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2015年9月22日 (火)

TPP: 一体何がめでたいのか?

2015年9月11日
Public Citizen

一日8時間労働や児童労働法や最低賃金と同様、レイバー・デーは、当たり前のものとして受け止められている。単なる、もう一つの休日だ。

しかし、我々の社会の幸福に対するこうした膨大な貢献は、労働運動により、苦労して得られたものなのだ。

更なる進歩を実現するため、さらに、現在そして将来の労働者を慶賀するため、国民として、労働組合や我々全員、一体何をしているだろう? 労働者に損害を与え、苦労して勝ち取った獲得物を縮小させるため、今日以外の一年、我々は一体何をしているのだろう?

労働運動を活気づける一つの方法は、環境保護、消費者、宗教や他の市民運動団体と連携し、全てのアメリカ人の生活の質をより良くするために戦い、より公正な貿易やグローバル化政策を要求することだ。賃金を引き下げ、雇用をなくす、ほぼ似たような貿易政策に対する戦いは、ここ数十年の中で、更に多くの市民の関心と行動を生み出している。

一体なぜだろう? 不幸にも、オバマ政権がブッシュ政権の後を受け、l環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)、12か国によるNAFTA風巨大貿易協定の交渉を復活させたためだ。

レイバー・デー祝宴のバーベキュー網も冷め、秋の議会会期が始まる今、一体何が労働者に、TPPを実際祝わせるように仕向けているのか検討する価値がある。

平均最低賃金は一時間60セント以下で、児童労働がはびこっており、自立した労働組合が禁じられているベトナムの労働者と、アメリカ労働者に競合するように強いる協定が、どんちゃん騒ぎをする理由と思えるだろうか?

もし政府が、アメリカ企業が低賃金の国々に雇用を海外移転するよう、実際、奨励する貿易協定を成立させようと推し進めていたら、レイバー・デーに何か意味はあるだろうか?

中流階級の人々が、小企業の社長や従業員が、我々が税金で支払ったドルを、アメリカ国内で良い雇用を生み出すため再循環させる政策「米国製品優先購入政策」の破壊を、一体どうして熱心に称賛するだろう?

アメリカ労働者は、1970年代以来、生産性を倍増したのに、依然、1970年代水準の給与しか支払われていないという事実に祝杯を挙げる気になれるだろうか? アメリカの過去百年で最悪の所得不平等を悪化させる、もう一つの現状維持的貿易協定のおかげで、この大きな格差は、一層広がるばかりなのに。

アメリカの雇用を減らす、通貨操作に対する拘束力のあるルールを含まない貿易協定を実施して、我々はアメリカ労働者を称賛するのだろうか? TPPは、雇用創出の期待に背いたのみならず、貿易赤字を悪化させ、500万のアメリカ製造業雇用を失わせた、これまでの協定をしっかり手本にしているのに。

TPPは、労働者や移民の売買、つまり一種の現代奴隷を許している国々が協定に参加するのを認めているを知りながら、一体誰がプール・サイドで、ゆったりしていられよう? 更にひどいことに、マレーシアのような国が、既にTPP交渉に参加しているため、いまわしい人身売買違反を認められてしまうだろう。

500人以上の大企業顧問と、ごく僅かな公益や労働団体による協定が、労働者のためになるものに思えるだろうか? 全くの密室で交渉されているのであればどうだろう?

今回が、家族が危険な食品輸入の洪水や医薬品価格上昇や環境の悪化にさらされずにいる最後の夏休みだと知りながら、アメリカの労働者は、のんびりしていられるのだろうか?

国民として、我々は、一体どうして、労働者を祝うために一日だけ休んで、翌日からすぐ、自分たちの最善の利益を損なう政策に取り組むのだろう?

しかし、レイバー・デーをじっくり考えながら、祝うに値するものが一つある。この貿易協定という名目の、大企業による権力奪取と戦うべく、アメリカの労働組合は、他のTPP加盟諸国の労働組合と団結している。

アメリカと世界中の労働者は、適正賃金、尊厳、敬意と安全のために、絶えず戦わざるをえなかった。圧倒的な量の金、権力や大企業プロパガンダに対して、我々の祖父母や父母たちが、今は当たり前とされている多くの権利を勝ち取った。

我々は団結して、労働者全員がなし遂げたことに、お返しをすることで、他の364日間も、ずっと労働に関心を持っていることを示せる。TPP廃案だ。いつまでもうれしさが続く贈り物だ。

これは、来る2016年のレイバー・デーで祝うに値する、もうひとつの重要な労働運動の成果となるだろう。

記事原文のurl:http://citizen.typepad.com/eyesontrade/2015/09/tpp-whats-to-celebrate.html
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9月の第一月曜日は、アメリカ、レイバー・デー、労働者の日。どちらの国でも大手企業組合は御用組合で、まともな運動などほとんどしていないのではと想像しているのだが。

国会前での戦争法案反対抗議行動弾圧の勢いをかって、辺野古でも警備陣大活躍。右翼による暴力行為まで起きている。

常総の堤防決壊被害、電子メールでの警告も失念していたのだという。
ほぼ日本版9/11。戦争法案に目が向くのを意図的にそらせたとしか素人には考えられない。「対応に忙しくて忘れる」はずなどないだろう。公務員、いや人間失格。
大本営広報部、TPP、内容が徹底的に秘密であるのをいいことに、そして秘密法案も理由だろうか、ヨイショ報道しかしない。購読料を払って、洗脳されるという意味では、電気洗脳箱とかわらない。

物心ついて以来、日本国民は宗主国支配層や属国買弁連中により、年々追い込まれ続けててきた。(具体的法制は、加藤周一の下記講演でも触れられて)総決算が今回の採決モドキ。

宗主国侵略戦争に、日本軍兵士を無限に差し出す戦争法案への説明、強行採決モドキの与党をみていれば、ああいう連中が、自国民のためになる条約を推進するわけがないことは誰でもわかるだろう。
戦争法案同様、TPPも宗主国発の制度。

戦争法案反対で国会前に何度か通ったが、有名大企業の旗を見た記憶は皆無。
カルト宗教団体本部に抗議行動をしたのも有名大企業組合でなく、母親たちだった。

大企業組合は第二人事部、つまり監視・抑圧組織であり、労働者を守る組織ではない。

60年安保反対闘争の後、支配層は着々と組合破壊工作を推進し、完成した。
中曽根首相による、国鉄分割民営化が、その代表例。
彼は全日本労働組合総評議会を潰すために国鉄労働運動を潰すことが民営化の目的だったと後に公言した。

労働組合というか、その構成員である、会社員も公務員も退職までは長い。定年退職まで、黙っていることになる。

SEALDsの学生と我々のような退職世代が大挙して集まる姿を見ながら、毎回思い出していたのが、2006年12月8日、東京大学駒場900番教室での加藤周一講演会「老人と学生の未来-戦争か平和か」。ドキュメンタリー『しかしそれだけではない』にも収録されている。
講演内容の別の箇所を何度か引用した。

ネットを探しても、書き起こし文章が見当たらない。以下に、該当部分だけ適当に書き起こしをしてみた。各自ビデオで内容をご確認するようお願いしたい。(前編の31:32あたり以降。)

なお、この内容を圧縮した文章に、かもがわブックレット159 『どう拓く日中関係 政冷経熱の現状と「文温」の可能性』の発言部分、16-17ページ、「青老同盟を」がある。(入手困難かも知れない。)

SEALDsの学生の方々が、加藤周一のこの発想をご存じかどうか知らないが、加藤周一が発起人の一人である九条の会の皆様、つまり「老」は、この発想を意識して活動されているのは確実だ。

そこで、どっちを選ぶか、という問題になるわけですが。時間がありませんから今日は、どちらか選ぶではなく、選んでしまったあと、憲法をえらんで、戦争をしたくないという意思を通そうとすとすれば、どうすれば、そういうことができるかということで、それが老人と学生ということなんです。

生きているのは何かしているということでしょう。
おいしいものを食べていたいという人もいれば、写真をとりたいという人もいれば、本を読みたいという人もいる。憲法を守るかも、守らないかも。
何かの「行動」をするときは目的がある。
行動は現状承認ではないわけですよ。何かの行動することは、現状を変えるということですよ。現状のままなら、何もしなくて良いんだから。小さく変えるか、小さく変えるかは違うけれとも。行動が目的を要請するというのは共通なんですよ。

目的を追求するときは手段を必要とする。手段は、夢の中で見たんではだめなんだな。
いまある現実は、手段を提供するんですよ。目的はそれだけでなく、何か理想があるから、目的になるわけ。現実と矛盾するものがあるから、
それについては、誰についてもでも同じといえると思うんですが。

学生さんと、私みたいな一定年齢以上の老人とは、先にお話した、日本は社会全体が別れ道にきていますから、どちらをとるかという時ね、今私自身が主張しているのは、憲法を守ろうといってるんですが、非常に難しいですが、そう言っているのですが。そういう目的を達成するにはどういう手段があるかという話ですね。誰が何をするかというのが入ってくる。誰がというのが大変大事なんです。

こういう講演会をすると、憲法を守るか、変えるかというのをしますとね、どうしたらよかろうかという話なり講演会をすると、来てくださる方はたいてい老人なんですよ。
老人は皆よぼよぼしているわけではないですよ。比較的元気な老人があつまるわけなんですよ。若い方は少ない。

今日みたい大学だし、若い方が多くてうれしいが。うれしいだけではなくて、今までのところは、憲法の話は、老人が熱心で、若い人はそう積極的ではありませんね。講演会だけで判断できませんが、だいたいあまり活発ではありませんね。

若い人は、自分たちの試験だとか、うまいものたべたいとか、それだけで、先のことがみえないのかというと、そういうことはないのです。68年の後半だけど、68年の世代の学生さんは非常に激しく対応したでしょう。
彼らがとった手段に私は必ずしも賛成しないが、彼らの言った目的かなりに私は賛成する。一部には賛成しないが。

とにかく反応したんです。行動に表したんです。憲法が言っているように合法化している手段で、つまり街頭においてデモをした。昨日までフランスではやってたね。高校生が。

だから、ある状況では日本では若い人も反応するのは確かです。見たばかりですから。だけど、どうして今度は反応しないのか。

68年には、老人は行動しなかった。家で昼寝、昼寝でもないけど、テレビを見たり、新聞をみたりしていたけれども、あまり反応しなかった。
68年には、図式的にいえば、若者は怒っていた。社会的な問題については強く反応した。安保条約を中心として。安保条約だけじゃないけれど。だけど老人は静かだった。
今度は、老人は怒っている人もいるし、熱心に反応している方が多いが、学生さんはわりに静かなんだね。丁度その逆で、68年の英雄は、学生さんでしょう。
今度の2005, 2006年、現在の憲法の改正の問題について、学生さんが発言してくれれば、合体すればね、老人と学生と一体化すれば、多分憲法九条を改訂、廃止するという計画は挫折すると思うんです。
煽動しているわけじゃないけどね。状況を説明しているので、客観的に説明しているので、もしと言っている。もし、学生が68年のエネルギーを回復すれば。

何を言っても変わらない。無力だとは私は全く思わない。無力ということはないよ。私は全くそう思わない。そこに動きがあれば、最小限度先のばしだな。変えたい人は、もっと計画を先にのばす。もっと後にしょう。

だから大いに、日本の運命は手中にある。大げさだけどね。
老人が全て鍵をにぎっている、できることをすべてやっているというわけではありません。我々がすべきことはまだまだあると思うけど。

大きなのは老人だけの力では日本は根本的に代わらないと思う。根本的に変える力は学生さんだと思うんですね。

なぜそう思うかという若干の説明は、一番良くいわれることは戦争経験なんですよ。戦争経験がないのは、前の戦争、1945年の敗戦を知らない、占領を知らないでしょう。それどこではなくって、先生が良くいうのは、今の学生さんはベトナム戦争を知らないでしょう。我々の感じから言うと、ベトナム戦争というのは昨日のことなんですが。学生さんは違うでしょう。生れる前でしょう、ベトナム戦争は。
学校の先生は、定年退職になる人は60歳でしょう。そういう人も前の戦争は知らない。戦争経験があるかないかという話だったら区別できなんいですよ。学生さんと、今の老人は大差はない。私のような非常な老人だから知っているけど。

ところが、重要な経験を分有する。わかちもつことが一つの世代を作るとすればね、世代間の違いは共通経験の違いによって定義されると思うんですよ。だから、ベトナム戦争を知っている人と、68年を知っている人と、そうでない、今は大部分、死に絶えたけど。私のように生きているのもいるけれど。非常に古い前の戦争を知っている。生涯は見事に、戦争と重なっている。生れた時は戦争。だから、それは世代の違いですよ。

私が今晩提案したいのは、老人と学生さんとが結託すれば、危機を脱することができる。実に面白いことであって、日本も危機を脱することができると思うんですけどね。

何が違うというよりも、共通点がある。二つの大事な違いがある。

第一の違いは、学生時代は非常に短いですよ。とにかく決まっているでしょう。
私は医学部だったから。大学は昔から3年で医学部は4年だったが。
4年間なら、4年間で卒業する
前は全然違いますね。高校生は。
大学を出たあとは、就職しますから。サラリーマンは全然学生生活とは違うでしょう。学生生活は非常に限定された4年間だけ、という非常に限られた期間です。

老人は、そんなにはっきりきまっていない。いつ老人をやめるというのはない。
老人はある時期から、我ながら感じるようになって、身体的にも頭も故障してくる。物忘れしたりするようになるでしょ。しかし、それもあまり長くないんですよ。
あと十年ということはない。多分そういうことはないですよ。そのうちにもう死んでしまうんですね。日本は非常に長命な国ですが、それでも100年は生きない。生きても活動はできない。老人生活も短いですよ。その点も非常に良く似ている。
卒業してから働いているのは40年。とてもじゃないけど、学生さんはわずか4年。
老人は、5年か、せいぜい10年、非常に似ているんですよ。短いんですよ。
そこでとうするかということになるんですけど、もう一つ共通点があるんですよ。
日本国はだいたい伝統的に、個人と集団との関係で、集団志向型の社会なんですよ。だから、個人が集団の中に組み込まれる度合いが非常に強い。
集団は個人を助ける傾向がある。それは最近は急速に変わりつつあるけれども、企業の中なんかで、団体の方が個人より優先するわけですね。観光旅行と同じですね。

お寺で仏像を参拝するんでも、団体の方がやすくなるんだから。
憲法には信仰の自由ということが書いてありますが、観光旅行では、束になってかかったほうが安くかたづく。要するに、団体が非常に大事ということですね。

そうすると、小さな子供は親の圧力が非常に強いでしょう。抵抗できないわけだけど。学校では試験やなんかがあるから、なかなか独立できないと思うんですけど。大学生は、比較的、就職試験もあるし、色々あるから、ご苦労さんですが、そうかんたんに遊んでばかりいるわけではないから、けれども、大学という組織が学生に与える団体の圧力はあるけれども、そう強くないんですね。

今私の言っていることを信じない方は、一年か二年、数年して就職すれば、すぐにわかりますよ。いかに猛烈か。会社についても、役所についても。
例えば、今話題になっていることは、憲法九条、対外関係について、外務省に勤めた人が、定年退職でお辞めになった、外務省と違うことを考えて話す方が三人かな。非常に少数でしょう。少数だけども大事な三人でしょう。
何を言っているかと言うと、現職の時に言いわなかったこと。
とうしてそうなったかと言うと、団体による周囲の圧力が弱くなったからですよ。
米国ではマクナマラですね。国防長官だったけど。彼はベトナムの戦争をデザインした一番大きなデザイナーだった。彼自身が戦争を指揮した、ベトナム戦争の戦争哲学を作った人ですよ。何十年もたってから、あれは間違っだったということを言ったんですよ。だけど、随分大勢の人が死んだでしょう。
だけど、現役の時には、世界最高の、世界にあれだけの権力はないんだから。
米国き指導者は、あれだけの権力を持っていた人は、これだけ大きな力は、ローマ帝国を遥かに越えているんですから。そうした人でさえ、私はこう思うとは言わなかった。思っていたことは黙ってて、いわなかった。
日本では外交官は団体の外で言う。外というのは定年です。定年後というのは、老人か老人候補者ですよ。だから老人は自由なの。

自由万歳というけどね、それは老人の自由の万歳ですよ。
そして同じようなことは、学生さんもそうなんですよ。会社に入ったら黙るでしょう。退職までは長いですよ。定年退職までは。その間は黙っていることになるんですね。黙っていて、別のことを考えていると、毎日が楽じゃない。
真っ向みじんのことを考えているのは。
言っていることと、考えていることが全く違うというのはつらいことです。
それを解決する一番なめらかで、しばしば行われている方法は、団体の方向に変える、転向する、コンフォーム、合わせるっていうかな。大部分はそうです。
しかし一部には、そうでなくていかに苦しくても、別の考えを持っている人がいる。言わないけれど。でそれが、そういう歌があるんですね。リンゴはなんにも言わないけれど、リンゴの気持ちはよくわかるっていうやつ。
それが団体の圧力ですよ。社会学的にいえば、団体の圧力ですよ。

人生の中で、子供の時には、親とか先生の圧力が非常に強いね。
仲間同士は一生懸命いじめたりして。生き延びれば大人になるでしょう。
大学にきて、四年間、日本では、日本人の人生では、四年間、基本的人権の筆頭であることの権利が、最大限。
それを過ぎるとずっと下がって、60歳以後、また定年退職以後に、復活してもう一度自由になるんですよ。だから二度山があるんですよ。

だから、学生と老人の同盟はどうですかというのは、二つの自由な精神の共同、協力は強力になりうるということです。

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コメント

いつも心待ちに読ませていただいております。ありがとうございます。

さて,2006年の12月8日の講演会の文字起こしの件です。見つけておりましたが,ご連絡せず申し訳ありませんでした。ご存知の月刊誌『世界』の2007年8月号に全文載っていると思いますので,お調べくださるようお願い申し上げます。

バイ・アメリカン法、血の通わない経済学徒、経済合理性至上主義者には何を馬鹿なことをと噴飯ものでしょうが実際とてもいい法律だと思います。どの国の人間も自分の国で作られたものを買うべきでしょう。
だってそうでしょう?中国人やらバングラデシュ人やらインド人やらの方が人件費が安いと言って雇用を海外移転する、なるほど消費者は安く買えるようになります。では消費者が買うその原資は一体どこから来るのでしょうか?お給料でしょう!雇用をどんどん外国の人たちに移転させてしまっているのにどうやって日本人はお給料を得よというのでしょう?消費の伸び悩み?そりゃそうでしょう、日本人が満足にお給料を頂いてないんですから!
結局雇用の海外移転や低賃金で消費者を減らして自分自身の首を絞めているのは企業なんです。でも企業の役員たちは、消費者も従業員の方も見ておらず、自分たちと同じ他人の労働に寄生して富を築く株主様のご機嫌ばかりを伺っているだけですから今後もそういう傾向は続いていくばかりでしょう。
なぜ資本主義は社会主義に勝利したのでしょうか?資本主義が正しかったから?もちろん違います。それは単に社会主義者よりも資本家の方が強欲で卑劣で非情だったからに他なりません。

         海辺の町から-息長く,性急すぎないデモを期待する-

  この一年間,注目してきた学者が2人いる。一人は金子慶大教授(大竹まことの紳士交遊録,文化放送)と,もう一人は本ブログでお馴染みの山崎行大郞日大芸術学部講師である。金子先生は普段からTPP反対,原発は不良債権,アベノミクス批判など安倍自公政権への批判を繰り返し主張されている。CIAやNED主導の香港のデモやアラブの春に対する誤解があるので,本ブログを読んでその誤解を解いていただきたいとしても,金子教授の能力には感心する。
  二人目の山崎先生は,小林秀雄や江藤淳を『生涯の師』と仰ぐ哲学者,文芸評論家である。先生の根源的に考えようとする思考には毎回,うなずくものがある。最近では「ネット右翼」なるものにメスを入れられ,安倍政権を強烈に批判されている。山崎先生の文章の運びには脱帽することもたびたびである。

  前置きが長いと友人や知り合い,家族からも批判があるので,前置きはこの位にして今回取りあげるのは,戦争法反対の大学生たちSEALDs関連の話である。特に山崎先生の以下の文章である:
  ・・・・私は、百田尚樹や櫻井よしこのような「ネット右翼」的なエセ保守に依存する安倍政権にも批判的だが、「シールズ」の「反安保法案デモ」の盛り上がりを見て、突然、発言を始めた憲法学者や文化人、芸能人にも批判的だ。安易に「勝ち馬」に乗りたがる最近の日本人の「思想的劣化」の典型かそこに見える。彼等の多くは、日米同盟や従米属国論にも批判的のようだが、果たして、何処まで本気なのであろうか。米国政府の一部(ジャパンハンドラーズ?)が、民主党政権や小沢一郎に対する激しい妨害工作を展開し、米国による「植民地主義的支配」が露骨に実行されていた時、彼等は、「反米」「独立」の声をあげたであろうか。むしろ、多くは、自民党やマスコミに迎合して、「民主党政権つぶし」や「小沢一郎つぶし」に加担するか、あるいは、沈黙するか冷笑していたのではなかったか?「小沢一郎をつぶせば、民主党政権はつぶれるだろう」という米国政府の「日本植民地化戦略」を暗黙のうちに支持していたのではなかったか?私は、機を見るに敏な、そういう左派インテリ文化人の「遊泳術」が嫌いだ。私が、最近まで、「自称=保守反動」だった理由はそこにある。・・・・・・」

  山 崎先生のこの文章は,間違いではない。左派インテリ文化人の「遊泳術」批判は正鵠を射ていると思う。しかし例えば,酒井法子麻薬事件→秘書大久保氏逮捕→晩香波冬季オリンピックといった流れで,小沢一郎氏潰しが行われたと認識するのは,一般日本人はもちろん,左派・右派インテリ文化人にとっても難しいことではなかったのか。ましてや象牙の塔に籠もる学者たちが,検察が酒井捕物帖を小沢潰しに利用したなどと理解していたとは思えない。

  最近小生は,加藤周一の『『日本文化における時間と空間』を読み終えた。その中には山崎先生ご指摘の「安易に『勝ち馬」に乗りたがる」傾向,つまり体制順応主義が日本人の特色の一つとして取り上げられている。すなわち,最近の日本人の「思想的劣化」は今に,始まったわけではない。日本文化の特徴なのである。日本人の特性であると言ってもいいかもしれない。

  1968年の学生たちと似たSEALDsの学生たちの出現を期待したのは,加藤周一である。加藤は「老人と学生の協力」が政治を動かすだろうと母校の講堂で訴えた。しかし68年は,老人は動かなかったが,2015年は動いたのである。突然動いたインテリや芸能人を批判するなら,動いた老人をも批判しなければ,十分でない。

  もちろん,大江健三郎氏や加藤周一らは「九条の会」を立ち上げ,全国を遊説し,時間に比較的余裕のある老人や人々に憲法の大切さや何をすべきかを訴えてきた。その影響もあって大学生ばかりでなく,高校生までも戦争法反対デモに立ち上がった。それらの相乗効果に左派インテリの一部が呼応したと言えなくもない。

  妨害工作でなく,民主党潰しでなく,あるいは小沢潰しでなく,自分たちの子ども,孫子たちが戦場にいくことになる戦争法は,別格であるという点も山崎先生の視点には欠けているように思えてならない。確かに,付和雷同的な署名押印や声明発表に加わったインテリも多かったに違いない。しかしさわさりとて,加藤が訴えたように「老人と学生の協力」が触媒となり,インテリや文化人,芸能人の協力を得てさらに「強力」になったのが,今回の戦争法反対のデモであると,小生は考える。それ故に一過性に終わることなく,自公政権が倒れるまで,無理なく息長く,デモが続くことが予見される。

追記: 天気晴朗なれど,戦争法反対の声高し。自公政権はあの手,この手で反対の声潰しにかかるだろう。雨にも負けず,逆風にも負けず,頑張っていただきたい。そのとき役に立つと思われるのは,金子勝・石田英敏・室井佑月『安倍政権のメディア政治と下からのファシズム(9月18日),YouTube)であろう。海辺の町からお祈り申し上げる。
  

               幽霊は,すべてお見通しだ!

  文字起こし,有り難うございます。
  今回の戦争法に対する反対運動を,本ブログ主人様の紹介されたビデオを念頭に浮かべながら,海辺の町から見守っておりました。とは言え,オリンポスの高みから応援しているだけで,高校生やSEALDsの大学生の皆様に申し訳ないと思っております。
  また鈴木貴子議員らが主張されているように,公聴会に女性の声が反映されていません。これから連想したのが, 「戦争を将軍(男)たちに任せておけない」と,アリストファネスが書いた『女の議会』です(加藤周一,『山中人閒話』,福武書店)。

  今回,文科省の粋な計らいで「高校生の政治活動が『学校外』で認められました」。高等教育課の局長の「通知」で政治活動ができたり,できなかったりすることも分かりました。加藤が指摘しなかった高校生に今後とも期待できます。以前書いたことですが,人生の同行者が地元駅前で九条の会の無言デモに参加したとき,反応がよくなかったのは勤め人でよかったのは高校生で,手を振ってくれた若い学生が少なからずいたということです。

  また父が亡くなって約5年がたちますが,小生が実家に戻るたびに日付入りの切り抜き,『夕陽妄語』を手渡してくれました。しかしあるとき,自分用の切り抜きを見せてくれたことがあります。それは武藤勝美氏の『戦争は本当にあったんだろうか(朝日新聞声欄,2007.8.15)』です。同時代の人間だというのです。
 
  マクナマラ元米国務長官に該当するのは,「戦争法は違憲である」と退職後も中立性を発揮した最高裁元判事の濱田氏でしょうか。西山事件の,当時の条約局長だった某氏は「沖縄密約はあった」と西山氏に語っているので,彼もマクナマラに比してもいいかもしれません。

  最後にうろ覚えですが,本映像でハッとさせられたのは,「日米ガイドライン成立以来,戦争ができるように周辺事態法などが制定されてきたけれど,戦争ができなくなるような法律が制定されたことは一度もない」という,加藤の指摘です。幽霊の話が大好きだった加藤の慧眼,畏るべし。

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