「国内テロリスト」というレッテル:安全保障言説がいかに暴力を正当化し支配を拡大するか
2026年2月12日
New Eastern Outlook
アメリカ当局は、特にICEが関与する衝突で、抗議行動参加者や民間人に対する致死的な武力行使や監視や脅迫を正当化するために「国内テロリスト」というレッテルを益々利用しつつある。

本稿は、最近発生した二件の銃撃事件、公式言説、そして「国内テロリズム」という用語を取り巻く法的曖昧性を検証し、本来極度の暴力を描写するはずの言葉が、反対意見を抑圧し責任を回避するために転用されていると主張する。抗議活動をテロリズムと再定義することは、市民の自由や、国民の信頼や、政府権力は、恐怖ではなく法によって制約されるべきだという原則を損なう危険性があると警告している。
移民関税執行局(ICE)職員に殺害された2人のアメリカ国民に対し、公式対応は遺憾の意も自制も責任追及も示さず、犠牲者を「国内テロリスト」と烙印を押すだけだった。南北戦争にまで遡るアメリカ史において、我々はこうした出来事を何度も耳にしてきた。しかし、近年、こうした出来事に真剣に向き合う人はほとんどいない。時代は移り変わり、レッテルも、意味合いも、人々の反応も変わる。連邦捜査官による民間人殺害はもはやスキャンダルではなく、むしろ必然となっている。遺体が冷めやらぬうちに、物語は既成概念にとらわれ、従順なまま、死者を真の脅威へ、連邦政府のICEを無実の犠牲者と英雄へと変貌させる。
安全と制御の境界線が既に越えられて初めて、社会はその境界線に気づく。
バイデン政権下で、PTA会合で怒り狂った両親を国内テロリストとして捜査するよう執行機関が要請されたことがある。だが現在アメリカで起きている、いわゆる「テロの脅威」は、まさにその典型だ。しかし、狂気の中にも方法論は存在する。ICE反対デモに参加する人々は写真を撮られ、その情報はデータベースに入力され、後日、潜在的国内テロリストとしてフラグ付けされると言われている。
ニュースメディアReasonが伝えた、あるやりとりは下記の通り。
「なぜなら我々には優れたデータベースがあるからだ。そして今、あなたは国内テロリストとみなされている。」 覆面ICE捜査官が、その理由で彼女の車を撮影していたと法律専門家に告げた。何気なく、何の説明もなく発せられたこの発言は、ネット上で瞬く間に拡散し、市民権擁護者の間で警鐘を鳴らした。「国内テロリスト」とは何かという問題は、もはや法的厳密さを問う問題ではなく、むしろこの言葉がどのように使われているかを映し出す鏡となっている。暴力を描写するためというより、正当化するために使われることが多いのだ。私自身も5年前、アメリカ生まれの国民としてアメリカ空港に到着した途端、ロシア・メディアに寄稿したというだけでICE/HLSに拘束された経験があり、気持ちはよく分かる。
ICEは完璧な嵐を醸成している
1月初旬、ミネアポリス在住で3児の母、37歳のレネー・ニコル・グッドさんが連邦移民執行活動中のICE(移民税関捜査局)捜査官に射殺された。連邦当局は直ちに彼女の行動を「国内テロ」と断定した。地元動画には、彼女が車で逃げようとしていた様子が映っていた。これはクリスティ・ノーム国土安全保障長官が致死的武力行使を擁護する際に用いた表現だ。この用語の誤用をミネソタ州当局と法曹専門家たちは直ちに非難した。
わずか数週間後、同じ年齢のアメリカ人で集中治療室の看護師アレックス・プレッティが、市内で進行中の抗議活動と執行措置の最中、ICE(移民税関捜査局)職員に射殺された。連邦当局は再び脅迫と暴力の影を持ち出し、事件を同じ主張で描写した。しかし、これら処刑は全国的抗議を引き起こし、超党派から、この行為だけでなく、一部連邦当局者が「国内テロ」というレッテルを貼ったことで、この用語の理解の乖離が露呈している(あるいは都合よく定義されていない)ことへの精査を求める声が上がった。
連邦政府独自の定義は、各機関や法令に散在しており、民間人を脅迫・強要したり、政府の政策に影響を与えたりすることを意図した人命を危険にさらす行為を規定している。だが法律専門家が指摘している通り、アメリカ法には、ある人物を「国内テロリスト」として正式起訴する仕組みはなく、政府が個人をそのような人物に指定することを認める法令もない。つまり暴力的衝突(死に至るものも含む)の後に、この用語が臨機応変に再利用され、致死的武力行使が、防衛上の必要性に、反対意見が、口実に使われる可能性があるのだ。
ミネアポリス住民や全国的な批判者たちが指摘してきた通り、あらゆる抵抗行為や混乱行為が遡及的にテロリズムと言い換えられる場合、その用語は具体的意味を失い、政治的効用を得る。暴力や監視や責任を追及されない、あらゆる警察活動の包括的正当化になる。移民や抗議活動の権利や連邦政府の権力をめぐって深く分断されているこの国において、この弾力性こそが重要問題なのだ。つまり、この法的レッテルは、国民を守るためではなく、遡及的に致死的武力を正当化し、権力がどのように、誰に対して行使されるのかという不快な疑問を沈黙させるために、認識できないほどに拡大解釈されているのだ。
こうした死や拘束や、直接的・間接的な脅迫を総合的に考えると、国家権力が法よりもレッテル貼りによって機能していることが浮き彫りになる。「国内テロリスト」という万能の呪文は、適正手続きを無効化し、致死的武力行使を免責し、反対意見が十分に形成される前にそれを抑制している。浮かび上がるのは、単に濫用的な執行パターンではなく、党派を超えた監視と脅迫の枠組みだ。存在するかどうかわからないデータベース、決して忘れないカメラ、容疑をかけなくても永続的打撃を与える告発。このような状況下では、抗議は犯罪前段階で、言論は疑わしく、意図は推定されるが証明されない。
そこから得られるメッセージは明白だ。ビッグ・ブラザーはただ見ているだけではない。彼は聞き耳を立て、記録し、結論を導き出しているのだ。あなたが誰なのか、何を言うのか、そして益々あなたが一体何を考えているのかについて。監視技術(顔認識など)は、抗議活動に参加する個人を特定できる。これは確実に市民の自由に関する問題を提起するが、少なくとも理論上、国内テロリストというレッテルを貼られることとは別問題だ。
ICE反対デモ参加者全員が今や国内テロリストだ
もし政府がICE反対デモに参加する人を「国内テロリスト」と決めつけるのが新たな手口だとしたら、その定義はもはや意味を失っている。ほとんどのアメリカ人は監視が日常的で、連邦政府データベースが存在することを、ある程度知っている。彼らが抵抗するのは、それを声に出して言うことだ。その話題が出た途端、冗談か空想として片付けられてしまう。それは現実ではないからではなく、不快感を覚えるためだ。歴史を振り返れば、こうした不快感はよくあることだ。安全と管理の境界線が実際に越えられて初めて、社会は、その境界線に気づく。
移民法執行支持者の間でさえ、不安は高まっている。より厳格な国境政策を主張するある人物は、率直にこう述べた。「執行は合法かつ抑制されるべきで、脅迫や死者数に左右されるべきではない」。市民や退役軍人や不法移民が同じ網にかけられるとなると、問題はもはや移民問題ではなく、権力の問題となる。
この状況を不安定にしているのは、警察の戦術だけでなく、政治的駆け引きだ。抗議活動参加者は敵視され、執行機関は兵士のように扱われ、非営利団体は影の立て役者のように扱われる。どちら側も、相手は操られていると主張する。その結果、政策ではなく陰謀、反対意見ではなく脅威を見るよう国民は仕向けられる。この混乱は誰かの役に立つ。常にそうだ。恐怖が明瞭さに取って代わると、説明責任はより困難になる。あらゆる騒動が妨害行為とみなされれば、あらゆる取り締まりが防衛として売り込まれる。
だからこそ、この不快感は重要なのだ。人々は何かがおかしいと感じながら、それを口に出すのを恐れている。一方からは裏切り者、もう一方からは過激派とレッテルを貼られるためだ。中道は、もはや自由奔放な領域と化している。今や最も大きな声は辺境から発せられ、懐疑論は不忠として退けられ、疑問は挑発とみなされる。
歴史の教訓は明白だ。社会は一夜にしてバランスを失うわけではない。言葉一つ一つが崩れていくのだ。「テロリズム」が抗議を意味し、法執行が見せ物を意味するようになると、本当の犠牲者は、信頼と自由だ。かつて信頼していた制度や、互いへの信頼や、権力が依然国民に責任を負っているという考えへの信頼を国民は失いつつある。もはや問題は、アメリカ合衆国で何が変化したかではない。問題は、恐怖が支配する政治をアメリカ人が受け入れるのか、それとも武力の脅威と行使に依然厳しい説明が必要な状況に固執するかだ。
NGO活動や、カラー革命シナリオが利用される可能性についても疑問が残る。彼らはアメリカで返り咲くのだろうか。そして、いわゆるトラブル・メーカーのうち、実際は攻撃を受けている機関のために活動しているクライシス・アクターは一体何人いるのか。このような手口は、連邦政府が私兵を保有する口実を探している偽旗作戦の匂いがプンプンする。今年の中間選挙で、選挙が連邦政府管理下に置かれ、各州から憲法で保障された選挙権が剥奪される可能性を考えると、動機は容易に理解できる。
今問題になっているのは、レッテルが認識できないほど拡大解釈されているかどうかではなく、言葉が暴力を正当化し、監視を黙らせるための武器として利用される体制を国民が受け入れるかどうか、あるいは当局が再び法律や証拠や、当局が守ると主張している国民に説明責任を強いられるよう要求するかどうかだ。
ジェフリー・K・シルバーマンは、ジョージアと旧ソ連に30年間拠点を置くフリーランス・ジャーナリスト、国際開発専門家で、理学士、理学修士学位を取得。
記事原文のurl:https://journal-neo.su/2026/02/12/the-label-domestic-terrorist-how-security-rhetoric-justifies-force-and-expands-control/
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東京新聞 夕刊 一面
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