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2011年7月 1日 (金)

紙とともに去りぬ

Chris Hedges

2011年6月27日

"Truthdig"

高校生時代、ハートフォード・カーラント(新報)を見学したことがある。ニュース編集室に入るのは初めての体験だった。コネティカットの新聞社のニュース編集室は、都市の一ブロックほどの広さで、新聞やノートがうずたかく積まれた金属製の机の列がずらり並んでいた。もつれた電話コード、溢れそうな灰皿、汚れたコーヒー・マグや、多くが、床上の紙束に向かって傾いている紙の山のただ中に置かれた重いタイプライターを、記者連中が猛烈な勢いで叩いている。騒音と叫び声、ひっきりなしに鳴る電話、熱狂的な場所、嗄れた叫び声、大半がだらしないコート、ネクタイ姿の記者達の喧騒と動きの上を漂う、タバコの薄煙や葉巻の煙のおかげで、そこは魅惑的な有機体のように見えた。私は夢中になった。この仲間に入ることを夢想し、結局は実現し、二十年以上、ダラス・モーニング・ニューズ、ワシントン・ポスト、クリスチャン・サイエンス・モニターで記者をし、最後はニューヨーク・タイムズで、同社での経歴を、ほとんど海外特派員として過ごしたのだ。

今日のニュース編集室は、生気のない、わびしい荒れ地だ。最近、フィラデルフィア・インクァライアーのニュース編集室に行ったことがあるが、やはり都市の一ブロックほどの広さの一画、オープンスペースというか、使われていない机の列があるだけだった。こうした組織は、新聞社ビルの奥深いところで、海中の怪物のように潜んでいて、夜になると轟音をたてた、巨大な輪転機が辿った道を進んでいるのだ。たっぷり油を注いだビヒモス、新聞紙のシートを電光石火のスピードで吐き出し、かつて、何十年か儲かる時代の間、売り手を買い手と結ぶのを独占していた新聞発行人に権力を与え、裕福にした装置。この独占が消え失せてしまった今、売り手が、買い手に届ける新聞紙を必要としなくなった今、新聞の運命は、日々の新聞紙のページ数同様、急速に衰退しつつある。

大手新聞社は、横領犯、詐欺師、ペテン師や嘘つきを打倒する記事を書き、戦争や紛争を報道し、アフリカの飢餓や、フランス人の奇習や、アメリカの都会スラムやアパラチアで、貧困で、忘れ去られるというのはどんなことかを教えてくれたI.F. ストーン、マレー・ケンプトンや、ホーマー・ビガートのような、伝説的な記者を抱えていた。こうしたマスコミは、スポーツの得点から株価に至るまで、データの生のリストを量産していた。新聞は、それがなければ、一生見たり、訪れたり、しなかったような世界の都市のあちこちに連れていってくれた。記者や評論家は、映画、本、舞踊、演劇や音楽を批評し、スポーツ・イベントを報道してくれた。新聞は、大統領演説の文章を印刷し、記者を派遣して、市庁舎の内部事情を記録し、裁判所や警察の動向を追った。マフィアによる殺人から、一時の激情に駆られた犯罪に至るまで、身の毛もよだつような、恐ろしいものを報道しようと、カメラマンと記者達は競っていた。

私たちは、特異な文化と倫理を失いつつあるのだ。この損失は、アメリカ市民の論議を不毛にし、我々を囲む都市、国家や世界から、我々は益々切り離されつつある。新聞紙の死は、ある時代の終焉を意味する。ニュース収集は、インターネットによっては、置き換えられない。ジャーナリズム、少なくとも、かつてのニュース編集室のような大規模なものは、もはや経済的に存続不可能だ。報道は、多大な時間を必要とし、労働集約型だ。社外に出て、人々と話す必要がある。これを毎日する必要があるのだ。情報源、ヒント、糸口、文書、情報提供者、内部告発者、新たな事実や情報、裏話やニュースを、絶えず求め続けるということだ。記者たちは、重要なことを、ほとんど、あるいは全く見つけることもできないまま、何日もかけてしまうことが多い。仕事は面倒で、費用がかかる。大手大都市日刊紙の予算が縮小するにつれ、報道という商売そのものが衰退する。大半の大都市日刊紙は、全盛期には数百人の記者と編集者を雇い、何億ドルもの運営予算があった。報道ビジネスの着実な衰退は、アメリカ社会の益々大きな部分が、暗い穴の中へと沈み込み、歯止めのない汚職、偽情報や、権力の乱用の機会が益々増大することを意味している。

国民が、信頼できる、偏らない情報源を利用できる時、国民が嘘と事実を識別できる時、市民の論議が、検証可能な事実に基づいている時にこそ、民主主義は存続できるのだ。そして、報道が絶滅すると共に、こうした情報源は消滅しつつある。ニュースと娯楽の融合が進み、有名人や権力者と話せることが報道だと定義するような、テレビの名士ジャーナリスト連中の勃興、多くの読者が、インターネットのイデオロギー・ゲットーへ引きこもっていること、伝統的なニュース事業を破壊しようという、大企業の冷酷な意図のおかげで、我々は、ものが聞こえず、言えず、見えなくなっている。フォックス・ニュースのような、右翼プロパガンダ番組や、キリスト教右派による“リベラルなマスコミ”に対する容赦ない攻撃は、実際には、検証可能な事実に基づく情報システムへの攻撃なのだ。市民的議論のこの基盤が、根絶されてしまえば、人は、多数の人が既にそうであるように、何でも自分で信じたいことを、自由に信じ、自分達の世界に合っていたり、合っていなかったりする、事実なり意見なりを選択するようになる。この新世界では嘘が真実になる。

ニュースよりも真実を重んじる多くの人々と同様、私が、特に、うるさく、おおやけにイラク戦争に反対していたことから、私もニューヨーク・タイムズから追い出された。これは新しい話ではない。信念体系の正統性に、しつこく盾突いた記者達、常に暗黙のうちに商業マスコミが奉じている支配的な政治情熱を、疑問に感じ、検証した人々は、往々にして追放される。ニュース編集室では、企業の権益や、広告主の要求に仕える管理職と、読者への忠誠を重んじる記者との間で、不断の戦いが行われている。うわべだけの冷笑と俗事で、理想主義を覆い隠している記者達に、私は深い敬愛の念を抱いている。食物連鎖を這い上がって、管理職や編集者になろうとする出世第一主義者に、私は深い不信感と強い嫌悪を抱いている。

シドニー・シャンバーグは、1975年、後にそれでピューリッツァー賞を受けた、クメール・ルージュのプノンペン攻略をニューヨーク・タイムズで報じるため、カンボジアに滞在していた際、すんでのところで殺されるところだった。後に、彼はカンボジアから、ニューヨークに戻り、都市版のデスクになった。彼は記者達に、ホームレスや、貧民や、賃貸料が設定されたアパートから追い立てられる家族、つまり開発業者による犠牲者について記事を書くように勧めた。しかし弱者や貧者に発言の機会を与えるのに良い時期とは言えなかった。ベトナム戦争反対を巡って構築されていた社会運動は消滅していたのだ。一連の暴露記事によって、体制派マスコミ組織を当惑させ、本当の報道をするよう追い込んだ、ランパーツ誌を含む従来の型にこだわらない雑誌は倒産してしまった。

商業マスコミは、またもや昏睡状態となった。パワー・エリートに盾突く意欲を益々失っていった。多くの編集者は、シャンバーグの関心を古代の遺物の如く見なしていた。彼は都市版編集者を解任され、ニューヨークに関するコラムの担当になった。ところが彼は、コラムを活用して、またもや、有力な連中、特に不動産開発業者の悪行を非難した。当時の編集長エイブ・ローゼンタールは、シャンバーグのことを、駐在“共産党員”と辛辣に呼び始め、“聖フランシス”と呼んだ。ほぼ毎週、ウイリアム・F・バックリーや、同紙発行人アーサー“パンチ”ザルツバーガーと一緒に昼食をしていたローゼンタールは、自分たちの有力な仲間達の活動の正当性を疑い続けるシャンバーグに次第に我慢しきれなくなった。シャンバーグは、のけ者となった。ニューヨーク・タイムズの食事会、ニューヨークの記者むけに開催された内輪の晩餐会を、彼は続けて二回すっぽかされた。上級編集者達も発行人も、カンボジアでのシャンバーグの経験に基づいた“戦場”映画の試写会には行かなかった。ニューヨーク・タイムズでの彼の人生は、余命いくばくも無かった。

シャンバーグがコラムで描いていたニューヨークは、ローゼンタールの新ライフスタイル欄や、ニューヨーク・タイムズ日曜版の美麗な広告とは違っていた。シャンバーグのニューヨークは、何千人もの市民が街路で寝ている都市の一つだった。貧困者のための無料食堂に行列がある都市だった。精神障害の人々が、人間のゴミであるかのように、熱い火格子、監獄へと放り投げられる都市だった。家を買えない人々のことを彼は書いた。彼はコラムから追われ、同紙を辞め、ニューヨーク・ニューズデイで、やがてザ・ヴィレッジ・ヴォイスで働いた。

シャンバーグの話は数多くあるものの一つに過ぎない。優れた記者は、ほぼ必ずといって良いほど、上役の保守的な連中と衝突する。この衝突で、彼らは牙を抜かれ、降格されるか、追い出される。従軍記者ホーマー・ビガートが、“ピグミー族”として片づけた出世第一主義者連中によって、彼らは追い出されるのだ。ある晩、ビガートは、現場にいる記者達がくれる情報を元に、ある暴動について書く仕事をさせられた。記者のジョン・キフナーが電話ボックスから電話をしていた時に、暴徒連中が、電話ボックスを揺すり始めた。キフナーが悲惨なニュースをビガートに伝えると、編集者の意地悪さにうんざりしていた彼は、こう言ってキフナーを元気づけた。“少なくとも、君は正気の連中を相手にしている。”

不愉快な真実の報道を主張する人々は、常にこうした組織を支配する出世第一主義者の神経を逆なですることになる。もし余りに頑固だと、大半の優れた記者はそういうものだが、彼らは“問題”と化する。あらゆるニュース編集室に存在しているこの戦いを、ホンジュラス・ニカラグア国境で、地雷で亡くなるまで、中米で一緒に仕事をしていた、ロサンゼルス・タイムズ記者のディアル・トルガーソンが私に要約してくれた。“これだけは忘れるな”彼は、かつて新聞編集者について、私に言ったことがある“連中は敵だ。”

マンハッタンはアッパー・ウェスト・ストリートの彼のアパートで、シャンバーグと会った際に彼は言った。“メトロポリタン美術館の裕福な後援者達が、美術館宛でない、宝石を含む私物の輸入に、美術館専用通関手続きを利用することが良くあったという様々な話を、長年耳にしてきた。私は、これを証明することはできないが、本当のことだと確信している。タイムズ紙はこれを調査するだろうか? 百万年たってもしないな。発行人は当時、美術館理事会の理事長だった。裕福な後援者達というのは彼の友人だ。”

しかし、シャンバーグは、私同様、新聞は、民主的国家にとって、極めて重要なとりでだとも主張している。新聞の無数の欠点や、パワー・エリート達との妥協を非難しつつも、民主主義の維持にとって重要なものとして敬意を払うことも可能だ。伝統的に、もし記者が社外に出て、ある出来事について報じる場合、情報は通常信頼できる確かなものだ。報道は偏向していたり、先入観があったりする可能性はある。重要な事実を除外している可能性もある。しかし、それは作り話ではないのだ。ニューヨーク・タイムズや他の優れた都市紙が死ぬ日、もし、そのような日がくれば、それは国民にとって陰鬱な日だろう。

新聞は“沢山のことを無視してはいるが、誰よりも仕事をこなしている”とシャンバーグは言った。“報道管制リストに載せられている話題もある。だが、新聞が重要なのは、報道すると決めた事柄には金をかけることだ。大手マスコミの、大半の問題は、連中が無視していることにある。しかし、日々の配給記事、報道発表等々はさておき、新聞が行っていることは、民主的なプロセスにとって実に実に重要だ。”

“新聞は、新参者や、移民にとって、何が理念なのか、どういう決まりがあるのか、人はどう振る舞うべきなのか等々の案内人として機能する”シャンバーグは補足した。“それが必ずしも良いこととは言えないのは明らかだ。こうしたものは既存体制派の合意だから。しかし、新聞には、人々が他では読めないような物事を文字にした記事が、今より昔の方が、おそらく、もっとあっただろう。投票をする為に、何をすべきかを語っていただろう。移民の宣誓式のような話題を報道していた。新聞は前向きな勢力だった。ニューヨーク・タイムズが、説明責任を負った新聞たろうとして全力を尽くしていたとは思わない。そういう新聞があるかどうか確信もない。誰がアフガニスタニズムという言葉を作ったのかは知らないが、新聞にはぴったりだ。アフガニスタニズムというのは、アフガニスタンで見つけたあらゆる政治的腐敗は報道することができるが、決して、それを身近な場所でやろうとしてはいけない、ということだ。ワシントン・ポストは、ワシントンのことは報道しない。公式ワシントンを報道しているのだ。タイムズ紙は多くの不作為を無視したし、体制派メンバーによるものは、更にひどかった。”

“新聞が悪い物事を消去するわけではない”シャンバーグは続けた。“新聞は、沼地が更に深くなるのを、深みが増すのを防いでいる。我々は猛烈にそうしてきた。我々は公民権運動を見いだした。我々は女性の権利運動を見いだした。無視され、半市民扱いされている人々について書くのは、とても良いことだから、我々は必死になって取り組んだ。物事が納まった後は、もはや、そういう悪事を働くのが容易ではなくなる。”

新聞の死は、つまりシャンバーグが指摘した様に、大企業の不正行為、権力乱用や嘘の沼を押しとどめる、もう一つの防壁を失うことになるのだ。我々が、錯覚と現実、事実と意見、現実と幻想を区別することが困難になるだろう。もちろん、新聞が、内在的に良かった部分など、あるわけはない。下品なタブロイド紙や、今やテレビ・ジャーナリズムのかなめとなった、スーパーマーケットの無料紙の作り話で、我々は苦しめられてきた。商業新聞は、バランスと客観性の名を借りて、ニュースという名のもとに、常に巧妙に、真実を語らなかったり、覆い隠したりしてきた。しかし、大手新聞、コミュニティーに関与する新聞の消失は、アメリカのオープンな、民主的国家の礎石の一つが失われることを意味する。極めて近い将来、主要大都市で、都市紙が無くなるという可能性に、我々は直面している。新聞の消失は、私たちの内省能力を弱体化させ、身の回りで何が起きているのかを監視するのに必要な重要なツールを奪ってしまうのだ。

公民権運動の指導者達は、マスコミが、彼らの行進に、進んで関心を向け、彼らのコミュニティーから、彼らが非難してきた不正や、彼らが味わった弾圧について、公正に報道してくれなければ、運動は“翼の無い鳥のようなものになるだろう”ことを最初から理解していた。公民権運動指導者で、米下院議員のジョン・ルイスは語っている。

“マスコミが、進んで危険な状況に立ち、運動の出来事が展開する様を、彼らが見た通り、ありのままに報道することがなければ、アフリカ系アメリカ人達が、米国南部の保守的な地域で直面していた恐怖を、アメリカ人は決して理解せず、信じることさえ無かったでしょう。”ジョージア州民主党のルイス下院議員は、2005年、議会が投票権法40周年を祝賀した際に語った。“真実を記事にするという覚悟には勇気が必要でした。闘争の中心地であるミシシッピーや、アラバマや、ジョージアで、メモ帳、ペンや、カメラを持っているのを見られるのは信じられないほど危険なことでした。現地や連邦政府の幹部や、市民達の間には、伝統的な秩序を維持したいという、暴力的な自暴自棄がありました。人々は自分たちの不法行為を秘密にしておきたがっていました。連中は好意的でない世界の批判的な目から、隠れたかったのです。彼らは、自分たち自身の良心による有罪判決から逃れたかったのです 。彼らは、余りにまざまざと掲載される、非暴力の抗議デモ参加者や、カメラによる写真の醜い姿を破壊したかったのです。だから、例えば、1961年に、フリーダム・ライダー運動参加者達が、アラバマでバスを降りた際には、私たちの誰かが、そうされるより先に、殴打され、血まみれになった記者達がいたのです。”

アメリカの政治組織も、情報システムも衰えて、大企業に人質にとられてしまった。わが政府は、もはや国民の要求や権利に応えようとはしていない。私たちは、自分たちの意見を発表する伝統的なメカニズム無しで、力を奪われたままだ。大企業による生態系の破壊と戦い、アメリカの市民社会にわずかながら残されたものを守ろうとしている人々は、またもや街頭で抗議しなければならないのだ。彼らは、市民的不服従の行動をしなければならない。しかし、今度は、マスコミも、通信システムも劇的に変化している。

ジャーナリズムの死、普通の市民の窮状は報道されるべきだと信じていた記者達が、電波や印刷媒体から消滅したことは、普通の人々の声や、異議を唱える人々の意見が、広範な大衆に届くのが、一層困難になることを意味している。ニュースと娯楽への没頭と、持続的な報道の不在によって、自分たちの意見を発言しようとしたり、既成権力に挑もうとしたりする人々は、効果的に隅に追いやられ、沈黙させられる。抗議運動は、1960年代と違い、公民権運動や反戦運動の報道の特徴であって、結果的にパワー・エリートをも脅かした、連日の全国的報道をしてもらえるようにするのに困難を味わうだろう。抗議行動は、もはや報道されず、あるいは滅多には報道されず、離ればなれの野火のように燃えあがるだけで、一層容易にもみ消されたり、無視されたりすることになろう。抵抗運動の指導者達にとって、彼らの主張を全国中で展開し、変化を求める全国規模の運動を構築することは、不可能でないにせよ、より困難になるだろう。新聞の欠点は大きかったが、今後、民主主義を目指す最後の戦いが、反対意見や、市民的不服従と抗議を意味するようになるにつれて、私たちは新聞が無くなったことを寂しく思うようになるだろう。

クリス・ヘッジズは、Truthdigの週刊コラム執筆者で、ネーションズ研究所・特別研究員。彼の新著は“The World As It Is: Dispatches on the Myth of Human Progress”である。

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/gone_with_the_papers_20110627

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彼の記事、プロの翻訳者の方が翻訳され、本になり、ベストセラーになると嬉しいのだが、「読みづらい」翻訳の見本。『ネット・バカ』を読み始めたが、まだ30ページあたりをうろうろしている。

宗主国では、一時期、大手新聞が比較的良い記事を載せていた時代もあったのだろう。しかし、マスコミ業界が、新大陸侵略という原罪を真面目に扱ったことは無かったろう。真面目に扱っていれば、世界侵略・戦争経済で生きる国、自分で機能を縮小・停止していたかも知れない。国民にとって、つらいことばかり書くジャーナリズムが、生存できたかどうかは疑わしい。結果的に、無反省が、今の世界最大・最悪のテロ国家を生み出している。

属国で、敗戦後、大手新聞が比較的良い記事を載せていた時期はあったのだろうか?日本の大新聞、創設時から、宗主国あるいは属国の大本営広報部だったのだろうか?

宗主国の拡声器として、テレビが導入された事実は、有馬哲夫教授のご本『日本テレビとCIA』や、『原発・正力・CIA』や『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』等に詳しい。もちろん、この時、テレビ導入を推進した人物、正力松太郎、 東京帝国大学卒、戦時中は警察幹部。1924年、新聞経営に乗り出し、大成功。巨人軍も創立。同じ人物が、原発推進でも大活躍。そういう出自の大新聞・テレビが、まともなジャーナリズムとして機能する可能性は皆無だろう。洗脳装置として、全力を尽くすだろう。

日本の場合、元々独立した「ジャーナリズム」というものの存在感は薄く、紙のマスコミ新聞が無くなる場合は、その願望を果たして、完全属国化・洗脳が完了した結果、めでたく消滅するのではないだろうか?

そうならない前に、沖縄の新聞、東京新聞、赤旗など、経済的余裕と新聞を置く空間さえあれば、講読してみたい気もする。PDFで講読できるようには、ならないだろうか?それは、もはや紙とは言えないが。大新聞を講読しているのは、何度も書くが、家人がくまなく読み尽くすスーパー・チラシが目当て。今日のトウモロコシもグレープフルーツもキュウリもコシヒカリも、全てそのおかげ。自前は青紫蘇のみ。

ところで、講読中の大手紙に水俣病記事が連載されている。時に価値ある報道もしてくれるのだ。フクシマ現象を考えるのに良いシリーズ。企業、官庁、御用学者、マスコミ、労働組合がスクラムを組んだ、そっくりそのままの無責任体制の前例。

被災の規模、範囲、時間枠は、フクシマ人災の方が巨大。今後あちこちで、再発する可能性が高いという意味でも、はるかに上回るだろう。この国では、滅亡の日まで、この無責任体制が続く。役所発表を読むお役人が変わるだけの話。今回は色恋沙汰が理由で。

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