« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

2012年4月

2012年4月30日 (月)

魚は頭から腐る

犯罪あるいは証拠無しの裁判

Paul Craig Roberts

2012年4月25日

アンディ・ワージントンは、犯罪の証拠が存在していない“被拘留者”に対するアメリカ政府の違法な虐待に関する真実の報告を専門とする素晴らしい記者だ。(http://www.andyworthington.co.uk/) 証拠を創り出すための取り組みとして、アメリカ政府は違法にも拷問に頼った。拷問は、更なる拷問を逃れるために、偽りの自白、司法取引や、他の人に関する虚偽の陳述を生み出す。

これらの理由から、英米法では、何世紀にもわたり、拷問によって得られた陳述で自己を刑事告発の対象にするのは証拠として認められずにいた。秘密の証拠は、容疑者と弁護士に対しても伏せられてしまった。秘密の証拠には直面しようがない。秘密の証拠は潔白な人を有罪にするためにでっち上げられたものだとして、信用を得られない。証拠が秘密なのは、それが白日の下にさらされるのに耐えないからだ。

万一証拠を開示すれば、国家安全保障が脅威にさらされると主張して、テロリストとされる連中に対する訴訟で、アメリカ政府は秘密の証拠に依拠している。これは見え透いた、たわごとだ。テロリストの証拠を提示することがアメリカ合州国の国家安全保障を脅かすなどというのは馬鹿げた主張だ。

全く逆に、証拠を提示しないことが、あらゆるアメリカ人の安全を脅かすのだ。政府が、秘密の証拠を基にして、被告に有罪を宣告できてしまえば、公正な裁判という概念すら消滅するだろう。公正な裁判など、もはや過去のこととなるが、その概念だけ消えずにただようだろう。

秘密の証拠は公正な裁判という概念をだいなしにしてしまう。公正と法の支配をだいなしにしてしまうのだ。秘密の証拠で、誰でも、いかなる罪によってでも有罪にされてしまい得るのだ。カフカの『審判』のように、人々は自分がそれで裁かれ、有罪判決を受ける犯罪が一体何なのかを知ることがなくなるのだ。

この英米法における驚くべき展開、責任をとらないブッシュ/オバマ政権が要求した展開に、弾劾手続という結果さえ起きていない。議会、連邦裁判所、売女マスコミ、法科大学院、憲法学者や、弁護士会でも、騒動になってはいない。

政府の9/11陰謀論を受け入れたアメリカ人は、誰かに代償を払わせたいのだ。連中は、誰であれ代償さえ払わさせらればそれで良いのだ。この願望に対応するため、政府はアラブやイスラムの氏名の“値打ちある被抑留者”を何人か創り出した。

だが、こうした犯罪者とされている人々を裁判にかけ、彼等に対する証拠を提示するのでなく、彼等を拷問地下牢に何年間も閉じ込めたまま、彼等に対して訴訟を起こすため、自己負罪による有罪にしようとして、苦痛を与えたり、精神衰弱をさせたりしている。

政府は目的を達成しそこない、実際の裁判所に持ち出せるものとて何もない。そこで、ブッシュ/オバマ政権は存在しない証拠を秘密にしておくことが絶対に必要だという“国家安全保障”の信用度を高めるため“軍事法廷”を作りだしたり、再度作り出したりした。

アンディ・ワージントンのきわめて多くの記事は拘留されている人々の話や処遇を伝えている点で素晴らしい仕事だ。彼は称賛と支持に値する。しかし、私がしたいのは、ワージントンにでなく、アメリカがテロの脅威下にあるという考え方への質問だ。

今年の9月で、9/11は11年前のことになる。ところが対テロ戦争にもかかわらず、アメリカ人のプライバシーや市民的自由は失われ、何兆ドルも無数の戦争に費やされ、拷問等々で、アメリカ法や国際法が侵犯されたのに、誰も責任を問われずにいる。この両者は違う連中だと仮定して、犯人も犯人達に出し抜かれた連中も責任を問われていない。11年間ずっと、悪党の裁判も怠慢な官僚達の懲罰もなしだ。これは異例だ。

9/11の政府説明は、あらゆるアメリカの警備機関・諜報機関更には、NATOの傀儡諸国のそうした組織や、イスラエルのモサドなどの大規模な失敗を意味している。

政府の公式説明も、国家安全保障会議、NORADや米空軍、航空管制、空港の警備の失敗を意味している。大統領、副大統領、国家安全保障顧問、国防長官の、同じ日の朝、一時間に四回もの失敗を意味している。

左派やリバタリアン連中の多くも、これは中央集権化した、圧政的な政府の明らかな失敗だと見たがって、9/11に対する“政府の失敗”公式説明に固執している。しかしながら、それほど大規模な失敗など断じて信じることができない。もしアメリカ政府がそれほど全く無能だったのであれば、ソ連との冷戦をアメリカは一体どのようにして生き延びられたのだろう?

もし我々が19人のハイジャッカーとされる人々に、『Vフォー・ヴェンデッタ』のV達や、ジェームズ・ボンドや、キャプテン・マーヴェルを凌ぐスーパーヒーローの力を認め、これらの若いテロリスト、主にサウジ・アラビア人が、CIA、FBI、MI5やMI6、モサド等々に加え、ディック・チェイニー、コンディ・ライス、統合参謀本部や、トニー・ブレアを出し抜いたと考えるのであれば、大統領、議会や、マスコミが、連中を首にしろと要求するのを期待してもよさそうだ。アメリカが9/11に味わった、大国の不面目な侮辱はいまだかってないものだ。ところが、人類の歴史の中で、なんとも目ざましいほど成功したテロ攻撃と見なされているもの、あまりに大成功した為に、アメリカ政府丸ごと、そして全同盟諸国の政府の重大な過失を意味する攻撃に対して、全く誰一人、何人かの下級の航空管制官さえ、スケープゴートにされることなく、責任を問われてもいないのだ。

どこかおかしくないだろうか。大失敗をしても何の責任も問われない。世界の中で最もふんだんに資金を投入されていた治安機関が一握りのサウジ・アラビア人に敗れたのだ。CIA、FBI、NSA、NORADや国家安全保障会議の一体誰が胸を張れるだろう? なんと不名誉なとんま、無能連中であることか。

そういう連中が何の役にたつのか?

ハイジャッカーとされている人々を検討してみよう。9/11攻撃で不意打ちされたことになってはいるが、FBIは間もなく、ハイジャックしたとされている定期便の乗客名簿に、ハイジャッカーとされている人々の名前の誰一人として載っていなかったのが明らかという事実にもかかわらず、19人のハイジャッカーの身元を特定することができた。

アメリカで乗客名簿に載らずに、一体どうやって19人の乗客は飛行機に搭乗したのか?

ハイジャッカーとされる連中が、四機の定期便に搭乗していたのかどうか、筆者自身が個人的に知っているわけではない。さらに、9/11の公式説明を擁護する連中は、ハイジャッカーの名前は公表を伏せられ、9/11研究者達が長年、犠牲者名簿を乗客名簿と取り違えていた後、四年程たってようやく公表されたのだから、大衆に公開された乗客名簿は“犠牲者名簿”であり、乗客名簿ではなかった、と主張している。これは奇妙な説明に思える。なぜ乗客名簿を伏せて、何年間も世間に誤情報が出回るように仕向け、代わりに犠牲者名簿を公開するのだろう? 9/11の数日後にハイジャッカーのリストをFBIが公開した以上、ハイジャッカーの名前を秘密にしておくためであったはずはない。更に当惑させられるのは、もしハイジャッカーの名前が飛行機の乗客名簿にあったのであれば、ハイジャッカーの氏名と人数を確認するのに、なぜFBIが数日かかったのかということだ。

研究者達は乗客名簿に関するFBI説明に矛盾を発見し、FBIが様々な名簿に名前を足したり引いたりししており、幾つかの名前は綴りが間違っており、FBIが本当はその人物が一体誰なのか知らない可能性を示唆している。2005年に最終的に公開された乗客名簿の信ぴょう性は論争の的となっており、どうやら名簿は2006年のムサウイ裁判で、FBIによって証拠として提示されなかったようだ。デイヴィド・レイ・グリフィンが、9/11の説明を包括的に調査している。彼の著書の一冊、「9/11から十年後」で、グリフィンはこう書いている。“FBIは、9/11の朝までに航空会社から乗員乗客名簿を受け取ったと主張しているが、2005年に現われた‘乗員乗客名簿’には、9/11から一日、あるいはそれ以上後までFBIにはわからなかった氏名が載っている。この2005年‘乗員乗客名簿’は、従って、9/11の四機のオリジナル乗員乗客名簿ではなかった可能性がある”

航空会社そのものも積極的だったとは言えない。なぜ乗客名簿のような、単純で単刀直入な証拠が、何年間も伏せられ、秘密性と論争にはまり込んでいるのかというミステリーを、我々は押しつけられたままだ。

BBCや、続いて他の報道機関が、FBI名簿に載った6人か7人だかのハイジャッカーとされる人々は健在で、テロの陰謀に全く関与していないことを明らかにしてしまったという更なる問題も我々は抱えている。

こうした点は政府の9/11説明が極めて根拠薄弱に見える膨大な理由の一端ですらない。

だが「マトリックス」に徹底的に接続されているアメリカ国民は、論拠薄弱な政府説明を不審に思わない。それどころか、アメリカ国民は、事実や政府説明を不審に思う専門家のことを不審に思っている。公式説明に疑問の声をあげる建築家、技術者、科学者、緊急救助担当者、パイロットや元公務員達は、陰謀説を唱える連中として片づけられてしまう。一体なぜ無知なアメリカ国民は、専門家達より自分の方が良く知っていると思うのだろう? 兵器査察官がブッシュ大統領にフセインはそのような兵器を持っていないと報告していたという事実にもかかわらず、サダム・フセインが大量破壊兵器を持っているという意図的な嘘を国民についた政府を、アメリカ人はなぜ信じるのだろう。そして今、あるとされてはいるが、ありもしないイラン核兵器で、またもや同じことが繰り返されている。

フランツ・ファノンが書いているように、認知的不協和の力は極めて強い。その力のおかげで、人々は脅威を感じるような情報は受け付けず、安穏としていられるのだ。大半のアメリカ人にとって、政府の嘘の方が、真実より好ましいのだ。彼等は「マトリックス」から切り離されたくないのだ。感情的、精神的に脆いアメリカ人にとって、真実は余りに不愉快なのだ。

ワージントンは被拘留者達に対して加えられつつある危害に焦点を当てている。被拘留者達は人生のかなりの時間を虐待されてきた。拷問や、自己の陳述で自分を刑事告発対象にしていることや、強要された他の人々に対する証言によって証拠が損なわれている為、彼等が潔白なのか有罪なのか、確定することは不可能だ。彼等は政府の告発のみによって起訴されているのだ。こうしたことは本当に間違っており、ワージントンがそれを強調するのは正しい。

彼とは対照的に、私が焦点を当てているのは、アメリカに対する害、真実と真実の力に対する害、法の支配と政府の連中と政府機関の説明責任に対する害、アメリカ政府の道徳的な基礎構造、アメリカ合州国における自由に対する害だ。

格言の通り、魚は頭から腐る。政府が腐れば、アメリカ合州国も腐るのだ。

Paul Craig  Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリップス・ハワード・ニューズ・サービスと、クリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the WestHOW AMERICA WAS LOSTThe Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。

ご寄付はここで。https://www.paulcraigroberts.org/pages/donate/

記事原文のurl:www.paulcraigroberts.org/2012/04/25/trials-without-crimes-or-evidence/

----------

Paul Craig Roberts氏の最新ブログ、胸が痛くなるような文章が冒頭に書かれている。

自分のために書いているわけではない。読者のために書いている。(かつて、アメリカ支配層トップの一員だった彼が)こうした正論を発言するたびに、友人たちが離れて行くのだという。運営にかかわる寄付を求めておられる。

「貧者の一灯」として、彼への送金を真面目に考えている。

「魚は頭から腐る」という文句の典拠、小プリニウスという人の書簡のようだ。英文 4.XXII. -- To Sempronius Rufus. ギリシャ語典拠は見つからない。仮に見つかったとしても、小生にとってはギリシャ語だ。That's Greek to me.

As in the body corporal, so in the body of the State, the most dangerous diseases are those that spread from the head. Farewell.

「魚は頭から腐る」という言葉はない。以下のような趣旨だろう。

人の肉体同様、国家の肉体についても、最も危険な病気は頭から広がるものだ。

ニュースは交通事故ばかり。(個人的には免許取得以来、数十年無事故・無違反。秘訣はないが車には一度も触れていない。)連休中のマスコミ・プロパガンダ攻撃を見たり、読んだりされる暇とお金がおありなら、名著『自動車の社会的費用』宇沢弘文著、岩波新書を読まれた方がためになるだろう。「お年を召され、ぼけてTPPに反対されている」などと暴論を吐く人もいるが、正気でおられればこそ、反対しておられるのだろう。新自由主義の本山シカゴ大学におられながら、フリードマンのインチキ理論にかぶれなかった方だ。

良い書評は沢山ある。例えば、行間に揺らめく怒りの焔/『自動車の社会的費用』宇沢弘文

事故を起こした運転手は早速逮捕され、会社も捜索を受けている。

魚の頭の場合、交通事故と比較にならない歴史上最大級の災害を起こしても、誰一人逮捕されず捜索も受けない。「ニュース反比例の法則」があることを再認識させられる。

  • ニュースを扱う報道時間、新聞記事の面積と、その話題の重要さは反比例する。

最大の属国の頭が最大の宗主国の頭に会い、恐ろしい命令を嬉々として受けてくる。

人類の歴史の中で、なんとも目ざましいほどひどい原発事故と見なされているもの、あまりにひどかった為に、政府丸ごと、そして宗主国政府の重大な過失を意味する原発事故に対して、全く誰一人、何人かの下級の原発作業員さえ、スケープゴートにされることなく、責任を問われてもいない。

格言の通り、魚は頭から腐る。宗主国政府が腐れば、属国政府も腐る。

2012年4月23日 (月)

バーレーン: サウジ-カタールを隷属させるための鍵

バーレーンでネオコンが長年暖めてきた計画はサウジ-カタールを屈服させるためのレバレッジ・ポイント役を果たす

Tony Cartalucci

2012年4月11日

landdestroyer.blogspot.com

死刑の際、首の上方に置かれている斧のように、サウジアラビアとカタールの両専制世襲政権には、いつ誘発されても不思議でない、アメリカがあおる"アラブの春"の不安がのしかかっている。それを常に思い出させてくれるものは、サウジとカタールの権力の震央、バーレーンのスンナ派王家の不安定化だ。

画像: 島国バーレーンがカタールとサウジ本土の間に位置している事を示す東部サウジアラビア地図。サウジアラビアやカタール同様、専制的なスンナ派君主国バーレーンは、近隣諸国隣国を牽制し、他のアラブ世界をひっくり返す現在の"アラブの春"電撃作戦に同行させるための見せしめとして、西欧によって選び出されたのだ。(画像をクリックすると拡大)

バーレーンの抗議運動は、エジプト、リビア、シリア、ミャンマー、北朝鮮、タイや、その他のものと同様に、アメリカ国務省によって、訓練され、装備を与えられ、支援されている。バーレーン人権センター等の主要な反政府組織は、国際人権連盟(FIDH)のような、米国務省が資金援助しているフロント組織と直接提携している。知名度の高い自称抗議運動指導者アブドゥルハディ・アルハワジャは、フォード財団、フリーダム・ハウス、オープン・ソサエティー研究所が資金援助している"人権"擁護団体である"フロントライン・ディフェンダーズ"の地域コーディネーターだ。アルハワジャは獄中で"ハンガー・ストライキ"を実行している。

画像: 米国務省が資金援助しているネオコン系のフリーダム・ハウス、フォード財団、オーク財団や、シグリッド・ラウジング・トラスト等を含むフォーチュン500社の財団によって資金援助されているもう一つの陰険な"人権"擁護フロント組織フロントライン・ディフェンダーズのスクリーンショット。アブドゥルハディ・アルハワジャの右側の"自由の為のハンガー・ストライキ"バナーに注目。バーレーンの抗議運動は、チュニジア、エジプト、リビアや、シリアで見られたような西欧の不安定化工作と瓜二つだ。(画像をクリックすると拡大).

ツイッター・アイコンを滑稽にも"アルハワジャを救え"バナーに変更し、バーレーンにおける"民主主義推進"闘争に関し、最近も執拗にツイートしているフリーダム・ハウスを含めたフロントライン・ディフェンダーのスポンサーによる全面支援を、アルハワジャは受けている。上記の通り、フリーダム・ハウスは"人権"擁護団体などとはほど遠く、実際は露骨なまでに虫のいい大企業・資本家のグローバル覇権という目的のため、人権の大義を利用しているのだ。

 

 

 

 

 

 

ビデオ: 1993年、フリーダム・ハウスの上部組織、全米民主主義基金(NED)に関するノーム・チョムスキー発言: "それは、超党派民主主義キャンペーンから期待できる類の代物だ。つまり、いわゆる民主主義を、つまり大衆の干渉無しに、公式の選挙手順という枠組みの中で、金持ちと権力者による支配を押しつける企みだ。"

"NEDとフリーダム・ハウスは戦争挑発屋の帝国主義者達によって運営されている"で報じた通り、フリーダム・ハウスは、その上部組織、全米民主主義基金(NED)(バーレーン人権協会に直接資金援助している)と二人三脚で、考えられる限り最も露骨な戦争挑発屋と大企業・金融資本権益連中に運営されており、いわゆる"人権"と"民主主義推進"団体の枠内で、標的とする国家のあからさまな転覆のためにその立場を示威的に悪用してきた。

画像: 2012年4月11日時点のフリーダム・ハウスのツイッター・ページ・スクリーンショットを見ると、いつもはフリーダム・ハウス自身のロゴが置いてある場所に、"アルハワジャを救え"アイコンがある。悪名高いネオコンのフロント組織、フリーダム・ハウスは、ウィリアム・クリストルのネオコン・アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)の生まれ変わり、外交政策イニシアチブ(FPI)と協力して、最近は柄にもなくバーレーンに取り組んでいる。時を同じくして、サウジアラビアとカタールという隣接する二つの君主国への圧力は、最初は対リビアの、そして今度は対シリアの軍事作戦に対し、サウジとカタールによる支援を、ワシントンが要求しているのと同期しているように見える。

無視されることの多かったバーレーンでの抗議行動に対し最近急激に注目が高まる中、フリーダム・ハウスに加わったのが、あらゆる意味でアメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)最新の生まれ変わり「外交政策イニシアチブ(FPI)」だ。悪名高いネオコン連中、ウィリアム・クリストル、ロバート・ケーガン、ダン・セノア、エリック・エーデルマン、エレン・ボークやジェイミー・フライら、この組織の前に、まさにPNACがそうしていたように、彼等全員、ブルッキングス研究所やハーバードのベルファー・センターや外交問題評議会 (CFR)等、フォーチュン500社が資金援助しているシンク・タンクの内外で活動し、FPI会員として、主として戦争支持言説を量産している。彼等の最新の仕事は、NATOが率いるリビアの骨抜きと、アルカイダのリビア・イスラム戦闘(LIFG)へ引渡し推進への関与だ。連中は現在シリアでの再演を狙っている。

 

 

 

 

 

ビデオ: "未完の2月14日蜂起:バーレーンは今後どうなる?"アメリカが仕組んだ"アラブの春"におけるバーレーンの将来を巡って陰謀を企てるべく、米国務省が資金援助するPOMEDとFPIのネオコンおせっかい屋連中が合流したのだ。

2012年2月、FPIは全米民主主義基金が資金援助しているプロパガンダ・フロント組織の中東民主主義プロジェクト(POMED)と協力して、"未完の2月14日蜂起:バーレーンは今後どうなる?"という題名のイベントを開催した。発表者には、CFRのネオコン、エリオット・エイブラムスや、チュニジア、エジプトやシリアの不安定化において極めて重要な役割を果たしたインターナショナル・クライシス・グループ(ICG)のジュースト・ヒルターマンがいる。

画像: FPIの2012年4月11日、NEDが資金援助しているPOMEDと協力して、アメリカが支援するバーレン人反政府運動指導者アルハワジャの監獄からの釈放呼びかけに関するツイートのスクリーンショット。偶然にも、新たな対シリア行動に対するサウジとカタールの支援がまさに必要な時に、FPIは、NEDやフリーダム・ハウスと協力して、最近は柄になくバーレーンに関心を深めている。バーレーンは、この二つのスンナ派君主国家に対するワシントンのレバレッジ・ポイント(わずかな力で変化を起こさせるつぼ)なのだ。(画像をクリックすると拡大)

90分のFPI-POMEDイベントを聞いて感じるのは、バーレーンの紛争をできるだけ長く引き延ばし、究極的に隣国サウジアラビアを脅そうとしているということだ。またバーレーンは、リビア、シリアやエジプト同様に、街頭紛争に、治安部隊の徹底的な暴力行使で対応したにもかかわらず、バーレーンは、リビア、シリアや、エジプトがそうであったのと同様な"悲惨"で"緊迫した" 表現で語られてはいない。イベントでのパネル・メンバーは、バーレーンの運命はサウジの運命と直接繋がっており、バーレーンのハリーファ王家の存続は"実存的に"サウード家に結びついていると述べた。確かに、アル・ハリファ家を打倒するのに十分なほど激しくなったアメリカによる転覆工作は、今度は、何十年間にもわたる専制支配に由来する、不安定性という火薬だるの上に自ら腰掛けているサウド家への"実存的"脅威となるだろう。

サウジアラビアの安定は、アメリカ合州国によって作り上げられ、武器を買わされ、資金援助されている、サウジの巨大な安全保障機構に依存している。多くの場合、アメリカは、国内秩序の維持という点で、サウジ治安部隊と作戦上協力してきた。特にバーレーンがすっかり崩壊するにまかせた後、単純にサウジの足をすくうのは朝飯前だろう。そうなった場合、そのようなカードが出されるのを防ぐ見返りとして、サウジは一体何を支払うのだろう? フリーダム・ハウスとFPI内部のネオコン戦争挑発屋の一体どこから、バーレーンの人道的懸念に対する"感受性"が生じたのだろう? イラク、イラン、リビアや、シリアの場合には、むき出しの軍事侵略の為の粗野で不細工な口実だったことが極めて明らかだ。バーレーンの場合は、ずっと微妙だ。

写真: サウジ軍はバーレーンへ入り、アメリカが支援する反乱の鎮圧を支援することを"許された"。あらゆる西欧マスコミで、ごく僅かか全くふれられなかったのは、主として、サウジ・アラビアとカタールが既にリビヤでの西欧の野望を全面支持を約束していたからだ。....

チュニジアから始まり、リビアやエジプトを覆いつくし、今やシリアを混乱させている西欧の"アラブの春"電撃作戦に、サウジアラビアもカタールも膨大な資源を提供してきた。カタールは、リビアのテロリストが政権を権力から追い出す中、テロリスト連中に軍隊、飛行機、兵器と現金を提供し、カタール政府経営の報道機関になりすましたアル・ジャジーラで、"アラブの春"の間中、24時間/7日間のプロパガンダを提供した。効果的なことに、サウジ王家を標的にする"怒りの日"が計画されているというニュースとともに、アメリカが率いる対リビアNATO作戦に対する、サウジによる武器と支援の"要求"があらわれた。サウジアラビアとカタールが対カダフィ策の全面的支援を誓った後に、予定日は到来し、ごく僅かの影響しか及ぼさずに去った。

同様にシリアでも、両王国は兵器と現金と、武器を取りシリア政府と戦うシリア人テロリストの"給料"さえ提供していた。シリア対策の次のステップで、ワシントンが指図するリビア式エスカレーション用の"安全な避難所"と"人道回廊"を、NATO加盟国のトルコが設置するのを支援する段になると、西欧は予想通り、バーレーンに一層圧力を加え始めた。

画像: 当初から、バーレーンにおける反乱は、アラブ世界を襲ったアメリカ仕込みの"アラブの春"の印をまとっていた。CIAが資金援助している"オトポールの拳骨マーク"すら、バーレーンの抗議行動参加者達によって使われている.

だから、アメリカが仕組んだ"アラブの春"をサウジとカタールが支持したのは、利他主義や連帯感によるものではなく、最近の失敗を克服するため、対シリア策に大量の支持が必要な決定的時点に、少なくともサウジアラビアでは、西欧によって既に騒乱がひき起こされ、奨励されつつあり、またバーレーンでは、西欧によって一時的にあおられて、怒りがじわじわ高まるのを甘受するしかないという、自己存続への恐怖によるものであることはきわめて明らかだ。自国民にして来たのと同様に、ウオール街とロンドンに成り代わり、近隣諸国に対する裏切りをこれだけやりつくしてきたカタールやサウジアラビアに共感するのは困難だ。アラブの同胞達に対する甚だしい裏切りをする中、果たして彼等はシリアとイランが崩壊すれば、次ぎが自分たちの番であることを理解しているのだろうか?

ウオール街やロンドンのテーブルに、カタールとサウジアラビアの専制政権用の席はない。自らの改革と、身近な所への外国の干渉を手助けするのではなく、干渉を阻止することこそが両国の究極的な自己防衛となろう。

記事原文のurl:landdestroyer.blogspot.jp/2012/04/bahrain-key-to-saudi-qatari-servitude.html

----------

「F1ラリー」の話題には注目されても、バーレーン王室を思い浮かべられる方は少ないだろう。

「アメリカ第五艦隊の母港であり、飲酒が許されているイスラム国なので、ホテルのロビーには、へべれけに酔った伝統的衣装のアラビア人紳士と、適当に酔っているであろう米軍兵士達が行き交っている」と思う。

宗主国は、属国において、支配に好都合な政治体制(王室、政党、政治家など)を維持する。支配に不都合になれば、そのいずれでも、好きなように処分する。

興味深い電子版記事がある。アメリカの新聞記事をかいつまんだものだ。

「ここ数年で最も賢明」 米紙が首相の手腕評価   日本経済新聞 2012/4/21 0:08

いつ消滅するかわからないので、恐縮ながら転記させていただこう。

米紙ワシントン・ポスト(電子版)は19日、野田佳彦首相へのインタビューに関連した「日本は難しい決断ができるか」と題した記事で、首相を「ここ数年のリーダーで最も賢明だ」と評価した。その理由として消費税率の引き上げや原子力発電所の再稼働、在日米軍再編、環太平洋経済連携協定(TPP)参加問題への取り組みを挙げた。一方で今月30日の日米首脳会談が成功したとしても内閣支持率の低下を背景に野田政権は「続かないかもしれない」との見方を示した。(ワシントン支局)

賢明というのは、sensibleの訳だろう。日本の支配機構が誰のためにあるのかが良く分かる記事だ。宗主国広報誌でなければ載らない本当の記事。

元記事 Can Japan make the tough decisions?

    • 日本という部分を「現代版満州国」に
    • 首相という部分を「国務院総理」におきかえれば、

実態、さらにわかりやすくなるように妄想している。

    • かつて日本は「満州国」を設立し、宗主国として支配した。
    • 現在日本は「新満州国」となり、宗主国に支配されている。

日本の無条件降伏の際、統治制度が無傷で残された。伝統ゆえに壊すことができなかったからという理由ではなく、間接支配に便利と判断したからだろう。

以来、60余年、官庁は宗主国現地支部として、総理大臣は新満州国「国務院総理」として、機能している。

イラクでは、バース党も政府機構も徹底的に破壊された。国家が潰れても、石油さえ搾り取れればよいのだから。

一方、この国の場合、石油が自然に湧くわけではない。属国国民になんとか働かせ太らせ搾り取るためにも、世界支配の基地を配置し、整備機能を享受するためにも、属国としての国家、一定程度安定していなければならない。

放射能にまみれても、属国民の健康・福祉などなんのその、TPPで、郵政、保険、医療等を徹底的に絞り尽くす。

再度原発事故が起きれば、三沢・厚木・横須賀等、本土の基地こそ撤退するかも知れないが、搾取は続けるだろう。(さすが沖縄に原発はない。)

ウオール街やロンドンのテーブルに、最も忠実な属国政権用の席はない。自らの独立と、身近な隣国への外国の干渉を手助けするのではなく、干渉を阻止することこそが、究極的な属国自己防衛となろう。

2012年4月18日 (水)

オバマケアとは何か?

Paul Craig Roberts

2012年4月10日

戦後期(第二次世界大戦後)に育ったので、今日存在している奇妙なカフカ的世界で暮そうとはよもや思ってもいなかった。行政機関が、ある人物をアメリカ政府の“脅威”となりうるとみなせば、アメリカ政府は、アメリカ国民の誰でも、暗殺したり、あるいは裁判所にいかなる証拠も提示せずに、不運な国民を一生地下牢に放り込んだままにしたり、あるいはいかなる犯罪の有罪判決も得ること無しに、“脅威”の人物をよその傀儡国家に送り出し、その“脅威”が、“自由と民主主義”の手にかかって、決しておきてなどいない犯罪を白状させたり、無罪を主張しながら、死んだりするまで拷問したりできるのだ。

いかにして、たった一人なり何人なりの国民が、毎年安全保障と兵器に1兆ドル以上費やし、世界最大の海軍と空軍、世界中に700以上の軍事基地、膨大な数の核兵器、16の諜報機関と、NATO傀儡諸国の諜報機関と、イスラエルの諜報機関を従える政府への脅威となりうるかということは決して明らかにされていない。

にもかかわらず、飛行機で旅する人々はポルノまがいのスキャナーや、セクハラまがいの身体検査やらにさらされる。州間幹線道路は何キロも渋滞し、車は停止させられる可能性があり、国土安全保障省や連邦管理下の州警察や地方警察が捜索を行う。

そうした令状無しの捜査の一例を復活祭の日曜日に経験した。ジョージア州コロンバスに向かうI-185の南行きレーンは、黒いSUVと警察車両のライトが点滅する中、麻痺状態だった。アメリカ国民は自分たちが給料を払っている“治安”部隊によって、まるで“テロリスト”か“国内の過激派”、憲法上の保護を欠く未定義階級のアメリカ人であるかのように扱われていた。

こうした出来事はそれ自体カフカ的だが、こうしたとんでもないアメリカ憲法違反が最高裁で覆され損ねていることを考えると、益々そのように思われる。どうやらアメリカ国民には自らの市民的自由を擁護する資格が欠けているもののようだ。

けれども、オバマケアはアメリカ最高裁の前にたたされている。今や多数派の保守派は、これまでリベラル派が利用するのを批判してきた“司法積極主義”を利用しそうな雲行きだ。我々はもう偽善には驚かない。だがオバマケアを巡る争いには何の値打ちもない。

“リベラル”“進歩派”“民主党”の輩が民営保険会社への支払いに公的資金を使用して医療費を押し上げるような“医療制度”を擁護しているのは驚くべきことだ。

アメリカ人は“単一支払者制度は“社会化された医療”であり、手の届かないものだ”と洗脳され続けてきた。多くのアメリカ人が受け入れているこのプロパガンダにもかかわらず、ヨーロッパ諸国は単一支払者制度を何とか提供できている。ヨーロッパ諸国の国民にとって、医療はストレスではなく、トラウマでもなく、負担しきれない支出ではないのだ。西欧の文明国の中で国民皆保険制度がないのは、最も豊かなアメリカだけだ。

アメリカの医療制度は全地球上で最も高価だ。とんでもなく高くなる理由は、儲けなければならない組織が複数あるためだ。民間の医師は儲けなければならない。民営検査センターは儲けなければならない。一般開業医から患者を委託される民間専門医は儲けなければならない。私立病院は儲けなければならない。民営保険会社は儲けなければならない。儲けは莫大な医療経費だ。

こうした利益の上に、詐欺を防ぎ、詐欺と戦う費用が加わる。民営保険会社は支払いをいやがり、メディケアは医療費のごく一部しか支払わない為、支払いがぎりぎりに切り詰められてしまうことが分かっていて、民間医療サービス提供者は出来るだけ多く請求しようとする。だが、医療サービス提供者は、300ドルの請求ミスによってさえ、詐欺という告訴から自らを守るための訴訟費用で破産しかねないのだ。

単一支払者制度の長所は、制度全体で儲けを出すことにある。誰も儲ける必要はないのだ。ウオール街は、保険会社や民営医療企業は、そうした企業の利益が余りに少ないために、乗っ取りで脅すことができないのだ。単一支払者制度では、医療サービス提供者は、利益が余りに少ないので、ウオール街が企む買収によって追放されることを懸念する必要がない。

単一支払者制度がコストを押し上げる利益を抹殺してしまうため、ウオール街、保険会社や“自由市場エコノミスト”は“社会化”されたメディケア制度を憎悪している。連中には、公的資金が民間保険会社に流れ込む、社会化された“民営”医療制度の方が良いのだ。

コストを出来るだけ高くするために、保守派と民営保険会社がオバマケアを案出したのだ。法案は保守派のシンク・タンクと民営保険会社が書いたのだ。“社会主義的”オバマケア法案の実態は、国民から所得税をとって、そうした医療を受ける余裕のないアメリカ国民に“民営化”医療を提供するために、民間医療サービス提供者による民間医療保険料の補助金支払いに税金を使うというものだ。

オバマケアの極端に高いコストは“社会主義的医療”ではない。オバマケアは高コストで、何十億ドルもの利益を民間保険会社に保障する民営化医療なのだ。

ロムニーのマサチューセッツ州を除いて、世界のどこにも存在しないそうした奇妙な医療制度が医療を提供するのか、単なる私的利益を実現するのか、まだわからない。

Paul Craig  Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリップス・ハワード・ニューズ・サービスと、クリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the WestHOW AMERICA WAS LOSTThe Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。

ご寄付はここで。https://www.paulcraigroberts.org/pages/donate/

記事原文のurl:www.paulcraigroberts.org/2012/04/10/what-is-obamacare/

----------

アフガニスタンの日本大使館が、タリバンのミサイル攻撃を受けた。「タリバンが、他の国の大使館を狙った誤射だったと発言した」という報道を見た気がする。それが本音だとすれば今回が最後だろう。日本はイギリスと武器を共同開発することになったのだから、早晩開発したものは確実に実用に供される。やがてアルカイナがスカイツリーや浜岡原発を、x11の日付に襲うかも知れない。

「原発を停止すると、日本は集団自殺するしかない」と政治家が発言したという。

正しくは「原発を推進し、TPPに加盟する日本は集団自殺するしかない」。

メタボ・オヤジには北朝鮮支配層や「人工衛星」より、宗主国と属国の支配層と原発こそ恐ろしい。「再稼働協議も議事録なし 首相と3閣僚ら」政治家でなく、やりたい放題の暴漢だ。大資本の、大資本による、大資本のための暴漢政府。

原発災害が原因で病人が続発し始める頃には、TPP加盟のおかげで、国民皆保険制度も破壊されていて不思議はない。見事な総合的国家破壊政策。老害知事の国際紛争作戦も、外敵による、「原発・TPP属国化政策」の目くらまし。

BYE BYE A.P.P. BYE BYE原発という歌A.P.P.はAtomic Power Plantの略が

BYE BYE T.P.P. BYE BYE原発と聞き取っている。

    • ありとあらゆるマスコミが大絶賛して導入した小選挙区制度(推進したのはあの豪腕政治家)と異常なマスコミ大絶賛のおかげで、郵政破壊選挙で大勝した小泉自民党政権が、すっかり日本を破壊してくれた。
    • 小選挙区制度とマスコミによる政権交替大絶賛のおかげで、まんまと政権に付いた民主党が、引き続き、順調に破壊してくれている。
    • 自民党も民主党も化けの皮がはがれたとみるや、マスコミは早速異神の怪を大絶賛。彼等も結局は原発推進だろう。TPPは推進を明言している。
  • 二度あることは三度ある。それで一巻の終わり。次回選挙で、めでたく自民、民主、異神の怪の属国三大派閥が残り、絶滅危惧種独立派政党が消滅し、ブレーキが消えた、この国の属領化、益々加速する。

あらゆるマスコミ(別名、支配体制広報機関)が同じ話題を一斉に垂れ流して目くらましをする時は、必ず庶民に大損害を与える法案・制度が導入されてきた。

マスコミが推進した迷惑な代物の一例は練炭事件でさらに有名になった裁判員制度。国民の利益皆無。支配側に便利な反体制派あぶりだし兼・意見同一化強制制度。

脱原発や原発被害者救済対策に金を注ぐのでなく、国家の財政不安につけこんで庶民搾取をする国際搾取組織に大金を注ぎ込むこの列島の支配組織、国民の為の組織ではなく、国際搾取資本組織の下請け組織。

「こういう哀れな属国があった」という滅亡史を人類への教訓として残す大義のため、属国政治家や属国官僚や御用学者や属国マスコミの諸氏、国民の犠牲をものともせず邁進しておられるのか、異神の怪等を絶賛する皆様は自らを犠牲にして人類への教訓を残そうとしている偉人達なのか、時間がたたないとわからない。

2012年4月14日 (土)

全世界を無法へ導くワシントン

Dr. Paul Craig Roberts

2012年4月12日

paulcraigroberts.com

アメリカ政府は、法治を実践し、人権を尊重し、国民に自由と民主主義をもたらすふりをしている。ワシントンの見せかけと、容赦ない現実とは全く正反対だ。

アメリカ政府当局は、非民主的で、人権を侵害しているといって日常的に他国政府を批判する。ところが、爆弾やミサイルや無人機を主権国家に送り込んで、一般市民を殺害する国は、イスラエルを除いて、この国以外にない。アブグレイブ、グアンタナモ拷問監獄と、CIAの秘密引渡しサイトが、人権に対するブッシュ/オバマ政権の貢献だ。

ワシントンは自国民の人権を侵害している。ワシントンはアメリカ憲法で保障されている市民的自由を停止し、法の適正手続き無しで、アメリカ国民を無期限に拘留すると宣言した。オバマ大統領は、彼の自由裁量で、アメリカにとって脅威と彼が見なすアメリカ国民を殺害できると宣言した。

議会はこうしたとんでもない声明に対し、弾劾手続きで反撃しなかった。連邦裁判所、法学大学院や、弁護士会からの批判も皆無だった。国土安全保障省は"売女マスコミ"になるのを拒むジャーナリストを攻撃しているとグレン・グリーンワルドは報じており、我々は穏やかなウォール街占拠抗議行動参加者に対する警察の残虐な弾圧の映像を目にしている。クリス・フロイドは、アメリカを支配する拷問嗜好変質者について語っている。

今やワシントンは、世界中できるだけ多くの国々に、国際条約や国際法を捨て去るように強制している。ワシントンはワシントンの言葉だけが国際法だという布告を発したのだ。ワシントンの許し赦免を得た国を除き、イランと貿易したり、イラン石油を購入したりするあらゆる国がアメリカにより制裁されるのだ。そうした国々はアメリカ市場から排除され、そうした国々の銀行制度は国際支払い処理をする銀行を利用できなくなる。言い換えれば、ワシントンの“対イラン経済制裁”はイランに適用されるのみならず、ワシントンに逆らい、イラン石油でエネルギー需要を満たすような国々にも適用されるのだ。

クリスチャン・サイエンス・モニターによれば、ワシントンは、これまでの所、日本と欧州連合の10ヶ国に対して、イラン石油購入を継続する特権を認めた。イランがワシントンが据えつけた傀儡、イランのシャーを30年以上昔に打倒して以来ずっと継続している復讐、ワシントンの対イラン復讐に応じるため、各国の経済を停止させるという要求は、さすがにワシントンがやりおおせるものを越えていた。ワシントンは、日本がイランからの通常の石油輸入の78-85%を輸入し続けることを認めた。

ところがワシントンの許しは恣意的だ。中国、インド、トルコや、韓国にはこうした許しは与えられていない。インドと中国はイラン石油の最大の輸入国で、トルコと韓国は輸入の上位十ヶ国よ入っている。ワシントンの対イラン報復のあり得る意図しない結果を検討する前に、ワシントンの対イラン主張が何なのか見てみよう。

実のところ、ワシントンに論拠は皆無だ。単なる“大量破壊兵器”の嘘の繰り返しに他ならない。イランはイスラエルと違って、核不拡散条約に署名している。この条約に署名した全ての国に原子力発電の権利がある。イランは核兵器開発をして、条約に違反しているとワシントンは主張している。ワシントンの主張には、いかなる証拠もない。イランには2003年以降核兵器計画はないと、ワシントン自身の16の諜報機関が異口同音に言っている。更に国際原子力機関の兵器査察官がイランに駐在しており、エネルギー計画用核物質の、兵器計画用転用はないと一貫して報告している。

ごく稀に、ワシントンがこの事実を思い出すと、ワシントンは違う主張をする。核不拡散条約により、イランには権利があるにも係わらず、イランは将来どこかの時点で、原爆を製造することができるほど色々学んでしまうだろうから、イランは原子力発電をしてはならないのだと、ワシントンは主張する。世界覇権国が一方的に、イランがある日核兵器製造を決断しするかも知れない可能性は余りに危険なリスクだと決めたのだ。ワシントンは言う。将来イラン政府が核兵器を製造することを懸念するようになるよりは、石油価格を押し上げ、世界経済を混乱させ、国際法に違反し、大戦争の危険を冒す方が良い。これは、英米の法制度によって否定されている、法律に対するジェレミー・ベンサム流の専制的手法だ。

ワシントンの立場を、良い判断の一つとして描き出すのは困難だ。しかもワシントンは、イラン核兵器の可能性にワシントンが見ている膨大なリスクを決して説明していない。ソ連の核兵器やら、現在のアメリカ、ロシア、中国、イスラエル、パキスタン、インドや、北朝鮮の核兵器のリスクよりも、一体なぜ、このリスクがそれほど大きいのだろう? イランは比較的小国だ。ワシントンのような世界覇権の野望を持ってはいない。ワシントンと違って、イランは半ダースの国々と戦争状態にあるわけではない。一体なぜ、ワシントンは、可能性が未知な、あり得る将来の展開を巡って、法を尊重する国としてのアメリカの評判を破壊し、大戦争や経済混乱の危険を冒すのだろう?

この疑問に対する良い答えは無い。対イラン主張の証拠の欠如を、ワシントンとイスラエルは、イランを悪魔化することですり替えている。現在のイラン大統領は、イスラエルを地上から消し去るつもりだという嘘が真実として確立されている。

アメリカとイスラエルのプロパガンダによって、イラン大統領の意図とされているものは、イラン大統領の発言のとんでもない誤訳であることを多くの言語専門家達が証明しているにもかかわらず、この嘘はプロパガンダとして成功している。またもやワシントンと、その売女マスコミにとって、事実は重要ではないのだ。計略こそ重要であり、計略を推進するためにはあらゆる嘘が利用される。

ワシントンの経済制裁は、イランを痛めつけるよりも、ワシントンの方を一層ひどく痛めつける結果となりかねない。

もしインド、中国、トルコや韓国がワシントンの脅しに屈しなかったら、ワシントンは一体何をするつもりだろう?

最近のニュース報道によれば、インドと中国は、ワシントンの対イラン報復を支援するために不便な目に会ったり、経済発展を損ねたりするつもりはない。中国の急速な勃興を目の当たりにし、北朝鮮がアメリカによる攻撃から免れる様を観察している間に、あとどれほどの期間、ワシントンの傀儡国家であり続けようかと韓国も思案しているかも知れない。文民で多少イスラム教主義的な政府が、アメリカが支配するトルコ軍から、何とか自立しているトルコは、ワシントンとNATOが、トルコの同類諸国に対しワシントンの代理人を務める“奉仕係”を、トルコにさせていることを、次第に自覚し始めているように見える。トルコ政府はワシントンの手先であることの利益を再評価しつつあるようだ。

トルコや韓国の決断は、本質的に、こうした国々が独立国家になるか、それともワシントン帝国内に組み込まれるのかという決断なのだ。

イランの独立に対するアメリカ-イスラエル攻撃の成功はインドと中国次第だ。

もしインドと中国が、ワシントンに肘鉄を食らわせたら、ワシントンは一体何ができるだろう? 全く何もない。途方もない思い上がりに溺れているワシントンが、インドと中国に対する経済制裁を宣言したらどうなるだろう?

ウォル・マートの棚は空となり、アメリカ最大の小売業者がホワイト・ハウスのドアをハンマーで叩くことになるだろう。

アメリカ市場向けの製造を中国に海外移転しているアップル・コンピューターや無数の有力アメリカ企業は自分達の儲けが消滅する目にあうのだ。ウオール街の仲間達と一緒になって、これら有力大企業が、赤軍どころではない勢力でホワイト・ハウスの馬鹿者に襲いかかるだろう。中国の貿易黒字は、アメリカの財務省証券へと流れ込むのを停止するだろう。インドに外注している、アメリカ中の銀行、クレジット・カード会社の事務処理業務や電気・ガス・水道等の公益事業の顧客サービス部門は機能を停止するだろう。

アメリカでは無秩序が支配するだろう。それがこの帝国が育て上げたグローバリズム帝国への褒美だ。

ホワイト・ハウスの能無しや、彼にもっと戦争をやれとけしかけるネオコンとイスラエルの戦争屋どもは、アメリカがもはや独立国家ではないことを理解できていない。アメリカは、海外外注をする大企業と、そうした大企業がアメリカ市場向けの製造拠点を置いている諸外国に所有されているのだ。中国やインド (そして韓国)に対する経済制裁は、アメリカ企業に対する経済制裁を意味している。トルコに対する経済制裁は、NATO同盟諸国に対する経済制裁を意味している。

中国、インド、韓国やトルコは、自分達が勝ち札を持っていることを分かっているだろうか? アメリカ帝国に肘鉄を食らわせて、破滅させることができるのが分かっているのだろうか、それとも彼等もヨーロッパや世界の他の国々のように、強力なアメリカには抵抗などできないのだと洗脳されているのだろうか?

中国とインドは、アメリカに対して彼等の力を行使するだろうか、それともこの二国はイラン石油を購入し続けながら、この問題を誤魔化し、ワシントンの顔を立てる姿勢をとるのだろうか?

この疑問に対する答え。両国以外の国々に対するワシントンの独裁的権力を、中国とインドが認めるふりをすることの見返りとして、中国とインドに対し、例えば南シナ海からのアメリカ退去のような秘密譲歩を、ワシントンがどれだけするかにかかっている。

中国とインドに対して譲歩しなければ、ワシントンは自らの権力が消滅して行くのを見守りながら無視される可能性が高い。工業製品を生産できず、かわりに債務証書とお札が印刷できるだけの国家は強力な国家ではない。言い伝えの男の子が“王様は裸だ”と言うまで、もったいぶって歩き回っていられるだけの、用済みで取るに足りない役立たずだ。

Paul Craig  Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリップス・ハワード・ニューズ・サービスと、クリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the WestHOW AMERICA WAS LOSTThe Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。

ご寄付はここで。https://www.paulcraigroberts.org/pages/donate/

記事原文のurl:www.paulcraigroberts.org/2012/04/12/washington-leads-world-into-lawlessness

----------

中国の急速な勃興を目の当たりにし、北朝鮮がアメリカによる攻撃から免れる様を観察しながら、あとどれほどの期間、ワシントンの傀儡国家であり続けようかと思案する可能性

原発の安全性を、政治家が保障する属国日本に、そういう可能性全くない。マスコミや異神の怪を含め、国家滅亡を推進する可能性なら100%あるだろう。

衰亡する世界最大のテロ国家宗主様に忠実に、わけのわからない旗をひらめかせ、歌を歌わせ、地獄へと真っ逆様に、何処までもついて行きます下駄の属国。

2012年4月12日 (木)

おかしな名前で出ています:MAIの規定と提案:1998年4月交渉テキスト分析

「郵政改正案 衆院を通過」民主、自民、公明三党が共同提出した郵政民営化法改正案が、十二日午後の衆院本会議で可決、衆院を通過した。今後、参院で審議、三党は四月中の成立を目指す。とwebにはあるが、大変有り難いタイミングの「衛星打ち上げ」の話題と、予想外の「祇園交通事故」ですっかり霞んだ格好だ。

中味を全く知らないが、「民主、自民、公明三党が共同提出」というのを見ると、「小泉郵政破壊の失敗を大幅是正する法案ではないだろう」と思える。どうなのだろう。(実はこのメンバーの案であれば「ろくな法案のはずがない」と確信している。日本の終わりの始まり?)

そして、

「郵政民営化見直しがTPPの火種に 米が猛反発」という記事もある。

TPP、対象がまるで農業だけであるかのようなインチキ・プロパガンダを、政府、マスコミ、御用学者連中が展開しても、本当の狙いは農業にとどまらず、例えば郵貯や保険も重要標的の一つであること、売国マスコミすら書かざるをえなくなっているのか、やはり、これも新手の洗脳工作か?

過去を振りかえると、この国で全マスコミが重要とは思われない話題だけに集中して洪水のように政府発表を垂れ流す時は、いつでも大衆にとって大いに不利な法案が決まっている。郵政破壊、そのまま前回に翻訳した資本主義神話。

神話11. 国家は小さければ小さい方が良い

民営部門の方が国営よりもうまく機能する。この神話の狙いは、国家の機能と、儲かる財産の民営化を、より容易にするために"苦いものを甘くみせかけることにある"。

マスコミが全力で無料事前運動を推進している異神の怪、『TPP参加』を謳っている。売国的本質を隠すため、脱原発派であるかのごとき煙幕を張っているのでは?小泉郵政破壊でだまされた皆様、こりずに異神の怪トリックにひっかかって、日本は永遠の奈落の底におちるのだろうか?

TPP反対集会「緊急国際シンポ─やっぱりTPPでは生きられない!」で、Public Citizenのロリ・ワラックさんが多国間投資協定(MAI)について触れておられた。多国間投資協定(MAI)は世界的な反対運動によって挫折したと言われた記憶がある。TPPもそうしましょうと。ひどい協定であるということを広めましょうとも。

「MAI」で検索すると、Public Citizenによる「MAI規定と提案の分析」を翻訳した記事があった。「TPP」での検索で、この文章みつかるのだろうか。

この文章を翻訳・公表された団体、現在解散しておられるので、勝手ながら全文流用させていただく。大変な長文だ。

これを読むと、MAI、今話題の壊国・売国条約、TPPの淵源に思える。同じ精神の条約が、おかしな名前で、またもや出てきたのだ。あるいは、TPP、MAIの超強力版というべきか。実態が隠されたステルス攻撃なので、内容は想像するしかない。原発事故情報と同じで、TPPにまつわる野だいこ政府・マスコミ発表は全くの眉唾と思った方が確実だろう。1%の、1%による、1%のための協定。

ビル・トッテン氏のブログ、昔から、こうした理不尽な協定に注目しておられる。まるでTPP加盟といし国家自殺を前にした今の日本の状況のような記事がある。1994年!

耕助のブログ 1999/4/13 No.266 多国間投資協定(MAI)で国を訴えたカナダ国民

あらゆる参加国の99%にとって余りにひどい内容だからこそ徹底した秘密裏で進められているに違いない。以下がそのPublic Citizenによる「MAI規定と提案の分析」翻訳本文。

----------

MAIの規定と提案:1998年4月交渉テキストの分析(Public Citizen分析レポート日本語訳)

経済協力開発機関(OECD) は1995年、大きな期待をもってMAIの交渉を開始した。OECDの条文の文言によると、MAIは、外国投資の待遇と保護のために「高い水準の」基準を設定するものである。つまりMAIは、外国投資家の権利を確立することにより、そして外国あるいは国内の投資家の行動を規制する政府の権力を制約することにより、投資規制を漸進的に自由化する枠組みを設定するものでもある。提案されているMAI規定は、例えば株式市場のセーフガード措置や、海外直接投資に対するパフォーマンス要求、外国投資家の不動産所有や戦略的産業の所有に対する制限、資本移動の直接的な統制をかなり制限するものである。

MAIは、OECD加盟国内ですでに実施されている政策を温存するだけではなく、開発途上国に対する投資を保護・促進するルールを作り出すための枠組みを目指すものである。米国と欧州連合(EU)は、アジアと南米で急成長を遂げている非加盟国経済がMAIに加盟することの重要性を認識してきた。

MAIの最初の分析が発表されたとき、MAIの交渉テキスト(協定案)はまだ一般には公開されていなかった。MAIが企図している効果について書かれたこれらの文書は、OECD投資作業部会が公刊した準備テキストに依拠するものであり、それはMAIをその対象範囲の広さ、投資家の待遇や保護の基準の厳密性、持続的な自由化メカニズムの観点から前例のない協定として描写している。これらの文書によれば、MAI規定の青写真は、北米自由貿易協定(NAFTA)の投資規定であり、その範囲については世界貿易機関(WTO)がモデルとされている。MAIはこの両方の協定をさらに前進させたものである。

1997年2月にリークされた最初のMAIの作業ドラフトは、OECD作業グループの提案にかなり従ったものである。1997年5月にリークされた第二次交渉テキストは、OECDのMAIに対する意気込みがほとんど低下していないことを示していた。交渉テキストがNGOのウェッブサイトで入手できるようになって1年後の1998年2月、OECDはMAIの新しい交渉テキストを公式に発表した。しかし、これは個々の国の交渉の立場に関するコメント部分を除いたものであった。

1998年4月のOECD閣僚理事会でMAIを調印することができないと明らかになった時、OECDは顕在化した問題を解決するため、そしてMAIに対する国内的な支持を強化するための協議期間を半年間設けることを決定した。賢い広報活動として、1998年4月24日付のMAIの交渉テキストが閣僚理事会で公表され、OECDのウェッブサイトでも1998年4月のMAI交渉テキストが掲載された。しかしOECDは、OECDと各国の提案を含む付属書や労働及び環境基準、収用及び一般的待遇条項、投資家対国家紛争解決のような問題に対するNGOの批判を扱った「議長提案」の付属書を付け加えた。これらの提案の多くは、過去半年間以上も議論されてきたものである。これらは同意されていないか又はMAIの拘束力を持つ条項に含まれていない。このように、MAIの起草者は当初の目的を放棄できずに立ち往生しているのである。

MAIのここでの分析は、2つに分かれている。第一部では、MAI交渉テキストの最新版におけるMAIの中心となる条項を説明する。また交渉国が「中心となる規定」となることを合意している条項について考察する。これらの条項については、まだ決定されていない要素も1998年春の交渉テキストに残されている。我々は、これらについて特に説明し、過去の交渉テキストとの違いについて解説する。第二部では、各国やOECDに提起された環境、労働、その他のイシューに関する提案のリストを分析する。

第一部 MAI交渉テキストの中心となる規定

イントロダクション:投資の定義

MAIの範囲及び適用(第2章)の規定では、この協定における「投資」の厳密な定義を構築している。投資とは、「投資家によって直接又は間接に所有又は支配されている全ての種類の資産」のことである(第2章定義2;強調付与)。投資の定義では、不動産および鉱物や石油などの自然資源(第2章(vii);MAIコメンタリー第2章定義投資14)ポートフォリオ投資および株式所有(第2章定義2(ii)と(iii);MAIコメンタリー第2章定義投資8)、特許やブランド名、「のれん(信頼性)」などの全ての形態の知的所有権(第2章定義2(vi);MAIコメンタリー第2章定義投資12)、およびサービスや製造業への直接投資などにMAIの規定が適用されることが規定されている。

これに加え、MAIの投資の定義には、投資の成果も含められている(MAIコメンタリー第2章定義投資1)。このように広く投資を定義することで、MAI規定に違反する各国の法律が提訴される根拠が広がることにり、結果として、MAI協定に署名する政府の潜在的責任を増大させる。またMAIの規定は、締約国の投資家が間接的に支配している投資にも適用される。

さらに、こうした規定は、他の締約国の投資家の権利を保障するMAI規定の恩恵を、MAIに公式には加盟していない国々からの投資家にも拡大することになる。MAIのコメンタリーによれば、「MAIの締約国内に設立された企業による投資で、MAI非締約国の投資家によって所有、もしくは支配されている投資」をも投資の定義の中に含めることについて幅広い支持がある(MAIコメンタリー第2章定義投資2(a))(強調付与)。これが意味することは、例えば、締約国でない中国の企業が、MAIの締約国である国に投資することによって、アメリカにおいてMAIの恩恵に預かることができるのである。このような法の抜け穴は、政府が国家安全保障のために、ある国家との経済的関係を制限するような政策を維持したり実施したり、またテロリストを援助したり、かくまったり、また著しい人権侵害が行われた国家に経済的制裁を課すなどというようなことを極度に困難にする。それに加えてこの規定は、MAIの恩恵を受けるという目的のために、MAI締約国の国内に「トンネル会社」が設立されることを助長する。

同様に、MAIの「投資」の定義の中に、「MAI締約国の投資家によって所有もしくは支配されているが、MAI非締約国の投資家によって設立された」投資を含めることについても幅広い支持がある(MAIコメンタリー第2章定義投資2(b))。これは、MAIの非締約国は、単にMAI締約国の投資家と合弁企業を行うことにより、MAIの恩恵を享受できるようになるということである。間接投資についてのこのような解釈は、MAIから恩恵を受け、かつMAIの下で法的権利を持つことができる投資家が、実質的に、ほとんど無制限に増加することを意味する。

MAIの下では、全ての資産が投資として扱われるわけではない。外国にある別荘を、その国の政府によって例えば道路建設のために奪われた個人は、その価値を下落させるような方法で商業上の財産が奪われたり、投資を規制された外国投資家と同じような保護を得ることはできない。MAIの下で保護される投資とは、将来に渡って収入を生む可能性を持つ資産など、投資としての特徴を持っていなければならない(第2章2脚注2)。

I.MAIの投資家の待遇の保障(第3章)

MAIは、二種類の外国投資家の権利を確立する。第一の種類は、国内投資家が享受する権利に準じて海外投資家に与えられる権利である。これは、内国民待遇や最恵国待遇の規定(第3章、内国民待遇と最恵国待遇1-3)を含んでいるが、これらの規定の分類の下では、外国投資家は、国内投資家と「同等に優遇」(もしくは、同等以上に優遇)した待遇を与えられなければならない。

第2の種類は、投資家や投資の扱いについて絶対的な基準を作り出すものである。例えば、政府が投資に一定の条件を課すことを禁じるMAIのパフォーマンス要求の部分(第3章パフォーマンス要求1-5)では、普遍的に適用される、つまり国内と海外の投資家に対して同じように適用されるパフォーマンス要求でさえ制限するものである。この第2の権利は、「差別」といった問題は取り扱っていないが、経済、社会や環境目標のために政府が企業活動を制限することを制約することになる。MAIの下では、外国投資家のみが、このような絶対的な権利を侵すような国内法に対して異議を唱えることができるが、MAIの参加国の法律や政策についての変更がもたらす効果は、国内の規制措置の中において国内投資家にも同様に影響するものである。

MAIのそれぞれの規定は政府とその国の法律に影響を与えるが、一般的には、第2のタイプのMAIの権限(つまり、絶対的権限)は、先進国に対して、より深刻な影響を与えるだろう。なぜならば、これらの国は、すでに内国民待遇やその他の投資自由化の原則を確立しているからである。多くの途上国に国際通貨基金(IMF)と世界銀行が課してきた構造調整プログラムに関連して、途上国の学者の一部が、MAIを北の国々に対する「構造調整プログラム」と呼んでいるのは、政府を制約するような企業の絶対的な権利がMAIに含まれているからである。いずれにしても、途上国には、投資家の権利についての2つの分類は、基本的な発展を促進するために外国投資に制約を課そうとしている途上国の努力を切り捨てる内国民待遇が新たに導入されることに伴い、重大な影響がもたらされるだろう。

A.相対的な投資家の権利1.内国民待遇(第3章内国民待遇1及び3)

MAIの内国民待遇の原則は、最初の投資からその後の調整のための投資に至る投資の全ての段階と側面において、外国投資家を自国の投資家と同等の待遇で扱うことを政府に要求している。しかし、政府が外国投資家を自国の投資家より優遇することは容認されている(第3章内国民待遇3)。

内国民待遇規定は、表面上は中立的であっても実施的に差別的な効果を持つ政府の施策も対象としている。1998年4月の時点でも、そうした事実上の差別を禁止する規定が依然としてMAIに含められていることは、関係者すべてが容認している(MAIコメンタリー:第3章内国民待遇8)。したがって、例えばある国が鉱物資源の採掘を全面的に制限する施策を実施すれば、その法律が外国投資家の市場アクセスを拒み、すでに鉱物採掘権を保有している国内投資家を事実上優遇する効果を持っているとして、外国投資家はこの法律を差別的だと主張できるのである。多くの地方自治体が住宅地や市町村の「特徴」を保護するために実施しているゾーニング規制(土地利用計画)も、MAIの事実上の差別条項に抵触する恐れがある。こうした法律は、だいたい中心地の繁華街への大企業の進出を排除することを意図しているが、規制対象となる大企業とは、MAIの条項の恩恵を受け、海外で事業を展開できるほど規模の大きい海外からの進出企業である場合が多い。

内国民待遇は、その当然の結果でもある最恵国待遇という原則とともに、国際法の経済統合の根本的な原則を形成している。これらの枠組みはGATTから引用されており、二国間投資協定にも存在している。しかし、驚いたことに世界中の99%以上の二国間協定とは違って、MAIでは市場参入の段階においても海外の投資家に対して内国民待遇を与えるよう、政府に要求している(第3章内国民待遇1)。二国間協定の多くは、投資家が市場への参入を許可された後、つまり投資を行う権利を認められた後に、内国民待遇を適用するとしているが、MAIでは、外国投資家に、すべての経済分野に参入する権利を投資のあらゆる段階で与えることになる。このことは、本質的に、国際投資の自由化ために国境措置を全て排除するということである。

ほとんどすべての経済分野を国際競争にさらすことになる内国民待遇は、単なる差別の問題だけでなく、国際的な経済競争に限度を設けるべきか、否かという根本的な疑問を投げかけている。MAIはグローバリゼーションに向けた自由市場アプローチを促進するだろう。しかし、どの市場が国際競争にさらされるべきかという問題は、国際投資法という周辺的な領域で決定されるべきではなく、国内の民主的で、説明責任が確保できる場において取り組まれるべきである。

この流れで言えば、MAIの枠組みを草案している人々の言う、内国民待遇と最恵国待遇とは、単に国内と外国の投資家が「同じ土俵で勝負をする」ようにするものだという主張は、めくらましである。政府は常に自国民以外を差別してきているのだ。国境の存在自体がそもそも差別的なのである。例えば入国管理法は、外国人の入国の権利を保障するものではない。しかし、その入管政策が、自国民と外国人を差別しているとして議論されたことはない。MAIは外国投資家について、そのような前代未聞の権利を確立しようとしているのである。内国民待遇と最恵国待遇についての議論を差別という点からのみ行うことは、国内の投資家にとって国籍による恩恵を保持することに合法的な理由があるかどうかという議論を都合のいいように利用するものである。

公害を出す企業の規制、森林を伐採し移転する林業:投資家に対する国籍条項が、公共の利益にかなう場合もあるという例は、環境保護の分野で見ることができる。産業の環境影響は、しばしば公害が発生してから何年も後にならないとわからないことが多い。国家が、将来の環境被害や林業における「伐採し移転する」ような企業行動を防止するために、もともと転出することの多い外国企業に対しては、異なる義務を課したいと考えたとしても不思議ではない。開発途上国の中には、そのような問題を防止するのために、外国の「汚染」産業の対内投資を禁止しているところもある。いくつかの国では、有害物質の廃棄産業に対し、国内企業への投資を規制することによって、何か問題が生じたときに、当該企業に対し、法的な措置を確保できるようにしているところもある。こうした法規を有するコロンビアや台湾では、外国企業が廃棄物処理工場を保有することによって、海外で生産された有害物質が国境を越えて自国に持ち込まれることを外国投資家が子会社と取引する権利を侵すことなく規制することがより困難になるとの考えに基づき、このような法規が実施されているのである。

MAIの締約国間の経済発展段階の相違:MAIは全ての国が加盟できる条約を意図しており、OECD非加盟国である途上国に対しても参加を認めている(第12章加盟)。しかし内国民待遇を適用すれば、これらの国々が拠り所としている、多くの経済戦略が無効とされてしまうであろう。というのは、その戦略には、しばしば国内の投資家や投資に特権を与え、自国の経済目標を達成するために海外投資には条件を課している場合が多いからである。途上国のMAI批判者は、外国投資家に国内投資家と同等の権利を与えることにより、対内投資の量と性格を調整する途上国政府の権限が狭められ、これらの国々よりも断然強力な多国籍企業の投資に対抗する途上国の能力が低下させられると主張する。欧州や米国も、経済成長期には外国投資家に内国民待遇など与えていなかった。

実際、今でも多くの国(および多くの米国の州)には、農地の所有を自国民に限定する法律がある。途上国でも、土地の再分配プログラムの根底をなしている原則は、農地を地元の住民に所有させるということである。しかし、MAIが意図的に手本としたNAFTAの投資規定の下で、メキシコは憲法中の土地改革条項を修正するよう求められた。その改革条項は、メキシコ革命の後に策定されたものだが、米国やカナダの投資家が土地を大規模に獲得できるようにするために排除されたのである。NAFTAが実施されてからの4年間で、その修正は、外国のアグリビジネス企業が再び大規模プランテーションをつくるために地元の小規模農民が移住を余儀なくされるという結果をもたらした。MAIの内国民待遇によって、他の途上国の土地再配分プログラムに同様の結果がもたらされかねない。

確かに、ほとんどの全てのMAI条項は、OECDで交渉されたMAIであれ、現在WTOで交渉することが提案されている同様の投資協定であれ、加盟する途上国に逆効果となるような強力な影響を与えかねない。提訴された政府から希少な国家財源を奪い取る投資家対国家の紛争解決システムから、貿易関連の実績要求に対する完全な禁止を課すパフォーマンス要求の規定や、外国企業の経営構造に対する制約を禁止するMAIの条項に至るまで、多くのMAI条項は歴史が証明した第三世界経済の生き残り技術に(そして、すべての経済に)途方もない影響を及ぼしかねない。

文化的憂慮:内国民待遇の対象から文化産業をはずすよう主張している国々は、人間の活動の中には、市場の力に委ねるべきではない領域があると主張する。この議論を賞賛に値するものと考えるかどうかはともかく、多くのOECD諸国は、出版・放送メディアや先住民の文化的遺産を守る事業を内国民待遇の対象から除外するよう求めている。ほとんどのOECD諸国が、メディアや文化産業の完全な民営化に抵抗しているという事実にもかかわらず、MAIの内国民待遇条項は文化産業分野も自由な国際競争にさらすよう各国に要求している。文化産業は米国の主な輸出産業であり、米国の文化市場はすでに広く門戸を開いているので、米国はMAIからの文化分野の適用除外には声高に反対している。事実、米国のマスコミや娯楽産業は、この分野において新たな市場アクセスを得ることは、MAIが米国にもららす大きな恩恵だと考えている。文化の分野にまでMAIの適用範囲を拡大しようとする彼らの情熱は、GATTウルグアイ・ラウンドにおいて交渉をまとめるために「ハリウッドを犠牲にした」米国の譲歩によって火をつけられたのである。

米国の主権と米国憲法の商業条項:米国憲法の商業条項は、外国企業に対する差別を制限しており、米国内における内国民待遇条項のようなものである。この商業条項は、多州にわたる商業活動を規制する州の権利を制限している。

同商業条項は、州や地域が雇用を創出したり、地域における資本蓄積を奨励したり、資本流出をくい止める能力をかなり制限するとして地域の経済開発戦略起草者から非難されている。商業条項による制限のために、州や地域に残された経済開発戦略はほとんどないと彼らは主張する。地方自治体は、州外企業を投資優遇策によって誘致するという費用のかかる方法に頼らざるを得ない。この方法は、良質な雇用の創造につながらず、より魅力的な提案がなければ企業が移転していってしまうとして広範に批判されている。それに対してMAIの内国民待遇は、各国政府による地域発祥型の州内および国内の企業を優遇することや、企業との官民提携の形成をますます困難にし、オルタナティブな経済発展モデルへの扉を閉ざしてしまう。

MAIの内国民待遇条項は、いくつかの点で米国憲法の商業条項よりもさらに制約的である。まず、商業条項の下では、州が市場参加者であれば地元企業を優遇したり、州外企業を差別することを容認している。それに対してMAIは、政府が規制したり、国営企業を民営化したり、財・サービスを購入するときに、自国企業を優遇することを禁じている(第3章民営化1;第3章独占・国営企業・免許A2-3(a)(b))。第二に、米国の最高裁は一般的に州政府は商業に干渉できるとしており、いくつかの法令では、人々の健康と安全を守るために州外企業を差別できるとしている。健康と安全のための施策が州外企業により大きな負担を強いているということだけでは、米国憲法の商業条項の違反にはならないのである。裁判所が州の施策の違憲性を判断する際には、州外企業が、その施策によって全面的な負担を負うという証拠を要求する傾向にある。一方、事実上の差別に対するMAI規定の下では、ある施策が外国投資家の待遇を悪化させる影響を持っている事実のみで、内国民待遇違反が成立しかねない。

MAIの内国民待遇条項は、米国の各州に対し、州民に与えている数多くの権利を排除するよう求めかねない。例えばそれらの権利の中には、メーン州のロブスター採取許可や多くの西部の州が設定している水利権、多くの州が設けている鉱物採掘権や、木材の伐採権、商業免許などを取得するためには、その州の住民でなければならないというような商業条項の下で容認されているものも含まれる。しかし、連邦制をとっていない国々にとっては、州や自治体が、そのような法案を成立させることができるという事実は、やっかいなことでしかない。実際、EUが毎年作成している米国の貿易障壁に関するリストでは、特に章を割いて、米国市場に参入するにあたって連邦制が最も大きな障壁であると記述している。MAIは、州や自治体がそのようなややこしい政策を持つことを禁止しかねず、米国憲法の下では、隣の州の住民が拒否される権利を、外国投資家や企業が保障されるという事態もあり得る。

2.最恵国待遇(第3章最恵国待遇2)

MAIの最恵国待遇条項は、MAIの締約国に対し、全ての投資家について参入および参入規制に関する待遇を同じにするよう求めている(第3章最恵国待遇2)。投資家は、国籍によって市場への参入を拒絶されたり、異なる扱いを受けない。この条項によって、ある国に国内の人権や労働状況の改善を迫るために、その国からの投資を規制するというような政策が全て違反とされるようになる。もしMAIが1980年代に成立していたら南アフリカ政府にアパルトヘイト政策をやめさせることに成功した、経済制裁という外圧による兵糧攻め戦略は禁止されていただろう。米国では、市や州政府が南アフリカ資本の銀行との取引を停止し、自治体はロイヤル・ダッチ・シェル社やその子会社の投資を拒絶するシェル追放ゾーンを設け、州や自治体が南アフリカ系企業からの調達をやめた。これら全ての措置は、MAIの原則と条文に違反するものであり、もしMAIが発効していて南アフリカがその締約国であったら、これらの措置はMAIの下で提訴されていただろう。

公共の資金が倫理と社会的責任に基づいて投資されるようにする努力を妨げるMAI条項では、政府が、第三国で行われた外国投資家の活動に関連して、その特定の外国投資家に国内で責任を負わせることできない(二次的投資ボイコットの禁止)というものがある。MAI規定では、他の締約国からの進出企業は、例えばビルマやナイジェリアの軍事独裁政権と商取引を行ったことに関して、国内でペナルティを課されないのである。ある政府が国籍によって投資家を差別しなかったとしても、MAIの二次投資ボイコット禁止条項によって(附属議定書1:二次的投資ボイコット)、そのような差別措置は外国投資家の第三国での行為に対する法の域外適用を意味することになるのだ。

最恵国待遇は、特に二次的投資ボイコット禁止との組み合わされることにより、社会政策を商業に関連づけることを不可能にする。ビルマのUNOCALと商業利益の結びつきや、ナイジェリア政府とシェル石油の関係が示している通り、独裁政権は、海外からの対内投資の生み出す利益の恩恵を受けている。MAIの下では、人々が憤慨したとしても、自分たちの民主的な政府に、強力な多国籍企業と抑圧的な政権の癒着に対して対策をとるよう圧力をかけることができなくなる。各国は、MAIの狭義の「本質的な安全保障」のための例外規定に基づいて、国籍によって外国投資家に対して経済的措置をとることはできても、ほとんどの人権侵害や労働侵害に対して措置をとることができなくなる。

3.投資家及びキーパーソネルの一時的入国、滞在及び労働(第3章短期入国1-3)、幹部職、支配人及び取締役会メンバーの国籍要求(第3章国籍要求番号なし段落)

MAIの目的のひとつは投資家が他国においても、母国内と同様に自由に経済活動を行えるよう保障することである。一時的入国及び国籍要求に関するMAI条項では、この目的を達成するために、国内の入国管理と労働を許可する規定(就労許可規定)を修正するよう求めている。

MAIは各国に対して、締約国の投資家と投資に対して適用されている数量割当てのレベルを設定するために現在しばしば活用されている労働市場や労働者の雇用状況に基づく基準、および数量割当てそのものを撤廃することを国家に要求することになる。多くの国々は、専門家ビザ発給の制約を取り去るために、国内では確保できないような、例えば看護婦やコンピュータープログラマーなど、労働市場において、ある一定の専門性を有する労働者に対する需要を示すことを要求している。入国規定が国籍でなく、専門性や労働市場の要因に基づいて設定されていたとしても、MAI条項は締約国に対して、他の締約国の投資家についてはその規定を撤廃するよう求めている。MAIはまた短期滞在で入国するあるいはMAI条項に基づいて働く幹部職、専門家、および支配人の配偶者にも労働許可を与えることを要求している(第3章一時的入国、1(b)(ii))。工場労働者を訓練し、サービス部門やコンピューター関係など他の仕事にも就けるよう配慮している国においても、MAIは、それらの職を外国人雇用でまかなえるようにしてしまうのである。

その上、MAIでは国家は投資家に雇用の創出を要求してはならず、また地元から幹部職や専門家、支配人を雇用することも要求してはならない(第3章一時的入国)。MAIに加盟する途上国にとってこの政策は、海外投資から得られる利益を狭めることになる。それらの国々は管理職研修のような知的資本の移転に関して海外投資に依存しているのである。

同様に、MAIは締結国が支配人や幹部職、取締役の選出においてその国籍を特定することを禁じている(第3章国籍要求)。管理職の雇用時にも人種やジェンダーに基づいて雇用することを主張する優遇政策はこれらの国籍要求条項と抵触する。

4.民営化(第3章民営化1-9)

MAIの下では、国家資産を民営化する際にも、各国は内国民待遇及び最恵国待遇の原則を適用しなければならない。

多くのOECD加盟国、特に東欧の国々は、これまでこのような規定に抵抗してきた。これらの国々は、締約国がその政治・経済的状況の中で最も良い方法で民営化を行えるようにすべきであると主張してきた。民営化のための具体的な枠組みに関する技術的な規定は、まだ議論しつくされていない課題として残っている。しかし、原案の段階で、その範囲は大規模に適用されている。例えば、締約国の自然人に排他的権利を付与する取り決めなどがある(第3章民営化2と7)。これによって、地域社会は資産を民営化しつつも、その資産に対する影響を維持することが可能になる。米国は、この「バウチャー・スキーム」は、民営化された資産の事後の売却に対し、非居住者が入札できないことから、事実上、内国民待遇原則を侵すものだと主張している。

別の民営化の手法である「ゴールデン・シェア」もまた、MAI規定の中で違反とされる可能性がある(3章民営化5)。この手法は政府が資産に影響力を維持したまま民営化する方法で、資産が不適切な投資家に売られないように保障するものである。米国は、この規定もまた政府が「ゴールデン・シェア」を保有することで、外国投資家への売却を阻害できるとして、外国投資家への差別となる可能性があると主張している。

過去一年間、民営化に関するMAI規定はほとんど変更されていない。米国は、競争入札プロセス以外の民営化手法の選択肢を残したいと考えている国々が、国別例外事項でこれに対処せざる得なくさせるような文言の採択を求めている。なぜなら、米国は国別例外事項は次第に排除されていくだろうと考えているからである(ロールバック条項)。しかし、より柔軟な民営化アプローチを提唱している国々は、MAIの内国民待遇や最恵国待遇の規定とオールタナティブな民営化手法を整合させるための規定を盛り込むことを主張し続けている。

OECD加盟国が、いかにしてこれら民営化に関する政治的に微妙な問題を解決していくのかは今後の課題である。しかしながら最も経済的に自由で発展している国々においてでさえ民営化の便益と損益については論争となる問題であり、民営化については排外的な国際投資法の領域よりも、むしろOECDメンバー国内の立法機関において議論が行われるべきであろう。仮にMAIにおいて民営化に関する議論が合意に至っても、国内での議論を飛び越してしまうのは非常にまずいことである。

5.独占(第3章A-C)

MAIにおけるもう一つの大きな争点として挙げられているのが、独占の取り扱いについてである。独占に関する条項では、締約国が独占企業を維持、指定又は解体することを特に認めている。しかし、この権利は、MAIの収用条項における補償ルールに従うことを条件に与えられるものである。つまり、仮に国家が他の企業を排除して特定企業に独占を認めた場合、これは国営化(あるいは、それと同等の措置)と見なされ、収用に対する補償規定に基づき、排除された企業に金銭補償を行わねばならないことになる。

交渉国は、国家企業や免許、政府機関と区別して「独占企業」を定義することに四苦八苦している。同様に民間の独占と公共機関による独占との間の線引きを明確にすることにも失敗した。1998年4月の交渉テキストでは、国家が民間企業による独占を認める場合に関しては合意に至ったようだが、内国民待遇や最恵国待遇規定と矛盾しないようにしなければならない。しかし、公的機関による公的独占にも適用するかどうかについては合意に至っていない。

これに加え、米国は内部相互補助(cross-subusidization)という社会政策を廃止に追い込む可能性のある提案をしている。公共サービスなどの独占サービスが全ての人に行き渡るよう保障するための措置である。遠隔地に電力や通信サービスを供給するコストは都市地域に比べてかなり高くなるが、内部相互補助は公共料金を低く押さえたままで遠隔地の生活者がサービスを受けられることを可能にしてきた。こうした政策の実施により、ある特定地域の人口がスラム化することを防止することができる。

米国の提案は、独占企業による内部相互補助の活用を禁じるものであり(第3章独占A3(c))、「[独占財又は独占サービスの購入又は販売の際に、商業上の考慮のみに従って行動すること]」と規定している(第3章独占A3[d])。条文中には「[顧客の種類に従った価格差別並びに....内部相互補助それ自体は、この規定に反するものではない。独占企業による競争阻害行為の道具として利用された場合には、本サブパラグラフの規律に反する]」という非常にあいまいな表現が含まれている(第3章独占A3[(d)])。他の多くのMAI条項と同様、一つの条項の中で明白に認められた保護規定が、他の条項によって侵害されてしまっているのである。

B:投資家の絶対的権利:投資家保護の保障とパフォーマンス要求

MAIにおける投資保護条項(第3章パフォーマンス要求と第4章)は、投資受入国政府の責任を定め、外国投資家の絶対的権利を拡大することによって、投資にともなうリスクを実質的に社会全体に負わせている。この権利は、OECD加盟国の国内法よりも外国投資家の保護を優先し、自国市民の財産に対するよりも手厚い保護を外国投資家に与えている。

この投資家保護条項こそ、途上国およびOECD加盟国の法律と社会に最も大きな悪影響を与えるものである。投資家に絶対的権利が与えられることによって、国境を超えた資本移動の安全が確保され、それによって上がる利益も増大する。例えば、米企業は今まで、投資リスクを受入国政府が負う場合に海外民間投資公社(OPIC)の投資保証が適用される際、義務付けられてきた環境面での審査を受けなくても良くなることになる。これまで海外投資に伴うリスクを「仕事の一部」と考え、民間部門による投資のリスクを自らが当たり前のように負ってきたを国際投資家は、MAIの下で国内産業よりも手厚い国家保護を受けることになる。MAI交渉テキストの中には、投資家の保護に関する枠組みがいくつか盛り込まれている。収用に対する正当な補償を受ける権利、一般的待遇、パフォーマンス要求の制限、資金移転の自由、戦争からの保護などである。

1998年4月のMAI交渉テキストの付属書には、OECD議長が提案した「規制する権利の確認」と題する文書が含まれている。この提案は、MAIの規定が各国の規制自体に影響を与えないことを確認するという意図をもって提案された。しかし残念なことに、この提案文書(満場一致でなければ法的拘束力をもたない)は、同義反復的であり、MAIの野心的で広範かつあいまいな条文(国家手続きやパフォーマンス要求、収用、一般的待遇)に対する保護策にはなり得ない。この提案では「締約国は、投資活動が健康と安全、環境問題に配慮して行われることを保障するための適切な施策を、こうした施策がMAIの規定に抵触しない限り、採択、維持、強化することができる」(付属書2議長提案:環境および労働に関する提案パッケージ)。この提案では、最後に制限的条件を付加することで、最初の部分の改善提案が骨抜きにされている。

1収用及び補償(4章2)

この条項では、政府が直接あるいは間接的に投資家の投資や利益を「収用」したり収用と「同様の効果を有する措置」を講じた場合、外国投資家には補償を受ける権利が与えられると定めている。交渉テキストでは「締約国は、以下の場合を除いて、自国領域内における他の締約国の投資家の投資を直接又は間接に収用又は国有化したり、同様の効果を有する措置をとってはならない。1)公共の利益に関する場合、2)無差別原則を基本とする場合、3)法の適正手続に従う場合」(4章2-1)

MAIにおいては、「間接的な収用」と同様の効果を持つ政府の措置とは、補償できない資産の差し押さえ禁止(これは米国憲法をはじめ各国の法律に財産権として定められている)にとどまらない。MAIの収用に関する定義には、いわゆる「規制措置」も含められ、投資価値を下げるような規制措置を課さないことを政府の義務と定めている。この定義によって、投資家は投資に損害を与えるような土地利用法や環境保護法に対して補償を求めることができるようになる。

その一例が、北米自由貿易協定(NAFTA)の収用規定に則って米国のメタルクラッド社がメキシコ政府を提訴したケースである。同社は、メキシコ・サンルイスポトス州の廃棄物処理施設を買収し、事業を開始しようと際に、サンルイスポトス州がその地を環境保護区の一部に指定したことが、実質的に投資の収用に相当するというのが提訴の理由である。メタルクラッド社の買収した施設は、過去に地下水を汚染しており、そのため同社はその汚染を浄化することを買収時に義務付けられていた。しかし環境影響評価の結果、同施設が生態系にとって重要な地下水脈の真上にあることが判明し、州知事は操業再開を禁止した。メタルクラッド社は、この措置によって今後見込まれる利益が奪われたとし、9000万ドルの損害賠償を求めている。NAFTAの収用条項がなければ、メタルクラッド社は投資に伴うリスクを自社で引き受けることになり、巨額を投資する前にきちんと環境アセスメントを実施しなければならないと学ぶ貴重な経験を積んだはずである。しかしNAFTAの定める投資家の権利(MAIでは、それがさらに拡大される)によって、企業が勝訴すればメキシコ政府が同社のリスクと投資コストを肩代わりすることになるのである。

米国にいてMAIに反対している人々の反対の理由も、MAIの収用条項が米国内法(および他のOECD加盟国の国内法)をはるかに凌ぐものだという点にある。米国では、補償義務のない収用もある。米国憲法の法理において、(私有地の取得に反対するような)規制と取得は別物だと考えられてきた。

MAIにおける収用条項は、自国の「収用」に関する国内法原理を覆す、極端なものである。この分野に関する米国の法律は個人の財産権を尊重しているが、投資家の土地が収用された場合にはその逆で、一般的に規制によって投資の経済利益が減じた場合も訴訟の対象になるとは認識されていない。しかしMAIは、個人にさえ適用されないような権利を投資家に対し、国際法上で与えているのだ。米国では、「規制的収用」をめぐって最近行われてきた議論の上に、MAIの「収用」の議論が重なってきた。米連邦議会も多くの州議会も、米国の収用原理を拡大することが法に基づく政府の規制能力を過度に侵害し、各国政府の財政に大きな負担を強いる可能性を持つことを認めている。

MAI交渉テキスト(4月版)には、環境と労働基準に関する提案が付属書として盛り込まれている。米国は現行の収用規定をもっと緩い規定にすることを提案した。その文書では「各締約国は自国領域内における他の締約国の投資を収用あるいは国有化したり、収用や国有化と同様の措置をとってはならない」(付属書「環境と労働に関する文書提案」)。この提案では「間接」という用語が使われていない。しかし脚注によれば、これは「財産権は侵害されない・・収用」(「忍び寄る収用」として知られている)を含むものである。MAIが「忍び寄る収用」に適用されるものであることは、MAIコメンタリー第4章2-5を参照のこと。

この脚注は、各国の規制法を擁護するものである。これが採択されれば、MAIが収用や一般的待遇に関する国際法の新たな基準を示すものではないということを明確にするための交渉者や政策起草者、紛争処理機関への指針となる。しかし、こうした解釈は、OECDの膨大な文書に記されたMAI起草者の意図に反するものである。そして現行の交渉テキストでは、この提案は規制措置を保障するものとはならないのである。

さらに、収用の定義についても、国際法では決着が付いていない。国連の国際協定のいくつかでは、極端な国有化の場合も含め、補償を受ける権利は確立されていない。しかし国際投資紛争解決センター(ICSID)のような紛争処理機関では、国有化という忍び寄る収用による損害に対しても補償を義務付けている。

第二には、NAFTAが環境および健康、安全の規制に関連して、収用に関する新たな国際基準を作ったと言える点である。仮にMAI交渉グループが現行の国際法の枠内で収用に関する定義をまとめようとしても、先に示したメタルクラッド社のケースのようにNAFTAで出される判例が、MAIにおける義務として収用を定義する時に影響していくこともあり得る。MAI文書の脚注がより効果を持つためには、以下のような文言が必要だろう。「国際法上の判例にいかなる先例があろうとも、MAIにおける収用と一般的待遇の条項では、公共の利益のために政府が行う規制や財源確保、その他の通常の政府活動によって生じる投資家あるいは投資の損失について、締約国に補償を義務付けてはならない。」

2一般的待遇(・章の1条)

MAIにおける「一般的待遇」条項は、締約国に対して「[非合理正当又は差別的な][非合理かつ差別的な]措置によって、自国領域内における他の締約国の投資家の投資の運営管理、維持、利用、享有又は処分を妨げてはならない」とを指示している。この条項では、適用範囲とされる投資家の活動が、運営管理、維持、利用、享有、処分と極端に拡大されており、政府が企業を規制する全ての方法が網羅されている。

この条項が意図しているのは、収用に関するMAIの定義が拡大されているにもかかわらず、投資家が規制の対象とされた場合にも、投資家を保護できるようにしておくことにある。例えば国際投資家はこの一般的待遇条項を使って、禁止されたパフォーマンス要求(この要求自体は私的資本を公共の目的に添わせるための措置である)のリストには列挙されていない投資条件についても提訴の対象とすることができる。特定分野の企業に適用される最低賃金法や、特定産業において労働組合に対する中立性を要求する法律、一定期間その国や自治体から転出させないという要求、解雇された労働者や移転させられた地域社会に対して解雇手当や補償の支払いを要求する法律、その他、資本移動を規制し、地域住民のために質の高い仕事を創出するための既存あるいは立案中の政策など、先進国と途上国の両方で実施されている重要な政策がその中に含まれる。

MAIは、各国政府の実施する規制措置が一般的待遇に違反しているかどうかを判断するための基準を明確にするにあたって、慣習国際法を参照していない。その代わりに、MAIの一般的待遇条項は「合理性」あるいは差別などを根拠とする新たな国際的法基準を設定しているが、規制法に関わる紛争処理において、仲裁パネルがこの基準をどう適用すべきなのかについては明示していない。

これらの不明瞭な規定は、投資家に国家および地方自治体の法律をMAI違反として提訴するさまざまな根拠を与えており、これは仲裁パネルにも、公共の利益のうち、投資家が担うべき「合理的」な責任とは何かを判断するに際して自由裁量権を与えている。環境や人々の健康、および労働者の安全に関する規制とその実施は、この条項によって全てMAI違反とされてしまう可能性がある。

MAI交渉テキスト(4月版)付属書の「環境と労働に関する提案」に、一般的待遇に関する米国提案を含めることを交渉グループは決定した。この提案は、上述した収用に関する提案と類似しており、これが採択されれば、MAIは投資家の一般的待遇に関して新たな国際基準を設定せず、むしろ既存の国際法に存在する基準に依拠することが明示されることになる。

3資金移転に関する規制撤廃(4章4条)および金融サービスの自由化(3章内国民待遇)

投資を広く定義するMAIでは、ポートフォリオ投資(株式や債券、通貨取引)にも規定が適用される(MAI コメンタリー2章8条)。MAIは締約国に対し、海外および国内資本と海外資本との間で金融資本移動について差別することを禁じている。海外資本は相場の変動などに応じて国外に移転してしまう可能性が高い。OECDはMAIの資本移転に関する条項によって世界規模の資本移動を促進することを目指しているが、今は世界銀行でさえ各国には資本の流入・流出を規制するための正当な理由があると認めるようになってきている。主流の経済学者や世界銀行のような機関が唱える資本移動に対する規制は、海外投資と国内投資を区別して考えている。

現在、世界中の通貨取引の90%以上(1日の取引額は1兆3000億ドルとも言われる)は、投機に使われている。つまり、海外投資家が外国通貨を買い求める時、そのほとんどが投機目的なのである。その資金が工場建設や製品の輸入、国債の購入、株式の購入にあてられることはない。むしろ、通貨価値の変動によって利益を得る(あるいは為替損益を回避する)ことを目的とした売買なのである。

MAIに関連して、OECDは資本移動に関する伝統的政策から脱却しようとしている。資本移動の自由化に関するOECDコードでは、加盟国が必要と判断すれば一方的に資本規制を実施することが認められている。しかしMAIは、これに加盟するOECD非加盟国も含め、このような規制を行うことを認めていない。

とりわけMAI交渉テキストでは、資本移動を禁止するために、各国が以下の措置をとることを禁じている。

・通貨交換に上限を課すこと。通貨危機が起きたときに、政府が通貨交換を認可制に移行して資本の大規模な流出を防ごうとすること(4章2条)。

・長期投資を奨励するために「スピード・バンプ」を課すこと。チリは、外国投資家に一定期間投資を国内に留めることを要求している典型的なケースである

それに加えて、対内投資の流入を制限するための以下のような政策も禁止される

・外国投資家に対し、国内銀行からの借り入れに上限を定めること(3章1内国民待遇)

・ポートフォリオ投資に支払い準備要求を課すこと。国によっては、短期投資の流入を制限するため、株式市場への投資額と同額を中央銀行に払い戻しのできない形で預金することを要求すること(3章内国民待遇、3章1パフォーマンス要求)

・外国投資家の銀行預金に対して政府保証を与えないこと(3章内国民待遇)

・外国債の起債について行政認可が必要とすること。および外国債に最短償還期限を課すこと(3章内国民待遇)

・海外投資家の資本取引に関して他より不利な交換レートを適用すること

アジア通貨危機という事態を考えれば、このルールをあらゆる状況に適用することが賢明かどうかは大きな疑問である。MAI交渉グループは、国際収支問題が生じた時にもMAIが定める義務をできるだけ停止しないことを提案してきた。しかし、OECD資本移動自由化コードとは異なり、問題があるかどうかの判断が当事国に委ねられている訳ではない。MAI起草者は、その決定を国際通貨基金(IMF)に委ねるという条項を盛り込んだ(6章 2一時的セーフガード)。歴史的にIMFは、危機的状況にあっても「正常」な(つまり、できるだけ制限されない)貿易と資本移動を制約することに反対してきた。そのため、この様に例外を嫌うIMFを利用して、MAIに対する拒否権を認めさせることは、およそ実現的ではない。

4 パフォーマンス要求(3章パフォーマンス要求1-5(c))

パフォーマンス要求と呼ばれている投資に対する条件は、各国政府が経済発展の目的を達成するために講じる措置である。途上国は外国投資家に対して、国際競争から自国市場を保護するために製品の輸出を義務付けたり、国際収支バランスを保つためや工業化政策のために機軸通貨による資本移動を制限したりすることが多い。また、外国投資家に国内の製品や部品の使用を義務付けることも一般的である。

先進国の場合、パフォーマンス要求は、貧困地区における雇用の創出や銀行融資における人種差別に対抗するコミュニティへの再投資、環境保全など、政治的な目的と結びついている。MAIでは、外国投資家から譲歩を引き出す目的のパフォーマンス要求と経済発展を促進する目的あるいは経済・政治・環境など特定の問題に対処するためのパフォーマンス要求を区別していない。MAIにおけるパフォーマンス要求の一般的制限は、途上国の実施している戦略にも先進国の戦略にも適用される。

この規則は、外国投資家および国内投資家・投資に対する政府措置に適用される(3章パフォーマンス要求1)。交渉テキストには「締約国は、自国領域内における他の締約国又は非締約国の投資家の投資の設立、取得、拡大、管理、運営、維持、使用、享有、売却又は他の処分に関して、以下の要件を賦課、強制、維持し又は約束若しくは合意を実施してはならない(強調付加)」と記されている。締約国に「a(ある一つの)」が付いていることに注意してほしい、これは適用される対象として外国投資家を「another(他の)」締約国の投資家と記している「内国民待遇条項」と対照的である。つまり、各国政府のパフォーマンス要求に対する制限は、国内企業にも外国企業にも適用されるという意味である。

MAI交渉を開始するにあたって、OECDは、MAIにおけるパフォーマンス要求の制限はNAFTAよりも厳しいものになるだろうと語っている。MAIの起草者は、この協定では自主的なパフォーマンス要求を禁止しすべきだと提案した。さもなければ、各国政府は、ある程度の要求を受け入れる投資家を、そうしない投資家よりも優遇することになるからである。彼らは、パフォーマンス要求が投資の流れを歪めることのないようにする最善の方法は、仮に政府が補助金を払ってでも行いたいパフォーマンス要求の幾つかを完全に禁止することであると説明している。MAIの起草者はまた、MAIが政府に対し、国内投資家にパフォーマンス要求を課すことを禁止しない限り、政府は要求を従わせることができる国内投資家を優遇し、そうできない外国投資家を冷遇するだろうと説明している。

MAI草案(4月版)では、こうした野心的な構想が全く縮小されていない。MAIは、MAFTAよりも広い範囲でパフォーマンス要求を禁止しており、自主的なパフォーマンス要求のいくつかについても禁止している(3章パフォーマンス要求2)。さらに、上述したように、外国投資家と投資と同様に、国内投資家と投資に対する待遇についてもこのパフォーマンス要求条項が適用される。

MAI交渉テキストでは、国内および外国投資家対して以下のパフォーマンス要求が禁止されている。投資家が、「優遇」を受けるかわりに自発的に要求をのむことについても以下のような場合に禁止されている(補助金あるいは他のインセンティブ)。

・国内コンテント要求(3章パフォーマンス要求1-b)

・国内調達要求(3章パフォーマンス要求1-c)

・輸出入均衡要求(3章パフォーマンス要求1ーd)

・領域内における販売制限(3章パフォーマンス要求1ーe)

・一定レベルの輸出要求(3章パフォーマンス要求1-a)

さらに、「優遇」が伴わない限り、外国および国内投資家に対する以下のようなパフォーマンス要求を課すことはできない。

・研究開発要求(3章パフォーマンス要求1-i)

・一定レベルの国民を雇用する要求(3章パフォーマンス要求1-j)

・国内の企業と合弁する要求(3章パフォーマンス要求1-k)

・国内資本の参加義務要求(3章パフォーマンス要求1-l)

・技術移転要求(章パフォーマンス要求1-f)

・本社を自国内い設立する要求(3章パフォーマンス要求 1-g)

・財およびサービスを自国領域からのみ供給する要求(3章パフォーマンス要求1-h)

さらにMAIには、NAFTAには盛り込まれているような環境分野のパフォーマンス要求を禁止対象から部分的に外すという規定が含まれていない。NAFTAにおける環境規定は、当該国の環境あるいは健康、安全に関する法律を遵守するために必要である場合に限り、政府が国内コンテントまたは、国内調達要求を課すことができるというものである。MAIの脚注によれば、この部分的対象外規定はOECD加盟国からほとんど支持を受けていない。

国内の経済発展のための「プログラム」は、MAIにおけるパフォーマンス要求の禁止から派生したものである。各国政府は経済発展を実現するためには企業を規制してはならない、というのがこの「プログラム」の原則である。しかし、場合によってはこの目的を達成するために政府が投資家に補助金を支払うことも認められる。

MAI草案(4月版)のパフォーマンス要求条項(雇用要求の禁止)では、以下の文がサブ・パラグラフ(j)の脚注として挿入されている。「このパラグラフは、条件不利地域・個人を対象としたプログラム、あるいは他の同様に正当性を持つ雇用政策プログラムに干渉するものと解釈してはならない」(3章パフォーマンス要求1ーjへの脚注24)(強調付加)。この脚注によって、条件不利地域・個人を対象としている大半のプログラムが適用から除外されるわけではない。これは、特定の雇用創出目的に沿ったプログラムのみに限定されているからである。つまり、条件不利地域・個人を対象としたプログラムでも、雇用要求以外の11のパフォーマンス要求からはこのプログラムが適用除外とされないのだ。。条件不利地域を活性化するための政府の政策能力を支援するためには、MAIの全てのパフォーマンス要求からこうしたプログラムを除外しなければならなず、実際、このようなプログラムは条約全体の適用除外とされねばならない。

5. 戦争からの保護(4章3)

MAIの投資家保護条項では、締約国に対して戦争時に外国投資を保護するよう求めている。ここで言う戦争とは、戦争や他の武力紛争、革命、暴動、「市民騒動」、その他の緊急事態のことを広く指している(4章3-3-1)。ここに記されているように、MAIにおける戦争の定義は、食糧や燃料不足に起因する暴動、ストライキ(国によっては不法なこともある)、天災などによる社会混乱などのような多様な事態が含まれるほど広いのである(4章3-3-2(a)(b))。

MAIではこのように広範に定義された紛争期間に外国投資を保護するために、内国民待遇または最恵国待遇のいずれかより厚遇な措置を外国投資家に与えるよう各国政府に要求している(4章3-3-1)。しかし、MAIは、国内投資家には与えられていない場合であっても外国投資家に対する弁償または補償も保障している。政府が投資の全てもしくは一部を「接収」した場合、または戦争によって投資の一部または全部をその必要もないのに破壊した場合がそれにあたる(4章3-3-2(a)(b))。

暴動や戦争あるいは他の紛争によって投資に損害を受けた場合、外国投資家はMAIの紛争解決パネルに該当財産の破壊が「必要」だったかどうかの判断を求め、その裁定に基づいて保障を受けることができる。その一方で、政府軍によって損害あるいは破壊を受けた国内企業はMAIに提訴を行うことができない。この条項は、投資法の専門家で組織されるMAIの紛争解決パネルが、武力闘争や侵略あるいは暴動などにおける当該政府の政策決定が有効であったかどうかを判断するための権限を強化する。

II. MAI条項の適用 

投資家ー国家の紛争処理手続き

MAIの与える影響に関する議論の多くは、「投資家対国家」紛争解決に焦点を置いている。この条項では、投資家(企業あるいは個人)がMAIで認められた自らの権利が侵害されたと考えたときに、政府を国際法定で提訴し損害賠償を請求する権利を与えている(5章D1-2)。

実際、MAIに違反すると考えられる政策や法を提訴するのかどうか、またはいつ、どこで提訴するのかを決定するのは投資家である(5章D2;D3(a))。投資家の主張を審査するための政府機構は存在しない。このような過大な権力を制限するよう求める声明がいくつかの政府から再三出されているにもかかわらず、MAIテキストには、いまだ何の制限も盛込まれていない。

MAIは重要な分野において紛争の裁定を行う仲裁パネルが採用すべき基準を設定していない。このように、このMAI協定には不明瞭さが残されているため、NGOもMAI交渉者もこの協定がもたらす本当の影響については憶測するしかなく、それによって実施段階においてMAIの立法の意図が縦横無尽に追求できるというわけだ。

全ての国はMAIの調印にあたって、投資家が提訴した場合には紛争仲裁パネルの裁定に無条件に従わねばならない(5章D3)。

MAIでは投資家が政府を提訴する際に以下の三つの機関から一つを選択することができる。一つは、世界銀行の一部である国際投資紛争解決センター(ICSID)。ここを利用

するには当事国が投資紛争解決条約の加盟国でならなければならない(5章D2(c)(i)(ii))。

MAIの締約国が投資紛争解決条約の加盟国でない場合、投資家は国連国際貿易法センター(UNCITRAL)あるいは国際商業会議所(ICC)の調停機関を利用することができる(5章D2(c)(iv))。

ここで指定されている投資に関する調停機関同士の間には、大きな利害の衝突という問題がある。例えば、国際商業会議所は、MAIの議論に関しての中立な立場を保つ機関ではありえず、むしろ、投資の規制撤廃の唱道者である。国際商業会議所はMAIにおいて公式な立場を確保するために精力的なロビイ活動を行い、他の国際貿易調停機関と競いあった。紛争解決機関にとってお金と名誉が重要であるという事実は、紛争処理仲裁人が投資家に対して有利な仲裁をする動機となるであろう。

クリントン政権は、MAIに対する批判の多くがこの「投資家対国家」紛争解決メカニズムに関するものであることを認識している。米政権は、市民の懸念を和らげるために、この「投資家対国家」紛争解決メカニズムはすでに、現存する1600以上の二国間投資協定に盛込まれいると主張し、投資家が米国の法律に対して、また環境および労働規制を避けるために、この紛争処理メカニズムを使ったことは一度もないと指摘している。しかしながら、MAI条項を施行するために投資家対国家紛争解決メカニズムが利用された場合の規制への影響を予測するための事例としては、これまでの二国間投資協定のケースでは全く不十分である。

二国間投資協定は、先進国が新たに独立した国家(旧ソ連邦諸国など)の規制の厳しい市場に参入を促進し、政治と法治組織が不安定な国に投資する際のリスクを最小限にするためにに結ばれてきた。しかし二国間投資協定の相手国となっている比較的貧しい国々は、先進国市場の大きなシェアを占めるような多国籍企業(MAIの潜在的な原告)の本拠地ではないため、二国間投資協定において米国や他の先進国の政策が提訴されるような事態はまず起こりえない。それに引き替え、OECD加盟国の大半、つまりMAIの当初の締約国となる国々からは、多額の対外投資が行われている。したがって、米国と二国間協定を結んでいるハイチやウズベキスタン、キルギスタンなどと違い、MAIの締約国は、紛争解決プロセスに影響を与えて自らの優位を保つことができる巨大資本を持った多国籍企業の本拠地なのである。そして二国間投資協定の相手国とは異なり、ほとんどのOECD加盟国は米国に投資している(その逆もある)。

さらに、米国と二国間投資協定を結んでいる国々と違って、OECD加盟国の市場は比較的開放されており、国内法によって外国投資もかなり保護されている。このような自由化された投資環境のもとでは、投資に対する既存の障壁のほとんどは規制である(例えば、環境保全や土地利用法、危険物の製造を禁ずる公衆安全法、独裁政権との商取引を行なう投資家に対する経済制裁など)。したがって、MAIが締結されれば、この投資家対国家紛争解決メカニズムは、投資家が投資障壁だと認識する規制を提訴するためにしばしば活用されるようになるだろう。

MAIの投資家ー国家紛争処理メカニズムは、NAFTAの投資条項(第11章)以上に、国内の規制政策を脅かす可能性持っている。第一に、NAFTAの投資家対国家メカニズムは、NAFTAの一部の条項にしか適用されない。第二に、NAFTAの下で投資家が紛争解決プロセスを開始したら、他の法的機関で金銭的損失を取り戻す権利を放棄しなければならない。このルールによって、投資家が「紛争の場を買い漁る」ことや、自分に都合のいい判決が出る可能性を追求し、次々と国内および国際の法定で並行していくつもの訴訟ケースを抱えるといった事態を防止することができる。MAIの投資家対国家紛争解決条項では、この防衛措置は、政府がそれを望んだときにのみ適用される選択肢の一つにすぎない。

全般として、MAIの各条項は広範すぎるし、漠然としており、曖昧な規定が多い。起草者らは、一般的待遇や収用、事実上の差別などの領域に関しては、ほとんど解説的な指針が示されていない。しかし、その分野こそMAIが国際法上の新たな基準を設けている所なのである。MAI条項の曖昧さがこれに加わり、国内における立法に対するMAIの影響という点において、紛争解決メカニズムは多くの不確実性を内在している。

1998年4月のOECD閣僚会議の後で、交渉グループは、MAIの投資家対国家紛争解決条項によって国家権力が実質的に企業に委譲されることを制限しようとするだろうという漠然とした報告が出された。また、MAI交渉グループは、投資家が政府を提訴する件数を減らし、それによって政府の関連経費を減らすための「審査」メカニズムを検討しているという噂が流れた。このメカニズムの提案nは、MAIの仲裁機関の外部に上訴審を設立する可能性や、政府が企業や個人投資家の「下らない」提訴をふるい落とすためお事前審査メカニズムの可能性が含まれていた。

MAI交渉テキスト(98年4月版)では、付属書のなかに「諮問意見:MAIの紛争解決あるいは機構問題専門家に対する提案」と題された草案が含まれていた。そこでは、締約国は「MAIの解釈と適用」に関する法律問題諮問委員会を設立することを提案している。この「諮問意見」という短く曖昧な言葉は、提訴されたケースを事前に審議するあたっての制限が設定されるのかどうか、また委員会で出された意見が仲裁機関に持ち込まれる投資紛争に関して何らかの意味を持つのかどうかなどは全く不明である。

MAI交渉グループでは、投資家対国家紛争解決メカニズムの審査プロセスについての議論は進展していないようだが、政府をパネル裁定に従わせるため条項は草案したようである。MAIの「締約国の書面による合意」条項(5章D5)では、MAIに調印する国は、国内の現行法よりもMAIルールを優先することに同意し、MAI仲裁機関の裁定に国内法を従わせることに同意すると規定している。

MAI条項は、調印国にニューヨーク条約第2条に同意することを求めている。これは、MAIの投資法に関する仲裁パネルの裁定については、国内法廷においても遵守手続きを踏むことを規定するものである。このようにしてMAIは、NAFTAおよびGATTにあった抜け道を閉ざすことになった。NAFTAでもGATTでも、国際貿易および投資に関する法廷で出された裁定あるいは損害賠償は、かならずしも国内法廷によって政府に遵守させられてこなかったのである。

2 国家ー国家紛争処理(・章A-C)

MAIにおいて締約国は、他の締約国にMAIの義務を実施するよう求めることができる。

投資家と同様に国も、国際法廷において相手国の措置、政策、法律を提訴することができるのである。締約国は、自国の投資家のために損害を請求することができるが、その投資家は原告である国の国民でなければならなず、またMAIは投資家のために開始された国家対国家紛争解決プロセスについて一切規定していない。弁償や補償が絡む投資家対国家紛争解決と異なり、仲裁パネルが勧告するのは「締約国が協定の義務に適合した措置をとる」という点である(5章C6(c)(ii))。つまり、MAIの国家対国家仲裁パネルは、当事国の法律がMAIのルールに適合するよう改正を求めるのである。

 しかし、MAIテキストは、投資家対国家紛争解決条項の下で民間投資家に認めているような裁定に従わせるためのメカニズムを、国家対国家紛争解決には与えていない。MAI交渉テキスト(98年4月版)では、「敗訴した」国がMAIの国家対国家仲裁パネルの裁定に従わない場合、「勝訴した」国はできるかことについて二つの選択肢をかぎ括弧付きで提示している。「対抗措置をとる」か、相手国に対して自国のMAI上の義務を停止するという二つの選択肢は、MAI違反が自国もたらした損害と「均衡するレベル」で実施される(5章(c)(9)(a))。またMAI締約国グループ(MAI締約国政府)は、非承諾国がそのグループへの参加を停止することができる(5章C9(c)(ii))。これらの選択肢は、ニューヨーク条約を援用し、国内裁判所を通じた遵守手続きを取り入れている投資家対国家紛争解決システムと比べ、強制力が弱いように感じられる。事実、全体としてMAIの紛争解決システムは、民間企業が国家メカニズムに対して行使することを主眼にために作られている。

III. 締結後も継続される、さらなる投資自由化交渉

1実質20年間、締約国を拘束するMAI(7章1条および3条)

MAIの起草者らは、この協定が「さらなる投資自由化」の継続的な促進を約束する枠組みにしたいと長い間考えてきた。MAIの加盟国は以後最低5年間はこの協定から抜けられない。5年経った後に協定からの脱退を申し出ることはできるが、既存の投資についてはそれ以後も15年間、MAIルールを適用しなければならない(7章3条)。このように加盟国が20年間も拘束される国際協定は他には存在しない。例えばNAFTAは、協定からの脱退を書面で通知すれば、それから6ヶ月後には全てのNAFTAルールの遵守義務を解かれる。

2 ロールバック(4章A(b);MAIコメンタリー;4章ロールバック条項)

OECDのMAI起草者らは、MAI加盟国に対して20年間の拘束だけでなく、各国に国別例外措置として残された外国投資に対する障壁を順次撤廃するためのスケジュールを立てさせたいと考えている。これを英語では「ロールバック」といい、フランス語では「ディスマントルメント:撤廃」と呼んでいる(MAIコメンタリー:4章ロールバック条項1-2)。すでにOECD各国はさらなる自由化交渉を継続するための準備を行っているとの報告もある(MAIコメンタリー:4章ロールバック条項4(c))。さらに、OECD各国は、国別例外措置の一定期間ごとの見直しについて定めた条項をMAIに含めることについてすでに議論している(MAIコメンタリー;4章ロールバック条項4(b))。このようにMAI締結後の自由化交渉の継続があらかじめ定められてしまえば、各国が特定の国内法を守るための枠組みとなってきた留保プロセスは実質的に効力を失う。留保された法律は、保護されずにむしろ撤廃時期が引き伸ばされるだけということになる。

3 スタンドスティル(4章A;MAIコメンタリー:4章スタンドスティル条項)

MAIのスタンドスティル条項では、各国が留保した特定の法律または政策を協定への調印後に強化したり、同様の法律や政策を新たに導入することを禁止している(4章A(b);MAIコメンタリー:4章スタンドスティル条項3(c)(d))。例えば、スタンドスティル条項によって、各国は農地の所有権を国内居住者に限定するという新たな措置を導入することはできなくなる。MAIでは限定的に定義されたいくつかの政策分野については、撤廃する期限を設けない留保を認める可能性もある(4章〔B〕)。期限なし留保によって、各国は特定の限定的に定義された政策分野においてMAIに違反する法制を新たに導入することが認められる。NAFTAではこうした期限なし留保が認められており、米国は核政策と航空政策をNAFTAルールの適用から永久除外している。しかしMAIでこのような留保が認められたとしても、将来行われる貿易交渉などにおいてこれらの留保が撤廃の対象とされない保証はどこにもない。

1998年4月の交渉テキスト付属書には、各締約国に対し、MAIに違反する留保措置について他の締約国に対する補償を義務付けるプロセスについての提案が含まれている。これは一ヶ国が提案したものである。この政府は、国内法を守るためのさまざまな手段-例外、期限付き留保、期限なし留保、独占解除や民営化などの特定分野における条項-は、「締約国間の自由化義務の全体的なバランスにおいて将来発生するかもしれないゆがみの評価を困難にし、こうしたゆがみ自体を生み出す原因となる。さらに、これらの条項はよりたくさん留保を行った、あるいは新たにMAIに反する措置を導入しようとしている『悪い奴』に利し、そのためにこの協定の法的質を著しく低下させる。.......」(付属書:全体の自由化レベルの維持、イントロダクション、3)。留保および一般的例外の下でMAIに抵触する措置を実施する国は、「全体の自由化レベルの維持を保障しなければならず、必要に応じて補償による調整を行わねばならない(付属書:20条;全体の自由化レベルの維持、1-2)。

この提案されている条項の下では、MAI加盟国は他の締約国の留保または例外について仲裁パネルに審査、および「補償による調整」の必要の有無、そして必要だという判断の場合には「適切かつ十分な」補償額についての決定を要請できる。この条項がMAIに含められることになれば、各国政府は文字通り、外国との競争から特定分野を保護し、外国が自国の特定の法律について提訴することから自国を守る主権のために補償を支払わねばならなくなる。

4 MAIの例外

通常、例外規定は全ての締約国に対して法的拘束力を持つ形で交渉テキストの中心部分に含まれている。そこには、ペナルティを課されずにその協定に違反することが許される状況が列挙されている。例外規定は、締約国の国内法や政策が協定違反として提訴されたときにだけ、これら法制を守るというその効力を発揮する。例えばGATT20条の例外項目のリストは、GATTルールにおいて、締約国が人間や動植物の健康や生命を保護するために必要な措置や、国家財産や公の秩序または道徳の保全に関連する措置がGATT違反である場合に、これらの措置を実施することを認めている。

これまでの国際経済協定に比べると、MAIの例外規定のリストはかなり短いものである。MAIが現在認めている例外には、「国際平和及び国際安全保障の維持のための国連憲章上の義務」を履行するための措置や、「当該締約国の安全保障のために不可欠な利益を保護するために必要」と認める措置があり、その他には「公の秩序」の維持のための措置を条件付きで容認しているに過ぎない(6章一般的例外2と3)。それに対してGATTは、例外として公の道徳や人間・動植物の健康、国家財産、有限天然資源、国家安全保障、公の秩序などを含んでいる。

EUはMAIにGATT20条の例外規定を挿入することを提案している。これは「人間、動物又は植物の生命又は健康を保護するために必要」、または「有限天然資源の保存に関連する」法律を例外と規定している。交渉グループ議長の極秘メモによると、この例外規定がMAIに挿入する可能性は高いという。

しかしGATTでは、このような非常に範囲の狭い例外規定によって重要な環境法が保護されてきていない。最近のケースに、マレーシアとインド、パキスタン、タイの4カ国が、海ガメ回避装置(TEDs)を使用せずに捕獲されたエビの輸入を禁止した米国を提訴していた件がある。この件で1998年4月に出されたWTO裁定は、GATTの例外規定が存在するにもかかわらず、貿易を環境法よりも優先している。米国の当該の法律やこの紛争ケースの総合的な結論に対する意見がどうであれ、今回の裁定におけるGATT20条の解釈には問題がある。WTOパネルの報告は、エビ輸出国が国内のエビ漁船にTEDsの装着を義務付けることを要求した米国の輸入禁止は、GATTの例外規定によっても正当化され得ないとしている。その理由は、こうした措置が「多角的貿易システムを傷つける」からであるとしている。このパネルはGATT20条を極端に狭義に解釈し、例外規定は自由貿易を制限することを意図する法律には適用されないとした。このWTOパネルは、環境保全措置を含む全ての各国規制は、米国の特定のエビの輸入禁止の場合のように無差別的であり、かつ天然資源と動植物の生命を保全・保護する多国間の取り組みの一環である場合であっても、自由貿易原則に則っていなければならないと判断したのである。つまり、米国のエビ禁輸措置は、絶滅の危機に瀕する動植物の国際貿易に関するワシントン条約(CITES)などの多国間環境協定に則っていても、例外規定は適用できないということだ。CITESでは、絶滅に瀕している種を危機に追いやっている国に対して貿易制裁を発動することが容認されている。EUがGATTの例外規定と同じ文言をMAIに挿入することを提案しているため、この最近のWTOパネル裁定はMAIにおける環境保全措置の扱いにも直接関係する問題となった。GATT20条の例外規定についての詳細な分析は以下の第二部を参照されたい。

最後に、MAI条項が例外規定の適用範囲を狭めているため、紛争解決パネルにおいて例外措置が提訴される可能性は高くなり、例外規定の適用が非常に厳しく審査されるようになることはほぼ間違いない。MAIの下では、例外措置は「純粋に経済的な理由のため」には発動することができず、さらに「保護された利益に比例して」いなければならない(6章一般的例外5)。驚くべきことに、あるMAI締約国が他の締約国の留保について、問題に比して釣り合わない措置だと主張すれば、協議プロセスが開始されるというのだ。これでは、例えば核政策などの基本的な安全保障問題などに関連するルールを策定する際に、各国は他国の反応を予測しなければならないという非常に困った事態が発生することになる。

5 加盟(7章)

MAIはOECD非加盟国が加盟することもできる開かれた協定であり、OECDのMAI起草者らはこれら国々のMAIへの加盟を奨励している。すでにOECD非加盟国4ヶ国がオブザーバーとして交渉に参加しており、7ヶ国がMAIに最初から加盟したいと表明している。

設立メンバーとしてMAIに加盟しない国々に対し、MAI交渉グループは途上国のMAI参加を歓迎するという「強い政治的メッセージ」を送るために新たな文言を提案した(7章加盟4)。この提案によって、締約国グループ(MAI加盟諸国)は途上国の加盟申請を受け入れるために必要な国別例外などについて、「それぞれの加盟申請国の特別な状況」を考慮に入れ、「加盟申請国の国内投資規制の総合的な改革という文脈においてこのような例外措置を残す提案について加盟国は検討する」ことができるようになった(7章加盟4)。この提案は、MAIが途上国のニーズと利益を考慮していないとの批判に答えたものだ。これらの例外がMAIの中心的な条項であるパフォーマンス要求や内国民待遇原則などにも適用されるのか、それともこれらの例外が国別例外にされる法律だけに適用されるのかは明らかでない。

一方で、交渉グループはOECD非加盟国の人権・労働権の扱いなど、MAIへの加盟申請前に考慮されるべき事項についてのその他の基準は全く提案していない。

第二部 「1998年2月・4月MAI交渉テキストにおける環境および労働に関する提案」の分析

1998年2月および4月のMAI交渉テキストには、環境と健康・安全、および労働に関する法律をMAIでどう扱うべきかについて、慌てて付け加えられた提案が含まれている。その一部にはかぎ括弧が付いており、これはMAI交渉グループが条文は作成したものの、それをMAI協定に含めるかどうかについて合意に至っていないことを意味する。その他の提案のほとんどが各国政府による提案であり、MAIに含められるかどうかの交渉さえ進んでおらず、含められない可能性も高いものである。つまり、これらの全ての各国提案は合意に至っておらず、MAI協定に含まれる可能性は非常に低い提案なのである。

これらの提案は、OECDの新たな戦略を反映したものである。この戦略は、WTO閣僚会議におけるクリントン米大統領の演説や、OECDが「グローバリゼーションの恩恵」を広く宣伝することで貿易協定や投資協定を売り込むために実施した「投資と貿易」に関する出版物の販促ツアーなどに具現化されている。最近になって続々と出された環境や労働に関する提案によってMAIが環境・労働政策やその他の公共政策に対する明確かつ包括的な保護策を講じたと結論付けるのは間違いである。また、MAI交渉者らが真剣に系統立てて環境や健康、開発などの問題に取り組もうとしていると考えるのも妥当でない。むしろ、環境や労働およびその他の国内の公共政策の正当性について、MAIの法律家や紛争解決パネルの解釈を左右する効力をほとんど持たないこれらの提案を乱発しているに過ぎない。

これら最近の提案では、MAIに関連する環境や労働などの問題をどう扱うべきかについて異なる意見が出されている。いくつかの提案は、既存の環境法を温存し、かつ将来的に各国が環境や健康・安全に関する法律を制定する余地をより多く残すことを企図しているが、大方の提案は各国政府が投資誘致のために環境・労働基準を引き下げないことを勧告するという内容に留まっている。しかし、中には国内の企業が弱い環境規制を求めて他国に移転することを防止するための環境法を制定するのをMAIによって制限しようとする提案もある。

さらに、「環境に配慮した」条項をMAIに含める提案の多くは、実際に環境政策が影響を受けないように明示するのではなく、むしろその点を不明瞭にしている。環境法を例外とする提案には多くの制約条件が課されており、中には環境政策がMAIに抵触していない場合のみ、その合法性を容認するというような、重複していて無意味な提案さえある。各国政府が高い環境基準を追求することを奨励するという提案も、勧告の域を超えておらず、投資自由化に関連して起きる環境破壊について明示し、それに対処するための具体的な目標を定めるものではない。

これらの提案は、MAIにおける環境問題の扱いに対して長い間論じられてきた以下のような批判には対処していない。(1)MAIは投資家に責任を課していない、(2)全ての環境保護法制・政策はMAIの投資家対国家紛争解決メカニズムにおいて提訴の対象とされる、(3)「収用」や「一般的待遇」などの問題の多いMAI条項について、これら条項が外国投資家に経済的損失を与えた、もしくはこれら投資家の投資に関連した活動を「不当」に制約したとの理由で、環境・健康・安全を守るための法制を攻撃することのないよう、修正が加えられていない。(米政府は収用と一般的待遇について、代替の文言を提案した。これについては本文中の他の場所で論じている。なお、MAI交渉グループ議長はこの提案に支持を表明している。)

概念の明解さという面から、これらの提案は二つのタイプに分けることができる。ひとつは環境・健康・安全基準をMAIの例外と扱うとする提案で、もうひとつは環境・労働基準についての各国政府に対する勧告のようなものである。

A提案されている「例外」

1パフォーマンス要求に関する環境面での例外

これは、NAFTAのパフォーマンス要求の条項を採用したもので、MAI交渉テキストには1997年1月の交渉テキスト以降に含まれるようになった。以後に出された新しい提案が優先されるが、前の版も解釈の際に参照される。この例外は禁止されている12種類のパフォーマンス要求のうちの2つに適用される。環境・安全基準および環境保全目的を達成するために必要な場合、または既存の環境・健康・安全規制の遵守に不可欠である場合にのみ、国内調達比率または国内調達要求を課すことが認められる。

条文:〔該当措置が恣意的若しくは不公正な方法で適用されないこと又は投資に対する偽装制限とならないことを条件に、パラグラフ1(a)から1(c)の文言は、締約国が、環境に関するものを含む以下のような措置を導入又は維持することを妨げるものと解釈されてはならない。(a)この協定の条項に反しない法令との整合性を確保するために必要なもの;(b)人間、動物又は植物の生命又は健康を保護するために必要なもの;(c)生命を有するかどうかを問わず、有限天然資源の保存に必要なもの〕(第三章パフォーマンス要求4.)

説明:国際環境協定でない限り、国内および国家間の環境法・政策は統一されていないのが一般的である。例えば米国は環境保全の目的やその必要性に応じて産業ごとに違うルールを課している。カリフォルニア州ではスモッグ問題に対応するために他の州よりも厳しい排出規制が実施されている。他の国では、例えば北欧諸国の熱帯木材利用規制のような資源保全のためにより弾力的に厳しい環境政策を実施している場合も多い。その効果により、地元産業はこうした環境規制に従う形で事業を展開している。外国投資家はこれらの地域特有の環境基準を満たすために地域で製造された汚染防止装置を購入しなければならないことになるかもしれない。同様に米国では、特定製品のリサイクル原料の使用割合など、資源保全のための法律があるため、外国投資家はこの法律を守るために地元のリサイクル技術に資金を投入しなければならないこともあるだろう。国内調達要求が例外として認められることにより、通常は海外の親会社あるいは関連会社から資材や設備を輸入するところを、国内調達要求によって地元から調達を余儀なくされたとして、このような環境規制はMAI違反であると主張する外国投資家の訴えから政府を守れるようになる。

分析:この条項、各国政府が環境保全のための政策目標を達成し、全ての投資家を既存の法律に従わせることを目的としているにもかかわらず、実際に提案されている文言は非常に限定的なものである。NAFTA協定から引用したこの条項は、政府の措置が人間、動物又は植物の生命又は健康を保護するため、および天然資源を保存するために「必要」であることを条件としている。(これはGATT20条の文言よりも制約的である。)

環境や健康・安全を守るために「必要」な法律であるかどうかの決定の基準とされるのはなんだろうか?MAIはこの点について指針を示していない。同様の文言はGATTルールでは、こうした目的のための法律が「最も貿易制限的でない」措置であるかどうかという基準をパスしなければならないという意味に解釈されている。つまりこのような法律を維持しようとするとき、その国はその目的を達成するのにこの措置が最も貿易制限的でないということを証明しなければならない。(さらに、目的そのものの正当性も別途、法的判断に付される。)MAIが政府に対し、その法律や政策措置が目標達成に必要なだけででなく、最も投資制限的でないことを証明する義務を課すようになるのかどうかは、明確な説明がなされない限りはMAIの交渉担当者や紛争解決の仲裁者にさえ分からないのである。

MAIにおいて、明確な説明なしに「必要」という文言が採用されることになれば、例えばリサイクル資源の含有量を特定する措置などが、「必要」かどうかを基準とするのか、資源保全のための措置として最も投資制限的でないかどうかを基準とするのかは、紛争解決パネルの判断に一任されることになる。

パフォーマンス要求禁止の二つの例外に関する提案に含まれている、「恣意的」という文言と「偽装した」という文言は、GATTケースにおいて環境法制をGATT違反と判断した根拠になった文言である。国際法の解釈事例には、これらの文言について有効な別の解釈が存在していない。

さらにこの例外は12もあるパフォーマンス要求の禁止事項のうちの2つ(国内調達要求および現地調達比率要求;ローカルコンテント要求)にしか適用されないのも問題である。これでは、例えば気候変動枠組み条約の中で規定されているような国際環境政策の目標を達成するために、政府が外国企業に対して技術移転を要求することは認められないことになる。気候変動枠組み条約では、多国籍企業がより貧しい投資受入国政府に「環境適正」技術を提供することでより効果的な排出削減を行うよう勧告している。

現状:この条項の提案には、1997年1月の交渉テキストに含まれて以後、かぎ括弧がついたままである。この条項の備考には、この条項は広範囲をカバーしているために大多数の政府が削除を希望していると記されている。(政府はパフォーマンス要求を実施する余地が広がりすぎることを懸念しているのである。)しかし1998年4月の交渉テキストは、新たな環境と労働に関する条項ととともに再度この条項が含まれている。

2GATT20条「環境に関する一般的例外」

ECは、人間・動植物の保護、および生物または無生物の有限天然資源の保全に必要な法律をMAIの例外とするためにGATT20条と同様の条項を挿入することを提案した。一般的例外は、前述したパフォーマンス要求禁止からの例外より優先する。

条文:「該当措置が恣意的若しくは不公正な差別、又は投資に対する偽装制限として適用される場合を除き、この協定は締約国が以下の措置を採用または維持、実施することを妨げるものと解釈されてはならない。(a)人間、動物又は植物の生命又は健康を保護するために必要なもの;(c)生命を有するかどうかを問わず、有限天然資源の保存に関連するもの。」(第三章環境と労働に関する追加的条項)

分析:この条文は、前述の国内調達とローカルコンテントに関するパフォーマンス要求禁止からの例外という狭い例外ではなく、この条件に適合する全ての法律を例外として扱うものである。しかしここでもまた、提案された文言は制約的なもので、最近さらに弱められたGATTの解釈に基づいている。各国の措置は「恣意的若しくは不公正な差別、又は投資に対する偽装制限として適用され」てはならないのだ。この文言は、GATT20条の前文について、自由化優先の解釈を行うときに持ち出される基準となっている。この文言は、投資家が環境・健康・安全に関する法律をMAI違反として提訴する明確な根拠となるため、このECの提案はあまり有効な例外条項とは言えない。

MAIの「安全保障」のための例外条項では、政府の措置に対してこのような条件は課されていない。ただ「この協定は、締約国が、以下のような、当該締約国の安全保障のために不可欠な利益を保護するために必要と認める措置を執ることを妨げるものではない...」とのみ記されている。

同様に、この提案では、人間・動植物・健康を守るために「必要」な、というGATTの文言を用いている。パフォーマンス要求禁止の部分的例外のところでも説明したように、「必要」という用語は投資家に、国際法廷で環境規制を提訴する重要な根拠を与えている。いかなる判断基準が適用されても、MAIが「必要」という文言を採用することによって各国の全ての環境政策が説明責任を伴わない商業優先の国際法廷の判断にさらされることになることは間違いない。紛争解決パネルは、外国投資家が受入国の環境法や公衆衛生規制などによって地元企業よりも不利な立場に立たされたと主張すれば、各国の環境保全の取り組みを精査することができるようになるのである。

GATT20条の文言を採用するとの提案において、ECは資源保全と健康・安全に関する法律との間に明確な区別をつけようとしている。GATT20条の下では、資源保全のための法律はそれが「必要」かどうかが判断基準にはされておらず、その措置が環境保全に関連していれば良いことになっている。(前述の(b)参照)それによって政府は、鉱物資源の採掘に規制を課したり、リサイクル法を施行するより広い裁量権を持つことができると考えられている。しかしこれまでのGATTやWTOにおける紛争ケースでは、この二つの分野をほとんど区別しておらず、GATT20条の前文を参照することで前述のように各国が環境法を維持することを例外と認めてこなかった。

現状:この例外規定がMAIに含まれる可能性は全くないというものから、かなり可能性が高いというものまでさまざまな予測が飛び交っている。

3炭化水素を含む鉱物資源の探鉱、採掘および精錬に対する許認可についてのノルウェー提案

条文:〔(2)「現存の協定に従い、締約国は以下の措置を取ることができる。(a)この条項に従い、希望する全ての投資家が行った申請に対する許認可のための手続き;(b)申請許可のための基準;(c) 許認可事業への国家の参加の有無や、炭化水素を含む鉱物資源の探鉱・採掘・精錬などの事業活動の実施とその期間について許認可の中に含めるか、それ以前に決定しておくのかなどの条件および要求事項」〕

(3)締約国はパラグラフ(2)で規定されている手続きおよび基準、条件、要求事項を、炭化水素を含む鉱物資源の探索・採掘・精錬などの活動の実施に関して、透明かつ客観的な方法および投資家の国籍に基づいて差別しない方法で適用しなければならない。

分析:この条文はこれよりも以前の、鉱物資源は「投資」の定義から完全に削除するというノルウェーの提案の修正案である。この提案では天然資源を外すのではなく、政府にMAIルールからの逸脱を認め、採掘の条件を定め、外国投資家の設立する権利を制限するものである。この提案では政府が課税や規制目的で国家による管理を維持するために投資家とジョイント・ベンチャーを組むことを容認するものである。しかしこの提案では、政府が採掘に対する許認可を与える際に外国投資家と国内投資家を差別することは認めていない(内国民待遇)。国内の天然資源は、他の戦略産業と同様に保有国の他国に対する比較優位となっている場合も多いため、これは問題の多い規定である。

現状:この提案にはかぎ括弧が付いており、これは作業部会が検討したが内容および文言について合意は形成されていないことを意味する。

4米国が提出した「追加的条項パッケージ」

米国は、現在のMAI交渉テキストの環境に関する部分に環境保全に関する提案のパッケージを追加することを提案した。これは2つの提案から成り立っており、もし採用されればMAIにおいて環境・健康・安全に関する法律を守ることができるよう、MAIの基本原則の適用を制限することになる。

A条文:このパラグラフは、〔のような状況において〕というかぎ括弧内の文言の解釈として協定に含められることになる。この文言は、米国がMAI交渉の最初の段階から内国民待遇と最恵国待遇の部分に含めるよう提案しているものである。この提案は、内国民待遇と最恵国待遇の定義を狭めることになるだろう。「同様に、政府には特定の状況下において、国内投資家と外国投資家の扱いに違いを設けるための正当な理由があるかもしれない。例えば内国民待遇と最恵国待遇の原則に反していない国内法の遵守のために必要な措置である場合などである。さらに、政府が適用した措置が他の締約国の投資や投資家に差別的な効果があったという事実自体が内国民待遇と最恵国待遇に反する措置であると判断されることはない。」(付属書:環境と労働に関する条文の提案パッケージ、解釈2,3)

分析:「のような状況において」とい文言を加えるという米国のもともとの提案では、内国民待遇・最恵国待遇を徹底させるために投資のタイプ別比較を行っていた。原則的には、外国銀行は国内行と同じ扱いとされるべきだが、国内の製造業と同じ待遇を与えられる必要はない。現在提案されている追加部分には、このような投資家や投資、法律などの分類についての明示しておらず、法律の目的について触れているに過ぎない。この条項は、ある法律が外国投資家に対して差別的な効果がある場合に、それがかならずしも内国民待遇・最恵国待遇の原則に違反するものではないことを明確化することを目的としている。この文言がMAI協定に含まれることになれば、企業活動を規制する政府の権限の一部は維持され、内国民待遇・最恵国待遇の原則-環境・健康・労働などの全ての法律を対象としている-の適用範囲が狭められる。こうした変更によって、外国企業だけが製造している製品を禁止する環境・健康・安全に関する法律は保護される可能性がある。国内法遵守のためのコストが外国企業にとってより高いという場合などもこの条項の適応範囲であるかどうかは明らかではない。しかしもしそうなれば、現在の政策の変更を意味する。州政府の調達の古紙含有率を定めているミネソタ州の法律は、リサイクル紙が少ないカナダに不利であるため、米加二国間の貿易協定に違反しているとしてカナダ政府はこの法律の撤廃を要請してる。

これが「事実上の差別」の禁止というMAI交渉者らの目的を達成する条項であるかどうかははっきりしない。「事実上の差別」とは文字通り、「法制上の差別」と違って、実際に存在する差別のことを指す。「事実上の差別」には作為的なものもあれば、表面的には中立的に見える法律が適用において国内投資家優先であったり、外国投資を妨害するような無作為的なものもある。

米国は、事実上であれ法制上であれ、作為的な差別と無作為的な差別を区別しようとしているように見受けられる。しかしMAIの無差別原則に関する条項では、外国投資家の待遇は国内投資家の待遇よりも「悪くては」ならないというものであり、これは作為的差別と無作為的差別の区別を難しくしている。なぜなら、環境法制の中には、無作為的に外国投資家の待遇が悪くなっている場合があるのである。

内国民待遇および最恵国待遇というMAIの基本的な無差別原則に関する条項は、GATTを手本としていることを覚えておく必要がある。なぜならそうした事実によってGATT裁定の先例は、これらMAIの原則が投資紛争パネルでどのように解釈されるかをある程度予測することを可能とするからである。GATTパネルでは、無作為に差別的な法律を、それが必要以上に貿易制限的であるという理由から内国民待遇条項に違反している可能性があると判断している。WTOの紛争解決パネルは、EUが成長ホルモンを使用した牛肉の輸入を禁止したことについて、これは作為的な差別措置ではないが、この措置が国内酪農家よりも米国の酪農家により深刻な影響を与えるとの理由からGATTルールに違反すると主張した。

現状:内国民待遇・最恵国待遇の範囲を狭めるために米国が提案した「のような状況において」という文言は他の政府の合意が得られないためにまだ条文に含まれていない。米国が「のような状況において」という文言の提案を取り下げ、新たな提案を再提出しないかぎり、この条項について合意が成立しなければ、それに付随している解釈も考慮されないことになる。1998年4月の交渉テキストの付属書2を見る限り、議長はこの文言を協定に含める提案を支持している。しかし議長の提出物は法的拘束力を持たないため、それがどの程度交渉グループの意見を左右するのかは不明である。

B条文:「この協定は締約国が他の契約国の投資家または投資に対して、投資受入締約国の国内法制への遵守を確保するための情報提供、検査受け入れを要求することを妨げるものと解釈されてはならない。(1998年2月交渉テキスト、追加的提案パッケージ)

分析:この文言がMAI交渉テキストの「透明性」に関するセクションに追加されれば、投資受入国は同国内で操業する外国企業の子会社に国内法の遵守を徹底するために海外の親会社から情報を引き出しやすくなる。

現状:この提案がどの程度支持されているのかは不明である。

B各国政府に対する勧告

労働・環境基準を守ることについて、MAIは投資家の責任について法的拘束力を持つ規定を持たない。労働と環境に関する全ての条項は、既存の労働・環境基準を維持・施行する政府の責任に関するものであり、また、政府に環境に配慮した政策の採用を奨励するものである。これらの条項は全て法的拘束力を持たない。現在「投資誘致のために環境・労働基準を引き下げない」とする条項に拘束力を持たせ、MAIが加盟国(締約国)間の調停の対象とするという提案が出されている。

1環境法および環境法の域外適用に関する一般条項

ある政府は、ECの環境に関する例外提案を代替するものとして、さらに弱い文言を提案した。MAIに抵触する環境法制も容認するとしながら、各国が自国企業の海外での操業を規制できないようにすることを提案している。

条文:この協定が、締約国が時刻の領域内における投資活動が環境に配慮した形で行われるようにするために適切と考える措置がMAIに抵触しない限り、その措置の採択・維持または施行を妨げると解釈されてはならない。

同様に締約国は、他の締約国への対外投資に対して、偽装された規制となるような環境保全措置を採択・維持または施行してはならない。

分析:この条項の第一段落は、NAFTA1114.1条を引用し、政府はMAIに違反しない限りにおいて環境規制を自由に施行できると述べている。この文言はMAIに抵触しているかいないかによって環境法を分類するための指針を紛争パネルに提示するものではない。この段落では政府がどの程度踏み込んだ環境政策を追及できるのかを明示していない。つまりこの段落は不明瞭さを増幅させるだけである内容を繰り返しているのだ。

第二段落では、政府が国内資本の移動を制限する方法を制約するという前例のない提案を含んでいる。例えば国内企業が海外の公害規制が緩い地域(Pollution Haven)に簡単に移転するのを防ぎたい場合、議会は投資受入国よりも高い(場合が多い)国内の環境法に従うことを義務付ける法律を施行することができる。しかし、このMAI提案が採用されれば、こうした法律がMAI違反とされる可能性は非常に大きく、MAIは単に国内外の投資家に対する政府の規制能力を制限することによって、MAIが環境保護を促進しないばかりか、阻害する協定になってしまう。NAFTAの交渉中に生まれた合意-投資は環境・労働基準の引き上げによって流出するとの認識-は、このような条項が環境規制を「守る」MAIルールとして採用されれば、実質的に放棄されることになる。

現状:この提案は一ヶ国が提案したもので、他の国がどの程度これを支持しているのかを交渉テキストから判断するのは不可能である。

2(労働・環境)基準の引き下げ禁止

MAI交渉テキストには、1997年5月の交渉テキストより、投資措置のための環境・労働基準の引き下げに関する条項が含まれている。この条項を政府を法的に拘束するものにすべきかどうかについて、および、この条項の適用範囲を環境・労働規制の緩和全般にまで広げるべきか、あるいは投資誘致のための規制の棚上げにのみ限定すべきかについて、交渉グループでは合意に至っていない。

MAI交渉グループの議長は、1998年4月の交渉テキストの中の議長提案で、この条項の適用範囲を「特定の投資」にのみ限定し、全ての労働・環境規制の緩和には適用しないのが望ましいと述べている。(付属書2:環境と労働に関する議長提案)つまり、特定の投資あるいは投資家を誘致するためでない、法律・政策問題としての規制緩和である限り、環境・労働基準を引き下げることができるようにするということである。

現状:何らかの形で「基準引き下げ禁止」条項がMAIに含まれるようになるのはほぼ間違いないが、交渉グループはこれに法的拘束力を持たせるかどうか決定していない。3ヶ国の政府がこの条項に労働基準を含めることに反対している。

3米国が提出した「追加的条項パッケージ」

以下は、米政府の環境に関する提案「パッケージ」で前述しなかった部分である。

a条文:この協定が、締約国が自国の領域内における投資活動が環境に配慮した形で行われるようにするために適切と考える措置がMAIに抵触しない限り、その措置の採択・維持または施行を妨げると解釈されてはならない

分析:この条文は、一般条項として他の政府が提案したNAFTA1114.1条と同じものである。米政府はこの条文を「基準引き下げ禁止」条項に挿入することを提案している。この条文の問題点に付いては前述した通りである。つまりこれは内容的に重複しており無意味な条文である。

b条文:締約国は、適切な国際機関や産業界との協力を通じ、投資家が有害化学物質や有害廃棄物の製造・廃棄に関する環境保全基準を達成するための政策を実施する場合あるいはそのような公約を表明する場合には、必要に応じて投資家を奨励する措置を講じるべきである。(付属書)

分析:この文言はアジェンダ21から引用されている。この条項は法的拘束力を持たず、「しなければならない(shall)」ではなく「すべきである(should)」という言葉が使われている。この勧告は、有害廃棄物の製造・廃棄が環境に与える影響に対処することを政府に求めている。しかし、これを実施に移すための枠組みは、国際機関やNGOおよび産業界が廃棄物の製造・廃棄に関する基準を開発するための自発的な活動を開始するための枠組みさえ設定されておらず、こうした基準の達成に向けた具体的な目標も定められていない。さらに、この条文は、有害廃棄物の越境移動や廃棄を制限しておらず、また有害廃棄物の越境移動を規制しているバーゼル条約とMAI協定との関係について触れていない。この条文は政府に対しても投資家に対しても全く拘束力を持たないのである。

c 条文:各締約国が、独自の国内環境保全や環境関連開発政策およびその優先事項を設定し、それに応じて国内の環境法制を採択する権限を有していることを認識し、各締約国は国内の法制によって高い水準の環境保全を実現し、これらの法制を引き続き改善していくべきである。さらに、各締約国は、適切な政府措置を通じてこれらの環境法制を効果的に実施すべきである。

分析:法的拘束力を持たないこの文言は、NAFTAの環境に関する補完協定から引用したものである。ここでもShallではなくShouldが使われていることに留意してほしい。この条項では、MAI加盟国間で環境法制について監視する必要性には触れておらず、また、環境基準を相互に引き上げていくための目標を設定するための機構的枠組みを設定していない。この条項はまた、環境法の域外適用を阻害する効果を持つことになるかもしれない。環境法の適用に関する各国の主権を確認することで、国内投資家の海外での活動に対して各国が環境基準を設定することを妨害するために援用されることになる可能性がある。

d条文:「全ての締約国は、自国領域内で行われる予定の投資が、健康または環境に深刻な影響を与える可能性が高い場合には、正当な政府機関の決定に基づき、最恵国待遇および内国民待遇に関する条項に抵触しない形で適切な影響評価を要求または実施すべきである。」

分析:これはリオ宣言から引用された法的拘束力を持たない条項である。この条項は海外直接投資に対して特別な審査を要求するものではないが、全ての投資に適用されねばならない。この文言は他のMAI条項によって投資案件に対する審査の実施が制約されているという問題にきちんと対処していない。「正当な政府機関の決定に基づき」という文言によって、各国は適切な審査機関が存在する場合にのみ、環境影響評価を実施できるということになりかねない。

第三部 MAIの政治的背景に関する簡単な説明

OECDおよび米通商代表部(USTR)の公式な立場は、各国政府が各国内でMAIに対する理解を得られない限り、交渉は再開されないというものである。MAI交渉の今後について、OECDで継続すべきかWTOに交渉を移すべきかについてOECD各国の閣僚が再会し、決定を行う時期として1998年10月が選ばれた。

OECDとUSTRは、交渉を1998年10月まで凍結する意向を明らかにしたにもかかわらず、二国間レベルではその後も交渉を行っていた。過去数ヶ月の間に米国、EUおよびカナダのMAI交渉担当者の間で会合が2回行われている。

最初の会合はオタワでUSTRとEUおよびカナダのMAI交渉者の間で行われた。USTRはNGOに対する説明会において、この会合ではMAIとは関係のない問題について話し合うために開かれたと主張しつつ、しかしMAI における国別例外の問題について話し合う時間も設けられたと述べた。この会合では米国が自国の補助金と政府調達を例外とするよう求めていること、およびEUが地域経済統合機構(REIO)を最恵国待遇と内国民待遇の原則の例外とするよう求めていることなどが議論された。EUはそれ自体がREIOであるため、EU各国の間だけで適用される法律が、EU以外の国からMAI違反として訴えられないようにしたいと主張している。USTRはこの会合について単に「混乱を解消する」ための話し合いだったと説明した。

最近の会合は7月13日にロンドンで行われたもので、ここではOECD非加盟国がMAIに加盟する場合の問題について話し合われた。USTRはごまかそうとしたが、この会合で交渉者らはOECD非加盟国のMAIへの加盟条件について話し合えるようなるほど、MAI交渉は進展していると感じていることは明らかだ。

MAIにNO! 日本キャンペーン事務局

記事原文のurl:www.jca.apc.org/pf2001jp/mai/mai.html

以下、連絡先が書いてあるが、現在このサイト見ると、冒頭に下記文章がある。

市民フォーラム2001解散のお知らせ

 これまで市民フォーラム2001(以下、2001と略)を支援してくださった団体、市民のみなさん。2001年3月4日に開催された2001の総会にて、2001年3月31日をもって2001を解散することが決定いたしました。

Last Updated 11. April. 2001とある。

ということで、連絡先部分は削除させていただく。

ただし、このサイト、フレーム構造になっているので、上記リンクで直接、上記文書を読めるわけではない。左側フレームのリストで、一番上にある、「MAIの規定と提案:1998年4月交渉テキスト分析」をクリックすると、上記文章が読める。

2012年4月11日 (水)

資本主義にまつわる、更に2つの神話

先に訳した記事『資本主義にまつわる10の神話』、ロシア語と、原文ポルトガル語には、神話11、12があるので、遅ればせながら、ロシア語を解する人による翻訳を補足する。

ロシア語記事の題目について、わざわざコメントを下さった方までおられる。申し訳ないとは思うが、神話12は、多少ニュアンスの違う文言にしてある。

神話11. 国家は小さければ小さい方が良い

民営部門の方が国営よりもうまく機能する。この神話の狙いは、国家の機能と、儲かる財産の民営化を、より容易にするために"苦いものを甘くみせかけることにある"。この神話は上のものを補足するものだ。実際、通例、民営化後、納税者への圧力が増大し、諸手当や年金が削減されるため、労働者への配分は常に悪化する。資本主義者の視点からすれば、公共部門の運営は、単に私企業にとっての好機にすぎない。資本主義は社会的公正には無頓着なのだ。この神話は最も"イデオロギー的な" ネオリベラル資本主義神話の一つだ。私企業が国家を運営すべきであり、国家はそれを支持するだけでよい。

神話12. 現在の資本主義の危機は短期的なもので、人々の利益になる方向で解決される

現在の金融・経済危機は資本主義の通常の周期的危機であり、決して全体的なものではなく、崩壊に至るわけではない。高利貸しと化した金融資本の第一の目的は、可能な限り、国家を強奪し、国民を搾取し続けることだ。これはま権力に留まる為の手段でもある。しかしながら、本質的に、そしてマルクスによれば、現在起きているものは、資本主義制度の体制的危機、つまり、生産の社会的性格と、利益取得の私的性格との間の矛盾の増大であり、解決不能なものだ。 "社会主義者"や社会民主主義者を含む一部の資本主義理論家は「もし、変化できれば、資本主義は生き長らえることが可能だ」と主張している。

この危機は、政治家達や貪欲な銀行家達や投機家達の過ちや、指導者達の思想や矛盾を解決するメカニズムの欠如で説明できる、と彼等は主張している。しかしながら、現在我々が目にしているのは、良くなる希望が皆無なままの、人々の生活水準の絶えざる悪化だ。資本主義は消え去るだろうが、それは人々の大変な苦難を伴う緩慢なプロセスだ。我々の課題は資本主義の終焉を促進することである。

ロシア語原文

ボルトガル語原文

----------

ボルトガル原文とロシア語訳には英語記事にない上記二項目がある。ポルトガル原文とロシア語訳、多少違うようだ。勝手ながら、あいのこ訳とさせて頂いた。

イギリスと一緒に兵器共同開発。自国民は「冷温停止・除染」原発再開推進によって、茹でガエル状態にしてゆっくりと削減し、他国民は共同開発した兵器で迅速に削減する。二本立て作戦遂行中。

消費税増税・原発推進・兵器輸出・TPPで、1%の支配者は

可能な限り、国家を強奪し、国民を搾取し続ける

亀井亜紀子議員、IWJ岩上インタビューでこう答えているという。さすが。

「TPPは国家主権がなくなる話ですよね。そんな仕組みはとんでもない。もちろん反対です。日本にメリットは全くない。野田政権はルール作りに参加したいと。だから参加表明しなければというけれど、もう殆どルールは決まっちゃってるんですよね。TPP問題は5月に大きくなる。米国は国民に知られないよう密かに急いでやりたい。そして急浮上させて、入るか入らないかをまた迫ってくるでしょうね」

テレビのバラエテイ?番組では、TPPはそっちのけで、人工衛星撃墜命令やら、アメリカ野球の話題やら、歌手とマネージャーの争いやら、異神の怪のよいしょ記事を詳しく報道してくれる。

属国ジャーナリズム健在。

2012年4月 7日 (土)

ケン・ローチの『ルート・アイリッシュ』: イラク戦争帰還す

2010年トロント国際映画祭-第7部

David Walsh

2010年10月21日

本記事は、第7回目で、最近のトロント映画祭(9月9-19日)をテーマにした一連の記事の最終回である。第1部は9月23日、第2部は9月28日、第3部は10月1日、第4部は10月6日、第5 部は10月14日、第6部は10月18日に掲載。

ルート・アイリッシュ

40年以上、イギリス人監督ケン・ローチは映画制作上の重要人物だ。まず彼は、最近“偉大なイギリス・テレビ番組100選”リストで二番目の得票を得た『Cathy Come Home』 (1966)や、『The Big Flame』 (1969)等のテレビ作品を監督し、『夜空に星のあるように』(1967)や、特に『ケス』(1969)等を含む映画で1960年代末に有名になった 。

ローチは、労働者階級の状況、現代社会主義の運命への共感と関心で知られている。彼の映画は、過去と最近のスターリン主義(スペイン内戦と東ドイツ)、1926年のイギリスのゼネスト、アイルランドにおけるイギリスの圧政と挑発、そしてほとんどの場合、労働者達の肉体的、心理的状態に取り組んできた。

1960年代後半と1970年代前半、他の多くの監督、脚本家、俳優、編集者やプロデューサー等と共に、この映画監督がイギリスにおけるトロツキー主義運動に関与していたことが、ある種の問題に対する理解を可能にしている。労働者階級は社会変化の媒体であること、社会主義というものは、スターリン主義とは反対であること、社会が野蛮状態に陥るの防ぐには、社会主義変革が必要であること等。

長い年月と出来事によって、彼の考え方は角が取れ、労働組合への継続的な、当然とは言えないほどの関心を含め、一般的な左翼主義へと変わったが、虐げられた人々に対する明確な感情と、彼等の状況、考え方や感情を表現するという願望を、ローチは持ち続けている。アンドレ・ブルトンの言葉を借りれば、“根本的に自分の意見を変え、自分自身が宣言したことを、自虐的、自己顕示的な形で破棄して、意気揚々と、その為に尽くすのだと喧伝していたものと全く逆の大義の闘士になる”という、余りに多くの元“極左”映画制作者(ジャン・リュック・ゴダール等)によって表されている光景と、彼の進化とを、しっかり比較する必要がある。

イギリスの権力層は、ローチを目の上のコブと見なしている。2006年、アイルランド独立戦争(1919-1921)と内戦(1922-1923)の物語『麦の穂をゆらす風』公開後、ローチと脚本家ポール・ラヴァーティは猛攻撃を受けるようになった。映画は、虐殺と拷問のシーンを含め、アイルランド国民に対するイギリスによる弾圧の残虐行為をありありと描いている。

2006年のマスコミの暴力的な反応は、イギリス帝国主義の残忍な歴史を隠蔽しようとすると同時に、映画が、明らかに暗黙の内に言及している、イラクにおける現在の新植民地主義作戦も擁護しようという試みだった。

イギリス連立政権の現教育相マイケル・ゴーヴは、『麦の穂をゆらす風』がカンヌ映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞した際、タイムズ(ルパート・マードックの刊行物)に悪意に満ちた記事を書き、ローチ等を“自分の国をけなす連中”だと非難した。ゴーヴは歴史を改竄し、ローチ等の映画は“民主的な道筋が常に開かれていたにもかかわらず、自分たちの狙いを実現する為に、残忍な暴力を用いた”運動である“IRAを理想化”していると主張した。

同じ出来事に対し、タイムズのティム・ラックハーストは更に踏み込んで“熱心なマルクス主義の監督”と激しく非難し、“親ナチス派の映画制作者レニ・リーフェンシュタールは、自分の作品が貢献した邪悪な大義を完全に理解していたわけではないので一定の理解の余地があるが…ケン・ローチにはそうした甘やかしをするにはあたらない。”と述べた。

当時WSWSが書いた通り、もう一つのマードックの新聞サンは、『麦の穂をゆらす風』を“親IRA”と呼び、デイリー・メールは、映画を“曲解”と呼んだ。サイモン・ヘッファーは、テレグラフで、この映画を“有害”と非難し、映画を見ていないことを認め、“ヒトラーがどのようにシラミのような人物であったのかを知るために『我が闘争』を読む必要がないのと同じことだ”と宣言した。

一方、筆者は、過去17年間にわたり、同時代の映画界の誰を最も尊敬しているのかを映画監督達に常に質問してきた。既に書いた通り、ケン・ローチは、トロントでの我々との対談で、真面目な人々の間で(フランス、イラン、ギリシャ、スペインや、他の国々の) 一番良くあがった名前は彼の名だった

それはそれとして、筆者は必ずしも彼の映画制作の全てに同意したり、称賛したりするわけではない。一部の映画(たとえば、『ブレッド&ローズ』、『ナビゲーター』) そして、より一般的に、彼が属するイギリス新写実主義の傾向を、島国根性と、本当に心に残るドラマを構想し、作ることの困難さという点で鋭く批判してきた。

私が2005年10月に書いた私の考えは、今も変わっていない。

“フィクション映画の一つの方法が、イギリスの新写実主義派、あるいは、自然主義、あるいは‘ドキュメンタリードラマ’と関わり合いを持ち続けている。数十年後、ケン・ローチの名は依然として際立っている。しかしながら、ローチの芸術的限界や、政治的軌跡について思うところがある人々はいても、彼の一連の作品は、かなりむらはあるにせよ、真剣なものであることには殆ど疑問の余地はない。

“良い脚本があり、強力な個性の俳優(プロであれ、アマであれ)がいて、彼にとって得意な場所で、ある種の自発性を生かせる場合には、全体として忘れがたいドラマとは言えなくとも、ローチは実に感動的な瞬間を生み出している。それが、『マイ・ネーム・イズ・ジョー』や『やさしくキスをして』の優れて、本物の部分だ。一方、最悪の場合、不慣れな、あるいは、趣味に合わない環境では、彼の作品は、政治的に図式的になったり、感情的に不自然になったりしがちだ。(『ブレッド&ローズ』、『ナビゲーターズ』、『Sweet Sixteen』)

“ほとんど誰もが原則を放棄する時代に、何十年も前の、彼自身の革命的社会主義運動体験の影響による、労働者階級の生活の場面や問題へのローチの継続的な関与は、かなりの層の映画芸術家達を惹きつける極として持続している。時には、思いも寄らない映画制作者のインタビューで、彼は‘身売りをしていない’等々のローチ称賛に出会うことがある。特に、…自尊と気取りの海の中で孤立していると感じている、社会派のフランス人映画制作者達にとって、ローチは‘そうではない’何かを象徴しているのだ。これは単なる幸運や誤解として片づけられるべきではない。”

もし、人がローチに、社会的な現実を映画で表現するには他にも方法があるだろうと指摘すれば、彼は単にこう答えるだろう。“そう、これが私のやり方だ、私ができるやり方はこれだけさ。”彼に、いかさまや、芸術的不誠実は皆無だ。過去30年の荒涼とした映画界という光景の中で、彼は目を引く。

今年、彼の新作で、ポール・ラヴァーティが脚本を書いた『ルート・アイリッシュ』を上映するため、ケン・ローチはトロントにでかけた。この映画の題名は、バグダッドのグリーン・ゾーンとバグダッド空港を結ぶ道路にアメリカ軍がつけたあだ名(“世界で最も危険な道路”)からきている。

2007年を舞台に、映画は、イギリス軍のエリート部隊SAS元隊員で、後にイラクで民間傭兵になったファーガス(マーク・ウォーマック)を中心においている。リバプールに戻って、バグダッドの自分の治安チーム(月に10,000ポンド、非課税)に入るよう彼が誘った子供時代からの友人フランキー(ジョン・ビショップ)が、“ルート・アイリッシュ”で殺されていたことを知る。

ファーガスは、フランキーの死に関する公式説明を拒否し、最終的に友人の未亡人レイチェル(アンドレア・ロウ)の協力を得て、独自の調査を開始する。彼はイラク人に対して行われた戦争犯罪と、これら犯罪を隠蔽する陰謀を発見する。残虐行為の明らかな犯人イギリスに帰国すると、ファーガスは暴力的行動に出る。イラク体験に取りつかれ、フランキーの死を巡る罪悪感を抱き、人をあやめたファーガスの選択肢は一つに絞りこまれる。

映画についてのメモで、脚本家ポール・ラヴァーティは、戦争の民営化について多少説明している。彼は、ある解説者が“占領の最盛期、イラクには、約160,000人の外国人タントラクターがおり、彼等のうちの多くは、恐らく50,000人にものぼる連中が、重武装した警備担当者だ。…と推計していると書いている。

“アメリカが任命した連合国暫定当局の代表、ポール・ブレマーのおかげで、こうしたコントラクターの各人全員、新たなイラク国会に押しつけられた命令17号という形で、イラクの法律からの免責特権を与えられていた。”

ラヴァーティはこう続ける。“一体何人のイラク人民間人が、民間請負業者によって殺害されたり、負傷したりしたのかを数えることに興味を持っているものは皆無だが、悪行がはびこっていたことを示唆する膨大な証拠が存在している。ブラックウオーターによるバグダッドのど真ん中での民間人17人の虐殺は最も悪名高い出来事だが、報道されないままの出来事がもっと沢山あった。

“命令17号は、イラクでは破棄されたかも知れないが、その精神は依然、至高のものとして君臨している。腐るほどある刑事免責、嘘、国際法の軽視、ジュネーブ協定無視、秘密監獄、拷問、殺人…何十万人もの死者。”

『ルート・アイリッシュ』は残酷で、濃密で、怒って、実にまともな主題を扱っている。ドラマが依拠している、イラクにおける恐ろしい出来事は真実味がある。ラヴァーティとローチは、イラク戦争と占領を扱うのに、ある程度は自分自身の過去も受け入れざるを得ない、鍛えられた傭兵に焦点を当てるという、並外れた、芸術的に極めて意欲的な手法を選んだ。

最近の多く脚本、『この自由な世界で』では、必死な移民達を搾取する会社を経営する労働者階級の女性、(コチャバンバの水紛争を扱った)『Even the Rain』では、誰を犠牲にしようとも映画を完成させると断固決意した、ひねくれた映画プロデューサーという具合に、ラヴァーティは、人の心を惹きつけるとはほど遠い主人公を物語の中心においている。正しくも、そうした複雑で、当初は魅力のない人物達の運命に向き合うことで、自分も観客も、客観的な矛盾に近づける可能性があると脚本家は決心したのだと思われる。

ところが、元SAS隊員で、イラクで高給の、大変な仕事をしてきたファーガスは、毛色の違う人物なのだ。ひどく傷つけられ、他の人々に深刻な被害を負わせた人物だ。そのような人間は、我々にはとうてい分からないのだろうか?そんなことはない。しかし、ラヴァーティとローチは、そのような人物が、自分や他の人々がしたことに誠実に直面する為に起きたであろう、その人物の内的革命を、劇的に表現しているわけではない。

実際問題、ファーガスが戦争のことを、自分自身のことを、傭兵という職業のことをどう思っているのかが、すっかり明確になっているわけではない。映画制作者は、恐らく心理的リアリズムの名において、主人公に、自分自身が脱皮すること無しに、元の雇い主と対立するようにさせたのだろう。元傭兵が、単に古くからの友人に献身する余りに、傭兵派遣業者-軍事権力集団に挑戦するということがありうるだろうか。いくつかの瞬間を除いては、彼等の友情が、納得するほど十分には感じられない。我々はファーガスの気持ちの変化を信用するよう要求されるが、それだけでは先に進むのに十分ではない。

観客にとっては、映画の主人公に対する態度を、主人公の行動に応じて変えることは可能だ。しかし、その場合は、我々にとって、映画制作者自身の態度が良くわからなくなる。観客がそれに対して様々な感情を持ち得たであろう、ファーガスの性格の別の面を鋭く表現する代わりに、映画はどちらかと言えば、そこから彼の内的葛藤の激しさを、観客が推測すべきだとでもいうかのように、どんよりしたグレーな光で彼を描いている。

二つの海が合流する場所では、水が水車池の様に穏やかな場合もあるだろうが、水車池の光景だけでは、二つの水塊が拮抗する力を理解する助けにはならない。『ルート・アイリッシュ』では、結果は、暴力行為があるにもかかわらず、ある種単調なものだ。

ローチとのインタビューで、彼は特にこの映画がもたらす難題について、何度か触れて、この問題に気づいているように見えた。ある時点で彼はこう語っている。“制作するのが難しい映画、首尾よく作るのが難しい映画になるだろうということは皆分かっていたと思います。”不幸なことに、映画制作者が、うまくやれたようには思えない。

いずれにせよ、ローチとラヴァーティは、現代の真実を浮き彫りにするための取組みを継続しようとするだろうし、我々は彼等の映画制作を大いなる関心を持って見守ることになる。文化的な雰囲気は、確実に良い方向へと変わりつつあるが、彼等はずば抜けた、称賛すべきチームで有り続けるだろう。

[ケン・ローチとポール・ラヴァーティとの関連インタビューも参照されたい(英語記事)]

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/oct2010/tff7-o21.shtml

----------

最近マスコミで話題にされた、コムデギャルソンを宣伝し、原発推進の旗を振った、「戦後の大思想家」を思い出す文章だ。

“根本的に自分の意見を変え、自分自身が宣言したことを、自虐的、自己顕示的な形で破棄して、意気揚々と、その為に尽くすのだと喧伝していたものと全く逆の大義の闘士になる”

映画『ルート・アイリッシュ』については、好意的ながら、いささか辛口?な評価だが、小生のような素人が見る限りは決して単調な映画ではない。

この映画と対の?もう一本の映画が公開中。『誰も知らない基地のこと

原題はStanding Army、普通「常備軍」と訳されている。字幕では「駐留軍」。意味が違うように思え、気になった。以下、『ルート・アイリッシュ』ではなく、『誰も知らない基地のこと』について書く。

北朝鮮: 米日同盟に好都合な脅威によるタイミングの良い「衛星打ち上げ」を活用してミサイル配備推進中の今、必見の世界支配基地ネットワーク映画。

「衛星打ち上げ」を活用したプロパガンダについて、目取真俊氏が「自衛隊が東北で見せた顔と沖縄で見せる顔は違う」で指摘しておられる。

監督の一人、エンリコ・パレンティ氏、「イラクやアフガニスタン戦争反対の行動があるが、反戦を言うのであれば、そこから戦争が始まる場所「基地」にも反対するべきだろう。」「沖縄基地は沖縄だけの問題ではない。高江でのジャングル戦演習は遊びではない。」

パレンティ氏がトーマス・ファッツィ氏と映画制作を始めた時点では、沖縄の事情は知らなかったようだ。ヴィチェンツァ基地だけを取り上げようとしていたものらしい。時間だけで言っても、沖縄の話題(アメリカ軍とは違って、本当に平和のために非暴力で戦いつづける沖縄の方々の描写等)はかなりの割合を占めている。

まず実写画面として現われるのは、コソボ・ボンドスティール基地、そして沖縄の普天間基地、ディエゴ・ガルシア基地は米軍提供の写真?基地建設の為に島から追われた島民のインタビュー。基地帝国アメリカについての映画、当然チャルマーズ・ジョンソン氏も登場される。

東京義塾 Standing Army 2、この『誰も知らない基地のこと』のみならず基地問題についても詳しく書かれている。

以下は本ブログにある基地関係記事翻訳の一部。

チャルマーズ・ジョンソ氏の記事をいくつか訳してあるが、直接映画の中の言葉と重なる記事を一つ挙げておく。「常備軍Standing army」問題にふれている。

チャルマーズ・ジョンソン: 『復讐の女神ネメシス: アメリカ共和国最後の日々』

名前は出てこないが、最低県外といいながら意思貫徹できずに潰された首相や、基地問題については、ガバン・マコーマック氏の記事を訳してある。

オバマ対鳩山: 不平等で、違憲で、違法で、植民地的で、虚偽的な米日協定の素性

ディエゴ・ガルシアの基地について訳した記事には下記がある。

民主主義に対する世界戦争

コソボのボンドスチール基地の様々な福利施設が紹介される。このボンドスチール基地については、たとえば下記の記事を訳してある。

ワシントン、バルカン半島に新植民地を獲得

ところで、原子力安全委、全員留任だという。どうやら今日も4月1日のようだ。原子力寄生虫規制庁が発足するまでだという。

2012年4月 4日 (水)

資本主義にまつわる10の神話

2012年2月15日

プラウダ

新自由主義版の資本主義は疲れ果てている。人を食いものにする金融界の連中は利潤を失いたくないので、借金の重荷を退職者や貧しい人々に転嫁する。"ヨーロッパの春"の亡霊が旧世界を徘徊し、資本主義に反対する人々は、人々に、彼らの生活がいかに破壊されつつあるかを説明している。これがポルトガル人経済学者ギリェルメ・アルヴェス・コエーリョによる記事の主題だ。

あらゆる国民は自分たちにふさわしい政府を持つのだという有名な表現がある。これは必ずしも正しくない。思考パターンを方向づける強引なプロパガンダによって国民は惑わされ、容易にごまかされてしまうのだ。嘘とごまかしは人々を大量破壊し抑圧する現代兵器だ。それは戦争という伝統的手段同様に効果的だ。多くの場合、この両者はお互い補いあっている。選挙で勝利を勝ち取り、言うことを聞かない国々は破壊するため、両方の手法が利用されている。

資本主義イデオロギーを土台とし、資本主義が神話の域にまで持ち上げられた、世論を操作のための様々な方法がある。それは何世代にもわたり、百万回も繰り返されている偽りの真実の組み合わせであり、それゆえ多くの人々にとって疑う余地のないものになっている。こうしたものは、資本主義が信用できるものであるかのように表現し、大衆の支持と信頼を取り付けるようするよう意図されている。これらの神話は、マスコミ、教育機関、一家の伝統、教会の会員、等々によって広められ宣伝されている。これらの神話の中でも最もよくあるものは以下の様なものだ。

神話1. 資本主義の下では一生懸命働く人は誰でも豊かな資本家になれるし、資本主義制度は自動的に勤勉な個人に富を与える。労働者達は無意識に空虚な望みを抱くのだが、しかしもしそれが実現しない場合、自らを責めるだけだ。実際、資本主義の下での成功の可能性は、どれだけ一生懸命に働くかとは無関係で、宝くじと同じようなものだ。富はごく稀な例外を除いて、一生懸命働くことで生み出されたるではなく、より大きな影響力と権力を持っている人々の詐欺と、そうした人々に良心の呵責が欠如している結果なのだ。成功は勤勉の結果であり、運と十分な信念と相まって、起業家活動に携わる能力と、競争力の程度に依存するというのは神話だ。この神話は、この制度を支持する信奉者達を生み出す。宗教、とりわけプロテスタントもこの神話を奉じることに尽力している。

神話2. 資本主義は全員の為に富と繁栄を生み出す

少数者の手中に集中された富は遅かれ早かれ全員の間で再配分される。この神話の狙いは雇用主がつべこべいわれずに富を貯め込むことが出来るようにすることにある。それと同時に、遅かれ早かれ労働者達はその労働と献身報われるという希望が主張される。実際、マルクスさえ、資本主義の究極的な目標は富の分配ではなく、富の集積・集中だと結論していた。ここ数十年の金持ちと貧乏人との間の、特に新自由主義による支配が確立して以来、拡大する格差がその逆であることを証明している。この神話は戦後期の"社会福祉"段階の間、最も普及したものの一つで、その主要課題は社会主義諸国の破壊だった。

神話3. 我々は運命共同体である

資本主義社会には階級はないので、失敗と危機の責任も全員のものであり、全員がつけをはらわねばならない。この神話の狙いは、労働者に後ろめたさを感じさせ、資本家が収入を増やし、経費は国民に負担させられるようにすることだ。実際、全て責任は、政府を支持し、政府によって支持されている億万長者で、課税、入札、金融投機、海外移転、身びいき、等々で大きな特権を享受しているエリートにある。この神話は、国民の窮状に対する責任を逃れ、国民にエリートの失敗のつけを払わせる為、エリートによって吹き込まれている。

神話4. 資本主義は自由を意味する

本当の自由は、いわゆる"市場の自己調整"のおかげで、資本主義の下でこそ実現できる。この神話の狙いは、あらゆることが額面通りに受け取られ、マクロ経済的決定に参加する国民の権利を否定する、資本主義という宗教に良く似たものを創り出すことだ。実際、意思決定における自由は究極的な自由だが、それを享受しているのは、国民ではなく、政府機関さえそうではなく、有力な人々の小集団だけだ。サミットやフォーラムの間、閉ざされたドアの背後の小集団、大企業、銀行、多国籍企業のトップ達が、戦略的な性格の主要な財務や経済の意思決定をしているのだ。市場はそれゆえ、自己調整しているわけでなく、操作されているのだ。この神話は、そうした国々には自由が無く、規制しかないという想定に基づいて、資本主義でない国々の内政問題に介入するのを正当化するのに利用されてきた。

神話5. 資本主義は民主主義を意味する

民主主義は資本主義の下でのみ存在可能だ。この神話は上の神話と素直に繋がるが、社会秩序の他のモデルに関する論議を防ぐために作られた。他のものは全て独裁制がと主張されている。資本主義には自由と民主主義といった概念が与えられてはいるものの、その意味は歪曲されている。実際、社会は階級に別れており、超少数派の金持ちが、他の全員を支配している。この資本主義的"民主主義"というものは偽装した独裁制にすぎず、"民主的改革"というのは進歩とは反対のプロセスだ。上の神話同様、これも資本主義でない国々を非難し、攻撃する為の口実として利用される。

神話6. 選挙は民主主義と同義語だ

選挙は民主主義と同義語だ。この神話の狙いは他の制度を中傷したり、悪者扱いして、指導者達がブルジョア的でない選挙、例えば、年齢や、経験や、候補者達の人気度などの理由によって決められる政治・選挙制度について議論するのを防ぐことにある。実際、ごまかして、買収するのは資本主義制度で、投票は条件条項であって、選挙は形式上の行為に過ぎない。選挙では常にブルジョア少数派の代表達が勝利するという事実だけで、選ばれた連中が人々の代表でないことがわかる。ブルジョア選挙が民主主義の存在を保障するという神話は最も強固に定着されたものの一つであり、一部の左翼政党や勢力さえそれを信じている。

神話7. 与党を変えるのは、代替案があるのと同じことだ

与党の立場を時々交替するブルジョア政党には代替基盤がある。この神話の狙いは、民主主義は選挙に還元されるのだという神話をあおり、支配階級の中で、資本主義制度を永続させることにある。実際、二大政党やら多数政党議会制度が一党制度であることは明らかだ。これらの政党は一つの政治勢力の二つあるいはそれ以上の派閥であり、代替政策を持った政党を模倣したこうした政党が交替をする。国民は、彼等はそんなことはしていないと確信して常に体制の代理人を選ぶのだ。ブルジョア政党には異なる基盤があり、それはまさに反対のものであるという神話は最も重要なものの一つで、資本主義制度を機能させる為、年中論じられている。

神話8. 選挙で選ばれた政治家達は国民を代表しており、それゆえ国民の為に決断できる

政治家は国民によって権限を与えられたのだから気の向くままに支配ができる。この神話の目的は、国民に空約束をして、実際に施行される本当の施策を隠すことにある。実際、選挙で選ばれた指導者はその約束を果たさず、あるいは、ひどい場合には、往々にして元の規約とは不一致だったり、相反したりさえする、宣言していなかった施策を履行し始める。積極的な少数派によって選ばれたそうした政治家達は、任期途中で支持率が最低になることが多い。こうした場合、代表性が失われていることが、合法的手段による政治家の変更には至らず、対照的に、現実の、あるいは変装した独裁政治において、資本主義民主主義の退廃をもたらすのだ。資本主義下における民主主義を歪曲する組織的慣行が、投票に行かない人々の人数が増えている理由の一つである。

神話9. 資本主義に代わるものは存在しない

資本主義は完全ではないが、唯一可能な経済・政治制度であり、それゆえ最も適切なものである。この神話の狙いは他の制度の研究や推進を抹殺し、武力を含めたあらゆる手段を用いた、競争を抹殺することにある。現実に他の政治・経済制度が存在しており、最も良く知られているのは科学的社会主義だ。資本主義という枠組みの中でさえ、南米の"民主社会主義" や、ヨーロッパの"社会主義的資本主義"といった別バージョンが存在する。この神話は、人々を脅し、資本主義に代わるものについての論議を防ぎ、全員の一致を確保することを目的としている。

神話10. 節減は富をもたらす

経済危機は従業員福利厚生の行き過ぎのためにひき起こされた。それを無くせば、政府は節約でき、国は豊かになる。この神話の狙いは、資本家の債務支払い責任を、退職者を含め、公共部門に責任転嫁することにある。この神話のもう一つの狙いは、それが一時的なものだと主張して、人々に貧困を受け入れさせることだ。それは公共部門の民営化を促進することも狙っている。節減が最も利益の上がる部門を民営化することで実現されたもので、将来の収入が失われてしまうということには触れられぬまま、節減は"救済"であると国民は信じ込まされつつある。この政策は国家歳入の減少と福利厚生、年金の削減を招くのだ。

リュボフィ・リュリコ

記事原文のurl:english.pravda.ru/business/companies/15-02-2012/120518-ten_myths_capitalism-0/

---------

前回の記事について、「読点が多すぎて文章がブツ切りになってしまい、意味が通じない箇所が多々あり。意味を斟酌するために何度も読み直さねばならないというストレスを強いられる。」という御意見をtwitterで拝見した。全くおっしゃる通り。(もちろん、ストレスを感じながら無理にお読みいただくように、とまでお願いしていない。)

お手数ながら、代案をお知らせいただければ、早速入れ換えさせていただく。夏目漱石の有名な逸話を思い出した。「僕だって無い知恵を絞って講義をしてるんだから、君だって腕を出したまえ。」

この文章、日本ジャーリズムになりかわって、日本政治を分析してくれているようだ。日本の大手新聞をやめて、プラウダを講読したほうが良いかも知れない。(英語のリンクから辿ると、ロシア語原文、その元と思われるポルトガル語原文には、12項目あるように見える。差分を何とかしたいものだ。)

神話3. 我々は運命共同体である 日本は一つ、絆で結ばれている。

これは、もちろん国民の窮状に対する責任を逃れ、国民にエリートの失敗のつけを払わせる為、エリートによって吹き込まれている。

先日の夜の国営放送、2000人の集会だかをネタに、異神の怪を執拗に宣伝していた。郵政解散以来の強烈なプロパガンダ。腹が立ってテレビを消した。

神話7でも、二大政党なるものが全くの食わせ者であることが語られている。原発と隷米政策を推進してきた自由でも民主でもない党をおい落として、大本営広報部マスコミによるプロパガンダのおかげで政権についた民主的どころではない党も、一つの政治勢力の二つの派閥であり、代替政策を持った政党を模倣した、こうした政党が交替をした。ところが、交替した政党が原発と隷米政策を推進し続けるだけ。そこで、茹でガエルならぬ、賢い有権者が、万一これまでのインチキ与党を経験していない絶滅危惧種に投票をしたら(まずありえない事態だが)偉いことになる。それを防ぐべく、宗主国・属国支配層は、小泉経験をもう一度とばかりに、タレント弁護士を担ぎ上げているのだろう。豪腕政治家氏の言葉とされる「神輿は軽くてパーが良い」を思い出した。

異神の怪は、既成政党とはまさに反対のものであるという神話は、最も重要なものの一つで、資本主義制度を機能させる為、年中論じられている。

「シロアリを退治しないで消費税を上げるのはおかしい」といっておいて、シロアリを退治しないまま消費税を上げると平然と言える神経はあっぱれ。

神話8. に書かれている通り。

往々にして元の規約とは不一致だったり、相反しさえする、宣言していなかった施策を履行し始める。

原発再稼働の為、福耳氏らは着々と「判断基準」なるお手盛り規則を準備中。これも神話8の好例 ストレス・テストのように皆合格する基準だろう。そう、

選挙で選ばれた政治家達は国民を代表しており、それゆえ国民の為に決断できる。

2012年4月 1日 (日)

帝国今昔

帝国今昔

2012年3月26日

Paul Craig Roberts

ローマやイギリスの様な大帝国は搾取的だった。征服した国から搾取する資源と富の価値が、征服と統治の経費を上回ったがゆえに、帝国は成功したのだ。ローマが帝国を、より東部のドイツへと拡大しなかった理由は、ゲルマン部族の武勇ではなく、征服の経費が、搾取可能な資源の価値を越えてしまうというローマの計算だった。

ローマ帝国が崩壊したのは、自分たち同士が権力を求めて戦う内戦によって、ローマ人の人員と資源が枯渇したためだ。二つの世界大戦でドイツと戦い、疲弊した為に、大英帝国は崩壊した。

著書『諸帝国の支配』The Rule of Empires(2010)の中で、ティモシー・H・パーソンズは、啓もう的帝国の神話を、搾取的帝国の真実で置き換えている。ローマ、オーマヤド・カリフ王朝、ペルーのスペイン人、イタリアのナポレオンや、インドやケニヤでのイギリスが、資源搾取で成功したこと述べている。ケニヤ支配の経費を削減するため、イギリスは、イギリスの為になる部族意識をあおり、部族の習慣をでっち上げた。

パーソンズはアメリカ帝国を検討してはいないが、本の前書きで、アメリカ人は何ら搾取の恩恵を受けていないように見えるため、アメリカ帝国が本当に帝国なのかどうか、彼は疑っている。8年間の戦争と、イラク占領という取組みの後、ワシントンがその努力の見返りに得たものといえば、更なる債務の数兆ドルであり、イラクの石油ではない。アフガニスタンのタリバンに対する、10年間の何兆ドルもかけた戦いの後、秘密のCIA作戦用資金に使える麻薬取引の一部を除き、ワシントンには見せられる成果がない。

アメリカの戦争は非常に金がかかる。ブッシュとオバマは国家債務を倍増し、アメリカ人はそれで何の恩恵も受けていないのだ。ワシントンの戦争からは、富も、パンもサーカスも、アメリカ人に流れ込んではいない。すると、これは要するに何なのだろう?

答えは、ワシントンの帝国は、アメリカを支配するごく少数の強力な利益集団の利益を計る目的で、資源をアメリカ人から搾取しているのだ。軍安全保障合体、ウオール街、アグリ・ビジネスとイスラエル・ロビーは、自分たちの儲けと権力の役に立つよう、政府を利用して、アメリカ人から資源を搾取しているのだ。安全保障国家の権益の為に、アメリカ憲法は搾取されており、アメリカ人の収入は、1パーセントのポケットへと向けられてしまっている。アメリカ帝国は、こうして機能しているのだ。

新帝国は違っている。征服を実現せずに帝国になるのだ。アメリカ軍はイラクを征服せず、ワシントンが据えた傀儡政権によって、政治的に追い出された。アフガニスタンにおける勝利はなく、十年経ってもアメリカ軍はアフガニスタンを支配していない。

新帝国では、戦争で成功することはもはや問題ではない。戦争状態にあることで、搾取が行われる。アメリカ人納税者の莫大な金が、アメリカの軍事産業に、膨大な権力が、国土安全保障省に流れ込む。アメリカ帝国は、アメリカ国民から富と自由を奪うことによって、機能しているのだ。

これが、戦争が終わらない、あるいは、一つの戦争が終わると、次ぎの戦争が始まる理由だ。オバマが大統領の座に着いた時、アフガニスタンにおけるアメリカの任務は何かと質問されたことを想起頂きたい。彼は、任務が何か、任務を定義する必要があるかどうか知らないと答えた。

オバマは決して任務を規定しなかった。その目的を語ることなしに、アフガニスタン戦争を延長した。戦争の目的は、軍/安全保障複合体の権力と富を築くために、アメリカ国民を犠牲にすることだと、オバマがアメリカ国民に言うわけにはゆかない。

この真実は、アメリカ軍侵略の目的が、犠牲無しで実現することを意味するわけではない。膨大な人数のイスラム教徒達が爆撃され、殺りくされ、経済やインフラが破壊されたが、それは彼等から資源を搾取するためではない。

新帝国の下、標的とされた国の国民の命を奪うために、帝国の国民がその富と自由を搾取されるというのは皮肉なことだ。爆撃され、殺害されるイスラム教徒達と同様、アメリカ国民もアメリカ帝国の犠牲者だ。

Paul Craig  Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリップス・ハワード・ニューズ・サービスと、クリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the WestHOW AMERICA WAS LOSTThe Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。

ご寄付はここで。https://www.paulcraigroberts.org/pages/donate/

 

記事原文のurl:www.paulcraigroberts.org/2012/03/26/empires-then-and-now/

----------

Information clearing houseでは、それぞれの記事にコメントを書き込める。そこに掲載されている、この記事に対して、書かれているコメントで、同感するものがあった。

細かいことに拘泥しすぎるのかも知れないが、虐殺されたアフガン国民 <同様に>、アメリカ国民も犠牲者なのだ、とは思えない。

国とトップの名を置き換えれば、そのまま意味が通じる。悲しい原理。永久戦争状態において、国民を支配する図式、『1984年』のなかで描かれている。

『MOX工場の建設再開へ 日本原燃、六ケ所村』というニュースに驚かされた。直接処分でさえ危険なのに、いまだ再処理にこだわる異常さ。

子供の頃、錬金術の話を読んであきれた記憶がある。愚鈍な王と迎合する高官。全くの昔話と思いこんでいた。昨年までは。

さにあらず。『原発推進』『核燃料リサイクル』『高速増殖炉もんじゅ』そして『迎撃ミサイル』『安保』等いずれもあり得ないことを売り込む『現代の』錬金術。

昔はそういうインチキ商売の宣伝、愚鈍な王、御用高官、御用商人と錬金術師だけだった。現代では、御用学者という現代の錬金術師、提灯もちタレント、商業マスコミ、テレビなる白痴製造装置、というハイテク・ガマの油売りシステムのおかげで売り込みは実に容易。『金の妙薬』。しかもインチキ宣伝に使う、予算は大衆からまきあげており、腐る程ある。

日本中を放射能汚染させ、穀物、野菜、果物から、魚、家畜に至るまで、食料自給を全く不可能にし、宗主国から全面輸入、という遠大な計画を、支配者は意図的に推進しているようにしか思えない。ガリオア・エロア援助、宗主国の小麦と脱脂粉乳を思い出す。惚け老人の妄想であって欲しいものだ。ただし、東京の場合は、合理的な経済的理由がある。

東京で瓦礫処分を行うのは東京臨海リサイクルパワー。東京電力グループ企業。
穴を堀り、その穴を埋めなおせば、事業は続くというケインズ経済学は健在?
原発で儲け、燃料リサイクルで儲け、たとえ原発が破壊しても、除染作業をしたり、汚染瓦礫を処理したりすれば、二重、三重に収入は増える。おいしい商売。
宗主国は、爆弾でよその国を徹底的に破壊しておいて、インフラ復旧で儲ける。
属国は、原発で自国を徹底的に破壊しておいて、インフラ復旧で儲ける。属国国民、国から永久戦争をしかけられているようなものだろう。

増税反対の二人の亀井議員、国民新党から追い出されたのだろうか?そして、

米海兵隊は「殴り込み部隊」と武雄市議会で発言した江原一雄議員(日本共産党)に、議会は「出席停止1日」の懲罰動議を賛成多数で可決させた。

というブログ記事を見て更に驚いた。本当と思えない。マスコミは全く触れない。

小生が武雄市の住民であれば村八分状態にされている?宗主国・属国体制に不都合な真実を語ると懲罰される市・国。既に日本、かつてと同様、対テロ戦争中の言論統制状態にある。

戦争で成功することはもはや問題ではない。戦争状態にあることで、搾取が行われる。属国の納税者の莫大な金が、アメリカの軍事産業に、膨大な権力が、アメリカ国土安全保障省に流れ込む。アメリカ帝国は、アメリカ国民と属国民から富と自由を奪うことによって機能しているのだ。

対テロ戦争の目的は、軍/安全保障複合体の権力と富を築くため、アメリカ国民と共に、最大の属国の国民を犠牲にすることだと、傀儡首相が日本人に言うわけにはゆかない。

新帝国の下、標的とされた国の国民の命を奪うために、属国国民がその富と自由を搾取されるというのは当然のことだ。爆撃され、殺害されるイスラム教徒達と同様、属国国民も、アメリカ帝国の犠牲者だ。

原発で成功することはもはや問題ではない。原発が大事故状態にあることで、搾取が行われる。属国の納税者の莫大な金が、属国の原発関連事業に、膨大な権力が、属国政府と、アメ
リカ国土安全保障省に流れ込む。アメリカ帝国とその属国は、アメリカ国民と属国民から富と自由を奪うことによって機能しているのだ。

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

お勧め

  • IWJ
    岩上安身責任編集 – IWJ Independent Web Journal

カテゴリー

ブックマーク

最近のトラックバック

無料ブログはココログ