新世代の暴動に直面するフランス
2023年7月1日
RT
騒乱の原因は警察の取り締まりやソーシャル・メディア検閲でできるより深いところにある。
カリン・クナイスル博士は、シンクタンクGORKI(Geopolitical Observatory for Russia’s Key Issuesロシア重要問題地政学観測所)の責任者でオーストリア元外務大臣。2020年6月、クナイスル博士は「The Art of Dialogue in Uncertain Times 外交が歴史を作る–不確実な時代の対話芸術」という書名の本を出版した(ヒルデスハイム、Okms Verlag)。
「バンリュー」と呼ばれるフランスの郊外は、1970年代以降、暴動の際、頻繁に炎上してきた。2005年秋の反警察騒乱の間、事態は特に暴力的になった。ほぼ20年後、警察も抗議者も、関係者全員が暴力に訴えるのをいとわなくなっている。
出来事はほとんど同じ文脈で起きている。2005年秋、アラブ出身の二人の若者がフランス警察による逮捕を逃れようとして感電死した。今回は盗難車で逃げようとした際、アルジェリア出身の少年を撃った二人の警察官だ。この事件は映像が撮影され、三年前、世界中でブラック・ライヴズ・マター蜂起につながったアメリカのジョージ・フロイドの場合と同様ソーシャル・メディアで広がっている。
その後数時間で、数万人の主に若い男性(多くは未成年者)が北のナントから南のマルセイユまで、フランスの都市郊外で暴動を起こし続けた。多数の車が放火され、学校を含む公共建物が攻撃され、店が略奪され、何百人もの人々が逮捕された。一部の場所では、加害者(そのほとんどが移民3世と4世)は主に公営住宅に住む地元の人々に嫌がらせをするために銃器を使用したとさえ言われている。
TikTokのせいにする
政府は装甲車両配備で対応し、コンサートなどの大規模な公開イベントは中止された。さらに皮肉にも、移民に関する失敗したEUサミット参加を切り上げざるを得なかったエマニュエルマクロン大統領はソーシャルメディア・ネットワーク、特にTikTokが暴力エスカレーションの根本原因だと発表した。マクロンは、このプラットフォームに直接話しかけ「機密コンテンツ」削除と公開コンテンツの性質に関するより多くの確認を要求した。
先週金曜日、Twitterは暴動の画像やビデオを投稿したフランスのユーザーアカウントの抑制を開始したが、所有者がフランス国外にいて、フランスのメディア法に従って刑事犯罪を犯していないアカウントにも影響を及ぼした。フランス国家元首はまた、暴動を起こした未成年者の両親に責任を負わせた。念のため彼の前任者ニコラ・サルコジは不登校者による暴力の増加に対応して家族の社会福祉を削減した。15年前のことだ。
しかし、装甲車両配備やソーシャルメディア検閲や未成年者の親に圧力をかけたりすることで街頭暴動を即時かつ恒久的に制御できるだろうか。それは疑わしい。フランスがそのような蜂起や暴動で定期的に国際的な見出しになっているとしても責任は当局だけにあるわけではない。フランスではドイツやオーストリアより移住と統合が遙かにうまく管理されているにもかかわらず、フランス社会を根底から揺るがしているのはより根深いジレンマだ。
共和国の成果
フランス国民になるのは比較的簡単だ。フランス語の運用能力を持ち、政治と宗教の分離など共和国の理想に誓約しなければならない。ここでの重要な問題は公共の場でのスカーフ禁止だ。事務所、管理棟または病院でフランス語以外の言語での通知や発表に遭遇することはない。ドイツとオーストリアで統合を困難にする言語問題は、フランスには存在しない。入国管理局は通訳者を組織し、資金提供しているが、ウィーンの病院にはアラビア語、トルコ語、その他の言語で全ての重要情報も掲載されている。そこでは言語の壁のためコミュニケーションが失敗するが、フランスではそうではない。
フランス移民の大多数はアフリカ大陸の旧植民地から来ており、そこの人々はフランス語を話す。アルジェリアは1962年までフランスの一部だった。フランス移住は波のように起きた。アルジェリア戦争は、とりわけ数十万人のアラブ人が、たとえば以前フランス当局と協力していたため、独立後、国から逃げなければならなかったため重要な事件だった。1970年代と1980年代の詩人や知識人や学者の政治的移住は、地中海地域での人口圧力と人身売買により強化された経済的移住に益々変化した。
1995年のバルセロナ・プロセスの採択により、特にフランスは管理されない移民に終止符を打ちたいと考え、イタリアとスペインとともに地域経済への投資を通じて市民を母国に留めておくため地中海南部や東部地域の国々と一連の連合協定を開始した。これらプログラムは失敗し、場合によっては更なる社会的不平等にさえつながった。2011年のいわゆるアラブの春は、特に北アフリカの移民ルートを支配していた以前の「パートナー」特にリビア国家元首ムアンマル・カダフィがフランス空軍が参加し彼の国を爆撃する「人道的」介入中殺害され、権力の座から追われたたため移民の更なる波を解き放った。
特に移民の第三世代と第四世代が直面する全ての問題にもかかわらず、フランス福祉国家は社会的進歩の可能性を提供している。公教育制度は一部都市部では小学校児童の最大90%が母国語としてのドイツ語能力を持たないドイツ語圏よりレベルが高い。私はフランス留学の機会がありオーストリアでは知られていない教育と行政における能力主義制度をフランスで経験した。制度がドイツより遙かに風通りが良く社会的上昇が可能だ。
絶対的数字を見ても、フランスはたとえばオーストリアより良い位置にある。フランスでは海外で生まれた人の割合は、何年もの間、約10%で安定している。オーストリアでは、この割合は2015年の13%から今日では20%以上に上昇している。2015-16年の大規模移民の波は福祉制度のためドイツ、スカンジナビア諸国、オーストリアを襲ったが、フランスはそれらの年月、大量移民の標的国ではなかった。2013年パリのバタクラン・クラブと2016年ニースでのテロ攻撃は、これら事件以前のんきで活気に満ちていたフランス社会に深刻な衝撃を与えた。その後緊急事態宣言が発令され、その後延長された。2017年にようやく解除されたが同時に可決された新しい法律により、その規定の一部が恒久的になった。
不確実な暑い夏
フランス政府は現在、緊急事態宣言への復帰を検討している。そのような状況がロシア、インド、または中国で発生したと想像してみよう。EU中の政治家や欧米マスコミ全てが、これらの国々の民主主義崩壊を激しく嘆き、新たな経済制裁で脅し、彼らの国民大衆のため特別なテレビ報道を解き放つはずだ。
国連人権高等弁務官フォルカー・タークはフランス警察の人種差別を批判し、フランス外務省は厳しく拒否した。あらゆる側が暴力を使うことに消極的になっているのは否定できない。しかし多くの文書化された事例が示すように警察暴力はフランスの誰に対しても影響を与える可能性がある。Covid-19パンデミック中も、制限反対抗議行動は、時に残忍な警察作戦を伴っていた。
スタッフ不足、政治的支援欠如や警察内の欲求不満や怒りを高めるその他の問題についてしばしば語られている。ジェラルド・ムッサ・ダルマナン内務大臣(彼自身マグレブ系)は警察擁護で進み出た。ダルマナンは人としても政治家としても議論がないわけではない。彼が現在の危機を克服する方法はフランス国内政治の基本方針になるだろう。
フランス政府はどう反応するだろう? 何年にもわたる封鎖の後、夜間外出禁止令になるのだろうか? 作業で圧倒される法廷で裁判官から最後の資源を奪い、過密な刑務所をもたらす大量逮捕だろうか? 多くの点でフランスは神経衰弱の危機に瀕している。それでも入手可能なデータに基づくと、フランスの状況はドイツやオーストリアほど爆発的ではない。社会的結束は比較的強固なままだ。誰もがお互いに怒鳴れるほどフランス語を巧みに話す。完全に言葉を失った状態はまだ始まっていないが、日常生活費用の大幅上昇など、ヨーロッパ全体に古い問題と新しい問題が混在している。
近い将来、フランス政府は優先事項が一体何なのか理解する必要がある。特にフランスにおいて、社会問題に関する疑問は、しばしば政治的岐路を引き起こしてきたのだ。
本記事で表明される声明、見解、意見は著者のもので、必ずしもRTのものではない。
記事原文のurl:https://www.rt.com/news/579041-france-riots-migration-unrest/
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ルペン、クリミアはロシアのものと発言。
The Duran: Episode 1633
Marine Le Pen attracting critical mass of support in France 14:57
デモクラシータイムス
NHK日曜討論、見なくなって一体何年かわからない。大本営広報部の模範番組。
植草一秀の『知られざる真実』
今朝の孫崎享氏メルマガ題名 ひとごとではない経験。
健康・大腸ポリープ切除
「本日午前11時から、岩上安身によるジャーナリスト・高野孟氏インタビューを生配信します!」
はじめに~<本日の岩上安身によるインタビュー>帝国主義と民主主義は両立しない! 大統領候補ロバート・ケネディJr.は、軍事帝国としての米国を終わらせる!? 米中覇権争いの枠に留まらない「世界的構造変動」が始まりつつある!~本日午前11時から、岩上安身によるジャーナリスト・高野孟氏インタビューを生配信します!
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政治経済学者植草一秀教授の『NHK悪質やらせマイナ日曜討論』を読んで
現行のままでは,NHKを民営化すべしというのが持論だが,一点だけを除いて植草教授の意見に大いに賛成する。その一点とは何か。それは根本的にマイナカ-ド(以下,マイナと呼ぶ)そのものの存在を問うべきであるにもかかわらず,マイナありきで話し合いが行われていることである。なぜマイナが必要なのか。なぜ必要でないのか。
国家権力やWHOあるいは世界支配のために人民・国民を管理するためにマイナが利用されようとしていて,国民が使って便利で安心であるという観点からの討論が為されていないことが問題であろう。それは自動車社会とて同じことで,自動車は便利だが一種の殺人兵器であることに目を瞑って利用している。しかし殺人兵器には絶対乗らないというご仁もいらっしゃる(上級国民が自動車事故を起こしても即刻,逮捕されない事例も報告されている)が,乗るか乗らないかは誰からも強制されない,自由が確保されている。
標準語も同じで今日なお方言で意思を疎通される方もいる。標準語では十分な意思が伝わらない,表現が難しいというのが理由なのであろうが標準語で話すか方言で話すかは個人の自由に任されている。しかもそのことによって人が亡くなることはほとんどないし,日本語の意味が通じなくなるときがあるときが問題なくらいである。
ところで,日本総合研究所上席主任研究員の岩崎薫里氏は,NHKの討論会で「日本でもそろそろ行政は間違いを犯さないというマインドセットを変える必要がある」と述べたそうだ。
しかるに「マインドセット」という言葉は日本語なのかどうか。日本語辞書に載っているのかどうか(東京のお姉ちゃんが使っているだけでねえのか)。もしNHKが公共放送であるとするなら,日本語文章の中にやたらカタカナ語らしきものを紛れ込ませて話を進めてもよいものなのかどうか。また多くの日本人は理解できるのであろうか。少なくとも小生には理解できない。
文芸評論家故・加藤周一はしきりに「日本語で言えることは日本語でいえ」,と説いていた(加藤周一著作集,平凡社)。小生は,加藤の遺志を尊重する。ゆえにそもそもマイナカ-ドとは何か,日本政府と官僚たちに問いたい。意味不明。定義不明。さらに「マインドセット」とは何か。
加藤は,世界で見ても日本語は美しい言語の一つである,という。小生もそう思う。その言語にやたら得体のしれぬカタカナ語なるものを忍び込ませて話をする人は本当に日本人なのか。疑ってしまう。英米西中露の日本語破壊工作員ではないのか。
閑話休題。日本国憲法の話をしよう。昔,中学校の保健の先生が「憲法前文を暗記してみなさい」と私たち中学生に提案したことがあった(その理由は分からなかったが)。他方後年,高校社会科の先生Nは,試験に憲法前文の問題を出され,その小問で括弧内に適切な言葉を漢字を使って文章を完成させよと迫った。小生は中学校時代の暗記の助けにより「厳しゅく」という言葉は知っていたが「しゅく」という漢字を書くことはできなかった。そこで解答欄外に漢字とひらがなで「厳しゅく」と書いておいた。ところがそのN先生は部分点をくださった。
以後,日本国憲法との付き合いは今日まで至るが,日本人が憲法を持ち出して議論する,討論する場面が少ないように思う。今ウクライナ代理戦争で歴史を持ち出して議論するジャ-ナリストが目に付くが,日中漁業協定やミンスク国際合意や「東方に1インチも拡大しない」といった合意ほどには,日本では原理・原則あるいは憲法や条約などが知的な文筆業者や学者には引用されていないような気がする。それはなぜだろうか。日本人の国民性なのであろうか。
ところで政治に目覚めた頃,日本には原理・原則がない言われていた時代があった。今日もそうなのであろう。振り返れば日本はアメリカ・ネオコン(neo-conservative)のいう通りに動いてきた。すなわち主権は日本国民になく米・ネオコンにあった。したがってそこから日本語の破壊工作も亦同時に進んだ。問題は,日本の行政が間違いなく進むかということである。ネオコンの意のままに動くことが日本の行政が間違いなく進むことと同義語であるのかどうか。しかしそこから「なぜマイナが必要なのか」という疑問には答えることはできない。われわれ日本人は根源的に考えるべきである。
話がだいぶ反れてしまって申し訳ないので戻すと,憲法から引用すれば,日本国憲法は次のようである:
ー日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。・・・途中略・・われらは,・・・・<引用終
部分的に引用すると「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び」とあるように,われわれにはマイナカ-ドを「もたない自由」もある。なぜならこれまでマイナがなくても保険証だけで十分な医療診療を受けることができるからである。国民がマイナに「恐怖」し,政府への信頼感の欠如という「恐怖」がはびこっているのが現在の日本である。それでも自民党政府はマイナを全国民に強制しようとしている。
さらにまた,ネオコン下の自民党政権という「専制」によって何でも紐づけしようとするカ-ドに日本人は「隷従」するよう強いられようとしている。これは日本国憲法の精神に反する。
以上のようにマイナ強制は日本国憲法に違反している。まだ他にも憲法違反の事例はあるだろう。加藤周一は「まだ陽は落ちない」と言ったが(『夕陽妄語』朝日新聞社),小生はまだあと75年生きると天に誓った。そして人間相互の関係を支配する「崇高な理想」を自覚しつつ余生を送りたいと考えている。したがって自由を蔑ろにし,専制と隷従を強いるマイナ制度には,たとえその名称が変わっても,従うことはできない。
二人への反論;こんな国民的暴挙論退治を植草教授ただお一人に任せておくことはできない。マイナがなくてもて別に困らないから,便利だと思う方は利用したらいい。
庄司昌彦氏は,「交通事故があるからと言って自動車社会を否定することにはならない」と主張した。しかし庄司氏の前提は間違っている。第一に自動車に乗らず飛行機に乗らず。投票に行くのに自動車に乗らない人も少なからずいる。しかも投票に行かない人もいる。隕石が落ちてきてけがをする人もいる。そういう人たちにマイナの必要性を説いてもどうしょうもない話であろう。
選挙の時,小生は創価学会の先輩から「(自動)車で送ってあげますから投票に行きましょう」と誘われたことがある。父親同士は同級生であったが小生は断った。車が嫌いだった。車の増大によって小生らの遊び場が危険になった上に,最後は駐車場となり遊び場が消えたからである。世間は広いもので自動車に乗らない人も少なからずいる。経済学の故宇沢弘文先生もそうではなかったのか(彼の場合は車でなくて米軍御用達のプレデターに乗って現れるだろうと予測されたが)。
第二に自動車で人をひき殺しても逮捕される人と逮捕されない人がいるが,交通事故は多くて年間4万人だったと思うが自動車社会はエンジンの性能が良くなった今でも常に「自動車社会」である。すなわち交通事故の多寡にかかわらず,また浅間山が噴火しようと噴火しなくても「自動車社会」は「自動車社会」であって誰も否定できない。
すなわち,マイナをもっていない人が国民の25%であれ49%であれ,99%であれ,マイナ社会であることは否定できない。国連やデビルゲイツ財団やWHOの命令で日本がマイナをもたせようとしていることにも変わりはない(ところでマイナカードって何?)。しかし「交通事故があるからと言って自動車社会を否定することにはならない」からといって日本人全員がマイナをもたねばならない理由はでてこない。
第三に,もし交通事故で死ぬ人が無くなったら,日本は自動車社会でなくなるのか。
第四に,自動車社会とはマイナ社会である。マイナ社会とはデジタル処理社会である。だとすると時計も自動車であり飛行機も自動車である。ゆえに空飛ぶ自動車が現れる所以なのであろう。しかし空を飛ばない自動車は自動車なのかどうか。ゆえに庄司氏の議論は味噌もくそも一色単にしてしまう議論である。
もう一人の出演者,日本総合研究所上席主任研究員の岩崎薫里氏は、「日本でもそろそろ行政は間違いを犯さないというマインドセットを変える必要がある」と述べた。
「マインドセット」という言葉が日本語を破壊するほど意味が通じないことはさきにのべた。しかしマインドセットを変えると,マイナを導入してもいいという理由になるのかどうか。星飛雄馬の父親は頑固一徹だったそうだが,日本語辞書から「頑固一徹」という言葉を消し去ってもいいのかどうか。
それはさて置き,昔若かりしとき,某大臣に手紙を送って政策の不備を認めさせたことがある。お付きの役人は「(政策が)間違って国民に伝わった」と発表した。間違って伝わったというのは官僚用語で簡単に言えば「間違った」のである。ダイアモンド・プリンセス号で十数名の方をコロナで死なせ,数百人の乗客をコロナ感染に導いた厚生官僚と大臣は間違った行為をしたのではないのか。それとも官僚も人間だから「無謬性」であることから逃れないと言ったのが岩崎氏であり,彼女の本意なのかどうか。
また統計改竄をした厚生官僚や社会保険庁(旧)や経産省。あるいは財務省などは間違ったことをやって来たがこれまで一度も間違わなかったのかどうか。ノ-パンしゃぶしゃぶで有名になった大蔵官僚は今回の東京五輪の理事だったそうだが,反射光で観たぐらいでは間違いだとは言えないが,実に人間的だとしても官僚としてあるまじきことなのかどうか。しかし政策の変更とは関係ないだろう。実は大蔵省は汚職の総合商社ではなかったのか。すなわち多くの間違いを犯した。警視庁から捜索を受けていると記憶している。植草教授の貴重な証言もある。
岩崎薫里氏が森友学園を訪問されたことがあるのかどうか知らないが,建設省(国土交通省)の利権を知った上で「日本でもそろそろ行政は間違いを犯さないというマインドセットを変える必要がある」と主張されたのかどうか。すなわち行政は間違いを起こすから「崇高な理想」を捨て去るべし,主張されたのかどうか。
行政は間違いを犯し完璧に近い仕事をしないのでむしろ以前より頻繁に犯すから,犯した官僚の退職金は0円にするとか,給料を半減するとかという処罰を導入してはどうか。すなわち,「マインドセット」を変えて官僚に対する処罰を厳しくしてはどうか。(頻繁とは何回ぐらいを指すのかとは問わない。)
さらに裁判官も最高裁判事もマイナ問題で生じた程度の「間違いを犯すから」判決は信用しなくてもいい。また時に応じては最高裁判決を覆してもいい。破棄してもいい・・・ということにしてはどうか。また高校教員のお話で恐縮だが,裁判は最高裁から始めて三審は地方裁判所が行うという制度に変更してはどうか。
まとめ;
植草教授と飛ぶ鳥を落とす勢いの二人の主張を拝読して,日本国とは原理原則をいつでもかなぐり捨てる社会だなと思う。厳粛さや原理原則を重んじて云々という話が通じない日本社会とはマイナ社会なのであろう。
追記:小生が不便だと思うのは年号表記である。数年,南東アジアに住んでイスラム歴やグレゴリ-暦や仏教歴を経験したが,日本に帰ってみると浦島太郎。パスポ-ト再申請や町役場や警察へ足を運んだとき,平成や令和など元号がなかなか思い出せない。不便極まりない。西暦でやってくれ。これからGDPがアメリカを抜くというとき,なぜ中国が使っている西暦を使わないのか。
この点普段はマスゴミで,眼もくれない新聞紙は偉い。新聞紙だけは西暦と元号両並記。有難い。但し,内容は貧弱。或る人の曰く;何にもねえ。
投稿: 箒川 兵庫助 | 2023年7月 4日 (火) 17時54分