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2014年5月 3日 (土)

オデッサは何故抗議行動に立ち上がっているのか?

Alexander DONETSKY
2014年4月29日 00:00
Strategic Culture Foundation

ドネツクとルガンスク地域の住民は政府市庁舎を占拠し、武器をとり、ウクライナからの独立を宣言した。彼等はキエフ政権と戦っているのだ。そこで起きていることに世界が注目している。だがウクライナには他にも温床がある。ドンバスとは違い、オデッサ地域はロシアと国境を接しておらず、ロシア黒海艦隊の母港ではない。しかし現地住民は、ロシア国旗を持って街頭に繰り出し、ウクライナから独立する意思を表明している。

古代、この地域には、ギリシャ人が住んでおり、人口集中地域は、直接、黒海に流れ込むドニェプル川、ユージヌィ・ブフ川とドニェストル川に沿っていた。他の植民都市もあった。古代ギリシャ都市ティラス、オルビアとニコニアで、スキタイ人やキムメリオス人と貿易をしていた。

中世の支配者達には黄金のオルドのノガイ・ウルス等がいた。

クリミアのハジ・ギライ汗統治時代(1441-1466)、汗国は黄金のオルドとオスマン帝国に脅かされ、同盟国を探して、汗はこの地域をリトアニアに譲渡することに合意した。今日のオデッサの場所は、当時はハジベイ(ハジ・ギライに由来し、英語では、Kocibeyコチベイとも綴られる)として知られる町だった。リトアニア、ディクラ地方の一部だった。しかしながら、この地域の他部分の大半は、この時期ほとんど人は住まないままだった。1765年、オスマン帝国がハジベイ(Hocabey)に要塞を再建し、エニ・ドゥニャ(Yeni Dünya=トルコ語で新世界という意味)と名付けた。ハジベイはオスマン帝国シリストラ県庁だった。

ロシア-オスマン帝国戦争当時、スペイン人ドン・ホセ・デ・リバス・イ・ボヨンスワスが率いる僅かなロシア軍が要塞を占拠し、更に四年間、淋しい場所のままにしていた。その後リバスが、都市と彼が指揮するはずのガレー船艦隊の母港建設をするよう命じられた。それで貿易が盛んになった。ブラバント出身の技術者フランソワ・サン・ド・ヴォランが建設を担当した。

デ・リバスはオデッサ最初の市長だった。この都市は実際、リシュリュー公爵や、この伝説的フランス人枢機卿の後継者アルマン・エマニュエル・デュ・プレシの下で繁栄した。12年間の彼の支配の間に、人口は四倍に増え、市はノボロシースク地域の中心となった。劇場、印刷所と大学が建てられた。後にリシュリュー公爵はフランスに帰国し、外務大臣と首相(二度)を務めた。

この都市に最初に定住したのは、ギリシャ人、イタリア人、アルバニア人とアルメニア人だった。19世紀末には、ロシア人が人口の49%を占めていたが、世界中の全ての国からのあらゆる国籍の人々が住んでいた。1912年には、市の人口は50万人にまで増え、モスクワ、サンクト・ペテルブルク、ワルシャワにつぐ、ロシア帝国第四番目の都市となった。

1917年の革命で、都市の主が変わった。国際色豊かな都市住民達は、白軍、赤軍やイギリス-フランス占領軍には無関心だった。しかも住民達は、ムィハーイロ・フルシェーウシクィイ、シモン・ペトリューラやパヴェル(パウロー)スコロパードシクィイらが率いるウクライナ当局を常に軽蔑していた。住民達は、こうした連中が存続可能な国家を作り出せるとは思っていなかった。オデッサのロシア語を話す住民達から、彼等は占領者と見なされていた。

第二次大戦の始まる頃の市の住民は、ロシア人(39.2%)、ユダヤ人(36.9%)、ウクライナ人(17.7%)とポーランド人(2.4 %)だった。25万人が敵に包囲された、ドイツ軍とルーマニア軍による攻撃を前に、住民の一部は市から去った。赤軍が市から去った後、占領下、困難な生活に直面した。残った人々の80-90%はユダヤ人で、彼らのほぼ全員が、ナチス、ルールニア兵やウクライナ民族主義者の手にかかって亡くなった。ゲットーや強制収容所では、ホロコーストの犠牲者達が生き残れる機会はほとんどなかった。

1980年代、ユダヤ人は、イスラエルに出国する機会を得た。ウクライナの独立は、生活水準の突然の低落と共に実現した。そこでユダヤ系住民の人口は劇的に減少した。それにもかかわらず、ユダヤ人コミュニティーは、いまでも最も人数が多く、影響力も強い。

2014年2月に起きたキエフ・クーデターは、都市住民からほとんど支持されていない。キエフ支配者は、主にイタリア・ファシズムと、ドイツ国家社会主義をつき混ぜ、独特のウクライナ風を加えて、1920-30年代に登場したウクライナ統合ナショナリズムの提唱者達だ。ウクライナ暫定政権には、ナチス・イデオロギーをあからさまに提唱する憎む可き人士が代表にいる。例えば、ウクライナ国家安全防衛会議書記アンドレイ・パルビーは、ナチス政党を、1990年代始めに登録しようとした。“国家社会主義”という言葉が名称に含まれていたので、当時、司法省は受理を拒否した。パルビーは語順を変え、社会民族党を率いている。綱領は、排外主義と人種差別に満ちたままだ。この党は後に、スヴォボダとなった。現在は、有名な反ユダヤ主義者で、排外主義者のオレフ・チャフニボクが率いている。スヴォボダは、ヤツェニュク政権に何人かの閣僚がいることを誇っている。

右派セクターが、クーデターの背後の主な原動力だった。右派セクターは、トリズブをリーダーとする、ナチス指向の集団の集合体だ。彼等は白人の純血を主張し、ヒトラー時代に行われた粛清を呼びかけている。右派セクターも、パルビーが社会国家主義青年組織としてたちあげた“全ウクライナ連合祖国”の一環だ。“全ウクライナ連合祖国”は、2008年にウクライナ民族アンサンブルをたちあげる基盤となった。この集団が最初に行ったのは、他の民族に戦争をしかけるべきで、最終的には、ウクライナを核保有国、世界覇権国にするという計画の声明だった。このアンサンブルの綱領によれば、少数派民族は、同化するか、亡命するしかない。

オデッサに暮らす人々の多くが、ホロコースト時代に近親者を失った。キエフ政権の一部をなす連中に支配されるという展望は、彼等にとっては到底受け入れがたい… ウクライナ人警察官によるユダヤ人の扱いは、ドイツ人によるもの同様にひどかった。彼等は民族主義イデオロギーを唱導し、それが事実上、現在のウクライナの国家イデオロギーとなっている。“ウクライナ万歳。英雄達に栄光あれ!”というマイダンのスローガンは、ヒトラーへの忠誠を誓った、ドイツ国防軍最高司令部外国諜報局の工作員ステパーン・バンデーラにちなんで名付けられたウクライナ民族主義者組織の合い言葉にほかならない。彼と、ドイツ軍大尉、ウクライナ蜂起軍副司令官のロマン・シュヘーヴィッチは英雄と見なされている。

この政権は、オデッサに暮らす人々にとって、到底受け入れられるものではない。彼等反対し続けるだろう。ここにモスクワの圧力を見いだそうとしても無駄だ。現地住民感情の根源は、この都市の歴史にあるのだから。

記事原文のurl:www.strategic-culture.org/news/2014/04/29/what-makes-odessa-rise-in-protest.html
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よい天気なのに腹がたつので、大本営定時洗脳放送は見るきにならないが、ダイヤモンドオンラインに“日米間TPPと「尖閣」取引説”という記事がある。
本当ならば、二代前の阿呆都知事やら国有化した売国民主党首相の罪は重い。もちろん現首相の罪が一番重い。今更犯人をあげつらっても、国はもはや地獄にむかって驀進中。

一橋大学地中海研究会のweb地中海論集Vで、この記事の前半部分について詳しくかかれた「形成期オデッサ素描」というpdfが拝読できる。

「ウクライナ万歳。英雄達に栄光あれ!」については、WikiPediaにも項目はある。Glory to Ukraine ウクライナ蜂起軍のスローガンのようだ。そこにあるウクライナ語原文らしきものは下記。

Слава Україні — Героям Слава

この文字を貼り付けて探したところ、「ウクライナ万歳。英雄達に栄光あれ!」としゃべる愛国オウムのyoutube映像があったので、発音確認用に見た。

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コメント

 当ブログのご主人の勧めで,中村喜和氏の『地中海地域における集落形成の諸問題』を読んでみた。いくらかオデッサが分かった次第。併せて,ウクライナ西全てがEU寄りでないことも分かった。ウクライナ警察官によるユダヤ人への迫害がナチス以上だという本記事。テロ国家米国でのスポ-ツ界親分の黒人差別発言。欧米とその手先NATO軍には白人の傲慢さがつきまとう。

 さて,YouTubeで加藤周一の東大での講演(8.Dec.,2006)とア-サ-・ビナ-ド氏の動画「やっばり9条inヨコスカ」を見た。お二人は『世界』で対談していたような記憶があるが,今しばらく前者を脇に置くとしても,ビナ-ド氏の主張の要点は,言葉の置き換え(ユ-フェミズム)とそれによる「洗脳」には気を付けろということ。日本の教育の目的の一つは「騙されない人間をつくること」という加藤の主張と大いに重なる。日本人が気がつかない言葉の置き換え,言い換え,をどんどん指摘されることを期待したい。

 その他,宇沢弘文先生の講演をYouTubeで拝見した。「米軍機プレデタ-で捕獲」という主催者側のジョ-ク画面に思わず笑ってしまったが,宇沢先生は廃車された車が日本の美しい風景を台無しにしていることを指摘されていた。車に乗らないエコロジスト大学者。講演に呼ばれる度に自動車を使わず会場に現れる精神に敬意を表したい(かくいう小生も40歳までは自転車を主な交通手段としていた)。

 米国の嘘も言い換えの誤魔化しもインタ-ネットのお陰でほとんど全世界に伝わる。昨年からYouTubeで放射能汚染やTPP交渉などいろいろ勉強させて頂いた。文章が短くなって申し訳ないが,改めて感謝申し上げる。 

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