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2019年2月 4日 (月)

フアン・グアイド誕生裏話:アメリカの政権転覆研究所によるベネズエラ・クーデター指導者の作り方

 フアン・グアイドはワシントンの政権転覆エリート訓練士に仕込まれた、10年にわたるプロジェクトの産物だ。民主主義の旗手になりすましてはいるが、彼は激しい不安定化運動の最前線で長年過ごした。

 

ダン・コーエン、マックス・ブルメンソール
2019年1月29日
Grayzone

 

 1月22日という決定的な日の前、ベネズエラ国民の5人に1人以下しかフアン・グアイドを知らなかった。わずか数カ月前、35歳の人物は、ぞっとするような街頭暴力行為と関連する政治的に取るに足りない極右集団の目立たない人物だった。グアイドはベネズエラ憲記事一覧法により無視されている野党が多数派の国民議会内で自党でも中堅人物どまりだった。

 

 だがマイク・ペンス副大統領から電話を一本受けた後、グアイドは自らベネズエラ大統領だと宣言した。ワシントンによって、ベネズエラ指導者に選ばれ、これまで未知の政治的底辺生活者が、アメリカによって選ばれた世界最大の油脈を持つ国の指導者として国際舞台に飛び出したのだ。

 

 ワシントン・コンセンサスをおうむ返しにして、ニューヨーク・タイムズ編集委員会は「すがすがしいスタイルで、国を前進させる構想を持った」グアイドは、マドゥロに対する「信用できるライバル」だと称賛した。 彼が「民主主義の回復」を求めるのを、ブルームバーグ・ニュース編集委員会は拍手喝采し、ウォールストリート・ジャーナルは、彼を「新しい民主的リーダー」だと宣言した。一方カナダや多数のヨーロッパ諸国やイスラエルやリマグループとして知られる中南米の右翼政府集団は、グアイドを、ベネズエラの正当なリーダーとして認めた。

 

 グアイドは、どこからともなく出現したように思われているが、実際はアメリカ政府の政権転覆エリート製造工場での、10年以上の入念な教育の産物なのだ。グアイドは、右翼学生活動家幹部と共に、社会主義志向のベネズエラ政府を傷つけ、不安定化し、ある日権力を奪取するため育てられたのだ。彼はベネズエラ政治では取るに足らない人物だったが、長年、ワシントンの権力の殿堂で、彼の値打ちを、静かに実証していた。

 「フアン・グアイドはこの状況のために作りだされた人物です」とアルゼンチン人社会学者で、一流ベネズエラ政治年代記編者のマルコ・テルッギがGrayzoneに語った。「それは実験室の論理です - グアイドは正直に言って、滑稽と厄介の間を行ったり来たりする性格を作る要素をいくつか混合したもののようです。」

 

 ベネズエラ人ジャーナリストで調査マスコミMision Verdadの記者、ディエゴ・セクエラは同意した。「グアイドは、ベネズエラ国内より、国外、特にエリート・アイビーリーグとワシントン政界で人気が高い」とセクエラはGrayzoneに述べ「彼はそこでは周知の人物で、予想どおり右翼で、計画に忠実だと考えられます。」

 

 現在グアイドは民主主義回復の顔として売り出されているが、彼は次々と不安定化キャンペーンの最前線に身をおき、ベネズエラの最も急進的な野党の、最も暴力的な党派で政治家として生きてきた。彼の党はベネズエラ国内では信頼されておらず、ひどく弱体化している野党をばらばらにした責任も部分的にある。

 

 「これらの急進的指導者は世論調査で20パーセント以上の支持はない」とベネズエラの主要世論調査員ルイス・ヴィンセント・レオンが書いた。レオンによれば国民の多数が「戦争を望んでおらずグアイドの党は孤立している。「国民が望んでいるのは解決だ。」

 

 だが、これこそまさにグアイドがワシントンに選ばれた理由だ。彼はベネズエラを民主主義に導くようにではなく、過去20年、アメリカ覇権に対する抵抗の防波堤だった国をつぶすよう期待されているのだ。彼の思いも寄らない出世は、強固な社会主義の実験を破壊する20年にわたるプロジェクトの頂点を示している。

 

「独裁政治のトロイカ」に標的を定める

 

 1998年のウゴ・チャベス当選以来、アメリカはベネズエラと膨大な石油埋蔵の支配を復活させようと戦ってきた。チャベスの社会主義プログラムは、国の富を再分配し、何百万人も貧困から引き上げるのを助けたかもしれないが、背後を狙われることにもなった。2002年、支持する大衆の大規模デモ後に、軍が彼を大統領職に復帰させる前、ベネズエラ右翼野党は、アメリカによる支援と承認を得て、ごく短期間彼を追放した。ジョージ・W・ブッシュとバラク・オバマ大統領の政権を通じ、2013年にガンで亡くなるまでチャベスは多数の暗殺計画を生き延びた。後継者ニコラス・マドゥロは三度殺害の企てを生き残った。

 

 トランプ政権は即座にベネズエラは「独裁政治のトロイカ」のリーダーだと烙印を押し、ワシントンの政権転覆標的リストのトップに格上げした。去年、トランプの国家安全保障チームは、軍事政権をしかけるべく、軍幹部をリクルートしようと試みたが失敗した。ベネズエラ政府によれば、アメリカは2017年7月、ミラフロレス大統領官邸で、マドゥロを捕捉する「憲法作戦」とコードネームを付けられた陰謀と、軍事パレードで彼を暗殺する「アルマゲドン作戦」と呼んだもう一つの陰謀に関与していた。一年以上後、追放された反対勢力指導者が、カラカスでの軍事パレードの際に、無人飛行機爆弾でマドゥロを殺そうとして失敗した

 

 これら策謀の10年前、アメリカに資金供給されるエリート政権転覆訓練アカデミーによって、ベネズエラ政府を倒し、新自由主義秩序を復活させるため、反政府右翼学生集団が抜擢され、育てられたのだ。

 

 多くのカラー革命の種をまいた「革命輸出」集団による訓練

 

 2005年10月5日、チャベス人気のピークで、彼の政府が全面的社会主義プログラムを計画する中、反乱のための訓練を開始すべく、5人のベネズエラ人「学生指導者」がセルビアのベオグラードに到着した

 

 学生は、応用非暴力行動・戦略センター(CANVAS)のおかげでベネズエラからやって来たのだ。この集団は政権転覆を促進するアメリカ政府の主な手段として活動するCIAの隠れ蓑、全米民主主義基金や、共和党国際研究所や全米民主国際研究所などの分派を通して資金供給されている。「影のCIA」として知られる諜報企業ストラトフォーから漏れた内部電子メールによれば「[CANVAS]は、1999年/2000年の反ミロシェビッチ闘争の際、CIAから資金供給と訓練を受けていた可能性がある」。

 

 CANVASは、1998年に、ベオグラード大学のスルジャ・ポポビッチが設立したセルビアの抗議集団オトポールの副産物だ。セルビア語で「抵抗」を意味するオトポールは、最終的にスロボダン・ミロシェビッチを倒した抗議行動を準備することで、国際的名声とハリウッドレベルの出世を得た学生集団だ。政権転覆専門家の、この小さな細胞は、いわゆる「非暴力闘争のクラウゼビッツ」故ジーン・シャープの理論に従って活動していた。ワシントンの単極支配に抵抗する国に向け、ある種のハイブリッド戦争として抗議を武器化する戦略の青写真を考え出すべく、シャープは元国防諜報局アナリスト、ロバート・ヘルヴィー大佐と働いていた。


1998年、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワードでのオトポール

 

 

 オトポールは全米民主主義基金USAIDと、シャープのアルバート・アインシュタイン研究所に支援されていた。オトポール主要講師の一人、シニサ・シクマンは、かつてグループは直接CIA資金を受けさえしたと述べたことがある。

 

 ストラトフォー職員から漏れた電子メールによれば、ミロシェビッチを権力の座から追放した後「オトポールで活動していた学生は成長し、スーツを着て、CANVAS、言い換えれば、多くのカラー革命の種をまいた革命輸出集団を作った。彼らは依然アメリカ資金とつながっており、基本的に、独裁者と独裁的政府(アメリカが好きではないもの)を倒そうと世界中で活動している。」

 

 東ヨーロッパ中で親NATO政権転覆を率いた反対運動を訓練した後、2005年にCANVASは「ベネズエラに注目した」ことをストラトフォーは明らかにした。

 

 CANVAS研修プログラムをモニターしながら、ストラトフォーは率直な言葉で、極めて印象的にその反乱計画を概説した。「成功は決して保証されていないが、学生運動は、ベネズエラで革命を起こすために長年続く取り組みの始まりに過ぎず、だが講師自身は「バルカンの殺りく者」で経験を積んだ人々だ。彼らは狂った技能を得ている。ベネズエラ大学五校の学生が同時にデモを開催するのを見れば、訓練は終わり、実際の仕事が始まったことがわかる。」

 

「2007世代」政権転覆要員の誕生

 

 「実際の仕事」は、二年後の2007年、グアイドが、カラカスのアンドレス・ベジョ・カトリック大学を卒業して始まった。彼は中南米のトップ新自由主義経済学者の一人、ルイス・エンリケ・ベリスベイティア指導下、ガバナンスと政治経営プログラムの授業をジョージ・ワシントン大学で受けるため、ワシントンDCに引っ越した。ベリスベイティアはチャベスに追い出されたオリガルヒ政治旧政権下で、ベネズエラのエネルギー部門で働いて10年以上過ごした国際通貨基金元専務だ。

 

 その年、ベネズエラ政府が、ラジオ・カラカス・テレビジョン(RCTV)の免許更新を拒否した後、グアイドは反政府集会を率いるのを支援した。この私営放送局は、ウゴ・チャベスに対する、2002年のクーデターで主導的役割を果たした。RCTVは、反政府的デモ参加者を動員するのを助け、野党議員が行った暴力行為の責任を、政府支持者になすりつけ、情報を偽り、クーデターのさなか政府支持の報道を禁止した。失敗したクーデターの企みを推進するRCTVや他のオリガルヒ支配者が所有する放送局の役割は、高く評価されるドキュメンタリー『革命はテレビ放送されない』として残されている。

 

 同じ年、「21世紀の社会主義」を約束する「新経済システム開発のための必要条件として、組織された地域社会に直接の権力を与え、法的枠組みを、ベネズエラの政治的、社会的再編成のために準備」するチャベス憲法に関する国民投票を妨害した功績を、学生は主張していた。

 

 RCTVや国民投票を巡る抗議行動から、アメリカに支援される政権転覆活動家の専門要員が生まれた。彼らは自らを「2007年世代」と呼んだ。

 

 ストラトフォーとCANVASのこの集団の講師は、グアイドの同盟者ヨン・ゴイコエチェアという名の街頭行動組織者が、憲法に関する国民投票をくじく上で「主要因」と認めた。翌年ゴイコエチェアは自由推進の取り組みに対し、ケイトー研究所のミルトン・フリードマン賞と500,000ドルの賞金という栄誉を与えられ、それを彼自身のリバティー・ファースト(プリメロ・フスティシア)政治ネットワーク構築に即座に投資した。

 

 もちろんフリードマンは、独裁的暫定政府大統領アウグスト・ピノチェトに、急進的「ショック・ドクトリン」風の緊縮財政政策を実行すべくチリに輸入された悪名高い新自由主義シカゴボーイズのゴッドファーザーだった。ケイトー研究所は、中南米右翼の積極的な支持者になった二人のトップ共和党寄寄付者、コッホ兄弟に設立されたワシントンDCに本拠を置くリバタリアン・シンクタンクだ。

 

 「政治課題を設定するのに慣れているベネズエラ大統領に(過剰)反応するように強いた」ことで「07年世代」を称賛して、アメリカ駐ベネズエラ大使ウィリアム・ ブラウンフィールドが、国務省、国家安全保障会議と国防省南方指令部に送った2007年の電子メールをウィキリークスが公にした。ブラウンフィールドが認めた「新興指導者」の中にはフレディ・ゲバラと、ヨン・ゴイコエチェアがいた。彼は「最も理論整然とした市民的自由擁護者学生の一人」として、ゴイコエチェアに拍手喝采した。

 

 リバタリアンのオリガルヒと、アメリカ政府のソフト・パワー組織から現金をどっさりもらって、急進的なベネズエラ人幹部は、彼ら版の下記ロゴを使い、オトポール戦術で街頭に繰り出した:

 

「世情不安を駆り立て、利用し、チャベスに向ける」

 

 2009年、「2007年世代」の青年活動家は、政権転覆マニュアルでジーン・シャープがに概説した法外なゲリラ劇場戦術をまねて、街頭でズボンをずり下ろし、これまでで最も挑発的なデモを繰り広げた。抗議参加者は、もう一つのJAVUと呼ばれる最新の青年集団仲間の逮捕に対して動員した。学者のジョージ・チカレロ・マーの著書「Building the Commune」によれば、この極右集団は「様々なアメリカ政府筋から資金を集め、たちまち反政府派街頭運動の強硬路線派として、悪評を獲得することが可能になった」。

 

 この抗議行動ビデオは見ることはできないが、多くのベネズエラ人が、グアイドは主要参加者の一人だと認めている。この主張は確認されてはいないが、下記に見られるようなトレードマークの「抵抗! ベネズエラ」Tシャツを着た、尻出し抗議行動者たちがグアイドが所属する2007年世代の中核メンバーだったというのは確かにありそうなことだ。

 


これがトランプがベネズエラの権力の座に据えたいと望む阿呆だろうか?

 

 その年、グアイドは「2007年世代」が育成した反チャベス・エネルギーを取り込む政党設立という、もう一つの形で彼自身大衆の前に登場した。ボルンタード・ポプラールと呼ばれるものの中心人物レオポルド・ロペスは、全米民主主義基金プログラムに深く関与し、ベネズエラで最も裕福な地区の一つ、カラカス市長として選出された、プリンストン大学で教育を受けた右翼扇動者だった。ロペスはベネズエラ初代大統領の直系子孫で、ベネズエラ上流階級の生き写しだった。彼は、ワシントンによって政権転覆の目標に定められた国で、アメリカに支援される反政府活動家のために事実上の広告代理店役を演じるアメリカに本拠を置く「人権財団」創設者トール・ハーヴァーソンのいとこでもある。

 

 ロペスの利害関係はワシントンとぴったり足並みが揃っていたが、ウィキリークスに公開されたアメリカ外交公電が、ボルンタード・ポプラールが究極的には社会的疎外に至るだろう狂信的傾向を強調していた。ある電報は、ロペスが「反政府派の中で対立を引き起こす人物で、しばしば横柄で、報復的で、権力欲が強いと言われている」と認めていた。他の電報は、統一と国の民主的団体への参加を優先する他の野党指導者たちとの緊張の原因として、彼の街頭紛争に対する固執と、彼の「譲歩しない手法」を強調していた。


妻リリアン・ティントリとバイクに乗るボルンタード・ポプラール創設者レオポルド・ロペス

 

 2010年までに、ボルンタード・ポプラールとその外国支援者は、ベネズエラを襲った数十年で最もひどい干ばつを利用しようとした。水力発電所を稼動させるために必要な水の欠乏のおかげで、大規模な電力不足が国を襲った。世界的景気後退と下落する石油価格が危機を悪化させ、公衆の不満を増大させた。

 

 グアイドと彼の反政府的運動幹部の重要な助言者、ストラトフォーとCANVASが、ボリバル革命の心臓に短剣を刺す衝撃的に身勝手な計画を考え出した。この計画は、2010年4月という早い時期、ベネズエラ電力系統70%の崩壊に依存していた。

 

 「電力系統の失敗から、貧しい人たちを守るためにチャベスができることはほとんど何もないので、これは重大な転機的出来事になり得る」とストラトフォー内部メモは宣言していた。「おそらく、これまで反政府派が生みだすことを望めなかった形で、世情不穏を駆り立てる影響力があるだろう。その時点で、状況を利用し、チャベスに、そして彼らの必要に向けるのに、反政府派が最も役立つはずだ。」

 

 当時スペインのシンクタンクFRIDE研究所報告によれば、ベネズエラ野党はUSAIDやや全米民主主義基金などのアメリカ政府機関から驚異的な年4000-5000万ドルを受け取っていた。主に国外においた自前の口座にも、大規模な保有していた。

 

 ストラトフォーが構想したシナリオは実現しなかったが、ボルンタード・ポプラール党活動家と同盟者は非暴力主義のあらゆる見かけを投げ捨て、国を不安定化する急進的計画に加わった。

 

暴力的な不安定化に向かって

 

 2010年11月、ベネズエラ治安機関が入手し、前裁判官ミゲル・ロドリゲス・トレス、グアイド大臣によって提出された電子メールによれば、ゴイコエチェアと数人の他の学生活動家がメキシコシティーのフィエスタ・メヒカーナ・ホテルで秘密の5日間の訓練に出席した。セッションはアメリカ政府に支援されるベオグラードを本拠とするオトポールの政権転覆講師に行われた。狂信的反カストロのキューバ亡命者がジョージ・W・ブッシュの国務省と右翼コロンビア人アルヴァロ・ウリベ前大統領と働く状態で、この会議は伝えられるところによればオットー・ライヒの祝福も受けていた

 

 フィエスタ・メヒカーナ・ホテルで、グアイドと彼の仲間の活動家は、長引く街頭暴力の麻痺を通して混乱を生みだし、ウゴ・チャベス大統領を打倒する計画を企てたと電子メールは述べている。

 

 伝えられるところでは石油業界の大物3人、グスタボ・トラール、エリヒオ・セデニョとペドロ・ブレッリが、会議を行うために52,000ドルの費用を負担した。トラールは、弟のレイナルド・トヴァル・アロヨが、ベネズエラ国と契約があるメキシコ私企業、石油・ガス会社Petroquimica del Golfoのベネズエラ代表で、自称「人権擁護運動家」で「知識人」だ。

 

 セデニョは亡命を主張してアメリカ逃亡したベネズエラ実業家、元JPモルガン幹部で、ベネズエラ国営石油会社(PDVSA)の前取締役ペドロ・ブレッリ。ウゴ・チャベスが権力の座についた時に、彼は1998年にPDVSAを去り、ジョージタウン大学の中南米指導者プログラムの諮問委員会にいる。

 

 ブレッリは彼の参加を詳述する電子メールがでっち上げだとを強く主張し、それを証明するため私立探偵を雇いさえした。調査者はグーグルの記録が彼のものと主張されている電子メールが決して伝達されなかったことを示したと宣言した

 

 現在、ブレッリはベネズエラ現大統領ニコラス・マドゥロが退位させられるのを見たいという彼の願望を隠そうとしない - 道路を通って引きずって行きさえされて、リビア指導者ムアマル・カダフィがNATOに後援される国民兵のそばにいたから、銃剣で異常性行為を強いられた。

 

@ NicolasMaduro、お前は俺に全く配慮しなかった。お前は俺を鞭打ち/追いかけた@chavezcandanga俺は恐れない。聞け、お前には24時間に二つしか選択肢がない。

 

    1. ノリエガは麻薬密売で罰を受け、更に人権で国際刑事裁判所で @IntlCrimCourt

 

    2.あるいはカダフィ風

 

    今選べ! pic.twitter.com/pMksCEXEmY  2019年1月17日、ペドロ・マリオ・ブレッリ (@pburelli)

 

 更新:  本記事公開後、ブレッリがGrayzoneに連絡をしてきて、“フィエスタ・メヒカーナ”策謀への彼の関与を説明した。

 ブレッリは会議はメキシコの“違う名のホテルで開催された合法活動だ”と言った。

 オトポールがこの会議を統括したのかと問われると、彼はただオトポール/CANVASの創設者ではないが、その仕事が「好き」で、「様々な国の活動家に、様々な国で、彼らが行う活動を追いかけ、参加するように勧めた」と述べた。

 ブレッリは更にこう述べた。「アインシュタイン研究所はベネズエラで何千人もの人々を公然と訓練した。ジーン・シャープの哲学は広く研究され、奉じられている。そしてこれが、おそらく戦いが、内戦になるのを防いでいる。」

 

 フィエスタ・メヒカーナ陰謀とされているものは、ベネズエラ政府が提出した一連の文書で明らかにされたもう一つの不安定化計画だ。2014年5月に、カラカスはニコラス・マドゥロ大統領に対する暗殺計画を詳述する文書を公表した。漏洩情報はマイアミを本拠とするマリア・コリナ・マシャドが、この計画のリーダーだと認めていた。極端な言説を好む強硬論者マシャドは、野党の国際連絡役を演じ、2005年にジョージ・W・ブッシュ大統領を訪問していた

 


マシャドとジョージ W. ブッシュ 2005年

 

 「私は皆で協力する時期だと思う。必要な呼びかけをして、マドゥロを壊滅し、残りをばらばらに壊すための資金調達をするのだ」マシャドは2014年に元ベネズエラ外交官ディエゴ・アリアに電子メールを書いた。

 

 別の電子メールで、マシャドは暴力的な策謀は、駐コロンビア・アメリカ大使、ケビン・ホイテカーに祝福されていたと主張した。「私は既に決心した、この政権が打倒され、我々が世界中の友人に伝えるまで、この戦いは続くだろう。もし私がサン・クリストバルに行って、米州機構OASに私自身を曝しても、私は何も恐れない。ケビン・ホイテカーは既に支持を再確認し、新しい段階を指摘した。我々には政権より強い、国際防衛リングを破る小切手帳がある。」

 

 グアイド、バリケードに向かう

 

 2月、追放された寡頭政治家のための突撃隊を務める学生デモ参加者が野党に支配される区域をグアリンバ(街頭暴力)として知られる暴力的バリケードに変え、全国的に暴力的バリケードを築いた。国際マスコミは、反乱をマドゥロの残虐非道な支配に対する自然発生的な抗議として報じたが、ボルンタード・ポプラールが出来事を画策していた十分な証拠があった。

 

 「大学での抗議行動参加者のいずれも大学Tシャツを着ておらず、すべてボルンタード・ポプラールあるいは「公正ファースト」のTシャツを着ていた」とグアリンバ参加者が当時語っていた。「彼らは学生グループだったかもしれないが、学生自治会は野党と協力関係にあり、野党は彼らに対して責任がある。」

 

 首謀者が誰だったか尋ねられて、グアリンバ参加者は「まあ、もし全く正直に言えば、連中は今は議員だ。」と言った。

 

 2014年のグアリンバ(街頭暴力)の間に、およそ43人が殺された。3年後、彼らは再び沸き起こり、公共インフラの大規模破壊、政府支持者や、多くがチャベス主義者の126人を殺害した。いくつかの場合、政府支持者は暴力団に焼き殺された。

 

 グアイドは2014年のグアリンバ(街頭暴力)に直接関与していた。実際彼は警察と激しい衝突で、道路を封鎖し、マスクをつけ武装した分子に囲まれている、ヘルメットとガスマスクを着けた本人が映ったビデオをTwitterに投稿していた。2007年世代に対する彼の参加にそれとなく言及し言明した「私は2007年、我々は「学生だ!」と主張したことを覚えている。今我々は叫ぶ「抵抗! 抵抗!」

 

 グアイドは明らかに民主主義の旗手としてのイメージへの懸念で、Tweetを削除した。

 

 

 2014年2月12日に、その年のグアリンバ(街頭暴力)最高潮時、グアイドはボルンタード・ポプラールと「公正ファースト」の集会でステージ上のロペスと並んだ。政府に対する長い痛烈な批判の中で、ロペスは群衆にルイザ・オルテガ・ディアス検事総長の事務所に行進するよう強く促した。すぐ後にディアスの事務所は全焼しようと試みる暴力団の攻撃を受けた。彼女は「計画され周到に準備された暴力」と呼ぶものを非難した。

 


決定的な2014年2月12日の集会でロペスと並ぶグアイド

 

 2016年のテレビ出演で、グアイドは、オートバイ運転者に怪我をさせるか殺すため、道路を横断して鋼線を張るグアリンバ戦術グアヤスに起因する死を「神話」だと片づけた。彼の発言は、サンティアゴ・ペドローサのような非武装の一般人を殺したり、エルビス・デュランという名の男性の首を切ったりした致命的な戦術を糊塗するものだ。

 

 この冷淡な人命無視は、マドゥロ反対者の多くを含め、大衆から見たボルンタード・ポプラールの定義になるだろう。

 

 ボルンタード・ポプラール弾圧

 

 暴力と政治的な分極化が全国的にエスカレートするにつれ、政府はそれを煽るのを助けたボルンタード・ポプラール指導部に対する行動を開始した。

 

 国民議会副議長でボルンタード・ポプラールの副党首のフレディ・ゲバラは2017年の道路暴動の主要リーダーだった。暴力上の役割のかどで裁判に直面し、ゲバラはチリ大使館に避難し、そこに留まっている。

 

 ズリア州のボルンタード・ポプラール議員レスター・トレドはテロに資金供給し、暗殺をたくらんだ罪状で、2016年9月にベネズエラ政府に指名手配された。計画はコロンビアのアルヴァロ・ウリベ前大統領が協力して作られたと言われた。トレドはベネズエラから逃れ、ヒューマンライツ・ウォッチや、アメリカ政府が支援するフリーダム・ハウスや、スペイン議会や欧州会議など、いくつかの講演ツアーをした。

 

 ボルンタード・ポプラールを導いた、オトポールで教育された2007年世代のもう一人のメンバー、カルロス・グラッフェは2017年7月に逮捕された。警察によれば、彼は、くぎ、C4爆薬と起爆装置で一杯の袋を持っていた。彼は2017年12月27日に釈放された。

 

 ボルンタード・ポプラール長年の党首レオポルド・ロペスは、2014年グアリンバ(街頭暴力)の際の13人死亡について重要な役割のかどで告発され、現在自宅拘禁されている。アムネスティー・インターナショナルは「政治犯」としてロペスを称賛し、刑務所から家へ彼の移送を「十分ではない」と酷評した。一方グアリンバ被害者の家族はロペスの更なる罪に対する請願書を提出した

 

 コッホ兄弟の広告塔で、アメリカに後援される「公正ファースト」創設者ヨン・ゴイコエチェアは彼の車の中で一キロの爆発物が発見されたと主張する保安部隊に2016年逮捕された。ニューヨーク・タイムズ論説で、ゴイコエチェアは「でっちあげ」告訴に抗議し、「共産主義から自由な民主的社会の夢」のために投獄されていたと主張した。彼は2017年11月に釈放された

 

今日はカリクアオにいる。私は@jguaidoと15年一緒に働いている。私は彼を信じている。自らを鍛え上げた彼の節操と知性を知っている。彼は思いやりを持ってことを行うが、決してだまされやすくはない。ここには自由に向かう可能性がある。pic.twitter.com/Lidm8y5RTX (@YonGoicoechea)2019年1月20日

 

 2013年、同じくオトポールで教育された2007年世代のメンバー、デイビッド・スモランスキーは、彼がエル・アティージョという裕福な郊外で選出された際に、ベネズエラでこれまでで最も若い市長になった。だが彼が猛烈なグアリンバ(街頭暴力)を引き起こしたかどで有罪であることがわかり、最高裁判所に地位を剥奪され、15カ月の禁固刑を宣告された。 

 

 逮捕に直面して、スモランスキーはあごひげをそり、サングラスをかけ、首にロザリオをかけ、手に聖書を持ち、司祭姿に変装してブラジルにこっそり入った。彼は今ワシントンDCに住み、そこで彼は米州機構ルイス・アルマグロの書記に抜擢され、ベネズエラ移民と難民危機の作業部会を率いている。

 

 昨年7月26日、スモランスキーは、トランプにアメリカのベネズエラ特使に任命された、以前有罪宜告されているイラン・コントラ重罪犯エリオット・エイブラムスと「暖かい再会」をした。1980年代、エイブラムスは、ニカラグア、エルサルバドルとグアテマラで、右翼暗殺団を武装させるアメリカの秘密政策を監督したことで悪名高い。ベネズエラ・クーデターにおける彼の主導的役割が、またもう一つの血まみれの代理戦争が前途に待ち構えているかもしれないという恐れをかき立てている。

 

アメリカ政府ベネズエラ特使エリオット・エイブラムスとの国連での暖かい再会。@jguaidoが統括する暫定政府の優先事項は食料と医薬品の不足で苦しむ何百万人ものベネズエラ国民に対する人道支援だと私達は繰り返し言った。pic.twitter.com/vHfktVKgV4 デイビッド・スモランスキー (@dsmolansky)2019年1月26日

 

 4日前、マシャドは、もしマドゥロが「自分の命を救いたいと望むなら、時間がなくなっているのを理解するべきだと宣言し、彼に対して更なる暴力的脅迫を放った。

 

連中のゲームの駒

 

 連中が行なった不安定化を狙う暴力作戦の重みの下、ボルンタード・ポプラールは崩壊し、大多数の大衆を遠ざけ、指導部の多くを、追放や拘留で失った。グアイドは、alternate federal deputyとして、国民議会における9年の経歴の大部分を過ごし、比較的マイナーな人物に留まっていた。ベネズエラで人口が最も少い州の一つの出身者グアイドは、2015年の議会選挙で、国民議会の彼の場所を確保するため、票のわずか26%を得て、二位だった。実際、彼の顔より、お尻の方がよく知られているかもしれない。

 

 グアイドは野党が多数派の国民議会議長として知られているが、彼は決して選出されて議長になったわけではない。議会の4野党が団結した民主統一会議が輪番制議長を設立することに決めていた。ボルンタード・ポプラールの順番だったが、党創設者ロペスは自宅拘禁されていた。一方彼の「副司令官」ゲバラはチリ大使館に避難していた。フアン・アンドレス・メヒアという人物が、その次のはずだったが、今明確な理由でフアン・グアイドが選ばれたのだ。

 

 「グアイドの出世を説明する階級的な理由があります」とベネズエラ人評論家セクケラが述べた。「メヒアは富裕層で、ベネズエラで最も高い私立大の一つで学んでおり、グアイドでできたようには大衆に簡単に売り込めなかったのです。一つには、グアイドは大半のベネズエラ人に共通の混血という特徴もあり、大衆の味方のように思われやすいのです。また彼はマスコミで露出過剰していなかったので、何であれ自由に作り上げることが可能です。」

 

 2018年12月、グアイドは国境の向こう側にこっそり動いて、マドゥロ大統領就任式時に集団デモを行う計画を調整するためワシントンとコロンビアとブラジルに遊山旅行した。マドゥロ就任式前夜、マイク・ペンス副大統領とカナダのクリスティア・フリーランド外務大臣両方が彼らによる支援を確認するため、グアイドに電話した。

 

 一週間後、全員フロリダ出身の亡命右翼キューバ人ロビー議員、マルコ・ルビオ上院議員、リック・スコット上院議員と、共和党のマリオ・ディアス・バラート下院議員が、ホワイトハウスでトランプ大統領とペンス副大統領に並んだ。彼らの要請で、もしグアイドが彼自身大統領だと宣言すれば支持することにトランプは同意した

 

 ウォールストリート・ジャーナルによれば、マイク・ポンペオ国務長官は1月10日個人的にグアイドに会った。ところが彼を「フアン・グイド」と呼び、1月25日に報道関係者への説明会で彼に言及した時、ポンペオはグアイドの姓を発音できなかった。

 

    マイク・ポンペオ国務長官はワシントンが大統領に据えようとしている人物をベネズエラ大統領「フアン・グイド」と呼んだ。グイドはイタリア系アメリカ人に対する人種差別表現の単語だ。アメリカ国務長官は自分の操り人形の姓の発音さえ学ぼうとしなかった。pic.twitter.com/HsanZXuSPR  ダン・コーエン(@dancohen3000)2019年1月25日

 

 1月11日までに、グアイドのウィキペディア・ページが37回も編集されたのは、今やワシントンの政権転覆野望の活人画モデルになった、かつて無名の人物のイメージを作り上げる苦闘を実証している。結局彼のページ編集管理はウィキペディアのエリート「司書」評議会にまかされ、彼はベネズエラの「紛争中の」大統領と表現された。(訳注:現在は、「大統領」になっている。)

 

 グアイドは無名だったかもしれないが、彼の急進主義と日和見主義の組み合わせはワシントンの要求を満たした。「このピースが不足していた」とトランプ政権はグアイドについて述べた。「彼は我々の戦略を一貫した完全なものにするのに必要なピースだ。」

 

 元駐ベネズエラ・アメリカ大使のブラウンフィールドがニューヨーク・タイムズにまくしたてた。「初めて、軍隊と、法執行機関に、明らかに、天使と善人の側に、彼らを引き留めたいと望んでいると表明する野党指導者が現れたのです。」

 

 だがグアイドのボルンタード・ポプラール党は、警官や一般市民の死を招いたグアリンバ(街頭暴力)攻撃集団も組織していた。彼は街頭暴動に対する彼自身の参加を得意げに語ってさえいた。今、軍と警察の心をつかむため、グアイドはこの血まみれの歴史を消さなければならなくなった。

 

 1月21日、クーデターが本格的に始まる一日前、グアイドの妻は、軍にマドゥロに反乱を起こすことを求めてビデオ演説を行った。彼女のパフォーマンスは、夫の限定された政治的可能性を強調する無表情なもので、感銘を与えなかった。

 

 4日後、支援者を前にした記者会見で、グアイドは危機に対する解決策を発表した。「人道介入を認めろ!」

 

 直接援助を待ちながら、グアイドは彼が常にそうだったもの、身勝手な外部勢力のお気に入りのプロジェクトであり続けている。「こうした全ての不運な出来事の後、もし彼が崩壊し、燃えても重要ではありません」とセクエラはクーデターの表看板について述べた。「アメリカにとって、彼は消耗品です。」

 

 マックス・ブルメンソールはジャーナリスト、ベストセラーのRepublican Gomorrah, Goliath, The Fifty One Day War, The Management of Savageryを含め数冊の受賞本の著者。彼は一連の出版物に記事を書き、多くのビデオ報告や、Killing Gazaを含めいくつかドキュメンタリーを作った。ブルメンソールは、アメリカの絶え間ない戦争状態と、国内へのその危険な影響にジャーナリズム的な光をあてるため、2015年にGrayzoneを設立した。

 

 ダン・コーエンはジャーナリストで映画製作者。彼はイスラエル-パレスチナに関し、広く流通するビデオ報告と記事を作成した。ダンはRTアメリカの記者で@ DanCohen3000で、Twitter に投稿している。

 

記事原文のurl:https://grayzoneproject.com/2019/01/29/the-making-of-juan-guaido-how-the-us-regime-change-laboratory-created-venezuelas-coup-leader/

 

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 またしてもジーン・シャープ。彼の著書の翻訳『武器なき民衆の抵抗』は1972年、れんが書房から刊行されている。今とんでもなく高価な古書。原書 Exploring Nonviolent Alternativesは 1970年刊行。それに先立つCivilian Defense: An Introductionは1967年に刊行されている。著書の刊行時期と、運動勃興時期からして、ジーンの政権転覆作戦、最初日本で実験されたのではないかと妄想。ジーン・シャープ、天安門事件にもからんでいる?ジーン・シャープのカテゴリーの翻訳記事、結構数がある。お読みいただければ幸い。

 

 .暴力的街頭行動のボルンタード・ポプラール党幹部連中、日本で、仲間で殺し合うに至った過激集団が大衆から完全に乖離したのを連想する。日本学生運動家諸氏の中にはグアイドほどまで出世せずとも、著名政治家になった御仁もおられるようだ。

 

 衆院予算委国会中継、自民党茶番質問はもとより、コネズミ・ガス抜き質問は見ない。

 

 .大本営広報部で、俳優の暴行事件をうれしそうに語る阿呆面太鼓持ちタレント連中。毎回ながらうんざり。悪の権力には決して抵抗しない。安全な水に落ちた犬だけを叩く。

 

 月刊誌『噂の真相』編集発行人だった岡留安則氏が亡くなった。楽しみにしていた雑誌が廃刊になったのは残念だった。これから気になる見出しの下記記事を拝読する。

 日刊IWJガイド「橋下徹氏が司会役のAbemaTVの冠番組『NewsBAR橋下』に、国民民主党の玉木雄一郎代表と自由党の小沢一郎代表がゲスト出演 小沢氏が熱心に橋下氏を誘った!? その真相をスクープ!」 2019.2.4日号~No.2335号~ (2019.2.4 8時00分)

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