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2011年3月26日 (土)

原子力開発体制の欠陥-V・レガソフ手記

ヴァレリー・アレクセーヴィチ・レガソフ手記

 

伝統的な原子炉建設は、なぜか私にはほとんど興味がなかった。もちろん、その危険度がどれ位のものか、当時としては想像もしなかった。不安な気持ちはあったものの、それでもまだ「しっかりした人たち」がいたし、大きな企業と経験に富んだ人材が揃っていたので、かれらがまさか異常を見逃すなど、思いもよらなかった。西側の機器とわが国のそれを比較検討することによって、現存の機器に安全上の問題は沢山あるとしても、なおかつそれらは伝統的な発電所より危険は少ないという結論を出すことができた。後者は大量の発ガン物質を大気中に放出し、石炭層からは放射性物質を大気中に放出しているのである。

 

RBMK炉についていえば、原子炉関係者の間ではできの悪いものと考えられていた。できが悪いと考えられたのは、安全設備のせいではなかった。安全設備の点から見れば、それはむしろよい方に属していると判断された。

 

悪かったのは経済性、燃料の大量消費、投下資本の大きさ、その設備が⊥業的基盤をもたないことなどについてであった。これらの機器で多量の黒鉛、ジルコニウム、水が使われていることが、化学者である私には心配だった。極限的な状況で作動すべき防護システムが、私の見たところ異常なほど不十分な作りであることも気がかりだった。つまり、非常用制御棒は、センサーの一つからの信号で自動的にか、または手動でか、運転員が挿入できるだけだった。機械というものはうまく働くこともあれば、働かないこともある。運転員から独立して、機器が設置された場所の状況と無関係に作動するような、他の防護システムはなかった。私は、専門家たちが事故防護システムの変更を設計者に提案した、という噂を耳にした。その提案は拒絶はされなかったものの、その開発は遅々としたものだった。

 

私は自分が信じているが、同僚たちとは意見を異にし、したがってわれわれの間で摩擦を起こしている視点について、話しておきたいと思う。西側には、ソ連の航空機産業や、発達した工業部門における「科学指導者」や「設計者」という概念がないということである。たとえば、航空事業を発展させる戦略問題についての科学指導部が存在し得ることは認めよう。しかし、飛行機の設計についていうならば、そこには一人の主人がいなければならず、それが設計者であり、計画立案者であり、科学指導者であり、権力と責任はすべてその手中になければならない。これは私には自明のことに思えた。

 

原子力利用がはじまったばかりのときは、誰もが理性的だった。これは核物理、中性子物理など、新しい科学の分野であったため、科学指導部という概念は、機器建造の基本原理は設計者にゆだねられるということになったのだった。科学指導者はこれらの原理が物理的に正しく、物理的に安全であることに、責任をもった。一方、設計者はこれらの機器の建造が物理法則に反していないかどうかを、物理学者らと常に協議しながら、これらの原理を実現した。原子力産業が生まれたばかりのころは、これらすべてのことが実現されていたのだ。だが設計組織が成長し、かれらが独自の計算、物理部門をもつようになると、同じ一つの機器に対する二重権力(実際には、官庁内および官庁間の数多くの審議会があるので三重権力)の存在により、機器の品質に対する集団責任体制が作られた。こうした状況は今日でも見られるが、私に言わせれば、それは正しいことではない。私は依然として科学指導者機構というのは、あれこれの計画に専門的な検討を加え、そのなかからすぐれたものを選び、原子力を発展させる戦略を定める機構だと信じている。そこにこそ科学指導者の機能があるのであり、特定の性質を備えた具体的な機器を造ることに、その機能があるのではない。これらすべてのことがごちゃまぜになり、機器の品質に対する個人的責任が欠如したシステムが出現したことが、重人な無責任体制をもたらしたのであり、またチェルノブイリの経験がそのことを示したのだった。

 

N・I・ルイシコフ(ソ連首相)は、7月14日の会議の発言で、チェルノブイリ原発事故は偶然のできごとではなく、原子力発電は一定の不可避性を持ってこうした重大なできごとに向かっていたように思われる、と述べた。当時、私自身は問題をそのように定式化することはできなかったが、私はそのことばの正確さに心を打たれたものだった。私はある原発の主配管を溶接継ぎ目に沿って正しく溶接せず、溶接工が簡単に電極を取りつけて、上から軽く溶接していたケースを思い出した。大口径配管の破断、冷却水の完全喪失や炉心溶融などをともなうRBMK炉の大事故が起こったかも知れない。要員が訓練された注意深くて正確確な人だったからよかったが、運転員が見つけた孔は、顕微鏡でも見えないほどだったのだ。審理がはじまり、これは単に配管の溶接がいいかげんになされただけと説明された。書類の検査もはじまったが、そこには必要な署名がすべてそろっていた。上質の継ぎ目溶接をしたという溶接工の署名、自然には存在するわけのない継ぎ目を検査したという非破壊検査員の署名があった。すべてこれらのことは、継ぎ目をより多く溶接するという労働生産性の名においてなされたのだった。このずさんな仕事は、われわれの想像に一撃を加えた。後に多くの原発で該当箇所の検査が行なわれたが、結果はすべてのところで良好というわけではなかった。

 

しばしば重要な連絡に欠陥があったり、不良動作でRBMK型炉の配水管構造から弁がはずれたりということは、毎年のように起こっていた。訓練の必要については10年間も話されてきたし、装置状態の診断システムを作ることについては、少なくとも5年越しに議論が交わされてきたが、何一つ実行されなかった。技術者および原発の運転にかかわるその他の要員の質が、しだいに低下してきたことが想起される。原発の建設現場に行ったことのある誰もが、こんなにも重要な現場でこんなにもいいかげんな仕事がされていることに、おどろいたことだろう。すべてこれらのことは個々のエピソードとして頭の中にあったのだが、N・I・ルイシコフ(首相)が原子力発電はチェルノブイリへの道を進んでいたと述べたとき、私の眼前にこれらすべての情景が現われ、原発建設分野で起こるすべてのことに、きわめて具体的に、きわめて慣習的に対処していた私白身のいる研究所の専門家たちが、眼前に立ち現われたのだった。

 

これは私の性格の特徴に由来することだが、私はこの問題を、より注意深く研究しはじめたし、またあちこちで以前に増して積極的に、次世代の原子炉はより安全な高温ガス冷却炉または溶融塩炉でなければならないという立場を取り、そう発言するようになった。これは異常に激しい怒りを呼び、それはまったく別の事柄だとか、私は何も分かっていない人間だとか、他人の領域に口を出すだとか、ある型の原子炉を他の型と比較してはいけない、などと言われたものだ。状況はこんなにも難しかった。代替原子炉の開発も静かに進められていたし、現在の原子炉にもそれとは言わずに改善が加えられていた。

 

が、最も残念だったのは、事柄の真の状態に関する真剣な、客観的な、科学的な分析がどうしてもできないことであり、できごとのサイクル全体を組み立てて、起こり得るすべての異常を分析し、それを避ける手段を見つけることができなかったことである。チェルノブイリ事故の前夜、事態はこのように進み、しかも、原発設備の各種部品の製造を委託されている企業の数も増加していた。

 

アトムマシ(注:原子力機械製造企業、ボルゴドンスクに工場がある)の建設がはじまり、多くの若者がそこにおもむいた。工場の建設には大きな失敗をともなった。

 

自らの職業的専門性を高めるべき専門家の質には、改善すべき余地が多く残されている。このことは原発においても同様だった。

 

チェルノブイリ原発の事故処理に従事した後、私は次のような明解な結論に達していた。すなわち、チェルノブイリ事故はドラマの結末であり、数10年にわたってわが国で行なわれてきた生産施設の誤った運用の頂点に位置するものだった。もちろん、チェルノブイリで起こったできごとには、抽象的でなく、具体的な責任者がいる。われわれは今日すでに、この原子炉の防護管理システムに欠陥があり、それは、それは多くの科学者には周知のことであり、かれらはその欠陥を除去する提案をしていたことを知っている。早急に余分の仕事をすることを欲しなかった設計者は、防護管理システムの変更を急がなかった。チェルノブイリ原発で長年の間行なわれてきたのは、きわめてぞんざいに、不正確に作られた計画による実験の実施であり、実験開始前に起こり得る状況についての洗い出しもまったくなされなかった。設計者や科学的指導者の意見に対する軽視がゆきわたっていたので、すべての技術的規則を正しく遂行するために、大いに努力する必要があった。定期点検が行なわれるまで、機器や設備の状態に対する注意はまったく払われなかった。ある原発の所長が率直にこう言ったことがある。「何を心配しているんですか?原子炉なんてサモワール(ロシアの湯沸器)ですよ。火力発電所よりはるかに簡単です。経験に富んだ要員がいますし、何も起こっちゃいませんよ。」

 

事故の一連の経過を眺め、なぜあの人がああふるまい、この人はこうしたかを見てみると、罪を犯した責任者、事件のきっかけを作った人を、ただ一人に特定することはできない。なぜならばそれは両端が閉じられた鎖だからである。運転員たちは実験を必ずやりとげようとして過ちを犯した。かれらはこれを「名誉なこと」と考えていた。実験実施計画は大変質が低く、大ざっぱで、専門家の承認を得る必要があったにもかかわらず、それを得てはいなかった。私の金庫には、事故発生前夜の運転員たちの電話による会話の記録が保管されている。この記録を読んでみると、背筋が寒くなる。

 

ある運転見が別の運転員を呼び出して尋ねる。「この計画にはやるべきことが書かれているが、後から多くの部分が消されている。いったいどうしたものかね?」そうすると相手は少しばかり考えた後、「じやあ、消してあるとおりにやればいい」と答える。

 

原発のような施設における重要文書の作成水準がこれなのだ。誰かが何かを削除する。運転員は削除部分が正しいか正しくないかいずれにも解釈でき、好き勝手な行動をとることができたのだった。といって、すべての罪の重さを、運転員にかぶせてしまうことはできない。なぜなら、誰かがその計画を作成し、その中のどこかを削り、誰かがそれに署名し、そして誰かがそれに同意しなかったのだから。原発の要員が、専門家の承認を得ていない何らかの行為を、自分だけの判断でなし得るという事実そのものが、この発電所と専門家の関係における欠陥なのである。発電所に国家原子力発電安全運転監視委員会の代表が駐在していたという事実、しかし、行なわれる実験の過程にも、計画作成の経過にも立会わなかったという事実、これは単にこの発電所の履歴上の事実だけではすまなくなるのである。

 

出典:

これを語るのは私の義務」ヴァレリー・アレクセーヴィチ・レガソフ(松岡信夫・訳)

 

本稿は1988年5月20日付け『プラウダ』に掲載され、「技術と人間」1988年7月号、8月号に訳出されたものの一部を、引用させていただいた。上記のリンク先で、pdfをダウンロードできる。

 

筆者の人となりがわかるプラウダ紙まえがきも引用しておこう。

 

「ヴァレリー・アレクセーヴィチ・レガソフは『プラウダ』のためにこの手記を書いた。現代科学技術の発展、とくに原子力発電についで思いを述べてくれるようかれに依頼したのは、昨年のことだった。当時すぐに同アカデミー会員は、自分で「回想記」と名づけたこの手記にとりかかった。レガソフは常に時間に追われていたので、かれは自分の考えをテープに吹きこんだ。

 

かれの悲劇的な死の直前、われわれはかれと話をする機会があった。「残念ながらチェルノブイリについての本はまだ少ない。あの事故のあらゆる教訓はまだ分析されつくしていない」とかれは述べた。

 

われわれはレガソフ・アカデミー会員を、チェルノブイリの核の炎を最初に消しとめた人の一人と呼んで、まちがいでないと思う。私の考えでは、かれがチェルノブイリで果たした功績は、まだ正当に評価されていない。Y・トレチャコフ・アカデミー会員は、レガソフのことをこう評している。「レガソフはドン・キホーテであると同時にジャンヌ・ダルクでもあった。かれは周囲の人たちにとってなかなか厄介な、気むずかしい人物だったが、しかし、人びとはかれがいなければ人生にとって誰か近しい人を失ったような、空虚な感じをいただいたものだった」。トレチャコフはここで、レガソフと面識をもち、レガソフとともに働く幸運を得たすべての人びとの感情と思いを、表現したのである。

レガソフがなぜ死んだのか─かれは人生の盛りの時に自ら死を選んだ─その理由を理解したり、説明したりすることは困難である。われわれのすべてがこの悲劇を教訓としなければならないが、またそれは、何ものにもまして平安と安泰のうえにあぐらをかいている人たちにとって、教訓とならなければならないだろう。

 

V・グーバレフ(「プラウダ」科学部長)

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引用させて頂いた上記の文章、あの大災害直後に現場に入り、対策の陣頭指揮をした本物の学者の手記。当然ながら、大変な被曝をし、健康をひどく害したという。テレビで、しきりに安全プロパガンダをする御用学者諸氏に、彼の爪のあかを飲ませたいもの。

 

チェルノブィリ事故災害発生二周年の日、自室で縊死しているのを発見された。彼はモスクワにある有名なノヴォジェーヴィチ墓地(第10区画)に葬られている。

 

火事場泥棒の民主党政権、自民党とともに、比例区80議席削減をとうとう実行する。

 

比例区80議席削減は、天災である地震、津波に便乗した、人災の大津波。日本国民全員が、将来も永久に立ち上がれなくなる。

「大災害の今、無駄な費用を削減する」というトンデモない偽りの理由で。

 

アメリカを見ればわかる通り、二大政党制度・小選挙区制度というものは、資本の意思にそぐわない政党を完全排除する仕組み。いわば、制御棒も、冷却装置も、緊急停止装置も、安全装置を始めから全て取り除いた仕組み、暴走、メルトダウン必至の制度。今が、まさに、暴走、メルトダウン中。大本営公報部のマスコミが、制御棒の機能を果たすはずはない。

二大政党制度批判、アメリカ:一党独裁国家をお読み頂きたい。

 

体制の支配者にとってのみ、有り難い制度。自らの首を絞める人々に投票してしまう方々が大多数というのが不思議でならない。高校生の時から、一体なぜなのか悩んでいる。

 

メルトダウンし、暴走しているアメリカ政府、実際に、広島・長崎に、核爆弾を落とし、イラクも放射能物質ウランを使った兵器で汚染している。これは、『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』に、しっかり書かれている。例えば、ブログ『薔薇、または陽だまりの猫』に書評がある。(アフガニスタン、パキスタンも同様だろう。あるいはバーレンもリビヤも、そうだろう。対テロ戦争なるものが、もし本当にあるとすれば(ありえないが)「アメリカ軍に対する戦争」だろう。

 

来る選挙、原発推進・輸出立国を目指す民主党は言うに及ばず、戦後長らく、この危険極まりない原子力発電計画を推進してきた自民党も、もろともに壊滅させられるのが、論理的帰結だろう。現代日本人を、長い年月をかけて、こうして放射能食品で生きるしかないようにさせたのは、彼等だ!水、米、野菜、魚。

 

メルトダウンした日本に、今必要なのは、大量の制御棒、ホウ素、軽水役を果たす政党・運動だろう。

 

与党民主党のみならず、背後に控える諸官庁(今回は特に経産省)、財界、マスコミ、御用学者らが構築している堅固な(実質的な機能はメルトダウン・脳死状態にある)戦後植民地支配体制という原子炉に、制御棒を差し込み、ホウ素を撒き、軽水冷却水を循環させ、放射能連中を封じこめるべきなのだ。

 

民主党、自民党、あるいは、そこから核分裂のようにして飛び出した「放射性物質」のような人々全員を落選させるか、彼等を許し、一億総懺悔で、国民が測り知れない打撃をうけるか、本当の瀬戸際。

 

目先の資金ばらまきや、おいしい言葉に騙されて、2万4000年先の子孫まで、プルトニウムの危険に曝して、恥じないのだろうか。彼等による権力維持を認めれば、代々、この国民の「事故責任」といわれるだろう。

 

事実を知られて、自分たちが不利になるのを恐れ、民主党、自民党、各種選挙は、延期せずに強行したい違いない。そんな心配は及ばないのに。

 

個人的には、天罰など全く信じない。天罰をうけるべき本人がのうのうとして、再出馬するのだから。

 

今回の選挙、おそらく現代のイースター島民が、目覚め、反乱できる最後の機会だろうが、放射能のようなマスコミ報道で脳内汚染され、ゆでガエル状態にある現代のイースター島民、進んで、南北アメリカ先住民の運命を選ぶだろう。しかし、それは、クリス・ヘッジズが言う『今度は地球丸ごと道連れ』の選択だ。ヘッジズの文章を、多少もじって、流用させていただこう。

 

“マヤの王達は、庶民や次世代の幸福よりも、自分達の権威(より多くのより巨大な寺院が必要だ)やら、次の戦争での勝利(より多数の支持者が必要だ)といった、目先の関心に夢中だった。現在、我々の社会において、政治判断上で最大の権力を持った連中は、通常、社会全体にとっても、彼等自身の子供達にとっても良くない可能性がある行為を通して金を儲けている。こうした政策決定者の中には、経済産業省、東京電力幹部、多数の土地開発業者や、金持ち減税賛成論者が含まれる。”

空想やら自己欺まんを提供するのが商売のマスコミや、御用学者連中は、連中が、私たち国民を、政治的に従順することができるがゆえに、大企業や寡頭政治勢力から潤沢な資金援助を得て、勢いづいている。そして、最後には、その多くが民主党・自民党首相指名を受けようと行列しているかに見える、愚か者や精神錯乱者連中によって、我々は嬉々として崖から飛び下りさせられるだろう。

 

ところで、有名な怪獣「ゴジラ」、1954年11月3日、同年3月1日にビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに製作された“水爆大怪獣映画”だった。今度は、原発輸出に代わり、輸入品ではない純国産新ゴジラ・シリーズとして、日本文化輸出の目玉になるかも知れない。とはいえ、フィルムやDVD、日本産というだけで、輸入を拒否する方々が増えそうだ。日本発カワイイ文化、日本発コワイ文化に変わるのだろうか?

 

ベストセラーを書いた東大の先生、原発を受け入れておられたそうなので、次の御著書の題名は『それでも日本人は「原発」を選んだ』になりそうだ?

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