ウクライナの極右傀儡国家への変質の里程標
Erkin Öncan
2022年4月7日
Strategic Culture Foundation
キーウ政権の極右的性格は長年の政治的変質の結果で、起源は第二次世界大戦前に溯る。
ウクライナでロシアの特別作戦が続いているが、欧米メディアは、この作戦と平行して強烈な偽情報活動を開始した。この文脈で、ウクライナ政権の本質、ドンバスに対して戦っているネオ・ナチ勢力や、その背景に関する事実が破壊されつつある。
欧米諸国やメディア、特にアメリカが、ロシアの作戦は一種「拡張主義」の結果だという説を表明しているが、2014年のマイダン・クーデター後に激化した攻撃や、キーウ政権の極右的性格は、長期的な政治変質の結果であり、ウクライナ政権の極右的性格の根源は第二次世界大戦前に遡る。
ウクライナ政権の反ソ連/反ロシア的性格をもたらした歴史上の人物は、今全国で「国民的英雄」として記憶されている。これらの人々の最大共通点は極右イデオロギーだ。
ウクライナ民族主義者が歴史的人物と考える人の中でサイモン・ペトリューラは注目に値する。
1917年-1921年の間、一方的に宣言したウクライナ人民共和国指導者だったペトリューラ支配下で、35,000人から50,000万人のユダヤ人が組織的虐殺ポグロムで死んだと推定されている。
オデッサで家族が殺害されたユダヤ人無政府主義者ショーロム・シュワルツバルドに殺されたペトリューラはウクライナ支配層エリートとナチ勢力に「英雄」と見なされている。
2017年、西部ウクライナのヴィーンヌィツャで、ペトリューラ記念碑除幕式が行われ、ヴィーンヌィツャ地域議長ワレリー・コロヴィーは、ペトリューラは「心から国を愛し、人々に正直であろうとしたが、ソ連は彼の信用を失墜させるため全力を尽くした」と主張した。
同時期に、ウクライナ史上最も血まみれの一ページに署名したペトリューラの胸像がキエフに建立され、彼を記念する銘板がポルタヴァに作られた。
ウクライナ支配者の反共産主義、反ソ連政治姿勢は、ウクライナにおけるユダヤ人と共産主義者両方の大量殺人で明らかにされたが、第二次世界大戦の開始は、この国におけるで極右運動の最も強い期間をもたらした。
ナチ侵略者に協力するため設立されたウクライナ民族主義者組織(OUN)は、ウクライナのみならず、ポーランド、ルーマニアやチェコスロバキアでの大虐殺の責任がある。
この組織のイデオローグの一人ドミトロ・ドンツォフはムッソリーニの有名な「ファシズム教義」を翻訳した「ジャーナリスト」で「誰であれロシアの敵と団結しよう」と主張した。
今日同じ態度で行動しているウクライナ民族主義者は、ドンツォフの継続だと言っても誇張ではあるまい。なぜなら、ペトリューラと全く同様、ドンツォフはウクライナで今日「忘られざる」全国的有名人の一人なのだから。
今年早々、キーウにあるウクライナのウクルインフォルム国営通信ビルに設置された「ドンツォフに敬意を表する」記念銘板は、現政権とウクライナ右翼のイデオロギー的連続性を証明している
ウクライナ民族主義の歴史的指導者:ステパン・バンデラ
ナチに協力するためウクライナ民族主義者組織の師団が設立された後、組織の一部隊を率いたウクライナ人のステパン・バンデラは、彼が設立したナハティガル大隊によるユダヤ人に対する大虐殺を始めた。
ナチ軍の進撃につれ、バンデラと彼の組織は様々な地域、特にテルノーピリで合計13,000人から35,000人のユダヤ人が虐殺された約140件のポグロムを実行したと推定される。
だがバンデラと彼の組織が「独立ウクライナ」を樹立する計画を妨害したヒトラー独裁は、1941年に独立宣言したバンデラと副官ヤロスラフ・ステツィコを逮捕し、組織を解散させた。
スターリングラードの戦いで、ソビエト軍に対し、ナチが後退した際「ウクライナ蜂起軍」(UPA)が設立された際、バンデラとステツィコが歴史舞台に再出現した。
ナチの後退中、UPAは90,000人のポーランド人と、多くの共産主義者同様、何千人ものユダヤ人が殺害され拷問にかけられた攻撃を実行した。
公然のナチ協力者だったにもかかわらず、1959年にミュンヘンでKGBに殺害されるまで、バンデラは、欧米諜報機関、特にアメリカにより、ソビエト社会主義共和国連邦に対して使用され続けた。
バンデラの副官で、後に世界反共連盟の創設者の一人となるヤロスラフ・ステツィコは、1983年、ホワイトハウスでアメリカ第40代大統領ロナルド・レーガン本人に歓迎され「あなたの戦いは我々の戦いだ」と称賛された。
ウクライナの逆転:ソ連後時代の右翼勃興
1991年の後、ウクライナで注目を集めたネオ・ナチ組織は、2004年のカラー革命と2014年のマイダン・クーデター後、更に強くなり、ウクライナをロシア封じ込めというNATO戦略の破城槌にする措置をとった。これら措置をとることは、国中に「社会不安」を引き起こし、欧米に有利に権力構造を変えることを目指す犯罪的雰囲気の支配を意味した。これら全て「ヨーロッパに戻る」というソ連後のウクライナ戦略範囲内の進展だった。
こうした進展と並行して、ウクライナは1991年12月2日に署名された欧州連合ウクライナ宣言を採用した。1994年に、再びウクライナはEUとの政治的、経済的、文化的分野での提携と協力協定に署名した最初の旧ソ連共和国となった。ソ連社会主義共和国連邦後にウクライナが描いたこの新路線は、ウクライナを、国際企業に対し、特に地下資源開発を開放する上で重要な措置だった。
マイダン・クーデターへの道をたどる過程に火をつけたのは、当時のウクライナ政府が、2013年11月21日、EUとの提携プロセスを、しばらく見合わせたことだった。
マイダン・クーデター
2013年12月8日、ウクライナのキーウでのレーニン像破壊は、ウクライナは、もはや決して昔と同じものではないという象徴的な兆しだった。前大統領ヤヌコーヴィチの統治中に始まった抗議に関し、「反汚職」のシナリオが欧米メディアに書かれたが、抗議行動参加者を街頭に導いたのは、他ならぬ国家主義者連中だった。
ヒトラー「国民社会主義ドイツ労働者党」に似た1991年ウクライナで設立された「ウクライナ社会民族党」は後に皮肉に「自由」を意味する「スボボダ」という名を選んだ。
マイダン・クーデターの最重要当事者の一員であるこの党は、2014年の行動で、青年組織「ウクライナの愛国者」とともに積極的な役割を担った。
2002年にウクライナで設立され、後にアゾフ大隊へと変身した「トリズヴ」(ペトリューラが出版した週刊誌の名でもある)という名の国家主義組織は、彼と支持者がレーニン像を爆破した際、投獄され、マイダン・クーデター後解放され議員になった。ナチのアンドレイ・ビレツキーはマイダン政権の性格を最も良く反映する象徴の一人となった。
他方、トリズヴ司令官の一人、ドミトリー・ヤロシュが設立した右派セクターは、マイダン・クーデターを通して主要ネオ・ナチ組織の一つになった。もう一つのヤロシュの重要な特徴は、ウクライナ参謀総長の最高顧問として任命だ。
国際的な場で、マイダン・クーデターの最大支援者はアメリカ合州国だ。抗議行動が続く中、国務省ヨーロッパ・ユーラシア担当国務次官補ビクトリア・ヌーランドは、ウクライナ人活動家にクッキーさえ手渡した。
クーデター後に形成される新政権に誰を入れるかの決定に関与したヌーランドは、これまでの20年間でアメリカはウクライナのために50億ドル使ったと言った。ヌーランドが駐キーウ・アメリカ大使ジェフリー・パイアットとの電話で欧州連合をののしったのはアメリカがウクライナ・クーデターでEUを無資格にすることさえ望んでいた現れだった。
なぜマイダン・クーデターが、アメリカに、それほど支持されたかの重要なもう一つの指標は、ウクライナ最大エネルギー企業ブリスマ理事会への、ジョー・バイデン・アメリカ現大統領の息子ハンター・バイデン任命だった。
アメリカ率いる欧米陣営は、ソビエト革命中も、第二次世界大戦中も、冷戦中も、ソ連崩壊後も、ロシアに対し、ウクライナを利用しており、この目的のため、ウクライナでクーデターを組織することさえためらわなかった。
マイダン・クーデターで、ウクライナを作り直す必要性は、ソ連後時代のアメリカ合州国の政治課題と矛盾する「ソ連の脅威」に対し確立された「ロシア封じ込め」というNATOの歴史的戦略の極めて重要な大黒柱だった。
マイダン・クーデター後設置された国家主義政権最初の行動は、ウクライナのソ連の過去を消すこと、この戦略の範囲内で、この国に暮らすロシア人に対して動くことだった。
ウクライナ政権は公的領域で、ロシア語を禁止し、ナチ協力者、特にバンデラの像が築かれ、彼の誕生日は祝日とされ、赤軍ベテランとナチ協力者組織メンバーと同等と見なされ、ネオ・ナチ組織が公式に、ウクライナ軍傘下となり、共産党と社会主義組織は禁止され、そのメンバーは殺害され、強烈な攻撃がロシア人一般人に対し開始され、特にオデッサ大虐殺では40人以上の人々が殺害された。
主に国の東部に暮らすロシア人は、これら攻撃から防衛するため反マイダン行動・反ファシスト部隊を作り、ドネツクとルガンスク人民共和国から構成される「ノヴォロシア人民共和国連邦」が設立された。
地域での停戦を実現するため、ウクライナ、ロシア、ドネツク、ルガンスクとOSCE代表者に署名されたミンスク合意書にもかかわらず、ウクライナ軍は、ドンバスに対する攻撃を続けている。これがウクライナでのロシア軍事行動の最も重要な理由の一つだったが、それは欧米メディアに無視される事実の一つになった。
特に2019年から始まった、NATOメンバーではないのにNATO加盟諸国に武装されたウクライナ軍によるドンバス攻撃が著しく増加した。ドネツクとルガンスク政権下の多数の住宅がミンスク合意で禁止された武器を使って攻撃されている。これは、ロシアが作戦を始めたもう一つの重要な理由だった。
攻撃の圧倒的多数が、ウクライナ政権下のネオ・ナチに遂行されている事実は、ロシア政権が「非ナチ化」決定で、最も重要な要因の一つだ。
ロシア軍、ウクライナ軍とネオ・ナチ間の紛争が、進行中のロシア作戦で継続するにつれ、これら紛争に並行して欧米が始めた情報戦争は、ロシア、特にロシア・メディアに対する重要な制裁の現場だ。
この情報戦争で、無数のフェイク・ニュースが流布されているが、欧米は、自らが地域で構築した体制の極右性や、一般人に対する人権侵害を見せずに、この出来事をロシアに「突然始められた」侵略作戦と描写しようとしている。
Erkin Öncanは世界中の紛争地帯と社会運動に焦点を当てているトルコ人ジャーナリスト。 Twitter: https://twitter.com/erknoncn Telegram: https://t.me/erknoncn
個々の寄稿者の意見は必ずしもStrategic Culture Foundationのものを意味しない。
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明日はイースター。
日刊IWJガイド
「戦いはロシア領に飛び火! ロシア側はウクライナがロシア国内への攻撃の試みをやめない限り、ロシア軍は意思決定センターを標的にすると発表」
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コメント
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素晴らしい記事だと、思います。
オデッサの虐殺事件の真実は、もっと知られるべきです。
この記事を読めば、戦争の原因は、キエフのネオナチ、極右と、それに加勢するアメリカ、イギリス帝国であることが、はっきり分かります。
投稿: なし なし | 2022年4月17日 (日) 00時43分