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2015年2月10日 (火)

イエスの為のターバン野郎殺し

Chris Hedges

2015年1月26日
Truthdig

『アメリカン・スナイパー』は、アメリカ社会の最も卑しむべき側面をもてはやしている。銃文化、やみくもな軍崇拝、我々には“キリスト教”国家として、地球上の“劣等な人種”を絶滅する生来の権利があるという信念、思いやりや哀れみを追放するグロテスクで超異常な男らしさ、不都合な事実や歴史的真実の否定、批判的な思考や芸術表現のさげすみ。停滞した経済と、機能不全な政治制度に閉じ込められた多くのアメリカ国民、特に白人は、この映画があがめている、あるべき道徳的刷新や、厳格で、軍国的な支配を渇望するようになる。こうした情熱は、万一実現した場合には、わずかに残された、今や沈滞した開かれた社会を絶滅させてしまうだろう。

映画は、父親と幼い息子が鹿狩りをしている場面で始まる。少年は動物を撃ち、ライフル銃を置いて、獲物に向かってかけて行く。

“戻って来い”と父親が叫ぶ。“ライフル銃は、決して地面に置くな。”

“はい”と少年は答える。
“すごい射撃だったぞ、お前”と父親は言う。“お前には才能がある。お前はいつか素晴らしいハンターになるぞ。”

教会での、白人キリスト教徒の礼拝集会に場面が切り替わる。この映画における黒人登場頻度は、ウッディ・アレン映画並だ。彼らはアメリカ人キリスト教徒にむけた、神の計画に関する説教を聞いている。アメリカ軍史上で最強の狙撃兵、クリス・カイルに基づく、映画の中心人物は、邪悪な連中を殺す“才能”を活用する様、この説教で、神によって指名されたかに見える。場面は、テキサスの鼻声訛りで、父親が話しているカイル家の食堂テーブルに切り替わる。“この世界には三種類の人々がいる。羊と、狼と牧羊犬だ。世界に悪は存在しないと考えたがる人々もいる。そして、悪がそういう連中の戸口に訪れても、そういう連中は、どうすれば自分達を守れるかわからないのだ。そういう連中は羊だ。そして、捕食者がいる。”

校庭で、より小柄な男の子を殴る、いじめっこに画面が変わる。

“連中は人々を食い物にするのに暴力を使う。”父親は続ける。“連中は狼だ。そして更に、攻撃の才能と、群れを守りたいという非常に強い義務感に恵まれた人々がいる。彼らは狼と対決する為に生きる稀な種だ。彼らは牧羊犬だ。私たちは、この家で羊を育てているつもりはない。”

父親は食堂のテーブルにベルトを激しくたたきつける。

“もしお前が狼になったら、お仕置きするぞ”彼は息子二人に言う。“我々は自力で守るのだ。もし誰かがお前と喧嘩しようとしたり、お前の弟をいじめようとしたりした時には、お前が相手をやっつけることを俺は承認するぞ。”

頭の中がこういう信念体系で歪められた愚か者には決して事欠かない。そういう連中の一人、ジョージ・W・ブッシュを、我々は大統領として選んでしまった。こういう連中は、軍とキリスト教右派に生息している。連中は、フォックス・ニューズを見て、信じ込む。連中には、自分達の閉鎖的なコミュニティー外の世界に関する理解力も、好奇心もほとんど無い。連中は自らの無知と、反知性主義を誇りにしている。連中は、読書より、ビールを飲み、フットボールを見る方を好んでいる。そして、連中が権力を握ると-連中は既に、議会、大企業の世界、大半のメディアと、軍事機構を支配しているのだが-善と悪という連中の二元的な考え方と、連中の近視眼的な自賛が、アメリカに、深刻な問題をもたらす。『アメリカン・スナイパー』は、軍国主義や、人種的な優越感や国家暴力という異常な価値観を賛美すべく、ナチス時代に、ドイツで送り出された巨額予算映画と同様、プロパガンダ作品、帝国犯罪の安っぽいコマーシャルだ。マーチン・ルーサー・キング Jr祝日の長い週末に、記録的な1億530万ドルという売り上げを達成したのは、アメリカ合州国の暗い病理の症状だ。

“そもそも、この映画は、一体なぜイラクの人々が、我々に対して反撃しているのかという極めて重要な疑問を決して問わないのです”私がニュー・メキシコ州に電話したマイケル・ワインスタインは言う。レーガン・ホワイト・ハウスでも働いた、元空軍将校のワインスタイン、アメリカ軍内で拡大しつつあるキリスト教徒原理主義に異議を申し立てている軍における信仰の自由財団の会長だ。“クリス・カイルの、個人的で、原始的な‘神-祖国-家族’という正当化モットーに織り込まれている、戦時の戦闘倫理と正義の倒錯した、全く一方的な歪曲のおかげで、私は肉体的に病気になりました。これは、大量殺人へのおぞましい讃歌、実際、文字通り恐ろしい聖人伝にほかなりません。”

ワインスタインは、神政主義“キリスト教”アメリカ人を生み出すことを主張する、過激な右翼キリスト教ショービニズム、ドミニオニズム(支配主義)を奉じる傾向が、特にシールズや陸軍特殊部隊の様なエリート部隊の間で深刻だと述べている。

映画に、邪悪な連中が登場するまでに長くはかからない。映画の登場人物達がニュースを知る唯一方法であるテレビが、1998年、何百人もの人々が殺された、ダルエスサラームとナイロビのアメリカ大使館のトラック爆破ニュースを報じた際に、彼らは登場する。成長したクリスと、ロデオ騎手になることを熱望している弟が、激怒して、ニュース報道を見つめている。テッド・コッペルがアメリカ合州国に対する“戦争”について画面上で語っている。

“やつらが我々にしたことを見ろよ”クリスはささやく。

彼は、ネービー・シールになるため志願しようと、新兵募集係に向かって突き進む。新兵が、本当の男となるための過酷な試練を受ける、おなじみのブート・キャンプ場面となる。バーの場面では、熱心なシールズ兵士が一人、的を背中に描き、仲間達が、それをめがけて、ダーツを投げる。新兵連中のわずかに残った人格を、大して持ち合わせているようには見えないが、ただの兵士となるまで奪い取られるのだ。彼らは何も疑わずに権威に従うようになる。つまり、もちろん彼らは羊だ。

ラブ・ストーリーもある。クリスは、バーで、タヤと出会う。二人は何杯か飲む。映画は、良くあることだが、お決まりの対話になる。

彼女は、ネイビー・シールズは“ウソをついて騙し、自分がやりたいどんなひどいことでも好き放題できると思っている傲慢で自己中心的なひどいやつよ。私はシールズとは決してデートしない”と彼に言う。

“一体なぜ俺が自己中だって言うんだ?”カイルは尋ねる。“俺は国のためなら命をささげるぞ。”

“なぜ?”

“地球上で最も偉大な国だから、それを守るためにできる限りのことをするんだ”と彼は言う。

彼女は飲み過ぎる。彼女は嘔吐する。彼は女性に思いやりがある。彼は彼女を家に送る。二人は恋に落ちる。その後、タヤがテレビ見ている場面になる。彼女は、隣室のクリスに叫ぶ。

“あらー!クリス”と彼女は言う。

“一体どうした?”彼が尋ねる。

“ひどいわ!”彼女は叫ぶ。

そこで、アナウンサーの声が聞こえてくる。“ご覧ください。どうやら東側に、最初の飛行機が飛んできました。…

クリスとタヤは恐れおののきながら見ている。映画のサウンドトラックは不穏な音楽に満ちている。邪悪な連中がそれを要求したのだ。カイルは報復すべく、イラクに出征することになる。彼は、9/11と無関係の国、コラムニストのトーマス・フリードマンが、かつて、我々が攻撃したのは“我々が攻撃できたから”だと言った通りの国で戦う為に出征するのだ。中東の歴史的な記録と現実などどうでも良い。イスラム教徒は、イスラム教徒だ。そしてイスラム教徒は邪悪な連中であり、あるいはカイルが呼ぶ通り“野蛮人”なのだ。邪悪な連中は根絶しなければならない。

クリスとタヤは結婚する。結婚式で、彼はタキシードの下、白いワイシャツに、ネービー・シールの金のトライデント記章を付けている。シールズ仲間が式に参列している。

“電話があったぞ。皆-出征だ”将校が結婚披露宴で言う。

ネイビー・シールズ達は歓声を上げる。彼らは酒を飲む。そこで、画面はファルージャに切り替わる。一回目の服務だ。カイルは狙撃兵となり、ファルージャは“新たなアメリカ開拓期の西部”だと聞かされる。アメリカ先住民に対して我々が行った大量虐殺を考えれば、これは映画の中で、唯一正確な比喩だ。“460メートル先から頭部を銃撃できる、ムスタファと呼ばれる、オリンピックに出場した”敵の狙撃兵について彼は聞かされる。
カイルが最初に殺害した相手は、黒いチャドルをまとった若い女性から対戦車擲弾を手渡された少年だ。少年の死に対し、何の感情もあらわさない女性は、少年が撃たれた後、擲弾を拾い上げ、パトロール中のアメリカ海兵隊員に向かって移動する。カイルは彼女も殺害する。映画とカイルのベストセラー自伝“『アメリカン・スナイパー』”のひな型がここにある。イラクの母親や姉妹達は、息子や兄弟達を愛していないのだ。イラク人女性は、幼い自爆犯にすべく子供を産むのだ。子供達はオサマ・ビン・ラディンのミニチュアだ。イスラム教徒の邪悪な連中は一人たりとも信用できない。男も、女も、子供も。連中はけだものだ。映画で、アメリカ軍の位置を特定して、携帯電話で武装反抗勢力に教え、床の揚げぶたの下に武器を隠し、道路に簡易仕掛け爆弾を仕掛け、自爆犯となるべく、爆弾を自らに縛りつける人々が映し出される。彼らには人間性が欠けているのだ。

“あそこにまだ毛も生えていない様な男の子もいた”と、子供と女性を射殺した後、カイルは冷淡に語る。背後の壁に大きなテキサスの旗を張り、折り畳み式ベッドで、彼は休んでいる。“母親は彼に榴弾を渡し、海兵隊員を殺害するよう送り出したのだ。”

映画の為に作り出された架空のイラク人、ブッチャーが登場する。彼は、邪悪な連中の中でも、最も邪悪な人物だ。彼は長い黒の革ジャケットを着ていて、犠牲者を、電動ドリルで殺害する。彼は子供達の手足を切断する。彼が子供から切り取った腕が写る。ある現地の族長は、100,000ドルで、ブッチャーを売ると申し出る。ブッチャーはその族長を殺害する。彼は族長の幼い男児を、母親の前で電動ドリルで殺害する。ブッチャーは叫ぶ。“お前達はやつらと話した。お前達は連中と共に死ぬのだ。”

夫が離れていることに、涙を流しながら、文句や罵り言葉を言うのが、映画中での主要な役割であるタヤと共に過ごした後、カイルは二回目の軍務に赴く。カイルは出発前に言う。“やつらは野蛮人だ。お前、やつらはとんでもない野蛮人だ。”

彼と小隊の仲間は、車輛、防弾チョッキ、銃やヘルメットに、スプレーペイントで、マーベル・コミックスのパニッシャーの白い髑髏を落書きする。髑髏を囲む円の中に彼らが書いた標語はこうだ。“お前らの母ちゃんが何と言おうと … 暴力が問題を解決する。”

“出来る限りのあらゆる建物や壁に、スプレーペイントで落書きした”カイルは、回想録『アメリカン・スナイパー』で書いている。“俺達は連中に、ここにいることを知ってほしいが、なめんじゃねえぞ! …俺たちが見えるか? 我々はお前たちをぶっ飛ばす。俺達がお前たちを殺すから、恐れているんだろう、ばか野郎。”

自伝は映画よりもずっと不穏だ。映画の上では、カイルは義務を果たすことを強いられる戦いを好まない戦士だ。著書では、彼は殺人と戦争を楽しんでいる。彼はあらゆるイラク人に対する憎悪にとりつかれていた。彼は暴力に酔いしれていた。彼は160人の公式殺人記録の功績を認められているが、公式に認定される為には、殺人が目撃されている必要があると注記している。“だから、もし私が誰かの腹を銃撃しても、相手が失血死する前に、我々の目に見えない場所に這って逃げれば、数には入れられない。”

カイルは、彼が射殺した相手全員、死んで当然だったと主張していた。彼の内省能力の欠如が、アメリカ占領中、狙撃兵に射殺された人々も含め、実に多くの無辜のイラク人が殺害された事実を、彼が否定することを可能にしていたのだ。狙撃兵は、主に敵戦闘員の間に、不安や恐怖植え付ける為に使われる。彼は現実を否定することで、元奴隷所有者や元ナチスが、自らの残虐行為を監督した後で、芸術の域にまで完成させたものと同様に、カイルは、自らの魂の闇や、アメリカがイラクで行った戦争犯罪への彼の貢献を検証する代わりに、子供じみた神話に固執することが出来たのだ。彼は、家族や、キリスト教信仰や、シールズ仲間や、祖国に関するうんざりするほどの感傷で、自分の殺戮を正当化した。だが感傷は愛ではない。共感ではない。核心にあるのは自己憐憫と自賛だ。本同様に、映画も、残酷さと感傷主義の間を揺れ動いたのは偶然ではない。

“感傷や、過剰な偽の感情の仰々しい見せびらかしは、不誠実や、感じ取る能力がないことの証しだ”と、ジェームズ・ボールドウィンは指摘する。“感傷的な人間の潤んだ目は、経験に対する嫌悪、生命に対する恐怖、荒れた心を暴露している。そして、それゆえ、それは常に、秘密の暴力的な非人道的行為の印であり、残虐行為を隠蔽するのだ。”

カイルは、屋上や窓から、自分が殺害した人々のことを“野蛮な卑しむべき悪”と書いている。“それが、俺たちがイラクで戦っていたものだ。それこそが、私を含め多数の人々が、敵を‘野蛮人’と呼んだ理由だ… もっと多く殺せたらとだけ願っていた。”別の時点で、彼は書いている。“俺は悪人を殺害するのが好きだ。… 俺は自分がしたことを気に入っている。今でも気に入っている … 楽しかった。シールズとして、楽しく過ごせた。”彼は、イラク人に“狂信者”とレッテルを貼り、“連中は、俺たちがイスラム教徒でないがゆえに、俺たちを憎んでいる”と書いている。彼は“我々が戦う狂信者は、連中のねじれた宗教解釈以外、何も尊重しない”と主張する。

“イラク人の為に戦ったことなど一度もない”イラク人同盟者について書いている。“やつらのことなど全く気にしていない。”

武装反抗勢力だったと彼が主張するイラク人の十代の若者を彼は殺害する。彼は少年の母親が息子の遺体を発見し、自分の衣服を破り、泣くのを目にする。彼は動じなかった。

彼は書いている。“もし彼ら[息子達]を愛しているなら、戦争に近寄らせないようすべきだった。反政府派には参加させないようにすべきだったのだ。連中に我々を殺させようとしておいて、その結果、連中がどういうことになると思っているのだろう?”
“[アメリカ]本国の人々、戦争に行ったことがない人々、少なくともあの戦争に、時としてイラクで兵士達がどのように行動したのか理解しないように思える”と彼は続けている。“死や目にしたものについて、我々が良く冗談を言っていたと知って、彼らは驚き、衝撃を受ける.”

非武装民間人を殺害したかどで、彼は軍に調べられる。回想録によれば、イラク人全員を敵と見なしていた、カイルは、陸軍大佐にこう言う。“コーランを持ったやつは撃たない。そうしたいが、しない。”捜査は行き詰まる。

カイルは“リジェンド”というあだ名をつけられた。彼は十字軍の十字架を腕に入れ墨する。“俺はキリスト教徒だというのを皆に知らせたい。血を意味する赤で入れた。戦ってきた野蛮人連中を俺は憎んでいた”と彼は書いている。“ずっと憎んでやる。”狙撃翌日、恐らく、6人を殺害した後、兵舎に戻り、キューバのロメオ・イ・ジュリエットNo.3葉巻を燻らせ、“ビデオ・ゲームをやり、ポルノを見て、トレーニングして時を過ごした。”映画では省かれているのだが、休暇中、彼は酔った上での酒場でのけんかで頻繁に逮捕されていた。政治家には取り合わず、マスコミを憎み、将校を軽蔑し、戦士達の友愛のみを称賛している。彼の回想録は、白人と“キリスト教徒”の優位と戦争を賛美している。軍エリート、殺人専門家を疑問に思うあらゆる人々にむけられた怒りの批判演説だ。

“何らかの理由で、帰国した多くの人々は、全員ではないが、我々が出征していたことを受け入れようとしない”彼は書いている。“彼らは、戦争が死、大半の場合、非業の死を意味することを受け入れようとはしないのだ。政治家のみならず、多くの人々が、我々に人間にはとうてい維持することが不可能な行動規範に固守する様にという、奇妙な妄想を押しつけたがった。”

映画中で、まるで連続殺人犯の様に表現されている敵狙撃兵ムスタファが、カイルの同志ライアン“ビグルズ”ジョブに致命傷を負わせる。映画で、カイルは、ビグルスの死に報復する為、4回目の服務で、イラクに戻る。この最後の服務は、少なくとも映画の中では、ブッチャーや、 やはり架空の人物である敵狙撃兵の殺害が中心になる。主人公カイルと悪漢ムスタファの劇的な果たし合いに集中するにつれ、映画は奇妙に漫画っぽくなる。

カイルはムスタファに狙いを定め、撃鉄を引く。弾がライフルから離れる様子が、スローモーションで映される。“ビグルスの為に、やってくれ”と誰かが言う。敵狙撃兵の頭は、血煙と化す。

“ビグルスは、あなたを誇りに思いますよ”とある兵士は言う。“やりましたね。”

最後の軍務を終えて、カイルは海軍を除隊する。一般市民として、彼は戦争の悪魔と苦闘するが、少なくとも映画の中では、模範的な父親兼夫となり、イラクやアフガニスタンで手足を失った退役軍人達に協力する。彼は自分の戦闘用ブーツを、カウボーイ・ブーツと交換する。

実生活のカイルは、2013年2月2日、映画が制作されていた中、ダラス近くの射撃場で、友人のチャド・リトルフィールドと共に、射殺された。PTSDと深刻な精神症状を患っていた元海兵隊員のエディ・レイ・ルースが、二人を殺害し、更にカイルの軽トラックを盗んだとされている。ルースは、来月裁判にかけられる予定だ。映画は、カイルの葬列に、何千人もが道路に並んで旗を振る場面と、ダラス・カウボーイズのスタジアムでの追悼式で終わる。戦死した同僚に対してする慣習で、ネービー・シールズの仲間たちが、柩の蓋に、トライデント紋章を打ち込む様子を写している。カイルは背中と後頭部を銃撃された。 彼が殺した非常に多くの人々同様、とどめの一撃が放たれた際、殺人者を見ることは決してなかった。

戦争文化は、同情する能力を追放する。自己犠牲と死を美化する。苦痛や、儀式的な辱めや 暴力を、男らしさへの加入儀式の一環。容赦のないしごきは、ネービー・シールになる上で不可欠な要素だと、カイルは著書の中で書いている。新人シールズは、小隊の先輩達によって、気絶するまで押さえ込まれ、息を止められる。戦争文化は戦士だけを理想化する。戦士の“男らしさ”という徳を示さない人々をばかにする。服従と忠誠を重要視する。独自の考え方をする人々を懲らしめ、徹底的な体制順応を要求する。残酷行為や殺人を徳に高めてしまう。この文化が、広汎な社会に、ひとたび感染すると、人類文明や民主主義の高まりを可能にするあらゆるものを破壊してしまう。共感する能力、知恵や理解の育成、差異への寛容や尊重、愛さえも、情け容赦なく粉砕する。戦争と暴力が生み出す生来の残酷さが、国、国旗や、武装した十字軍兵士を祝福する倒錯したキリスト教に関する、甘ったるい感傷によって、正当化されてしまう。この感傷は、ボールドウィンが書いている様に、恐るべき無感覚を覆い隠してしまう。歯止めが利かない自己中心主義を醸成する。事実と歴史的真実は、国と部族という神話的構想に合致しない場合、無視される。異議を唱えることは国家反逆罪となる。反対する連中全員、神を信じない、人間以下の存在となる。『アメリカン・スナイパー』は、アメリカ社会中に広がっている深刻な病に応えているのだ。この映画は、アメリカ・ファシズムを奉じることで、我々の心の平静や、アメリカの失われた栄光が回復できるのだという危険な信念を支持している。

クリス・ヘッジズは、かつて、ほぼ二十年間、中米、中東、アフリカや、バルカンで海外特派員をつとめた。彼は、50ヶ国以上の国々から報道し、15年間、海外特派員として゛、クリスチャン・サイエンス・モニター、ナショナル・パブリック・ラジオ、ダラス・モーニング・ニューズや、ニューヨーク・タイムズで働いた。

記事原文のurl:http://www.truthdig.com/report/item/killing_ragheads_for_jesus_20150125

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TPPにむけて、農協破壊、また一歩前進。先日見た真田幸村の芝居でも出てきた、大坂城の濠を埋めた話題を思い出した。宗主国が狙う、日本農業完全壊滅まであと一歩。

しつこく、『アメリカン・スナイパー』記事。

主として、個人的関心ゆえだが、シャルリ・エブドーや、人質事件のタイミングと、決して偶然と思えないタイミングということもある。

これほど、うまく事件を画策できるのは、宗主国諜報機関と、中東の強力な同盟国以外にないだろう。

この映画、日本でも、売り上げ記録を更新するのだろうか?イラク戦争賛美の迷画『ゼロ・ダーク・シティー』が大人気だったという話、聞いたことがない。

文中になる下記場面、人質事件を連想する。どう考えても、まともなイスラム教徒の行為ではなく、イスラム教以外の「ハリウッド仕込みの」狂信的信者による行為だろう。

映画の為に作り出された架空のイラク人、ブッチャーが登場する。彼は、邪悪な連中の中でも、最も邪悪な人物だ。彼は長い黒の革ジャケットを着ていて、犠牲者を、電動ドリルで殺害する。彼は子供達の手足を切断する。彼が子供から切り取った腕が写る。ある現地の族長は、100,000ドルで、ブッチャーを売ると申し出る。ブッチャーはその族長を殺害する。彼は族長の幼い男児を、母親の前で電動ドリルで殺害する。ブッチャーは叫ぶ。“お前達はやつらと話した。お前達は連中と共に死ぬのだ。”

翻訳をしながら、馬鹿にしている電気洗脳箱の番組を聞いている。TPPなり、人質事件なり、ひたすら大本営公報に徹している。愚劣の一言。

洗脳機関以上のものではないと確信。見ずに非難するのはまずいと思っての苦行。出演者もホストも大本営広報部宣伝担当。見ている人の脳、スカスカになるだろう。電気代を払わされた上で馬鹿になる。おもいやり予算を払って、占領部隊に駐留いただいているのと同じことだろう。これは、故チャルマーズ・ジョンソン氏が指摘しておられた。

テレビ局が絶滅するか、まともな日本の庶民が絶滅するか、二つに一つだろうと、出演者の愚劣な発言を聞きながら思った。残念ながら、後者の可能性が99%。

アジア記者クラブ通信269が届いた。トニー・カタルッチの「イスラム国は米国の夢の反乱軍」も翻訳が掲載されている。ありがたい。当ブログでも同じ記事を翻訳している。小生の翻訳のインチキさはばれるが、記事選択、間違っていなかったことにはなるだろう。

編集後記に、

素人でアラビア語どころか英語もできない湯川氏の民間軍事会社訓練は冗談ではないのか。彼らは何をしていたのだろう。

というまともな疑問が載っている。電気洗脳箱でも、大手印刷媒体でも、この当たり前の疑問を見たことがない。

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コメント

 ダーティハリーの如く、テロリストをぶち殺す映画でしょう。 クリント・イーストウッド自身がタカ派じゃないのでしょうかね。 映画向きに最後は悲劇的になっていますがね。

 英米の軍人が書いた戦記では、イスラムの地に住む人をrug-headと呼んで馬鹿にしていますし、実際に欧米は、イスラム蔑視の世界なのです。 多くの国で法令の適用が二重基準で、差別丸出しです。 
 最近の米国での丸腰の黒人を撃ち殺す白人警官の続出を見ても、表と裏があることは間違いがありません。 人種差別が無くなることは、白人社会が崩壊しない限りは無理です。 欧米のイスラム差別・蔑視と敵視・迫害は、何世紀も昔からですから、憎悪のエスカレートがあるだけでしょう。 

 IS(イスラム国)も米国自身が作りだしたものです。 米国がパンドラの箱を開けたのです。 そしてイラク戦争は、現在も継続しているのです。 

 
 
 戦争では、この悪循環は絶対に止まりません。 でも、米国では、今でも西部開拓時代と同じ精神を持った人が多いのでしょう。 イーストウッドは、ひょとして、西部劇に出過ぎて、頭の中もガンマン並みになったのかな。 

後世への恥さらしのために敢えて制作した映画かも

今回の悪評高い作品を実際見ていないので確定的なことは書けないのですが、クリントイーストウッドの今までの作品、硫黄島二部作の「父親達の・・」やベトナムの遺児を描いた「グラントリノ」、「許されざる者」などに描かれた彼の戦争観や正義観を考慮すると、今回の映画、正面から主人公を批判的には描かず、アメリカ人的な単純バカの英雄を描くことで見る人が見ると「アメリカは何と阿呆な上に罪深い国なんだ!」という事を後世に残すためにわざとそれっぽい映画を作ったのかなあと思ってしまいます。またこれが大きな評価(反戦でなく英雄を描いたとして)で現在の米国民に受け入れられたということも含んで動かし難い「米国の戦争犯罪」の記録を敢えて残したのかなあと思ってしまいます。イスラム諸国や白人主導から開放された世界が、後の世に犯罪国家米国を裁く時代になったとき、この映画は実話(イスラムを鬼にでっちあげている事以外は)を元にした動かぬ証拠になるのではと思えます。まあ今までの映画も単純に見ているとアメリカ万歳にしか見えない人も沢山いるようなので(一見そのように作らないとハリウッドで生きていけないし)、私の見方がうがった見方かもしれませんが。

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