« 福島の“地獄の釜”: 強烈な放射能に汚染された水が、毎日300トン以上できている | トップページ | ヨーロッパの前にある選択肢 »

2015年5月 7日 (木)

『兵士シュベイクの冒険』: 第一次世界大戦に関する傑作風刺文学

Isaac Finn
2015年4月14日

第一次世界大戦百周年に、1914-18年の血の海で手を洗った、当時と同じ顔ぶれの帝国主義列強政府、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、カナダ、オーストラリアが、愛国的宣言をし、祝賀した。

忘却されている、あるいは、意図的に無視されているのは、国内、あるいは戦争で、第一次世界大戦を味わった何百万人もの労働者達が、虐殺に対して、資本主義体制そのものを打倒する取り組みで対応したという事実だ。

成功した革命の一つである1917年のロシア革命は、既成社会体制の解決しようのない矛盾に対する、労働者階級による進歩的な対応だった。

戦争が解き放ったものや、その前兆となったものによって、ヨーロッパの人々の社会心理は変容した。軍国主義と帝国主義に対する憎悪は、広範な労働者のみならず、多くの作家、画家や知識人達にも蔓延し、受けいれられた。

この世代の芸術家達の中には、特に作家達に、戦争そのものの体験と密接に関連している集団がある。詩人のウィルフレッド・オーウェン(1918年10月、フランスの戦線で死亡)や、シーグフリード・サスーン、そして、小説家アンリ・バルビュス(『砲火』、1916年)や、エーリッヒ・マリア・レマルク(『西部戦線異状なし』、1929年)だ。この戦争に関する著名な作品を書いた当時の他作家達には、アーネスト・ヘミングウェー(『武器よさらば』、1929年) ジョン・ドス・パソス(『三人の兵士』、1921年)や、フォード・マドックス・フォード(『パレードの終わり』、1924-28年)がいる。


『兵士シュベイクの冒険』のイラスト原画

直接、戦争に関係する小説の中で、一流作品として掛け替えないのは(ルイ-フェルディナンド・セリーヌ『夜の果てへの旅』の一部を数にいれない限り)、戦争そのもののみならず、社会全体の諷刺小説だ。それは、チェコ人作家ヤロスラフ・ハシェクによる『兵士シュベイクの冒険』(1921-23)だ。

小説の主人公、市民生活時代は盗まれた犬の販売業者だったヨセフ・シュベイクは、上官達の裏をかき 彼が置かれた困難な状況に対し、独特で、往々にして愉快な消耗戦を戦う為、馬鹿のふりをしているチェコ人兵士だ。セシル・パロットは、1974年版の前書きでこう書いている。“シュベイクは、ほとんどの場合、ちんぷんかんぷんなことを言う。彼は相手をしている連中の誰とでも、特に上官に対して同意している振りをする。しかし彼の発言の基層にある皮肉は、常に、それとわかる。”シュベイクは、例えば、“愛国心や、王政への献身を主張することで、自分の行動が自分が主張する目的の実現を加速するだけであることが明らかな際、何としても前線に出たくてたまらない様に見える。”

この小説は二十世紀文学の古典の一冊だ。ドイツ人詩人で、劇作家ベルトルト・ブレヒトは、この小説を高く評価し、第二次世界大戦を舞台とする芝居に劇化した。アメリカ人作家のヨセフ・ヘラーは、もし彼が『シュベイク』を読んでいなければ、小説『キャッチ-22』を書いていなかっただろうと、うわさされている。


ヨセフ・ラダによる別のイラスト原画

小説は極めて影響力が強く、“シュベイク”という言葉の派生語が、白痴や、軍の馬鹿馬鹿しさを意味するチェコ語の語彙として取り込まれている。ヨーロッパ中の民族主義者と右翼連中は、この作品を忌み嫌い、1925年には、既にチェコ軍で禁止となり、ナチスは後に、ドイツ語版翻訳を公開で燃やした。

小説は、1914年、ドイツ人、ハンガリー人、チェコ人、スロバキア人、スロベニア人や、他のスラブ人を含む、全く異なる国籍の人々の半封建的集団、オーストリア・ハンガリー帝国を舞台に始まる。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を名目上の長とする腐敗したハプスブルグ王政に支配されていた。1914年7月28日、王位継承者のフランツ・フェルディナンド大公が、国賓としてサラエボ訪問時に、セルビア人民族主義者によって暗殺されたが、この事件は、最初の帝国主義戦争勃発に対する直接のきっかけとなった。

小説の冒頭部分は引用に値する。シュベイクが、家政婦のミュレーロヴァ夫人と話していて“フェルジナンド”(つまり大公)が殺されたのですって、と言われる。シュベイクは質問する。“いったいどちらのフェルジナンドかね? ミュレーロヴァさん… ぼくはフェルジナンドをふたり知っているのだよ。ひとりは薬屋のプルーシャとこの召使で、いつかまちがって、頭の髪につける油を飲んでしまったことがあったっけ。それからもうひとり、フェルジナンド・ココシカていうのをしっているが、この男は商売に犬の糞を集めて回っているよ。ふたりともどちらが死んでもたいしたことはないな。”


ヤロスラフ・ハシェク

これは典型的なものだ。シュベイクは、公式には王位への心酔を宣言しているが、最初のページにある“フェルディナンド”に関する彼の発言で、王政は無価値だという、彼(とハシェク)の本当の意見が伝わるようになっている。射殺されたのが本当に大公であることがわかった後でさえ、シュベイクは、見かけ上、素朴な同じ調子を維持し続ける。“こいつだけは賭けをしてもいいがね、そいつをやらかしたやつはきっとパリッとした服を着こんでいたにちがいないよ。大公殿下を射ち殺すなんてのは、なんていったって、とても骨の折れる仕事だからね。密猟者が森番を殺すのとはちょっと桁がちがう。早い話が、まずどうして大公殿下に近づくかが問題だよ。こういうおえらがたになると、ボロを下げていちゃとても近よれないからね。”

そして、これが小説の調子を決定している。かつて軍隊から白痴として除隊させられたシュベイクが、やがて、その発言ゆえに逮捕され、戦争に従軍すべく軍に再徴募される。

馬鹿げた行動や、おめでたい不注意な行状にもかかわらず、主人公は、民族的に分裂し、堕落した軍官僚や、戦争を恐れる国民が暮らす、写実的に描かれたオーストリア・ハンガリー社会の中に置かれている。

小説は、そうした崩壊寸前の社会の痛烈な描写だ。ハシェクは、獄中生活、旅行や、かつて犬の販売業者として雇われた体験を含む、個人的経験を元に描いたのだ。

出世の為カトリックに改宗した従軍司祭、オットー・カッツの従卒jとなるよう命じられ、シュベイクは、ほとんどいつも酔っている人物の面倒を見る仕事をすることになる。カッツは、やがて、トランプの勝負で、シュベイクを賭けて失い、シュベイクは、ルカーシ中尉への“再配属”を強いられた。女を追い回すルカーシ中尉の下で、中尉を支援するシュベイクの奮闘が、二人の生活を悪化させる一連の出来事を引き起こしてしまう。

本の中で展開する一連のシュベイクの行動が、帝国内部での腐敗、警察の弾圧や、もろい民族間関係をむき出しにする臨界点へと導く。仮定上の理想的兵士シュベイクは、上官達に向かって発言する際、必ず“申しあげます”で始め、誰であれ周囲にいる人には、同意する旨述べることが多い。

ところが、シュベイクは、戦争中に、警察-軍組織の犠牲となって苦しむ周囲の多くの人々や、戦争で戦地に送られるのを避けようとして、頻繁に自傷しようとする青年達に対する喜劇的例外なのだ。

ハシェクは時に喜劇的な調子を破っている。この顕著な例は、警視庁の幹部達に関する彼の言葉だ。

“若干の例外、つまり自分たちにとってまったく関係のない利害のために血を流さねばならぬ国民の一員であることをあえて否認しなかった人々を除くと、警視庁はねじ曲げられた法律の条項をあくまで守るために、眼中に監獄や絞首台しかない官僚的猛獣の最良のグループを代表していた。”

『兵士シュベイクの冒険』を書いた当時、既に確立した作家だったハシェクは、この作品を極めて真面目に受け止め、この小説を彼の代表作と考えていた。

1883年、プラハで高校の数学教師の息子として生まれたハシェクの一家は彼が若い頃に何度か転居した。プラハで学んでいた頃、1897年の反ドイツ暴動を目撃し、民族衝突に参加し、同級生と共にチェコ人集団を作った。

父親が二年前に亡くなった結果、15歳で学校を中途退学せざるを得なかった。フリーランスの作家、ジャーナリストとして自立することを狙いながら、彼は短期間、薬屋の見習い、銀行員として働いた。

1906年、ハシェクはアナキスト運動に参加し、翌年、アナキストの雑誌コムーナの編集者となった。最初の妻、ヤルミラ・マイェロヴァーと結婚し、彼女の家族から認めてもらう為、急進的政治から脱落はしたが、オーストリア・ハンガリー政府と、そのあらゆる政党に敵対的な外観を維持し続けた。

戦争中、ロシア軍に捕獲されて捕虜となり、同盟が勝利したら、独立チェコスロバキア創設を認めるという約束で、チェコ軍団に加わった。

1917年10月のロシア革命に影響されて、ハシェクは、労働者革命だけが、チェコスロバキアを解放できると主張し始めた。彼は間もなく、そういう行為をした少数者の一人として、新ソ連政府を支援する為に軍団を去る。チェコ軍団は、後に、1918-22年の内戦中、白軍とともに、赤軍に対して戦ったことで悪名を高めることとなった。

ハシェクは、ロシア南西地域の小さな町ブグリマで、人民委員にまでなった。彼は、少数民族や外国人捕虜の採用活動もし、様々な雑誌で働いて、ボリシェビキを支援した。

新チェコ政府が、労働者蜂起を弾圧し、主要な共産主義者を投獄した直後、1920年12月に、プラハに戻ったハシェクは、戦前の不審な活動ゆえに、チェコ共産主義者達の、ある種の不信感と直面することになった。彼が最初の妻と正式な離婚手続きをせずに、ロシアで再婚したので、当局も、重婚のかどで彼を追求した。

ロシア革命を除く、戦後革命闘争の波、第一波の敗北は、ハシェクを幾分落胆させたようだ。やがて彼は、かつての自由奔放な友人仲間との付き合いと、過度な飲酒習慣に戻る。個人的な手紙の中で、チェコスロバキアの労働者は余りにも受け身なので、チェコスロバキアにおける社会主義革命は不可能だと主張していた。

1921年に、ハシェクは、シュベイクを書き始めた。当初それは共産主義プロパガンダだと考え、出版社はハシェク作品を引き受けようとしなかった。ところが本刊行にこぎつけてみると、第一巻は非常に売れ行きが良かったので、出版社や友人のフランティーシェク・サウエルから書き続けるよう圧力を受けたのだ。

ハシェクは、アルコール中毒と、関連する健康問題のおかげで、仕事が遅く、気まぐれだった。最終的に田舎町リプニツェに転居するよう勧められたが、書くつもりだったもののほんの一部しか完成せずに、39歳で亡くなり、主著は未完成のままとなった。

1940年、ブレヒトは、ハシェクのリアリズムは、人間性についての知識や、“虐げられた人々の、共に暮らさざるを得ない圧制者に関する鋭い洞察、彼の弱点や悪徳を探る極めて敏感な能力、彼に(敵に)とって、本当に必要なことや、恥ずかしく思っていることについての深い知識、予測不可能なことや、全く想像のつかないこと等に対する持続した警戒心”によって構成されていると書いていた。

『兵士シュベイクの冒険』は広く読まれるべき作品だ。その中で、ハシェクは、壮大な歴史的出来事から引き出された、愛国心、官僚的出世主義や、権威主義に対する猛烈な抵抗をもたらした、虐げられた人々の体験を、喜劇的かつ皮肉に抽出している。その真実は、おそらく、今までにまして必要だ。

記事原文のurl:http://www.wsws.org/en/articles/2015/04/14/svej-a14.html
----------

ハシェク誕生日1883年4月30日なのが、彼の本をこの時期に取り上げた理由だろうか?

原作が素晴らしいせいだろう。これを元にした映画、アニメ、芝居は数多い。

本場チェコでは、1954年、イージー・トルンカによるパペット・アニメDobrý voják Švejkが制作された。主人公に似た人形を、昔土産に頂いたが、糊がはがれ分解、行方不明。

2009年には、ウクライナ、ヤルタで、アニメПохождение бравого солдата Швейкаが制作されている。1時間14分。小説のウクライナ語版はこちら

引用部分で利用させて頂いたのは、岩波文庫、栗栖継氏訳。
第一巻、1972年8月第一刷。プラハの春後のチェコ侵攻、1968/8から4年目。

第二巻、1972年11月第一刷。
第三巻、1973年3月第一刷。
第四巻、1974年4月第一刷。刊行の遅れを詫びておられる。
第四巻の、訳者あとがきで、作者のひととなりや作品背景概要がわかる。

不思議なのは、第一巻が品切れらしく見えること。 第一巻で止めてしまう読者は非常に多いだろう。第一巻を飛ばして、第ニ巻、あるいは他の巻から読み始める読者、ほとんど無視できる人数のはずだ。謎の営業政策。

“シュベイク”という言葉から派生したチェコ語には、シュヴェイコビナ(svejking)、シュヴェイコヴァト(to svejk)、シュヴェイコフストヴィ(軍の馬鹿馬鹿しさの意)等がある。

ブレヒト作『第二次大戦のシュベイク』芝居も、見た記憶がある。シュベイク役は大滝秀治。ネットをみると、1988年のこと。

観劇しながら、現実生活で、帝国に振り回されるシュベイクを演じさせられる日が、これほど急に実現するとは思わなかった。

辺野古を警備する人々、基地反対活動をしておられる方々の様子を、例えば
海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊』ブログで拝読する限り、オーストリア・ハンガリー帝国ではないが、生まれて以来、帝国での暮らしを強いられる二流国民にとって、集団他衛権なる名目で、世界で侵略戦争に関与する結果、テロ攻撃なるものがいつおきても不思議はない可能性が現実化している今、この文章(第一巻、86ページを加工)そのまま。強圧的取締映像放映、本土大本営ではタブー、決して事実の報道も映像も流されない。『圧殺の海-沖縄・辺野古』でみるしかないのだろうか?

“若干の例外、つまり自分たちにとってまったく関係のない利害のために血を流さねばならぬ国民の一員であることをあえて否認しなかった人々を除くと、警視庁や海上保安庁はねじ曲げられた法律の条項をあくまで守るために、眼中に監獄や絞首台しかない官僚的猛獣の最良のグループを代表していた。”

この筆者のいう通り、

『兵士シュベイクの冒険』は広く読まれるべき作品だ。その中で、ハシェクは、壮大な歴史的出来事から引き出された、愛国心、官僚的出世主義や、権威主義に対する猛烈な抵抗をもたらした、虐げられた人々の体験を、喜劇的かつ皮肉に抽出している。その真実は、おそらく、今までにまして必要だ。

この訳文に該当する部分のチェコ語原文は下記。

Kromě několika výjimek, lidí, kteří nezapřeli, že jsou synové národa, který má vykrvácet za zájmy jemu úplně cizí, policejní ředitelství představovalo nejkrásnější skupinu byrokratických dravců, kteří měli smysl jedině pro žalář a šibenici, aby uhájili existenci zakroucených paragrafů.

前回記事、福島の酒造会社社長がインタビューで語られた言葉、福島の“地獄の釜”、非常に人気がある。人様のナントカで相撲をとったようで恐縮。そこで、福島にかぎらず、汚染不沈空母属国に暮らす全員が放り込まれる、日本の“地獄の釜”描写として秀逸な、第一巻、258-259ページの文章もご紹介しよう。皆様も、第一巻からどうぞ。

ご存じでしょうが、この連中の説によると、地獄には哀れな亡者たちのために普通の硫黄の釜に代って、パパンの蒸気釜、高圧の大きな釜が置かれてあって、亡者たちはマーガリンでいためられる。焼き串はというと電気仕掛けになっており、亡者たちは何百万年分もいっしょにスチーム・ローラーをかけられる。歯がみをする音は歯医者が特殊な装置を使って効果を出し、泣きわめく声は蓄音器のレコードに録音されて、天国へ送られ、この世でおこないが正しかったために天国に来ている人たちを楽しませる。天国ではオーデコロンがふりまかれ、フィルハーモニー・オーケストラが長ながとブラームスの曲を演奏しているので、大ていの者は参って地獄や煉獄行きを志願するようになる。天使たちは、翼を酷使せんでもすむように、お尻のところに飛行機のプロペラがついている、ざっとこういうあんばいです。

今、ハシェクが生き返ったら、どう書くだろう。

ご存じでしょうが、この連中の説によると、地獄には哀れな亡者たちのために普通の硫黄の釜に代って、核の蒸気釜、放射能の大釜が置かれてあって、亡者たちは汚染水でいためつけられる。焼き串はというと電気仕掛けになっており、亡者たちは何百万年分もいっしょに放射能をかけられる。歯がみをする音は歯医者が特殊な装置を使って効果を出し、泣きわめく声はスマホに録音されて、天国へ送られ、この世でおこないが正しかったために天国に来ている人たちを楽しませる。天国ではオーデコロンがふりまかれ、フィルハーモニー・オーケストラが長ながとブラームスの曲を演奏しているので、大ていの者は参って地獄や煉獄行きを志願するようになる。天使たちは、翼を酷使せんでもすむように、背中にドローンがついている、ざっとこういうあんばいです。

« 福島の“地獄の釜”: 強烈な放射能に汚染された水が、毎日300トン以上できている | トップページ | ヨーロッパの前にある選択肢 »

アメリカ」カテゴリの記事

アメリカ軍・軍事産業」カテゴリの記事

東ヨーロッパ・バルト諸国」カテゴリの記事

NATO」カテゴリの記事

ロシア」カテゴリの記事

憲法・安保・地位協定」カテゴリの記事

日本版NSC・秘密保護法・集団的自衛権・戦争法案・共謀罪」カテゴリの記事

wsws」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 福島の“地獄の釜”: 強烈な放射能に汚染された水が、毎日300トン以上できている | トップページ | ヨーロッパの前にある選択肢 »

お勧め

  • IWJ
    岩上安身責任編集 – IWJ Independent Web Journal

カテゴリー

ブックマーク

最近のトラックバック

無料ブログはココログ