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2016年9月 6日 (火)

労働者の日

Paul Craig Roberts
2016年9月4日

労働者の日と一体何だろう? おそらく、多くのアメリカ人は、もはや知らないだろうから、説明してさしあげよう。

私が若いころは、労働者の日の後に、学校が始まるので、労働者の日は非公式な夏の終わりだった。
現在は、学校はほぼ一カ月前に始まる。私の小学生時代なら、特に南部では、これは不可能だったろう。学校にエアコンはなかったのだ。もし学校が8月に始まっていたら、誰も行かなかっただろう。6月に学校が終わるまで、5月を越すことさえも実に大変だった。

労働者の日が、その役割を失ってしまった以上、大半のアメリカ人は、たぶん労働者の日は、最後の夏の休日と考えているだろうが、労働者の日とは一体何だろう? 祝日は、行き詰まり状態を和らげるため、資本家が労働者に投げ与えた謝罪として始まったのだ。

労働者は、素敵なオフィスにいるウオール街の大物や銀行家ではなく、労働こそが経済の中心であることを理解していた。労働者は労働を評価する祝日が欲しかったので、労働を公共政策で、資本と並ぶ位置に昇格させたのだ。一部の州は労働者の日祝日を設けたが、労働者の日が連邦の祝日になったのは、1894年のことだ。

1894年、プルマン・ストライキの際、陸軍と連邦保安官によるストライキ参加者殺害に対応して、議会は連邦の祝日を設けたのだ。プルマン鉄道車両を製造していた工場労働者は、プルマンの企業都市で暮らしていた。ジョージ・プルマンが、賃金を引き下げたが、企業城下町の家賃を引き下げずに、ストライキを引き起こしたのだ。

グルーバー・クリーブランド大統領は、資本家による支配を回復させるのを、リチャード・オルニー司法長官に頼った。元鉄道会社弁護士のオルニーは、ストライキを解散させるために、連邦の武力を送り込んだ。オルニーは、依然、鉄道会社から、アメリカ司法長官としての給与よりも高い、依頼料を受け取り続けていた。だから、彼がどちら側だったか、我々にはわかる。売女マスコミは、殴打されたストライキ参加者を、非愛国的な外国人として報じ、ストライキの指導者、ユージン・デブスは、連邦刑務所での懲役刑を受けた。この経験が、デブスを過激にし、彼は社会主義者になったのだ。

あからさまな不公平が、資本家連中が耐えられる以上に、労働者に対する共感を生み出したので、議会は労働者の日を作って、状況を鎮めたのだ。クリーブランド大統領は、労働者を相手に血まみれになった手を、法律に署名して洗ったのだ。

9月第一月曜日に我々が公式に祝うのは、アメリカ労働者なのだが、本当に祝われているのは、資本家が、またしても国民を惑わせ、本当の社会革命を回避に成功したことだ。

我々に労働者の日を与えてくれた労働運動は、もはや存在しない。アメリカ労働運動は、最も有名な指導者、AFL-CIOのジョージ・ミーニーが亡くなってから約十年後に死んだのだ。ミーニーは、1894年に生まれ、1980年に亡くなった。

労働者が、政治と政策の中心だった頃を覚えている。“労働経済学者”と呼ばれる経済学者さえいたのだ。労働者の政治的影響力は、アメリカの工業・製造業雇用の海外移転によって、終わった。長年、アメリカの資本家は、労働権法がある南部の州に企業の施設を置いて、労働者の公平な扱いを避けようとしていた。ところが、ソ連の崩壊と、インドと中国の外国資本に対する姿勢の変化で、資本家は、アメリカ人に売る製品とサービスの生産に外国人労働者への海外移転を利用して、利益を増やせることを学んだのだ。人件費の差異は、直接、利益、役員賞与や、株主のキャピタル・ゲインになる。

想像上の世界に生きている自由市場経済学者連中は、より低い人件費は、より安いアメリカ消費者価格をもたらすことになり、給料の良い雇用が喪失するのに、消費者にとっては、恩恵となるふりをしている。自由市場経済学者の問題は、先験的な理論が、経験的事実より優先することだ。自由市場経済学者にとっては、あるべき姿の世界が、実際ある世界の姿より優先するのだ。

雇用の海外移転の結果、産業・製造業都市は、準ゴースト・タウン化し、人口も減少した。都市や州政府は、税基盤を奪われ、強制的に年金給付をさせられる状況になってしまった。即座の破産を避けるため、シカゴなどの都市は、75年間の駐車料収入を一括払いにするなどして、公有資産を売り払っている。

共和党という企業政党に対する拮抗力であった民主党は、組合費を支払っていた雇用が、もはやアメリカ国内には無くなり、組合からの財政支援を奪われてしまった。製造を海外に移転すくことで、資本家は、民主党を、企業からの財政支援に依存する二つ目の資本家政党に変えたのだ。

現在存在しているのは、二つの頭がある単一政党だ。二党間の競争は、次の任期中、どちらの党が、資本家の売女役になれるかを巡るものだ。民主党と共和党は、交代して売女役を演じており、どちらにも他のことをしようという動機は皆無だ。

生産性の高い、付加価値の高いアメリカの雇用を海外移転したことで、労働運動が破壊された。労働運動指導者は、ウエイトレス、バーテンダー、病院の雑役係や、小売り店員のようなパートタイムの仕事をしている人々をうまく組織できるだろうか? 長年、月例就業者数報告に関する私の記事で、指摘している通り、アメリカ合州国の雇用プロフィールは、今や第三世界の国のものだ。自立した家庭生活を維持できる雇用の欠如が、24歳から34歳のアメリカ人の益々多くの人が、自立せずに、自宅で両親と暮らしている理由だ。雇用の欠如こそが、就業率が長年低下している理由だ。可処分所得が生まれるだけの十分な給与を支払う雇用の欠如が、経済が成長できない理由だ。

先週金曜日の労働統計局雇用報告を見ると、雇用があるのは低賃金のパートタイムのサービス部門だ。製品製造部門は、24,000件の雇用を失った。雇用があるのは、小売業、医療や、社会扶助、ウエイトレスやバーテンダー、税金で維持されている政府雇用だ。

ワシントンの政策立案者たちが自覚していようが、いまいが、アメリカ労働人口は、半世紀前のインドのような匂いがする。狂ったヒラリーや、お仲間のネオコンが何を主張しようとも、アメリカ労働人口構成には、アメリカが超大国だという証拠は皆無だ。実際、雇用統計が示しているのは、アメリカ合州国は第三世界の国で、指導者連中が全く正気を失って、世界の一等国、ロシアと中国に挑もうとしているということだ。

アメリカ合州国は破滅しかかっている。それを認めるつもりが皆無なのだから、何も手のうちようがない。アメリカの最後の機能は、第三次世界大戦を引き起こし、我々全員を消し去ることだ。

記事原文のurl:http://www.paulcraigroberts.org/2016/09/04/labor-day/
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Paul Craig Roberts氏、2014年には『労働者の日に思う。労働の消滅はアメリカの消滅』という記事を書いておられる。

我々に労働者の日を与えてくれた労働運動は、もはや存在しない。日本の労働運動も、アメリカの最も有名な指導者、AFL-CIOのジョージ・ミーニーが亡くなってから約十年後に死んだのだ。現在存在しているのは、二つの頭がある単一政党だ。二党間の競争は、次の任期中、どちらの党が、資本家の売女役になれるかを巡るものだ。両党は交代して売女役を演じており、どちらにも他のことをしようという動機は皆無だ。

「二つの頭がある単一政党」ということでは、興味深い記事がある。

アメリカ:一党独裁国家

そうした事実を報じない洗脳と虚報の大本営広報部と、小選挙区制度が変わらない限り、とんでもない政治は変わらないだろうと思う。

Paul Craig Roberts氏、毎回の雇用統計のウソを再三指摘しておられる。
粉飾統計を決して、大本営広報部は分析しない。虚報を振りまくのがお役目。

労働の日起源の説明としては素晴らしいが、日にちの設定説明が欠けているのが残念。
本来メーデー5月1日近くに揃えたいところだったが、不都合な理由があったという。

アメリカ版大逆事件?のような、爆発物がからむ1886年5月4日のヘイマーケット事件。

逃亡中の1人を含めたアルバート・パーソンズら9人のアナキストが起訴され、6月21日から裁判にかけられた。被告人らは皆が無罪を主張したが、検察側は被告人らが共同謀議の末に全シカゴを爆破すると決め、5月4日の爆弾テロに至ったと主張した。しかし、裁判では共同謀議の存在は立証できず、爆弾を投げた実行犯が誰であるかさえ特定できなかった。しかし、判事は陪審団に対して、被告人らが過去に暴力行為を推奨してきた以上、爆弾を投げたのが誰であるにせよ、被告人らは責任を逃れられないと語った。

8月20日、陪審団は3時間の合議の後に、被告人7人に対して絞首刑を、1人に対して懲役15年を評決した。裁判やり直しを求めた弁護側に対して判事はこれを却下し、「被告の誰かが爆弾投擲に加わったか、あるいはそれを予想したかどうかは枝葉の問題である。陪審員評決を覆すことは、無政府状態の導入につながる」と述べた。

11月10日の朝に死刑囚の1人が自殺し、同日夕方に2人が無期懲役に減刑された。翌11月11日、4人の死刑囚は処刑された。

労働者の日に思う。労働の消滅はアメリカの消滅』という彼の記事翻訳の末尾に、ヘイマーケット事件から24年後の1910年(明治43年)5月25日の大逆事件、全く何の証拠もないが、明治政府は、1886年5月4日のヘイマーケット事件を手本にしたのではないかと、勝手な憶測を書いた。

幸徳秋水は、1905年末に渡米し、翌年のサンフランシスコ地震にあった。滞米中、日本の当局から監視されていたのは事実だ。
幸徳秋水のアメリカ渡米は、大逆事件の19年前だが、面倒な連中を一挙に殲滅する手法・口実を、明治政府は熱心に研究していたに違いないと妄想している。

「ヘイトスピーチは確実に人を壊し、社会を壊す。戦争と同じ」 100年の時を越えて重なる「弾圧」と「沈黙」の社会気流――「大逆事件とヘイトスピーチ」ジャーナリスト安田浩一氏が講演 2015.1.26

院内集会「102年後に大逆事件を問う」 2013.1.24

日刊IWJガイドの冒頭をコピーさせていただこう。こうした重要な活動の支持者が5000人台という事実が不思議でならない。なぜ50000人台でないのだろう?

■■■日刊IWJガイド「『関東大震災 朝鮮人虐殺の記録』を出版した西崎雅夫氏の講演を17時より再配信!9月10日には岩上さんが単独インタビュー!/『保守』候補者ばかりの民進党代表選に、市民ははやくもシラケムード!?」2016.9.6日号~No.1453号~■■■
(2016.9.6 8時00分)

 おはようございます。IWJで主にテキスト関係の業務を担当している平山茂樹と申します。

 9月2日に告示された民進党代表選挙。蓮舫参議院議員、前原誠司衆議院議員、玉木雄一郎衆議院議員の3人が立候補していますが、野党第一党の代表選であるにも関わらず、盛り上がりに欠けています。現執行部を継承する蓮舫氏の当選が確実視されているからでしょうか。それとも、国民はもはや民進党に露ほども期待していないということなのでしょうか?

 必ずしもそうではないだろうと、岩上さん以下、IWJとしては考えています。

 盛り上がりにかける最大の理由は、立候補者3人の政治信条に、さして違いがないからではないでしょうか。今のところ、7月10日に投開票された参院選、そしてその後の東京都知事選で実現した共産党を含む「野党共闘」に対し、3人とも否定的な見方を示しています。秋の臨時国会で最大の争点となる憲法改正に関しても、3人とも「積極的に議論すべきだ」としています。

※2016民進党代表選 改憲議論、3候補前向き 9条へのスタンスに差(毎日新聞、2016年9月5日)
http://mainichi.jp/articles/20160905/ddm/002/010/067000c

 2010年9月、民主党(当時)政権下において、当時の菅直人総理と小沢一郎衆議院議員によって争われた代表選挙は、TPP交渉参加などで「対米従属」路線に傾くか、それとも政権交代時に国民と約束したマニフェストを守るかという点などで、対立軸が明確になった「世紀の決戦」でした。

 投票権をもつ議員、党員、サポーターだけでなく、メディアの注目度、国民の関心の高さも段違いでした。結果は、僅差で菅氏が勝利。民主党は、その後に続く野田佳彦政権とあわせ、「対米従属」路線を加速させ、結果として、2012年末の第2次安倍政権の誕生を準備することになりました。

 この時が民主党の分水嶺だったのだなと、今、振り返ってみてつくづく思います。

 保育園の待機児童問題で一躍脚光を浴び、政調会長に抜擢された民進党の山尾志桜里衆議院議員は、今回の代表選で、党内きっての「タカ派」であり、自称「国家資本主義者」の前原誠司氏の支持を表明しています。この点に驚きと違和感を感じた人は少なくないと思います。が、実は山尾氏は、2010年9月の代表選では菅氏の推薦人に名前を連ね、小沢一郎氏が陸山会事件で追及されていた際には、「小沢バッシング」に加わったこともありました。また、2011年の衆議院憲法審査会で、「緊急事態条項」の必要性を主張したこともあります。

 待機児童問題では、困ったお母さんたちに寄り添う姿勢を示して広く共感を得ていましたが、ご本人の政治思想、前原氏や長島昭久氏と同じように、改憲と、さらには「緊急事態条項」まで容認する「タカ派」議員ではないかと思われます。

 岩上さんは、昨年12月25日に行われた民主党(当時)の岡田克也代表への単独インタビューの中で、山尾氏が「緊急事態条項」の必要性を主張していることに触れています。これは、まだ山尾氏が待機児童問題で脚光を浴びる以前のインタビューです。岡田代表の、この時の気色ばみ方も印象に残ります。

 このたびIWJでは、このインタビューの中から山尾氏に言及した部分をハイライト動画として切り出し、YouTubeにアップしましたので、民進党代表選の行方とあわせて、ご覧いただきたいと思います。

※【ハイライト動画】山尾志桜里氏が緊急事態条項に賛成と発言!~岩上安身による民主党・岡田克也代表(当時)インタビュー
https://www.youtube.com/watch?v=acwdIajzBrI&feature=youtu.be

 このように、岩上さんのインタビューでは、先々の情勢を見通した発言が数多く飛び出します。ですので、インタビューのアーカイブ動画には、いずれも現在および近未来の情勢とダイレクトに直結するような、貴重な証言が詰まっており、古びていません。

 IWJのサポート会員にご登録いただければ、過去すべてのアーカイブ動画が、いつでも好きな時にご覧いただけます。この機会に、会員登録がまだの方は定額会員に、今一般会員の方はサポート会員へのお切り替えをご検討ください。

※IWJ定額会員へのご登録はこちらから
https://iwj.co.jp/ec/entry/kiyaku.php

 さて、9月に入り、岩上さんはインタビュー取材を再開する予定です。後段で改めて告知しますが、まずは9月10日(土)に、関東大震災における朝鮮人虐殺に関する大部の証言集を出版した一般社団法人「ほうせんか」理事の西崎雅夫氏にインタビューを行います。どうぞ、ご注目ください!

 今から1ヶ月半前、岩上さんは狭心症の発作に1年数か月ぶりに見舞われた他、過労のため(明らかにオーバーワークであり、主治医からドクターストップがかかっていました)持病の睡眠障害や高血圧も悪化。仕事をしていてもたびたび目眩に襲われるなど、体調不良が続いていました。

 それでも7月いっぱいは参議院選と注目の都知事選もあり、すでに決まっていたアポイントもあって、全力投球を続けました。8月に入ってから、仕事をセーブしましたが、前半は体調不良の為、まだ苦しい様子でした。

 しかし、8月後半からは、蓄積疲労が軽くなってきたようで、運動も開始。8月25日には、午前中から事務所のある六本木-麻布周辺でウォーキングを敢行して、その様子をSNSに連投。その後も、ジムで汗を流したりプールでウォーキングしたりと、根気強く運動を続け、体調の回復と減量にも取り組んでいます。岩上さんいわく、「体を動かすと、その疲労感でよく眠れて、たまっていた疲れが少しずつ抜けていく」とのこと。復活の手応えを感じているそうです。

※2016/08/25【岩上安身のツイ録】再度の心臓発作と酷いめまいに襲われた7月、リハビリの8月を乗り越え「復活」の「都心ウォーキング」
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/327750

 とはいえ、体調が改善に上向いているというわけではなく、まだ、めまいに見舞われており、油断はできません。ジャーナリストとIWJの編集長と経営者の3つの顔を持つ岩上さんがダウンすれば、IWJの活動は途端に立ちいかなくなります。

 先週末、かなりひどいめまいに見舞われたので、週が明けて昨日の月曜日、かかりつけのクリニックに行って首筋へ注射を打ってきたそうです。頸椎に故障があり、頸椎に沿った血管が細くなって血流が悪くなっているため、交感神経を抑制、血管を拡張する治療なのだそうです。スタッフ一同、ハラハラしましたが、夕方、事務所へ戻ってきて仕事を始めたのを見て、ホッとしました。

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コメント

 言うまでもないことですが、「明治維新」はイギリスをはじめとする欧米諸国の強い影響を受けています。ヘイマーケット事件を手本にして大逆事件を考えたことも十分にありえるのではないでしょうか。

 ところで、長州藩や薩摩藩を中心として成立した新政権は中央集権化を進めるため、1871年7月に廃藩置県を実施するのですが、その翌年に琉球国を潰して琉球藩を設置し、79年に沖縄県を作りました。新政権が琉球国を日本領だと認識、あるいは日本領にしようと目論んでいたなら、廃藩置県の前に琉球藩をでっち上げていたでしょう。順番が不自然です。

 廃藩置県の直後、1871年10月に宮古島漁民が難破して台湾へ漂着、その一部が殺されたとされています。日本政府は清に抗議し、被害者に対する賠償や謝罪を要求していますが、この抗議を成立させるためには宮古島、つまり琉球国が日本領だという形を作る必要がありました。その形を作るために琉球処分だと考えると薩長政権が行ったことを納得できます。

 この流れで1874年に新政権は台湾に軍隊を送り込み、75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功、無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させています。ここから日本の東アジア侵略が始まるわけです。

 この過程で厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダー(Charles Le Gendre)が登場します。実は、2003年に公開された映画「ザ・ラスト・サムライ」でこの人物の存在を知りました。1872年にリ・ジェンダーは来日、外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧め、それ以降、75年まで外務省の顧問を務めています。台湾への派兵を進めたのならば、琉球処分にも何らかの形で関与していたのではないでしょうか。

 外務省を辞めた後もリ・ジェンダーは日本に滞在し、大隈重信に助言したりしていたそうです。そして1890年に離日、その年から99年まで李氏朝鮮の王、高宗の顧問を務めたとされています。

 その当時、李氏朝鮮では興宣大院君(高宗の父)と閔妃(みんぴ)が対立、1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると、日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながりました。1895年に閔妃は三浦梧楼らによって惨殺されますが、この間、リ・ジェンダーが何もしていなかったとは思えません。

 徳川体制から薩長体制への交代を日本国内だけで考えるべきではなく、イギリスだけでなくアメリカも深く関与していたと私は思っています。1884年に秩父蜂起が鎮圧されていますが、それを見ると薩長政権は民衆弾圧に長けていたようにも思えます。

 幕末の某スーパースターは「万国公法」を崇めていたそうですが、これは欧米諸国が植民地建設を正当化するため、自分たちに都合良く作り上げた代物です。このスーパースター、イギリスの麻薬業者と親しくしていました。

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