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2018年12月15日 (土)

国全体を動員して、勝利したシリア

2018年12月11日
Andre Vltchek
New Eastern Outlook

 そう、アレッポ近隣の一部ホムス、ダマスカスの郊外には、瓦礫が、実際全くの破壊がある。

 そう、国の一部に、イドリブや、いくつかのより小さな地域に、テロリストや「外国勢力」がいる。

 そう、何十万もの人々が生命を失い、何百万人もが難民にされたり国内難民になったりしている。

 だがシリアの国はしっかり存在している。リビアやイラクがそうなったようには、シリアは崩壊しなかった。シリアは決して降伏しなかった。シリアは降伏を決して選択と考えさえしなかった。シリアは砲火や想像できない痛みで、大変な苦痛を味わったが、結局勝った。シリアはほぼ勝っている。勝利は、2019年に決定的となる可能性が極めて高い。

 比較的小さいにもかかわらず、ゲリラ戦を戦った「小さい国」のような勝利ではない。 それは大きな強い国のように勝っている。すべての予想に反し、公然と正面から誇らしく戦った。公正と自由の名のもと、途方もなく大きい勇気と強さで侵略者と対決した。

 なぜなら唯一の選択肢は奴隷制度と卑屈で、それはここの人々の語彙にないので、シリアは勝っている。彼らが勝つか、さもなくば彼らの国の避けられない終焉と、アラブ全体の祖国という彼らの夢の崩壊に直面せねばならなかったので、シリアの人々は勝った。

 シリアは勝っており、望むらくは、中東で、再び同じことにはなるまい。アラブ人の屈辱の長い数十年は終わりだ。今「近隣の」皆が見守っている。今皆が知っている。欧米とその同盟国とは戦い、止めることができるのだ。彼らは無敵ではない。極めて残忍で無情だが、無敵ではない。同じく、最も邪悪な原理主義の宗教的な植えつけは打ち壊すことができる。私は前にも言ったが、再びここで繰り返そう。アレッポは中東のスターリングラードだった。アレッポとホムスと他の偉大な勇敢なシリアの都市。ここでファシズムと対決し、全力で、そして大きな犠牲で戦われて、最終的に阻止されたのだ。

*

 私はシリアのアフタン・アーマド大将のオフィスに座っている。我々はロシア語で話す。私は既に知っているが、ダマスカスの治安情勢について彼に尋ねる。いくつかの夕方と夜、私は古い都市の狭い曲がりくねった道を横切って歩いた。人類発祥の地の一つ。女性、若い少女たちさえ同様に歩いていた。都市は安全だ。

 「安全だ」と誇らしげに、アフタン・アーマド大将が微笑する。 「あなたは安全であることを知っているだろう?」

 私はうなずく。彼はシリア諜報機関の長官だ。私はさらに多く、はるかに多くを求めるべきだった。より詳細を。だが私は今現在じゃない細部を知ることを望まない。私は繰り返してダマスカスが、私の友人たちから、通行人から、彼から、安全だということを耳にすることを望む。

 「状況は今非常に良い。 夜外に出られる」

 私は彼に既にそうしたと言う。到着したときから、そうしていたことを。

「誰も、もう恐れていない」と彼は続ける。「テロ集団が活動していた場所でさえ、生活が正常に戻っている…、シリア政府が今、水と電気を供給している。人々は解放された地域に戻っている。東グータはほんの5カ月前に解放され、今あなたは、そこで、次々に店が開いているのを見ることができる。」

 私はいくつかの許可証に署名をもらった。私は大将の写真を撮る。私は彼と一緒に写真に撮られる。彼は隠すべき何も持っていない。彼は恐れない。

 私は彼に、2019年1月末、あるいは遅くとも2月、イドリブ、あるいは少なくとも市の郊外に旅行するのを望むんでいると言う。かまわない。私は数日前に彼らに知らせなければならない。パルミラ、結構だ。 アレッポ、問題ない。

 我々は握手する。彼らは私を信頼する。私は彼らを信頼する。それが唯一進むべき道だ これはまだ戦争なのだ。酷く残忍な戦争。ダマスカスが今自由で安全であるにもかかわらず。

*

 大将のオフィス去ってから、我々はダマスカス周辺のジョバルにドライブする。それからアイン・タルマに。

 そこは全くの狂気だ。

 ジョバルは主に工業地帯で、アイン・タルマは住宅地だった。両方の場所は、ほとんど完全に瓦礫と化した。ジョバルで、ラーマン旅団、そして他のグループ、アル・ヌスラ戦線と直接つながる集団やテロリストに使われていたトンネル内で映画を撮影するのを許された。

 現場は不気味だ。以前これらの工場は首都の人々に何万という仕事を与えていた。 今はここでは何も動いていない。 死のような静寂、ただほこりと残骸。

 私が残骸を登り越えるとき、アリ中尉が私に同行した。私は彼に、何がここで行われたか尋ねた。彼は私の通訳を通して答える:

「この場所は、2018年4月に解放されたばかりだ。テロリストから奪還した最後の場所の一つだった。6年間、一部が「反抗者」によって、別の部分が軍によって支配された。敵はトンネルを堀、彼らを打ち破ることは非常に難しかった。彼らは、学校を含め、彼らの手に入れることができたすべての構造を使った。 ここから、一般人の大部分が逃げることに成功した。」

 シリアの友人たちがこの地域に住んでいて、私に彼らの詳細な物語を話してくれたので、私は答えを知っていたが、破壊について彼に尋ねた。アリ中尉が確認した:

「欧米は、これがシリア軍によって起こされた破壊だったと言って世界中で宣伝した。実際、彼らがダマスカスを攻撃した時だけ、シリア軍は反政府派と交戦した。最終的に、反政府派は、ロシアが後援した政府との協議後、ここから撤退した。」

*

 数キロ東、アイン・タルマでは事態は全く異なっている。戦争前、ここは住宅地だった。人々はここで主に多層住宅に住んでいた。ここでテロリストは一般人を激しく攻撃した。数カ月あるいは何年間も、家族はひどい恐怖と貧困の中で、暮らさねばならなかった。

 我々は野菜を売っている質素な店で止まった。ここで年配の婦人に接近し、彼女が同意した後、映画を撮影し始めた。

 彼女は話をし、次に彼女は、カメラに、まっすぐ手を振って叫んだ。

「我々は家畜のようにここで暮らしていました。テロリストは我々を動物のように扱いました。我々は怖くて、空腹で、侮辱されたように感じていました。女性たちを、テロリストが、若い少女と成人女性を強制的にいわゆる結婚に追い込み、4-5人の妻を連れて行きました。我々は何も持ってません。何も残っていません!」

「そして今は?」 私は尋ねた。

「今? ごらんなさい! 我々は再び生きています。我々には未来があります。ありがとう;ありがとう、バッシャール!」

 彼女は大統領を名で呼んでいる。彼女は手の平で心臓を指し、キスした後、再び手を振る。

 尋ねるべきことは本当に何もない。私はただ映画を撮影する。彼女は2分ですべてを語る。

 我々が去るとき、彼女がさほど年がいっていないのに気がついた。決して年寄りではなかった。けれどもここで起きたことが彼女をぽっきり折ったのだ。今彼女は生きている。彼女は生きていて、再び希望を持っている。

 私は運転手にゆっくり走るように頼み、壊れていて、ほこりまみれながらも、トラフィックに満ちている道路を撮影し始める。歩いている人々、穴を切り抜けて通り過ぎる自転車と自動車。 横町で、人々が、再建し、落ちた梁を切断し、瓦礫をきれいにし、懸命に働いている。電気は復活している。ガラスパネルが、傷ついた木製フレームにはまっている。生活。勝利。実に多くが破壊されたので、実に多くの人々が亡くなったのだ。ほろ苦い。けれども、あらゆることにも関わらず、再びの生活だ。 そして希望。たくさんの希望。

*

 私は友人たち、ヤメンとフィダと一緒にハバナと呼ばれるクラシックな古いダマスカスのカフェで座っている。それは古い、本物の場所で、不穏な日々に、バース党メンバーが会合した場所だ。バッシャール・アル・アサド大統領の写真が目立つように置かれている。

 教育者のヤメンは最近の何年かの間に、彼が何度か、どのように、あるアパートから別のアパートへ移動しなければならなかったか思い出す。

「私の家族はジョバルのすぐ隣に住んでいました。あの辺りのすべてが破壊されました。 我々は引っ越さなければなりませんでした。それから新しい場所で、小さい息子と一緒に歩いていると、迫撃砲が我々の近くに落ちました。私は炎に包まれた建築も見ました。私の息子はぞっとして泣いていました。我々の横の女性が炎に飛び込もうとして、わめいていました。「息子が中にいる、私には息子が必要だ、私に息子をおくれ!」過去、我々は危険がどこから来るか、いつか予測できませんでした。私は数人の親類、家族を失いました。 我々は皆そうでした。」

 ヤメンの同僚フィダは、仕事から帰ると、高齢の母親の世話をしている。生活はまだ厳しいが、友人たちは正真正銘の愛国者だ、そしてこれは彼らが毎日の難題に対処するのを助けている。

 濃いアラブ・コーヒーを一杯飲みながら、フィダは説明する:

「あなたは我々が笑って、冗談を言っているのを見ますが、心の奥深くで、我々のほとんどすべてが深刻な心理的トラウマで苦しんでいます。ここで行われたのは厳しいことでした。我々はあらゆるひどいものを見たのです、我々は愛する家族を失いました。このすべては、このあと何年もの間我々の元に留まりまする。シリアにはこの状態に対処するのに十分な専門の心理学者と精神科医がいません。それほど多くの生活が破綻しました。私はまだ怖いです。 毎日。 多くの人々がひどく動揺しています。」

「私は兄の子供たちを気の毒に思います。彼らはこの危機の中に生まれました。我々が迫撃砲攻撃にあった途端に、私の幼い甥は怖がりました。子供たちは本当にひどく影響を受けています! 個人的に、私は殺されることを恐れていません。腕、あるいは脚を失ったり、あるいは、もし彼女が病気になったら、ママを病院に連れて行けないのを恐れています。少なくとも私の先祖の都市サフィタは、紛争の最悪の日々でさえ、常に安全でした。」

 「私のサラミヤじゃない」、ヤメンが悲嘆する:

「サラミヤはひどいものでした。多くの村が避難せざるをえなかった…多くの人々がそこで亡くなりました。市の東にヌスラ戦線の陣地があり、西はISISに占領されていました」。

そう、何十万人ものシリア人が殺されました。戦いとともにやって来る貧困と同様、テロリストと紛争の両方から逃れ、何百万人もが国を去ることを強いられました。何百万人もが国内難民になりました。国全体が動いています。

 前日、アイン・タルマを去った後、我々はザマルカとハラスタの近くでドライブした。 巨大な地域全体、まっ平らになっているか、少なくともひどく損害を被っていた。

 ダマスカス東郊外で、弾の穴が柱に点在している壁も窓もない幽霊ビルを見ると、すべてを見たような気分になる。破壊はそれほど壮大だ。大都市全体が粉々に爆破されたように見える。この不気味な風景が、少なくとも15キロは変わらないと言う。 悪夢は、どんな妨害もなしに続いている。

 それで、すべてを見たと思いがちだが、実際はそうではない。それはアレッポも、ホムスも訪問していなかったからだ。

*

 数年間、私はシリアのために戦っていた。私は周辺で戦っていた。

 私はイスラエルに占領されたゴラン高原に入りこみ、占領について野蛮で身勝手な態度について報道するのに成功した。

 何年もの間、私は難民キャンプ、そして「彼らの周りの」生活を報道した。若干のキャンプは本物だったが、他のものは、後にNATOにより、シリア国内に送り込まれたテロリスト用の訓練要塞として使われていた。かつて私は、トルコのハタイ市(アタキヤ)からほど遠くないアパヤディンに建てられているこのような「施設」の一つを撮影している間に、ほとんど姿を消すところだった。

 私は「ほとんど」姿を消すところだったが、他の人々は実際に死んだ。欧米と同盟国がシリアに何をしていたかを扱うのはシリア内で戦争を報道するのと同じぐらい危険なのだ。

 私はヨルダンで働き、難民に対する、欧米とのヨルダンの身勝手な協力ついて書いた。私はイラクで働き、エルビル近くのキャンプでは、シリアの人々は、もし少なくとも若干の基本的サービスを受けることを望んだ場合、非政府組織と国連スタッフの両方から、アサド大統領を非難するようを強いられていた。そしてもちろん、百万人以上のシリアの人々が、しばしば、差別(多くが今戻っている)と同様、想像も及ばないほどひどい状態に直面して、滞在していたレバノンでも私は働いた。

 そして、とうとう私が最終的にシリアに入った今、全て何か超現実的な感じがしたが、それは正しく思われた。

 シリアは私がそうだと予想していた通りであるように思われた。英雄にふさわしく、勇敢で、決然として、明らかに社会主義で。

*

 ホムス。私がそこに行く前、何ものでも私は驚かないと思った。 私はアフガニスタン、イラク、スリランカ、東ティモール、いたる所で働いた。けれども、私はホムスを訪問する前に、まだ何も見ていなかったことを悟った。

 市の地域のいくつかの破壊は非常に激しいため、何か破滅的なホラー映画の別の惑星の表面、あるいは破片に似ている。

 残骸を登っている人々、かつて自分たちのアパートだったものを訪れている年配のカップル、道路の中央で見たほこりで覆われた少女のくつ。 そこからすべての4つの道路が、恐ろしい残骸に向かっている交差点の真ん中に立っている椅子。

 ホムスは紛争が始まった場所だ。

 私の友人ヤメンは、我々が中心に向かってドライブしていたとき、私に説明した:

「ここでメディアが憎悪に火をつけました。主として欧米マスコミが。けれども湾岸諸国の局もありました。サウジアラビアのテレビやラジオ局やアルジャジーラも。反政府派指導者のアドナン・アル・アルールは、週に2回、人々に、鍋・フライパンをたたいて街に出るように言うテレビ番組に出演していました。政府に反対して戦うために。」

 ホムスは、2011年に反政府反乱が始まったところだ。外国からの反アサド宣伝はまもなく頂点に達した。反政府派はイデオロギー的に、欧米と、その同盟国に支援された。急速に支援は具体的になり、何千というジハードの戦士と同様、武器や弾薬を含んでいた。

 かつて寛大な近代的な市(非宗教的な国で)ホムスが宗教団体の間で分割されて変化を与え始めた。分裂の後、過激化が続いた。

 今シリアとレバノン両方に住んでいる良き友人のシリア人は彼の体験を話してくれた。

「蜂起が始まったとき、私は非常に若かった。我々の若干が、特定の妥当な不満を持っていて、我々は、より良い方向にことが変化することができるのを希望して、抗議し始めました。だが我々の多くが、間もなく我々の抗議が、外国に文字通り乗っ取られたのを悟りまし。我々は一連の積極的な変化を望んだが、シリア国外の若干のリーダーは、我々の政府を打ち倒すことを望んだのです。その結果、私は運動を去りました。」

彼はそれから、最も苦痛を伴う秘密を明かしてくれた。

「かつてホムスは極めて寛大な都市でした。私は穏健なイスラム教徒で、私の婚約者は穏健なキリスト教徒でした。我々は非常に親密でした。だが都市の状況は、2011年の後、急速に変化しました。急進主義が急増したのです。私は繰り返し彼女に、イスラム教の地域を通る際、彼女の髪を覆うように頼みましだ。私は明らかに何が我々の周りに起きていたか見始めていたので、それは恐れからでした。彼女は拒否しました。ある日、彼女は道路の真ん中で撃たれました。彼らは彼女を殺しました。生活は再び決して同じでありませんは。」

 欧米では、都市の破壊に対し、シリア政府が、少なくとも部分的に責任があったとしばしば言う。だが、このような非難の論理は全く間違っている。スターリングラードを想像願いたい。外国侵略;いくつかの敵対的なファシスト勢力によって支持された侵略を想像頂きたい。市は抗戦し、政府は敵の部隊の前進を止めようとする。ひどい戦いと国の生存のための叙事詩的な争いが続く。誰が悪いのだろうか? 侵略者あるいは、自身の祖国を守っている政府軍? ドイツのナチによって攻撃された自分たちの市の道路で戦うソビエトの部隊を誰か訴えることができようか?

 多分欧米宣伝はこのような「分析」が可能だろうが、決して理性的な人間ではない。

 スターリングラードと同じ論理が同じくホムスやアレッポやいくつかの他のシリアの市に当てはまるはずだ。文字通り欧米により火をつけられた世界中の何十もの紛争をカバーして(私の840ページの長い本『Exposing Lies Of The Empire帝国の嘘をあばく』に詳細に書かれた)破壊に対する全責任は侵略者のにあることに私は疑いを持っていない。

*

 私はジュリア・パレスと呼ばれるいにしえのレストランでハヤット・アワド夫人と対面する。ここはテロリストのとりでだった。彼らは古いホムス市の中心にあるこの美しい場所を占拠した。今少なくとも、市のいくつかの地域で、事態はゆっくりと生活に戻っている。古い市場は機能しており、大学は開いていて、いくつかの庁舎とホテルもそうだ。 けれどもハヤット夫人は過去と未来両方で暮らしている。

 ハヤット夫人は戦中、彼女の息子マフモードを失った。彼の肖像画は、彼女が胸の上に身につけているペンダントに彫られ、常に彼女と一緒だ。

「彼はわずか21歳で、まだ学生に過ぎず、シリア軍に入隊することに決めたのです。彼は私にシリアは母親のようだと言いました。彼が私を愛するように、彼は国を愛する。彼はアル・ヌスラ戦線に反対して戦っており、戦いは非常に厳しいものでした。日の終わりに彼は、状況が良くなかったと言うために私に電話しました。彼の最後の電話で、彼は私に彼を許すよう頼みました。彼は言いました。「多分私は戻って来られない。どうか私を許して欲しい。 私はあなたを愛している!"

 ホムスには、彼女のような息子を失った多くの母親がいるのだろうか?

「はい、私は息子を失った多くの女性を知っています。中には一人だけでなく、二人、三人の息子を失った人を。この戦争は我々からすべてを奪いました。我々の子供たちだけではありません。シリアに注入された過激イデオロギーを支持した国々、アメリカやヨーロッパの国々を私は非難します。」

 私が映画を撮影し終わった後、彼女はロシアの支持に対して感謝した。彼女は困難な年の間に、シリアの味方をしたすべての国に感謝している。

 ジュリア・パレスからほど遠からぬ場所で、復興作業が最高潮にある。わずか数歩離れているという場所に、改修されたモスクが再び開いている。人々が、祝って踊っている。預言者ムハンマドの誕生日だ。ホムスの知事は市当局メンバーと一緒に、祝祭の催し物に向かって行進している。彼らの周りには、ほとんど警備担当がいない。

 もし欧米が、この人々に対して、更にもう一つの恐怖のうねりを放出しなければ、ホムスは問題ないはずなのだ。今すぐではなく、そう間もなくではないが、ロシア、中国、イラン、そして他の僚友の決心の固い手助けによって。シリア自身は強く決意している。その同盟国は力強い。

 最も酷い年は終わっていると信じたいと願う。シリアは既に勝利したと信じたいと願う。

 だが私はまだイドリブがあるのを知っている、トルコと欧米の軍隊により占領された同じような地域がある。それはまだ終わっていない。テロリストは完全には打ち破れていない。欧米がミサイルを発射するだろう。イスラエルはシリアを残忍に扱うために空軍を送るだろう。マスコミは、欧米と湾岸諸国から、メディア戦争を戦い、人々を扇動し、シリア国民の特定の部分を混乱させ続けるだろう。

 それでもホムスをさる際、店やブティックさえ瓦礫の真ん中で開いているのを見る。若干の人々が、その強さを、過去を背後に忘れ去り、もう一度普通の生活を送る意志の強さを示すため、再び優雅に着飾っている。

*

 ダマスカスに戻ると、高速道路は完ぺきな状態にあり、同じく、ハッシアの工業地帯は再生され、拡大されている。イランに支援された巨大発電所があると言われた。戦争にもかかわらず、シリアはまだ隣接するレバノンに電気を供給している。

 ヤメンは120km/hで運転し、スピード違反監視所らしきものにおびえた途端、狙撃兵の代わりに、我々が国の状況は劇的に良くなっているのが分かると冗談を言う。

 ロシアの軍用車列がサービスエリアに駐車している。兵士たちがコーヒーを飲んでいる。恐れがない。シリア人は彼らが自国民であるかのように対応している。

 私は、砂漠で、実に壮観な日没を見る。

 それから、もう一度、我々はハラスタを通過する。今回は夜。

 悪態を付きたい。私はそうしない。悪態を付くのはあまりに容易だ。私は早くコンピュータに触る必要がある。私は書いて、働かなければならない。できだけ多く。

*

 シリアでくつろぐのは容易だ。多分ロシア語が私の母国語だから、あるいは、多分人々は、私がここで、常に彼らの国の味方をしたのを知っているから。

 若干の官僚的な妨害は、速やかに解決された。

 私は退任する文部大臣で小説家のハズワン・アル・ワズ博士に会った。我々は彼の『愛と戦争』という彼の最新作について話した。彼は私が革命家小説家として、常に何を知っていたか確認した:

  「戦争中は、すべてが政治的だ、愛さえも。」

 そして、私が決して忘れないであろう言葉。

  「私の文部省は、実際、国防省だった」。

 昨夜ダマスカスで、早朝まで古い都市を歩いた。ある時点で、私は、そのすぐ後ろにサラディンの壮大な廟がある、壮観なウマイヤド・モスク近くに到着した。

 私は入れなかった。深夜の時間、錠がかかっていた。だが私は門の鉄棒を通して容易にそれを見ることができた。

 欧米侵略者、十字軍の巨大な軍と戦い、ほとんど全ての戦闘に勝ったこの勇敢な司令官、指導者は、ダマスカスに、平和と最終の眠りの地を見いだしている。

 私はこの古代の国際主義者に賛辞を捧げ、真夜中、近くの店の濃いコーヒーで思いをめぐらせた。「シリアの国が、外国の野蛮人の大群に対して戦ったこの最近の叙事詩的戦いに、サラディンは参加していたのだろうか?」

 多分彼の魂は参加したのだ。というより、いくつかの戦いがおこなわれた際、彼の名を口にして勝利した可能性が高い。

 「私は帰ってくる」と真夜中数分過ぎ、ホテルに向かって歩きながら口に出した。毛がふさふさした2匹の大きな猫が最初の角までついてきた。「私はもうすぐ帰ってくる」。

 シリアは立っている。それは本当に重要なことだ。シリアは決して屈伏しなかった。シリアは決してそうするまい。我々はシリア陥落を可能にするまい。

 そして、くたばれ帝国主義!

 Andre Vltchekは哲学者、小説家、映画製作者で調査ジャーナリスト。Vltchek’s World in Word and Imagesの創作者で、Revolutionary Optimism, Western Nihilismを含め多くの本の作家。「New Eastern Outlook」というオンライン誌独占記事。

記事原文のurl:https://journal-neo.org/2018/12/11/in-syria-the-entire-nation-mobilized-and-won/

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 選挙のたびに憂鬱になると何度も書いているが、今やニュースのたびに憂鬱になるほど露骨な植民地状態。

 今日の日刊IWJガイドでは並んで書かれている。辺野古沿岸部で土砂投入、日本郵政、米アフラックに3000億円出資。ゆうつの余り、下手な翻訳を続ける気力、なえつつある。

<ニュース・フラッシュ>
┠―【1】沖縄県民が猛反発する中、政府は辺野古沿岸部でついに土砂投入強行! 民意無視に埋め立て強行で、辺野古の海は原状回復が困難に!?
┠―【2】「日本が植民地であることが、否応無く、目前で展開されている!少しは怒れよ、日本人!」~ 日本郵政、米アフラックに3000億円出資へ

 フランスでは、理不尽なネオリベ政策連続に、国民が反乱を起こした。同じような政治に対する対応の差異、自尊心ある国民と、羊のような属国住民の違いなのだろうか。

 加藤周一 青春と戦争『青春ノート』を読むが刊行された。.没後に発見されたノートをもとに、NHKのETV特集で番組になっていた話題の書籍化。ノートには、真珠湾攻撃の日の記述もある。加藤の留学先はフランスだった。1968年、ザルツブルグ旅行中に、プラハ侵攻を知り『言葉と戦車』を書いた。当時、プラハの地下放送は、独立を訴えていた。東京は、戦車を投入せずとも良い完全属国状態。独立を訴える地下放送はほとんど聞こえない。

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コメント

いつも素晴らしい記事のご紹介ありがとうございます。
本当に助かっています。
個人的には、アンドレ・ヴルチェクが一番好みです。好みで情報を判断するわけではありませんが。

『 青春ノート抄録』が人文書院から刊行予定だそうです。
『加藤周一はいかにして加藤周一になったか 羊の歌を読み直す』鷲巣力著、岩波書店は既にお読みでしょうか?

ご紹介有難うございます。早速,注文いたしました。
加藤周一 青春と戦争『青春ノート』を読む

お礼かたがた取り急ぎご連絡まで。

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