的」は、ルース風の処方であれ、あるいは、より今風の物であれ、高貴なもので、しかもこれは「本格派ではない帝国主義」だ、という保証まで付けています。ジョージ・ブッシュは二期目の就任演説で言いました。「世界に自由を広めることこそ...現代の使命です。」ニューヨーク・タイムズは、この演説を「理想主義が際立っている」と評しました。

アメリカ帝国というものは、常に超党派プロジェクトであり続けています。民主党と共和党は、交互にそれを拡張し、称賛し、正当化してきました。1914年(彼がメキシコを爆撃した年)、ウッドロー・ウィルソン大統領は、海軍兵学校卒業生に、アメリカは「海軍と陸軍を... 侵略の道具ではなく、文明化の道具として使ってきたのです。」と語りました。そして、ビル・クリントンは、1992年、陸軍士官学校卒業生に語りました。「諸君がここで学んだ価値観は...アメリカ中に、世界中に広げることが可能です。」

アメリカ合州国の人々にとって、そして実際、世界中の人々にとって、こうした主張は、遅かれ早かれ、嘘であることがばれるものです。最初耳にした時には、説得力がありそうに聞こえる論理も、もはや隠すべくもない恐怖によって、あっという間に圧倒されます。イラク人の血まみれの死体、アメリカ兵士のちぎれた手足、中東で、そしてミシシッピの三角州で、自宅から追い出される何百万もの家族。

いわく、戦争は安全保障のために必要である、いわく、拡張は文明に必須である、という、アメリカ文化の中に埋め込まれた、私たちの良識を攻撃する帝国の正当化は、私たちの心に対する影響力を失い始めたのではないでしょうか? 世界の中に、アメリカの軍事力ではなく、博愛を広めるという、新しい暮らし方を受け入れる用意ができるような、歴史上の地点に、私たちは到達したのでしょうか?

上記は、下記に翻訳した「民衆のアメリカ史」コミック版、「民衆のアメリカ帝国史」刊行によせたハワード・ジンの記事翻訳。

下記を参照:

ハ ワード・ジン: 帝国の終焉?(「民衆のアメリカ史」コミック版によせて)

本記事原文のurl:www.alternet.org/audits/81005/?page=1

(原文は3ページにわたっています。)

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