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2017年5月27日 (土)

JFK生誕百周年

Paul Craig Roberts
2017年5月24日

今年の戦没将兵追悼記念日、2017年5月29日、月曜は、第35代アメリカ大統領、ジョン・フィザーランド・ケネディ生誕百周年にあたる。

JFKは、大統領就任三年目の終わりに近づいていた1963年11月22日に暗殺された。長年証拠を調査した研究者たちは、ケネディ大統領は、CIAと統合参謀本部とシークレット・サービスの共謀によって暗殺されたと結論している。(例えば『JFK and the Unspeakable』 James W. ダグラス著を参照)

ケネディは、冷戦戦士として大統領の座についたが、CIAと統合参謀本部とのやりとりで、軍治安複合体に、私利追求の、人類にとって危険な狙いがあるのを知るに至った。彼はソ連との緊張を緩和すべく動き始めた。彼が、ノースウッド・プロジェクトというキューバ侵略計画や、対ソ連先制核攻撃を拒否し、再選後、ベトナムから撤退するつもりだったことや、演説のいくつかが、核時代における新しい外交政策手法(例えば、https://www.jfklibrary.org/Asset-Viewer/BWC7I4C9QUmLG9J6I8oy8w.aspx を参照)を示していたことで、軍治安複合体が、連中の権益にとって、ケネディは脅威だと確信したのだ。冷戦保守派は、彼はソ連の脅威に関して無知で、アメリカ国家安全保障に対する邪魔者だと見なしていた。こうしたことが暗殺の理由だった。1963年6月10日、ケネディが核実験禁止条約を目指すソ連との交渉と、アメリカの大気中核実験停止を発表した際、こうした見解が確定した。

隠蔽用のオズワルド説は全く意味をなさず、観光客が暗殺を撮影した8mmを含め、あらゆる証拠と矛盾する。自身が暗殺に関与したり、アメリカ国民を意図的に騙したかったりしたためでなく、アメリカ国民に真実を明らかにすれば、米ロ関係の極めて重要な時期に、政府に対する国民の信頼を動揺させるだろうという理由から、ジョンソン大統領は暗殺を隠蔽せざるを得なかったのだ。隠蔽を成功させるため、ジョンソンは、威信あるアメリカ最高裁長官アール・ウォーレンに、暗殺を隠蔽する委員会を主導させる必要があった。ウォーレンは、本当のことが、国民や、アメリカ同盟諸国の、軍と国家安全保障指導部に対する信頼に与える致命的な影響を理解していた。

私が以前に報じた通り、ランス・デヘヴン・スミスは、著書『Conspiracy Theory in America』で、ウォーレン委員会による隠蔽報告に対する疑義の信用を傷つけるためのテクニックとして、CIAが“陰謀論”という言葉を、政治用語に持ち込んだことを示している。彼は、CIAと、そのお仲間マスコミが、どのように言説を支配しているかを説明するCIA文書を示している。

以来“陰謀論”という単語は、本当の言説の信用を傷つけ、偽りの説明を公認するために活用されている。

ケネディ大統領は、イスラエル・ロビーに、外国の代理人として登録するよう要求し、イスラエルの核兵器保有を阻止することも固く決めていた。彼が暗殺されて、イスラエルの違法な活動への制限が外されてしまった。http://www.voltairenet.org/article178401.html

戦没将兵追悼記念日は、アメリカ国民が、軍務で国のために亡くなった人々を追悼する日だ。JFKは、平和と核軍縮の大義のために働いて倒された。1961年の国連演説で、ケネディ大統領はこう述べていた。

“今、地球のあらゆる住民は、地球が居住に適さなくなってしまう日のことに思いをはせねばなりません。全ての男性、女性、子供が、事故や誤算や狂気によって、いつなんどき切られかねない、実にか細い糸でつるされた核のダモクレスの剣の下で暮らしています。この戦争兵器は、それが我々を絶滅する前に絶滅しなければなりません。ですから、我々は、軍拡競争ではなく、平和競争でソ連に挑戦し、全面的で完全な軍縮が実現されるまで、一歩ずつ、段階ごとに、共に邁進するつもりです。”

ケネディの演説は、国内でも、海外でも好評で、ソ連指導者ニキータ・フルシチョフからも、好意的で、支援的な反応を得たが、統合参謀本部内の主戦論者連中の間に、不安を引き起こした。アメリカは、核弾頭と運搬システムの数という点で先行しており、この優位が、アメリカ軍の対ソ連奇襲核攻撃計画の根拠だった。 http://prospect.org/article/did-us-military-plan-nuclear-first-strike-1963 多くの人々が、核軍縮は、ソ連軍による西ヨーロッパ侵略に対する障害を取り除くことになるとも考えていた。主戦論者連中は、これを核のハルマゲドンより大きな脅威だと見なしていた。軍上層部の多くが、ケネディ大統領は、ソ連に対し、アメリカを弱体化させていると見なしていた。

ケネディ大統領暗殺は世界に対する膨大な損失だった。ケネディとフルシチョフは、キューバ・ミサイル危機を緩和した二人の協力を更に進め、軍治安複合体が、アメリカ政府支配を固めるずっと前に、冷戦を終わらせていたはずだった。イスラエルは核兵器保有を阻止されていたはずで、イスラエル・ロビーを、外国代理人とばして指定していれば、イスラエルが、アメリカ政府を強固に支配するのを防げていたはずだ。二期目に、JFKが、弟のロバートにその意図を語っていた通りに、CIAを粉々に粉砕していたはずで、陰の政府も、大統領より強力になる前に、終わらせられていたはずだった。

だが、軍治安複合体が先に攻撃して、クーデターをやり抜き、こうしたあらゆる可能性を潰し、アメリカ民主主義を終わらせたのだ。

Paul Craig  Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリップス・ハワード・ニュー ズ・サービスと、クリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。

ご寄付はここで。https://www.paulcraigroberts.org/pages/donate/

記事原文のurl:http://www.paulcraigroberts.org/2017/05/24/jfk-100-paul-craig-roberts/
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モリやらカケやら、キツネとタヌキの仕業は悪辣。前事務次官の発言に対する個人攻撃、沖縄密約事件を思い出す。
画期的文書のスクープを、個人的スキャンダルで潰した事件。

証人喚問を、インチキ与党全てが拒否していること自体、与党全ての有罪自白。
証人喚問が必要ないというウソツキ連中のデタラメ説明。

だが、軍治安複合体が先に攻撃して、クーデターをやり抜き、こうしたあらゆる可能性を潰し、属国のわずかに残った民主主義を終わらせるのだ。

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