バックパックの少女達
イランのシャジャレ・タイエベ学校攻撃は明白な戦争犯罪だった。168人の罪のない命を奪ったピート・ヘグセスは、果たして裁きを受けることになるのだろうか?
スコット・リッター
2026年3月15日

2026年2月28日朝、早熟な10歳の少女、アテナ・アフマドザデは学校へ向かった。この日は日曜日で、イランでは平日で、授業は通常通り予定されていた。2025年3月、イラク政府は電力危機を緩和するため、学校時間の変更を義務付けていた。新しい規則では、学校は午前6時に始まり、午後1時に終わることになっていた。そのため、アテナとクラスメートは、学校に時間通りに到着するために、午前4時半という早い時間に起きなければならなかった。
アテナは優秀な体操選手で、数々の地方大会や地域大会に出場経験があった。その日の午後には練習があり、彼女はその期待に胸を躍らせながら、本や書類、体操服を詰め込んだリュックサックを小さな背中に担いで家を出た。
9歳のゼイナブ・ミルハヤリも学校へ向かった。彼女のリュックサックには、二か月後にテヘランで開催される権威ある朗誦コンクールに向けて準備するための教材が入っていた。ゼイナブは何時間もかけてコーランの一節を暗記してきた。彼女はその日の午後、コンクールに向けて準備を続けるのを楽しみにしていた。
7歳のファテメ・ヤズダンパナと12歳のエルサ・ファラヒ・ザデも、リュックサックをしっかり背負って学校へ向かった。年齢は違えど、ファテメとエルサはミナブ郊外の同じ村出身の仲良しの親友で、まるで姉妹のように行動し、服装までお揃いだった。
イラン南部ミナブ市にある「シャジャレ・タイエベ」(良き木)学校の校長、ファテメ・タヘリファルドは、この4人の少女たちと、授業に向かう150人以上の生徒たちを出迎えた。日の出は午前6時30分で、既に地平線には太陽の光が差し込み、新しい一日の始まりを告げていた。
ファテメは、校舎へと案内しながら、一人ひとりの「リュックサックの少女たち」に励ましの笑顔で挨拶した。校門をくぐるこれら「リュックサックの少女たち」は、ファテメの責任で、彼女たちの希望、夢、そして抱負は、ファテメの見守る中で育まれ、成長していくものだった。中には、テレビでニュースキャスターとして活躍する女性たちのようになりたいと願う少女もいた。また、老後の両親の世話をするために医者になりたいと願う少女もいた。さらに、母親になって自分の子供を育てたいと願う少女もいた。ファテメはこれらの夢を知っており、少女たちが夢を実現できる道を選ぶ手助けをすることが、自分の使命だった。

「シャジャレ・タイエベ」学校は2016年に開校し、かつて「サイイド・アル・シュハダ」(「殉教者の主」、カルバラの戦いで殉教したイマーム・フセインに与えられた称号)軍事複合施設に関連する建物を活用した。この施設は2013年まで、イラン革命防衛隊司令部(IRGC)海軍部隊の組織内部隊「アセフ・ミサイル旅団」本部があった。しかし、この施設は2011年に閉鎖され、アセフ・ミサイル旅団本部は移転した。IRGCは、隊員の家族にサービスを提供する学校を幅広く運営しており、2016年に放棄された施設の一部を学校に転用すると決定した。学校を他の施設から物理的に分離するための工事が行われた。子供たちの遊び場は校舎の周囲に作られ、学校を取り囲む壁には遠くからでも見える鮮やかな壁画が描かれた。
アセフ・ミサイル旅団本部は、オマーン湾に近いイラン南部沿岸の町、ミナブに置かれている。戦略的に重要なホルムズ海峡を見下ろすこの場所は、ペルシャ湾から外洋への唯一の航路となっている。世界のエネルギー供給のかなりの部分、すなわち世界の液化天然ガスの3分の1、世界の石油消費量の約25%がこの海峡を通る。アセフ・ミサイル旅団の任務は、ホルムズ海峡に軍事力を投射する準備を整え、イランが海上輸送を制限したり、場合によっては完全に遮断したりできるようにすることだ。
アセフ・ミサイル旅団は四大隊で構成され、それぞれ独自任務を担っている。

アメリカはペルシャ湾に軍事駐留しており、バーレーンのマナマに本部を置く主要戦闘司令部である米国海軍中央軍/第5艦隊の指揮下で運営されている。第5艦隊の任務は、特にホルムズ海峡周辺の重要な地域チョークポイントを通る海上貿易の安全航行と自由な流れを支援することだ。この任務を遂行するため、第5艦隊はそれぞれ独自の部隊構成と運用パラメータを持つ任務固有の複数タスクフォースで編成されている。これらのタスクフォースには、タスクフォース51/5(水陸両用/海兵)、タスクフォース52(機雷掃海)、タスクフォース53(兵站)、タスクフォース55(水上戦闘)、タスクフォース56(遠征)、タスクフォース57(哨戒/偵察)、タスクフォース59(無人/人工知能)が含まれる。
イランとの軍事衝突が発生した場合、第5艦隊の任務はアセフ・ミサイル旅団を撃破し、ホルムズ海峡を国際航路として確保することだ。こうした作戦の成功の鍵は情報で、第5艦隊は各部隊、分隊、施設、作戦基地の正確な位置を把握し、それらを攻撃・破壊する必要がある。そのため、第5艦隊はアセフ・ミサイル旅団を標的とした大規模情報収集活動を展開しており、ミナブを訪れた漁師やビジネスマンから情報収集員に聞き取り調査を行ったり、イランの通信を監視し、イラン・レーダーや他の信号発信装置を追跡するために設計された情報収集ドローンや航空機を使用したり、ホルムズ海峡周辺の全イラン軍部隊の位置を撮影・地図化するため多種多様な航空機や衛星を使用したりしている。
この情報は、第5艦隊独自の情報分析官により評価されるとともに、アメリカおよび欧州にもフィードバックされ、そこでアメリカ情報機関の他部門により評価される。これら分析官および情報機関全体の任務は、アセフ・ミサイル旅団を構成する部隊、人員、装備に関するあらゆる情報を把握し、そのデータを米軍全体にとって利用しやすく有用な形で整理することだ。
例えば、米第5艦隊が収集した情報により、アメリカ国家地理空間情報局はホルムズ海峡とミナブの詳細な地図を作成でき、その地図には「サイイド・アル・シュハダ」があった場所に学校があったことがはっきり示されている。
この情報は、戦争が勃発した場合、米軍が爆撃するホルムズ海峡と周辺の標的を確定する責任を負う組織にも提供された。軍事標的設定は非常に複雑で、攻撃対象の構造、機能、運用に関する詳細な知識が必要となる。この情報に基づいて、標的に望ましい効果(破壊または妨害)をもたらすため、どのような種類の弾薬が必要か、そして最大の効果を得るため、これら弾薬をどこに向けるべきかを決定できる。
標的選定問題は、軍事作戦の合法性を規定する国際人道法の根幹をなすものだ。この点に関する法の基盤は、1949年のジュネーブ条約に対する1977年の追加議定書Iに由来する。アメリカはこれら条約の署名国ではないものの、標的選定に関するこれら議定書に定められた規則は、アメリカを含む全ての国家を拘束する慣習国際法を反映していると一般的に考えられている。実際、これら議定書は、アメリカ国防総省の2023年版戦争法マニュアルにも引用されている。
これらのプロトコルから、標的選定の法則を構成する3つの要素、すなわち区別、比例性、および実行可能な予防措置が浮かび上がる。
3つの原則のうち、区別は恐らく最も重要で、紛争当事者は常に「民間人と戦闘員、そして民間物と軍事目標を区別しなければならない」と規定している。この区別の重要要素は、明確に分離され区別された複数軍事目標を単一の軍事目標として扱う爆撃を含む、無差別攻撃を構成するあらゆる概念に区別が適用される点だ。つまり民間人および民間物が複数軍事目標と同じ地域に存在する場合、地域を標的とした攻撃は戦争法の下では認められない。
「シャジャレ・タイエベ」学校と、かつて「サイイド・アル・シュハダ」軍事施設と関連していた建造物の使用に関しては、区別の問題は議論の余地がない。アメリカ情報機関は、その施設が学校であると知っていた(地図にもそのように示されていた)ため、ホルムズ海峡とその周辺であり得る軍事作戦を支援するため標的を準備する者が利用できる「攻撃禁止」リストに、その学校を載せるべきだったのだ。
米第5艦隊は、イランに対する積極的軍事作戦を開始する準備を整える任務を負っており、その中にはイランがホルムズ海峡を封鎖する能力を阻止するために必要な任務も含まれていた。この任務を円滑に進めるため、第5艦隊はアセフ・ミサイル旅団を含む標的リスト作成に継続的に取り組み、そのリストは米中央軍に送られ、あらゆる軍事行動の基礎となるマスター標的リストに組み込まれた。
「シャジャレ・タイエベ」学校はこのリストに含まれていなかった。同校は学校であることが明確に示されており、攻撃が禁止されていたためだ。
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第5艦隊と中央軍は、標的選定の重要な識別面において、2023年に国防総省の新指令3000.17を受けて設立された新組織である民間被害軽減・対応(CHMR)事務所の支援を受けた。民間被害軽減・対応事務所は、とりわけ、軍事作戦に従事する国防総省(DoD)の各機関にチームを派遣し、武力紛争や軍事作戦中の戦争法遵守を確保することを目的とした国防総省戦争法プログラムおよび国防総省戦争法マニュアルで要求される以上の追加的保護措置が講じられるよう監督することを義務付けられていた。CHMRは、とりわけ、武力紛争や軍事作戦に従事する国防総省各機関が、戦争法で要求される以上の標的識別基準を確実に発行することを担当した。 CHMRチームは、目標計画や交戦を含む任務計画のあらゆる側面に深く関与することになっており、目標を特定するために使用される情報源に対処し、目標の正確な位置と機能を確立することに関し適切な確実性のレベルを設定するように設計された手順を実施することになっていた。
10人からなるCHRMチームが中央軍に配属され、より小規模なチームが第5艦隊に前方展開した。
CHRMの必要性は、いわゆる「テロとの戦い」を支援する20年間にわたる低強度紛争(イラクとアフガニスタンでの作戦を含む)において、米軍が場所や活動を誤って特定し、結果として民間施設のみ攻撃する作戦を繰り返し行ってきた現実によって明らかになった。この点に、2015年のアフガニスタン病院への攻撃や、2021年8月にカブールで援助活動家とその家族を殺害したドローン攻撃は特に顕著だ。CHRMは標的選定における戦争法遵守という集団的義務に関し、米軍を正しい軌道に戻すために必要な措置と見なされていた。
CHRMの必要性はトランプ政権1期目に初めて構想されたものの、国防総省の指示はジョー・バイデン大統領政権下の2023年まで発令されなかった。2024年11月の大統領選でドナルド・トランプが二期目に選出された後、国防長官に指名された直後、ピート・ヘグセスは米軍を「戦闘」の精神と「戦士」の倫理観に戻し、彼が「制限的交戦規則」と呼ぶものから解放したいという願望を表明し始めた。トランプ大統領が就任宣誓を行った直後、ヘグセスは軍法務官(JAG)として知られる上級制服弁護士を突然解雇し、彼らを嘲笑的に「ジャゴフ」と呼んだ。彼らが交戦規則と新しいCHRM基準を支持したことをヘグセスは非難した。
2025年3月初旬、ピート・ヘグセス国防長官は国防総省内のCHRM事務所閉鎖を命じた。また、中央軍や第5艦隊を含む戦闘司令部における全てのCHRMの役職を削減し、CHRMを義務付ける政策指示を撤回するため議会と連携するよう国防総省に指示した。

2025年9月25日にバージニア州クアンティコで行われた米軍高官会議で演説した際、自身が着手したこの新たな政策方針をヘグセス長官は表明した。「我々は防衛ではなく戦争に備えなければならない」とヘグセス長官は述べた。「我々は戦士を訓練しているのであって、防衛者を訓練しているのではない。我々は防衛のためではなく、勝利するために戦争する。防衛は常に行うものだ。それは本質的に反応的で、過剰使用、行き過ぎ、任務の拡大につながる可能性がある。戦争は、我々自身の条件で明確な目的を持って、控えめに行うものだ。我々は勝利するために戦う。我々は敵に対し圧倒的で懲罰的な暴力を振るう。また我々は愚かな交戦規則で戦うのではない。我々は戦闘員の手足を縛らず、敵を威嚇し、士気を低下させ、追跡し、殺す。もはや政治的に正しい横暴な交戦規則は不要だ。必要なのは常識、最大限の殺傷力、そして戦闘員の権限だけだ。」
プレゼンテーションを締めくくるにあたり「今日は、もう一つの解放の日だ。名実ともに、行動においても、そして権力においても、アメリカ戦士解放の日だ。君たちは生計のために人を殺し、物を壊す。君たちは政治的に正しくない、必ずしも礼儀正しい社会に属するわけではない」とヘグセスは宣言した。
殺し、物を破壊する。
これは、米軍が殺戮や破壊行為において過剰なまでに奔放な実績を積み重ねてきたこと、そしてそれが多くの場合、民間人の殺害や民間施設の破壊につながったことから生じたCHRMの理念とは正反対だ。
2026年1月中旬、ドナルド・トランプ大統領は米軍に、イランとの戦争に備えるよう命じた。ピート・ヘグセス司令官の新たな「最大限の殺傷力」態勢の一環として、米中央軍は、戦争になった場合、米軍が攻撃する標的リストを大幅に拡大するよう命じられた。中央軍は、イランに対する戦闘作戦を支援するため、情報評価、標的特定、戦闘シナリオのシミュレーションを支援する目的で、アメリカの人工知能企業アントロピック社に、同社のAIプラットフォーム「クロード」の活用を依頼した。
要するに、ヘグセスは、戦争法が厳格に遵守されるように設計された人間によるプログラムCHMRを廃止し、交戦規則を無視し、最大限の殺傷力を奨励する環境で動作する人工知能プログラムに置き換えたのだ。
クロードが攻撃対象として推奨した場所の中には、ミナブにある「シャジャレ・タイエベ」学校が含まれていた。これはおそらく、同校が過去に「サイイド・アル・シュハダ」革命防衛隊施設やアセフミサイル旅団と関係があったためだろう。
2026年2月28日、数十発のBGM-109トマホーク地対地ミサイル(TLAM)が米海軍の艦艇と潜水艦からイラン国内の標的に向けて発射された。クロードが特定し、CGMRによる検証を受けていないイラン革命防衛隊(IRGC)の施設「サイイド・アル・シュハダ」には、4発のTLAMが向けられた。攻撃目標として指定された着弾地点は3箇所あり、それぞれ、ほぼ同じ大きさの構造物だったことから、クロードが用いた標的選定基準には、アセフ・ミサイル旅団に属するイラン・ミサイルを収容できる建物や構造物が含まれていたことが示唆される。
4発目のTLAMには、最初の3発のTLAMを追跡し、搭載カメラで「サイイド・アル・シュハダ」革命防衛隊施設を撮影し、TLAMを発射したアーレイ・バーク級艦艇の管制センターに送信する任務が与えられた。管制センターでは、ミサイル操作員チームが画像を精査し、破壊基準が満たされていることを確認し、標的を再攻撃する必要があるかどうか判断する。

ミサイル発射オペレーターが各TLAMの標的データを読み込んでいる間、ファテメ・タヘリファルドは校長としての職務に忙しく取り組んでいた。まず朝礼と点呼を行い、出席者と欠席者を記録した。それから授業が始まった。この学校では、イスラム教、ペルシア語、読み書き、読解、社会科、数学、理科といった必修科目のカリキュラムが充実していた。各授業の後、生徒たちは15分間の短い休憩のため屋外に出て、その後教室に戻って授業を再開した。午前の授業が終わった後、通常は午前9時半から10時頃に食事が提供された。そして正式授業後には、課外活動があった。
昼食時、最初のTLAM(地対空ミサイル)がミナブ地域で攻撃を開始した。地元政府は学校閉鎖を決定し、ファテメと教師たちは保護者に電話をかけ、子供たちを迎えに来るよう伝え始めた。
戦争が始まった。
生徒たちはそれぞれの教室に集められ、人数確認が行われ、二重チェックされた。午前10時30分頃、ファテメと生徒たちは、隣接する「サイイド・アル・シュハダ」革命防衛隊施設の倉庫にTLAMが着弾する音を聞いた。
そしてまた別の人。
生徒も教師も爆発の振動を感じられ、その音は耳をつんざくほどだった。
ファテメと彼女のスタッフは生徒たちの間を歩き回り、彼らを落ち着かせようと最善を尽くした。
そして3発目のTLAMが飛来した。
TLAMブロックIVは、統合多目的効果弾頭システム(JMEWS)と呼ばれるシステムを採用している。これは掩蔽壕を貫通するよう設計されており、その後、二次弾頭が爆発し、爆風効果と破片の複合作用によって殺傷力を発揮する。
最初の貫通爆薬は目的を果たし、学校の屋根に穴を開けた。
そして、高性能爆薬の二次爆発が起こり、少女たちと教師たちの遺体は粉々に砕け散り、建物は生き残った人々の上に崩れ落ちた。
ファテメは地面に倒れ込み、呆然としていた。あたりは刺激臭のある煙と埃で満ちていた。
最初は沈黙が続いた。
そして、苦痛の叫び声が空気を満たし始め、続いて生存者たちの悲鳴が響き渡り、恐怖に駆られて助けを求めた。
ファテメは立ち上がり、「バックパックの少女達」を探し始めた。緊急事態発生時には、生徒と教職員は建物内で最も安全な部屋とされる祈祷室に集まることになっていた。ファテメは生き残った生徒たちを集め、祈祷室へと案内し始めた。最初の爆発で亡くなった生徒たちの遺体をまたぎながら。

アーレイ・バーク級駆逐艦上では、TLAM攻撃管制官が4発目のTLAMから画像をダウンロードし始め、その後、目標から離れた待機位置へ発射した。
この標的には特別な指示はなく、CHRMが作成した「攻撃禁止」リストも何もなかった。あるのは任務成功の最も基本的な基準、つまり問題の建造物へのミサイル攻撃の証拠を定めた戦闘被害評価ガイドだけだった。TLAM攻撃管制官は、4番目のTLAMから送られてきた画像を調べた。低ピクセル、低解像度の画像は、建物が攻撃されたかどうかを確認するには十分だった。3つの標的全てに、割り当てられたTLAMが命中した証拠が見られた。しかし、TLAM攻撃管制官は3番目の建造物の画像に何か気づいた。人だ。たくさんの人だ。
彼が知る限り、ここはアレフ・ミサイル旅団の本部施設で、彼が見た人々はこの最も危険な敵部隊の指揮官たちだった。TLAM操作員は、まだ待機モードだった4番目のTLAMに連絡を取り、3番目の建物を攻撃するよう指示した。屋根は既に破壊されていたため、TLAM攻撃管制官はWDU-36/B爆破破片弾頭の信管機構を再プログラムし、爆発力の全てを破片効果に集中させた。
新たにプログラムされた4発目のTLAMは、待機飛行パターンを中断し、目標への最終攻撃を開始した。ファテメと生き残った学生たちに近づくと、ミサイルは機首を上げて高度を上げた。目標上空を通過すると、ミサイルは機首を下げ、ほぼ垂直に目標に向かって急降下した。
WDU-35/Bは、約350ポンドのチタン製ケースに約450ポンドの高性能爆薬を詰め込んだ構造だ。起爆方法は複数あり、貫通力を高めるための遅延起爆や、表面に最大の打撃を与える接触起爆などがある。画像には標的周辺に大勢の人がいたことが示されていたため、起爆は接触起爆に設定された。つまり、チタン製ケースから最大限の破片が飛び散り、できるだけ多くの人を殺傷できる仕組みになっていた。
あるいは、ピート・ヘグセスが指摘した通りの「最大限の致死性」。
2月28日にイランのミナブにあるシャジャレ・タイエベ小学校と隣接するイスラム革命防衛隊(IRGC)施設が攻撃された際の映像のスクリーン・ショット。

ファテメは、生き残った生徒たちをできる限り祈りのホールに集めた。彼女と他の職員たちは、少女たちを落ち着かせようと最善を尽くしていた。しかし崩れた建物のコンクリートの下に閉じ込められた多くの生徒たちの悲鳴が、依然響き渡っていた。彼らは文字通り命を絞り出されながら、友人やクラスメート、教師たちに助けを求めて叫んでいた。
ファテメと彼女の「バックパックの少女達」が、2発目のミサイルが着弾する前にその音を聞かなかったのは、神の慈悲の一つと言えるだろう。着弾と同時に爆発するように設定されていた弾頭の爆風は、礼拝堂に案内されていた人々を即死させた。更に追い打ちをかけるように、TLAMジェット・エンジンに使われていた未使用のJP-10ジェット燃料は気化し、熱圧のような火球となって燃え尽き、小さな体は文字通り瞬く間に灰燼と化した。
学校の外では、親や救助隊が現場に集まり始めていたところに二発目のミサイルが着弾し、娘を探そうと崩壊した建物の中に入った親たちの何人かが命を落とした。二度目の爆発の衝撃が収まると、生き残った親たちは恐怖、苦痛、怒りの声を上げながら、幼い娘たちを探し求めて一斉に前に押し寄せた。警備隊と救助隊員は彼らを制止しようとした。やがて秩序が回復し、救助隊は瓦礫の中から生存者を救出する不可能な作業を開始した。
時間が経つにつれ「シャジャレ・タイエベ」学校攻撃事件への対応で自分たちが復旧段階に入ったことに救助隊員たちは気づいた。
生存者はもう見つからなかった。
今、彼らには「バックパックの少女達」の残骸を回収するという恐ろしいがやむを得ない任務が課せられていた。切断された腕や脚、手や指、胴体のない頭部、頭部のない胴体、これらは、ほんの数分前まで精神的にも感情的にも肉体的にも無傷だった少女たちの残骸だった。
彼女らはもう死んでしまった。
だが「バックパックの少女達」の中には、ひどく負傷したために遺体が特定できない者もおり、この女性のように遺体が灰になって回収不可能な者もいた。
遺体が回収される間、両親や親族は学校の外で待機していた。破壊された校舎から遺体や体の一部が運び出されると、両親はそれらが「リュックサックを背負っていた娘」のものかどうかを確認するため、一つ一つ調べていた。
遺体の中には、身元がすぐに判明したものもあったが、それは非常に辛い作業だった。例えば、首から下はほぼ無傷だったものの、落下した瓦礫によって頭蓋骨が押しつぶされた少女の遺体などだ。また、衣服の色や手首のブレスレットでしか身元が特定できなかった遺体もあった。
バックパックは、肉や骨、血よりずっと良い状態で残った。
リュックサックの持ち主は、少女たちがファスナーや留め具、ストラップに付けた小さな飾りやおもちゃで判別できた。それぞれのリュックサックの中には、あまりに早く終わってしまった若い命の証が詰まっていた。彼女たちが持ち歩いていた物こそが、この「リュックサック少女たち」を象徴していた。教科書は同じものだったかもしれないが、各ページの余白やノートに書き込まれたメモや絵は、今や無生物となったこれら子どもが、かつてまだ十分生きられなかった人生を映し出していたことを思い出させてくれた。

廃墟を捜索する男たちは、目の当たりにした光景に心を痛めながらも、一つずつバックパックを集めていった。それらは愛情を込めて手から手へと渡され、持ち主が二度と背負うことのない他のバックパックと出会う場所へ運ばれていった。そして、これらのバックパックに込められた夢を、人生を生きるに値するものの本質へと変えていく希望に、喜びの笑みを浮かべながら、安息の場所を見つけたのだ。
シャジャレ・タイエベ学校への米軍によるTLAM攻撃で、合計168人が死亡した。
犠牲者のほとんどは子供だった。
遺体のうち69体は酷く損傷していたり、焼損していたりしたため、身元確認はまだできていない。
この攻撃で他に94人が負傷した。
「シャジャレ・タイエベ」学校攻撃が極めて凶悪な戦争犯罪だったことに疑いの余地がない。
戦争法は非常に明確だ。学校はあくまで民間施設で、攻撃対象になり得ない。
この場合、学校は隣接する廃墟となった軍事施設から物理的に隔てられていた。
学校の敷地内にイラン製ミサイルは隠されていなかった。
バックパックを背負った少女たちと、彼女たちの先生たちだけだった。
この攻撃は事故ではなかった。
それは、まさにこのような事件の発生を防ぐため設計された仕組みを排除する一方、規則を軽視し、殺傷力を強く強調する新たな軍事倫理を奨励するため意図的に講じられた措置の副産物だった。
正義は必ず実現されなければならない。
アテナ・アフマドザデに正義を。
ゼイナブ・ミルハヤリ氏に正義を。
ファテメ・ヤズダン・パナとアールサ・ファラヒ・ザデに正義を。
ファテメ・タヘリファルドに正義を、
そして、一人の男が規則を廃止し、戦争法(「交戦規則」)を無視し、文字通り血を求めて吠え立てたために命を奪われた、他の163人の無辜の魂にも正義を。
この男には名前がある。ピート・ヘグセスだ。
アメリカが名誉を回復する機会をつかむためには、ピート・ヘグセスは自らの罪に対して罰せられなければならない。
アメリカは自らの行為、特にピート・ヘグセスの行為に対し償わなければならない。
正義は必ず果たされなければならない。
そしてピート・ヘグセスは、168人の無辜のイラン人を殺害した罪で、同等の立場にある陪審員による裁判にかけられなければならない。
アメリカは、これらの殺人事件によってもたらされた集団的名誉の汚点を清めるために、このような裁判が必要だ。
たとえ他に理由がないにせよ、アメリカ合衆国が法治国家で、何人も法の上に立つことはできないのを示すために、世界は、この事実を必要としている。
イランはそれを必要としている。困難な和解過程を開始し、いつの日かアメリカ人とイラン人が報復を恐れることなく共に暮らし、働くことができるようになるためだ。
だが何よりも「バックパックの少女達」の記憶がそれを求めている。
彼らはあまりにも若くして魂を肉体から引き裂かれ、残された家族は、自分たちの共同体の中にぽっかり空いた巨大な穴と向き合わなければならなかった。
「バックパックの少女達」の死に単独で責任を負う男に正義が下されるまで、彼らは決して安らぎを得ることはないだろう。
ピート・ヘグセス。
大量殺人犯。
そして過去30年間アメリカ合衆国で起きたあらゆる問題の生きた具現化でもある。
記事原文のurl:https://scottritter.substack.com/p/the-backpack-girls
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殺人狂トップの顔を見る度うんざりするが彼を幇助する戦争省犯罪人も同じ。属国傀儡、彼と握手をかわすのだろうか?
春の彼岸に、ばちあたり首相。飛んで火に入る春の虫。ミサイル供与やホルムズ機雷除去を命じられるのが関の山。
植草一秀の『知られざる真実』で植草氏も中止を主張しておられる。
スコット・リッター
2026年3月15日

シャジャレ・タイエベ学校に対する米軍攻撃犠牲者の血痕のついたバックパック
2026年2月28日朝、早熟な10歳の少女、アテナ・アフマドザデは学校へ向かった。この日は日曜日で、イランでは平日で、授業は通常通り予定されていた。2025年3月、イラク政府は電力危機を緩和するため、学校時間の変更を義務付けていた。新しい規則では、学校は午前6時に始まり、午後1時に終わることになっていた。そのため、アテナとクラスメートは、学校に時間通りに到着するために、午前4時半という早い時間に起きなければならなかった。
アテナは優秀な体操選手で、数々の地方大会や地域大会に出場経験があった。その日の午後には練習があり、彼女はその期待に胸を躍らせながら、本や書類、体操服を詰め込んだリュックサックを小さな背中に担いで家を出た。
9歳のゼイナブ・ミルハヤリも学校へ向かった。彼女のリュックサックには、二か月後にテヘランで開催される権威ある朗誦コンクールに向けて準備するための教材が入っていた。ゼイナブは何時間もかけてコーランの一節を暗記してきた。彼女はその日の午後、コンクールに向けて準備を続けるのを楽しみにしていた。
7歳のファテメ・ヤズダンパナと12歳のエルサ・ファラヒ・ザデも、リュックサックをしっかり背負って学校へ向かった。年齢は違えど、ファテメとエルサはミナブ郊外の同じ村出身の仲良しの親友で、まるで姉妹のように行動し、服装までお揃いだった。
イラン南部ミナブ市にある「シャジャレ・タイエベ」(良き木)学校の校長、ファテメ・タヘリファルドは、この4人の少女たちと、授業に向かう150人以上の生徒たちを出迎えた。日の出は午前6時30分で、既に地平線には太陽の光が差し込み、新しい一日の始まりを告げていた。
ファテメは、校舎へと案内しながら、一人ひとりの「リュックサックの少女たち」に励ましの笑顔で挨拶した。校門をくぐるこれら「リュックサックの少女たち」は、ファテメの責任で、彼女たちの希望、夢、そして抱負は、ファテメの見守る中で育まれ、成長していくものだった。中には、テレビでニュースキャスターとして活躍する女性たちのようになりたいと願う少女もいた。また、老後の両親の世話をするために医者になりたいと願う少女もいた。さらに、母親になって自分の子供を育てたいと願う少女もいた。ファテメはこれらの夢を知っており、少女たちが夢を実現できる道を選ぶ手助けをすることが、自分の使命だった。

アレフミサイル旅団所属のミサイル発射機
「シャジャレ・タイエベ」学校は2016年に開校し、かつて「サイイド・アル・シュハダ」(「殉教者の主」、カルバラの戦いで殉教したイマーム・フセインに与えられた称号)軍事複合施設に関連する建物を活用した。この施設は2013年まで、イラン革命防衛隊司令部(IRGC)海軍部隊の組織内部隊「アセフ・ミサイル旅団」本部があった。しかし、この施設は2011年に閉鎖され、アセフ・ミサイル旅団本部は移転した。IRGCは、隊員の家族にサービスを提供する学校を幅広く運営しており、2016年に放棄された施設の一部を学校に転用すると決定した。学校を他の施設から物理的に分離するための工事が行われた。子供たちの遊び場は校舎の周囲に作られ、学校を取り囲む壁には遠くからでも見える鮮やかな壁画が描かれた。
アセフ・ミサイル旅団本部は、オマーン湾に近いイラン南部沿岸の町、ミナブに置かれている。戦略的に重要なホルムズ海峡を見下ろすこの場所は、ペルシャ湾から外洋への唯一の航路となっている。世界のエネルギー供給のかなりの部分、すなわち世界の液化天然ガスの3分の1、世界の石油消費量の約25%がこの海峡を通る。アセフ・ミサイル旅団の任務は、ホルムズ海峡に軍事力を投射する準備を整え、イランが海上輸送を制限したり、場合によっては完全に遮断したりできるようにすることだ。
アセフ・ミサイル旅団は四大隊で構成され、それぞれ独自任務を担っている。
- 第一大隊は、国産のザファルなどの短距離対艦巡航ミサイルを装備しており、レーダー誘導技術を用いて最大25キロ離れた標的を攻撃できる。
- ホルムズ2やガドルファルスといった中距離ミサイル、そしておそらくC-801/802のような最新の中国製対艦ミサイルを装備した第二大隊は、最大300キロ離れた目標を攻撃できる。
- 第三大隊は、それぞれ約1,000キロの射程を持つ長距離ミサイル「アブ・マフディ」と「タラエイヤ」を用いて、攻撃作戦および前方防御作戦のための長距離ミサイル支援をする。
- 第四大隊は、イラン沿岸およびホルムズ海峡内の重要区域の防衛に加え、モーターボートや武装ダウ船を用いた戦力投射を担当している。

アメリカ第5艦隊司令部、マナマ、バーレーン
アメリカはペルシャ湾に軍事駐留しており、バーレーンのマナマに本部を置く主要戦闘司令部である米国海軍中央軍/第5艦隊の指揮下で運営されている。第5艦隊の任務は、特にホルムズ海峡周辺の重要な地域チョークポイントを通る海上貿易の安全航行と自由な流れを支援することだ。この任務を遂行するため、第5艦隊はそれぞれ独自の部隊構成と運用パラメータを持つ任務固有の複数タスクフォースで編成されている。これらのタスクフォースには、タスクフォース51/5(水陸両用/海兵)、タスクフォース52(機雷掃海)、タスクフォース53(兵站)、タスクフォース55(水上戦闘)、タスクフォース56(遠征)、タスクフォース57(哨戒/偵察)、タスクフォース59(無人/人工知能)が含まれる。
イランとの軍事衝突が発生した場合、第5艦隊の任務はアセフ・ミサイル旅団を撃破し、ホルムズ海峡を国際航路として確保することだ。こうした作戦の成功の鍵は情報で、第5艦隊は各部隊、分隊、施設、作戦基地の正確な位置を把握し、それらを攻撃・破壊する必要がある。そのため、第5艦隊はアセフ・ミサイル旅団を標的とした大規模情報収集活動を展開しており、ミナブを訪れた漁師やビジネスマンから情報収集員に聞き取り調査を行ったり、イランの通信を監視し、イラン・レーダーや他の信号発信装置を追跡するために設計された情報収集ドローンや航空機を使用したり、ホルムズ海峡周辺の全イラン軍部隊の位置を撮影・地図化するため多種多様な航空機や衛星を使用したりしている。
この情報は、第5艦隊独自の情報分析官により評価されるとともに、アメリカおよび欧州にもフィードバックされ、そこでアメリカ情報機関の他部門により評価される。これら分析官および情報機関全体の任務は、アセフ・ミサイル旅団を構成する部隊、人員、装備に関するあらゆる情報を把握し、そのデータを米軍全体にとって利用しやすく有用な形で整理することだ。
例えば、米第5艦隊が収集した情報により、アメリカ国家地理空間情報局はホルムズ海峡とミナブの詳細な地図を作成でき、その地図には「サイイド・アル・シュハダ」があった場所に学校があったことがはっきり示されている。
この情報は、戦争が勃発した場合、米軍が爆撃するホルムズ海峡と周辺の標的を確定する責任を負う組織にも提供された。軍事標的設定は非常に複雑で、攻撃対象の構造、機能、運用に関する詳細な知識が必要となる。この情報に基づいて、標的に望ましい効果(破壊または妨害)をもたらすため、どのような種類の弾薬が必要か、そして最大の効果を得るため、これら弾薬をどこに向けるべきかを決定できる。
標的選定問題は、軍事作戦の合法性を規定する国際人道法の根幹をなすものだ。この点に関する法の基盤は、1949年のジュネーブ条約に対する1977年の追加議定書Iに由来する。アメリカはこれら条約の署名国ではないものの、標的選定に関するこれら議定書に定められた規則は、アメリカを含む全ての国家を拘束する慣習国際法を反映していると一般的に考えられている。実際、これら議定書は、アメリカ国防総省の2023年版戦争法マニュアルにも引用されている。
これらのプロトコルから、標的選定の法則を構成する3つの要素、すなわち区別、比例性、および実行可能な予防措置が浮かび上がる。
3つの原則のうち、区別は恐らく最も重要で、紛争当事者は常に「民間人と戦闘員、そして民間物と軍事目標を区別しなければならない」と規定している。この区別の重要要素は、明確に分離され区別された複数軍事目標を単一の軍事目標として扱う爆撃を含む、無差別攻撃を構成するあらゆる概念に区別が適用される点だ。つまり民間人および民間物が複数軍事目標と同じ地域に存在する場合、地域を標的とした攻撃は戦争法の下では認められない。
「シャジャレ・タイエベ」学校と、かつて「サイイド・アル・シュハダ」軍事施設と関連していた建造物の使用に関しては、区別の問題は議論の余地がない。アメリカ情報機関は、その施設が学校であると知っていた(地図にもそのように示されていた)ため、ホルムズ海峡とその周辺であり得る軍事作戦を支援するため標的を準備する者が利用できる「攻撃禁止」リストに、その学校を載せるべきだったのだ。
米第5艦隊は、イランに対する積極的軍事作戦を開始する準備を整える任務を負っており、その中にはイランがホルムズ海峡を封鎖する能力を阻止するために必要な任務も含まれていた。この任務を円滑に進めるため、第5艦隊はアセフ・ミサイル旅団を含む標的リスト作成に継続的に取り組み、そのリストは米中央軍に送られ、あらゆる軍事行動の基礎となるマスター標的リストに組み込まれた。
「シャジャレ・タイエベ」学校はこのリストに含まれていなかった。同校は学校であることが明確に示されており、攻撃が禁止されていたためだ。
この画像には代替テキストの説明がない

民間人被害軽減・対応政策担当ディレクターのダン・スティゴールが、2025年11月に海軍兵学校の士官候補生たちにブリーフィングを行った。
第5艦隊と中央軍は、標的選定の重要な識別面において、2023年に国防総省の新指令3000.17を受けて設立された新組織である民間被害軽減・対応(CHMR)事務所の支援を受けた。民間被害軽減・対応事務所は、とりわけ、軍事作戦に従事する国防総省(DoD)の各機関にチームを派遣し、武力紛争や軍事作戦中の戦争法遵守を確保することを目的とした国防総省戦争法プログラムおよび国防総省戦争法マニュアルで要求される以上の追加的保護措置が講じられるよう監督することを義務付けられていた。CHMRは、とりわけ、武力紛争や軍事作戦に従事する国防総省各機関が、戦争法で要求される以上の標的識別基準を確実に発行することを担当した。 CHMRチームは、目標計画や交戦を含む任務計画のあらゆる側面に深く関与することになっており、目標を特定するために使用される情報源に対処し、目標の正確な位置と機能を確立することに関し適切な確実性のレベルを設定するように設計された手順を実施することになっていた。
10人からなるCHRMチームが中央軍に配属され、より小規模なチームが第5艦隊に前方展開した。
CHRMの必要性は、いわゆる「テロとの戦い」を支援する20年間にわたる低強度紛争(イラクとアフガニスタンでの作戦を含む)において、米軍が場所や活動を誤って特定し、結果として民間施設のみ攻撃する作戦を繰り返し行ってきた現実によって明らかになった。この点に、2015年のアフガニスタン病院への攻撃や、2021年8月にカブールで援助活動家とその家族を殺害したドローン攻撃は特に顕著だ。CHRMは標的選定における戦争法遵守という集団的義務に関し、米軍を正しい軌道に戻すために必要な措置と見なされていた。
CHRMの必要性はトランプ政権1期目に初めて構想されたものの、国防総省の指示はジョー・バイデン大統領政権下の2023年まで発令されなかった。2024年11月の大統領選でドナルド・トランプが二期目に選出された後、国防長官に指名された直後、ピート・ヘグセスは米軍を「戦闘」の精神と「戦士」の倫理観に戻し、彼が「制限的交戦規則」と呼ぶものから解放したいという願望を表明し始めた。トランプ大統領が就任宣誓を行った直後、ヘグセスは軍法務官(JAG)として知られる上級制服弁護士を突然解雇し、彼らを嘲笑的に「ジャゴフ」と呼んだ。彼らが交戦規則と新しいCHRM基準を支持したことをヘグセスは非難した。
2025年3月初旬、ピート・ヘグセス国防長官は国防総省内のCHRM事務所閉鎖を命じた。また、中央軍や第5艦隊を含む戦闘司令部における全てのCHRMの役職を削減し、CHRMを義務付ける政策指示を撤回するため議会と連携するよう国防総省に指示した。

2025年9月25日、ピート・ヘグセスはクアンティコで上級将校たちに演説を行った。
2025年9月25日にバージニア州クアンティコで行われた米軍高官会議で演説した際、自身が着手したこの新たな政策方針をヘグセス長官は表明した。「我々は防衛ではなく戦争に備えなければならない」とヘグセス長官は述べた。「我々は戦士を訓練しているのであって、防衛者を訓練しているのではない。我々は防衛のためではなく、勝利するために戦争する。防衛は常に行うものだ。それは本質的に反応的で、過剰使用、行き過ぎ、任務の拡大につながる可能性がある。戦争は、我々自身の条件で明確な目的を持って、控えめに行うものだ。我々は勝利するために戦う。我々は敵に対し圧倒的で懲罰的な暴力を振るう。また我々は愚かな交戦規則で戦うのではない。我々は戦闘員の手足を縛らず、敵を威嚇し、士気を低下させ、追跡し、殺す。もはや政治的に正しい横暴な交戦規則は不要だ。必要なのは常識、最大限の殺傷力、そして戦闘員の権限だけだ。」
プレゼンテーションを締めくくるにあたり「今日は、もう一つの解放の日だ。名実ともに、行動においても、そして権力においても、アメリカ戦士解放の日だ。君たちは生計のために人を殺し、物を壊す。君たちは政治的に正しくない、必ずしも礼儀正しい社会に属するわけではない」とヘグセスは宣言した。
殺し、物を破壊する。
これは、米軍が殺戮や破壊行為において過剰なまでに奔放な実績を積み重ねてきたこと、そしてそれが多くの場合、民間人の殺害や民間施設の破壊につながったことから生じたCHRMの理念とは正反対だ。
2026年1月中旬、ドナルド・トランプ大統領は米軍に、イランとの戦争に備えるよう命じた。ピート・ヘグセス司令官の新たな「最大限の殺傷力」態勢の一環として、米中央軍は、戦争になった場合、米軍が攻撃する標的リストを大幅に拡大するよう命じられた。中央軍は、イランに対する戦闘作戦を支援するため、情報評価、標的特定、戦闘シナリオのシミュレーションを支援する目的で、アメリカの人工知能企業アントロピック社に、同社のAIプラットフォーム「クロード」の活用を依頼した。
要するに、ヘグセスは、戦争法が厳格に遵守されるように設計された人間によるプログラムCHMRを廃止し、交戦規則を無視し、最大限の殺傷力を奨励する環境で動作する人工知能プログラムに置き換えたのだ。
クロードが攻撃対象として推奨した場所の中には、ミナブにある「シャジャレ・タイエベ」学校が含まれていた。これはおそらく、同校が過去に「サイイド・アル・シュハダ」革命防衛隊施設やアセフミサイル旅団と関係があったためだろう。
2026年2月28日、数十発のBGM-109トマホーク地対地ミサイル(TLAM)が米海軍の艦艇と潜水艦からイラン国内の標的に向けて発射された。クロードが特定し、CGMRによる検証を受けていないイラン革命防衛隊(IRGC)の施設「サイイド・アル・シュハダ」には、4発のTLAMが向けられた。攻撃目標として指定された着弾地点は3箇所あり、それぞれ、ほぼ同じ大きさの構造物だったことから、クロードが用いた標的選定基準には、アセフ・ミサイル旅団に属するイラン・ミサイルを収容できる建物や構造物が含まれていたことが示唆される。
4発目のTLAMには、最初の3発のTLAMを追跡し、搭載カメラで「サイイド・アル・シュハダ」革命防衛隊施設を撮影し、TLAMを発射したアーレイ・バーク級艦艇の管制センターに送信する任務が与えられた。管制センターでは、ミサイル操作員チームが画像を精査し、破壊基準が満たされていることを確認し、標的を再攻撃する必要があるかどうか判断する。

アーレイ・バーク級駆逐艦から発射されたTLAM。
ミサイル発射オペレーターが各TLAMの標的データを読み込んでいる間、ファテメ・タヘリファルドは校長としての職務に忙しく取り組んでいた。まず朝礼と点呼を行い、出席者と欠席者を記録した。それから授業が始まった。この学校では、イスラム教、ペルシア語、読み書き、読解、社会科、数学、理科といった必修科目のカリキュラムが充実していた。各授業の後、生徒たちは15分間の短い休憩のため屋外に出て、その後教室に戻って授業を再開した。午前の授業が終わった後、通常は午前9時半から10時頃に食事が提供された。そして正式授業後には、課外活動があった。
昼食時、最初のTLAM(地対空ミサイル)がミナブ地域で攻撃を開始した。地元政府は学校閉鎖を決定し、ファテメと教師たちは保護者に電話をかけ、子供たちを迎えに来るよう伝え始めた。
戦争が始まった。
生徒たちはそれぞれの教室に集められ、人数確認が行われ、二重チェックされた。午前10時30分頃、ファテメと生徒たちは、隣接する「サイイド・アル・シュハダ」革命防衛隊施設の倉庫にTLAMが着弾する音を聞いた。
そしてまた別の人。
生徒も教師も爆発の振動を感じられ、その音は耳をつんざくほどだった。
ファテメと彼女のスタッフは生徒たちの間を歩き回り、彼らを落ち着かせようと最善を尽くした。
そして3発目のTLAMが飛来した。
TLAMブロックIVは、統合多目的効果弾頭システム(JMEWS)と呼ばれるシステムを採用している。これは掩蔽壕を貫通するよう設計されており、その後、二次弾頭が爆発し、爆風効果と破片の複合作用によって殺傷力を発揮する。
最初の貫通爆薬は目的を果たし、学校の屋根に穴を開けた。
そして、高性能爆薬の二次爆発が起こり、少女たちと教師たちの遺体は粉々に砕け散り、建物は生き残った人々の上に崩れ落ちた。
ファテメは地面に倒れ込み、呆然としていた。あたりは刺激臭のある煙と埃で満ちていた。
最初は沈黙が続いた。
そして、苦痛の叫び声が空気を満たし始め、続いて生存者たちの悲鳴が響き渡り、恐怖に駆られて助けを求めた。
ファテメは立ち上がり、「バックパックの少女達」を探し始めた。緊急事態発生時には、生徒と教職員は建物内で最も安全な部屋とされる祈祷室に集まることになっていた。ファテメは生き残った生徒たちを集め、祈祷室へと案内し始めた。最初の爆発で亡くなった生徒たちの遺体をまたぎながら。

TLAM攻撃・制御卓
アーレイ・バーク級駆逐艦上では、TLAM攻撃管制官が4発目のTLAMから画像をダウンロードし始め、その後、目標から離れた待機位置へ発射した。
この標的には特別な指示はなく、CHRMが作成した「攻撃禁止」リストも何もなかった。あるのは任務成功の最も基本的な基準、つまり問題の建造物へのミサイル攻撃の証拠を定めた戦闘被害評価ガイドだけだった。TLAM攻撃管制官は、4番目のTLAMから送られてきた画像を調べた。低ピクセル、低解像度の画像は、建物が攻撃されたかどうかを確認するには十分だった。3つの標的全てに、割り当てられたTLAMが命中した証拠が見られた。しかし、TLAM攻撃管制官は3番目の建造物の画像に何か気づいた。人だ。たくさんの人だ。
彼が知る限り、ここはアレフ・ミサイル旅団の本部施設で、彼が見た人々はこの最も危険な敵部隊の指揮官たちだった。TLAM操作員は、まだ待機モードだった4番目のTLAMに連絡を取り、3番目の建物を攻撃するよう指示した。屋根は既に破壊されていたため、TLAM攻撃管制官はWDU-36/B爆破破片弾頭の信管機構を再プログラムし、爆発力の全てを破片効果に集中させた。
新たにプログラムされた4発目のTLAMは、待機飛行パターンを中断し、目標への最終攻撃を開始した。ファテメと生き残った学生たちに近づくと、ミサイルは機首を上げて高度を上げた。目標上空を通過すると、ミサイルは機首を下げ、ほぼ垂直に目標に向かって急降下した。
WDU-35/Bは、約350ポンドのチタン製ケースに約450ポンドの高性能爆薬を詰め込んだ構造だ。起爆方法は複数あり、貫通力を高めるための遅延起爆や、表面に最大の打撃を与える接触起爆などがある。画像には標的周辺に大勢の人がいたことが示されていたため、起爆は接触起爆に設定された。つまり、チタン製ケースから最大限の破片が飛び散り、できるだけ多くの人を殺傷できる仕組みになっていた。
あるいは、ピート・ヘグセスが指摘した通りの「最大限の致死性」。
2月28日にイランのミナブにあるシャジャレ・タイエベ小学校と隣接するイスラム革命防衛隊(IRGC)施設が攻撃された際の映像のスクリーン・ショット。

4発目のTLAMが「シャジャレ・タイエベ」学校を襲った。
ファテメは、生き残った生徒たちをできる限り祈りのホールに集めた。彼女と他の職員たちは、少女たちを落ち着かせようと最善を尽くしていた。しかし崩れた建物のコンクリートの下に閉じ込められた多くの生徒たちの悲鳴が、依然響き渡っていた。彼らは文字通り命を絞り出されながら、友人やクラスメート、教師たちに助けを求めて叫んでいた。
ファテメと彼女の「バックパックの少女達」が、2発目のミサイルが着弾する前にその音を聞かなかったのは、神の慈悲の一つと言えるだろう。着弾と同時に爆発するように設定されていた弾頭の爆風は、礼拝堂に案内されていた人々を即死させた。更に追い打ちをかけるように、TLAMジェット・エンジンに使われていた未使用のJP-10ジェット燃料は気化し、熱圧のような火球となって燃え尽き、小さな体は文字通り瞬く間に灰燼と化した。
学校の外では、親や救助隊が現場に集まり始めていたところに二発目のミサイルが着弾し、娘を探そうと崩壊した建物の中に入った親たちの何人かが命を落とした。二度目の爆発の衝撃が収まると、生き残った親たちは恐怖、苦痛、怒りの声を上げながら、幼い娘たちを探し求めて一斉に前に押し寄せた。警備隊と救助隊員は彼らを制止しようとした。やがて秩序が回復し、救助隊は瓦礫の中から生存者を救出する不可能な作業を開始した。
時間が経つにつれ「シャジャレ・タイエベ」学校攻撃事件への対応で自分たちが復旧段階に入ったことに救助隊員たちは気づいた。
生存者はもう見つからなかった。
今、彼らには「バックパックの少女達」の残骸を回収するという恐ろしいがやむを得ない任務が課せられていた。切断された腕や脚、手や指、胴体のない頭部、頭部のない胴体、これらは、ほんの数分前まで精神的にも感情的にも肉体的にも無傷だった少女たちの残骸だった。
彼女らはもう死んでしまった。
だが「バックパックの少女達」の中には、ひどく負傷したために遺体が特定できない者もおり、この女性のように遺体が灰になって回収不可能な者もいた。
遺体が回収される間、両親や親族は学校の外で待機していた。破壊された校舎から遺体や体の一部が運び出されると、両親はそれらが「リュックサックを背負っていた娘」のものかどうかを確認するため、一つ一つ調べていた。
遺体の中には、身元がすぐに判明したものもあったが、それは非常に辛い作業だった。例えば、首から下はほぼ無傷だったものの、落下した瓦礫によって頭蓋骨が押しつぶされた少女の遺体などだ。また、衣服の色や手首のブレスレットでしか身元が特定できなかった遺体もあった。
バックパックは、肉や骨、血よりずっと良い状態で残った。
リュックサックの持ち主は、少女たちがファスナーや留め具、ストラップに付けた小さな飾りやおもちゃで判別できた。それぞれのリュックサックの中には、あまりに早く終わってしまった若い命の証が詰まっていた。彼女たちが持ち歩いていた物こそが、この「リュックサック少女たち」を象徴していた。教科書は同じものだったかもしれないが、各ページの余白やノートに書き込まれたメモや絵は、今や無生物となったこれら子どもが、かつてまだ十分生きられなかった人生を映し出していたことを思い出させてくれた。
「シャジャレ・タイエベ」学校攻撃事件犠牲者のリュックサックを回収する救助隊員。
廃墟を捜索する男たちは、目の当たりにした光景に心を痛めながらも、一つずつバックパックを集めていった。それらは愛情を込めて手から手へと渡され、持ち主が二度と背負うことのない他のバックパックと出会う場所へ運ばれていった。そして、これらのバックパックに込められた夢を、人生を生きるに値するものの本質へと変えていく希望に、喜びの笑みを浮かべながら、安息の場所を見つけたのだ。
シャジャレ・タイエベ学校への米軍によるTLAM攻撃で、合計168人が死亡した。
犠牲者のほとんどは子供だった。
遺体のうち69体は酷く損傷していたり、焼損していたりしたため、身元確認はまだできていない。
この攻撃で他に94人が負傷した。
「シャジャレ・タイエベ」学校攻撃が極めて凶悪な戦争犯罪だったことに疑いの余地がない。
戦争法は非常に明確だ。学校はあくまで民間施設で、攻撃対象になり得ない。
この場合、学校は隣接する廃墟となった軍事施設から物理的に隔てられていた。
学校の敷地内にイラン製ミサイルは隠されていなかった。
バックパックを背負った少女たちと、彼女たちの先生たちだけだった。
この攻撃は事故ではなかった。
それは、まさにこのような事件の発生を防ぐため設計された仕組みを排除する一方、規則を軽視し、殺傷力を強く強調する新たな軍事倫理を奨励するため意図的に講じられた措置の副産物だった。
正義は必ず実現されなければならない。
アテナ・アフマドザデに正義を。
ゼイナブ・ミルハヤリ氏に正義を。
ファテメ・ヤズダン・パナとアールサ・ファラヒ・ザデに正義を。
ファテメ・タヘリファルドに正義を、
そして、一人の男が規則を廃止し、戦争法(「交戦規則」)を無視し、文字通り血を求めて吠え立てたために命を奪われた、他の163人の無辜の魂にも正義を。
この男には名前がある。ピート・ヘグセスだ。
アメリカが名誉を回復する機会をつかむためには、ピート・ヘグセスは自らの罪に対して罰せられなければならない。
アメリカは自らの行為、特にピート・ヘグセスの行為に対し償わなければならない。
正義は必ず果たされなければならない。
そしてピート・ヘグセスは、168人の無辜のイラン人を殺害した罪で、同等の立場にある陪審員による裁判にかけられなければならない。
アメリカは、これらの殺人事件によってもたらされた集団的名誉の汚点を清めるために、このような裁判が必要だ。
たとえ他に理由がないにせよ、アメリカ合衆国が法治国家で、何人も法の上に立つことはできないのを示すために、世界は、この事実を必要としている。
イランはそれを必要としている。困難な和解過程を開始し、いつの日かアメリカ人とイラン人が報復を恐れることなく共に暮らし、働くことができるようになるためだ。
だが何よりも「バックパックの少女達」の記憶がそれを求めている。
彼らはあまりにも若くして魂を肉体から引き裂かれ、残された家族は、自分たちの共同体の中にぽっかり空いた巨大な穴と向き合わなければならなかった。
「バックパックの少女達」の死に単独で責任を負う男に正義が下されるまで、彼らは決して安らぎを得ることはないだろう。
ピート・ヘグセス。
大量殺人犯。
そして過去30年間アメリカ合衆国で起きたあらゆる問題の生きた具現化でもある。
記事原文のurl:https://scottritter.substack.com/p/the-backpack-girls
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殺人狂トップの顔を見る度うんざりするが彼を幇助する戦争省犯罪人も同じ。属国傀儡、彼と握手をかわすのだろうか?
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