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2015年5月19日 (火)

もしプーチンが真実を言っているとしたら?

F. William Engdahl

2015年5月17日、
"NEO"

4月26日ロシアの主要TV局、ロシヤ1は、クリミア併合、ウクライナにおけるアメリカのクーデター、アメリカ合州国とEUとの関係の全般的な状態を含む現代の出来事に関するロシア国民向けドキュメンタリーで、ウラジーミル・プーチン大統領を特集した。彼の言葉は率直だった。しかも、発言の中で、ロシアの元KGB幹部は、ロシア諜報機関が二十年前から知っていたことの爆弾宣言をした。

プーチンは、率直に、彼から見れば、欧米は、ロシアが弱体で、苦しんで、ロシアの性格として、決してそうしたいなどと思うはずがない、欧米に施しを請う状態にだけ、満足するようだと述べた。発言の始めの方で、ロシア大統領は、ロシア諜報機関が、ほぼ二十年前から知っていたが、これまで沈黙を守ってきたことを、恐らくは、ロシア-アメリカ関係が健全に正常化される時代を期待して、初めて公に述べたのだ。

1990年代初期の、チェチェンとロシア・カフカスでのテロは、ロシアを意図的に弱体化する為、CIAと欧米諜報機関が積極的に支援していたとプーチンは述べたのだ。ロシアFSBの外国諜報部門には、アメリカの秘密の役割に関する文書があると、詳細まではいわずに彼は述べた。

諜報機関最高幹部であるプーチンは、発言中で言外にほのめかしただけだが、私はロシア以外の情報源を基にして、詳細に報告している。この情報は、世界に、長年の隠された思惑、つまりウクライナにおけるネオナチ・クーデターや、モスクワに対する過酷な金融制裁戦争も含め、機能する主権国家としてのロシアを破壊するという、ワシントン支配層の思惑を暴露する上で、非常に大きな意味がある。以下は、私の著書『Amerikas’ Heilige Krieg』(『ファシスト・アメリカの聖戦』の意)に書いたものを基にしている。(訳注:現状ドイツ語版しかなさそうだ。)

CIAのチェチェン戦争

CIAとサウジアラビア諜報機関が資金提供したムジャヒディンが、1980年代末にアフガニスタンを壊滅させ、1989年にソ連軍を追い出し、数ヶ月後にソ連自身が解体して間もなく、CIAは、彼らが訓練した“アフガニスタン・アラブ人”を、ソ連後のユーラシア地域に対するロシアの影響力を更に不安定化する為に、崩壊しつつあるソ連内で配置転換できる適地を探し始めた。

連中は、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェートや、超厳格なワッハブ派イスラム教が信仰されている、アラブ世界の他の国々の、超保守派ワッハブ派スンナ派イスラム教徒から徴募されていた為、アフガニスタン・アラブ人と呼ばれていた。彼らは1980年代始め、オサマ・ビン・ラディンという名のサウジアラビア人CIA採用担当者によって、アフガニスタンに送り込まれたのだ。

旧ソ連が、完全な混乱・無秩序状態になると、ジョージ・H・W・ブッシュ政権は“水に落ちた犬は打つ”ことに決定したが、ひどい間違いだった。アフガニスタンの歴戦のテロリスト連中を、混乱をもたらし、不安定化をするため、中央アジア全体、更には、当時エリツィン時代の経済崩壊という深刻で、忘れようのない危機にあったロシア連邦内部まで、ワシントンは配置転換したのだ。

1990年代初期、ディック・チェイニーの会社ハリバートンが、アゼルバイジャン、カザフスタンと、カスピ海盆地全体の海底石油の埋蔵量を調査した。彼らは、この地域は、現在の市場で数兆ドル、“もう一つのサウジアラビア”に匹敵すると推測した。アメリカとイギリスは、この石油の大鉱脈を、あらゆる手段で、ロシアの支配から守り抜くと固く決意した。ワシントンの最初の目的は、アゼルバイジャンで、選挙で選ばれた大統領アブルファズ・エルチベイに対し、クーデターを画策して、バクーの石油を、アゼルバイジャンから、グルジアを経て、トルコと地中海に輸送する“世界で最も政治的なパイプライン”である、アメリカが支配するバクー・トビリシ・ジェイハン (BTC) 石油パイプラインにより友好的な大統領をしつらえることだった。

当時、唯一のバクーからの石油パイプラインは、チェチェンの首都グローズヌィを通過するソ連時代のロシア・パイプラインで、バクー石油をロシアのダゲスタン州経由で北に、チェチェンを経由し、黒海のロシアの港ノヴォロシースクに輸送するものだった。このパイプラインは、ワシントンとイギリスと、アメリカの国際石油資本による極めて高価な代替経路に対する、唯一の競合相手で、主要な邪魔者だった。

CIA出身の父親ブッシュ大統領は、CIAにいる旧友連中に、ロシア・チェチェン・パイプラインを破壊し、カフカス欧米や、ロシア企業に、決して、グローズヌィ・ロシア石油パイプラインを使う気持ちを起こさせないような混乱を生み出すよう命令したのだ。

ブッシュの旧友で、元CIA国家情報会議副議長のグラハム・E・フューラーが、CIAムジャヒディン戦略の主な立て役者だ。フューラーは、1990年代始めに、カフカスにおけるCIA戦略をこう説明している。“イスラムの進展を指導し、彼らが、我々の敵と戦うのを支援した政策は、アフガニスタンでは、赤軍に対して素晴らしいほどうまく機能した。同じ政策が、いまだかろうじて残っているロシア勢力を不安定化するのに利用可能だろう。”6

CIAは、奸策専門家のリチャード・セコードを作戦に起用した。セコードは、CIAのフロント企業、MEGAオイルを設立した。セコードは、1980年代、CIAのイラン-コントラ違法武器・麻薬作戦における中心的役割のかどで有罪とされた。

1991年、元国防次官補のセコードがバクー入りし、CIAフロント企業、MEGAオイルを設立した。彼はベトナム戦争時代、ラオスにおけるCIA秘密アヘン作戦のつわものだ。アゼルバイジャンで、彼は、何百人ものビン・ラディンのアルカイダ・ムジャヒディンを、アフガニスタンから、アゼルバイジャンにこっそり送り込む航空会社を立ち上げた。1993年には、MEGAオイルは、2,000人のムジャヒディンを徴募し、訓練し、バクーを、全カフカスのムジャヒディン・テロリスト作戦基地へと変えていた。

セコードのカフカスにおける秘密ムジャヒディン作戦は、軍事クーデターを開始し、その年、選挙で選ばれた大統領のアブルファズ・エルチベイを打倒し、より素直なアメリカ傀儡、ヘイダール・アリエフを押し込んだ。ロンドンのサンデー・タイムズに漏洩した秘密のトルコ諜報機関報告書で、“共にAIOC (アゼルバイジャン国際石油コンソーシアム)構成企業である、それぞれイギリスとアメリカ企業の二大石油企業、BPとアモコが、クーデターの背後にいた”ことが確認された。

サウジアラビア諜報機関のトップ、トゥルキ・アル・ファイサルは、1980年代の始めに、アフガニスタン戦争開始時に、アフガニスタン派遣した彼の工作員オサマ・ビン・ラディンが、彼のアフガニスタン組織マクタブ・アル・ヒダマト(MAK)を利用して、急速に世界聖戦となりつつあったものの為に“アフガニスタン・アラブ人”を徴募する様に手配した。ビン・ラディンの傭兵は、ペンタゴンとCIAによって アゼルバイジャンのみならず、チェチェンでも、そして後には、ボスニアでも、イスラム教徒の攻勢を画策し、支援する為、突撃隊として利用された。

ビン・ラディンは、チェチェン人軍閥シャミル・バサーエフと共に、別のサウジアラビア人、イブン・アル・ハッターブを、司令官、チェチェンのムジャヒディン聖戦戦士指揮官(原文通り!) とするべく引き込んだ。イブン・アル・ハッターブが、サウジアラビアのアラブ人で、チェチェンの言葉など、ましてロシア語などほとんど話せなくともかまわなかった。彼はロシア兵士の外観と、その殺し方を知っていたのだ。

当時のチェチェンは、伝統的に、圧倒的に穏健な非政治的なイスラム教宗派スーフィ教の社会のだった。ところが、豊かで十分訓練された、アメリカの資金援助を得て、ジハードを説くムジャヒディン・テロリストの潜入が増すと、対ロシア聖戦当初は改革主義だったチェチェン抵抗運動は変貌した。彼らは、アルカイダの強硬派イスラム原理主義イデオロギーを、カフカス全体に流布した。セコードの指導の下、ムジャヒディン テロリスト作戦も、隣国ダゲスタンやチェチェンへと拡大し、バクーを、アフガニスタン・ヘロインの、チェチェン・マフィアへの輸送地点へと変えた。

1990年代中期から、ビン・ラディンは、チェチェン・ゲリラ指導者シャミル・バサーエフと、オマール・イブン・アル・ハッターブに、1990年代の経済的に荒涼たるチェチェンにとって途方もない大金、月に数百万ドルもの金を支払い、連中が穏健なチェチェン人多数派を干し上げるのを可能にした。21 アメリカ諜報機関は、1990年代末までチェチェン紛争に深く関わり続けていた。当時アメリカ議会テロ・不正規戦争対策委員会委員長だったジョセフ・ボダンスキーによれば、“更に他の反ロシア聖戦、猛烈な反欧米イスラム原理主義勢力を支援し、力づけようとして”ワシントンは積極的に関与していた。

ボダンスキーは、CIAカフカス戦略全体を、報告書中で、詳細に明らかにし、アメリカ政府職員が下記に関与していると述べている。

    “1999年12月、アゼルバイジャンでの正式会談で、カフカス、中央/南アジアとアラブ世界出身のムジャヒディンを訓練し、武器を与える具体的な計画が論じられ、同意され、結局、イスラム教の同盟者(主にトルコ、ヨルダンと、サウジアラビア)と、アメリカの‘民間警備会社’双方へのワシントンによる暗黙の奨励となり. . .  …急増する武力紛争やテロにより、ロシアから使用可能なパイプライン経路を奪う手段として、カフカスにおけるイスラム聖戦を、長期間、確実に継続できるよう、チェチェンや、彼らのイスラムム原理主義同盟者が、2000年春突然増大するのを支援した。”

チェチェン戦争の最も激しい段階は、2000年、ロシアの激しい軍事行動が、イスラム原理主義者連中を打ち破って、ようやく下火になった。それは多くの犠牲を払って得た勝利で、大規模な人命が犠牲となり、いくつもの都市が丸ごと破壊された。CIAが引き起こしたチェチェン紛争による正確な死亡者数は不明だ。非公式推計は、大半が一般市民で、25,000人から、50,000人の死者、行方不明者と様々だ。ロシア兵士の母の委員会連合によれば、ロシア人死傷者は、約11,000人だ。

英米石油メジャーとCIA工作員は満足した。望んでいたものを手にいれたのだ。ロシアのグローズヌィパイプラインを迂回するバクー・トビリシ・ジェイハン石油パイプラインだ。

チェチェン人聖戦戦士達は、シャミル・バサーエフのイスラム教原理主義の指揮下、チェチェン内外でも、ゲリラ攻撃を継続した。CIAは、カフカスに集中し直した。

バサーエフのサウジアラビア・コネクション

バサーエフはCIAの世界聖戦の鍵となる部分だった。1992年、アゼルバイジャンで、彼はサウジアラビア人テロリスト イブン・アル・ハッターブと出会った。イブン・アル・ハッターブは、バサーエフを、アル・ハッターブの仲間で、同郷サウジアラビア人、オサマ・ビン・ラディンと会うよう、アゼルバイジャンからアフガニスタンに連れていった。イブン・アル・ハッターブの役割は、ソ連後のロシアを不安定化させ、カスピ海エネルギーを巡るイギリス-アメリカの支配を確保するという秘密のCIA戦略の為、チェチェンにおいて、対ロシア軍聖戦で進んで戦うチェチェン人イスラム教徒を徴募することだった。

チェチェンに戻ると、バサーエフとアル・ハッターブは、サウジアラビア諜報機関からお資金と、CIAの承認を得、サウジアラビアの駐ワシントン大使で、ブッシュ家と仲の良いバンダル・ビン・スルターンの仲介によって、イスラム国際旅団(IIB)を立ち上げた。二十年以上、サウジアラビアの駐アメリカ大使をつとめるバンダルは、ブッシュ家と非常に親密で、ジョージ・W・ブッシュは、プレイボーイのサウジアラビア大使のことを“バンダル・ブッシュ”と呼んで、ある種、名誉上の家族の一員扱いしている。

バサーエフとアル・ハッターブは、スンナ派サウジアラビアの狂信的なワッハーブ派イスラム教の戦士をチェチェンに送り込んだ。イブン・アル・ハッターブが“チェチェンのアラブ人ムジャヒディン”と呼ばれる、アラブ人、トルコ人や、他の外国人戦士からなる彼の私兵連中を指揮した。彼は、チェチェンのカフカス山脈中に、北コーカサスのロシア共和国や、中央アジアからの、チェチェン人やイスラム教徒の訓練する準軍隊訓練所設置も委託されていた。

サウジアラビアと、CIAが資金を提供するイスラム国際旅団は、チェチェンのテロを行っただけではない。彼らは、2002年10月のモスクワのドウブロフカ劇場捕虜事件と、2004年9月の身の毛もよだつ、ベスラン小学校虐殺事件を実行した。2010年、国連安全保障理事会は、アル・ハッターブとバサーエフのイスラム国際旅団について、下記の報告を発行した。

    イスラム国際旅団(IIB)は、2003年3月4日 . . . アル・カイダ、オサマ・ビン・ラディン、あるいはタリバンや、アル・カイダに、“資金調達、計画、助長、準備、あるいは犯行行動や活動に、参加、あるいは協力、あるいは、その名義で、または、なり代わって、あるいは支持して”関係しているとして、リストに載せられ. . . イスラム国際旅団(IIB)は、シャミル・サルマノビッチ・バサーエフ (死亡)が設立し、率い、チェチェン殉教者リヤダス・サリヒン偵察破壊大隊(RSRSBCM)と. . . イスラム特務連隊(SPIR)つながっている. . .

    2002年10月23日の夜、IIB、RSRSBCMと、SPIRメンバーは協力して活動し、モスクワのポドシプニコフ・ザボード(ドゥブロフカ)劇場で、800人以上の人質をとった。

    1999年10月、バサーエフとアル・ハッターブの密使達が、アフガニスタン、カンダハル州のオサマ・ビン・ラディンの本拠地を訪れ、ビン・ラディンは、ロシア軍兵士と戦うべく、チェチェンに、数百人の戦士を送り込む手配や、テロ行為を犯すことを含め、大規模な軍事援助と財政支援を行うことに同意した。その年遅く、ビン・ラディンは、相当な金額の資金を、バサーエフ、モフサル・バラーエフ(SPIR指導者)や、アル・ハッターブに送金したが、それは、もっぱら、殺し屋の訓練、傭兵徴募と、弾薬購入に使われた。

サウジアラビア諜報機関に資金提供されていた、アフガニスタン-カフカス・アルカイダ“テロリスト軌道”には二つの目標があった。一つは、狂信的な、ワッハブ派聖戦を、旧ソ連の中央アジア地域に広げるというサウジアラビアの狙い。もう一つは、当時、崩壊しつつあった、ソ連後のロシア連邦を不安定化するというCIAの狙いだ。

ベスラン

2004年9月1日、バサーエフと、アル・ハッターブのIIB武装テロリストが籠城し、777人の子供を含む1,100人以上の人々を人質にとり、ジョージア国境に近い、ロシア連邦の北カフカス自治共和国北オセチア、ベスランの第一中等学校(SNO)に押し込めた。

人質事件三日目に、学校内で爆発音がし、FSBや他のエリート・ロシア兵士が建物を急襲した。結局、少なくとも186人の子供達を含む人質334人が死亡し、多数の人々が負傷し、行方不明になった。後にロシア軍の介入の仕方がまずかったことが明らかになった。

ラジオ・フリー・ヨーロッパから、ニューヨーク・タイムズやCNNに至る、ワシントンのプロパガンダ機関は、バサーエフのアルカイダや、サウジアラビア諜報機関とのつながりに焦点を当てる代わりに、即座に、ベスラン危機への対処のまずさを理由に、プーチンとロシアを悪魔化した。そうでなっていれば、世界中の注目は、当時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュ一家とサウジアラビア人億万長者ビン・ラディン家との親密な関係に向いていただろう。

2001年9月1日、ワールド・トレード・センターと、ペンタゴン攻撃のわずか十日前、サウジアラビア諜報機関のトップで、アメリカで教育を受け、アフガニスタンとカフカスでの、オサマ・ビン・ラディンのムジャヒディン作戦の全てを含め、1977年以来、サウジアラビアの諜報活動を指揮してきた、トゥルキ・ビン・ファイサル・アル・サウド情報局長官が、諜報機関のトップとして、国王から新たな役目を受けて、わずか数日後、突然、不可解にも辞任した。彼は何も説明しなかった。彼はすぐさまワシントンを去り、ロンドンに転任した。

ビン・ラディン家とブッシュ家の親密な関係の記録は隠蔽され、実際公式の911に関する委員会報告で“国家安全保障”の理由で(原文のまま!)完全に削除された。ニューヨークとワシントンでの911テロリストとされる19人中、14人のサウジアラビア国籍も、事件の後、ほぼ三年も後、2004年7月に、ブッシュ政権によって発表されたアメリカ政府の最終911委員会報告から削除された。

バサーエフは、ベスランにテロリストを送り込んだのは自分だと主張した。彼の要求にはロシアからのチェチェンの完全独立も含まれており、ワシントンとペンタゴンにとって、ロシア連邦南部の急所に対する非常に強力な戦略的な短剣になっていたはずだ。

悲劇的なベスランのドラマの直後、2004年末までに、ウラジーミル・プーチン大統領は、秘密捜査と、ロシア諜報機関による バサーエフのカフカス・ムジャヒディン主要指導者を探し出し、殺害する殲滅作戦を命じたとされている。アル・ハッターブは、2002年に殺害された。ロシア治安部隊は、まもなく、チェチェン・アフガニスタン・アラブ・テロリストの大半が逃亡していることを発見した。彼らは、NATO加盟国のトルコ、当時ほとんどNATO加盟国も同然のアゼルバイジャン、あるいはNATO加盟国のドイツ、あるいは、アラブ諸国の中でも最も親密なアメリカ同盟国の一つドバイや、もう一つのアメリカの極めて親密な同盟国、カタールに避難所を得ていた。言い換えれば、チェチェン・テロリスト連中は、NATOによって、避難所を与えられたのだ。

F. William Engdahl(ウィリアム・イングドール)は、戦略的危機コンサルタント、講師で、プリンストン大学の政治学学位を持っており、石油と地政学の世界的ベストセラー本の著者。本記事は、オンライン雑誌“New Eastern Outlook”独占。

記事原文のurl:http://journal-neo.org/2015/05/15/what-if-putin-is-telling-the-truth/

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『異神』の暴走、かろうじて止められた?

・維新の党の「圧力文書」で言論封殺に晒された藤井聡京大教授 それでも「都構想は『人災』だ」と断言! 岩上インタビューで大阪都構想の真っ赤な「ウソ」を暴く!

異神の党代表が辞任し、次の人物に替わるようだ。
江田憲司という人、大本営広報、売国洗脳機関が、「暗雲」と、行く末を危惧している話題のTPPという「大企業クーデター作戦」を推進するフロマン通商代表のお友達。アメリカ留学時代、ルーム・メートだったと自慢しておられる。誰とお友達でも勝手だが、お友達が強引に推進する乗っ取りクーデターを担いでもらっては困るのだ。

次の人物も、全く信用ならない。代わりばえするわけがない。売国政党、野党のふりをしていても、実際は、売国与党を右側から掩護射撃するのがお仕事。

『沈みゆく大国アメリカ』、TPPや、TiSAや、戦略特区で、日本の医療制度が、宗主国企業の餌食にされようとしている様子を描き出してくれている。
実に有り難い。

が、川田龍平参議院議員が江田憲司なる人物下の異神の党議員であるのは解せない。

単なる偶然で、たまたま数日前、下記文章を読み直したばかり。

チェチェン紛争では、このロシア・イスラム大学卒業生がロシア軍を攻撃する戦いに続々と参加した。彼らをテロリストと呼ぶメディアがあるが、見当違いの定義である。イスラム教徒である普通の民衆の多くが怒って抵抗運動に馳せ参じた。チェチェン紛争に関して、アル・カーイダたち中東の勢力だけが誇張されて報道されてきたが、チェチェン侵攻はロシアを崩壊させるほど土台を揺さぶっていたのである。第二次チェチェン侵攻以来、ロシア側の発表によればロシア連邦部隊の被害は死者四三四二人、チェチェンのイスラム勢力の死者一万三八三三人と言われる。プーチンはこれ以上の紛争が何をもたらすかをよく知っていた。
 ところが戦闘は以後も続き、ロシア軍部はプーチンの意向とは反対に強く紛争に介入した。二〇〇二年八月にはロシア軍の大型輸送ヘリコプターがチェチェンのグロズヌイに向かう途中イスラム勢力に撃墜され、一〇〇人以上という死者を出すが、プーチンが怒ったのはロシア軍に対してであった。規則違反でヘリコプターを飛ばした軍部を厳しく叱責したのである。しかしその直後に、ロシア軍はグルジア領に報復の空爆を開始した。チェチェンの武装勢力がグルジア領内のパンキシ渓谷に移動し、そこからチェチェンに出撃してはロシア軍を攻撃し続けたからである。
怒ったのはグルジアのシェワルナゼ大統領で、プーチンに対して「グルジア攻撃は主権侵害の国家テロである」と非難し、八月二十六日にはグルジア議会も独立国家共同体(CIS)からの脱退を決議した。石油利権が火をつけたグルジア国境地帯の戦闘は、いまだに燃え盛り、二〇〇二年十月のモスクワ劇場占拠事件に至る。

ウィリアム・イングドール氏のこの記事とは大分ニュアンスが違う。

『世界金融戦争 謀略うずまくウォール街』2002年11月刊 329ページ。

読みながら、釈然としなかったのではと、今にすれば思う。13年前の感想、全く記憶にない。小選挙区制度を導入し、戦略特区を推進する人物を知事候補にと担いだ作家の本、もう購入しないだろう。

ウィリアム・イングドール氏の推論の方がもっともらしく思えるのは、ひねくれ者の小生だけだろうか?

【IWJ特報183・184号発行!】日本を含めたユーラシアの分断をもくろむ「アメリカ帝国」 F.ウィリアム・イングドール氏インタビュー

岩上安身責任編集 – IWJ Independent Web Journal

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