ハワード・ジンの木霊
David Swanson
War Is a Crime
2012年11月25日
ハワード・ジンが亡くなって三年になろうとしているが、私の耳には彼の声が一層大きく聞こえ続けている。ジンは永続的に必要なことについて語っているのだから、今後何十年も、何世紀もこの効果が続いて欲しいものだと思う。学び直しから逸らさせる誘惑が余りに強い中、彼は何度も繰り返し学び直さねばならないような教訓を与えてくれている。しかも彼はそうした教訓を、誰よりも巧みに教えてくれた。
我々は“我々”という言葉を使い、その中に、憲法がその中に含んでいるふりをしているあらゆるもの、とりわけ政府を含めたがりしがちだ。だが政府は我々の利益にとって不利なことをしがちだ。超億万長者達は、本質的に、我々の利益に反する行為をするものだ。さもなければ我々が反対したであろうような行為に我々を取り込もうとして、権力の座にいる連中が“我々”という言葉を使うのを認める危険性について、ジンは絶え間なく警告していた。これは我々がスポーツ、戦争、経済政策から持ち込んだ慣習だが、観客が“我々が得点した!”と主張することの危険性は、何百万人もの観客達が“我々はアフガニスタンを解放した。”と主張するのと同じ水準までには至らない。
選挙は、未来に多大な影響を与える手段で、市民生活の中心的な重要な部分だと我々は考えがちだ。ジンはその誤解に対し、歴史上の痛烈な例や、アメリカ合州国南部での黒人投票権の為の戦いの価値を把握して警告するばかりでなく、彼はそうした戦いの一部でもあり、当時の見当違いの期待に対して警告していた。
我々は有力な突出した個人達によって歴史が形成されると考えがちだ。我々は一般的に、アメリカ独立戦争、アメリカ南北戦争と、第二次世界大戦を含む“良い戦争”のリストでも明らかなように(ジンは‘三つの聖戦’として、この偽りを暴いた)戦争は、最後の頼みの綱として必要な手段だと考えがちだ。世の中を形成するための我々の努力にとっては、政党が中心で、市民的不服従はそうではないと我々は思いがちだ。自分たちには世界を形作る力などないことが多く、他の方向に押しやる力は押し返すには余りに強力だと考えがちだ。ハワード・ジンの演説をしっかり聞けば、こうした考え方は、例え場合によっては悲劇的であるにせよ、いずれも結局、滑稽に見えてしまう。
もし読者が最近ハワード・ジンを十分読んでおられなければ(十分読んだ方はおられるのだろうか?)、『ハワード・ジン・スピークス』という彼の演説集の新しい本が刊行されたばかりだ。長年にわたり彼は無数の演説をしていたので、もちろん、それとて彼の演説のごく一部に過ぎない。一編の例外を除き、いずれも前もって書かれたメモ無しに行われた演説を書き起こしたものだ。ジンはメモを手元に用意してはいなかった。彼は民衆の言葉を引用するのではなく、わかり易く言い換えているのだ。だが彼は、最も必要だと彼が信じること、彼が最も深く思考したこと、彼の唯一のテーマの千変万化の変種として、彼から溢れ出ることを語っている。我々が過去を活用できた場合にだけ、我々は未来を形作ることができる。
本書に集められた演説自体が過去の一部だ。1960年代のものが一編、70年代のものが二編、80年代のものが二編、90年代のものが四編、そして本の半分以上はブッシュ-オバマ時代のものだ。しかし、ジンが自説を強調するために引用する例や語る話は大半のアメリカ人はおぼろげにしか知らない過去何世紀にもさかのぼる。
ジンは、コロンブス、奴隷制度、植民地主義や現在のアメリカの戦争を通して、人種差別や戦争の根源を辿っている。彼は言う。“戦争の廃絶”というのは“もちろん途方もなく大きな事業です。しかし、反戦運動をする我々には力強い味方がいることを心に留めておいてください。我々の味方とは、戦争に病みつきになって、戦争で利益を得ている政府ですらもが、いずれそのうちに認めざるを得ない真実です。戦争は連中の狙いを実現する為の実用的な方法ではないことです。最近の歴史では、最も強い国々ですら、ずっと弱い国々を征服できなくなることが益々増えています。”
四年前ジンは警告した。“オバマだけを見ていては危険です。救済者達に期待するのは、我々の文化の一部になっています。救済者達は救ってはくれないのです。支配者が我々を救ってくれるなどと期待することはできません。オバマを支持した人々が、ただ座視して彼が我々を救ってくれるのを待つだけでなく、それ以上のことをしなければならないということを理解してくれるよう願っています。こうしたものは皆些細な勝利なのです。”
1963年4月、ジンは似たような言葉で語った。最も率直にケネディ大統領について。“これは南部問題以上のものです”彼は言った。“問題は、基本的に、イーストランド議員が悪いということではなく、ケネディが臆病なことです。”ジンは、上院に、いつものように、各新会期の冒頭に、規則を変更し、議事進行妨害を廃止する機会があった1961年と再度1963年に、ケネディの行動と無為を、批判した。ケネディは、人種差別主義者が公民権に反対し、議事進行妨害をするのを可能にしたかったのだとジンは結論している。ジンの木霊は、現在から1月までの間、現職上院議員と現職大統領にも聞こえるくらい大きく増幅されるべきなのだ。
1971年5月、ジンは言った。“大統領を弾劾してから随分時間がたちました。今や大統領と副大統領と、この戦争を推進する高い地位にある人々全員を弾劾すべき時です。” 2003年にジンは言った。“国中にブッシュの弾劾を要求する人々がいます。そんなことを言うのは大胆不敵だと考える人々もいます。そうではありません。憲法に書かれているのです。憲法は弾劾を規定しているのです. . . . 建物に不法侵入したかどで、議会はニクソンを進んで弾劾したのに、議会は、国家に不法侵入したかどでブッシュを進んで弾劾しようとはしません。”
ジンはアメリカの果てしない、そして恐らく恒久的な、選挙という悩みの種について語っている。“アメリカ人が数年毎に下院議員と大統領に投票してきたのは事実です。しかし、アメリカ合州国の歴史における最も重要な社会変化、つまりイギリスからの独立、黒人解放、労働者の団結、性的平等の実現、人種隔離政策の非合法化、アメリカ合州国のベトナムからの撤退は、投票箱を通してではなく、様々な超法規的、非合法な戦術を駆使した大衆運動組織を通した社会闘争という直接行動によって実現したことも事実なのです。従来の政治学教育は、この現実を教えません。”
後に(何年も後に) ジンは自己憐憫なしにこう語っている。“ですから、もし我々に情報を報じるマスコミがないのであれば、我々を助けてくれる野党はなく、我々の頼みの綱は自分自身しかないことになりますが、これを自覚するのは良いことです。頼みの綱は自分自身しかないことを自覚するのは良いことです。信頼できない人々に頼ることは出来ないのを自覚するのは良いことです。ただし、頼みの綱は自分自身しかないというのは、多少歴史を勉強しなければならないことを意味します。歴史を知ることなしには、途方に暮れてしまいますから。歴史を知らなければ、権力を持っている人物が誰でもマイクの前に立ってこう言えるのです。‘あれやこれやの理由の為、自由の為、民主主義の為、脅威の為、我々はこの国に侵攻せねばならない。’誰でもマイクの前に立って好き勝手なことが言えてしまいます。歴史を知らなければ、そういうものを確かめる術がありません。”
しかしジンは言う。もし歴史を知れば、以下のことを認識するという更なる利点もあるのだと。“こうした権力の集中は、ある時点で崩壊します。突然に、驚く様に。そして、究極的には連中が極めて脆弱であることに人は気付くのです。そして‘我々は決してこれはしない’と言った政府が結局はそれをやっていることを知るのです。‘我々は決してあわてて逃げはしない。’政府はベトナムについてそう言いました。アメリカはベトナムからあわてて逃げたのです。南部でアラバマ州の人種差別主義者知事ジョージ・ウォーレスは言いました。‘現在人種隔離があり、明日も人種隔離があり、人種隔離は永遠だ。’大喝采でした。二年後、アラバマ州の黒人はそうこうするうちに投票を始め、ウォーレスも、黒人に投票をしてもらおうとして訪問するようになりました。南部は決してそうならないと言いましたが、事態は変わったのです。”
事態が変われば変わるほど . . . 我々は益々ハワード・ジンに耳を傾けることが必要になるのだ。
記事原文のurl:warisacrime.org/content/howard-zinns-echoes
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彼の素晴らしい演説の一つを、かなり前に翻訳した。
最近のドタバタ茶番を見て、ハワード・ジンに習って、歴史を振り返りたくなった
「担ぐ神輿は軽くてパー がいい」と豪腕政治家が発言したという記事を昔目にした。今、美男が美女に変わった再演を見ているような錯覚を覚える。諸手をあげて大歓迎という気分にはなれない。
とりわけ代表代行氏、胡乱に思える。彼の文章は雑誌『世界』で数回読んだことしかない。風力や太陽光エネルギーのことばかり言い、即実用できる天然ガスやコジェネにほとんどふれていなかったと記憶している。天気の良い昼しか得られない太陽光発電や、風がなければ電力が起こせない装置で、安定した産業用・家庭用電力など得られまい。しかたがないので原発は当分稼働させ続けるという結論になるだろう。
代表代行氏の論に対する、伊東光晴京都大学名誉教授による反論も『世界』で拝読した。『世界』2011年8月号で伊東京大名誉教授の「経済学からみた原子力発電」も拝読した。どう考えても、素人目には伊東名誉教授説の方が説得力がある。伊東名誉教授、『君たちの生きる社会』という1978年初版の本も書いておられる。そこで既に「原子力発電は経済的にもひきあわないこと」をわかりやすく語っておられる。皆様にも是非お読みいただきたい名著だ。本来中学生を対象に書かれた本だが、大人にも十分通用する。
そしてなにより代表代行氏、「異神の怪」特別顧問であらせられた方だ。
「イエダニは、寄生主のネズミが死んだり、巣からいなくなったりすると、巣から這い出し、人から吸血するようになる」という話を思い出す。
ところで『地球のゆくえ』広瀬隆著87ページに下記記述がある。94年7月10日第一刷発行
しかしこのワープロ文字は、もうひとつ不思議なことを考えさせた。細川護熙の「熙」という文字は、ワープロの漢字のなかに「煕」と「熙」と「熈」の三種類がある。このうち二番目の「熙」が首相の名前で使われているが、実はこの漢字だけは、つい先年までワープロに登録されていなかったのである。ところが九一年に発売された新しい機種では、これが正式に加えられているのだ。九〇年四月に、この文字が"新人名漢字"に加えられたからだという。細川護熙が首相になる三年以上前に、この漢字が必要になることを、法務省は予知していたようである。そのとき、細川護熙がまだ熊本県知事にすぎなかったことを思えば、あわててこの文字を追加した裏には、何かいわくがありそうだ。細川護熙が日本新党を結成したのは、九二年五月であり、"新人名漢字"に熙の字が加入してから、二年後のことである。日本新党結成の二年前に、法務省が急いでこの文字を追加したように思われる。
「奇異なことだ」と当時思った記憶がある。
細川連立政権当時の九四年、現在の小選挙区制が成立した。
この制度が導入された時、当然、宗主国のようなエセ二大政党にするのが本当の狙いだろうと思ったが、一体どのようなエセ大政党を、一体どのような馬の骨で構成するのだろう?と不思議に思っていた。
最近、93年衆院選挙初当選議員の名を改めて見て驚いた。エセ二大政党中核部分の皆様、あの時に大量当選されていたのだ。小選挙区制を推進する前に、しっかり同時並行で、エセに大政党対策要員は大量に仕込まれていたということだろうか。全く興味ない政党、全く興味ない皆様なので気がつかなかった。『深く静かに潜行せよ』
※初当選者のうち、「※」表示があるのは参議院議員経験者。
新生党の皆様の一例:
松沢成文(衆議院議員、神奈川県知事、そして都知事候補)
日本新党の皆様の一例:
枝野幸男
小沢鋭仁
海江田万里
河村たかし
小池百合子※
樽床伸二
中田宏
野田佳彦
藤村修
細川護熙※
前原誠司
偉い方々のお名前がきら星のごとく並んでいる。政治は20年計画で運営されるもののようだ。「明日の生活」を考えることで精一杯のメタボ・オヤジには到底想像できない超長期計画。
ある政治学者のお話によれば、93年衆議院選挙に当選した皆様の生存率、平均と比べ極めて高いそうだ。通常は、ここまで多数は生き残れず、政界から消えて行くとのこと。
最近、田中正造関連の本を読んでいる。
足尾銅山の鉱毒の余りのひどさに、農民が大挙して東京に陳情(当時の表現は押出し)を行うなどした結果、政府は足尾銅山鉱毒調査委員会を設置し、数度の鉱毒予防令を出した。もちろん実効は皆無で、目くらましにすぎなかったが。これとて、
投票箱を通してではなく、様々な超法規的、非合法な戦術を駆使した大衆運動組織を通した社会闘争という直接行動によって実現したことも事実なのです。
政府が足尾銅山鉱毒調査委員会を設置し、数度の鉱毒予防令を出したのは1897年。
115年経て、どれほど素晴らしい政府ができたかは皆様御承知。更に大本営広報支援を受けた今回の大茶番の結果、どれほど素晴らしくゆがんだ方向へと定向進化し、恐ろしい未来の生活が待っているのかは、これからのお楽しみ。
救済者達に期待するのは、我々の文化の一部になっています。救済者達は救ってはくれないのです。支配者が我々を救ってくれるなどと期待することはできません。
2014/1/16追記:
上記は、某エネルギー評論家?氏の山口県知事選出馬時に書いたもの。ところが、まるで今回都知事選挙の予言・解説のようにも読める。宗主国で教育を受けた伜まで参入した。プロレスのバトル・ロイヤルと同じ「見せ物」。
お殿様氏「戦略特区を活用する」というのだから、現在の宗主国・傀儡支配層の日本破壊政策をそのまま推進するにすぎない。宗主国が望む政策を推進した二人、反省皆無で、さらに推進するのにすぎない。原発反対など便利なかくれみの。『地球のゆくえ』を書いた原発評論家氏、大昔の殿様国政選挙出馬には、「いぶかし」そうな文章を書いておいて、今度の都知事選挙出馬は激賞する不思議。
しかしこのワープロ文字には、二度も不思議なことを考えさせられた。一度目は喜劇、二度目は悲劇として?一流売国政治家を喜んで支持する、奇異な売国民達。カエルの王様そのまま。
イノシ氏追放キャンペーン、いや、新自由主義属国傀儡氏の反原発言動開始時から、予定されていた計画だっただろう。
“横須賀氏やお殿様だけを見ていては危険です。救済者達に期待するのは、我々の文化の一部になっていす。救済者達は救ってはくれないのです。支配者が我々を救ってくれるなどと期待することはできません。横須賀氏やお殿様を支持した人々が、ただ座視して彼が我々を救ってくれるのを待つだけでなく、それ以上のことをしなければならないということを理解してくれるよう願っています。こうしたものは皆些細な勝利なのです。”
ジンの木霊は、現在から投票日までの間、東京都民と名護市民にも聞こえるくらい大きく増幅されるべきなのだ。
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