Dr. Vandana Shiva
Navdanya International
2011-05-24
デッカン・クロニクル初出
福島の事故は、人間は誤りを免れないこと、人間のもろさ、自然を支配できると考えた人類の思い上がり、人間の傲慢さに関する永遠の疑問を、またもや提起している。地震、津波、日本の原子力発電所のメルトダウンは、自然がその力を思い出させる象徴だ。
科学・産業革命は、自然は死んでいて、地球は不活性物質であるという考え方に基づいていた。日本における悲劇は、母なる自然の警鐘であり、自然は生きており、強力であり、自然の進路にあっては、人類は無力であるということを告げる警告だ。破壊された港、町や村、荒れ狂う津波によって、まるでちっぽけな玩具のように押し流された船、飛行機や自動車は、技術、機械や、工業インフラによって、人間が自然を支配できるのだという考え方を改めるべきだということを思い出させる象徴だ。
福島事故は、我々が人間と自然の関係に立ち返ることを求めている。事故は、気候の危機とエネルギー危機に対する答えとしての、いわゆる"原子力ルネッサンス"についても、疑問を提起している。エネルギー・環境研究所理事長のアルジュン・マヒジャニは、公共環境法会議で講演し、"原子力ルネッサンス"には、毎週、300基の原子炉と、毎年、2乃至3つのウラニウム濃縮工場が必要になるだろうと語った。使用済み核燃料には、分離すれば毎年爆弾90,000発分のプルトニウムが含まれている。一日に10-2000万リットルの水が必要とされる。
福島事故の後、中国、ドイツ、スイス、イスラエル、マレーシア、タイとフィリピンが、原子力発電計画を再検討している。プリンストン大学の機械工学・空宇宙工学部准教授アレクサンダー・グレイサーは、"日本で地震と津波の後で次々と明らかになりつつある想像を絶する人災による影響の全貌を把握するには時間がかかるだろうが、グローバル原子力ルネッサンスという提案があの日に終わったことは既に明白だ。"と述べている。
インド全土で、既存・新規の原子力発電所に反対する運動が増大しつつある。原子力発電所は、ハリプール(西ベンガル州)、ミティ・ヴィルディ(グジャラート州)、マドバン(マハラシュトラ州)、ピッティ・ソナプール(オリッサ州)、チュトカ(マディヤ・プラデーシュ州)と、コヴァダ(アンドラ・プラデーシュ州)で計画されている。
マハラシュトラ州、ラトナギリ地方のマドバン村で、原子炉6基で構成される、9,900 MWのジャイタプール原子力発電所は、もし建設されれば世界最大の原子力発電所となる。2010年12月、フランス国営の原子力エンジニアリング会社アレヴァと、インド国営のインド原子力発電公社は、フランス大統領ニコラ・サルコジとインド首相マンモハン・シン出席の下、6基の原子炉を建設すると220億ドルの契約を調印した。
仏-印契約調印後、発注が急増するのを期待して、アレヴァは月に1,000人の雇用を開始した。
ジャイタプールは、地震がおきやすい地域だ。しかも、発電所が毎年生み出す300トンの放射性廃棄物の処理計画も皆無だ。発電所には、政府が"不毛の地"と主張している、5つの村にまたがる約968ヘクタールもの肥沃な農地が必要だ。
ジャイタプールは、ライガド、ラトナギリ、シンドフドルグ地方の肥沃な沿岸地帯の細長い一帯に予定されている多くの原子力発電所の一つだ。予定されている発電量総計は、33,000 MWだ。ここは、ユネスコの人間と生物圏計画の元、世界遺産として、インド政府が宣言したがっている地域だ。コンカン地域の住民は原子力発電所反対運動を続けている。彼らはコンカン・バチャオ・サミティと、ジャナヒト・セヴァ・サミティを結成し、強制土地収用に対する小切手の受け取りを拒否した。第73修正に対する違反に抗議して、10人の地方議員が辞職した。
ジャイタプールでは集会禁止令が発令されており、5人以上の集会は許されない。2011年4月18日、計画されているジャイタプール原子力発電所公園に反対する抗議デモ参加者に、警官隊が発砲した。一人が死亡し、8人が重傷を負った。ハリヤーナー州ファテーハーバード県に計画されている、2,800 MWの原子力発電所は、1,503エーカーの肥沃な農地買収が必要だ。80の村が反対しており、農民二人が抗議の際に死亡した。
以前、バルギ・ダムによって、162の村が立ち退かされたマディヤ・プラデーシュ州チュトカで、原子力発電所が計画されている。44の村が原子力発電所に反対している。物理学者で反核活動家の スレンドラ・ガダカル博士は、原子力は、きわめて長期間、環境から隔離しておくことが必要な、莫大な量の毒を生み出す、湯沸かし技術だと表現している。放射性廃棄物として生み出されるプルトニウムの半減期は24,000年だが、原子炉の平均寿命は21年だ。今のところ、安全と証明された放射性廃棄物処理の方法は存在しない。使用済み核燃料は、常に冷却し続ける必要があり、冷却装置が壊れれば、原子力災害になる。まさにこれが福島の第4号炉で起きたのだ。
CO2排出と気候変動で、化石燃料が問題視されたおかげで、原子力エネルギーが、突如として、"きれい"で"安全"という歌い文句で推進されはじめた。しかし技術として、原子力発電は、もし使用済み燃料を何千年もの間、冷却するためのエネルギーを考慮に入れれば、発電する以上のエネルギーを消費するのだ。インドでは、原子力発電所用に、土地を取得し、人々を立ち退かせる必要があるため、原子力エネルギーのコストは更に高くなる。デリーから、わずか125キロしか離れていないウッタル・プラデシ州のナロラ原子力発電所は、5つの村を立ち退かせた。1993年、ナロラで、大火災とメルトダウン寸前の事故が起きた。
インドにおける、原子力エネルギーの高コストは民主主義と、憲法上の権利の破壊だ。原子力は民主主義を蝕まずにはおかない。米印原子力協定の調印プロセスにおいて、我々はこれを目の当たりにした。国会における不信任動議の際の、"票買収"スキャンダルで、我々はこれを目の当たりにした。そして、新しい原子力発電所が計画される度毎に、至るところでこれを目の当たりにしている。物理学者ソウミャ・ドゥッタは、世界には、17テラ・ワットの原子力エネルギー、700テラ・ワット風力エネルギーと、86,000テラ・ワットの太陽エネルギーの潜在能力があると指摘している。原子力発電に対する代替策の方が、1000倍豊富にあり、しかも100万倍、危険性が少ない。福島事故の後で、原子力発電所を推進するなど、狂気そのものだ。
ヴァンダナ・シバ博士は、ナヴダニヤ・トラスト事務局長である。
記事原文のurl:www.vandanashiva.org/?p=752
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1974年5月18日インド初の核実験コード名、「微笑むブッダ」だったという。
サルコジ大統領演説場面を見ながら、変換ミスで「腐乱す」となったのを思い出した。
狂気腐乱す。
「最大限の透明性をもってすべての情報を国際社会に提供する」と心にもない言葉を語りながら、最小限の透明性をもってまともな情報を国民に提供しない棺首相。
IAEAに、地震が多い国用の原発基準作成を依頼してどうするのだろう?
IAEAは、核兵器拡散を防止する(不思議なことにイスラエルの核兵器保有については黙認している)一方、原子力発電を推進するのが組織目標だ。
もちろん、アメリカによる核廃棄物利用、膨大な劣化ウラン弾使用についても、全くとがめない。庶民が何万人放射能被害で亡くなっても一切気にしない原子力マフィア、支配層連中の組織。国際組織というと、国連を含め、自動的に良いもののように、我々は信じ込まされているが、そのほとんど、支配層連中のための組織に過ぎまい。
泥棒・殺人犯に、警官になることを要求するのは筋違いだろう。
仲間の犯罪を見逃すことはあっても、逮捕することなどあるまい。
『原発震災』という概念を、2005年2月23日、衆議院予算委員会公聴会(2005年度総予算)で警告したのは、石橋克彦神戸大学名誉教授であって、IAEAではない。
日本生産性本部の「日本創成会議」なるものも、火事場泥棒組織だろう。有識者?聞いてあきれる。繰り返しになるが、泥棒・殺人犯に、警官になることを要求するのは筋違い。
驚くべき記事を読んだ。
異常すぎる日本の「暫定基準値」 乳児に与える飲料の基準は国際法で定められた原発の排水より上
やがて削除されるだろうから、一部をコピーさせていただこう。
なんと国際法で定められた原発の排水基準値は1リットルあたりヨウ素40ベクレル、セシウムは90ベクレルまでとなっている。つまり、乳児の暫定基準値ですら、現在の日本では原発の排水より高い放射性物質が残留しても良いという設定値になっているのだ。
つまり政府が定めた数値を守るだけなら、原発の排水で作ったミルクを幼児に飲ませて良いということになる。ちなみにWHOで定められた平常時の飲料の基準は1リットルあたり1ベクレルまでなので、それに比べると乳児ですら100倍まで基準が高められているのである。
学童には、年間20ミリシーベルトの放射能を浴びせ、
幼児には、原発の排水基準以上の水で、ミルクを飲ませ、
国民には、高い放射性物質が残留している牛乳や野菜、ニクとサカナの常食を強いる国の国歌・国旗、どこが尊いのか、橋下知事にご教示頂きたいものだ。
将来・未来をになう子供たちを進んで病気にする国に未来はありえない。
国民を守るのが、「普通の」国の責務だろうと、疑いながらも思ってきた。
日本の政府・国家、国民をゆっくりと殺害していること明白だ。風評レベルのいい加減な情報しか出さず、晩発性の病気によっておきる、自国民の緩慢な大量殺戮完全犯罪を推進する国家に、敵意こそいだいても、敬意など全く感じられない。残留放射能があると知りながら食品を流通させたソ連政府と変わらない。いやそれ以下。ソ連政府ですら、これほど露骨な緩和はしていない。
室井佑月氏がNHKのテレビ番組で、「福島の子供に、地産地消といって、野菜を与えてよいものか」と至極もっともな発言をした。
彼女も、福島原発事故をめぐる政府対応を批判し、子どもたちを疎開させようと呼びかけ、降板させられた人物に続くのだろうか?
あのNHK番組、御用学者が放射能について、しっかり、もごもご?発言していた。
昨日深夜、NHK-BSで、FacebookやTwitterを活用した、チュニジア反政府運動ドキュメンタリーを見た。国民を虐殺する「とんでもない政府は許せない」というようなことを、在日チュニジアの方が語っていた。
国民をゆっくりと虐殺する「とんでもない政府は許せない」と、在日日本人の小生も思う。
(『在日日本人』という言葉、宮本政於著の書名。後に「弱い」日本の「強がる」男たち―お役所社会の精神分析 として講談社プラスアルファ文庫で刊行。この言葉、元々オーストラリア、ラ・トローブ大学社会学部、杉本良夫教授の著作「日本人をやめる方法」から取ったもの。亡国エリート官僚の生態を描いた名著『在日日本人』。残念ながら絶版。今こそ読まれるべきだろう。)
環境、食品の『暫定基準値』を緩和し、原発を稼働し続け、静かな脱原発デモをすると、警察がでっちあげ逮捕をし、渡部恒三を叔父にもつ佐藤雄平福島県知事が、御用学者代表、山下俊一教授を「県民健康管理調査検討委員会座長」に就任させる等、目・耳を疑わせることばかりのこの国、狂気そのもの。
中世代に地球を征服していたといわれる恐竜は、ある時期に突如として地球から姿を消した。
「万物の霊長」たる人類からみれば、巨大であっても、まことに頭の悪い野蛮な動物であったというのが一般の見方であろう。しかし、その恐竜たちは一億年にわたって種を維持していたのである。
恐竜の絶滅の原因については現在でもさまざまな議論が続いている。それを、宇宙からの巨大な隕石落下に求める説もあるし、進化の過程で巨大化しすぎ自らの生命体を維持できなくなったためとする説もある。しかし、恐竜からみれば、いずれにしても万やむを得ない過程を経て絶滅にいたったのである。それに比べ、人類の絶滅の決定的な要因は、人類が自ら蒔いた種によるのである。まことに自業自得というべきであるし、人類は恐竜以上に愚かな生物種であったというべきだろう。
『放射能汚染の現実を超えて』小出裕章著 河出書房新社刊 10ページより
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