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2017年7月18日 (火)

ドゥテルテの対ISIS戦闘のさなか、マラウィ入り

Andre Vltchek
2017年7月16日
RT

フィリピン南部ミンダナオ島のマラウィ市での戦闘で、欧米マスコミは、途方もなく誇張された未確認報告や、うわさや、歪曲した‘事実'を報じている。
7月始め、包囲されたマラウィ市内と、その周辺地域に入るのを許されたごく少数の外国人の一人として、私はミンダナオ島を訪れた。

現地の人々、国内避難民、つまり聖戦士に乗っ取られた市から脱出するのに成功した人々と話した。ラミロ・レイ大将やジョ-アル・ハレラ中佐を含む戦闘責任者の軍最高司令官と状況について話し合うこともできた。多くの兵士や公務員や難民救援活動者たちと出会った。


© Andre Vltchek

首都にいる私の連絡相手が、テキスト・メッセージで、明らかにフィリピン軍内の親アメリカ派により、私が“危険人物”とされていると知らせてくれた。そこで、私の現場入りが、マニラによって、最終的に許可される前、私は拘留され、サギアランの臨時軍事基地に留め置かれた。そこで私は軍諜報機関に“ソフトに”訊問された。わずかに離れた場所で、榴弾砲が約10キロ離れたマラウィのISIS陣地に向け、砲弾を発射していた。

“アメリカ合州国は、世界中でテロ広めている責任があると考えているのか”と、一人の将校から夜遅く、単刀直入に質問された。‘舞台裏’の誰かが私の著作をおおわらわで調べているのは明らかだった。

欧米の既存支配体制マスコミや、様々な卑屈なNGO(いくつかの反抗的で、自立心の強い国々で“人権を擁護している”連中を含め)、反帝国主義で、75パーセントの支持率を享受している進歩派指導者であるドゥテルテ大統領を悪者として描き続けている。軍内部には、大統領と、欧米から自立する彼の行動を支持する派と、もう一つの、ワシントンや他の欧米の首都に訓練され、往々にして、毒されてもいる派と、二つの派があることは良く知られている。

親欧米派は、私を追い出し、拘留し、おそらく行方不明にさえしたがっていた。大統領側に立つ人々、私が真実を見るようマラウィ入りを認められるのを望んでいた。


© Andre Vltchek

最終決定は、夜遅くマニラで行われた。私は解放され、包囲された市内で働くことを許された。最高司令官自身がキャンプを呼び出した時でさえ、少なくともしばらくの間は、私を解放するのを嫌がっているのが明らかだった。

マラウィ戦線を訪れての、私の最初の反応は、いきどおりだ。私が目にしたものは、大半の欧米マスコミや、マニラの親欧米現地テレビによって再三報じられているものとは根本的に異なっていた。

マラウィが、報じられているように“完全に破壊”されていないのは明らかだ。大半は依然しっかり建っている。20から30パーセントの家や建物、大半、市の中心部にあるものは、ひどい損害に耐えているのではと想像する。

ISISとつながる聖戦士が5月23日に攻勢を開始した際、彼らの計画は、ラマダンが始まるまでに(5月26日)、市を完全に支配することだったと説明されている。軍が連中の計画を潰した。軍隊が反撃し、他の全ての‘バランガイ(地区)'の支配を、維持あるいは奪還して、テロリストを一地区のみに封じ込めるのに成功している。

テロリストが無差別に残虐に振る舞った後の明白な恐怖感ゆえに、国内避難民の大規模な動きがあり、大規模な損失があったのは確実だ。だが、決して欧米で報じられているように400,000人が地域から逃れたわけではなく、約200,000人(人数は、一時約300,000人にのぼった)だった。


© Andre Vltchek

一般市民の“無差別爆撃”は決してなかった。発射される榴弾砲と、飛来する榴弾砲の両方と、空爆は極めて限定されていたのを目撃した。空爆は全てテロリストの陣地を狙ったものて、大半は命中していた。私がこれまで仕事をしてきた全ての交戦地帯と同様、ヘルメットや防弾チョッキを含め、あらゆる防具を断り、おかげでより動きやすくしていられた。それで、状況に'かなり迫る’ことができた。戦闘と爆撃が、1キロ平方未満の一地区にしっかり封じ込めらているのは明らかだった。

反ドゥテルテNGOや政府はミンダナオ島にかされた戒厳令への‘懸念’を主張している。マラウィ内と周辺(あるいはミンダナオ島のどこであれ)、戒厳令は残虐な結果をもたらしていない。夜間外出禁止令(午後9時-午前5時)さえ実施は手ぬるい。

レイ将軍は、マラウィ市で、私にこう説明してくれた。

“この戒厳令と、フェルディナンド・マルコス統治時代に課された戒厳令の違いは、現在、軍隊が主に、実戦に携わり、一般市民を支援している。地方当局幹部の仕事には全く干渉しません。彼らには、これまで通り仕事をするよう奨めており、私の支援が必要な時にだけ、私に連絡するように言っています。私はこの地域を支配してはいませんし、支配するつもりもありません。”

地域で活動している様々な救援組織やNGOのために働いている現地役所職員やボランティアが、レイ将軍の言葉を裏付けていた。

紛争地帯で仕事をしている間、住民の恐怖は全く感じなかった。軍隊と、一般市民の関係は、明らかに友好的な心からのものだ。軍隊の車列がイリガン市とマラウィ市の間を移動する際、子供も大人も微笑んで、手を振り、兵士を応援している人々もいた。


© Andre Vltchek

国内避難民を収容しているキャンプでは、ほぼ全員共通の見解だった。ミンダナオ島全般、特にマラウィ地域の多くの住民は通常マニラからの更なる自治を歓迎するのだが、この進行中の残虐な紛争の間は、現地住民のほぼ全員、軍と政府の取り組みを支持している。

“聖戦集団のフィリピン人も、外人も早く粉砕されて欲しいものだ”というのが、現地の人々ほぼ異口同音の意見だった。

イリガン市とマラウィ市で、ISISと軍の陣地の位置をはっきり示す詳細な地図を見せてもらった。

ラナオ・キャンプのジュン・アバド中佐と、部隊長のレイ将軍が、私に明快なブリーフィングをしてくれた。7月3日時点では、アグス川が、ISIS占領地と、軍隊が解放し支配している地域の‘境界’だ。

市全域が間もなく、可能性としては7月中に解放されることは疑いようもない。それがまだ実現していない唯一の理由は、テロリストが、キリスト教徒であれイスラム教徒であれ、人質を人間の盾として利用しているためだ。ドゥテルテ大統領、レイ将軍や他の人々は、無用な人命の損失を避けようとしているのだ。

外人戦士が関与しているので状況は極めて微妙だ。6月30日、in サギアラン、マルヴィン・リグタン少佐はためらいがちに、こう認めた。“隠れ家の一軒で、インドネシア、マレーシアや、いくつかのアラブ諸国が発行したパスポートを発見しました。”


© Andre Vltchek

最近インドネシアで“アフガニスタン時代”にまでさかのぼるテロリストの蜘蛛の巣について、私は詳細を説明した。あの時期、欧米は、多くの東南アジア過激派に、アフガニスタンの非宗教的な社会主義政府とソ連に対する戦いで、ムジャヒディーン加わるよう奨励していた。鍛えられた彼らは最後にインドネシアに戻り、アンボンやポソを含む国内でのいくつかの紛争を煽り、シリアや、そして現在、フィリピンに彼らを‘輸出’する前に、新世代聖戦戦士を訓練しはじめた。何人かの学者や専門家が、これを私に請け合った。

社会主義、反帝国主義や、愛国心の強い国々や政府を不安定化するために、欧米は‘聖戦'を、直接的、間接的に頻繁に利用してきた。過去、アフガニスタン、インドネシア(1965年)やシリアなどの国々の破壊に成功してきた。多くの人々が、フィリピンは‘攻撃リスト'への最新の追加だと考えている。

ミンダナオ島出身の著名なフィリピン・ジャーナリストで親ドゥテルテ活動家のドレイ・トレボはこう説明してくれた。

“欧米が、ドゥテルテ大統領に対して敵対的な理由は単純です。彼がワシントンに最大の敵と見なされている国、中国と和平合意をまとめようと懸命に動いているからです。もう一つの‘欧米の敵' ロシアも、ドゥテルテが尊敬し、国民も次第にそうしています。最近、ロシアとフィリピンは防衛条約を調印した。大統領は、キューバとも、特に医療分野で緊密なつながりを作りつつあります。”

事態の重みは誰にも否定できない。

マラウィから逃げて来て、サギアラン市役所の土地に建てられた救援センターで暮らしている人々の疲れ切った様子を私は目にした。

“昨日、二人の幼児が亡くなりました”とミンダナオ国立大学(MSU)の学生ボランティア、アメル・ハッサンに教えられた。

理由は“水の違い、栄養失調と、疲労...”


© Andre Vltchek

私はもっと知りたかったし、アメルは続けた。

“人々は今でも衝撃を受けています... 彼らは今起きていることが信じられないのです。特に家が破壊された人々; 肉親を、全てを失った人々...”

欧米は批判ばかりしているが支援しているだろうか? アメルは肩をすくめるだけだった。

“外国からの支援は皆無です... 我々が得ているものほぼマニラの政府か地方行政機関からのものです。ドゥテルテは懸命に働いて、我々を助けています。”

カマル・ミンバラワグ、妻のイマと、一カ月の赤ん坊モハンマドの三人家族はセンターの狭い空間に押し込まれていた。彼らの記憶は殺伐としていた。イマは、ほとんど機械的に経験を説明してくれた。

“攻撃の第一段階の際、私たちはマラウィにいました。私は妊娠していて、出産が近かったのです。ISISが攻撃した時、私たちは市役所にいました... 彼らは検問所を設け、人々をグループに分けました... 私たちに銃を向けました... 連中はこう質問しました。‘イスラム教徒かどうか?’...そして‘もしイスラム教徒なら‘シャハーダ'を唱えよ。唱えることができなければ、殺されるか人質にとられるかです... 殺害され、太陽の灼熱下で、犬に食べられる亡骸をみました...”

マラウィ市の戦いは荒れ狂っている。ISIS狙撃兵に破壊されたビルの最上階、オーストラリア人記者が二日前に銃撃された場所から、私はそれと向き合った。

ここはアレッポではないが、軍隊による英雄的な反撃がなければ、そうなっていた可能性がある。

約100人の兵士が既に命を失った。私がレイ将軍に出会う一日前、彼の部下六人が負傷した。800人以上の一般市民が亡くなったと言われている。一体何人のテロリストが殺害されたか正確に知っている人はいない。これは本物の戦争だ。あらゆる戦争と同様、厳しく残酷だが、この場合、‘新たに独立した’国は明らかに勝利しつつある。

これは信じがたい光景だ。愛国的で断固とした兵士の中には、いまでもアメリカ国旗が刻まれたヘルメットや、古いイスラエルの防弾チョッキを身につけている人々がいる。だが疑いようもないことがある。これは現実の話、新しい国だ! 全く違うフィリピンとマラウィは、彼らが耐えなければならない、最初で最もきついテストの一つなのだ。

戦争が人々と軍隊を団結させた。欧米や地元の商業マスコミが一体何を書こうと、大半のフィリピン人は知っている。これは彼らの戦いなのだ。彼らの大統領と、彼らの軍隊が、実に異質で、暴力的で、恐ろしいものに対して戦っているのだ。

本コラムの主張、見解や意見は、もっぱら筆者のものであり、必ずしもRTのそれを代表するものではない。

アンドレ・ヴルチェクは、小説家、映画製作者で、調査ジャーナリスト。彼は数十ヶ国で、戦争や紛争を報道してきた。彼の最新書籍三冊は、革命的な小説『Aurora』と二冊のベストセラー政治ノンフィクション『帝国の嘘を暴露する』と『欧米帝国主義と闘う』。彼の他の著書をここで見る。アンドレは、teleSURと、Al-Mayadeen向けの映画を制作している。ルワンダとコンゴ民主共和国についての画期的ドキュメンタリー『ルワンダ・ギャンビット』を見る。長年、中南米、アフリカ、オセアニアで暮らした後、ヴルチェクは現在、東アジアと中東で暮らし、世界中で働いている。ウェブサイトかツイッターで連絡できる。

記事原文のurl:https://www.rt.com/op-edge/396462-marawi-duterte-isis-war/
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寿司友が常連の呆導、音を消して、つける悲しい癖がぬけない。そこで、

植草一秀の『知られざる真実』「アベノミクスで99%主権者の生活はズタズタだ」に書かれているメディア論に大賛成。

youtube暴露タレントのたわごとをいいおとなが集まって論じる民放いや民呆。いい年をして、金をもらって些事を論じる連中自体冗談そのもの。辺見庸の表現を借用すればクソバエ。音を消し、時折眺めている小生はクソバエ庶民。

全く対照的なのが、IWJのインタビュー。驚くほど、実に長時間だが中身は濃い。

日本で最初の立憲民主主義思想は現行憲法よりリベラルだった!? 幕末の思想家・赤松小三郎の暗殺に見る「明治礼賛」の虚妄! ~岩上安身による拓殖大学関良基准教授インタビュー(その2) 2017.7.11

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コメント

           ミンダナオ島紛争異説-フィリピン南部にISISを運んだのは誰??
 
  南洋の海辺の町を転々として早数年が過ぎようとしている。お陰様でいろいろな方と交流ができた。多くはお世話になった方々ばかりで,怖いめにあったことはない。南シナ海における誘拐事件にも幸か,不幸か遭わなかった。島々を巡るときは,海賊に襲われないように,高速艇が最高速度で走る。尻が痛くなること確実で波を被って身体を壊した方もいた。小さな島々が南シナ海にたくさん点在する。領土紛争も多発するわけだが,フィリピンはその名の通り,複数形であり,多くの島々からなるから,ミンダナオ島(Mindanao Island)も本来なら複数形で表した方がいいのかもしれない。インドネシア・マレ-シアの,多くの海辺の町からはフィリピンの島々が沢山見える(逆も真なり)。

  さて,ミンダナオ島にISISが現れて紛争が勃発したという。その様子は,本翻訳記事に詳しいので大いに参考になる。しかし,腑に落ちないことが一つある。それはISIS一味はどうやってマラウイ市にやって来たのだろうか,ということである。それとも誰かが彼らを運んだのか。
  アフガンやパキスタンあるいはシリア・イラクからどうやって遠路はるばるやって来たのか。インドネシアやマレ-シアの旅券が発見されたようだが,安倍昭恵夫人の旅券(赤色・私人用)は本物だろうが,偽物の可能性もある。政府によれば,マレ-シア人でISISに加わったのは96人で,30人程度が戦死したようだが,帰国時の入国審査は厳しいから,本国へ戻ってからフィリピンに向かったという可能性は低い。それは入出国日付を見なければ分からないが,今でも夜間外出禁止令が出ている島から島への移動は難しい(カメのタマゴ泥棒のための警備も厳しい)。
  マラウイ市の戦闘でフィリピン政府軍特殊部隊13人の死亡を発表したのは,駐比・米国大使館である。小生の疑問はここから始まった。なぜ,フィリピン政府が発表せず米国大使館が発表するのか。しかも「米軍は政府軍にいろいろ協力している」という。デュルテル大統領は,オバマを罵り,米比軍事演習は最後の一回限りとして米国からの協力・支援を拒否していたはず。早速デュルテル大統領はRT.comで「フィリピン政府軍は米軍から一切支援を受けていない」と発表した。
  それでも諦めず,米大使館付きのCIAは自分で文章を作り,「米軍がフィリピン政府軍を支援している」と言う文書を世界中に払撒いた。日本では米軍下請けNHKがニュ-ス解説でこれを報じた(南東アジア担当で米軍やフィリピン政府軍の動向に詳しいNHK解説委員はいない)。いないから米大使館から情報をもらったと推認できるが,フィリピン情勢に関するニュ-スはベネスエラ,ブラジル,ボリビア同様,極端に少ない。その意味でアンドレ・ヴルチェク氏のミンダナオ島潜入体験本記事は貴重である。
  ところで話を戻すと,彼の潜入記事にはやはりISIS一味がどうやってミンダナオ島に来たのか,あるいは誰かが運んだかの情報はない。もちろん他のブログやニュ-スでも読むことはできない。一説には500人から700人のISISが突如現れたという(上記米国大使館発表等)。この推定人数は意味深である。
  第一に最低の500人という数字は誰が算えたのか。
  第二に500人もISISが集まったとなると,シリア・イラクから敗走中のISIS残党がさらにフィリピンに来るのではないかという推測を読者にもたらす。現に頻りに米軍がシリアのISIS逃亡を手伝っているという報道をよく目にする。
 第三に500人ではなく,もし100人程度だとしても沙漠の国から熱帯雨林の島々に転戦するにはそれ相当の準備が必要である。もちろん熱帯地方における雨量は都市化以前より減ったという面があるが,やはり厳しいモノがあるだろう。しかしそれにしても,ミンダナオ一島に集結するには,それなりの特別の工夫が必要であろう。
  以上のように見てみると,ISIS一味は自ら集結したというより誰かに運んでもらったとみるのがより真実に近いのではないだろうか。
  ならば誰が運んだのであろうか。小生が注目したのは,サルマン国王ご一行の南東アジア,日本そして中国訪問である。ブルネイ・マレ-シア・インドネシア。フィリピン・ベトナムを飛ばして,日本と中国。フィリピンはカトリックの国であるが,イスラム教徒も少なからずいる。小生の知り合いもいる。
  もう一つは,戦闘機運搬船=空母カ-ル・ヴィンソン号である。サルマン歴訪は3月上旬。その後の4月朝鮮半島緊迫化。日本の新聞を始めTV局はC.ヴィンソン号がしきりに朝鮮半島に向かった事を報じた。しかしそのとき,ヴィンソン号は,シンガポ-ルを出発してインドネシア・スンダ海峡を通過した後であった。
  朝鮮半島沖とスンダ海峡,ス-ル-海は約5000kmの距離。3日から4日もあれば到着可能だが朝鮮半島ミサイル発射による北朝鮮と米韓軍の緊張を頻りに煽ったマル痴メディア。しかしマル痴でないとすれば,偽旗作戦。米空母打撃群(機動部隊)が朝鮮半島沖に集結間近を報じたのは,ヴィンソン号の動きから視聴者・読者の目を反らすためであったと考えれば,筋道は通る。
  しかるになぜ,世界的に,人の目をスンダ海峡,セレベス海から反らす必要があったのか。それはISISを降船させる時間が欲しかったからではないだろうか。インドネシアのマナド市,フィリピンのヘネラル・サントス,タバウ市付近に上陸させたものと推測される。そうして5月中にISIS一味をミンダナオ島に移動・上陸させ,23日に政府軍との交戦勃発。これを手伝ったのは,親米派政府軍乃至米軍CIA。
  しかしこれは第2波である。第1波はサルマン国王ご一行である。1000人の大集団。そのなかにISIS一味が紛れ込んでいたと推測できる。「いくつかのアラブ諸国の発行したパスポ-トを持って」,ブルネイやインドネシアやマレ-シアから出国しフィリピンに辿り着いたように思える。
  インドネシアの過激派がISISを送り込んだという考えもあるが,突然5月23日に戦闘が起きたという突然の出来事を考えたとき,五〇年後まで公文書公開を待てないから,異説をご披露申し上げた。一笑に付していただきたい。

追記:インドネシア人とマレ-シア人そしてフィリピン人の混血の方も何人か知っている。島も互いに近くに見ることができる。3年前だったかマレ-シア東部に上陸したス-ル-王国の軍隊,二〇〇人程度。ス-ル-王国は国連加盟国ではないが,フィリピン政府もマレ-シア政府もそしてインドネシア政府も承知している。つまり,特別な地位を与えられている。海の行き来は自由で,もちろん取り締まりは厳しいが,抜け道もたくさんある。

追記2:例えば,シリア・イラクあるいはアフガンからのISISは,ヨルダン政府,サウジアラビア政府や断交前のカタ-ル政府から旅券をもらう。サルマン国王のご一行に紛れる。ブルネイならブルネイの入国管理局から無審査で入国印を押してもらう。ご一行と別れ,フィリピン行きの飛行機に乗り込む。そしてミンダナオ島に向かう。これで集結完了(無審査で入国印を押してもらうのは,安倍昭恵夫人が「私人」であっても首相夫人であるから,無審査で入国印を押してもらうことができるのと同じく,ご一行は国王随行員であるから無審査入国印を押してもらうことができる)。
  ここで面白い話がある。それはマクロン氏の前任であるF.オランド・フランス元大統領。在任中に婚姻関係にある奥様同伴でインドを訪れたことがある。しかしインド政府は困った。結婚せず婚姻関係にあることは,インドの公序良俗に反する。つまり,公式に大統領夫人として歓迎すべきかどうか(日本なら,菅官房長官のように「問題ない。問題ない。」で済ますことができるが,インド政府はどう対応したか。済みません。「記憶にありません」)。

追記3:親米派のフィリピン政府軍と米軍CIAは協力することも多いにあるに違いない。しかし,親米派はフィリピン政府軍を代表しないから,政府軍は「米軍から支援を受けている」という話にはならない。

追記4:本ブログには現在の居住地からは投稿できないが,投稿できるコメント欄にこの問題に関する仮説を発表したところ,米海軍将校とおぼしき方から返信があり,サルマンご一行がISISを運んだ可能性はあるという。しかし,米海軍つまりC.ヴィンソン号が運んだという返事は貰えなかった。また,運んでいないという言葉もいただけなかった。つまり,彼が米海軍に属しているという事が分かる。
  安倍首相は安保法制でデタラメを言ったが軍船が民間人を運ぶことはないから,C.ヴィンソン号(空母打撃群艦船)がISISを運ぶことはない。しかし例外のない法則はない。アラブ諸国がISISを特殊戦闘員の資格を与え,ヴィンソン号で訓練してもらうという名目でこれらに乗り,ミンダナオ島近くで降船することは十分考えられる。

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