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2015年12月 7日 (月)

カダフィ下のアフリカ最裕福な民主主義から、アメリカ介入後、テロリストの温床と化したリビア

2015年10月20日 10:47
Garikai Chengu
counterpunch.org

この火曜日で、アメリカが支援したリビアの元指導者ムアマル・カダフィ暗殺と、アフリカで最も偉大な国家の一つが混乱への零落から4周年だ。

1967年に カダフィ大佐は、アフリカで最も貧しい国の一つを受け継いだ。暗殺される前に、彼はリビアをアフリカで最も豊かな国へと変えていた。2011年のアメリカが率いた爆撃作戦までは、リビア、最高の人間開発指数、最も低い幼児死亡率、全アフリカで最も長い平均余命を誇っていた。

現在、リビアは破綻国家だ。欧米軍事介入が、あらゆる最悪のシナリオをもたらした。欧米大使館は全て退去し、リビア南部は、ISISテロリストの温床に、北部海岸は不法移民の中心地と化した。エジプト、アルジェリアとチュニジアは、全てリビアとの国境を閉鎖した。こうしたこと全てが、蔓延する強奪、暗殺や拷問を背景に起きて、骨の髄まで破綻した国家の全体像となっている。

リビアには現在、中央銀行と国営石油会社の支配を巡って、支配を主張する二つの競合する政府、二つの議会があり、機能する国家警察も軍もなく、アメリカ合州国は現在、ISISが、リビアの広大な地域で、訓練所を運営している考えている。

一方で、国の西部では、イスラム主義者と連携する民兵が、首都トリポリや他の主要都市の支配権を奪取し、以前に選出された議会を追い出して、自らの政府を設立した。

もう一方の、リビア東部では、反イスラム主義の政治家たちが支配する“正統な”政府が、1,200キロ離れたトブルクに亡命し、もはや何も支配していない。欧米の政府が、リビア国民に約束した民主主義は、カダフィ大佐が打倒された後、全て消滅した。

一般的に考えられていることとは逆に、欧米マスコミが決まって“カダフィの軍事独裁制”と表現するリビアは、実際は世界で最も民主的な国家の一つだった。

カダフィの独特な直接民主主義の下で、伝統的な政府機構は解散され、廃絶され、権力は様々な委員会や議会を通して、直接国民のものだった。

たった一人が全てを支配するどころか、リビアは非常に分権的で、本質的に国家内の“ミニ自治州”であるいくつかの小さな共同体に分割されていた。こうした自治州が、各自の地域支配し、石油収入や予算資金をいかに配分するかを含め、様々な決定をすることができた。こうしたミニ自治州の集合で、リビア民主主義の三つの主要な組織は、基礎人民会議と、県地区人民会議と、全国人民会議だ。

ムアタマル・アル-シャビ・アル・アサシスィ、基礎人民会議(BPC)は、イギリスの庶民院やアメリカ合州国の下院と同等のリビア機関だ。ところが、リビア基本人民会議議会は単なる、国民にかわって議論し、法案を提出する選挙で選ばれた代表で構成されるものではなかった。そうではなく、議会は、全てのリビア国民が、この過程に直接参加することを認めていた。800の人民会議が国中に設置され、リビア国民全員が自由に参加して国家政策を策定し、予算、教育、産業や経済を含む、全ての重要な問題を巡る決定をした。

2009年、カダフィは、リビアの直接民主主義を、二週間見学するようニューヨーク・タイムズをリビアに招いた。カダフィ大佐の民主的実験に対し、伝統的に大いに批判的だったニューヨーク・タイムズがリビアでは譲った。“全員があらゆる決定に参加し…外国との協定から学校建設に到るまで、あらゆることを議論し、票決するために、何万人もの国民が、地域委員会の会合に参加している。”

欧米の民主的制度と、リビア・ジャマヒリヤ直接民主主義との間の基本的な違いは、リビアでは、わずか数百人の裕福な政治家連中で構成される議会ではなく - 何万人もの一般国民が参加する何百もの委員会で全ての国民が、直接自分の意見を言うことが許されていたことだ。軍事独裁制どころではなく、カダフィ支配下のリビアは、アフリカで最も繁栄した民主主義だったのだ。

カダフィの提案が、議会で国民の投票により、否決され、彼と反対の案が採択されて、法律になったことは数多い。

例えば、カダフィは何度となく極刑の廃止を提案し、従来の学校制度ではなく、在宅学習を進めようとしていた。ところが、人民議会は、死刑と伝統的な学校を維持したがっており、人民議会の意思が優先した。同様に、2009年、カダフィ大佐が、基本的に中央政府を完全に廃絶し、全ての石油売上利益を、直接各家庭に渡すという提案をした。人民議会は、この考え方も拒否した。

40年間以上、カダフィは、経済民主主義を推進し、国有化した石油の富を、全リビア国民向けの進歩的社会福祉施策維持に用いていた。カダフィ支配下で、リビア国民は無料医療や無料教育だけでなく、無料の電気や無利子融資を享受していた。今や、NATO介入のおかげで、何千人ものフィリピン人医療従事者がリビアから脱出し、医療部門は崩壊の瀬戸際で、リビア東部の高等教育機関は閉鎖し、かつて繁栄していたトリポリでは停電が日常茶飯事だ。

欧米と違い、四年毎にリビア国民が大統領を選挙したり、各地の必ず裕福な国会議員が、国民のためにあらゆる決定をしたりはしなかった。普通のリビア人が、対外、国内、経済政策に関する決定を自らが行っていた。

2011年のアメリカ爆撃作戦は、リビア民主主義のインフラを破壊しただけではなく、アメリカは、リビア民主主義の確立を不可能にする組織、ISISテロ集団指導者のアブデルハキム・ベルハジも精力的に支援した。

アメリカ合州国には、北アフリカと中東でのテロリスト集団支援の、長く熱心な実績がある事実に驚くのは、ニュースを見るだけで、歴史を無視している連中だけだ。

CIAは、冷戦時代は、最初、過激派イスラム教徒と提携した。当時、アメリカは世界を、どちらかと言えば、単純に見ていた。かたや、ソ連と、アメリカがソ連の手先と見なした第三世界の民族主義。かたや、欧米諸国と、アメリカが、ソ連に対する戦いの同盟者と見なす過激イスラム教徒だ。

以来、アメリカは、エジプトでは、ソ連拡張に対して、ムスリム同胞団を、インドネシアでは、スカルノに対して、サレカト・イスラムを、パキスタンでは、ズルフィカール・アリ・ブットーに対して、ジャマート・エ・イスラミ・テロ集団を用いてきた。最後になるが、重要なことに、アルカイダもいる。

CIAがオサマ・ビン・ラディンを生み出し、1980年代中、彼の組織を育てたことを決して忘れてはならない。元イギリス外相ロビン・クックは、イギリス庶民院(下院)で、アルカイダは、紛れもなく欧米諜報機関の産物だと語った。クックは、アラビア語で、文字通り“ベース”を意味するアルカイダは、元々、アフガニスタンで、ロシアを打ち破るため、CIAが訓練し、サウジアラビアが資金提供していた、何千人ものイスラム主義過激派のコンピューター・データベースだと説明した。イラクとシリアのイスラム国(ISIS)は様々な名称を用いている。イラクのアルカイダ。

アブドルハキム・ベルハジの指揮下、ISISはリビアで、驚くべき勢いで転移している。フォックス・ニューズは最近、ベルハジが“オバマ政権と議員たちから、かつて誘われたことがあり”、カダフィ打倒を追求する上で、彼はアメリカ合州国の忠実な同盟者と見なされていたことを認めた。2011年、アメリカ合州国とマケイン上院議員は、ベルハジを“英雄的な自由の戦士”と称賛し ワシントンは、彼の組織に武器と兵站支援を与えてきた。現在、マケイン上院議員は、ベルハジの組織ISISを“アメリカや、我々が支持するあらゆるものに対する恐らく最大の脅威だ”と呼んでいる。

カダフィ支配下では、イスラム・テロリストは事実上存在しておらず、2009年、アメリカ国務省は、リビアを“対テロ戦争における重要な同盟国”と呼んでいた。

アメリカ介入後、現在のリビアは世界最大の武器のずぼらな隠し場で、穴だらけの国境は、トゥアレグ分離主義者や、マリ国軍をティンブクトゥから追い出した聖戦士や、元アメリカ同盟者のアブドルハキム・ベルハジが率いて、次第に増加しつつあるISIS民兵を含む、多数の重武装した非国家的行為者連中が頻繁に通過している。

経済と直接民主主義というカダフィの制度は、21世紀の最も徹底的な民主的実験の一つであったのは明らかで、NATOのリビア爆撃は、実際、21世紀最大の軍事的失敗の一つとして歴史に残るのかも知れない。

Garikai Chenguは、ハーバード大学の研究者
counterpunch.org

記事原文のurl:http://www.counterpunch.org/2015/10/20/libya-from-africas-wealthiest-democracy-under-gaddafi-to-terrorist-haven-after-us-intervention/
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リビアについて翻訳した記事のなかで、特に気になっているのは下記記事。

リビアで二度と見られなくなる16項目

今回の記事を翻訳しながら見ていた『介護危機!衝撃の実態』は力作。

『ザッカーバーグ、5.5兆円の寄付』。彼とその企業については下記記事を訳している。

NSAと協力しているフェイスブック

リビアの三つの会議については、素人には皆目見当がつかないので『リビアを知るための60章』92ページ「リビアの国家機構概念図」にある組織名を借用代入させていただいた。代入内容が間違っている可能性きわめて大きいが、あしからず。

Paul Craig Roberts氏が、トルコ戦闘機の待ち伏せ攻撃による、ロシア爆撃機撃墜記事で、別人によるロシア爆撃戦闘機の「失速速度」数値を引用したところ、足を引っ張る連中があらわれたため、氏は補足の文章を二度書いておられる。

氏は、文の趣旨は「失速速度」が正確な数値か否かで影響を受けることはないと言われる。
三組織名の間違い、ロシア爆撃戦闘機の「失速速度」数値同様に扱っていただきたい。

趣旨ということでは、『遊牧民から見た世界史 増補版』冒頭、8-9ページに下記文章がある。

なお、この小文を綴っている三月三十一日の時点で、リビアのカダフィーというおよそとんでもない独裁者と、その与党がなお抗戦をつづけている。ともかく、そう遠くない頃に、カダフィーの政治上の意味は消え去るだろうし、またそうあることを望みたい。

もう一冊思い出した本がある。『ブラッドランド ヒトラーとスターリン大虐殺の真実』。今日の書評を見て、翻訳が刊行されたのを知った。

以前訳した下記記事で、この本と著者について読んでいたので、翻訳が出たのにびっくりぽん。

帝国主義に仕える右翼“知識人”キエフに集合

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まずオスマントルコ帝国(イスラム)によるヨーロッパ侵略と宗教対立によるヨーロッパとの軋轢。

その後欧州の大国となったフランス、英国、(ドイツも計画)、そしてロシアなどによる中東植民地化侵略。
独立するも、旧植民国の欧州やロシアとの利権や癒着。

石油発掘による中東王族たちや下剋上を狙う部族たちによる限りない富と権力への欲望と執着。王族と国民の貧富の差によって勃発している内紛。

国連によって国を定められたイスラエルへの憎悪。イギリス(フランス)の利権と共同で 「スエズ運河」 を制圧しようと侵攻したイスラエルへの憎悪。
親イスラエルよりのアメリカへの憎悪。

イスラム宗教対立による原理派など1000年以上前から存在しており、政権転覆を狙った暗殺や民族虐殺や内戦などを勃発させ、国境を巡る紛争などで中東を常に不安定にしてきた訳で。
それらの対立を煽り武器商人として兵器販売や利権温存を続けてきた欧州。
グローバル化に伴い、グローバル企業による石油を巡って各国による駆け引きや紛争。
アラーの名を借りたテロ勃発と欧米各国による報復。

切りがない。

中東は、宗教問題も含め決して欧米の望むような民主主義国家にはなれないし、そのような思考は無い。
そしてどんなに一方からみて、中東の権力者や富裕層が残酷な独裁ルールを敷こうが、多くの国民が内部で苦しもうが対立しようが(一方の部族を虐殺しても、奴隷にしても、一部族のみが富を独占していても、石油の国際価格を吊り上げ独り占めして世界各国が混乱しても)、中東問題は、中東の人々に任せるべきなのだ。

そして中東各国の人々に中東問題を任せきったときに世界の人々は気づくのだろう。
中東各国も「同じ」だということに。
国内の貧富差による怒りの感情から国民の目を反らさせるために、宗教問題や人権問題や外部の敵を作り煽っている中東富裕層の存在に。

                   追悼 カダフィ大佐

  地の果てアルジェリア。その隣がカダフィ大佐のリビア。極東から見れば太陽の沈む地方(マグレブ)。ある人はその西にはモロッコがあるではないかというかもしれないが,小生はこの2国を訪れたことがない。しかしマグレブの人々は二つに分けられると,知り合いのアルジェリア人は言った。海辺の人々はコ-フィ-を嗜み,山岳地方の人々はテェ(紅茶)を愛するという。

  25歳で「大佐」になったカダフィ氏を個人的に知らない。しかしその25歳という年齢に注目した覚えがある。27,8歳で地方の警察署長や税務署長になった日本の政府官僚を思い出す。ただ,いつになっても大佐から将軍へと昇進しないことに疑問を抱いていた。それがネットITの普及によって大佐が「総称(敬称)」であることを知った。
  しからば,少佐でも,イランコントラのノ-ス中佐の中佐でもよかったのではないのかと思わないではないが,世界が40年間も敬称を変えなかったことに対して,最初に「大佐」なる語を用いた特派員や新聞社に敬意を表したい。

  それはさておき,カダフィ大佐に関するTVを映像を見たのは,TBSの,土曜日夕方の番組であった。ところはニュ-・ヨ-ク国連本部。小冊子を出してポイッと後ろに投げつけた。その小冊子は『国連憲章(抜粋)』であった。なぜ投げつけたのであろうか。それは分からない。

  しかし「アメリカこそテロ国家」と言ったのはカダフィ大佐である。晩年,パンナム旅客機撃墜を認めたが,パレスチナの人々を虐殺するイスラエルを支援するアメリカ合衆国の,南米チリやニカラグアなど政権転覆をやった悪行の数々に対する復讐だと,カダフィ大佐は言いたかったのであろうか。

  同じその夕方の番組であった思うが,カダフィ大佐は用意された西洋式宿泊先=ホテルに泊まらず,知り合いの土地を借りてテントを張り,アラブ式の生活を送り,反西洋,反アメリカを断乎貫き通していた。 

  本翻訳を読んで今,寄らば大樹の陰を求め,虎の威を借るトルコや日本,あるいはアメリカの言いなりになるヨ-ロッパ,特にド・ゴ-ルなきフランスを見るにつけ,アラブ強硬派と異名をとったリビアのカダフィ大佐に敬意を表すると共に,哀悼の意を改めて表したい。
 

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