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2014年6月13日 (金)

『習慣─非習慣』 田山花袋

 習慣の力は牢として抜くべからざるものがある。
 足尾銅山の鉱毒事件の時、渡良瀬川沿岸の住民は、移住を拒んで、烈しい反抗を時の政府に企てた。

 私の故郷はそこに近いので、其時の田舎の状態をかなり詳しく知っていた。私は其時、習慣の離れ難いものであることをつくづく思った。
 村は長い歴史と習慣を持っていた。祖先の墳墓が其処にある。かれ等の生まれた紀年物が其処にある。かれ等の吸った空気、かれ等の馴れた四季の節序、それを捨てて新移住地に赴くということが容易に彼等には出来なかった。祖先の村を捨てる位なら死んだ方が好いなどと言った。
 村民は鐘を乱打した。竹の槍、筵の旗をこそ立てなかったが、各所に群をなして、密議をこらした。不穏な形成は梅雨(さみだれ)の雲と共に沿岸の村々を襲った。
 私は鉱毒を被った其の村々を見て廻った。其状態は全く酸鼻に値いした。私は村民に同情せずには居られなかった。
 しかし私は翻って考えた。
『何故、こうした荒廃した土地に、猶おかれ等は縋ろうとするのであろうか。・・・それよりも有利なる条件のもとに、新しい豊饒な土地に移って、其処で安心して鋤を取った方が好いじゃないか。』
 私は長い習慣の上に出来た空気から離れることの出来ない人間のいかに弱いかを其時ほど感じたことはなかった。如何に有利な豊饒な土地でも、祖先の紀年のある地を捨てて去るには忍びない村民の心を私は深く知ることができた。
 膠着した心持、感じ、気分、それを捨てて諸君は新しい土地を耕さなければならない。追懐にのみ生き、歴史にのみ生き、習慣にのみ生きている人達は弱い人達である。諸君は祖先が此処に始めて鋤を入れたと同じような心持ちで、新しい土地を耕すの勇気がなければならない。新しいライフ─其処には諸君が追憶や歴史や習慣などから得るものよりもっと新しい空気があるではないか・・・・私はこう言って村の人達に話した。
 常に新しい境地を開き得るものは勇者である。諸君は生活に於て、勇者たれ!

出典:

『文章世界』(薫風号)明治45年5月13日 博文館所収
「文章と新世界」という項目の一章。
田山花袋記念文学館提供。

「足尾鉱毒事件田中正造記念館」移転記念事業
「第43回春のフィールドワーク 田中正造と館林市街 ゆかりの人々と史跡を訪ねる」冊子、23ページより転載。

この部分には「花袋の鉱毒事件観 初公開資料」とある。

主催:足尾鉱毒事件田中正造記念館 渡良瀬川研究会
協賛:田中正造大学 北川辺「田中正造翁」を学ぶ会 田中正造に学ぶ会・東京 谷中村の遺跡を守る会
後援:館林市 館林市教育委員会 館林商工会議所

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鼻血やら白血病が話題になっている今、102年前のこの文章は示唆的。

チェルノブイリ周辺住民は、帰村を強いられていないと理解しているがどうなのだろう。禁止を押して、戻ってしまい,そこに暮らす老人たち、たしかサマショール呼ばれている。

現行支配者や大本営広報部よりも、今の状況を全く知り得ない時代に書かれた田山花袋の文章によほど説得力を感じる。

資料はフィールドワーク参加者から拝借。この資料を元に新刊『田中正造とその周辺』筆者による詳細説明があり、その後、フィールドワークだという。

旧漢字かなづかいは、現代表記(と思うもの)に変更した。

「集団的自衛権」「TPP」賛成が71%だという大本営広報部調査。大本営広報部が異常なのか、国民が異常なのか、その両方か?

自分の肉親を宗主国侵略戦争に差し出すことを71%が賛成するような国、世界にとって「ならずもの属国」。運命は日露戦争とのつながりで、漱石が『三四郎』で書いたセリフの、何度も引用したものしかない。

「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。

だいぶ前に「クリミアを強奪したプーチン大統領はヒトラーに似てきた! 」という記事見出しに驚いたが、筆者名をみて納得。そういう人物だからこそ政権中枢に入り、大学教授になり、コラムを書き、発表し生きていられる。小生のような意見に謝礼を払ったり、発言の場を与える大本営広報部は皆無。悪貨は良貨を駆逐する、というのは本当だろう、と僻目に思う。

「キエフを強奪したオバマ大統領はヒトラーに似てきた! 」ならわかる。どういう歴史認識だろう。エセ政治家に投票する国民の知的レベルが知れる。

先月5月13日は花袋忌だった。彼は1930年に亡くなった。日露戦争従軍記者としての著書もある。これからの売れっ子ジャーナリストも従軍記者が職業になるのだろう。

大本営広報部諸氏、これから宗主国侵略戦争に参加する日本軍に従軍し、我々は宗主国侵略戦争プロパガンダ記事を読むことになる。

東京震災記』(2011/8河出文庫)も書いた花袋、今の日本を見たらなんというだろう?

温泉めぐり』自分が入った温泉記事を読み納得。同意見に嬉しくなった。

東京の三十年』を読むと初めて訳した小説、トルストイのコサックだとあるのにびっくり。トルストイの名著いまでも容易に読める。いまも紛争の絶えない地域。

集団的自衛権容認などという狂気の沙汰、『イワンのばか』を読んでから言えと思うが、人殺しを商売とする人の顔をした「ゾンビー」に言っても無駄。

つる舞う形の群馬県人全員が知っている上毛カルタ、「ほ」、ほこれる文豪田山花袋。

ちなみに、「に」は、日本で最初の富岡製糸

絹織物輸出、貿易立国日本構築に寄与した富岡製糸工場は世界遺産。

花袋の姉、嫁ぎ先は藍染め関係だったと『東京の三十年』にある。花袋の有名な『田舎教師』冒頭、高級絹織物ならぬ、庶民衣服の生地から始まる。生糸より木綿。輸出より内需。今や日本は輸出立国ではない。

四里の道は長かった。その間に青縞(あおじま)の市(いち)のたつ羽生(はにゅう)の町があった。

富岡絹織物今はどうか知らないが、羽生は今も江戸時代から続く藍染のまちのようだ。

田山花袋記念文学館も花袋旧居も、「は」花山公園つつじの名所 のすぐ近く。

「や」 耶馬渓しのぐ我妻峡、やがて、耶馬渓壊す八ッ場ダム で消滅してしまう。

「り」 理想の電化に電源群馬 大勲位名宰相氏は日本の原子力発電生みの親。

かつて戦場カメラマンとして、沢田教一、一ノ瀬泰造(いずれも戦死)、記者として、本多勝一、開高健が他国の戦争取材で活動をした。

これからは、愛国ジャーナリストの皆様は、宗主国侵略戦争に引きずりだされる日本軍の従軍取材で活躍し、属国民をわくわくさせてくださるだろう。

小生、そうした写真も映像、決して見ず、記事も読まない。無意味な宗主国侵略戦争・属国侵略戦争で何がおきようと、本質的に全く無意味だから。

大本営広報部・電気洗脳機で時間を潰すより、この際、素晴らしい記事満載の世界7月号 特集、日本外交の分水嶺─集団的自衛権を問う2をお読みいただく方が、精神の健康や、孫や子への貢献遥かに大きいだろう。定価864円だ。

【提  言
集団的自衛権 事実と論点 (上)
集団的自衛権問題研究会                                           

集団的自衛権行使のリアル
虚偽と虚飾の安保法制懇報告書──「背広を着た関東軍」の思考
水島朝穂 (早稲田大学)【執筆者からのメッセージ】                                         

インタビュー
平和国家という選択への敬意を──保守本流の信念をもって歩め
古賀 誠 (元自民党幹事長)                                           

インタビュー
安全保障政策の根幹から議論を
脇 雅史 (参議院自民党幹事長)                                           

安倍首相の“いいたいこと”
喜劇のような演説が現実となるとき──安倍首相「集団的自衛権」記者会見を読み解く
想田和弘 (ドキュメンタリー映画作家)                                           

「地球儀俯瞰外交」の内実
安倍欧州諸国安保歴訪──NATO・EUとの間で進む軍事協力体制
谷口長世 (国際ジャーナリスト)                                           

危険な同盟
戦略的依存に終止符を──オーストラリア・リベラル保守のラディカルな提言
杉田弘也 (神奈川大学)                                           

日本の「責任分担」
中国の海洋進出と日比軍事連携への道──平和憲法破壊する米pivot政策
加治康男 (ジャーナリスト)

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コメント

   アラビア文化の町でウクライナ人と出会う  

  アラビア文化とタイ文化とマレ-文化の交わるところの,海辺の町にやって来た。看板にはアラビア語が目立つ。海辺と言って川辺の町。もとは海辺の町であったが,川が土砂を運び砂州を拡げた結果,この町は中洲の上流に取り残された(理科の先生,この説明でよろしいですか)。

  浜辺まではバスで20分。驚く事勿れ,浜辺は数kmにわたり,大理石で延々と埋め尽くされていた。旅行案内小冊子によれば,大理石の岩は散見されたが,砂地もあり,浜辺は水泳に適しているように写されている。
  事情を聴きたかったので,この地を訪れた人々や土建屋さんに尋ねるも英語が通じない。別のバスで別の浜辺に行こうと思ったが,川が茶褐色に染まって流れている。別の浜辺に行っても大差ないと独り合点して,町の中心に戻る。ターミナルの傍に王宮が支援する食堂があった。野菜・フルーツから始まって鶏肉,魚まで安い。特に魚は他の海辺では味わうことができないほど美味であった。名前は忘れたが,熱帯地方特有の野菜はほろ苦く,直ぐにその苦さが消える不思議な味。腹一杯食べて300円程度。おそらく貧民のための食堂であったのかも知れぬ。

  翌日は下がりに下がった教養を取り戻すべく,戦争博物館やイスラム博物館などを見て回った。前者の入り口には旧日本軍侵入阻止のために使われた機雷が飾ってあった(なるほど安倍首相が拘るわけだ)。直径70cmほど。当時の写真や事物がたくさん残っている。許可を取ってデジカメに収めた後,ホテルから日本へ送った。

  後者ではデザインが興味深かった。対称と教わった気がするが,イスラムは華美な模様を拒否する。単純な模様の繰り返し。それが意に反して模様となっている。日本はいびつな形(焼き物)を好む(加藤周一,「日本歴史の七不思議」,『山中人閒話』)が,西洋は線対称を好む。しかしこちらの名産布地模様は非線対称である。
  
  夜はインドの小説「ラーマーヤナ」の「影絵」劇を見た。2時間にわたり音楽が鳴り響き,影絵の登場人物たちが争いと口論を繰り返す。現地の方は笑っていたから,面白い内容もあったと言える。言語は中央政府の標準語に加えて現地語が幅を利かす。イスラム文化の東漸。同じ国でも以前の海辺の町とは言語事情はかなり異なるようである。

  翌る日は民族武闘やドラム演奏を観覧。この民族センタ-の解説者はいくつかの外国語を話す。外国人が来ると,どこから来たのか先ず尋ねる。その国に応じて言語を変えて説明する。5カ国語は最低話したような気がする。

  その観光客の中に,ウクライナから来たという男女がいた。偶然と言えば偶然。ドイツで働いているという。早速,ウクライナの様子について尋ねた。良く聞き取れない所があった上に,突然の出会いなので何をどう質問していいか分からない。しかしこちらが日本人だと知ると,フクシマは大変ですねと言う。日本の原発事故をかなり知っているようである。

  30代の,利発な方であったが,今回の紛争についてはEU寄りの発言が目立った。ベラルーシの放射線被曝については次第におさまって来たようだという。精神的なものが症状を左右するという米国原子力規制委員会やIAEAのオリガリヒと同じ意見をおもちであった。

  キエフに住む親は年金が15%減ったという。50%の聞き間違いかも知れない。どうしようもないという身振りには同情・同調して差し上げた。先方はこちらともっと話をしたかったらしいが,小生は奥様との旅行を邪魔しては申し訳ないと話を切り上げた。 
  しかし偶然とは恐ろしいものである。イスラム博物館で,ひょっとしたきっかけで女子高生に写真を1枚所望された。ムスリムの姉妹でどちらも可愛いかった。AKBやAKNどころではない。民族衣装がよく似合う。写真を皆さんに公開できないのが残念である。しばらくこの海辺の町に滞在しようかと考えているが,公安が後をつけてきていないか,心配である。

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