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2012年9月29日 (土)

広島から福島へ、1945-2011

Dr. Anthony J. Hall:

広島から福島まで、1945-2011:核の傲慢と悲劇の物語

レスブリッジ大、クローバリゼーション・スタディーズ教授Anthony J. Hall

(2011年3月28日、第2版、Running Draft)

原子力は、広島の抹殺とともに、世
界にもたらされた。歴史学者達は、
この致死的な威力の実演はソ連首
脳に敵対的メッセージを送るのが
狙いだったことを示している。

福島第一原発における核惨事

1945年の広島と長崎から、福島第一原子力発電所で溶解し、核物質を爆発させ、噴出しつつある魔女の煮物に至るまで、原子を源とするエネルギーとの出会いという人類史最初の数十年は、傲慢と悲劇の詩的な物語として展開しつつある。

1945年と同様、2011年にも、日本国民は  核による荒廃という新たな未開の分野を引き受ける、人間の能力の限界をテストする闇の科学実験の中心となった。

津波のようなものによる一瞬の絶滅と、その後のゆっくりとした、放射能に起因する病気と奇形は、広島と長崎るおける二発のアメリカ原子爆弾の恐るべき爆発によって、世界にもたらされた。エノラ・ゲイと名付けられた超空の要塞、ボーイングB-29から、二つの無防備な日本の都市に投下された最初の二発の原子爆弾に対して米空軍が与えた暗号名はファットマンとリトルボーイだ。

何十万トンもの高放射性使
済み核燃料棒が、日本や
アメリカや大半の他の原発
を稼働している国々の原子
力発電所に貯蔵されている。
この種の放射性廃棄物は、
何十万年もの間、非常に
猛毒だ。

広島と長崎にもたらされた荒廃も、東京のすぐ北の損傷した原発で今始まっている大惨事と比較すれば、小さなものだということになる可能性もある。福島第一原発の現場は、極めて致死的で、不安定な形の放射性廃棄物である使用済み核燃料棒の巨大な貯蔵施設も長い間兼ねているので、進行中の惨状には実に途方もない破壊的な潜在能力があるのだ。i

長らく原子力産業の弁慶の泣きどころであり続けている、原発用燃料として使われた使用済み燃料棒は、何十万年あるいはそれ以上の期間、高放射性のままだ。この極めて有毒な形の放射性廃棄物を、それほど膨大な時間にわたって、生命の自然のサイクルから引き離しておこうとする際に伴う膨大な技術的問題が、原子力発電業界の拡大に対する大規模な大衆の反対を生み出す後押しになっている。

世界中の400基ほどの原子力発電所の大半の支配者達は、この弁慶の泣きどころを、更なる公開討論の場に曝すのはやめ、複数の原子力発電所から生じる汚染した燃料棒貯蔵専用の新施設建設現場決定にまつわる手に負えない政治的・技術的問題の考慮をいつしか先送りするようになった。アメリカ合州国ほど、原子力発電所が、ぎっしりと詰め込まれた放射性廃棄物の膨大な集積場という貯蔵施設役も果たすという機能の複合化が著しい国はない。ii

興奮したネヴァダ州の有権
者を鎮める為の急場しのぎ
の方便として、オバマ大統
領がユッカ・マウンテン放射
性廃棄物施設を保留にして、
アメリカ合州国の原子力発
電所におけるこの危険な機
能密集の深刻度は一層悪
化した。

バラク・オバマ大統領は、主要な政治的、資金的支援をアメリカの原子力業界から、特にイリノイに本拠を置くエクセロン社から得ている。

放射性廃棄物をどうすべきかという問題は、重要であるのに、原子力産業が始まって以来、常に無視されてきた分野だ。これが無視されている事実の主な証拠の一つは、広島と長崎に投下された原子爆弾が製造され、組み立てられた場所、ワシントン州のハンフォード保留地で、2億60万リットルもの高レベルの放射性廃棄物を現在に至るまで保管していることだ。iii アメリカ原子力委員会の初代事務局長キャロル・L・ウィルソンが、1979年という視点で、産業の始まりを振り返って語っている。

化学者も化学エンジニア達も放射性廃棄物には興味がなかった。それは魅力的ではなかった。それで出世することは見込めなかった。それは厄介なことだった。誰も放射性廃棄物の面倒を見て名声を得ようとはしなかった… 核燃料サイクルの終末処理に取り組むことについては、本当の興味も利益も皆無だった。iv

損傷した福島原発のわずか3.5平方キロの敷地という狭い範囲中に、原子力発電、放射性廃棄物処理と、放射性廃棄物貯蔵用という多数の施設がぎっしり並置されてていることが、不振な業界の無責任さを典型的に示している。問題の深刻さは、膨大な量の有毒な核物質を、何十万年にもわたり、大気や、水やあらゆる生き物に対し、いかなる暴露も避け、隔離しなければいけないという必要性から生じる問題の現在の危機の底知れなさを、原子力発電規制組織が明確に説明し損ねているとで分かる。福島惨事が、あっと言う間に福島の“チェルノブイリの瞬間”となりかねないことに思いをめぐらせて、マイク・ホイットニーは、大半の主流マスコミの狙いは“原子力産業を保護するため、惨事の規模を隠すことにある”と警告している。v

福島核惨事の大きな悲劇の一つは、広島や長崎と同様、出来事が既に、まずはセシウム-137、ストロンチウム-90、ヨウ素-129と、プルトニウム-239を含む極めて有毒な放射性核種がこれほど大規模放出に曝された際に、人間を含め、あらゆる生物に一体何が起きるかという不明な影響に対する膨大な事例研究を生みだすことだ。極端に迅速に、しかも極めて大量に、同時に、海、川、大地や大気に流れ込んだ非常に多くの放射性物質に、人間の生命維持体系である、食物、空気や水が曝された場合、住民の健康に対する影響は一体どうなのだろう? この人体に対する巨大な科学実験の初期段階における混乱と逃げ口上は、3月27日、福島第一原発、第二原子炉から洩れる水は、通常の約1000万倍の放射能があると、当局者が始めて報告した際に示された。その日のうちに、損傷した原発を運営する東京電力の武藤栄副社長は、推計を、通常の10万倍へと下方修正した。少なくとも、武藤副社長は一つの発言で、“多々あるミスにもかかわらず、様々なチェックを監督する独立した監督者を置く可能性は排除した。”と報告した。vi

福島災害は、人類が知っているこれだけ多くの最も危険な工業プロセスを、文字通りいくつも積みあげることにつきものの膨大な危険の典型例だ。vii 一つの工業サイクル中の、たった一つの故障が、隣接する工業工程に広がり、急激に増大する一連の連鎖反応を生み出す。この結果は、連鎖反応が、核エネルギーの原子的な本質であるという現実を反映している。莫大な量の放射能が損壊した原発の空気系統や水系へ放出されるため、一つの災害が次々災害を引き起こし、地域の緊急事態が益々世界的災害の閾値に接近して行く中、損傷した制御室から定期的に退避し、増大する故障の連鎖反応から人を除外することが必要になっている。

福島第一原発には、使用済み核燃料の一時的保管専用とされている7つのプールと共に、密接して設置された6基の原子炉がある。この骨董物施設を40年間にもわたって運用してきた連中は、もつれ合った最後の審判の日シナリオのこのようなハイリスク・ホット・スポットにおける故障の可能性を少なくする為、核物質貯蔵施設を定期的に空にする代わりに、益々大量の使用済み核燃料棒を、更にぎっしり詰め込んできた。毒性物質が貯め込まれた冷却プールに、益々大量の放射性廃棄物が集積するにつれ、冷却水の喪失など、一つの工業的崩壊が、放射性の火事から、大気中での爆発や核メルトダウンの恐怖に拡大しかねないような形で放射性物質が相互作用する環境をもたらしかねない可能性は益々大きくなる。福島サイトから出てくる、限られた、しっかり検閲されている画像でさえ、悲惨な状況のこの組み合わせが、実際どのようなものかをまざまざと見せてくれている。

福島や世界中の何十もの原発にあるゼネラルエレクトリック・マークI設計以上に、様々な機能の並置と危険の増幅という全くの狂気を、雄弁に表現するものはあるまい。本来第一世代の米原子力潜水艦を推進するために設計されたGEシステムは、使用済み核燃料棒用の冷却プールを、稼働中の原子炉の真上に置いている。従って原子炉のいかなる破壊も、放射性廃棄物を貯蔵するための関連機構を崩壊させる可能性が極めて高い。この逆もまた真である。viii この複数機能の並置は、マークIシステムの大元の設計者達が、これほど多くの工業的機能を原子力推進潜水艦の限られた空間に詰め込むという難題に直面した1950年代当時には、不可避に思われたかも知れない。しかし地上の原子力発電所というより開かれた環境で、原子力発電用と、冷却用の機構と、放射性廃棄物貯蔵をこれほど密に置くことを、なぜ業界は正当化したのだろう?

原発産業初期の頃の計画では、稼働している原子炉の近くから、放射性廃棄物を運び去ることで、複合した核危機の乗数効果を低減することになっていた。放射性廃棄物集積場の建設を阻止する為の“裏庭には作らせない”と主張する住民運動、いわゆるNIMBY効果の強固さゆえに、期待されていた使用済み核燃料専用の大規模貯蔵サイト開発は、決して具現化しなかった。その結果、日本の原子力発電所は、世界中の大半の原子力発電所同様、きわめて有毒な放射性廃棄物の膨大な集積場となった。ドイツ原子力産業だけが、稼働中の原子力発電所から十分離れた特別に設計された施設に、使用済み核燃料棒を貯蔵するよう一時的に移動することで、核惨事が急速に増殖する連鎖反応の可能性を、真面目に避けようとしてきた。

福島の放射性廃棄物の一部は複数のキャスクに詰め込まれていた。一部しか充填されていない場合には、こうした容器の幾つかが浮かんで、仙台津波によって海へと流されたのではという疑問が出された。原子力発電装置からの放射性廃棄物の大半は7つのプールに貯蔵されており、そのうち6つは(あるいは可能性としては)、既に述べた通り、稼働中の原子炉の真上にある。状況が未だに不明なままの最大の7号プールには、東京電力によれば、6,000以上の使用済み燃料アセンブリーが入っているという。一つのアセンブリーには64本の使用済み核燃料棒が入っている。それぞれの燃料棒は何百もの放射性ペレットが入っている。大半の原子炉は、放射性廃棄物の貯蔵施設と共に、最近の仙台地震と津波の後、福島第一を襲った一連の爆発と火事の結果、今だ知られていない様々な形で酷く崩壊しているように思われる。これほど多くの故障の同時集中発生は、主要断層線上にある日本の位置と、太平洋の縁という原発の位置を考えれば、極めて予想可能なことだった。悪化しつつある核惨事の現場から、沿岸をわずかに南下した所に、福島第二原子力発電所がある。そこには更に、使用済み核燃料棒の処理と貯蔵用の関連施設とともに、原子炉が四基ある。日本にある53基の原子力発電所の一つ、福島第二原発は、安定したと、我々は安心させられて来た。福島第一で大規模な爆発が万一起きた場合、その放射性物質は、燃えあがったり、他の形で崩壊したりしうるのだろうか?

この継続する放射性核種の、大地、海と環太平洋の風への急速な放出の急増の可能性は、最悪のシナリオでは、何倍もの規模となり、広島と長崎上空で爆発するよう製造された数ポンドの核分裂性物質の百倍以上、致死的だ。福島の原発施設は、冷戦初期の時代に設計された古ぼけた原子炉と、フランスの極めて積極的な核の商人でイノベーターであるアレバ社製造による最新世代のプルトニウムを混合した核燃料棒との組み合わせだ。原子爆弾の主要成分であるプルトニウムは、科学上知られているもののうちで最も有害な物質だ。

最も古びた原子炉と最新形式の高出力核燃料とを意図的に組み合わせることは、余りに不注意で、ほとんど確実に、犯罪的な公衆安全法規違反に等しいものだ。この核の狂気を止めようとして、日本の裁判所では多数の訴訟が行われた。不幸にして、住民の健康を守るための訴訟は成功しなかった。

六ヶ所村のいわゆる核燃料再処理工場の活動を巡り、大いに論争が行われている。2010年10月から始まり、アレバのプルトニウムを混合した燃料棒が、3号炉核燃料タンクに装填され始めた。3号炉は、3月14日空高く爆発し、近くのカメラで全景がとらえられた格納容器に囲まれた中核的設備である。ix この爆発は、はっきりとカメラに捕らえられた第1号原子炉の最初の爆発の二日後に起きた。x 惨事に対する、企業としてのアレバ社最初の対応は、GE同様、惨事における自社の役割のいかなる法的責任も否定するものだった。アレバの情報工作専門家達は、次ぎに“国民は落ち着く必要があり、環境保護主義者達は深刻な危機から政治的な収穫を得ようとするのはやめるべきで、政治家はもっと勇気を持つべきだ。”と主張する新聞論説を満足げに引用している、xi

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原子力発電所建設の主要な動機の一つは、まずなによりも核兵器製造に必要なプルトニウムの製造だった。xii この機能の重複は未だに続いている。大量破壊兵器としての核爆弾の設計と製造という事業と、広範な公共消費向け発電の為に核燃料を使用する事業の、緊密な一体性が強調される必要がある。xiii 原子力発電所の建設と核兵器の製造との間のつながりを見抜く力を得るには、イスラエル、インド、パキスタンと北朝鮮における開発を巡る論争を思い起こすだけで十分だ。1945年、原子力時代の夜明け当時、インドを除いてこれらの国々の一国として存在していなかった。当時インドは依然としてイギリスの植民地だった。現在のイラン核計画を巡って渦巻いている論議は、核兵器拡散を防ぐための初期段階の試みを巡る論争が、新しい文脈において繰り返されているのだ。

執拗に迫害されている内部告発者モルデカイ・ヴァヌヌは、1986年、イスラエルにおける原子力発電と核兵器開発を結びつける工業的つながりの太い蜘蛛の巣を例証する写真を世界に示した。彼の写真は、世界でも最も高度に軍事化した国の一つの南東部の一角にあるディモナ核施設の核兵器製造用のイスラエルの最高機密施設をかなり明らかにした。xiv これと同じパターンのもう一つの実例は、2010年にテネシー峡谷開発公社のセコイア原子力発電所で製造された兵器級トリチウムがアメリカ合州国での核兵器製造に向けられると報道された際に明らかになった。xv

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バラク・オバマ大統領による、この転用の承認は決して驚くべきことではない。彼も、デーヴィット・アクセルロッドとラーム・エマニュエルを含む取り巻きグループの多くも、アメリカ合州国における原子力発電所の最大の経営者エクセロン社から、大規模な財政、政治的支援を受けている。エクセロン社は10の原子力発電所で、合計17基の原子炉を運営している。xvi この核帝国の中心は、現在のアメリカ大統領の地盤イリノイ州にある。バラク・オバマの主要な資金調達者の一人、ジョン・ロジャーズJr.は、エクセロン役員会の一員で、アリエル・インヴェストメンツの会長だ。xvii

冷戦の最も暗かった日々に始まって以来、核エネルギーを、大量虐殺を含む大量破壊手段として、未曾有の規模で開発してきた軍支配者集団の姑息な作戦に、一層洗練された民生用のみかけを与えることを念頭に、核エネルギー産業は計画されてきた。それゆえに、広島と長崎における国家テロの恐怖への日本の服従と、福島における原子力規制緩和という失敗した実験のおかげで、核により引き起こされる病と奇形に、日本がゆっくり屈服しつつある現在の展望とをつなぐ、いくつかの明らかな連続性がさらけ出されているのだ。この核災害が周辺諸国や地域に広がって行くという展望が、21世紀における国家主権という我々の時代遅れの観念の陳腐化を浮き彫りにしている。

1941年以来、アメリカ合州国によって維持されてきた、永久戦争経済作戦におけるこの原発設計の起源が、我々の社会と、我々の本当の舞台裏の支配者として長らく活動してきた、責任を負わないグローバル企業における、民生用と軍用機能の区別のわざとらしさを明らかにするのに役立つ。カリフォルニアに本拠を置くリバモア核兵器会社の元研究者ローレン・モレットは、全世界の原子力発電所の85%は、ゼネラルエレクトリックとウエスチングハウスのたった二社によって設計されたものだと指摘している。xviii この超巨大二社は、大量破壊兵器の開発に専念する中核的事業部を中心にして成長した。多くの軍需企業同様、この二社はいずれも、我々を日々永久戦争経済の本当の動きから注意を逸らすのに役立つ心理戦争に不可欠な巨大メディア・コングロマリットを所有、支配している。

日本で現在進行中の核惨事の創世記が、万一捜査が行われるようになった際には、責任と命令の体系上、東京電力幹部より遥か上位の連中に注目することが重要だ。悪名高い東京電力幹部の腐敗と詐欺など、金融、軍とマスコミ帝国の緊密な結びつきに基づくグローバル権力体制の交錯したシステムの下位レベルの露頭に過ぎない。益々集中化し、責任を負わない閉鎖されたこの泥棒政治複合体の中では、少数による、少数の、少数の為の統治、利益相反、賄賂、恐喝、過失、隠蔽や、相当な配慮の欠如が、広く許容されている。こうした状況の下で、安全装置として見なされている、定期的に行われる選挙は、言わば、ペプシかコーク、ウエスチングハウスかゼネラルエレクトリック、日立か東芝という二項選択の形を手本に複製されいる政治文化の中で、いわゆる自由民主主義においてすら、まやかし同然のものとなっている。

いまだ展開中のグローバル金融崩壊に並行して、またBPによるメキシコ湾の大規模原油汚染直後の、福島第一における核危機は、我々が置かれている自滅的軌道を、またもや浮き彫りにしている。全人類が現在経験している、加速する技術という絶対的な力による激変は、時代後れとなった政治経済や公教育制度が、それに追いつこうとする能力を超えているのだ。政府権力のいわゆる民間部門への大規模移譲を、我々に受け入れさせるのを幇助したテレビによる集団催眠という形を通し、我々は集団的に裏切られ、この死の行進をさせられているのだと主張するむきもあろう。福島の悲劇は、公益を大幅に侵害し、公共の利益を破壊した規制緩和の極端へ向かうこの旅の結果をはっきりと示している。原子力産業さえも、経費を削減する企業の民間事業として運用され、規制緩和の振り子は、疑いなく極端の方に触れてしまった。

同様のこれら多くの極端な規制緩和に関して、答えられていない幾つかの疑問がすぐに思い浮かぶ。原子炉や核貯蔵施設を設計し、運用する人々の活動が、一体なぜ私的なのだろう? 石油を、例えばメキシコ湾やアルベラのタール・サンドから採掘する企業の事業は、一体どういう意味で私的なのだろう? 物質をエネルギーへと工業的に転換する際に、再三再四、巨大な規模で起きることが分かっている、生態系や公衆衛生に対する攻撃のどこが私的なのだろう? 建前上の民間企業が大失敗した場合、一体誰が処理費用を払うことになっているのだろう? 営利目的の大企業が、有限責任という概念の上に、合法的に作り上げられている社会では、一体誰が責任を問われるべきなのだろう?

規制緩和された連中が作ったデリヴァティヴ商品が余りに有害だったので、世界経済をメルトダウン・モードに沈没させてしまっている時に、ゴールドマン・サックスやもう一つの金融パートナーAIGの活動は、いったいどういう意味で私的なのだろう? 今、過剰な規制緩和から生じた福島のメルトダウンは単なる比喩ではない。ともあれ“部分的メルトダウン”とは一体何だろうか? 広島が福島を招いたのだ。

この惨事によって体現された、技術、生態系、公衆衛生や政治経済の大規模な崩壊の陰で、福島危機の背後にある条件を生み出す上で最も責任を負うべき連中から、我々の注意を逸らすためのマスコミによる虚報という傾向は、人類共通のジレンマの本質を浮き彫りにしている。東京電力という、民間、営利目的の企業の従業員達を、3月11日以降に課された困難な立場に追いやった、この総崩れの背後で、一体何が起きたのだろう? 、東京の北方わずか240キロ、福島第一で組み立てられていた時代後れの核施設の生きた博物館と放射性廃棄物集積場に、予想可能だった津波が押し寄せた後、いまだに展開しつつある危機をもたらしたのは一体何なのだろう? 一体なぜ、この核の危険複合体が、地球上で、地震地帯の最も活動的な島の一つ日本で発展することが許されたのだろう?

米海軍原潜ノーチラス号から“原子力を平和に”へ

福島でマークI原子炉が多数派であることは、広島と長崎上空での原子爆弾の爆発によって世界にもたらされた時代の夜明けを思い起こさせる。対日原爆攻撃による第二次世界大戦の終了は、アメリカ対ソ連、資本主義対共産主義、神を信仰する者対唯物弁証法信奉者を戦わせる、二極間の中核的対立という半世紀にわたる世界史の前座役も演じていた。20世紀後半に優勢だった、この中核的対立は、冷戦として広く知られている。しかし、このいわゆる冷戦は、朝鮮半島、インドシナ、中東、中南米や、アフリカの多くの人々にとって、実際は極めて熱いものだった。冷戦対立のこうした舞台で、二つの対抗する超大国の軍が、直接、または間接的な軍事的関与で、対決した。

今では広く知られている通り、広島と長崎の全滅はソ連を警戒させる為に行われた。アメリカ政府は、ソ連に対して、アメリカは原子爆弾を所有しているのみならず、軍の司令官達には、こうした致死的兵器を一般大衆に対して使用する覚悟があり、使うことが出来、また進んで使用するつもりであるというメッセージを送ったのだ。この姿勢の証明として、150,000人の瞬間的虐殺と、放射線が引き起こす癌の異常発生を含む疾患により、更に多数の犠牲者の緩慢な死や奇形をもたらした、日本の都市への実際の爆撃以上のものが他にあるだろうか?

アメリカ合州国当局の最高幹部達は、ソ連当局にメッセージを送る為、多数の日本国民を犠牲にすることを選択したのだ。ユーラシア生活圏内でドイツが強奪した部分におけるヒトラー軍を打ち破った功績の多くはスターリンの軍隊によるものだという事実にもかかわらず、ソ連の力と影響力を、閉じ込め、押し返そうという決意をアメリカ政府は実証したのだ。xix

第二次世界大戦終結以降、1947年、議会で国家安全保障法が成立することにより、冷戦が正式に誕生した。中央情報局(CIA)を含むアメリカ国家安全保障国家は膨大な新たな力を獲得し、アメリカ軍とパートナー企業は、広島と長崎を破壊した技術的エネルギーの方向転換作業を開始した。新たな敵は、ソ連のヨシフ・スターリン共産主義政権だった。極秘のマンハッタン計画では、原子爆弾開発から締め出されていたアメリカ海軍が、地政学の転換の時代に存在感を発揮すべく進み出た。アメリカ海軍は、長期間の水中航海で、潜水艦を推進させる十分な能力を持った原子力発電装置開発という最初の目標を持って、原子力時代に突入した。

これらの原子力潜水艦にあたえられた主要任務は、核ミサイルを運搬し、そうするよう命じられた場合、敵標的に向けた核ミサイルを発射することだった。第二次世界大戦の中で、潜水兵器の戦略的な重要性が立証された。冷戦対立によって、電池駆動推進にもとづく既存技術では、潜水艦は一気に最大約32キロしか秘密の水面下航行ができない限界があらわになった。

ハイマン・G・リッコーヴァー
提督: ノーチラス号の原子
力発電機の技師長で、い
わゆる"民生用" 原子力
産業の建国の始祖

マークIのプロトタイプは、1950年代初期に、世界初の原子力発電装置が、人工の湖と特にこの極秘計画様に設計された潜水艦の船体中で、組み立てられ、試験され、改造された、アイダホ州にある軍研究所で姿をあらわした。ハイマン・G・リッコーヴァーが、アメリカ軍と原子力委員会に委託された技術革新者達のチームを率いた。プロジェクトが成功に続き成功すると、この電気技術者・海軍将校は提督にまで昇進した。リッコーヴァー海軍大将は、軍艦船のみならず、地上用の発電所にまでも発電の為の原子力利用の、あらゆる設計、製造、および訓練の側面における先駆者として、主要な役割を演じることになった。

マークIの設計は、核分裂から生じる熱で動く沸騰水型原子炉用のウエスチングハウス社の提案をリッコーヴァーが受け入れた時に具体化し始めた。マークIの中核の動作は、蒸気という媒体を使って、発電タービンを回転させることだ。ウエスチングハウスが落札した実入りの良い海軍契約から生じた特許は、福島第一原発の三基の破壊している原子炉の製造業者で、その全ての設計者であるゼネラルエレクトリックによって後に購入され、開発された。によって日立と東芝は、GEの設計図を用いて他の原子炉を組み立てた。

1954年の米原子力潜水艦を動かす推進装置の設計から、ペンシルバニア州シッピングポートの最初の民生用原子力発電所の設計、更には現在世界中で稼働している数百の原子炉中の32基に至るまで、リッコーヴァー海軍大将によって採用され、開発されたマークIプロトタイプは、真面目な専門家たちによって繰り返されている批判にもかかわらず、半世紀以上、何度にもわたって複製された。

こうした批判は、1970年代、マークIの冷却システムが外部電力の故障に弱いことを含め様々な構造的な問題を指摘して、原子力産業内部の何人かの内部告発者が辞任した際に特に激しくなった。彼らの批判にもかかわらず、アメリカ原子力産業の権力者達は、マークI設計に大いに依存し続けた。アメリカ合州国で現在稼働中の103基の原子力発電所の中には、現在23基のマークI原子炉が点在している。3月11日の地震と津波後のマークIの冷却システムへの電源停止は、日本における核惨事に大きく貢献した。この分野の専門家によって行われた別の批判は、マークIの格納容器の能力不足に関係していた、その根拠となっている問題が、実際日本の最も酷く損傷した原子力発電所から大量の放射性ガスを放出し、現在公然と曝されている。xx

核兵器の導入によって生じる様々な力の大規模な再編に、アメリカ軍の海軍部門を、より深く組み込むという目的で、アメリカ海軍によって、リッコーヴァー海軍大将が選ばれたのだ。きわめて早い時期に、リッコーヴァーは、核エネルギー利用を、海軍艦船の推進力用のみならず、汎用消費向け大規模発電用としても拡大するという目標に飛びついた。彼は、いわゆる民間部門、GE、ウエスチングハウスやゼネラル・ダイナミクスといった企業の幹部といった多数の協力者達から、この方向に向かうよう励まされた。これらの企業は、アメリカ合州国に本拠を置く大半の巨大製造業者同様、第二次世界大戦中、アメリカ政府の軍事パートナーとして活動しながら、飛躍的に成長した。長期間にわたり、アメリカ軍の中核的作戦に深く統合されてきたパートナー企業の独占的権益を推進するような形で、彼の部下達と協力して、原子力産業における法的構造を作り上げる上で、リッコーヴァーは主要な役割を演じた。

原子力のあらゆる側面に対する管理を、それほど膨大なエネルギー凝縮の源を、密接に外接する研究と規制の輪の中に保っておくことが、その最優先事項であるような本当の国際機関の手に委ねようとしていた強力な同盟の手法と、リッコーヴァー提督の手法は極めて異なっていた。この同盟は、原子力を発電に利用するというあまりに性急な取り組みには強力に反対しており、メンバーの中には、アルベルト・アインシュタインや、ロバート・オッペンハイマー、および非常に論議の多い英米グローバリストの、キャロル・L・ウィルソンが含まれている。1946年、ウィルソンはアメリカ原子力委員会の初代事務局長となった。

この派は、その派の圧倒的多数の現役の科学者達が、広島と長崎を破壊した原子爆弾のマンハッタン計画のエンジニアリングにとって不可欠だった理論的大発見をしたのだと、主張できていたはずだ。この傾向は、そのような全人類に対する致死的で予測不能な力を解き放つ過程で、自らの役割の認識を踏まえたロベルト・オッペンハイマーの良心との苦闘に典型的に示されている。オッペンハイマーがその苦悩を、古代ヒンズー経典バガヴァッド・ギータから引用した有名なヴィシュヌ神の叫び“われは死となり、世界の破壊者とはなれり。”に公に言及したことが最も有名だ。xxi

1953年、冷戦の進展の中、原子力の未来を巡る戦いで、リッコーヴァー派の影響力が強化された。リッコーヴァー派が、核科学の基盤を確立したそれほど多数の人々の努力から、原子力産業の推進役を乗っ取ることを許されたという事実が多くを物語っている。これはおそらく、アルベルト・アインシュタインの名言“原子の分裂によって、我々の思考方法以外の全てが変化した。”の真実を例証している。xxii

第二次世界大戦直後の数年間、アメリカが原子の力を戦争に利用する能力を独占していたが、1949年にソ連が見事に核兵器実験を行った際に、自然の最も奥深いエネルギー源の地政学は変化した。1953年8月、ソ連は世界初の水素爆弾を爆破させた。アメリカの冷戦戦士達は、核爆弾に、ヨシフ・スターリンにちなんで、ジョー4とあだ名をつけた。

こうした展開で、1951年から1953年までの間に、アメリカ政府が37回の大気中原子爆弾実験を行うという所まで軍拡競争は加速した。この軍事力の強引な誇示は、放射能の深刻な拡散が進んでいた北米と南北アメリカで、実に当然にも、一層の不安を生み出した。これらの実験によって引き起こされた、膨大な数の国民の健康への懸念を越えた、そのような挑発的な核戦力による威嚇は、ソ連との核戦争の明らかに差し迫った危険にまつわる恐怖を和らげはせず、増大した。

核戦争への軍事的な備えに関する新たな情報の急増を、広告業界用語では、広報の悪夢と呼ぶ。冷戦における両雄の軍国主義的な振る舞いに対して増大する恐怖と全般的な不安を背景にした、1953年12月8日、国連での有名な“原子力を平和に”演説のおかげで、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領は、二期、大統領職をつとめた。アイゼンハワーが、1961年、彼が軍産複合体と名付けた、民間と公的な権力の様々なネットワークによってもたらされる専制政治の増大する脅威について警告して大統領の座を去ることとなるのは意味深い。“原子力を平和に”演説中で、アメリカの願いは“人間の素晴らしい発明の才が、人間の死のために捧げられるのではなく、人間の生の為に捧げられるようなやり方を見いだすことだ”とアイゼンハワーは宣言した。原子の秘密を“いかにして軍の外皮を剥ぎ、それを平和の技術に採用する方法を知っている人々の手にゆだねることで”“恐怖の暗い部屋から、光の中に抜け出す”ことを彼は提案した。この理想を前進させるため、彼は“最大の破壊力”を“全人類の為になる、大いなるたまもの”に転換することを提案した。彼は続けた“アメリカ合州国は、原子力による平和的な力は未来の夢ではないことを知っている。既に証明された能力が現在ここにある。”xxiii

翌年、米原子力潜水艦、米海軍艦船ノーチラス号は試験運用を開始した。海軍がこの原子力潜水艦を成功裏に運用したことは広くアメリカ技術の勝利と見なされた。

ノーチラス号によって、アメリ
カ海軍、GEとゼネラル・ダイ
ナミクスは、アメリカ技術の
勝利、世界初の原子力潜水
艦を生み出した。

リッコーヴァー海軍大将は、すばやく、マークI技術を使って、潜水艦だけでなく、1954年から1957年の間、ペンシルバニア州シッピングポートで、世界初の“民生用”原子力発電所の設計、建設と試験に取り組むようになった。

この地上用プロジェクト建設は、アイゼンハワー大統領の“原子力を平和に”演説を実施するという名の下に行われた国家的、国際的プログラムを実施し、率いるという、より広範なアメリカの戦略の中心地となった。1985年の時点から、この歴史を振り返って、リッコーヴァーの伝記作家の一人は、世界に、いわゆる民生用原子炉を紹介したペンシルバニアのシッピングトンの実証プロジェクトで初期に起きたことの重要性を説明している。装置の歴史に関する下記の記事が、1985年夏、フュージョン誌に掲載された。

現在の標準からすれば小規模ながら(60メガワット)、シッピングポート原発は、民生用核技術の開発に非常に大きな影響を与えた。

ペンシルバニアのシッピン
グポート原子力発電所は世
界中の原発業界業の中心
地なのだ。1957年に完成し、
リッコーヴァー海軍大将は、
それを原子力発電産業を

配することになる、一世
丸ごとの技術者達の為
の訓練施設として利用した。

(少し前のコルダー・ホールにあったイギリス原子炉とは違って)これは全く軍用ではなかったので、設計は機密扱いされなかった。1954-55の間、海軍原子炉部門、ウエスチングハウスと、デュケイン[電力電灯社]が行った原発に関するセミナーに、世界中から何百人もの技術者が参加し、またウエスチングハウスは、プロジェクトのあらゆる面に関する何千もの技術報告書を公開した。シッピングポートは、1960年代初期に至るまで、こうして何百人もの技術者にとっての原子炉技術の学校として機能し、原子炉の設計は、その時以来、アメリカ合州国で製造された全民生用原子炉の四分の三以上と、外国の多くのモデルとなった。xxiv

アイゼンハワーの“原子力を平和に”演説に、アメリカ外交政策の主要テーマとして、アメリカ合州国の冷戦戦士達が飛びついた。これは、アメリカの最も重要なプロジェクトを、アメリカ同盟国、あるいは潜在的アメリカ同盟国を、アメリカに本拠を置く大企業の工業的サイクルや、アメリカを本拠とする金融体制によって運営される債務と債権という金融サイクル中に組み込む面での青写真となった。これは、アメリカ大企業の特殊権益と、その拡大する消費者、納入業者、協力関係、フランチャイズ、技術移転や特許協定という国際ネットワークと結びついた、アメリカ軍の覇権という特殊権益にぴったり対応する、冷戦資本主義の狙いを推進するための青写真となった。

1955年に国家安全保障会議が主張したように、公式、非公式、そして秘密の、対共産主義攻撃の責任を負った主要世界的機関としてのアメリカ行政府の膨大な拡張の主要表現“「原子力を平和に」は、アメリカの世界覇権を強化し、アメリカは原子の破壊的な利用にのみ関心を持っているという共産主義者の非難プロパガンダの反証となった。”xxv 1956年に、核エネルギーに係る議会委員会は、“原子力は、平和な原子力による平和に対するアメリカの意思の最も明確な象徴でなければならない。”と主張する同様な勧告を提案した。xxvi

南米では“原子力を平和に”というアメリカの売り込みで、アルゼンチンとブラジルで原子力発電所が早々と設置されることになった。極東では、台湾と韓国が核エネルギー・クラブに入会させられた。日本も“原子力を平和に”の名の下に原子力発電を採用するための助成金や融資へのアクセスによって促され、この政治組織ネットワークに引き込まれることとなる。だがもちろん日本では、こうした方向の行動は傷つけられた記憶と衝突し、わずか数年前にはアメリカの原子爆弾兵器で攻撃される側だった国の反感を引き起こした。

国際法学者で、イスラエル-パレスチナ紛争についての特別国連報告者のリチャード・ファルクは、二つの死のキノコ雲で、第二次世界大戦を終結した後に、提示されたファウスト的取引の恐怖を振り返っている。こうした悪魔との取引の本当の大きな意味が、今や福島第一の惨事という形で具現化しているのだ。関連を結びつけて、ファルクは、アメリカが広島と長崎を標的にしたことを“人類の歴史の中で、最大の単独の国家テロ行為”と呼んでいる。おそらく指揮系統上、最高位の高官にまで至る、福島大災害に対する責任を突き詰めることは、人口稠密で無防備な二つの日本の都市を全滅させるというアメリカの決定に伴う、これまで対処されずにいた犯罪性に取り組む、長年の懸案だったプロセスの起動促進に役立つだろう。xxvii

テレビ、反共産主義と、原子力エネルギー産業の日本への輸入

日本の原子力産業の支配者集団は、アメリカが率いる反共産主義のメディアとして、日本のテレビ業界設立と発展に不可欠だったのと同じ勢力の一団から出現した。全て冷戦の心理戦からヒントを得たこれら要素の収斂は、福島第一原子力発電所の工業インフラの設計、製造と設置に関与してきたアメリカに本拠を持つ巨大企業と、日本に本拠を持つ巨大企業の歴史を貫通している。これら大企業の中でも傑出しているものに、ゼネラルエレクトリックとウエスチングハウス、日本の財閥を基盤とする一部のコングロマリット、特に日立、東芝と三菱がある。

日本の降伏文書に署名する
ダグラス・マッカーサー将軍。
1945年から1952年までの

マッカーサーは日本にお
けるアメリカ占領軍の最高
司令官だった。

アメリカ・コングロマリットの、財閥を基本とするパートナー達は、第二次世界大戦前と戦後日本の、政治経済の結びつきの連続性を具現化している。1941年に真珠湾攻撃を命じた帝国の主人達の、戦争機構を駆り立てていたかつての財閥を基盤とする生産性と権力の構造を復活させる、というアメリカの決断を推進していたのは、反共産主義という要請だった。世界で三番目に大きな原子力産業を、地球上で最も地震の起きやすい地域に配置することから生じる政治判断の創世記を理解しようとするあらゆる努力の成功には、この歴史にたいする知識が不可欠だ。

福島核惨事で悲劇へと爆発した、イデオロギー的、政治的、商業的、そして工業的要素の不安定な混合の中で、様々な力が結びついていた。この混合の主要な触媒としての攻撃的な反共産主義は、サウス・ダコタ州出身のアメリカ上院議員と、元警務部長で、戦争布教者で、帝国日本における自分のマスコミ帝国を、第二次世界大戦後の日本での放送帝国へと拡張した人物を結びつけた協力のうちに最も鮮やかにたどることができる。この等式のアメリカ側の主要人物は、将来のアメリカ大統領リチャード・ニクソンと親交があったカール・ムント上院議員だ。1948年のいわゆるムント・ニクソン法案は、冷戦アメリカの帝都から発散する反共産主義戦略という高まる津波の直前に成立した。

ムント上院議員は、ジョセフ・マッカーシー上院議員が委員長を務めた、今では悪名高い非米活動委員会の最も強引なメンバーの一人だった。ムントは、いわゆる公然プロパガンダ流布の為のアメリカ政府機関、ボイス・オブ・アメリカの創設者でもあった。イアン・ジョンソンが書いているように、“冷戦プロパガンダは、、秘密と公然の二つの軌条上で展開された。映画、ラジオ、芸術や、交流事業やボイス・オブ・アメリカ放送を国務省が支援するプログラムは、明らかに政府の取り組みだということがわかるので、公然のプロパガンダと見なされた。秘密作戦は、密かに資金援助を受けた雑誌から、匿名の組織的中傷にまで及んでいた。”xxviii

ムントとマッカーシー上院議員は、共産主義活動の温床という疑惑がるものとして、芸能界に脚光を当てるという執着を共有していた。1950年、広く宣伝された“アメリカのヴィジョン”演説で、主としてアメリカ式の生活の理想化した画像を放送が及ぶ範囲を拡張することを目的としてテレビ技術という心理戦戦略を提案して、ムント上院議員はこの執着に新たなひねりを付け加えた。ムント上院議員は、トルコ、フィリピン、インドネシアと日本における商業テレビ・ネットワークの発展を特に強調した。広島と長崎の破壊という遺産をアメリカの卓越した技術の誇示として引き合いに出して、ムントはテレビのことを“See-Bomb(「見る」と「C」のゴロ合わせ)”と呼んだ。“テレビは建設的な善の連鎖反応を発動できるが、これは連鎖反応の破壊的影響力の規模の大きさの上で、A-bombに匹敵する”と彼は主張した。xxix

柴田秀利という名のラジオ解説者が、ワシントンにおけるムント上院議員の反共産主義という流行の楽隊と、日本の商業テレビ産業と、日本国内の核エネルギー計画の両方の創始者である正力松太郎の偏執的反共産主義との間の主な仲介人となった。

正力松太郎: アイゼンハワ
大統領の"原子力を平
和に"イニシアチブの日本
の表看板

リッコーヴァー海軍大将のチームがペンシルヴァニア州、シッピングポートに、いわゆる最初の“民生用”原子力発電施設を完成する前でさえ、正力は自ら1956年には、日本原子力委員会設立時の委員長となっていた。大日本帝国の1945年の敗戦以前の政権での歴史において、正力は、J. エドガー・フーバーと、ウィリアム・ランドルフ・ハーストのそれぞれれの属性の一部を兼ね備えていた。警視総監としての正力は、共産主義者のストや抗議運動の、国家による弾圧や残忍な扱いを指揮して満足を得ていたという点で、アメリカのFBI長官と良く似ていた。アメリカ軍がキューバとフィリピンという、残ったスペイン植民地を侵略するのをハーストが奨励したのと同様、読売新聞社主として、正力は日本による満州の植民地化を推進した。1930年代の東京都知事候補者として、1935年、正力はベーブ・ルースとニューヨーク・ヤンキースの日本ツアーを組織して、手際の良いポピュリストの手腕を示している。正力は野球チームの読売ジャイアンツを東京に設立して、この構想にけじめをつけた。

日本の潤沢な生産力を、裕仁天皇の帝国戦争機構に注ぎ込んだ貴族的な財閥一族に根ざす多くの実業家、資本家やメディア王同様、正力はアメリカのダグラス・マッカーサー司令官指揮下の占領軍によって、A級戦犯として捕らえられていた。

マッカーサー将軍の指揮の
下、巣鴨プリズンには多数
の"A級"戦犯容疑者がいた。
そうした囚人の中には、後に
非公式なアメリカ帝国におい
て、金融や産業の大立者と
なった正力松太郎や、他の
多くの財閥幹部がおり、日
本の満州植民地化における
主要な参加者という戦前の
実績を持ちながら、第二次
世界大戦後、日産グループ
企業勃興の背後の駆動力と
なった実業家鮎川義介と廊
下を隔てた反対側の監獄房
に正力がいた。

一部の評論家によって、巣鴨プリズンは、日本を占領しているアメリカ軍人達が、1949年以後、日本をソ連と中国共産主義の影響力の東進を閉じ込める為の資本主義大国へと作り上げるプロジェクトの上で、やがて大いに依存するようになる財閥エリート連中と知り合う一種の紳士ホテルとして見なされるようになった。xxx アメリカ反共産主義の当時の主要教義の一つ、封じ込め政策の西側部隊は、西欧とりわけ西ドイツということになった。

東京における戦犯法廷同様、ニュルンベルクの戦争犯罪法廷は、ナチスの恐怖の資本家と実業家の役割を軽視しがちだった。ソ連が支援し、ソ連の影響を受けた共産主義の西進を封じ込める資本主義の防塁を構築するという課題の為、ナチス戦争機構の金融・産業インフラを築き上げた連中を、奨励し、支援しなければならないと見なされたがゆえに、この結果が実現したのだった。xxxi 第二次世界大戦前のソ連式共産主義の蔓延に敵対するドイツと日本という二つの主要枢軸国家を、1945年以後、アメリカが率いる反共産主義の主要同盟国への転換は、20世紀中の地政学史における中心的現象の一つとなった。

公職に就いたり、日本のマスコミ・メディアで仕事をしたりするのを妨げる法的規制の対象ではあり続けたものの、正力は1947年に刑務所から釈放された。しかしながら、1950年、朝鮮半島がアメリカ合州国と中国赤軍との間の主戦場として燃えあがると、この種の制限も、あっと言う間に消滅した。1949年、毛沢東革命軍の勃興と、それに続く、アメリカ合州国内における反共産主義の熱狂的行動の高まりを促進した朝鮮戦争の開始だ。この展開は、ジョセフ・マッカーシーやカール・ムントらが率いた、権力の地位にあった、実際、あるいは想像上の共産主義者に対する攻撃に油を注ぐのに役立った。

日本において、反共産主義政策は、より広範かつ、より過酷に再現され、約30,000人の労働運動活動家、教師、公務員等が、極端に醜悪で攻撃的なレッド・パージで職を奪われた。xxxii この弾圧の反面で、アメリカ占領者が、1952年のサンフランシスコ条約で、権力を日本国民の自治に正式移譲する準備をしていた為、正力松太郎のような人物が、全ての法的規制を解かれることとなった。

正力が“追放対象から外される”1951年までには、そのおかげで日本テレビ放送網の創始者となれた、放送認可を申請し、得られるようになった多くの要素が既に整っていた。サイモン・パートナーが見ている通り、彼に対するアメリカ側の主要支援者の目から見た、正力の“最も輝かしい資格証明”は、彼の“反共産主義者という過去”であった。xxxiii 実際、1945年のA級戦犯容疑者から、産業界の大物、そして現実、想像上の、あるいは、でっち上げられた共産主義者を封じ込め、粉砕するというアメリカが率いるキャンペーンの最先端の兵士へと転じたのは、決して正力一人というわけではなかった。

有馬哲夫は、正力の日本テレビ網の創設と初期の運営におけるアメリカ反共産主義の役割に関する日本語書籍を著している。有馬の歴史描写は、アメリカという安全保障国家の内奥深くから生じた構想のほとんど看板役として、正力を描いている。彼は書いている。

そもそも日本テレビの設立には、アメリカ合州国様々な諜報・情報機関が関与していた。四つのグループの人々が関与していた。もちろんそこには、日本テレビ社長で、発行部数1000万部の読売新聞の所有者、正力松太郎と、彼の私設秘書、柴田秀利がいた。第二のグループは、日本ロビー(連合軍対日理事会)で、これは(i)元日本大使で、CIA顧問で、日記がハーバード大学図書館ホートン・ライブラリーに保管されている、ウイリアム・キャッスル、(ii)元日本の顧問で、CIAとともに、戦後日本における心理戦争に関与したドゥーマン・グループの指導者ユージン・ドゥーマン、そして(iii) RCA、ゼネラルエレクトリック他の弁護士だったジェームズ・カウフマンとで構成されていた。彼は東京大学教授で欧米法を講じていた。CIAのコピーは、彼はCIA工作員ではなかったことを示している。彼はAPとスクリップス・アンド・ハワード・グループのトップだったが、CIA顧問だった。四番目のグループ、昔の諜報機関OSSには、OSSのナンバー・ツーで、 日本テレビの弁護士のジェームズ・マーフィーと、OSS長官でMSA顧問の(Military Security Act)のウィリアム・ドノバンがいた。xxxiv

有馬は続けて、正力のネットワーク設立以来、最初の十年程の間に発展したテレビ文化の形式、内容とその源の概要を述べている。彼は以下のように書いている。

日本テレビは、娯楽やコマーシャルの道具として計画されたわけではなかった。プロパガンダと軍用通信の手段として計画されたのだ。日本テレビの設立は、反共産主義の軍事、プロパガンダ・ネットワークを作るCIAの作戦の隠れ蓑だった。計画を立てたのは正力ではなく、アメリカだった。アメリカは正力がネットワークを作るのを助けたのではない。アメリカはそれを作る為に、正力を利用したのだ。アメリカの全体的な反共産主義政策の中で日本テレビは世界規模の電気通信ネットワークの一環となる予定だった。

CIAとUSIA (アメリカ合州国情報庁)がアメリカのTV番組を提供した。1960年代末まで、アメリカ映画とTV番組が、日本のゴールデンアワーのTVを占めていた。こうした番組は、日本のTV文化を形成する上で極めて決定的な役割を演じた。日本のTVプロデューサーやディレクターも、これらのアメリカのTV番組からノウハウを学んだ。(彼らの一部は、USIAが後援した交流事業を通して、TV番組の制作方法を学ぶためにアメリカに派遣された) 日本のTV文化を計画し、設計したのは、CIAとUSIAだった。xxxv

読売新聞と、新たに創り出されたばかりの商業テレビ・ネットワークのオーナーによって開始された最初のキャンペーンの一つは、1955年に、東京で“原子力を平和に”というテーマに基づく展示会を推進することだった。アメリカと日本の支援者による奨励と支援の下、正力は自らに日本で最も熱心な原子力発電の推進者となるという仕事を課したのだ。もちろん正力の現在と未来の顧客は、それ以降の年月、日本経済の奇跡と同義語となるTV受像機や他の家電製品に電源を供給するための日本国内の新たな大電力源を利用できるようになることを要求することになる。

YouTube - Veterans Today -

正力による、核エネルギーの発電用としての“平和”利用推進は、この起業家が公的なイメージや認知度を高めたいお気に入りのプロジェクトを思い付く度に組織されるアメリカ人名士による訪問というパターンで続けられた。正力の狙いが日本の野球チームの設立であれ、TV認可を確保することであれ、原子力発電の推進であれ、彼の広報戦術は極めて首尾一貫していた。アメリカ原子力産業を日本国内に拡張する為に世論を整えるという正力の努力で、訪問したセールスマン連中の中には、当初から、アメリカ海軍原子炉部門の仕事に関与していた企業ゼネラル・ダイナミクス社長のジョン・ジェイ・ホプキンスがいた。東京での“原子力平和利用”博覧会に出席していた人々の中には、有名な核科学者で、マンハッタン計画の動力源で、金もうけの天才で、多才な起業家、アーネスト・O・ローレンスもいた。xxxvi ノーチラス号用の原子力発電装置開発で、リッコーヴァー海軍大将と密接に協力して働いた物理学者ローレンス・R・ハフスタッドが、東京の日比谷公園で発言した代表団を締めくくった。xxxvii

核の放射能で漁船、第福竜丸の乗組員23名を汚染した南太平洋のビキニ環礁でのアメリカの大規模水素爆弾実験に続いて“原子力平和利用”博覧会が開催された。乗組員の一人は間もなく死亡し、他の多くの人々も重い病気になった。事件は日本では広く報道され、この大失敗を“第二の広島”核爆発と呼ぶ記事も中にはあった。オペレーション・キャッスル・ブラボーという暗号名で、広島と長崎を破壊した爆弾の約1,000倍強力と計算されたいた。実験用爆弾は兵器の設計者達が予想した二倍以上の威力があったことが判明した。出来事に関する恐ろしいニュースが、ネヴィル・シュートにひらめきを与え、彼は『渚にて』を書いた。北半球における核戦争の荒廃の後、オーストラリア最後の生活居留地の一つについてのフィクション作品だ。xxxviii

日本漁船乗組員の被曝は、1955年、正力による東京での“原子力平和利用”博覧会推進の背後に潜む危険と矛盾を指摘する、多数の日本国民による抗議運動等を促進した。それにもかかわらず、マンガのロボット“鉄腕アトム”のようなポップ・カルチャー像の採用も含め、たゆみない売り込みの手腕を通して、正力は、世論を少なくとも、実行可能な発電方法として、原子力のしぶしぶながらの受容の方向に向ける上で、彼の新聞とテレビ帝国を役立たせた。もちろん、この一連の行動は、通常エネルギー源の大鉱床が存在しない、かなり狭隘ながら人口密度の高い島国において、かなりな独自の勢いを得た。

原子力産業を開始する為、原子力を売り込み、やがては政府の戦略を率いる上での正力の役割を、日本の核軍縮史の簡潔な概観の中で、河辺一郎が説明している。彼は書いている。

1954年、日本漁船がビキニ環礁地域でアメリカが行った核実験に巻き込まれた。これによって世論は、強い反米へと変わった。反米感情を弱めるべく、読売新聞と日本TVのオーナーで、かつてはA級戦犯とされていた正力松太郎が、原子力のイメージ向上に取り掛かった。もちろんアメリカと日本の両政府がこの目的に向かって協力したが、アメリカ人は非公式な資格で活動しており、正力の行動はあからさまだった。彼は、新聞とTVで、原子力を支持する広告を打ったのみならず、1955年2月に国会議員となり、更には、国務大臣、1956年1月に設置された日本原子力委員会の初代委員長となった。日本政府にとって、原子力発電の推進とアメリカ核兵器政策の支持は、最初から結びついていた。xxxix

原子力開発の最も初期的段階での、日本一の応援団長から、産業を監督・規制する職務へという正力の素早い変貌は、科学的厳格さ、商業的洞察力、公衆の安全という原則を尊重しそこねたこと、当たり前の常識の欠如という失敗の典型であり、それが今、福島第一核惨事のおかげで、一般公開状態になっている。原子力産業の推進者が、原子力産業の監督機関も兼ねるという現象は、日本において継続している特有の様相となっているが、事実上、おそらくドイツを例外として、世界中のあらゆる核政策推進諸国でそうなのだ。第二次世界大戦後の日本における正力の経歴は、地球上で最も地震と津波が活発な地域の一つにおいてさえ、原子力システムを一般需要用発電の主要手段として受け入れることを可能にした世論操作のプロセスについての多くを物語っている。

こうした監督上の利害の対立にまつわる秘密性ゆえに、2011年3月11日の仙台地震と津波で引き起こされた危険が全面的に展開している今ですら、日本の53基の原子力発電所を担当する監督機関が、公に対する完全な説明責任を与えられることなど到底ありそうもないものとなっている。

平和と責任: 核エネルギーの危機への反対運動への動員

アメリカ原子力産業の世界的な富の中に日本が深く組み込まれたことの説明は、旧敵の憲法を生み出す上での、アメリカ合州国の役割を入念に検討することなしには完成できない。日本占領における、アメリカ軍最高司令官ダグラス・マッカーサー将軍の指示の下、1947年に起草されたこの文書の9条はこう宣言している。“日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。”

1952年 アメリカ軍による日本の正式占領期間は、サンフランシスコ条約によって終了した。この国際条約に伴ったのは、1945年の日本降伏後に設置された、多数の米軍基地維持の為の法的枠組みを用意する日米安全保障条約だった。9条に成文化された戦力の放棄が、日本をアイゼンハワー大統領の“原子力を平和に”イニシアチブの申し子にする過程で、プロパガンダを利用する為のし仕掛けを用意するのに役立った。この解釈上の要旨は、日本の国会で1955年に採択された原子力基本法の表現に見て取れる。この法律は、原子力を“人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与する”ために“利用する”という日本の意図を成文化した。この法律は、日本原子力委員会の法的基盤を樹立し、その最初の委員長は日本で最も熱心なマスコミの原子力応援団長、正力松太郎だった。

原子力基本法の重要な一節、第一章、第二条は、日本国憲法の第9条の内容と一致するように書かれていた。“原子力の研究、開発及び利用”条項が詳述している。“平和の目的に限り”日本の核計画は“安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし”こうした努力で得られた結果の情報は“その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。”

河辺一郎が説明している様に、広島と長崎の原子爆弾の大災害で敗北させた後のアメリカ対日戦略の核は“日本軍国主義を支持した旧体制の復興だった”xl かつての主要な敵、そして今やアメリカ合州国の主要な友人という正力の役割が、このパターンを示している。正力は日本版の“原子力を平和に”戦略を進める勢いを維持し続けたを。そうしながら、日本を、アメリカ合州国とフランスに次ぐ原発産業を擁する第三位の国にする工業化という英雄物語へと向けるのを手助けしたのだ。

広島から福島に至る途上で、アメリカ合州国において、リッコーヴァー海軍大将とそのパートナー大企業によって開発された、核エネルギーを推進するための戦術の幾つかを、日本政府は模倣した。1963年から1976年までの間、例えばアメリカが率いる原子力産業は、動力試験炉における積極的一般啓もうキャンペーンを通して、その権益を推進しようと努めた。この施設は、1957年以後、シッピングポート原子力発電所で始められていたのとほとんど同じ機能を、日本で推進したのだ。

日本の原子力産業拡張の背後にある、あらゆる誇大宣伝や政治的影響力にもかかわらず、日本社会のある部分では、1955年に東京の日比谷公園で始まった、正力の広報キャンペーンに反対する抗議行動のような、この政策推進への活発で断固とした反対が生まれた。時として、この反対運動は、核兵器製造と発電の両方に向けられる核エネルギーのあらゆる利用を禁止する活動へと向けられた。この問題に対するより広範な取り組みは、例えば創価学会という日本の強力な仏教団体による運動でも一貫していた。広島と長崎を焼いて灰にすることで世界にもたらされた強力な技術産業の拡大に対処する、より包括的な対策を狙って、1973年、彼らは1000万の署名を集めた。

ワシントン帝国やアメリカ軍の主要パートナー大企業による戦略推進に、日本当局の最高幹部でさえ必ずしも常に屈服していたわけではない。1960年、例えば、日本の池田勇人首相は平和主義者の岡崎勝男を日本の国連大使に任命した。1961年、岡崎大使は、極めて異論の多かった核兵器使用禁止宣言という国連総会決議を支持した。そうすることによって、日本はアメリカ合州国の主導に反対し、国連の最も包括的な総会で多数派に与した唯一のいわゆる“欧米”国家となった。日本は大多数の国連加盟国のと共に、核兵器の開発と利用は国連憲章の主要な条項に違反していると主張した。

日本では、原子力産業の活動や、その拡張政策に反対する多数のNGO、非政府組織が増大してきた。そうしたNGOの一つが、1975年に東京に設立された原子力資料情報室だ。仙台地震と津波の翌日、CNICは下記の声明を含むプレス・リリースを発表した。“昨年12月、日本政府は核エネルギー政策の見直しを始めた。見直しは本質的に既存の政策を肯定する考え方で始められた。このやり方は、もはや実行可能なものではない。政策再検討の方向は、全く逆にするべきだ。出来るだけ円滑かつ迅速に、核エネルギーを廃止する政策を策定する方向に転換されなければならない。”xli

3月11日の予想可能だった地震と津波によって引き起こされた福島核惨事前でさえ、CNICや他の多くの団体による一般への啓蒙活動が、世論の潮流を、慎重に警戒する方向へと次第に変えつつあった。2005年、例えば、調査対象となった人々の五人に一人しか、日本に新たな原発を建設するのに十分な程、原子力が安全だとは考えていなかった。xlii

上関原子力発電所建設を止
めさせることを狙う人々は
座り込みデモ、ハンガースト
ライキ、美術品展示や、中国
地方を本拠とする中国電力

の直接対決を実施してき
た。

この反対運動の最も強力な重心の一つが、瀬戸内海地域で、中国電力による上関原発施設建設を止めさせようという活動だ。この汚されていない日本固有の生態系の宝庫は生物の多様性が豊富だ。計画に反対する人々の戦術には、ハンガー・ストライキ、座り込みや、多数の祝島住民と、上関原発を準備している請負業者との直接対決などがある。xliii

六ヶ所核燃料再処理工場も、近年非常に論争の的になっている場所だ。日本原燃株式会社が所有する六ヶ所工場は、放射性廃棄物を、高濃度のプルトニウムを含む強化されたMOX燃料として再製するため、使用済み核燃料棒を“再処理する”論議の的となっている工場だ。2008年、六ヶ所再処理事業停止運動は、何千人もの参加者が東京の街頭で抗議行動をした。彼らは放射性廃棄物のいわゆる“再処理”に伴う核の危険性を強化することを終わらせることを要求する何百もの団体の代表と言われている。ストップ六ヶ所運動は音楽や他の芸術作品を多数活用している。xliv

リチャード・ファルクは核時代のファウスト的契約を回想してこう語っている。核エネルギーのリスクは“客観的に評価すれば、長年広く知られていたが、事実上脇におかれてしまっていた。”彼は続けて言う。“メキシコ湾であれ、福島であれ、ウオール街であれ、こうしたリスクを抑え、極小化しようとし、更に事故が起きた際には、責任を犠牲者達に転嫁しようとして狂ったように動き回るのは強欲な利潤追求者達だということで、人類の未来を考える時、私はふるえてしまう。”xlv 災害発生時に、責任を犠牲者になすりつけることにまつわる、ファルクの観察は、ブルームバーグ・ニューズの記事に、はっきりと描かれている。3月23日、通信社は報じている。“原子力産業ではなく、日本の納税者が、チェルノブイリ以来、最悪の事故の片づけ費用の大半を負うが、この財政救済は、企業に更なる責任を負わせようとする、他の国々による動きを駆り立てる可能性がある。”

見たところ、福島災害に対処して、その性格や規模を国民に向けて説明する、主要な危機対応チームに依然として残っているのは、東京電力社員と幹部だ。ブルームバーグ・ニューズの報道によれば、現在、大部分の責任を負っているように見える企業体は、財政的には、原子力発電所で生じていることで引き起こされるであろう損害全ての責任を負うわけではない。東京電力は、事故に由来する第三者の損害を、わずか21億ドルまでの金額だけ責任を引き受けるというもののようだ。不幸にして、いまだに展開しつづけている災害の規模に比べ、この数値は小さく見える。ブルームバーグは更にこう付け加えている。“もし政府が、原子炉を襲ったマグニチュード9の地震と津波は‘例外的な’不可抗力だったと宣言すれば、この公益企業は、損傷を受けた作業員、農民や株主達から要求される可能性のある補償を支払う責任を免れることができる。”xlvi

福島核惨事の現場から放出
された有害な放射性ガス

もし公益事業を提供している企業、あるいは複数の企業が、企業の無能力、不正行為、あるいは過失から生じた、住民の健康や生態系に対する攻撃の法的責任を負わなくとも良いのであれば、公共事業を民営化する論理は一体何だろう? 記録されている記憶の中で最大の地震と津波から回復する一番最初の段階を何とか乗り越えようとしているところを襲った、防げたはずの核の大惨事で被った損害の大半の費用を負担する集団的責任を負うというニュースを、日本国民は一体どのように受け止めるべきなのだろう?

東京電力は既に有限企業責任を確立したもののように見えるが、災害の人的要素に関与していた、アレヴァやGEや他の多くの企業の第一の関心事項は、自らの製品を擁護し、それによって、様々な形の違法行為に対して訴えられる可能性を回避しようとすることだった。3月18日、例えば、GEは以下のプレス・リリースを発表した。“マークIは、あらゆる監督官庁の要請に合致しており、40年間以上、しっかり機能している。”GEはこう補足した。“マークI格納容器の設計は、技術の進歩と、変わり行く監督官庁の要求に対処すべく、1980年代に改造された。監督機関によって要求された全てのこうした変更は実施された。”xlvii

核爆弾の製造と運用における自分達の発明や製造手順の法的責任を逃れようとした、こうした企業のやり方は、この産業の始まりから、明らかで、首尾一貫している。第二次世界大戦中のゼネラルエレクトリックのCEO、チャールズ・ウィルソンの要求についてコメントして、世界初の核兵器を作り上げるプロジェクトの歴史家はこう述べている。“‘並外れた、予想出来ない性格の’危険がからむので、GEは契約に関して生じた全経費の全額回収と、責任に対する保護を期待していた。”原子力産業の初期段階で、“自分達の行為に対し、全く責任を負わない”という大企業の一貫した“主張”において決して例外があってはならないのだ。xlviii

原子力産業における事故の結果から、私企業を免責することは、1957年のプライス-アンダーソン法で正式なものとなった。原子力委員会を設立した1946年の原子力法の一部を修正したのだ。納税者が、原子力産業の企業の活動によって死亡したり、負傷した人々に対するあり得る支払いの最終的な受け手となっていることに対する一つの理由は、この種の事業のリスクを引き受けようという民間保険会社が存在しないことだ。議会はプライス-アンダーソン法を1967年、1975年、1988年と、2005年に更新した。2005年の最も最新の延長では、更に20年間有効と制定された。xlix

プライス・アンダーソン法が、この分野におけるアメリカの指導を受け入れた諸国に対して、基本的にアメリカの核技術と共に輸出されたものの法的原型だ。一体なぜ歴史始まって以来、最悪の天災の結果に対処しようとしている多数の国民が、その恐ろしさの程度の全貌がいまだに不明な、避けることが可能だった、あるいは少なくとも部分的には避けることが可能だった核事故の大半の責任を負わされたままになっているのかということを説明するには、アメリカの“原子力を平和に”戦略が、第二次世界大戦後の日本の工業化の中に取り込まれて行ったやり方の歴史が役立つだろう。

自由放任主義の極み

『ベイルアウト・ネーション(Bailout Nation)』という本の中で、バリー・リソルツは、2008年に始まり、ウオール街から世界経済に広がった金融の悪疫の起源を説明しようと試みている。金融崩壊を分析しようとしてきた大半の人々と同様、リソルツは、経済メルトダウンを、様々な類の企業幹部による略奪、無能力や詐欺が蔓延することを可能にした規制緩和の行き過ぎに起因するとしている。幹部達、特に金融サービス部門の幹部達には、災難が必然的に起きた際には、主要な組織が破産するのを救うため、政府が納税者のお金を活用するだろうと期待するあらゆる理由があったことを論証するのに、リソルツは歴史を拠り所としている。

金融メルトダウンやBPによるメキシコ湾の産業汚染同様、福島核惨事も、益々おなじみになりつつあるパターンの、もう一つの劇的な例に思われる。日本における核の危機は、公益事業の提供を含め、公共事業の提供が、いわゆる民間部門に押しつけられた場合に、一体何が起きるかを、さらにもう一度明らかにしている。福島の危機は、あれやこれやの主要な事業が規制緩和されたまま、一般人がその結果を負わされ、莫大な企業犯罪の費用を支払わさせられるような場合に、一体何が起きるかを例証している。再三再四、利益は私有化され、悪化する住民の健康、国民の貯蓄、社会的一体性や、生態学的平衡といった、事業を行うことに伴うコストは、単に丸飲みにされるか、あるいは長期間にわたって繰り越される納税者の債務として社会化されるように見える。“つけは子孫に払わせろ”というのが、我々の不安定で持続不可能な経済制度の標語になってしまったように思える。

リソルツは、ロナルド・レーガンが、“現代の過激な規制緩和運動の知的な父親”だと指摘している。l 重要なのは、1954年から1962年までの間、ゼネラルエレクトリック社のテレビ番組の主要な代弁者として雇われていた間に、レーガンは極端な事業の規制緩和哲学を学び、養ったのだ。彼はこの間、CBSテレビ・ネットワークで放送される評判の高い毎週のドラマ番組、ゼネラルエレクトリック・シアターのホスト役だった。

アメリカ国民に対する最も目立つGE代理人として、レーガンは雇い主の企業文化にどっぷり浸かったのだ。GE経営層は、核技術を軍事作戦と民生部門に適用するに当たり、冷戦心理戦争への企業の深い関与と共に、アメリカ合州国という非公式の帝国全体に広く拡張した。既に見てきた様に、GE製品と方法の一部は、日本の発展にとって極めて重要だったことが分かっている。li

ロナルド・レーガンは、バリー・ゴールドウォーターが、1964年にアメリカ大統領選挙に出馬した際に支援して、効果的な反共産主義政治家として注目をひき始めた。その大統領選挙戦の間、レーガンは“公権力の政府侵略 ”を警告し、“我々が我々自身に計画するよりも、遥か遠くの首都にいる少数の知的エリートの方が、我々の命に対してよりうまく計画できてしまう”という考えから、“アメリカ革命を放棄”することに警告した。1966年のカリフォルニア州知事の職から、1981年、アメリカ大統領職へと移る際に、レーガンは彼お馴染みのセリフ“政府は我々の問題に対する解決策ではない。政府が問題なのだ。”を完成させていた。lii

YouTube - Veterans Today -

福島の核惨事の、前段階と、その起源において、現在、強力で、責任を負う政府が欠如していることがまざまざと示されている。我々が必要としている陸軍工兵隊は今どこにいるのだろう? ゼネラル・エレクトリックはどこにいるのだろう? これだけの緊急度の重大さが、出番を要求していると思われる大量避難を支援するためのアメリカ海軍はどこにいるのだろう? 東京電力が提示する見せかけの背後を調べ、この危機の基本的な条件を生み出したたとに実際の責任を負う人々からの答えを探し求めるべき調査レポーターはどこにいるのだろう? 広島の苦しみから、福島の苦しみへという日本の変遷に対する責任の大きな部分を負っているアメリカ政府はどこにいるのだろう?

リッコーヴァー海軍大将だったら、広島と長崎に投下された爆弾に由来する技術遺産による、この福島での結果をどう見るだろう? ノーチラス号とシッピングポート原子力発電所の主任技師として、いわゆる“民生用”原子力発電所の増殖に向けた筋道を設定する手助けした、この軍産複合体の象徴的人物は、晩年、自らが辿った筋道への見識を問われた。1982年、議会委員会でのプレゼンテーションで、リッコーヴァー海軍大将はこう反省している。

原子力利用の話に戻りますと、生命を可能にすべく、自然が破壊しようとして来たものを、我々は作り出しているのです… 放射線を創り出す毎に、特定の半減期、場合によっては何十億年のものを生み出しているのです。人類は自滅すると思いますし、この恐ろしい力を制御し、廃絶しようとすることが重要です.. 放射性物質を生み出す以上、原子力にそれだけの価値があるとは思いません。そこで皆様は、なぜ私が原子力推進の艦船を作ったのかと質問されるでしょう。あれは必要悪です。できれば全部沈めたいと思っています。これで、皆様のご質問にお答えできているでしょうか?liii

リッコーヴァー海軍大将は、彼自身の疑問にしっかり答えたと私は思う。だが小生が、このエッセイの出だし部分で、あなたに読者に問うている大きな問題についてはどうだろう? 私の質問は下記の通りだ。一体どうして、この核の危険性の組み合わせが、地球上で最も地震が活発な地域の島国の一つ日本で発達することが許されてしまったのだろう? 本エッセイがこの重要な疑問の何らかの答えを示唆するきっかけとなれるよう願っている。

 

“広島から福島へ、1945-2011の注(訳注:リンク切れのものもある)

記事原文のurl:www.veteranstoday.com/2011/03/28/from-hiroshima-to-fukushima-1945-2011/

----------

同じ筆者による別記事も先に翻訳した。福島第一: 原子力発電所から核兵器第一へ

著者の2010年刊の大作、Earth into Property142ページには、NAFTAを例にあげ、TPP出現を予言しているかのような記述がある。

この話題にご興味がおありなら、広島市立大平和研究所田中利幸教授のバンクーバー講演録は必読。日米政府による原発推進と核兵器政策は最初から表裏一体のものであった: April 08, 2012

使用済み燃料棒発火の危険性については、アーニー・ガンダーセン氏も、9月のシンポジウム講演などで詳しく説明しておられる。また「原子力村」についても、たしかnuclear villageというような表現を使って、日本に限らず、アメリカも同じ状況にあると発言しておられる。アーニー・ガンダーセン氏、日本は原子力から撤退することができるはずであり、撤退を勧めると結論でおっしゃった。(日本の原発撤退に対し、アメリカ・原子力村から維持せよという圧力があるのか、本当にあるのであれば、どうすれば良いか、までは発言されなかった。

冷戦、国外の敵、共産主義ソ連、中国と戦うだけではない。支配階級は、国内の敵である、強力な労働組合、強力な野党を徹底的に排除し、無力化した。東京電力でも、その排除はすさまじいものだった。

「東京電力」研究 排除の系譜』斎藤貴男著、社内における異端派の強烈な排除の様相を詳細に描いている必読書。孫崎氏の本同様に売れて欲しいもの。

日本ジャーナリスト会議の記事、原子力規制委の「赤旗記者会見締め出し」と、「核」と「原子力ビジネス」の存続、必読だ。

反共プロパガンダの延長・継続、不都合な真実を報じるジャーナリズムに対する露骨な弾圧。提灯持ち・茶坊主マスコミなら書かせてやる。本当の記事を書くことは許さないという宗主国・属国支配層の露骨な意志表示。もちろん、商業マスコミは自分たちが虚報・プロパガンダ機関であることがばれてしまう報道機関の排除、決して本気で報道しない。原子力規制委というのは、原子力寄生委である事実、これでわかる。「村野瀬麗奈の秘書広報室」では、「原子力報道規制委員会」と命名しておられる。
要するに、臭いモノに蓋委員会。大変な税金の無駄遣い、もう一つのシロアリ集団。

属国は、宗主国の都合で

  • 原爆を落とされ
  • 原発を導入させられた。もちろん「偉大な」実業家、政治家、組合、学界、司法、マスコミ界に走狗がいればこそ。そして、
  • プルトニウム製造の為、もんじゅや原発や再処理を、滅亡するまで続けさせられる。

筆者、文中で有名な「福竜丸」事件について触れている。もちろん、原発史に触れている本、皆「福竜丸」事件について言及している。

うかつにも、アメリカ核実験で被災したのは、てっきり「福竜丸」一隻と思い込んでいた。冷静に考えれば、そんなはずはない。マグロ漁船一隻で日本の消費を賄えるわけがない。

同時期、約1000隻にのぼる漁船・船員が被災していた。中にはとてつもない線量を浴びた方々もおられたようだ。政府間賠償金交渉がまとまり、市場でのマグロの放射能検査も突如打ち切られた。

『放射能を浴びたX年後』、アメリカ政府からも日本政府からも見捨てられたまま、何の保障も受けずに亡くなった船員の方々が多数おられたのだ。廃船の線量を生徒たちと計測する場面もある。ドキュメンタリー映画を見て初めて知った。NNNドキュメントで放映されたものがもと。NNNドキュメント、素晴らしいが深夜放送。

放射能を浴びたX年後』必見の映画。製作著作:南海放送

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Kakunouminoshougen 映画に合わせ、映画に登場される山下正寿氏による『核の海の証言-ビキニ事件は終わらない』も刊行されている。1800円税別。

「大本営広報部」といつも一括してマスコミの悪口を書いているが、もちろん、このNNNドキュメントのように例外はある。

核の海だったビキニに帰郷すべきかいなかで悩むマーシャル諸島の人々を描いたNHKドキュメンタリーWAVE「除染された故郷へ~ビキニ核実験・半世紀後の現実~」も力作。

『放射能を浴びた26年後』のウクライナ・レポート、NHK・EVT特集『チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告 ウクライナは訴える』も秀逸。

画面の情報だけではじっくり考えにくいが、『低線量地域からの報告』チェルノブイリ26年後の健康被害が出版されている。馬場朝子・山内太郎著 NHK出版 1400円

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本記事と繋がる内容の講演が下記で見られる。2012/12/22 豊島公会堂での小出裕章氏と広瀬隆氏。合計およそ4時間。

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コメント

近代戦争そのものが武器商人と国際金融勢力による八百長。
ソ連への圧力としてゲンバクが落とされた?

共産主義と資本主義の対立とは?
それを操り画策しているのは?

現実に起こっている事象をまともに評価するのではなく、
権力者の顔色を伺い、自分にお金が入ってくるかどうかしか
考えてない人間だらけってのが実態で、よくも美しい国とか
言えたものだな、と現実を分析すると思えてきます。

大変な長文の翻訳、お疲れ様です。
リッコーヴァー提督が推進したマーク1欠陥原子炉を原子力科学者、GEの技術者が何度も改修や是正、他のより安全な原子炉へ転換を訴えてきたのに、わざと無視・隠蔽されてきた事は覚えておく必要があるでしょう。(もちろん、日本での反対学者の冷遇も)
日本国家・政府レベルでの反論・反発が無駄に終わったのは当然ですが、米国本土でも改善されなかった(米国は国家威信を傷つける失敗には総力をもって分析、巻き返しを行う国。例:真珠湾攻撃後の反攻、サターン計画など)のは、米国政府よりも上の意向があったからなのでしょうね。

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