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2013年6月20日 (木)

ザ・ウォーター・ウォー(水戦争)と複雑なことに取り組む必要性

2010年トロント国際映画祭 -第三部

David Walsh

2010年10月1日

ザ・ウォーター・ウォー

イシアル・ボジャイン監督(スペイン)と脚本家ポール・ラヴァーティ(イギリス)による、『ザ・ウォーター・ウォー』(英語題名イーブン・ザ・レイン=雨さえも(スペイン語はタンビェン・ラ・ジュヴィア)は、ロント映画祭で上映された最もまじめで複雑な映画の一本だ。映画は、芸術的、人間的な責任とともに、歴史や現代社会生活についての重要な疑問に取り組んでいる。

映画の場面は、2000年の水道民営化反対闘争、いわゆる“水戦争”時のボリビア、コチャバンバだ。スペインの映画クルーが、クリストファー・コロンブスと彼の“新世界”の先住民との出会いについての映画を制作すべく現地に到着する。

ザ・ウォーター・ウォー

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効果的な冒頭のシーンから話は展開する。若き監督セバスティアン (ガエル・ガルシア・ベルナル)の命を受けて、プロダクションは気軽に“エキストラ募集”広告をし、何百人もの現地住民が行列し、場合によっては何時間も待ち続ける。映画制作者達が必要な人々を選び出し、残りの群衆を解散させようとすると問題が勃発する。一人の“首謀者”はとりわけ強く主張する。“我々と会うべきだ!”監督は折れて、百戦錬磨のプロデューサー、コスタ(ルイス・トサール)の懸念にもかかわらず、最終的にそのトラブルメーカーのダニエル(ファン・カルロス・アドゥヴィリ)を先住民による対コロンブス抵抗の指導者として起用する。

歴史的な視点からすれば、当地の先住民は“正確な人々”ではないにもかかわらず、経済的理由で、南米の最貧国ボリビアを撮影の場として選んだのだ。この国ではエキストラの給料はわずか一日2ドルで、アメリカにいる映画スポンサーの一人にコスタは電話でそれを自慢する。

セバスティアンの計画は野心的だ。彼は映画の中で、スペイン人による原住民の扱い方に震え上がったドミニコ会修道士バルトロメ・デ・ラス・カサス(カルロス・サントス)と、1511年に、そうした行為を初めてあからさまに非難したドミニコ会修道士のアントニオ・デ・モンテシーノス(ラウル・アレヴァロ)に焦点を当てる。モンテシーノスは、ヒスパニオラ島(現在のドミニカ共和国とハイチ)で行なった説教の中で、この島のスペイン人は“現地の無辜の人々に対する、連中の残虐さと専制ゆえに、全員が道徳的な罪をおかしており、その罪の中で生き、死ぬ”と宣言したのだ。

入れ子になっている制作の中の制作には、ジャングルの奥深くでの先住民反乱者のはりつけを含む、対決や残虐さという面倒な場面の撮影がある。

コロンブス映画の撮影には困難な問題が生じ、いくつかの場面は撮影が不可能なことがわかる。とは言え、クルーにとって、より気がかりなのは、現地の人々が水道民営化と、300パーセントの値上げに反対して、地域で社会的抗議運動が勃発したことだ。“連中はあらゆるものを盗んで、売る…雨さえも(英語で、イーブン・ザ・レイン)。” ダニエルは抗議行動の指導者になる。映画制作者達は、警官隊との戦いもある抗議行動には、撮影が完了するまでは関わらないようにと、彼に懇願し、言うことを聞かせようとする。彼はどうやり同意したように見えたが、関与していた為、逮捕されるに至る。彼を釈放させようとして、セバスティアンとコスタは警察と交渉する。

地域の状況、大衆による市街封鎖や警察-軍隊の暴力は、コチャバンバでの激しい市街戦に至り、映画撮影続行はほとんど不可能になる。支援者達は逃げ出し始める。大半の俳優も辞めたがる。セバスティアンは、抗議運動は現れては消えるが、彼の映画は、歴史を暴露することによって永遠に残るのだと主張して、続けようと懇願する。コロンブス役(カラ・エレハルデ)の中年俳優は飲んだくれで、監督と彼の傲慢さを常に批判しているが、頑張り抜こうとする僅かな人々の一人だ。皮肉なコスタは、ダニエルの妻に、警官隊の攻撃で負傷した娘を助けて欲しいと乞われ、困難な決断を強いられる。

イシアル・ボジャイン

映画は非常に良くできている。困難な条件の下で働きながら、監督、俳優とクルーは、わずか5週間の撮影で、素晴らしいものを作り上げた。特に、トサール、ベルナール、エレハルデとアドゥヴィリは素晴らしい。ドラマや社会状況のいかなる要素も無視されている感じがしないよう仕上げたイシアル・ボジャインは立派だ。

先住民の人々が、自分達の歴史的苦難を明るみに出そうとする取り組みとして、大企業の攻撃に対する大衆闘争の場面は感動的だ。

ラヴァーティとボジャインは、説法したり、安易な結論を出したりせずに、貧しい国で撮影する矛盾や、住民を搾取する危うさを指摘する。重要な事実、不朽の真実を語ろうとして、無視できるし、恐らくは無視すべき、短期的な細かい点や、義務があるのではなかろうかと、セバスティアンは主張する。人は一体どこで一線を越えるのだろう? 架空の映画制作者達が、市庁舎で、抗議行動参加者を支持し、コチャバンバの貧民達の状態に反対して、穏やかに主張をすると、市長は、エキストラ達に、一日2ドルしか支払っていないではないか、いずれもが、同様の“厳しい予算”で仕事をしているのだ、と指摘する。

セバスティアンやコスタが、植民地状態や、経済先進国と後進国の間の現在の関係を発明したわけではないのに、こうした条件は、彼等が映画を制作する妨げになるのだろうか? コチャバンバで彼等が直面したような状況の中を進む為には、実際、極めて高いレベルの歴史的知識や政治的感性が必要なのではあるまいか?

ポール・ラヴァーティ

“複雑さ”という言葉が、9月13日のトロントでの脚本家ポール・ラヴァーティとの対談で頻繁に使われたが、それも当然かもしれない。『ザ・ウォーター・ウォー』には、歴史的なもののいくつかを含め、比較的月並みな問題もあるが、クルーと、社会的危機に対する彼等の複雑な反応の扱い方は、特に具体的で、人を引き付けて離さない。一例をあげれば、決定的な社会的、心理的条件の下で起きる、登場人物(プロデューサーのコスタ)のより豊かな人間性を示す方向への変容は、納得できる形で実現されている。

ラヴァーティは、著名な左派のアメリカ人学者ノーム・チョムスキーやハワード・ジン(映画は彼に捧げられている)との接触を通して、この映画が生まれたと説明している。“彼等は[ジンの]民衆のアメリカ史”から発想を得た物語を書いてくれる作家を捜していました。ラヴァーティはこう説明する。“ハワードは、コロンブス到来に実に夢中で、それがまた私にも大いに興味があって、事が始まったというわけです。”

ラヴァーティの最初の脚本の舞台は、ひたすら15世紀と16世紀で“バルトロメオ・デ・ラス・カサスを主人公とする。しかし、遥か昔の歴史を映画にすると、余りにかけ離れていて、活気がないものに思えることが良くあります。言葉も間違って理解してしまいます。説得力の無い詳細が余りに多かったのです”最終的に、ラヴァーティは全編を書き直し、“コロンブスについての映画を撮影しようとしている人々の映画を作ることが、それを実現できる一つの方法だと思ったのです。”

彼はこう続ける。“しかし、単に映画についての映画を作るというアイデアでけではワクワクしません。[2000年の]コチャバンバでの‘水戦争’にも興味をそそられていました。500年前に起きたあの大規模な搾取、あの凶暴さを取り込んで、現代の意識を通して語り、全て、会社法や、国際条約や、強力な国家や貿易圏の名の下で行なわれている、現代の遥かに洗練された搾取、資源窃盗と私が考えているものと混ぜあわせることが出来るのではないかと思ったのです。”

ラヴァーティは、映画チームの仕事ぶりを存分に讃えている。“実に実に厳しい仕事でした。監督とプロデューサーを大いに尊敬しています。… 時代物を撮影しに、ボリビアにでかけるのはとてつもなくお金がかかります。そこを彼等は現地に赴き、やっとのことで、なし遂げたのです。

“悪魔は常に細部に宿ります。裸になっても、とんでもないと感じない覚悟がある先住民グループを探し出す必要がありました。人々の信頼を得なければなりませんから、延々と交渉し、かなりの時間が必要でした。彼等は最終的には、彼女[ボジャイン]を信用、信頼するようになりました。それに、コチャバンバで2000年の経験を進んで思い出そうとしてくれる人々を見つけ出すのも大変でした。彼等は異国情緒のエキストラ風に演じたのではなく、実際に自らの運命を自ら掌握した本物の人々になったのです。

“色々困難なことがありました。ジャングルの中で撮影しとげたのです。そこは麻薬や他の様々な問題がある地域でした。ある時など、出演者達が銃を突きつけられました。ひたすらコツコツとやり続け、33日で済ませました。ハリウッドなら、映画を作るのに六カ月かかったでしょう。… ボリビア人クルーは立派でした! 彼等にはほとんど経験がありませんでした。先住民による映画もテレビもほとんど皆無です。クルーは一生懸命働いてくれました。これについて触れて頂けたら幸いです。皆非常に謙虚でした。彼等はこの話題は重要だと言ってくれました。彼等は死に物狂いで働いてくれました。あらゆるものがまとまって、10年間の努力の後で制作されるのは素晴らしいことです。たとえ観客からトマトを投げつけられようとも、私は大いな満足感を味わっています。”

そういうことが起こるとは私には思えない。ラヴァーティに、映画の中では興味をかきたてる多くの問題が扱われているが、最も興味深い要素の一つは、プロデューサー、コスタの成長だろうと言ってみた。私はこう言った。“彼の内的変革は説得力があるように思えました。映画は、人々は社会生活に影響されること、変化した状況が、現在、皮肉で、思いやりのない人だと見なしている人々に、めざましい芸術的、道徳的特質をもたらすなど、一体誰が分かるだろう?ということを思い起こさせます。”

しばらく考えた後、ラヴァーティはこう答えた。“私は元々楽天的なのだと思いますが、その楽観主義は、我々が目にしている酷い残虐行為によって鍛えられたのです。現時点でも、批評は重大な危機にあると私は思います。実際に社会や政治上の難しい物事を扱う映画は、すべからく非難されます。冷笑的で、距離をおく事だけが格好良いのです。人間には、何が起きているのか理解しさえすれば、感動し、共感する大きな能力があるのだと思います。確実にそれが私の経験です。

“映画中の映画プロデューサー、コスタは、最初「昨日何が起きたかなどには全く興味はない、まして500年前のことなど」と語っていました。次第に、いつの間にか、他の人々の暮らしの中味を見て、感じ、相手をじっと見つめ、個人名を知り、家族と会うようになれば、関心を持ち始めるのが、人間らしいことだろうと私は思います。他人の生活を想像する能力が人間にはあるので、それが私達が色々な話に興味を持つ理由だと思います。

“コスタは、このように物事に関与するつもりはありませんでしたが、極めて個人的な形で心を打たれたのです。彼は革命家になるわけではなく、それとは程遠いわけですが、彼はそうした人々が何をしようとしているのかを理解し、それを尊敬し、立ち去るわけにゆかなくなるのです。他の人々なら立ち去ったかも知れませんが、この人物にはできなかったのです。”

彼がしているような、社会問題や政治的な疑問について書くのは複雑な仕事だと、ラヴァーティに私は指摘した。芸術には、自発性や、驚きや、自分が知らないことも必要だ。たとえ社会問題の場合でも、“明白なことをただ書いて済ませるわけには行きません。より解決が難しい、面倒な、十分に理解できないようなものごとを検討するのです。”

“人々と暮らしは矛盾に満ちています”と彼は答えた。“それで、人はそうしたものに手をつけるのだと思います。質疑応答の時に、私はいつも聞かれます、何故キューバついて書かないのですか? 何故アフガニスタンについて書かないのですか? 脚本は注文に応じて書くわけには行かないのです。政治論文ではありませんから。話の中に、ある種の人間的な状況を見いだせなければなりません。最善の物語というのは、まず興味深い前提があって、状況の複雑さから、あらゆる複雑さや矛盾が展開するというものです。映画は決して簡単な答えを与えるためのものではありません。

“我々は[ケン・ローチとラヴァーティ]『この自由な世界で』原題It’s A Free World [2007]という映画を制作しました。‘アングロ-サクソンの経済的奇跡’を覗いてみたかったのです。今ではお笑い種ですが、当時は全員がこれこそ見習うべき手本だと言っていたのです。私は石を選んで、その下に入り込みたかったのです。そこで私は、鉄道や、交差点や、短期契約の労働者達と話してみました。アンジー[移民労働者向け短期契約人材派遣会社経営者]と出会うまで、物語の書き方を思いつけなませんでした。彼女のあらゆる矛盾が、私の頭の中で突然広がりました。そこで、物語を移民の視点からではなく、彼等を搾取する側からの視点で描きました。映画はずっと複雑で、ずっと面白いものになりました。

“モノクロは面白くありません。陰や複雑さに気がついて、そうしたあらゆるレベルで物語を見つけ出せれば、非常に面白くなります。そうでなければ、脚本の上で、死んでしまいます。もし作家としての私にとって、脚本上、生き生きしていなければ、観客にとっても、つまらないものになるでしょう。ですから、多少のひらめきが必要なのです。”

彼とともに15年間映画をつくり続けてきたケン・ローチ監督について話し合った。“ケン・ローチは大いに尊敬されている人物です”私は言った。“私は彼の作品に対して無批判なわけではなく、称賛すべき映画もあり、大いに批判すべき作品もありますが、真面目な映画監督としては彼の名前を思います。実に困難な時代に、労働者階級の社会生活や真実について、彼は社会的にかかわり続けています。これは簡単なことではありません。”

ラヴァーティはこう語った。“ケンは労働者を美化せず、ケンの映画の中では、時に彼等は粗野で、がさつな人物としか描かれますが、賢く、明敏で、現実を良く理解している人々もいるのです。それが私の人生経験です。人は自分の生活の中でこそ、矛盾を良く理解できるのです。そうする覚悟がある映画監督はごく僅かです。ステレオタイプは退屈で、真実性に欠けます。

“ケンは非常に敬われています。2010年に、ベルリンでヨーロッパ映画アカデミーが彼に賞を与えました。素晴らしいことです。こうしたものはえてしてショービジネス風イベントになりがちですが、これは長きにわたって続く本物の敬意、喝采です。彼は正真正銘奥ゆかしい人です。多くの監督の場合、自分のプロジェクトの為に断固戦わざるを得ない人々にとって、奥ゆかしさは、最重要項目というわけには行きません。”

商業映画の概して悲惨なレベルを含め、現代の映画制作のいくつかの問題についても話し合った。彼はこう述べた。“現在、余りに多くの映画が馬鹿げていて、耐えられません。映画空間を民主化する必要があります。我々の前作『エリックを探して』Looking for Ericを、スペインで公開した際には、二本のハリウッド映画が上映されていましたが、それぞれ、600本のコピー。つまり合計1,200コピーで、スペイン映画館の50パーセント分です。我々にはもっと選択肢が必要です。もっと場所が必要です。あらゆるものが、この超巨大勢力によって破壊されているのです。”

この文章は、最近のトロント映画祭(9月9-19日)向け記事の第三部である。第一部は、9月23日、第二部は、9月28日に公開。

記事原文のurl:www.wsws.org/en/articles/2010/10/tff3-o01.html

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「2010年10月1日」という三年前の記事、日本公開、2013年2月17日の映画の話題を翻訳したのは他でもない、麻生副首相の水民営化発言。

TPP加盟に向け、徹底的永久属国化のためのあらゆる手練手管が実施されつつあるが、水道民営化もその一環。コチャバンバから周回遅れで、日本全国まんまと宗主国なり、属国なりの大企業支配下に落ちる。独立への道を歩みつつある中南米の一部の国々とは違って永久的に。

忍耐強い皆様は、300%あがろうと1000%あがろうと、自民党、公明党、みんなの党や、維新を支持してじっと耐えるだろう。

TPPは、韓米FTAを見れば、先行きの想像はつく。それより、もっとひどくなるはずだ。日本の高級和牛、TPPによる影響はほとんど受けない、などと、売国官庁は宣伝しているが、韓国の例から考えて、到底信じられない。アメリカでのBSE発生により、輸入量自体は、激増していないにせよ、牛の価格は劇的に低下したという。乳牛の屠殺を頼んだら、運賃と屠殺料まで要求されたという話もある。

BSEが発生し、韓国からアメリカに調査にでかけても、農家は個人財産ゆえ、検査の為の立ち入りは認められず、すごすごと帰って来たのが実態。韓米FTAがある以上、黙って頂くしかない。維新は農協解体を叫んでいる。TPP推進を言うのだから、大変に整合していて、正直でよろしい方針だ。

『八重の桜』やら『坂の上の雲』やら『龍馬伝』等の一見明るい話ではなく、不平等条約の改訂に苦労した人々の話やら、明治政府・古河による大規模公害と戦った先駆者田中正造や、属国日本の独立を目指した人々の苦闘を描く番組こそ必要だろうに。

「東大の秋入学見送りで、グローバリゼーションにはずみがつかない」ようなコメントを大本営テレビ局で見た。新聞でも大きな見出し。グローバリゼーション、国際化というのは、アメリカ化の婉曲表現。宗主国がそれほど素晴らしいだろうか?という疑問をはさむ余地を認めない不思議。宗主国の主流経済学・政治学、植民地政策推進の道具でしかないだろう。属国民が植民地政策推進の道具を学ぶのは、悪代官になるためだろう。市場と権力。

「安愚楽」詐欺事件、いまさら大きく報道されるのは、選挙を前にした時期を狙った民主党たたき宣伝。マスコミは体制護持の大本営広報部であることが、良くわかる。

「自民党や公明党や、みんなのスキャンダルを大々的に報じてくれたら」などという、ありえない夢は抱かない。1%ではないので、毎回ながら都民、国民であることが悲しい。

「国民であることが悲しい」と酒をのみながら某高級官僚に言ったところ、「日本から出て行け」と言われたことは再三書いた。某高級官僚氏は優雅に暮らしておられる。

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