"マインド・ゾーン": 兵士のアフガニスタン戦争トラウマを乗り越えるさせるセラピストを撮影した新しい映画
Democracynow!
2012年3月16日
書き起こし
フアン・ゴンザレス: 16人のアフガニスタン民間人を虐殺したとされるアメリカ人兵士の姓名も動機も依然不明ですが、兵士の精神状態に関して色々取り沙汰されています。件の兵士の本拠地は、自殺、兵士達による家庭内暴力や殺人の率が高いことを含め、精神衛生の問題対応ということで話題となってきた、ワシントン州のルイス・マッコード統合基地です。基地は手当たり次第にアフガニスタン民間人を殺害し、戦利品として、殺害した人々の指を収集していた兵士達の一団、悪名高い"キル・チーム"の出所でもあります。
兵士達の精神衛生と、そうした兵士達の面倒を見る人々が直面する難問が、近く公開予定の『マインド・ゾーン: 前線後方のセラピスト』という題のドキュメンタリー映画の主題です。映画は、兵士に戦争のトラウマを乗り越えさせるため、アフガニスタンに駐留しているセラピストが直面する倫理的ジレンマを表現しています。これは映画の中で、二人の兵士が彼らの精神的ストレスについて語っている場面です。
アメリカ人兵士1: カンダハル飛行場のような巨大基地にいる兵士達は多くのストレスを受けており、そうしたストレスは治療が必要だと思います。監獄にいるようなものです。
アメリカ人兵士2: 我々は疲れています。軍隊として。
アメリカ人兵士1: 9ヶ月もたつと、元気も尽きて、皆益々攻撃的になる。18歳の若者などが行く場所ではない。
エミー・グッドマン: 心理学者で、ルイス・マッコード統合基地のフォート・ルイスでの訓練から、アフガニスタン現地まで、軍セラピストに従軍したジャン・ハッケンさんが監督した『マインド・ゾーン: 前線後方のセラピスト』の一場面でした。ポートランド、オレゴン州から出演してくださいます。
ジャンさん、ご出演有り難うございます。フォート・ルイスについて、そこで、そして、アフガニスタンの前線で、ご覧になった心理学者の役割についてお話ください。
ジャン・ハッケン: ええ、第一次世界大戦以来、心理学者や精神科医が交戦地帯に配置されてきましたが、80年代以来、とりわけ、こうした長期配置が反復する過去数十年間、アメリカ軍は、こうした戦闘ストレス管理部隊に多額の投資をしており、実際に心理学者や精神衛生ワーカー達を採用し、本格的に、彼等を兵役につかせるだけでなく、彼等も他の兵士同様に訓練を受けるのですが、更に、戦場や交戦地帯で、兵士を治療するための、様々なストレス管理と精神衛生手法についても訓練を受けます。
彼等には二つの矛盾する任務があるわけです。一つは精神病理上の犠牲者を防ぐことで、もう一つは戦闘部隊を維持することです。派遣と配備前訓練を経験するなかで、こうした矛盾する任務に関して、かなり論議がありました。ドキュメンタリー映画『マインド・ゾーン』の密かな狙いは、多くの人々が倫理的に矛盾する任務とみるものを、つまり普通であれば臨床医として精神的外傷を残すような状況にある人を治療するのではなく、そういう人々を、そうした状況そのものに戻らせるということを、一体どうやって彼等がこなしているのかを理解することです。ところが、それがまさに彼等がするように期待されていることなのです。
第一次世界大戦以来、セラピストの有効性は、主として原隊復帰率で評価されてきました。ですから、目的は、兵士を、原隊に出来るだけ近くで治療し、そうした兵士達に、原隊に復帰するよう期待されていること、彼等は問題ないことを伝え、彼等の態度を正常化させ、彼等を復帰させることです。交戦地帯に進出し、前年に駐留していた戦闘ストレス管理部隊と入れ代わって、その仕事を始めると、こうした圧力は明白です。けれども、そういうふうに期待されているのです。兵士達はかなり手短な応急処置を受け、原隊復帰するよう期待されていると言われ、兵士達は働けそうだと感じるかどうか聞かれます。
仕事ができそうだと感じれば、たとえ彼等に、戦争の影響で、ある程度の暴力への執着、殺人への執着、武器に囲まれていること等で現われていても、こうしたことは、皆知っている通り、戦争では良く見られる感情ですから。
フアン・ゴンザレス: ジャンさん、いかがですか?
ジャン・ハッケン: しかし、臨床的に、どこで線引きをするかは困難なことです。難しい線引きです。
フアン・ゴンザレス: ジャンさん、あなたのドキュメンタリー『マインド・ゾーン』の、あるセラピストが、軍の精神衛生ワーカー達が直面する倫理的葛藤について語り、違うセラピスト二人が、軍事任務にとって、戦略的に良いことだと言って実際に自分たちの役割を擁護する場面を見ましょう。その部分を映しましょう。
セラピスト 1: 軍の中で、精神衛生担当者であることの独特な課題の一つは、to do with多分我々の全員がどこかの時点で自問しているだろうと私が思っている問題に関連しています。兵士を部隊に戻すべきなのか、それとも、もっと頑張って、兵士を部隊から避難させるべきか、私たちの仕事には、こうした矛盾する使命があるのです。
セラピスト 2: 兵士を脱落させるために現地に我々がいるのではなく、兵士を脱落させないためにいるのです。
セラピスト 3: 兵士を国に送り返すために、私たちがここにいるわけではありません。私たちは戦力増幅係なのです。
フアン・ゴンザレス: 三人のセラピストでした。一人は軍セラピストの倫理的な葛藤について語っており、後の二人は、実際に自分たちの仕事の戦略的な価値を擁護していました。ジャン・ハッケンさん、あなたのお考えは?
ジャン・ハッケン: ええ、軍で働く精神衛生ワーカー、セラピスト、臨床医には、大事な営業業務があり、それが常にあるのです。セラピストは、ある種の女性化効果と結びつけられており、彼等は自分達が本気で兵役についていること、自分達の存在を示さねばなりません。これは常に論議を呼ぶもので、はるか第一次世界大戦にまでさかのぼりますが、セラピストは、ある種、人々を弱体化させることや、軍のミッションをむしばむことと関連付けられています。自分たちの存在意義を正当化するために、精神的不安定や、破壊的になってしまうような状況から、人々を守るというのが、私たちのトレーニングの一部ですから。兵士たちをまとめておくことに、交戦地帯で皆の心理的団結を維持することについて、セラピストに、軍はかなり大きく依存していますから、セラピストは自分たちが効率増幅係、兵力増幅係であることを証明しなければならないのです。言い換えれば、疲労した兵士達から、軍が更に多くのものを得るように、彼等が手助けできるのだと。軍は、過去数年間、心理学の手法を取り込み、戦場の指導部中級層訓練で回復力トレーニングをかなり行ってきました。
しかし彼等は仕事を誇大宣伝しすぎたのだと思います。極めて不安定な状況を制御するという臨床医の能力を誇大宣伝しすぎたのです。この軽度の外傷性脳損傷という問題でさえ、嫌な診断結果ですが、もし脳震とうを経験すれば前線からはずされるだろうと皆期待するでしょう。しかし脳震とうというのは交戦地帯では大変ありふれています。より重かったり、軽かったりの一連の脳震とうがあり、そうしたものの大半は数日間の休息で治療され、復帰することを、原隊復帰することを期待されているのです。しかもこれは戦争という領域の一部にすぎません。熟練した臨床医なら、情緒不安定さが一番ひどい兵士と、それほど情緒不安定になるほどの影響を受けなかった兵士とを見分ることができ、ストレス臨界点で、誰が道を踏み外すかを、必ず予測できると考えるのは、現実的にこうした戦闘ストレス管理部隊に期待可能なものを、遥かに越えた期待のしすぎだろうと思います。
エミー・グッドマン: もう時間がありませんが、ジャン・ハッケンさん?
ジャン・ハッケン: 彼等は、あり得ない仕事をしているのです。
エミー・グッドマン: ジャン・ハッケンさん、ごく手短に、特にルイス・マッコード統合基地、アメリカで最悪と呼ぶ人もある基地、危機に瀕していると言う人々もある基地と兵士の評価を? この殺人犯とされている人物だけでなく、"キル・チーム"の基地でもありますね。
ジャン・ハッケン: ええ、巨大な基地で、三つのストライカー(装甲車)旅団があります。多数の歩兵がいる巨大基地があれば、兵士達が戦場から持ち帰る諸問題があって当然です。私は、第113医療部隊と、彼等が準備をしているのを、配備前の訓練をしているところを一緒に仕事をしたというか撮影したに過ぎません。しかし、なぜ我々が精神病理である家庭内暴力や他の行為、あるいは騒ぎが、これらの基地と関係していることで、衝撃を受けるのか、こうした絶えず驚かされるような事件について、我々が注意を払うべき何かがあるように思います。そうしたものの中には勤務地につきものというものもありますから。
エミー・グッドマン: ジャン・ハッケンさん、ご出演有り難うございます。心理学者で、『マインド・ゾーン: 前線後方のセラピスト』の映画監督です。彼女は心理学者ですが、アフガニスタンに行った精神セラピストに従軍した映画制作者でもあり、セラピスト達を、殺人犯とされている人物も、やはりその基地から出ているフォート・ルイスでも撮影しています。
記事原文のurl:www.democracynow.org/2012/3/16/mind_zone_new_film_tracks_therapists
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いくら、兵士個人の経済的・心理的問題に逸らそうしたとて、宗主国による理不尽な侵略・占領が問題の根源なのは明らか。即時撤退以外に解はない。
アフガニスタン、イラク、沖縄、東京近郊の宗主国基地。
アーノルド・グリュンの本『人はなぜ憎しみを抱くのか』55ページに、まさに上記仕事の話題がある。
第二次大戦の最後の年に、アメリカ軍では心的外傷を受けた兵士が極端に増え、私たちの仲間で精神科医の訓練を受けた者が引き抜かれ、セラピストとして投入されました。それで大戦の最後の年には、私も戦争により心に傷を負った人たちのために働きました。戦争の恐怖は、どのように取り込まれるのでしょうか?たとえば、人間が吹き飛ばされ、引き裂かれるとします。一般的に見られる反応は二通りです。その瞬間、その時間、その日の意識が完全に消える、つまり記憶をなくす。あるいは代わりに他の何かが、そこを埋めます。手遅れにならないうちに、恐ろしい体験をしてからだいたい三十六時間以内に治療を開始した場合には、心に傷をもたらしたものを取り去り、傷を癒せることが多いのです。
北朝鮮の『人工衛星発射』騒動、そこに『核サミット』。余りにもタイミングが素晴らしすぎて、米朝八百長芝居としか、素人には思われない。
おかげで
- 福島原発事故の話題が吹き飛ばされ、
- 迎撃ミサイルという法外に高価な宗主国製殺人玩具が活用される。ミサイルというもの、本質は「先制攻撃」ミサイルだろう。
そして、宗主国・属国司令部の合体。
戦闘機部隊や北朝鮮の弾道ミサイル対処などを指揮する航空自衛隊航空総隊司令部が、空自府中基地(東京都府中市)から在日米軍司令部がある米軍横田基地(東京都福生市)内に26日移転した。移転は自衛隊と米軍の連携強化が目的。日米の司令部が近接して置かれるのは、神奈川県横須賀市の海上自衛隊と米海軍に続いて2カ所目となる。(毎日新聞 2012年3月26日 東京夕刊)
宗主国にとって、この北朝鮮衛星発射、棚からぼた餅、いや、棚から金塊。
属国搾取の仕掛けを推進するために、宗主国にとって、北朝鮮は大切な資産。潰すわけがない。原発汚染のまま、理不尽な宗主国の軍事侵略体制に、ますますとりこまれてゆくだけの属国。
もちろん、その経済版が、TPP。
どじょう氏、東京電力福島第一原子力発電所事故の教訓を踏まえ、国内の原子力テロ対策について、人的警備体制や施設防護・装備、情報安全対策を抜本的に強化する考えを表明という。
見え透いた嘘。何が教訓だ!現在、福島原発事故、対国民、対隣国テロそのものになっている。それこそ教訓。ここでも即時撤退以外に解はない。
原子力テロ対策を施すまえに、脱原発を宣言すべきだろう。(独立国なら)
大阪市議会、原発住民投票条例案否決。反対・賛成の政党名は興味深い。
大阪市交通局労働組合の市長選支援職員リスト、 非常勤職員の捏造だった。
その非常勤職員は「正義感で」告発し、維新政治塾にも応募していたという。B級映画を超越したホラー状態。あれはホラーの歌と旗か。
その大いに話題の『異神の怪』について、グリュンの本『人はなぜ憎しみを抱くのか』から再度引用する。人ごとではない。今日の日本を説明してくれている。
43-44ページ
最近ドイツで、フリードリヒ・エーベルト財団が、右翼過激派と暴力に関する調査を発表しました。それによると、ドイツ人のおよそ三分の二の人たちは、ドイツは強力な人物を必要としている、強い政党をバックにした断固とした人物のみが現在の諸問題を解決できると信じています。しかし強力な人物を模索すること自体、父親が子どもの心に刻み込んだイメージです。たとえば、どう行動したらよいか指示し、ルールを決め、服従を求める人物のイメージです。強力な指導者を求める人が三分の二もいるんですよ!それが政治的な結果となって現れています。ドイツに限ったことではありません。ドイツ人だけが従順なのだとは思わないでください。アメリカでも、カナダでも、南アメリカや中国、ロシアなどでも、同じことが見られます。文化が権力と所有の上に築かれている社会なら、どこにでも見られることです。
196ページの記述、そのまま日本の政府・自治体の政策。子供にとってでなく、体制にとって良い先生方を増やし、この記事の主題となっている、新帝国主義戦争の「砲弾の餌食」を生産するために。
子どもに敵対的な政治も問題です。政治プログラムを見ればすぐに分かります。経費削減で最初に犠牲になるのは、いつも子どもや青少年を対象とする施設、あるいは芸術関係の機関です。演劇をはじめ、文化関係すべての予算が削られ、創造性や人間性を大切にする場が真っ先に閉鎖されてしまいます。これは大問題です。他方、当然のことですが、幼稚園や保育園がもっと数多く必要です。これで母親の負担が軽くなります。どれもこれも重要ですが、素晴らしい幼稚園や学校の先生をもっと増やし、政治家の質も上げなければなりません。現在でも、素晴らしい先生や教育者は少なくありませんが、学校に一歩足を踏み入れるとすぐ分かるように、良い先生ほど現在の教育制度では邪魔者扱いにされ、思いどおりに動けません。今日の教育制度は、子どもを人間らしく育てるためでなく、経済の基本精神に奉仕するためにあるのです。どの分野にも要求されるのは効率性です。教育制度の官僚主義的な側面がもっとも重要視され、本当に子どもが生きるために何をしてやれるかは二の次になっています。
茶番については、本澤二郎の「日本の風景」(1022)<踊った南北の朝鮮ダンス>をどうぞ。
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