インターコンチネンタル・ホテル襲撃 - カーブルは崩壊しつつあるのか?
Andre Vltchek
公開日時: 2018年1月26日 12:19
RT
アフガニスタン © Andre Vltchek
アフガニスタンは現在危機的状況にさらされている。アフガニスタンは生き抜かねばならないが、どうすれば良いかは不明だ。
先週土曜日、武装集団に攻撃された、カーブルのインターコンチネンタル・ホテルは、手袋や、祖母の長椅子のように、しっくりする所だった。外では、戦争が荒れ狂っている。何百万人ものアフガニスタン人の生活が目的もなく破壊され、何十万もの命が失われている。 16年以上にわたるNATO占領の経費は1兆ドルを超えるが、平和と繁栄をもたらすかわりに、アフガニスタンをがれきと化した。
アフガニスタンでいまだに機能しているものと言えば、ソ連時代以前と、その間に、like灌漑用水や運河やパン工場のような施設やインフラだけだ。他の目につく支援は、最近は中国やインドによるものだが、NATO占領諸国からは、無数の塀や鉄条網と軍事施設以外、ほとんど何も提供されていない。
20人以上が亡くなったインターコンチネンタル・ホテル襲撃前ですら、アフガニスタンのアシュラフ・ガニー大統領は、‘60ミニツッ’記者のララ・ローガンに、首都を防衛することができないと告白していた。
しかし、もちろん首都だけの話ではない。国全体が混乱に陥りつつある。まもなく、もはや少なくとも、一つのまとまった存在として、カーブルから、この国を支配することが不可能になるだろうことは明らかだ。
© Andre Vltchek
カーブルやジャララバードやヘラートの街頭では、この国を永久紛争と混乱に陥れるのが、まさに占領軍の計画かも知れないという声が益々聞かれるようになっている。
インターコンチネンタル・ホテルについて、私は良くこう冗談を言ったものだ。‘ここは、どこかシベリア田舎町のソ連の三つ星ホテルのような感じがする。曲がったシャワー、染みはあるものの清潔な絨毯、好きなだけ手を振れる、冷淡ながら、どこか優しいスタッフ、ただし、ホテルのカフェのウエイトレスは、彼女のそばに寄り、にっこり微笑んで、限られたお菓子の中から指でどれか特定の品を示すまで動こうとしない’
そうした全てにもかかわらず、インターコンチネンタル・ホテル・カーブルは常に、そこに建っている。崩壊しかけてはいるが、それでもどこか威厳があり、歴史と古風な魅力に満ちている。ロビーには伝統的なアフガニスタン風景や肖像画が飾られていた。ホテルの部屋やバルコニーからの眺めは息をのむほどだった。広大な公園のある古いBagh-e Bala宮殿、そして、あたかもクレーターの中にあるかのような眼下の首都全体、更にその不規則に広がる都市の背後には、壮大な山並みが空に向かってそびえていた。
朝食時、ホテル・レストランの窓際のわずかなテーブルは、ほぼ常に、アフガニスタンの航空会社カーム航空の、ロシア語を話すパイロットと乗務員が占領していた。この人々がロシア人なのか、ウクライナ人なのかわからなかったが、彼ら同士でも、私にもロシア語で話した。交戦地帯で活動するパイロットならそうだろうと思える通り、彼らは背が高く、筋骨たくましかった。
'アメリカは至る所で戦争をするのを好んでいる。中近東至るところで。極東地域中で' https://t.co/XYzrRHzjoL
— RT (@RT_com) 2018年1月24日。
私たちはいつも挨拶し、一つ二つ冗談を交わした。掘り下げ話はせず、若干の軽口と、暖かな微笑みだけ。
少し前古都ヘラートに行く必要があり、早朝カーム航空で乗務員たちと移動していた。私の運転手が遅刻したので、空港に向け発車しようとしていた航空会社のミニバンに近寄った。
“空港まで、私を乗せてもらえる?”と尋ねた。
“ええ、もちろん、もちろん - 乗ってください!”と彼らは微笑んだ。
私たちは皆、大家族の一員だった。インターコンチネンタルに宿泊している外国人には、金持ちも貧乏人もおらず、いかなる‘政府の計画’や、裕福なNGOの関係者もいない。このホテルは、ジャーナリスト、映画監督、パイロットなどの‘働く人々’用だ。‘特別な保護’が必要な人々は、自国大使館の巨大なコンクリート壁の背後か、アフガニスタンで本当に豪勢な唯一のホテル、セレナに滞在していた。
ジャララバード © Andre Vltchek
二時間後、アフガニスタンの壮大な山々や、翼の下何マイルかにある泥で作られた小さな古くからの村々の上を飛行していた。似たような集落に、わずか数日前に投下され、一体何人とも知れない無辜の人々を殺害した、あの正気と思えないアメリカ“大規模爆風爆弾兵器”を想像しながら、私は写真を撮っていた。
飛行機の後部では、古いが信頼できるMD-82の二基の強力なエンジンが頼もしい音をたてていた。そして、ある時点で私は目を閉じ、眠りに落ちた。その次に私が体験したのは、肩を優しく叩かれ、優しいささやきだった。“カフェイク・ニェ・ハチーチェ? レビャータ・トゥット・トリカ・シュトー・スヴェージー・スヴァリリ”(“コーヒーはいかがですか? あなた、入れたてのコーヒーがありますよ”)
雪に覆われたすばらしく壮大な山々を見下ろしながら、香ばしいコーヒーを飲んだ。操縦室では、ロシア語を話すパイロットが豊富な経験と自信を持って飛行機を操縦していた。
私は思った。“世界に、この美しいながらも複雑で危険な地域の上空を飛行する資格がある乗務員がいるとすれば、この乗組員たちだ。”
カーブル © Andre Vltchek
私がしてきたことへの情熱に酔い、実に幸福で、生きている実感をおぼえたのは、そうした瞬間の一つのことだった。アフガニスタンで働き、ここで欧米諸国がおかしている犯罪を暴き、中央アジアて最も興味深い都市の一つ、ヘラートに向かって、山頂の上を飛行しているこのいにしえの誇り高い国にぞっこんほれ込んでいること。
一年前の足の古傷が、アフガニスタンで再び開き、数カ月経っても治癒せず、2018年1月20日、東京の聖路加病院の集中治療室で私は命懸けで戦っていた。
熱と点滴で朦朧としながら、ベッドの上に下がっているテレビ画面で、カーブルからの報道を見ていた。‘私の’インターコンチネンタル・ホテルが攻撃されたのだ。実際、タリバンの最も凶暴な一派とされている、ハッカニ・ネットワークとして知られているものに侵略されたのだ。少なくとも、アフガニスタン政府大統領報道官、ジャヴィド・ファイサルは、そうツイートした。
14時間の膠着状態で少なくとも21人が亡くなった。ほとんどすぐ、カーム航空の数人のパイロットと乗務員が冷酷に殺害された。二人のベネズエラ人パイロットもそうだ。彼らの誰一人‘政府支持者’ではなく、 侵略NATO軍協力者でもなかった。
ジャララバード、ダルンタ・ダム © Andre Vltchek
彼らは単にロマンチストの集団、たくましく、勇敢だが、実に優しく、飛行するのが大好きで、私のようにアフガニスタンと恋に落ちた紳士の集団だ。彼らが私にそう言ったし、実に明白だったので、私はそれを知っている!
不思議に思っている方のために言っておくが‘私のカーブルのホテル’は豪勢なアメリカの同名チェーンとは全く関係ない。‘本物の’インターコンチネンタルの一環だったことはあるが、営業を開始した1969年から、1980年まで(ソ連のアフガニスタン介入直後)に過ぎない。今そこは、遥かかなたで、アフガニスタンを報道する部外者しか‘高級’と書かない国有財産だ。もししっかり交渉すれば、わずか50ドルで部屋がとれるが、交渉力が多少限られていれば、60ドルだ。
© Andre Vltchek
特に1990年代の内戦時代に、既に何度かホテルは傷つけられており、ある時点では、200室のうち、わずか85室しか住めなかったと言われていた。最近では、2011年、タリバンが犯行声明を出した攻撃で、21人が亡くなった。
とは言え、不気味な歴史にもかかわらず、インターコンチネンタルは、いまだに、多くの現地人と、カーブルにいる一部外国人のお気に入り施設だ。ここで多くの会議が開催され、ラマダンの断食月中は、都市を見下ろす、このホテルの水泳プール横で、現地エリート連中によって断食が破られる。しかも、ここではほぼ毎晩、音楽が聞けるのだ。現地の楽器と、著名な巨匠の教えを受けた歌手による本物のアフガニスタン伝統音楽だ。
© Andre Vltchek
警備は、もちろん至る所にある。市内から、この場所に戻るには、私はいつも、完全な警備哨所三カ所を、私の車で通り抜けなければならない。結局、アフガニスタンは、現在、外国人にとって、地球上で最も危険な国の一つと見なされているのだ。
わずか一週間に、死者をともなう三件の攻撃がアフガニスタンを襲った。一件はカーブルで、もう一件ヘラートの外、三件目はジャララバード市内で、ISISが、NGOのSave the Childrenを標的にした。
昨年、この傷ついた古くからの国の様々な場所を旅した。少なくとも部分的にタリバンに占領された村の人を含む人々と話した。人々は次第に、果てしのない紛争の中で暮らしていることに気がつきはじめている。東部からの難民(つまり国内避難民)がISISの到来とともに起きた大虐殺について語っている。
ハードドラッグや、けしの種は、カーブル中心部の至る所、アメリカ占領者の目と鼻の先にある。けし畑が、文字通り、バグラム空軍基地を取り囲んでいる。
#KabulAttackでの死亡者中のアメリカ国民 - 国務省https://t.co/y9tM0FlM6mpic.twitter.com/V6Q8oPIeQB
— RT America (@RT_America) 2018年1月23日
今、ソ連人とロシア人は、愛と深い郷愁とともに、彼らの記憶に残っている。これはアフガニスタンからの前の記事で既に書いた。
間もなく、アフガニスタンに外国人はいなくなる。それが最新の攻撃の主目的なのかも知れない。目撃者無し、代替選択肢無し、解決策無し。
一体誰が恩恵を受けるだろう? 決して打ちのめされたアフガニスタン国民ではない。たぶん、軍閥指導者、過激派宗教的指導者と占領者だ。
アフガニスタン全土を旅客ジェット機で飛んでいるカーム航空の乗務員と老朽化したインターコンチネンタルは、ある種最後の正常さの象徴 - この国で実際に起きていることを、人々が、まだやって来て、見ることができるという薄弱な希望なのだ。
今後、アフガニスンタには、ほとんど外国人はいなくなるだろう。我々戦地特派員と、外国人兵士と傭兵だけになるだろう。
アフガニスタンは現在、危機的状況にさらされている。アフガニスタンは生き抜かねばならないが、どうすれば良いかは不明だ。アフガニスタンを愛する人々は、どのような危険に我々が直面しようとも、戻るべきなのだ。報道封鎖は避けねばならない。代替の(非欧米の)情報が報道されなければならない。何としても、いかなる犠牲を払おうとも。
本コラムの主張、見解や意見は、もっぱら筆者のものであり、必ずしもRTのそれを代表するものではない。
アンドレ・ヴルチェクは、哲学者、小説家、映画製作者で、調査ジャーナリスト。彼は数十ヶ国で、戦争や紛争を報道してきた。彼の新刊書三冊に、革命小説“オーロラ”と、政治ノンフィクション・ベストラーの二冊 “帝国の嘘を暴く”と“欧米帝国主義と闘う”がある。他の著書は、ここで見ることができる。彼は、テレスールと、アル・マヤディーンTVに映画を制作している。中南米やオセアニアで暮らした後、ヴルチェクは現在、東アジアと中東に暮らし、世界中で働いている。ウェブサイトとツイッターで、彼に連絡ができる。
記事原文のurl:https://www.rt.com/op-edge/417066-afghanistan-kabul-hotel-nato/
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文中で今、ソ連人とロシア人は、愛と深い郷愁とともに、彼らの記憶に残っていると触れられている記事は「アフガニスタンで、ロシア人は記憶に懐かしく残っている」だろう。
昨日見た国会討論、赤嶺政賢議員質問、沖縄で頻発する、基地周辺での事故の根源、日米地位協定に触れていた。警察、捜査のためではなく、窓枠を返すために、米軍基地に行ったように聞こえた。
夜の大本営広報部呆導をいくつか見ても、彼の質問には全く触れていない。報じるのは相撲の不祥事ばかり。あるいは交通事故。呆導機関、頭というか、制度が全く狂っているとしか思えない。問題の重大さと呆導時間は反比例するという法則が洗脳業界には存在している。相撲界の隠蔽体質といわれるが、大本営広報部呆導機関の露骨な隠蔽体質を報道する組織は存在しない。
洗脳ではない報道をこれから拝読する。
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同じ記事に幾度とコメントを書くのは読者の皆様に申し訳ないと思ったのですが、ヴルチェク氏の記事を読み返して改めて思うことがありました。どうぞお許しください。
ヴルチェク氏は多くの読者から記事に対する支持を受けています。それは氏の活動とその業績を讃えるものであるし、氏の行為を正当に評価したものと私も思います。東欧、アジア、アフリカ、南米を飛び回り、帝国主義的非人道的行為が白昼堂々と無辜の人々に対してなされている事実を掴んでは私たちに伝えてくれていることに、氏をはじめとする本当のジャーナリスト達に、私も心の底から感謝しています。
前にコメントをつけた「戦争特派員からの新年のメッセージと警告」、そしてayako様が紹介くださったリンク先の「反帝国主義戦士の孤独」という記事に棘のように私の心に引っ掛かっていることがあります。
日頃の戦いの果てに心身ともに困憊し、立ち上がれないぐらいに打ちのめされた時に本当に支えになったのは氏の肉親だけだった、ということ。孤独に苛まれながら必死に事実を伝えようと奮闘している人が、これ以上頑張れないと自覚しつつある時に、手元に届く名も知らぬ読者からの強い励ましが害になっているかも知れない、ということ。
読者から届く激励や支持の声が氏を奮い立たせる真の活力源になっているのかと問われれば、実はそうではないのだろう、とこれらの記事から感じました。私たちはどうすればよいのでしょう。ヴルチェク氏をはじめとする真正なジャーナリスト達の本当の意味での活力源として、彼らの肉親以外の支えになるにはどうすべきなのでしょう。確かに、「拠点、より所、そして無条件の支援」は一つの答えなのでしょう。
私はこう思います。自分たちの記事が世界を変革する力を持っていることをヴルチェク氏を初めとする本物のジャーナリスト達は確信したいのだ、と。私利私欲にまみれた不正行為、無辜の人々に向けられたむき出しの暴力。それらの連鎖が生み出す数々の悲劇が、遠く離れた平和と繁栄に浸っている私たちの生活の根幹にあり、私たちが加害者の一員である事に早く気づいて欲しいのだ、と。そして、この世界を変革するために何がしかの行動を私たちに起こして欲しいのだ、と。
それらは彼らの肉親の支えには及ばないかも知れませんが、激励や支援などよりも彼らの活力源になると私は信じています。今の生活を投げ捨てることは出来そうにありませんが、その中で私に何が出来るのか、それをよく考えて行動したいと思います。
投稿: 海坊主 | 2018年2月 3日 (土) 11時35分
度々おじゃまいたします。ヴルチェク氏のお名前、間違えたままコメント出しており、失礼しました。
このような活動をする人達は、どんなタフガイで、エネルギーに溢れているのだろう…、と今まで思っていたのですが、ふと見つけた、2014年に氏が書かれたエッセイを読んで(翻訳してくれた方がいらっしゃる。)、 強靭だから、とかじゃないんだなぁ、と。なんとも上手く書けませんが、そうかぁ、と思いました。
http://blog.goo.ne.jp/kimahon/m/201408
淳之介様のK先生の語られたご経験、心に沁みいります。
人の優しさや、温かさに触れた思い出は、人生の中で、大切な糧になるなぁ、と思います。
投稿: ayako | 2018年2月 2日 (金) 22時48分
管理人様 いつもいつも勇気を与えてくださる記事を翻訳していただき、感謝申し上げます。小生も海坊主様、ayako様と全く同じ感想を抱いております。また、ロシアや中央アジアの民族と文化の記事に接する度に、「ユーラシア文化地理学」を教えてくださり、先年彼の地で客死されましたK先生を思い出しますソ満国境で二十歳で捕虜となり、五年ほどをバイカル湖沿岸の収容所で過ごしたそうです。イルクーツク(チタもしくはタイシェットだったかも知れません)市内での市民家屋の便所での凍結した糞便除去作業の後、市内の本屋に寄り本を立ち読みしていたときのこと。可愛いお子さんが「このひと臭い」と母親に言ったのだそうです。鶴嘴で凍った汚物を砕いた結果、衣服に氷の飛沫が飛びつき、店内の暖気で融けたのでしょう。若い母親は娘に、この方は辛い境遇にあるのに、自分たちの便所の掃除をしてくれたのだ、謝りなさい、と叱り、自らも謝った。ロシア人は、悲惨な境遇にあるものに、限り無い共感を寄せる人たちだ、殺人囚にさえそうだ、とK先生はおっしゃっておりました。先生の目は真っ赤だった。小生の隣の席で聴講していた、後に外務省にはいった後輩も泣いていた。
投稿: 十三湊淳之介 | 2018年2月 1日 (木) 18時35分
メタボ・カモ様、アンドレ・ヴルチェク氏の記事のご紹介をありがとうございます。ヴルチェク氏の人柄を十全に伺いし得る良い記事でした。流石に小説家、心に響くナラティブでした。
おそらく西欧の支配者層は、身の危険が伴う紛争地帯においても自らの人生を生き生きと大事に生きていこうとする無辜の人々の最期に接してもヴルチェク氏のように心を痛めることは無いのでしょう。この記事で紹介された悲しき被害者達は、過ぎ行く日々を大切に過ごし、人々との出会いに喜び、他者への共感を育む、国籍と育ちは違えど私たちとなんら変わらない人々でした。
その事実は、私たちに重い課題を突きつけてくれます。グレートゲームや政治的思惑に比べれば、私たちの命の重さはゼロであるということ。いつでも低強度紛争は発生し得るし、どこでも起こり得るということ。私たちの命も、カーム航空のパイロット達と全く変わりないのだということ。
ロシア語を話すパイロットやベネズエラ出身のパイロット。そんな彼らは西欧の社会からするとアウトサイダーかも知れません。イスラム教徒もそうだし、ロマやロヒンギャもその社会の構成員として見做されてはいるとは思えません。そんな彼らも、私たちと同じ人間であるのだ、彼らにも彼らが語るべき生があり、彼らから学ぶべき物がある、ということをヴルチェク氏は語っている気がします。特別な保護が必要な人々が自国大使館の巨大なコンクリート壁の背後や、豪勢なホテルに滞在しているのでしょうが、そこでは、その土地で生きている人々の息吹や鼓動を感じることは出来ないでしょう。
日本で治療を受けているヴルチェク氏が、世界の紛争地で起きている私たち知るべき真実を掴み私たちに伝えてくれる、そんな日を待ち望みつつ、氏の回復と今後の活躍を祈念しています。
投稿: 海坊主 | 2018年2月 1日 (木) 00時20分
ブログ主様、こんにちは。ヴェルチェク氏、大怪我されているんですね。年始のヴェルチェク氏の記事を読んで、危険な仕事に、自ら向かう勇気と正義感を持った稀有な人もいるのだなぁ、と感慨深い思いでしたけれど、実に、現実に、本当に危険な中で、ぎりぎりに生きているんですね。ヴェルチェク氏の記事はいつも、視点や、文章が好きです。翻訳してくださるおかげで、こうして、私も読むことができて、有難いです。
写真で見ても、山脈に囲まれた、カーブルの街並みでしょうか、素晴らしい眺め、であるだけに、本当に、気持ちが苦しくなりますね。アフガニスタンの写真見ると、渓谷や、自然の美しい土地だなぁ、と思います。長倉さんの写真では、人々の表情も、おおらかで美しい笑顔が沢山あった。
ヴェルチェク氏の記事を読んでいても、愛すべき何かがある場所という感じがしました。アフガニスタンという国家を守らなくてはならないような気持ち。 もちろん、欧米諸国が犯している犯罪、を暴くのが、氏の、この世に生まれた使命なのだと思いますが。
今、田中龍作ジャーナル氏も、現地に飛んで、ロヒンギャ難民の実情をレポートしていますが、内容が、凄惨で言葉がないです。田中氏も辛い気持ちだろうな、と思います。
このような命の危険も顧みず、正義感や良心から存在している彼らを、尊敬します。
お身体大事にと、願うばかりです。
せめて、一生懸命読むことと、わずかばかりの寄付しかできませんが。
投稿: ayako | 2018年1月31日 (水) 23時09分