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2011年4月

2011年4月29日 (金)

アメリカ合州国は、なぜ教育制度を破壊しているのか

Chris Hedges' Columns

2011年4月10日

Lin Pernille の写真画像を基にした、PZSによる写真イラスト

Chris Hedges

自国の教育制度を破壊し、公共情報の質を低下させ、公共図書館を破壊し、放送波を安手で低俗な娯楽の為の媒体に変える国は、耳が聞こえなくなり、口がきけなくなり、目が見えなくなる。アメリカは、批判的に考える能力や読み書き能力よりも、テストの得点を重んじている。アメリカは、丸暗記の職業訓練や、特異な、金を儲けるという、道徳心に欠けた技術を褒めたたえている。アメリカは、様々な思い込みや、法人国家構造に疑問を投げ掛ける能力や語彙が欠如した発育不良製品人間を量産している。アメリカは、そういう連中を、ごくつぶしやシステム管理者のカースト制に、注ぎ込んでいる。アメリカは、民主的国家を、大企業の奴隷所有者と奴隷という封建制度に変身させている。

現在攻撃されている教師、教員組合は、バーガー・キングの最低賃金従業員同様入れ換え可能なものとなりつつある。子供たちに考えるよう動機付けたり、若者が自分の才能や潜在力を発見するのを手助けしたりする能力がある本物の教師を、我々は拒絶し、彼等を、共通テストに絞って教える講師と置き換えている。そういう教師達は服従する。彼等は子供たちに服従することを教える。そして、それが大事なのだ。“テキサス州の奇跡”を範にした落ちこぼれ防止計画は詐欺だ。アメリカの規制緩和された金融制度同然の機能しかない。しかし議論を排除してしまえば、こうした駄目な考え方が、自己増殖できる。

マークシート式テストというものは、特定の形の分析的知能を称賛し、報いるものだ。投資管理者や大企業は、この種の知能を重んじる。連中は従業員に、気まずい質問をしたり、既存の体制や前提を検討したりして欲しくないのだ。連中、従業員は体制に奉仕して欲しいのだ。こうしたテストは、基本的な機能やサービス業を勤めるのに十分なだけの読み書き、計算しかできない人々を生み出す。テストは、そうしたテストに備えられる経済的資力を持った連中を昇進させる。連中は、規則に従い、公式を暗記し、権力に対して服従する人々を評価する。反逆者、芸術家、自立して考える人々、変わり者や、因習を打破する人々、我が道を行こうとする人々は、排除される。

ニューヨーク市のある公立学校の教師が、名前を決して出さないことを条件に話してくれた“自分がしていることのほとんどが詐欺的だと知りながら、一層残酷な世界での暮らしに、自分の生徒を備えさせようとしているわけでは決してないと知りながら、お膳立て通りの試験対策コースを教えなければ、しかもそれを更にうまくやれるようにならなければ、失業すると知りながら、毎日学校に出かけるのを想像してください。つい最近までは、学校の校長というのは、オーケストラの指揮者のようなものでした。メンバー全員のパート譜、全ての楽器の位置について深い経験と知識を持った人物です。過去10年間に、[知事の]マイク・ブルームバーグのリーダーシップ・アカデミーやら、エリ・ブロードの監督者アカデミーが登場していますが、いずれも、もっぱら即席の校長やCEOを手本にした管理者やらを作り出すべく設立されています。一体どうして、この種の学校なるものが合法的なのでしょう?そのような‘アカデミー’は一体どうして認可されるのでしょう?一体どんな質の指導者が、‘リーダーシップ・アカデミー’を必要としているのでしょう?一体どのような社会が自分の子供が通う学校をそういう連中に運営させるでしょう?いちかばちかの試験は、教育として価値などない可能性が高いのですが、学校制度を弱体化させ、恐怖を植えつけ、企業乗っ取りの論拠を生み出すには素晴らしい仕組みです。教育改革が、教育者ではなく、投資家や投機家や億万長者に遂行されつつある事実は、何とも奇怪なことです。”

あらゆる方向から攻撃されつつある教師達は、仕事から逃亡しつつある。“改革”電撃作戦が始まる前から、働き始めてから五年以内に、全ての教師の半数を失っていたのだ。しかもこの人々は、教師になる為に何年も学校に通い、何千ドルも費やした人々なのだ。敵意という今の条件の下で、一体どうして国が、威厳ある、経験を積んだ専門家を雇い続けることを期待できようか。税補助は受けるが、従来の公的教育規制を受けない学校、チャーター・スクール制度の背後にいる、ヘッジ・ファンド・マネージャー達、つまり、一番の関心事が決して教育ではない連中は、本物の教師を、非組合員で、経験の乏しい講師に、喜んで置き換えようとしているのだと見ている。本当に教育をするということは、公益を推進し、歴史的健忘症の愚行から社会を守る価値観や知識を教え込むということだ。共通テストや、リーダーシップ学校という制度が奉じる功利主義的な、大企業イデオロギーには、文科系の教育に特有の微妙なあやや、道徳的な曖昧さ等を、論じている暇などないのだ。大企業が政治を牛耳るコーポラティズムというのは、我欲崇拝だ。人間存在の唯一の目的として、個人的豊かさと、利益が大切なのだ。そして同化しない連中は脇に押しやられる。

“こうしたお決まりの企業読書計画や共通テストは、色々なことに役立つのだと、子供たちに教え込み、事実上、嘘をついているのだと自覚するのは、何ともやりきれません”彼がはっきり意見を述べていることを、もし学校の管理者連中が知ったら、報復されるのではあるまいかと恐れるこの教師は、そう語っている。“自分の生計が、益々この嘘を維持し続けることにかかっていることを考えると更に気が滅入ります。一体なぜヘッジ・ファンド・マネージャーが突然に都市部貧困層の教育に関心を持つのか?と自問すべきです。テストが流行っている、本当の狙いは、生徒の格付けではなく、教師の格付けです。”

“確信をもって言うことはできませんが、全く何も知らない分野について、絶大な確信を持って、もったいぶって語るビル・ゲーツや、マイク・ブルームバーグのような確信では。けれども、改革キャンペーンの主な狙いは、教師の仕事を、極めて恥ずべきものにし、威厳ある、本当に学識のある教師達を侮辱し、一片の自尊心がある間に、簡単に離職させるのが狙いだろうと益々勘ぐるようになりました”彼は補足した。“十年もたたない間に、私たちは、自主性を剥奪され、益々こと細かに管理されつつあるのです。生徒達は、テストに落ちることによって、我々を解雇するという権力を与えられています。教師達は、餌桶の所にいる豚にたとえられ、アメリカ合州国の経済崩壊の原因だとされています。ニューヨークでは、校長は、経験豊富な教師を、22歳の終身在職権がない新米で置き換えるよう、財政上でも、管理上でも、ありとあらゆる手段で仕向けられているのです。そういう連中は給料が安いのです。連中は何も知りません。連中は従順で、首にしやすいのです。”

教師を悪者に仕立て上げるのは、アメリカ労働者の給料、貯蓄や収入から、約170億ドルを窃盗する行為や、労働者六人に一人が失業している状態から、目をそらせるための、大企業にとっての方便、もう一つの陽動作戦広報活動なのだ。ウオール街の相場師連中は財務省を略奪した。連中はあらゆる種類の規制を妨害した。連中は刑事責任を免れてしまった。連中は、基本的な社会福祉をはぎ取っている。そして今や連中は、アメリカの学校や大学を運営すると主張しているのだ。

“改革論者達は、要因から、貧困を除外しただけではありません。連中は要因としての生徒の適性や、動機付けも除外してしまいました”教員組合に加入している、この教師は言う。“生徒達は草花のようなものだから、水をくれてやり、自分による教育という日に当ててやれば、全て花開くのだと、連中は考えているように見えます。これは生徒と教師双方を侮辱する妄想です。改革論者達は、教育という職業を専門職とするためのステップなる様々な狡猾な策略を考え出しました。連中は全員実業家なので、この分野のことを何も知らず、教師達に、自主性を与え、敬意を払って、こういうことをする訳ではないのは、当然のことだ。連中は、マークシート式テストの成績が良い生徒の教師には、多く給与を支払い、マークシート式テストの成績が、さほど良くない生徒の教師にはより少ない給与を支払うという業績給を持ち込むのです。もちろん、考えられる限り、そういうことが公正となる唯一の方法は、それぞれのクラスの生徒を全く同等の集団にすることですが、それは不可能です。業績給の本当の狙いは、教師達が、より賢く、より意欲のある生徒を奪い合うことで、教師同士を分断することと、共通テストという愚劣な発想を更に制度化することです。この両方において、ある種の悪魔的な諜報工作が行われています。”

“もしも、ブルームバーグ政権が何かの点で成功したと言うのであれば”と彼は言う。“連中は、学校を、校長を満足させられるかどうか、学校は今から一年先も続いているかどうか、自分たちの組合が、その頃でもまだ存続していて、何らかの保護をしてくれるかどうか、来年も仕事があるのかどうかと、教師達がいぶかりながら、走り回るストレス製造工場へと転換することには成功したのです。これは学校組織を運営する方法とは言えません。これは学校を破壊する方法です。改革論者達と、マスコミ業界にいるその友人連中が、駄目な教師と良い教師という、マニ教の二元論世界を作り出したのです。この二者択一の世界には、他の要因は一切存在しません。あるいは、貧困、堕落した両親、精神疾患や、栄養失調など他の全要因は、全て駄目な教師の言い訳で、勤勉と良い教師によって克服できるのだ。”

本当に教育された生徒は自覚を持つようになる。生徒達は自己認識をするようになる。生徒達は、自分自身に嘘をつかない。生徒達は、詐欺は道徳的であるとか、企業の強欲は善であると偽りはしない。彼らは、子供たちの飢餓や、病人の診療を、市場の要求で拒否することが、道徳上、正当化できるなどとは主張しない。彼等は、事業を行う為のコストだとして、600万の家族を家から追い出すようなことはしない。思索とは、人の、内なる自分との対話だ。お上が、聞かれたくないと思っている質問をしよう、と彼等は考えるのだ。彼等は、私たちが何者かを、我々の出自を、そして我々が進むべき先を知っている。彼等は、権力については、永遠に懐疑的で、不信の目を向けつづける。そして彼等は、この道徳的自立こそが、集団的無自覚からうまれる根本的な悪に対する唯一の防御であることを知っている。考える力こそが、盲目的服従を押しつけようとする、あらゆる中央集権化した権力に対する唯一のとりでだ。ソクラテスが理解していた通り、人々に、何を考えるべきかを教えることと、いかに考えるべきかを教えることには、大きな違いがある。道徳的な判断力に恵まれた人々は、たとえそれが、法人国家によって認可されたものであっても、犯罪を行うことを拒否する。彼等は、結局、犯罪人連中と一緒に暮らしたい等とは望んでいないからだ。

“世界中と対立する方が、自分自身と対立するよりはましだ”とソクラテスは言った。

正しい質問ができる人々は、道徳的判断をし、外部からの圧力に直面した際、善を擁護する能力を備えている。そして、これこそが、哲学者イマニュエル・カントが、他人に対する義務より、自分自身に対する義務を重んじた理由だ。カントにとっての規範は、自己愛、つまり、あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい、という聖書の考え方ではなく、自尊心なのだ。私たちを、人間として、意義があり、価値あるものとしてくれるのは、全世界の不正や、巨大な道徳的無関心に対して、立ち上がり、立ち向かう能力なのだ。正義が滅びてしまえば、カントが理解していたように、人生はあらゆる意味を失ってしまう。宗教法も含め、外部から押しつけられた法や規則に、おとなしく従う人々は、道徳的人間とは言えない。押しつけられた法律を履行することは、道徳的に中立とは言えない。本当に教育された人々は、正義、共感や良識といった高尚なものに、自らの意思を役立たせようとするものだ。ソクラテスも、悪に苦しむ方が、悪を行うより良いと言って、同じことを主張した。

ハンナ・アーレントが書いているように、“しでかされた最大の悪というのは、誰でもない人間、つまり人間であることを拒否している人間によって犯された悪だ。”

アーレントの指摘通り、我々はこの自覚を持った人々だけを信じるべきなのだ。この自覚は、意識することから生まれる。それは、犯罪が行われるのを見た際“私にはやれない。”と言える能力に付随する。アーレントは警告した。盲目的服従という脆弱な構造を中心に構築されている道徳体系の持ち主達を、私たちは恐れなければならない。考えることができない人々を恐れなければならない。自覚無き文明は、全体主義の荒れ地となる。

“悪事を働く者共の中で一番悪い奴らは、決して、物事にじっくり思いを巡らすことをしない、記憶のない連中であり、彼等に記憶が無ければ、何事も連中を引き止めることはできないのだ”と、アーレントは書いている。“人間にとって、過去の出来事を考えるということは、深みの方向に向かい、根を下ろし、そして時代精神なり、歴史なり、単なる誘惑なり、起こりうるあらゆることによって押し流されないよう、自らを安定させることを意味している。最大の悪というものは、根源的なものではない。根を持たず、根が無いがゆえに、限界が無く、想像を絶するような極端に走って、世界中を襲いかねないのだ。”

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/why_the_united_states_is_destroying_her_education_system_20110410/

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小学生に英語を教えるより、高校生に、こうした文章を読める力をつけることの方がよほど大切だろう。その逆を無理やり押しつける文部科学省という組織、学習や科学する力を破壊する組織だろう。「属国は宗主国を模倣する。」

教育を破壊することの大切さを充分理解している宗主国は、日本だけでなく、イラクでも、教育を徹底的に破壊している。

土肥さんという元都立三鷹高校校長が、高校の職員会議で『挙手・採決』を禁止することに反対して、退職後の継続採用を拒否され、訴訟をしておられる。

職員会議で『挙手・採決』が禁止、というのであれば、日本、北朝鮮と変わらないではないか?そう、日本は、北朝鮮レベルの国なのだ。原発情報発信をみれば、ソ連以下の国であることは誰でもわかるだろう。

子供が放射能で汚染された校庭で遊び、やがて甲状腺ガンになっても関知しない国だ。とうとう国民すら棄民する国だ。

教育の話題ではないかも知れないが、吉本隆明という人、小生の学生時代、一世を風靡していたと記憶している。多くの同級生、彼の発言を先生方の発言より有り難がっていた。「吉本ばななのお父さん」ではなく、日本言論界のヒーローだった(ように被害妄想している?)。

彼が1982年に書いた『「反核」異論』なる本がある。刊行当時大評判になったらしい。(マスコミの「評判」なるもの必ずしも品質を保障するものではないだろう。)

彼の言説、体質的に全く受け付けられない(早い話が、難解な論理を理解するIQがない)ので、当時読まずにいたが、今回思い出し、我慢して読んでみた。

東工大卒業の人物による文章だが、高校の物理・数学につまずいた小生でも、唖然とする手放しの楽観主義。本当にこの言説で、旧左翼なるものをなぎ倒せたのだろうか?

ほぼ日刊イトイ新聞で最近の発言も読める。「ほんとうの考え」。是非とも、この文章について、「ほんとうのコメント」を頂きたいものだ。

『「反核」異論』の60ページから、62ページを丸ごと転記させていただこう。ただし太字部分は小生が加工した。

もちろんマルクスが資本制生産の解明が「社会」の「科学」であると信じ、序文で宣明しているのは「科学」が政治や党派にたいしてニュートラルだといいたかったのではない。 「科学」が本質的には自然の解明であり「社会」にも自然史の延長として解明して大過ない「本質」的な性格を示す部分があり、その範疇でだけ、「社会」の経済学的分析をじぶんがやっていると信じたのだ。もちろん「核」エネルギイの解放もまったくおなじことだ。その「本質」は自然の解明が、分子・原子(エネルギイ源についていえば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の党派とも、体制・反体制とも無関係な自然の「本質」に属している。この「本質」を政治や倫理と混同すれば、黒古一夫や山本啓のように暗黒主義や原始主義の陥穽にかかってしまう。山本啓はもともと本質論を欠いた機能主義者だから、わたしの論議を正確に読めない。そればかりか、すぐに政治的応用や政治的統御の問題にすりかえて、典型的に「政治」と「科学」の混同に陥込んでいる。何もちっとも理解できてはいない。それにもっとひどいのは、専門外のことだと、幼稚な倫理主義者に退化してしまう、つまらぬ啓蒙科学者の言説を鵜呑みにしていることだ。

  「放射性物質は、その放射能が半減する半減期が、いちばんみじかいものでセシウム一三七の三〇年、プルトニウム二三九にいたっては、何と半減期が二四三六〇年である。いま日本に蓄積されている放射性物質はドラム缶で五〇〇〇〇本をとうにこえており、この南太平洋への海洋投棄がおおきな政治問題化しているのも、周知のことだろう。核エネルギー開発をこれ以上すすめていくのかどうか、この選択以上に政治的な問題はない。」(同前)

 知ったかぶりをして、つまらぬ科学者の口真似をすべきではない。自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である。また物質の起源である宇宙の構造の解明に一歩を進めたことを意味している。これが「核」エネルギイにたいする「本質」的な認識である。すべての「核」エネルギイの政治的・倫理的な課題の基礎にこの認識がなければ、「核」廃棄物汚染の問題をめぐる政治闘争は、倫理的反動(敗北主義)に陥いるほかないのだ。山本啓の言辞に象徴される既成左翼、進歩派の「反原発」闘争が、着実に敗北主義的敗北(勝利可能性への階程となりえない敗北)に陥っていくのはそのためだ。こんなことは現地地域住民の真の批判に耳を傾ければすぐに判ることだ。半衰期が約二万四千年だから、約五万年も放射能が消えないプルトニウム廃棄物質にまみれて、あたかも糞尿に囲まれて生活するかのような妄想を、大衆に与えるほかに、どんな意味もない。いいかえれば開明によってではなく、迷蒙によって大衆の「反原発」のエネルギイをひき出そうとする闘争に陥るほかないのだ。

 山本啓の放射能廃棄物質への妄想は、大江健三郎の「核」兵器への妄想と寸分ちがわぬ被虐的(マゾヒック)なものにすぎぬ。山本は核エネルギイの解放の「本質」が、即自的に宇宙の構造の解明、いいかえれば物質の起源への接近の一歩の前進にあたっているという本質論を欠いている。

そのため途方もない「核廃棄物質終末論」の袋小路につんのめっている。あとは躓いて倒れるほか道はない。山本啓に専門的認識を要求してもはじまらないが、現代物理化学のイロハでも知っていれば、「核」廃棄放射能物質が「終末」生成物だなどというたわけ果てた迷蒙が、科学の世界をまかり通れるはずがないのだ。宇宙はあらゆる種類と段階の放射能物質と、物質構成の素粒子である放射線とに充ち満ちている。半衰期がどんな長かろうと短かかろうと、放射性物質の宇宙廃棄(還元)は、原理的にはまったく自在なのだ。この基本的な認識は、「核」エネルギイの解放が、物質の起源である宇宙構造の解明の一歩前進と同義をなすものだという本質論なしにはやってこない。

山本啓のような機能的な政治主義エコロジストに捉えられるはずがない。だから「放射性物質のような非更新性のエネルギーは、それ以上の再処理の仕様がないのだ」という「核廃棄物質終末論」に陥ちこみ、その反動として「のこされた道は、更新性のエネルギーに依存して(つまり石油.石炭・薪・木炭生活ということか?)生態系の物質循環のなかで定常的な生活」を夢みる暗黒主義者、原始主義者に転落してしまうのだ。山本啓がどこまで本気で「反原発」闘争に取組んでいるのかは知らぬが、この「本質」的な認識を欠いた闘争が、勝利への一里塚としての敗北にもならぬ、ただの敗北主義的敗北に終ることはわかりきっている。山本の云い草をそっくり投げ返せば、それこそが国家権力である自民党政府に反対したつもりで、じつは加担以外の何も意味しはしない。聴く耳があればわたしの批判をきくがよい。なければじぶんたちだけで転落すればよい。ただ反動的な理念で「反原発」の大衆運動を出鱈目な方向に嚮導することだけは誰にも許されてはいないのだ。

しかし、現時点で考えれば、

科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である、などとどうして言えるのだろう?

吉本の云い草をそっくり投げ返せば、それこそが国家権力である自民党・公明党・民主党政府に反対したつもりで、じつは加担以外の何も意味しはしない。

不思議なのは、まさに彼のこの部分の発言を、有り難がる皆様が多数おられたということだ。いまでも削除せずに、そのままにされているのは、心から有り難がっておられるのだろう。

IQの低い素人には、偉大な思想家の不思議な言説よりも、「おんな組いのち」webに緊急掲載された中山千夏さんによる「私のための原発メモ」pdfのほうが、ありがたい。

生徒を放射能にさらす規制値緩和を推進する文部科学省にたいして反抗する先生方こそ人間の教師であり、教育破壊科学省に服従し規制を守る人々は、反抗ならぬ、生徒を危険にさらす『犯行』をしているのだ。犯人であっても教師ではないだろう。

そういう犯罪教師を多数派にすべく、国も、企業も、教育制度を破壊しているのだ。

政府は、想定外の津波などではなく、単純に、地震のおかげで、大事故となった原発から放出された放射性物質で、「次世代の日本人」を危険に曝している。

政府、御用学者、マスコミぐるみのこうしたあからさまな犯罪行為、情報統制と同時並行している。

NHK、貴重なドキュメンタリー『チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染』を、オンデマンドから削除しているという。
youtubeに投稿されると、削除させているという。
それでも、めげずに投稿されている。見られるうちに、ご覧いただきたい。

http://www.youtube.com/watch?v=4GcOF4prndE&feature=related

そもそも膨大な使用済み核燃料をあんな場所に蓄えているなど知らされていなかった。使用済み核燃料や、他の放射性廃棄物、危険でなくなるのは、100,000年先の話。

原子力発電を行う際に生じる放射性廃棄物の永久処分場として、フィンランド、オルキルオトに建設中の"オンカロ(隠された場所)"の作業・人々のドキュメンタリー。『100,000年後の安全』 渋谷アップリンク、池袋シネマ・ロサ等で上映中。

16億年?も安定した岩盤を掘削し、地下500mに危険な放射性廃棄物を埋め、2100年に全て埋め戻してしまうのだという。

安全になるのは、10万年後。
ピラミッドに残された記録の解読さえままならない我々が、一体どうやって、100,000年先の人類?に、「危険な場所だから、掘り返すな」というメッセージを残せるのだろう。図で?絵で?国連の言語で?

日本には、もちろん16億年?も安定した岩盤など、どこにもない。
「トイレのないマンション」で発生した、危険な廃棄物、100,000年の間、一体どうするのだろう。どうしても、

即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である。

とは考えられない。お弟子さん?のイトイさん、教えてください

2011年4月27日 (水)

クルチャトフ研究所ベリホフ所長:日本には福島原発の正確な情報がない

2011年4月25日

写真:ロイター

日本人は、東京の放射能レベルのデータは報道するが、福島については報じない。雑誌«イトーギ»のインタビューで、国立研究センター «クルチャトフ研究所»所長、エフゲニー・ヴェリホフが、これについて語っている。

«明かに、日本人自身にすら、信頼できる情報がありません。事態が始まってすぐ、原子炉のメルトダウンに関する問題について世界で最も詳しい専門家である、我が同僚ウラジーミル・アスモロフを日本に派遣しました。しかし議論はごくわずかなものでした。彼には連絡相手を教えず、この作業に責任を負っている人々と話をする可能性も与えてくれませんでした。問題は、単に日本的メンタリティということにはとどまらず、これが民間企業の原子炉だということにあります。彼等は会社がどうなるかを非常に心配しているのです。事故の後、ブリティッシュ・ペトローリアムがどうなったかは、皆が見ていますから»と、科学アカデミー会員は語っている。

彼によれば、現在日本人は、チェルノブイリ事故時のソ連政府より閉鎖的な動きをしている。

«アクトゥアリヌイェ・コメンタリー(この記事が掲載されているweb)»が書いている通り、昨日«福島第一»原発周辺20キロ以内の地域は、立ち入り禁止と発表された。政府指令により、この境界内の地域に居ることは違法となる。

3月11日、マグニチュード9 の非常に大きな地震が、日本沿岸への津波を引き起したことを想起しよう。日本政府は、地震は、日本の歴史上で、最も壊滅的なものだと発表した。

«福島第一»原発に対する天災によって、緊急事態が生じた。原発の原子炉冷却システムが故障したために、原子炉が過熱したのだ。原発で、数回爆発起こり、大気と水への放射能漏洩が起きた。事故後、事故が起きている原発から20キロの地域では、140000人以上の人々が避難した

4月12日、日本政府は、原発の危険度を、最大の第七レベルに上げた。これまで、このレベルに該当したのは、1986 年のチェルノブイリ原発事故のみである。

記事原文:http://actualcomment.ru/news/23575/

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ロシアの著名な原子力研究所の所長が、日本の閉鎖性を批判しているという記事を見かけたので、再度知人に、原文検索と翻訳を依頼した。エフゲニー・ヴェリホフ所長による、より詳細な分析記事もあるそうだ。下記の4月18日記事だという。
http://www.flot2017.com/show/opinions/37672

厚かましい限りだが、その記事翻訳も知人にお願いしたいもの。納期指定はできない。
こういう時は、ブログを有料化し、翻訳代をひねり出したいもの、と夢想する。
夢想で終わることが、知人には申し訳ない。
サイババでさえ亡くなった。霞だけで生き続けられる人は少なかろう。

霞ではなく、人を喰うと、健康で長生きできるようだ。4/26、チェルノブイリ25周年の日に、朝日は、待望の「大勲位、ロンの使い走りポチ」中曽根インタビューを掲載した。怖いものみたさで読んでしまった。4/23は尼崎列車脱線事故7周年。労働組合を破壊し、社会党を弱体化させる狙いで、国鉄を民営化したのも中曽根。悪質な売国政治家にふさわしい不気味な記事だった。政治家も政治家、わざわざそうした放射性ゴミのような記事を載せる新聞。マスゴミなどという表現ではたりるまい。紙の形をした『放射性ゴミ』の塊。読んだ自分が情けない。

エフゲニー・ヴェリホフ所長なら、「なあに驚くことはありません。現代日本は、ソ連の新自由主義版で、新聞・テレビは皆プラウダかイズベスチヤなのです。」というかも知れない。

元気そうな政治家の笑顔で、ゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』を思い出した。

2011年4月19日 (火)

O・J・シンプソン-プルトニウムファイル、そしてチェルノブイリ極秘

オトモダチの国のクリントン国務長官、韓国からの帰路、わざわざお寄り下さったが、早々と帰国された。TPP実施への念押しにこられたのだろうか。さすが、プルトニウムの恐ろしさ、原子炉事故の恐ろしさ、充分ご存じなのだ。

ご主人クリントン氏が大統領だった時に、アメリカが総力をあげ、長年にわたり、プルトニウムも使った大規模人体実験をしていたことが暴露されていたのだから。

トモダチ作戦でつめかけた特殊部隊の皆様も、工程表が公表されたので、めでたく早々ご帰国される。

『アルバカーキ・トリビューン』の記者アイリーン・ウェルサムがスクープ記事を書いた。彼女は、のちに『プルトニウム・ファイルズ』(邦題は『プルトニウム・ファイル』上・下、翔泳社、2000年8月1日刊、各1600円)にまとめた。

Plutoniumfilescovers_2

アイリーン・ウェルサム、この報道で、九四年のピユーリツァー賞を受賞している。

追記:2013/1/31

プルトニウムファイル いま明かされる放射能人体実験の全貌として、一冊本として再刊された。有り難いことだ。早速求めようと思っている。税込価格:2,625円

クリントン政権時代のエネルギー省長官、ヘイゼル・オリアリーが、軍部他の体制派勢力に真っ向から挑戦したことで、情報公開が進んだのだ。クリントンの指揮下で、調査委員会も設置され、一応、調査報告書も発表されている。調査報告書の発表に際しては、クリントン大統領、声明も出している。

ナチスや、日本の731部隊の人体実験と比較しても、決して劣らない恐るべき実験。読んでいて、いやになる。

多数のアメリカ人に、プルトニウムを注射したり、囚人の睾丸に放射線を浴びせたり、あるいは多くの兵士に原爆・水爆の爆発を見学させ、死の灰を浴びせ、実験したのだ。プルトニウムを注射した被験者の墓場まで暴き、骨を収集した。

これだけ長期間、大人数の自国民を犠牲にして平気な支配層なら、9/11も仕組む可能性も大きかろうと、勝手に納得してしまう。

しかし、それほどの大変な秘密実験に関するこの翻訳書、全くみかけない。そもそも、本国でも絶版か品切れのようだ。これも不思議ではないだろうか。

恥ずかしながら、こうしたスクープ、当時全く知らなかった。しかし、それには、見事な煙幕があったのだ。たしか、日本でも、マスコミという組織、しつこく報道していたのではないだろうか?どうして、どうでも良い選手の殺人事件裁判ばかり報道するのか、奇妙に思った記憶はあるのだが。

本書、四五章にこういう記述がある。

(大統領の謝罪から)二時間後のロサンゼルスで、評決を手にした陪審団が法廷に戻ってきた。フットボール界の星、0・J・シンプソンの殺人容疑の評決だ。無罪と決まってマスコミは蜂の巣をつついたように騒ぐ。ずっと重大な罪を語ったクリントンの言葉など、夕方のニュースにちょっと流れ、新聞もおざなりに書いただけ。そんな陽動作戦に救われようとは、マンハッタン計画の医師のいったい誰が予想しただろう?

また、本書の訳者あとがき(279-280ページ)にも、こうある。

いろいろ忙しいマスコミも、クリントン大統領の謝罪から二時間後に出た0・J・シンプソンの無罪評決のほうを華々しくとり上げます(四五章)。

エミー・グッドマンのデモクラシー・ナウ 2004年5月5日でも、このタイミングについて触れている。以下の該当部分だけ翻訳してみた。

プルトニウム・ファイルズ: アメリカは、どのようにして、何千人ものアメリカ人に、秘密裏に放射性物質を与えていたか

エミー・グッドマン: アイリーン・ウェルサムさんとお話しています。彼女の連載記事はアルバカーキ・トリビューン紙に掲載され、彼女は記事を、著書プルトニウム・ファイルズにまとめました。あなたの暴露記事はクリントン政権時代のことでしたね。クリントン大統領が放射能人体実験諮問委員会を設置し、それが放射能実験計画を徹底的に調べました。実に注目すべきことに、報告書、最終報告書は、1995年10月3日、O.J. シンプソン裁判の判決と同じ日に発表されました。結果が報道されたのを見た記憶が私はありません。

アイリーン・ウェルサム: 実に残念なことでした。アメリカでは、誰もがO.J. シンプソン問題に、気を取られていたので

エミー・グッドマン:うまくタイミングをあわせたのかも知れませんね? 毎日、皆シンプソンの判決を待っていたので、政府委員会だって、国民の注目が他を向いていたこと位は当然わかっていたでしょうから。

アイリーン・ウェルサム: それは考えていませんでした。エミーさん。それは単なる可能性ですよ。

属国の権力とマスコミがグルなのは、宗主国の実態の反映なのだろう。

プルトニウムファイル 下巻 31ページに、官房長官の常套句のような表現がある。

志願兵が今の許容値以上の被曝を受けたとき、ただちに悪影響が出ないとしても、いずれ死者や病人が出るかもしれない。そうなると国を相手どった訴訟が起き、まずい世論が生まれてしまう。

 案の定そうなった。ネヴァダや太平洋の演習に駆り出された兵士は、除隊のあと発疹、水ぶくれ、アレルギーなどに見舞われ、今なおそれが続いている。髪や歯が抜け、吐き気に苦しむ退役軍人が多い。細胞が傷つき、数十年後にがんを発症した人もいる。放射能で遺伝子が冒され、子や孫にさまざまな病気が出たケースも多い。

ちなみに、「ただちに悪影響が出ないとしても」、原文は以下の通り。

may not produce immediate deleterious effects

多くの方々が、この話題、以前からとりあげておられる。

米の放射能人体実験 次々崩れた機密の壁 地方紙記者が追跡6年 1994年2月1日朝日新聞

なんと、授業でとりあげる大学もある。

第5回 米国における人体実験と政策

書評では以下。

プルトニウムファイル

【米国ナチファシズムの狂った信奉者達!】 プルトニウムファイル・米国の人体実験

磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

『プルトニウムファイル 上 The plutonium files』

『プルトニウムファイル 下 The plutonium files』

プルトニウムファイル 上・下

「内部被曝」について  (その2)アメリカの「内部被曝」を認めない態度(続

本書は、古書もみつからないが、同じ記者の新聞連載を翻訳した本の古書は入手可能。

アルバカーキ・トリビューン編 広瀬隆訳『プルトニウム人体実験 マンハッタン計画』小学館 1994

放射能人体実験諮問委員会報告書の抄訳・解説本『原爆開発における人体実験の実相』 河井智康 新日本出版社 2625円 2003年8月刊は、現在も販売されている。

このアメリカ政府の偽善暴露で連想されるのが、ソ連政府の虚偽を暴露する下記の本。

『チェルノブイリ・極秘』

Chrnobylgokuhi

アラ・ヤロシンスカヤ著
和田あき子訳
平凡社 1994.4刊

これも、女性ジャーナリストによる傑作。事故そのものではなく、事故の庶民生活に対する余波、無責任な政治家、学者の様子が余すところなく描かれている。

今の放射性物質放出、汚染報道、疎開問題を考える上で、これほど参考になる書物は少ないだろう。ところが、これも不思議なことに入手困難。平凡社には、緊急大増刷をお願いしたいものだ。避難されている当事者の皆様にも、是非お読み頂きたいものだ。

    • システム上の欠陥ではなく、人間による操作ミスに、強引にもってゆく政府
    • なんと、汚染地域に疎開させてしまう無責任さ
    • 子供たちが、ヨウ素を摂取してしまうのを、放置する政府
  • 食物や環境に関する放射性物質の基準を、どんどん都合よく緩和してゆく政府

今の日本そのまま。目次は以下の通り。

第1部わが内なるチェルノブイリ
1 世界ではじめての体験  17
2 ルードゥニャ=オソシニヤ村-偽りのゾーン 29
3 廃墟のそばで 39
4 ジトーミルでの政治戦 65
5 議会での虚しい叫び声 77
6 体制の秘密主義-情報はいかに統制されたか 89
7 罰なき罪 107
8 イズラエリは告白する 127
9 「子どもたちの健康は心配ない」 141
10 真理の瞬間 177
11「地球規模の大惨事(カタストロフ)である」 201
12 IAEAはそれでいいのか? 229
13 チェチャ川は流れる─ウラル核惨事の警告 259
14 溺れる者を救うのは、溺れる者自身の手である 273
15 汚染地域再訪 301
16「子どもたちが死にかかっています、助けて下さい!」 333

第2部 極秘
1 クレムリンの賢人たちの四〇の機密議事録 367
 ─「秘密の対策本部」は何を決めたのか
  ウソ1─放射能汚染について
  ウソ2─汚染された農地の「きれいな」農産物について 
  ウソ3─新聞向け報道について
2 この世の生活は原子炉とともにあるのか 381
 ─共産党政治局の白熱の議論
   一味の利益
  「炉の安全性は組織面や技術面の対策によってではなく、
   物理法則によって保証されなければならない」
  「あなたはどの原子炉を選ぶのか」
解説(今中哲二) 404
機密議事録解題/年表 413
訳者あとがき 416

佐藤栄佐久元福島県知事が、外国特派員協会での会見で、いっておられる。

「日本の原発事故、チェルノブイリ事故を起こしたロシアのような、ファシスト的構造がひきおこした。」というようなご意見だ。ごもっとも。ご本は英語版が必要だろう。

(個人的には「ソ連の衛星国政権のようなファシスト的構造」か、「アメリカというファシスト宗主国の属国ファシスト支配構造」の方がより適切と思うが、些細な違い。)

つまりは、ハワード・ジンが講演で語っている通り「ひとつだけ覚えておくように、国家は嘘をつくものなのです。

アラ・ヤロシンスカヤ チェルノブイリ・極秘 感想

DOL特別レポート・ダイヤモンド・オンライン 2011/4/20記事は、チェルノブイリ事故処理班の生存者が語る凄惨な過去と放射能汚染への正しい危機感
「政府発表を鵜呑みにせず自分の身は自分で守れ」

この二つの本をまとめて絵に描いたような、下記のビデオがある。

Chernobyl:A Million Casualties

2011年4月15日 (金)

地球を賭けた博打

日本の大惨事と世界同時不況は、社会がリスクを管理し損ねたことに対する、厳しい教訓だと、この経済学者は語っている。

ジョセフ・E・スティグリッツ

2011年4月6日 "Project Syndicate"

日本における地震の影響、特に福島原子力発電所で続いている危機は、大恐慌を引き起こしたアメリカの金融崩壊を見つめていた人々の心に、気味悪く深く響いている。この二つの出来事は、リスクと、市場や社会がリスクを、いかに扱い損ねてしまうかについての厳しい教訓となっている。

もちろん、25,000人以上の方々が亡くなったり、行方不明となったりしている地震の悲劇と、そのような深刻な物理的苦難をひき起こしたわけではない金融危機は、ある意味、とうてい比較にはならない。しかし、福島の原子炉メルトダウンに関しては、二つの出来事には共通する主題がある。

原子力業界、金融業界、いずれの専門家達も、新技術が破局のリスクをほとんど解消したと請け合っていた。事態は彼等が誤っていたことを証明した。リスクは存在しているのみならず、その及ぼす影響は余りに巨大で、業界幹部連中が推進してきたシステムのあらゆる利点とされるものなど易々と消し去った。

大不況の前には、連邦準備制度のトップから金融界の大物に至るまで、アメリカ経済の権威者連中は、リスクの御し方を習得していると自慢していた。デリバティブや、クレジット・デフォルト・スワップ等の"革新的な" 金融商品おかげで、経済全体に、リスクを分散することが可能になった。連中は、彼等以外の世の中を欺いたばかりでなく、自らをも欺いてしまったことを、今や我々は理解している。

金融業界の天才達は、時には"ブラック・スワン"とも呼ばれる、大変な結果をもたらしてしまう、まれな出来事を意味する統計学用語"ファットテイル分布"がひき起こす危険はいうまでもなく、リスクの複雑さを理解してはいなかったことが明らかになった。百年に一度、あるいは、宇宙の一生に一度しか起きないはずだった出来事は、十年毎に起きるもののようだ。一層悪いことに、こうした出来事、頻度が極端に過小評価されていただけではない。原子力産業を悩ませつづけているメルトダウン等のような出来事によって引き起こされる損害は天文学的だ。

これらのリスク管理において、なぜ我々がへまをやるのかを理解するには、経済学と心理学の研究が役に立つ。滅多にしか起こらないことを判断するのに役立つ経験的根拠が我々にはほとんど無いので、良い判断に至るのが困難なのだ。そうした状況においては、単なる希望的観測以上のものが作用しかねない。我々には、慎重に考えるという動因が全く欠けているのかも知れない。逆に、失敗しても、他人が損害経費を負担してくれる場合には、自己欺瞞が動因となってしまう。損失は社会に負担させ、利益を自分のものにするような制度は、リスク処理に失敗する運命にあるのだ。

実際、金融関係丸ごと、代理人問題や、外部性にあふれている。格付け機関には、そうした機関に金を払ってくれている投資銀行が作り出したハイ・リスクの証券を高く格付けする動機がある。住宅ローン業者は、無責任な行為の責任を全くとらず、略奪的な貸付業務をしたり、駄目になるように設計された証券を作り出し、販売したりしていた連中も、民事・刑事訴追から防御される手口で、やっていた。

そこで次の疑問が湧く。他にも起こりそうな"ブラック・スワン"事象はあるのだろうか? 不幸なことに、我々が現在直面している、本当に大きなリスクのいくつかは、まれな出来事でさえない可能性が高い。良いニュースは、そうしたリスクと、ごくわずかなコスト、あるいは、コスト無しで、制御可能なのだ。悪いニュースは、そうしようとすれば、現状を維持することで儲ける連中がいる為、強烈な政治的敵対勢力に直面するということだ。

我々は、近年、大きなリスクを二つも、目の当たりにしたのに、そうしたリスクを制御するための対策を、ほとんど何もしていない。前回の危機に対処したやり方が将来の金融メルトダウンのリスクを増した可能性があるという説もある。

大き過ぎて潰せない銀行、そして連中が参加している市場は、今や、万一、面倒なことになったら、税金で尻ぬぐいしてもらえると期待している。この"モラル・ハザード"の結果、こうした銀行は有利な条件で金を借りることができてしまい、優れた業績ではなく、政治力に基づいて、競争上の優位を得てしまう。危険な行為のやりすぎは一部制限されたものの、略奪的な貸付業務や、不透明な店頭におけるデリバティブの規制なしの取引は続いている。余りに危険な行為を奨励するインセンティブ構造は、事実上、全くそのまま、変わっていない。

だから、ドイツは古い原子炉を停止したのに、アメリカや他の国々では、福島と同じ設計欠陥がある原子力発電所でさえ、運用を継続している。原子力産業の存在そのものが、原子力災害が起きた場合に社会が負担する経費やら、いまだ技術的に完成していない核廃棄物処理のコストやらの隠された公的助成に依存しているのだ。無制限な資本主義は、もはやこれまで!

地球にとって、更にもう一つリスクがあり、それは他の二つと同様、ほとんど確実におきる。地球温暖化と気候変動だ。科学者達が予測している、ほぼ確実な結末となった場合に、もし、我々が安価に引っ越しできる惑星がもう一つあるのであれば、危険を冒す価値があるのだと主張することは可能だろう。しかし、そういう惑星はないのだから、危険を冒す価値はないのだ。

二酸化炭素排出を削減するためのコストなど、世界が直面している起こりうるリスクの比ではない。しかも、たとえ我々が原子力というオプション(そのコストは常に過小評価されている)を排除したにせよ、それは真実なのだ。たしかに石炭会社と石油会社は苦しむことになるだろうし、アメリカの様な環境汚染大国は、暮らしがそれほど贅沢でない国々より、大きな代償を払わざるをえないことも明白だ。

最終的には、ラスベガスで博打をしている人々は、勝つ金額より、負ける金額の方が大きい。社会として、私たちは、わが国の大銀行で、わが国の原子力発電施設で、わが地球で、賭けをしているのだ。ラスベガスの場合と同様、幸運な少人数- 我が国の経済を危険にさらしている銀行家連中や、地球を危険にさらしているエネルギー企業の所有者は、大金を持ち去るかも知れない。しかし平均すれば、ほぼ確実に、社会としての我々は、全てのばくち打ち同様、負けるのだ。

不幸にして日本の大災害は、自己責任で、それを無視し続けていることに対する教訓だ。

ジョセフ・E・スティグリッツは、コロンビア大学教授で、ノーベル経済学賞受賞者。彼の最新刊『フリーフォール グローバル経済はどこまで落ちるのか』は、フランス語、ドイツ語、日本語、スペイン語で刊行されている。

記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article27836.htm

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ノーベル賞をはやしたてる日本の商業マスコミ、超有名教授が「不都合な真実」発言をしても、記事にすることはないだろう。そこで、まずい訳を、あえて載せる。

毎回の記事同様、至る所にあるはずの誤訳、ご教示いただければありがたい。

一ヶ月たっても、ダッチロール状態。山中に墜落したJALの悲劇の超スローモーション版を、とんでもない怪説つきで、見させられていれば、ノーベル賞などに無縁の素人でも、

原子力産業の存在そのものが、原子力災害が起きた場合に社会が負担する経費やら、いまだ技術的に完成していない核廃棄物処理のコストやらの隠された公的助成に依存していることは、いやでも理解できる。

無制限な原子力推進は、もはやこれまで!

『チェルノブイリの遺産』を書いた、ジョレス・メドベージェフ、1979年に、『ウラルの核惨事』という本を書いている。話題そのものについては、1976年末、記事にして発表している。核廃棄物処理場(貯蔵所?)での大事故だ。Wikipediaに「ウラル核惨事」という項目がある。つまり、先日、頻発する地震で、電源が一時停止したと報じられている『六ヶ所村再処理場』の祖先ともいえる施設での大事故。原発の数、運用時間から見て、『六ヶ所村再処理場』の方が、貯蔵量はずっと多かろう。福島原発のプールにある使用済み燃料の比ではないだろう。このトイレは、何万年も面倒を見つづけないと、大惨事がおこりうる。原発、何とも無責任なシステムだ。

最終的には、パチンコ屋や競馬場で博打をしている人々は、勝つ金額より、負ける金額の方が大きい。社会として、私たちは、わが国の大銀行で、わが国の原子力発電施設で、わが地球で、賭けをしているのだ。パチンコ屋や競馬場の場合と同様、幸運な少人数、我が国の経済を危険にさらしている銀行家連中や、地球を危険にさらしているエネルギー企業の所有者は、大金を持ち去るかも知れない。しかし平均すれば、ほぼ確実に、社会としての我々は、全てのばくち打ち同様、負けるのだ。

無料のいんちき翻訳ではなく、有償、といっても、わずか500円の『原発と日本の未来』 原子力は温暖化対策の切り札か 吉岡斉 岩波ブックレット802 ご一読をお勧めしたい。これは、いわば『原子力の社会史-その日本的展開』朝日選書の暫定版補追のようなものだろう。福島事故の直前に刊行された(2011年2月8日)ものなので、ここは是非、更なる追補版を書いて頂きたいところだ。

Genpatsutonihonnomirai

御用学者の怪説、タレントのAC広告に加えて、東日本大震災復興構想会議なる奇怪な組織が作られた。議長や議長代理を見るだけで、質も狙いもわかりそうな気がしている。東日本大震災復興口実金儲け構想会議。(津波等、災害の研究者、河田恵昭教授は別格と思いたい。)

2011/6/10追記:

本記事、ちゃんと「週刊ダイヤモンド」に連載として、翻訳が掲載されているのにきがついた。「彼の記事が読みたくて、講読していた」と友人に教えられた。

2011年4月12日 (火)

全ての原子力発電所が脆弱なのだろうか?-大惨事は、いつも想定外

Washinton's Blog

2011年4月8日

大惨事が起きる度に、責任を負うべき連中は、責任逃れをするため、それは"想定外"だったと主張する。

例えば:

経費を削減して、とてつもない危険を冒せば、大儲けができるので、大企業は私たちの命や暮らしを賭けにしているのだ。必然的に事態が失敗した際には、連中(軽くお叱りを受ける以外は)責任を問われず、政府に救済さえしてもらえる。

全ての原子力発電所が脆弱なのだろうか?

地震で主電源が破壊され、更に津波で非常用ディーゼル発電機を破壊された為に、福島第一原子力発電所の多くの原子炉は大変なことになっている。

もちろん他の多くの原子炉も地震活動地域に建てられている。だが、それは小生が言いたいことではない。

NASAの科学者達は、太陽フレアが、世界中の多くの国で、恐らく何ヶ月も、大半の配電網を機能停止させるだろうと予想している。これこれこれこれこれこれ、そして、これをご覧いただきたい。

事実、地球の磁場が、太陽の最も猛烈な放射能から、我々を保護してくれているのだが、磁場は時とともに変動するのだ。テレグラフ紙は、2008年、こう報じている

太陽の放射線から地球を守っている磁場に大穴 ... 最近の衛星からの観測で、太陽の凶暴な爆発のほとんどから地球を守っている磁場に、これまで見られたものの中で最大の穴が見つかっている。

小生、マヤ神話の2012年人類滅亡説のような予言をしているわけではない。小生は単に、NASAが予想しているような巨大な太陽フレアが、特に万が一地球の磁場が、その時点でたまたま弱くなっていた場合、世界の大半の地域で電気を喪失させかねないと警告しているのに過ぎない。

万一、原発の電力と、それをとりまく現代インフラの大半が喪失したら、世界中の原子力発電所は一体どうなるのだろう?

原子力発電をしている電力会社は、経費を削減については、偉くしみったれていることで悪名が高い。もしも連中が、想定されている太陽フレアから守れるようにする為に、電機部品を強化しそこねれば、自業自得となる... 恐らく、福島原発災害がちっぽけに見える規模で。なぜなら、福島原発災害は、同じ発電所内の複数原子炉で事故が起きている初の原発事故だが、巨大な太陽風は、無数の国々、複数の発電所で、事故をひき起こしかねないからだ。

もしも、原子力発電企業と政府がコスト削減を続け、大きな賭けに出た場合、次の原発事故と比べれば、福島原発災害も、おだやかに見えるだろう。

これが2012年や2013年に起きる、と小生言っているわけではない(どうやらNASAは、それを示唆しているもののようだが)。だが地球上の広い範囲で配電網を停止してしまう、巨大な太陽フレアは、将来のある時点で起きるのだ。

それは想定外だなどと、とぼけてはいけない。太陽フレアが原因の電源喪失による広範なメルトダウンを防止するのに必要な、比較的わずかな額の費用を必ず使うように、原子力発電業界は警告を受けているのだから。

注: 次世代の原子炉は、恐らくは、より低い温度で稼働するだろうし、使用済み燃料棒を、もっと安全な方法で保管するだろう。

しかし、現行の原子炉の大半は、福島の原子炉同様、時代遅れの設計なので、冷却装置を運用するには電気が不可欠で、莫大な量の使用済み放射性燃料が現場で保管されており、放射性物質の放出を防ぐために、継続的冷却が必要なのだ。

Washington's Blog

記事原文のurl:georgewashington2.blogspot.com/2011/04/when-this-happens-every-nuclear-power.html

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異常な勇敢な都民の皆様が、おかしな豪胆な知事を選んで下さったので、広瀬隆氏の本の題名『東京へ原発を!』や、映画『東京原発』のように、原発の東京誘致、やっと実現するのかも知れない。オリンピックは(観光客も留学生も)永遠に招致できなくなったが。ダイジョブダー!招致できれば何でもエエジャナイカ :-)

「日本観光に来るお客様も激減するのだから、お台場でも都庁でも、都内であれば、場所はどこでもいいだろう。なにしろ、今回の東日本震災で、原発は絶対に安全なことが完全に証明されたのだから迷うことはない。」と考える、特攻精神をお持ち都民の皆様が多数おられるのだ。放射性物質を含んだ神風も吹いてくれるので、今度ばかりは、アメリカ様も上陸・支配ができないかも知れない。

寓話「王様を欲しがった蛙」、現在を予言していたのかも知れない。

池に住む蛙が、「王様が欲しい」、と神様に要求した。
神様、最初に、丸太ん棒を投げ込んでくれた。
デクの坊に、蛙はあきたらない。
「もっと強い王様が欲しい。」と蛙は要求する。
神様は、次に、コウノトリを送り込んでくれた。
蛙は全員食べられてしまったとさ。

より正確には、「王様を欲しがった、外部・体内被曝を受けつつある茹で蛙」と表記すべきだろうか。こういう蛙につける薬はない。哲学者佐々木中氏もおっしゃっている。


私たちはゲーム盤をひっくり返すこともできる。それを初めから排除しているのは人間ではない。家畜です。(蛙かも知れない?)

もちろん、有権者皆様の民度が充分に高くとも、制度的に、選挙が歪曲されていて、とんでもない結果がでる側面も、無視してはなるまい。きちんとした分析もある。過半数獲得の「大阪維新の会」は民主的な選挙制度なら半数に届かなかった!

一方、脱原発デモは、これまでにない規模で、あちこちで行われている。日本には、そうした多数の方々がおられるのは嬉しいことだ。やがて、60年安保を越える国民運動となることを夢想している。

福島原発災害、「想定通り」、選挙が終えたら、レベル7になった。やがて福島が追い越すだろうが、当面は本家のチェルノブイリ、一体どういう具合だったのか知りたくて関連する本を読んでいる。

  • 小説『チェルノブイリ』フレデリック・ポール 87刊 翻訳は1989年
  • チェルノブイリ -アメリカ人医師の体験 上・下 岩波新書 1988年
  • チェルノブイリ 最後の警告 高木仁三郎 七つ森書館 1986年
  • チェルノブイリ極秘 アラ・ヤロシンスカヤ 92刊 翻訳は1994
  • チェルノブイリの遺産 ジョレス・メドベージェフ 90刊 翻訳は1992
  • われらチェルノブイリの虜囚 高木仁三郎他 三一新書 1987年
  • 原発事故の起きる日 緊急避難はできるのだろうか 技術と人間 92年

読書は、御用学者怪説を垂れ流すテレビより頭に良かろう。しかもACが諭して下さる通り、電気を使わずにすむ。一石二鳥。

Fpchernobylcov

小説『チェルノブイリ』、英語原本が発売された年、ニューヨークの書店でみかけて購入、大いに感動した。それまでSF本はほとんど読まなかったが、彼の本、続けて何冊か読んだ。例えば『ゲートウエイ』

原発事故発生の様子、責任感をもって事故処理作業に従事する人々(リクビダートル)、急性障害に苦しみ亡くなる人々、関係者家族の愛、集団避難の苦労、ユダヤ人問題、関係者への責任の押しつけ、ペレストロイカの状況、地検特捜部を連想させる、KGBの熾烈な尋問・家宅捜索、アフガニスタン侵略と麻薬等々、当時のロシアの状況を巧みに盛り込んだ傑作だ。英語原書も絶版のようだが、講談社文庫は復刊を期待したいもの。

再読して、今の日本社会、ロシアのペレストロイカ時代以下の状況だと痛感する。それでも、宗主国と属国政府には、ネットが何とも目障り。それで、いよいよコンピュータ監視法が導入される。深刻な原発災害の最中、喜んで、元々原発を推進してきた自民党や、推進中の民主党や、自民党からの核分裂政党に投票する皆様が大多数の国、コンピュータ監視法など簡単に成立する。夢のファシスト国家、完成だ。これで日本のネットも終わり。当ブログのようなたわごとサイト、直ちに閉鎖・削除されるだろう。日本に本当に必要なのは、「コンピュータ監視法」ではなく、グラスノスチ、ペレストロイカなのだが。(もちろん、本格的野党なる官僚的政党の幹部、機構、党員も含めて。)

ロシア語を解する知人にも目を通してもらったところ、翻訳者の方、英語がご専門のようで「固有名詞等ロシア語部分は、原発音と離れていて、本書のカタカナの多くは、ロシア人に言っても通じない可能性が高い」そうで残念。

例えば、主人公のひとりの息子、「パイオニア」だというのだが、ロシアの子供の活動で有名なのは「ピオネール」(同じ単語だが、発音が違うそうだ。)

しかし、それは些細なことだ。ロシア語学習でなく、チェルノブイリ災害の概要を理解するには、最適の本かも知れないと素人は思う。

原発事故のおかげで、農業(漁業も)が大変な被害を受けている状況、小説『チェルノブイリ』でも、描かれている。電気は、現場での使用の為に発電されるわけではなく、宗主国の都会に送られる。災害で、肥沃な穀倉地帯が壊滅し、集団避難を強いられる。

『チェルノブイリ -アメリカ人医師の体験』 下(岩波新書)から、直接チェルノブイリには関係ないが、事故・サボタージュがいかに起きやすいかという例を引用しておこう。164-165ページ。

要するに、事故は発生するものだ。だからこそ、原子力産業界は、原子力事故から生ずる賠償金支払い義務を軽減することを目的とした法律の制定を、強く求めつづけている。さらに、偶然の事故以外にも、原子炉にねらいをつけたテロやサボタージュが発生する可能性がある。

米国における原子力をめぐるサボタージュの典型的な例は、一九六一年アイダホ州アーコにあった米原子力委員会の原子炉実験所であったものであった。三人の技師が午後四時から一二時までの勤務についていた。原子炉は停止されており、技師たちは、制御棒を四インチ二○センチ)引き上げようとしていた。この程度だと、整備のうちある種のものは実施するのに充分だが、それによって原子炉が始動するようなことはない。ところが、技師の一人がなんと制御棒を完全に引き抜いてしまった。
連鎖反応が起き、出力が異常に急増し、原子炉は爆発した。三人の技師は爆発によって死亡したが、そのうちの一人は制御棒で鼠践(そけい)部を突き刺され、そのあと吹き飛ばされて天井に張りつけになってしまった。それから一〇年後、原子力委員会は、「この事故は……殺人と自殺を決意していた技師が故意に引き起こしたものであったことが、今日では知られている」と、覚書に述べている。この事故を引き起こした技師は、当時明らかに気も狂わんばかりの状態にあったが、その理由は妻が事故当時、一緒に勤務していた技師の一人と不倫の関係にあると思いこんでいたからであったという。

『チェルノブイリ極秘』(平凡社)の解説を書いておられるのは、御用学者でなく、東京電力から金をもらわず、茶坊主教授連中から冷や飯を喰わされる学究生活を送り、今や諸氏の誠実な発言で有名となった京都大学原子炉実験所の反骨学者のお一人、今中哲二氏

訳者の和田あき子氏(歌手ではない。念の為)、訳者あとがきで書いておられる。太字加工は、当方によるもの。

本書を訳しながら、私が絶えず思ったことは、ヤロシンスカヤはそれをソ連社会主義システムの犯罪として弾劾してやまないけれども、もしチェルノブイリ規模の原発事故が、ソ連以外の国で起こったとき、はたしてすべての情報が国民に公開されることがあるだろうか、ということであった。四六基の原発が稼働している国に生きる者として、原発を認める者も、認めない者も、本書からいろいろ考えてほしいと願っている。私はチェルノブイリ事故の被災地を訪れたことがあり、昨年夏には地域の女性たちと、六人のチェルノブイリの子どもを保養に招いて、ともに暮らした。そうした経験から痛感したことは、これ以上こうした悲しみの土地を増やしてはならない、こうした子どもたちをこれ以上増やしてはならないということであった。廃村の昼下がりの静寂は、消しがたい印象を私の中に残した。その村にも、無断で戻って暮らしていた老女がおり、人の気配を感じて通りに出てきて、つらい心の内をしきりに訴えていた。私には今も、あの光景や老婆の涙が、とても八〇〇〇キロも離れた異国のことだったとは感じられないのである。

私には今、あの光景や老婆の涙が、八〇〇〇キロも離れたこの国のことになったと感じられる。

そして、これから必読書となりそうな本『原発事故の起きる日』は、アメリカ(スリーマイル原発)、カナダ(ピカリング原発)、そして日本(具体的には、北海道泊原発の原子力防災対策のしおり)の緊急避難計画を比較している。日本のもの実にお粗末。本書刊行から18年経った現在も、おそらく、これ以上の計画、当局にないのだろう。それが、御用学者・大本営広報部総動員の、「漸進的エスカレーション」発表の理由なのではなかろうか。何かでっちあげるまでの時間稼ぎ。トイレのないマンション、避難ハシゴもなかったのだ!

Genpatsujikonookiruhi

詳細は、本書(2000円+税)をお読み頂きたいが、第1章、「アメリカでの緊急避難計画と日本」には、日本は、無策に等しい現状とある。20ページから、一部引用させていただこう。こうした貧弱な準備が、室内退避やら自主避難という、お粗末な方策をもたらしているのだろう。そして、この彌縫策、今後も永久に変わるまい。権力は、要求されない限り、何一つ譲歩しない

避難ルートに関する住民への指示もなく、日本では一〇キロメートル圏の外について、一体何が検討され、準備されるのか、いっさいわからない。この避難先の準備の検討を欠いている点が第四の問題点である。原子力災害に遭ってしまった人たちが本人自身の苦しみのうえに、周囲から疎外され、時には迫害されるということについては、われわれの社会は経験を持っているはずである。
旧ソ連においても、同様なことが発生していることも報道されている。たんなる被災者に対する物質的救援だけでは、問題の解決にはならない。まして、現行の原子力防災計画では、物質的な救援さえも具体化されていない。現実は無策に等しいのではないだろうか。
このような原子力防災の日本での現実をもたらした原因が、国による拙速としか言いようがない原子力開発にあり、そのための強引な原子力関係の法体系にあるということは明らかであり、この点への議論の集中が緊急課題である。

9/11、アメリカの終わりの始まりだったろう。内部の工作であろうとなかろうと。

「3/11、日本の終わりの始まりだった」と、後世、世界の歴史教科書に書かれることになりそうだ。

戦時には、学童・傷病兵の疎開があった。敗戦後、彼らは故郷に帰れたろう。今回の疎開、チェルノブイリに継ぐ、世界史的デイアスポラになってしまうのだろうか?

イギリスの友人から、必要ならば、家族ぐるみの疎開を受け入れるというメールを、たった今頂いた。

2011年4月 9日 (土)

権力は、要求されない限り、何一つ譲歩しない

Chris Hedges' Columns

2011年3月14日

 

当時未決だった多数の州政府労働者から団体交渉権を剥奪する法案に反対する一連の抗議に際し、ウィスコンシン州マディソン州議会議事堂での抗議デモ参加者に演説するデイモン・テレル。先週金曜、スコット・ウォーカー知事が法案に署名し、法は発効した。

AP / Andy Manis

Chris Hedges

不寛容な連中を容認すると、一体何が起きるかを、リベラル・クラスは、今理解しつつある。憎悪発言で、放送が汚染されるにまかせておけば良い。アメリカの裁判所も、州や連邦の司法機関も、大企業に買収されてしまうにまかせておけば良い。イスラム教徒や、ペテン師どもが、ゲイや、知識人を悪魔のように見せかけ、科学への信頼を傷つけ、個人的な金儲けの道具にすべく、キリスト教という宗教を巧妙に利用するがままにしておけば良い。企業による攻撃の下、労働組合が衰えるのを放置しておけば良い。社会福祉も公教育も、財源をはぎとられるままにしておけば良い。ウォール・ストリートには、何のおとがめもなく、国庫を略奪させておけば良い。リベラルな組織を根底から揺るがせる為、低俗な詐欺師どもが、嘘と欺瞞を活用して、道義に反するおとり捜査をやるにまかせておくのは、ファシズム歓迎ドア・マットを敷いてやるのと変わらない。

リベラル・クラスは、包括性や、多文化主義や、公開論議ではなく、特定集団が影で牛耳る政治や、マーチン・ルーサー・キングが決して使わなかった言葉である「寛容」に対する骨抜きの探求に没頭するあまり、「公正」を忘れ去っていた。イデオロギー的な大企業権力が、民主国家を破壊しようと躍起になっているのを、リベラル・クラスは、無邪気にも、なだめようとしてきたのだ。アメリカのリベラル・クラスは、旧ユーゴスラビアの見当違いの民主主義者や、ワイマール共和国の哀れな特権階級の人々同様、鶏小屋に狼を招き入れてしまったのだ。カール・ポパーが“開かれた社会とその敵”で書いた通り“もしも、不寛容な連中にまで、無限に寛容的な対応をしてしまえば、不寛容な連中による猛攻撃に対し、寛容な社会を我々は守るのだという覚悟がない限りは、寛容な人々が粉砕され、それとともに寛容さも粉砕される。”ことを、リベラル・クラスは忘却していたのだ。

残虐な殴打、社宅や仕事からの大量排除、長期ストライキ、労組幹部の標的暗殺や、雇われ殺し屋ガンマンや州民兵との武力闘争を味わうことによって、この国の労働者達は、権利の代償を支払ってきた。ロックフェラー家、メロン家、カーネギー家やモルガン家は、当時のコッホ兄弟会社、ゴールドマン・サックスや、ウォルマートなのだ。連中は労働者のことなど全く気にしていなかった。彼等が気にしていたのは利益だけだった。一日8時間労働、最低賃金、社会保障、年金、仕事場の安全、有給休暇、退職金や健康保険は、何十万人もの労働者が、資本主義の搾取制度と物理的に戦ってくれたおかげで実現したのだ。彼等は“マザー”ジョーンズや、合同アメリカ炭鉱労働者組合委員長ジョン・L・ルイスや、“ビッグ”ビル・ヘイウッドや、彼の世界産業労働者組合員達や、社会主義者の大統領候補者ユージン・V. デブス等急進派の人々の下に結集していた。

ルイスは語っている。“自由人には、それを持つ資格がある権利を要求して、施し物を乞う貧弱な托鉢僧の震え声でなく、大軍の隊長の雷鳴のような怒鳴り声で、説教壇や演壇で、私は諸君の言い分を主張してきた。”

こうした権利を獲得するために戦った人々は、大変な苦難、痛み、貧困に耐え抜いた。我々中流階級の生活を可能にし、アメリカの民主主義を切り開いてくれたのは彼等だ。エリートは、暴漢や、犯罪的な民兵を雇って、ストライキ中の炭鉱夫を社宅から強制退去させたり、結成間もない労働組合に潜入させたり、組合幹部やシンパと目される人々を殺害したりした。労働者の反乱を鎮圧し、妨害する為、連邦保安官、州民兵、保安官代理、時には、軍の兵隊までもが、裁判所や立法府と並んで、繰り返し利用された。1887年、ルイジアナ州ティボドーでは、ストライキをした砂糖きび労働者達が射殺された。1892年に、ペンシルバニア州ホームステッドで、鉄鋼労働者が射殺された。1894年のプルマン・ストライキの鉄道労働者が虐殺された。1914年、コロラド州ルドローと、1920年、ウエスト・バージニア州メイトワンでは、炭鉱労働者が虐殺された。アメリカ国民の自由と権利は、彼等の勇気と血によって贖われたのだ。

体制から意図的に締め出された人々が、自らの体を危険にさらして、公正を要求したおかげで、アメリカの民主主義が生まれたのだ。貧しい人々と労働者階級を、この国の権力制度から締め出すというのは意図的なものだった。建国の父達は、民衆による民主主義を深く恐れていた。彼等は最初から、エリートが有利になるよう、制度を不正に改変していたが、それも公教育では、ひどく歪曲され、商業マスコミが、本当の歴史を、神話によって巧みに置き換えてしまった。ゴミゴミしたスラムからアメリカに逃れてきたヨーロッパの貧困層や、17世紀、18世紀の救貧院の人々は、特権階層の人々からは、利用するための商品と見なされていた。奴隷、先住アメリカ人、年季契約奉公人、女性や資産の無い男性は、憲法制定会議に代表を出せなかった。アメリカ史というものは、ハワード・ジンが“民衆のアメリカ史”で、明らかにした通り、主流から取り残された人々や、権利を剥奪された人々による、尊厳と自由を求める一つの長い戦いだ。戦った人々は資本主義本来の残酷さを理解していた。

“人は、自分の製品を販売する場合には、自分の人格を保ち続けられる”と1880年代、マサチューセッツ州ローウェルでの工場ストライキの際に刊行されたパンフレットに書かれている。“しかし、人がその労働を売る場合には、人は自分自身を売り、自由人の権利を失い、人々を奴隷にして、弾圧する連中の権利に異議を唱えるような手合いはことごとくせん滅する、と脅す金持ち上流階級の巨大な体制の奴隷となる。工場で働く人々は、新商業的封建主義で、自由と権利、文明、健康、道徳や知性を下方へと押しやりながら、民主的土壌を、君主制原理で浸食する、民間の暴君達によって支配される機械のような立場でなく、自らを所有すべきなのだ。”

ノーム・チョムスキーが指摘している通り、ローウェルの工場労働者達が表現した心情は、マルクス主義に先行していた。

“アメリカでは一時、150年前、つまり19世紀中頃、賃金労働の為に働くことは、家畜扱いの奴隷と差ほど違わないものと見なされていた”チョムスキーは、デイヴィド・バーサミアンに語っている。“それは、とりたてて変わった立場ではない。それが、北部の労働者達が、その大義の下で、南北戦争の戦いに赴いた共和党スローガンだった。我々は、家畜扱いの奴隷や、賃金奴隷に反対だ。自由な人間は、自らを他人に賃貸するようなことはしないのだ。一時的に、そうするよう強いられる可能性はあるかも知れないが、それは、自由な人物、当時風の言い方をすれば自由人となるための過程として、唯一の方法だからだ。他人の命令に従うよう強いられない時に、人は自由人となる。これは啓もう主義の理想だ。ちなみに、これはヨーロッパのラジカリズムに起因するものではない。今私たちがいる場所から数キロ、マサチューセッツ州ローウェルに、そういう労働者達がいたのだ。あの当時、そう書いているニューヨーク・タイムズの論説すら読むことができる。自分自身を賃貸することは、正当なことだという考え方を、人々の頭の中に刷り込むには長い時間がかかった。不幸なことに、今やそれが、かなり広範に受け入れられている。だから、これは圧制の内部化なのだ。賃金労働者になることは正当なことだと考えている人は皆、150年前の工場の労働者には、耐えられないと感じられたであろう形で、圧制を内部化しているのだ。これは…[アメリカ文化における洗脳の] [不幸な]成果だ。”

アメリカの消費者社会と、有名人がもてはやされる文化が、恐るべき歴史健忘症を助長してしまった。“アメリカン・ドリーム”と呼ばれる代物について、我々は特に意識もせずにぺちゃくちゃしゃべっている。寡頭支配エリートが、あらゆるレベルの権力を掌握してしまった今、ドリームなるものは悪質な捏造であることが暴露され、我々は檻の中へと押し戻されつつある。かつての我々の立場にまで押し返すのは、かなり大変なことだろう。

巧妙な広報キャンペーンと、公教育の崩壊のおかげで、アメリカ人のほぼ三分の一は、読み書きができないか、ろくに読み書きができない。リベラルのふりをしながら、大企業の金に魂を売り飛ばしたビル・クリントンやバラク・オバマのような道徳心のない政治家が台頭したおかげで、我々はほとんど無防備にされてしまった。公営企業で働く労働組合に加盟している労働者にとっての最後の痕跡も、ウィスコンシンでは、団体交渉の権利、要するに、雇用主に適正な労働条件を要求する能力を求める抗議デモにまで落ちぶれさせられた。あれは、この国が、どれほど劣化してしまったのかを示している。しかも、この基本的な権利の要求も、また組合費によって資金を集めることすら、マディソンで見事に廃止されてしまったように見える。今や唯一の希望は、より組織的で、戦闘的な、権力体制の破壊だ。

大企業支配下の情報システムによって支配されている国民的論議は、労働者階級の着実な貧困化、大企業によって、増加しつつある詐欺や虐待を防ぐための司法や監督機関の欠如を話題にしない。放送電波は、大企業を擁護する人々で飽和している。、嘲笑的に“エンタイトルメント(受給権)”と呼ばれる非組合労働者や、中流階級の人々が享受できない恩恵が、一体なぜ公営企業職員には許されるのかと、連中は我々に問う。この議論は巧妙だ。これは、クズを目指す争奪戦の中で、労働者を労働者と闘わせるためのものだ。我々に先行した人々同様に、金持ちというものが常に我々を犠牲にして自らの身を守るのだということを理解し、あからさまな階級戦争という言葉で、我々が再び語り始めるまでは、我々は21世紀の農奴制で暮らす運命にある。

かつて、漸進的、部分的変革を可能にしていた、リベラル陣営の大黒柱は崩壊してしまった。リベラルな教会は、異教徒が存在しているのを忘れている。教会は、社会にいる人間のくずども(たとえば新手のニュート・ギングリッチを御覧じろ)が、イエス・キリストの教えの核心をあざ笑うような策略を押し進めるため、常に体を国旗で覆い、キリスト教の十字架を握りしめていることを忘れている。そして、テレビ宣教師連中が、偏見、憎悪と貪欲を押し進めるため、福音書を裏切り、利用しているのを、これらリベラルな聖職者は、神学校で長年の研鑽と聖書研究をしたのに、無言のまま傍観している。聖職位の授与式に、一体どういう意味があるたのか、私にはわからない。福音書の急進的なメッセージは、それを求めて戦うべき必要は全くないものだと、彼等は思っていたのだろうか? 大企業の寄付金にひざまずき、理事会がヘッジ・ファンドや投資マネジャーに牛耳られている学校や大学は、特殊な企業の利益に役立ち、ごくつぶしの様なシステム・マネージャー階級を生み出すための、狭い職業的技能の獲得へと教育を歪曲してしまった。彼らは、学生に、道徳規準を選択することや、公民道徳の為に立ち上がったり、意味のある人生を追求したりすることに備えさせる努力をほとんどしていない。このような道徳的、倫理的疑問は、問われたことがない。人文科学部門は、海洋の魚類資源同様、急速に消滅しつつある。

大半の電子、印刷媒体の報道機関は、権力者の破廉恥な代弁人、企業広告用の引き付ける道具と成り果てている。マスコミの力無しには、その声を人々に伝えることができない人々に演壇を与えようという努力を、彼等はほとんどせずに、有名人のメルトダウンやら、贅沢なライフスタイルについての記事やゴシップやらへと、方向をそらせてしまう。NPRやニューヨーク・タイムズ等の正統報道機関は、野獣を前にして、へつらい、わびるばかり。右翼集団が“リベラル”な報道機関を嫌悪するのは、なんらかの偏向ゆえでなく、そうした報道機関の論議が検証可能な事実を中心としているからだ。検証可能な事実は、秩序立っていない怒りと憎悪につけ込むことが狙いのイデオローグにとって不都合なのだ。

かつて一家言を持っていた芸術家も、エリートの飛び領土に引きこもり、抽象的な自己に言及するガラクタ、軽薄なエンタテインメントや見せ物に夢中になっている。広告代理店と広報担当者のために働いている有名人連中は、日々ミニ・ドラマを見せ、大企業スポンサーになりかわり、放送電波を嘘で満たしてくれている。民主党は大企業の金に目が眩み、働く人々を裏切った。民主党は、国家機関が企業の利害用に引き渡されるのを許してしまった。リベラルな機関は、もはや何も残っていない。報道機関、労働、文化、公教育、教会、あるいは民主党は、大企業の絶対的な力を押しとどめる努力を全くしていない。我々しかいないのだ。

フォックス・ニュースの類のプロパガンダ報道機関から、キリスト教徒ファシスト、更には共和党から、ウォール・ストリートや大企業までにわたる、愚かな不寛容者連中を、我々は許容してしまい、今そのつけを払わされている。我々に唯一残された場所は街路だ。連邦政府と州政府の事務所を、我々は占拠しなければならない。我々はゼネストを打たなければならない。強者は、連中の強欲と犯罪行為に対する抑制が皆無となった為、夢中で金を貯め込み、せっせと我々の家を差し押さえ、労働組合の最後の残滓を破滅させ、医療経費をつりあげ、健康を損ねた人々と貧者を永久底辺層として釘付けにしている。14兆ドルの住宅資産や、給料や退職貯蓄を清算する際に、連中が犯した詐欺を、我々に償わせるべく、学校や消防士用の予算を含む、我々にとって最も不可欠かつ基本的なサービスや、子供や老人を援助するプログラムを、連中は削減している。我々に残されたものといえば、“ノー”という力だけだ。しかし、我々が十分な人数で“ノー”と言えば、我々が十分な人数で協力することを拒否すれば、暴君連中とて苦境に陥る。

“変革の哲学について、皆様に一言申し上げたい”1857年にフレデリック・ダグラスは語った。“人類進歩のあらゆる歴史が、威厳ある要求に対し、これまでになされたあらゆる譲歩は、戦いによってもたらされたことを示しています。... もし戦いがなければ、進歩は無いのです。自由を支持すると明言しながら、アジテーションをとがめる人々は、大地を耕さずに、作物を欲しがるっているのです。彼らは雷も稲妻もない雨を望んでいるのです。彼らは、多数の海域で、恐ろしい咆哮がおきない海、を望んでいるのです。戦いは道徳的なものかも知れません。あるいは、肉体的なものかもしれません。あるいは、道徳的、肉体的の両方かも知れませんが、いずれにせよ戦いには違いありません。権力は、要求されない限りは、何一つ譲歩しないのです。過去に譲歩をしたことはなく、将来も決して譲歩しないでしょう。...”

クリス・ヘッジズは、Truthdigの週刊コラム執筆者で、ネーションズ研究所・特別研究員。彼の新著は“Death of the Liberal Class”である。

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/power_concedes_nothing_without_a_demand_20110314/

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宗主国の話というより、この国そのもの!

アメリカの恐ろしい真実』という記事、当ブログで、一番アクセスが多いと思える。筆者、匿名だろうが、内容、特に驚くほどのことはないだろうと思っているので、皆様が驚かれることに、驚いている。そのまま『日本の恐ろしい真実』だと思っている。しかし、それは、偏屈メタボ男の極論だとあきらめていた。

そこに、尊敬すべき人物による、それを裏付ける、この記事。しばしば翻訳掲載している、wsws.org、つまり第四インター、社会主義者の意見と見紛うような内容だ。

属国の政界・官界・財界・学界・マスコミの腐敗・メルトダウン、実にひどいものだが、それも、宗主国の支配機構、体制まるごとの、腐敗・メルトダウンの反映に過ぎないということだろう。大本営翼賛報道部のマスコミ、出鱈目安全委員長と、元TPP推進、現原発危険・不安院スポークスマン氏の発言垂れ流し。

地方選挙、そうした垂れ流し報道を真に受けた皆様による『痴呆選挙』に終わらないことを願いたいものだ。

メルトダウン状態にある日本の支配機構に対する、諸外国による、まっとうな疑問・批判、論理的には、そうした支配機構を追認、ないしは、積極的に、支持しつづける日本国民自体、メルトダウン状態にあるという疑問・批判に、やがては至るだろう。かつて企業が海に排出した毒物で生じたミナマタ病を、大企業、政府、官庁、学界、マスコミは、隠蔽しようとした。その世界規模版「フクシマ病」?を引き起こす・起こした国民として。

「東京電力の前で抗議をしている方が、今や、じっとしている都民に対して怒っている。」という記事をどこかで、みかけた。実に、ごもっとも。

皆様には大変に申し訳ないが、小生、『国家の品格』の下記記述、ひょっとして真実なのではないか、と長い間、不安を抱いてきた。

冷徹な事実を言ってしまうと「国民は永遠に成熟しない」のです。

東京で、老害天罰男が再選されるようなことがあれば、不安が確信になってしまう。今回ほど、結果(都民の品格、国民の品格)を知るのが恐ろしい選挙、人生最初で最後だろう。とんでもない結果になれば、有権者が、将来どれほど悲惨な目にあっても、誰かに「天罰だ」と言われてしまうのだろうか?

NHK、チェルノブイリ原発事故関連の番組で、事故10年後と、20年後、素晴らしい番組を放送してくれている。そして、チェルノブイリ原発事故25年後の番組も、制作されており、4月放送の予定だった。諸般の事情で、放送は、5月に延期だという。まさか、真実の情報を知ったら、地方選挙が、痴呆選挙でなくなり、政治的sea-change(大転換)が実現してしまうのを恐れ、民主、自民という「八百長」集団が、放映を延期させたのでは、と勘繰ってしまうではないか。クリス・バズビー氏も、「放射能に対しては、sea-change(大転換)が必要です。」とおっしゃっている。それは日本の政治にこそあてはまるだろう。

原発はいらないと明言しながら、自民党や民主党や、その亜流を支持する人々は、大地を耕さずに、作物を欲しがっているのです。彼らは雷も稲妻もない雨を望んでいるのです。戦いは道徳的なものかも知れません。あるいは、肉体的なものかもしれません。あるいは、道徳的、肉体的の両方かも知れませんが、いずれにせよ戦いには違いありません。権力は、要求されない限りは、何一つ譲歩しないのです。過去に譲歩をしたことはなく、将来も決して譲歩しないでしょう。

放射能については、御用学者総出演の大本営報道テレビを一週間見るより、下記の松本市長 菅谷昭氏 2011/3/22 定例記者会見を見る方が、遥かに為になるだろう。彼は、チェルノブイリに実際に何度も出かけられ、放射能対策をしてこられた医師。

 

 

 

 

 

 

原発推進は、政府、企業、マスコミ、学界ぐるみで、強烈に推進された。決して、我々、唯々諾々と、原発を受容したわけではない。その強引な推進の実態を、内橋克人氏が語っている。35%の電気は原発製だから、お前への供給は、35%削減すると言ってくれれば、実行してくれれば、もちろん喜んで受け入れる。話の中で言及された本『原発への警鐘』も、読んだ記憶はあるが、手元にない。残念なことに絶版のようだ。講談社には、復刊をお願いしたいもの。復刊されたら、10冊程度購入し、知人に配りたい。(復刊されるというコメント頂いた。日本の原発、どこで間違えたのか 朝日新書4/20原発神話はいかに作られたか、経済評論家 内橋克人 NHKラジオ

 

 

 

 

 

 

朝まで生テレビ!、何度かみたことがあるが、強引な司会ぶりにあきれて、最近全くみていない。しかし、朝まで生テレビ!時として、素晴らしい記録を残してくれることもある。朝まで生テレビ!「原発」第2弾! No.01 1988-10-28は必見だろう。推進側、さながら殺人犯総出演。

 

 

25年前のドイツ映画『核分裂過程』、まさに住民たちの闘いによって、権力が譲歩し、ドイツ、バイエルン州ヴァッカースドルフの核燃料再処理工場建設が中止となった様子を記録したドキュメンタリー。

「安全性」にまつわる政治家の嘘、法を楯にした警察の暴力、住民運動の実体を報道しようとしない公共テレビなどを通して、住民たちが、正しくも体制不信に至る様子、さながらフクシマ以後の日本を想起させられる。

原子炉廃絶への過程を着実に進めるドイツと、大事故進行中でも、原発維持・推進をうたう政治家が多数当選する日本、25年という時間差だけによる民度の違いとは思えないことが残念。

続編である20年前の映画、「第八の戒律」は、ドイツ、フランス、イギリスの再処理工場を取り上げ、さらに核実験からスリーマイル、チェルノブイリまでを俯瞰し、原子力利用の歴史と意味を問うた作品。
登場する老哲学者が「我々は彼ら(原子力マフィア達)から攻撃を受けているのだ」と激烈な言葉をはく。3.11後の今、その言葉は一層リアル。あらゆる国の当局、御用学者のセリフ、判を押したようにソックリ。庶民が被害を受けるのも。

「耳が痛い話は聞きたくない」といくら言っても、放射能は人を選ばない。砂漠に頭を突っ込む茹で蛙日本、万歳!

2011年4月 7日 (木)

日本:我々は、どのようにすれば支援できるのか?

カーネギー財団モスクワ・センター主任研究員、リリヤ・ シェフツォワ、金曜日、2011年3月18日 15:19

私は、日曜日の3月13日に、東京に到着した。

大本の地震と津波は去っていた。原子炉問題は始まったばかりだ…

これ以上書きつらねるまい。日本で起きたことについての情報は多い。日本人の同僚、友人、元教え子達と話をし、周囲を見回してみて、最も適切なものは、モスクワで、≪コメルサント-FM≫が放送し、≪エホー(意味は、こだま)≫のブログで、日本で暮らすワシーリー・ゴロブニンや、ミハイル・スヴェトフや、他のロシア国民が書いている情報だと私は判断した。問題は情報にあるわけですらない。そうではなく、起きた物事の理解の仕方にあるのだ。

さて本題だ。

新時代に、いかなる国民も経験したことのない悲劇を味わっている日本を、私たちは、どのようにすれば支援することができるだろう。以下は、日本の友人達と話をした後、ざっとまとめてみた意見だ

1. パニックや、ヒステリーを起こしてはいけない。

大災害について泣きわめくのはもう沢山だ。どのように出来事に対応すべきか、日本人が私たちに示してくれている。ああ、世界は卓越してはいないことが分かってしまった? アンゲラ・メルケルやフランス政府から、ЕС代表に至るまで、自分達の声明で、パニックを駆り立てている。日本人にとって必要なのは、うめき声ではなく、具体的な援助だ。

2. もちろん、精神的な支援も必要だ。

ロシア国民が日本大使館の周囲に置いた花や手紙について、日本の友人達は、感謝をこめて話している。≪マシーナ・ブレーメニ(訳注:タイム・マシンのロシア語)≫が、被災者を援助する為の資金を集める目的で、3月18日に慈善コンサートを開催予定だ。ロック・グループやラッパー達が、もっと大きな広場で、共同コンサートを開催できないものだろうか?

3. 日本人は、今多くのものを必要としている。

薬、毛布、暖かい服、トイレ用品。献血。家を失った450 000人の人々が支援を必要としている。テレビ報道を私は見ている。どこかのホールのセメント床上に(学校の建物のように見えた)人々が無言で座っている! 幼児を抱いて。壁際では老人達が体をかがめている…

外では雪が降っている…

ロシアが送った8000枚の非常事態省の毛布も、極めてわずかなものだ…

日本人は対放射能用薬品やロシア人原子力専門家の支援を必要としている。大急ぎで!!

私たち市民ができる最も効果的な支援は、金銭的寄付をすることだろうと思う。

実際、既に、この災害用に募金を始めた某基金では、奇怪な事件が起きている。現在、ロシアでは、日本大使館と合意の上で、ロシア赤十字の口座番号が公開されている。更に日本赤十字(非常に評判が高い組織)の口座もあるが、 私としては放送局≪エホー≫(こだま)にも、この口座を公表するようお願いしたい。アメリカ人は日本で被災した人々の為に4900万ドル集めた。私たちは、いくら集められるだろう?

4. 物質的な寄付はできない人々にも、日本人に精神的支援をしながら、同時に、ヒステリーを止める手助けをする他の手段がある。ロシア国民から日本人に手紙を送れるサイトを立ち上げるのだ。ブログ共同体が、極東のロシア国民に、脅威の深刻さの度合い等々情報を伝えるのを手助けできるだろう。

5. 我々と日本との関係には、再認識すべきことが多々ある。

一週間前には、ロシヤは係争中の南千島を日本から守るために、ヘリコプター空母≪ミストラル≫を使用すると発表していた?!!現在、日本が、世界に対して、道徳的卓越性の手本を示しているのに、クレムリンは、とうてい威嚇政治に回帰できるまい。今や≪包囲された要塞≫で暮らす覚悟ができている、わが国民でさえ、日本人を敵とみなすことには同意できないと考えている。つまり、違う政策が必要なのだ。プーチン流の指揮と、その戦略的思考能力については、全て明らかだ。つまり、私たちには、ロシアと日本の関係について、新たな共通見解の形成が必要なのだ。

6. 私がこれからお話しすることが、いらだちを引き起こしたり、あるいは、読者の皆様に、一層強烈な感情を引き起こしたりするかも知れないことを、私は承知している。

ロシヤは、日本人との関係について、懺悔に思いをめぐらす必要がある。私たちには、日本との間にも、もう一つの≪カティン≫の悲劇があるのだ。1945年8月、ソビエト連邦は、日本に宣戦布告し(ちなみに、日本はソビエト連邦を攻撃していなかった)、およそ600,000人の日本人戦争捕虜 (彼らのほとんどが、天皇の命令で、自発的に降伏した)を抑留した。日本人は、長年にわたり(1956年まで!!)ソビエト連邦で、無給労働力となっていた。彼等は運河や道路を建設し、ウラン鉱山でも働いた。何万人もの人が亡くなった。

ちなみに、日本との間に、より複雑な歴史を有する中国ですら、日本人戦争捕虜を抑留することはしなかった。

これに加え、係争中の南千島列島における日本人の強制立ち退き問題がある。そういうわけで、日本人には、ロシア政府に対して複雑な感情を抱く理由があるのだ。だから、この問題に立ち返ること無しに、私たちは相互信頼の為の基盤を作り上げることはできない。私たちが、この問題を、共同協議対象に、できるだけ早くすればするほど良い。さしあたりは、まずは日本人自らが、そう呼んでいる、日本人≪抑留者≫が埋葬された場所を見つけるのを支援することから始めよう…

日本人を支援しながら、私たちは、自らが、思いやりの心情のみならず、普遍性の心情や、国民の品格を取り戻す手助けができるのだ。

さて、とりあえずは、これで全てだ。

続きは、おそらくは≪ノーバヤ・ガゼータ≫で後刻書くこととなるだろう。もうしばらく考える必要がある…

P.S. 更にもう一つ。

私の日本人の友人たちは、ロシア語ができるので、読者の皆様の書き込みを読むだろう。彼らの心情を傷つけてはいけない…

記事原文のurl:echo.msk.ru/blog/shevtsova/758503-echo/

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実に久しぶりに購入した週刊誌(週刊ポスト4.15)に、北方領土返還を書いた記事(先に訳してある)と、この人の名前とブログに触れた記事があったので、再びロシア語がわかる知人に、原文記事検索と翻訳をお願いした。

知人によれば、翻訳した後で、検索したところ、Obzor00Ros Blogで、既にこの記事を翻訳をしておられることに気がついたという。すごいブログがあるものだ。

折角なので、知人の翻訳を載せておく。(比較してみると、微妙に違うが、大きな違いはないようだ。)

フリーランス・ジャーナリスト上杉隆氏のインタビューは、衝撃的。必見だ。

素人の小生が、体制・マスコミ(テレビ、新聞)は、既に大本営広報部と化している、と再三書いていることが、大変残念ながら、「真実」であることがわかる。

大東亜戦争を強引に遂行して、惨めな敗戦を迎えた大日本帝国、70年?たって、同じことを繰り返している。と、上杉隆氏は語る。

フリーランス・ジャーナリストが、大本営体制にさからうと、非国民!不謹慎!デマをとばすな!ガセを流すな!と弾圧する。完全な報道管制。上杉隆氏が語る大手マスコミ記者の言動、常軌を逸している。ほとんどテロリスト。

流言蜚語・デマをふりまいているのは、フリーランス・ジャーナリストではなく、政府・大本営広報部マスコミ。日本政府、官庁は、世界の信頼をすっかり失い、海洋汚染テロ国家として、非難対象と化している。

「計画停電は、完全なプロパガンダだ。」とも上杉氏は言う。本当だろう。「私鉄ではなく、無駄な(大本営)テレビを止めろ!」と、上杉氏は提案したという。

上杉氏は、菅首相では駄目、民主党政権のみならず、政治家はことごとく、犯罪者だと、世界はみているという。(上杉氏の横には、彼が昔、その秘書をつとめていた鳩山元首相の姿が見える。)

しかし、この民主党勉強会インタビューの場にはいなくとも、原発推進政策に反対してきた政治家、皆無ではないだろう。そういう人々は、犯罪者とは言えまいと、素人は思うものだ。もちろん、自民党の政治家の大半は、犯罪者だろう。群馬県の大宰相を筆頭にして。

「端的に言って、民主党政権幹部、は殺人者。」とまで、上杉氏はおっしゃっている。全く同意する。もちろん、官庁幹部、御用学者、マスコミも同罪。

スターリン時代のソ連で、赤の広場で、「スターリンは阿呆だ!」と言った男、国家機密漏洩で逮捕された。という小話を思い出した。

『津波による原発のメルトダウンは絶対にない。(原口一博元総務大臣)』 も、必見ビデオだろう。

米軍をヨイショする今日の大本営広報A紙記事にあきれていたが、産経は、じわじわ広がる米軍への感謝を、素直に認めない沖縄の新聞は、異常だ、という記事を載せているようだ。ジェット機の轟音を訴える裁判の当日、那覇の基地上空を、これみよがしに飛ぶ戦闘機の爆音に、ひとことも触れなかった宗主国広報紙の産経になど、沖縄の新聞を非難する資格、皆無だろう。正気なのだろうか?

こういう腐敗した政権、官庁、マスコミを放置している日本人は、「牙を抜かれて」、放射能をあびながら茹でられるガエル、放射能をあびながら砂漠に頭を埋めているダチョウだ!と、未来永劫、世界中の教科書に書かれるのではないか、とメタボ中高年は恐れる。例えば、あの人物が、東京都痴爺に再選されれば。

『「みんなの意見」は案外正しい』という本があるが、今の日本の惨状『「みんなの意見」は結局間違い』だったことを如実に証明している。

制御棒の役割を果たしてくれる少数派、異端派を追放する、同調強制社会の末路。天罰などということは全くあり得ない。いわば「日本文化」そのものによる必然的人災。同調強制社会の問題を摘出する、宮本政於著『在日日本人』を今再読中。名著『お役所の掟』の続編。著者の早世がおしまれる。

そういう「日本文化」の実態を知って、なおかつ、ロシアの皆様は、有り難い発言をして下さっているのだろか?どなたか宗主国の方が、「全ての基地を無条件で返還するので、避難民の住宅にお使いください」と、真っ赤な嘘でもいいから、おっしゃっては下さらないものだろうか?と、じっと待っている。

チャルマーズ・ジョンソン氏がご存命であれば、きっとおっしゃったろう。

良い歌ができたようだ。『ずっとウソだった』

http://www.veoh.com/watch/v20903929fEBfp4MB

2011年4月 5日 (火)

ウクライナ政府、"福島"の事故処理の為にウクライナ人を派遣予定

TCH.ua

ウクライナ、3月30日, 14:08 (写真15枚)

ヤヌコーヴィッチ大統領は、"福島第一"原子力発電所の危機的状況の判断に、惨事の後始末処理に関するウクライナ人専門家を起用するよう、日本政府に提案した。

写真1."福島第一"原子力発電所の大惨事の処理部隊(AFP)

AFP

"福島第一"原子力発電所惨事の処理部隊 ウクライナは、日本に"福島第一"原子力発電所の大事故の後始末処理の為に、ウクライナ人専門家を派遣することを提案した。

ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領が、ブルネイ大学での講演時に、これについて言及した。

日本での悲劇について語りながら、ヤヌコーヴィッチ大統領は、ウクライナは、恐ろしい技術上の大惨事、チェルノブィリ原子力発電所の大事故を経験していることを指摘した。

従って、大統領によれば、このような大事故の後始末をやり遂げる上で、ウクライナには豊富な経験があるという。

彼によれば、ウクライナは、危機的状況の判断に、ウクライナ人専門家を起用するよう日本政府に提案したとのこと。

3月11日、日本で破壊的な地震が起き、それが日本の原子力発電所、特に原子炉冷却装置の故障の為、放射能漏れが起きた"福島第一"原発で、一連の火災と爆発をひき起こしている。福島第一原発から"半径30キロ"の住民は、全て避難させられている。

記事原文のurl:ru.tsn.ua/ukrayina/vlast-otpravit-ukraincev-likvidirovat-avariyu-na-fukusime.html

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研究結果を発表させない情報統制の気象庁。北朝鮮は腹をかかえて笑っているのではなかろうか。いや感動しているかも知れない。日本の役所・東大官僚は、さすが我々よりすごいと。

政府、御用学者、大本営広報部が、こぞって楽観論を垂れ流し続ける中、状況は、スリーマイル事故を越え、チェルノブイリに迫り、間もなく追い越す勢い。

宗主国軍の核処理特殊部隊投入とおっしゃっても、現実にこれほど大量の放射能を処理した経験、お持ちではなかろう。人が多数暮らす都会で、意図的に、大量に、放射能を発生させる方の経験、少なくとも二度お持ちだが。

オトモダチ作戦、大々的に宣伝されているが、そもそも莫大なみかじめ料をお支払いしている。それよりも、チェルノブイリ事故処理対策班の方々の知恵の方が役にたつのではないだろうかと素人は想像する。それで、その種記事はないものか、ロシア語を解する知人に再度お願いし、見つけたということで、翻訳もお願いした。マスコミ報道では余りみかけないので。(こうしたタダ働きのお願い、今後増えそうで申し訳ないと思っている。)福島原発の放射能、ウクライナにも到達したという記事もあるという。

なお、処理部隊と、部隊の人々のことは「リクビダートル」(英語のliquidator=清算人に相当する)というそうだ。古い露和辞典にも露露辞典にも、清算人の意味しかなかったものが、チェルノブイリ事故以後、事故処理にあたった人々もさす言葉になったそうだ。(過去のNHK番組を見ている、そのような単語が聞こえるような気がする。NHK番組、事故処理作業従事者や、ホット・スポットに住む人々が、ずっと後になって、晩発性の白血病や癌に悩む姿が印象的だ。いずれにせよ、菅政権、後世、癌政権と呼ばれることになるだろう。残念ながら、中傷ではなく、想定内の事実だろう。)

大宰相、大連立について、知恵を貸すという記事があった。

巧妙な政界メルトダウン遂行策(すなわち、自民、民主の危険な核燃料の塊を、一緒にして、臨界量を越えさせ、再臨界状態にして、日本をメルトダウンさせる策)への入れ知恵などではなく、ご自分で導入・推進された、原発の災害について、せめて、しりぬぐい策の知恵を出してもらいたいものだ。もし、あれば。

いや、ここで、災い転じて福となし、絶好の機会に、大連立ファシスト政権樹立により、憲法9条を破壊し、宗主国の不沈空母(ひどく核汚染されて、佐世保しか使えなくなってしまいそうだが)から、軍隊を宗主国の意のままに、世界中で理不尽な殺人をする為、派兵できるようにするお考えだろう。

本澤二郎氏の「日本の風景」(730)に、正に同じ見方が書かれている。

もちろん、今の対災害活動での活躍、畏敬の念で拝見している。災害救援隊として強化していただくことに異論はない。孫崎亨氏も、頼りになるのは、他国の軍隊より、自国の軍隊というような趣旨のことを言っておられる。

憲法破壊だけでなく、野菜も魚も食べられないのだから、ここはTPPで、どんどこ宗主国の牛肉や、遺伝子操作農産物を安く輸入しようということになるだろう。完璧な属国化・壊国政策。

ワカメもコンブも、今は製造が止まっている大好きなはんぺんも、アメリカ製になるのだろうか。

日本を完全メルトダウンさせる対策として、強引に原発政策を導入された遠謀深慮、さすが大宰相だけのことはある。

原子力空母、横須賀もアブナイので、佐世保に移動してしまったという。本当だろうか?もしそうであれば、横須賀基地を全て福島原発事故避難民の方々に無償で返却していただければ、本当のオトモダチであると認めるのに、やぶさかではないのだが。

普通、殺人犯と警官が、同一人物である例は、極めてまれだろう。

2011年4月 1日 (金)

放射能の危険性:原子力専門家連中を解体する

専門家連中の共通点は無知

Chris Busby

2011年3月29日

Rense.com

福島原発事故の発生以来、放射能の専門家連中が次から次と現れては、心配には及ばないだの、放射線量は非常にわずかだの、事故はチェルノブイリとは全く違う、云々と、我々に語るのを見せられ続けている。連中はテレビに出演し、連中の記事を我々は新聞やオンラインで読んでいる。幸にして、大衆の大多数は連中を信じていない。小生自身も、こうした連中と一緒に、テレビやラジオに出演している。一例は、ニューカスル大学のイアン・フェルズで、BBCニュースで、事故はチェルノブイリとは全く違う(誤り)し、放射レベルは、全く問題ない(誤り)云々と我々に語った後、主要な問題は、電気がなく、エレベーターが動かないことだ。"とのたまった。読者が、私が経験したように、エレベーターが動かないような状況"と彼はまくしたてた。"読者の皆様は、私の意図するところがお分かりだろう。" 読者の皆様は、このインタビューを、youtubeでご覧の上、ご自身で判断頂きたい。

こうした連中の共通点は、「無知」だ。大学の教授なら、話題について何か本当に知っているはずだと、お思いになるかも知れない。ところが、そうではない。登場して、もったいぶって話している、こうした専門家連中のほとんど全員、放射能と健康について、いかなる研究も、実際には行ったことがないのだ。あるいは、もし研究していたとすれば、彼等は重要な研究や、参考文献をすべて見逃しているようだ。本物の悪役で、原子力産業に深く関わっていて、小生を攻撃するために彼が立ち上げた匿名ウェブサイト"chrisbusbyexposed"では、リチャード Dと自称しているリチャード・ウェイクフォードのことは、小生、無視している。

リチャード・ウェイクフォード、マンチェスター大学教授という肩書きで、事故についてテレビで偉そうに語るのを、小生も何度か見た。ちなみに、ウェイクフォードは物理学者で、彼の博士号は、リバプール大学で、素粒子物理学で取得したものだ。だが、セラフィールドの英国核燃料会社の元主任学者だとは紹介されなかった。そうしてしまえば、視聴者に、まずいことを思い出させてしまっていたろう。初期には、別の悪役、マルコム・グリムストンが、帝国カレッジ教授という肩書きで、放射能と健康について語るのを聞かされた。グリムストンは心理学者で、科学者ではなく、しかも彼の専門は、なぜ人々が放射能を恐れ、いかにすれば人々の(感情的な)考え方を変えられるかを調べることだ。だが、彼は、科学的な訓練が不足しているので、テレビやラジオで、福島原発事故は、なぜ懸念するに及ばないのかという説明を垂れ流し続けている。放射線量は非常にわずかで、チェルノブイリとは全く違う、スリーマイル・アイランドほど深刻ではなく、事故レベルは、わずか4だ。全て、お決まりのたわごとだ。最近では、小生は彼を個人的に知っているが、放射能と健康についても何も知らないジョージ・モンビオが、ガーディアンに、この事故が、実際に、いかにして、原子力に関する彼の考え方を変えたかを書いている(これは、彼にとってのキルケゴール的瞬間なのだろうか? 頭が変になったのだろうか?)。(訳注:例えば産経ニュース「私を原発信者にさせたフクシマ」を参照。)今や彼は、放射能が実際に問題ないことを理解した(彼の新たな理解を裏付ける為、犯罪的なまでに人を惑わす図さえ作り上げている)のだから、我々は原子力を心配するべきではない。彼は、数年前、小生に、なぜ内部被曝と、外部被曝の、健康に対する影響を、同じものと考えることはできないのか教えて欲しいと頼んで来たのだから、ジョージは少なくとも良くわかっているはずだが、というよりは、しっかり教えられていたはずなのだが。私が彼の為に、話したり、書いたりしたこと(参考文献も挙げて)を、彼は無視し、新記事で、原子力エネルギー支持者として、素早く登場した。

では、ウェード・アリソンはどうだろう? ウェードは、医療物理学の専門家で、オックスフォード大学教授だ。彼は、我々にとって、愚劣な物理学者の主張の典型・具現そのものなので、彼をやっつけることにしよう。この点、彼を論破するのは実に容易なので、我々に恩恵を施してくれている。全ての主張は一つだ。愚かな物理学者? 間違いなく、物理学者というものは、愚かなのだ。数学的モデル化に対する一種の宗教的信仰によって、自ら愚かになっているのだ。かの有名なバートラッド・ラッセルの、論理実証主義者の落とし穴だ。この数学的モデル化なるもの、金属中の応力を調べたり、宇宙を覗き込んだりする(宇宙では、物質は、その90%を失うもののようだ。いわゆる"暗黒物質")かぎりは、有用かも知れないが、人間や他の生命体中のストレスを検討するには適しておらず、ゾッとするほど間違ってさえいるのだ。哲学者のメアリー・ミッジリーは、「宗教としての科学」について書いている。保健物理学者連中は僧なのだ。ウェード・アリソンがBBCに書いた記事も、小生は読んでいるが、数ヶ月前に、彼の本も読んでみている。他のあらゆる連中同様、事故を比較することから、彼は始めている。彼はこう書いている。

日本では、津波で10,000人以上の人が亡くなり、助かった人々は寒さと飢えに苦しんでいる。それなのに、マスコミは、まだ誰も死んだわけではないし、これからも、そうなりそうもない核放射線に専念している。

そこでスリーマイル・アイランドを見てみよう。あの事故では、死者は出ていない。

そして、チェルノブイリ。

2月28日に刊行された最新国連報告書は、既知の死亡者数として、緊急対策で働いた労働者の中から28人の死者が、更に、もしヨウ素錠を摂取していれば避けられていたはずの(今、日本でそうしているように)子供の甲状腺癌で15の致命的症例を確認している。

これは科学文献に対する驚異的な無知だ。アメリカのスティーブ・ウイング教授が、スリーマイル・アイランドの影響について疫学的研究を行い、結果を論文審査のある学術専門誌で発表した。訴訟は、通常、スリーマイル・アイランド汚染によってひき起こされた癌を基準にして、解決される。だがチェルノブイリを見てみよう。チェルノブイリ事故の健康への影響は大規模であり、実証可能だ。これは、ロシア、ベラルーシや、ウクライナ、アメリカ、ギリシャ、ドイツ、スウェーデン、スイスと日本で、多くの研究グループによって研究されてきた。論文審査のある科学専門誌は膨大にある。何百もの論文が、影響による、癌や他の様々な病気の増加を報告している。ロシア科学アカデミー会員で、小生の同僚のアレクセイ・ヤブロコフは、ニューヨーク科学アカデミー紀要(2009)で、これらの研究についてのレビューを発表した。2006年早々、彼と私は共に、優れた放射線科学者達のグループによる、ロシア文献のレビューを集め『チェルノブイリ、20年後』という本の中で、それを発表した。結果は、チェルノブイリの直接的な結果として、百万人以上の人々が、1986年から、2004年までの間に、亡くなっている。

ウェード・アリソンの主張に反証する、西欧における二つのチェルノブイリ研究について、手短にご紹介したい。一つ目は、リンショーピング大学のマーチン・トンデル博士と同僚による北部スウェーデンにおける癌の研究だ。トンデル博士は、放射能汚染レベルによる癌罹患率を検討し、スウェーデンがチェルノブイリによって汚染されてから、10年の間に、汚染が100キロベクレル/平方メートルである地域全てで、癌が11%増加したことを示している。福島原発汚染についての、国際原子力機関 (国際原子力機関)の公式数値は、原発から78kmまでで、200から900キロベクレル平方メートルなので、今後10年間、こうした地域に暮らす人々に対し、22%から90%までの癌増加が予想できる。言及したい、もう一つの研究は、小生自身がおこなったものだ。チェルノブイリ後、スコットランド、ギリシャ、ウエールズ、ドイツ、ベラルーシ、そしてアメリカの6ヶ国で、6つの異なるグループにより、幼児の白血病が報告されていた。増加したのは、汚染当時、子宮内にいた子供の場合だけだった。疫学上、こうした特異度は稀だ。チェルノブイリ以外の説明はありえない。白血病は、今のところ未発見の何らかのウイルスやら、核再処理場近辺における子供の白血病集団に対するお決まりの理屈の、いろいろ所から人が集まってニュータウンが作られるような場所では、免疫がなく感染しやすい乳幼児と、感染因子(例えばウイルス)を保持した人とが接触し、その結果、小児白血病が多発するという、住民混住原因説に帰することはできない。子宮中では住民混住はあり得ない。だが"放射線量" は非常に微量で、"自然バックグラウンド"より、ずっと低かった。小生は、内部被曝用の現行のリスク・モデルは誤りであるという、この明白な証拠を、2000年と2009年、論文審査がある学術専門誌、二誌に発表した。この研究結果は、実際、2001年、イギリス環境相マイケル・ミーチャーにより、新設の「内部放射体による放射線リスク調査委員会=CERRIE」を立ち上げる結果をもたらした。リチャード・ウェイクフォードは、イギリス原子燃料公社BNFLの代表として、この委員会に参加しており、"私はイギリス原子燃料公社BNFLの警察犬です。"と小生に自己紹介した。この二者の間に差異はない。

ウェードは、次に汚染の比較に向かう。

そこで、福島で放出された放射能はどのようなものだろう? チェルノブイリのものと比較して一体どうなのだろう? 測定結果の数値を見てみよう。3月22日19:00、日本のあらゆる県で、報告されている最大の数値は、一平方メートルあたり、12 キロベクレルだ(セシウムの放射性同位元素、セシウム137の場合)。

国連報告書中の、チェルノブイリ地図は、一平米あたり、3,700キロベクレルまでの率で、斜線を施された地域を示しており、37キロベクレル/平米以下の地域には、全く斜線が施されていない。荒っぽく言えば、これは、福島の放射性降下物は、チェルノブイリの1%以下であることを示唆している。

ところが、原子力産業からの独立性がさだかではない国際原子力機関そのものが、78km圏までの汚染レベルは、200から900キロベクレル/平方メートルだと報じている。そして、控えめに言っても、ウェードは、使うデータをえり好みしすぎだ。国連の「放射性物質で汚染された土地」の定義は、彼が書いている通り、37キロベクレル/平米だ、だが実際は、刊行されている全ての地図で、チェルノブイリ汚染の立ち入り禁止区域、半径30km以内は、555キロベクレル/平米以上と定義されている。これは単なる事実だ。彼は一体なぜmisled us? ちなみに、これはつまり、地表一平方メートルにつき、毎秒555,000の放射性崩壊が生じているということだ。これが有害でないと、読者は信じられるだろうか? 信じられまい。そして、読者が正しいだろう。また、違う計算も可能だ。国際原子力機関のデータが、こうした汚染レベル、つまり秒/平米あたり200,000から900,000という崩壊が、福島原発から78km以内の地域に存在していることを示している以上、汚染は、実際、チェルノブイリよりも深刻で、ウェードが言うように、チェルノブイリの1%などではないことが既に計算できる。半径78km以内で定義される地域は、チェルノブイリの立ち入り禁止区域、2827平方キロと比較して、19113平方キロ。約7倍の広さだ。

次に、健康への影響を見よう。ウェードは、いつもの愚かな物理学者の主張の大半を持ち出している。我々は皆、自然バックグラウンドに曝されており、その放射線量は、年間2ミリシーベルトで、今回の事故による放射線量は、これを大幅に越えてはいない。例えば、日本政府は、200ベクレル/リットルの放射性ヨウ素131を含む水道水を、子供たちに与えてはならないと国民に語るという、明らかな過ちを犯している。人体中には、自然状態で、50ベクレル/リットルの放射能があるのだから、200など、大した害にならない。間違えが起きたのは、国際放射線防護委員会ICRPに、年間被曝限度を1ミリシーベルトに設定するよう強いてしまった、大衆の恐怖心のせいだ。ウェードは良くわかっているのだ。彼なら、限界を100ミリシーベルトに設定することさえやってのけるだろう。彼は強靱な男だ。腰ベルトに付けた状態のまま、ピストルを発砲するような男だ。

放射線治療を受ける患者は、通常、治療中の腫瘍に近い、重要な健康な組織に対し、20,000ミリシーベルト以上の放射線量を受ける。この組織が生き延びられるのは、治療が、何日間にもわたるので、健康な細胞が、修復したり、入れ代わったりするための時間があるおかげにほかならない。教育から始まって、情報公開に至るまで、放射能に対する我々の考え方には、根本的転換が必要だ。

ところが、ウェードよ、これらの人々は大抵高齢で、普通は二つ目の腫瘍が成長する前に、いずれにせよ死んでしまうのだ。それであっても、放射線の為に、彼等は、他の癌を患うことが多いのだ。これを示す何百もの研究がある。いずれにせよ、この外部被曝は問題ではない。問題は内部被曝だ。ヨウ素131は、全身に回るわけではなく、甲状腺中と、血球にくっつくのだ。だから甲状腺癌と白血病なのだ。ストロンチウム90から、ウランに至るまで、DNAに化学的に結合する、体内放射性元素の全リストがある。こうした放射性物質は、DNAや、最後に落ち着いた組織に対し、膨大な局部的放射線量をもたらす。人体は、物理学が適用できる、一本の鉄線ではない。ウェードが用いている放射線量の概念は、内部被曝には適用できない。このことは、ICRP自身が、その刊行物中で認めている。2009年、ストックホルムにおける小生のインタビューで、CRPの元科学長官、ジャック・ヴァレンチン博士は、福島原発のような事故の結果を評価する際に、あらゆる政府が使用しているICRPのリスク・モデルは、危険であることを認め、これは使用してはならないとも発言した。このインタビューは、インターネットwww.vimeo.comでご覧頂ける。

なぜICRPモデルは危険なのだろう? それが"吸収線量"に基づいているからだ。これはジュール単位の平均放射エネルギーを、それが、その中で薄められる生体組織の質量によって、割ったものだ。一ミリシーベルトというのは、一ミリジュールのエネルギーが、一キロの組織で薄められるということだ。そういうものだから、これは、火の前で体を温めることと、赤熱した石炭を食べることを、区別できない。だが問題なのは、エネルギーの局所分布だ。一つの細胞に対する、一つの体内アルファ粒子飛跡からの放射線量は、500ミリシーベルトだ! 同じアルファ線飛跡による、全身に対する放射線量は、5 x 10-11ミリシーベルトだ。これは、つまり0.000000000005ミリシーベルトだ。しかし、遺伝子損傷を、そして究極的には癌を、ひき起こすのは、(全身ではなく)細胞に対する放射線量だ。ICRPが採用している、単位線量ごとの癌発生率は、細胞への平均線量が、全ての細胞に対して等しかった、広島での外部の強烈な高線量放射線に、ひたすら依拠している。

ウェード・アリソンが言及した、チェルノブイリ事故の影響に関する、国連や、連中の気が狂った発言は一体どうだろう? 放射能と健康に関わる国連機関が、協定当時、せっせと大気中での水爆実験をしていて、後に、現在、増加しつつある悪性腫瘍の原因となるはずの、ストロンチウムや、セシウム、ウラン、プルトニウムや他のあらゆる物質を放出していた、原子力・軍複合体に賛成して、妥協してしまったということを、人々が理解すべきなのだ。医師や疫学者達に、自分たちのお楽しみを止めさせられるのを何よりも嫌がったのだ。国際原子力機関と世界保健機関(WHO)は、1959年、この問題に関わるあらゆる研究を、WHOの医者達から取りあげ、核科学者、国際原子力機関の物理学者に引き渡すという協定に署名した。この協定は、依然として有効だ。国連機関は、チェルノブイリに関する連中の声明が正しくないことを示すいかなる科学的研究も、言及したり、引用したりしない。国連、国際原子力機関、国際放射線防護委員会ICRPが描き出す絵柄と、現実世界の間には、巨大な隙間があるのだ。だが現実世界の研究は益々進み、研究報告が科学文献の形で刊行されつつある。ところが、公衆の面倒を見る責任を負った当局のどれ一つとして、この証拠に注目しようとしていない。

ロンドンの地下鉄で、アナウンスは言う。電車とホームの隙間にご注意ください。小生が言及したウェード・アリソンや、他の専門家は、自身の為だけにも、隙間に注意すべきなのだ。この隙間が急速、かつ、猛烈に埋められつつある場所は、裁判所だ。放射能と健康に関わる40件以上の裁判で、鑑定人として、小生は仕事をしてきた。こうした裁判の中には、実験場で被曝し、癌になったとして、イギリス政府を訴えた、核実験に従事した元兵士の裁判や、職業上の被曝や、劣化ウラン兵器放射性降下物の被曝といった放射能汚染の裁判もある。しかも、こうした裁判は、全て勝訴している。すべての裁判でだ。裁判では、裁判官と陪審員がいるので、ウェード・アリソンやジョージ・モンビオの様な連中、2分と持つまい。裁判では証拠がものを言う。ほらではない。

ジョセフ・コンラッドは書いている。"あらゆる叫びが絶えた後には、真実という恐ろしい沈黙が残る。"連中の忠告、何百万人もの死者を招きかねないのだから、ウェード・アリソンや、ジョージ・モンビオのようなエセ専門家連中は、犯罪的なまでに無責任だと小生は確信している。将来いつの日か、ウェード・アリソンや、ジョージや、小生お気に入りの悪役、リチャード・ウェイクフォード(彼は本当は良くわかっているのだ)達が、裁判所で、連中の忠告に従った哀れな犠牲者の方に癌をひき起こした、科学的不誠実の責任を問われる別の裁判に、小生が専門家として関われることを願っている。連中が有罪となった暁には、連中が監獄に送られ、連中の忠告が、何ら根拠が無い数理解析システムに基づいていることを示す科学的証拠を読む時間がたっぷり与えられることを願う。

当面、大衆に誰が正しいのかを理解して頂けるようにすべく、この問題について、私と顔を突き合わせ、公開テレビ討論してくれるよう、諸氏に要請したい。現実に起きていることを見て辞任するまでは、米原子力委員会の大物だった故ジョン・ゴフマン教授の有名な言葉がある。"原子力産業は人類に戦争をしかけている。" この戦争は、今や人類が生存できるか否かを決定する大詰めに入っている。突然の核戦争のせいではなく、60年代に、あらゆる大気中実験で、放射性降下物を生物圏に放出して始まり、以来ウィンズケール、(ウラルの核惨事で有名なロシアの)キシチム、スリーマイル・アイランド、チェルノブイリ、ハンフォード、セラフィールド、ラアーグ、イラク、そして今の福島原発によって、容赦なく、継続してきた、並行する癌罹患率の増加や、人類の受胎能力の損失を伴って、現在も進行中の逐次的核戦争によって

連中と我々の間には隙間がある。エセ科学者と、連中の言うことを信じない大衆との間に。我々を、放射能汚染から守るために雇われ、給料を得ている連中と、放射能汚染の結果、死ぬ人々の間に。ほぼ間違いなく、人類史上最大の公衆衛生上の不祥事を、偉そうに語っている連中と、彼等が無視している事実との間に。

隙間には、本当にご注意頂きたい。

クリス・バズビーは、放射線リスク欧州委員会の科学委員長である。彼はアルスター大学客員教授であり、ドイツ、ブラウンシュバイクのドイツ連邦農業大学Julius Kuehn研究所客員研究員でもある。彼は英国・内部放射体による放射線リスク調査委員会CERRIEと、イギリス国防省劣化ウラン管理委員会の元メンバー。オランダに本拠を置く、子供の健康と環境に関わる政策情報ネットワークの科学・政策インターフェース・リーダーである。イギリスとウエールズで、緑の党科学技術問題スピーカーである。内部被曝の健康への影響に関し、最近のウランの遺伝毒性効果に関わる研究を含め、理論上と、疫学上との両方で、基礎研究をおこなっている。

記事原文のurl:www.rense.com/general93/decon.htm

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この方の発言、既に、日本のweb、ブログの随所で引用されている。それでも、この方の背景から、発言内容は、まゆつばとおっしゃる向きが多かろう。そうであって欲しいものだと思う。「信じられるマスコミ」というものが、日本に存在していたらと切望するものだ。しかし素人には、残念ながら、御用学者の皆様の発言より、すっと頭に入る。著者の話がうまいからではなく、話に無理がないからだろう。高木仁三郎氏や、小出裕章氏や、後藤政志氏らのお話と同じことだろう。

とんでもない御用学者諸氏の様子をみながら思い出した本がある。避難されている方々の映像をみる度に、その著書『住宅貧乏』『居住福祉』を思い浮かべる住宅問題の泰斗早川和男神戸大名誉教授による『権力に迎合する学者たち-反骨的学問のススメ』という本だ。文中に、罪深い教授・専門家を、ある教授「海賊船のボイラーマン」と評した、とある。連中は、巨大船の機関室で、懸命に釜に石炭をくべ、船を推進させる釜焚き人、その船が何であり、何処に行くのかに全く関心はないのだ。

冷却水を送れないというニュースを聞いて以来、しばらくテレビに釘付けになったが、やめた。海賊船のボイラーマン総出演の茶番番組、時間と電気の無駄でしかない。新聞もしかり。いずれも、過去の延長を是とし、その永続を勧める装置。だが、AC広告そのものが、素人ができることは「テレビを消し、多少まともになること」と語りかけてくれている。

おりしも、国営衛星放送、チャンネルが一つ減り、洗脳新聞活字は大きくなり、中味は一層薄まった。ページ数、半分にして頂いてもかまわない。家人が頼りにしている納豆・牛乳・野菜・魚の価格が載るスーパー特売のビラさえあれば。

こうした事実、マスコミによって隠蔽されたまま、様々な選挙がおこなわれる。それで、大本営広報A紙政治面に、過日掲載された佐々木中という哲学者の発言、一部を、本当にしつこく、またもや引用させていただこう。

「仕方ない空気」どう突き崩す?という題名の記事だ。

     みんな、こんな世界は嫌なんでしょう。だけど変えようがないと思い込まされている。しかしそれには全く根拠がない。自民党から民主党、次はみんなの党ですか。つまらない順繰りゲームですね。ナチスが出てくる前にもそういうゲームがあった。ゲーム盤自体をひっくり返すべき時点に来ているのに、なぜコマが進んだだけで喜んでいるのか。私たちはゲーム盤をひっくり返すこともできる。それを初めから排除しているのは人間ではない。家畜です。

     「なぜ」と問いましょう。問い続けましょう。われわれは人間なのですから。

地方選挙、日本の多くの国民に、偶然与えられた、ゲーム盤自体を、ちゃぶ台自体をひっくり返せる、日本歴史始まって以来、最初で最後の好機。

ところが、今日の大本営広報紙、地方選「質の高い議員を選ぼう」と諭してくれている。「美しい」日本ではないが、一体「質の高い」「低い」どうやって識別するのだ。選択基準、質の低い大本営広報マスコミに諭されたくはない。

「質が高いだの、低いだの悩む必要」は皆無。極めて単純な選択。別に、暴力革命や、反乱を実行するわけではない。ただの投票行動。

メルトダウン・暴走する新自由主義・属国体制をよしとするか、緊急冷却装置、制御棒といった安全装置を強化するのか、この国に、おなじみの棄民政策(今度は、政府にとって「想定外」の、ユダヤ人並の本格的ディアスポラになるだろう。ユダヤ人のディアスポラの実態は、皆聖書でしかしらないが、日本人のディアスポラは、これからリアルタイムで、世界が注目する中で進行する「トゥルーマン・ショー」)を認めるか否か、二つに一つ。ごく単純な選択だ。悩むことは無い。

判別基準、与党・野党やら、減税・増税ではない。原発を推進して来たか否か、属国化を推進して来たか否か、につきるだろう。

痴呆選挙、大多数の方は、佐々木中氏が言う、家畜であることを選択されるだろうと思っている。「それでも日本人は原発を選んだ」結果、SF映画状態、公然と進行することになる。

国産の『ゴジラ』だけではない。『猿の惑星』、グレゴリー・ペック主演『渚にて』、あるいはレイモンド・ブリッグズ原作による名作アニメ『風が吹くとき』When the Wind Blows状態、現実化が刻々と近づいている。

高木仁三郎氏の著書に『チェルノブイリ-最後の警告』(七つ森書館、1986年刊)がある。書き下ろしではなく、同時並行的に書かれた文章をまとめたものだが、「日時」を「今」に、「チェルノブイリ」を「福島原発」に変えるだけで済みそうな迫力の記述だ。書評はこちら

序章末尾(27ページ)の記述を引用しよう。

かつて西ドイツの反原発運動は「明日放射能(ラディオアクティーフ)で汚染されるより、今日立ち上がれ(アクティーフ)」という名文句を生み出したが、「その我々の土地も、今やすでに全面的にラディオアクティーフなんだ。もうこのスローガンも使えないな」電話口の向こうで、苦い声が叫んでいた。

そして、終章「終りの始まり-ウィーンにて」の一部(197-198ページ)も引用しよう。(著者、反原発の国際会議に出席するため、無理をして、はるばる出かけていた。)

ところが、今日デモをしていたら、次のようなスローガンを書いた横断幕に出会った。「放射能で死ぬ(シュテルベン)より、今日立ち上がって身を守れ(ヴェーレン)」なるほどという感じである。「明日汚染されるより」とは言えなくなったので、「明日死ぬより」となったのだ。

単に属国状態にあるだけで、充分悲しいが、更に形容詞がついて「放射能に汚染された」属国となった。悲しすぎるが、これも「日本国民の事故責任」と、宗主国や属国の支配者諸氏は言うだろう。

そこでエープリル、4月1日の話題

その1:

官房長官のみならず、先生方も、入学式・卒業式では、新年度以降、下記の旗に向かって礼をすることになった。

Newflag

歌については、出だしのみ、「プルトニウムは千代に八千代に」に変わった。

その2:

宗主国特殊部隊精鋭140名は、9/11のツイン・タワー同様、小型水素爆弾を福島第一原発の原子炉6基に装填する為、現地入りした。仕掛けが完了次第、一気に起爆、核燃料を雲散霧消させる。水爆をしかけたという報道は一切せず、公式コメントは、「原発が全て暴走してしまった」ということにする。現場に決死のジャーナリストが入っているわけもない為、永遠に機密が洩れることはない。

エープリル、4月1日の話題は以上。

ただし、あり得る話として、その3が漏れていた。実に残念なことに、とんでもない嘘とは言えないので、エープリール・フール・ネタには使えない。:

民主党と自民党の大連立。「想定内」最悪の事態。これは、まさに、破壊された原発の再臨界そのもの。

危険な分量の民主党プルトニウムと、もう一方の危険な分量の自民党プルトニウムとが合体すれば、本格的な再臨界が始まり、この自律運動・メルトダウン、もう国民には止めようがなく、全国民に、世界に、死の灰をまき散らし続けることになる。絶対に許してはならない最悪の事態だ。悲しみよ、いやファシズムよ、こんにちは。9/11ではなく、3/11を利用した、見事な挙国一致・属国ファシスト国家の完成。

属国が、世界・自国に、莫大な放射能を送り出しそうであれば、宗主国は、福島原発を小型水爆で爆破するのも辞さないかも知れないと妄想してしまう。宗主国の行動様式を冷静に考えれば、広島・長崎に、福島原発が続いて不思議はないだろう。「これで世界の不安を静めた。」と歴史書に書かれるだけ?

イスラエルは、イラクの原発を稼働前に空爆して破壊した。140人の特殊部隊といっても、敵国の原発を、極力少ない被害で、破壊する研究ならば行っているかも知れないが、商用のスリーマイル原発トラブルを、平和裡に見事に収束させたわけではないだろう。軍隊というもの、破壊が基本任務だろう。直せる可能性など皆無だろうが、冷静に考えれば、原子炉の構造を知り尽くしている、元々の原子炉製造元、アメリカのGE社の技術者、建設業者が、処理作戦の陣頭指揮をとるべきだろう。もし本当のおトモダチならば。欠陥商品を売りつけておいて、後は放置し、ミゴロシ作戦。これが自称トモダチ作戦の実態。

9/11の際、ツインタワー崩壊に伴う粉塵で、今も多数の消防士や警察官が癌に苦しんでいる。粉塵で多数の癌が発生する理由、素人には放射性物質以外に考えられないのだが、宗主国・属国政府もマスコミも、決して触れようとはしない。妄想するゆえんだ。似たような爆発が起きた場合、被曝被害、ニューヨークの一画程度では、おさまらない。

サルコジや、原子力企業アレバの女性社長が、フランスからあわてて飛んできたのも、親切心より、電力のほとんどを原発で生み出している、国家方針そのものが吹き飛んでは困るからこそ、一緒に対策をしたくて、あわてて、やって来たのだろう。原発、連中が言うとおり、安全なものでアレバ

恐ろしい話をもうひとつ。「ロシアが専門家を数人日本に派遣したのを、日本は断った」というのだ。知人からのまた聞きで、小生が、真偽を断定できる立場にはないが、残念ながら、エープリル・フールではない。

破壊の専門家であろう、米軍特殊部隊140人よりも、チェルノブイリ対策で、いまだに苦労しているロシア人専門家のアドバイスの方が、庶民にとっては有り難い結果をもたらすと、素人には思える。

Saigaiutopia_2地震や、津波、あるいは、原発災害で被害を被る皆様は、あくまでも善意の方々だ。皆様にできる範囲で、お手伝いするのも、あくまでも善意の方々だ。 今読んでいるレベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』大変に示唆に飛んでいる。(朝日.comに柄谷行人氏の書評がある。)

しかし支配者達は、善意・好意で支配しているわけではあるまい。儲かるからだろう。(そうでなくては、貧乏人にとって、理不尽な政策、全く理解不可能だ。)中曽根、小沢、小泉、菅といった有力政治家の言動に、小生、国民に対する犠牲的精神を感じたことは全くない。宗主国への奉仕精神こそ感じても。

ところで、大相撲八百長で、亡くなったり、家財を失う方々はまれだろう。原発事故をめぐる、政界、官界、財界、学界、マスコミの汚い八百長に比べればカワイイもの。

小悪をつつく暇や元気があるなら、例えば、大宰相中曽根氏直撃、原発推進論インタビューでもして頂ければ、視聴率も急激にアップすると思うが、いかがだろう?そういうものが、あるはずと想像しながら、なけなしの金をはたいて、大相撲を見に行く貧しい小生、喜んで、有料インタビュー番組に登録する。ビデオ・ニュース・ドット・コムや、岩上氏に、是非実現をお願いしたいものだ。もちろん、500円なり、1000円の月間視聴料をお支払いするのに、やぶさかではない。一月といわず、一年!

筆者が出演している番組、youtubeで、いくつか見られる。

『同時多発テロはヤラセだよ!』を書いておられる千早さんから、トラックバックを頂いて、初めて知ったのだが、同じ方の下記記事を翻訳しておられた。
2061年までに、福島から200km圏内で被爆した人の41万7,000人が癌になるとの予測

『終わりなき人体汚染-チェルノブイリ事故から10年』『汚された大地で ~チェルノブイリ20年後の真実』というNHK番組、まさに著者の主張の正しさを証明するものだろう。今後も、こういう番組を作ってもらえるなら、視聴料惜しくはない。安いもの。

チェルノブイリ周辺の人々の運命、日本人の運命の25年先を行っているだけのことに思えてくる。はるばる海外取材は不要になってしまうのだろうか?チェルノブイリ、「近うて遠きもの・遠くて近きもの」流に言えば、遠くて近きもの。官製報道・報道管制の前に、連日、再放送すべきだろう。ドイツのような、選挙結果のsea-change(大転換)のためにも。

『終わりなき人体汚染-チェルノブイリ事故から10年』

『汚された大地で ~チェルノブイリ20年後の真実』1

『汚された大地で ~チェルノブイリ20年後の真実』2

『汚された大地で ~チェルノブイリ20年後の真実』3

『汚された大地で ~チェルノブイリ20年後の真実』4

『汚された大地で ~チェルノブイリ20年後の真実』5

 

 

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