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2014年1月 5日 (日)

エクアドル最高裁判所、対、外国裁定機関: シェブロンがアマゾン破壊に対する95億ドルの裁定の支払いをすべきかどうかについての最終決定権を握るのは誰か

2013年12月11日
Public Citizen

投資家-国家訴訟制度の、三人の民間弁護士で構成される裁決機関は、長年のアメリカとエクアドルの裁判所裁定を無視し、シェブロンを汚染のかどで訴える先住民地域社会の権利を消滅させようとした。

先月、20年と2カ国にわたる法的な戦いの後、エクアドル最高裁判所は、アメリカの巨大石油企業が、エクアドルのアマゾンで、ロードアイランド州の広さの地域を汚染したことに対して責任があるとする対シェブロン裁定を支持した。裁判所は、被災した先住民地域社会が切望していた浄化と医療を可能にするであろう95億ドルを支払うようシェブロンに命じた。

シェブロンは、主権国家の法制度による裁定を出し抜くよう三人の民間弁護士に依頼して、この裁定から免れようとしている。

ボーン・ロウ、オラシオ・グリゲラ・ナオンと、V・V・ビーダー、これが二つの主権国家の法制度下で行われた20年間の対シェブロン訴訟と裁判所裁定を投げ捨てる権限を持った三人だ。対シェブロン、95億ドル裁定の放棄を検討するのだ。エクアドル政府に、自国の憲法に違反して、エクアドル裁判制度における控訴で支持された裁定の実施を阻止するよう命じるのだ。そして、9月の裁定で、エクアドル法によって認められた権利が、実際には存在しないと宣言した。

どの国の法制度の下で、この三人はそのような仰天する権限を得たのだろう?

そのような国など皆無だ。この三人は、あらゆる法制度の枠外に存在する司法管轄外の裁決機関のメンバーとして、またいかなる有権者に対しても責任を負わないものとして、上記の厚顔無恥な全ての裁定を下したのだ。この連中は、エクアドルとアメリカ合州国との間の二国間投資協定(BIT) にある“投資家-国家執行制度”から、連中が主権を打ち負かす権限を導き出しているのだ。

アマゾンの石油

彼等は最近対シェブロン訴訟を起こすエクアドル国民の法的権利の一部は、政府と2001年にシェブロンの子会社になったテキサコ石油会社との間で何年も前に署名された契約によって、うっかり、かつ永久に消滅したと主張して、厚顔さの新たな標準を打ち立てた。

政府による法的責任の権利放棄は、シェブロンを私人が訴える権利も放棄したという裁定で、裁決機関は、まさにこの問題に対する、エクアドル裁判所の裁定と矛盾している。実際の法廷で、この奇抜な主張を話題にしようというシェブロンの企みは失敗したシェブロンは、裁決機関でのこの無効な主張の復活で、裁決機関が、2310億ドルの企業シェブロンの株主ではなく、840億ドル経済の国エクアドルの納税者達に、広大なアマゾンの公害を浄化する為、何十億ドルを支払わせるよう命じる結果に到ることを願っているのだ。

背景: アメリカ国内の裁判で負けた後、シェブロンは支払いを免れる為、外国裁定機関に頼った

26年間、シェブロンの前の企業テキサコは、エクアドルで石油採掘事業を行っていた。エクアドル裁判所は、その期間に同社がエクアドル・アマゾンに、何10億ガロンもの有毒な水を投棄し、何百もの露天の石油汚泥廃棄穴を堀り、6つの先住民集団(そのうちの一つは既に絶滅している)の全員を含む約30,000人のアマゾン住民の地域社会を汚染したことを発見した。

20年間、こうした地域社会は、飲んでも安全な水、河川と彼らの生活がそこに依存している土地の浄化と、公害に関連した病気におかされている多くの人々の医療という、公正の基本概念を実現しようと努力してきた。彼等は、彼らの生活や暮らしや生態系を破壊した同社に、修復の為の支払いを要求した。20年間、アメリカと、エクアドル裁判所制度の両方で、訴訟を却下させることを狙って、シェブロンは、公正な処罰を逃れようとしてきた。同社は、両国の法制度の下で、ことごとくの争点で敗訴した。2011年、シェブロンが、アメリカでの裁判は、エクアドル裁判所に移されるべきだと主張し、エクアドルの法制度は“公正で十分”見なされ、エクアドルの最終的な裁判所裁定に従うと約束した後、エクアドル裁判所は、膨大な汚染に対し、シェブロンに190億ドル支払わせる裁定を出した。2012年、控訴で、この裁定は支持された。先月エクアドル最高裁判所は、対シェブロン裁定を支持したが、裁判中の違法行為と、その行為への謝罪を拒否したことへの、対シェブロンの懲罰的損害賠償金という、下級裁判所の命令を覆した後、罰金を半減した。

二つの国で負けた後、合意の通り支払いをせずに、処罰を逃れようとする努力の中で、シェブロンは、ボーン・ロウ、オラシオ・グリゲラ・ナオンと、V・V・ビーダーによる無国籍の投資家-国家裁決機関に頼った。一体なぜこの様なことが可能になったのだろう?シェブロンは、シェブロンがそこで受けたいと主張したプロセスである、エクアドルの法的プロセスでなされた裁定は、アメリカ-エクアドル二国間投資協定(BIT)に謳われている投資家特権の驚くべき侵害だと主張したのだ。

BITの下、シェブロンは、三人の司法管轄外の裁決機関に、エクアドル政府に何十億ドルにものぼる国内裁判所裁定の執行を差し止める様に命令することを要求した。裁決機関は、この願いを聞き届け、エクアドル政府に、自国の憲法を侵害して、独立した司法制度に介入し、どうにかして裁定を差し止めさせるよう命じたのだ。そのような策略は、エクアドル法に謳われた“三権分立”という法的概念に違反するだろうことは、三人のパネリストにとって、恐らく耳新しいものではなかったろう。(外国の司法管轄外の裁決機関が、オバマ大統領に、アメリカ最高裁判所の裁定を保留するよう命令することを想像すれば、全体像を理解頂けよう。) 正当にも、政府は三人の弁護士でなく、自国憲法に耳を傾けることに決めた。

現在、シェブロンは、エクアドル納税者達に、依然被害を受けているアマゾンを浄化する為、同社が支払うよう要求される可能性のある、何十億円の損害全ての権利と、更に処罰を逃れようとする取り組みの中で、同社が負担した全ての裁判費用を、大企業に引き渡すよう命じるよう、全く同じ司法管轄外の裁決機関に頼み込んでいる。

そのような要求を正当化するため、裁定の執行を阻止しないというエクアドルの決定は、シェブロンが“公正かつ衡平な扱い”を受けることを可能にすべきだというBITの義務に違反していると、同社は主張している。エクアドルにおけるシェブロンの投資が1992年に終わった事実や、BITは1997年までは発効しないことや、BITが、過去の投資を埋め合わせる為に、過去に遡って適用するはずではないことなどどうでも良いのだ。

“公正かつ衡平な扱い”というものが、シェブロンが長年の訴訟を巡って与えられていた、投資家に対する裁判所における適正手続きをすることを意味している事実などどうでもいいのだ。公正かつ衡平な扱いとは、そうした適正手続きの結果生じた、いかなる不都合な裁定結果を無効化する権利を意味しているわけではない

ところが無効化こそ、まさにこの三人による裁決機関が狙っていることだ。しかも投資家-国家制度の下では控訴プロセスは存在しない。“取り消し”を求める“いちかばちか”式のオプション手順しかないのだ。確立された判例制度もない。投資家-国家制度が、この三人の弁護士を臨時の裁決機関とし、自分達の思う通りにするのを認めているのだ。

裁定機関は却下されたシェブロンの主張をよみがえらせ、エクアドル国民の権利消滅という理論を生み出した

もし三人の雇われパネリストが、主権国家の裁判制度が行った裁定を出し抜いけば、それだけで十分にひどいことだ。(つまり、カナダ企業が訴えた過去の訴訟で、実際、投資家-国家裁決機関がアメリカ合州国にした仕打ちや、北米自由貿易協定の下、同様な途方もない投資家特権による二件の医薬品特許に関するカナダ裁判所の裁定に関して、他の裁決機関が現在考えている事。)

しかし、シェブロンの味方をしている司法管轄外の裁決機関は更に踏み込んでいる。裁定機関は、あたかも主権のある国家の裁判所の裁定であって、20年間の裁判など決してなかったかのように振る舞っている。最近の裁定で、裁決機関は、エクアドルの国内裁定、あるいは、二カ国にまたがる、18年間の先行する訴訟について、ほとんど言及していない。シェブロンがこの裁決機関で持ち出している多くの主張は、この大企業がエクアドル裁判所で用いたのと全く同じものだ。却下された主張だ。国内裁判所の論理さえ検討もせず、裁決機関は、あたかも初めてかのように、再度同じ主張をするようシェブロンを招いた。

その中には、1995年に、エクアドル政府とテキサコ(後にシェブロンに買収された)の間で署名された契約が、企業によって引き起こされた損害を巡って訴えるエクアドル国民の集団的権利を消滅させたというシェブロンが繰り返している主張もある。この契約は、同社のアマゾン大規模汚染の一部を浄化するよう誓約させ、引き換えに、政府は過去の汚染を巡って、将来、環境に関する訴訟をしないことに同意した。(契約は、テキサコと政府との提携関係の下で行なわれるテキサコの石油採掘事業“によって生じる環境影響に対する政府とペトロエクアドルに対する、法的、契約上の義務と法的責任”の全てを放棄している。) しかしアマゾンの他部分の汚染に対する、対シェブロン95億ドル訴訟は、政府が起こしたものではない。アマゾン防衛戦線と協力して、汚染の被害にあった何千人もの先住民に代わって、48人の原告が起こしたものだ。

エクアドル法あるいはアメリカ法のもとで、政府が訴訟しないことに同意する契約に署名する場合、あらゆる私人の主張に対する法的責任を、明示的に引き受けていない限りは、他の当事者達がそうする権利を消滅されることはないのだ。エクアドル政府がそういうことをしていないのみならず、1995年の契約に至った覚え書き(MOU)の中で、法的責任の放棄は、私的な主張には適用されないことを政府は明示的に述べている。エクアドル政府は裁決機関に対し、エクアドル政府とテキサコとの契約は、1995年 エクアドルの土地を汚染した企業に対して訴える私人のあらゆる権利を、署名して放棄してはおらず、法的にもそれはありえないと常にはっきり主張している。裁決機関は、一体どのようにして、そうではないと判断したのだろう? 歴史を書き換えることによってだ。

裁決機関は、政府が1995年の契約に署名した当時、後に先住民地域社会によって、95億ドル訴訟で利用されたと、シェブロンが主張している特定の法的“訴因”を持ち出す法的立場を有する政府は唯一の存在だったと主張した。裁決機関によれば、1995年の契約に署名する際に、政府はこの種の法的主張を独占していたのだから その契約で、同社に対し、政府が将来の環境に関して訴訟する権利を放棄したので…シェブロンに対して、訴訟するという全員の資格をも、署名することで、政府はうっかり放棄してしまった。永久に。これは、対シェブロンの95億ドル訴訟に勝訴した先住民集団を含んでいる。更にひどいのは、裁決機関が消滅したと主張する法規定は、何か難解な制定法の下位条項ではなく、まさにその本質からして、全てのエクアドル人に適用され、保護するエクアドル憲法の権利章典で確立された権利だ。

この驚くべき結論に到達すべく、三人のパネリストは、進んで、いくつかの厚かましいステップに取り組まざるを得なかった。

ステップ#1: 95億ドル訴訟の実際の法的根拠を無視。裁決機関が政府契約によって消滅したと丹念に主張した法的要求は、実際には、対シェブロンで勝訴した訴訟で、被害を受けた先住民地域社会を代表して48人の原告が依拠していた中核的法的根拠ではなかった。裁決機関が分析し、シェブロンが主張した、95億ドル訴訟の基盤の法的主張は、エクアドルの1998年憲法で規定されており、後に1999年の環境管理法に“組み入れられた”“健康な環境の中で暮らす”“集団的”あるいは“拡散”権利に基づいている。しかしながら、訴訟での最初の訴えが明らかにしている通り、シェブロンの法的責任と、“集団的に”訴訟を進める彼等の権利に関する原告の主張は、いずれも一世紀以上昔から有効であるエクアドル民法の条項に基づいている。実際、原告が主張したシェブロンの法的責任は“意図的な違法行為あるいは怠慢によって生じた損害を修復する義務”に根ざしている。基本的権利は“共和国建国以来、エクアドル法に存在していた”原告は、国際労働機関ILOの先住民の権利に関する第169号等の他の典拠同様に、それ無しには訴訟が破綻するような必要不可欠な法的根拠としてではなく、文脈的かつ、補足的に彼らの主張を支持し、彼らの訴訟理由の正しさを示すものとして、健康な環境の中で暮らすという憲法上の権利に言及していた。

エクアドル裁判所は、民法が原告の訴訟の十分な法的根拠になっていることに同意している。シェブロンの控訴に対する2012年の裁定は、2011年の裁定を支持し、控訴裁判所はこう述べている。“‘概して、当事者の不注意、あるいは怠慢により、不特定の当事者達を脅す偶発損害において’と規定する民法によって与えられた権利が認められている。テキサコがエクアドルで操業していた時に、この権利は発効していた。エクアドル法によれば、これは[2011年の]裁定に含まれる救済策に基づいて裁定をする法的正当化となる十分な法的根拠だ...”投資家-国家訴訟制度の裁決機関は、訴訟は全く異なる法律に依拠していたという、シェブロンの歴史に反する主張の信憑性について見解を述べることをはっきりと拒否しながら、裁決機関は、虚偽の主張が、あたかも真実であるかのように敏速に話を進めている。

第2ステップ: 国内裁定の否定。シェブロンが誤って主張した通り、たとえエクアドル先住国民が、1999年に成立した環境法の権利に依拠していたとしても、エクアドルの裁判所は、エクアドル国民に所属するいかなる権利も、テキサコと政府間の1995年の契約によって消滅しうるという考えを、既に断定的に却下している。2011年の裁定で、エクアドル裁判所は、はっきりこう述べている。“確かに、この権利は神聖であり…この種の法的取引は、第三者にまで拡張することはできず、神聖な権利には適用されないため申し立てられた被告を擁護す調停に署名していないと思われる原告は、憲法で保障されている通りに、訴訟を起こし、請願する権利を有している。”控訴裁判所もこの主張を支持した。そこで、投資家-国家制度の裁決機関は、あたかも、これらの裁定が決して無かったかのようなふりをして、こうした裁判所が検討し、長年の訴訟の後で却下したまさに、民間企業との政府契約が、どうにかして、契約の当事者ではないエクアドル国民の不可侵の権利を破壊することが可能だという主張を採用している。

ステップ#3: うっかり権利を消滅させたという理論のでっちあげ。エクアドル法は、人々の集団に影響を及ぼす権利侵害、つまり、不特定の個人の集団に対して、全般的な損害を引き起こす違反に対して、集団的に異議を申し立てるエクアドル国民の資格を、長い間認めてきた。先に述べた通り、95億ドル訴訟が依拠した、一世紀もの歴史を持つ民法の主要条項の一つが、“不特定の当事者を脅かす損害…”の場合、“民衆訴訟”を認めている。国際法も、集団、大衆、民衆、代理や、他の形の“集合的”あるいは“集団的”権利を、何十年も認めている。例えば、エクアドルで1969年に批准され、1976年に発効し、それにはほとんど世界全ての国々が署名している、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約にはこうある。“現規約のいかなるものも、天然の富と資源を享受し、全てを自由に利用する、全ての国民の固有の権利を損なうものとして解釈されてはならない。”

しかし、この裁決機関は、集団的権利を主張し、擁護するエクアドル国民の資格を謳う法律の歴史には全く耳を傾けず、その代わりに、これらの権利に関する政府の責任に焦点を絞っている。自分達はエクアドル憲法を解釈する資格があると見なして、ロウ弁護士、グリゲラ・ナオン弁護士、そしてビーダー弁護士は、“明示的に、言葉で、行動するいかなる権利に触れては”いないが、1995年の昔に“集団的”権利を守る政府の義務を憲法は黙示的に謳っていたと判断した

これを基礎に、裁決機関は、政府は“集団的”権利に関する責任を有していたのだから、1995年にテキサコとの契約に署名した際には、必然的にこれらの権利を独占していたという理論をでっちあげた。エクアドルにずっと以前からある民法や、国際法(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約等の)批准を無視することによって、この裁決機関は、エクアドル国民自身は、1995年には、こうした権利を主張したり、自らを守るべく行動したりできなかったと断定した。なぜだめなのだろう? それは、反対の証拠を無視して、この裁決機関が、エクアドル国民は、1999年の環境管理法迄、これらの権利に基づいて行動する資格を得ていなかったと考えた為だ。そして御覧じろ。裁決機関は、1995年の政府とテキサコとの間の契約という肝心な時に、政府はエクアドル国民の“集団的”権利を独占していたという説を発明したのだ。

政府は、契約で、テキサコに対して起こせる全てのあり得る環境に関する申し立てを放棄しており、また政府は(裁決機関によれば) その時点では、その様な“集団的”権利を行使する能力を独占していたのだから、政府は(うかつにも)、政府によるもののみならず、いかなるエクアドル国民による“集団的”権利の申し立てからも、シェブロンを解放したと裁決機関は結論づけた。つまり、この権利の喪失は包括的で、いつの日か侵害された“集団的”権利を申し立てる立場を得る可能性のある誰であれ全員に影響するのだ。そこで、そのような訴訟を起こすエクアドル国民の立場は、数年後に確認された(民法と国際法の下で、国民はそのような立場を終始、保証されていたのだが)にもかかわらず、裁決機関によれば、国民の“拡散的[あるいは集団的] 権利に基づいて[対シェブロンの]環境に関する申し立てをする権利”は、エクアドル憲法の下で“1995年の調停協定によって既に消滅している”。裁決機関はさめた口調でこう結論づけている。“法律上、ある個人が、もはや存在していない権利を行使するのは不可能である…”

国際法によって、それが正式に認められていないという理由から、政府が国民の集団的権利を独占していたという裁決機関の理論は、危険であると同時に、事実無根だ。裁決機関の論理によれば、国民の所与の権利を、まだ法制化していないあらゆる政府は、先制的かつ永久に、将来の世代に対し、その権利を破壊することが可能で、一つの時代の協定が、次世代の人権の発展を押さえつけてしまうのだ。

結論: 三人の弁護士はエクアドル国民に脅威を及ぼし、投資家-国家制度の厚かましさを裏付けている

実際にはそれに依拠していない法的主張をするエクアドル国民の権利を無効にする法的軽業を駆使していることから(つまり、95億ドル訴訟の中核的な法的基礎となっている、はるかに古い民法ではなく、1999年の環境管理法だ)エクアドル国民の対シェブロン訴訟に対する裁決機関の裁定は、一見無害に見える。しかし、そのような違いは、裁決機関の裁定に関する多くのマスコミ報道では失われているように見え、より憂慮すべきは、いつの日か、95億ドルの判決を執行する様おびがかかる可能性がある他の国々の裁判所が、これをよく理解していない可能性があることだ(シェブロンがエクアドルから全ての資産を撤収したことを考えれば)。しかも、裁決機関が、目的を達成する為、そのような創意に富んだ論理を進んで採用する様子からは、まだまだ続く投資家-国家訴訟で、今後起きる可能性について、先が思いやられる。裁決機関は、原告が依存している可能性のある、あらゆる個別の権利を評価するつもりであると述べており、つまり、自分達の健康や自国の破壊に、正義を求めるエクアドル国民は、将来の裁決で、裁決機関によって自分達の権利を更に疑問視されかねないのだ。

この裁決機関の裁定は、自分達の法的権利が、いかなる国内裁判所制度とも無関係な三人の民間弁護士によって無効化されるようなことがあってはならないと考える全ての人々に対する厳しい警告となっている。この三人はこれから、エクアドル先住民に属している権利を、更に消滅させようとするのだろうか? 彼等はシェブロンの願望を聞き入れ、彼等の生態系を汚染したことに対して、エクアドル国民自身に支払いを命じるのだろうか?

その答えが何であれ、この裁決機関の最新の裁定は、一つのことを極めて明らかにしてくれた。投資家-国家制度は、国内裁判所の裁定、憲法、国際法や、良識に対する基本的な感覚には束縛されないのだ。

記事原文のurl:citizen.typepad.com/eyesontrade/2013/12/ecuadors-highest-court-vs-a-foreign-tribunal-who-will-have-the-final-say-on-whether-chevron-will-pay.html
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この国で起きた「新婚邦人夫妻殺傷、全所持品奪う」事件に驚いている。

記事の主題、ISDS条項、日本は宗主国の提灯持ちをして、TPP交渉の中で、これを奉じる数少ない異様な国の一つ。

投資家・国家調停条項による裁決機関の異常な裁定を説明する文章、素人翻訳ゆえ、いい加減で、大変読みにくいが、あしからず。

大本営広報部には優秀な方々が大勢おられるだろうが、こういう翻訳をしても掲載されず、出世の道も塞がれるだろう。いつになっても翻訳を掲載してくれる可能性がなさそうなので、毎回酷い訳ながらご紹介する。
見知らぬ方々を拷問にかける意図は皆無ゆえ、文章のまずさにあきれた方は読み続けず、無視くだされば幸い。

「こういう馬鹿げた制度を推進するなど正気ではない」ことだけはご理解いただけるのではあるまいかと妄想する。

選挙時「こういう無茶な条項は認めない」とも読めるような公約を、ファシスト与党がしていたように記憶しているが。大本営広報部は、与党・官僚の意を汲み、農作物関税にしか触れようとしない。

「今年1年、身を引き締めて日本を沈没する属国にするため全力を尽くしていくと報告した」と発言を理解させていただく。彼の発言は皆反語なので。たとえば積極的平和主義は、積極的侵略主義。

手元に故石川真澄氏の『堕ちてゆく政治』を置いて拝読している。
小選挙区制度のひどさや、定数削減の策謀に触れた記事満載。小選挙区制度を推進した大本営広報部は、全く反省せず、「自民党に対抗できる野党再編」という類の与太記事しか載せない。従米政治家連中がどのような組み合わせになろうと、従米二大政党以外、生まれるはずがないだろう。小学生にもわかりそうな原理が、大人のジャーナリストに全くわからない不思議な国。

ひょっとすると、「従米自民党に対抗できる従米野党再編」とあるのを見落としてしまった可能性が高い。いや、そうに違いない。

『堕ちてゆく政治』は絶版のようだ。いまでも購入可能な石川氏の本に『戦争体験は無力なのか ある政治記者の遺言』がある。

小選挙区制度による歪んだ選挙結果のおかげで、『戦争体験は無力なのだ』ということが証明されつつあり、再び新戦争体験を味わう日が刻々近づいている。

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コメント

 うまくフォローできませんでしたが,ヤスニ自然保護区の問題でしょうか.エクアドル政府がカネの力に負けて,世界に誇れる自然を売り渡した事件だと理解しています.

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» 踏みにじられようとしているエクアドルの最高裁判決 [Dendrodium]
日本から新婚旅行に来ていたご夫婦の災難とか、アマゾンのCEOの軍による緊急搬送(こちら)とか、 今年は年初早々エクアドルとガラパゴス諸島のニュースが続いているが、 昨年末エクアドルではもっと驚くべき事件が起きていた。 マスコミに載らない海外記事エクアドル最高裁判所、対、外国裁定機関: シェブロンがアマゾン破壊に対する95億ドルの裁定の支払いをすべきかどうかについての最終決定権を握る...... [続きを読む]

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