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2014年11月17日 (月)

『フューリー』: “リアリズム”とは何だろう? “反戦”映画とは何だろう?

David Walsh
2014年11月1日
wsws.org

デヴィッド・エアー脚本・監督の『フューリー』は、ヨーロッパでの第二次世界大戦末期、百戦錬磨のドン“ウォーダディー”コリアー(ブラッド・ピット)が率いる、アメリカ軍戦車クルーに関する映画だ。


フューリー

映画が始まると、クルーの一人(アメリカが戦争に参加した初期の頃から一緒だった)が戦死し、若い“タイピスト書記”ノーマン・エリソン(ローガン・ラーマン)が、彼の代わりとして登場する。コリアーや他の戦車仲間、ボイド“バイブル”スワン(シャイア・ラブーフ)、グレイディ“クーンアス”トラビス (ジョン・バーンサル)や、トリニ“ゴルド”ガルシア(マイケル・ペーニャ)、未熟な上に、暴力や殺戮を“危険なほど”忌み嫌うノーマンに敵意を持っている。映画のかなりの部分が、前向きな発展として扱われているのだが、戦車クルーや出来事そのものによって、ノーマンの意思を破壊し、何も考えない殺人機械になるよう教え込む過程に割かれている。

比較的無骨で、明白な形で、エアーは、自分にとって有利な様なインチキを駆使している。ノーマンが、青年のドイツ人攻撃手を撃つのを渋ったことで、アメリカ戦車が破壊され、車両隊の部隊長の死を招く。そこで、ノーマンは、ずっと残忍になるよう仕込まれなくてはならないのだ。コリアーは彼に無防備なドイツ人捕虜を射殺するよう強制する。

小さなドイツの町を占領した後、コリアーとノーマンは、現地女性のイルマ(アナマリア・マリンカ)と、その若い従姉妹エマ(アリシア・フォン・リットベルク)に押しつけがましくする。ノーマンとエマは、束の間、見込みもなしに、いちゃつく。彼女はおそらく彼の初恋相手だろう。女性は悲劇的な死を迎え、ノーマンにとっては、彼がきわめて残忍になる、やむにやまれぬ新たな個人的な理由となる。

 


フューリー

戦車クルーは、連合軍の作戦に極めて重要な交差点を確保する任務を与えられる。任務はシャーマン戦車が地雷で動けなくなった後は、準特攻任務と化するが、コリアーと彼のクルーは、自分達の運命を、しぶしぶ、あるいは他の形で受けいれる。彼等は何百人もの完全武装兵士達のSS大隊と対戦し、かなりの相手をなぎ倒す。この時には、ノーマンは機関銃を撃ちながら“くそったれナチス”と叫べるようになっている。

最終的に、映画は、昔のハリウッドの優れた映画制作者達であれば使うのを恥じたであろう類の数多くの陳腐な表現に頼っている。息苦しいプレスリリースが説明している通り、“劣勢で、攻撃力も劣り、新兵を小隊に押しつけられて、ウォーダディーと彼の部下達は、ナチス・ドイツのど真ん中を攻撃する英雄的な試みで、圧倒的な不利に直面する”

多くの評論家達は『フューリー』を“リアル”と表現している。この言葉は現在一体何を意味しているのだろう?余りに多くの場合、“リアリズム”を言う評者は、出来る限り暗い光の中での人間性の表現を念頭においている。映画の脚本家や監督達は、現在お互いに、人々の堕落とサディズム描写の上で勝ることを目指しているのだ。


フューリー

作品の調子は、“ウォーダディー”が、ドイツ人将校を馬からたたき落とし、優しく馬を解き放つ前に、将校の顔と目を何度も突き刺すオープニング・シーンで設定される。ノーマンにとって最初の課題の一つは、戦車下部から、顔の一部を含め、前任者の肉片を片づけることだ。戦車仲間の“クーンアス”トラビスは、人を殺したくてウズウズしており、暗に強姦もしたくてウズウズしている、ネアンデルタール風のいやらしい目つきの反社会的精神病質者として描かれている。“ゴルド”ガルシアとて、さほど優れた見本とは言えない。エアーは、戦車が転覆し、泥の中の死体を押しつぶす場面がお気に入りだ。音楽の憂鬱な調子が、画像の雰囲気を更に深める。

エアーが、全員見境のない弱い者いじめの仲間の兵士達と、ノーマンが最初に出会う場面で、作り上げる全体的な雰囲気は、非常に厭世的な人間嫌い風だ。マーティン・スコセッシの『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(翻訳版はこちら)について、我々が書いた評論中のコメントを思いださせる。

“中間点のストラットン・オークモント事務所の愚劣で不愉快な堕落の極みに、映画のあさましい道徳頽廃の調子から、クエンティン・タランティーノの『ジャンゴ 繋がれざる者』を連想して驚いた。死体が犬によってバラバラにされるわけではないが、同様にひねくれた、気味悪いほど厭世的な雰囲気に満ちている。映画に登場する全員が語ること全て、後ろ向きで、不正で、恐ろしい …”

『フューリー』の主題は『ジャンゴ 繋がれざる者』とも、あるいは『ウルフ・オブ・ウォールストリート』とも全く異なっているとは言え、何か汚い、混乱した、人類に対する侮辱の真っただ中に陥ったような感覚を覚える。(そこでもピットが主役を演じたタランティーノの『イングロリアス・バスターズ』は、英雄達が“拷問し、殺害し、敵の頭皮をはぎさえする自分達の任務を楽しむサディスト的な殺人者である第二次世界大戦映画として、もう一つの適切な基準点だ。ファシズムに対し、ファシズムで戦うのだ。”)

こうした、ほとんど普遍的な意識の堕落の対極は、陽気で無思慮な楽観論ではなく、戦争や、全て階級社会の産物である隷属や堕落等の現象の、本当に“リアル”で歴史的、具体的な評価だ。エアーによる映画の、視覚的、劇的含意は、人間らしさそのものの腐敗に起因する戦争の恐ろしさであり、それは本当の自分、あるいは、少なくとも最も本当の自分の一人に語りかけているのだ。

帝国主義戦争によって、兵士達にも一般市民にも同様に押しつけられる、ひどい状況に対する義憤は皆無だ。むしろ、温かく、ほとんど、ありがたく思いながら、汚らしさの受容を感じてしまう。ある血なまぐさい遭遇戦の後“これは愉快ではない。これが俺たちがすることだ”とゴルドは誇らしげに言う。“ウォーダディー”(人をうんざりさせる様なあだ名だ)はぶっきらぼうにノーマンに言う。“理想は平和的だ。歴史は暴力的だ。”クルー・メンバーそれぞれが、自分の兵士としての役割に関し、やや皮肉っぽく“これまでの私の仕事で最高”と単調に唱える。終わり近くで、コリアーは言う。“私はここが好きだ。”

リアリズムとは、有意義な意味で、人が思いつける、あらゆる汚い細部にこだわる以上の何かを伴うものだ。戦争に関しては、何よりも、社会動学や、所与の戦闘や、その戦闘員の知的-道徳的-歴史的真実に注意を払うことを意味している。

そういう基準からして、『フューリー』には、本当の“リアリズム”や正確さは皆無だ。こうした特性は、時代と環境の産物ではない。スティーブン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』について、我々はこう述べた。

“具体的に、第二次世界大戦の兵士達は、不況時代の激しい出来事の産物だった。映画の中に、何らかのそうした意味が何かあるだろうか? 当時、存在していた意識の水準を理想化せずとも、そうした兵士集団が、様々な洗練度で表現される、何らかの政治的見解を持っていただろうことは明らかだろうと私は思う。例えば、兵士間で共通の懸念は、戦争から帰国した際に、仕事に着けるかどうかだった。”

エアーの兵士達は、彼の先輩スピルバーグの連中と同様、“社会的アイデンティティは皆無で、いかなる実在感もない。”映画制作者達は“世間に広まっている考え方に従う人物を作り出したのだ。実際、彼等はボール紙製の人物だ。”

同様に、『フューリー』は、いかなる意味においても“反戦”ではない。戦争を出来る限り、実に不愉快な色合いで描き出しながら、依然、我々の罪深い本性から仮借なしに流れ出るもので、人間の条件の一部として、人はそれを受けいれなくてはならない、不愉快な、時には邪悪な任務さえもが、大義のため、遂行されねばならない、等々と結論づける。アメリカ支配層エリートが、世界中で不均衡な新植民地戦争を遂行する中、現代アメリカ・ナショナリズムと愛国心は、この方向に傾きがちだ。漫画本やスーパー・ヒーロー映画(しかも、常にあるわけではないが)を除いては、現代の“英雄的行為”は、概して、最も残虐で、極めて残忍な行為への慶賀を伴っている。

ヒーローやヒロインが、最悪のクリント・イーストウッド風で、きわめて虫のいい(例えば、ミリオンダラー・ベイビー)最後に浮かぬ顔をする限り、彼等は、事実上、ありとあらゆる蛮行を遂行するのを許されるのだ。CIA拷問を是認して扱い(制作のあらゆる段階で、制作者達が、諜報機関の承認と協力を得ている)キャスリン・ビグローの『ハート・ロッカー』や『ゼロ・ダーク・サーティー』と同じ手法の好例だ。ゼロ・ダーク・サーティーの最後で、ジェシカ・チャステインのマヤは、自分が実施の手助けした、あらゆる残虐行為から悲嘆に暮れる。そのために彼女は泣きさえする。ピットは涙は流さないが、人は彼の苦悩を感じる。


フューリー

しかも、『フューリー』は実は第二次世界大戦にに関するものではない。この映画は、かなりの部分、意図的であろうとなかろうと、現在のアメリカ軍の関与や戦争犯罪の擁護を狙っている。例えば、エアーは、オンライン紙オレゴニアンにこう語っている。“[ドイツとの]戦争の終わりには、彼等は対戦車ロケットを持った12歳の子供達に直面しました。女性達も戦闘を強いられました。彼等は狂信的な敵と戦い、彼等は国を侵略していたのです。彼等は、我が国の兵士達が、現在中東の戦地で直面するのと同じような幾つかのモラルハザードに直面していたのです。本当に《太陽の下に新しきものなし》です”『フューリー』の最後の対決で、SS将校は、“ここは我々の土地だ!”と叫んで、部下に侵略者達を撃退するよう命じる。

同様、逆説的に、エアーは、現在の戦争犯罪の正当化を、過去に行われた残虐行為を、彼の映画の中で正当化するのに利用している。現在のアメリカ軍と同様、ジュネーブ協定の下で、戦争捕虜としての資格に欠ける“テロリスト”、“非合法戦闘員”と対決しているのだと絶えず語り続け、脚本家-監督は、第二次世界大戦の敵は“人権の概念皆無”で、“戦闘時に、規則集を捨てる連中”として提示する。従って“戦ったわが兵士達は、かなり怒りっぽく、かなり無法なことをたくさんしでかしたのだ。”

インタビューでのエアーは、弁護の余地がない彼女の映画を擁護するビグローや、ビグローの言葉によれば“時として、道徳上の一線を越えた、その主役達、様々なCIAや軍幹部を思いおこさせる。”エアーは“疑問は、そこで、時として一線を越えることが認められている際に、自分の人間らしさ-道徳を-兵士として、維持するのか? という問題になります。いかにして、道徳上の一線を越えずに、自分を維持出来るのでしょう?”と断言する。

エアーの精神的複式簿記のおかげで、彼等はどのような犯罪をおかそうと、彼等は赦免が常に得られるため、特に『フューリー』の主役達は、何でも自分達のしたい放題だ。

エアーは、俳優の一人、シャイア・ラブーフのセリフ通り“キリスト教の徹底的な支持者”だ。ラブーフの熱烈に福音を説く性格について触れて、“クリスチャン”誌のインタビューでエアーは語っている。“これだけの残酷さや破壊を目にする環境の中で、聖書やキリストと彼等との関係について、人がいかにして学ぶことができるかを示すことが私にとって重要でした。”

インタビュアーは後で“この映画中のキャラクターは、彼等が経験したことと、彼等が行ったことのおかげで、彼ら自身の何かを失っています”と書き、こう問うている。“彼等にとって贖罪は可能でしょうか?”映画制作者はそれに答えている。“絶対可能です”

エアーは、アメリカ軍と警察をあからさまに称賛し擁護している。彼の多様々な反動的発言の一例はこれだ。“軍務に服した経験があるので、警察や、軍や、社会の為に尽くしている人々、特に我々を代表して武力を行使する特権を与えられている人々に、常に関心を持ってきました。… 我々が寝床で安心して眠れるよう、戦地に赴き、アメリカの為に戦い、敵と対決する人々..。これが彼等を際立たせます。これが、男性同士のきずなや、女性同士のきずなを生み出し、彼等が守っている社会から、彼等を際立たせるのです。”

『フューリー』の権威主義的含意は、ソニー・ピクチャーの“デジタル・ディスカッション・ガイド”の中でも、ほのめかされている。“ウォーダディーは良いリーダーで、これは、彼のクルー中の部下達も語っている。彼等は言い、態度で示している。どのような戦闘でも彼について行くと。ウォーダディーが良いリーダーなのはなぜだろう? こうした統率力は、市民生活ではどのように置き換えられるだろう?どのような統率力が、戦闘の中でだけ有効なのだろう?”

これは単に一本の映画あるいは一人の映画制作者だけの問題ではなく、アメリカの社会・経済危機によって、錯乱し、はっきり右方向へとつき動かされている上流中産階級層全体の問題だ。アメリカの戦争が益々不人気になるにつれ、軍と警察が、民主的権利に対して益々大きな脅威となるにつれ、現在の状況に対する多くの大衆の反応が避けられないことから、そうしたものが最前線に押し出されることとなり、この特権階層は、本能的に、そして不気味にも、“警察”や、強い“リーダー”や“統率力”に頼ろうとするのだ。

記事原文のurl:http://www.wsws.org/en/articles/2014/11/01/fury-n01.html

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子供の頃、父に連れられて、地元映画館によく行った。常に洋画だった。

決まったようにインディアンと幌馬車と騎兵隊。楽しいと思っていたのかどうか、全く記憶がない。

テレビで、『ララミー牧場』や『コンバット』を熱心に見たのが今では不思議。今、書店で『コンバット』DVDを売っている。

宗主国戦争映画、最近全く見たことがない。金と時間を、どうして宗主国洗脳映画に費やすのか個人的には全く想像できないが、たで食う虫も好き好き。

一番最近見た映画『フタバから遠く離れて 第二部』英語字幕版まである。

600年続いた名家のご主人が、足尾鉱毒事件、水俣、四日市を、福島原発事故の先駆として挙げられたのに驚いた。

わずか40年ばかりの経済的利益で、600年続いた歴史も、これから何千年先の未来も消滅。全国原発立地市町村会議の諸氏による無茶苦茶発言にびっくり。

これが日本だ私の国だ

老いた力を体に感じて

みんなで歩こう長い道だが

一つの道を力のかぎり

明日の世界を探しに行こう

道中、『敗戦とハリウッド』を読んでいた。戦後洗脳作戦。

洗脳映画ばかりになった経緯は、例えば、『レッドパージ・ハリウッド』を読めば想像がつく。日本の場合は、『文化と闘争―東宝争議』だろうか。

宗主国でも第一属国で も、映画界(に限らず)異端は完璧に排除されている。

沖縄知事選、那覇市長選、人生でほとんど稀有な体験。選挙結果を心から喜んでいる。

本土選挙は、これと対極的に悲惨なことになり、植民地化条約TPPに参加し、やがて宗主国侵略戦争に派兵する議席配分になるだろう。

有名作家がベストセラー本『殉死』や、『永遠のポチ』という人気映画シナリオを書くだろう。

宗主国の大義なき侵略戦争で亡くなることがなぜ殉死になるのか不思議に思うが、傀儡政治家、役人、学者諸氏、そして大本営広報部、何か屁理屈を考え出すに違いない。

やがて、国旗も国家も『星条旗』になり、言葉も英語になり、目も青くなるだろう。

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コメント

本当にムカつく点は、
この映画でぶっ殺されまくっていたドイツ人たちの立場は、
極東においては我々日本人の立場に置き換えることが出来るということに、
思い至らないやつらが大勢いるということ。
たとえば劇中のワンシーンで、卵一個で娘を敵国軍人の部下の筆おろし役にさせられる親に気持ちはいかばかりか。
けれどそれでもドイツ人は人種差別の対象ではないから、その程度で済んでいるのであって、
日本人の場合は、考えたくもないほどの行為をされてきた。
あぁ言いたいこと多すぎて混乱するけど、要するにこれは悪質なプロパガンダ映画だってことが言いたい。
撮影技術とか演技とかの話ではなくね。

フューリーのストーリー、監督がアメリカ軍の蛮行を逆説的に正当化している、以下面白い記事でした。
紹介をありがとうございます。
それに対してかなり偏った左翼思想を隠す気もない管理人さん。
管理人さんがどういう思想を持とうと、気に入らないものを汚い言葉でどう表現しようと自由なのでどうこう言う気は全くないですが映画の監督と(思想的な意味で)対極の場所にいそうだなと対比が面白かったです。


素晴らしい戦後秩序を確立するためには、汚い仕事も仕方なかったという言い訳

20世紀の第二次大戦についての戦争映画は、娯楽映画的に描いた場合、非人道的なナチスや日本軍を人道主義に基づく連合軍がやっつけるというパターンばかりでしたが、テロとの戦争で米軍が他国を明らかに侵略し、テロ容疑者をためらいなく拷問までして結局ナチスと同じという状況になると、実は第二次大戦の時にも似たような状況があって(と言う事を描くことがリアリズムだと主張している)、でもそのお蔭で輝かしい戦後秩序が確立されて世界が平和になったんだよね、と言うように変化しました。今も昔も変わらないのは「戦後秩序は素晴らしい」という部分です。これが壊れると今行っている行為も単なる残虐行為になってしまいますから。

原爆や都市への無差別絨毯爆撃を残虐行為だと米国は認める時が来るかもしれませんが、その結果としての「戦後秩序」まで正義ではなかったと認めることは120%ないだろうと思います。その辺、靖国参拝とか慰安婦とか外国に向かって語る時大事な要素になると思います。

私見では、米国の戦争映画におけるあるべきリアリズムとは、戦闘場面を残酷に描くことではなく「第二次大戦において少なくとも欧州で米国が闘う必然性がないのに何故闘わないといけないのか(頭上の敵機)、朝鮮で何故戦争しないといけないのか(トコリの橋)、何故若者がベトナムのジャングルで死なないといけないのか(プラトーンとかディアハンターとか)」という苦悩を正面から描いた作品のことだと思います(結局作品中で答えが出ないままになる所がリアリズムですが)。

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