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2018年8月 2日 (木)

アメリカがロシアを侵略した頃

2018年7月18日
Jeff KLEIN
Consorciumnews.com

 ヘルシンキでのトランプ-プーチン・サミットを巡る超党派の熱狂の中、アメリカ合州国での興奮した反ロシア言説が、最近まで、あり得ないと思われていたことを、あり得ることに変えている。ロシアとアメリカの間の危険な緊張は軍事衝突になりかねない。それは以前起きたことがある。

 1959年9月、冷戦中の短い雪解け時、ニキータ・フルシチョフが有名になったアメリカ合州国訪問をした。ロサンゼルスで、ソ連指導者がハリウッドの20世紀フォックス・スタジオでの昼食会に招待され、長く、とりとめのないやりとりの中で彼はこう言った。

    “我々はアメリカに、それまで決して戦争をしかけたことが無かったのだから、あなた方のロシアへの武力介入は二国間の関係で起きたことの中でも最も不快なことだ。わが軍はアメリカ領土に脚を踏み入れたことがないのに、あなた方の軍隊はソ連領土に踏み込んだのだ。”

 フルシチョフによるこうした発言にアメリカ・マスコミは当時ほとんど触れなかった - 特に、広く報じられたディズニーランド訪問を許可されないことについての苦情と対照的に。しかし、たとえアメリカ人がフルシチョフ発言を読んでも、ソ連首相が一体何のことを言っているのか、ごく少数の人々にしか分からなかった可能性が高い。

 しかし、ソ連 - 現在のロシアで - 記憶はずっと強く残っている。ナポレオンからナチスに至るまで、外国による侵略の痛手は、1959年、ロシア国民の意識の中では、まだ記憶に新しかったのだ  - 現代のロシアにおいても - 大半のアメリカ人には想像もできない形で。それが何よりも、ドイツ統一の交渉中、そうしないとアメリカが約束したにもかかわらず、1990年代、NATOがロシア国境まで拡張したことに対して、ロシア人がなぜあれほどひどく憤激した理由なのだ。

 フルシチョフが言及したアメリカ侵略は、一世紀前、10月革命後、それに続いたボリシェビキと反ボリシェビキ勢力間、赤軍対白系ロシア人の内戦中に起きた。ドイツとオーストリアが西部と南部ロシアの一部を占領し、連合国は1918年、ロシア北部と極東で軍事介入を開始した。

 イギリス、フランス、イタリア、日本とアメリカを含む連合国は、軍隊をロシアに派兵する様々な正当化を言い立てた。中央同盟国に対して戦うよう採用されていたチェコ軍団を“救出”するため。連合国の軍事備蓄を守り、ドイツの手中に落ちないようにすること。シベリア横断鉄道経由の通信確保。戦争の東部戦線再開。しかし本当の狙いは、当初は、公的にはまれにしか認められていなかったが、10月の出来事を逆転させ、より“受け入れやすい”ロシア政権を据えることだった。ウィンストン・チャーチルが後に言った通り 、狙いは“ボリシェビキの幼児をゆりかごの中で絞め殺す”ことだった。

シベリアに加え、アメリカは、イギリスとフランスの軍隊がロシア北部のアルハンゲリスクを、1918年9月4日に侵略するのに参加した。

 1918年7月、アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領本人がタイプしたロシアにおけるアメリカの軍事行動に関する“覚書”が、8月始め、陸軍長官から、シベリアへと向かっていたアメリカ軍司令官ウィリアム・グレイブス将軍に手渡された。ウィルソンの文書は奇妙に曖昧で矛盾している。ロシア内政に対する外国の干渉は“容認できない”という主張で始まり、最終的に、アメリカ軍のシベリア派兵は“軍事干渉”とは見なさないと結論付けていた。

 非干渉の干渉

 だがアメリカ介入は、1918年8月16日、アメリカ兵がウラジオストックに上陸して始まった。これは第27連隊と第31歩兵連隊で、アメリカが占領するフィリピン鎮定に関与していた正規軍部隊だ。最終的には、シベリアに約8,000人のアメリカ軍兵士が派兵された。

 彼の回想録から判断すると、グレイブス将軍は、彼に対する曖昧な指示が示唆していることと、シベリア現地の現状がいかに異なっているかに当惑した。一つには、チェコ軍は救出を必要としていなかった。1918年の夏までに、彼らは易々とウラジオストックと、千マイルのシベリア横断鉄道を支配した。

 その後一年半、どこから見ても誠実で非政治的な専門軍人のグレイブス将軍はシベリアにおける彼の義務を理解し、遂行すべく奮闘した。彼はウィルソン覚書が、ロシア内政への非干渉を厳格に命じているという文字通りの解釈に頑固に執着し、アメリカ国務省や同僚の連合国司令官たちをいらだたせたように見える。将軍はそれで他の誰もが、こうした指示を理解する“目配せ”を理解できなかったようだ。

 グレイブスはシベリアを支配しようと戦っている様々なロシア人派閥の中で“中立性”を維持し、鉄道の防衛と連合国の軍用品保護という自分の任務に集中するよう努力した。しかし彼は“赤軍”のものと同様、“白軍”の残虐行為も報告し、日本が支援する東シベリアの様々な軍閥に対する嫌悪をあらわし、後に、反ボリシェビキ勢力の現地住民による支持の低さや無能さや見通しの暗さを懐疑的(で正しく)評価をするほど分別があった。

 彼にとって面倒なのは、ばかげたことに、彼の回想録刊行も一因となった非難で、将軍はボリシェビキ同調者かも知れないとほのめかされたのだ。

 ロシア内の“適切な”人々をもっと積極的に支援するようという国務省幹部や他の連合国の司令官たちによるいじめにあい、グレイブスは、ワシントンの上司たちに、彼に対する元々の政治的非干渉という指示が変更されるのかどうか、再三問い合わせた。もちろん、いかなる異なる政策を書面にしようとする者は皆無で、将軍は“中立性”を維持するべく苦闘した。

 しかしながら、1919年春・夏、西シベリアの都市オムスクを拠点とする“最高執政官”アレクサンドル・コルチャーク中将の白軍政権に対する公然の軍事支援で、他の連合国とともにアメリカも加わった。当初これは、赤十字により個別に行われていたが、後にライフル銃の有蓋車を含めその安全な配送をグレイブスが監督するよう指示された軍用品の直接出荷という形になった。

 内政干渉

 しかし、コルチャークが勝利する見込みは間もなく薄れ、シベリア白軍には勝ち目がないことが明らかになった。1919年末、アメリカ軍撤退の決定がなされ、グレイブス将軍と最後の幕僚が、1920年4月1日にウラジオストックを去った。

 結局ロシア侵略中、174人のアメリカ兵が死亡した。(ソ連は1922年12月28日に成立した。)

 興味深いことに、シベリアからのアメリカ軍撤退するようにという圧力は、うんざりした兵士たちや、ヨーロッパでの戦争が終わった後も延々と軍隊の海外派兵継続をすることに反対の銃後の世論から来た。ロシアへの干渉にかかわる議会討論で、ある上院議員が、彼らを帰国させるという主張を裏付けるためアメリカ兵士の手紙の抜粋を読み上げたことは注目に値する。

 そして、後のアメリカの外国干渉と同様、自分たちが解放するはずの人々に対する兵士の評価は低かった。1919年7月28日、バイカル湖南岸のヴェルフネウジンスク、現在のウラン・ウデの基地から彼らの一人が国に手紙を書いていた。


ロシア侵略中のアメリカ兵士の手紙

 “シベリアでの暮らしは、ワクワクするように聞こえるかも知れないが、そうではない。数カ月なら良いが、今はもう家に帰りたい...  ここの人々を私がどう思うか知りたいだろう? 教えてあげよう。彼らは到底人とは呼べず、ある種の獣だ。連中は私が見た中で一番無知だ。そう、彼らが話す際、腹を立てていなければ、彼らの言葉はわかる。連中は腹を立てると、連中の言葉をペラペラしゃべる。この連中の野望は一つしかなく、となりのやつより余計ウォッカを飲むことだ。”

 国務省や一部のエリートの意見を除いて、アメリカの干渉は決して好評ではなかった。今ではある歴史学者が書いている通り“米軍歩兵ロシアに派兵されたのには多くの理由があったかも知れないが、なぜ駐留したかの理由はただ一つだ。一体誰がこの国を統治するか見ようとして内戦に干渉した。”ことが良く知られている。

 1920年以後、グレイブス将軍が“シベリアでのアメリカの危険な冒険”と呼んだものの記憶は、すぐに世間から忘れ去られた。アメリカ国民は歴史的健忘症で悪名が高く、似たような危険な軍事的冒険が、以来何年にもわたり、何度となく繰り返されている。

 我々は世代毎に、軍事介入の危険さと、グレイブス将軍が主張した単純な真実を気付かされることが必要かも知れないように思える。

    “あれやこれやの派閥を権力の座につける狙いで、外国人が自分の国に軍隊を派兵するのを不快に思わない国は地球上に存在しない。その結果、介入をした外国の威信が傷つくだけでなく、外国人が支援しようとした派閥にとっても大きな不利になる。”

 グレイブス将軍は、1918年のシベリアについて書いているが、1960年代のベトナムや、現在のアフガニスタンやシリアにも当てはまる。あるいは現在のロシア国境に配備された約30,000人のNATO軍兵士に対する警告にもなる。

 Jeff Kleinは、引退した元労働組合委員長で、国際問題、特に中東について良く書いている。葉書と兵士の手紙は彼の個人的コレクション。

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記事原文のurl:https://consortiumnews.com/2018/07/18/when-the-u-s-invaded-russia/

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 ソ連建国の日は、数日違うのでは? ともあれ、

将来、宗主国の指示で世界中に派兵される無数の兵士に対する警告にもなる。

 『花へんろ』という番組、全く知らなかった。主人公だっか桃井さんが早坂堯の足跡を訪ねる番組を見た。その後、30分、総集編を見た。彼の最後の作品『花へんろ 特別編 「春子の人形」』は8月4日放送。お遍路さんが置いていった子供を妹として育てていたが、たまたま広島に出かけて原爆に会い行方不明になった実話が元。
 『蛍の墓』や『父と暮らす』を思い出す。『父と暮らす』、劇場で芝居を見る気力が出ない。というより無理。素晴らしい作品なのだが。

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