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2016年9月 7日 (水)

グラハム・E・フラーよ、7月15日の晩、あなたはどこにいた?

2016年8月9日
F. William Engdahl
New Eastern Outlook

7月15日のトルコにおけるクーデター未遂について、多くの記事が書かれている。エルドアン政府は、ペンシルヴェニア州、セーラーズバーグにいる亡命したフェトフッラー・ギュレンを名指しして、トルコ裁判所で裁判を受けるべく、彼の引き渡しを正式に要求した。アメリカ政府は、これまでのところ、拒否している。警察と治安部隊による、大規模な全国的捜査がトルコ国内で続く中、フェトフッラー・ギュレン運動(FETO、トルコ語でフェトフッラー・テロリスト組織を意味する名称の略語)の背後の、CIAとアメリカ軍の重要な役割を指摘する、新たなのっぴきならない詳細が、ほぼ毎日のように現れている。現在、トルコ・マスコミは、他ならぬギュレンの助言者で“元”CIA職員、グラハム・E・フラーや、他の“元”CIA職員や、フラーの親密な仲間、ヘンリ・J・バーキーが、7月15日夜、イスタンブールから20分ほどの、マルマラ海プリンス諸島の一つの豪華ホテルにいたと報じている。

アメリカ政府は、7月15日のトルコ・クーデター未遂へのいかなる関与も頑として否定し続けているが、トルコ・マスコミは、主要なアメリカ人のクーデター組織者容疑者としての関与に関わる詳細情報を報じている。彼らの中には、元NATO国際治安支援部隊 (アフガニスタン)司令官で陸軍大将のジョン・F・キャンベルもいた。そして、新たに明らかになったのが、元CIA職員で、現在好都合にも、亡命しているフェトフッラー・ギュレンの自宅、セーラーズバーグから、わずか41キロ、PA-33経由、車で30分のペンシルヴェニア州、ベスレヘムにあるリーハイ大学で、Bernard L. and Bertha F. Cohen教授をつとめるヘンリ・J・バーキーだ。

イスタンブール・イェニ・シャファク紙によれば、7月15日のクーデターの晩、ヘンリ・バーキーと、大半が外国人の他の17人の集団が、イスタンブールに近い観光地、プリンセス諸島の一つにある、スプレンディド・パラス・ホテルで、鍵をかけた部屋で何時間も会合をしており、ホテル職員の証言によれば、密室で会談しながら、クーデターの進展を、TVで追っていたと報じられている。同紙は情報源として、7月15日、トルコにおけるクーデター未遂の日、バーキーが、ホテルで大半が外国人の17人の幹部と会議を開いていたと報告しているイスタンブール警察の諜報、対テロ、サイバー犯罪・犯罪部隊をあげている。

ホテル経営陣によれば、バーキーは、“7月16日の朝まで続いた会議を特別室で行っていた。彼等はクーデターの企てをTV放送で追っていた”とホテル職員が、警察に語った。

グラハム・E・フラーも?

別の、情報に通じたトルコ人の独立ジャーナリストによる報道では、クーデターの晩の出席者中に、バーキーの他に、元CIA幹部で、フェトフッラー・ギュレンの助言者、元CIAトルコ局長のグラハム・E・フラーがいたという。これは驚くべきことではない。フラーとバーキーは、古くからのCIA仲間だ。両人とも、トルコ問題にかかわって長い。二人は共著で本まで書いている。『トルコのクルド人問題』だ。

実際、最近何かが、78歳の手練手管のCIAベテラン、フラーを刺激したように見える。彼は、CIAとつながるRAND社に移った何年も前にCIAを退職したと主張している。ところが、彼は、ボストン・マラソン爆破事件の際、明らかに、事件の犯人とされた二人のチェチェン人兄弟とのつながりを否定しようとして、陰から再び出現したのだ。フラーは、当時、ツァルナーエフ兄弟には叔父がおり、その‘ルスラン叔父’、別名ルスラン・ツァルナーエフが、ディック・チェイニーのハリバートン社の中央アジアにおける元従業員だったが、ルスラン叔父がフラーの娘と結婚した際、一時フラーの家で暮らしていたことを認めた。実に奇想天外だが、ただの‘偶然’に違いない… だが、もしフラーが、自分に注目を集めたくなければ、ことが収まるのを黙って見ていれば良かったのだ。ベテランCIAスパイにしては、決して専門家らしい行動ではない。

今、フラーは、またしても、個人ブログで、フェトフッラー・ギュレンが、トルコ・クーデターの背後にいたことをあわただしく否定している。彼のブログ記事は、彼が後見しているギュレンへのとりとめのない賞賛で、“ギュレンは、政治には関わらず、よりスーフィ主義で、神秘主義的で、社会的伝統の人だ。ギュレンは、非宗教的な高等教育を含む、緩慢で、深い社会変化に関心をもっており…先週のエルドアンに対する劇的なクーデター未遂を見ていると、ギュレンが黒幕の首謀者だった可能性は低いと私は思う”と書いている。エルドアンは、私の知るかぎり、ギュレンのことを“クーデターの黒幕の首謀者”とは呼んでいない。彼はギュレン・ネットワークが、クーデターを実行する上で主要な役割を演じたと言ったのだ。首謀者連中は、この言葉を広い意味で使うなら、タンパ、フロリダ州の中央軍司令部や、バージニア州、ラングレーのCIA本部、至るところに座っているのだ。

ギュレンの潔白を晴らそうという、フラーの下手な試みにもかかわらず、まさにこのCIAが支援するギュレン組織が、1990年のソ連崩壊後、トルコから、旧ソ連の中央アジア共和国諸国や、ロシアのチェチェンやダゲスタン、更には、ウズベキスタン、キルギスタン、そして中国の新疆までの至るところに、慌ただしく、ギュレン学校を設立したことが実証されている。

1999年、RAND在職中、フラーは、中国とロシア両国に対し、中央アジアで、アメリカの権益を推進するため、イスラム教勢力を利用することを主張した。“イスラム教の進展を指導し、我々の敵に対して彼らを支援する政策は、アフガニスタンでは、ロシアに対し、素晴らしくうまくいった。ロシア勢力の残滓の不安定化、そして特に、中央アジアにおける中国の影響力に対抗するのに、同じ正確が依然利用可能だ。”と彼は述べていた。

フラーの本、『トルコの新地政学: バルカン半島から西中国まで』は、1993年に刊行されたが、それは丁度、ギュレンの組織が、多くのイスラム教のチュルク語系ウイグル人の故郷である中央アジアから、遥か西中国、新疆州のエリートの子どもを標的にした、一連のギュレン学校を設立していた時期だった。1990年代中頃には、75校以上のギュレン学校が、カザフスタン、タジキスタン、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、ソ連後、ボリス・エリツィン時代の混乱のさなか、ロシアのダゲスタンとタタールスタンにまで広がっていた。

2011年、“トルコのCIA”たるトルコMITの元外国諜報部長で、990年代中期に、タンス・チルレル首相の首席諜報顧問をつとめたオスマン・ヌリ・ギュンデシが、トルコ語版だけで発行された爆弾発言本を刊行した。1990年、本の中で、85歳で、引退していたギュンデシは、当時、中央アジア中に次々と作られていたギュレン学校が“英語を母語とする英語教師”という隠れ蓑で、何百人ものCIA工作員の基地になっていたことを暴露した。ギュンデシによれば、キルギスタンとウズベキスタンの学校だけでも、ギュレン運動は“130人のCIA工作員をかくまっていた”。

情報の全面開示?

フラーは“むきになって主張し過ぎ、かえって怪しい”馬脚をさらけだすようなことを認めている。彼はこう書いている。“情報の全面開示: 私が、2006年に、私人として、ギュレンのアメリカ永住ビザ申請に関して書状を書き、ギュレンは、アメリカにとって、安全保障上の脅威だとは思わないと述べたことは公式記録にある”

もちろん、CIAの秘密工作員は、生来決して“情報の全面開示”をするわけがない。彼の書状には、31年も勤めたもう一人のCIA幹部、ジョージ・ファイダスと、CIAの人間だとされる当時の駐トルコ・アメリカ大使で、ジョージ・ソロスの国際危機グループの重役会メンバーであるモートン・アブラモウィッツも共同署名していることに、彼はふれなかった。元FBIのトルコ語通訳で、“内部告発者”のシーベル・エドモンズが、彼女が発見した トルコから、犯罪的な“陰の政府”の狙いを進めるため、イスタンブールから、ロシア連邦、更に、中国にまで至るチュルク諸語の世界あらゆるところでネットワークを利用しているアメリカ政府内部にある陰の陰謀団の一部だとして、アブラモウィッツと、グラハム・E・フラーの名をあげた。彼女が記録しているネットワークは、アフガニスタンからのヘロイン密輸出にも本格的関与をしており、おそらくギュレンの莫大な資産の源の一つだ。

フラーは、フラーらによるCIAの介入で、ギュレンの永住ビザという特別な身分を確保した際には、アメリカ国務省が反対しており、国務省の弁護士が“ギュレン運動が、そのプロジェクトに資金供給するために使う膨大な資金ゆえに、彼はサウジアラビア、イランとトルコ政府と秘密の合意をしているという主張がある。CIAが、こうしたプロジェクトに資金提供する共同支払人ではという疑惑がある。”といったことにも触れずにいる。

1980年代の、アフガニスタンの対ソ連ムジャヒディン戦争、パキスタンでの、イスラム聖戦士のテロ訓練を監督するために、オサマ・ビン・ラディンという若いサウジアラビア人をCIAが採用したゲリラ戦争で、CIA勤務時代に主要な役割を演じたフラーによる別の発言が、グラハム・E・フラーが、今回のCIA-ギュレン・トルコ・クーデターの企みに関与している可能性という考えを、よりそれらしいものにしている。

フラーのブログにおける異様な容認のねらいは、明らかに、フラーも、彼が後見しているギュレンも、クーデターと全く無関係だという主張をするためだ。そこで我々は“グラハム・E・フラーよ、あなたは7月15日の夜、一体どこにいたのですか?”と問わねばならない。

20億ドルを携えた将軍

クーデター未遂で、トルコ軍を操った主要な軍人の役割とされるものの詳細も明らかになっている。エルドアンに近い新聞イェニ・サファクによれば、引退したばかりのアメリカ・アフガニスタンISAF司令部のトップ、ジョン・F・キャンベル大将は、今年3月、自宅のバラ園を育て、ゴルフを楽しむために辞めると発表した通りに退職してはいなかったのだ。彼は約8カ月前に、クーデターを行うトルコ軍指導部を採用する秘密の役を与えられていた。ギュレンによる国家と、その主要機機関の奪取の支持で、既に当時エルドアンは、明らかに、抹殺が予定されていたのだ。キャンベルは、5月以来、クーデターの企ての日までに、超秘密会議のため、エルズルム軍事基地と、アダナのインジルリクNATO空軍基地に、少なくともトルコを二回秘密訪問したと報じられている。

同じように興味深いのが、キャンベルが、計画したクーデターで、トルコの将校団にことを円滑に進めさせるための20億ドルの資金をいかに監督したかを同紙が詳細を報じていることだ。アフリカ・ユナイテッド銀行(UBA)のナイジェリア支店が、クーデター策謀者の資金取り引きの主要拠点だと報じている。“数百万ドルもの資金が、ナイジェリアから、トルコへと、CIA要員集団によって、送金された。資金は、80人のCIA特別チームに分配され、クーデター支持派の将軍を説得するのに使われた。”と報じられている。

20億ドルあれば、たぶん多数の将軍を買収できるだろう。同じ記事の情報源によれば、CIAは、計画されたクーデターで、ギュレン・ジェマート・ネットワークの強力な存在感を利用し、中央トルコと、東トルコ。イェニ・サファク記事は、インジルリク空軍基地のトルコ人将校から、クーデターの軍人がいかに採用されたかに関する逮捕された連中の証言を掲載している。“‘我々と一緒に動く人々’という範疇に入れられた支持者連中は膨大な額の金をもらった。この範疇に入れられた全ての兵士と将校は、FETOテロ集団(ギュレン組織のこと。筆者注)の献身的なメンバーとみなされた。

トルコ人の独立ジャーナリストの情報源が、ギュレンが率いるイスラム主義トルコに反対しそうな、あらゆる民族主義のケマル主義将軍を絶滅する過程の一環として、CIAのトルコ軍への潜入は何十年間にもわたって行われていると、私に教えてくれた。こうした情報源によれば、軍の下級兵士からギュレンが採用した連中は、秘密にあらゆる軍の入試試験の答えをもらって、必ず将校の地位に昇進できるようになっている。これらの情報源は、7月15日以前に、トルコ軍のおそらく50%以上の幹部がギュレン主義の将校によって占められていたと推計している。

現れつつある、ギュレンと彼の組織の図柄は、グラハム・E・フラーが、“政治には関わらず、よりスーフィ主義で、神秘主義的で、社会的伝統の人”と書いたものとは全くほど遠い。実際、1990年末、ギュレンは、トルコ秘密警察が、最も忠実な信奉者に対する密室での説教で、ギュレンがこう言ったと報じられているものを録音した際、アメリカへの亡命を強いられた。“あらゆる権力の中枢に到るまでは、誰にも、自分の存在を気づかれることなく、体制の動脈内を動かねばならない…準備万端整い、条件が熟し、我々が世界を背負い、運ぶことができるようになるまで待たなければならない…トルコのあらゆる国家権力を掌握するまで、待たなければならない…”いささか、コーランを携えたレーニンのように聞こえる。

ダンフォード統合参謀本部議長の突然の訪問

7月15日のクーデター未遂以来、トルコやエルドアン政府からたちのぼるあらゆる煙の背後には、何か本当の炎があるに違いないのだ。7月31日、アメリカ統合参謀本部議長、ジョセフ‘戦うジョー’ ダンフォードが、突然の訪問で、トルコに急行した。

クーデター以来、始めて、7月29日に、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は、ジョセフ・ヴォーテル大将、アメリカ合州国中央軍司令官を、“クーデター策謀者側にいた”と公的に非難した。7月28日、ワシントンでの、アスペン・インスティテュート・シンクタンクのセミナーで、ヴォーテルはこう宣言した。“我々は確かに、多くのルコ指導部、特に軍指導部と、関係があった。だから、これから先、こうした関係にどのような影響があるかを懸念している”と、逮捕されたトルコ軍人囚に触れたが、これに対し、エルドアンは、こう答えた。“あなたが決めることではない。あなたは一体何者だ? 身の程を知れ!”

エルドアンがこれから何を進め、どの国と協力しようとしているのか、トルコを正式に、NATO脱退させるのか、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領との会談後、トルコがシリアのアサド政権打倒支援を変更する方向に動き、ロシアにより近づき、欧米から離れるのかによって、全中東から、ユーラシアでは、ロシアや中国にまで至る、アメリカの地政学的な立場まるごとが、かつて傲慢だった策謀者や、CIAの退屈な長老や、ギュレン後見人たちにとっての破局になりかねない。今後数ヶ月間が、あきらかに、最も想像を絶する形で、極めて重要なのだ。

F. William Engdahlは戦略リスク・コンサルタント、講師で、プリンストン大学の学位を持っており、石油と地政学に関するベストセラー本の著書で、これはオンライン誌“New Eastern Outlook”への独占寄稿。

記事原文のurl:http://journal-neo.org/2016/08/09/graham-e-fuller-where-were-you-on-the-night-of-july-15/

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紙媒体は全くよんでおらず、電気洗脳箱の「ニュース」も最近見る時間が減っているので、こうした話題、呆導されているのかどうか、全く知らない。知りたいことは報じてくれず、興味のないことを延々聞かされる拷問がいやになったのだ。いくら、流し聞きとはいえ。

IWJの岩上氏、久々に番組収録をされたという朗報。 日刊IWJガイド冒頭をコピーさせていただこう。

■■■ 日刊IWJガイド「岩上さん復帰第一弾!熊本・大分大地震の取材報告を行う特別番組を昨日収録しました!/これでは人権侵害!自民党・片山さつき議員が便乗した『貧困バッシング』を検証!/話題の映画『シン・ゴジラ』を語り尽くす企画がいよいよ始動!岩上さんは『シン・ゴジラ』をどう観たのか!?」2016.9.7日号~No.1454号~ ■■■
(2016.9.7 8時00分)

 おはようございます。IWJで主にテキスト関係の業務を担当している平山と申します。

 昨日、岩上さんは、今年4月の熊本・大分大地震に際して、現地で取材と支援活動を行ったIWJの高橋敬明記者、安道幹記者、城石裕幸カメラマンとともに、「特別番組 熊本・大分大地震 取材&支援活動の総括」と題した番組の収録に臨みました。

 番組では、取材と支援活動の様子を、現地で取材した映像を交えて振り返るとともに、皆様からお寄せいただいたご寄付・カンパの使途について、細かい報告を行いました。

 この収録は、15時30分から始まり、終わったのはなんと20時30分。なんと、5時間にわたる収録となりました。この番組の配信が、岩上さんの復帰第一弾となる予定です。配信日時が決まりましたら、この日刊IWJガイドやTwitter、Facebookなどで改めてお伝えしますので、どうぞご注目ください!

 さて、日本のメダルラッシュに沸いたリオ・オリンピックの閉会から約2週間。本日9月7日(日本時間9月8日)に、リオ・パラリンピックが開幕します。4大会連続のメダルを目指す競泳男子の鈴木孝幸選手や、3連覇を目指す車いすテニスの国枝慎吾選手など、オリンピックだけでなくこのパラリンピックでも、日本選手のメダルラッシュが期待されます。

 パラリンピックは本来、オリンピックとセットで取り上げられるべきものです。しかし日本では、オリンピックと比べて、パラリンピックについては極端に報道が少なくなります。NHKや民放各局で特別番組が編成されることもありません。これは、日本においては依然として、障害者によるスポーツに対して社会的地位が与えられていないことの証しであるように思われます。

 この夏、メディアによる障害者の取り上げ方に関して、一石を投じる番組が放送されました。それは、8月28日にNHK-Eテレで放送された「バリバラ~障害者情報バラエティー」という番組です。この日は、日本テレビの大型チャリティー番組「24時間テレビ」の真裏に放送時間を設定し、「検証!〈障害者×感動〉の方程式」と題して30分間の生番組を放送しました。

※NHK-Eテレ「バリバラ」公式ホームページ
http://www6.nhk.or.jp/baribara/

 「バリバラ」に出演した障害者の方々らは、「24時間テレビ」を連想させる黄色のTシャツを着用。そのうえで、感動や勇気をかき立てるための道具として障害者を番組に起用するのは「感動ポルノだ」と述べ、「24時間テレビ」を間接的に批判しました。この日の「バリバラ」はネット上でも大きな反響を呼び、Twitterでも肯定的な反応が多く見られました。

 「バリバラ」は「感動ポルノ」という言葉で表現しましたが、「24時間テレビ」のような大がかりなチャリティー番組などで障害者を過度に美化することと、パラリンピックの報道をオリンピックとくらべて極端に減らすこととは、障害者を健常者とは異なる存在としてとらえ、地続きの同じ地平にいる存在であることを社会的に承認しないという点において、表裏一体の関係にあるように思われます。

 日本社会のこうした問題は、7月26日未明に神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で発生した連続殺傷事件でも見てとることができます。

 事件発生後、メディアは殺害された19人の障害者に関して、氏名を報じませんでした。通常の殺人事件報道であれば、メディアは被害者の氏名や半生を微細に報じ、「悲劇の物語」を紡ごうとします。しかし今回の相模原の事件では、被害者遺族の希望もあるのでしょうが、今に至るまで、被害者の氏名や人となりがメディアでほとんど報じられていません。これは、日本社会が、依然として障害者の方々を社会的に承認していないということの表れではないでしょうか。

 IWJも、この相模原の事件に関しては取材を進めています。これまでに、佐々木隼也記者が、日本障害者協議会代表の藤井克徳氏と、ダウン症の娘を持つ和光大学名誉教授の最首(さいしゅ)悟氏にインタビュー。現在、岩上さんが取材成果をまとめた原稿を執筆中ですので、どうぞご注目ください。

※2016/08/22 「『特異な事件』では片づけられない」相模原殺傷事件の「温床」となった現代日本とナチス・ドイツの不穏な共通点とは ~日本障害者協議会代表・藤井克徳氏インタビュー(聞き手 IWJ佐々木隼也記者)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/326842

※2016/08/28「津久井やまゆり園」での事件に関して最首悟・和光大学名誉教授へインタビュー(聞き手 IWJ佐々木隼也記者)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/327843

 間もなく幕を開けるパラリンピックを、はたしてメディアはどのように報じるのでしょうか。オリンピックと同じ物差しで取り上げるのか、それとも「感動ポルノ」として消費するのか――。相模原で障害者を対象にするあまりに残忍な「ヘイトクライム」(憎悪犯罪)が起きてしまった今、今回のリオ・パラリンピック、そして2020年の東京パラリンピックは、日本社会の「成熟度」が問われる機会であると思われます。

 さて、IWJの経営者・編集長・ジャーナリストという「三足のわらじ」を履く岩上さんも、ハードワークの合間をぬって、オリンピックやパラリンピックの選手に負けじと、運動に励んでいます。

 岩上さんがこのように運動に励んでいるのも、体重を減らして膝への負担を軽減するとともに、適度な疲労感による良質な睡眠を確保するためなのだそうです。対照的に、私などは忙しさにかまけてすっかり運動不足で、体重もいっこうに減らず、お腹が出たままです。岩上さんの体調改善に向けた熱意には、ただただ頭が下がるばかりです。

 幸いなことに、岩上さんの体調は回復傾向にあるようです。9月に入り、徐々にインタビューの予定も決まり始めています。定額会員にご登録いただければ、配信時に見逃したインタビューもアーカイブでご覧いただけます。岩上さんのインタビューは、いずれも必見のものばかりです!この機会に、ぜひIWJの定額会員にご登録ください!

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コメント

お忙しい中、更新していただいてありがとうございました。
注釈の件は、もともと原文からしてそうなっていますし、微妙な問題だとは思いますのでお任せします。

kingtong様
わざわざご指摘を有り難うございます。
Bernard L. and Bertha F. Cohen教授というのは、国際関係学部の教授のポストのことを指しているというご指摘大変有り難うございます。申し訳ありませんが、そのままにしておきたいと思います。末尾に追加することも考えたいと思っています。

Sibel Edmonds, former FBI Turkish translator and “whistleblower,” の漏れは、早速修正いたしました。
実は、この前の記事「ギュレンは何か」でも、同じ様な文章で、この部分が漏れていました。翻訳した記憶はあるのですが、誤って、両方の日本語訳の同じ部分をを削除してしまったようです。

はじめまして。いつも拝読しております。
今回の記事で気になる部分が二つあったので、コメントします。

今回の記事の二段落目に出てくる「Bernard L. and Bertha F. Cohen教授」というのは、大学に寄贈した人の名前からつけた名称で、実際は国際関係学部の教授のポストのことを指しているようです。原文でも同じように書かれているようですが、注釈をつけた方がよくないですか? 私は何の教授か、さっぱりわかりませんでした。
http://giving.lehigh.edu/thanks/leadershipplaza/cohen

それから、「情報の全面開示?」という見出しから二つめの段落にある「彼女が発見した トルコから、」の下りですが、原文の
Sibel Edmonds, former FBI Turkish translator and “whistleblower,”
が抜けているようです。

どちらも読んで「おや?」と思い調べてみたのですが、英語の苦手な私にはこの程度の調べ物もそこそこ時間がかかってしまいます。
私の他にも同じように混乱した読者もいると思い、差し出がましいようですが、コメントを書かせてもらいました。
それでは。

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