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2016年2月 7日 (日)

『不屈の男 アンブロークン』: 何かに仕える凡庸なハリウッド作品

Charles Bogle
2015年1月7 日
wsws.org

アンジェリーナ・ジョリー監督の『不屈の男 アンブロークン』は、ローラ・ヒレンブランドによる、第二次世界大戦中、日本の捕虜収容所でのアメリカ人オリンピック選手ルイ・ザンペリーニの痛ましい体験に関する2010年のノンフィクションに基づいている。ヒレンブランドの最初の著書『シービスケット: あるアメリカ競走馬の伝説 』(2001年)は有名な競走馬に関する“感動的な”物語だった。2003年にハリウッドで映画化もされた。

『不屈の男 アンブロークン』

第二次世界大戦に到る時期以来、最も張り詰めた現在の世界的緊張状況からして、映画監督は、結局は二十世紀の重要な出来事のいくつかと、主要大国のいくつかが関係する、ザンペリーニ物語のパンドラの箱を探る誠実な取り組みをしてくれるだろうと期待したくなる。

悲しいことに、ジョリー女史は、他の人々より優れていた、あるいは、道徳的に強かったが故に拷問され、まさに同じ理由で生き抜いたアメリカ人の陳腐な物語という、またもう一つのハリウッド・ヒット作を制作することを選んだ。

イタリア移民の息子、ルイス・ザンペリーニ(子ども時代のルイは、C.J. Valleray、青年役は、ジャック・オコンネル)は、民族的出自ゆえに年中いじめられ、更には喧嘩をしたかどで、父親に叩かれる(子ども時代の場面は回想シーンとして示される)。

兄のピート(少年時代は、John D’Leoが、成人はアレックス・ラッセルが演じる)が、弟が非常に早く走れることに気がつき、ルイを、真面目に練習し、トラック競技に進むよう説得する。ルイは、その成績でじきに栄冠を勝ち取り、自信も持つようになる。実際、高校最上級生の彼が、ナチス・ドイツで開催された1936年夏季オリンピックの5000m競争で、アメリカ人走者中で最高位(8位)になったほどだ。

『不屈の男 アンブロークン』

ルイの走者としての更なる進歩は戦争の勃発によって中断される。さらに悪いことに、彼と他のアメリカ爆撃機乗組員たちは海に不時着をしいられる。生き残ったのは、ルイと他の二人、フィル(ドーナル・グリーソン)とマック(フィン・ウィットロック)だけだ。

ゴムボートで47日間漂流し、マックを失った後、ルイとフィルは日本船に拾いあげられ、捕虜収容所に入れられる。他の捕虜収容所に送られたフィルと別れたルイは、オリンピックでの悪評と、どうしても折れようとしないため、じきにサディスティックな渡辺伍長 (石原貴雅=MIYAVI)によるむち打ちの標的となる。この虐待が映画の大半を占めている。

ベテラン撮影監督ロジャー・ディーキンス(『ショーシャンクの空に』、『ノーカントリー』、『007 スカイフォール』他)は新技術を使用して、ワクワクさせるような本格的な戦闘場面を生み出している。敵機が下から急上昇し、機関銃砲撃を爆撃機の金属外装にビシビシ打ち込む(飛行機が飛行する際のギシギシする音さえ聞こえる)。そして乗組員の表情の多くのクローズアップや、様々なアングルからのショットが、不確かさと恐怖のさなかの意志の強さの真に迫った感覚を生み出している。

不幸にして、このカメラワークだけが、この映画で例外的、あるいは実に興味をそそる特徴なのだ。

事実上、始めから終わりまで、『不屈の男 アンブロークン』は、ルイがある種の拷問に次から次にさらされ、苦難することに集中し、こうしたこと全てを生き抜くことで、彼が遥かに優れた人物になることを示す。

子ども時代、うちのめされ、オリンピック級の長距離走者になるための厳しい練習では、海で、時折、生魚を食べ、サメや日本の戦闘機に攻撃されながら生き延びる訓練が6週間続く。

そこで、日本人将校が、ルイを執拗な肉体的虐待の対象に選び出し、時には自ら虐待し、時には他の捕虜にルイを叩くよう強いる。暴力行為の合間の短い時間は、大半が益々叩かれて、あざになったルイの顔のクローズアップ、あるいは、殴打された後、収容所の広場に一人取り残される彼の姿にあてられている。

謎めいた優位性ゆえに、苦難と拷問の犠牲者となるアメリカ人主人公を描き出すのはハリウッドでは、お決まりのようなものだが(クリント・イーストウッドの欧米人主人公が、すぐに思いだされる)、過去30年間の戦争と高まる社会危機、それに伴うイデオロギー的混乱や方向感覚の喪失が、同じ主題に基づく映画の数が増えている間接的な原因には少なくともなっている。

多数の評論家が映画のルイのイエス・キリストとのつながりを指摘している。渡辺伍長がルイに、枕木を彼の頭上に長時間縛りつけて負わせる場面は特にそうだ。ルイの苦難と高い角度からのカメラ画像は明らかに、キリストを連想させる。

ハリウッドは、この同一視を利用することが多いが、『不屈の男 アンブロークン』は、この使い古された隠喩を利用することにしたため、安っぽくなった。『不屈の男 アンブロークン』のこのイメージと、拷問の場面に凝っていたメル・ギブソンのすさまじい『パッション』(2004年)のキリストが大いに似ているのはもっとひどいことだ。

ジョリーは一体なぜこの映画を制作したのだろう? 2014年7月に97歳で亡くなる前に知った晩年の“人を鼓舞するキリスト教講演者”だったザンペリーニから、個人的に着想を得たと彼女は主張している。だが女優-監督を後押しした他の力があったのだろうか?

『不屈の男 アンブロークン』

『不屈の男 アンブロークン』の主題の性格を考えると、政治的、社会的言及は驚くほどわずかだ。実際、映画は、意図的に政治と関わらないよう作られているように思える。ルイが執拗に残酷な拷問をされるのを-サディスティックな渡辺伍長は、ルイルイがスポーツマンとして有名であり、 (b) 軍人である父親が、息子が出世できないことに失望しているために、ルイを選ぶ羽目になったと、個人的問題として描きだすという選択によって-監督のアンジェリーナ・ジョリーは、観客の関心を、捕虜収容所と拷問の本当の原因、つまり、日本における階級関係と帝国主義国家の残忍さから逸らせている。

拷問を推進する上で、また拷問をする目的における、国家の役割に、観客の注意を向けようと決めたのであれば、日本の国家機構とマスコミのかなりの部分を、監督が激怒させてしまった可能性が高い(日本の様々な右翼民族主義団体がジョリーの入国を禁止するよう要求しているという事実が、日本のエリート層の敏感さを実証している)。彼女は、特にCIA犯罪に関する上院報告書が最近公開されたことからしても、アメリカ帝国主義の国家的拷問の歴史を観客に思い起こさせてもよかったはずだ。実際、ジョリーに、一体なぜ、アメリカによる拘留者拷問に関する映画を制作しないのか聞きたくもなる。

ジョエルと、イーサン・コーエン(このような脚本を書いた二人は一体何をしていたのだろう?)による脚本には、他の同様なハリウッド・ヒット作を連想させないような対話はほとんどない。演技も、石原が少年のような無邪気な表情を効果的に生かし、矛盾する感情を伝えてはいるものの、ほとんど似たようなもので、最も低俗な大衆嗜好の類型だ。

ジョリーは拷問には声を大に反対しており、反対は心からのものかも知れないが、具体的に一体何を意味しているのだろう? 先に述べた通り、いずれも言い表せないほどの虐待の場である、アメリカの“ブラック・サイト”、グアンタナモ湾抑留所や、バグラム空軍基地に関する映画を彼女は制作していない。もし彼女が『不屈の男 アンブロークン』が、拷問と、より大きな問題や影響とのつながりに気づかない人々の目をさまさせる呼びかけになると思っているのであれば、彼女は酷い見当違いをしている。

そうではなく、彼の優位性が、サディスティックな人物の自我を脅かすがゆえに、英雄的人物が拷問される個人的な厳しい試練として問題を描きだすことで、彼女の映画は、諜報機構の犯罪が体系的に暴露される必要がある時期に、アメリカの軍・諜報機構に関する神話を推進するという点で、『フューリー』『ザ・インタビュー』や『アメリカン・スナイパー』を含む他のいくつかの最近公開されている映画と同列なのだ。

ありきたりで、体制順応派の意見を持って、アメリカ支配層と提携している女優-監督は、軍メンバー向けウェブ・サイト Military.comで最近インタビューに応じている。

“私は軍にいるわけではありません”ジョリーは語る。“軍にいるということがどういうことか私は知りませんが、こうした場面を再現して、軍人たちが、お互いを信頼し、お互いを愛し、お互いを守り、共に戦い、お互いのために戦うというのは一体どのようなものかを見ると…共通の大義をもった、何かとても強い結びつき、とても美しいものがあることを実感します。あらゆる経験、確実に私が知っているあらゆることと違っていて、それが一体どのようなものかを感じさせてくれる窓のようなもので、軍務についている人々、男女の軍人たちを益々敬意を持つようになりました。”

自分の作品のより大きな含意、あるいはそれがもたらす影響力を、ジョリーが意識していない可能性は高いが、『不屈の男 アンブロークン』は“人権”や他の分野に対するアメリカの公式な取り組みという文脈で見ないわけにはゆかない。ハリウッド名士連中は、肝心な地政学的問題の手がかりもなしに、あちこち走り回り、“民主主義”について何でも知っているかのように偉そうに語り、概して、アメリカによる“援助”や“介入”をするため国務省とCIAが推進している主張を補強するのだ。

記事原文のurl:https://www.wsws.org/en/articles/2015/01/07/unbr-j07.html
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山奥の仙人ではないが、全く電気洗脳箱と無縁の快適な日を送っている。

彼女の作品、見た記憶はなく、今後も見る予定は皆無。

公開が始まった今、こういう見方も一読の価値はありそうだ。(良い翻訳でないのが残念)

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コメント

管理人様 寝覚めをするようになって十数年になりますか。今ではあなた様のブログを視るようになり、苦痛ではなくなりました。シベリア捕虜のご友人の方のお話し、僕にもある経験があります。創*大学教授の加藤先生の講演を拝聴していたときのことです。先生があるところで涙ぐんでいたのです。バイカル湖の都市のイルクーツクの本屋でのことで、厳寒の中住民の便所の汲取掃除をしたあとだったので、本屋の温度のせいで、衣服に付着した排泄物飛沫の氷が融けて臭いだしたそうです。と母親と一緒の男の児が子供らしく「このひと臭いよ」と言って、鼻を摘むまねをしたのだそうです。その母親は子供に「この異国の捕虜の方は私たちの代わりに、辛い仕事をしてくれたのだ、謝れ」と厳しく叱り、加藤青年に二人で謝ったそうです。先生は泣いてましたよ。露西亜人がそれ以来尊敬すべき高貴なひとびとに見えてきたとおっしゃておりました。

熱心な読者様

南方戦線から無事戻った無党派の父親から「『石の花』という映画はカラーで、とてもきれいで驚いた」といわれたのを覚えています。悲惨なシベリア抑留を経験した知人は抑留所のそばにやってきて、支援してくれる庶民に感動しロシア人ファンになりました。悲惨な目にあって、なおかつロシア人を好きだという彼の思想に頭が下がります。そうなるほど強く温かい庶民がいたとしか思えないのです。アカ扱いされながら立派に出世されましたが、政権には終始批判的でした。残念ながら、もはや詳細を伺うことはできません。『石の花』映画館で見た記憶があり、DVDも購入したような記憶があるのですが、映画を見られる機会があるようです。大画面と、パソコン画面で、感激度合いは違うような気がします。

「名作映画鑑賞懇親会」戦後初のカラー映画
日時:2016年2月28日(日)14:00~
会費:一般500円、会員300円
http://ch.nicovideo.jp/web-rosiago/blomaga/ar960273

南樺太の内幌はソ連が接収した炭礦の町だった。祖父は保安要員で残留。小学生の僕は上ってくる坑夫の方々の、賄い解除の手伝いをして、豚の脂身、パン、チーズなどを頂いておりました。日本時代に比べ、食糧事情はよかった。蛋白質の多い食事だったように思う。ソ連映画もよかった。十四歳の少年が難破船の指揮をとる映画を露西亜の女の子と観たのを今でも忘れない。今それを観たくなり、インターネットで探索したのだが、ついぞ見つからず。その代わりに、Остров(『島』)という素晴らしい作品に出逢った。露西亜文学は、俗を聖に、醜を美に変えるといいますが、映画もまた然り。友人にしていただいた露西亜人女性にこの感動を伝えましたところ、歌手Жанна Бичебскаяの歌の祈りの句” Господи, помилуй”(神よ、助けたまえ)を挿入した動画を見せていただいた。僕は無神論者ではありますが、もしも樺太に戻れて、彼の地を墓処とすることが可能ならば、露西亜正教に帰依したいなと思うようになっております。記事の紹介にございます映画をのぞきましたが、とてもとても露西亜映画のリアリズム、芸術性、宗教性、人間性には呼ばないものと映ります。

ハリウッドのヒット作 ”Back to the future” で、9.11前に作られた作品で9.11を予告しています。
英語版ですが、画像だけでもおよそわかります。
BACK TO THE FUTURE predicts 9/11
https://www.youtube.com/watch?v=P1ULjJ3EqyY
9.11自体も信じられない陰謀ですが、日本人の理解を超えています。

見てもいない映画を批評するのは知的に不誠実な態度かも知れませんが、ことにハリウッド映画において、歴史的事実を、しかも議論を呼ぶテーマについて映画化される際の傾向として、最終的に小市民道徳と消費社会に迎合した陳腐で上っ面だけのヒロイズムやヒューマニズム賛美に収束しがちだというのはまったく残念なことだと思います。

迂生もこの五十年間ほどテレヴィと、また新聞とも無縁の生活を、したがいまして静穏な生を営んでまいりました。ある脳科学に関する本を読んでいて、Hypnose(催眠状態)という述語に出遭いまして、何故かくまでテレヴィが嫌いなのかに得心がゆきました。番組の内容如何には一切関わりはありません。脳波が示しているように、Hypnoseの状態に陥るのが嫌なのです。類書は邦訳でも出版されていると思いますが、迂生は主に Manfred SpitzerのDigitale Demenz(ディジタル痴呆症)などを参考にしております。なお、貴方のご紹介による記事は、すべてプリントして、余す処なく熟読しております。ほとんど毎日のことゆえ、迂生としては頭(こうべ)が垂れる思いがいたします。今後のご健闘を他処ながら祈念しております。いつもありがとうございます。

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