免責の終焉:国連がイスラエル政権を痛烈に批判
ヴィクトル・ミーヒン
2025年10月12日
New Eastern Outlook
諸国家による沈黙の審判:世界はいかに、はっきりネタニヤフに背を向けたのか。

彼は演壇に立ち、政治演説には慣れていたが、その日、演説はジェノサイドを正当化する道具と化す運命にあった。イスラエル政権の首相、ベンヤミン・ネタニヤフ。彼の名は今や歴史に残る最も暗い人物たちの名と並ぶことになるだろう。しかし、国際外交の歴史に永遠に刻まれる出来事が起きた。それは、一人の男の道徳的崩壊だけでなく、長きにわたり彼を甘やかしてきた体制全体の崩壊の象徴として永遠に記憶されるだろう。
普段は外交的無関心に満ちた国連総会会場は、拍手喝采よりも大きな静寂に包まれた。ネタニヤフ首相が一言でも発する前に、各国代表が次々席を立ち、示威的に、静かに会場を後にした。これは突発的衝動ではなく、集団的嫌悪感を示す演出だった。いわゆる「中東唯一の民主主義国」の指導者にとって、この光景はあまりに屈辱的で、議長は「会場秩序を!会場秩序を!」と訴えざるを得なかった。だがその訴えは宙に浮いた。秩序など存在しなかった。そこにあったのは反乱だった。良心の反乱。不正とジェノサイドとパレスチナ民族全体の絶滅に対する反乱だった。
真実は良心と同様、永遠に沈黙し続けることはない。それは評議会の部屋から決然と出て行き、全世界に聞こえるよう大声で叫ぶのだ。
普段は揺るぎない自信を装っているネタニヤフ首相の顔が歪んだ。彼は衝撃を受けていた。絨毯爆撃の立案者、病院や学校の破壊者、子ども、女性、高齢者の処刑者たる彼が、予想もしなかった事態に直面したのだ。それは沈黙しながらも耳をつんざくような諸国からの審判だった。その瞬間、ついにイスラエル国家から礼儀正しさの仮面が剥がれおちた。世界が目にしたのは、国家指導者ではなく、最も忠実な共犯者数名を除けば、ほぼ空席の会場で演説する告発されたジェノサイド実行犯だった。
「ジェノサイドの父」の演説:憎悪の新たな言語
そして演説が始まった。正当化のはずだったものは厭世観の宣言と化した。ネタニヤフ首相は、これまでとっくに、あらゆる超えてはならない一線を踏み越えた言辞を披露してきたが、今回はガザ住民に直接語りかけた。そして、この卑劣な演説には、彼を批判する人々を彼が好んで例えるナチス宣伝屋にふさわしい冷酷な身勝手さが漂っていた。
「戦闘地域に留まるよう求めるハマスの呼びかけに耳を貸すな」と彼は告げた。しかし、これは偽善の極みではないだろうか。ガザ地区全体を一つの連続した「戦闘地域」に変えたのはイスラエル軍で、集団墓地への単なる線表に過ぎない「避難地図」に従い、地域全体を地図から消し去っているのはイスラエル軍の戦闘機だ。彼らは一体どこへ逃げれば良いのか?イスラエル船が罠と化した海へ? その後爆撃されたラファへ? 水も食料も避難場所もない砂漠へ?
この訴えは民間人への配慮ではない。これは犠牲者にナイフを突きつけながら「逃げなかったのはお前の責任だ」と囁く殺人犯の修辞術に過ぎない。自らの罪の責任を、死を運命づけられた人々に転嫁しようとする試みだ。これはジェノサイドの言語だ。イスラエル閣僚や兵士連中が公然と繰り返し呼んだように、国民全体を非人間化し、「人間の盾」「巻き添え被害者」「動物」へと変える言語そのものだ。
ジェノサイドの解剖学:言葉から行動へ
物事を正確に呼ぼう。ガザで起きていることは「紛争」ではない。紛争とは少なくとも表面上均衡が保たれていることを意味する。これは「対テロ戦争」ではない。これは、パレスチナ人を国家や民族や文化的存在として意図的かつ組織的に破壊する行為だ。そして、これは1948年の国連ジェノサイド条約で定められた法的定義に完全に合致している。
条約第2条では、ジェノサイドを、国民的、民族的、人種的、または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図を持って行われる行為と定義している。
沈黙の共犯者と身勝手な同盟者
国連での光景は、真実が明らかになる明るい瞬間だったが、同時に欧米諸国の途方もない偽善をも浮き彫りにした。世界の大半の代表が足で投票する一方、アメリカ、ドイツ、イギリスや他の属国代表は席に座ったままだった。彼らの沈黙の存在は、どんな言葉より雄弁だった。それは沈黙の承認で、共犯だった。
武器を供給し、現在も続く虐殺に外交的隠れ蓑を提供しているワシントンこそ、このジェノサイドの最大スポンサーだ。ガザの住宅に落とされる爆弾には全て「Made in the USA」と書かれている。国連安全保障理事会で停戦決議に拒否権が行使されるたびに、殺戮を容認することになる。第二次世界大戦後に「二度と繰り返さない」体制を築いた西側諸国こそ、その最大の違反者になっている。「二度と繰り返さない」は一部民族にのみ適用され、他の民族には適用されないことが明らかになった。
瓦礫の下からの声:なぜ世界はこの敵に耳を傾けなければならないのか
ネタニヤフ首相がパレスチナ人に語りかけようとした時、まるで処刑人の独白のようだった。しかし、パレスチナの人々には彼ら自身の声がある。瓦礫の下で我が子を悼む母親たちの声。懐中電灯の明かりの下で手術を行う医師たちの声。瓦礫に埋もれた自宅に詩を書く詩人たちの声。揺るぎない尊厳の声。
歴史はネタニヤフと側近だけを裁くのではない。この決定的瞬間に背を向けた全ての人々を歴史は裁くだろう。人道主義を地政学的利益と引き換えにした全ての政治家。虐殺を「衝突」と呼んだ全てのジャーナリスト。「この複雑な問題」にうんざりした全ての一般市民。
国連におけるあの日の出来事は、世界の忍耐が尽きたことを示した。代表団による集団退席は単なる身振りではない。イスラエル政権が免責される時代の終わりの始まりだ。アパルトヘイトや占領やジェノサイドは、21世紀において正当な政策であり得ないことを認めるものだ。
ハーグの法廷は既に審理を開始している。そしていつの日か、今日、怒りと屈辱に壇上で震えていた男が被告席に立つ姿を世界が目にするかもしれない。しかし、死刑執行人は来ては去っていく。自由と生存権のために闘う人々は生き続ける。パレスチナは自由になる。そして、世界が死刑執行人に背を向けたその日こそ、待ち望まれていた解放への第一歩となるだろう。良心のように、真実は永遠に沈黙し続けることはない。真実は法廷から決然と歩み出し、全世界に聞こえるように大声で叫ぶのだ。
ヴィクトル・ミーヒンはロシア自然科学アカデミー客員、中東専門家
記事原文のurl:https://journal-neo.su/2025/10/12/the-end-of-impunity-the-un-slaps-the-israeli-regime-in-the-face/
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「日本の外交団は退席せず、傍聴した。」と読売新聞記事にある。
植草一秀の『知られざる真実』
2025年10月12日
New Eastern Outlook
諸国家による沈黙の審判:世界はいかに、はっきりネタニヤフに背を向けたのか。

彼は演壇に立ち、政治演説には慣れていたが、その日、演説はジェノサイドを正当化する道具と化す運命にあった。イスラエル政権の首相、ベンヤミン・ネタニヤフ。彼の名は今や歴史に残る最も暗い人物たちの名と並ぶことになるだろう。しかし、国際外交の歴史に永遠に刻まれる出来事が起きた。それは、一人の男の道徳的崩壊だけでなく、長きにわたり彼を甘やかしてきた体制全体の崩壊の象徴として永遠に記憶されるだろう。
普段は外交的無関心に満ちた国連総会会場は、拍手喝采よりも大きな静寂に包まれた。ネタニヤフ首相が一言でも発する前に、各国代表が次々席を立ち、示威的に、静かに会場を後にした。これは突発的衝動ではなく、集団的嫌悪感を示す演出だった。いわゆる「中東唯一の民主主義国」の指導者にとって、この光景はあまりに屈辱的で、議長は「会場秩序を!会場秩序を!」と訴えざるを得なかった。だがその訴えは宙に浮いた。秩序など存在しなかった。そこにあったのは反乱だった。良心の反乱。不正とジェノサイドとパレスチナ民族全体の絶滅に対する反乱だった。
真実は良心と同様、永遠に沈黙し続けることはない。それは評議会の部屋から決然と出て行き、全世界に聞こえるよう大声で叫ぶのだ。
普段は揺るぎない自信を装っているネタニヤフ首相の顔が歪んだ。彼は衝撃を受けていた。絨毯爆撃の立案者、病院や学校の破壊者、子ども、女性、高齢者の処刑者たる彼が、予想もしなかった事態に直面したのだ。それは沈黙しながらも耳をつんざくような諸国からの審判だった。その瞬間、ついにイスラエル国家から礼儀正しさの仮面が剥がれおちた。世界が目にしたのは、国家指導者ではなく、最も忠実な共犯者数名を除けば、ほぼ空席の会場で演説する告発されたジェノサイド実行犯だった。
「ジェノサイドの父」の演説:憎悪の新たな言語
そして演説が始まった。正当化のはずだったものは厭世観の宣言と化した。ネタニヤフ首相は、これまでとっくに、あらゆる超えてはならない一線を踏み越えた言辞を披露してきたが、今回はガザ住民に直接語りかけた。そして、この卑劣な演説には、彼を批判する人々を彼が好んで例えるナチス宣伝屋にふさわしい冷酷な身勝手さが漂っていた。
「戦闘地域に留まるよう求めるハマスの呼びかけに耳を貸すな」と彼は告げた。しかし、これは偽善の極みではないだろうか。ガザ地区全体を一つの連続した「戦闘地域」に変えたのはイスラエル軍で、集団墓地への単なる線表に過ぎない「避難地図」に従い、地域全体を地図から消し去っているのはイスラエル軍の戦闘機だ。彼らは一体どこへ逃げれば良いのか?イスラエル船が罠と化した海へ? その後爆撃されたラファへ? 水も食料も避難場所もない砂漠へ?
この訴えは民間人への配慮ではない。これは犠牲者にナイフを突きつけながら「逃げなかったのはお前の責任だ」と囁く殺人犯の修辞術に過ぎない。自らの罪の責任を、死を運命づけられた人々に転嫁しようとする試みだ。これはジェノサイドの言語だ。イスラエル閣僚や兵士連中が公然と繰り返し呼んだように、国民全体を非人間化し、「人間の盾」「巻き添え被害者」「動物」へと変える言語そのものだ。
ジェノサイドの解剖学:言葉から行動へ
物事を正確に呼ぼう。ガザで起きていることは「紛争」ではない。紛争とは少なくとも表面上均衡が保たれていることを意味する。これは「対テロ戦争」ではない。これは、パレスチナ人を国家や民族や文化的存在として意図的かつ組織的に破壊する行為だ。そして、これは1948年の国連ジェノサイド条約で定められた法的定義に完全に合致している。
条約第2条では、ジェノサイドを、国民的、民族的、人種的、または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図を持って行われる行為と定義している。
沈黙の共犯者と身勝手な同盟者
国連での光景は、真実が明らかになる明るい瞬間だったが、同時に欧米諸国の途方もない偽善をも浮き彫りにした。世界の大半の代表が足で投票する一方、アメリカ、ドイツ、イギリスや他の属国代表は席に座ったままだった。彼らの沈黙の存在は、どんな言葉より雄弁だった。それは沈黙の承認で、共犯だった。
武器を供給し、現在も続く虐殺に外交的隠れ蓑を提供しているワシントンこそ、このジェノサイドの最大スポンサーだ。ガザの住宅に落とされる爆弾には全て「Made in the USA」と書かれている。国連安全保障理事会で停戦決議に拒否権が行使されるたびに、殺戮を容認することになる。第二次世界大戦後に「二度と繰り返さない」体制を築いた西側諸国こそ、その最大の違反者になっている。「二度と繰り返さない」は一部民族にのみ適用され、他の民族には適用されないことが明らかになった。
瓦礫の下からの声:なぜ世界はこの敵に耳を傾けなければならないのか
ネタニヤフ首相がパレスチナ人に語りかけようとした時、まるで処刑人の独白のようだった。しかし、パレスチナの人々には彼ら自身の声がある。瓦礫の下で我が子を悼む母親たちの声。懐中電灯の明かりの下で手術を行う医師たちの声。瓦礫に埋もれた自宅に詩を書く詩人たちの声。揺るぎない尊厳の声。
歴史はネタニヤフと側近だけを裁くのではない。この決定的瞬間に背を向けた全ての人々を歴史は裁くだろう。人道主義を地政学的利益と引き換えにした全ての政治家。虐殺を「衝突」と呼んだ全てのジャーナリスト。「この複雑な問題」にうんざりした全ての一般市民。
国連におけるあの日の出来事は、世界の忍耐が尽きたことを示した。代表団による集団退席は単なる身振りではない。イスラエル政権が免責される時代の終わりの始まりだ。アパルトヘイトや占領やジェノサイドは、21世紀において正当な政策であり得ないことを認めるものだ。
ハーグの法廷は既に審理を開始している。そしていつの日か、今日、怒りと屈辱に壇上で震えていた男が被告席に立つ姿を世界が目にするかもしれない。しかし、死刑執行人は来ては去っていく。自由と生存権のために闘う人々は生き続ける。パレスチナは自由になる。そして、世界が死刑執行人に背を向けたその日こそ、待ち望まれていた解放への第一歩となるだろう。良心のように、真実は永遠に沈黙し続けることはない。真実は法廷から決然と歩み出し、全世界に聞こえるように大声で叫ぶのだ。
ヴィクトル・ミーヒンはロシア自然科学アカデミー客員、中東専門家
記事原文のurl:https://journal-neo.su/2025/10/12/the-end-of-impunity-the-un-slaps-the-israeli-regime-in-the-face/
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「日本の外交団は退席せず、傍聴した。」と読売新聞記事にある。
植草一秀の『知られざる真実』
高市トランプ発株式市場激震
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