米国によるヒロシマとナガサキへの原爆投下の隠されたストーリー(再掲)
2011年8月9日
デモクラシー・ナウ!
エイミー・グッドマン:
"一発の爆弾が1945年に長崎に投下されて以来、最悪の核災害が、2011年春、巨大な津波の後に福島原子力発電所で起き、日本を襲った。つい先週、現
場の放射能測定値が、これまでの最高に達したと報じられた。放射性物質の広範な放出と、それへの恐れから、日本や世界中の全員が、1945年に日本で起きたことと、(通常は覆い隠されている)現在も続いている核兵器とエネルギーの脅威について熟考することを強いられている。"
これは、Hrioshima in America: A Half Century of Denial(『アメリカの中のヒロシマ:半世紀の否定』)の共著者グレッグ・ミッチェルさんの言葉です。ミッチェルさんが今日のお客様です。彼はまたAtomic
Cover-Up: Two American Soldiers, Hiroshima & Nagasaki, and The
Greatest Movie Never Made(『原爆の隠蔽:二人の米軍兵、ヒロシマ&ナガサキ、制作されなかった偉大な映画』)を書いています。
今日は、約75,000人を殺戮し、およそ75,000人に重傷を負わせたアメリカの長崎原爆攻撃66周年です。アメリカが広島に原子爆弾を投下し、約80,000人を殺戮し、およそ
70,000人を負傷させてから、わずか三日後のことでした。日本の公式推計では、爆撃により、関連する怪我や病気で、その後の年月に命を落とした人々を含め、約300,000人が亡くなりました。別の研究者達は、死亡者数はずっと多いと推測しています。日本への原爆攻撃は、これまでの戦争の中で、核兵器
が使用された唯一の例となっています。
週末の式典で、菅直人首相は、第二次世界大戦時の原爆によって亡くなった人々を悼み、66年前、あれほど多数の日本人を瞬時に殺害した同じ核の力で、電力を安全に得られるかのごとく語っていたいわゆる"安全神話"を、深く反省するとも語りました。
今日は、日本で原発災害が現在進行しているさなか、広島と長崎爆撃と、それから受け継いだものについて検討します。ピューリッツァー賞を獲得した
ジャーナリストのジョージ・ウェラーの物語を通して、まず長崎を検討します。ウェラーは、南部日本に対するアメリカの報道規制に逆らって、長崎に入った最初の記者です。彼はシカゴ・デイリー・ニューズの記者で、漕ぎ舟を雇って、長崎に入ったのです。彼が見た恐怖について、25,000語の記事を書きました。記事を軍の検閲に提出すると、ダグラス・マッカーサー将軍自身が、記事を葬るよう命じ、草稿は決して返却されませんでした。ジョージ・ウェラーは後に政府による検閲の経験を"彼らの勝ちだった"と要約しました。
6年前、ジョージ・ウェラーの息子のアンソニーが、没収された記事の写しを、亡くなった父親の文書の中から発見しました。ジョージ・ウェラーは2002年に亡くなりました。文書は、First into Nagasaki: The Censored Eyewitness Dispatches on Post-Atomic Japan and Its Prisoners of War(『長崎一番乗り: 原爆後の日本と戦争捕虜についての、目撃者による検閲された記事』という本として刊行されました。これは、フアン・ゴンザレスと私が、父親の文書を発見して間もない、ジョージ・ウェラーの息子アンソニー・ウェラーと行ったインタビューの一部です。
アンソニー・ウェラー:
彼が何より驚いたのは、実に驚異的なことが色々あったことです。彼は原爆投下から四週間後に、現場に入ったのです。9月6日の午前半ばに彼は到着しました。明らかに、いくつかのことで、まだあちこちで燻っている都市の物理的な外観や、原爆攻撃そのものの、特定の標的を狙う正確さに、彼は衝撃を受けました。後に彼は、実際、多大な被害は原爆だけでなく、爆撃された時、皆は昼御飯を作っており、多数の木造住宅が燃えだし、火が広がったために起きた火事によってもひき起こされたことを知ります。ある意味、ドレスデンのようなものでした。廃墟の中を歩き回るうちに、彼は素早く、まだ残っていた、あらゆる病院を訪れ始めました。彼はすぐに、一番にアメリカの医療関係者が現場に皆無だったことに衝撃をうけています。四週間後、医師も看護婦も皆無でした。そして、日本人医師達が、既に人体の個別臓器に対する原爆の影響の目録を作っていた正確さと入念さに彼は感銘します。
それから数日間にわたり、日本の医師たち同様に、報道で "X病"と呼ばれているものに彼は驚かされるのです。人々が火傷や焦げで苦しんでいるのを見るのは、おそらく、それほど驚くべきことではないでしょうが、
一見、原爆の被害を全く受けていないかのように見える人々、無事に生き残ったように見える人々が、突然具合が悪くなったと感じて、病院に行き、何もできない医師たちと身内に囲まれ、ベッドに座っているが、彼が翌日再訪すると、彼らが亡くなっていることがわかったり、あるいは、例えば、無傷だったのに、夫に夕食を作りながら、レモンの皮を剥いていて、運悪く指をわずかばかり切ると、血流中の血小板が余りに減少してしまっているので、血がどうしても凝固できないため、血が流れ続けて、失血死した女性であったりするのを見るのは違います。これに似たような症例が延々とあります。日本の医師団全員が、きわめて有能で、戦争が始まるずっと前から、放射能の潜在力について良く知っていて、全く困惑していたので、ある意味、父は、明らかな破壊や、はっきり火傷した被爆者より、それを一層痛ましく感じたのだと思います。彼は実に巧みな表現をしています。彼は書いています。原爆の影響、彼らが"X病"と読んでいたものの影響は、治療不可能なので、治ることはないが、診断未確定なので、治療不可能なのだ。
エイミー・グッドマン:
長崎爆撃の記事が、軍の検閲で阻止されたジョージ・ウェラーの息子、アンソニー・ウェラーさんです。これから、B-29爆撃機を操縦し、原爆を投下したパイロットによる、1945年の長崎原子爆弾攻撃についての説明を検討します。これはアンドリュー・フィリップスが制作したドキュメンター映画「広島カウントダウン」の抜粋です。
レポーター: 空軍歴史部が行った一連のインタビューの一つです。今日は、ポール・W・ティベッツ・ジュニア准将とのインタビューです。
ポール・ティベッツ・ジュニア: あれは確かに軍事標的でした。これには疑問の余地はありません。後で爆弾による損傷が判定できるという意味で、ほとんど教室実験とも言えるものを、提供したくれました。これは良い処女標的でした。我々が原爆を使いたかった目的にとって、標的は理想的でした。
標的として検討されたのは、広島、長崎、新潟、小倉、それから、覚えてはいませんが、もう一つありました。第20空軍は、いかなる場合にも、これらの標的は攻撃しないように言われていたのです。言い換えれば、下地はできていたのです。
ナレーター:
これらの標的に加えて、日本の古都、京都も、原爆計画の全体を支配していた人物、レスリー・グローブス将軍は強く推奨していました。しかし、80歳に近づこうというヘンリー・スティムソン陸軍長官は受け入れようとしませんでした。彼は1920年代に妻と京都を訪れており、この都市の文化的な豊かさを味わっていました。日本人にとって、宗教的に重要性が高い都市であり、京都を破壊すれば、アメリカの戦後の立場を損なうだろうと、スティムソンは感じていました。正体不明の話者:
1945年5月の標的選択は、実際は、米空軍司令部の諜報関係者達によって行われました。彼らに与えられた要求はこうです。軍事標的を擁する都市を選定すること。彼等は望ましい種類の地域を選択した。実際には、この種の兵器が、鉄筋コンクリートに対して、どういう影響を与えるか、鋼鉄に対して、どういう影響を与えるか、建築材料中に入っているあらゆるものに、どういう影響を与えるかを知りたかった為、これは単に軍事任務のみならず、科学的にも極めて重要だったので、彼等は、爆弾が出会うであろう建物の種類にも関心があったのです。それは、それ以前に攻撃を受けたことのないものであることが必要で、20th空軍、他の種類の、いかなる爆弾や兵器によっても、損傷されていない、無傷の処女標的と呼んでいました。チャールズ・スウィーニー: 我々が使う爆弾の種類は知っていた…
ナレーター: チャールズ・スイーニーは、ティベッツとともに観測用飛行機で飛行し、広島爆撃に立ち会った。三日後、彼は乗員を、まずは二発目の爆弾の主要標的である小倉に飛ばせ、それから長崎に向かわせました。その日、小倉は曇りでした。
チャールズ・スウィーニー: 彼は語りながら、一握の土を持ち上げました。彼はいいました。"基本的に、我々が開発しているのは、都市を丸ごと、これに変える一発の爆弾だ。" そして一握の土を空中にほうり投げました。
エイミー・グッドマン:
アンドリュー・フィリップスが制作した「広島カウントダウン」というドキュメンタリー映画からの、1945年8月9日、長崎に原子爆弾を投下したB-29爆撃機に原爆を載せ、飛行した人々の声でした。democracynow.orgから、ドキュメンタリー映画にリンクを貼っておきます。休憩後、『原爆の隠蔽』の著者で、この話を何十年も調査しておられるグレッグ・ミッチェルさんとお話します。チャンネルはそのままで。
[休憩]
エイミー・グッドマン: お客様はグレッグ・ミッチェルさんです。彼はNation.comの"Media Fix"ブログを書いています。沢山の本を著しています。最新刊は、Atomic Cover-Up: Two American Soldiers, Hiroshima & Nagasaki, and The Greatest Movie Never Made(『原爆の隠蔽:二人の米軍兵、ヒロシマ&ナガサキ、制作されなかった偉大な映画』)です。
ようこそ。何十年もこれを調査しておられるのですね。ミッチェルさん、66年前の今日、8月9日の重要さと、現在、原発で被害を受けている日本にとって、どのような意味があるかお話しください。
グレッグ・ミッチェル:
はい。もちろん、福島の原発災害が起こり、広島や長崎の後と同様、放出された放射性物質で汚染されてしまったかも知れないという非常に多くの人々が怖れていることには、特に心が痛みます。核災害の心理的な影響は深刻です。もう一つは、実際、広島と長崎の原爆被爆者の方々が、今年は、特にこれまでしてこられなかった、核兵器と原子力、放射能の恐怖、大惨事の可能性、被災の可能性とを結びつけ、反原発キャンペーンをしておられます。今日は、そのために特別な日です。
もちろん、もう一つの理由は、長年指摘してきましたが、アメリカは、おっしゃった通り、戦争で原爆を二度使用した唯一の国家だからです。アメリカ合州国が依然、先制攻撃政策を維持しているのを知れば、多くの人々はびっくりする可能性があります。これまで、何十年も伝えられたきた教訓は、我々は決して二度と核兵器を使うべきではないというものです。ところが我々は、大半のアメリカ人は、確実に、アメリカの指導者達、アメリカの為政者達、アメリカの全マスコミは、全て1945年当時の、原爆の使用、二度の使用を擁護しています。ですから、言いたいことは、こうした兵器は使用するにはあまりに危険過ぎるのに、我々はかつて使用し、我々はそれを擁護し続け、先制攻撃政策を維持し続けているということです。私にとって、これは広島と長崎の極めて危険な教訓で
す。
エイミー・グッドマン: 滅多に上映されることのない原爆攻撃のカラー・ビデオテープについて、お話しください。
グレッグ・ミッチェル: はい。
エイミー・グッドマン: でも、これは爆撃後、爆撃直後からあるものですね。
グレッグ・ミッチェル:
はい。私の新刊は基本的にそれについて書いています。カラーで、アメリカ軍が撮影したアメリカ映像と、日本のニュース映画撮影班が撮影したもので、白黒の日本映像の両方の隠蔽について書いたものです。実際、この番組の最初の部分では、皆が画面で見ていたほとんど全ての画像は白黒映画でした。現在でさえ、さほど多くの人々がカラー映画をさほど見てはいませんが、それはアメリカが、米軍自身が撮影したそのカラー映画を、何十年も隠蔽していたためなのです。実際に、1980年代までは、その一部たりとも、現れませんでした。断片は映画で使用されてきましたから、我々は、今は、多少は多くの部分を見ています。しかし、核の歴史の中で、原子力発電がすっかり定着し、核兵器競争が何十年も継続しているというこの重要な瞬間に、アメリカ人は、原爆という事実の全貌には、曝されていないのです。
エイミー・グッドマン: 興味深いことに、ロスアラモスで原爆を製造していた科学者達の大半は、必要となれば、ドイツに使われるだろうと思っていたのですか?
グレッグ・ミッチェル: そうです。
エミー・グッドマン: 実際は、このビデオは私的には上映されてきたのですね?
グレッグ・ミッチェル:
はい。ビデオはペンタゴンが撮影し、アメリカの為政者や、軍に、原爆で何ができるかを見せるため、一部は教育映画化されました。私の本の焦点は、映画を撮影した二人の米軍当局者と、数十年後、それが公開されるよう、TVで放映されるよう、それを映画にしようと努力したことです。
エイミー・グッドマン: 二人のお名前は。
グレッグ・ミッチェル: 劇場で上映できるように。ダニエル・マクガヴァンとハーバート・スザンです。二人は、何十年も、それが公開され、広く大衆に見せられるよう取り組んでいたのですが、わずか数年前までは、そうはなりませんでした。
エイミー・グッドマン: 特に大きな問題だとは考えておられなかった、YouTubeビデオの件についてお話しください。あなたのご本の一種宣伝でしたね?
グレッグ・ミッチェル: はい。
エイミー・グッドマン: 要点を具体的にご説明ください。
グレッグ・ミッチェル: ええ。YouTubeで"Atomic Cover-Up"で検索すれば見つかります。わずか二分のビデオです。そこには隠蔽されていた場面がいくつか入っています。それで、YouTubeに載せた後、Googleから通知があって、彼らによれば"暴力を推奨するものを"見せているので、それには広告は一切認められない、と言われたのだと思います。もちろん それは、本当の狙いの、一種の暴力反対、反戦とは180度逆です。もちろん、実に皮肉なのは、それが、隠蔽行為についての本とビデオに対する隠蔽行為だということです。それで多くの人々が抗議しました。数日後には、けりがつきました。
エイミー・グッドマン: 広島と長崎で何が起きたのかについて語られた物語についての話で、ウィルフレッド・バーチェットの話をしたいと思います。広島に入り込んだ最初のジャーナリストでしたね?
グレッグ・ミッチェル: そうです。
エミー・グッドマン:
長崎の三日前、1945年8月6日に爆撃された広島に、オーストラリア人記者は、アメリカ軍の禁止に逆らい、30時間も列車に乗って行きました。南日本全域が立ち入り禁止区域でした。彼は広島行き列車に乗りました。この「広島カウントダウン」というアンドリュー・フィリップスのドキュメンタリー映画からの抜粋では、バーチェットは、目にしたものをこう記録しています。
ウィルフレッド・バーチェット:
私は、市郊外に残った病院に行った。患者たちは全員が、様々な肉体的崩壊状態でした。彼らは皆死ぬのだろうが、病院の人々は患者達が亡くなるまで、できる限り安らぎをあたえるようつとめていました。そして医師は、人々がなぜ死んでゆくのかわからないと説明していました。医療の観点から彼らが特定できる、唯一の症状は急性のビタミン欠乏症でした。それで彼らはビタミン注射を始めたのです。すると、針を刺した場所で、肉が腐り始めるのだと彼は説明していました。そして、次第に血が流れだして、止められなくなり、そして髪の毛が抜けました。そして脱毛は大体最終段階だ。既に抜けてしまった自分の黒髪を後光のようにして横たわっている女性の人数。私はがくぜんとしました。目にしたものに本当にがくぜんとしました。座り込んだところに、コンクリートの塊があったのを覚えています。それは粉砕されていませんでした。愛用の小さなヘルメス社のタイプライターを前に、そこに座りました。今でも覚えている。最初の言葉は、"私はこれを世界に対する警告として書く"でした。
エイミー・グッドマン: "私はこれを世界に対する警告として書く" と、ウィルフレッド・バーチェットは書き、記事は、爆撃の恐ろしさを暴露し、特に、彼は放射能をあらわす言葉を知らなかったのですが、それについて語りました。彼は"原爆疫病"について語ったのです。
ニューヨーク・タイムズの特派員は全く違う記事を書きました。しかし、記者のウイリアム・ローレンスは、タイムズ社のためにだけ働いていたわけではありません。彼はアメリカ陸軍省からも給料を貰っていたのです。ペンタゴンは、当時そう呼ばれていました。ローレンスは、軍の報道発表や、ハリー・トルーマン大統領や、陸軍長官の声明原稿を書き、ニューヨーク・タイムズの記事では、アメリカ政府の言い分を忠実にオウム返しにしていたのです。彼は、1946年に、長崎とアメリカ政府の原子爆弾開発に関する報道で、ピューリッツァー賞を受賞しました。彼の仕事は、いつまでも残る、極めて有害な原爆の影響に関する半世紀の沈黙を起動する上で決定的に重要でした。
2005年、兄で、ジャーナリストのデーヴィッド・グッドマンが、ローレンスと、ニューヨーク・タイムズから、その原子爆弾報道に対するピューリッツァ賞の剥奪を要求する活動に私も加わりました。フアン・ゴンザレスと私が、デーヴィッドと、ウィリアム・ローレンスのごまかしについて、デモクラシー・ナウ!で語っています。
デーヴィッド グッドマン: ウィリアム・ローレンスは、1930年代、実際、ニューヨーク・タイムズが、大恐慌のせいで、記者達を解雇している時期に、リトアニアから、アメリカ合州国に移住しました。彼らはローレンスに、新聞と国家の両方で、最初の科学専門記者となるよう依頼したのです。ローレンスは、原子力と核兵器に魅せられていて、1930年代中と、1940年代初期に彼が書いた記事で、核の熱心な支持者でした。これがおそらくは陸軍省の目を惹いたのでしょう。
1945年春、ニューヨーク市のタイムズ・スクエアにあるニューヨーク・タイムズ本社で、秘密裏に重要な会議が開かれました。アメリカ軍用に原子爆弾を開発していた計画の名前なのですが、マンハッタン計画の責任者であるレズリー・グローヴス准将が、タイムズ・スクエアのニューヨーク・タイムズにでかけ、ニューヨーク・タイムズの発行人で、編集主幹であるアーサー・サルツバーガーと、ウィリアム・ローレンスとこっそり会ったのです。その会議で、彼はローレンスに、本質的に、マンハッタン計画の有給広報係になってはくれまいかと頼んだのです。それで、同時に、ニューヨーク・タイムズの新聞記者として働きながら、本質的には、陸軍省用のプロパガンダ記事を書いていたのです。彼は、公式に、核兵器の便益と核開発について、素人がわかる言葉で書くよう依頼されたのです。他のニューヨーク・タイムズの記者たちは、彼が政府と新聞社の両方から給料を得ていたという、この二重契約の仕組みを知らず、ローレンスが長期休暇をとり始めると、実際に多少不可解に思いました。
彼が忠誠を尽くしたので、政府のローレンスに対する投資は確かに報われました。彼は最後には、スティムソン陸軍長官やトルーマン大統領自身の声明も書くようになりました。彼は長崎に原子爆弾を投下した飛行中隊の飛行機の席を与えられるという報償を受けました。ローレンスの記事の一部を読みましょう。
概して、彼の記事は、現代なら、ジャーナリストは"装飾過剰な文体" と言うでしょうが、核兵器の潜在力と威力についての、こうした救世主的テーマに染まっていることが多いのです。長崎爆撃についての彼の記述はこうです。この爆撃は、約70,000人から、100,000人の命を奪ったと考えられています。ローレンスが詳しく語っているのを引用します。彼はここで原子爆弾のことを話しているのです。"そのすぐ近くにいて、それがやがて、どのような彫刻家でも、それを作りあげたことを誇りに思えるほどの、この上なく見事な姿の生物に形作られてゆくのを見ていると、超自然現象を目の当たりにしているように感じる。"
ローレンスは、原爆開発について、10本の記事を書き続けました。これと長崎爆撃に関する報道によって、1946年に、彼は報道でピューリッツァ賞を得たのです。ジャーナリズム倫理の、あらゆる、もっとも基本的な規範との、明らかな甚だしい利害関係の衝突に、彼は全く恥知らずで、無反省のように見えます。ローレンスは後に回想録の中で、陸軍省の有給広報係としての経験について書いています。彼が書いているのを引用します。"私の仕事は名誉な、世界中に配布する陸軍省の公式報道発表を準備するという、ジャーナリズムの歴史でも独特なものだ。これ以上の栄誉は、どんな新聞記者も、いや、はっきり言えば、誰も得られまい。"
エミー・グッドマン:
デーヴィッド、この報道の効果は、教訓的だと思います。つまり、一方では、現場にウィルフレッド・バーチェットのような人物がいて、表現するための言葉さえなかったことについて、書いています。彼は "原爆病" について語り、"原爆疫病"について語っています。そして、1945年9月12日のローレンスの一面記事、"米国による原爆の投下現場は、東京の話が偽りであることを示す。ニュー・メキシコ射爆場での実験で、放射能ではなく、爆発こそが損害を与えていたことを確認"が出たわけです。 これは、ウィリアム・ローレンスは、広島には行きませんでしたが、陸軍省や、グローヴズが、日本の影響プロパガンダと呼んでいたもの、つまり放射能は極めて有害な影響があるという説に、反撃するため、マンハッタン計画担当で、原爆開発の責任を負っていたレズリー・グローヴス少将がローレンスや他の記者をニュー・メキシコに連れて行った後のことです。デーヴィッド・グッドマン:
でも、実際、ローレンスは良く分かっていたのです。ニュー・メキシコ砂漠における原子爆弾の初めての爆発である、トリニティー実験を見学していたので、爆撃された地域の周辺には、実際の爆撃そのものの後ずっと後まで、ガイガー・カウンターが打ち込まれていることを彼は知っていたのです。エミーが言っているとおり、実際、そのために、ローレンスがグローヴス少将に連れて行かれた時の、この原爆との遭遇のくだりにある脚注は興味深い...
エイミー・グッドマン:
デーヴィッド・グッドマンが、ウィリアム・ローレンスについて説明しているクリップは、これでおわりにします。ミッチェルさん、報道でピューリッツァ賞を獲得した、独特な従軍記者、ウィリアム・ローレンスは、スティムソンの報道発表や声明を書いて、陸軍省からも給料を得ていましたね。
グレッグ・ミッチェル:
そう、そうなんです。そう、彼はシンボルだったと思いますが、実際、これは何十年も隠蔽されていたのです。私の本は、極めて重要なフィルム映像について書いてありますが、もちろん、マスコミでも政府の公式発表でも、基本的に彼等の広島物語が語られていたのです。軍拡競争があったので、この物語を、早い時期に確立し、維持されることが重要でした。アメリカは水素爆弾を開発したがっており、数年後に開発しました。ですから、アメリカで、核兵器と原子力の両方を開発するには、この広島物語が広がることが重要でした。そして実際、核時代の最初の言葉として、トルーマンが、軍事基地にすぎない広島を爆撃したと言ったのは嘘です。それで、66年間も、この種の虚偽の申し立てと誤解を与える主張が続いているのです。
エイミー・グッドマン:"原子力"と"核兵器"と"情報隠蔽"という言葉は、今日まで徹底的に貫かれていると。
グレッグ・ミッチェル: そうです。
エイミー・グッドマン: 日本人は、ここ数日、原子炉がメルトダウンして以来、放射能レベルが最高だ、という政府発表に直面しているというところで、今日の話は終わります。
グレッグ・ミッチェル:
そう、そうです。確かに、日本では、それは現在も継続しているのです。もしアメリカで原発事故が起きれば、アメリカでも、そうなるのではと人々は懸念しています。核兵器、あるいは原子力発電に関するもの全てが、情報隠蔽を、そして、大衆にとって、危機をもたらす様に思えます。
エイミー・グッドマン:
グレッグ・ミッチェルさんでした。彼の新刊は、Atomic Cover-Up: Two American Soldiers, Hiroshima
& Nagasaki, and The Greatest Movie Never Made(『原爆の隠蔽:二人の米軍兵、ヒロシマ&ナガサキ、制作されなかった偉大な映画』)です。彼はNation.comの寄稿者で、1980年代には、Nuclear Timesの編集者で、広島と長崎の原爆攻撃について書いておられます。こちらはデモクラシー・ナウ!です、democracynow.org、War and Peace Reportです。彼の記事をdemocracynow.orgにリンクしておきます。
記事原文のurl:www.democracynow.org/2011/8/9/atomic_cover_up_the_hidden_story
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デモクラシー・ナウ!に、日本語字幕版ビデオがある。下記リンクでご覧いただける。米国が隠したヒロシマとナガサキ
また8月6日、8月9日が巡ってくる。今晩のNHKローズ・アップ現代。世界をかける“はだしのゲン”。下記は翻訳ではない自前記事。マンガや映画をご紹介するもの。
今年はオリバー・ストーンもこの時期にあわせ訪日。関連記事に下記がある。
「シリーズ オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」の脚本を一緒に書いた歴史学者ピーター・カズニック氏が学生をつれて研修に来日すのと一緒と聞く。4日から15日まで。
各地での講演予定詳細はPeace Philosophy Centreの下記ページにある。
今夏8月、『もう一つのアメリカ史』のオリバー・ストーン監督、ピーター・カズニック教授が来日-広島、長崎、東京、沖縄で公開イベント開催!
シリーズの第1回 第二次世界大戦の惨禍 で、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下が扱われている。ピーター・カズニック氏による著作には下記もある。
広島・長崎への原爆投下再考 日米の視点 法律文化社刊 2,940円
木村 朗(著), ピーター・カズニック(著), 乗松 聡子(訳)
ブログ、以前の記事は見つけにくくなるようで、新記事と比較して閲覧数が減る傾向がある。とはいえ、こうした貴重な記事が埋もれてしまうのは惜しい。そこで再掲載させていただくことにする。
福島原発事故は収束どころではない。極めて汚染された地下水と海がつながっていることまで判明した。事故は今も大規模進行中。政府や大本営広報部発表とはうらはらに。
ヒロシマ・ナガサキの放射能と比較にならない膨大な量の放射性物質を含む原発、使用済み燃料プールはそのまま存在している。国内では再稼働・拡張を狙い、わざわざ外国にまで輸出する不思議な国家・国民。そうした方々の深層心理は不可解で、内田樹の研究室2010年04月08日『従者の復讐』以外の解釈、思い付かない。一部引用させて頂く。
阿諛によって「王を没落に導くこと」が従者に零落したものに許された、おそらくもっとも効果的な復讐なのである。
私は日本人は戦後65年かけて「従者の復讐」を試みているのだと思っている。
原爆や原発の話題、他にも記事を翻訳してある。ご一読いただければ有り難い。あるいは検索のお役に立てるかもと、時系列の目次を置いてある。とはいえ、860ほどの記事のリストゆえ、探すのは容易ではないことをお断りしておく。
上記の追加コメント以外、翻訳と下記文章は2011年8月23日に掲載した同じ題名の記事とほぼ変わらない。原爆の隠蔽:米国によるヒロシマとナガサキへの原爆投下の隠されたストーリー
記事・書籍の題名、デモクラシー・ナウ!の解説にあるものをそのまま使用させて頂いた。
毎回書いているので、鬱陶しいと思われようが、良い番組の良い翻訳をご希望の方は、デモクラシー・ナウ!の会員になって頂くなり、ニュースレターをご講読頂くなりお願いしたい。
一般に、「良いものは、ただではない。」
『暗いニュースリンク』に04/09/22付の下記記事がある。
隠蔽されたヒロシマ:いかにして陸軍省のタイムズ記者はピューリッツア賞を勝ち取ったか」byエイミー・グッドマン
当時のニューヨーク・タイムズのプロパガンダ記事対バーチェット記事に触れた記事の翻訳に下記がある。
日本のマスコミ・ジャーナリストの大半は、ウェラーや、バーチェットではなく、当時のニューヨーク・タイムズ、ローレンス的な報道に熱心でおられる。
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