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2013年2月15日 (金)

マイケル・ムーアによる「ゼロ・ダーク・サーティー」擁護に応えて

wsws.org

David Walsh

2013年1月30日

監督のマイケル・ムーアは、1月25日、ハフィントン・ポストのウェブ・サイトに掲載されたコメントで、キャスリーン・ビグローの「ゼロ・ダーク・サーティー」への力強い支持を表明した。ビグローの耐えがたいCIA翼賛映画は、ハリウッド映画コミュニティーそのものを含め、批判と憤激を引き起こした。

ビグローの映画は、決意の堅いCIA工作員マヤ(ジェシカ・チャスティン)が取り組んだ、ほぼ10年間にわたるオサマ・ビン・ラディン追跡を追っている。彼女は、2001年9月11日の攻撃と何らかの関係を疑われている被拘留者達が尋問されている、この機関の様々な施設を巡り、拷問を見守り、時に加わる。

様々な時点で、機関のお偉方達からはねつけられ、孤独に、長時間働き、同僚工作員の死に心を痛める、マヤはpersists in事件捜査を、彼女の取り組みは、2011年5月、彼の邸宅米軍に対する米軍-CIA急襲でのビン・ラディン暗殺という実を結ぶ。「ゼロ・ダーク・サーティー」は、いずれもが、有望な映画を、彼らの取り組みを宣伝し、自慢する有効な手段として、あきらかに見なしていた、ペンタゴン、CIAとホワイト・ハウス幹部による前例のない協力を得て制作された。調査の一環として、脚本家マーク・ボールは、以前イラク従軍記者の経験があり、無人機による暗殺計画のトップで、現在バラク・オバマによるCIA長官指名を受けているジョン・ブレナンと会っている。

ビグロー-ボールの仕事は、最も非難されるべきで、悪質とさえ言える類の“従軍映画制作”だ。二人は、アメリカ当局が行ったあらゆる犯罪を擁護する方法を考え出す類の人間だ。「ゼロ・ダーク・サーティー」は、ブッシュ-チェイニー政権が設定した“対テロ戦争”の枠組を丸ごと受け入れ、オバマによる若干の些細な改変を盛り込んで、擁護している。9/11に前史は無く、一夜にして“全てを変えた”ので、それ以降に行使されたあらゆる手段は、たとえ“時に道徳上の一線を越えてい”ても、(ビグロー自身の言葉によれば)、アメリカ国民をテロ攻撃から守る為の誠実な取り組みである、というアメリカ政府の軍-諜報機関とマスコミによる言い分を、額面通りに受け取っているのだ。

だがこうしたものは、ムーアが自身が知り尽くしている通り、あるいはかっては知っていた通り、皆嘘なのだ。彼の映画、例えば、「華氏9/11」 (2004)で、監督は、愛国者法が施行された日のトレント・ロットの“過去10年間我々がやりたがっていたことを、今ならできるかも知れない。”という発言に注目していた。映画のナレーター、ムーアは言葉をはさむ。“独裁制なら、遥かにずっと容易だったろう。疑問の余地はない。つまり連中はこうしたものを皆どこかに用意していたのだ。連中がやりたがっている物事についてのアイデアを。そして9/11が起きてくれた … 連中は言ったのだ。‘好機だ。いけいけ。’”映画の後の方で彼は語る。“これは本当に我々の安全に関するものなのだろうか? それとも何か他の事が起きているのだろうか?”

既にボウリング・フォー・コロンバイン(2002)の中でムーアは、2001年9月11日の後、アメリカ人は“恐怖状態にとらわれていた”そして“多数の人々が、おかげで大儲けをし、大いに出世したことに注目している。だから、既得権益が、我々を怯えさせておく様々な活動が存在するのだ。 … 大衆を脅かしておくことによる、あらゆる恩恵の中で最大のものは、大企業や政界の幹部連中が、ほとんど何事についても、何でもやりおおせられることだ。”

9/11犠牲者達の必死の声で始まり、暗にそれに続く、何十万人ものアメリカ軍兵士や工作員による中東と中央アジア侵略が、その犯罪に対する、適切な対応だとして扱う映画と、今やムーアは団結したのだ。ゼロ・ダーク・サーティー中のある時点で、CIA幹部が集めた部下に向かって大声で言う。“彼等は我々を攻撃した! やつらは3000人の我が国民を殺害したのだ!”

ビン・ラディンと彼の同類は、完全な反動的分子であり、9/11攻撃は凶悪犯罪だ。ところが、あの地域におけるアメリカの存在は、あの出来事の翌日から始まったわけではない。何十年間に及ぶアメリカの中東とアフガニスタン介入、エネルギー資源の掠奪、アメリカや他の多国籍企業による、地域のあらゆる残酷な独裁政権へのワシントンの支持、過去20年間の無数のイラク人殺害、パレスチナ人弾圧をするイスラエル人との共謀、アラブ人に対する果てしない暴力と辱めを、ビグローとボールは割愛することを選んでいる。恥ずべきことに、ムーアは今やこれも割愛している。

ムーアは、ハフィントン・ポストのコラムの中で、ビン・ラディンのCIAとの過去の繋がりに触れ、サウジのイスラム教原理主義者を“気の触れた宗教的狂信者で、億万長者で、80年代に、アメリカが訓練し、武装させ、資金をあたえた、アフガニスタンでの反ソ連聖戦戦士の一部だった若造”と書いているが、それも現在の政策と対照して、ブッシュ政権の政策をけなそうとする取り組みの一環に過ぎない。ムーアは書いている。ビン・ラディンは“天の恵みで、世界中のディック・チェニーやン・ラムズフェルドの様な連中にとって、極めて便利な道具だった。”

忌まわしい殺害が最大の効果をもたらすよう演出した!この“お化け”(ムーアの用語)の利用において、まるでオバマ政権が、さほど冷笑的で二枚舌ではないかのようだ。

“良心がある人なら誰でも”「ゼロ・ダーク・サーティー」冒頭部分、CIA工作員の残虐な振る舞いは“道徳上、正しくない”と結論するだろうとムーアは主張する。観客は“こうした拷問シーンに強い嫌悪感を抱くだろう。”

それは問題ではない。上品な晩餐でのおしゃべりの話題の一つとして水攻めを語っている、かつてのリベラルの多くは、後者の現実を怖がっているに違いない。連中の主張も、映画も、こうした行為は残念なことで、恐らく余りに過度に実行されたろうが、それは、アメリカを攻撃から守る唯一の方法なのだから、必要だった。(この点で、代表的なものは、ワシントン・ポストのリチャード・コーヘンによる最近の不愉快なコラム“拷問についてはディベートが必要だ。”) マヤは、ある時点で、怒りもあらわに上司に言う“本国を守りたいなら、ビン・ラディンをつかまえて。”

彼女はあらゆる類の不健康な物事に魅了されていると、つい信じたくなるが、ビグローが、個人的に、あるいは彼女の映画が、拷問それ自体を是認しているかどうかはともかく、問題ではない。監督は、敵意を抱いている現地住民の残忍な扱いや、抵抗する人々の虐待と殺害を不可避にしてしまう、いわゆる対テロ戦争、新植民地主義征服の政策の正当性を是認している。

帝国主義者の作戦のこの根本的現実を無視したムーアの主張には何の重みもない。

ハフィントン・ポストに彼が書いた記事の中心テーマは、「ゼロ・ダーク・サーティー」が“拷問ポルノから決別し … 事件捜査”へと進む決定的な一歩と彼が考える、ブッシュからオバマ政権の移行を強調していることだ。

ムーアがオバマと民主党を支持しているという重力の力が、彼のコラムのあらゆる主張に影響し、主張を非常に愚劣なものにしている。彼は問うている。映画途中の際立つ部分である、被拘留者の拷問を、一体なぜCIAが中止したと思えるのか。“答えは背景のTV画面にあり、そこに黒人が写っていて(どうやら新大統領だ) 彼は、アメリカが拷問をしていた日々は過ぎた、終わったのだ、と平易な英語で話しているからだ”と彼は断言する。

オバマ政権は、憲法上の権利や民主的プロセスに対する戦争を継続し、深化させ、自分達には、法の適正手続き無しに、アメリカ国民を処刑する権限や、暗殺標的の“殺人名簿”を編集するのに大統領自ら熱心に取り組むが権限がある、と勝手に決めている。制度化された拷問を体現し、未だに運用中の、グァンタナモ湾拘留センターとブラドリー・マニングの扱いは別として、恐らく傀儡を使い、多分それほど厚かましくなく、CIAとアメリカ軍が制度的暴力と虐待の責務を果たしていないことを、我々はムーア程、説得されたわけではない。

概して、「ゼロ・ダーク・サーティー」は不快な映画で、アメリカの軍事力とハードウエアを勝ち誇るのではない場面は、陳腐で退屈だ。マヤと同僚は、アフガニスタンとパキスタン中を、まるで自分達が、こうした国々を所有しているかの様に大またで歩き回り、抗議行動や銃撃や爆弾に出くわすと、心から困惑するように見える。

“心をかき乱す、素晴らしく造られた映画”とムーアが表現するものは、いかなる客観的標準からしても、本格的芸術作品とは言えない。登場人物は未熟で、ありきたりだ。会話は無表情で、わざとらしく、“真面目一方の”途切れ途切れなスタイルだ。効果として、特にハードボイルド漫画によって生み出されるものと、どこか似ている。

概してビグローとボールは、軍とCIAの犯罪人を可能な限り見栄え良く描くべく、映画を構成している。彼等が拷問する場合、彼等は強いストレスを感じる。無防備の女性を射撃する場合、彼等の動機は純粋だ。

ビグローのお得意は、征服戦争や関連する活動の加害者達が負った代償を描き出すことになっている。マヤにとって、尋問を仕切ったり、被拘留者の拷問を途方もない時間、見まもったりするのは、どれほど骨が折れることか、どれほど疲労困憊することか!“ひどく疲れ切って見えるよ!,”と、友人がある時忠告する。マヤにはボーイフレンドはなく、実際、友人は皆無だ。彼女はあらゆるものを犠牲にしている。CIA長官がある時、彼女に質問する。“君は、ビン・ラディンの他に何をしてくれたかな?”彼女は意味ありげに答える。“何も、私は何もしていません。”ビグローは、映画中唯一、最も記憶に残るイメージ、チャスティンの苦悩に満ちた表情のショットを無数盛り込んでいる。

ムーアの記事で、恐らく最も侮辱的で、ばかげた文章は、映画をフェミニズムの勝利として描いている部分だ。“ゼロ・ダーク・サーティーは、女性(キャスリン・ビグロー)が制作し、女性(メガン・エリソン)がプロデュースし、女性(ソニー・ピクチャーズの共同会長エミー・パスカル)が配給し、女性を主人公にした(ジェシカ・チャスティン)映画は、実際、ビン・ラディン発見への正しい道筋にいる女性に対して、大半が男性である政府機関が、どれだけそっけないかを描いたものだ。そうだ、諸君、これは我々が、どれほど女性の言い分を聞いていないかを描いた映画だ。”

特定のアイデンティティ集団の利益(ここでは女性)を代弁する政治を追い求めた挙げ句、ムーアが至った地点がこれだ。男性同僚達と共にマヤも卑劣な殺し屋だ。残虐な拷問について、彼女も誰も、何の遺憾の意も示していない。(上司は同僚に言う。“私が[拷問プログラム]を運営している。私はこれを擁護する。”) ビン・ラディン暗殺を実行すべく編成中の軍暗殺部隊に、彼女は言う。“私の為に彼を殺して。” 彼女は怪物だ。

ムーアの進化についてはより多くを語ることが可能で、それを言う機会は、多々あるだろう。2004年、元陸軍大将ウェスリー・クラークが民主党大統領候補になるのを支持した際、この監督は“アメリカ中流階級の反体制派の多くの人々同様、印象だけで政治的判断をしている、と我々は書いた。彼の印象が、労働者階級への共感や、その苦難への真情と一致したり、そうしたものを含んでいる限りにおいては、彼は価値ある作品を制作できるだろう。…”

しかし我々はこう続けていた。“全てが喫緊の現実的懸念に還元される。そのやり方で、アメリカ・ブルジョア政治の本質的な枠組みは、無批判に受け入れられてしまう。かくして、ムーアは、現在の政治的枠組みの中に完全に閉じ込められたままとなり、支配者集団の、あれこれの派のどれかを選ぶしかなくなってしょう。”おかげで、今や彼は、人類と社会の進歩に対する最も容赦ない敵の陣営へと送り込まれてしまった。

記事原文のurl:www.wsws.org/en/articles/2013/01/30/moor-j30.html
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柔道界の拷問ならぬ、暴行・パワハラは日本の縮図。告発された人物、告発・摘発する側の職業!盗人を捕らえて見れば我が子なり。

そこに、まさかの「レスリング」が種目からはずれそうだという話。オリンピック招致というたわごと、これで幻と化すだろうか。

人様をおよびする前に家庭内の掃除。福島原発事故対策、残る原発の廃棄対策が先だ。

ハラスメントは連鎖する。肝心な選手を幹部がいじめる。国民を、与党政治家、官僚、大企業、マスコミがよってたかっていじめる。その属国を、宗主国は66年間いじめつづけている。属国いじめ、激化することこそあっても、とどまることはない。

2/4朝刊に「ハリウッド、心つかめず 国内の洋画シェア低下」という記事があった。

2012年の興行収入の総計に対する洋画のシェアが34・3%にまで落ち込んだ。

当然と思うが、記事最後の上映予定映画に、この「ゼロ・ダーク・サーティー」もあった。

人心から全く乖離している大本営報道新聞・TV、経営難は無縁なのか?不思議。

大本営広報部宣伝と無関係に、昨年東京国際映画祭で上映されていたのを知らずに見損ねた『故郷よ』を見に行きたいと思う。イスラエル人女性監督ミハル・ボガニムの長編デビュー作。昨年の映画祭で、フランス人女性監督による『黒澤、その道』と、不思議な『リューゲルの動く絵』を見た。

F-35、この国で組み立て、宗主国の許可を頂き、世界の同盟国への輸出で稼ぐようになる属国軍産複合体。はまると二度と抜けられない悪の無限ループ本格稼働。三原則は弊履のごとく捨て去られる。9条に先駆けて。

今の勢いで侵略戦争傭兵化が進めば、国費で『零・深夜・30』の類が制作されるようになるのは100%確実。もちろん、属国民の心をつかめるかどうかはわからない。昔の夏休みラジオ体操のように、出席カードにハンコを押して、忠誠度を確認するようになるのかも。

ジョージ・オーウェルの『一九八四年』にあるスローガン、フィクションやSFではなく、正確な現代の現実描写。

  • 戦争は平和だ
  • 自由は隷属だ
  • 無知は力だ

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