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2018年1月 6日 (土)

戦争特派員からの新年のメッセージと警告

Andre Vltchek
2017年12月29日
New Eastern Outlook

時に、ニュース放送や新聞や‘お馴染みの’インターネット・サイトも止めてみるのは役にたつ。

世界中で暮らす人々の‘心をつかもうとして’常時競合している二つの平行する現実が実際に存在するのを、たまに自覚するのは良いことだ。本当の生活と‘偽の生活’が存在しているのだ。現実と、現実そのものより現実らしく見える巧妙に作り上げられた似非現実が存在しているのだ。本物の果物より本当らしい香りがする化学的に製造された青リンゴ・シャンプーのようなものだ。

*

時折私は、どこかのジャングルや交戦地帯、アフガニスタン、南フィリピンや、略奪されているボルネオ島の只中へと消える。一部の人々が気安く‘普通の世界’と呼ぶところに戻り、どこかの空港ラウンジで、ニュース速報に不意に出くわすと、少なくとも、ごく最初ながら非常に不快な瞬間、あらゆることが突如奇怪で、グロテスクで、全く超現実的に見えるのだ。

実際この地球に暮らす何十億の人々の本当の現実以外何物でもない、爆弾破片、汗、ちぎれた肉、血、燃えている森、汚染された水路や、他の恐ろしいものから何千キロも離れ、安楽椅子やら、マホガニーの書き物机の贅沢な快適の中で大半の主要マスコミ報道や分析が、紡ぎだされるためだ。

物事が実際一体どのように感じられ、味がし、匂うのかを思い出して私は絶望的になる。マスコミが書いている場所が私にはわからない。私は二つの違った宇宙のことを話しているのだ。そう、二つの全く逆の現実を。

*

主要マスコミ記者が現場に行く場合には、しっかり防弾チョッキ、ヘルメットをつけ、4輪駆動車(防弾のものもある)に乗り、航空機で収容する救助や他の避難手段条項がある立派な生命保険、医療保険をかけ、高給と補償制度つきだ。胸や背中には、くっきり、はっきり“報道”と明記されている。

私は一体何に不平を言っているのだろう? 生命の危険をおかす人々に補償したり、守ろうとしたりするのは悪いことだろうか?

いや、そうではない。もちろん、それは悪いことではない。

ただしここには、ちょっとした‘しかし’がある。そういうやり方では決して、本物に‘近づき過ぎる’ことはできない。道化やら、歩くマスコミ・ランボーになって、何か隠されているもの、何か重要なもの、そして何か徹底的に画期的なものを発見できるなどと期待してはならない。

自分の命を過剰に保護すれば、あらゆる行動に過剰に保険をかければ、自分と現実社会の間に、厚い壁を構築することになる。

現場に、そのような格好をして入れば、すぐに見つかり、尋問され、あらゆる種類の許可証や判子が必要になる。“私はあなた方のやり方に従う、決して波風は立てないし、私のあらゆる行動を監視してかまわない”と宣言するのも同然だ。そうして着飾って到着しておいて、パプアで虐殺を報道しようと試みるのを想像願いたい! まさに、幸運を祈るだ。公式許可は‘友好的な’主流報道機関の記者であれば、ほとんど即座に入手できる。そう、もちろん、BBCやCNNのような組織は、あらゆる必要な 証明書を簡単に提供してくれる。政府の公式武装‘護衛’さえ期待できるし、友好的な(欧米の)‘反政府集団’が提供する護衛に頼ることも可能だ。もちろん‘食べ放題’の記者会見つきだ。

ただし、人々が本当の話をしてくれる可能性はわずかになる。しかし、公式な主流新聞やテレビ局のために働いているのであれば、本物の人々から話を聞くよう気にする必要などあるだろうか? そうではあるまい。本物の人々は、とんでもないことに、ボスニアやルワンダやシリアやアフガニスタンのような場所では、‘発見’するよう命じられているものの代わりに、本当のことを言いかねない。結局、記者は、聞いて報じるためにやって来たものを聞き、文章や映像は、ほとんど確立したステレオタイプに沿うものとなる。

そうなると何を、いかにして? 一体誰にそれが出来るだろう。一体誰が、現実を描写して、実際、生き続けることができるだろう?

オリバー・ストーンが監督した素晴らしい映画『サルバドル/遥かなる日々』 (1986年)の中で、主人公の一人がこう言っていた。

“真実に出来るだけ近づかなければならない。近づき過ぎると、死ぬことになる。”

彼は亡くなったが、彼が言ったことは、その通りだ! 目には見えない想像上の境界が、空中や地上のどこかにあるのだ。決して目には見えないが、多くの交戦地帯で働いたことがあれば、それを感じることができ、それが実際命を救ってくれるのだ。大抵の場合、何度も命を救ってくれるのだが、もちろん常にというわけではない。通常、本能が発達する前に最初の試みで重大な失敗をした男女が死ぬ。私がお話していることは、教えることは出来ない。論理的もなのではないのだ。とにかく‘そこに’あるのだ。

真実に出来るだけ近寄るためには、人は素早く、断固、一定の精度で、明らかな失態をさけて行動しなければならない。

身の回りの人々が自分を信じていてくれる必要があり、自分も、誰を信じ、誰を避けるべきかをわかっていなければならない。

独力でやるか、少なくとも大半の時間、独力でやらなければならない。

こうしたことに何も保証するわけではないが、紛争、戦争を理解したいのであれば、いくつか基本的前提条件がある。

荒廃した場所での仕事は、実に感情に訴える、実に深く、時に圧倒され、時に眼鏡が曇ることもある。失敗もする。多過ぎないよう願うばかりだ。時にある話題を追っていたり、おおまかに何を見つけ出したいのかわかっていたりすると、その話題と鉢合わせになったり、話題につまずいたり、真っ正面から、容赦なく全力でぶつかってきたりする。

良いものである場合、決して単なる‘報道’ではない。それはジャーナリズムを遥かに超えるか、さもなくばたわごとだ。していることには何らかの優雅さが必要で、哲学と人道的なものや、背景やとイデオロギーや情熱もたっぷり必要だ。

こうした仕事には‘客観性’などない。客観性というのは、主流メディアが流布している幻想、おとぎ話に過ぎない。しかし、決してウソを言ってはならない。目撃し、語らねばならないことを、そう言うべきだと思う形で語り そうしながらも、読者や視聴者に、自分の立場を正確に伝える義務がある。

人間、芸術家、思想家として、常に立場をはっきりさせるべきだ。‘バリケード’のどちら側に立っているのかという自分の位置は、明快で正直でなければならない。そうでなければ、ウソつきになる。

*

苦く本質的な真実はこうだ。たとえ自分の命の危険をおかそうとも、たとえ酷く負傷したり、心理的に困憊したりしようとも、多くの感謝や支援を期待してはならない。

多くの現地の被害者たちは - 彼らを守ろうとやってきた人々は - ‘私たちの苦難や窮乏を利用して金儲けをしようとして来たんだ’と考え、実際面と向かって言いさえする。

豊かな国の読者たちは、筆者は物惜しみない資金提供を得ていると想像しがちだ。彼らは利他的な人や政府や国々など地球上に残されていないと思い込むよう仕向けられているのだ。

現実は全く違う。独立した仕事をして、ウソを繰り返したり、主流派の命令を聞くのを拒んだりして、欧米や、その同盟国や‘属国’の利益に反することをすれば、資金援助は皆無で、何の保護もなく、全く何の特典もない可能性が高い。

もちろん何百万人もの読者を得られるかも知れない。私が800ページ以上の“帝国のウソを暴く”や“欧米帝国主義と戦う”でしたように、報道を著書や映画で再利用することが可能だ。書いたものが良ければ、たとえ既成支配体制を正面から攻撃していても、なんとか本は売れる。だが‘左翼的な個人’以外の‘友好的な政府’や金持ちによる支援を決して期待してはならない。今時、周囲にエンゲルスはいない。本当に自前でするのだ。本当にそうなのだ。

あなたと、果断な仕事は、いくつかの村を救うかも知れず、もし非常に優れていれば、世界規模で名が知られるようになるかも知れない。著作や映画が戦争を止める助けになるかも知れない。だが、いかなる公的認知も、読者からの実際的支援や救いも、決して期待してはならない。2015年、特にアフリカの、いくつかのひどい戦争地域に関する映画を何本か制作し、本を書いた後、私は完全に衰弱した。数週間身動きもできなかった。もう駄目かと思った。世界の至る所で暮らす読者からは何の支援もなかった。当時、私は自分の状態を公表していた。それでも何もなかった。‘精神的支援’のわずかな手紙を頂いた。Few: “頑張れ、世界はあなたを必要としている!” 結局、文字通り私を手厚く世話し、救助し、私の健康を取り戻させ、戦列に復帰させてくれたのは、私の肉親たちだった。

これは非難ではなく、人類の存続のために戦おうとしている人々に対する単なる警告に過ぎない。“完全に自力でやるしかない。時にくずおれるのは確実だ。”

それでも、私は他に意味ある生き方を知らない。私は誰かの人生と私の人生を取り替えようとは思わない。

*

もう一つ極めて重要で意味深い情報があるので、読者の皆様と共有したいと思う。

2017年には、アフガニスタン、両国間で銃撃戦中のパキスタン-アフガニスタン国境、トルコ侵略時のユーフラテス川流域トルコ-シリア国境、戦争で破壊された南フィリピン、レバノンや、(伐採と採掘で)徹底的に荒廃したインドネシアのボルネオ島を含む幾つかの世界でも極めて危険な場所で仕事をした。

何の保護も無し、警備なし、誰も私の後ろを守らずに、アフガニスタン全国を車で走った。運転手兼通訳をしてくれた友人だけが唯一の頼りだった。時には自分でハンドルを握った。タリバンが支配する地域や、カーブルの麻薬がはびこるスラムにさえ行った。全て20年ものの、おんぼろトヨタ・コロナで。

こうした場所のどこでも、欧米の主要メディアの記者を一人も目にしなかった。一人たりとも!

マスコミのあらゆるスーパースターたちが一体どこにいるのか私は知らないが、NATO本部のどこか、あるいは少なくとも、アフガニスタンでは、唯一残った豪奢ホテル、セレナに引っ込んでいる可能性が極めて高い。南フィリピンでも同じことが言えるが、そこでは‘客観的に’言えば、オーストラリア人同僚が一人、私が到着するわずか数日前、実際、狙撃兵の銃弾に撃たれたのだが。

もっぱら自宅の居間の長椅子という安全な場所で人の苦難について書く人々を決して信じてはならない。もちろん、そこで書くのは結構なのだが、実際に話題にしている人々を見た後に限られる。少なくとも一度彼らと会い、かなりの時間、彼らの話を、彼らの絶望的な叫びを聞いた後、自分もすっかり汚れ、すっかりおびえ、本当に絶望的になった後、要するに、生命と死を分ける、あの目に見えない境界近くまで行き、有名な黄泉の国、忘却の川レテの水を飲んだ後だ。

*

最初の話に戻ろう。

ご想像願いたい。人々が生きるために戦っている、あるいは本当の自由を求めて、あるいは帝国主義に反対して戦っている場所を私が離れる。深呼吸し、食料や空気の汚染から回復し、何か見苦しくない服に着替える暇もないうちに、あらゆるものが私にぶつかってつる。ニュース速報を目にし、主流マスコミが報道する記事を読みながらも、あらゆる色彩で私が目撃した、あらゆる栄光と悲惨の世界を全く認識できないのだ。

‘場違い’だと感じるのだ。

一部の人がそれを‘ベトナム症候群’と呼ぶのは知っている。こうした感じ方、この激怒、あるいは絶望、あるいは何であれ読者が呼びたいものには他の多くの定義もある。

突然それを感じるのがわかるのだ。僅か数時間前まで住み働いた、どこか遙か彼方の本物の人が住み‘現実世界’として定義されるものがあるのだ。そして、今ここには別の世界があり、主流の陳腐な決まり文句と、大量生産される偽の確実性を用いて、あの現実に重ね合わさり、ほとんど完全に覆いかぶさる(更には小さく見せさえする)のだ。

今年、この‘去りゆく年’2017年は我が地球にとり明らかに良い年ではなかった。

世界を既に数世紀、残虐かつ恥知らずに支配している国々の集団が、我々人類全体を、完全な大惨事に、大詰めに、何百万人もの無辜の人命を突如終わらせかねない対決の益々近くにと追いやっているのだ。

私は懸念している。大いに懸念している。私は実に多くの場所で、言語に絶する惨禍を目にしてきた。一体どこへと向かいかねないのか私にはわかる、私は完全に想像できる。

植民地主義は常に悪だ。帝国主義は常に悪だ。いずれかの文化、宗教、あるいは経済の至上主義は、全くいかなる例外無しに悪だ。

比較的小さな一大陸の国々の集団が全世界を強奪し、自分に都合の良いように形作り、違う肌の色、信仰、価値観の人々を奴隷にし続けるのは全て明らかに間違っている。

だが世界はそういうものだ。残酷で、不公平で、一つの攻撃的で、強欲で、陰険で傲慢な少数派に支配されている。世界は依然そういう状態だ。繰り返そう、世界は益々そうなっている。

そして、私はそのような‘ありかた’に耐えられないのだ。

私はそうありたくはない。悲しみ、苦痛、恐怖や暴力を報道するのに疲れた。絶え間ない破壊や破綻の映画を撮ったり、写真を撮ったりするのには、もう疲れた。

2017年の最後にこれを書いているのは、それが理由だ。おそらく、これはも、何か非人間的で、不必要なものが起きるのを止めるためのもう一つの無駄な努力かも知れない。

主流マスコミや、学界や‘文化’が作り出す似非現実を突き破るのは、おそらくほとんど不可能だろう。あるいは、不可能ではないのかも知れない。人生の何事も本当に‘不可能’ではないと信じているので、‘決して遅過ぎることはない’と本当に信じている。

2018年、お目出度う!

世界は全く違っていて、聞かされているより、実際にはずっとずっと美しく多様だということをお知らせさせて頂きたい。今は炎に包まれている場所の大半さえ美しいのだ。そして、もし平和のままにしておけば、こうした人々は繁栄するのだ。

世界は、そのために戦うに値する。世界は守るに値する。

世界を略奪し、奴隷化しようとし続けている連中が流布する“ニュース”や“情報”を決して信じてはならない。ご自分で直接見て、聞いたこと、感じたことだけを信じよう。もし、そういう人々を見つけ出せたら、この世界を愛している人を信じよう。自身の感覚を、自分の内在的論理を、自分の感情を信じよう。

ご自分の目で見るまで、本当に確信するまで、その人々と話すまで、彼らが言っていることを本当に理解するまで、地球上のどこであれ、いかなる外国への爆撃や、経済制裁に賛成投票してはならない。テレビだけ眺めた後で判断や結論を出してはいけない。お忘れなく。似非現実は人を殺すのだ! そして、それは、あなたをその殺戮に参加させたがっているのだ。

行って頂きたい! 発見して頂きたい! ご自分で見て頂きたい。シリア、北朝鮮、アフガニスタン、イラン、イラク、ベネズエラ、ロシア、中国、南アフリカ、キューバやエリトリアで - そして世界丸ごと、奴隷に貶め、こうした“他者”全員に、仕えられ、供給されるごく僅かな超裕福国家だけで構成される、徹底的に凡庸なものにすることを夢想している連中残忍な扱いを受け、破壊された何百もの他の素晴らしい場所で、少なくとも皆様の何人かとはお会いしたいと思う。

世界を自分の目で見た後、それを理解した後、皆様は私に同意されるのはほぼ確実だと考えている。現時点で、この地球上には二つの平行現実が存在している。一つは、本当の人間の生活や物語でできており、もう一つは、世界のただ些細で、巧妙に操作された解釈だ。(本物の)現実は進歩や思いやりや楽観や調和を熱望している。もう一つ(偽もの)は、常に不確実さや無主義や破壊や絶望を広めている。

連中が“偽ニュース”と呼ぶもののみならず、まるごとが、既存支配体制が作り出し、ヘルメットを被り、防弾チョッキを着て、4WDに乗り、目立つ「報道」記章を付けた男女が支えている‘偽現実’なのだ。

繰り返そう。2018年、新年お目出度う!

世界発見、お目出度う!

貴重な我が地球の生存のための戦い、お目出度う!

2018年は、決定的な年だ。ヒューマニズムと、あの美女が‘本当の現実’と呼んだものが生き延び、優勢となり、勝利するよう全員で協力しよう。

アンドレ・ヴルチェクは、哲学者、作家、映画制作者、調査ジャーナリスト。『Vltchek’s World in Word and Images』の制作者。革命小説『Aurora』や他の何冊かのの著者。最新刊は『The Great October Socialist Revolution』 これはオンライン誌“New Eastern Outlook”への独占記事。

記事原文のurl:https://journal-neo.org/2017/12/29/new-year-s-message-and-warning-from-a-war-correspondent/
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相撲世界のおかしな処分結果、立川志らく氏の意見に賛成。

ともあれ、

独立した仕事をして、ウソを繰り返したり、主流派の命令を聞くのを拒んだりして、欧米や、その同盟国や‘属国’の利益に反することをすれば、資金援助は皆無で、何の保護もなく、全く何の特典もない可能性が高い。

これから、下記を拝読する。

日刊IWJガイド「明日1月7日は脳科学者・茂木健一郎氏に岩上安身がインタビュー!メディアの操作性、お笑いや大衆歌謡まで動員する戦時プロパガンダの問題にはじまり、起業家イーロン・マスク氏の『スペースX』、AIや怪しい『シンギュラリティ』の謎まで、盛りだくさんの内容!/ダウンタウン浜田雅功氏のブラックフェイス芸に賛否の議論拡大!BBCやNYTimesも注目!タレント・ベッキーへの『禊』タイキックはいじめを助長!?」2018.1.6日号~No.1940号~

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コメント

アンドレ・ヴルチェク氏のその嘆きはおそらく本心なのでしょう。
世界の辺縁部で繰り広げられている惨劇を直に見て、先進国主要メディアのその取り上げ方を知り、豊かで便利な社会というマトリックスの培養槽の中で主要メディアからの報道を鵜呑みしている人々と接し、自らの心に深く刻み込まれた傷が癒える間も無く新たな傷を刻み込まれ、無力感と絶望感に苛まれる。ヴルチェク氏や彼と同じく身一つでその現場に向かう人たちはそんな日々を過ごしているのでしょう。決して他者に見返りを期待してはいけない。それに裏切られた時の強い悲しみと喪失感に押しつぶされ立っていられなくなる、自らにそう言い聞かせている、そんな気がします。

商売と考えたら、これほど割りに合わないものはないでしょう。身の危険は常につきまとい、被害者から罵声を浴びせられ、政府の保護は期待できず、資金提供する者もない。仮にそんな奇特な人物がいたとしてもなにがしかの思惑を抱えて居るのを知って居るから受け取らない、報道しても人々に感謝されない、政府の見解や世論と異なる異見を言えば非難を浴び脅迫を受けることもある。家族に危害が加わる恐れが常にある。稼ぎも悪い。それなのに、何故?

彼らは本当のことを知り本当の事を伝えたいのでしょう。それは他者のためだけでなく自らのために。職業に貴賎はないけれどその職業の中に本物と偽物が居る、と言われます。彼らは自分たちが本物であることを証明しようともがいています。自分が自分であるために。誇り高い生き方だと私は思います。そんな彼らの言葉が人々に届いて何かが変わったとすれば、それは奇跡、いや奇蹟なのかもしれない。

新年を迎え決意を新たにする。弱音を吐いた後は希望を抱く。そんな時、ふと思い出すのはエルネスト・ゲバラの言葉です。

「もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう、『その通りだ』と」

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