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2018年6月 1日 (金)

戦争を知らない国民:戦没将兵追悼記念日を祝うアメリカ

Philip M. GIRALDI
2018年5月31日

 水曜日、5月30日は、アメリカ合州国では、戦没将兵追悼記念日だ。追悼はアメリカ南北戦争後間もなく、1868年に始まり、いくつかのコミュニティーの同郷人たちが、5月の最終月曜日に、戦死者のお墓に集まり、花を捧げた。慣習は北部の州で始まったが、間もなく南部にも広がり、毎年の追悼式は間もなく、デコレーション・デーと呼ばれるようになった。21世紀に、戦争が増えて、追悼は、結局南北戦争との結びつきを失い、益々、全国的に戦没将兵追悼記念日と呼ばれるようになり、最終的に連邦の祭日となった。

 アメリカ南北戦争では、655,000人の兵士が亡くなったが、それ以前と以降、全てのアメリカの戦争を合計したより多い。鉄道と蒸気船に依存したという点で、初めての近代戦争だった。北軍は南部の抵抗意欲を削ぐため、生活を破壊し、意図的に一般市民を飢えさせた。アメリカ本土で戦われ、アメリカ人が直接体験した戦争だったのだ。

 現在、戦没将兵追悼記念日は、亡くなった兵士とのつながりをほとんど失い、夏の娯楽最初の日として見なされて有名になっている。海開きになり、水難救助員が現れ、バーベキューの肉の香りが空中に漂う。第二次世界大戦兵役経験者の数は減り、韓国とベトナムは死者を偲ぼうと懸命だが、徴集によらない軍隊から益々縁遠くなっている大衆の関心は極めて薄い。

 150年前に戦われた、計り知れない影響があった戦争に思いをはせる祭日、死者に敬意を払い、生きている人々に戦争の現実を警告する死の警告が、今や、アメリカ合州国政府が、アジアや、おそらくはヨーロッパにおいても新たな軍事構想をあからさまに考えている中、海岸へと向かう道路のでこぼこに過ぎなくなっているのは、一種の皮肉だ。

 国家間の戦争をすっかり忘れ、二つの広大な大洋で守られているアメリカ人は、戦争の恐ろしい現実が全く分かっていないというのが真実だ。もし敵が本土攻撃能力を開発するようなことがあれば一体どういうことになるのか全く理解せずに、アメリカ人は足並み揃えて戦争中毒になっている。大半のアメリカ人にとって、戦争はビデオ・ゲームと大差ない、毎晩ニュース断片で目にするものに過ぎない。一種特異な文化的無知で、遥か遠くの場所の外国の人々が関係する出来事で、真剣に受け止めるべきものではないのだ。だが戦争の破壊を余りに多く直接経験しているアメリカ以外の国々は見方が全く異なっている。

 過去三週間、今のアメリカの二つの敵、イランとロシアを含め、私はアジアやヨーロッパを旅していた。73年前に終わった第二次世界大戦は、廃墟と打ち砕かれた生活から、今でも歴然としている。ロシアのサンクトペテルブルクは、ドイツによって破壊され、焼かれた宮殿を、いまだにrestoring。ドイツでは、歴史的な中世ハンザ同盟の港ロストクは 80%がアメリカとイギリスの爆撃機で瓦礫と化した。都市が焼かれ、8000万人の兵士と一般市民が亡くなった戦争だったのだが、アメリカ人は、そのわずか0.5パーセントだった。ロシアだけで、2700万人が亡くなった。主要交戦国中、戦闘と無縁だったのは、アメリカ合州国本土だけだった。

 イランも、そこでワシントンがバグダッドを支持した1980年-88年のイラン-イラク戦争の傷を負っている。50万人のイラン人とイラク人が亡くなった。意図的に果てしなく続く対テロ戦争で、ごく僅かの人々しか地図で見つけることができないような場所で、8,000人のアメリカ人が命を失ったが、約400万人のイスラム教徒が、直接あるいは巻き添え被害で亡くなったと推計する向きもある。三つの外国政府が倒されたが、ワシントンは、ダマスカスをこの犠牲に加えようとしており、モスクワさえ、政権転覆の対象にされている気配もある。

 こうした全ての理由で、話し合うため私は最近旅行したが、そこでアメリカ人ではない多くの人々が“アメリカ合州国に一体何が起きたのですか?”とあからさまに問うたのだ。大半の人々が、中国やロシアやイランではなく、ワシントンこそが、平和にとって世界最大の脅威だという意見まで述べた。悲しいかな、私は同意せざるを得なかった。

 すべてのアメリカ人が、善意が結束し、狂気を終わらせるよう求めて当然だ。来年、戦没将兵追悼記念日が再び巡って来たら、戦争の死と破壊という恐怖を思い起こそう。それを念頭に、対決というあらゆる考え方は消え、交渉と妥協への要求に置き換えられるべきなのだ。そして、陸軍軍人、海軍軍人、海兵隊員と空軍軍人には、戦没将兵追悼記念日の贈り物を渡して、帰郷させよう。彼ら全員を。

記事原文のurl:https://www.strategic-culture.org/news/2018/05/31/nation-that-doesnt-know-war-america-celebrates-memorial-day.html
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属国は何十年も周回遅れで、宗主国侵略戦争派兵を本格化しようと憲法破壊を進めている。

モリカケ・日誌隠蔽ウソツキ集団隠蔽のため、大本営広報部、日大アメフトの話題ばかり。

日大内部に、支配体制正常化の動きをしておられる方々がおられるというのを拝見して、ふと考えた。大学は多数ある。ブランドが下落して、学生がへれば、大学存亡の危機にもなりかねない。アメフト団体にしても同様。他にもスポーツはあるのだ。

一方、政府、与党、官僚の中には、正常化の動きをしておられる方々皆無に見える。

大学や、アメフトと違い、国は一つしかない。競争相手皆無だ。大本営広報で洗脳しておけば済む。大昔酒を飲みながら、政府を批判する発言をすると、同席していた高級官僚が突然「それなら、日本から出て行きなさい」と言った。その元高級官僚氏とも、同席していた彼のお友達とも全く会っていない。今後も会うことはない。

25%を大本営広報で洗脳し、圧倒的多数の議席さえとれば、思うままにできる。

社民党副党首福島瑞穂氏による文章を拝読した。冒頭部分をコピーさせていただこう。

私は社会の中で人々が萎縮したり、忖度(そんたく)したりするのではなく、もっとみんなのための社会、政治を実現したいと思っている。だから、安倍政権は退陣すべきである。嘘で塗り固められた腐った政治の上には何も積み上げることはできないし、ここから未来を切り開いていくことはできないからだ。

 象徴的な例がある。今年4月から、小学生は「道徳」を検定教科書で勉強することになった。子供たちに「嘘をついてはいけません」と教えておいて、政治の世界が隠蔽(いんぺい)や改ざん、虚偽答弁の世界であったら、子供たちは大人を信用しないだろう。何てひどい世界だろうか。

小学校の頃から、「道徳」の授業は嫌いだった。今も嫌いだ。上から教え込む道徳、「奴隷の哲学」にすぎまい。

日刊IWJガイド「KAROSHIの国、日本で『高プロ制度』が衆議院本会議可決! 一方、国際社会はILO総会でハラスメントを規制する条約の成立を目指す!/加計学園渡辺良人事務局長が愛媛県に謝罪!? 立憲民主党枝野幸男代表は記者会見で『どう考えてもいいわけが嘘なのは明々白々』と批判!/経団連新会長は安倍友!『是々非々』とは言うが、働き方改革、原子力政策の先行きは?/高齢化する原発! 東海第二原発は再稼働審査に合格の見込み、川内原発は再稼働/
<本日の再配信>本日午後8時より『「メディアは権力を忖度し、司法権力は政治のために動いている」~前川喜平・前文科事務次官にロングインタビュー!第1弾(前半)』を再配信!このインタビューをテキスト化したメルマガ『岩上安身のIWJ特報!』も発行!/<新記事紹介>トランプによる唐突な米朝会談の中止発表と直後の撤回!『少々の揺さぶりでは南北平和への気持ちは崩れない』~戦争の危機と国家間の駆け引きの中で韓国の市民は何を思うのか?」2018.6.1日号~No.2087号~

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コメント

                    道徳の教科化と検閲について

 昨日しばらく音信不通だった方からメールが届いた。メールに曰く「道徳が教科となり実施されることについてどう思うか」と。唐突な質問と言えばそうだが,幸い,モリカケ・加計問題で話題になった反骨の精神の持ち主の,前川喜平氏の講演や話をYouTubeで拝聴していたので全く唐突でもない。
  教育と言えば誰もが2,3回は受ける。先輩や同級生のいじめもあれば,自殺も登校拒否もある。最近は学校へ来なくても小・中学校を卒業できるらしい。初等・中等教育局長の通知でそうなったようだ。最近の通知で有名なのが「18歳になった高校生は届出をすれば政治集会に参加できる」というもの。フランス国では高校教師が生徒にデモに参加しろ,デモに参加しろと言うらしいので,日本の高校教育もフランスに似てきたかなと感じたものだ。
 しかしフランスや宗主国には道徳なる教科がないそうだ。敗戦後,道徳は「教科化には馴染まない」とされてきた。道徳の代わりに宗教の時間がある国が多い。しかし点数を付けることはしない。「道徳科つまり教科だから点数を付けるのは当たり前だ」というのが中央教育審議会の答申であるらしい。あの今治キャンパス獣医学科を認めた,文科省の私学設置審議会同様,碌な審議会でないことは明らかだ。

  若い頃,佐藤忠男という映画評論家のお話を聞いたことがある。生徒が講堂に集められて校長の話を聞く機会は今でも多い。佐藤氏の通った旧制中学も例外ではなかったようで,校長訓話のとき校長が「天皇陛下に置かれましては・・・」と言ったとき,全員頭を下げるのが当時の常識であったらしいが,青年佐藤氏は頭を下げなかったらしく,全教師から要注意人物と評価されたらしい。
 幸い小生は生まれたころより病弱で学校を欠席することが多かったから,校長訓話や朝礼を聞くこと甚だ少なかった。故にこんな不良に育ってしまったのだが,道徳の時間が待ち遠しい教師も生徒も周りにはいなかったように思う。

  さて本題に入るが,道徳という価値の押し付けと聞いて思い出したのが故・加藤周一の『「家永訴訟」の余白に』(『夕陽妄語』Ⅵ,頁56-61)である。家永先生は国を相手取って3度訴訟を起こされ,その裁判に30年以上を費やされた。杉本一審判決は違憲だが,最高裁判決は,検定制度は合憲。教科書検定は一部違憲。
 この判決の検定制度合憲判決は加藤を説得させるものではなかったという。その他加藤は,多面的にこの訴訟と判決を論じている。理解力低い小生が紹介申し上げると誤解を生じさせるので原文に当たっていただきたい(加藤自身が証人としてこの訴訟に原告側証人として加わっていたことを知らなかった)。
  道徳に関連して加藤の考えを敷衍すれば,「・・・一般にこの国の社会と文化の中では平等の観念を再考する必要があるのではなかろうか。他人と同じ意見をもち,同じ行動をすることは,付和雷同,または集団主義の一つの表現にすぎない。平等であるべきものは,意見の内容ではなく,他人と異なる意見をもつ権利である」という。

 道徳の教科化の関連でいえば,道徳科導入によって個人の「他人と異なる意見をもつ権利」が国家によって奪われるというのである。
  前川喜平氏もそのことを講演の中で話をされていた。そして言う「下村大臣の命令で道徳科が進められた」と。あの加計学園から200万円の現金をもらいながら収支報告書に記載しなかったという政治資金規正法に違反してもその罪を問われない大臣が道徳科を強く推進したのである。これは多くの国民にとって悲劇であろう。悲劇は誰かが死なねば悲劇にならないが,一億一心,火の玉となって海外に打って出れば,日本の若者が死ぬことは明らかであるから,道徳の教科化は悲劇である。

追記: 上司下村大臣のときの初等中等教育局長は前川喜平氏だったというオチまでついた講演であったが,国定教科書が近い将来策定されるらしい。先の大戦の反省を心からしていないからまた中国や東南アジアから批判される可能性が高い。
追記2: 虚弱体質だった小生,学年進級判定会議でいつもスレスレだったばかりでなくて,旧日本軍検閲の発禁本を読みすぎたから不良になったという説が同級生にある。

追記3: 昭和27年頃であったと記憶しているが,旧文部省は「しばらくの間」,学習指導要領は文部省が定めると国会で説明していた,という。それから65年以上がたつ。名称が文部省から文科省に変わったとき,「しばらくの間」が過ぎたとして,指導要領作成を地方自治体に任せるべきではなかったのか。いわゆる地方分権の推進。それがなされてこなかったから,名古屋の中学校での前川氏の授業(講話)への「検閲」が入ったのである。自民党議員が前川氏の講話内容を文科省という権力を利用して調査しようとして大問題になったことは記憶に新しい。

追記4: そもそもの誤りは,安倍第一次内閣のときに旧教育基本法が改悪されたことに始まる。日本国憲法の理想を実現するために教基法が制定された。しかし憲法の理想が実現しないうちに教基法が改悪されたのである。そのことを指摘したのは加藤周一ただ一人であった。
2009年に政権を奪った民主党が閣議決定して改悪教基法を元の教基法に戻さなかった罪は大きい。道徳の教科化は安倍・創価学会政権及び民主党に由来するといっても過言ではない。
追記5: 検定制度は検閲に当たるのかどうか(憲法21条は一切の検閲を禁じている)。これを解決してこなかったから,教育を含む文系学部は予算削減の憂き目に遭っているのである。政治に無関心な若者だけが安倍・公明党政権を導いたのではない。
大阪地検特捜部は財務省の文書改竄を起訴すべきである。判決が無罪になろうと有罪になろうと村木厚子厚生官僚を起訴したように起訴すべきである。

追記6: 最近小生は,YouTube上である若者からコメントを頂いた;「・・・ということは全ての書き換え
は改竄であり,全ての改竄は書き換えとは限らない」ということですか。答えは「その通りです。」なぜなら,もし同じなら改竄=書き換えで罪は免れない。もし書き換えが改竄より広い概念なら,法律として不完全であるから内閣法制局の無能は明らか。そんな法律を作るはずがない。
簡単に言えば,決裁文書の一字一句でも変えれば改竄であるからどんな書き換えでも改竄になる。それは悪意があったとか善意があったとかとは関係ない。ゆえに大阪地検特捜部は「悪意」の問題にすり替えようとしている。
追記7: 中国進出は中国侵略でなければならない。終戦は敗戦を必ずしも意味しない(敗戦は負けて戦さが終わったことを示す)。南京虐殺がなかったように書けと意見書を付ける検定は検閲に相当する。国民は基本的人権を捨てて国家のために死ぬべきだという検定意見も検閲の一部である。両論併記も検閲の一種である。

 加藤周一の『「家永訴訟」の余白に』を読んで以上のような感想を抱く

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