ベン・アフレックの『アルゴ』: アメリカ外交政策の受容
wsws.org
ダン・ブレナン
2012年10月24日
監督 ベン・アフレック、脚本 クリス・テリオ
ベン・アフレックが主演、監督の政治スリラー映画アルゴは、批評家の称賛を得、興行成績が二週間連続、第二位だ。映画は、1979-1980年のイラン人質事件の際のほとんど知られていないエピソードに関する機密指定を解除された情報に基づいている。
ワシントンの残虐な傀儡、シャー打倒のためのイラン革命のさなか、1979年11月、抗議行動参加者集団がアメリカ大使館を襲い、52人のアメリカ人を捕獲し、444日間拘束した。当日大使館にいた6人のアメリカ外交官が脱出し、密かにカナダ大使の住居に避難する。映画は、CIAによるこの6人救出の物語だ。
テヘラン大使館での大混乱から二ヶ月後、このグループの安全は次第に不確かなものとなる。アメリカでは、CIAの‘救出’専門家トニー・メンデス(ベン・アフレック)は猿の惑星から着想を得たSF映画用のロケ地を見つけるカナダ映画制作隊の一員の振りをする計画をでっちあげる。計画成功のため、不利な状況を利用するアイデアが提案され、実際の脚本を選ぶことが必要になり(そこで“アルゴ”)、ハリウッドの制作チームを集め、計画中の映画をマスコミに宣伝する。メンデスは映画プロデューサーのふりをして、イランに入国し、仲間達の集団脱出を率いなければならない。
いくつかのわざとらしい危機一髪を別にすれば、この映画は、通常このジャンルの映画で用いられているほどにはアクションの連続で観客の関心を維持しようとしているわけではない。その代わりに、アフレックは、記録映画や当時のニュース映画の映像を混ぜ合わせることで、緊張を伝えようとしている。映画制作者は、サスペンス場面の利用は比較的抑え気味に、時折の滑稽な会話を交えて、ストーリー展開の中に挿入される。
とはいえ、興味を持ち続けさせることと、感銘を与えるために、生活の状態や歴史に関して、何か意味があることを言うというのは全く別物なのだ。マスコミと情報の力は、銃器の力とは対照的に、テーマとして現われる。それゆえに、カメラの前で演じられる模擬処刑や、イランでの革命への熱情は一過性のマスコミ種かどうかについての熟考、偽の映画プロジェクトそのものとなるが… 結局、アルゴではさほど新しいことが提出されているわけではない。息子との関係を維持しようと苦闘する家にいない父親のわき筋は、とりわけ陳腐で、ありきたりなものに終わっている。
はるかに問題なのは、この映画の人質事件と救出作戦描写の含意だ。1979-1980の出来事は、突然藪からぼうに起きたわけではない。特に、アメリカ政府とCIAは、イランのシャーを権力の座に据えた1953年のクーデターで直接的な役割を演じていたのだ。イランにおける四半世紀の独裁的支配とあらゆる抵抗の残虐な弾圧は、何よりまずワシントンによる支持のおかげだった。1979年には、広範な階層のイラン国民がアメリカの役割に激怒していたのだ。
この新植民地主義介入の話は、映画冒頭にわずか数分のナレーションで触れられはするが、以後二時間ずっと基調となるのは全く別物だ。我々はCIAの英雄を受け入れ、ハリウッドの諜報機関との協力をクスクス笑い、イラン大衆を敵と見なすよう期待されるのだ。
みかけ上のバランス用に、過去(そして継続中)の犯罪について手短に触れられるが、以後そういう話は本質的に脇へ押しやられ、忘れ去られる。これはアルゴの出来事の中で何ら積極的な役割を演じることもなく、結局は、アメリカ帝国主義の作戦を推進する作品に、うわべの客観性を与えるのに役立っている。何十年もの弾圧、拷問や殺人は問題だが、結局、6人のアメリカ人の生命が危機にさらされているのだ!
共同製作者ジョージ・クルーニーを含む映画制作者にとって“映画を政治化させないようにすることが、我々にとって常に重要だった”とアフレックはインタビュアーのロマン・レイナルディに語っている。“多くの物事が政治化されるアメリカ合州国大統領選挙前に公開されることになることが分かっていたので、大いに事実に基づいたものにしようと大変苦労をしました。私たちは明らかに物事がどれほど酷くなり得るかを予想することが出来ませんでしたが、映画制作中も混乱の中にある国々との関係を感じました ... 世界の一部で争いや混乱起きているからといって、我々がそれを検証するのを止めたり、注目するのを止めたり、それについて話すことを止めたりすることにはなりません。それは良くないことだと思います。”
こうしたコメントは、もう驚きながら読むしかない。
実際、この地域における現在の“争い”は、映画、そして芸術全般によって、より少なくでなく、より多く扱われることを求めている。しかしながら本当の芸術は、より深い真実を明らかにする、本当の芸術は、恐る恐る上っ面の“事実”や些細なエピソードで満足して、深い真実を回避するようなことはしない。
世界中で(そして、とりわけイランで)殺人株式会社として知られているCIAに対するアフレックの熱中にはうんざりさせられる。元工作員メンデスがアルゴ制作に深く関与したことをアフレックは認めている。俳優兼監督はレイナルディに、こう説明している。“トニーと会うのは非常に刺激になりました。彼がこの映画にしみこんでいるのです。これはトニーの物語、トニーの視点です。”
ハリウッドの無知のおかげで、多数の監督、脚本家や俳優は、ごくわずかの人々しか気がつかない圧力や雰囲気や社会的勢力に屈服しがちなのだ。アフレックは、彼が望むと否とにかかわらず、彼の映画が、アメリカを対イラン戦争に引きずり込もうとする、アメリカ支配層エリートによる尽力の一環になっている事実を気に留めずにいるように見える。
しかし、軽率さゆえに、彼の行動は許されるのだろうか? 映画制作者は、自分たちの映画が撮影され、公開される文脈を全く把握せずにいられるものだろうか。つまり、イランの両側の国々での10年間にわたるメリカ軍占領、継続中の秘密作戦と経済戦争、そして容赦なく、増大しつつあるアメリカとイスラエルによる軍事介入という脅威について。
指摘するのも恥ずかしいことに、民主党のバラク・オバマがホワイト・ハウスにいるおかげで、映画業界のリベラル派は、戦争への動きをより受け入れ易くなっていることは確実だ。マット・デイモンと共同執筆して、最初にアフレックに名声をもたらした映画、グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)は、彼らについての各人の意見はどうであれ、アメリカの中東侵略に対して公に異義を申し立てる人々である左翼学者のハワード・ジンやノーム・チョムスキーについて肯定的に触れていた。
15年後、アフレックは、どうやら新たな大当たりを求めて、スーパースターに復帰し、いつのまにかイランとイラン人を悪魔化する動きのど真ん中に立っているかのようだ。これ以上語るべきことなどない。
記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2012/oct2012/argo-o24.shtml
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この映画、見に行く元気が出ないが、試写会では98%の人が満足したという回答だったという。
- 宗主国では、本命イランを攻撃する中東戦争拡大が
- 属国では、土地爺による寝た子起こしの島嶼紛争が、
軍需産業の存続、国家支配の為の大切な目玉。
金を稼ぎながら洗脳という一石二鳥作戦の面白いほどの大成功。関係者、笑いがとまらないだろう。
見損なっているのだが、原題が良く似た『Agora』、邦題『アレキサンドリア』で公開された映画の方が遥かに見応えがありそう。
どじょう氏が、地獄への道、別名経済破壊政策を演説する光景、精神衛生にもエネルギー消費にも宜しくないのでチャンネルを切り換えた。といって助かるわけではない。下記の太文字部分は、重要な欠落を補ったもの。
環太平洋パートナーシップ協定(TPP)など経済連携の取り組みを「経済外交」と位置づけ、「守るべき支配層の権益は守りながら推進する」とTPP交渉への早期参加に意欲を表明。
震災復興予算を原発輸出調査にも流用して、原発再開・輸出する国民総カミカゼ乗員の国。不沈空母とて自然の摂理には逆らえまいに。
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