Chris Hedges
2011年3月7日
truthdig.com
今は堆積した泥に埋もれている、イラクのバビロンや、古代ローマ都市、ローマ帝国シリアの首都アンティオキアの、荒涼とした遺跡の中を歩いたことがある。現在は、トリポリ南東の荒涼とした流砂の中で孤立している、かつてローマ帝国で最重要な農業中心地の一つであったレプティス・マグナの大理石遺跡を訪れたこともある。夜明けに、ティカルの古代寺院に登ったことがあるが、下方では、ジャングルの木の葉をぬって、鮮やかな美しいオオハシの群れが飛び交っていた。大地の上に砕けて横たわる偉大なエジプトのファラオ、ラムセスII世像を見つめながら、ナイル川にある古代エジプトの都市ルクソール遺跡で佇んでいた際、パーシー・シェリーの詩“オジマンディアス”が頭の中を巡った
“我が名はオジマンディアス、王の中の王なり。
我が造りしものをとくと見て、神よ、絶望されよ!”
傍らには何も残らず。朽ちた巨大な廃墟の辺り一面
広大で、何も無い、平らな砂漠が遥か広がるばかり。
文明は、勃興し、堕落し、死滅する。時間というものは、古代ギリシャ人達が論じていた通り、個人にとっても、国家にとっても、循環的だ。社会がより複雑になると、社会は必然的に一層不安定となる。社会は益々脆弱になる。そして、社会が崩壊し始めると、おびえて、混乱した国民は、現実から奇妙な逃避をして、自明の脆弱さや、迫り来る崩壊を認めることができなくなってしまう。終末時のエリートは、現実とは関連のない言葉や専門用語で話すようになる。彼等は、ベルサイユや、紫禁城の宮殿なり、あるいは現代の宮殿のような私有地なり、隔離された屋敷に逃避する。エリートは、歯止めの利かない快楽主義や膨大な富の蓄積と浪費にふけるのだ。益々激化する獰猛さで、抑圧されている大衆の苦悩などに、連中は耳を貸さない。資源は一層容赦なく、枯渇するまで使い尽くされる。そして、最後に、空洞化した殿堂が崩壊する。ローマ帝国もシュメール帝国もこうして滅びた。マヤのエリート達は、森林を伐採し、川を沈泥や酸で汚染した後、未開状態に後退し、逃避した。
食糧と水の不足が世界中に広がり、中東、アフリカ、ヨーロッパで、悪化する貧困と窮状が街頭抗議デモをひき起こす中、エリートはあらゆるエリートが行うことを実行している。連中はさらなる戦争をしかけ、自分たちの為により巨大なモニュメントを建造し、自国民をどっぷり借金漬けにし、こうしたすべてが崩壊する中、連中は労働者と貧乏人に背負わせ、八つ当たりするのだ。40兆ドルという膨大な富を消滅させた、世界経済の崩壊は、アメリカのエリート達が、アメリカの製造基盤を破壊し、莫大な量の詐欺的な不動産担保証券を、年金基金、個人投資家、銀行、大学、国や外国政府や株主に売りつけた後でひき起こされた。エリート連中は、彼等の損失補填の為に、投機を再開しようとして、国庫を略奪した。連中はまた、緊縮財政という名目で、基本的な社会福祉を取り壊し始め、労働組合最後の痕跡も破壊に着手し、仕事の口を大幅に削減し、賃金を凍結し、何百万人もの人々を家から追い出し、失業者やパート雇用者という永久底辺層を生み出しながら拱手傍観している。
最後には、マヤのエリートは、人類学者のロナルド・ライトが“A Short History of Progress(「進歩小史」)”で書いているように“… 過激派や超保守派となり、自然と人類から、利益の最後の一滴を搾り取った。”我々自身の文明を含め、全ての文明は、このようにして、硬化し、死ぬのだ。差し迫った死の印は否定すべくもなさそうだ。常識が、新たな根本的対応を強く要求しても良いはずだ。しかし、自滅へと向かう競争は、知的、道徳的麻痺のおかげで、加速するばかり。ジークムント・フロイトが、“快楽原則の彼岸”や“文明への不満”で洞察した通り、人間社会は、性的満足の探求に夢中になり、目がくらんだまま、死と破壊へとまっしぐらだ。
中東での騒乱、アイルランドやギリシャ等の国々における国家経済の内部崩壊、アメリカ国内で、つのりつつある怒り、困窮する国外の労働者階級、必死の移住が増加していること、生命がそれに依存している生態系を、容赦ない破壊を人間が止めようとしないこと等は、アメリカ自体の崩壊と、アメリカのエリートの馬鹿さ加減と、グローバリゼーションの愚かさによる結果の兆しだ。不可避の事態を、未然に防げるのは、帝国と法人国家の迅速な廃絶を含む、アメリカ社会の完全な再構築を中心に築かれた抗議活動しかない。より良い条件を求めて交渉するのではなく、アメリカの腐敗したエリートを権力の座から排除することを目指す、新たな、何者をも恐れない根本的変革主義の誕生によってのみ、我々は救われるだろう。
グローバル経済は、人間の強欲さを見抜ける市場が、人々の行動を決定すべきであり、経済は永遠に拡大が可能なのだという、誤った信念の上に構築されている。膨大な二酸化炭素を放出しても、深刻な影響をひき起こすことなしに、生態系をボロボロにし続けることが可能だという想定の下でこそ、グローバリズムは機能する。そして、グローバルな経済拡大のエンジンは、豊富で安い石油が常に存在するという保証に基づいている。人間の本性や自然界に関する単純な真実に直面することができないエリートが、新たな社会的、経済的、政治的パラダイムをまとめることなど不可能だ。彼等は、死につつあるシステムを永続させようとつとめているに過ぎない。
グローバリゼーションというのは、金儲けの為に、国民を奴隷に、自然界を荒廃地に変える為に、過去のエリート達が使ってきた、古代イデオロギーの現代版表現なのだ。こうしたエリート連中にとって、神聖なものなど皆無なのだ。人類も自然界も、枯渇するか、崩壊するまで搾取されるのだ。エリートは、公益を守ろうという素振りさえ見せない。グローバリゼーションというのは、要するに、理性的思考の敗北であり、人道主義の死だ。自滅に向かう行進は、既に海洋の大型魚類の90パーセントを滅ぼし、地球の肺ともいうべき、成長した熱帯林の半分を壊滅させた。この勢いで行くと、2030年までには、地球の熱帯林は、わずか10パーセントしか残らない。汚染した水によって、地球上で、毎日25,000人が亡くなり、栄養不良によって、毎年約2000万人の子供が健康を損なっている。空気中の二酸化炭素は、現在、350 ppmを越えており、大半の気候学者は、これは我々が知っている生命を維持するための最大レベルだと警告している。[編者注: 上記の文章は、記事がここに初めて発表された後、改訂されている。] 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、2100年までに、測定値が、541から970 ppmにまで至る可能性があると推測している。現時点で、地球の膨大な部分が、人口過剰、干ばつ、土壌の浸食、異常な暴風、穀物の大凶作や、海面上昇に悩まされており、人類の生存には適さなくなるだろう。
ジャレド・ダイアモンドは、エッセイ“最後のアメリカ人”で、エルナンド・コルテスが、ユカタン半島に到着した頃には、数百万人のマヤ臣民が消滅していたと書いている。
“一体なぜか”ダイアモンドは書いている“王侯貴族は、こうした問題に気がつかず、解決しなかったのだろうか? 一つの主要な理由は、自分たちが金持ちになること、戦争をしかけること、モニュメントの建造、お互いの競い合い、そして、こうした活動支える為、農民から充分な食糧を取り立てること、といった短期的な関心事に彼等の注意が明らかに集中していたことだ。”
“石油を汲み出し、木を切り倒し、魚を捕ることは、それで金や権威が得られるエリートにとっては利益になっても、長期的には、(エリートの師弟を含めた) 社会全体にとっては良くないのだ”ダイアモンドは更に続ける。“マヤの王達は、庶民や次世代の幸福よりも、自分達の権威(より多くのより巨大な寺院が必要だ)やら、次の戦争での勝利(より多数の支持者が必要だ)といった、目先の関心に夢中だった。現在、我々の社会において、政治判断上で最大の権力を持った連中は、通常、社会全体にとっても、彼等自身の子供達にとっても良くない可能性がある行為を通して金を儲けている。こうした政策決定者の中には、エンロン社幹部、多数の地開発業者や、金持ち減税論賛成論者が含まれる。”
イースター島も全く同じだった。五世紀、166平方キロの島に初めて住民達が定住した際には、豊富な淡水と樫の大きさにまで成長するチリ・ヤシが生い茂る森林があった。魚、アザラシ、イルカやカメなどの水産物や、巣をつくる海鳥も豊富だった。貴族、僧侶と庶民という精巧なカースト制度でわかれていた、イースター島の社会は、5あるいは6世紀の間に人口は約10,000人に膨れ上がった。天然資源はむさぼり尽くされ、消滅し始めた。
“作物栽培のための森林伐採によって、人口は増大することになったものの、土壌浸食と、肥沃度の低下を招いた”と、ポール・バーンと、ジョン・フレンリーが“イースター島、地球島”の中で書いている。“次第により広大な土地を切り開かねばならなくなった。高木も低木も、カヌー造り、薪、家造りや、像の運搬と建立に必要な材木とロープ用に切り倒されることになった。ヤシ果実は食糧にされ、ヤシ再生は低減した。食料として持ち込まれたネズミも、ヤシ果実を餌に、急速に繁殖し、ヤシの再生を完全に妨げた。豊富な海鳥資源の乱獲により、沖合の小島を除き、海鳥資源は完全な絶滅に至ったろう。卵を食べることによって、ネズミがこの過程を助長した可能性もある。漁業、海鳥やネズミによって実現された豊富な食糧が、最初の急速な人口増大を促進した。無制限な人口増大によって、後に土地取得への圧力が高まり、紛争を、そして最終的には戦争を招いた。材木とロープがもはや得られなくなると、それ以上の像を彫刻するのは無意味となった。住民達の要求に応えてくれるはずの巨像信仰の効能に対する幻滅によって、この狂信的な宗教を放棄するに至った可能性もある。不十分なカヌーのため、漁業は沿岸と岸辺の海に限定され、タンパク質の供給は更に乏しくなった。その結果として、大飢饉、戦争や、経済全体の崩壊、著しい人口減少となったのだろう。”
イースター島文明の後期には、各部族は益々巨大な切り出した石像を建立して、先祖を讃える為に競争したが、それは島の材木、ロープや人的資源の最後の残りを必要とするものだった。1400年までに森は消失した。土壌は浸食され、海へと流された。島民達は古い材木を巡って争いはじめ、飼い犬を、そして間もなく、巣を作る鳥を、全て食い尽くすまでに落ちぶれた。
自暴自棄になった島民達は、建立した石の神々モアイには生命がやどり、自分たちを災厄から救ってくれるのだという信仰体系を作り上げた。こうした呪術への最後の逃避は、最終局面に陥ったあらゆる社会の特徴だ。これは、制御不能と絶望と無力さに対する、死に物狂いの反応なのだ。こうした呪術への絶望的な逃避から、チェロキー族の亡霊の踊り、ペルーでの、スペイン人侵略者に対する、絶望的なタキ・オンコイの反乱や、1530年代のアステカ族の予言がもたらされた。文明は、最期の瞬間には、受け入れるには余りに暗くなってしまった現実を前にして、現実からの完全な断絶を信奉する。
聖書には書かれていない携挙、つまり、この世の終わりに、キリストが天から再臨する際、キリスト教徒は不死の体となり、裸で天へと浮揚しキリストに会うという福音派キリスト教徒による信仰は、地球温暖化や、進化論を否定することを可能にする、正しい人々は全員救われるという不条理な考え方同様に、空想的だ。道徳的に中立で、人類の熱望に役立つ科学技術が、世界を丸ごと造りなおしてくれるのだという信念も、同様に妄想的だ。世俗面でも、宗教においても、こうした呪術思考に我々は祈りをささげている。
我々は、過去の欠点から何とかまぬかれているだろうと考えている。我々は、先人たちよりもより賢明で、偉大だと確信している。我々は必ずや救済されるのだと、我々は素朴にも信じている。特に、事態が悪化する中で、こうした偽りの希望を提供する連中は、我々からの、お世辞や称賛を享受する。アメリカ合州国に暮らす、世界人口のわずか5パーセントの我々が、世界のエネルギーの25パーセントを浪費する消費水準を維持するという権利など神から授かってはいないのだと、もしも誰かが言おうとすれば、アメリカ人は激怒する。そのような消費は恐らく良くないことだろうと、ジミー・カーター大統領が提言した所、彼は全国的なあざけりの的になった。事態が悪化すればするほど、人は架空の明るい話を一層欲しがるのだ。空想やら自己欺まんを提供するのが商売の連中は、連中が私たち国民を、政治的に従順することができるゆえに、大企業や寡頭政治勢力から潤沢な資金援助を得て、勢いづいている。そして、最後には、その多くが共和党大統領指名を受けようと行列しているかに見える愚か者や精神錯乱者連中によって、我々は崖から嬉々として飛び下りさせられるだろう。
“ちっぽけな孤島における300年前の出来事が、世界全体に対して、何らかの意義があるのだろうか?”バーンとフレンリーは問うている。“我々は、あると考えている。イースター島は、地球全体のモデルとなる小宇宙だったと我々は考えている。地球同様、イースター島は、孤立したシステムだった。島の住民は、他の全ての土地は海面下に沈んでしまっていて、自分たちが地球上で唯一の生存者だと信じていたのだ。無制限の人口増加、資源の浪費、環境破壊と、将来面倒を見てくれるはずだという自分達の宗教への限りない確信を許容するという実験を、私達の為に彼等が行ってくれたのだ。その結果、生態学的災害から、集団的消滅に至ったのだ。... この実験を大規模で繰り返す必要があるだろうか? 我々は、ヘンリー・フォードの様にひねくれて、‘歴史などたわごとだ’と言うしかないのだろうか? イースター島史の教訓に学び、その教訓を我々が暮らす地球島に適用する方がより賢明ではなかろうか?”
こうした搾取と崩壊のサイクルを繰り返すべく、人類はのろわれているもののようだ。そして、荒廃の程度がひどくなればなるほど、周囲で一体何が起きているのかを、益々理解できなくなってゆくのだ。人間の愚行と、人間の傲慢さの産物が、地球上に散乱する。この瞬間が、およそ5,000年前に始まった定住文明生活という、この惨めなだしもの自体の大団円のように見えるのだが、生物の種として、我々は、我々自身も、社会も、絶滅に向かって、駆り立てるよう運命づけられているもののようだ。地球上には、もはや奪うべきものは何も残されていない。森林、化石燃料、空気や水を含む、自然資本の、最後の残物を、我々は今食いつぶしている。
今度我々が滅亡する際は、地球規模になるだろう。略奪できる新たな土地はもはや存在せず、搾取すべき新たな人々も存在しない。時間と空間の制限を消しさった技術が、この地球村を地球規模の死を招く落とし穴へと変えたのだ。イースター島の運命は、地球という巨大な規模で示されることになろう。
クリス・ヘッジズは、Truthdigの週刊コラム執筆者で、ネーションズ研究所・特別研究員。彼の新著は“Death of the Liberal Class”である。
記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/this_time_were_taking_the_whole_planet_with_us_20110307/
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まるで、今の日本・世界のために書かれたように思える記事。文明が終焉する時には、あやしい呪術への逃避が流行する?
驚くべき事実。南三陸町ホームページに、なんと上のモアイ像写真がある。 (2021/3/11 リンクは切れている。)(暗い部分を明るく加工した)この町の橋のたもとに、モアイ像のレプリカが建てられているという。解説の一部を引用させていただこう。
この像は、イースター島にあるモアイ像のレプリカで、本物のモアイと同じ種類のチリ共和国本土の石から、現地の石工が製作し平成3年7月に設置したものです。
当地方は、昭和35年5月に発生したチリ地震津波で大きな被害を受けました。この地震津波で被災し、復興を遂げた両国の友好のしるしとして、平成2年に当時の駐日チリ共和国大使が来町して町に「友好のメッセージ」を贈りました。これがきっかけで、交流が始まり、モアイ像は平成3年7月に復興と友好の、そして防災のシンボルとして設置されました。
昨年秋(2010/10)に書かれた下記の新聞記事もある。(これも2021/3/11時点でリンクは切れている。)
南三陸モアイ化計画 高校生が町のキャラ目指し奮闘中
日本中に林立する原発がモアイ像の役割を演じ、ひたすら原子力教を奉じ続けるこの日本、現代版イースター島と化しているようだ。イースター島史、これまで、学者が調査し、本にして、知らせるしか方法がなかった為に、貴重な教訓、なかなか広まらない。今回、貴重な教訓は、世界にリアルタイムで報じられる。人間モルモット。
新刊“Death of the Liberal Class”素晴らしい本だが翻訳は出るまい。お笑いテレビ番組視聴者の皆様、たとえ翻訳が出ても購入されるまい。預言者郷里に容れられず。
地震予知でなく、大地震があっても、耐えられるような都市造りにこそ力を注ぐよう主張してこられた地震学者の石橋克彦氏も郷里に容れられない方のようだ。テレビに全く登場されない。テレビ、現代の呪術布教装置なのだから。『原子炉時限爆弾』(2010/8)を書かれた広瀬隆氏も同様だ。
W大名誉教授(実はテレビ・タレントではと想像する)が『原子炉時限爆弾』について、読者からの質問に答える形で下記のように書いている。
2010年11月30日 (火)
【原発は時限爆弾?】
大地震のとき原発は暴走して、原子爆弾の爆発となって大惨事をもたらす、という本ですね。
本当かどうか、私には分かりません。手元にスーパーコンピューターもなければ、原発炉心のソフトもないからです。
それにしてもこの本の作者、広瀬隆という人は何者なのでしょうか。
このような結論は、放射線物理の専門家である私でもまったく分からないのに、この人は『本を書けるほど』分かっているのです。多分、東大や京大の原子力工学、原子核工学関連の学科の大学院博士課程を卒業、その後専門の原子炉設計のシミュレーションをやっている人かしら?
そうでなければ、こんな本は書けないからです。
さて、本当は広瀬隆とは何者なのでしょうか?
噂ではどこぞの大学(?)の理工応用化学出身、しかも原子力工学大学院とは無縁らしいのです。これは驚きですね。
まったくの素人が携帯電話の電磁波の強度と人体、とくに生殖細胞への悪影響をシミュレーションして警告した、という笑い話を思い出しました。
この東大卒・早稲田大学名誉教授と、そうした学問的背景の無い広瀬氏、どちらが庶民にとって重要な発言・行動をしているだろう?学歴肩書の問題ではない。シミュレーション用スーパーコンピューターを使えるか否かではない。某大手オンライン通販サイトにも、「原子力を専攻した自分からみると、広瀬氏の本は間違いだらけ」という趣旨の書評がある。そんな書評をする暇があるなら、現場で率先対応をお願いしたい。(「テレビ出演している人々は、すべからく幇間」という確信、この数日、強まるばかり。幇間は、大スポンサーの悪口、口が裂けても言えない。それはアメリカも同じだ。アメリカのマスコミ: 意見を売って、ニュースと呼ぶ)ただの幇間という表現ですむのか、詐欺などの犯罪にはあたらないのか、画面の彼等に向かって声を出してののしりながら、不思議に思って見ている。
都痴事の暴言には驚かないが、米倉弘昌日本経団連会長の「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」発言にはびっくり。そういう人が財界トップであることが、日本の財界が正気でないことの証明でないことを期待したい。もし、できるのなら。一体どこが、千年に1度なのか?どこが「想定外」なのか。この不埒な連中の頭脳構造こそ、「想定外」。天罰があるのなら、こういう人々に下るはずだろうに。
大震災、死亡・不明2万1千人に 「明治三陸」と同規模という記事がある。(これも、2021/3/11時点でリンクは切れている。)
東日本大震災の死者・行方不明者は21日、午後11時現在の警察庁まとめで2万1469人となり、明治以降、国内最悪の津波被害とされる1896年の明治三陸地震(死者数2万1959人)とほぼ同数となった。明治三陸地震では、高さ約38・2メートルの津波が確認されている。
災害対策を口実にしたインチキ連立政権と、TPP加盟で、日本という国家は究極のメルトダウンに突入する。日本には生まれたくなかった、と改めて思う。
広瀬氏の『原子炉時限爆弾』書店から姿を消した。情報統制でなく完売品切れ重版中だ、と愛読者は思いたい。
尊敬する反原発運動の先駆者、高木仁三郎氏(残念ながら2000年に亡くなられた)の遺作に岩波新書『原発事故はなぜくりかえすのか』2000/12刊がある。残念なことに店頭では品切れ。岩波webでは重版中とある。『原発事故はなぜくりかえすのか』いたる所、示唆に満ちている。特に第5章「自己検証のなさ」。物事をあいまいにしたままにはせずに、徹底的に究明し、自己検証しなければ、進歩はないはずだ。しかし、JOCの臨界事故の際も、うやむやのままに終わっている。高木氏が、ある委員会に入ると、結論がどこに落ち着くかわからないから、その委員会には誘えない、と役人は彼に言ってきたという。(同書133ページ。)結論を内包した委員会、アカウンタビリティー、寄せ集めの技術、と高木氏の、もっともな指摘が続く。見識ある専門家達による真摯な論議の上で、わかりやすく、責任を引き受けて、行われるものでなければ、まともな科学技術政策になることはあり得ない。こうなると、「自己検証のなさ」、日本が誇るべき民族的特性と思えてくる。次の6章「隠蔽から改ざんへ」は、もう大企業と国家ぐるみの原発犯罪見本市。読みながら、頭に血が上り、脈が早くなる。本書を読むと、日本人、実は人類の為、自発的に現代のイースター島民になろうとしている偉大な国民であることがわかる。
高木氏の新書『市民科学者として生きる』1999年刊なら、購入可能だろう。福島第一原発三号炉での使用で、深刻な問題になっている、プルトニウムを含むMOX燃料問題、彼は明確に指摘している。
猛毒のプルトニウム、半減期は2万4000年。人類滅亡後も、毒性は消えない。
すべて「想定外」を言い募る幇間連中による、常識では想定内の人災。
昨日のNHK国営放送、IAEA天野事務局長の急な訪日の様子を報道していた。日本へ向かう暗い機内の事務局長の様子が映し出される。読書灯をつけ、下線を引いた英字新聞を読んでいる。彼は記者に向かって言う。「out of controlと書いてありますが、言い過ぎです。」(ビデオにとっていないので、この部分小生の記憶による。正確な文章をご存じの方がおられたら、ご教示頂きたい。)この放送だけ見ても、IAEAと、NHKの出鱈目さ、インチキさ、普通の方ならわかるだろう。いずれも、基本的には、信じてはいけない組織だと。
現時点で、ようやく、どれか原子炉に電源配線がつながり、中央制御室か卓の一部機能が回復したと報道されている。IAEAトップが英字新聞を読んでいた時点では、すべての中央制御室が機能していなかった。普通に考えればそれは「制御不能」という。制御不能を英語でout of controlと言う。「そうでない」というトップか、NHK放送局のいずれか、あるいは両者の、制御機構が制御不能であることを意味するのではないかと素人は懸念する。素人の懸念、間違いであって欲しいものだ。「お前の高校英語レベルでの解釈は全く間違っている」と具体的に、指摘頂ければ嬉しい。
英語という話題で言えば、経済財政政策担当大臣の与謝野馨という人、中曽根康弘の紹介で日本原子力発電に入社、会社の命により、民社党の核拡散防止条約に関する訪欧調査団に原子力の専門家・通訳として同行、スイス、イギリス、イタリア、ドイツなどを訪問した。とWikipediaにある。いやがる日本のメーカー、学者を押さえ込み、強引に、突然に、原発導入を決めたのは、まさに中曽根康弘なのだ。決して、日本のメーカーが導入したがったのではない。逆に、アメリカ政府やアメリカメーカーが輸出したがった可能性は想像できる。もろちん、福島第一原発一号炉は、ゼネラル・エレクトリック製。アメリカ製品の輸入ということでは、ロッキード疑惑に倒れた田中首相を思い出す。この青年将校政治家、そうした不祥事での失脚もせず、生き延びている。この国では、人類の大災厄をもたらすかも知れない政策を進めると、有り難いことに、位階従六位、大勲位が頂ける。頭がくらくらする不思議なこの国の道徳律。シェークスピアのマクベス、魔女のセリフにもあるではないか。
「きれいはきたない、きたないはきれい。闇と汚れの中を飛ぼう。」
五十嵐仁の転成仁語 3月22日(火)原子力発電を推進した元凶としての中曽根康弘と正力松太郎 [災害]で、より具体的な情報がわかる。
国営放送には、緊急、中曽根インタビューを要求したいものだ。
先行する大事故から得られた、良い教訓を引用しておこう。
チェルノブイリ事故とスリーマイル事故からの教訓
(1) 事故は思いがけないことから起こり、予想外の経過をたどる。
(2) フェイルセーフ、フールプルーフはあり得ない。
(3) 事故の際の現場担当者は、信じられないほど楽観的である。
(4) 事故の通報は遅れる。
(5) 関係者はあらゆる手を尽くして事故を秘密にする。
(6) 事故の影響は過少評価される。
(7) 経済性のためには、少々の安全は犠牲にされる。
(8) 被害者は、因果関係がはっきりしないのをいいことに切り捨てられる。
出典:「原発事故 その時あなたは」瀬尾健著 風媒社 88-94ページ (著者の遺稿を、小出裕章氏が尽力されて、1995年刊行した本)
10年後か20年後、今回の放射性物質で癌になっても、体内に入った放射性物質に「福島第一原発3号炉発」と書かれていて、証拠が残るわけではないのだから、切り捨ては容易だろう。
官房長官も御用学者も、嘘をいっているわけではないだろう。
「今すぐ健康に害があるわけではない」は、言い換えれば、例えば
「15年後に健康に害がないと断定しているわけではない」とも解釈できるだろう。何がおきても、その時点では証拠皆無だから、彼等は問責されない。
今年は、奇しくも、チェルノブイリ25周年。
事故当時、「にがよもぎ」というのは、ロシア語では、チェルノブイリで、ヨハネの黙示録8章で予言されていたという話がまことしやかに広まった。あの頃、気になって調べて見たが、ロシア語聖書には、チェルノブイリでなく、別名のパルイニとして出ていると、ロシア語を解する知人は言っていた。また、ウクライナ語聖書での表記も、ロシア語と同じパルイニだそうだ。「チェルノブイリ」という単語そのものが、聖書の下記文章中にあるわけではない。
10.第3の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の3分の1とその水源に落ちた。11.この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の3分の1は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。
「こうした呪術思考」全く関心ないので、ここで止めておこう。
高木仁三郎氏等が事故翌年(1987)出版された『われらチェルノブイリの虜囚』が手元にある。58ページに、当時の原発業界幹部の言動が紹介されている。読むに耐えない。今テレビで、平然と?語られている水素爆発については、当時の幹部の一人「水素問題は哲学論争に近い」とにべもない発言をしている。つまり、当時、日本での水素爆発、全く想定外であり、対策は用意されていないかったということだろう。現状は想定内か?想定内の事故だとしても、そのわりに、いくら素人目で見ても、対応は後手ばかり。
終章は水戸厳教授(故人)によるシミュレーション・レポート もし東海原発が暴走したら。
現在の福島原発、当時の東海原発より、東京からは遠いが、出力は遥かに高い。しかも、猛烈に毒性が高いプルトニウムを含むMOX燃料が福島第一原発三号炉に存在している。日本の為政者がプルトニウムを隠すため、意図的に造語した「プルサーマル」なる悪魔の核物質使用・製造システム(「流言蜚語」源になるつもりはないので、内容にはあえて触れない。プルサーマル、プルトニウム、MOX燃料、飛散のシミュレーション等、ご面倒でも、各自お調べ願いたい。たとえば最寄りの書店、あるいは図書館で、お金か時間を費やして。政府もマスコミもプルトニウムについては報道管制体制なので。)
念の為、この1987年の「あとがき」の一部を引用させて頂く。2011年迄には、24年もあった。担当各位におかれては、その気さえあれば、本格的対策、実施できていた可能性もあったろう。最善の対策は、もちろん、稼働中の原子炉の停止、廃炉、解体。そして、原子力推進政策の放棄。「経済が縮小する。国民が貧しくなる」としても、今の大惨事よりは、ましだったろう。それでも、中曽根を含む、原発推進論者にとって、なぜか全て「想定外」だ。
チェルノブイリ原発事故から早や一年。世界中を恐怖の底に突き落とした同事故も、もはやほとんど世間の口の端に上らなくなり、マスコミ報道からも、時たまの外電を除いて「チェルノブイリ」はすっかり影をひそめた。
だが、本書の中でも指摘されている通り、事故の影響はいまだに進行中であり、放出された放射能は、今後数十年間にわたって世界の人々を苦しめ続ける。チェルノブイリに終わりはないのである。
原発の危険性、一たび大規模原子炉災害が発生した場合の悲惨さについては、これまで幾多の科学者、専門家が口すっぱく指摘し、警鐘を乱打してきた。にもかかわらず、推進体制側は、「人が死ぬような原発事故は百万炉年(注、一基の原発が百万年間稼働した場合を仮定)に一度しか起こらない」とする、いわゆるラスムッセン報告などをもち出して安全PRにこれ努め、原発推進に血道をあげてきた。
そしてTMIからわずか七年後にチェルノブイリが起こった。
ラスムッセンの確率論的安全論が、まやかし以外の何物でもなく、原発が、地球上の全生物にとって危険極まりない悪魔の産物であることは、もはや誰の目にも明らかである。
が、周知のごとく日本では、この全生物への「最後の警告」ともいうべきチェルノブイリ原発事故の発生もものかは、全原発が平然と稼働を続けている。
一体、この国はどうなっているのか。太平洋戦争で敗戦を体験するまで戦争をやめなかったように、東海原発で大原発事故が発生し、首都が壊滅するまで、原発を廃絶しないのではないのか。時折り、そんな想いにとらわれる。
ところで、この国の原発推進体制が、かくも強固な背景の一つに、新聞、テレビに代表されるマスコミが、体制内に取り込まれてしまっていることが挙げられる。第一線で働く記者一人ひとりに、「原発推進」の意思はなくても、組織の総体としては、残念ながら推進に加担しているのが実態だ。
原発のもつ反人間性、反社会性、犯罪性は無論その危険性にあるだけではない。原発は、生物とは本来的に相容れない放射能を、絶え間なく生産し続けるばかりか、地方自治を侵害し、民主主義を徹底的に破壊する。さらには、下請け、孫請けの労働者を情容赦なく使い捨て、人心を荒廃させる。
そんな悪の権化である原発をなぜ稼働させるのか。かつて盛んにPRされた経済性やエネルギー・セキュリティとやらも、すでに馬脚を現しているではないか。
東京都知事選挙、地方選挙が迫っている。都民は、今回の大地震・津波を天罰だと言い、地震でも壊れなかった築地市場を、想定通りに液状化した豊洲への移転を強行する男を再選するのか、それとも、地震・津波による原発災害の危険性を正面から取り上げてきた党も推薦する人物を選ぶのかが問われている。この記事の流れからすれば、当然、後者以外の選択肢、考えられない。アメリカ人である、クリス・ヘッジズも、ラルフ・ネーダーも、同じ意見に違いない。東京以外の皆様にしても、同じだ。痴呆選挙ではいけない。
不可避の事態を、未然に防げるのは、帝国と法人国家の迅速な廃絶を含む、日本社会の完全な再構築を中心に築かれた抗議活動しかない。より良い条件を求めて交渉するのではなく、日本の腐敗したエリートを権力の座から排除することを目指す、新たな、何者をも恐れない根本的変革主義の誕生によってのみ、我々は救われるだろう。
しかし、なんといっても、この国のマスコミ・政治家は「想定外」がお好きなので、結果はわからない。東京では「小池晃さんを応援する市民勝手連Q」というものもあるようだ。市民社会フォーラム。Eメール宛先は、katteren2010@gmail.com。率直に申しあげて、あまり見かけは「ぱっとしない」。「反原発」ではなく、「脱原発を」とアピールしている。これは、座布団十枚!
チュニジアやエジプトのように、アメリカ国務省や、その意を汲むGoogle,Facebook,Twitterといったソーシャル・ネットワーク企業の支援を受けた傀儡若者運動とちがい、宗主国の支援がない手作り組織、資金もノウハウも不足だろう。しかし、名もなく、貧しく、美しく、手作りで大資本に対抗(脱大資本とおっしゃるのだろうか)してこそ、宗主国様がおっしゃる「市民革命」の本物。本当にトモダチなら、国務省には、「小池晃さんを応援する市民勝手連Q」に技術支援をお願いしたいものだ。「カッコよく資金潤沢な運動こそ、いぶかしい」と貧乏人はひがんでいる。
TVコマーシャルの多さにいまさらながら気づかされた。万一事態が収束した暁には、『オール電化』CM、復活するのだろうか?アメリカのアヒルもネコも最近みかけない。どうしたのだろう。代理に挿入される公共広告機構AC(実態は、電力業界が牛耳る、視聴者洗脳機構)CM、節電の為、つまらないコマーシャルは見ずに、早くテレビを消しましょうという親心メッセージに違いない。「日本はひとつ」などとしつこく言うのは、原発で儲ける連中と、原発で被害を被る庶民、日本は二つに別れている証拠だろう。
またもや一億総懺悔を目指す洗脳だろう。ACの偽善広告に騙されず、今回の人災、東京裁判ではなく、東京電力関係者(通産官僚、政治家、御用学者、マスコミなどを含め、原発推進に関与した人々が、なぜ原発推進政策を進めたのか、どういう責任を問われるべきなのかを問う)裁判が必要だろう。それなくしては、再発必至。必要なのは、決して、総懺悔ではない。
仁科亜季子の子宮頸ガン・乳ガン予防CMを飽きるほど見せられている「われらフクシマの虜囚」メタボ中年男の小生、連休明け、検診に行くべきか迷っている。:-)
2012/1/6追記:
文中にある、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が旗ふりをして広めた二酸化炭素による地球温暖化説は出鱈目だ。二酸化炭素による地球温暖化説、原発推進やら、排出権商売のための「プロパガンダ」であることを明記しておかないといけない。気温が上がると、二酸化炭素も増える現象は確認されているというが、逆ではない。日本のマスコミは報じないが、海外のマスコミは報じている。それが、たとえば、京都議定書に対する外国政府の対応と、日本政府の対応の大きな違いの一因だろう。原発でも、TPPでも、排出権でも、日本政府は、宗主国の為になることを基準に、政策を選んでいるもののようだ。
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