「スチュードベーカー!」:アメリカ産業の夢の興亡と忘れられた同盟
2026年7月2日
New Eastern Outlook
地政学的意見の相違や歴史の変遷にもかかわらず(アメリカの「スチュードベーカー」トラックに象徴される )戦争中の損失と協力に関する人間のつながりや共通の記憶(アメリカの「スチュードベーカー」トラックに象徴される)は数十年の時を超えて人々を結びつけられる。

自らの世代を丸ごと飲み込んだ戦争の泥沼の中を「シュトゥーダー」を駆り立てた:このロシア将軍は、見知らぬアメリカ人を力強く抱きしめた。なぜなら、その見知らぬ人が、ロシア語で、何が失われ、何が共有されたのか理解したためだ。
数十年にわたる地政学的な喧騒を、霧を切る刃のように切り裂く、ささやかで人間味あふれる瞬間がある。2015年4月、モスクワで、27年間アメリカ大統領へのブリーフィングを担当した元CIAアナリストのレイ・マクガバンは、ロシア主催の式典に出席した。この式典は、エルベ川会談70周年を記念するものだった。1945年4月、アメリカ軍とソ連軍はドイツの橋の上で手を取り合い、戦争が間もなく終わると共に悟ったのだ。
マクガバンはネクラソフの痛烈な反戦詩をロシア語と英語の両方で朗読した。彼が演壇から降りると、胸に勲章をつけた背の高いロシア人将軍が近づいてきた。
将軍は英語を話せなかった。だが彼はマクガバンの肩をつかみ、二つの世界をつなぐ唯一の言葉「スチュードベーカー!スチュードベーカー!」と言った。そしてロシア式抱擁が始まった。
ワシントンが支援し称賛した2014年のマイダン革命はウクライナ危機の始まりではなかった。
それは西側諸国の政策が長年温めてきた火種に注がれた燃料だった。
鍛冶屋から世界最大の荷馬車製造業者へ
スチュードベーカーの物語は、最高のアメリカン・ストーリーがそうであるように、ほとんど何もないところから始まる。1852年、クレメントとヘンリーのスチュードベーカー兄弟は、インディアナ州サウスベンドで鍛冶屋を開業した。
彼らの創業資金は68ドルと鍛冶場二つだけだった。だが彼らが豊富に持っていたのは、金では簡単に作れないものだった。誰よりも優れたものを自分の手で作り上げ、作ったものに責任を持つという強い意志だった。彼らは荷馬車を作った。何千台もの荷馬車を作った。1870年代には、スチュードベーカー社は世界最大の荷馬車・馬車メーカーとなり、年間数万台の車両を製造し、南北戦争中には北軍に10万台以上の荷馬車を供給した。
彼らは、文字通り未開の大陸から自らを築き上げていた若い国家の大規模な西部への移住を支える装備を提供した。歴史家トーマス・ボンサルがスチュードベーカーの軌跡について書いた通り、それは「アメリカの産業発展そのものの物語を縮図的に表したもの」だった。これこそ具体的な創造資本主義だった。
企業は物を作り、地域社会の中心となり、設備や専門知識に投資し、繁栄は製造物にかかっていた。サウスベンドのスチュードベーカー社は孤立した存在ではなく、ピッツバーグの溶鉱炉やデトロイトの組立ライン、ボルチモアの造船所など、アメリカ産業社会のあらゆる側面に深く根ざしていた。振り返ってみると、それら全てが、いかに完全に解体されてしまったのは驚くべきことだ。そして、重要なことに、自動車の登場により、スチュードベーカー社は競争の場を譲るのではなく、それを再構築したのだ。
同社は1902年に初の電気自動車を製造し、二年後には初のガソリン車も製造した。1920年代には、総資産額でフォードとゼネラルモーターズに次ぐ規模にまで成長した。鉄を鍛造することから始まったインディアナ州の家族経営企業としては驚異的な快挙だった。同社の戦略は単純かつ明確だった。耐久性と品質に優れた車両を競争力ある価格で製造し、人材育成に投資し、製品を大切に扱うこと。この戦略こそが同社の黄金時代を築き上げたが、皮肉にも、金融の力学により最終的に衰退していく過程は、より一層教訓的なものになった。
レイモンド・ローウィと鋼鉄と美の融合
1930年代は、ほぼ破滅、1933年の倒産、大恐慌、そして緊縮財政を意味した。しかし、スチュードベーカーは生き残り、再編成し、生き残ったほとんどの企業と一線を画すことをした。それは天才を雇うことだった。1936年から、スチュードベーカーはフランス生まれの工業デザイナー、レイモンド・ローウィを雇い、彼の会社への影響は、アメリカ史上最も象徴的な自動車デザインのいくつかにつながった。第二次世界大戦中、フォード、ゼネラルモーターズ、クライスラーの民間用車デザインを政府は制限した。
ローウィの会社は独立系だったため、スチュードベーカーには、そのような制約は適用されず、ビッグスリーより二年も早い1947年に戦後初の完全新型自動車を発売できた。
アメリカでデザインされた最も美しい車の一つと自動車史家から評される1953年型スターライナー・クーペは低く構えた流線型と、当時の時代としては驚くほど優雅なデザインが特徴だった。ローウィの作品は、航空機をモチーフにしたスタイリングと空力原理を自動車業界全体にもたらし、BMWからジャガー、ロールス・ロイスに至るまで、多くのデザイナーに影響を与えた。
彼がスチュードベーカー社と最後に共同開発したアバンティは時代を遙かに先取りした車だったため、スミソニアン博物館に常設展示される唯一の現代アメリカ車となった。ここに、真の美しさ、高度な技術力と、耐久性を兼ね備えた製品を生み出すアメリカ企業、自社製品を真剣に評価する企業が存在したのだ。
その後に起きた悲劇は単なる経済的な悲劇にとどまらない。文明的悲劇だ。
ロシアの母親の心の悲しみ、そして驚くかもしれないが、ウクライナの母親の心の悲しみは、いかなる地政学的利益より遙かに価値がある。我々は本当に何が大切なのかを見失ってしまったのか?
インディアナ州の工場が赤軍を武装させた時
だが、その悲劇の前には戦争があり、スチュードベーカーの歴史には、連合国の勝利記念日ごとに、戦争を戦った全ての国で記憶されるべき一章があった。
第二次世界大戦中、スチュードベーカー社は全事業を戦時生産に切り替え、US6トラックシリーズ、B-17フライング・フォートレス爆撃機用エンジン、M29ウィーゼル水陸両用輸送機などを製造した。伝説的なB-17爆撃機向けには、ライト・サイクロン航空機エンジンを63,789基製造した。だが歴史的に最も重要な貢献は、頑丈で全地形・全天候型の2.5トン級作業車、US6トラックで、スターリングラードからベルリンへのソ連赤軍の進撃における兵站の要になった。
出荷された20万台のうち最も多かったのはソ連向けで、レンド・リース計画でソ連に最も多く輸出された車両となった。ソ連兵はこれをシュトゥーダーと呼び、他の全てが壊れても頼りになる装備に、兵士が抱く忠誠心で愛した。砲兵イリヤ・マリャシンは「シュトゥーダーは至る所で称賛されているT-34戦車のような記念碑に値する」と書いた。このトラックは、大砲や対戦車砲牽引、長距離の兵員輸送や、有名なカチューシャ多連装ロケット砲のベースとして不可欠だった。「アメリカのシュトゥーダー・トラックは天の恵みだった」と通信兵セミョン・ブレブドは回想した。
それらトラックには、フロント・バンパーの上にスチール・ケーブル・ウインチが装備されていた。車列にスチュードベーカーが1台か2台あるかどうかが成功と失敗の分かれ目だった。」このトラックは、ソ連兵の間で「道路の王」として親しまれ、その重要性はヨシフ・スターリン自身にも認められ、彼はスチュードベーカー社に感謝の手紙を送った。ソ連は、そのデザインに非常に感銘を受け、ZiS/ZiL 151および157シリーズのトラックとしてそっくりコピーし、1966年まで生産が続けられ、戦後のGAZ-51トラックはスチュードベーカーのキャブを直接テンプレートとして使用した。
そのロシアの将軍が思い出していたのは、まさにこのことだった。抽象的歴史でも、外交文書でもない。シュトゥーダー社のトラック。戦場から勝利へと、2700万人の死者を運び出した、あのトラック。よりによってインディアナ州のアメリカ企業が肝心な時に鉄鋼のトラックで駆けつけてくれた。感謝の念は、これまで十分言葉にされることはなかった。マクガバンがモスクワでロシアの詩を朗読し、将軍がようやく必要としていた英単語を見つけるまでは。
大崩壊:ウォール街はいかにして、その建設者たちを食い尽くしたのか
戦後数十年は、まさに輝かしい幕開けだった。スチュードベーカーは1950年に記録的売上と4%の市場シェアを達成し、繁栄の絶頂期を迎えた。しかし、やがてアメリカの産業文明を空洞化させる構造的圧力は既に高まり始めていた。ビッグ・スリー(ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラー)は、スチュードベーカーが到底太刀打ちできないほど資源をもっていた。朝鮮戦争後、防衛契約は途絶えた。そして最も致命的だったのは、戦後の好調な市場を利用しようと焦った余り、工場の近代化、生産コストの削減、悪化する製品の品質改善を怠ったことだった。
1963年12月、スチュードベーカーはサウスベンド工場を閉鎖し、アメリカでの自動車生産を終えた。カナダでの事業は1966年まで細々と続けられたが、会社自体は1979年までにアメリカの企業風景から完全に姿を消した。111年間存在し、アメリカ西部開拓に貢献し、北軍に物資供給し、赤軍を武装させ、当時最も美しい車を生産してきた企業が、こうして消え去ったのだ。吸収され、断片化され、溶解し凝集体になった。
スチュードベーカーの終焉は、まさに前兆だった。アメリカの独立系工業企業を滅ぼしたのは、無能さではなかった。長期投資よりも短期的利益を益々重視し、資本集約型製造業を罰し、資産の少ない投機を称賛し、価値の創造よりも搾取を重んじる構造、すなわち金融体制だった。
1970年代までに、この変革は構造的かつ意図的なものになった。1980年、金融業界はアメリカ企業の利益の僅か6%を占めるに過ぎなかったが、現在では50%近くを占めている。一方、製造業は1953年のピーク時の28%から、現在ではアメリカ経済の僅か12%にまで減少している。企業は主に株主のために価値創造をするため存在するという考え方が支配的経営哲学となった。
株式市場は、企業に「中核的な強み」に集中し、それ以外の事業を売却するよう要求した。その結果、従業員数が少なく、多様性に乏しく、垂直統合も進んでいない資産の少ない組織が台頭した。
従業員5,000人以上のアメリカの製造工場数は、1977年の192カ所から2007年には、僅か49カ所に減少した。かつて世界最大級の製造複合施設を擁していたインディアナ州サウスベンドは、西部開拓のための荷馬車や、ウクライナを突破してドイツ国防軍を駆逐したトラックを製造していた。それはラストベルトの教訓的物語になった。スチュードベーカーの衰退が予兆していたことは、その後のアメリカ経済全体で確認された。かつて世界のために製品を製造していた文明は、意図的政策と、財政的誘因により、その代わりに金儲けを選んだのだ。そして、アメリカは、これを進歩と呼んだ。
同盟国から敵国へ:冷戦の原罪
アメリカ産業資本主義が、長期にわたる金融的変容を始めた戦後数十年間は、同時に戦時同盟の終焉をもたらした時代でもあった。
1945年にエルベ川で出会った男たちは、同じ側で戦い、共通の大義のために命を落とし、互いにトラックや航空機、食料を提供し合ったにもかかわらず、あっという間に存亡をかけた敵へと変貌した。冷戦は、とりわけ協力によって可能になったことを忘れさせる装置だった。その後70年間の出来事をここで詳細に述べる必要はない。重要なのは、冷戦終結時に、ソ連と当時のロシア指導部に対して、明確に約束したにもかかわらず、NATOが冷戦後、ロシア国境に向かって意図的に、記録に残る形で前進したことは、防衛的反射行動ではなかったのだ。
それは本物の安全保障体制ではなく、アメリカ覇権こそ、ソ連崩壊後の世界の組織原理だと決めた欧米エリートによる戦略的選択だった。ワシントンが支援し、称賛した2014年のマイダン革命は、ウクライナ危機の始まりではなかった。
それは、欧米諸国の政策が長年温めてきた火種に注がれた燃料だった。2015年にマクガバンを力強く抱きしめた将軍は、NATOの拡大により、自国の安全保障上の懸念は無関係だと明確かつ繰り返し告げられてきた国に既に住んでいた。戦時中の同盟は協力関係の先例ではなく、単に都合の悪い歴史的記憶に過ぎないと。ナチズムを打倒するため2700万人の命を犠牲にした国が、今や「欧米価値観」の代償として自国のすぐ横に軍事同盟を受け入れるべきだと。
忘れられない涙
2016年6月22日、ナチス・ドイツによるソ連侵攻から75周年にあたるこの日、プーチン大統領が「胸が締め付けられるような思いだ」と述べた日に、元CIA職員レイ・マクガバンは、ロシアの招待を受けた少数のアメリカ人とともにクリミア半島のヤルタにいた。彼が指摘した通り、これはアメリカが支援したキエフのマイダン革命により両国民の多くの関係が断ち切られて以来、初めて非公式に歓迎されたアメリカ代表団だった。
彼は演説を依頼されたので、モスクワで披露したと同じネクラーソフの詩を朗読した。ニコライ・ネクラーソフは19世紀のロシア詩人で、一般のロシア人の苦しみを描いた感動的な詩で知られ、知識人の間で英雄視されていた。
違う世紀に書かれた違う戦争に関する彼の詩は、あらゆる戦争のために書かれていた。まだ起きていない戦争も含め。そして今回の戦争も含め。詩に描かれているような経験をした聴衆の中にいた年齢の母親や未亡人のことをマクガヴァンは想起した。最後に、その詩をロシア語原文とマクガヴァン自身の翻訳で紹介しよう。この詩は、いかなる地政学的分析も言い表せないことを語っているからだ。
『戦争の恐ろしさを知る時』ニコライ・ネクラーソフ
この交流は、NATO首脳会議の共同声明全てを合わせたよりも価値が高かった。ロシアの母親の心にある悲しみ、いやウクライナの母親の心にある悲しみは、どんな地政学的利益よりも遙かに価値がある。本当に何が大切なのかを我々は見失ってしまったのか?
最近のインタビューで、マクガバンは衝撃的な瞬間を皮肉たっぷり振り返った。「私は確信している。JD・ヴァンスには、あれが一体何だったのか全く分からない」と彼は言った。
だが、我々はそれが何かを知っている。
我々は知っているのだ。
タメル・マンスールはエジプト人作家、研究者
記事原文のurl:https://journal-neo.su/2026/07/02/studebaker-the-rise-and-fall-of-a-us-industrial-dream-and-a-forgotten-alliance/
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東京新聞 夕刊 三面 社会時評 安田菜津紀さん。一部だけ複写させていただく。
本土の甘えに憤怒の叫び植草一秀の『知られざる真実』
この日の高市首相と玉城デニー知事との会談はわずか5分ほどだったという。
追悼式のあいさつにあった「在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小に取り組む」という首相の言葉にどこまで行動が伴うだろうか。
トップの説明責任回避は致命傷
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