2021年8月19日
F. William Engdahl
New Eastern Outlook
世界の多くが、アフガニスタンで展開する人的、地政学的大惨事で、バイデン政権の、見るからに明きらかな無能さに衝撃を受けている。バイデンは、原稿に書かれた矛盾したことを言い、彼の決定よりも他の全員が悪いと述べ「責任は自分がとる」と言うのは、かつて唯一の超大国が最終崩壊にあるという印象を増すだけだ。全てが、ダボス陰謀団が、グレート・リセットと呼ぶ、世界的な全体主義モデルのための準備で、民族国家を終わらせるための長期計画の一部だということがあり得るだろうか?アフガニスタンのアメリカ戦争と、今日までの政策を具体化したアフガニスタン・パシュトゥー人の40年の歴史は啓発的だ。
世界中の主流メディアの放送局は、軍の無能力さのためなのか、諜報の失敗のためなのか、それとも、その両方なのかという疑問で一杯だ。バイデン国務省のアフガニスタン和平担当特別代表アフガニスタン生まれのザルメイ・ハリルザドの役割は調査する価値がある。父親ブッシュ政権で、1984年から、アメリカの戦略的外交政策を方向づけ、現地でのアメリカ戦争時に、アフガニスタン、イラク両国のアメリカ大使で、現在の大失敗でも鍵となる人物であるアフガニスタン生まれの70歳の工作員に対するメディアの注目は驚くほどわずかだ。
謎につつまれたハリルザド
アフガニスタンで生まれ、高校まで育った民族的にパシュトゥーン人のハリルザドは、彼が息子ブッシュの下で、アメリカの戦略教義の「予防戦争」急進的転換の設計者だった時以来、今展開しているアフガニスタン・ドラマでも、おそらく鍵となる当事者だ。彼は1980年代、アフガニスタンでの、CIAによるタリバン・ムジャヒディーン・イスラム主義者(ロシアで禁止されている組織)訓練から、2001年のアメリカによるアフガニスタン侵略や、タリバンとのドーハ協定や、現在の悲惨な崩壊に至るまで、アメリカのアフガニスタン政策の全段階に関係していた。
1992年5月8日の「ニューヨーク・タイムズ」は、後に国防長官ディック・チェイニーの部下の国防総省当局者にちなんで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンと呼ばれるようになった漏洩した国防総省草案について報じた。ポール・ウォルフォウィッツは、ソ連崩壊後、チェイニーから新たなアメリカの世界的軍事姿勢を立案する任務を課されていた。タイムズの漏洩によれば、書類は「アメリカは世界唯一の超大国になるべきであり、ドイツや日本などの同盟国でさえ、アメリカの経済的、軍事的支配権に挑戦するのを阻止すべく、積極的行動をとらなければならない」と論じていた。それは更に「潜在的競争相手が、より広い地域的、世界的役割を熱望さえするのを阻止するための仕組みを維持しければならない。」と述べていた。それは事実上、一方的帝国主義宣言だった。
当時、ザルメイ・ハリルザドは、ウォルフォウィッツの下で国防省の政策計画次官補として働いており、そこで彼は、シカゴ大学でのハリルザドの博士号教授、ランド研究所のネオコン主義の「名付け親」アルフレッド・ウォールステッターを含め、ウォルフォウィッツや外部コンサルタントと働き、新たな教義を立案する課題を与えられていた。ウォルフォウィッツも、ウールステッター下、シカゴ大学で学んだことがあった。この集団は、いわゆるネオコン・タカ派の核になった。ハリルザドは、かつてチェイニーが個人的に、ハリルザドに「君は世界における我々の役割について、新たな理論的根拠を発見した。」と言って、若いアフガニスタン人が果たした戦略文書への貢献を評価したとされている。その「発見」は世界における、アメリカの役割を悲惨な形で変えることになった。
大いに物議をかもしたハリルザドの政策提案は、後にブッシュ・ホワイトハウスが発表した文書から削除されていたが、ブッシュ・ジュニア下で、「予防戦争」としても知られるが、ブッシュ教義として、10年後に再び現れ、アメリカのアフガニスタン侵略や、後にイラク侵略を正当化するために使われた。
副大統領がディック・チェイニーだった、息子ブッシュは、アフガニスタン人補佐官、ザルメイ・ハリルザドに促されて、アフガニスタンのタリバン政権による保護下で、911攻撃の構築者と名指された人物オサマ・ビンラディンが隠れているのだから、タリバンを罰しなければならないという口実を使って、2001年10月、アフガニスタン侵略を始めた。2001年5月、911の約4カ月前、ブッシュの国家安全保障担当補佐官コンドリーザ・ライスは、ハリルザドを「南西アジア・近東・北アフリカ担当大統領特別補佐官」に指名していた。「他の地域問題」が大きくなるはずだったのだ。
ハリルザドは、国防省のブッシュ-チェイニー政権移行作業チームを率いた。20年前、彼の影響力は巨大だったが、世間の目からは、ほとんど隠されていた。ハリルザドの前の上司ウォルフォウィッツは、息子ブッシュの国防省で、ナンバー2で、ハリルザドの前のコンサルテーションの顧客ドン・ラムズフェルドは国防長官だった。
サウジアラビア人ジハード戦士のビンラディン引き渡しを拒否したかどで、ブッシュはタリバン政権に対する戦争を宣言した。国連の役割はなく、議会での討論もなかった。ハリルザドとウォルフォウィッツと彼らのネオコン陰謀団の新アメリカ教義こそ、勝てば官軍だった。法律による支配のどんな正気の世界でも、決して始まるべきではなかったアフガニスタンにおける20年にわたるアメリカの大失敗が、ここから始まったのだ。
タリバンの起源
タリバンの起源は、1979年、パキスタン、アフガニスタンやサウジアラビアからさえ急進的イスラム主義者を採用し、武装させ、更にアフガニスタンで、ソ連赤軍に対し非正規戦を行うべく、カーター大統領の安全保障補佐官ズビグニェフ・ブレジンスキーが始めたCIAプロジェクトに由来する。CIAは、それにオペレーション・サイクロンという暗号名を付け、1989年に赤軍が撤退するまで10年続いた。サウジアラビア人のCIAの手先、オサマ・ビンラディンが、アラブ諸国からの金と、ジハード戦士を戦争に引き込むべつ、パキスタン諜報機関ISIと協力すべく、パキスタンに送り込まれた。タリバン、あるいは「探求者」と呼んだ、かなりの人数の急進化したアフガニスタン・パシュトゥーン族の学生が、ISIが彼らを匿うパキスタンからも、急進的なイスラム神学校から採用された。このCIA戦争は、CIA史上最長で、最も高価なCIA作戦となった。1984年には、アメリカ国務省アフガン専門家として、ハリルザドは、その全ての中心にいた。
アフガニスタンでの1980年代のCIA戦争後期に、急進的イスラム主義ムジャヒディンやタリバン傭兵と協力して、ハリルザドはアフガニスタンに最も影響力を持ったアメリカ人政策者として登場した。1988年までに、ハリルザドは元CIA長官長の息子ジョージ・ブッシュの下で、国務省のアフガニスタン「特別顧問」になっていた。その職位で、彼は、タリバンを含め、直接、ムジャヒディンと交渉する人物だった。
それまでに、彼は、ジミー・カーター大統領のアフガニスタン戦争戦略家ズビグネフ・ブレジンスキーと親しくなっていた。ブレジンスキーのコロンビア大学で教えた後、ハリルザドは、ブレジンスキーとキッシンジャーのパートナー、ローレンス・イーグルバーガーがメンバーだったFriends of Afghanistanという有力ロビー集団の事務局長になった。Friends of Afghanistanは、USAID資金で、ムジャヒディンに対するアメリカの強力な支持を得るべく議会に働きかけていた。ハリルザドも、ムジャヒディンに、アメリカの高度なスティンガー・ミサイルを与えるべく、成功裏にロビー活動した。この期間に、ハリルザドは、ムジャヒディン、タリバン、オサマ・ビンラディンや、後に(ロシアで活動を禁止されたテロ組織)アルカイダとなったものと取り引きをしていた。
2002年早々、ジョージ・W・ブッシュ政権で、ハリルザドは大統領のアフガニスタン特別公使に任命された。CIAの手先ハミド・カルザイを、アフガニスタン大統領に据えるのに直接関与していた。ハミドの弟はアフガニスタン最大のアヘン州カンダハルの司令官で、少なくとも2001年からCIAに金を貰っていた。ハリルザドは明らかに気付いていた。
ハリルザド自身は、ザルマイが、1960年代、カリフォルニア州セレスで、AFS交換高校生だった時に、CIA採用担当者トーマス・E・グティエレに「選ばれ」たとされている。グティエレはオマハのネブラスカ大学で、CIAから融資を受けるアフガニスタン研究センターを率いていた。それは彼が、人生で、アメリカのアフガニスタン政策、更に、それ以上のものへと、格別な影響力の地位に出世した背景の説明になるだろう。
注目すべきことに、名誉を傷つけられた現在のアフガニスタンの「逃亡中の大統領」、アメリカに任命されたアフガニスタン「共同大統領」アシュラフ・ガニ・アフマドザイは彼の妻と同様、1970年代初期、アメリカン大学ベイルート校の学部生として、ハリルザドの同級生だったのだ。世界はせまい。
CIAに後援されたムジャヒディン対立派閥間の数年の内戦後、1996年までに、パキスタンのISIに支援されて、タリバンは、カーブルの支配を掌握した。1996年までのアフガニスタンの権力奪取は、オサマ・ビンラディンを含め、1980年代に、ハリルザドがムジャヒディンを武装し、支持したことの直接の結果だった。それは事故や計算違いではなかった。CIAは、政治的イスラム集団を軍事化するのに取り組んでおり、ハリルザドは、そこで中心的存在だ。クリントン時代、ハリルザドは、タリバンに、反タリバンのムジャヒディン・レジスタンス集団に協力するよう主張していたアフガニスタン財団メンバーを務めていた。
クリントン大統領任期の終わりに、ハリルザドは、ジョージ・W・ブッシュ大統領の下で主要な政策役割を演じた、チェイニーや、ウォルフォウィッツ、ドン・ラムズフェルド、ジェブ・ブッシュや他の連中と共に、次期大統領の軍事政策を形成する上でアメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)で重要な役割を演じた。2001年の911攻撃後、ハリルザドは、アフガニスタンでタリバンに対するブッシュ戦争を画策し、ブッシュのアフガニスタン大使になった。2003年11月に、ハリルザドは彼が精選したカルザイが大統領に就任したアフガニスタンのアメリカ大使だった。2004年2月、ハリルザド大使は、ラムズフェルド国防長官と、ロイド・オースティン准将をカブールで歓迎した。オースティンはハリルザドを知っている。
2002年12月、ブッシュは、「サダム・フセイン後のイラクのための準備」を調整するためハリルザドを自由イラク特使に指名した。ハリルザドとアメリカ新世紀プロジェクト・ネオコンの旧友は、911のずっと前、1990年代後期から、イラクのサダム・フセインを倒すための戦争を支持していた。2年後、アメリカのイラク戦争が始まると、ハリルザドはイラク大使になった。タリバンからアルカイダまで、この二国で、過激派イスラム・テロ集団勃興の上で、ザルメイ・ハリルザド以上に責任がある人物はいない。
「諜報機関の失敗」ではない
2018年、ハリルザドは国務長官で元CIA長官のマイク・ポンペオから、トランプ政権の「アフガニスタン和平担当特別代表」に推薦された。ハリルザドやタリバンから和解の兆しは皆無だった。ここで狡猾なハリルザドは、タリバン同様、ムスリム同胞団の連中も匿う親タリバン湾岸国家カタールのドーハで、追放されている大使とのアメリカ-タリバンの排他的協議に入ったのだ。カタールはタリバンの主要資金源だと報じられている。
ハリルザドは、ドーハで、バラダルがハリルザドとの協議を率いることができるよう、タリバン共同創設者ムラー・アブドゥル・ガニ・バラダル、1996年のタリバン勝利の重要な戦略家を解放させるよう、まんまとパキスタンに圧力をかけるのに成功した。ハリルザドが、カーブル政権の出席なしで、ドーハで、もっぱらタリバンと交渉するのを当時のトランプ大統領はそれを承認したとされている。バラダルは、アメリカとNATOが、タリバンが彼らを識めるのを拒否したため、全体の撤回に、しかしカブール・ガニ政府とのどんなタリバン権力分担協定もなしで同意したハリルザドとタリバン、いわゆるドーハ・ラウンドで交渉された2020年2月「協定」に署名した。ハリルザドは「ニューヨーク・タイムズ」に、彼のタリバン合意は「アフガニスタンがいつか、国際テロ集団や個人の基盤になるのを阻止するため必要なことをする」と約束していると語った。
1980年代、アフガニスタンにオサマ・ビンラディンが到着して以来、タリバンとアルカイダは親密につながっているので、これは大いに疑わしく、ハリルザドはそれを知っていた。現在のアルカイダ指導者アイマン・アル・ザワヒリは、アフガニスタン内のタリバンの隠れ場所で生きているとされている。要するに、ハリルザドが、当時のトランプ大統領のためにタリバンとした「取り引き」で、最初に、2021年9月11日が、アメリカ撤退の最終日だと述べる、わずかな変更だけで、バイデン政権も受け入れた取り引きだ。象徴的意義についての話だ。
アフガニスタン崩壊は、オースティン長官と国防総省や、CIAや軍の計算違いによる「諜報失敗」の結果ではない。両組織とも、ハリルザド同様、自分たちが何をしているか知っていた。オースティンが、7月4日、カーブル政府に通知せずに、アフガニスタン最大の米軍基地、戦略的バグラム空軍基地を秘密裏に「夜の暗闇」で放棄するのを承認した時、アメリカは、アメリカが訓練したアフガニスタン軍に、これ以上の航空支援をしないことを明らかにしたのだ。アメリカは何カ月も前に兵士への給料支払をやめさえして、更に士気を低下させた。これは事故ではなかった。全くの故意で、全てでザルメイ・ハリルザドは中心的役割を果たしていた。1980年代、彼の役割は、1996年に、タリバン権力奪取を引き起こすのに役立ち、2001年には、タリバン破壊、2021年の今、タリバン復活だ。
この狂気での本当の勝者は、バイデンが内部から国内経済を破壊する中、アメリカ世界的な影響を破壊するためにそれを利用している、いわゆるダボス「グレート・リセット」陰謀団の世界主義アジェンダだ。台湾でなく、日本でなく、フィリピンでなく、インドやオーストラリアでもなく、将来、アメリカによる保護をワシントンが約束するのを安心して任せることが可能だとを望む他のいかなる国でもない。カーブル崩壊は、アメリカの世紀の終わりなのだ。タリバンとシルク・ロード協定を論じながら、中国メディアが他人の不幸を喜ぶ気持ちと歓喜で満たされているのはほとんど驚くべきことではない。
F. William Engdahlは戦略リスク・コンサルタント、講師。プリンストン大学の政治学位を持つ石油と地政学のベストセラー作家。オンライン誌New Eastern Outlook独占記事。
記事原文のurl:https://journal-neo.org/2021/08/19/the-afghanistan-debacle-zalmay-khalilzad-and-the-great-reset/
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呆導バラエティー、またもやジェットの煙大宣伝。スガーリンのコロナ無策への横浜市民の鉄槌、スシローによる今後政局与太話、コロナ無策で亡くなられた方の悲話と、パラリンピックの輝く話題てんこもりで頭が混乱する。更に混乱をひどくさせる大阪弁護士の暴論。彼の顔が見えた瞬間消し、しばらくして、大丈夫かと、またつけるが、延々出演していて、あわてて消す。追加透明スクリーンに顔認識機能を持たせ、指定した顔が登場した瞬間、音声を消す製品、できないものだろうか?
LITERA記事に納得。テレビは即消しているので、彼の発言全く聞いていないが。
橋下、竹中の露払いで菅政権が病院への責任転嫁開始!「医療崩壊は病院のせい」は嘘、最大の戦犯は公的医療を弱体化させたお前らだ
デモクラシータイムス
平野貞夫×佐高信×早野透【3ジジ生放談】2021年8月24日
日刊IWJガイド 冒頭と白井聡氏インタビューに関する一部をコピーさせていただく。
はじめに~米国はいざとなればあっさりと自国の都合で「保護国」を捨て去る! 米軍のアフガン撤退は対米従属一辺倒の日本にとって対岸の火事ではない! 菅政権のコロナ政策にあらわれる「無責任の体系」! その手つきで「無責任な独裁と参戦」をされたらたまらない! 本日午後6時半から岩上安身による白井聡氏インタビューを冒頭はフルオープンで、その後は会員限定で生配信します!
バイデン大統領は、8月19日、米ABCテレビのインタビューで「(アフガニスタンと)台湾、韓国、NATO(北大西洋条約機構)との間には根本的な違いがある」と、同盟国への「損切り」を否定しています。
戦後、対米従属一辺倒の日本こそ、「対岸の火事ではない」はずです。
本日のインタビューでは、白井氏に、こうしたアフガン情勢をふまえ、さらに菅政権のコロナ無策に見る「無責任の体系」などについて、お話をうかがう予定です。
ぜひ、本日のインタビューをご視聴ください。
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岩上安身による 京都精華大学人文学部専任講師 白井聡氏インタビュー
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