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2020年2月24日 (月)

アメリカ人映画俳優カーク・ダグラス(1916 - 2020)

デイビッド・ウォルシュ
2020年2月10日
wsws.org

 2月5日、1940年代後期から1970年代初期までのアメリカ映画の主要俳優カーク・ダグラスはビバリーヒルズ、カリフォルニアの自宅で老衰で103歳で亡くなった。第二次世界大戦後時代の映画主役俳優の一人で、同じく、雇って、『スパルタカス』(1960)で、ブラックリストに載せられた映画脚本家ドルトン・トランボが果たした彼の努力への貢献を評価することによって、反共産主義ブラックリストを終わらせるのを助けることにおいて役割を果たした。

 ダグラスは、『過去を逃れて』(ジャック・トゥールヌール、1947年)『チャンピオン』(マーク・ロブソン、1949)『地獄の英雄』(ビリー・ワイルダー、1951)『悪人と美女』(ヴィンセント・ミネリ、1952)『突撃』(スタンレー・キューブリック、1957年)、『スパルタカス』(キューブリック、1960)『明日になれば他人』(ミネリ、1962)の『5月の7日間』(ジョン・フランケンハイマー、1964)における彼の有名な活発さを多数の、その中に、からの多くの貴重なものを含め、映画の道にもたらした。


『悪人と美女』のカーク・ダグラスとラナ・ターナー

 この俳優の人生は、反共産主義マッカーシズム粛清を苦しみでがら、そこから出現したアメリカ映画製作の継続的な強さと、1950年代初期、左翼思想の事実上の犯罪化の結果として、ハリウッドに課され、受け入れられた限界の一部を表現していた。

 アメリカが第一次世界大戦に参戦する4カ月前、ボルシェビキに率いられたロシア革命11カ月前の1916年12月、絨毯製造で知られるモホーク・バレーの小さな都市ニューヨーク州アムステルダムで、ダグラスはイッスル・ダニエロヴィッチとして生まれた。

 彼の自叙伝『くず屋の息子』(1988年)で、ダグラスはアムステルダムの「金持ちの人々の町マーケットヒルの反対側、イーストエンド」での子供時代を語っている。彼、両親と6人の姉妹は「坂道の一番下、最後の家、工場と鉄道線路とモホーク川脇のおんぼろなグレーの下見板張りの家」で暮らしていた。

 同じ伝記で、ダグラスは惨めな貧困で「生まれたと。私の親はロシアからアメリカに来た文盲の移民だった」と書いていたダグラスの親は、最初、父親が、1908年から1910年、ロシア皇帝の社会の窮乏と圧迫とからアメリカに逃れた移住したユダヤ人だった。

 ダグラスは、1884年頃に生まれた父親ハーシェルを、軍に徴兵される際、自分の右手と左手を区別できるよう「片袖に干し草、もう一方の袖に藁を結びつけていたほど」「無知な小作農」の一人として描いていた。父親は馬車で仕事するアムステルダムのくず屋だった。

 ブリナ・サングレルとして生まれた母親が、ダグラスは「この母親が、文字通り道路が金で舗装されていると思っていたこの素晴らしい新しい土地で全ての子供が生まれるよう望んでいたウクライナ農民家族出身。」だと書いていた。ダグラスの母親はロシアで、兄弟が「ゲットーを疾走して、何人かのユダヤ人の頭を割るのがスポーツだと思っている」「ウオッカで陽気になった」コサックの一人に道路で殺されるのを見ていた。

 ダグラスは北ニューヨークでセント・ローレンス大学入学に成功したが、早い年齢からいろいろな仕事に取り組んだ。

 彼は最初にアムステルダムの高校教師に、芝居の道を進むよう勧められていた。大学卒業後、ダグラスは、同時代の他の多くの人々同様、ニューヨーク市グリニッジビレッジに引っ越した。彼は奨学金をくれるアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学した。後に彼が映画キャリアを始めるのを手伝った同級生の一人は女優ローレン・バコールだった。第二次世界大戦中に海軍に勤めた後、ダグラスはニューヨークに戻り、ラジオと劇場の仕事を見つけ始めた。

 ダグラスは1946年の映画、『呪いの血』(左翼作家のロバート・ロッセン脚本による、ルイス・マイルストーン監督)に始めて出演した。彼はアメリカ映画製作が最も写実的で、重要な瞬間の一つだったフィルム・ノワール時代絶頂という面白い時にハリウッド人生を始めたのだ。(バート・ランカスター、ウィリアム・ホールデンやロバート・ミッチャムを含め)彼の世代の他の人々同様、30歳代で、ダグラスは既に、人生とその困難さを感じさせる最初の演技をしていたのだ。


『過去を逃れて』(1947)のカーク・ダグラスとロバート・ミッチャム

 過去、ランカスターと共演した七本の作品の一作目、もう一つの貴重な「暗い」厄介な仕事『暗黒街の復讐』(バイロン・ハスキン、1948年)の後、左翼アメリカ人著者ダニエル・メインウェアリングの小説に基づく、フランス生まれのターナー監督の『過去を逃れて』に、ダグラスが登場する。ダグラスは、以前彼を銃撃し、傷つけ、彼の金40,000ドルを盗んだ元恋人(ジェーン・グリーア)をつきとめる決意が固いギャングのウィット・スターリングを演じている。彼は終始威嚇的ながらだ、ダグラスの役は殺人癖の傾向をできる限り隠して、もの柔らかで、理論整然としている。

 2015年、WSWSは『過去を逃れて』は「道徳的、心理的に強力な」作品だと書いた。「主題を考えれば、映画には極僅かしか公然の暴力はなく、彼、ウィットは微笑し、冗談を言い、ほとんど決して声をあらげない。彼はそうしなくて良く、彼の金と権力が自動に敬意をもたらすのだ。」

 ロブソンの『チャンピオン』で、ダグラスは、チャンピォンに向かって情け容赦なく戦うボクサーの主役を演じて有名になった。映画の冒頭で主張するように「最も惨めな貧困から始めて、世界チャンピオンになった」「男の物語」で、ダグラスのミッジ・ケリーは恥知らずに、友人やパートナーや女性を裏切る。


『チャンピオン』(1949)のアーサー・ケネディ、カーク・ダグラスとポール・スチュワート

 『地獄の英雄』はワイルダーの最も苦い経験となった映画の一つ(で彼の数少ない商業的失敗作)だが、この作品は、欺いて世論を操作する問題に、寓意で取り組んではいるが、1940年代末と1950年代初期のマッカーシズム・ヒステリーを生み出す上での、マスコミの卑劣な役割に影響されたと考えられる。

 今や本格「映画俳優」のダグラスは、ニューメキシコ洞穴崩壊で閉じ込められた男の事件を偶然見つける、冷笑的な、運に見放されたジャーナリスト、チャック・テータムを演ずる。テータム(「私はかなりうまいウソつきだ。私は長年多くのウソをついてきた。」)良いように操られるのを熱心に望む騙されやすい大衆を操作するため、できる限りのことをする。彼は不正な野心的な地元保安官と一緒に、(「もし私が一週間のこの話題を使えれば」)この話題が全国的に新聞の一面に残れるよう、不運な被害者が、決してすぐに救助されないようにしようと企むのだ。


『地獄の英雄』(1951)でのカーク・ダグラス

 ミネリが監督した何本かのダグラス映画の一つ『悪人と美女』で、この俳優は、またもや何人かの有名なハリウッド人物に基づいた、ある解説者の言葉によれば「冷笑的で、狡猾で、悪魔的で」比較的無情な人物、異端者のハリウッド・プロデューサー、ジョナサン・シールズを演じた。メロドラマは回想で進む。ハリウッドの事務所に集まった3人の人物、監督、脚本家と女優が、本質的に苦い過去の経験に基づいて、彼らがなぜシールズと関わるのを拒否するかを説明する。

 これら多数の映画には「アメリカン・ドリーム」と「あらゆる犠牲を払って」実現を目指すことに関する一般的な戦後批判の共通主題が、はっきり現れている。(『悪人と美女』では、映画評論家で歴史家のトーマス・エルセッサーが言っているように、ダグラスの役が、少なくとも一部、「監督や脚本家や主演女優の創造的な可能性」を解き放つ努力で、実際に他の人々と、彼自身を犠牲にしている。)

『悪人と美女』(1952)
のカーク・ダグラス

 彼自身の言葉で、それほど「信じ難いほど」陳腐だった、ダグラス自身の貧乏から大金持ちになったホレーショ・アルジャー物語の人生が、アメリカの無制限の機会の証拠としてしばしば描かれる問題的枠組みを気づかせることは指摘する価値がある。

 映画史家の学者ジョセフ・マクブライドは(同時掲載の記事参照)、1976年の短いダグラス伝で、「彼の映画のほとんど全作品に脈々と流れている特徴は、アメリカの成功倫理に対する、熱い苦悩に満ちた批判だ」と雄弁に論じている。

 二つのプロセスが、同時に、時々食い違って、多くのダグラスの映画における仕事であるようにわれる: 移民や貧困に陥った背景からを含めて、彼ら自身、経済的、文化的に、引き上げるべきアメリカのある特定の人々の否定し難い能力(そして決定) - アメリカ資本主義の強力な地位と資源で根づいた - 他方、成功の疑わしい、不安定な特徴は、しばしば主人公の苦しみ、有罪あるいは激しい自己不信に導いて、目的を達した。

 映画監督ライナー・ファスビンダーによる、ドイツ人小説家テオドール・フォンターネの見解(1819 - 1898)に関する発言を思い出す。「彼は、本当に属したいとを望み、必要としていながら、その欠陥を認識して、非常に正確に記述することができる社会に暮らしていた。彼は全員を拒絶し、全てが相容れないと知りながら、それでもなお、この社会の中で、一生この認識のために戦った。」

 マクブライドが引用した1960年のインタビューで、ダグラスはこう言っていた。「一生俳優として、役割を演じたいとを夢見ていた。それで起きたのは、それで成功すると、人は大事業になるのだ。まるで想像もしていなかった様々なことが動き始める。人は突然あらゆる側面から翻弄される。正しい助言を得られれば幸運だ。」

 もちろん、この俳優が広く受け入れられており、ダグラスが、政治的奉仕で、国務省ツアーや、他の公式行事を含めて、しばしば公式に活動した「アメリカ民主主義」のハリウッド・リベラリズムの中でこの全てが行われたと論ずるのは実に容易だ。(1960年代と1970年代、ルキノ・ビスコンティ[『山猫』、『家族の肖像』]やベルナルド・ベルトルッチ[1900]のようなヨーロッパ人監督と仕事をし、デイビッド・ミラー-ドルトン・トランボの『ダラスの熱い日』や、ロバート・オールドリチの『合衆国最後の日』や、テッド・ポストの『戦場』のような、かなり反体制の作品にも出演したランカスターは、いくぶん、より公然の反体制路線をとっていた。)

 だが、ここでも、芸術家と、俳優としての公的人格や、出世、財政的成功、果てしない色事などなどを区別することが必要だ。彼が冷戦中に、忠実な報道官の一人ととして演じたかもしれない、あらゆる機能を通して、アメリカ社会のお世辞抜きの写真を芸術家として描き出し残す上で、ダグラスは性格描写で、真実、特に感情と「苦しみ」で、十分正直だった。

 社会生活の活動領域全体が、反共産主義と映画産業の自己検閲で封鎖された条件の下で、真剣な芸術的な仕事をする上での客観的な矛盾が、(『炎の人ゴッホ』ミネリ[1956]での)余りに僅かなものから、余りに多くを読み取り、絞り出さねばならないかのようなダグラスの演技の時々高ぶり過ぎた独特の演技表現になっている。『探偵物語』の評論で、批評家マニー・ファーバーは「スポーツマン志向の」ダグラスの「喧嘩を売るような演技」を指摘した。


『脱獄』のカーク・ダグラス(1962)

 1976年の著書で、マクブライドは、映画を見に行く大衆の一部にとって、ダグラスは「しゃくれた顎で、スクリーン上で彼がいつも演じる、耳ざわりな声の精力的に好戦的な人物と同義語」で、彼の「身ぶり手ぶり」と(ファーバーの言葉で)「がなり立て」は、いらいらさせ気を散らせかねない。だが最高の状態では、彼の「目を見張るようなエネルギーと強烈さ」(マクブライド)が矛盾する不安な状態やジレンマをを生き生きさせた。

 ダグラスは、既に挙げた人々を含め、1940年代、1950年代、1960年代、最も本格的な映画監督の多くと仕事をする幸運を得ていた。その中には以下のものがある。ジョン・M・スタール(エリコのウォールズ、1948)、ジョセフ・L・マンキウィッツ(『三人の妻への手紙』、1949)、マイケル・カーティス(『情熱の狂想曲』、1950)、ラオール・ウォルシュ(『死の砂塵』、1951)を含めて、言及されたそれら、ウィリアム・ワイラー(『探偵物語』、1951)、ハワードホークス(『果てしなき蒼空』、1952年)、リチャード・フライシャー(『海底二万哩』、1954と、『バイキング』、1958)、ヘンリー・ハザウエイ(『スピードに命を賭ける男』、1955年)、キング・ビダーの(『星のない男』、 1955)アンドレ・ドゥ・トス(『赤い砦』、1955年)、ロバート・オールドリチ(『ガン・ファイター』、1961)、オットー・プレミンジャー(『危険な道』)とアンソニー・マン(『テレマークの要塞』、1965)

 ダグラスの最も輝かしい時代は、1957年から1963年まで続き、彼は毎年トップ25人の最も成功した映画俳優の一人だった。

 第一次世界大戦の大虐殺を舞台にした『突撃』は、ダグラスの最も重要な仕事の一つだ。彼は、フランス参謀本部が計画した、ドイツ戦線に対する、成功できないのが分かっている自爆作戦を率いなければならないフランス士官ダックス大佐を演じる。軍支配層は自身の兵士を大量殺人する用意をしっかり調えている。一つの部隊が、殺人的なドイツ砲撃の中に進むのを拒否した後、ミロー大将(ジョージ・マクリーディ)は、大失敗での自分の役割から注意をそらすため、臆病さのかどで、100人の兵士、最終的に三人を軍法会議にかけることに決める。


『突撃』(1957)

 民間生活では弁護士のダックス大佐が、法律上の見地からは、茶番的行為である訴訟手続きで、3人の兵士を弁護する。判決は、前もってきまっている。ダックス大佐は裁判で要約して言う。「検察側は証人を招かなかった。被告に対してされた告訴には、書面告訴が全くなかった。最後に、私はこの裁判の速記録がつけられなかった事実に抗議する。昨日朝の攻撃は、フランスの名誉の穢れではなく...確実に、この国の戦士の不名誉でははない。だが、この軍法会議は、穢れで、不名誉だ。これら兵士に対して行われた告訴は、全ての人間の正義に対する侮辱だ。この兵士たちを有罪だと裁決する法廷の人々は犯罪で、死ぬ日まで、あなた方全員につきまとうだろう。」法廷は、しかしながら、まさにね、そうして、3人の兵士は処刑される。

 最終場面の一つで、参謀本部メンバーのブルラール大将(アドルフ・マンジュー)が、ミロー大将に、事件全体のため、彼がスケープゴートにされると知らせ、ダックス大佐にミロー大将の命令を言う。ダックス大佐 -ダグラスは「閣下、あなたは、その昇進で、どうすることができるか私に提案されたいととお思いですか?」と答える。

 ブルラールが謝罪を求めると、ダックス大佐は激怒し、ダグラスの最も素晴らしい瞬間の一つで応える。「私はあなたに完全に正直に話さなかったことをお詫びする。私は本当の感情を明らかにしなかったのをお詫びする。私は早くに、あなたが堕落した、サディスティックな年寄りだと言わなかったのをお詫びする。私が今、あるいはいつか、あなたに謝る前に、あなたは地獄に落ちることができる!」


『スパルタカス』(1960)のカーク・ダグラスとウッディー・ストロード

 (撮影開始から10日でアンソニー・マンが解雇された後)スタンレー・キューブリックが西暦紀元前1世紀のスパルタカス、古代ローマの奴隷反乱の叙事詩物語を監督した。映画は、母親の名にちなんで名付けられたダグラスの会社ブリナ・プロダクションが制作した。脚本は、左翼作家ハワード・ファストが、下院・非米活動調査委員会で、名前を言うのを拒否したかどで、3カ月の刑期を勤めていた刑務所で始めた1951年の小説を脚色して、上記通り、ブラックリストに載せられているドルトン・トランボが書いた。

 『スパルタカス』には興味をそそる、強力な場面がある。制作者とにとって、古代世界での奴隷反乱は、進行中の公民権運動を含め、明らかに虐げられた現代の人々の反乱に類似点があったのだ。マクブライドによれば、主人公は「野蛮で、残忍に取り扱われた下等人間として始まり、最終的に良心を見いだして、英雄伝説の人物になった、動物と霊的なものの複雑な混合だった」ことをダグラスは指摘した。


『スパルタカス』(1960)のカーク・ダグラス

 有名な場面で、奴隷反乱敗北後、ローマ当局者が、生存者に「スパルタカスと呼ばれる奴隷の死体か、生きている本人を特定するだけで、はりつけのひどい罰が避けられるというたった一つの条件」を約束して、反乱指導者を見つけようとする。周知の通り、生存者全員が「私がスパルタカスだ!」と叫ぶ。

 アーウィン・ショーの小説に基づき、ヴィンセント・ミネリが監督した『明日になれば他人』は映画産業のさらなる検証だ。ダグラスは、アルコール中毒に悩まされる元俳優ジャック・アンドラスで、彼のかつての恩師クルーガー(エドワード・G・ロビンソン)が監督する(ジョージ・ハミルトンが演じる)前途有望な映画俳優を呼び物にする映画で、ちょい役を演じるためにローマに旅する。結局、クルーガーが衰弱する心臓発作を起こした後、アンドラスは映画の監督を引き継ぎ、成功裏にそれを完成する。感謝の代わりに、彼は嫉妬と、クルーガーを傷つけようとしたという嫌疑に出くわすのだ。豪華な退廃的な振る舞いには恨みと幻滅の雰囲気が満ちている。

 1974年という未来を舞台にした『5月の7日間』では、悪党の空軍将官が、ソ連と米国大統領の軍縮条約の署名に反対して、クーデターを画策しようと決心する。ランカスターは準ファシストの将軍ジェームズ・マットーン・スコットを演じ、ダグラスは海兵隊大佐「ジグズ」ケイシーを演じ、他方フレドリック・マーチは、いささか無力な大統領ジョーダン・ライマンを演じる。

『五月の七日間』(1964)のカーク・
ダグラスとバート・ランカスター

 チャールズ・W・ベイリー2世とフレッチャー・クネーベルによるベストセラー小説は、自分の極右政治思想を指揮下の兵士に吹き込み、ハリー・トルーマン元大統領やディーン・アチソン元国務長官やエレノア・ルーズベルト元大統領夫人は共産党支持者だと言っていたのが明るみに出て、1961年に辞職したファシストのエドウィン・ウォーカー大将の行動に着想を得ている。ベイリーとクネーベルは、キューブリックの『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964年)の主役発想の元になった人物の一人、極端な反動主義のアメリカ軍最高司令官カーティス・ルメイ大将にもインタビューした。

 フランケンハイマーの映画で、ケイシーは、スコットや他の統合参謀本部メンバーが、ライマンと閣僚を排除して、アメリカ政府を乗っ取る計画をしているのを知るようになる。計画では、秘密部隊がアメリカのラジオや電話やテレビ・ネットワークを掌握する。だがライマンとケイシーは、アメリカ国民には、そうした陰謀の存在を発表せずに、スコットの計画を阻止しようと努力する。映画には、1960年代初期の「軍産複合体」の癌のような不気味な肥大と、戦後繁栄の絶頂におけるアメリカ民主主義のもろさを示す、多くのぞっとするような予知的側面がある。60年後に、それが空洞化した条件は一体何だろう?

 スコット役のランカスターとケイシー役のダグラス最後の対決では、スコットがこういう調子で口火を切る。

- 大佐、君は夜中に地上にはい出て動くウジ虫だ。君は情報の売人だ。聖書のユダを知っているか。これは私の質問だ。

- 答えろという命令ですか?

- そうだ。

- はい、私はユダが誰か知っています。ユダは、軍服の四つ星の名誉を傷つけるまで、私が彼のために働き、称賛していた人物です。

 かなり多くのダグラス作品が長く残るだろう。彼には批判と自立思考を促進する形で、アメリカ生活に光をあてるエネルギーと知性と才能があったのだ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2020/02/10/doug-f10.html

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 自民党、異神は、コロナウイルスを意図的に蔓延させておいて、緊急事態条項を導入するのが、狙いなのでは?大本営広報部、コロナウイルスを意図的に放置しているアホ政権を非難するが、緊急事態条項の大問題には決して触れない。

 属国政府は、軍事クーデターではなく、敗戦で、宗主国戦争政権の精神を注入された。

 属国は、宗主国を見習う。

 櫻井ジャーナルも、カーク・ダグラスと映画界について、書いておられる。

カーク・ダグラスが死ぬ前に息絶えていたハリウッド

 カーク・ダクラスが勇敢に戦った赤狩り、日本では、いまだに続いている。

 安倍首相、共産は「現在も暴力革命」
 日本維新の会の足立康史議員への答弁。

 とんでもない政治で日本を破壊しているご両人には言われたくないだろう。下記はNHKニュース

共産 志位委員長「暴力革命とは無縁」首相答弁に反論

 日刊ゲンダイDIGITAL

小田嶋隆氏「最大の罪は国の文化と社会を破壊したこと」

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