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2016年5月25日 (水)

無意味な宣伝行為に意味を与えるオバマの広島訪問

Riley Waggaman
2016年5月24日
"Huffington Post"

信頼されているアメリカの政治評論家全員、バラク・オバマ広島訪問に熱くなって、気になっている。ノーベル平和賞受賞で幻惑した大統領は、本当の軍事的価値がない都市に原子爆弾を投下するというアメリカの“現実的”判断を謝罪するのだろうか? (否。) 結局、ナショナル・レビューが素早く指摘した通り、第二次世界大戦中、我々は遥かに多くの日本人を“旧来の方法で”殺害した。二つの都市を溶かして、推計200,000人を殺害し、戦争後もずっと続く長期的な環境・健康問題を引き起こしたことに対してアメリカが詫びるのは、とんでもないことだろう。

広島訪問時に、バラク・オバマが謝罪しないもう一つの理由は、自慢好きなバラク・オバマ発言を引用した書物によれば、バラク・オバマが“殺人が本当に得意なためだ”。これは、無名な兵役年齢の茶色い肌の人々を狩るべく、重武装した空飛ぶロボットを、遥か遠い国々に送り込む大統領の発言だ。いささか不愉快ではあるが、それも全て、ずっと昔、日本に投下した原子爆弾同様、より大きな善のためなのだ。
だから、広島の人々への(そして、核兵器競争を始めたかどで、全世界に対しての)謝罪は明らかに有りえない。オバマはその代わりに一体何をすのるだろう? 単純だ。

    1月の最後の任期満了が近づ中、オバマは“核兵器無き世界での平和と安全保障の追求に献身し続けることに彼は焦点をあてる”とホワイト・ハウスは声明で述べた。

    “彼が第二次世界大戦末の原子爆弾使用決定の判断を再考することはない。そのかわり、彼は我々の共通の未来に関する前向きな構想を提案するだろう”と、オバマのベン・ローズ国家安全保障担当副補佐官はブログに書いている。

広島で、不拡散条約を読み上げながら、オバマは、1兆ドルをかけで、アメリカの核備蓄の更新を続けるだろう。何と言おうと、この人物は、同時に複数のことをこなす上で、実に経験豊かだ。

障壁を打破したわけでもない彼のキューバ訪問(ラウル・カストロとの彼の“握手”が全てを物語っている)同様、オバマの“歴史的”広島訪問は、無意味な写真撮影のチャンスに新たな意味を与える、もう一つの無意味な写真撮影のチャンスに過ぎない。

もしもオバマが、日本との入り組んだ悲劇的な過去を本当に修復したいのであれば、アメリカ兵士に、平和な島国から永久に撤退するよう命じるはずだ。沖縄における婦女暴行やレイプは、一夜にして、十分の一に減るだろう。

今から75年間先に、人類に対するオバマの様々な犯罪に対し、最終的に謝罪がなされるべきだったかどうかを人々が議論するようになるのをお考え願いたい。短期的な解決策によって、決定的な行動を先送りにしているだけなのではあるまいか?

Twitterで、ライリー・ワガマンをフォローする。www.twitter.com/rileywaggaman

記事原文のurl:http://www.huffingtonpost.com/riley-waggaman/obamas-hiroshima-visit-is_b_10045704.html

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原爆関係の記事を他にも翻訳している。せめて下記記事はお読み頂きたいもの。

つい最近、下記を翻訳した。

宗主国に押し付けられた憲法を 自主憲法にするといきがる傀儡は、宗主国に押し付けられた属国支配を固定化する地位協定には指一本触れない。あやつり人形まるだし。話しは逆だろう。自立する気持ちが本当なら、まず地位協定をなくし、しかるのち、自立憲法制定だろう。文字通りのアベこべ。

日本国民を守るのではなく、宗主国軍隊の命令で侵略戦争に動く「自衛隊」。潜在被害者を救う気が初めからない警察。ひどい国に生まれたものだ。両親をうらみはしないが。

昼間のバラエティー白痴製造番組を見ていて涙がでそうになった。何度もしつこく書くが、情報を知りたいためではなく、どれほど愚劣かを確認する目的で見ている。

沖縄の強姦殺人問題も、原爆投下合理化訪問も放っておいて、もっぱら金儲け都知事の後釜は誰が良いか?という阿呆ベスト10だかなんだか。タレント人気リスト。

もちろん、毎回投票している宇都宮弁護士の名前はない。愚民を絵に描いたもの。

都民というより屠民。こういう方々が選挙をされていては日本は悪化するばかりだろう。小学校学級委員選挙ではないのだ。

ただし、小生の小学校時代の学級委員選挙、毎年最初の学期は、人気抜群の男女が選ばれた。育ちが良く、気立ても良く、頭も良い男女。圧倒的な人気なのだ。賄賂をわたして選ばれていたのではない。自然に人気がある本当に魅力的な人々だった。いまでも会いたい人々だ。それと、都知事や地方や国政選挙は違うだろう。人気投票では済まないはずだ。

沖縄の二紙がつぶれるべきではなく、沖縄の二紙以外、全てがつぶれて欲しいと思う。東京新聞と赤旗を例外として。

アメリカ強欲支配層ではない方々には、まともな方々が当然おられるとつくづく思う。

ただし「無意味な宣伝行為」と表現するのは正確ではないだろう。非常に意味のある宣伝行為であるのは明白なのだから。

浅井基文氏の『21世紀の日本と国際社会』にある
オバマ大統領の広島訪問決定と日本政治の病根」を全文コピーさせて頂こう。

2016.05.14.

G7サミットで訪日するオバマ大統領が広島を訪問するということで、日本国内は再びオバマが2009年にチェコのプラハで「核のない世界へ」演説を行ったときと同じような、私から見ると「日本人は本当に学ばない民だな」という思いを再確認するしかない、浮ついた反応一色になっています。もちろん、プラハ演説のおかげでオバマはノーベル平和賞をもらったのですから、当時浮ついたのは日本人だけではなかったことは認めなければなりません。しかし、プラハ演説から7年が経った今、オバマ政権下のアメリカの核政策は微動もしていないという厳然たる事実を前にするとき、日本社会が今回再び浮き足立って歓迎ムード一色になるというのはどう見ても異常ですし、まともな国際感覚の欠如の典型的表れという以外にないと思います。
 私は、広島滞在中にオバマのプラハ演説に接しましたが、オバマの「核のない世界へ」というキャッチ・フレーズは「うるわしい未来に向けたビジョン」の表明にすぎず、「核兵器廃絶に向けた真剣な政策」表明ではないことは直ちに明らかでした。ビジョンと政策とがまったく別ものであることは誰にも分かることです。ところが、2001年の9.11事件以後に「対テロ戦争」を引き起こして世界をパニック状態に道連れにしたブッシュ政権の本質が露わになっていたことを背景に、アメリカ史上最初の黒人大統領を選出する「アメリカン・デモクラシー」に対する驚き(私もその点は共有しました)が、多くの人々(日本だけではない)をして、オバマならば核兵器廃絶に向けて本気で動くのではないかという根拠のない期待感(プラハ演説を詳しく検証した私が当時から指摘したこと)を抱かせたのでした。
 国際社会は、その後のオバマ政権の対外政策の実績に対しておおむね厳しい評価です。特に、オバマ政権の2期にわたる核政策に対するアメリカ内外の評価は極めて厳しいものがあります。彼が鳴り物入りで開始した核セキュリティ・サミットも、核兵器は完全に棚上げ(というより議題にすら載せない)で、もっぱら核物質の国際的管理と原発推進に明け暮れするというお粗末さでした。朝鮮の核兵器開発は、日本国内では「北朝鮮脅威論」の格好な材料となっています。しかし、国際的には、ブッシュ及びオバマ両政権の強硬一本槍の対朝鮮政策が朝鮮をして核兵器開発に追いやった元凶であるという認識が明確に存在しています。
核兵器に関するオバマ政権の牢固とした政策は、プラハ演説ですでに明確にしていたとおり、「核兵器が存在し続ける限り、アメリカは信頼できる核デタランスを維持する」ということです。核兵器の最大最強の保有国であり、したがって世界の核兵器廃絶を妨げている張本人のアメリカが率先して動きを取らなければ、核兵器廃絶は画餅にしか過ぎないことはあまりにも明らかです。ところがオバマは、「核兵器が存在し続ける限り」という前提を掲げることによって、アメリカが核兵器廃絶に率先して取り組む意志がないことをハッキリさせていたわけです。これでは、他の核兵器保有国が動くはずはありません。したがって、この7年間のオバマ政権の核政策を冷静かつ客観的に評価するからこそ、核兵器廃絶を主張する国際世論の評価は厳しいものとなっているわけです。だからこそ、冒頭に述べた日本社会の浮ついた反応というのは、「あり得ない」類のものであることも分かるのです。
 しかし、このような日本社会の浮ついた反応の根底には非常に深刻な問題が潜んでいます。すなわち、私は広島に滞在していたときから何度も確認せざるを得なかったのですが、「唯一の被爆国」、「核廃絶」は広島の人々を含め、圧倒的に多くの日本人にとっていわば呪文みたいな意味しかありません。その呪文を唱えさえすれば、後は「何でもあり」(何をやってもお咎めなし)というわけです。こうして、まともな国際感覚からいったらあり得ない、「非核三原則」を言いながらアメリカの「核の傘」(拡大核デタランス)すなわち日米核安保を肯定するという摩訶不思議な国民世論状況がまかり通る状況が数十年にわたって続いてきたのです。
オバマの広島訪問は、こうした曖昧模糊とした国民的な核意識にとってはもっとも好都合なものとして歓迎されるわけです。なぜならば、オバマは「核廃絶」を願う「日本国民」の心情を理解した上で広島訪問を決断したのであり、その意味においてオバマは「核廃絶に対して真剣な気持ちを持しているに違いない」と多くの国民(ほとんどのマス・メディアを含む)は勝手に解釈するからです。しかもこれまた多くの国民(再びほとんどのマス・メディアを含む)は、政権末期のオバマが核兵器廃絶に向けて本気で取り組む意思も能力もないことを見極めており、したがって「世の中」が激変することはあり得ないことに日常保守的な安心感を抱くこともできるからです。しかし、このような状況こそ日本社会の深刻な病理を浮き彫りにしているのです。
 より根本的に、オバマの広島訪問決定に対する国内の反応状況を眺めるとき、私は、安倍政権の集団的自衛権行使「合憲」解釈及び安保法制(戦争法)強行に反対する国内世論状況がダブって見えてなりません。私にダブって見えてならないのは、アメリカに対する透徹した認識(眼差し)の意識的無意識的な欠落ということです。核兵器廃絶に真剣に取り組む意志がない日本政府を批判し、集団的自衛権行使に突進する安倍政権を批判するという点で、これまでの日本国内の反核運動と安倍政権反対運動とは共通しています。そして同時に、核兵器廃絶に対する根本的障碍であるアメリカの核政策を真正面から問いたださず、安倍政権の安全保障政策を支配し、牛耳っているアメリカの世界軍事戦略を真正面から問いたださないという点においても、二つの運動のアプローチは軌を一にしているのです。
しかし、これだけアメリカに首根っこをつかまれている日本の政治である以上、アメリカという要素を素通りしたいかなる世論・運動も日本の政治を根本から問いただす内発的な力を備えることは極めて困難であると、私は判断します。安倍政権に反対する私たちに必要不可欠なのは、安倍政権の安全保障政策を規定しているアメリカの世界軍事戦略を厳しく批判する視点の確立です。そして、核兵器廃絶を目指す私たちのオバマの広島訪問に対する態度決定に必要不可欠なのは、オバマが「広島・長崎に対する原爆投下はあってはならなかったこと」を認めることを厳正に要求する姿勢の確立です。

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コメント

「広島、長崎はあってはならなかった事」というのは「核兵器を使っては行けない」と同義という意味で同意です。本当は「核兵器を持っては行けない」と同義ととらえるべきだとも思います。

米国におけるマンハッタン計画の記録映像などを見ると、当時の開発者達、それを命じた政治家や軍人達の未知の兵器への期待や興奮を非常に感じます。この「未知の新兵器をどうしても使いたい欲求」はよしんば広島・長崎で使われなかったとしても朝鮮・ベトナムなどのどこかで必ず使用されたでしょう。当時の米ソ対立を考えると米ソ本国以外で核兵器を使うことに関して米ソは躊躇などしなかったようにも思います。そう考えると広島・長崎を人類にとって最初で最後の核兵器使用であり続けるよう世界に訴える意義はやはり大きいと思うのです。謝罪とか同地への第二次大戦における原爆投下の意義といった問題に限定してしまう風潮はやはり避けるべきだと私は思います。

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