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2018年11月25日 (日)

退役軍人の「軍務」に、なぜ感謝するのだろう?

2018年11月15日
Saker

[この記事はUnz Reviewのために書かれた

 文脈により、小さな言葉「なぜか」はまったく無害であり得るが、人が口に出すことができる最も破壊的な冒涜的な言葉にさえなり得る。それが、おそらく私が本当にこの言葉が好きな理由だ。あらゆる種類の神聖な物や、疑念を抱かれない信念に対し、途方もなく大きい力を解き放てる力だ。それで今日私は皆様に、なぜ非常に多くの人々が、退役軍人の「軍務」に対し感謝する必要を感じているのか問いたいと思う。

 だが最初に、少数の神話に疑いをさしはさもう。

 最初に、第一番の神話を片づけることから始めよう。アメリカ人は戦争が好きではないという考えだ。それはまったくの偽りだ。アメリカ人は戦争で負けるのは嫌いだが、もし勝てるなら、アメリカ人は絶対に戦争を愛する。言い換えれば、戦争に対するアメリカ人の典型的反応は戦争の認知される結果に依存する。もし成功なら(たとえそれがデザート・ストームのような朝飯前のものであっても)アメリカ人は戦争が大好きだ。もしそれが否認可能な敗北(例えば、コソボのセルビア勢力に対するアメリカ/NATO航空作戦や、グレナダ侵攻)なら単に「忘れ去る」。もしそれがそれから否定し難い敗北(例えば、イラクやアフガニスタン)なら、そう実際大半のアメリカ人は断固反対するだろう。

外国での戦争の退役軍人?
ちょっと待って欲しい。
他の種類の退役軍人がいた
のを私は知らない!

 

 次に二番目の神話だ。アメリカ軍人は、少なくとも第二次世界大戦以来、アメリカ合衆国を防衛する戦争は行っていないのが真実だ(しかも、アメリカは、日本が戦争をしかけるよう強い、真珠湾攻撃は対日本攻撃の口実として仕組まれたものだったのを考慮すれば、これすら非常に議論の余地がある)。1945年以来、アメリカ兵が、侵略者から、自分の国、自分の町、自分の家族、自分の友人たちを守った例は一件もなかった。一件も! 1945年以降、アメリカが戦った全ての戦争は、侵略戦争、えり抜きの戦争で、その大部分が(多数の破壊的秘密活動を含め)開始は完全に違法だった。アメリカ退役軍人は、せいぜい、いわゆる「アメリカ風生活様式」を守ったと主張することができるが、その「アメリカ風生活様式」は、帝国主義侵略戦争と、国際法の重要概念の全面的放棄を必要とし、要求することを受け入れる場合に限られる。

 最後に、皆が知っていながら、何らかの理由で、極めて少数しかあえて言及しない醜い汚い小さい秘密がある。(全員志願兵の)米軍に入隊する決断は、主に経済的理由で、決して何か母国のための純粋で高尚な理想の、高潔な「軍務」ではない。9/11事件後、アメリカは既に攻撃されていて、アメリカを攻撃した連中との戦いを手伝う必要があると考えて、米軍に入隊した人々がいたのを私は知っている。だが、ごく基本的な知性があれば、9/11事件が本当にビンラーディンとアルカイダの仕業だったのかどうか、ほとんど明らかなはずだ(絶対にこれは制御倒壊だったと私は個人的に確信している)この残虐行為は、9/11事件に、ほとんど関係ない可能性がある、これまで持っていたが実行できなかった戦争の長いリストを正当化するため、米国政府により利用されたのだ。結局(一般にハイジャック犯と推定される連中の大半がサウジアラビア人で、公式にサウジアラビアに支援されていたのに)アメリカは、サウジアラビア王国でなく(9/11事件に何も関係がなかったのが明白な)イラクを攻撃することに決めたのだ。その上、たとえ若干の人々が嘘を見破るほど十分頭が良くなかったとしても、たとえ彼らがアメリカを守るため米軍に入ったと信じたとしても、2018年までには、イラクに対する全ての攻撃が、純粋に全く嘘に基づいたものだったことを知っている我々は、特定さえできない「利益」のため、愚かにも戦争を行ったことに対し、退役軍人になぜ「感謝する」のだろう? 一体いつから我々は、間違った、率直に言って不道徳な決定をしたことに対し、人々に感謝するのだろう?!

戦争のための大企業ピザチェーン

 

 もう一つ基本的なことを見よう。兵役とは一体何だろう? 私の考えでは、軍事要員は、およそ二つの範疇に分けられる。実際に人を殺す人々と、人を殺す人々が人を殺すのを手伝う人々だ。正しいだろうか? もしあなたが機関銃手や戦車運転手なら、あなたは個人的に人を殺すことが可能だ。もしあなたが通信専門家やトラック運転手や電気技師なら、あなたは自身は人を殺すことはできないが、人々を殺す人たちが人々を殺すのをより容易にするのが仕事だ。それで私は、どんな軍であれ、軍に入隊するのは、その主目的が人々を殺すことである組織に加わるすることだと言って公正だと思う。もちろん、その殺害は道徳的に正当なもの、例えば自国と同胞市民の防衛であり得る。だが防御的戦争のために準備するなら、それはあてはまるが、我々すべてが知っているように、アメリカは、これまで70年以上、そのような戦争をしていない。つまり、益々まれになりつつある少数の例外(第二次世界大戦の退役軍人)を除いて、その軍務に対して感謝されるすべての退役軍人は正確には何をしたのだろう? もしそれを平易な英語で表現すれば、これらすべての退役軍人は、一体どんな基本的な重要な決断をしたのだろう?

 単純なそして平易な英語で言えば、退役軍人は、金をもらって、アメリカ外部の人々の殺人に参加した人々なのだ。

 申し訳ないことに、私はこれが多くの人々には、無礼に聞こえるのを知っているが、これは事実だ。この決定(主要目的が、アメリカから何百も何千マイルや離れた自国にいる人々の殺人である組織への加入)が(史上最も嘘をついている宣伝機関である可能性が高いものを信じた人々)、あるいは「世界を見て」「本物の男になる」に「愛国的」理由であっても、もし米軍が無給で、福利を提供せず、奨学金無しで、医療保険がなければ、「服務」のために入隊したと主張する人たちの圧倒的多数は、決して入隊しなかっただろうという事実は変わらない。我々全員そのことを知っているのだから、そうでないふりをするのはやめよう! 新兵募集係が人々に入隊するよう説得するために使う主張を見よう。それすべて金と福利だ! もっと多くの証拠が必要だろうか? 米軍の大部分を構成している社会集団を見てみよう。無学で、貧しい、成功の見通しが最小の人々だ。経済的に成功した人々が入隊するのは非常に稀で、彼らがそうする場合、彼らは通常、そこを出世の場にするというのが単純な真実だ。

 合計21年間アメリカに今まで住んでいたものとして、私は人々が警官や刑務官になるのと全く同じ理由で、軍に入隊すると証言できる。なぜなら、それらすべてに得られる金と享受すべき福利があるのだから。本質的に、1%かそれ以下は純粋に高尚で高貴な理想のため、これらの(いずれも暴力的な)仕事についたに違いない。けれども彼らは、ごくごくわずかな少数派だろう。警官や刑務官や兵士の圧倒的多数は、主に物質的、そして/あるいは経済上の理由で就職したのだ。

 ところで、そういうことなので、(警官や刑務官と全く同様)軍人が既に小切手という形で彼らの「軍務」に対し、社会から彼 / 彼女への「感謝」を受け取ったことは同じく事実ではないか? 人々はなぜ更に「彼らの軍務に対し彼らに感謝する」必要を感じるのだろう? 我々は彼らの服務に対し航空管制官や伐採労働者(同じく非常に厳しい職業だ)に感謝はしなだろう? これは航空管制官や伐採労働者が、兵士たちが(そのために)支払われる、自分の家(個人の家であれ、国家のものであれ)にいる人々を殺すことが主要目的である組織に加入することに決めなかったという事実にもかかわらずだ。

 自明の理を、より直接な形で繰り返させて頂きたい。退役軍人は金で雇われた殺人者なのだ。以上、終わりだ。後は全て宣伝だ。

 標準的な正気の世界で、人はこれが主に道義的、倫理的な問題と思うだろう。私は崇高なものだとさえ言いたい。主要宗教は、これについて言うべき何か適切で明確化させる言い分が何かあるだろうか? 過去、彼らは言っていた。実際、若干の多少の変種と共に、「正戦論」と呼ばれるものの原則は、少なくともトマス・アキナスと、ヒッポのアウグスティヌス以来、西洋で知られている。ある情報源によれば、それはこうだ。

    • 正しい戦争は、最後の手段としてのみ行うことが可能だ。軍事力行使が正当化される前に、全ての非暴力の選択肢が使い尽くされていなければならない。
    • 戦争が正当な権利を保持する機関によって行われる場合に限る。大義であっても、社会や部外者によって合法的とみなされる容認された当局を構成しない個人や集団によってとられる行動によることはできない。
    • 正しい戦争は、人々が苦難している誤りを直すためにのみ行うことができる。例えば、武力攻撃に対する護身は常に正当な目的であると考えられる(大義の判断は十分ではないが、第4項を参照)。さらに、正しい戦争は、「正しい」意図でのみ行われ得る。唯一許される正しい戦争の目的は傷を軽減することだ。
    • 戦争は、成功する合理的機会があって戦われる場合のみ正当だ。絶望的な原因で引き起こされた死や傷害は、道徳的に正当化されない。
    • 正しい戦争の究極目標は平和の再確立だ。更に特定すれば、戦争が行われなかった場合、あったであろう平和より、戦後の平和の方が望ましいものでなければならない。
    • 戦争で使われる暴力は受ける負傷に比例しなければならない。国家は受けた負傷に対処するという限定された目的を達成するために必要ではない力の行使を禁じられる。
    • 戦争で使われる武器は戦闘員と非戦闘員を区別しなくてはならない。一般人は決して許される戦争の目標ではなく、一般人を殺すのを避ける全ての努力が払われなければならない。軍事目標に対する故意の攻撃の避けられない被害者である場合に限り、一般人の死は正当化される。

 

戦争のための近代宗教

(この魅力的な話題の一層徹底的な議論については、この記事をお読み願いたい。)

 ヒッポのアウグスティヌスと、トマス・アキナスは、到底私の英雄ではないが、彼らは欧米の哲学的思考では、非常に権威的と考えらている。それでも、範疇のこのリストと照らし合わせると、アメリカによって戦われたすべての戦争は明らかに、まったく不当だ。戦争の全てがいくつかの範疇に失格で、戦争(イラクとアフガニスタンに対する攻撃を含め)の大部分が全ての範疇で失格だ!

 けれども明らかに不公平な戦争を非難する権威的な欧米の思想家を見いだすために何世紀も遥かにさかのぼる必要はない。国際法下の究極の犯罪が、大量虐殺あるいは人類に対する犯罪ではないことをあなたは御存じだったろうか?

ロバート・H・ジャクソン

 

 いや、国際法下での最高の犯罪は侵略犯罪だ。ニュルンベルグの主任検事で、連邦最高裁判所判事、ロバート・H・ジャクソンの言葉では、侵略の犯罪は、あらゆる他の戦争犯罪の「悪をそれ自身の中に含む」から最高の犯罪なのだ。彼はこう書いた。「侵略戦争を始めることは、従って単に国際犯罪であるだけではない。他の戦争犯罪と違い、それ自身の中に蓄積された全ての悪を含むという点で唯一異なる最高の国際犯罪だ。

 

 それで4世紀から20世紀までは、欧米の人々は常に正しい戦争が何か知っていて、彼らは国際法の下で、このような戦争を始めるのは最高に悪い犯罪であるのを理解していた。だがこれは単なる大規模戦争を越える。国際法の下で「侵略」犯罪は単なる全面的な軍事攻撃を意味しない。侵略は下記のいずれか一つの行為として定義することができる

    • 他国に対する宣戦布告。
    • 宣戦布告の有無にかかわらず、他国領域への自国軍隊による侵略。
    • 宣戦布告の有無にかかわらず、他国の領土、船あるいは航空機に対する自国陸軍や海軍や空軍による攻撃。
    • 他国の海岸あるいは港の海上封鎖。
    • 他国領土を侵略した地域内で組織された武装部隊への支援提供、あるいは、侵略された国の要求にもかかわらず、その国の領土内で、それら部隊から、あらゆるる支援や、保護を奪うため、行うことが可能なあらゆる措置を講じるのを拒否すること。

 最終的に、これら正式な法律上の定義により、全てのアメリカ大統領が国際法の下で戦争犯罪人であることをここで指摘することは重要だ! これは更に(上記のヒッポのアウグスティヌスとトマス・アキナスに言及されているように)1945年からアメリカ兵によって行われたすべての戦争が本当に正当な当局によって行われたのかどうかという疑問を提起する。最高司令官自身が戦争犯罪人である場合それはどうなるのだろう?

 これまでのところを要約しよう。主に経済上の理由で、殺人者(あるいは殺人者のアシスタント)になることに同意し、最高司令官が戦争犯罪人である、違法で不道徳な侵略戦争に参加する人々がアメリカにいるのだ。

 そして彼らは本当に、我々の感謝に値するのだろうか?!

 実に多くの退役軍人が傷つき、体を不自由にされ、トラウマになるショックを与えられたためだろうか? 彼らが軍隊を去るや否や、必要とする社会的、医療支援を受けいれないからだろうか? ただ単に戦争が酷いという理由からだろうか? あるいは退役軍人が嘘をつかれ、だまされた、あるいは、彼らの一部(多く?)が彼ら周囲の戦争の恐ろしさにもかかわらず、人間的な、高潔な、まともな人のままでいようとしたからだろうか? 退役軍人の恐ろしい失業、ホームレスや自殺の数について考えると、我々は、これらの人々が、嘘をつかれ、だまされ、役に立たない道具のように捨てられた人々だと感じざるを得ない。だから「軍務をありがとう」と言うのは正しいことなのだろうか?

ロバート・H・ジャクソン

 いや! これらはすべての退役軍人に対し、深い思いやりと同情を感じる素晴らしい理由だ。しかし感謝ではない。ここには巨大な相違がある。全ての人、全ての人間は深い思いやりと同情に値すると私は信じている。だが「私はあなたに深い思いやりを感じる」と言うことと「あなたがしてくれたことに感謝します」と言うのは、彼らの行動が道義的、倫理的に良いものだったのを意味するのだから全く別のことだ。それは完全に間違っている。

 

 

 スメドレイ・バトラー少将はこう書いて、最もうまく言い表した。

戦争はいかがわしい商売だ。常にそうだった。それは多分最も古く、最も容易に利益があがり、確実に最も邪悪だ。それは唯一国際的な範囲のものだ。それは利益をドルで、損失を命で計算する唯一のものだ。いかがわしい商売は、大多数の人々には、そうとは見えないものだという表現が最適だと私は思う。ただ「内部の」小さな集団だけが、それが実際何なのかを知っている。それは、非常に多くの人々を犠牲にし、ほんの少数の利益のために行われる。ごく少数の人々が戦争で莫大な富を作る。

 もし、戦争が本当に「いかがわしい商売」で、それが「ごく少数の利益のために」行われることに我々が同意するなら、これら「ごく少数の」連中を豊かにするために雇った人たちに「ごく少数の」連中に感謝を表現するのは意味がある。そして、実際、彼らは感謝するのだ。ここにそれの最も良い例がある。

戦争株式会社(まあ、それは少なくとも意味は
なしている!)

 もちろん、グーグルは他のあらゆるアメリカ企業と同様、侵略戦争に依存している。米国経済の本質は、まさに戦争に基づいており、常に戦争に基づいていた。しかし侵略戦争がない「アメリカ風生活様式」は過去に一度も試みられたことがなく、アメリカがアングロシオニスト帝国の基礎で、それが追求する世界覇権を他の人類に押し付け続ける限り、それが試みられることはあるまい。だが、その日が来るまで「アメリカ風生活様式」は常に侵略戦争と、自由に生き、帝国の奴隷ではないことを望んだことだけが「罪」である無辜の人々の大量殺人を意味し続けるだろう。もし自由で、本当に主権を持った国家に暮らすことを望む人たちが、殺され、体を不自由にされるのに値すると、あなたが信じるのであれば、退役軍人に心の底から感謝しよう!

 けれど、もしあなたがこれを信じないのなら、彼らには、彼らの犯罪に対する感謝でなく、思いやりを示そう。

Saker

記事原文のurl:https://thesaker.is/thanking-vets-for-their-service-why/

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 この記事は、前回の記事『今出現しつつある世界秩序』で言及されている。

 貴景勝優勝。

 強引な辺野古基地建設をみていても、警察にも海保にも軍にも感謝はできない。

 自動車は買わない人もいる。なくても生きられる人がいる。水を飲まないで生きられる人間は皆無。外国人労働者の生活にまつわる様々なコストは、雇用する企業ではなく、自治体、庶民が負担する。消費税は大企業と金持ちを減税する分、庶民から搾取する仕組み。

 それでも、大本営広報部は、ゴーン問題を語り、外国人入管法改悪や、水道民営化や、消費税反対について、ほとんど語らない。マスコミほぼ全て、政府広報部そのもの。

 植草一秀の『知られざる真実』11月25日 (日)
NHKによる消費税増税推進政府広報番組

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