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2012年4月 7日 (土)

ケン・ローチの『ルート・アイリッシュ』: イラク戦争帰還す

2010年トロント国際映画祭-第7部

David Walsh

2010年10月21日

本記事は、第7回目で、最近のトロント映画祭(9月9-19日)をテーマにした一連の記事の最終回である。第1部は9月23日、第2部は9月28日、第3部は10月1日、第4部は10月6日、第5 部は10月14日、第6部は10月18日に掲載。

ルート・アイリッシュ

40年以上、イギリス人監督ケン・ローチは映画制作上の重要人物だ。まず彼は、最近“偉大なイギリス・テレビ番組100選”リストで二番目の得票を得た『Cathy Come Home』 (1966)や、『The Big Flame』 (1969)等のテレビ作品を監督し、『夜空に星のあるように』(1967)や、特に『ケス』(1969)等を含む映画で1960年代末に有名になった 。

ローチは、労働者階級の状況、現代社会主義の運命への共感と関心で知られている。彼の映画は、過去と最近のスターリン主義(スペイン内戦と東ドイツ)、1926年のイギリスのゼネスト、アイルランドにおけるイギリスの圧政と挑発、そしてほとんどの場合、労働者達の肉体的、心理的状態に取り組んできた。

1960年代後半と1970年代前半、他の多くの監督、脚本家、俳優、編集者やプロデューサー等と共に、この映画監督がイギリスにおけるトロツキー主義運動に関与していたことが、ある種の問題に対する理解を可能にしている。労働者階級は社会変化の媒体であること、社会主義というものは、スターリン主義とは反対であること、社会が野蛮状態に陥るの防ぐには、社会主義変革が必要であること等。

長い年月と出来事によって、彼の考え方は角が取れ、労働組合への継続的な、当然とは言えないほどの関心を含め、一般的な左翼主義へと変わったが、虐げられた人々に対する明確な感情と、彼等の状況、考え方や感情を表現するという願望を、ローチは持ち続けている。アンドレ・ブルトンの言葉を借りれば、“根本的に自分の意見を変え、自分自身が宣言したことを、自虐的、自己顕示的な形で破棄して、意気揚々と、その為に尽くすのだと喧伝していたものと全く逆の大義の闘士になる”という、余りに多くの元“極左”映画制作者(ジャン・リュック・ゴダール等)によって表されている光景と、彼の進化とを、しっかり比較する必要がある。

イギリスの権力層は、ローチを目の上のコブと見なしている。2006年、アイルランド独立戦争(1919-1921)と内戦(1922-1923)の物語『麦の穂をゆらす風』公開後、ローチと脚本家ポール・ラヴァーティは猛攻撃を受けるようになった。映画は、虐殺と拷問のシーンを含め、アイルランド国民に対するイギリスによる弾圧の残虐行為をありありと描いている。

2006年のマスコミの暴力的な反応は、イギリス帝国主義の残忍な歴史を隠蔽しようとすると同時に、映画が、明らかに暗黙の内に言及している、イラクにおける現在の新植民地主義作戦も擁護しようという試みだった。

イギリス連立政権の現教育相マイケル・ゴーヴは、『麦の穂をゆらす風』がカンヌ映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞した際、タイムズ(ルパート・マードックの刊行物)に悪意に満ちた記事を書き、ローチ等を“自分の国をけなす連中”だと非難した。ゴーヴは歴史を改竄し、ローチ等の映画は“民主的な道筋が常に開かれていたにもかかわらず、自分たちの狙いを実現する為に、残忍な暴力を用いた”運動である“IRAを理想化”していると主張した。

同じ出来事に対し、タイムズのティム・ラックハーストは更に踏み込んで“熱心なマルクス主義の監督”と激しく非難し、“親ナチス派の映画制作者レニ・リーフェンシュタールは、自分の作品が貢献した邪悪な大義を完全に理解していたわけではないので一定の理解の余地があるが…ケン・ローチにはそうした甘やかしをするにはあたらない。”と述べた。

当時WSWSが書いた通り、もう一つのマードックの新聞サンは、『麦の穂をゆらす風』を“親IRA”と呼び、デイリー・メールは、映画を“曲解”と呼んだ。サイモン・ヘッファーは、テレグラフで、この映画を“有害”と非難し、映画を見ていないことを認め、“ヒトラーがどのようにシラミのような人物であったのかを知るために『我が闘争』を読む必要がないのと同じことだ”と宣言した。

一方、筆者は、過去17年間にわたり、同時代の映画界の誰を最も尊敬しているのかを映画監督達に常に質問してきた。既に書いた通り、ケン・ローチは、トロントでの我々との対談で、真面目な人々の間で(フランス、イラン、ギリシャ、スペインや、他の国々の) 一番良くあがった名前は彼の名だった

それはそれとして、筆者は必ずしも彼の映画制作の全てに同意したり、称賛したりするわけではない。一部の映画(たとえば、『ブレッド&ローズ』、『ナビゲーター』) そして、より一般的に、彼が属するイギリス新写実主義の傾向を、島国根性と、本当に心に残るドラマを構想し、作ることの困難さという点で鋭く批判してきた。

私が2005年10月に書いた私の考えは、今も変わっていない。

“フィクション映画の一つの方法が、イギリスの新写実主義派、あるいは、自然主義、あるいは‘ドキュメンタリードラマ’と関わり合いを持ち続けている。数十年後、ケン・ローチの名は依然として際立っている。しかしながら、ローチの芸術的限界や、政治的軌跡について思うところがある人々はいても、彼の一連の作品は、かなりむらはあるにせよ、真剣なものであることには殆ど疑問の余地はない。

“良い脚本があり、強力な個性の俳優(プロであれ、アマであれ)がいて、彼にとって得意な場所で、ある種の自発性を生かせる場合には、全体として忘れがたいドラマとは言えなくとも、ローチは実に感動的な瞬間を生み出している。それが、『マイ・ネーム・イズ・ジョー』や『やさしくキスをして』の優れて、本物の部分だ。一方、最悪の場合、不慣れな、あるいは、趣味に合わない環境では、彼の作品は、政治的に図式的になったり、感情的に不自然になったりしがちだ。(『ブレッド&ローズ』、『ナビゲーターズ』、『Sweet Sixteen』)

“ほとんど誰もが原則を放棄する時代に、何十年も前の、彼自身の革命的社会主義運動体験の影響による、労働者階級の生活の場面や問題へのローチの継続的な関与は、かなりの層の映画芸術家達を惹きつける極として持続している。時には、思いも寄らない映画制作者のインタビューで、彼は‘身売りをしていない’等々のローチ称賛に出会うことがある。特に、…自尊と気取りの海の中で孤立していると感じている、社会派のフランス人映画制作者達にとって、ローチは‘そうではない’何かを象徴しているのだ。これは単なる幸運や誤解として片づけられるべきではない。”

もし、人がローチに、社会的な現実を映画で表現するには他にも方法があるだろうと指摘すれば、彼は単にこう答えるだろう。“そう、これが私のやり方だ、私ができるやり方はこれだけさ。”彼に、いかさまや、芸術的不誠実は皆無だ。過去30年の荒涼とした映画界という光景の中で、彼は目を引く。

今年、彼の新作で、ポール・ラヴァーティが脚本を書いた『ルート・アイリッシュ』を上映するため、ケン・ローチはトロントにでかけた。この映画の題名は、バグダッドのグリーン・ゾーンとバグダッド空港を結ぶ道路にアメリカ軍がつけたあだ名(“世界で最も危険な道路”)からきている。

2007年を舞台に、映画は、イギリス軍のエリート部隊SAS元隊員で、後にイラクで民間傭兵になったファーガス(マーク・ウォーマック)を中心においている。リバプールに戻って、バグダッドの自分の治安チーム(月に10,000ポンド、非課税)に入るよう彼が誘った子供時代からの友人フランキー(ジョン・ビショップ)が、“ルート・アイリッシュ”で殺されていたことを知る。

ファーガスは、フランキーの死に関する公式説明を拒否し、最終的に友人の未亡人レイチェル(アンドレア・ロウ)の協力を得て、独自の調査を開始する。彼はイラク人に対して行われた戦争犯罪と、これら犯罪を隠蔽する陰謀を発見する。残虐行為の明らかな犯人イギリスに帰国すると、ファーガスは暴力的行動に出る。イラク体験に取りつかれ、フランキーの死を巡る罪悪感を抱き、人をあやめたファーガスの選択肢は一つに絞りこまれる。

映画についてのメモで、脚本家ポール・ラヴァーティは、戦争の民営化について多少説明している。彼は、ある解説者が“占領の最盛期、イラクには、約160,000人の外国人タントラクターがおり、彼等のうちの多くは、恐らく50,000人にものぼる連中が、重武装した警備担当者だ。…と推計していると書いている。

“アメリカが任命した連合国暫定当局の代表、ポール・ブレマーのおかげで、こうしたコントラクターの各人全員、新たなイラク国会に押しつけられた命令17号という形で、イラクの法律からの免責特権を与えられていた。”

ラヴァーティはこう続ける。“一体何人のイラク人民間人が、民間請負業者によって殺害されたり、負傷したりしたのかを数えることに興味を持っているものは皆無だが、悪行がはびこっていたことを示唆する膨大な証拠が存在している。ブラックウオーターによるバグダッドのど真ん中での民間人17人の虐殺は最も悪名高い出来事だが、報道されないままの出来事がもっと沢山あった。

“命令17号は、イラクでは破棄されたかも知れないが、その精神は依然、至高のものとして君臨している。腐るほどある刑事免責、嘘、国際法の軽視、ジュネーブ協定無視、秘密監獄、拷問、殺人…何十万人もの死者。”

『ルート・アイリッシュ』は残酷で、濃密で、怒って、実にまともな主題を扱っている。ドラマが依拠している、イラクにおける恐ろしい出来事は真実味がある。ラヴァーティとローチは、イラク戦争と占領を扱うのに、ある程度は自分自身の過去も受け入れざるを得ない、鍛えられた傭兵に焦点を当てるという、並外れた、芸術的に極めて意欲的な手法を選んだ。

最近の多く脚本、『この自由な世界で』では、必死な移民達を搾取する会社を経営する労働者階級の女性、(コチャバンバの水紛争を扱った)『Even the Rain』では、誰を犠牲にしようとも映画を完成させると断固決意した、ひねくれた映画プロデューサーという具合に、ラヴァーティは、人の心を惹きつけるとはほど遠い主人公を物語の中心においている。正しくも、そうした複雑で、当初は魅力のない人物達の運命に向き合うことで、自分も観客も、客観的な矛盾に近づける可能性があると脚本家は決心したのだと思われる。

ところが、元SAS隊員で、イラクで高給の、大変な仕事をしてきたファーガスは、毛色の違う人物なのだ。ひどく傷つけられ、他の人々に深刻な被害を負わせた人物だ。そのような人間は、我々にはとうてい分からないのだろうか?そんなことはない。しかし、ラヴァーティとローチは、そのような人物が、自分や他の人々がしたことに誠実に直面する為に起きたであろう、その人物の内的革命を、劇的に表現しているわけではない。

実際問題、ファーガスが戦争のことを、自分自身のことを、傭兵という職業のことをどう思っているのかが、すっかり明確になっているわけではない。映画制作者は、恐らく心理的リアリズムの名において、主人公に、自分自身が脱皮すること無しに、元の雇い主と対立するようにさせたのだろう。元傭兵が、単に古くからの友人に献身する余りに、傭兵派遣業者-軍事権力集団に挑戦するということがありうるだろうか。いくつかの瞬間を除いては、彼等の友情が、納得するほど十分には感じられない。我々はファーガスの気持ちの変化を信用するよう要求されるが、それだけでは先に進むのに十分ではない。

観客にとっては、映画の主人公に対する態度を、主人公の行動に応じて変えることは可能だ。しかし、その場合は、我々にとって、映画制作者自身の態度が良くわからなくなる。観客がそれに対して様々な感情を持ち得たであろう、ファーガスの性格の別の面を鋭く表現する代わりに、映画はどちらかと言えば、そこから彼の内的葛藤の激しさを、観客が推測すべきだとでもいうかのように、どんよりしたグレーな光で彼を描いている。

二つの海が合流する場所では、水が水車池の様に穏やかな場合もあるだろうが、水車池の光景だけでは、二つの水塊が拮抗する力を理解する助けにはならない。『ルート・アイリッシュ』では、結果は、暴力行為があるにもかかわらず、ある種単調なものだ。

ローチとのインタビューで、彼は特にこの映画がもたらす難題について、何度か触れて、この問題に気づいているように見えた。ある時点で彼はこう語っている。“制作するのが難しい映画、首尾よく作るのが難しい映画になるだろうということは皆分かっていたと思います。”不幸なことに、映画制作者が、うまくやれたようには思えない。

いずれにせよ、ローチとラヴァーティは、現代の真実を浮き彫りにするための取組みを継続しようとするだろうし、我々は彼等の映画制作を大いなる関心を持って見守ることになる。文化的な雰囲気は、確実に良い方向へと変わりつつあるが、彼等はずば抜けた、称賛すべきチームで有り続けるだろう。

[ケン・ローチとポール・ラヴァーティとの関連インタビューも参照されたい(英語記事)]

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/oct2010/tff7-o21.shtml

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最近マスコミで話題にされた、コムデギャルソンを宣伝し、原発推進の旗を振った、「戦後の大思想家」を思い出す文章だ。

“根本的に自分の意見を変え、自分自身が宣言したことを、自虐的、自己顕示的な形で破棄して、意気揚々と、その為に尽くすのだと喧伝していたものと全く逆の大義の闘士になる”

映画『ルート・アイリッシュ』については、好意的ながら、いささか辛口?な評価だが、小生のような素人が見る限りは決して単調な映画ではない。

この映画と対の?もう一本の映画が公開中。『誰も知らない基地のこと

原題はStanding Army、普通「常備軍」と訳されている。字幕では「駐留軍」。意味が違うように思え、気になった。以下、『ルート・アイリッシュ』ではなく、『誰も知らない基地のこと』について書く。

北朝鮮: 米日同盟に好都合な脅威によるタイミングの良い「衛星打ち上げ」を活用してミサイル配備推進中の今、必見の世界支配基地ネットワーク映画。

「衛星打ち上げ」を活用したプロパガンダについて、目取真俊氏が「自衛隊が東北で見せた顔と沖縄で見せる顔は違う」で指摘しておられる。

監督の一人、エンリコ・パレンティ氏、「イラクやアフガニスタン戦争反対の行動があるが、反戦を言うのであれば、そこから戦争が始まる場所「基地」にも反対するべきだろう。」「沖縄基地は沖縄だけの問題ではない。高江でのジャングル戦演習は遊びではない。」

パレンティ氏がトーマス・ファッツィ氏と映画制作を始めた時点では、沖縄の事情は知らなかったようだ。ヴィチェンツァ基地だけを取り上げようとしていたものらしい。時間だけで言っても、沖縄の話題(アメリカ軍とは違って、本当に平和のために非暴力で戦いつづける沖縄の方々の描写等)はかなりの割合を占めている。

まず実写画面として現われるのは、コソボ・ボンドスティール基地、そして沖縄の普天間基地、ディエゴ・ガルシア基地は米軍提供の写真?基地建設の為に島から追われた島民のインタビュー。基地帝国アメリカについての映画、当然チャルマーズ・ジョンソン氏も登場される。

東京義塾 Standing Army 2、この『誰も知らない基地のこと』のみならず基地問題についても詳しく書かれている。

以下は本ブログにある基地関係記事翻訳の一部。

チャルマーズ・ジョンソ氏の記事をいくつか訳してあるが、直接映画の中の言葉と重なる記事を一つ挙げておく。「常備軍Standing army」問題にふれている。

チャルマーズ・ジョンソン: 『復讐の女神ネメシス: アメリカ共和国最後の日々』

名前は出てこないが、最低県外といいながら意思貫徹できずに潰された首相や、基地問題については、ガバン・マコーマック氏の記事を訳してある。

オバマ対鳩山: 不平等で、違憲で、違法で、植民地的で、虚偽的な米日協定の素性

ディエゴ・ガルシアの基地について訳した記事には下記がある。

民主主義に対する世界戦争

コソボのボンドスチール基地の様々な福利施設が紹介される。このボンドスチール基地については、たとえば下記の記事を訳してある。

ワシントン、バルカン半島に新植民地を獲得

ところで、原子力安全委、全員留任だという。どうやら今日も4月1日のようだ。原子力寄生虫規制庁が発足するまでだという。

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コメント

自国内に革命が起こらないように1%側が必死に争いを作り出しているのでしょうね。
大体1%対99%の構図なら普通に革命が起きておかしくない状態ですが、その状態が
継続するというのは1%側が非常に賢くて、99%側が○○だからですね。

戦争にしろ、原発にしろ個々の現象は手段であって、構図としては1%の支配体制を
守れればそれでいいってことじゃないですか。

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