フェトフッラー・ギュレンとは、一体何か?
2016年7月25日
F. William Engdahl
Far Eastern Outlook
7月15日のトルコにおけるクーデター未遂以来、欧米マスコミでは、非常事態宣言をして、彼の支配に反対する連中全員を投獄する口実を得るために、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が、実際全て画策したという憶測が多くなされている。現時点では、証拠は依然決してそうではなかったことを示唆している。そうではなく、クーデターの企みが崩壊しつつあるのが明らかな時点に私が書いたように、これはCIAの手先、亡命トルコ人フェトフッラー・ギュレンのネットワークというトルコ国内の主要アセットを利用して行った、CIAが引きおこしたクーデターだったのだ。フェトフッラー・ギュレンとは“一何か”を詳細に検討すると、75歳の穏やかな話し方をする穏健派イスラム教徒、学者でイマムという優しいイメージとは程遠いのだ。彼のネットワークは、ドイツでは、イスラム教専門家たちによって、最も危険だと言われており、いくつかの中央アジア諸国では禁止されている。今やトルコ国内でも禁止されている。明らかになりつつあるのは、クーデター未遂は、実際は、手直しをして、将来のより本格的な企みに備えるため、エルドアンが一体どのように反応するかを見る目的での、CIA本部でギュレンを管理している連中による、予行演習、舞台稽古だったということだ。ロシアと和解に向かい、更に、シリアのアサドとも和解しそうな、エルドアンによる外交政策変更が、アメリカ政府には多いに不満なのだ。
フェトフッラー・ギュレンは“一体誰か”というより“、むしろ一体何か”という問題だ。アメリカ合州国やドイツを含め、トルコから、中央アジアの歴史的にチュルク諸語地域、中国の石油豊富な新疆ウイグル自治州のウイグル人まで、無数の国に広がる、アメリカ合州国の諸諜報機関によって作りだされた、最も大規模で、精巧な代理戦争ネットワークの一つだ。
フェトフッラー・ギュレンの蜘蛛の巣
私の著書、The Lost Hegemon: Whom the gods would destroy(「失われた覇権: 神が破壊したまう物」)の調査概要を引用すれば下記通りだ。1990年代、彼がまだトルコにいた頃、信奉者に対するギュレン演説の引用から始めよう。
“あらゆる権力の中枢に到るまでは、誰にも、自分の存在を気づかれることなく、体制の動脈内を動かねばならない…準備万端整い、条件が熟し、我々が世界を背負って、運ぶことができるようになるまで、待たなければならない…トルコのあらゆる国家権力を掌握するまで、待たなければならない…その時までは、いかなる行動も時期尚早だ-しっかり40日間、卵が孵るのを待たずに、卵を割るようなものだ。”
-トルコにおける信奉者への説教におけるイマム、フェトフッラー・ギュレンの言葉
1990年代、オサマ・ビン・ラディンのアラブ・ムジャヒディン“聖戦戦士”を、チェチェンとカフカスに送り込みながら、CIAは、ワシントンの、自称“ネオコン”ネットワークと協力して、最も野心的なイスラム・プロジェクト構築を開始していた。
それは、トルコ語では、ジェマート、つまり “社会”としても知られているフェトフッラー・ギュレン運動だ。その焦点は、ヒズメット、彼らがイスラム教コミュニティーに対する“奉仕の義務”と定義するものにある。奇妙なことに、このトルコの運動の基地は、ペンシルヴェニア州のセイラーズバーグだった。そこで、主要人物、隠遁したフェトフッラー・ギュレンが、全て追跡不可能な資金によって、イスラム教の学校、事業と、財団の世界ネットワークを構築するのに多忙だといことになっていた。彼のギュレン運動、ジェマートには、住所がなく、郵便受けもなく、公式な団体登記もなく、中央銀行口座もなく、全く何もないのだ。彼の信奉者たちは、決してシャリーアや聖戦のために抗議行動をしたことがない-彼らの活動は、全く人目につかない。
2008年、アメリカ政府裁判所の公式記録では、ギュレン帝国の世界的資産を、250億ドルから、500億ドルの間と見積もっている。独立した監査がないので、一体どれほど大きな金額なのか、誰も証明できないのだ。ギュレンの特別なアメリカ永住ビザ資格請願の審問時の、アメリカ裁判所での証言で、ある熱心なジャマート・ジャーナリストが、ギュレン帝国の規模について、こう述べていた。:
ギュレンに感化された信奉者が資金提供しているプロジェクトは、現在、何千もあり、国境を越えて広がっており…それには、5大陸の90以上の国々にある、 2000以上の学校、7つの大学、二つの近代的病院、ザマン新聞 (トルコ語版と英語版がある)、テレビ局(サマンヨル)、ラジオ局(Burc FM)、CHA (主要なトルコ通信社)、Aksiyon (主要ニュース週刊誌)、国内、国際ギュレン会議、ラマダン宗派間晩餐会、宗派間対話トルコ旅行から、ジャーナリスト・作家財団が資金提供する多くのプログラムに至るまで色々ある。更に、イシク保険会社と、イスラム教銀行、アジア銀行は、ギュレン・コミュニティの系列だ。
アジア銀行は、ロンドンのバンカー誌による、世界のトップ500銀行に載っている。イスラム開発銀行の、セネガルに本拠を置く、タンウィール・アフリカ・ホールディングSAとの戦略的協力協定により、セネガルから、マリにいたるまでのイスラム教アフリカ全土で、合弁事業の銀行を運営している。ザマン紙は、トルコ最大の日刊紙、英語版トゥデイズ・ザマンも保有している。
1990年代末、ギュレン運動に、トルコ軍と、アンカラ政府の反NATO民族主義勢力が、警戒し、注目するようになった。
1920年代、第一次世界大戦後、独立戦争で勝利すべく一連の輝かしい軍事作戦を率いた後、ケマル・アタチュルクが、現代トルコ国家を建国した。彼は、宗教に基づくオスマン・カリフ国を、現代的で、世俗的で、民主的国民国家に転換することを狙った一連の政治、経済、文化改革を開始した。彼は何千もの新たな学校を作り、初等教育を無料・義務とし、女性にも平等な市民的、政治的権利を与え、農民の税負担を下げた。
ギュレンと彼の運動は、現代トルコの、世俗的なケマル主義の残滓を消し去り、かつてのカリフ制への回帰を目指すものだ。メンバー向けのある著作の中で、彼は“人々が蜘蛛の巣に捕らえられるまで、蜘蛛の忍耐をもって、我々の網を張ろう”と宣言している。
1998年、私的会合で信奉者に行った反逆罪的説教が公表される少し前に、ギュレンはアメリカに亡命した。彼が支持者たちに“国家を掌握するため、辛抱強く働き、省庁にこっそり忍び込む”よう呼びかけたのが録音されているが、これは、トルコのアタチュルク憲法では反逆罪にあたる。
‘イスラム版「オプス・デイ」’
1999年、トルコのテレビが、ギュレンが、信奉者の集まりで説教し、シャリーア(イスラム法)によって支配されるイスラム主義トルコへの熱望ああかし、その狙いを実現するために用いるべき具体的方法も語った映像を放送した。秘密の説教で、ギュレンは、こう述べていた。
“あらゆる権力の中枢に到るまでは、誰にも、自分の存在を気づかれることなく、体制の動脈内を動かねばならない…機が熟すまで、彼ら[信奉者]は、こういうやり方を続けなければならない…準備万端整い、条件が熟し、我々が世界を背負い、運ぶことができるようになるまで、待たなければならない…あらゆる国家権力を掌握し、トルコのあらゆる政府機関を我々側に引きつける時まで、待たなければならない…その時までは、いかなる行動も時期尚早だ-しっかり40日間、卵が孵るのを待たずに、卵を割るようなものだ。中のひなを殺すようなものだ… 皆さんの忠誠と、秘密を守れることを信頼して、私の気持ちと考えを、皆さん全員にお話した。”
ギュレンが、ペンシルヴェニア州に逃れた際、トルコ検事は“非宗教的な国の機関を破壊し、神政国家を作り出すことを狙った組織を創設したかどで”彼に10年の刑を要求した
奇妙なことに、イスラム主義エルドアンの裁判所が、後に、2006年に、彼に対する全ての告訴を取り下げても、それ以来、ギュレンは、決して、アメリカ合州国を離れたことがない。当時友好的だった、エルドアンのイスラム主義AKP政府が、告訴を取り下げても、彼が帰国を拒否していることが、トルコ国内で、彼に反対する人々の間で、彼とCIAとの密接なつながりに関する確信を強めることになった。
2000年に、ギュレンは、当時の非宗教的なトルコ裁判所によって、反逆罪を犯したかどで告訴された。糖尿病だという健康上の理由を主張して、フェトフッラー・ギュレンは、彼の起訴が行われる前に、何人かの極めて有力なCIAと国務省の友人たちの助力で、アメリカ合州国での永久亡命に成功した。彼はあらかじめ警告されていたのだと疑うむきもある。
狼に羊の衣を着せたCIA
アフガニスタンのヘクマチアルや、ボスニアのナセル・オリッチなどのCIAのムジャヒディン聖戦士とは違い、CIAは、フェトフッラー・ギュレンには全く違うイメージを与えることに決めた。血も凍る思いをさせたり、首を斬ったり、人の心臓を食べたりする聖戦戦士と違い、ギュレンがヨハネ・パウロ2世と一緒の記念写真をとって、“平和、愛と友愛”の人として、彼のウェブサイトに、目立つように掲げ、フェトフッラー・ギュレンを、世界に売り込んだ。
1998年、ローマで、ギュレントと、平和と異教間調和の人故ヨハネ・パウロ2世。
アメリカに移ると、ギュレン組織は、“穏健”イスラム教のイメージを広めるべく、ワシントンで高給の広報イメージ戦略専門家の一人、元ジョージ・W・ブッシュの選挙ディレクター、カレン・ヒューズを雇った。
CIAのギュレン・プロジェクトは、旧オスマン・トルコ・カリフ制の広大なユーラシアの勢力範囲に遡って、新オスマン・カリフ制を生み出すことに注力していた。
1999年、反逆罪のかどでの訴訟を避けるために、ギュレンが、トルコから逃れた際、彼はアメリカ合州国を選んだ。彼はCIAの助力を得て、そうしたのだ。当時、アメリカ政府の国土安全保障省もアメリカ国務省も、“教育分野における目ざましい能力の外国人としての優遇ビザ”と呼ばれるもののへのギュレンの申請に反対した。彼らは、5年で退学した、フェトフッラー・ギュレンは、優遇ビザを与えられるべきではないことを示して、論拠を述べた。彼らは、彼の経歴には、
“…申立人が、教育分野の専門家ではなく、教育者ではなく、その分野の頂点に上り詰めた、極く少数の教育分野専門家の一人でないことは確実だという圧倒的な証拠がある。しかも、記録には、申立人は、膨大な企業を持った大規模で、影響力のある、宗教・政治運動の主要指導者だという圧倒的な証拠がある。”
2013年に、公然と対決するまで、フェトフッラー・ギュレン(左)は レジェップ・エルドアンAK党の黒幕だった。ギュレンは、トルコ国内で、広く、CIAの手先というレッテルが貼られている。
ところが、FBIと、アメリカ国務省と、アメリカ国土安全保障省の反対を巡り、三人の元CIA職員が介入し、ギュレンの永住ビザと、アメリカ永久在住を確保するのに成功した。ビザ発給に反対する裁判所での主張で、アメリカ国務省の弁護士は“ギュレン運動が、そのプロジェクトに資金供給するために使う膨大な資金ゆえに、彼はサウジアラビア、イランとトルコ政府と秘密の合意をしているという主張がある。CIAが、こうしたプロジェクトに資金提供する共同支払人ではという疑惑がある。”とはっきり述べていた。
2007年、ギュレンの永住ビザ申請を支持した三人のCIA関係者は、駐トルコ元アメリカ大使、モートン・アブラモウィッツ、CIA幹部のジョージ・フィダスと、グラハム・E・フラーだ。ジョージ・フィダスは、とりわけバルカンを担当して、CIAに31年間つとめた。“非公式”であれ、CIA関係者だと言われているモートン・アブラモウィッツは、1989年、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領により、アメリカのトルコ大使に任命された。トルコ語翻訳者で、“内部告発者”のシーベル・エドモンズが、彼女が発見した トルコから、犯罪的な“陰の政府”の狙いを進めるため、イスタンブールから、中国にまで至るチュルク諸語の世界あらゆるところでネットワークを利用しているアメリカ政府内部にある陰の陰謀団の一部だとして、アブラモウィッツと、グラハム・E・フラーの名をあげた。。ネットワークは、アフガニスタンからのヘロイン密輸出にも、大規模に関与していると言われている。
国務省退職後、アブラモウィッツは、アメリカ議会が資金を提供している全米民主主義基金(NED)の役員をつとめており、ジョージ・ソロスと共に国際危機グループの共同創設者だ。NEDも、国際危機グループも、1990年のソ連崩壊以来、様々なアメリカ“カラー革命”に連座している。
フェトフッラー・ギュレン三人目のCIAの“お友達”グラハム・E・フラーは、1980年以来、ムジャヒディンや、他の政治的イスラム主義組織を、CIAが操る上で、主要な役割を演じていた。彼は、トルコ、レバノン、サウジアラビア、イエメンと、アフガニスタンで、20年間、CIA作戦将校として過ごしたが、アメリカの外交政策を推進するために、ムスリム同胞団や、同様のイスラム主義組織の活用を早期に主張したCIA関係者の一人だ。
1982年、グラハム・フラーは、CIAの近東と南アジア、国家情報将校に任命され、CIA所長としてつとめたことがあるアフガニスタンと、中央アジアと、トルコを担当した。1986年、フラーは、CIAの国家情報会議副議長となり、国家レベルの戦略的予測の全般的責任を負うことになった。
『政治的イスラムの将来』の著者フラーは、後にイラン-コントラ事件となった、イランに違法に武器を流すのに、イスラエルを利用して、8年間におよぶイラン-イラク戦争のパランスを変えるよう、レーガン政権を説得したCIAの主要人物でもある。
1988年、アフガニスタン・ムジャヒディン戦争が収まると、フラーはCIA国家情報会議副議長の地位で、CIAを“退職し”、おそらく、イラン-コントラ・スキャンダルにおける彼の役割で、CIAでのフラーの元ボスで、当時の大統領候補ジョージ・H・W・ブッシュに、迷惑がかかるのを避けるために、RAND社に移った。
RANDは、ペンタゴンと、CIAとつながる、ネオコン・ワシントン・シンクタンクだ。旧ソ連中央アジアに侵入するための地政学的勢力として、ギュレン運動を構築するCIA戦略を開発する上で、RANDにおけるフラーの仕事が大いに役立っている様子が伺える。RAND論文で、フラーは、トルコ、スーダン、アフガニスタン、パキスタンとアルジェリアのイスラム原理主義の研究や、イラクが“生き残る可能性”や、ソ連崩壊後の“中央アジアの新たな地政学”を書いているが、そこにフェトフッラー・ギュレンの要員が、ギュレン学校や、イスラム教を教える学校マドラサを設立すべく、送り込まれていた。
1999年、RAND在職中、フラーは、中央アジアにおいて、アメリカの権益を推進するため、中国とロシア両国に対し、イスラム勢力を利用することを主張した。彼はこう述べていた。“イスラム教の進展を指導し、我々の敵と戦う彼等を支援する政策は、アフガニスタンにおいては、ロシアに対して、驚ろくほど巧く機能した。ロシア勢力の残滓を不安定化させ、特に、中央アジアにおける中国の影響力に対抗するため、同じ手法が、今でも利用可能だ。”あらゆる証拠から見て、フラーと彼の仲間は、“ロシア勢力の残滓を不安定化し、特に中央アジアにおける中国の影響力に対抗するため”のCIA作戦で、手中の人物、フェトフッラー・ギュレンに、おそらく主要な役割を演じさせるつもりだったろう。
CIAで出世を遂げた人物、グラハム・E・フラーは、フェトフッラー・ギュレンの主な支援者で、アフガニスタンのムジャヒディン以来、CIAのイスラム戦略の立案者なのだ。
2008年、ギュレンに、アメリカ在住特別ビザを与えるようにという推奨状を、アメリカ政府に書いて間もなく、フラーは、『新トルコ共和国:イスラム世界における、きわめて重要な国家としてのトルコ』と題する本を書いた。本の核心は、ギュレンと、トルコにおける彼の“穏健”イスラム・ギュレン運動称賛だった。
“ギュレンのカリスマ的な性格ゆえに、彼はトルコにおけるイスラム教の第一者だ。トルコ国内のあらゆる運動の中で、ギュレン運動は最大かつ最も強力な構造と財源を持ち…旧ソ連のイスラム教諸国、ロシア、フランスや、アメリカ合州国を含む一ダース以上の国々における、広範囲に及ぶ学校システムのおかげで、運動は国際的にもなっている。
中央アジアのCIAとギュレン
1990年代、ギュレンの世界的な政治的イスラム運動ジャマートは、全カフカス、中央アジアの中核から、はるか中国西部の新疆ウイグル自治州にまで広がり、まさに、フラーが1999年の発言で呼びかけていたことを実行していた。“ロシア勢力の残滓の不安定化と、特に、中央アジアにおける中国の影響力への対抗だ。”
ギュレンの組織は、中央アジアの、名目上のイスラム教旧ソ連共和国が、モスクワからの独立を宣言した、1991年のソ連崩壊の瞬間から、CIAの助力を得て、不安定化に積極的だった。ギュレンは、ある元FBIの権威筋から、“中央アジアとカフカスにおける、CIA作戦上の主要人物の一人と名指しされている。”
1990年代中期には、75以上のギュレン学校が、カザフスタン、タジキスタン、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、キルギスタン、ウズベキスタンや、ソ連後、エリツィン時代の混乱のさなか、ロシアはダゲスタンやタタールスタンにまで広がっていた。2011年、トルコMIT、 “トルコのCIA”の元外国諜報部長で、1990年代中期に、タンス・チルレル首相の首席諜報顧問をつとめたオスマン・ヌリ・ギュンデシが、トルコ語のみで本を刊行した。当時85歳で、引退していたギュンデシは、1990年代、ユーラシア中に広がっていたギュレン学校が“英語が母語の英語教師”を装う何百人ものCIA工作員の基地になっていたことを暴露した。ギュンデシによれば、キルギスタンとウズベキスタンの学校だけでも、ギュレン運動は“130人のCIA工作員を匿っていた”。アメリカ人“英語教師”全員が、普通の英語教師にとって、到底標準の扱いとは言えない、アメリカ外交官パスポートを持っていたのは実に示唆的だ。
現在、トルコ国家警察、軍や司法や、教育界への潜入を通したギュレン支配の蜘蛛の巣は、エルドアンにより、これまでにないほど、攻撃されている。CIAが、次のクーデターの企みで成功するのかどうかは、見てみないと分からない。もし、ブラジル・モデルがヒントになるとすれば、既に、格付け機関S&Pによって始められた、脆弱なトルコ経済やリラに対する一連の金融攻撃の後で、行われる可能性が高い。
F. William Engdahlは戦略リスク・コンサルタント、講師で、プリンストン大学の学位を持っており、石油と地政学に関するベストセラー本の著書で、これはオンライン誌“New Eastern Outlook”への独占寄稿。
記事原文のurl:http://journal-neo.org/2016/07/25/what-is-fethullah-gulen/
----------
話題のトルコ宗教団体、閣僚が皆メンバーだということで、最近有名?な日本の宗教関係団体を連想した。今、トルコで彼らは過酷な弾圧にあっている。今、日本では、機が熟し、弾圧する側にいる。
“あらゆる権力の中枢に到るまでは、誰にも、自分の存在を気づかれることなく、体制の動脈内を動かねばならない…機が熟すまで、彼ら[信奉者]は、こういうやり方を続けなければならない…準備万端整い、条件が熟し、我々が世界を背負い、運ぶことができるようになるまで、待たなければならない…あらゆる国家権力を掌握し、日本のあらゆる政府機関を我々側に引きつける時まで、待たなければならない。”
ウクライナに大量資金援助をしながら、ロシアと平和条約を結ぼうというのが、子ども時代に、イソップの「鳥とけものとコウモリ」を読んだだけの素人には良く分からない。
最近みかけた演説、アフリカでのの大番振る舞いとそっくり。国民を、どん底につきおとそうとしながら、外でいい顔をするDV国家。そこで、現実を反映した演説改正を考えた。
世界でも稀なことに、ロシアは、平均寿命の着実な向上と、人口の増加を成し遂げつつあります。就学期の子供が増えて学校が足りないという、日本から見ると羨ましい現実が生まれました。
しかし、生産年齢人口はこれから顕著に減っていき、シワ寄せは、いまの十代に、集中して及ぶでしょう。彼らが働き盛りになる頃には、老人医療の負担が重くのしかかります。私たちはそこに目を留めて、「最先端の健康、医療施設を整備して、ロシア国民の健康寿命を伸ばす」という提案を、8項目の第1に掲げました。
日本の問題は、よく似ています。少子高齢化が進む日本では、医療・年金制度に負担がかかります。老いていく世代に健康を維持してもらうため、あらゆる施策を打たなければなりません。ですから、人口統計に感じるプーチン大統領の悩みは、私の悩みでもあります。そこで、ルポ 看護の質――患者の命は守られるのかの筆者が書いているように、医療費削減を目的とした診療報酬点数の操作で、日本の高齢者医療・看護などを「追い出し医療」、「追い出し医療のはてにある姥捨て山と化した病院や介護施設、自宅」を着々と作り出しています。人口を増やしておいて、姥捨て山にするのがビジネスの秘訣です。実態は「介護ビジネスの罠 10兆円の巨大市場に巣くう悪徳業者たち」にも詳しく書かれています。
プーチン大統領は、ロシアの十代たちに対し、年長世代が多いからといってひるまず頑張れと、励ましておいでしょう。日本の若者に必要な激励も、実はまったく同じものです。
ただし、こうした問題に即効薬はありません。政治指導者にできることは、国家の命運を常に20年、30年という長い尺度で考えることです。勇気をもって問題に直面し、創造的な政策を打ち出しては、倦まず、弛まず働いて、国家戦略特区とアメリカも批准できないTPP協定による医療の完全破壊を確実に実行していくことだけです。
是非、「TPPと医療」について 日本医師会副会長中川俊男氏講演をお読み願いたい。
« 千島列島に関する日本との和解に関するプーチン発言: ‘領土は取り引きしない’ | トップページ | 労働者の日 »
「アメリカ」カテゴリの記事
- 欧米帝国主義は常に嘘の溜まり場だったが、今やメディア・トイレは詰まっている(2024.11.30)
- 熟練専門家を前線に派兵して、戦争遂行努力の失敗を示しているウクライナ(2024.11.26)
- ネタニヤフに対するICC逮捕令状はアメリカの政策と共謀に対する告発でもある(2024.11.27)
「アメリカ軍・軍事産業」カテゴリの記事
- ガザについて連中は嘘をつき、シリアについても嘘をついている(2024.12.03)
- 対シリア戦争を再燃させるアメリカと同盟諸国(2024.12.02)
- ロシアとの戦争でアメリカが負ける理由(2024.12.04)
- ロシア新形ミサイルが、いかにゲームを変えつつあるのか(2024.11.29)
「NATO」カテゴリの記事
- ガザについて連中は嘘をつき、シリアについても嘘をついている(2024.12.03)
- 対シリア戦争を再燃させるアメリカと同盟諸国(2024.12.02)
- ロシアとの戦争でアメリカが負ける理由(2024.12.04)
- ロシア新形ミサイルが、いかにゲームを変えつつあるのか(2024.11.29)
- 欧米帝国主義は常に嘘の溜まり場だったが、今やメディア・トイレは詰まっている(2024.11.30)
「トルコ」カテゴリの記事
- ガザ地区で外国人傭兵を使っているイスラエル(2024.05.03)
- 岐路に立つトルコ:エルドアン時代は終わったのか?(2024.04.14)
- トルコ地方選挙、空爆:トルコや地域や、より広汎な世界への影響?(2024.04.09)
- トルコのウクライナ「支援」(2024.03.31)
- NATOとイスラエルの超強力なおとぎ話に勝てないロシアのハードパワーと中国のソフトパワー(2023.11.28)
「William Engdahl」カテゴリの記事
- モスクワでなく、ベルリンとブリュッセル発のヨーロッパのエネルギー・アルマゲドン(2022.09.06)
- 一体誰の穀物がウクライナから輸出されているのか?(2022.08.22)
- NATO制裁と、来るべきグローバル・ディーゼル燃料(軽油)大惨事(2022.04.16)
- ウクライナと、より深遠な世界的自殺計画(2022.03.13)
- ジョージ・ソロスは、なぜ習近平が去るのを望んでいるのか?(2022.02.15)
コメント