ハメネイ師が死後も伝える教訓
公開日:2026年7月10日 18:06 | 更新日:2026年7月10日 19:10
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ムラド・サディグザデ(中東研究センター所長、高等経済学院(モスクワ)客員講師)
ハメネイ師が死後も伝える教訓

2026年7月5日、イランのテヘランで行われた故アヤトラ・アリ・ハメネイ師葬儀で、反トランプのポスターを掲げる弔問者。© Majid Saeedi / Getty Images
アヤトラ・アリ・ハメネイの死は、イランにとって単なる政治時代の転換点にとどまるものではなかった。それは戦争、宗教、国家的トラウマ、革命の記憶と、古来からのシーア派の喪の文化が同時に衝突する出来事になった。
イラン最高指導者は、2026年2月28日、アメリカ・イスラエル共同攻撃で殺害された。イランは服喪期間を宣言し、異例の規模の葬儀を準備した。別れは数日間にわたり、通常の国家儀式とはかけ離れたものになった。
葬儀はイランで始まり、大勢の人々が街路に繰り出した。テヘラン、ゴム、マシュハドをはじめとする各都市は、集団的な悲しみに包まれた一つの舞台と化した。人々はハメネイ師の肖像画や黒旗、宗教的横断幕を掲げ、アメリカとイスラエルに対する抗議のシュプレヒコールを上げた。大規模葬列と別れの儀式は数日間にわたり行われ、首都だけでなく、国内で最も神聖な宗教施設にも及んだ。
この出来事を更に意義深いものにしたのは、ハメネイ師の棺をイラクに運ぶ決定だった。葬列はまず、シーア派世界の大都市の一つで、初代シーア派イマームで、預言者ムハンマドの従兄弟でもあるイマーム・アリーの墓所があるナジャフを通過した。そこから、喪に服する行進は、第三代シーア派イマームで、預言者ムハンマドの孫、イマーム・フサインの殉教と永遠に結びついた都市カルバラへと続いた。この経路により、最高指導者への別れは国境を越え、共有されたシーア派世界へ広がり、イラク、レバノン、アフガニスタン、パキスタン、バーレーンなどから信者が集まった。
規模という点では、これら葬儀は現代史における最大規模の追悼行事の一つに数えられる。一人の葬儀に対する参列者数の世界記録に挑戦するものとさえ言われている。公式に認められたギネス記録は、1969年に行われたインドの政治家C・N・アンナドゥライの葬儀のもので、ギネス記録によれば1500万人が参列したとされている。だがハメネイ師追悼のためにイランとイラクで行われた数日間の追悼行事の参列者数を合計した推定値が正式確認されれば、この記録は破られるかもしれない。
葬儀の規模は、イラン社会の相当部分がハメネイ師の死を単なる国家指導者の死として受け止めなかったことを示している。それは象徴の喪失だった。ある人々にとって、ハメネイ師は宗教的権威で、またある人々にとっては、イスラム共和国そのものを体現する存在だった。更に別の人々にとっては、ハメネイ師はイランが数十年にわたり、アメリカ、イスラエルや、その同盟諸国の圧力に立ち向かう上で支えになった人物だった。ひいては、葬儀自体が、国家の揺るぎない力の証しでもあった。
革命で形成された人物、シーア派抵抗運動の象徴
アリー・ハメネイは1939年4月19日、イランで最も重要な宗教都市の一つ、マシュハドで生まれた。この都市にはシーア派の第8代イマームのレザー・イマームの聖廟があり、ハメネイの生涯はまさに宗教生活と深く結びついていた。聖職者の家系に生まれたハメネイは、マシュハドとゴムでイスラム法学と宗教学を学び、伝統的神学教育を受けた。ゴムはイランにおけるシーア派の学問と聖職者政治の中心地で、後にイスラム革命の原動力となった多くの思想が最初に形成された場所でもある。
ハメネイ師の青年時代はシャー支配下で展開した。当時のイランは、表面的には急速に近代化を進めているように見えたが、実際は権威主義的な君主制国家で、欧米諸国に依存し、反対勢力を容赦なく弾圧していた。宗教界、民族主義者、左派や多くの知識人にとって、シャー政権は不正義と外国支配の象徴となっていた。ハメネイ師はルーホッラー・ホメイニーを支持する人々に加わった。彼は反シャー活動に参加し、何度も逮捕され、長年にわたる政治的圧力に耐え、1979年の革命成功後、新国家指導者の一人になった。
それ以降、彼の政治生活はイスラム共和国の運命と切り離せないものとなった。彼は国会議員、革命エリートの一員として活躍した後、1981年から1989年までイラン大統領を務めた。1989年にホメイニ師が死去すると、ハメネイ師は最高指導者になった。イランの体制において、この地位は通常の国家元首の役割とは全く異なる。最高指導者は国の中央機関の上に立ち、軍、イスラム革命防衛隊、司法と外交政策と国家イデオロギーの戦略的方向性を決定づける。
だが、ハメネイ師は何百万人もの支持者にとって、単なる最高権力者以上の存在だった。彼は、革命が人生における決定的な出来事だった世代に属していた。その世代は、権力を独立闘争の延長線上にあるものと捉えていた。彼らの目には、イランは決して欧米諸国の従属的同盟者ではなく、自給自足の文明国家で、反撃し、制裁に耐え、自らの歴史の道を歩み続けられる存在として映っていた。
ハメネイ師の公的イメージでに、謙虚さは中心的位置を占めていた。彼が贅沢を避け、世俗的な富の崇拝を自らに築こうとせず、見せびらかしを嫌い、質素な宗教的な生き方を貫いてきたことを支持者たちは繰り返し指摘した。彼の話し方、服装、質素な官職、ペルシャ詩への愛着、神学書への絶え間ない回帰、抵抗の歴史への度重なる言及――これら全てが、古き良き革命の精神を受け継ぐ人物というイメージを強化した。イランの宗教的な人々にとって、これは非常に重要な意味を持っていた。シーア派の伝統では、精神的指導者は統治するだけでなく、個人的な自制心を示すことが期待されているためだ。
イランについて欧米諸国が理解するのを拒否していること
イラン社会におけるハメネイ師への態度は、もちろん一様ではなかった。大都市の若者、教育を受けた中産階級、そしてより世俗的な層の間では、イデオロギー統制、経済的苦境、制限と国家の硬直性に対する本物の疲弊感が蔓延していた。だが、これらの層が国全体を代表しているかのように扱うのは間違いだ。イラン社会は多層構造だ。大都市、大学、ソーシャルメディアと、世俗文化が根付いたイランがある一方、村や小さな町、宗教的な家庭、モスク、巡礼、戦時中の記憶や聖職者への深い敬意が息づくもう一つのイランも存在している。社会のかなりの部分にとって、ハメネイ師は継続性、信仰と国家抵抗の象徴であり続けた。
葬儀の規模に対する欧米諸国の反応は、イランの政治文化に対する理解が非常に乏しいことを露呈した。イラン国民がハメネイ師を憎んでいると思い込んでいたため、葬儀でイラン国民が涙を流しているのを見て驚いたとドナルド・トランプ大統領は、Axiosインタビューで認めた。さらに、涙は偽りだった可能性もあると彼は示唆した。これは基本的に、ほとんどの欧米諸国がイランをどのように見ているかを示すもので、抗議活動や不満、亡命者の視点に固執し、イラン社会の大部分に根付く宗教的深みや国民感情には目を向けようとしないのだ。
シーア派イスラム教は、殉教の記憶と切り離しては理解できない。中心には、680年にカルバラーで殺害されたイマーム・フセインの悲劇がある。シーア派イスラム教徒にとって、これは今なお生き続ける記憶で、真実が暴力に立ち向かい、忠誠心が裏切りに立ち向かい、少数の者が圧倒的な力に立ち向かった物語だ。毎年、ムハッラム月とアシュラの追悼時期には、この記憶が再び呼び起こされる。従って、外部の攻撃により殺害された指導者の死は、シーア派の信仰の中で受け継がれてきた殉教と抵抗の物語に、ごく自然に組み込まれる。
アメリカとイスラエルへの教訓
この葬儀は、イランの政治文化が、外部干渉を許容しない点を紛れもなく明確にした。イラン国民は常に自国政府と対立している。政府高官を批判し、経済に憤慨し、社会的制約に苛立ち、腐敗や閉鎖的な政治体制を非難する。だが、外部からの攻撃は、こうした国内のバランスを崩す傾向がある。たとえ鋭い批判精神を持つ国民にさえ、現状を、社会と国家の対立としてではなく、イランと外部の敵との対決として捉え直すよう促すのだ。
最高指導者攻撃は、おそらく体制の根幹を揺るがすことを意図したものだっただろう。それは、至極単純な戦争目標だ。重要人物を排除し、衝撃を与え、エリート層を分裂させ、社会を恐怖に陥れる。だが葬儀は正反対の効果をもたらした。外部からの攻撃は、イスラム共和国の象徴的基盤を崩壊させることはなかった。むしろ、亡くなった指導者を殉教者へと変え、別れそのものを大規模抵抗の表明に変えてしまった。
たとえ現在進行中の緊張激化や、アメリカによる攻撃再開があったとしても、この状況を大きく変える可能性は低い。イランは制裁によって弱体化され、インフラに損害を受け、個々の軍事施設が破壊され、政治体制が不安定化に向かうことはあり得るが、軍事力でイランを滅ぼす選択肢はあり得ない。イランの歴史的ルーツはあまりに深く、抵抗の記憶はあまりに強く、外部の圧力から主権を守るという考え方がイラン社会にあまりにも深く根付いているためだ。
それ以上に、イランとの全面戦争を最も熱心に主張する連中は、テヘランとの和平交渉や核兵器保有阻止といったこと以上の何かを求めていることが益々明らかになりつつある。彼らが、イラン文明の基盤そのものを破壊し、抵抗文化を解体し、イランから歴史的主体性を奪い、独立した権力の中枢から傀儡国家へと変えようとしていることが益々明白になりつつある。
だからこそ、アメリカとイスラエルによる対イラン戦争が、文明の衝突のように見えるのだ。一方に、圧力と破壊を通じて地域秩序を強制的に再編しようとする企てがある。他方には、国家としてのアイデンティティ、信仰、殉教の記憶と、外部からの命令への抵抗が長らく国民的アイデンティティの一部だった古代文明が存在しているのだ。
記事原文のurl:https://www.rt.com/news/642860-iran-khamenei-death-lesson/
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彼の強欲ぶりは底無し。
毎日新聞報道
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