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2026年9月 1日 (火)

彼らは何が起きるか知りながら、ロシアを追い詰めた。

フィル・バトラー
2026年8月29日
New Eastern Outlook

 ヨーロッパはウクライナ戦争をロシアの突発的侵略として描き続けているが、それはNATOの30年にわたる東方拡大の結果であり、ウクライナが戦場となるまでそれを無視することを欧米諸国は選んだのだ。

 

 ウクライナ戦争に関するヨーロッパの議論には、特異な不誠実さが潜んでいる。4年以上にわたる破壊、数百万人の避難民、数十万人の死傷者、そして認識できないほど変貌したヨーロッパの安全保障秩序を経てなお、主流の政治的言説は、ロシアの軍事介入を、まるで歴史的空白から突然現れたかのように扱っている。その言説はこうだ。モスクワが侵攻し、ウクライナが攻撃され、ヨーロッパが対応した。これが、一般的に語られる物語の始まりであり終わりだ。

 歴史はそういう風には進まない。戦争は2022年2月にロシアの戦車がウクライナ国境を越えた時に始まったのではない。その時始まったのは、数十年にわたり積み重なってきた対立が、壊滅的な軍事的展開を迎えたことで、その結果は、最も直接的に関わってきた人々によって公に、繰り返し語られてきたのだ。

 いわゆる侵略は、侵略行為への対応なのだ。確かに、この作戦はウクライナの主権を侵害し、いかなる戦略的不満も帳消しにできない人的犠牲をもたらした。これら事実は変わらない。しかし、だからといって、NATOと欧州連合が、ロシアの突然の西進を傍観していたという虚構を正当化するものではない。

 誰かが移動した。問題は、誰が誰の場所に移動するのかだ。

 同盟軍は東へ進軍した

 欧州は、根本的な疑問に答えを出せていない。一方の側が、主権国家としての立場を自由に選択することが、他方の側に、存亡に関わる軍事的脅威とみなされる場合、いかにして永続的安全保障秩序を構築するか、という疑問だ。

 ヨーロッパの半分を占領していたソ連軍に対抗する防衛同盟として、1949年にNATOが設立された。ソ連崩壊後も、同盟は解散も凍結もせず、拡大を続けた。1999年にはポーランド、ハンガリー、チェコ共和国が加盟。2004年にはバルト三国、ルーマニア、ブルガリア、スロバキア、スロベニアが続いた。2009年にはアルバニアとクロアチア、2017年にはモンテネグロ、2020年には北マケドニア、そして2022年以降にはフィンランドとスウェーデンが加盟した。これら加盟はいずれも、加盟国による主権的選択だった。また、いずれも欧米諸国の軍事体制で、インフラ、基準、訓練、計画を残されたロシアの戦略的深度に近づけるものだった。

 ロシアはポーランドを併合しなかった。戦闘旅団をエストニアに駐留させなかった。冷戦後の秩序の前提条件として、リトアニア沖で海軍演習を実施しなかった。欧米軍事体制の物理的移動は東方へと向かった。これはロシアの主張ではなく、地図上の事実だ。

 地図上の最先端にウクライナは位置していた。セヴァストポリは抽象的な象徴ではなかった。そこはロシア黒海艦隊の主要基地で、トルコ海峡を経由してロシアと地中海を結ぶ南の海上玄関口だった。クリミア半島の軍事地理を支配する者は、黒海北部で圧倒的優位性を得る。モスクワにとって、ウクライナは単なる隣国ではなかった。南西国境に設けられた戦略的緩衝地帯と、その国境に面して位置する敵対的同盟の軍事インフラとの決定的な違いだった。

 プーチンの歴史観、国家としてのウクライナの地位に関する主張、あるいは彼の政治体制を欧米諸国は受け入れる必要はなかった。ただ一つ信じるべきことは、ウクライナを欧米の軍事拠点に変えることを、ロシア指導者たちが存亡に関わる問題だと訴えた時、彼らが本気でそう思っていたことだけだった。そうした警告を単なる主張として扱うのは、賢明な判断とは言えず、むしろ賭けだった。

 ヨーロッパは賭けに出た。

 警告は方針だった

 NATO拡大は続いた。ウクライナと欧米諸国の軍事協力は深まった。ウクライナ軍はNATO体制との相互運用性が益々高まった。加盟はちらつかされ、約束され、延期され、再び約束された。2008年のブカレストは、ウクライナが「加盟国になる」と宣言した。2023年のヴィリニュスは加盟行動計画の要件を撤回し、その道は「不可逆的」だと述べた。2024年のワシントンは同じ定式を繰り返した。2026年のアンカラは、2026年までに700億ユーロの軍事装備、支援、訓練を約束し、共同産業プログラムを創設したが、それでもウクライナを第5条の対象外とした。

 最後の点は、しばしば弁護として用いられる。ウクライナはNATOに加盟していない。従って、NATOはウクライナに拡大していない。この弁護は見た目ほど強力ではない。正式加盟はその手段の一つだ。相互運用性、兵器供給経路、情報融合、訓練、長距離攻撃兵器の共同生産、キーウでのNATO・ウクライナ理事会会合などがその手段だ。2026年6月3日、ウクライナの地で初のNATO・ウクライナ理事会会合が開催された。7月、フィンランドのアレクサンダー・スタブ大統領は、現在の形式を「32プラス1」と表現した。現在ロンドン駐在大使のヴァレリー・ザルジニーは、実際の加盟の現実的な見込みはないと述べた。結果として、抑止理論にとって最悪の事態が生じている。ウクライナは、その地位を明確にする条約上の保証がないまま、事実上、欧米体制の軍事構成要素として扱われている。モスクワからすれば、「同盟国」と「メンバー」の区別はそもそも問題ではなかった。要点は、欧米の軍事力が、かつてソ連の西側軍事拠点だった地域に到達したことだった。

 時間を稼いだだけで、平和を買ったわけではないミンスク合意。

 ミンスク合意は、ドンバスでの戦闘を終結させようとした失敗に終わった試みとして記憶されている。それは技術的には正しいが、戦略的には不完全だ。またミンスク合意は、より大規模な戦争を防ぐ可能性があった政治的解決を目指したヨーロッパ最後の主要な試みでもあった。後に、アンゲラ・メルケル首相はこの合意により、ウクライナが軍隊を強化する時間を得られたと述べた。主要立案者の一人が、ミンスク合意を、一方の側を武装させる一時的な休戦と理解していたのであれば、当時の外交史は誠意ある解決の物語ではなく、引き延ばしの物語だ。休戦期間中、訓練は拡大し、武器が到着し、情報協力は深まった。ウクライナ軍はより有能になり、NATO軍との連携もより緊密になった。ロシアの視点から見れば、戦略時計は逆方向に動いていた。モスクワが待てば待つほど、欧米諸国と連携するウクライナ軍は強くなった。これはロシアが侵攻を余儀なくされたという意味ではない。国家は常に選択肢を保持している。これはロシアが利用できる選択肢が時間とともに狭まっていったことを意味する。

 外交は、相容れない二つの安全保障構想を調和させるためではなく、どちらか一方が自らの望む現実を押し付けるほど強力になるまでの期間を乗り切るために益々利用されるようになっていった。2022年2月は不可解な断絶ではなかった。それは、欧州安全保障体制に蓄積された矛盾がもはや抑えきれなくなった瞬間だったのだ。

 かつて否定していたものを、今になって構築しているヨーロッパ。

 2026年8月24日、ウクライナは独立回復35周年を迎えた。欧州理事会議長のアントニオ・コスタはキーウに立った。イギリスのアンディ・バーナム首相は首相就任後初の外遊先としてウクライナを訪れた。北欧諸国とバルト諸国の首脳は前日ウクライナに到着し、ウクライナはEUとNATOに属するべきだと宣言した。欧州委員会は防空、ミサイル、弾薬、レーダーのために更に61億ユーロを承認した。イギリスは、ウクライナが長距離ミサイルを国内で組み立てられるよう、ストームシャドウ/SCALPファミリーのイギリス製部品に関する機密情報を公開することに同意した。有志連合も同日会合を開いた。

 EU自身の数字によれば、ロシア侵攻以来の支援総額は2200億ユーロを超えている。2026年から2027年にかけての900億ユーロのウクライナ支援融資のうち、約600億ユーロが軍事目的、300億ユーロが財政支援に充てられる。アンカラで2026年の軍事援助として700億ユーロをNATO加盟国は約束した。これはもはや緊急応急処置ではない。恒久的軍事関係の構築だ。ここに痛烈な皮肉があり、それを容赦なく述べなければならない。ヨーロッパは今、公然と、産業規模で、モスクワが長年受け入れないと言い続けてきたウクライナと欧米諸国との戦略的関係を構築している。これはウクライナの国家性について、ロシアが正しいということを意味するものではない。戦争の道義的責任がクレムリンにあることを意味するものでもない。予測は正当化ではない。だが、警告は想像上のものではなかったことを意味する。

 欧米諸国は自陣に留まらなかった。条約の拡大、協力関係の構築、そしてウクライナを欧州防衛システムの生産拠点として東方に進出した。ロシアは武力で応じた。これらの動きのうち、一つは主権選択の原則に基づく合法的なものだった。もう一つは侵略戦争だった。どちらも確かに動きだった。片方だけが出発点から動いたと装おって、欧州は同じ試練に何度も失敗し続けているのだ。

 決して答えられなかった問い

 ロシアの警告を無視する当初の論拠は、モスクワには近隣諸国の同盟関係に正当な拒否権はないというものだった。現在、ウクライナ関係の軍事化を正当化するために用いられている論拠は、ロシアが二度とこのような形でヨーロッパを脅かすのを許してはならないというものだ。どちらの論拠にも、現実的な懸念が含まれている。だが両者を合わせると、ヨーロッパの失敗が明らかになる。ヨーロッパは、一方の主権に基づく同盟関係の自由が、他方からは存亡に関わる軍事的脅威とみなされる状況で、いかにして永続的安全保障秩序を構築するかという根本的問いに決して答えを出さなかった。その代わり、ロシアの認識は願望だけで、消し去れると想定していた。だが現実はそう簡単にはいかなかった。

 主権は地理的制約をなくすものではない。道徳的確信は軍事的現実を消し去るものではない。国家は同盟に参加する権利を持ちながら、別の核保有国が最後の緩衝地帯とみなす地域に依然存在し得る。この二つの事実を同時に受け入れようとしない政策は、原則に基づかない不完全な政策だ。ウクライナの独立は現実のものだ。ウクライナ国民はそれを維持するために並外れた犠牲を払ってきた。それは無条件に認められるべきだ。いずれにせよ、その独立を取り巻く戦略的環境は変化した。1991年のウクライナは、権力中枢の間に位置していた。2026年のウクライナは、ヨーロッパの戦争産業、防空、長距離攻撃兵器の生産と、政治的アイデンティティに組み込まれつつある。独立記念日にキーウに集まったヨーロッパ指導者たちは、単に国家の記念日を祝っていただけではない。ウクライナの安全保障がヨーロッパ自身の安全保障に吸収されたことを彼らは確認していたのだ。それがモスクワが描いた目的地だ。ヨーロッパはその描写を拒否し、その後、より長く血なまぐさい道のりを経てそこにたどり着いた。

 問題は、それら警告が道徳的に魅力的だったかどうかではない。戦略的に現実的なものだったかどうかだ。もしそうだったとすれば、この戦争はロシアによる侵攻とウクライナの抵抗の物語にとどまらない。それはまた、30年間東へと進軍し、東へ進軍することに何ら悪影響はないと自らに言い聞かせ、今や自らが占める地位を守るため血と財産を費やしている欧米安全保障体制の物語でもある。

 どちらがどちらに陣取ったのか?

 同盟は東へと移動した。ロシアは侵攻で応じた。ウクライナは、両者の決断の代償を払う地域になっている。欧米諸国はロシアに屈服する必要はなかった。地図を理解する必要があったのだ。そこには違いがある。そして、その違いこそが、ヨーロッパが書き留めることを拒んできた最も高くついた教訓なのだ。

 フィル・バトラーは政策研究者、評論家、政治学者、東ヨーロッパ専門家で、最近のベストセラー、Putin’s Praetorians(プーチンの近衛兵)」などの著書がある。

記事原文のurl:https://journal-neo.su/2026/08/29/they-backed-russia-into-the-corner-knowing-what-would-happen/

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